難波和彦+界工作舎
HOME 難波和彦 難波研究室
箱の家 PROJECT 青本往来記
プロフィール
最近の著書
アーカイブス
リンク集

「ヴォイドの戦略」の可能性 - その同型性を通して (『ユリイカ』2009年6月号)

難波和彦×岩元真明

0. 序
差異性、個性がぶつかりあうスカイラインの中で、退屈で無表情な建築がもっとも際だつ。2006年、ドバイ・ルネサンスと呼ばれる超高層ビルのコンペにおいて、レム・コールハースはヒルベルザイマー風で、無個性の、極端に幅の広い扁平な超高層ビルを提案した。このコンペについてコールハースは次のように述べている。

これまでのところ、21世紀の都市建築の傾向は、テーマ、極端さ、エゴ、浪費の倒錯的で無意味なオーバードーズとなっている。新しいはじまりに、ルネサンスに必要なものは何か。ドバイは最も重要な決断に迫られている。この倒錯した無益なレースに参加するのか、あるいは新しい威信をもった最初の21世紀メトロポリスとなるのか。(注1)

スターアーキテクトとよばれる建築家たちが強力なイコンを追い求め、世界中のディベロッパーたちが摩天楼の高さを競い合う中で、コールハースの戦略はアイロニカルに映るかもしれない。しかしコールハースがドバイ・ルネサンスで示した方法は、彼独自の倫理と美学に基づいているように思われる。差異が自己目的化した現代社会において、都市と建築はどこに向かうべきかという問題に正面から応えようとしているからだ。 

本稿では、コールハースがいかに現代都市を受容し、そこから新しい都市・建築を構想しているかを考察する。それは「ヴォイドの戦略」という方法によって総括される。まずは手始めに、『錯乱のニューヨーク』(1978)と「ジェネリック・シティ」(1994)というふたつの都市論を分析しよう。

1.マンハッタンと「包摂のメカニズム」

『錯乱のニューヨーク』において、コールハースは20世紀初頭のマンハッタンに「過密の文化」を見いだした。過密の文化とは何か。一言で言うなら、それは全てを包摂する文化である。マンハッタンは矛盾や対立など気にとめず、人々のあらゆる欲望と空想を呑み込み、多種多様なアクティビティが混交する超過密な都市を生み出した。約20年後に著された「ビッグネス、または大きいことの問題」(1994)では、『錯乱のニューヨーク』において展開された摩天楼理論をさらに徹底させることによって、臨界点を超えた巨大建築、すなわちビッグネスの特徴が指し示された。ここでビッグネスは善悪の彼岸を超え、多種多様なアクティビティや、相矛盾する論理を呑み込む存在として描かれる。過密と巨大。両者は人類の欲望が生み出した包摂のメカニズムであり、近代化のマイル・ストーンとして現れたのである。

2. ジェネリック・シティ
『ジェネリック・シティ』は「ビッグネス」とほぼ同時期に描かれたテクストであり、両者はともに『S,M,L,XL』(1995)に収録されている。ここでコールハースの描く現代都市は、非歴史性・脱中心性・計画の不在といったネガティブな言葉で語られるが、それに加えて重要視されるのがアイデンティティの欠如である。コールハースは雑多な差異が競い合うことによって、逆説的に個性を持たない都市が生まれたことを指摘する。過剰な差異の衝突は平板なノイズとなるのである。差異を呑み込み、結局は無個性となる20世紀の新興都市をコールハースはジェネリック・シティと呼ぶ。意外に思えるかもしれないが、爛熟を極めるドバイはジェネリック・シティの最終形態と言えるだろう。差異を競い合った超高層群の建ち並ぶ新興都市の風景は、どこか似かよってはいないか。昨日の東京は今日の上海であり、今日の上海は明日のドバイではないか。

32つの過密
マンハッタンとドバイを比較すると、20世紀初頭には強力なアイデンティティを生み出した摩天楼の「過密」が、21世紀初頭においてはアイデンティティの平板化をもたらしていることに気づく。モノとアクティビティの密度が増加するという状況は共通しているものの、両者の「過密」には決定的な相違がある。何が両者の差異をもたらしたのだろうか。それは言うまでもなく1990年代の政治的・歴史的転換である。『錯乱のニューヨーク』と『ジェネリック・シティ』の間には、ベルリンの壁の崩壊に始まる社会主義国家の崩壊、すなわち「冷戦の終焉」がある。1990年以前の近代化(ルビ:モダニゼーションは、冷戦というかたちで資本主義と社会主義というふたつの思想を内包していた。『錯乱のニューヨーク』に描かれている過密はこの時期のモダニゼーションが生み出した現象である。それに対して、東西の均衡が破れた後、モダニゼーションの流れは金融資本主義の世界的浸透、すなわちグローバリゼーションへと一元化し加速化する。「ジェネリック・シティ」の過密は、グローバル経済のもたらした現象にほかならない。

4. マンハッタンの過密
ニューヨークの過密は1930年代のモダニゼーションが生み出した現象であり、そこには資本主義と社会主義の両者が混在している。メキシコの画家ディエゴ・リベラが、資本主義の牙城であるロックフェラー・センターの内部にレーニンの像を描こうとした挿話はきわめて象徴的である。『錯乱のニューヨーク』では資本主義の凱歌が描かれるが、そこには絶えず社会主義の揺らぎが見え隠れする。マンハッタンのミニチュア・モデルとして描かれるコニー・アイランドでは、ソーシャル・コンデンサー(注2)を模した「喜びの宮殿」が計画されるが、未完成に終わる。ル・コルビュジエはモダニズムの結晶のような国連ビルを計画するが、結局はイデオロギーを抜き取られマンハッタンに呑み込まれる。共産党員ディエゴ・リベラの壁画は完成を待たずに塗りつぶされる。社会主義思想はマンハッタンに呑み込まれるが、少なくとも資本主義と接近遭遇する機会があった。それどころか『錯乱のニューヨーク』には、社会主義が一撃を加えるパラレル・ストーリーすら存在する。『錯乱のニューヨーク』の最後を飾る寓話「プールの物語」では、半世紀かけて大西洋を横断したロシア構成主義者たちが、1976年のニューヨークの人々の服や振る舞いの画一性を見て衝撃を受ける。「自分たちが大西洋を横断するあいだに、ひと足先に共産主義がアメリカに上陸してしまったのだろうか?」(注3)。構成主義者たちを乗せた筏は、大都市の苦悩を象徴する「メデューサの筏」(注4)のレプリカを切り裂き、物語は終焉する。

5. ジェネリック・シティの過密
一方、ジェネリック・シティにおける過密は冷戦終結後のグローバリゼーションがもたらした状況だと言ってよい。そこではマンハッタンにおける過密以上に、雑多で大量の差異が都市を覆ったように見える。しかし差異が増えれば増えるほど都市は平板になる。なぜジェネリック・シティでは「過密」と「巨大」すらも個性を失ってしまうのだろうか。90年代以降の過密における個性の平板化(ジェネリック・シティ化)をもたらしたのは、イデオロギーの一元化と弛緩である。90年代以前の過密は、金融資本主義の生む幻惑的な都市空間の中に、社会主義的ユートピアさえも包摂しようとしていた。そこではイデオロギーの内部矛盾すら呑み込むダイナミックな意味の重層があった。冷戦後、社会主義思想は力を失い、ジェネリック・シティの過密は金融資本主義というコンテクストしか持たなくなった。新自由主義経済はポストモダニズムという形で、差異の創出にポリティカル・コレクトネスを与えたが、それは差異を金融資本主義社会に適うものへと限定することにほかならなかった。グローバリゼーションによって生み出される差異は、表面的には爛熟を極めるが、深層は単純で単一の思想に限定され、退屈で個性のない都市組織を生み出していった。ジェネリック・シティの平板な深層の一例にプログラムの単純さが挙げられるだろう。マンハッタンでは差異や矛盾は建築内部へと包摂されたが、ジェネリック・シティにおいては、それらは表層にとどまり、内部はきわめて画一的なプログラムで支配されるようになった。マンハッタンの夢の家である「摩天楼」は、オフィスフロアだけで構成される「高層ビル」へと変化した。ショッピング・モールにおけるアクティビティはショッピングに限定され、郊外の住宅地には住宅だけが限りなく拡がっている。現代では当たり前のように思えるが、単一プログラムが反復する状況はモダニズムの教義である「機能的都市」とグローバル経済の超合理性がもたらした奇妙なハイブリッド現象である。コールハースは言う。「ジェネリック・シティはフラクタルで、全く同じシンプルな構造モジュールのエンドレスな繰り返しである・・・。」(注5)コールハースは、グローバリゼーションとともに出現するジェネリック・シティへの第一歩を、マンハッタンにすでに見いだしている。戦後のロックフェラー・センターに追加された3つのモダニズム超高層ビルは過密の文化の死を意味している。コールハースの結論はこうである。

単一敷地内での無限に多くの多層的かつ予想不能な活動をもはや支えることをやめてしまう。マンハッタンは明解で予測可能な一義性へ-既知なるものへ-と後退してしまっている。(注6)

6. ダーティ・リアリズム
コールハースはグローバルな金融資本主義のニヒルな扇動者として捉えられがちだが、それは短絡的な判断でしかない。近年の中国中央電視台(CCTV)のプロジェクトにおいて、彼ははっきりと社会主義的状況の可能性を表明している。彼の原点にはロシア構成主義者イワン・レオニドフへの傾倒がある。コールハースは資本主義と社会主義に深い理解を示しながら、いずれの思想にも与しない。コールハースは社会主義者でも資本主義者でもない。あえて言うなら、彼は18世紀に端を発するモダニゼーションの歴史的潮流を正面から受けとめるハイパー・モダニストである。コールハースは資本主義のもたらした状況、すなわちジェネリック・シティを前提条件として受け入れる。現代都市に関するコールハースの認識は、20世紀初頭に資本主義と社会主義の境界を揺れ動いたヴァルター・ベンヤミンによる芸術作品の認識と多くの共通点を持っている。ベンヤミンは複製技術の登場による芸術作品のアウラの凋落を指摘したが(注7)、同様にコールハースは都市・建築におけるアイデンティティの凋落を見いだす。彼はジェネリック・シティを「アウラをつくり出さない時代」(注8)の産物として捉えたのである。コールハースとベンヤミンの思考の類似性は状況分析のみにとどまらない。ベンヤミンがアウラの捏造を批判し、複製技術から生まれる新しい作品性を模索したように、コールハースも金融資本主義が生み出した現代都市の状況から、新たな都市・建築の可能性を追求する。これがコールハースのダーティ・リアリズムの核心である。多くの建築家が過密都市から逃れ、巨大建築を憎み、ジェネリックな都市を蔑むのに対し、コールハースはそれらを与条件として受け入れ、その中で建築にアイデンティティや永続性を与える方法を模索した。そこで見いだされたのが、「ジェネリック」の充溢と不在を対比させる方法、すなわちヴォイドの戦略である。

7, ヴォイドの戦略
ジェネリック・シティに対する建築的挑戦として、コールハースが考案したのが「ヴォイドの戦略」である。ヴォイドの戦略の有効性についてコールハースは次のように述べている。

ある領域を使用し、あるいはそこに何かを建てるよりも、ヴォイドのまま放っておくほうがずっと簡単です。それはまた、消費擁護論者達による意味やメッセージの猛攻撃、砲撃や侵略の対象外にあるのです。ヴォイドはあらゆる圧迫を削除しようと努めているのです。一方、建築はそうした圧迫の中で重大な役割を演じているのです。(注9)

 ヴォイドの戦略は「ジェネリック・シティの過密」から「マンハッタンの過密」へと遡行することによって、モダニゼーションの2つの局面である資本主義と社会主義を再び包摂しようとする試みだといえるだろう。それは消費社会に抑圧された社会主義思想の可能性を再発見すると同時に、平板化した資本主義思想の潜在力を取り戻す方法論でもある。ヴォイドの戦略には「ジェネリックという地」「ヴォイドという図」「ジェネリックとヴォイドの共存関係」の3つの意味が込められている。ジェネリックな空間に埋め込まれたヴォイドは、逆説的にジェネリックな状況、すなわち消費活動から守られる。コールハースの生み出すヴォイドの空間は、常に公共性と結びつき、人々が自由に意志決定を行う場所となる。
以下で具体的にコールハースのヴォイドの戦略を追ってみよう。

8. 都市のヴォイド
ヴォイドの戦略は、まずムラン・セナール都市計画(1987年)で試みられた。プロジェクトの核心は空地(ルビ:ヴォイド)のシステムである。

政治的、経済的、文化的な力の混乱により、建物の「充満」は永続的な変化の中で管理しがたくなってきた。しかし空地に関しては違う。おそらく空地は建築の必然性を感じさせる場所だろう。(注10)

管理できない混乱によって生まれる建物の「充満」とは、ジェネリック・シティの状況に他ならない。コールハースはパリ郊外の静かで汚れなき土地が開発によって損なわれることに異議を示すが、ジェネリック・シティという現代的状況を退けることもしない。彼は都市にあらかじめ帯状のヴォイドを導入することによって相矛盾する両者を包摂することをねらった。ヴォイドは永続的に「美、静穏、公共施設へのアクセス」を確保する空地となり、それ以外の部分では具体的な計画は放棄され、経済原則から生み出される建物によって満たされる。コールハースは両者の対比が崇高さを生み、両者の並置が全体としては制御不能で混沌とした都市の成長を生むと主張する。以上の戦略を、簡潔にまとめると以下のようになるだろう。
ヴォイドはジェネリックという「地」がなければ存在しない「図」であり、ヴォイドとジェネリックな状況は相補性を持つ。ヴォイドはジェネリックの不在として、永続性とアイデンティティ、そして公共性が凝縮された空間となる。ヴォイドとジェネリックを並置することによって、全体のシステムには崇高さと制御不能な部分が包摂される。

9. 建築のヴォイド
ヴォイドの戦略はフランス国立図書館コンペ案(1989年)で建築に応用された。ここでは大量の書庫を載せたスラブの反復によって、意図的に退屈な「ジェネリック」空間がつくられている。そして反復空間を地として自由な形態の空洞=ヴォイドが描かれる。コールハースは以下のように述べる。

形態を用いて積極的に手を加えなくとも、建物の退屈な部分をただ放っておくことで特別な状況を創出し得るのです。建物の最重要部分を、単なる建築という行為の不在、あるいは建設することへのある種の拒絶としてはっきり表明することもできました。 (注11)

 ここでコールハースは巨大な建築-ビッグネス-の内部におけるジェネリックとヴォイドの並置と対比という建築手法を編み出した。ジェネリックな空間は「大量・反復・一時性・拡張性」を持ったアウラなき空間であり、ヴォイドの部分は「一回性・同一性・耐久性・永続性」をもった空間となる。何もないということは変化もしないということだ。まずは都市計画で生み出されたヴォイドの戦略は、その有効性を変えることなく巨大建築へと転用された。過密化する都市への理論は、そのままビッグネスに適用される理論へとスライドしたのである。OMAはフランス国立図書館のコンペに敗退するが、建築におけるヴォイドの戦略は90年代以降も繰り返し提案され、そこに含まれる意図はより明快になっていく。たとえばアルメラ・ブロック6(1998年)という複合施設案では、ヴォイドが商業空間に埋め込まれた公共空間として計画された。コールハースは『ジャンクスペース』(2000)というエッセイにおいて、現代の商業空間を建築家の手に負えないグローバルに均質化した空間として描いたが、90年代以降のヴォイドの戦略では、そのジャンクスペースを量塊(ルビ:マッス)にあてはめ、残余の部分をヴォイドとすることによって公共空間を確保するという意図が明白に現れている。21世紀になるとヴォイドの戦略は相次いで実現に向かう。中でも最も鮮明にコンセプトが現れているのがシアトル公立図書館である。マッスからヴォイドを切り抜くという造形ではないものの、シアトル公立図書館のコンセプトは、ジェネリックの不在と充溢の対比という意味でヴォイドの戦略の展開と言ってよい。「ジェネリック」な空間である閉じた箱には書架が納められ、そこでは本の増加など様々な変化が生じる。しかしヴォイドの部分の輪郭は変わらない。両者をはっきりと分離することによって、蔵書の膨張によるパブリック・スペースの窒息という図書館にありがちな問題が解決される。建築家の手が及ばないという意味では、日々増え続ける収蔵書はジャンクスペースと同じなのだ。
コールハース/OMAのプロジェクトにおいては、ヴォイドは常に公共空間であり、多様なアクティビティを許容する空間である。それは輪郭は不変だが、人びとの活動によって最も揺れ動く場所である。ある時間の一断面を見れば、可変なジェネリック・スペースは特定の機能で固定化されており、永続的なヴォイドは様々なアクティビティで揺れ動く。これがコールハースのヴォイドの本質である。ジェネリックな空間との対比を強めるために、ヴォイドはアクティビティの流れを促すような空間を必要とする。かくしてコールハースの生み出すヴォイドの空間は、連続空間、すなわちトラジェクトリー(注12)というコンセプトと重ね合わされ展開していく。シアトル公立図書館や、在ベルリンオランダ大使館はその好例である。資本主義的な誘惑空間と公共空間を包摂する建築において、人々は遊歩者(ルビ:フラヌール)のようにさまようのである。

10. プラダのヴォイド
ヴォイドの戦略の適用範囲は都市・建築の分野だけにとどまらない。コールハース自身の言及はないものの、プラダのブランド・コンサルティングもまた、ヴォイドの戦略がより抽象的な形で展開していると分析することができる。プラダのアイデンティティを模索するに当たり、コールハースはベンヤミンにならって反復がアウラを減退させる危険性を指摘している(注13)。それゆえAMOはジェネリックな「ストア」を世界展開すると同時に「エピセンター」という特別な店舗を少数展開することを提案する。エピセンターはジェネリックなストアを背景とすることで際立ち、プラダの新しいアイデンティティを生み出す。AMOは「プラダ・アトラス」というダイアグラムによって上述の戦略を表現したが、その図式が「ヴォイドの戦略」の図式と似ているのは偶然ではないだろう。両者を比較すると、「ジェネリック」と「ジェネリックの不在」の同時展開と対比という手法的な一貫性が見出される。 エピセンターでは「ノン・コマーシャル」がキー・コンセプトとして挙げられ、空間は商品の売買だけに供されるのではなく、都市のオープンスペースとなることが目指されている。商業活動で満たされたジェネリックなストア群の中で、エピセンターはショッピングから解放されたヴォイドとなるのである。ストアとエピセンターの並置によってプラダの全体的な系は不安定になり、ブランドの拡張とアイデンティティの更新が両立される。プラダ・アトラスは都市や建築において見いだされたヴォイドの戦略がブランドの店舗展開にも応用できることを示しているといえよう。
ソウルにおけるパビリオン「プラダ・トランスフォーマー」(2009)では、エピセンターのコンセプトはもはや恒久的な建築の形をとらずイベントの集積へと溶融している。「クレーンで回転する四面体」というユニークなコンセプトに目を奪われがちだが、プラダ・トランスフォーマーは明らかに10年近く続くプラダの戦略の延長線上にある。それはアート、シネマ、ファッションショーといった様々なプログラムを覆い込むエンベロープであり、ソウル市内に散らばるジェネリック・プラダ・ストア群に新しい活力を与えている。プラダの戦略において最重要なのは、ショッピング=ジェネリックという地に対するパブリック=ヴォイドという図の関係であり、必ずしも建物同士を対比させる必要はないのである。

11. ヴォイドの同型性
これまで見てきたように、ヴォイドの戦略はスケールやプログラム、領域に拘束されないメタフィジカルな方法論として拡張することが可能である。都市計画、巨大建築はもちろん、ブランドのコンサルティングの手法まで。コールハースの実践を「拡張されたヴォイドの戦略」としてとらえ直すことによって、公共性を取り戻し、資本主義空間を再活性化するという一貫した目的が浮かび上がる。ヴォイドの戦略は、適用する対象に関わらず、共通した方法と目的をもつ。そこには同型性が存在する。ヴォイドの戦略を応用して設計された個人住宅(Y2K)が、スケールを単純に拡大してそのままコンサートホール(カサ・ダ・ムジカ)に転用された例はきわめて示唆的である。隕石のようなマッスの真ん中に大きなトンネルが穿たれた形態。住宅の設計においては、マッスはあふれる雑多なモノの集積を、ヴォイドは家族が集まる小さな公共空間を意味した。コンサートホールになると、ヴォイドは地方都市に降って湧いたグローバルなプログラムを貫通する風穴となった。両者ではスケールやプログラムが全く異なるにもかかわらず、ヴォイドのもつ意味作用は同一である。ヴォイドは、何もしないという建築操作であり、その意味で数学におけるゼロに似ている。ゼロが自己自身への同型写像であるように、ヴォイドもまた自己言及的な同型性によって動的に展開する可能性を持っているのである。

12. ドバイ・ルネサンスと同型性の戦略
冒頭に掲げたドバイ・ルネサンスに戻ろう。コールハースはドバイ・ルネサンスのプロジェクトにおいて、差異を追求する摩天楼群に共通する同質性を抜き出した。それは初期モダニストたちが構想した単一操作によるピュアな建築であり、全ての摩天楼群のイデアである。このイデアからみれば、スターアーキテクトたちのデザイン行為はデコレーションに過ぎないとさえ言える。差異を競い合うという不毛な状況において、操作をしないというゼロのイデアは、イデオロジカルなヴォイドとなる。ドバイ・ルネサンスは一個の建築であるにもかかわらず、ドバイという都市全体に対するヴォイドとして理解される。砂漠という完全なタブラ・ラサ上に繰り広げられる金融資本主義の最終形態の中に、再びゼロを差し込むことは、究極的なヴォイドの戦略とはいえないだろうか。
コールハースは18世紀に始まる近代化(ルビ:モダニゼーション)の底流を見据えている。1920 年代に勃興したモダニズムは、大戦後にはイズムとして硬直化していった。しかしモダニゼーションは歴史の底流として現在も連綿と持続している。昨今の金融資本主義はモダニゼーションの最新形態だと言ってよい。ニューヨークが産業資本主義を象徴する都市であったように、ドバイは金融資本主義を象徴する都市である。そこにおいてコールハースはヴォイドの戦略を究極まで推し進めた。しかしヴォイドの戦略のもつ極はひとつではない。同型性に注目することによって、ヴォイドの戦略は極小にまで応用可能な方法論ともなる。それは都市の小建築や、そのディテールにまで応用することができるはずである。ヴォイドの戦略からその同型性の戦略へ。僕たちがコールハース/OMA/AMOから学ぶべきことは、それらを現代都市の細部にまで適用し浸透させることではないだろうか。

P.S. ベルリンの壁という蝶番
1972年、当時AAスクールの学生だったコールハースは、ベルリンの都市リサーチに赴く。そこで彼ははじめてヴォイドの啓示を得たと言っている。ベルリンの壁が生む空白に、物理的な実体以上の建築的な力を感じたのである(注14)。しかしコールハースが見いだしたヴォイドとは、単にベルリンの壁というオブジェクトではなく、当時のベルリンの都市状況そのものだったのではないだろうか。それは「壁に囲い込まれた」西ベルリンが資本主義のもとで自由を謳歌している、という逆説的な状況だった。社会主義に一元化された世界においては、資本主義社会がヴォイドとなっていたのである。これはジェネリック・シティにおけるヴォイドの戦略の反転にほかならない。図と地は容易に反転が可能なのだ。必要なのは両者を包摂することなのである。

(注1) OMAホームページより抜粋。www.oma.nl
(注2) ソーシャル・コンデンサーはロシア構成主義の建築理論であり、階級差のない空間の創出を目指した。プログラムの重合や動線の意図的な交差などが手法上の特徴であり、モスクワの集合住宅ナルコムフィン・ビル(1932年)がその理念を体現したとされている。
(注3) レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』鈴木圭介訳, 1999, 筑摩書房, p.515
(注4) 仏画家ジェリコーによる「メデューサ号の筏」(1819)のこと。149名の移民志願者を乗せて漂流した筏というモチーフに、ここでは都市の過密が重ねられているのであろう。
(注5) “Generic City”(Rem Koolhaas『S,M,L,XL』, 1997, Monacelli Press, p.1251)
(注6)『錯乱のニューヨーク』p.482
(注7)ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』
(注8) “Generic City”(『S,M,L,XL』p.1257)
(注9) レム・コールハース『建築家の講義 - レム・コールハース』岸田省吾監訳, 秋吉正雄訳, 2006, 丸善, p.57
(注10) a+u 1988年10月号「特集 レム・コールハース」 建報社 p.128
(注11)『建築家の講義 - レム・コールハース』p.14
(注12) トラジェクトリーとは様々なプログラムを内包する室内街路空間である。アイルランド首相官邸コンペ案(1979年)に始まり現在に至るまで、コールハースが持続的に追い続けるテーマといえる。
(注13) Rem Koolhaas/OMA/AMO, 『Project for Prada Part 1』, 2001, Fondazione Prada Edizioni, p.4
(注14)『S,M,L,XL』p.228

 

▲TOP

Copyright (C) 2003 KAZUHIKO NAMBA+KAI WORKSHOP. All Rights Reserved.
No portion of this web site may be reproduced or duplicated without the express written permission.
This web site is written in Japanese only.