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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2022年06月28日(火)

今日もピーカンの晴れで酷暑の一日。8時半出社。松江の菅野さんからメールが届く。「169菅野邸」の玄関ギャラリー床の墨モルタルのヘアクラックに対する対処法について、僕が昨日提案した塗床で進めていいとの回答である。直ちに大同建設に転送し、同色の塗床による補修を依頼する。Mさんに「170 M邸」の雨水タンクの設置と不燃化特区の助成金を世田谷区に申請するための書類への捺印を依頼する。北側の垂れ流し雨水の浸透枡については助成を断られたが、それ以外は受け入れてもらえそうだ。昨日はiPad上でMicrosoft365ソフトのダウンロードまで辿り着いたが、Microsoftに使用許可を得るパスワードの獲得で頓挫した。今日再挑戦してようやく使用許可を得るに至る。iPhoneでの使用許可も適用範囲であることを確かめた上でダウンロードする。1ヶ月間は無料で、その後はサブスクリプションの費用が発生するが、すでに現在も支払っているのでどうなるのだろうか。記録を見ると支払先はMicrosoftである、今回はAppleのソフトとしてダウンロードしたために、ダブルブッキングの恐れがあるのでよく確認することが必要だろう。ともかく、これでApple IDを盗まれる前にまで回復し、日記を含めてiMacのすべてのファイルがiPhoneとiPadで自動的に共有できるようになった。『様式とかたちから建築を考える』は、第2部「様式論:建築を思考するフレームワーク」の第3章「ポストモダンと西洋の様式」と第4章「様式における日本的なもの」を読み終えて、第1部「日本近代建築の様式建築をひもとく」に戻る。第3章では、磯崎新の〈つくばセンタービル(1983)〉と〈水戸芸術館(1990)〉をとり挙げて、日本の1980年代のポストモダン期における日本の建築デザインへの西洋の様式建築の引用について論じ、そのコンテクスト上で木島安史の〈孤風院(1975〜)〉や隈研吾の〈M2ビル(1991)〉について検証している。第4章では、日本建築における「ジャパネスキゼーション(和様化)」の問題について論じ、重源の大仏様から伊東忠太や岸田日出刀を経て磯崎新の〈新宿計画(1962)〉や石井和紘の〈直島町役場(1983)〉を紹介している。第1部にも目を通すつもりだが、様式と装飾に関する本書の基本的な考え方はほぼ理解できたので、散読するに止めよう。今日の全国の感染者数は19,386人。昨日から約9,800人の増で、6月初めに戻ってしまう。


2022年06月27日(月)

晴れ一時曇りの酷暑の一日。今朝、気象庁は関東甲信地方が梅雨明けしたと発表。関東の梅雨は3週間だったことになる。8時半に出社。9時前に事務所を出て、表参道経由で青山の銀行へ。朝から30度近い気温で陽射しが強いため、表参道を通る人の足取りも鈍い。9時過ぎに予約した銀行で雑用を済ませ、急いで青山の歯科医院へ向かう。9時半から定例の歯のメンテナンス。いつもより時間が遅いせいか、今日は女医さんが対応してくれる。10時過ぎに治療終了。4月から後期高齢者の健康保険になったせいか、いつもより治療費が安い。8月のお盆明け診察日を予約して10時半に帰社。松江の大同建設から「169菅野邸」の玄関アプローチのヘアクラック対策について塗床かPタイル貼という対応策の提案メールが届く。菅野さんに転送し、塗床の方がシームレスに見えることを勧める。Mさんから「170 M邸」のアトリエ天井の収納棚の案が届く。単管パイプをクランプで組み立てるDIYの案である。天井照明と絡むのでやや煩瑣な印象だが、Mさんが自分で組み立てるというので、とりあえず材料支給費の見積をTH-1に依頼する。思い立ってアップル・サポートに電話し、iMacでサブスクリプションしているMicrosoft365をiPadで共用する方法について尋ねる。先月、iPadを初期化してiPhoneと同期した際にMicrosoft365がコピーされなかったため、iMac上でwordを使って書いた日記やpptxのスライドショーが同期されないからである。指示に従いiPad上でMicrosoft365ソフトのダウンロードまで辿り着くが、Microsoftに使用許可を得るパスワードの獲得の段階で頓挫。何度か認定コードの獲得を試みるが、指定したアドレスにメールが届かないので一旦休止。明日、再度試みることにする。夕方、久しぶりにカッシーナの堀尾社長から電話が入る。イタリア産の新しいエコ材料について紹介したいとのことなので、今週木曜日に来所してもらうことにする。『様式とかたちから建築を考える』は、第2部「様式論:建築を思考するフレームワーク」の第1章「擬洋風を考える」と第2章「時間を操作する複製建築」を読み終えて、第3章「ポストモダンと西洋の様式」に進む。第1章では、〈開智学校〉をとり挙げて、明治時代の在野の大工による和洋折衷建築について詳細に検証している。第2章では、完全に原型に復元された〈三菱一号館〉をとり挙げて、近来のようなファサードだけの様式保存との相違に注意を喚起し、伊勢神宮の式年造替のような新築復元との比較論を展開している。やや牽強付会な論のようにも思えるが日本的な様式保存に対する新しい視点かもしれない。今日の全国の感染者数は9,572人。昨日から約4,700人の減.で月曜日現象である。


2022年06月26日(日)

今日もピーカンで酷暑が続く一日。昨日1年検査を行った「箱の家166」のKさんから、床下空調機に仕切り板にカビが生えているという報告メールが届く。基礎コンクリートからの遊離水のため、入居後しばらくの間は床下空間の湿度が高くなるための現象か空調空気の吹き出し方向の問題である。空調空気の吹き出し方向を下向きにし、仕切り板のカビを除去して、しばらく様子を見る旨の返信メールを木村さんから送ってもらう。SUEP. の末光弘和さんと末光陽子さんから『SUEP. 1-stories of architecture on earth』(末光弘和+末光陽子/SUEP.:著 TOTO出版 2022)と『開放系の建築環境デザイン』(末光弘和+末光陽子/SUEP.:著 学芸出版 2022)の2冊の本が届く。一昨日、ギャラ間で彼らの展覧会を見たばかりなので、頭を整理しながら中身にざっと目を通す。環境デザインのためのさまざまな試みの記録が紹介されている。お礼の手紙を添えて僕の『新・住宅論』を宅急便で送る。定期購読している『週刊読書人』22年6月24日号の映画評論家ジャン・ドゥーシュへの連載インタビューを読んでいて、気になる発言に出会う。フランスの映画監督モールス・ピアラの作品『ヴァン・ゴッホ』(1991)について、ドゥーシュはこういっている。「ピアラは時代を描きました。時代そのものを描いているからこそ、物語そのものはすぐには見えてきません。しかし、少しずつ細かな出来事が積み重なることで、物語が生み出されていくのです。人生そのもののようなものです。人生においては、何が起きているのかは誰も理解できていません。それぞれの瞬間を生きているに過ぎないのです。一つの歴史が物語として理解されるのは、後になってからのことです。ピアラが行ったのは、まさに人生そのものを描くことなのです」。物語、人生、歴史は細かな出来事の集積であるという指摘に妙に納得する。というか、歴史や人生は事後的に組み立てられた物語ということである。ある意味では、この日記も毎日の物語づくりだといってもよい。というか逆に、日記に記す毎日の行為が物語になるように努めているといってもいい。17時過ぎに事務所を出て千代田線で日比谷駅にて下車。TOHOシネマで18時から『ベイビーブローカー』(是枝裕和:監督 2022)を観る。館内は7割の入りで若い人達が多い。是枝監督の映画は一貫して家族のあり方をテーマにしているが、今回は子供の売買にまつわる物語である。前作の『万引家族(2018)』のような緊張感はないけれど、複数の物語が絡み合い、それが徐々に解き明かされていくプロセスが是枝監督のシナリオの妙である。見ながら僕が最も好きな是枝監督の処女作『幻の光(1995)』を思い出した。20時過ぎに終了。21時前に帰宅。『様式とかたちから建築を考える』は、第3章「装飾の排除から復権へ」を読み終えて、第2部「様式論:建築を思考するフレームワーク」の第1章「擬洋風を考える」に戻る。第3章では、装飾を排除したモダニズム建築においても、プロポーションとして古典主義様式が残され、構造表現としてゴシック様式が残存していることが紹介され、建築における装飾とは何かという問題が問い直されている。五十嵐は本書において、鈴木博之が『建築の世紀末(1977)』で問うた建築における装飾の問題を引き継いでいるように思われる。今日の全国の感染者数は14,238人。昨日から約2,400人減である。


2022年06月25日(土)

ピーカンの晴れで酷暑の一日。8時半に出社。今日は「箱の家166」の1年検査のために、担当した界工作舎OBの木村優志さんと界工作舍から戸田が深澤の現地に向かっている。松江の菅野さんから電話が入る。まだリハビリテーション中途のことだが、合間に「169菅野邸」に通っているそうだ。ここ数日は酷暑さが続いているので空調機の温度調整について問われる。まだ入居していないので、床スラブやアクアレイヤーへの蓄冷が進んでいないためなので、まずは24度程度にまで設定温度を下げて様子を見るように回答する。玄関アプローチの墨モルタルのヘアクラックが依然として気になるので、なんとか対処してもらいたいという要請も受ける。ヘアクラックはモルタル仕上げの宿命だと説得したが、受け入れてもらえない。同色のシールで埋めてサンダー掛けしてはどうかと逆提案される。やむなくその旨を大同建設と龜谷さんにメール報告する。13時過ぎに戸田が帰社したので、現場写真を見ながら1年検査の報告を受ける。大きな問題はないようだが、いくつか細かな修正が必要なようで、小川建設に対応を依頼する。Mさんから「170 M邸」の床下空間への浸水に関する質問メールが届いたので、基礎底盤と立ち上がりの継ぎ目に止水板を仕込んでいるので問題ないことを回答する。アトリエの天井収納について界工作舍の提案を送信する。『様式とかたちから建築を考える』は、第3部「歴史編:西洋の古典主義と装飾」の第2章「反復する古典」を読み終えて、第3章「装飾の排除から復権へ」に進む。第2章では、ルネサンスからマニエリスムを経てバロックへと変容する古典主義の展開がたどられ、さらに18世紀の啓蒙思想と考古学の勃興に伴う新古典主義の勃興と近代建築への展開が紹介されている。今日の全国の感染者数は16,593人。昨日から約800人の増で一昨日に戻り、下げ止まりが続く。


2022年06月24日(金)

曇りのち晴れで真夏日の一日。8時半出社。10時過ぎに事務所を出て、散歩がてら南青山の路地を抜け、青山墓地を横断して11時前に乃木坂のギャラリー間に着く。11時から開催中の〈末光弘和+末光陽子/SUEP.展〉を観る。3階の展示会場では外周壁にこれまでに完成した建築の模型とヴィデオが展示され、中央には形と性能の関係に関する小さなスタディ模型が所狭しと並べられている。中庭には衛生陶器の廃材を再生した葉状ユニットをフラクタルに組み合わせた日射と風を制御するヴォールト状の実験的な休憩シェルターが設置されている。4階展示場には計画中や工事中のプロジェクトのやや大きな模型群が展示されている。SUEP.の初期の作品は、各種の環境建築賞の審査のために実際に訪れたこともあるので懐かしく見学する。当時から気候制御というコンセプトは一貫している。初期の解決手法は若干稚拙だと感じたが、最近ではコンピュータ・シミュレーションを使ってかなり精巧な手法に進化している。まさに現代のSDGsの潮流を正面から受けとめた建築デザインといってよいだろう。僕の立場から唯一不満なのは、コンセプトがストレートに了解できるあまり、デザインがやや単純に見える点である。建築はもう少し複雑な存在であり、複雑な表現になるはずではないかという印象である。僕自身の仕事を棚に上げていうようだが、あまりにも正し過ぎるように見えるデザインは、建築的回答としては問題ではないか。いいかえれば批評性に欠けるということである。僕の見方の方が時代からズレているのかもしれない。11時半に会場を出て、乃木坂駅から千代田線で表参道駅にて下車。12時前に帰社。「箱の家166」の河野さんから、明日の1年検査に関するメールが届く。夏期の温度制御が難しいという感想なので、参考資料として「165箱の長屋」の〈生活マニュアル〉を返信する。昼過ぎに戸田が「170 M邸」から帰社したので、現場監理の報告を受ける。工程表と比較してみると工事が1週間以上遅れている。鋼板庇の取付がまだなので外装工事が進んでいないし、内装工事では浴室ユニットが設置されているが、仕上工事もほとんど進んでいない。竣工引渡の期日を遅らせることはできないので、TH-1にその旨と工程表の再調整を指示するメールを送る。昨日、戸田が世田谷区役所に出向き、北側の垂れ流しの雨水浸透桝への補助を打診したが、升外周の距離が足りないため却下されたことをMさんに報告したとのこと。家早何友お役所仕事である。来週は僕も現場監理に立ち会うことにしよう。『様式とかたちから建築を考える』は、第3部「歴史編:西洋の古典主義と装飾」の第1章「古典主義とゴシック」を読み終えて、第2章「反復する古典」に進む。第1章では、西洋建築史を概観しながら、キリスト教の共に修道院建築としてロマネスクが普及し、ルネサンスと共に古典主義建築が西欧に導入され、18世紀からの史跡調査によって再興したこと、ゴシック建築も18世紀から19世紀にかけて再評価されるといった経緯が紹介されている。西洋建築史の復習をしている感じである。今日の全国の感染者数は15,815人。昨日から約860人の減で、依然として下止まりの感である。


2022年06月23日(木)

曇りで蒸し暑い一日。8時半出社。はりゅうウッドスタジオの滑田崇志さんから、6月18日(土)に開催された〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉のオンライン映像が届いたのでfacebookにアップする。3時間のやや長い映像だが、座談会参加者の発言内容を確認し、僕自身の発表も相対化できる貴重な記録である。一緒に当日のスナップ写真も届いたのでダウンロードしてファイルを記録する。
https://vimeo.com/722895706/05c697bcc5
https://www.dropbox.com/t/9FOTMiRHHAHkpx4H
TH-1から「170 M邸」の外壁に取付ける自転車ラックの再見積書が届いたので、そのままMさんに転送。まもなくMさんから承認のメールが届いたのでTH-1に転送する。出雲の龜谷清さんから「169 菅野邸」の竣工1ヶ月後の現場監理の報告メールが届く。1階の墨モルタル仕上げには微かなヘアクラックが入っているが、1ヶ月以上経過して安定しているようなので、当面はこれでよしとする旨のメールを龜谷さんと大同建設に返信する。菅野さんはまだ入院中でリハビリテーションを続けているとのことなので「169菅野邸」への入居は7月になりそうだとのこと。2階には食卓椅子以外にロッキングチェアが搬入されている。『様式とかたちから建築を考える』は、第1部 「観察編:日本近代の様式建築をひもとく」の第1章「シークエンスの中で読む古典主義建築のデザイン:日本銀行本店本館」と第2章「 序列のあるデザイン要素:旧横浜正金銀行本店本館」を読み終わる。本書は〈日本銀行本店本館〉と〈旧横浜正金銀行本店本館〉の詳細な様式分析から始まる。どちらの分析も興味深いのだが、いきなり具体的な建築の詳細な紹介から始めるという構成には、いささか入り込みにくい。なので、まず第3部「歴史編:西洋の古典主義と装飾」から読み始めて、全体の論の枠組を把握してから第1部に戻ることにする。今日の全国の感染者数は16,676人。昨日から約600人の減で下止まりの感である。


2022年06月22日(水)

曇り時々雨の蒸し暑い一日。8時半出社。先週末から昨日までの移動のために、やや疲れが噴出し集中力が途切れている。原稿に取り組む気にもならないので、ここ数日で撮った写真を見ながらいろいろなことを考える。昨日読み終わったE・H・カーの『歴史とは何か』の読了後の余韻も腹に応えている。「170 M邸」の記録写真を観ながら、Mさんが建設に携わった人たちの記録を自邸の壁に残したいといっていたことを思い出す。関係者一同が現場に集まるのは難しいので、ケント紙を持ち回り関係者各人に書き込んでもらった記録を、壁仕上げの下に設置するのはどうかと考える。この方法なら少し時間をかけても関係者の記録が集まるだろう。この案を現場監理の際にMさんに提案してみることにする。『歴史とは何か』で学んだことを何とか建築史に結びつけたいと考えて『様式とかたちから建築を考える』(五十嵐太郎++菅野裕子:著 平凡社 2022)を読み始める。五十嵐太郎の序文「言語化して初めて見ることが可能になる」では、古典主義建築は言語のように組み立てられているので、その語彙と文法を学べば、設計意図を読み解くことができるという主張が展開されている。五十嵐が参照しているジョン・サマーソンの『古典主義建築の系譜』(ジョン・サマーソン:著 鈴木博之:訳 1976)は、鈴木博之の多くの翻訳の中の初期の仕事である。
https://www.amazon.co.jp/古典主義建築の系譜-ジョン-サマーソン/dp/4805500093/ref=sr_1_1?crid=3KIAO0PT33ANM&keywords=古典主義建築の系譜&qid=1655948869&sprefix=古典主義建築の系譜%2Caps%2C241&sr=8-1
建築を造形言語としてとらえれば、古典主義建築でなくても同じことがいえるが、古典主義建築には、その考え方が明快に適用できるのである。いずれにせよ、造形言語は自然言語によって補足説明されないと理解することは難しいわけだが。今日の全国の感染者数は17,285人。昨日から約1,900人の増で、今月上旬まで逆戻りである。


2022年06月21日(火)

曇りで蒸し暑い一日。8時過ぎに出社。8時半にインターネットで新型コロナ・ワクチンの4回目接種の予約を行う。神宮前では2つの医院しか受け付けていないので、もっとも近い診療所を選ぶ。予約日は7月下旬である。9時半に事務所を出て、原宿駅改札口で予約しておいた下諏訪行の特急あずさの乗車券を受け取り新宿へ。10時発のあずさ13号に乗車。車内で戸田と待ち合わせる。乗客はほぼ満員。上諏訪駅で在来線に乗り換えて次の駅の下諏訪駅に12時20分に着く。駅前の商店街は閑古鳥で食堂は見当たらないので、そのまま西に向かって約10分歩き、踏切を渡って下諏訪町役場の近くの中華料理屋で簡単な昼食。10年前に比べると下諏訪の駅周りはかなり様変わりしているが、役場、消防署、町民ホール、公園などの公共施設は変わりない。諏訪湖に注ぐ砥川の橋を渡ると左手の土手越しに「箱の家141」が見える。戸田と協力して駐車場周りを巻尺で実測し、図面と違いがないことを確認する。13時過ぎに小澤さんに紹介された工務店社長とスタッフが到着。挨拶した後に図面を見ながら駐車場の構造と仕様について説明する。聞けば小澤さんの弟さんの知り合いだそうだ。見積には2週間が必要であることを確認し、車で下諏訪駅まで送ってもらう。14時前発の普通列車で上諏訪駅にて特急列車に乗り換え16時半に新宿駅に着く。17時に帰社。今日の打ち合わせ結果を戸田が図面にまとめて小澤さんに報告メールを送り、下諏訪の工務店にも見積用図面一式を送る。Mさんと「170 M邸」の支給設備機器についてメールのやりとり。〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉で紹介された、芳賀沼整さんの生涯とメモリアルムービーが公開された。座談会の記録は後日に公開だそうである。
https://www.operation.shinobuba.com/memorial-haganuma
下諏訪への電車の中で『歴史とは何か』の「自叙伝」「補註」「訳者解説」を一気に読み通して読了。カー(Edward Hallett Carr 1892 - 1982)は1892年生まれで、第一次世界大戦(1914-1918)中にケンブリッジ大学を卒業してイギリス外務省に就職し、ロシア革命(1917)に大きな衝撃を受ける。終戦後の〈パリ講和会議(1919)〉にイギリス代表団の一員として参加し、フランス主導の条約内容に反対するケインズの『講和条約の経済的帰結』に共感している。その後ラトヴィアのリガにイギリス領事館の書記官として就任し(1925-1929)ロシア革命前後のソヴィエトの諸事情について多くのことを学び、後にドストエフスキー論をまとめている。この間の経験が、カーをソヴィエト・ロシア近代史の専門家として名をなすことの下地となる。大戦間の前向きな時代状況の影響を受けて、カーが真正のモダニストとなり、生涯一貫してリベラルなモダニストであり続けたことがよく理解できる。『歴史とは何か』に対する僕の共感は、モダニストとしてのカーの前向きな姿勢からくることを改めて確認する。と同時にカール・ポパーやアイザイア・バーリンに対する批判も理解できるようになる。ポパーのマルクス主義批判が皮層な理解にもとづくことや、彼の〈漸進的改革〉という主張の保守性が1970年代のポストモダニズムの影響であるという指摘には目から鱗が落ちる。ポパーの影響を受けたクリストファー・アレグザンダーの反近代的な建築観に対する僕の拒否感の根本的な要因は、そのあたりにあるのかもしれない。世界と歴史の見方を根本的に変えたのは、マルクス、ダーウィン、フロイトであるというカーの指摘には共感せざるを得ない。とはいえ1990年のソヴィエト連邦の崩壊を、カーはどのように捉えただろうか。あるいは最近のウクライナ紛争に対するカーの感想も聞いてみたい気がする。たまたま手にした本書からは、実に沢山のことを学び、さまざまなことを考えさせられた。久しぶりに充実した読書だった。今日の全国の感染者数は15,384人。一昨日から約7,600人の増で1週間前に戻る。


2022年06月20日(月)

晴れで初夏のように暑い一日。8時半出社。この2日間で撮った写真を整理し〈みなみあいづ 森と木の情報活動ステーション きのと〉の写真を数枚選び、やや長目のコメントを加えてfacebookに掲載する。直ちに各方面から反応があり、夜までに「いいね」が100人を超える。松江の大同建設から、「169菅野邸」の製本した竣工写真が届く。合わせて現況報告があり、玄関アプローチの墨モルタルのひび割れについて再度の現場監理を依頼されたので、お礼のメールのC/Cで龜谷清さんに現場のチェックを依頼する。久しぶりにタカギプラニングオフィスの植田さんからメールが届く。「165箱の長屋:」最後に残った住戸の賃貸契約が成立し、4住戸すべての賃貸契約が完了したという報告である。3住戸は3月までに埋まったが、残り1戸の決定が長引いていた。ともかくホッと胸を撫で下ろす。直ちにタカギプラニングオフィスにお礼のメールを返送し、併せて田中会計士に報告と二期計画へのステップに関する打診のメールを送信する。『歴史とは何か』は、弟子のR・W・デイヴィスによる「E・H・カー文書よりー第二版のための草稿」を読み終わり、「自叙伝」に進む。『歴史とは何か』の初版が出たのは1961年だが、亡くなる1982年までカーは第2版の準備を進めていたという。英語圏の伝統は基本的に経験主義であり、カーはその伝統と闘い続けた。ヴィーコやルカーチから始まり、構造主義とりわけレヴィ=ストロースの反歴史主義的な保守主義の克服を試み、T・クーンのパラダイム論を吸収して相対主義的なファイアアーベントと闘い、サルトルやアドルノのペシミズムを批判し、フロイトの文化論の克服を試みた。さらにタルコット・パーソンズの抽象化された社会学を批判し、歴史学の具体性を堅持した。カーの思想の根底にはアダム・スミスとカール・マルクスの思想があり、その延長上でエルンスト・ブロッホのユートピア思想を共有し、盟友マルクーゼのペシミズムを拒否したとデイヴィスは指摘している。今日の全国の感染者数は7,800人。一昨日から約5,400人の減である。月曜日減少だろうが。


2022年06月19日(日)

今日の郡山は晴れで暑い。7時起床。シャワーを浴びて目を覚まし、8時にレストランで朝食。日曜日なのでレストランは家族連れで一杯である。部屋に戻ってしばらく休憩。9時前に1階ロビーで滑田崇志さんと待ち合わせ、彼の車で別のホテルの五十嵐太郎さんをピックアップして南会津へ向かう。猪苗代湖の南回りの高速道路を経由し1時間45分で〈みなみあいづ キトネ〉に到着する。ピーカンの晴れでひどく暑い。昨年SDレヴューで模型を見た時の印象とはひと回り小さい感じである。平屋で天井高は「箱の家」の標準とほぼ同じ4.5mである。広々と敷地にゆったりと建っているが、建築の外周はすべて駐車場なのでやや素っ気ない佇まい。外観はログ材を横に積んだ合成梁と、それを支える鋼管柱のリズムが目を惹く。日曜日なので館内は幼児を連れた家族が訪れて遊んでいる。建物外周と内部の随所に配置された縦ログ構法の箱が、事務室、展示アルコヴ、トイレなどの機能空間と構造壁を兼ね、その上にログ材を横に積み上げた高さ約2mの合成梁が、4.5mピッチで平行に載せられている。その結果、共用部分は4.5m×4.5mの正方形断面の南北に抜ける筒状空間になっている。梁に直行する東西に抜ける共用空間もあり、歩くと頭上の梁のリズムが心地良い。まもなく滑田夫人の斉藤光さんが竣工図を持参して合流したので、図面を見ながら内外を約1時間かけて見学する。豪雪地帯なので雪が積もった状態も見てみたい。13時前に現場を発ち針生へ向かう。新しいはりゅうウッドスタジオは、民家を改装したコンパクトな建築に移っている。しばらく歩いて芳賀沼整さんの墓に参り線香をあげて、再びはりゅうウッドスタジオに戻り、お茶おいただきながらしばらく歓談。斎藤さんにお別れの挨拶をして、滑田崇志さんの車で新幹線の那須塩原駅へ向かう。途中の蕎麦屋で美味しい天麩羅蕎麦をいただき15時半に那須塩原駅に到着。そこで同行したはりゅうウッドスタジオOBの若い建築家と別れ、電車を待つ間、五十嵐さんと最近の建築界について四方山話。五十嵐・菅野夫妻の近著『様式とかたちから建築を考える』(五十嵐太郎++菅野裕子:著 平凡社 2022)を貰う。タイトルを見て、鈴木博之の『建築の世紀末』のテーマである装飾の再評価を連想する。五十嵐さんの序文「言語化して初めて見ることが可能になる」からは先日読んだ『啓蒙思想2・0』の著者ジョセフ・ヒースの主張を思い出す。いずれじっくり読んでみよう。16時過ぎの新幹線に乗り17時過ぎに東京駅に着く。駅コンコースは人でごった返している。丸の内線、銀座線を乗り継ぎ18時に帰社。事務所で昨日の日記をまとめて書き込んだ後19時に帰宅。夕食後ウィスキーを煽りながら昨日と今日の出来事を反芻。ここ2年半の間気になっていた〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉を終えて一区切りついたけれど一抹の寂しさも残る。夜半前に就寝。今日の全国の感染者数は13,190人。一昨日から1,550人の減である。


2022年06月18日(土)

曇り一時晴れで夜は雨になる蒸し暑い一日。8時半出社。早朝、微睡んでいる時に〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉のスライドに『木造仮設住宅群』と『縦ログ構法の世界』の2冊の本が、芳賀沼さんが残した重要な業績記録であることに気づき、スライドの最後に紹介すべきであることに思い至る。早速、滑田崇志さんに連絡し、まだ間に合うことを確認した上で、スライドの改訂版を送信する。TH-1から6、7月の月間工程表が届く。外周窓の鋼板庇の取付が1週間遅れるので、自動的に外壁のガルバリウム波板張も1週間ずれ込むことになる。スケジュール管理をしっかり押さえるようにTH-1に念を押す。12時半過ぎに事務所出て、表参道駅から銀座線、丸の内線を乗り継ぎ東京駅にて下車。13時半過ぎの東北新幹線に乗り郡山に15時前に着く。西口ロ―タリーでマイクロバスに乗り〈希望ヶ丘プロジェクト〉に15時半に着く。すでに会のセッティングは整っている。芳賀沼智香子夫人が経営している〈トトノエル・ギャラリーカフェ〉の四角のテーブルを囲んで座談会参加者10人が座り、はりゅうウッドスタジオの滑田崇志さんの司会でオンライン配信で〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉が始まる。まず芳賀沼整さんのメモリアルムーヴィーが放映され、黙祷と献杯の後、芳賀沼さんが社会人大学院で世話になったという東北大建築学科名誉教授のスピーチ。僕の隣に座っているのだが、殴り書きのメモを読みながら場の状況も弁えず延々と30分近くも喋りつづける無神経さには辟易とする。おそらく参加者全員が同じように感じただろうが、我関せず焉の厚顔無恥。引き続き、福島の建築家の嶋影健一さんと 日大郡山の浦部智義さんのコンパクトなスピーチ。続いて僕がスライドを使いながら10分弱のスピーチ、東北大の五十嵐太郎さん、ナスカの八木佐千子さん、明治大の青井哲人さんもコンパクトなスピーチ。最後に、はりゅうウッドスタジオのパトロン的存在である(株) ふたばの社長の遠藤秀文さんが、スライドを交えてやや長めのスピーチ。遠藤さんの話は、芳賀沼整さんとのやりとりや、はりゅうウッドスタジオが設計した自宅や会社社屋に関する具体的な話なので、冒頭のスピーチとは雲泥の差である。最後に芳賀沼製作会長で整さんの兄である芳賀沼養一さんと社長の芳賀沼神さんが挨拶し、芳賀沼智香子夫人が参加者にお礼を述べて、予定より1時間遅れて19時に終了。オンラインで参加したのは80人弱だったそうだ。その後会場に参加したはりゅうウッドスタジオのOBOGが加わり皆で食事会。中庭に出てつまみと日本酒をいたただきながら歓談。11時前に解散。車で郡山駅まで送ってもらい、駅近くのホテルに11時半チェックイン。浦部さんたちは郡山駅近くの居酒屋で二次会を開いたらしく、八木さんも加わったらしいが、僕は早々に部屋に入りそのままベッドに倒れ込む。


2022年06月17日(金)

曇りのち晴れで暑い一日。8時半出社。思い立ってヨーロッパ旅程の大幅なシステム転換を検討する。イタリアはもちろんいいのだが、調べてみるとローマからバルセロナ、マドリッドからパリへの格安航空の運賃は、ローマからフィレンツェへの特急料金よりも安いことを発見した。そこで思い切ってスペイン巡りについても考えてみることにする。イタリアとスペイン半々の旅程である。午後、戸田が「170 M邸」の現場監理から帰社したので、現場写真を見ながら報告を受ける。屋根の板金工事はほぼ完了し、軒天井の工事が始まっている。しかし今日から始まる予定の外壁周りの窓の鋼板庇の取付が来週にずれ込むらしい。当初に組んだ工程はギリギリなので、再度工程を組み直し9月半ばの竣工を延期しないようTH-1に念を押すように指示する。追加工事の外壁に取付ける自転車ラックの見積が届いたのでMさんに転送する。Mさんから返事が届き、予算の倍だという感想。仕様変更してTH-1に再度見積を依頼する。17時半から〈世界建築史15講連続セミナー〉の第13回をオンライン視聴する。テーマは「ティポロジアとテリトーリオ」講師は陣内秀信さん。1970年代のヴェネツィア留学でティポロジアを学び、それを日本の都市に適用して『空間人類学』を立ち上げ、1980年代にサルディニア島の集落調査を経て、視野をテリトーリアに拡大し、最近では日本の都市郊外のテリトーリア調査研究を展開しているという壮大なレクチャー。その研究成果を地域計画に適用しているのかと質問したかったが、19時で時間切れ。松田法子さんのコメントが始まったところで退席する。『歴史とは何か』は、第六講「地平の広がり」を読み終えて、講義の部分は終了。弟子のR・W・デイヴィスによる「E・H・カー文書よりー第二版のための草稿」に進む。第六講は、第二次大戦後の歴史の世界的な広がりについての概観である。17世紀のデカルトによる自己意識の確認が近代的理性の端緒であることの確認から説き起こし、フランス革命(1779)とアメリカ革命(1776)を契機として、国家の自覚がヘーゲルによって理論化され、マルクスによって客観法則と意識的行動が理論的に統合されたとカーは指摘する。そしてそれを実際の国家に適用したのがレーニンによるロシア革命(1917)である。カーはまたジグムント・フロイトが、意識だけでなく無意識の存在を明らかにし、歴史家による歴史解釈の範囲を拡大したことにも注目している。さらに歴史解釈拡大した要因として経済学が明らかにした資本主義の変容と、ソヴィエトにおける計画経済の出現にも注目している。カーは社会革命、技術革命、科学革命による歴史の世界的な広がりに対して、英国をはじめとするヨーロッパの歴史家たちの視野狭窄を批判しながら、理性の拡大による対応に注意を喚起し、こう結論づけている。「私はあえて理性の前身が歴史における進歩の徴であるとみなします。これは現代の最も際立つ、革命的な現象ではないでしょうか。」これは先日読んだ『啓蒙思想2・0』を想起させる。それはポストモダニズムによって抑圧されていた〈啓蒙〉の回帰なのかもしれない。本書の第1版は1961年に出版されているが、それ以前にカーは『カール・マルクス(1934)』や『ロシア革命の考察(1950)』を書いている。1950年代から1960年代にかけては、2度の世界大戦を経験したヨーロッパでは保守的な思潮が一般的だったが、それに対してカーは、1950-60年代のソヴィエトや中国の勃興を研究することを通じて、理性にもとづく啓蒙思想の可能性を確信していたのかもしれない。今日の全国の感染者数は14,709人。昨日から1,077人の減である。


2022年06月16日(木)

曇りのち晴れで午後は暖かい一日。8時半出社。戸田がまとめた「170 M邸」の土間建具の詳細図について打ち合わせ。気になる納まりがあり変更したいが追加変更変更になるので、そのままTH-1に送信する。Mさんから「170 M邸」のアクアレイヤー工事に関する感想メールが届く。アトリエ部分のアクアレイヤー敷設と注水を実見して、床下に水の層をつくることに不思議な感慨を抱いたそうだ。全体でどのくらいの水量になるのか尋ねられたので、概算するとアクアレイヤーの敷設面積は38.4屐▲▲アパックの厚さは9僂覆里如⊃緡未鰐35m3、約3.5tになる。なかなかの水量である。早速Mさんにfacebookメッセージで報告する。はりゅうウッドスタジオの滑田崇志さんと、明後日に郡山で開催される〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉のスライドについてメールのやりとり。1枚だけ間違いを発見したので削除することにする。スピーチのシナリオとスライドを照合しながら頭の中でスピーチを反芻してみる。『歴史とは何か』は、第五講「進歩としての歴史」を読み終えて、第六講「地平の広がり」に進む。第五講では、まず歴史観の起源がユダヤ=キリスト教にあることが確認され、18世紀の啓蒙主義によって近代的な歴史観が生まれたことが紹介される。歴史における客観性は、事実の客観性ではなく、事実と解釈の関係、さらに過去・現在・未来の関係の客観性であることが確認される。関係性によって客観性がもたらさせるという説明が興味深い。この視点からヘーゲルの〈世界精神〉とマルクスの〈唯物史観〉が批判される。事実(fact)と真実(truth)の相違に関するカーの指摘も興味深い。カーはこう言っている。「歴史における進歩は、事実と価値観のあいだの相互作用によって達成されるのです、客観的な歴史家とは、この相互応酬のプロセスに深く入り込む歴史家のことです。(中略)(歴史における)真実とは、事実の世界と価値の世界をまたぐ語で、両方の要素からできています」。本章では、歴史は勝者の視点から紡がれることが強調されているが、敗者の視点から綴られた歴史も結構見受けられる。例えば鈴木博之の『建築の世紀末』は、モダニズムによって一掃された様式と装飾を再評価する視点に立って書かれている。それを反動だと批判したのは磯崎新と八束はじめだが、毛綱毅曠や石山修武らポストモダニストたちは、新しい形の装飾を追求する歴史論として捉えた。とはいえ鈴木は『都市のかなしみ』を書き、ジョン・キーツの〈ネガティブ・ケイパビリティnegative capability〉に心を惹かれていたことを考えると、時代の風に抵抗しながらも流されていく〈歴史の天使〉(ベンヤミン)としての歴史家の立場を自覚していたのかもしれない。今日の全国の感染者数は15,515人。昨日から1,077人の減で、2日前に戻る。


2022年06月15日(水)

雨のち曇りの肌寒い一日。昨夜、小澤さんから紹介された下諏訪の工務店に電話連絡する。「141小澤邸」の駐車場工事の見積を受けてくれるとの返事なので、来週6月21日(火)に現場説明を実施する約束をする。直ちに駅ネットで10時新宿発の特急あずさを予約する。戸田と「170 M邸」の外部倉庫の詳細図について打ち合わせ。工事は2段階に分かれるので、接続部の納まりについてチェックバックし、まとめた図面をTH-1に送信する。はりゅうウッドスタジオの滑田崇志さんから〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉のスライド15枚が届く。僕のスピーチのシナリオに合わせて作成したようだ。内容を見直し、僕のスライドも加えて再編集した17枚の改訂版を作成し、コメントを添えてメール返信する。これで、ただ話すだけでなく、芳賀沼さんとの協働の映像を見ながら話ができる。おそらく7〜8分でまとめることができるだろう。『歴史とは何か』は第四講「歴史における因果連関」を読み終えて、第五講「進歩としての歴史」に進む。第四講のテーマは、歴史を駆動する要因は何かという問題であり、アンリ・ポアンカレが『科学と仮説』で展開した議論、すなわち「科学とは、一方で多様性と複雑さに向かい、他方で統一性と単純さに向かう」という条件が科学的知の必要条件であるという主張が歴史にも当てはまることが確認される。カーはカール・ポッパーの一連の著作『開かれた社会とその敵(1945)』『歴史主義の貧困(1957)』『科学的発見の論理(1959)』やアイザイア・バーリンの『歴史的必然性(1954)』をとり挙げ、ヘーゲルとマルクス主義の歴史的決定論に対する2人の反論について批判的に検証している。2人の批判の矛先はヘーゲルの『法の哲学(1821)』の有名なテーゼ「合理的なものは現実的であり、現実的なものは合理的である。」に向けられている(丹下健三の「美しきもののみ機能的である」は、このテーゼを踏襲したのではないだろうか)。ポパーとバーリンの論理は、いずれも人間の自由意志を重視する歴史観にもとづいているが、カーはその意義を歴史における偶然性に結びつけて議論を展開しながら、サルトルの『存在と無(1943)』の出版を契機に、1950年代以降に隆盛した〈実存主義〉を、偶然性の歴史的意味づけを放棄している意味において徹底的に批判している。徹底批判している。本章のカーの結論はこうである。「歴史家の原因にたいする関係は、歴史家の事実にたいする関係と同じように、二方向的で相互作用的なものです。歴史のプロセスを歴史家がどう解釈するかを決めるのは原因で、原因をどう選択し整列させるかを決めるのは歴史家の解釈です。諸要因の上下秩序、すなわち一原因あるいは一連の諸要因の、また別の原因の相対的な重要性のいかんこそが、歴史家の解釈のエッセンスです。そしてこれが歴史における偶発的要素という問題を解く糸口を与えてくれます。(中略)歴史とは現実に対する認知の方向定位においても〈選択的なシステム〉なのです。歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。その歴史的意義なるものの基準は、歴史家がその因果の連鎖を自分の合理的な説明と解釈のパターンへと合わせていく能力のことです。」。これを読んで、僕は直ちにヘイドン・ホワイトの『物語と歴史』(ヘイドン・ホワイト:著 海老根宏:訳 平凡社 2002)を想い出した。歴史家の解釈が行き着く先は〈物語としての歴史〉ではないかというアイデアである。僕が『戦後モダニズム建築の極北 池辺陽試論』(難波和彦:著 彰国社 1998)を書いていた時には、確かに池辺陽に関する物語を書いているような気分だった。言い換えれば、物語として綴ることは、僕にとっては池辺陽を理解することにほかならなかったわけである。今日の全国の感染者数は16,592人。昨日から約1,260人の増で先週初めに戻る。


2022年06月14日(火)

曇りのち雨の肌寒い一日。9時出社。戸田がまとめた「170 M邸」の台所の詳細図をTH-1にメール送信する。TH-1からは今日のアクアレイヤー敷設工事完了の写真が届く。床に段差があるため、やや複雑な工事になったが、床下地の合板を取り付ければ、次の内装工事にスムースに進むことができる。夕方、高井戸の小澤さんから「141小澤邸」の駐車場工事の見積を依頼する下諏訪の工務店の情報が届く。早速、明朝に連絡をとってみる旨を返信する。『歴史とは何か』は第三講「歴史・科学・倫理」を読み終えて、第四講「歴史における因果連関」に進む。第三講では、ダーウィンが『進化論』によって科学に歴史性をもたらしたことから、社会科学者にも物理学(自然史)と同じような歴史的視点がもたらされ、歴史学にも科学的仮説としての法則性を追求する視点が生まれる。アダム・スミスの市場法則やマルサスの人口法則などがその例である。本章の後半でカーは、歴史と科学の相違について5つの視点から検討している。[鮖砲慮鎚明と科学の一般性の相違、⇔鮖砲もたらす教訓、2奮悗陵集可能性と歴史の予見不可能性、げ奮悗竜甸兩と歴史の主観性、ノ鮖砲領冤性、である。カーの結論はこうである。[鮖砲砲いても一般化は本質的な作業である。⇔鮖砲砲ける一般化から歴史の教訓がもたらされる。N鮖砲砲ける一般化は、個別的な事象の予言はもたらさないが、蓋然的な予言を可能にする。の鮖砲砲いては、観察者と観察対象の相互作用を区別することはできない。したがって主観性と客観性を明確に判別することはできない。ノ鮖砲膨怯枦な価値観を持ち込むことは誤りである。そのような価値観も歴史的に制約されているからである。ベネデット・クローチェは「歴史家は裁判官ではない」といったし、マックス・ウェーバーは「資本主義が労働者を搾取するのは事実だが、歴史家が倫理的判断を下すべきなのは制度に対してであって、それをつくった個人に対してではない」といっている。さらにカーは、産業革命はさまざまな社会・経済問題をもたらしたが、それに対して倫理的判断を下すことはできないと主張している。本章を読みながら、歴史の一齣としての建築家と建築作品の捉え方について、あれこれ考えを巡らせる。かつて鈴木博之は僕にこういったことがある。「建築家と建築屋の相違は、自分の仕事を近現代建築史の中に位置づけて捉えているかどうかである」。折に触れて鈴木のこの言葉が脳裏に浮かぶ。今日の全国の感染者数は15,331人。昨日から約7,400人の増で先週末に戻る。


2022年06月13日(月)

晴れでやや暑いが快適な一日。8時半出社。はりゅうウッドスタジオの滑田崇志さんから、今週末18日(土)に開催される〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉の参加者リストと会の進行プログラムが届く。参加者は30〜50人だそうで、司会は滑田崇志さんが務めるそうだ。スピーチは芳賀沼整さんの恩師の東北大の近江隆さん、福島の建築家の嶋影健一さん、 日大郡山の浦部智義さん、僕、東北大の五十嵐太郎さん、ナスカの八木佐千子さん、明治大の青井哲人さん、芳賀沼製作社長の芳賀沼神さんの9人が指名されている。 僕は合わせて黙祷後の献杯も頼まれる。話の際に関連するスライド投映も行いたいというので、話のシナリオをまとめ、スライド2枚を作成して滑田さんにメール返信する。15時に戸田と事務所を出て、表参道駅から千代田線、小田急線を乗り継ぎ、梅ヶ丘駅にて下車。歩いて約10分で「170 M邸」の現場へ。豪徳寺駅から歩くよりは若干遠い感じがする。屋根防水工事はほぼ完了し、1階アクアレイヤー敷設工事が進行中である。居住部分の敷設はほぼ終わり、スタジオと土間の敷設は明日になるようだ。16時過ぎにMさんもやってくる。細かな現場打ち合わせは戸田に任せて現場を発ち17時前に帰社。『歴史とは何か』は第二講「社会と個人」を読み終えて、第三講「歴史・科学・倫理」に進む。第二講では、歴史の中で記述される個人は、偉人であってもあくまで社会的存在であること。歴史家自身も例外ではないことが確認され、そのことは現在の諸問題に対する歴史家の洞察力と過去を見る視界として明らかになると指摘されている。したがって歴史家の仕事を理解するには、その歴史家の立脚点を把握することが不可欠であり、その立脚点は社会的・歴史的背景に根ざしていることが確認される。この問題に関連してカーは、歴史とは数の問題であることと、個々の人間の行動が、その個人の意図とは異なる結果をもたらすことが、アダム・スミスの〈見えざる手〉、ヘーゲルの〈理性の狡知〉、マルクスの『経済学批判』などを例に挙げて検証されている。つまり歴史は偉人の意図を辿ることによって記述されるという通俗的な考え方は根底的に誤りなのである。だとすれば、建築史における建築家と建築の固有性について、マリオ・カルボが『アルファベットそしてアルゴリズム---表記法による建築 ルネサンスからデジタル革命へ』(マリオ・カルボ:著 美濃部幸郎:訳 鹿島出版会 2014)で提唱した〈アルベルティ・パラダイム〉は、まったくの戯言に過ぎないことになるし、建築家個人の署名性や建築の固有性は、トルストイがいった箴言「偉人とは出来事につける名称に過ぎない」として捉えるべきことになるのだろうか。それが正しい建築史の記述法ならば、建築作品と建築家を時系列で列挙するこれまでの建築史の記述法は誤りであり、唯一可能なのは建築様式史だけになるかもしれない。もちろんカルボ自身も明らかに自覚していたように思える。つまり〈アルベルティ・パラダイム〉はルネサンスから今日まで続いてきた歴史的概念であり、デジタル・ターンによっていずれは〈アノニマス・パラダイム〉に転換するというわけだろう。家早何友。今日の全国の感染者数は7,956人。昨日から約8,400人の大幅減だが、月曜日現象だろう。


2022年06月12日(日)

晴れ一時雨の過ごしやすい一日。10時出社。思い立って10月のイタリア旅行のスケジュールのスケッチを再開する。まず最初に、Skyscannerでパリのシャルル・ド・ゴールCDG空港からイタリア都市の国際空港への往復航空便の日時を抑えた上で、Rail Europeでイタリア国内の移動経路についてあれこれ試行探索する。Baseとなる街を決めて宿泊期間を決め、その地域の街や村に移動する経路を探索する。ホテルの選定と予約にはBooking comを利用する。鉄道便はTGV以外は駅の自動販売機で購入する。これがいつものやり方である。最終決定はまだ先で構わないのだが、CDG空港からイタリア都市への往復航空便、旅行経路、宿泊ホテルは8 月末までには目星をつけて予約購入しなければならない。とはいえ最近は円安の傾向が加速しているので、決定のタイミングが難しい。16時過ぎに散歩がてら青山のスーパーマーケットへ出かける。表参道の人出はかなり増えているが、外国からの観光客の姿はまだ見られない。しかし裏通りのあちこちの店の前には沢山の人の列ができている。食材を購入して早々に帰宅。『歴史とは何か』は第二講「社会と個人」を読み続ける。第二講では、歴史的事実を確定するのは歴史家であるが、歴史家も社会の一員である以上、歴史の制約を受けていることが、彼らが置かれた時代の潮流と照合することによって検証されている。とはいえ事例として紹介されている歴史家たちは、ほとんど知らない人たちばかりなので、日本人の読者としては一般論として受け取るしかない。今日の全国の感染者数は13,394人。昨日から約1,960人の漸減である。


2022年06月11日(土)

曇りで過ごしやすい一日。夕方から雨になる。9時出社。「141小澤邸」の工事を担当した建設会社から電話が入る。社内で検討した結果、駐車場の工事を請けるのは難しいことになったという回答である。ならば下諏訪の工務店を紹介してもらえないかを打診したところ、検討してみるという回答。小澤さんにその旨の経過報告メールを送る。「170 M邸」の内装工事についてMさんからもらったいくつかの追加変更仕様をまとめてTH-1にメールを送る。久しぶりにタカギプラニングオフィスのHPをチェックしたところ「165箱の長屋」の賃貸募集が終了しているようだ。5月末にチェックした時は残り1戸がまだ募集中だったが、6月になって埋まったのかもしれない。来週に確認した上で会計士に報告しよう。『歴史とは何か』は、第二版への序文、第一講「歴史家とその事実」を終えて、第二講「社会と個人」に進む。第一講では、〈歴史的事実〉は歴史家による選択と解釈によって成立するという点が確認され、19世紀の歴史家の〈実証主義〉批判が展開される。さらに文献資料として残されている歴史的事実は、すでに過去の歴史家によって選択され確定された事実であることに注意が喚起される。それをカーは〈史料のフェティシズム〉と呼んでいる。逆にいえば〈歴史的事実〉は歴史家の歴史観に大きく左右されるということであり、その点を初めて明確にしたのがイタリアの歴史家ベネディット・クローチェ(1866-1952)であることが紹介される。クローチェは「すべての歴史は現代史である」と唱えたが、そのような歴史観を英国に紹介したのがR・G・コリングウッド(1889-1943)であり、その歴史観の可能性と危険性が詳細に検証されている。建築史に関しては、文献史料だけでなく実際の建築が史料として残っているので、事情はもっと複雑かもしれない。しかし少なくともクローチェ的な視点は建築史にも当てはまるだろう。今日の全国の感染者数は15,351人。昨日から約250人の漸減である。


2022年06月10日(金)

曇り後一時晴れの暖かい一日。8時半出社。9時に事務所を出て千代田線、小田急線を乗り継ぎ、豪徳寺駅にて下車。歩いて「170M邸」の現場に10時前に着く。途中で梅ヶ丘駅から来た戸田と合流する。現場は外壁下地工事がほぼ完了し、屋根の板金工事が進んでいる。本格的な梅雨入りまでには終わらせてほしい旨を伝える。内部では1階の木造床下地工事が進行中である。来週月曜日からアクアレイヤーの敷設工事が始まるので、それまでに根太工事を終える必要がある。2階に上がり、TH-1と戸田に詳細打ち合わせを任せて、工事状況を観察する。RC床にFケーブルが置かれ、外壁にはアルミサッシ枠が取り付けられている。ガラスの嵌め込みはまだである。まもなくM夫妻が鋳鉄製の炉を持参する。1階居間の床に設置するためである。一通り現場の状況を見終ったので、後の監理は戸田に任せて現場を発つ。梅ヶ丘駅から現場へのルートを確認したい旨を告げると、M夫人が案内してくれるという。近くの城山小学校の手前を右に折れ、小学校の角を左折して緑道に沿って歩き、区役所西通りを横断して左折し、国士舘大学キャンパスに沿って区役所西通りを北に向かってしばらく歩くと梅ヶ丘駅に着く。豪徳寺駅からのルートと時間はほぼ同じだが、周辺環境がずっと快適な上に分かりやすい。帰途に原宿駅に立ち寄り、予約した来週末の郡山行き新幹線の乗車券を受け取り12時前に帰社。午後はNHKラジオのプログラムスケッチを続行。コロナ化の経験をどう盛り込むかについて考える。坂牛卓さんから『建築家の基点』(坂牛卓::編著 彰国社 2022)が届く。坂牛さんが編集長を務めているJIA MAGAZINEの巻頭インタビューをまとめた本である。僕はJIAの会員ではないのでJIA MAGAZINEは定期購読していない。したがって初めて本書で巻頭インタビューのまとめを読むことになる。ちなみに僕は数年前に、当時の編集長だった今村創平さんの巻頭インタビューを受けたことがある。早速坂牛さんのfacebookのメッセージ欄にお礼を書き込む。NICHIHA SIDING AWARD 2022の募集が始まる。昨年はコロナ禍の中でオンライン受付を始めたので、応募数が一気に増えた。今年は審査員特別賞を設けることになるかもしれない。
https://www.nichiha.co.jp/siding_award/
19時からJIA金曜の会トークイベントに参加する。講師は2021 年度 JIA 新人賞を受賞した木村 松本建築設計事務所の木村吉成・松本尚子の2人。講演タイトルは「生きていくための場所をどう設計するか」である。彼らの京都の事務所は、モダニズム建築の先駆者といわれる建築家・本野精吾(1882-1944)が設計した〈本野精吾自邸(1924)〉にあり、そのヴィデオ紹介から始まる。型枠ブロックにコンクリートを打ち込んだ壁式構造で、ブロックがそのまま仕上げになっている。窓も当時のままだそうで、まったく衒いのない箱型の住宅である。1階ホールでプレゼンテーション開始。約1時間半をかけて木造の3つの住宅を紹介。木村さんの解説がやや観念的なのが気になるが、3軒ともギリギリのコストで職住一体の住宅である上に、空間が街に開かれている点に好感を抱く。木造軸組の構造システムがユニークなので、訊けば佐々木構造計画OBの満田衛資さんのデザインだという。コストのせいかもしれないが、冬は寒い京都にしてはシェルターと窓の性能が今一である点が気になる。最後に僕に話が振られたので、木村さんの説明からマルティン・ハイデッガーの『建てる。住まう・考える』、ティム・インゴルトの『メイキング』、多木浩二の『生きられた家』などを連想したことについて話す。シェルターの性能については、クライアントが若いので今は対応できるかもしれないが、幼児や老人が住むには厳しいのではないかと感想を述べる。21時過ぎに終了。『歴史とは何か 新版』(E・H・カー:著 近藤和彦:訳 岩波書店 2022)を読み始める。同じ著者の同じタイトルの第1版の『歴史とは何か』(E.H.カー:著 清水幾太郎:訳 岩波新書 1966)は古典的名著であり大学時代に読んだ。連続講義の内容は第1版と同じようだが、カー自身の第2版序文、弟子のR・W・デイヴィスによる第2版のカーの草稿のまとめ、カー自身による自叙伝、詳細な補註が加えられている。講義自体も新訳なので、NHKラジオでの話の仕方を念頭に置きながら読んでみよう。今日の全国の感染者数は15,600人。昨日から約1,200人の漸減である。


2022年06月09日(木)

曇り後雨でやや暖かい一日。8時半出社。戸田と「170 M邸」の木製建具の打ち合わせ。テラス入口の建具は、当初はスチールプレートで作る予定だったが、コストダウンのために木製になった。旧M邸の門扉の吉阪隆正(ル・コルビュジエ)流の〈オンデュラトワール(波動式)〉を踏襲した門扉である。木製なので耐候性が少々気がかりだが、風通しの良い位置にあるのでキシラデコール防腐塗装によって対応すれば大丈夫だろう。図面をまとめてコメントを添えてMさんに送信する。まもなくMさんから承諾の返信メールが届く。明日の定例の現場監理には顔を出してみよう。東京都市大学レクチャーのスライドを見ながら、シナリオをスケッチする。いつものように〈建築の4層構造〉と〈箱の家シリーズ〉の2本立てで、前者の適用編として後者を説明する構図だが、30分余にコンパクトにまとめるにはどうするか頭をひねる。学生相手というよりは課題のエスキスを担当している若い建築家に向けて話すことを想定する。『啓蒙思想2・0』は、第11章「もっとよく考えろ!」、第12章「精神的環境を守る」、第13章「正気の世界への小さな一歩」「エピローグ」「解説」を一気に読み通して読了。第11章は18世紀の〈啓蒙思想1・0〉の再生に向けての議論であり、直感的な認知バイアスから逃れる戦略の構想である。第12章では、〈啓蒙思想1・0〉の限界が個人主義であったことが指摘され、それを克服するために、合理主義を支える社会的な〈外部足場〉すなわち社会的クルージとしての〈精神的環境〉を構築することが必要であることが提唱される。第13章では、社会的・政治的な〈外部足場〉としての近代民主政治が再検証され、結論として、時間をかけて理性を働かせることを可能にする〈スロー・ポリティクス〉いわゆる〈熟慮民主主義〉制度の確立が提唱される。本書を読んで、いくつか重要な発見と確認があったので銘記しておこう。ヒトの進化は部族社会における判断を本能化したので、社会的集団化においては階級化と国家を必要としたこと。進化を通じて生命維持のために本能に刷り込まれた直感的判断力は、複雑な社会状況においては誤った判断に結びつきやすいこと。言語は直感的判断の誤りを正す理性を生み出したが、理性的判断には言語による外部化が必要であり、時間がかかること。さらに理性的判断が集約された慣習や伝統といった社会的クルージの重要性などである。今日の全国の感染者数は16,813人。昨日から約1,600人の漸減である。


2022年06月08日(水)

曇りで肌寒い一日。8時半出社。6月に入ったので先週末に冬物のズボンや長袖シャツをクリーニングに出した。今日が仕上がり日なので受け取りに行き、合わせて夏物の麻のジャケットの擦り切れた袖の修理を注文する。帰途にコンビニで防虫剤を購入し、クローゼットの入れ替えを行う。しかしここ数日は梅雨冷えなので長袖シャツで過ごしている。桜上水の田中さんから「039田中邸」のメンテナンス工事が完了し支払いを済ませた旨のメールが届く。TH-1もリーズナブルの費用で対応してくれた。僕は田中さんにTH-1を紹介し、最初の検査に立ち会っただけなので、通常の工事監理費は請求しないことにする。「箱の家」のメンテナンス工事は時々頼まれるが、対応は基本的には界工作舎OBOGの担当者に依頼している。今回は担当した界工作舎OBが遠方なので僕が窓口になった。6月18日(土)の〈芳賀沼整さんを偲ぶ会〉のスピーチのスケッチを読み直し、芳賀沼さんとの出会いから縦ログ構法の開発までの13年間の短い付き合いを、―于颪ぁ↓3.11以降、これから、の3項目に整理する。話をできるだけコンパクトにまとめるためである。この種の偲ぶ会の企画運営を請け負う専門の会社があるようで、偲ぶ会はオンラインで中継されるそうだ。行事の中ではメモリアルムービーの放映もあるようだ。葬式じみた偲ぶ会になるのは願い下げだが、会場の〈希望ヶ丘プロジェクト〉に直接参加するのはどんな人たちだろうか。
https://www.service.shinobuba.com/haganuma-memorial?fbclid=IwAR1TVH03O_iWhsv1jXQIcPlo0vKD6SI9xfZcuFiuILSYD_ICabDMg0ML2Hc
『啓蒙思想2・0』は、第10章「目には目を」を読み終わり、第11章「もっとよく考えろ!」に進む。第10章では、合理主義者が直感主義者に対して対抗するためには〈フレーミング〉が重要であるという主張が展開される。〈フレーミング〉とは複雑さを伴う合理主義の論理を、単純明快な言葉によって説明することであり、要するに直感主義者の常套手段を逆手にとることである。それが〈目には目を〉の意味である。しかしそれには当然ながら限界がある。それをどう乗り越えるかが、第11章のテーマである。今日の全国の感染者数は18,416人。昨日から約1,400人の増で、先週後半とほぼ同じである。


2022年06月07日(火)

曇りで涼しい一日。8時半出社。『建築雑誌』2022年6月号が届く。特集は「建築と民主主義のつきあいかた」である。冒頭のインタビュー「新国立競技場問題が提起したもの」(五十嵐太郎+倉形俊輔+島原万丈:話 聞き手:饗庭伸)を読む。新国立競技場コンペに対する政府、マスコミ、建築界の対応に関する話だが、現在読んでいる『啓蒙2・0』の問題提起と重なっていることに驚く。僕たちが編集を担当していた昨年にもこのテーマをとり挙げようと試みたが、オリンピック開催中で、関係者のインタビューが難しかったために、隔靴掻痒の特集になってしまったことは記憶に新しい。新国立競技場が完成し、オリンピックも終わったので、ようやく正面からとり挙げることができ流ようになったということだろう。コンペの仕切り直し事件が歴史化され、建築的問題として一般化されているのが少々残念だが、この問題に焦点を当てた意義は大きいと思う。イゼナの前田さんから熊本の「163保田邸」の入居後3年間の温湿度データのグラフが届く。床下吹出空調機の温度調整は、入居して1年目はかなり変動しているが、2年目にはやや安定し、3年目には定常化している。それ対応して床下空間の気温とアクアレイヤーの水温も3年目には安定している。これによって住人がエアアクア・システムの調整に慣れるには2年程度かかることがはっきりしたようである。『啓蒙思想2・0』は、第9章「フォレスト、走って!」を読み終わり、第3部「正気を取り戻す」の第10章「目には目を」に進む。第9章は、政治における非合理主義の時代の先駆けとなった、1980年のロナルド・レーガンがアメリカ合衆国大統領就任とニュース放送局CNNの開局から始まる。レーガンもCNNも、単純なメッセージを反復することによって人々の共感に訴え、現実に打ち勝つことを証明したと著者は主張する。この方法は広告業者が直感に訴える広告を反復する方法と同じである。著者の結論はこうである。「ここに〈ポスト真実〉の精神がいかにして選挙運動や広報といった枠を超えて統治哲学となり、政策の基本となったのかを見ることができよう。もはや法律が何かを為すかではない。法律が私たちにどう感じさせるかの問題なのである」。今日の全国の感染者数は17,039人。昨日から約7,900人の増で、残念ながら先週末に戻った。


2022年06月06日(月)

一日中雨で肌寒い一日。8時半出社。気象庁が今日から関東甲信が梅雨入りしたことを発表した。例年よりも1週間以上も早いらしい。昨日観た『流浪の月』で一つだけ記憶に残っていることがある。主人公の2人とも読書好きで、引きこもりの大学生の方は『エドガー・アラン・ポー詩集』を読んでいた。ポーが詩を直感ではなく論理的に〈デザイン〉したことはよく知られているが、映画の中でこの詩集が2回も出てくるのに、物語との関係がまったく描かれていないのが不可解だった。熊本の保田さんから「163保田邸」の5月の温湿度データが届く。5月は気温の上下が大きかったようだが、空調機をずっとオフにしていても室内気候に大きな変化はなかったらしい。しかしながら1週間近い出張後には、さすがに室内はかなり暑くなっていたようだ。この季節は通風が重要だが、網戸が歪んで隙間から虫が入ってくるとのこと。アルミサッシを最大サイズにしたせいで、網戸が追随できないようだ。TH-1から「170 M邸」の内装に関する質疑が届いたので回答メールをまとめて返送する。イゼナからアクアレイヤーの施工図が届いたのでチェックバックする。来週初めにアクアパックの敷設を行う予定なので、現場監理に行くことにしよう。『啓蒙思想2・0』は、第8章「ワインと血を滴らせて」を読み終わり、第9章「フォレスト、走って!」に進む。第8章では、19世紀のロバート・オーウェンやシャルル・フーリエのような合理主義者たちが志向した社会主義が、秩序に対して過剰な願望を抱いた結果、その反動で左派の人たちが反合理主義に振れていった歴史が検証されている。フランクフルト学派のテオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーによる『啓蒙の弁証法』がそうだし、僚友のヘルベルト・マルクーゼによる『エロス的文明』や『一次元的人間』がそうである.。第二次大戦後には多くのドイツ知識人が合理性批判者となり、それを受けて1960年代には急進的左派が一斉に反合理主義を唱えるようになる。僕の経験では1960年代末の大学紛争は、感性主義的で合理主義批判的な色合いが強かった。今日の全国の感染者数は9,106人。昨日から約6,000人もの減少で月曜日現象だろうが、このまま進むことを期待しよう。


2022年06月05日(日)

晴れのち曇りで暖かい一日。夜には雨になる。9時半に出社。まだ先のことだが、思い立って東京都市大学でのショートレクチャーのスライド編集に着手する。先頃の松江でのレクチャーをコンパクトに縮減し、新たに「169菅野邸」の竣工写真と「170 M邸」の模型写真を加えると90枚を越える。30分では到底無理だが45分に収めるには90枚以内にまとめねばならない。10月にイタリアに行くことを決めたので、NHKラジオのテキストの書き始めを1ヶ月早めて8月に書き始めることする。スケッチはほぼまとめたので、あとは書き始めるだけだが、いつもながら最初は必ずつまづくので7月中旬から開始すべきかもしれない。「170 M邸」の建主Mさんと空調機や照明器具についてメールのやりとり。設備機器の一部は既存器具の再利用と施主支給なので、機種選定、搬入時期、取付の仕様についてはMさんと打ち合わせる必要がある。思い立ってTOHOシネマ日比谷で放映中の『流浪の月』(李相日:監督 2022)を観に行く。朝と昼間の回は予約が満員なので18時過ぎ開始の最終回を予約購入する。2020年の本屋大賞を受賞した凪良ゆう原作の同名の小説の映画化で、会場は若い人で満員である。引きこもりの大学生の男と母子家庭の小学生の女の子の偶然の出会いが誘拐事件と見做されるが、2人は15年後に再会しネットを通じて再び事件に巻き込まれるという物語で、15年前の過去と現在とを往還するシナリオが秀逸である。場所は長野の松本市のような地方都市のようである。映像の美しさとピアノを多用した精細な音響が印象的で、かなりレベルが高い映画だと思う。しかし物語がやや荒唐無稽であることと、過去の交流を引きずる男女が、2人だけで生きていくという結末はハッピーエンドのようで、観客にはガス抜きになるかも知れないが、僕にはやや安易に思える。というのもネット社会では、2人はどこまでも追いかけられるだろうからである。『啓蒙思想2・0』は、第8章「ワインと血を滴らせて」を読み続ける。第8章では、政治における保守の右派とリベラルな左派の主張が、現在の右派は非合理主義であり、左派は合理主義だが、歴史的に見ると両派は交互に合理主義と非合理主義に振れていることが詳細に検証されている。とくに1960年代末の左派の反啓蒙=非合理主義は記憶に新しい。今日の全国の感染者数は15,109人。昨日から約3,100人の減少で、漸減が続いている。


2022年06月04日(土)

晴れで暑い一日。今日は急ぎの仕事がないので界工作舎は休日だが、僕は8時半に出社。昨日の前田工学賞授賞式で再会した東京都市大学の中川純さんからメールが届く。祝賀会会場で口頭で頼まれた、東京都市大学の設計課題講評会への参加要請についてである。講評会に参加するのは本当に久しぶりなので快諾したが、送ってもらったプログラムを見ると、4月上旬から7月中旬までの3ヶ月をかけたかなり本格的な課題である。中川さん以外に若い建築家4人が課題指導に参加しているので、少し襟を正す。30〜45分程度のショートレクチャーを頼まれたので、スライド・レクチャーをコンパクトにまとめねばならない。思い立って昨日確定した10月のイタリア旅行の旅程スケッチを始める。第1案については、いささかハード・スケジュールではないかという印象。確かにその通りなので、縮減した第2案を作成、今度は変わり映えしない旅程という印象なので頭を抱える。訪ねたことのない地方の街に行ってみたい気分がある。いつもながら旅程をまとめるには時間がかかりそうだ。家早何友。『啓蒙思想2・0』は、第7章「ウイルス社会」を読み終わり、第9章「ワインと血を滴らせて」に進む。第7章は、インターネットとSNSの時代になり、情報の後半で急速な伝播がもたらすさまざまなウィルス的社会現象が紹介されている。宣伝と広告が情報伝達からサブリミナルなイメージへと変容してきた歴史、迷信やフェイク・ニュースの蔓延、金融詐欺に近いサブプライム・ローンの破綻と、それが契機で勃発した2008年のリーマン・ショックなどである。今日の全国の感染者数は18,252人。昨日から約1,000人の減少で漸減が続いている。


2022年06月03日(金)

晴れ一時雨のち曇り。8時半出社。小澤さんから昨日送った「141小澤邸」駐車場の図面と使用について承認のメールが届く。早速「141小澤邸」の工事を担当した建設会社に電話連絡し概要について話すが、昨今のコロナ禍で工事の守備範囲を狭めているため即答できないとの回答。社内で検討したいとのことなので、しばらく待機することになる。Facebookで京都の岸和郎夫妻が北イタリアを旅行中であることを知る。ローマからフィレンツェを経てヴェローナに滞在しているようだ。アリーナでのコンサートを観るのが主目的だそうだ。ヴィツェンツァやヴェネツィアへはヴェローナから日帰り旅行だという。思い立って、パリへの往復航空便を調べる。僕たちは毎回パリ経由でイタリアに行くようにしているからである。しかし同じような考えを抱いた人が集中的に動き始めたらしく9月まではほとんど空席がないことが判明。かろうじて10月初めに2席を確保し往復便を予約する。パリから先の旅程は、これからじっくりと検討する予定。15時過ぎに事務所を出て、青山の銀行で雑用を済ませた後、表参道駅から千代田線で二重橋前駅にて下車。東京會舘へ15時半過ぎに到着。16時から7階のホールで開催される前田工学賞授賞式に出席。建築部門の前田工学賞は、比叡山延暦寺の本坊としての〈滋賀院〉の詳細な文献調査と復元に向けての論文。山田一宇賞は、建築アーカイブに関する歴史とこれからのアーカイブのあり方を提案した論文と、震災を受けたイタリアの複数の都市の復興プロセスを比較研究を通して編集的視点から新しい都市計画のあり方を提案した論文の2編に授与される。土木部門を含めて、スライドによる各賞の簡単な研究紹介に引き続き、今年度の研究助成と国際会議助成の紹介が行われて18時に終了。その後同じ階の宴会場に移動して祝賀会が開催される。この2年はコロナ禍のため開催できなかったので、対面の授与式と祝賀会は3年ぶりである。ワインとつまみをいただきながら受賞者や研究助成者と歓談。界工作舍OBの中川純さん、メディアデザイン研究所でお世話になった齋藤歩さん、東京理科大の山名善之さん、東京都市大学の福島加津也さんなどと四方山話。19時過ぎに中締め。19時半に解散。20時過ぎに帰社。『啓蒙思想2・0』は、第7章「ウイルス社会」を読み続ける。ここでいうウィルスとはメタファーであり、現代社会に蔓延っているウィルス的な社会現象として、例えば貧困層を食い物にして自滅したサブプライム・ローンについて詳細に検証されている。今日の全国の感染者数は19,271人。昨日から約2,400人の減少である。


2022年06月02日(木)

晴れで暑い一日。8時半出社。大同建設から「169菅野邸」の竣工写真のデータが届く。ドローンによる夕景の撮影を含めて約150枚余りあり、上田さんの写真とはアングルもかなり異なっているので新しい発見がある。直ちに『新建築住宅特集』編集部に転送し検討を依頼する。戸田と「141小澤邸」駐車場の打ち合わせ。シャッターはとりあえずアルミ製の跳ね上げ式扉とする。夕方までに図面がまとまったのでコメントを加えて小澤さんに送り検討を依頼する。方針が決まったら一度現地に赴き、平面寸法や高さを実測する予定。17時過ぎに「169菅野邸」のクライアント菅野さんから電話が入る。昨日に腕の手術を終えて入院中だそうだ。昨日の連絡内容とは異なり「169菅野邸」の撮影を実施しても構わないという連絡である。しかしながら家具は食卓の椅子と電動ベッドが入っているだけなので、上田宏さんと大同建設の竣工写真とあまり変わらないだろう。手術の成功のお祝いと撮影への配慮に対するお礼を述べて電話を切る。『啓蒙思想2・0』は、第6章「世界は正気をなくしたか」を読み終わり、第7章「ウイルス社会」に進む。第2部「非合理の時代」は現代社会に溢れているさまざまな非合理的な現象についての検討である。第6章では、人間が発達させてきた問題解決能力の多くは、進化から生じた認知システムの限界を克服するために外部の環境に組み込まれた環境クルージ(慣習や規則)を利用していることが明らかにされている。それをアンディ・クラークは〈生物学的な脳そのもの〉の能力を高める〈デザイナー環境〉と名づけている。そして〈デザイナー環境〉の例として、タバコ、コーヒー、薬物などへの〈依存〉やマナーや慣習などの〈文化〉が紹介されている。今日の全国の感染者数は20,680人。昨日から約2,100人の減少で、今週初めに戻る。


2022年06月01日(水)

今日もピーカンの晴れで酷暑の一日。8時半出社。松江の菅野さんからメールが届く。「169菅野邸」の玄関ギャラリー床の墨モルタルのヘアクラックに対する対処法について、僕が昨日提案した塗床で進めていいとの回答メールである。直ちに大同建設に転送し、同色の塗床による補修を依頼する。Mさんに「170 M邸」の雨水タンクの設置と不燃化特区の助成金を世田谷区に申請するための書類への捺印を依頼する。北側の垂れ流し雨水の浸透枡については助成を断られたが、それ以外は受け入れてもらえそうだ。昨日はiPad上でMicrosoft365ソフトのダウンロードまで辿り着いたが、Microsoftに使用許可を得るパスワードの獲得で頓挫した。今日再挑戦してようやく使用許可を得るに至る。iPhoneでの使用許可もサブスクリプションの適用範囲であることを確かめた上でダウンロードする。1ヶ月間の使用は無料で、その後はサブスクリプションの費用が発生するが、すでに現在も支払っているのでどうなるのだろうか。記録を見ると支払先はMicrosoftである、今回はAppleのソフトとしてダウンロードしたために、ダブルブッキングの恐れがあるのでよく確認することが必要だろう。ともかく、これでApple IDを盗まれる前の状態にまで回復し、日記を含めてiMacのすべてのファイルがiPhoneとiPadで自動的に共有できるようになった。『様式とかたちから建築を考える』は、第2部「様式論:建築を思考するフレームワーク」の第3章「ポストモダンと西洋の様式」と、第4章「様式における日本的なもの」を読み終えて、第1部「日本近代建築の様式建築をひもとく」に戻る。第3章では、磯崎新の〈つくばセンタービル(1983)〉と〈水戸芸術館(1990)〉をとり挙げて、日本の1980年代のポストモダン期における日本の建築デザインへの西洋の様式建築の引用について論じ、そのコンテクスト上で木島安史の〈孤風院(1975〜)〉や隈研吾の〈M2ビル(1991)〉について詳細に検証している。第4章では、日本建築における「ジャパネスキゼーション(和様化)」の問題について論じ、重源の大仏様から伊東忠太や岸田日出刀を経て磯崎新の〈新宿計画(1962)〉や石井和紘の〈直島町役場(1983)〉までを検証している。第1部にも目を通すつもりだが、様式と装飾に関する本書の基本的な考え方はほぼ理解できたので、散読するに止めよう。今日の全国の感染者数は19,386人。昨日から約9,800人の増で、6月初めに戻ってしまう。


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