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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2018年12月18日(火)

7時起床。冬晴れで寒い一日。8時半出社。明日「163保田邸」の工事契約が締結されるので、思い立って見積に参加してくれた他の建設会社に、当初の見積金額の比較表を添えて(株)オンサイトと工事契約に至った経緯に関する報告メールを送る。見積作業にはかなりの時間と労力を要するが、工事契約にまで至らなければ、まったくの徒労になってしまう。その労力に対する最低限の礼儀としての報告である。まもなく1社から丁寧な返事メールが届き、もう1社からは梨の礫である。現場説明の際の印象と見積査定に対する対応の仕方そのままの対応である。「10+1」ブックレビューの原稿スケッチを続行。ある程度見通しが立ったので本原稿を書き始めるが、冒頭から足踏み状態に陥る。400字のあたり何度も書いたり書き直したりを繰り返しで、まったく先に進まない。気分転換に、取り上げる本を再度散読して頭を整理する。夜、木村と「162酒井邸」の打ち合わせ。酒井さんから平面詳細図や展開図に関して続々と細かなコメントメールが届くので、その返答メールの検討が大変である。おまけに追加要求がかなりあるため、コストアップの可能性がかなり大きくなった。酒井さんの気持ちは十分理解できるが、これまでの「箱の家」のデータから推測すると、予算を大幅に越えることはほぼ確実である。最終的に大きなフィードバックが生じることになるので、現段階で少し仕様を抑えるようにアドバイスすることにしよう。10+1websiteで加藤耕一の連載「アーキテクトニックな建築論を目指して」の第5回「21世紀のアール・デコラティフ(後編)」を読む。19世紀末のアール・ヌーヴォーから1925年のアール・デコラティフにかけての経緯が詳細に紹介されている。1925年のアール・デコ展にゲリラ出品したル・コルビュジエの〈エスプリ・ヌーヴォー館〉と彼の『今日の装飾芸術』によるモダニズムからの〈装飾芸術〉批判としての〈リポラン(ペンキ)塗りの白いインテリア〉の始まりが紹介されている。そしてそれに対する反批判としての〈時間性を帯びたマテリアル〉の対置が本論の結論である。マテリアルに関する加藤の考え方には僕も共感するが、装飾的なインテリアを再評価しようとする視点にはやや抵抗を感じる、22時に帰宅。ベッドの中でiPadでブックレビュー原稿の加筆校正を続ける。夜半就寝。


2018年12月17日(月)

7時起床。雨のち晴れの寒い一日。8時半出社。佐藤研吾さんから僕の日記に書いた昨日のギャラリートークの感想に対するコメントメールが届く。僕は彼のデザインボキャブラリーをデ・スティルのリートフェルトやデッサウのバウハウス起源ではないかと指摘したが、彼自身はチャールズ・レニー・マッキントッシュからの間接的引用だそうである。確かにグラスゴー美術学校の図書室の木組を連想させる面もあるので、なるほどとは思ったが、それが趣味的な好みによる引用ならば、単なる世紀末デカダンに過ぎないだろう。そうしないためにはF・L・ライトとの関係を含めた歴史的な意味づけが必要ではないかとメールを返信。〈構成〉という言葉についても別の言葉を探したいという回答。アメリカ在住の中原まりさんやスイス在住の礒崎あゆみさんからグリーティング・カードが届いたのでお礼のメールを送る。礒崎さんはクリスマス休暇で一昨日に帰国したそうだ。facebookのメッセージ欄で連絡を取り、来週の来所を約束する。熊本から木造の研修会に参加するために上京したオンサイト社長の坂本亮介さんが15時過ぎに来所。(株)オンサイトは「163保田邸」の工事を請け負ってくれることになった建設会社である。見るからに若い働き盛りの社長である。先に送ってもらった工事契約書の監理者欄に署名捺印した正副本を渡す。引き続き工程表を見ながら年末の現場作業スケジュールについて確認する。年内に地盤改良のラップルコンクリートを打設できるかどうかは、コンクリート業者のスケジュールか確定していないため未確定とのこと。1月の工程表の作成を依頼し、僕が現場監理に行く予定を確認する。『箱の家---エコハウスをめざして』『家の理』『進化する箱』の3冊を贈呈して16時過ぎに打ち合わせは終了。早速、戸田がまとめた打ち合わせ記録を加筆訂正してdropboxの共有ファイルにアップし、その旨のメッセージを保田、矢橋の両氏に送る。夜は「10+1」ブックレビューの原稿スケッチを続行。少しずつ短文を付け加えていくが、まだ発火しない。21時半帰宅。ベッドの中でiPadで原稿スケッチを続行。天井を眺めてあれこれ考えるうちに夜半就寝。


2018年12月16日(日)

8時過ぎ起床。曇り時々小雨の寒い一日。ゆっくりと朝食を採った後、熱い風呂に入って疲れをほぐす。ベッドに横になりiPadでメールをチェックし昨日の佐藤研吾展を思い出しながら長い日記を書き込む。イベントに参加すると、ものを考える刺激をもらえるのが最大の収穫である。僕だけの印象かもしれないが、佐藤さんの活動には不思議な新鮮さと、ぼんやりとした既視感が同居している。初めて阿部勤さんに初めてお会いしたこと、南青山から駒込に移動してのち初めて〈ときの忘れもの〉を訪問し、久しぶりに綿貫夫妻と再会したこと、渡邊大志さんと公の場で議論できたことなど、収穫も多かった。12時前に出社。「10+1」ブックレビュー「1968年以降の建築理論」の原稿スケッチを続行。何となくストーリーが見えてきたような気がするが、落とし所をまったく思いつかない。締切は今週末である。年末で設計の仕事も大詰めを迎えている。それまでは両方に集中しよう。熊本の工務店〈オンサイト〉から「163保田邸」の工程表が届いたので、プリントアウトし僕が熊本を訪問すべきポイントをチェックする。現場監理は矢橋徹さんに依頼しているので、界工作舎の仕事はもっぱら施工図、製作図の作成である。保田さんが地鎮祭を実施しないというので、着工日に立ち会えないのが残念だが、来年2月初めに熊本大学工学部で開催される顧問会議に出席するので、その際にはぜひ現場を訪れたい。上棟は3月半ばの予定だが、上棟式の有無にかかわらず建方の現場に行くつもりである。遠方の仕事は秋田の「箱の家148」以来だが、交通費が限られているので、なかなか大変である。『抽象の力』は第局堯崔蠑櫃領蓮(簣澄廚痢崟鏝緘術の楔石としての内間安瑆の仕事」に進むが、なかなか集中できない。夜はNHKTVの特集『アウラ:未知のイゾラド 最後のひとり』を見て頭の中を掻き回される。イゾラドとは現代文明から切り離された未開民族の総称である。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586087/index.html
アマゾンの先住民族居留地域の密林の中で1987年に発見されたイゾラド民族の2人の青年は、それまでの先住民族とはまったく異なる言語を話していたそうだ。2人はアウレとアウラと名付けられた。アウラは脚が不自由だった。2012年にアウレが癌で死に、アウラはひとりぼっちになり、政府の先住民族保護地区内にある小屋で生活するようになった。世話役の男が、アウラが話す言葉の断片的な単語を微かに理解できるようになり、〈ふたり〉〈いない〉〈こども〉〈ひげ〉〈死〉〈雨〉〈大きな音〉〈火花〉といった言葉から、雨の日に何者かに襲撃されて女や子供は殺され、アウレとアウラだけが生き残り彷徨っているところを発見されたのではないかと推測できるようになった。しかしその確証はない。発見された時アウラは年齢不詳の青年だったが、現在では白髪の老人になっている。彼が死んでしまうと、すべては謎のままに終わる。発見された密林は今や開墾されトウモロコシ畑になっている。足を引きずりながら歩くアウラの姿を遠方から捉える映像で、宙ぶらりんのままに番組は終わる。しばらくの間、僕は呆然と天井を見上げるしかなかった。


2018年12月15日(土)

7時起床。冬晴れで寒い一日。8時半出社。熊本の工務店から「163保田邸」の工程表が届く。やや大雑把なので、施工図や製作図の作成時期も加えるように依頼する。工程表は工期全体の概略を把握するために作成するので、天候、現場の状況、職人の手配などによって、当然ながら変更が生じる。したがって月毎に修正した修正工期を作成することによって、工期全体にフィードバックしなければならない。そのためには工期を左右する重要な条件である施工図や製作図の作成時期も工程表に書き込んでおかねばならない。午後に追加訂正した工程表が届いたので工事契約書への添付と共に、施工に入ってからは月毎の工程表を作成するように依頼メールを返送する。昨夜、富山の横山天心さんから届いた「162酒井邸」の地盤改良の仕様書、図面、見積書を読み込み、変更点と疑問点を整理し、再検討を依頼するメールを横山さんに返信する。戸田に頼んでDropboxに「163保田邸」の共有フォルダを作成する。個別にメールを送るのではなく図面や写真を、界工作舎、保田、矢橋、工務店の4者で共有するためである。共有を限定することもできるしコメントを加えることもできるので施工監理には便利だが、慣れるまでに少し時間がかかりそうである。午後に週末の打ち合わせ。作業の進行状況と今後のスケジュールを確認する。木村は「162酒井邸」の残りの図面と修正を年末までの2週間で一通りまとめる予定。正月休みの間に酒井さんのチェックバックをもらい、年明けに見積用図面をまとめることにする。戸田は「163保田邸」の着工に先行して、矩計図と部分詳細図の作成を続けることとする。再来週はじめに伊藤夫妻が来所するので「箱の家2・0」への対応があるかもしれない。17時に事務所を出て表参道駅から千代田線、南北線を乗り継ぎ駒込駅で下車。本郷通りを南へ約10分歩いてギャラリー〈ときの忘れもの〉へ18時15分前に着く。阿部勤設計のRC住宅を転用したギャラリーで、住宅スケールの空間に佐藤研吾のドローイング、木製の小箱によるピンホールカメラのオブジェ、それで撮ったモノクロ写真が展示されている。18時から佐藤研吾のスライドレクチャー開始。10畳余の部屋に約20人の聴衆。福島での現在の仕事、木製ピンホールカメラを複数配置した空間的なインスタレーション、日本で製作した家具を持ち込みインドで建設した住宅などについて約1時間のレクチャー。その後、会場との質疑応答。早稲田大の渡邊大志さんから佐藤さんの建築思想に関する質問から始まり、阿部勤さんや美術関係の人からも質問が出る。僕も議論に加わったが、通常の建築家とは異なり職人的アーティストしての活動を展開している点に感心すると同時に、佐藤さんのデザインボキャブラリーのほとんどがモダニズム初期に起源があるように見えるのが気になる。佐藤さんはその点をあまり自覚していないように思えるがどうなのだろうか。デザイン思想としてはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を引き継いでいるようだし、デザイン・ボキャブラリーとしてはデ・スティルやヘリット・リートフェルトやデッサウのバウハウスを想起させる。佐藤さんが自分のデザインについて〈構成〉という言葉を繰り返し使っている点にも引っかかる。日本ではかつて〈Russian Constructivism〉を〈ロシア構成主義〉と訳して以来、〈構成〉と〈構築〉つまりcompositionとconstructionの使い分けが混乱しているからである。言語は一種の慣習だから、この種の混乱は今後も続いていくのだろうが、せめて〈構成〉と〈構築〉を一対の概念として意識的に使い分けるべきだと思う。19時半過ぎに終了。その後、廊下に出てワインをいただきながら歓談。ギャラリーオーナーの綿貫さんと先日上野で見たデュシャンの〈大ガラス〉について情報交換する。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53154300.html
20時過ぎにギャラリーを出て、歩いて約5分の中華料理屋で会食。綿貫夫妻に加えて、阿部勤、佐藤研吾、同啓輔、金子遥洵が参加。ギャラリー経営の難しさや佐藤、金子のNPO活動の話を聴く。紹興酒の酔いが回り、いつもながら駄弁を弄したことを反省する。22時前に店を出て、南北線の駒込駅に向かう途中で綿貫夫妻にお礼の挨拶をし、阿部さんとは市ヶ谷駅で別れ、表参道で下車して23時前に帰宅。ウィスキーを呑みながら今日の佐藤さんのレクチャーを反芻。岡啓輔を含め、石山修武が提唱する職人的な建築家の可能性について考えを巡らせる。これがボトムアップな建築家像の究極的なあり方かもしれないなどと考えながら1時前に就寝。


2018年12月14日(金)

7時起床。晴れで冬らしい寒い一日。8時半出社。保田さんから「163保田邸」の工事契約に関するメールが届く。現場監理を依頼する矢橋さん、工務店の社長とメールをやり取りした結果、契約締結日は12月19日(水)になる。これでようやく年内に工事契約が締結されることになりホッと胸をなで下ろす。昨日の構造調査会議で年表について議論した際に、年表の描き方の例として僕が提案したチャールズ・ジェンクスの『建築2000』(SD選書 1974)に掲載されているモダニズム以降の建築潮流の進化年表のコピーを法政大学の浜田さんにメール送信する。ジェンクスによれば波帯状のこの分類法はクロード・レヴィ=ストロースの構造分析で使われた方法に基づいているという。これならば一対一の固定的な関係ではなく、時代状況、構造種別、相互の影響関係の中に適度の冗長度を与えながら構造家を位置づけることができるだろう。昨日、酒井さんから届いた質問メールに対する回答の方針について木村と打ち合わせ。夕方までにたたき台がまとまったので加筆訂正して酒井さんに送信する。これまでの変更事項をすべて図面に反映させねばならないので、修正の作業がかなり大変そうである。18時にスタッフと事務所を出て表参道駅から半蔵門線に乗り渋谷駅で下車。西武渋谷店8階の美々卯へ。栃内さんが合流し18時半からささやかな事務所忘年会。うどんすきと凍結酒をいただきながら建築論議で盛り上がる。20時前に店を出て、渋谷駅のコンコースを通り抜け東口から歩道橋を上って〈渋谷ストリーム〉へ。2、3階に並んでいる店はどこも超満員なので止む無く4階のホテルのバーで二次会。ダイキリで乾杯し20時半過ぎに店を出ようとして、入口脇の壁に展示してある小嶋一浩と赤松佳珠子の〈渋谷ストリーム〉のスケッチを見ていたら、堀越英嗣さんに呼び止められる。一緒に呑んでいる〈渋谷ストリーム〉プロジェクトを担当した東急電鉄の統括部長を紹介される。放送大学で二子玉川再開発を取材した際に会ったような気がするが記憶は定かではない。ビルを出て渋谷川に沿った足元周りをそぞろ歩き渋谷駅前で解散。半蔵門線で表参道に戻り21時半に帰宅。ウィスキーを呑み直し、そのままベッドに倒れこむ。


2018年12月13日(木)

7時起床。晴れで寒い一日。8時半出社。難波研OBの岩元真明さんから電話が入る。一昨日の前田工学賞の審査の際に話題になった国際会議に関する問い合わせである。岩元さんもその会議の参加者だが、応募要項を十分に読み込んでいない申請書だったので事務局から問い合わせが届いたらしい。その旨を伝えて応募内容を正すようにアドバイスする。11時半に事務所を出て表参道から千代田線で油島駅にて下車。12時過ぎに駅近くの寿司屋で簡単な昼食。少し遅れて金箱温春さんが入店してきたので挨拶。12時半に店を出て〈近現代建築資料館〉に13時前に着く。13時から構造調査会第3回を開催。竹内徹座長のほか、佐々木睦朗、新谷眞人、金箱温春、多田脩二、満田衛資、浜田英明、他大学院生2人。新しく川口健二が出席。資料館からは桐原武志、藤本貴子、藤井愛、1時間遅れて小堀徹が合流。調査対象の10人の構造家について、それぞれの担当者が報告。新しい情報として武藤清、坪井善勝、横山不学の詳細な報告が追加される。引き続き調査シートの改訂版について議論。調べるうちに新しい条件が発見されるので調査項目の変更が必要になるというフィードバックループである。次に来年度に開催予定の調査結果報告会を兼ねたイベントについて議論。以前から川口衞のプレゼンテーションの案が出ているが、川口健二さんの話では父君の川口さんの体調が不安定なので来年の予定は不確定だとのことで結論はペンディング。さらに調査資料全体をまとめるための「構造家・構造形式・構造技術の系譜」と「年表」の案ついて浜田さんが説明。構造家相互を線で結ぶ一対一対応の図式は不正確ではないかという意見が出たので、僕は大きな潮流を帯で表現したチャールズ・ジェンクスの『建築2000』(SD選書 1974)の年表を参考にしてはどうかと提案。重要なことは系譜も年表も完結させるのではなく可能性に開かれた図式にする方がいいので、横に並べて右端は開放すべきだと主張。最後に来年度は調査範囲を組織事務所や単独で活動した構造家にまで広げることを確認し、次回の会議の日時を決めて16時半に終了。引き続き開催中の『 明治期における官立高等教育施設の群像』を見学した後17時に佐々木さんと一緒に館を出て表参道まで同行し17時半に帰社。熊本大学工学部から顧問会議の書類が届いたので署名捺印し、往復の航空便と宿泊ホテルを指定して同封の封筒で返送。熊本の工務店から「163保田邸」の工事契約書が届いたので工事監理者の欄に署名捺印。来週月曜日に来所する工務店に渡す予定。夜は読書。『抽象の力』は第局堯崔蠑櫃領蓮(簣澄廚涙石の文学論を分析した「先行するF」を読み終わりフロイトの欲動論に関する「末期の眼」に進む。21時半に帰宅。久しぶりにウィスキーをたっぷりと呑みながら様々なことに思いを巡らせる。夜半就寝。


2018年12月12日(水)

7時起床。雨のち曇りのち晴れの寒い一日。8時半出社。横山天心さんから「162酒井邸」の地盤改良工法に関するメールが届く。富山の業者が開発した工法らしいが、支持地盤が比較的浅い場合も使えるのかについて質問メールを返送する。熊本大学工学部から顧問会議の通知メールが届く。郵送でも届くそうなので返事は同封メールにてとあるので待機しよう。熊本の工務店社長からメールが届く。研修会に出席するため来週初めに上京するそうだ。研修会の会場は界工作舎から歩いて約10分の外苑前である。界工作舎に挨拶に来られるそうなので、それまでに届く予定の「163保田邸」工事契約書の監理者欄に署名捺印し持ち帰ってもらおう。酒井さんから「162酒井邸」の構造と設備に関する質問メールが届く。木村が回答メールのたたき台を作成したので加筆訂正して酒井さんに返信する。夜は読書。21時半帰宅。夜遅く保田さんから「163保田邸」の最終見積に関するコメントメールが届く。この時点で界工作舎や工務店の対応に疑問を持つのは危険信号といわねばならない。細々とした疑問は、ここまで細やかに対応してきた工務店のやる気を削ぐからである。少なくとも工務店の対応には感謝しなければならない。そうでなければ前向きに工事に取り組む気持ちが萎えてしまうからである。僕自身も少し気分が滅入ってきたので、工務店はもっとそうなる可能性があるだろう。その点に気づいて早急な承認と決定を促す返信メールを送る。家早何友である。

『抽象の力』第局堯崔蠑櫃領蓮補論」の「守一について、いま語れることのすべて」を読み終わる。岡崎乾二郎の渾身の熊谷守一論である。熊谷守一について僕はほとんど知らないのだが、本論を読んで昨年に竹橋の国立近代美術館で開催された熊谷守一展に赴かなかったことを後悔した。岡崎の次のような結論は腹に応える。「熊谷守一の仕事が示すのは、ある場所で独自に展開してきた仕事が、それとは異なる場所で発生してきた仕事とシンクロ=同期しうるという可能性です。その二つの仕事は互いに模倣し合うのではなく、むしろ距離を保ちながら共振し合い、同期し、その瞬間、同じ場所を形成するということです。その共時性(シンクロニシティ)こそが世界性というべきものでしょう。(中略)もちろん守一のこの世界性は彼一人が作ってきたものではなく、夏目漱石、そしてその周囲の寺田寅彦にも共有されていたものでした。彼らの思考が世界性を持っていたことは多くの人が認めると思います。その世界性とはいわば科学を成り立たせる基本的態度というものでもあり、ということは芸術が科学的基礎付けを保ちうることを示しているかもしれません。重要なのは、この共時性は作品の個別の現れというよりは、それを支える思考、まさに「ものの見方」「考え方」に拠って構造的に起こるものだということです」。「守一の存在を考えることによって、日本で絵を描くことの意味、日本の近代絵画史の理解は全く大きく変貌するように思えます。それは芸術作品の潜在的構造、可能性が場所に限定されずに開かれたものであることを示しています」。絵画を建築に変えても、果たして同じことが言えるだろうか。考えてみる価値がありそうである。岡崎にとっては、後半の白井晟一論がそうなのかもしれない。


2018年12月11日(火)

7時起床。曇りのち小雨の寒い一日。8時出社。昨夜遅く熊本の工務店から「163保田邸」の最終見積書が届いたので、合わせて工程表を作成するよう返信メールを送る。8時15分に事務所を出て、表参道を経由して青山歯科医院へ。欅並木はすっかり葉が落ちている。8時半から歯の定期メンテナンス。歯垢を除去し歯を磨き歯間ブラシをかけ消毒して終了。来年2月初旬の予約を取って9時半に医院を出る。そのまま表参道から銀座線、井の頭線を乗り継ぎ高井戸駅にて下車。「160平井邸」現場へ10時前着。TH-1の朝倉社長の立会いで床の清掃とワックスがけが進行している。乾燥するまで約1時間近くのファミレスで待機した後11時半前に現場に戻り家具を元に戻す。塗り残した部分のワックスがけを指示した後に11時半過ぎに現場を発って12時半に帰社。これでメンテナンスがすべて完了である。戸田が「163保田邸」の最終見積書をチェックし、問題がないことを確認したので保田さんに転送。木村が「162酒井邸」の展開図をまとめたので、短いコメントを添えて酒井さんに送信。日大郡山の浦部智義さんから、授業で「建築の4層構造」を使用する許可願いのメールが届く。原稿を読み問題ないので承諾の返信メールを送る。16時に事務所を出て小雨の中をJR原宿駅へ。自動販売機で茨城県大洗町の「158石邸」1年検査の往復特急乗車券を受け取った後、山手線に乗り代々木駅で総武線に乗り換えて市ヶ谷駅にて下車。歩いて約10分で前田建設のゲストハウスへ17時前に着く。17時から前田工学賞と研究助成の一次審査会。建築の審査員一人が病欠した以外は全員出席。事務局の報告を受けた後、建築と土木に分かれて審査。各委員のコメントと評価の集計表を見ながら、前田工学賞と山田一宇賞の候補論文を5編選出する。僕が推した4編の論文のうち3編だけ残り残念ながら1編は落選。引き続き研究助成の審査。応募者50人のうち上位28人がほぼ同じ評価なので、残りの応募者1人だけを加えて29人が残る。僕が推した15人はすべて残ったが、最終的な採用は10人なので来年の最終審査では揉めそうである。国際会議の応募について意見交換し18時半に終了。引き続き会食。各自が別々の飲み物をいただきながら歓談。19時半過ぎに解散。雨が降り続く中タクシーで20時過ぎに帰社。審査資料を読み直しながら今日の審査結果を再確認。21時半帰宅。『抽象の力』を読みながら夜半就寝。


2018年12月10日(月)

7時起床。曇りのち晴れで昨日よりも一段と寒い一日。8時半出社。山本理顕さんから復興シンポジウム当日のスケジュールに関するメールが届いたので、はりゅうウッドスタジオに転送する。当日は打ち上げの懇親会に最後まで付き合ってくれるそうだが最終便で日帰りするそうだ。戸田が「163保田邸」の契約用図面をチェック修正し製本に回す。工事契約用にプリントアウトした図面を工務店に送るように指示。工務店からは契約書類一式のたたき台が届いたのでチェックバック。木村が「162酒井邸」の展開図をまとめたので打合せ。何点か変更して再度図面をまとめることとする。続いて地盤調査報告書を精査し地盤改良の方針について打ち合わせ。支持地盤となる砂礫層に、道路から敷地奥行方向に若干の傾斜があり、敷地奥では現設計の基礎底盤から支持地盤まで1.5m程度の深さがあるため、表層改良ではかなり大掛かりな工事になる。したがって柱状改良によって対応する方がコストパフォーマンス上有利だと考えられるので、コストを検討するように指示する。「10+1website」のブックレビューのために『現代建築理論序説---1968年以降の系譜』(ハリー・F・マルグレイヴ+デイヴィッド・グッドマン:著 澤岡清秀:監訳 鹿島出版会 2018)に目を通す。1960年代から2000年まで10年区切の時系列で世界的な建築思想の潮流をまとめているので、かなり強引に思えるが大雑把な傾向は把握できる。アメリカとヨーロッパの建築潮流が中心だが丹下健三以降の日本の潮流も組み入れられている。何となく歴史的な構図の大枠が見えてきたが、他の3冊とどう結びつけるかは、これからの課題である。21時半帰宅。アルコールは夕食時のビールだけにして高血圧対策。『抽象の力』はかなり長い熊谷守一論を読み続ける。先ごろ飛行機の中で見た映画『モリのいる場所』(沖田修一:監督 2018)を思い出す。夜半就寝。


2018年12月09日(日)

8時起床。曇りで寒い一日。今日は日曜日で休みだが10時半に出社。早朝4時過ぎに富山の横山天心さんから「162酒井邸」の地盤調査報告書が届いたので酒井さんに転送する。予想通り支持地盤は現設計の基礎底盤レベルよりもやや低いようなので、どうしても表層改良が必要である。週明けに検討し設計に反映させることにしよう。保田さんと「163保田邸」の工事契約の内容についてメールのやり取り。設計仕様の細部確認と変更についての検討を何度も念を押される。もう少し僕たちを信頼して任せてくれても良さそうに思うが、家早何友である。14時に五十嵐太郎さんと芳賀沼整さんが来所。復興シンポジウム「復興と地域社会圏」に関する打ち合わせ。僕から五十嵐さんにシンポジウムのテーマを「復興と地域社会圏」とした趣旨について説明する。山本理顕の地域社会圏の思想について五十嵐さんは十分に承知しているとのこと。五十嵐さんは震災後からの南相馬の仮設住宅にまつわる活動の経緯についてスライドを使って報告するそうだ。芳賀沼さんからは後半のディスカッションに参加するメンバーのキャリアについて細かな説明を受ける。メンバーの選択については芳賀沼さんなりの深謀遠慮があるようだ。その後シンポジウムのイメージについてしばらく意見交換。福島には原発問題があるので問題は複雑だが。あまり込み入った議論には踏み込まず、復興の基本的な方向性について議論することを確認して15時過ぎに解散。その後しばらく原稿のスケッチを続行。「都市科学辞典」「10+1」「建築討論」の3つのテーマについて、思い付く項目を列挙していく。それを組み合わせて一つの物語をつくりあげるのが僕の原稿の書き方である。18時帰宅。寒くなるに連れて血圧が高目になってきたので、寝る前にウィスキーを呑むのは止めることにする。『抽象の力』を読みながら夜半就寝。


2018年12月08日(土)

7時起床。晴れで寒い一日。8時半出社。10時に難波研OBの小見山陽介さんが来所。博士論文『クリスタル・パレスの建築について:建築構法史学の試み』の最終審査の前に概要の説明に来てくれた。とはいえ僕は先月、論文が届いた日に直ちに読み通したので、特に説明の必要はなく、代わりに僕からはクリスタルパレスの環境制御(換気と空調)に関する報告がないのが画竜点睛を欠くのではないかとコメントしたが、そのテーマについてはすでに既往研究があり文献を挙げているとのこと。ならばその簡単なレジメを付け加えて欲しかった。文献によれば換気を含めて会期中の環境制御はあまりうまくできなかったそうだ。論文の総評としては、最近の建築史研究が、これまでの様式史、形態史、空間史のような意匠研究ではなく、構法史のようなエンジニアリング寄りの研究に移行しており、小見山さんや後藤武さんのみならず、加藤耕一の『時がつくる建築』もその方向の研究であること、にも関わらず、建築の実務においては若い建築家による構法的に不完全な作品が目に付く点が対照的な状況であることを指摘する。デザインと構法の関係を追求した新しいタイプの研究なので、最終審査をパスしたら是非とも前田工学賞に応募するように勧める。年末の難波研同窓会での再会を約して11時半に終了。木村がたたき台を作成した「162酒井邸」の長大な回答メールを読み直し加筆訂正して酒井さんに送信する。「163保田邸」に関する工務店とのメールのやり取りを保田さんに転送する。14時過ぎに事務所内外を清掃。中庭の姫沙羅の樹が大きくなりすぎたので植木屋に枝と頂部の剪定を頼む。夕方までに作業が終わりスッキリした樹形になる。これで落ち葉が屋根に溜まらず日射も十分に入るようになるだろう。夜は青山通りから骨董通りを南に向かい南青山の居酒屋風イタ飯屋で夕食。帰途にspiralに立ち寄り、螺旋階段中央に吊り下げられた無数の腕時計基盤のインスタレーションを見学。21時に帰宅。『抽象の力』第局堯崔蠑櫃領蓮補論」を読みながら夜半就寝。


2018年12月07日(金)

7時起床。曇りのち晴れの肌寒い一日。8時半出社。昨日はりゅうウッドスタジオから届いた復興シンポジウム「復興と地域社会圏」のポスターを山本理顕さんに送信。午後、確認の返信メールが届いたので、直ちにfacebookと界工作舎HPにアップし、関連の建築メディアへ送信する。早速メディアデザイン研究所が対応してくれて10+1websiteに掲載される。
http://10plus1.jp/information/2018/12/fukushimasumai-180126.php
熊本の工務店から「163保田邸」工事契約書のたたき台が届いたのでチェックバック。何とか保田さんの追加予算内にギリギリ収まったので胸をなでおろす。直ちに承認メールを返送し見積内訳書を加えて工事契約書一式のデータの送信を依頼する。これを保田さんに転送し確認を得た上で来週末に工事契約を締結する予定である。界工作舎としては最終図面を製本するように戸田に指示。木村と酒井さんから届いた「162酒井邸」設備システムのへのチェックバックについて打ち合わせ。かなり長いフィードバックコメントなので綿密な検討が必要だが、徐々にスペックが上昇しているようだ。見積後にVEが必要になることは間違いないだろう。いつものこととはいえ気分が滅入る。夜は読書。21時半帰宅。『抽象の力』を読みながら夜半就寝。

『抽象の力』は第吃瑤痢崔蠑櫃領蓮本論」を読み終わる。本書全体の3割である。明治時代(19世紀後半)以降の日本の抽象美術の展開とヨーロッパの抽象美術の並行性の検証に始まり、第二次大戦までの抽象美術の詳細な紹介である。最初の辺りは夏目漱石や新感覚派の文学と抽象美術の並行性について検証され発見的で興味深いが、徐々に美術プロパーの議論に収斂する。と同時に村山知義や分離派の石本喜久二の建築に関する議論が展開され、バウハウスやデ・スティルが紹介される。戦時下の丹下健三の活動を紹介しながら、岡崎は技術と国家の捻れた関係についてこう述べている。「問うべきは技術の体制への組み込みよりも、むしろハイデッガーの思考までが援用されて技術が常にロマン主義的に美化されてしまう様相だった。建築家、デザイナー、映画監督は例外なくみなロマン主義者であった。崇高美学に裏打ちされたアイロニーによって自らの主体的責任を解除し、その見返りに自らの政治的位置を文字通り「機会主義」的に彼らは保存したのである」。丹下のみならず戦時下の芸術家は例外なく保田與重郎が主導する日本浪曼派に心酔し政治を美学化したことは、かつて柄谷行人が指摘した通りである。池辺陽も同じだったが、戦後そのことを反省し、美学を捨てて技術そのものに向かった。しかし丹下に代表されるように、池辺のように転向した建築家はいなかった。その意味において、ほとんどの建築家にとって戦前と戦後は連続していたのである。岡崎の指摘はその点を改めて想起させる。しかしながら歴史を超越しようとする点において、岡崎のいう「物質と精神の野合」もロマン主義の一種の裏返しではなかったかと僕は疑うのである。


2018年12月06日(木)

7時起床。朝から冷たい雨が降り続く寒い一日。8時半出社。10時過ぎに事務所を出て小雨の中を明治神宮前駅から副都心線に乗り雑司が谷駅にて下車。歩いて約15分で〈縦ログ構法の家〉に10時15分過ぎに着く。すでに大阪から竹原義二さんとスタッフ2人が到着している。僕も初めて見る縦ログ構法3階建の住宅である。はりゅうウッドスタジオの滑田さんから説明を聴く。クライアントは建築設計関係の人だそうである。設計ははりゅうウッドスタジオで、コストの問題から施工も芳賀沼製作とはりゅうウッドスタジオが請け負うことになったとのこと。住宅密集地域の角地で3m程度の間口に奥行きのある狭小敷地である。平面中央に置いたコンパクトな階段室を柔らかな間仕切りとして、前後に小部屋を取っている。主構造は150角材を使った縦ログ構法で、1階の短辺方向の妻壁は縦ログを二重にして鉄筋ブレースで補強している。外壁は防水シートの上に空気層を取り60亳の杉材を張っている。ギリギリの断熱性能なので、断熱材を挟みたいところだが、残念ながら防火認定を受けていない。これも今後の課題である。平面と構造計画は納得できるが、設備システムやディテールについては詰めがイマイチに見える。縦ログ構法の実験住宅というところか。構法に関する竹原さんたちの質問に対して僕と滑田さんが応える。ひとしきり見学した後に、竹原さん設計の住宅を掲載した雑誌を見ながら、これまでの竹原流構法と縦ログ構法の統合可能性について意見交換。12時前に現場を発ち、小雨の中を数分歩いて最寄りのホテルのロビーへ。昼食を食べながら、竹原さんが山口県に計画している幼稚園の計画について説明を受ける。13時半に芳賀沼整さんが到着。『縦ログ構法の世界』(縦ログ構法研究会:編著 建築資料研究社 2018)を見ながら、縦ログ構法の開発経緯と今後の普及のあり方の開放性について説明。さらに縦ログ構法の今後の展開について竹原さんたちと意見交換。工業化とはあまり縁のない竹原さんにとっても、縦ログ構法から何らかの刺激を受けることができるだろう。僕としては竹原流の繊細な木造デザインを縦ログ構法に適用することによって、その可能性を拡大してもらいたいという希望を述べる。竹原さんの影響力によって地場の中小の材木屋に働きかけ、木材の流通に風穴をあけることを期待したい。15時に解散。芳賀沼さんの車で副都心線の西早稲田駅まで送ってもらい15時半に帰社。富山の酒井さんから「162酒井邸」の設備システムに関するコメントメールが届いたので、木村に検討を指示する。木村は展開図に集中しているので、僕が回答メールをまとめることとする。「JIA関東甲信越支部大学院修士設計展」の公開審査および総評のゲラ原稿が届く。添付されたプレゼンテーション図面を開き講評会を思い出しながら校正。夕方までにまとめて事務局に返信する。難波研・界工作舎OBの岩元真明さんから(建築討論)への原稿依頼メールが届く。テーマは小嶋一浩+赤松佳珠子CAt設計の〈渋谷ストリーム〉である。締め切りは来年1月下旬で時間的に少し余裕があるので引き受けることにする。21時半帰宅。今日の縦ログ構法住宅の見学について反芻する。『抽象の力』を読みながら夜半就寝。


2018年12月05日(水)

7時起床。晴れのち曇りで昨日よりもやや寒い。8時半出社。富山の横山天心さんから「162酒井邸」敷地の地盤調査立会いの写真が届く。調査によれば支持地盤は意外に浅いようである。正確な報告書を見て地盤改良の方法を考えよう。東大の加藤耕一さんから小見山陽介さんの博士論文の最終審査日が年明け早々に決まった旨のメールが届く。僕にとっては来年最初の仕事になりそうである。熊本の工務店から「163保田邸」の細かな仕様に関する報告メールが届く。まだ最終金額が出ていないそうだ。焦ってもしょうがないが、どうやら工事契約は年内で、着工は来年になりそうである。「10+1website」のレビュー原稿のスケッチを続行。とりあえず4冊の本に絞ってキーワードをリストアップして見るがまだ光明は見えない。

『抽象の力』を読み続ける。面白くて徐々にペースに乗り始める。夏目漱石の文学論とキュビズムの同時代性と視点の共通性、フリードリッヒ・フレーベルの感情論と恩地孝四郎の抽象絵画との関係、第一次大戦後のダダイズムやビュトー・グループの活動の紹介。アンリ・ポアンカレの科学論と寺田寅彦を介した夏目漱石の『明暗』との関係など、日本の近代芸術の展開がヨーロッパの芸術運動とほぼ並行関係にあったことが様々な視点から紹介されている。マルクスとフロイトの唯物論が物質と精神を結びつけるという発想は、緒言のマニフェストの検証である。コーリン・ロウの「透明性」概念が抽象絵画の構造に関する検証になっている点も興味深いし、岸田劉生の絵画をこれまでとはまったく異なる超現実主義の視点から検証している点も新しい発見である。


2018年12月04日(火)

7時起床。晴れのち曇りの暖かい一日。8時半出社。9時に事務所を出て、表参道駅から銀座線で上野駅にて下車。JR上野駅のガードを潜り坂道を登って上野公園を横切り約10分歩いて国立博物館平成館の〈マルセル・デュシャン展〉の会場に着く。1970年代に東野芳明、磯崎新、岩佐鉄男、小林康夫、カルヴィン・トムキンズらによって日本に紹介され、関連本も何冊か出版された。僕はそれらの本を読んだ上で1979年にフィラデルフィア美術館を訪問し、デュシャン・コレクションを一通り見学した。その際に今回は映像だけが紹介されている遺作〈1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ〉も見た。したがって今回で2度目の観覧である。初期の絵画作品は、セザンヌ、キュビズム、未来派など19世紀末から20世紀初頭のアヴァンギャルド絵画の模倣的な習作である。デュシャンが一躍有名になったのは1917年のパリのアンデパンダン展に応募し、展示を拒否されたレディメイド小便器〈泉〉(リチャード・マット:作)によってである。展覧会場にはサイン付きの〈泉〉のレプリカが、大きなガラスケースの中に後生大事に展示されている。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』で指摘したように〈泉〉は芸術作品としてのアウラを持たないレディメイドの工業製品を芸術として展示することによって、芸術の意味の転覆を目論んだ作品である。にもかかわらずガラス箱の中の小便器を観客がじっと眺めている情景を目の当たりにすると、〈泉〉はデュシャンが当初に意図したパロディを通り越して本物の芸術作品になってしまったように思える。つまりアウラの解体を意図した作品が、美術館という空間の中で、再びアウラを取り戻しているように見えるである。基壇の上にうやうやしく展示され、スポットライトを浴びている〈自転車の車輪〉や〈瓶乾燥機〉についても同じことがいえる。要するに〈美術館という制度〉が観客の眼を飼いならすことによって、改めて新しい美術作品を生み出しているのである。作品はかつてのままであっても、それを見る観客の目の方が変わったのである。それが近代美術の特性かもしれない。〈時間=歴史〉がなせる技である。これに対して〈大ガラス〉や〈独身者の花嫁〉は、謎めいた物語を作品に埋め込むことによって、観る人の能動的な解釈を誘発する秘教的な作品である。読解のための資料も多数展示されている。展示を見ながら僕は数年前にビルバオのグッゲンハイム美術館を訪問したときのことを思い出した。4階のフロア全体を使ってロバート・ラウシェンバーグのコレクションが展示されていた。日常生活の中にある様々な工業製品をコラージュしたポップアート的な作品だったが、現代美術史の知見にそれほど詳しくない僕の眼には、単なるゴミの山にしか見えなかったのである。私見では、奈良美智や村上隆によってコミックのキャラクターが美術作品になっているのも同じような状況に思えるし、磯崎流にいえば「建築の解体」を目指した建築が〈大文字の建築〉を復活させることになった事態とも共通しているように思える。1970年代に興隆した記号論によれば、モダンなアヴァンギャルド芸術は、芸術における慣習コードを解体しようとする試みだったが、時間を経て今やそれが新しい慣習コードになリ果てているというわけである。これはカント的な認識図式あるいが概念的枠組が、時代によって変化することの一例といってもいいだろう。とはいえ、現在ではそうした作品が高価な商品として売買され、投資の対象になっているのだから馬鹿にはできない。それを今更「裸の王様」と呼ぶのは、何も分かっていない大衆の野暮な愚痴に過ぎないのだろうか。ともかくいろいろなことを考えさせる展覧会である。11時半に館を出て上野公園を横断して銀座線の上野駅から表参道駅に戻り、12時半に帰社。「163保田邸」の今後のスケジュールについて保田さんとメールのやりとり。保田さんは地鎮祭を行わないというので、工事契約の締結は郵送で行うことを提案。僕の現場監理訪問を最小限にし、保田さん、矢橋さん、工務店、界工作舎が工事の進行情報を共有するために、戸田に指示してネット上に専用のGoogle Driveを開設する。「162酒井邸」の構造システムについて酒井さんとメールのやり取り。地盤調査は無事に終了したとのこと。「10+1」の書評原稿のスケッチ開始。いつものように思いついたアイデアを書き溜めていく方法である。21時半帰宅。『抽象の力』を読み続ける。込み入った議論なので「10+1」の書評原稿に加えるには間に合わないかもしれない。夜半就寝。


2018年12月03日(月)

7時起床。曇りで寒い一日。8時半出社。木村と戸田に今週のスケジュールについて確認。木村は「162酒井邸」の展開図をまとめ、戸田は「163保田邸」の工事契約図面をまとめる。保田さんから細かな追加変更のメールが届いたので、戸田に図面の修正を指示し、工務店へメール報告する。14時過ぎに事務所を出て表参道駅から半蔵門線、大江戸線を乗り継ぎ麻布十番駅で下車。歩いて10分で六本木の国際文化会館に15時前到着。15時からグッドデザイン賞の金賞と特別賞の表彰式。金賞20点、グッドフォ―カス賞4賞(新ビジネスデザイン賞、技術・伝承デザイン、地域社会デザイン、復興デザイン)の各3点、ロングライフ賞16点、大賞の表彰と続く。伊東豊雄の〈台中歌劇場〉が「今年の100点」には入っているが、特別賞から外れているのに一抹の疑問を抱く。かつて僕も審査員を経験したが、審査委員会の評価が戦略的に偏る場合が多々あることは承知している。僕は復興デザイン賞を受賞した〈福島アトラス〉を代表して賞状を受け取る。同賞は千葉学と乾久美子の両氏が協力者の小野田泰明さんとともに受賞している。17時過ぎに終了後、はりゅうウッドスタジオの芳賀沼整さんと〈福島アトラス〉をデザインした中野豪雄さんに会う。会場を出て復興シンポジウムのポスターをチェック。会場に避難生活の展示を行うというコメントを追加してはどうかと提案する。引き続き隣室で会食。約2時間の食事の間に受賞者全員がコメントする。19時終了。芳賀沼さんの車に同乗し事務所まで送ってもらい19時半帰社。メディアデザイン研究所(MDR)の水野雄大さんから〈10+1website〉の2019年1月号に掲載するブックレビューの原稿依頼が届く。与えられたテーマは「1968年以降の建築理論」で、このテーマに関連する著作を2,3冊選んでレビューすることである。締切は今月下旬であまり時間はないが、興味深いテーマなので引き受けることにして承諾のメールを返信する。早速、机の上にある読み終わった本を漁り、関連した本を数冊選んで目を通してみる。2018年に出版された本という条件なので、最近読んだ本の中に候補は数冊しかない。自分が新刊ではなく著者で読んでいることを改めて確認する。21時半帰宅。ウィスキーを煽りながら今日のGD賞表彰式を振り返る。時間のデザインはロングライフ賞だけであることに気づく。応募者はアジアへ広がり、デザインの概念もソフトへと拡大しているが、〈時間〉が欠けているのが気になる。『抽象の力』を読みながら夜半就寝。


2018年12月02日(日)

8時起床。晴れのち曇りの肌寒い一日。9時出社。昨夜遅く保田さんから台所設備に関する最終結論のメールが届く。数度、ショールームに赴いて既製品とコストパフォーマンスを比較検討した結果、僕たちがデザインした「箱の家」の標準仕様を採用することにしたというメールなので、ホッと胸を撫で下ろす。綿密な比較表が添付されているのが保田さんらしい。これで僕たちの提案のコストパフォーマンスが保田さんによって検証された。と同時に台所回りが浮き上がることなく空間全体に馴染むことになるので一安心である。直ちに工務店にこのメール転送し、最終の見積書と工事契約書のたたき台を作成するように依頼する。10時に伊藤ジュニア夫妻が来所。模型と図面を提示しながら第1案の概要を説明。平面プランについては質問は少なかったが、内外の仕上げについては予想外の質問が出る。僕としてはペイント塗装仕上げを想定していたので、漆喰仕上げやクロス張りの可能性についての質問まで出たのには一瞬戸惑ったが、直ちに思い直して壁の一部に使うこともありかなというアイデアが頭を過る。アルミニウムの外壁や軒高の塀の可能性について問われたので、その場で工事費の概算を示すと、数字の大きさにやや驚いたような反応である。「箱の家2.0」の試みなので、これまでの標準仕様を根本的に再検討してみるいい契機かもしれない。じっくりと検討してもらうために模型と図面を渡して正午に終了。12時半に帰宅。緊張して少し疲れたので熱い風呂に入り疲れを解す。体が温まったのでしばらく仮眠。15時過ぎに目が覚めたのでベッドの中で読書。18時過ぎに家を出て近くの蕎麦屋で夕食。20時前に帰宅しNHKTVで特集「平成史:山一證券破綻の深層」を見る。山一証券のトップのいい加減さもさることながら、財務省官僚の無責任さにも唖然とする。そもそもバブルの引き金を引いたのは彼らではなかったか。家早何友である。

『抽象の力』を読み続ける「緒言」の冒頭の文章にドキッとする。「キュビズム以降の芸術の核心にあったのは唯物論である。すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力だった」。字義通りに解釈すれば、このマニフェストは明らかに科学的に誤りである。人間の認知メカニズムにおいて、事物が直接、精神に働きかけることなどあり得ないからである。だから、そのように「考えられ」あるいは「感じられ」たという修飾語を省いた戦術的なレトリックとして受けとめるべきだろう。本論に進むと、そのように「考えられ、感じられるようになった」歴史的経緯に関する議論が展開されている。キャッチーなレトリックとはいえ誤解を生むようなマニフェストは困りものである。


2018年12月01日(土)

7時起床。秋晴れで暖かい一日。8時半出社。「箱の家2.0」の模型がおおよそ出来上がったので、人と庭の樹木を追加するように戸田に指示。午後はHPに掲載する模型の記録写真を撮影したのちにアクリルボックスに収める。設計要旨と基本図を再度見直した上で3部プリントアウトし、明朝のプレゼンテーションの準備完了。昨夜の打ち合わせに従って木村がまとめた「162酒井邸」の設備図を最終チェック。一部修正し、説明のコメントを加えた上で酒井さんにメール送信する。合わせて機器のカタログのコピーファイルに図面3部を加えて宅急便で酒井さんに送る。13時過ぎに平井さんから電話。「160平井邸」の最終的なメンテナンス工事について承認を受けたので、その要旨をTH-1にメール送信。これで決着することを期待しよう。15時に事務所内外を掃除し15時半に解散。僕は原稿スケッチと読書。18時過ぎ帰宅。夕食後はBS旅チャンネルでシベリア鉄道特集を見る。ウラジオストックからモスクワまでの約1万キロを6泊7日で走る鉄道の旅である。昭和初期に前川國男も同じ経路でパリのル・コルビュジエの元へ向かったと聞く。上海からの女性客2人は大量のカップラーメンや果物を持参しているが、同じコンパートメントのフィンランド女性は手ブラである。旅を通して短期的なコミュニティが生まれるのが興味深い。しかしそのコミュニティもモスクワ駅のホームで霧散する。鉄道の旅はさらにウクライナのキエフへ向かい、ポーランドのワルシャワを経てクラクフへと続くが、クラクフ以外は行ってみたい気にはなれない。21時半にベッドに入り『抽象の力』を読みながら夜半就寝。


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