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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2020年04月04日(土)

快晴で暖かい一日。8時半出社。木村から「166 K邸」の詳細図、設備図、設備機器のカタログデータがメールで届いたので図面を一通りチェックする。その上でカタログデータを除いて図面を4部プリントアウトし、浴室ユニットのカタログを同封してK一家に宅急便で送る。その後K一家に図面のチェックバックの依頼とカタログデータの送信についてコメントした連絡メールを送る。界工作舎としては来週からエアアクアシステムとRC基礎の図面に着手する。敷地周辺の地盤データを調べると敷地のある深沢という地名通り小川が近くにあり低地で軟弱地盤なので地盤改良が必要のようだ。しかし枝垂桜の根を痛めないためには面的な地盤改良よりも鋼管杭の方がいいかもしれない。エアアクアシステムについてはイゼナに概算見積を依頼し再来週末までに図面一式をまとめて小川建設に概算見積を依頼する予定である。正午過ぎに事務所を解散。夕方に木村から「166 K邸」のアクアパックの床下配置と空調空気の吹出口の配置図が届いたのでチェックバックのメールを返送。同時に新型コロナ問題の終息が依然として見えないので、とりあえず来週も在宅勤務とすることを確認する。夜は『身体とアフォーダンス』を読み続ける。第敬瑤虜唾眠颪泙膿覆爐アリストテレスにまで遡った議論になりやや興味が薄れてくる。とはいえ〈生態学的〉という言葉が環境と空間を含んだ〈身体的な知〉を意味することを十分に理解できるようになった。ベンヤミンのいう〈習慣化=慣れること〉も同じように環境と空間を巻き込んだ行為のことなのである。〈機能〉概念もそのような視点から見直さねばならないと思う。身体的な行為に見られる多要素の柔軟な調整力を、バックミンスター・フラーが発見したテンセグリティをモデルに説明している点にはびっくりする。本書では言及されてはいないがマイケル・ポランニーの〈暗黙知〉とも関係があることは間違いないだろう。読み終わったらじっくり問題点を整理してみよう。


2020年04月03日(金)

朝晩はやや寒いが晴れで暖かい一日。今日は「164 U邸」の現場監理の定例日だが、僕は念のため事務所で待機し戸田が現場に向かっている。木村から届いた「166 K邸」の給排水空調図面をチェックバックして返送。さらに「165箱の長屋」の敷地分割をチェックバックして返送する。木村からまちづくり条例による計画変更の方針に関するメールが届いたので会計士の田中さんに転送する。間もなく田中さんから敷地条件と他の場所での駐車場の確保の可能性に関する返信メールが届く。昨日、戸田がまとめた「167名取邸」第3案の基本図をチェックバック。名取夫妻の変更希望をすべて取り入れただけでなく、さらに一室空間住居のコンセプトを強化した今までにない新しいタイプの「箱の家」になったと思う。与えられた条件を徹底的に分析することによって創発的なジャンプを導き出す方法の成果だが、まだ微かに宙ぶらりんの印象は残っている。おそらく南面の庇の形が気になっているからである。とりあえずこの案で提案した上で、後にじっくり考え直してみよう。15時に戸田が現場監理から帰社する。直ちに監理報告をUさんにメール送信。その後「167名取邸」第3案のアクソメ図を描くように指示。夜までにまとまったので基本図面一式と一緒に詳しいコメントを加えて名取夫妻に送信する。21時半帰宅。『身体とアフォーダンス』を読み続ける。たまたまamazonの推薦書で興味を持って読み始めたが、読み進むうちに『建築雑誌』7月号の特集テーマやブルーノ・ラトゥールのANTと関係がありそうな気がしてくる。週末には読み終わりそうなので問題点を整理して再考しよう。引き続き20年前に購入して読みかけて興味が湧かずそのまま積読になっていた『アフォーダンスの心理学---生態心理学への道』(エドワード・S・リード:著 細田直哉:訳 佐々木正人:監修 新曜社 2000)を読んでみよう。『身体とアフォーダンス』の著者の一人が訳者で頻りに引用しているからである。


2020年04月02日(木)

晴れ一時曇りの暖かい一日。8時半出社。甲府の名取さんから「167名取邸」第2案の変更希望のメールが届く。変更の目的と意図を分析して基本方針を決めて戸田にスケッチを指示する。木村から「166 K邸」の給排水図面が届いたのでチェックバックして返送する。雨水を敷地内で処理するために浸透枡を分散配置することが必要である。「165箱の長屋」については最初から計画を練り直すこととし、まずは府中市のまちづくり条例を分析してみるように指示する。昨夜から奥歯の虫歯の痛みが止まらない。歯痛が続くと気分まで滅入り何もやる気がしなくなる。鎮痛剤を服んでも鈍痛がまらないので歯科医院に電話し午後の緊急診療を予約する。14時過ぎに事務所を出て青山歯科医院へ。14時半から虫歯の治療。麻酔をかけて虫歯の神経を除去してもらうが跳び上がるような激痛が走る。何とか我慢して15時半にようやく治療完了。しばらくは微かな鈍痛が続くが徐々に消えて気分も晴れる。1ヶ月半ごとに定例診察しているのに歯科医は前もって虫歯の進行を発見できないのだろうか一抹の疑念が残る。16時帰社。引き続き「167名取邸」第3案について戸田と打ち合わせる。変更項目は、リビング吹抜の長さを1間(182僉某ばすこと、階段を箱階段としトイレの天井高をチェックすること、ダイニングキッチンの間口を半間(91僉暴未瓩謄灰鵐僖トにすること、2階子供室を一室にまとめること、2階のトイレと洗面を分けることなどを条件にプランをあれこれスタディして夕方までにまとめる。建物全体の間口が半間狭くなったので延床面積は2.5坪ほど縮まり駐車台数を4台にまで増やすことができた。南面の軒線が斜めになった初めての「箱の家」である。今夜中に第3案の平立断面図をまとめて明日チェックバックし名取夫妻に送信する予定。21時半帰宅。久しぶりにウィスキーを呑みながらニュースを見る。『身体とアフォーダンス』を読み続ける。原著が1979年に出版された『生態学的視覚論』(J・J・ギブソン:著 サイエンス社 1985)がギブソン・アフォーダンス理論の集大成なので『建築家の読書塾』(難波和彦:編 みすず書房 2015)でとり挙げたが、本書はその前の1966年に出版された『生態学的知覚システム―感性をとらえなおす』(J. J. ギブソン:著 佐々木 正人+古山 宣洋+三嶋博之:訳 東京大学出版会 2011)に関するシンポジウムの記録である。少々混み入った議論だが会話調なので読みやすい。


2020年04月01日(水)

冷たい雨が降り続く寒い一日。木村から届いた「166 K邸」の電気設備図をチェックし返送する。照明器具は必要最小限に止めコンセントは余裕を持って配置する。会計士の田中治樹さんから分倍河原に計画している「165箱の長屋」の敷地測量図が届く。第1案は最初の概要の敷地図に基づいて計画したが実際の測量図では敷地全体の寸法がかなり異なり、敷地の範囲も若干広がることになった。それに加えて4月から農地転用による開発申請に関する府中市の条例が変更され、まちづくり条例が適用されることになる。これによって前提条件がまったく変わるため、基本計画を最初からからやり直すことが必要になった。家早何友だが〈箱の長屋〉のコンセプトはそのまま適用して進める旨を木村に伝える。『建築雑誌』4月号が届く。特集は「山を考える建築・森と街をつなぎ直す」で僕の連載には「工業化木材と縦ログ構法」を書いた。最近の建築界では木造建築が盛んだが、設計者(木材の使用者や設計者を〈川下〉という)は自分のデザインを重視する余り木造建築が見直されている社会的な背景をほとんど理解していないように思える。木造建築がCO2固定という世界的な潮流によって再評価されている点に問題はないのだが、その中でとり立ててCLT(cross laminated timber)が林野庁の助成によって推進されているのは、CLT産業の資本家の圧力を受けた完全に政治的な判断であり、川下としての設計者は何も知らずに自分の興味をその潮流に合わせてCLTを使っているだけなのである。しかしそれによって日本の林業や材木業(木材の生産地や加工業を〈川上〉という)が経済的に潤っている訳ではなく、逆に搾取されている現状を川下の設計者はまったく認識していない。その要因はCLT加工と流通(これを〈川中〉という)のために原木が十分に活用されていない(原木の活用率を〈歩留り〉という)点にあるのである。僕はそのような実情を〈縦ログ構法〉の開発に携わることによって認識したので『建築雑誌』を通して川下の設計者を啓蒙しようと考えてこの特集を企画したのである。そのために木造建築の川上、川中、川下の全体に通暁している法政大の網野禎昭さんにゲスト編集者として、CLTに詳しい京大の小見山陽介さんと名大の山崎眞里子さんに担当編集委員に加わってもらった。この取材を通して僕自身も工業化木材(engineering wood)指向を考え直すことになった。『建築雑誌』の読者は川下であるアカデミズムと設計者が中心なので、是非ともその点を再認識してもらいたいと思う。要するに時流に乗って単に木造建築をつくればいいわけではなく、木材の使い方をよく考えて使うべきだということである。川島範久さんがfacebookで東工大安田幸一 東工大研究室の助教を卒業して明治大学建築学科の講師に就任したことを報告している。彼は僕の研究室出身ではないが修士論文で「箱の家」を取り上げてくれた研究者なのでステップアップを祝福したい。『10+1』websiteが3月末日で休止したことを報告している。20年間の間に僕も連載記事や出版で何度か世話になった。数少ない批評メディアだったので残念である。『書物から読書へ』(ロジェ・シャルチエ:著 水林章+泉利明+露崎俊和:訳 みすず書房 2016)の「絵画を読む」を読み終わる。ニコラス・プッサンが自作の絵画「マナ」についてパトロンに書いた手紙を紹介しながら「絵画を読む」とはどういうことかについて詳細に検討した論文である。絵画とりわけ具象画を観るときには添えられた説明文を必ず読む。その説明文は添え物のように思われているが、そうではなく絵画を理解する際の本質的な条件であることを再認識させる論文である。ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』で美術作品を観る態度を〈注視〉と〈散漫な意識〉に分け19世紀までは〈注視〉が主たる態度だったと主張しているが〈注視〉にはピンキリがあり、〈注視〉は〈熟視〉と〈読解〉によって成立していることを本論を読んで再認識させられた。逆に絵画のテーマやメッセージを読めない〈散漫な注視〉もあるのである。引き続き『身体とアフォーダンス/ギブソン『生態学的知覚システム』から読み解く』(染谷正義+細田直哉+野中哲士+佐々木正人:著 金子書房 2018)を読み始める。


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