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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2023年05月31日(水)

雨のち曇りで夕方から晴れるが肌寒い一日。9時出社。NHKラジオテキストの第10回「エコハウスの条件」の原稿スケッチを続行。〈実験住宅アルミエコハウス〉の設計条件の検討から、断熱・気密の話へ進み、日射制御、自然換気の話へと展開する。これで何とかまとめられそうだ。東京都市大学の片桐悠自さんから『メランコリーと建築』(ディエゴ・セイシャス・ロペス:著 服部さおり+佐伯達也:訳 片桐悠自:監修 フリックスタジオ 2023)が届く。片桐さんのことは『現代建築理論序説』の共訳者として知ったが、それ以前にもアルド・ロッシに関する学会論文を査読した記憶がある。昨年7月に中川純さんに頼まれて参加した東京都市大学のレクチャーと講評会で再会した。以前は東京理科大の助教だったが、最近、東京都市大学に赴任したとのこと。アルド・ロッシのことは、2019年にイタリアのモデナのサン・カタルド墓地を訪ねてから今日まで、『都市の建築』(アルド・ロッシ:著 大島哲蔵+福田晴虔:訳 大龍堂書店 1991)とともに、ずっと脳裏に焼き付いている。本書はアルドロッシに関する本格的な評伝である。早速、facebookで紹介する。
https://www.amazon.co.jp/メランコリーと建築-アルド・ロッシ-ディオゴ・セイシャス・ロペス/dp/4904894596/ref=sr_1_1?keywords=メランコリーと建築&qid=1685508890&sr=8-1
『ヨコとタテの建築論』は、第5講「自然と人工―なることとつくることは不思議な関係」を読み終わり、第6講「平衡と進化―わたしたちは想念のなかで都市建築を分解する」に進む。第5講では、ゴットフリート・ゼンパーの〈建築の4要素〉すなわち〈炉、屋根、被覆、土壇〉の説明から始めて、構法(テクトニクス)の歴史的進化が紹介され、自然と人工の対比論を経て、後方における合理論と経験論が比較検証されている。川向正人さんのゼンパー論を契機に、構法史への興味が若い研究者たちにふ広がっているようだ。


2023年05月30日(火)

曇り一時晴れの過ごしやすい一日。8時半出社。NHKラジオテキストの第10回「エコハウスの条件」の原稿スケッチを少々。〈実験住宅アルミエコハウス〉のトピックから始めて、エネルギーの話へと展開させるストーリーを考える。13時過ぎに事務所を出て、千代田線乃木坂駅にて下車。ギャラリー間で開催中の、dot architectsの「POLITICS OF LIVING 生きるための力学」展を見学する。コロナ禍が明けたので、予約なしで入場できるようになった。大阪市大にいる頃、dot architectsの事務所がある〈コーポ北加賀屋〉を訪ねたことを思い出す。古い工場か町屋をリノベーションした空間で、室内にはさまざまな設えが散在していた。展覧会は彼ら自身の仕事場や活動をすべてさらけ出したような雑然とした展示方法で、僕が大学3年生の時の5月祭に、製図室に製作した手作りの展示を思い出す。ちょっと懐かしいが、こんな展示もあり得るのかと一抹の疑問を抱いてしまうような雑然とした展覧会である。dot architectsはギャラ間の新しい運営委員による選定のようだが、明らかに建築観の世代交代を実感させる。JIA新人賞の審査で感じた疑問を再検証するような印象である。4階奥の暗室でdot architectsが制作した映画を放映しているが、これも少々幼稚な映画である。見終わって隣を見ると、偶然に佐々木睦朗さんに遭遇し、互いにびっくりする。外に出てしばらく互いの近況について話した後15分程度で別れる。佐々木さんは7月にはエドワルド・トロハ賞の授賞式に出席するためメルボルンへ出かけるそうだ。15時過ぎに帰社。『建築環境今昔』の第8章「転回」の昭和55(1980)年「設計に自由を」を読む。1960年代末の大学時代に受けた小木曽定彰の〈計画原論〉や野村豪の水に関する講義を思い出す。大学紛争の時代だったが、野村が『新建築』の連載記事「建築の性能評価」で篠原一男が設計した〈谷川さんの家 Tanikawa House〉をマイナス13点と採点したことがとり挙げられている。篠原もこの採点を逆手に取って話のネタにしていたらしい。当時は、建築デザインにとって環境の問題は対して重要と考えられたなかったからだろう。しかしポンピドゥセンターが完成したこともあって、大学院の環境講座に進学するデザイン志望の学生も数人いた。とはいえ現在でも、建築デザインにとって環境の問題はあまり重視されていない。少なくとも篠原の住宅に関連して、野村の当時の記事がとり挙げられることはない。その意味で、本書の富樫の指摘は貴重だと思う。
https://artsticker.app/works/10380
https://casabrutus.com/categories/architecture/119514


2023年05月29日(月)

小雨が降り続く肌寒い一日。8時半出社。松江の〈箱の家169〉のK夫妻から、先日送った1年検査の打診メールに対する回答が届く。夏季の空調調整を確認してもらいたいので、7月下旬からお盆前の間に来て欲しいと依頼される。できるだけ早く行くため7月下旬に行く旨を返信し、空調の操作マニュアルをより詳細に再編集する。NHKラジオテキストの第9回「集まって住む」の原稿を再読し一部だけ削減校正してNHK出版編集部に送信する。引き続き第10回「エコハウスのh条件」のスケッチを続行する。『ヨコとタテの建築論』は、第4講「類型と組織―都市という織物の単位と積層」を読み終わり、第5講「自然と人工―なることとつくることは不思議な関係」に進む。第4講では、イタリアのティポロジア(類型学)の基本となる建物類型、コルテ(中庭)型、外庭型、スキエラ(町屋)型、トーレ(塔)型が紹介され、それらが集合してアーバン・ティシューが形成される経緯が紹介される。その上で、建築と都市の関係について論じたコーリン・ロウの『コラージュ・シティ』、ロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』、アルド・ロッシの『都市の建築』が紹介され、都市の集合的記憶を担うロッシの〈都市的創成物〉について詳細に論じている。この辺りには新しいs知見はない。気分転換に『建築環境今昔』の第8章「転回」の昭和52年「設備の実体」を読んでみる。ハイテック建築の嚆矢であるポンピドゥー・センター(1977)は、完成当時は建築環境学者にほとんど注目されなかったことが明らかにされ、レイナー・バンハムの『環境としての建築』や僕の『ハイテック・スタイル』(SD誌)をとり挙げて、建築家の考える設備システム表現が、環境学者からみると的外れであることが批判的に指摘されている。家早南友。19:30からNHK〈クローズアップ現代〉で〈空家問題〉がとり挙げられ、横浜市立大学の齊藤広子さん(都市社会文化研究科 都市社会文化専攻 教授)がインタビューを受けている。〈なんとなく空き家〉は齊藤さんの命名で、クリティカルな状態ではないので、とりあえず放置されている空き家を〈なんとなく空き家〉と呼ぶそうである。不動産学が専門の齊藤さんとは、放送大学の取材で2013年に一緒にイギリスとフランスに行ったことがあるので懐かしく視聴した。〈なんとなく空き家〉は全国で350万戸、世田谷区だけでも5万戸あるという。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023052929800?t=99&fbclid=IwAR2-UPWxHfEI4auK29EwdmiSOZRMnpJ710TTUnc5LGzx2n4ER1wi6ksbqDw


2023年05月28日(日)

曇り一時晴れの過ごしやすい一日。10時出社。昨日は色々なことがあり、建築環境学者の富樫さんから興味深い本をもらったので書くことが多くて午前中一杯をかけて日記をまとめる。昼に一旦帰宅すると、BSTV特集でパリ南東の〈フォンテンブロー宮殿〉の歴史を紹介する番組を放映しているので見入ってしまう。16世紀のフランソワ1世による創建から始まり、ウィーンからフランス王室に嫁いだがフランス革命で斬首されたマリー・アントワネット妃、ヨーロッパ皇帝をめざしたナポレオン・ボナパルトを経て、スペイン貴族から嫁いだナポレオン3世夫人のウジェニー・ド・モンティジョに至る居住の歴史が、彼らのコレクションを含めて詳細に紹介される興味深い番組である。僕は1979年に一度訪問したことがあるが、これほどの歴史の集積があるとは知る由もなかった。それぞれの居住者が、強大な宮殿のあちこちに自らの足跡を残しているが、フランス革命で略奪されたにもかかわらず、後にコレクションが復元され保存されていることは驚異である。『ヨコとタテの建築論』は、第2部「ヨコにひろがる海原」の第4講「類型と組織―都市という織物の単位と積層」を読み続ける。第4講はイタリアのティポロジア(類型学)の説明から始まる〈形の生命〉の話である。21時からNHK特集「短歌から見つめる、“コロナ明けの春”を生きる人々」を観る。コロナ禍の中でSNSを通じた短歌ブームが生じているらしい。俳句ではなく和歌であることに意味があるようだ。というのも短歌は最小の物語であり、かつ連歌のように長大な対話物語に拡大することもできるからである。思えば、大学生時代に読んだ野坂昭如の『火垂るの墓』はすべて5-7-5の連なりで書かれている。1968年の夏季休暇に東京から鹿児島行の寝台列車で故郷に帰る車内で読んで、野坂の文体に衝撃を受けたことを懐かしく思い出す。そのせいか、ジブリの映画『火垂るの墓』は今でも僕は正視できない。
https://www.youtube.com/watch?v=a70_pcO-DCg&t=32s


2023年05月27日(土)

晴れでやや暑い一日。9時出社。10時に界工作舍OBの戸田剣さんが来所。アルバイトで界工作舍HPの修正と事務所の改装図面の清書を依頼する。HPの新しい情報母データを送り、改装図面のスケッチについて詳しく説明する。何度か打ち合わせをくり返しフィードバックして16時半過ぎに完了。基本的な仕様は理解してもらったので、展開図、断面図、天井伏図は在宅で描くように依頼し、17時に終了。工学院大学教授の富樫英介さんから『建築環境今昔』(富樫英介:著 工学院大学 富樫研究室 2023)が届く。本書については中川純さんから聞いていたで、彼から富樫さんに連絡が届いたのだろう。富樫さんとは『建築雑誌』の座談会で一緒したことがある。中川さんと同じく、実務の経験もあるユニークな視点を持った環境研究者である。本書には、明治時代以降の建築環境に関する主要なトピックスが網羅されている。レイナー・バンハムの『環境としての建築』を越える、近代日本の環境設備史学の嚆矢となる労作である。じっくりと読んでみよう。
https://www.amazon.co.jp/建築環境今昔-富樫英介/dp/4990890833/ref=sr_1_1?crid=16J3PPFUW28QY&keywords=建築環境今昔&qid=1685164765&sprefix=建築環境%2Caps%2C277&sr=8-1
「まえがき」を読むと、環境研究者が持つべき歴史観について的確な指摘が見られる。建築家も著者の「まえがき」を熟読すべきだろう。冨樫はこう書いている。「歴史観は、二つの段階を経て築かれると筆者は考えている。一つ目の段階は歴史的事実の把握であり、二つ目の段階は歴史的事実を踏まえた世界観の醸成だ。建築意匠分野に比較すると、建築環境分野の人間は歴史観に乏しいように思う。この歴史観の欠落が許されてきた最も大きな理由は、我々(以下、本書では、筆者を含めて建築環境分野に身を置く同胞たちの意味で「我々」という語を使う)が専門とする建築環境という分野が、狭い意味では技術に属していたためだろう。明治維新を一応の区切りとして、それ以降の我々の歴史を俯瞰すれば、基本的には技術は変化を続けてきた。だからこそ、発展する技術へ追従し続けるだけでも一応は身を立てられた。このため、その視線の先は現在または近い将来にとどまり、長い歴史の輪郭を手がかりに現在から遥か将来を展望するという動機は少なかったように思う。建築意匠の分野では既に明治二〇年代から建築史という研究が始まり、近代以前の日本建築との連続性という問題に頭を悩ませてきたこととは対照的と言って良い。ところでこのような技術一辺倒の振る舞いが今後も続けられるのかと問われれば、我々の多くは不安を覚えるところだろう。この分野でいくらかの時間を過ごした者ならば気がついているように、我々が普段、自由な活動を繰り広げるための拠り所としている技術の発展は、実のところは相当に飽和していて、ほとんど停滞とみなし得る動きしかみせていない。このことは、多少なりとも歴史を知り、時間に対して相対的な視点を持てば、さらにはっきりと認識される。技術の進展が我々の外部から我々の存在を肯定してくれるような幸せな状況は、早晩、失われることを覚悟しなければならない。これは、我々が錦の御旗として掲げがちな地球環境問題についても同じだ。我々を支える根拠を外部に求めることは、強靭なようでいて、実は脆い。この段階に至れば、いよいよ我々は建築環境に取り組む意味を我々自身の内側から探し出す必要に迫られることになる。そして、このときに最も有力な手がかりとなるものは歴史観だろう。そもそも我々の専門分野は、究極的には人間の感性を相手にせざるを得ないという意味で、歴史に学ぶべきことの多い分野だ。これは、例えば建築構造が、建物の強さという相当に強固な自然科学的評価指標を持つことと大きく違う。我々が生み出す建築環境を最後に評価する主体は人間で、この人間というものは気儘で矛盾している。だから愛しい。人が表す評価は、我々が普段、安直に使うことの多い「最適値」などという概念ではつかめないということは再認識しなければならない。だからこそ、我々が建築環境に取り組む意味を自身の中に形作るためには、矛盾を抱えた人間たちの葛藤の記録である「歴史」を手がかりにするしかないと思われるのだ。本書は、以上の問題意識を踏まえて執筆した建築環境の歴史書だ。明治元年を起点とし、平成に至るまでの一〇〇年あまりの歴史を編年体で綴った。ただしこれは明治以前の歴史を軽視したものではない。むしろ本来であれば、人間と社会が持つ連続性を浮かび上がらせるべきは、このように外形的に技術的断絶が観察される時期なのだろう。つまり、明治以降を題材としたのは、単純に筆者の力不足が原因だ。本書では図や数式の類は使わず、数量の直接的な記載もできるだけ避けた。このような歴史的事実についての資料は充実したものが既に多数、存在するためだ。筆者は第二段階の歴史観こそが我々の分野に最も不足していると考えている。この段階では、数量に頼り、年号を暗記するような歴史理解の態度は、多くの技術者にとってむしろ害になるだろう。また、建築環境分野のみを微視的に探索するのではなく、環境を含む建築全体や社会まで俯瞰するように努めた。この重層構造の中で、各時代で先人たちが何を考え、どのように生きたのかについて思いを馳せたいと思う」。蓋し名言である。『ヨコとタテの建築論』は、第3講「相対と絶対―数と幾何学の魔法」を読み終わり、第2部「ヨコにひろがる海原」の第4講「累計と組織―都市という織物の単位と積層」に進む。第3講では、数をテーマとしてギリシア建築からローマ建築への展開を、大理石からレンガ+モリ樽の構法的展開に結びつけて、後者の数的展開を検証している。建築における様式の自由な展開がレンガとモルタルによってもたらされた経緯が興味深い。


2023年05月26日(金)

曇り一時晴れの過ごしやすい一日。9時出社。10時に界工作舍OBの中川純さんと栃内秋彦さんが来所。それぞれの近況についてしばらくの間は四方山話。中川さんに会うのは、昨年の東京都市大でのレクチャーと講評会以来なので、その時の話題で盛り上がる。その時には栃内さんも同席していた。最近は研究室でさまざまな委託研究に取り組んでいるそうだ。昨年度の前田財団研究助成の申請が受理されたので、その研究にも取り組んでいるとのこと。長女が早大建築学科に入学したことは喜ばしい出来事である。ロケット・コンテストの世界チャンピオンなので将来が楽しみである。栃内さんは、先頃、応募した教員公募の書類が正式に受理されたので、次は教授会で自己PRのプレゼンテーションを行うそうだ。東京都市大以外にも、いくつかの大学で非常勤講師の仕事も始まっているようなので、頑張ってもらいたい。引き続き、本題の僕の喜寿の会について打診を受ける。界工作舍OB・OG、大阪市大と東大の難波研究室OB・OGの何人かからも開催の希望があるそうだ。大変ありがたい申し出なのだが、僕の気分としてはあまり乗り気ではない。というのも最近は同世代の友人からも喜寿の祝賀会の招待があるが、どれも出席する気になれないので辞退しているし、野沢正光さんの死にも衝撃を受けているので、今更自分の年齢を祝う気にはなりにくい。界工作舍の経営状況も順風満帆ではなく、事務所を娘一家の住まいに改装する計画も検討中なので、課題が山積している。どれもが前向きというよりもどちらかといえば後ろ向きに近い仕事である。そうした現在の一連の事情について話しているうちに13時近くになってしまう。二人には年寄りの長話と感じさせたかもしれない。納得してもらうには理由をしっかり話さねばと思うと、自ずから話が長くなってしまう。家族とも相談させて欲しいと頼んで13時に解散。その後しばらくの間は、窓の外を眺めながら呆然として過ごす。窓から見える隣家の白樫の緑が西陽を浴びて白く輝いている。白樫はアルミエコハウスの中庭にも植えたが、常緑樹で成長が早い。隣のマンションのベランダからの視線を遮るために植えてもらったのだが、17年も経つと視線だけでなく日射も遮るまで繁茂し、部屋がやや暗くなっている。色々な問題が一気に脳裏に浮かび、原稿にも読書にも取り組む気になれず、iMacでfacebookやYouTubeをザッピングして過ごす。夕食後、ウィスキーのロックを煽りながら『ヨコとタテの建築論』の再読を始めるが青井さんの思考についていけない。大学院生向けの建築論だとしても、いささか論理が迂回し過ぎているように思える。


2023年05月25日(木)

曇り一時晴れの過ごしやすい一日。8時半出社。直ちに事務所を出て青山の銀行へ。雑用を済ませて9時半過ぎに帰社。〈箱の家141〉のOさんに紹介された工務店はメールのやり取りをしないので、直接電話した上でファックスにてファサード看板のスケッチを送る。まもなく返信電話が届き、看板のサイズについて確認されたので、図面に寸法を描き込み、再度ファックスで送信した後、金物、ガラス、電気の協力業社と相談してみる旨の返信電話が届く。11時過ぎに事務所を出て外苑前近くまで歩き、ブラジル大使館で開催中の〈リナ・ボバルディ展〉を観る。今日が最終日なので館内は沢山の人で賑わっている。かなりの数の椅子が展示されているが、折たたみ式の木製椅子〈フレイ・エディジオ・チェア〉の洗練されたシルエットに目を惹かれる。他の木製椅子もモダンだが、やや鈍重なデザインであるのに比べて、機能性と工業生産性が優れている。午後、真壁智治さんから電話が入る。野沢正光さんの追悼文執筆について再度の打診である。原稿用紙で8〜10枚、締切は6月末で指定される。ハテサテどうしたものか、頭を抱える。NHKラジオテキスト第10回「エコハウスの条件」のスケッチ続行。ゼロエネルギーハウスなどの最新技術よりも、住まいの基本的なエネルギー条件について書く方針で進める。気分転換に『憧れの住まいとカタチ』を抜き読みする。山本里奈の「都市の住まいと暮らしから〈あこがれ〉を考える」は、最近のタワーマンション、1950年代の住宅公団の〈阿佐ヶ谷住宅〉、成城のまちなみをとり挙げ、多木浩二の『生きられた家』を参照しながら、時間をかけて醸成される〈日常景観〉の重要性について論じている。アメリカのレヴィットタウンの建売住宅群が、建設当初は批判的にとらえられていたが、現在では豊かな住環境を形成していることを連想する。とすればタワーマンションでは時間が刷り込まれる余地はあるだろうか。著者の山本には、その条件をこそ検証してほしいものである。小泉雅生の「あこがれの対象としての環境配慮住宅」は、藤井厚二の〈聴竹居〉の環境制御システムから説き起こし、小泉の自邸〈アシタノイエ〉、小泉がデザインしたZEH〈創エネハウス〉、ライフサイクルカーボンマイナス・デモンストレーション棟〈LCCM住宅〉、〈エネマハウス〉など一蓮のエコハウスを紹介している。伏見唯の「住人の住居史・抄」は編集者の中原洋さんのインタビュー記録である。中原さんには『意地の都市住宅』で〈柳井の町家〉をとり挙げてもらった。『TOTO通信』では何度か取材を受けたこともある。建築関係の編集者でありながら、自邸を建築課に依頼した目利きの編集者である。NHKラジオテキストの大いに参考になる著書である。


2023年05月24日(水)

ピーカンの晴れで、やや風が強いが清々しい一日。8時半出社。10時に事務所を出て、表参道経由で青山の銀行へ。欅並木の木漏れ陽が気持ち良く、散歩に最適の日和である。振替と記帳を済ませて青山通りを通りキラー通りへ回って少し遠回りし11時前に帰社。〈O 医院看板〉ファサードスケッチを描き、Oさんから聞いたサイン会社の担当者にスキャンデータを送信する。まもなく電話が入り、僕のスケッチのようなサイズの大きな看板は自社では対応不可能なので工務店に頼んで欲しいと言われる。看板のガラス・サイズがやや大きいので恐れを成したらしい。夕方、Oさんにスキャンデータを送信し感想を尋ねると、気に入ってくれたようなので一安心。明日、工務店に相談してみよう。編集者の伏見唯さんから『憧れの住まいとカタチ』(住総研 あこがれの住まいと暮らし研究委員会:編 建築資料研究社 2023)と『ディテール No.235 2023冬季号』(彰国社 2023)の2冊が届く。前者は〈あこがれ〉が問題になる理由がイマイチ理解できないので、社会学者、山本里奈の「都市の住まいと暮らしから〈あこがれ〉を考える」、小泉雅生の「あこがれの対象としての環境配慮住宅」、伏見唯の「住人の住居史・抄」を読んでみよう。後者は、木造民家、近代の名建築、デジタルファブリケーション建築の時代で異なるディテールの様相に関して、伏見さんと門脇耕三さんが、それぞれの専門家と話す座談会である。『ヨコとタテの建築論』は、第2講「形態と内容―地上の幻」を読み終わり、第3講「相対と絶対―数と幾何学の魔法」に進む。内容(=Substance)形態(Form)との関係が、S→Fとしてとらえられ、時代によって変化・増加するSに相応しいFの追求を土居義岳の〈デコル論〉にもとづいてとらえ、幻視絵画によってこの図式が逆転してF→Sとなる論理を説明している。青井がいいたいことはわかるのだが、わざわざなぜそのような説明をとるのかが理解しにくい。形態の自律性は、アンリ・フォシオンが『形の生命』で、ジョージ・クブラーが『時のかたち』で論じているのではないか。彼らとは違った説明の仕方をしたいだけなら、とりあえず読み続けるしかない。青井が指摘する、幻視絵画がよって立つ「形態には否定系が存在しないという」テーゼも、すでに表象記号論が明らかにしている命題である。


2023年05月23日(火)

雨が降り続く肌寒い一日。9時出社。NHKラジオテキスト第9回「集まって住む」の原稿の校正と縮減作業を続ける。昼までに18枚に縮減して完了。引き続き第10回のテーマについて検討する。当初のプログラムでは、近未来の住まいのあり方について書く予定だったが、その問題については、これまでのテーマの中で分散的、散発的に書いてきたので、重複するのを避けるため考え直し、住まいの儀式性やエネルギー条件について書いてみようと考え直してスケッチを開始する。O医院の看板工事のイメージがまとまったので、看板の制作条件について打ち合わせを持ちたい旨の依頼メールをサイン工事業者に送る。TH-1からメールが届き〈箱の家039〉の床デッキ工事が追加になったので、改めて工事契約を締結することになる。工事日程についてTさんともメールをやり取りした結果、6月10日(土)にすることで決定する。僕は前日にパラペット工事をチェックし、工事当日は完了検査を行う予定とする。『ヨコとタテの建築論』は、第1部「ヨコとタテ」の第1講「互換と累進」を読み終わり、第2講「形態と内容」に進む。第1講のテーマは〈類推:アナロジー〉である。人類の表現の根底には類推の力があるという点から説き起こし、第2講の〈表象:リプリゼンテーション〉の問題へと展開する。洞窟絵画が類推の産物だという説明は、分かったようで分からない。 洞窟絵画の時点で既に表象の問題に入っているからである。青木さんの思考の構造というか文脈は、僕とはちょっとズレているようだ。ネットで、5月10日から8月7日まで、パリのポンピドゥーセンターで〈ノーマン・フォスター回顧展〉が開かれていることを知る。ポンピドゥーセンターの改修は2025年に延期されたようだ。以前、森美術館でフォスターの模型展が開催され、僕は関連講演会に参加したが、それ以上に大々的な展覧会である。会場にブランクーシの彫刻が併設されているが、なぜだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v= K9OAWA0aZkY
https://www.youtube.com/watch?v=XHrbZOYVOE4


2023年05月22日(月)

晴れのち曇りのやや蒸し暑い一日。9時出社。10時過ぎに事務所を出て、歩いて5分で予約した診療所へ着く。新型コロナワクチンの6回目の接種である。僕が最初の患者なので、直ちに接種を受け、その後15分ばかり椅子に座って待機。僕の後に数人の接種者が続く。11時前帰社。〈箱の家141〉のOさんから、医院の看板関係の工事業者の連絡先の名刺が届く。建築工事と看板工事が分かれているが、工事区分がよく分からないので念のため確認メールを返送する。O医院看板工事だけでなく、界工作舍のHPの修正や事務所の改装など、いくつかの仕事が溜まっているので、界工作舍OBの戸田さんにアルバイトを依頼するメールを送る。今週末にも可能なので、その旨を依頼し、準備を始める。TH-1から〈箱の家039〉のベランダ・パラペット工事の写真が届く。先週末までに、ベランダの水張り試験、パラペットの立ち上がりと笠木工事までは完了したので、デッキ床工事の着手時に立ち会う旨の連絡メールを送る。午後はNHKラジオテキスト第9回「集まって住む」の原稿の縮減作業。削減と縮減部分についてあれこれ考えを巡らせる。夕方、何となく熱っぽくなってくる。ワクチン接種の副作用だろうが、気にせず作業を続けていると、頭が朦朧としてきたので早めに帰宅。今日もG7のニュースで持ちきりだが、NHKを除くと成果についてはどの局も批判的である。日本を含めてG7諸国の対ロシア、対中国のスタンスは少々異常に思える。会議の結果は〈大山鳴動して云々〉という感じである。


2023年05月21日(日)

曇り一時晴れのやや暑い一日。8時半起床。昨日のA/B会の打ち上げで少々呑み過ぎたので、軽い二日酔い気味。ゆっくりと朝食を摂り、昼前に出社して昨日の日記をまとめる。記憶を整理しているうちに、A/B研究会のYouTubeがアップされていることに気づき、2倍速で通して観る。考えていたことを思い出しながら自分の発言を見るのは不思議な感覚である。総じて喋りながらまったく別のことを考えていることを思い出し、あまり気分が乗っていないことが見て取れる。準備のためにリストアップしていたトピックスは半分も喋れなかった。布野さんの度々の介入で、議論がどんどんズレていったからである。その反動で打ち上げ会ではしたたか呑み記憶を失った。『世界建築史15講 連続セミナー19』江本弘〈固有名詞と世界史:ラスキン、カツラ、エクストラ〉がYouTubeにアップされたので、聴講した前半の江本さんの講義をとばし、後半のディスカッションから観る。青井哲人さんのコメントに布野さんが介入して以降は、議論が錯綜していったので、途中で視聴を中止する。布野さんは幅広い自分の知見に議論をすべて引き寄せてしまうので、若い人は議論から身を引いてしまうようだ。青井さんのコメントが的確だったので、思い立ってamazonから届いた『ヨコとタテの建築論―モダン・ヒューマンとしての私たちと建築をめぐる10講』(青井哲人:著 慶應大学出版会2023)を読み始める。冒頭のラスコーの洞窟絵画の話題から、いきなりカントの〈超越的〉と〈超越論的〉の概念の相違や、〈自己言及〉や〈再帰性〉の概念が出てくるのでビックリする。本書は東京藝大での講義をまとめたものだそうだが、聴講生はおそらく最初はチンプンカンプンだったのはないだろうか。16時過ぎに帰宅し、TVでG7会議やウクライナから来日したゼレンスキー大統領の演説中継を観る。アメリカが国を挙げてウクライナを援助しているのは、単なるロシア対抗策ではなく、エマニュエル・トッドが指摘するように、NATOを通じた間接的なEU(ドイツ)支配が目的なのかもしれない。夜はNHK特集〈国家主席 習近平〉を観る。習近平は今年で70歳だが、30歳代には文化革命の粛清を受け、20年間、農村で冷飯を食っていたらしい。40年分の膨大な習近平語録を辿りながら、彼の思想形成を辿った興味深い番組である。


2023年05月20日(土)

雨のち曇りの過ごしやすい一日。9時出社。昨夜『汎計画学』を読み終わったが、7-4節「白い〈ファクト〉と黒い〈ファクト〉」とエピローグ「〈社会主義リアリズム〉の方へ」が気になるので、再度、読み直した上で日記をまとめる。本書全体のうち、興味を惹かれたのは約6割で、残りの4割は〈汎計画論〉としては瑣末で不要ではないかと感じた。レーニン、トロツキー、マヤコフスキー、シクロフスキー、メイエルホリド、エイゼンシュテインといった人たちの活動には興味を惹かれたが、最大のトピックは、やはりワルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』とロシア革命との関係である。僕はこの本を、写真や映画といった新しいメディアの出現が芸術享受の仕方に与えた歴史的な影響という視点で読んだが、そこにはロシア革命という社会転換という歴史的状況の中でのベンヤミンの芸術家たちとの交流と経験が大きく影響していることが明らかにされている。〈アウラ〉は消失したのではなく、質が変わったのである。昼食後、13時過ぎに事務所を出て、表参道駅から千代田線で御茶ノ水駅にて下車。地上に出ると、JRお茶の水駅一帯は雑踏のようである。西に向かって歩き、明大通りを南へ下り、とちの木通りの交差点を右に折れて緩やかな坂を登った所にある〈レモンビル パート2ビル〉の5階のAF=Forumへ13時45分に着く。既にコーディネーターの布野修司さん、建築家の工藤浩平さん、工藤事務所のスタッフ立石遼太郎さんが待機している。まもなく安藤正雄さん、司会の小笠原正豊さん、ゲストコメンテーターの平岩良之さんも到着したので、14時から第30回アーキテクト/ビルダー研究会「これからを担う若手建築家の活動と実践Α廚魍始する。小笠原さんは工藤浩平さんを、こう紹介している。「日本経済が停滞する中、若手建築家たちは従来「設計」と見なされてきた業務範囲を超え、自分たちの領域を拡張している。中でも工藤浩平建築設計事務所は「造り方」を積極的にマネジメントすることによって、限定された予算のもと社会に問いかける建築を試行している。緊張感と抽象性の高い空間が印象に残る工藤らの作品が、実はシビアなコストコントロールのもと実現していることはあまり知られていない。建設会社を営む実家のリソースを活用しつつ、時には自身で分離発注を行うなど発注方法を工夫し、コストとスケジュールの厳格なコントロールのもとプロジェクトを実現させる。工藤らが試みる〈造り方〉のマネジメントとは何か。設計と施工の境界を行き来することから生まれる可能性とは何か。2022年日本建築学会作品選集新人賞に輝いた作品「プラス薬局みさと店」を含む数々の実践の解説を踏まえながら、大いに議論を交換したい」。まず工藤さんが、以前勤めていたSANAAで担当したコンペや独立後の住宅や薬局の建築について、構法やコストのスタディを含めたプラクティカルなデザインプロセスを、手書き文字と写真のスライドで説明していく。
https://www.youtube.com/watch?v=LnsYK9bm_10
あらかじめ作品資料を送ってもらっているので、形態や空間よりも構法とコストコントロールの仕方に注目しながら観る。構造デザインは平岩さんが担当しているためか、鉄骨造のフレームと構法は部材サイズや仕様が〈箱の家〉によく似ている。コストを抑えるために外壁下地に間仕切り用の軽量鉄骨を使っているが、その間にグラスウール断熱材を差し込んでいるため熱的性能はやや不完全に思える。しかしながら〈MUJIHOUSE〉の断熱構法も、コスト抑制のために、現在は在来構法に戻っているから、結局のところコストは現行構法と職人の人件費から決まるので、やむを得ないともいえるだろう。話はかなり細かな構法の問題にまで入り込んでいくので、僕としてはあまりコメントする気にならないが、空間のプロポーションと構法と部材サイズの三者を結びつけようとする工藤さんのスタンスからは、最近の建築家全般には見られない懐かしいが新鮮なスタンスを感じる。その点がこの会の最大の発見かもしれない。その話題を拡大しようと考えたが、布野さんが一挙に話題を転換したところで鼻先を挫かれ、その後はコメントする気をが失せたので、平岩さんにバトンタッチする。最後に小笠原さんから若い建築家へのメッセージを求められたので、工藤さんのスタンスをモデュラー・コーデネーションの話に結びつけ、構法と機能の不可分性について話し、構法研究者に対する間接的な批判で締める。18時過ぎに終了。缶チューハイで乾杯し、しばらく雑談した後、19時前に会場を出て、御茶ノ水駅方向に歩き、途中の西洋居酒屋で打ち上げ会。赤ワインをたっぷり呑んでいい気分になり、布野、安藤と雑談。何を話したかはよく覚えていない。22時半頃に店を出て、安藤さんに支えられて千代田線の御茶ノ水駅まで歩くが、その後の記憶は消え、気がついたのは帰宅した23時過ぎ。そのままベッドに倒れ込む。


2023年05月19日(金)

曇りのち雨の肌寒い一日。9時過ぎに事務所を出て表参道駅から銀座線で渋谷まで行き、井の頭線に乗り換えて10時15分前に高井戸駅着。銀座線ホームから井の頭線への連絡通路は相変わらず遠いが、駅ビルが解体されてからは、ずっと分かりやすくなっている。高井戸駅から歩いて直ぐ、10時にO医院に着く。〈箱の家141〉の建主のO院長からの依頼は、医院ファサードの改修である。建物に張り付けられている看板と建物前に立つ看板塔を取り替えたいそうだ。内装は2年前に改装して新しくなっているが、ファサードと看板塔はかなり古くなってくたびれている。どのようなイメージを希望しているかを聴いた上で、平面図と立面図のコピーを貰い、O夫人の案内でファサードの写真を撮る。11時にお暇して12時前に帰社。図面をスキャンし、写真を見ながらイメージを膨らませる。前面道路は環状7号線で夜も交通量が多いので、夜間も目をひく分かりやすいサインになるような看板がいいだろう。午後はNHKラジオテキスト第9回「集まって住む」の執筆を続行する。とりあえずコンパクトシティまでを書き終わるが、地域社会圏が長くなったので22枚にまで膨らんでしまう。来週、もう一度読み直して削減しよう。『汎計画学』は、エピローグ「〈社会主義リアリズム〉の方へ」と「あとがき」を読んで読了。エピローグでは、ワルター・ベンヤミンのソヴィエトーロシアに対する両義的な態度、『複製技術時代の芸術』や『パッサージュ論』におけるアヴァンギャルドと社会主義リアリズムに対する錯綜したスタンス、『複製技術時代の芸術』における結論、すなわちファシズムの〈政治の耽美主義〉に対する共産主義の〈芸術の政治主義〉の対置の意味の両義性が、アヴァンギャルドに対してトロツキーが採った態度や、ブレヒトの思想と比較しながら検証されている。本節のテーマは、社会主義リアリズムが美学的現象なのか政治的現象なのかを決定することはできないという決定不能性であり、イデオロギーと美学が渾然一体化していることの確認である。これは八束が翻訳したマンフレッド・タフーリの一連の著作でも問われていた問題でもある。タフーリはイデオロギー(思想)を建築に表現することはできない。イデオロギー的な批評(操作的批評)だけが可能である、と結論づけたのだが、八束の本書は、その問いかけを再び宙吊りにした感じである。3月末から読み始めて、ほぼ毎日1節ずつ読み、その都度、日記にレジメをまとめることをくり返し約6週間かかった。本書がカバーしているのは、1917年のロシア第一革命から第一次五カ年計画が完了し、スターリンによるトロツキー一派の排除によってスターリン体制が確立する1930年代初期までの短い期間で、その間のソヴィエトーロシアの政治と芸術の関係を詳細に辿った内容である。そのための詳細な文献調査にはホトホト感心するが、八束のその努力を支えていた根拠は一体何だったのかが最大の謎である。僕にとっては、ワルター・ベンヤミンの両義的な思想が、時代の縮図でもあったことを知ったことが、最大の収穫である。とはいえ『複製技術時代の芸術作品』の有名な結語については、僕はあまり興味を持たず、八束が指摘するような問題は抱かなかった。


2023年05月18日(木)

今日も晴れで暑い一日。夜は曇りになる。8時半出社。今週末のアーキテクト/ビルダー研究会のトピックスを再検討する。現在ギャラリー間で開催中のdot architectsの「POLITICS OF LIVING」展との関連についても考えてみる。NHKラジオテキスト第9回「集まって住む」の執筆を少々。職住近接と地域社会圏について書いたところで17枚を越える。最後はコンパクトシティだけなので、来週に再度読み直して思い切り縮減しよう。Microsoftから Microsoft 365 Personal のサブスクリプション料金が6月1日から値上げされる旨のメールが入る。これまでスタッフ用と難波個人用の2通りを登録しているが、スタッフ用は不要になったのでキャンセルしようとするが、そのために界工作舍のアカウント復元を何度トライアルしてもうまくいかない。先方は安全のためというが、これではキャンセル不能といっているに等しいので悪意を感じる。家早南友。『汎計画学』は、7-4節「白い〈ファクト〉と黒い〈ファクト〉」を読み終わり、エピローグ「〈社会主義リアリズム〉の方へ」へと進む。7-4節では、社会主義国というイデオロギーの宣伝のために、フォトモンタージュを使ったポスター、小説家(作家)によるルポルタージュ、映画といった新しいメディアが果たした役割についての詳細な検証である。とくにエイゼンシュテインの映画については詳細な検証が行われている。これはワルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』で論じたテーマでもある。マンフレッド・タフーリの〈操作的批評〉や思想と建築の関係に関する主張、さらにはハンナ・アレントを引用しながら山本理顕が主張する、社会システムと空間の相互作用へとテーマ連想が広がって行くが、この問題については、エピローグを読み終わってから考えてみよう。


2023年05月17日(水)

今日もピーカンの晴れで夏日の一日。8時半出社。10時に田中会計士が来所し、松江の〈箱の家169〉の1年検査を依頼される。K夫妻はこの冬は問題なく過ごしたしたようだが、夏の結露の可能性について心配しているとのこと。昨年4月末に竣工引渡したが、その後徐々に暑くなったので、空調機の温度設定を除湿モードに設定したらしい。除湿モードの吹出気温は、通常の冷房モードよりも低いため、床下チャンバーの温度が設定温度以上に下がり、1階個室天井のデッキプレートに結露したのである。そのため1階個室に天井を張りたいと要請されたが、天井の輻射冷暖房の効果がなくなると設計意図遠説明して反対したが、十分に納得してもらえなかった。竣工引渡時には竣工図に〈箱の家の生活マニュアル〉を綴じ込み、季節毎の空調機の温度設定と換気法について詳細に説明したのだが、十分に伝わらなかったためである。K夫妻は年配なので、生活マニュアルを読み込むことが面倒だったのかもしれない。いずれにしても結露問題をいまだに気にしているようなので、現地に赴き説明して欲しいとのことである。直ちにK夫妻と建設会社に、検査の旨をメールする。まもなくK夫人から返事が届き、Kさんは現在出張中なので、改めて連絡するとのことである。ネットのDEZEENで、今年のベナチア・ビエンナーレにノーマン・フォスターがデザインしたEssential Homes Research Projectを発見する。一見すると、形は石山修武の〈幻庵〉と見紛うようだが、構法と性能は全く異なっている。 屋根に厚いフェルトのような材料を使っているが、一体何だろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=q5kSaNYXswo
『汎計画学』は、7-3節「解体から回帰へ」を読み終わり、7-4節「白い〈ファクト〉と黒い〈ファクト〉」へ進む。7-3節の最後では、1931-33年に開催された〈ソヴィエト・パレス〉設計競技の詳細な経緯が紹介されている。最終的にボリス・イオファンの案が当選し、鉄骨造によって実施設計が進められ、アメリカの技術援助によって建設が始められる。しかし基礎部分の工事の途中で第二次世界大戦が始まったため、工事は頓挫し、ソルジェニーツィンがいうところの、モスクワの中心における〈空間の儀式化〉は完全に失墜する。この辺りを読むと、僕たちがかつて学んだロシア建築史が、ヨーロッパ側から見た歴史に過ぎないことがよくわかる。したがって本書の意義は、その相違を明らかにした点にもあるように思う。


2023年05月16日(火)

ピーカンの晴れで昼間は暑い一日。8時半出社。9時に事務所を出て表参道駅から千代田線、小田急線で豪徳寺駅にて下車。約10分歩いて10時前に〈箱の家170〉に着く。昨年9月に竣工引渡を行なって以来の訪問である。玄関前で『新建築住宅特集』編集部の鶴田洋輔さんに会い、クライアントのM夫妻に挨拶する。まもなく写真部の福田駿さんも到着。『新建築』誌に掲載された〈165箱の長屋〉の撮影を担当した写真家である。室内を一通り案内するが、アトリエには、片付前の段ボール箱が積み上がっている。入居して8ヶ月経つが、寒かったこの冬も快適に過ごすことができたというM夫妻の感想が嬉しい。太陽熱給湯器とエコキュートの組み合わせ効果は大きく、真冬でも天気のいい日はエコキュートの稼働は不要とのこと。食堂に座り、緑を植え込んだ庭を見ながら、鶴田、福田両氏に、吉阪隆正が設計した旧宅での生活と建て替えに至った経緯の概要説明する。本格的な取材インタビューは別の日に行うことを約して、11時過ぎに撮影を開始する。僕は〈箱の家039〉に行くため、お暇して豪徳寺まで戻り、小田急線、井の頭線、京王線を乗り継いで桜上水に12時前に到着。駅近くの定食屋で昼食を摂る。店員は一人しかいない食堂で、カウンターは一人分ずつアクリル板によって仕切られ、注文はすべてiPadで行うシステムである。YouTubeでは見たことはあるが、初めての経験である。ちょっとしたSF感覚で、ブロイラーの鶏になったような気分である。食事の運搬片付と支払はレジで行うため、店員は一人で十分のようだ。13時前に店を出て、歩いて数分で〈箱の家039〉に着く。玄関前でTH-1の石原彩夏さんと待ち合わせ、室内に入ってTさんに挨拶。3階ベランダに出て補修工事の進行状況を点検する。パラペットの立ち上がり面の仕上が完全に剥がされており、木下地と断熱材が除去されている。水の侵入はパラペット立ち上がりからであることが判明する。明日から立ち上がり壁の補修工事を始めて、終わり次第、床のデッキ工事に着手する。床材は人工木材に変更することになったそうだ。見積書を点検し、ファイルを送るように依頼する。13時過ぎに現場を発ち、京王線、井の頭線で渋谷で半蔵門線に乗り換え、表参道にて下車し14時過ぎに帰社。昨日〈箱の家141〉のOさんからメールが届かないという電話をもらったが、迷惑メールをチェックしてみると、どうやら界工作舍のメールアドレスがハックされたようだ。ビットコインで1,500💲払えとあるので、完全に詐欺犯罪である。今後は個人のgmailを使うようにしよう。『汎計画学』は、7-3節「〈解体から回帰へ」を読み続ける。本節では、第一次五カ年計画における17の新都市計画が終わり、1930年代になって〈社会主義リアリズム〉へと移行するまでの都市計画の展開が紹介されている。モイセイ・ギンズブルグとル・コルビュジエの〈輝ける都市〉との関係、さらにはエルンスト・マイ、ハンネスマイア―とのやりとりや、CIAM第3回(1935)との関係が紹介され、モダニズム運動に対するロシア革命や社会主義の影響の背景が、ソヴィエト側の視点から紹介されている。〈ユニテ・ダビタシオン〉とは〈住居単位〉の意味であり、ギンズブルグの〈ナルコムフィン〉に影響されたという指摘も新たな発見である。とはいえ、資材不足、外貨不足によって実際の新都市計画はうまく進行しなかったようだ。計画のヴィジョンがことごとく現実に裏切られる結果に終わるのは、本書の隠れたテーマのようである。


2023年05月15日(月)

雨が降り続き、夕方から曇りになる肌寒い一日。8時半出社。10時過ぎに会計士から電話が入り、明後日に来所することになる。アーキテクトビルダー研究会が今週土曜日の午後に迫ってきたので、発表者の工藤浩平さんの建築家としてのスタンスに関連するトピックスをリストアップしてみる。工藤さんはデザインを構法とコストコントロールと緊密に結びつけるスタンスだと理解しているが、議論を始める前に、これまでに6回実施されてきた「これからを担う若手建築家の活動と実践」の中での位置づけをしてほしい旨を、司会の小笠原さんに依頼してみよう。〈箱の家141〉のOさんからメールが届き、高井戸のO医院の看板の補修について検討を依頼される。メールをやり取りし、今週金曜日の午前中に現地調査に行くことになる。久しぶりに編集ディレクターの真壁智治さんから電話が入る。4月27日(木)に亡くなった野沢正光さんについて、追悼文を書いてほしいという依頼である。僕もインタビューを受けたことがある〈雨の道デザイン〉の野沢さんのインタビューを参考にしたらどうかとのこと。野沢さんとの思い出は沢山あるけれど、晩年の野沢さんの活動の幅は〈住宅遺産トラスト〉や木構造などに、どんどん広がっていったので、僕にとっては眩しい存在になった。したがって個人的な思い出以外に書くことにはあまり自信がない。どうしたものだろうか。
http://amenomichi.com/architect/int06_nozawa.html
『汎計画学』は、7-2節「〈全戦〉の中でのロシアン・ルーレット」を読み終わり、7-3節「〈解体から回帰へ」へと進む。7-2節では、1930年代初期の、スターリン周辺の人脈と粛清に関する細かな検証である。〈ロシアン・ルーレット〉とは、誰が粛清されるかわからないような状況を意味しているようだ。


2023年05月14日(日)

曇りのち雨の肌寒い一日。日曜日なので午前中は熱い風呂に入り、まったりして過ごす。13時過ぎに散歩がてら表参道を経由して青山通りに回り、外苑前のスーパーマーケットまで赴き、買物をして14時過ぎに帰宅。15時過ぎから小雨が降り始める。『精神の生態学へ (上)』は 訳者、佐藤良明による「ベイトソンの歩み(機法廚鯑匹濬わり、序章「精神と秩序の科学」へと進む。第二次大戦直後に、ベイトソンがノーバート・ウィーナー、ジョン・フォン・ノイマン、ウォーレン・マカロックら当時の先進的な科学者たちによる〈マーシー会議〉に参加したことが紹介されている。フィードバックの概念を人間の社会活動に適用するアイデアは、その時に学んだらしい。『汎計画学』は、第讃蓮崋債討僚相」の7-1節「聖〈受難劇(パッション)〉」を読み終わり、7-2節「〈全戦〉の中でのロシアン・ルーレット」へと進む。7-1節の後半は、第一次五カ年計画末期の1928年から1929年にかけてのスターリンによる粛清、主要な科学者-技術者-エコノミストたち、つまり第一次五カ年計画の策定に関与していたテクノクラートの粛清の経緯に関する紹介であり、アイザック・ドイッチャーはそれを1917年のレーニンによる〈第一次革命〉に続く〈第二次革命〉と呼んでいる。それがどれだけスターリン自身の意図的な画策によるものか、八束は若干の疑問を投げかけている。それは当事者の意思を超えた歴史の不確定な力かもしれないということである。


2023年05月13日(土)

雨のち曇りの肌寒い一日。9時出社。ここ数日は肌寒い日が続いているので、少々気分が滅入る。昨日、amazonに注文した『精神の生態学へ (上)』(グレゴリー・ベイトソン:著 佐藤良明:訳 岩波文庫 2023 )が届く。これまでベイトソンの著書は何冊も読んできたけれど、『精神と自然』と同じく、本書は改訂版を含めて3版が出ており、その度に手に入れて読んでいる。訳者はすべて佐藤良明さんで、彼の解説を含めて、読む度に新しい発見がある。1980年代に初めて『精神と自然』(グレゴリー・ベイトソン:著 佐藤良明:訳 思索社 1982)を読んだ時、いたく心を動かされたので、僕の初めての著書『建築的無意識』(難波和彦:著 住まいの図書館出版局 1991)の折込の栞に佐藤さんに書評を頼んだことがある。ベイトソンの思想が池辺陽の建築思想と共通している点が多いことや、クリストファー・アレグザンダーがパタンランゲージの参考文献にしていることなどが、ベイトソン思想に共感する大きな理由である。一般的にいえば、ベイトソン思想はパタン認識やシステム論にダイナミックな時間性=歴史性を導入している点に魅力があるように思う。20代の頃には、僕にとっての最大の知的ヒーローはクロード・レヴィ=ストロースだった。池辺に修士論文の非歴史性を批判された要因もその辺りにある。レヴィ=ストロースの〈構造〉概念は変わらないものに注目し、サルトル的な実存的歴史性を拒否していたからである。〈構造〉に時間性を取り込むメカニズムを教えてくれたのもベイトソンである。レヴィ=ストロースとベイトソンに惹かれるのは、二人とも文化人類学者であることに起因している。文化人類学が人間の思考から文化が生まれる過程を研究領域にしているからだろう。『汎計画学』は、第讃蓮崋債討僚相」の7-1節「聖〈受難劇(パッション)〉」を読み続ける。本節はアレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所列島』引用から始まり、1920年代末に始まる技術者と知識人の粛清の過程を紹介している。『収容所列島』がスターリン時代のソヴィエト・ロシアのドキュメンタリー小説であるとは知らなかった。第一次五カ年計画に関与した専門家たちが粛清されるのだが、八束は「計画の国家であるソヴィエト・ロシアが、その計画の中核をなす人々に電撃を与えた」と描写している。中国の文化革命やカンボジアのクメール・ルージュと同じような構図である。読んでいて背筋が寒くなる。


2023年05月12日(金)

晴れのち曇りの肌寒い一日。8時半出社。NHKラジオ・テキストの第9回「集まって住む」の執筆を続行。コーポラティブ・ハウスと環境共生住宅について1枚余を加筆。法政大学の浜田英明教授から『我が国の近現代建築に関わる構造資料及びその電子化継承に関する調査 令和4年報告書』(日本構造家倶楽部+法政大学 2023)が届く。〈国立近現代建築資料館〉で令和に入って毎年続けてきた、明治時代以降の日本の構造家の仕事のアーカイヴを作成するワークショップの報告書である。4年目になって会議の場所が浜田英明さんの法政大学に変わり、今年が最終年度である。僕は2年前に資料館の理事を自然退職したが、WG会議にはオンラインで参加してきた。今年度の報告書には、最近亡くなった川口衛さん、渡辺邦夫さん、新谷眞人さん、存命中の斎藤公男さん、最後は佐々木睦朗さんまでの資料がリストアップされている。建築家については近現代建築資料館には限られた建築家の資料だけが収集されているが、この作業によって、構造家については主だった資料はほぼ網羅したことになるので、歴史的意義は大きいと思う。『汎計画学』は、6-4節「アヴァンギャルドの(反?)アーバニズム」を読み終わり、第讃蓮崋債討僚相」の7-1節「聖〈受難劇(パッション)〉」へ進む。6-4節では、ソヴィエト国内の人口配置計画に関連して、モスクワを初めとする大都市圏への人口集中をどう制御するかという問題について議論されている。大都市は資本主義的な存在として退けられ、1920年代末にモスクワ一帯を「緑園都市」とするコンペが開催され、アヴァンギャルド建築家の多くが参加する。それでも1930年代になると、非都市分散派と大都市集中派の間で都市計画論争が交わされる。非都市派のヴィジョンは都市をネットワークの中に融解してしまうというもので、1933年に開催されたCIAMの〈アテネ憲章〉に近いヴィジョンだった。他方、都市派のヴィジョンは居住単位を住居コンビナートとして計画し、ブルジョア的な家族形態を解体し、共同体的な生活形態に再編成するというもので、フーリエの〈ファランステール〉をラジカルにしたようなヴィジョンだったという。本節のタイトル〈アヴァンギャルドの(反?)アーバニズム〉とはそういう意味で、〈?〉がついているのは、第一次5ヵ年計画の時期には、都市派と非都市が共存していたことを意味している。とはいえアテネ憲章をみれば明らかなように、モダニズムの都市観も同じようなものだったわけだが。


2023年05月11日(木)

晴れのち雨でやや肌寒い一日。8時半出社。早朝4時過ぎに大きな地震があり一気に眼が覚める。その後はなかなか寝つかれずやや寝不足気味。10時前にTH-1から電話があり〈箱の家039〉工事再開は5月15日(月)の予定だったが、天気予報では雨なので、翌16日(火)にずらしたいとのこと。しかしながら16日は〈箱の家170〉の撮影日なので、その立ち会いと打ち合わせが終わり次第、現場に赴く旨を伝える。その後〈箱の家039〉の建主Tさんから電話が入る。連休中に送ったメールが界工作舍には届いていないので、改めてメールの送受信状態の確認である。TH-1には問題なく届いているらしい。iMacのゴミ箱や迷惑メール箱を開いて確認してみたが、Tさんからのメールは見当たらない。午後、Tさんの勤務先から改めてメールを送信してもらうと、ちゃんと届いたので、どうやらTさんの自宅のパソコンの問題らしい。原因は不明だが、送信の条件ははっきりしたので、とりあえずよしとしよう。界工作舍でも、数年前から界工作舍のアドレスからはメール送信ができない状態が続いている。これも原因が不明なので、界工作舍からの送信メールは、すべて僕の個人アドレスから送信するようにしている。受信は界工作舍のアドレスでも可能なので、大した問題ではないのだが、送信先からの返信メールが僕の個人アドレスだけに届くと、スタッフのデスクトップでは受信できず、共有できないのが唯一の問題である。なので送信先には、返信メールは界工作舍のアドレスにも送るように依頼しなければいけないのが唯一面倒な手続きである。NHKラジオ・テキストの第9回「集まって住む」の執筆を続行する。まずはスケルトン・インフィル・システムと集合住宅の賃貸と分譲について1枚分を加筆する。このペースで加筆を続けよう。『汎計画学』は、6-3節「空間へ」を読み終わり、6-4節「アヴァンギャルドの(反?)アーバニズム」へ進む。6-3節の後半では、農業の工業化についてコルフォーズやソフホーズといった農場の集団化=機械化の試みが紹介されている。ここでも最初に目標を決める〈目的論〉的なモデルである農村コンビナートと、現状の延長上で捉える〈発生論〉的なロジックの対立がある。ボルシェヴィキ政権の〈計画=構成(築)主義〉は当然ながら前者だが、その中で広大な地域を対象とする農業の超工業化である〈ギガント〉が紹介されている。その幾つかは実現されたが、大多数は機械化のための輸入トラクター数の不足によって失敗したと結論づけられているようだが、八束は宮本百合子やアンドレ・ジッドの発言を引きながら、疑問を呈している。


2023年05月10日(水)

今日も晴れで清々しい一日。9時出社。『jt 新建築住宅特集』の編集部に〈箱の家170〉の撮影日時のリマインド・メールを送る。早速、返事が届き、予定通り5月16日(火)で確定したので、僕も当日の朝に同席する旨のメールを丸山さんと編集部に送信する。予報ではちょっと心配な天気のようだが。NHKラジオ・テキストの第9回「集まって住む」の執筆を再開する。後半の集住体の可能性のトピックをリストアップする。スケルトンインフィル(S・I)や職住近接から、シャエアハウスやコープラティブハウスへとスケールをあげて、地域社会圏やコンパクトシティ展開する予定だが、20枚をゆうに越えそうなので、それぞれのトピックをコンパクトにまとめねばならない。『建築雑誌』2023年5月号が届く。特集「深緑化社会」のインタビュー「緑を纏う建築・社会の設計法」(藤森照信+川島範久+能作文徳)を読む。建築の緑化といえば藤森さんだが、なかなか苦労しているらしい。ル・コルビュジエ流の屋上緑化は巨大な鉢植えなので、藤森さんの採るところではないという主張。他方、川島さんや能作さんは通常の緑化ではなく土の問題からアプローチしている点がユニークである。ヨーロッパとは異なり、アジアモンスーン地帯の緑化はずっと難しそうだ。平田晃久さんや藤本壮介さんの考えも聞いたみたい気がする。『汎計画学』は、6-3節「空間へ」を読み続ける。第一次5カ年計画の目玉であるドニエプル・ダム計画とマグニトゴルスクの新都市計画が紹介されている。どちらのプロジェクトもソヴィエト連邦の当時の技術力だけでは対応しきれないので、前者はアメリカの土木技術者に、後者はドイツのエルンスト・マイに指導を仰いでいる。前者は単一機能なので曲がりなりにも成功したようだが、後者は立地条件が悪く、途中で頓挫しほとんど失敗に終わったようだ。Googleで検索すると、マグニトゴルスクの街はやや荒廃した雰囲気である。19時半からNHKクローズアップ現代で近代建築の保存問題の特集番組を見る。吉阪隆正が設計した〈VILLA COUCOU〉が紹介され、この建築を購入した女優の鈴木京香がインタビューを受けている。住宅遺産トラストの木下壽子さんも、近代建築の保存の難しさについてコメントしている。〈箱の家170〉も吉阪隆正の設計だが、木造なので耐久性と性能に問題があったため人建て替えることになった。〈VILLA COUCOU〉はRC造なので耐久性の面は大丈夫なようだが、性能面では大きな問題があった。当初の建主である近藤さんは「冬は酷く寒い」と嘆いていた。居間の中央に巨大なストーブが置かれた写真が残っている。鈴木京香もここに住むつもりはなく、ギャラリーに転用するようである。facebookで建築関係の何人かが、この番組を紹介している。近代建築の保存問題は、最近になってようやく注目され始めたが、見通しはあまり良くない。日本では、建築は経済的にも法的にも、不動産ではなく耐久消費財なのである。


2023年05月09日(火)

晴れで清々しい一日。8時半出社。NHKラジオ・テキストの第8回「住まいがつくる街」の原稿に目を通し、若干の加筆校正を加えた上で、編集部に送信する。先週末から立て続けに2回分のテキストを送ったので、編集部から確認のメールが届く。今月末には第9回「集まって住む」の原稿も送るつもりである。藤本壮介さんから『地球の景色』(藤本壮介:著 A.D.A EDITA Tokyo 2023)が届く。『GA JAPAN』誌の冒頭に2015年から連載しているエッセイをまとめた本である。エッセイの内容も興味深いが、それぞれに添えられている都市や建築の写真を見るだけでも楽しい本である。
https://www.amazon.co.jp/藤本壮介-地球の景色-藤本壮介/dp/4871406954/ref=sr_1_1?crid=F9ALM6NXP2P2&keywords
=地球の景色&qid=1683599450&sprefix=地球の景色%2Caps%2C218&sr=8-1
新型コロナワクチン接種の6回目のクーポン券が届いたのは4月末だが、渋谷区の接種予約サイトに何度アクセスしてもうまく予約できない。僕は昨年10月のヨーロッパ旅行中にマドリッドで感染し、帰国するまでには何とか完治したが、念のため帰国後の11月初旬に5回目の接種を受けた。なので6回目の接種が必要かどうか判断が難しいので、渋谷保健所のコールセンターに電話してみる。新型コロナは昨日感染症5種に移行したばかりであり、接種券が送られたのは65歳以上の老人だけなので、オンラインでの予約は受け付けていないとのこと。そこで前回の接種医院と日時を指定して接種予約を済ませる。『汎計画学』は、6-2節「計画の王国?」を読み終わり、6-3節「空間へ」に進む。6-2節の後半では、第一次5カ年計画の最中の1931年にロンドンで開催された〈第2回国際科学史会議〉におけるブハーリンの講演をめぐる科学論争と西欧諸国の反響が紹介されている。当時、ブハーリンはスターリンとの権力闘争に完全に敗退していたので、薄氷を履むような講演内容だったらしい。「定点把握に」のよるコロナ感染者数の発表は5月19日(金)からである。


2023年05月08日(月)

雨のち曇りの肌寒い一日。8時半出社。TH-1からメールが届き、〈箱の家039〉の工事再開は5月15日(月)とのことなので、当日の午後に現場監理に向かう旨を返信する。NHKラジオ・テキストの第8回「住まいがつくる街」の原稿の加筆校正。午前中に大体まとまったので、明日、再度目を通し編集部に送ろう。千葉工大の今村創平さんから、facebookのメッセンジャーで、八束はじめさんのエッセイ『TAFURI AND JAPAN:PERSONAL RECOLLECTIONS OF TRAJECTORIES THAT NEVER CROSSED』が届く。建築史家マンフレッド・タフーリの1964年の著作『’L’architettura moderna in Giappone’(『日本の近代建築』1964)を、60年後の昨年にモーセン・モスタファヴィMohsen Mostafaviが編集した英訳版『‘Manfredo Tafuri: Modern Architecture in Japan 2022』が出版されたが、そこに収められた5編の寄稿のうちの1編である。
https://www.facebook.com/souhei.imamura.1/posts/pfbid0357DvonSW13AoxzZJYdQ1syb65jzGgP2XUja31d
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1979年に建築史家の福田晴虔が『パッラーディオ』(福田晴虔:著 鹿島出版会 1979)を出した機会に、1980年に日本でパッラーディオ・シンポジウムが開かれ、磯崎新とともにタフーリが招かれ登壇した。会場は磯崎が設計した〈御茶ノ水婦人会館〉だったと記憶している。八束はその際にタフーリをエスコートしたらしい。僕も前年にパッラーディオを実見し、福田の著書を読んだばかりだったので、期待してシンポジウムを聴講した。磯崎は当時、パッラーディオのモチーフを引用した幾つかの建築を完成させたばかりで、それらを発表した。タフーリは終始、不機嫌そうな様子で、なぜ日本でパッラーディオをとり挙げるのか理解できないという趣旨の発表をした。磯崎のスタンスをあからさまに批判したのだと思う。当時、磯崎アトリエに勤めていた八束のこのエッセイは、そのエピソードから始まり、タフーリが、当時の日本建築界のポストモダニズムの西洋建築引用の風潮に批判的だったことを回想している。まだ全体を通しで読んでいないが、タイトルからするとタフーリとは徹頭徹尾すれ違いだったようだ。『汎計画学』は、6-2節「計画の王国?」を読み続ける。6-2節では、第一次5ヵ年計画が実施され、計画がある程度の成果を示し、スターリンのプロパガンダも相俟って、1920年代末に大恐慌に見舞われていた資本主義諸国は、ソ連の計画経済に倣った社会主義的な経済政策を採り始める。J.M.ケインズの経済理論に倣ったともいわれるが、それは第二次大戦後のことである。アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトが1930年代に始めた一連のニューディール政策がその代表であり、満州国で岸信介が始めた工業化政策もそうである。しかしながら、スターリンが主導した第一次5ヵ年計画は、実際のところ〈計画〉というにはあまりにも誇大妄想な政策だったことが詳細に紹介されている。今日の全国のコロナ感染者数は9,310人。今日から新型コロナウィルス:COVID-19はインフルエンザと同種の5種感染症に移行されることになった。このため、これまでの「全数把握」による毎日の感染者数の発表は今日が最後となり、明日からは全国5000の医療機関からの報告をもとに公表する〈定点把握〉に変わる。


2023年05月07日(日)

雨が降り続く肌寒い一日。今日は平田晃久さんの建築の内覧会だが、会場の前橋は一日雨のようだし、睡眠不足で体調もあまり良くないので、残念ながら出かけるのは中止する。内覧会の建築は画廊と集合住宅なので、おそらくいつでも一般に公開されているだろうし、前橋には他にも幾つか気になる建築があるので、いずれゆっくり訪問することにしょう。忘れないうちに、TH-1に〈箱の家039〉の補修工事再開のスケジュールと追加見積の提出時期を確認するメールを送信する。午後は一旦帰宅し、しばらく仮眠と読書。『汎計画学』は、第詐蓮峽弉茲硫国の逆説」の6-1節「前夜」を読み終わり、6-2節「計画の王国?」に進む。6-1節の後半では、1929年に始まる第一次5ヵ年計画の立案をめぐる担当者間のやりとりを詳細に辿っているが、計画のための具体的な条件の把握や準備不足と部局間の調整不足によって、不完全なまま進行する状況が確認されている。スターリン主導の社会主義計画経済は、当初から政治と経済学のせめぎ合いの内に展開していくようである。かといって八束自身は計画自体を否定しているわけではないようだ。都市計画や建築設計は基本的に計画行為であり、人間社会の性なのであるから。今日の全国のコロナ感染者数は14,436人。


2023年05月06日(土)

晴れのち曇りで風が強く暑い一日。9時出社。〈箱の家039〉の現場監理の日程を確認するために、スケジュール表を見てびっくり。歯の定期検診の日程を完全に忘れていることを発見する。先月末に予約していたのだが〈箱の家039〉の工事と重なっていたため完全に忘れていたのである。ド忘れとはこのことである。ダブルブッキングにならないように、スケジュール表への書き込み方には、くれぐれも注意しなければならない。NHKラジオ・テキストの第7回「小さな家」の原稿をざっと見直した上で、NHK出版編集部に送信する。引き続き、凡そまとまっている第8回「住まいがつくる街」の原稿を見直す。早めに加筆校正して送ることにしよう。午後は事務所の周りを30分ばかり散歩。『汎計画学』は、第詐蓮峽弉茲硫国の逆説」の6-1節「前夜」を読み続ける。〈前夜〉とは、1924年にレーニンが死に、1927年にトロツキーが党から追放され、NEPが終了して、1929年にスターリン体制が成立して、重工業化中心の第一次五カ年計画が始まるまでの、移行期の権力闘争の詳細な歴史的検証である。この経緯に歴史的必然性はなく、偶然に満ちたミクロポリティックスの重なりであったことが報告されている。この辺りは八束の歴史観の真骨頂だろうが、小さな物語が連続するミクロポリティックスを追うのは煩瑣で大変である。今日の全国のコロナ感染者数は6,229人。


2023年05月05日(金)

晴れ一時曇りの暑い一日。9時出社。午前中はNHKラジオ・テキストの第7回「小さな家」の原稿の最後の加筆校正に集中する。18世紀の啓蒙主義の勃興と〈原始の小屋〉の紹介に加筆して、18枚にて完了。明日中にはNHK出版編集部に送ろう。午後、散歩がてら表参道に出るが、人手が多いのと少し歩いただけで暑くて汗が出てくるので30分余で帰社。連休で天気がいいので出かける人が多いが、そういう時期に限って僕は出かける気になれない。いい映画があれば見たいが、今のところそんな映画は見当たらないので、原稿を書くか、本を読むか、気晴らしにiMacでYOU TUBEをザッピングする程度である。『汎計画学』は、5-3節「社会のコンデンサー」を読み終わり、第詐蓮峽弉茲硫国の逆説」の6-1節「前夜」に進む。〈社会のコンデンサー〉とは構成(築)主義建築家のモイセイ・ギンズブルグによる造語で、労働者クラブや共同住宅など革命を支える新しいビルディング・タイプの総称である。共同住宅のプログラムは社会主義社会の新しいプイト(生活様式)に直接結びついているため、最重要な課題である。したがって機能主義という言葉も、メカニカルな動線計画や新しいプログラムにおいて、この社会のコンデンサーに結びついている。〈コンデンサー・ウスタノフカ・プイト〉は計画(生産)主義的なキーワードの三幅対である、と八束は指摘している。僕は2011年の夏にモスクワに行き、メーリニコフの〈ルサコフ・クラブ(1927)〉やイアン・ゴロゾフの〈ツィエフ・クラブ〉を訪問した。ギンズブルグの〈ナルコムフィンの共同住宅(1932)〉も訪ねたが、当時は半ば廃墟常態だった。その後修復されたそうだ。今日の全国のコロナ感染者数は5,807人。


2023年05月04日(木)

晴れで少し暑い一日。9時出社。NHKラジオ・テキストの第8回「住まいがつくる街」の見直しに着手する。ポストモダニズムにおける形の自律性の思想をコンテクスチュアリズムに展開させ、その視点から日本の街並における隠れた秩序を紹介し、1970年代の急激な宅地開発による隠れた秩序の破壊とヴォイドメタボリズムの立場からの街の風景の修復の可能性について論じることによって結論として、18枚で完了。いい天気なので午後は少し散歩に出かけるが、表参道はかなりの人出である。青山通りへ回り外苑西通りへ左折し、途中でスーパーマーケットに立ち寄って約1時間弱の散歩。『柄谷行人 対話篇1989-2008』は、高橋源一郎との対談「現代文学をたたかう」を読み続け、次のような対話が記憶に刻まれる。「高橋:統一国家をつくるには、共通語がなければならないわけです。柄谷:そう。だから、実際は、言文一致というのは〈言〉を〈文〉化したのではなく、新たな〈文〉を〈言〉化したんですね」。まさに然りである。これは言語論的転回についての決定的な指摘だと膝を打つ。通説には必ず発見的なウラがある証拠である。『汎計画学』は、5-2節「ブイト(生活様式)」を読み終わり、5-3節「社会のコンデンサー」に進む。5-2節では、1926年の婚姻法の改正を契機に、新しい女性像、結婚観、家族観に関する議論が展開したことが紹介され、女性の家事からの解放や、共同キッチンや共同住宅の試みが紹介されている。革命以降には女性が都市に集中するようになるが、工場労働に就くことはできないので、家事労働から解放されることはない。そうした状況に対して、レーニンやとロッキーは女性の識字率の上昇を呼びかける。新しい家族観をテーマにした演劇の台本を書いたセルゲイ・トレチャコフの『子供が欲しい』を、メイエルホリドが演出し、エル・リシツキーが舞台セットをデザインするが、検閲によって拒否され、実演されず不成功に終わる。都市と農村、工業と農業の均衡をめぐる問題に関する意見の対立の構図は、住宅の規模と集団化に関する問題とも結びつき、レーニンやトロツキーは、女性解放に関連して共同住宅、共同台所・食堂、共同保育園などの提案を行う。革命は〈ブイト(生活様式・日常生活)〉の変革によって初めて社会に実装されるのである。この辺りの問題は、エマニュエル・トッドの家族制の研究とどう結びつくのか考えてみたい気がする。トッドが指摘するロシアにおける共同体家族と社会主義との結びつきが、果たして革命によって変更可能なのかという問題である。つまり家族制度を計画することができるのかという問題である。戦後の日本の住宅政策を振り返ると、ある程度は可能に思えるが、決して計画通りにはならないという結論になる。この問題は、次節の「社会のコンデンサー」においても議論されるだろう。今日の全国のコロナ感染者数は7,343人。


2023年05月03日(水)

晴れで過ごしやすい一日。9時出社。今日は憲法記念日で休日だが、出かける予定はない。NHKラジオ・テキストの第9回「集まって住む」の原稿執筆を続行する。前半の分析をかなり削減して、結論部分の余裕を残したが、まだ19枚近くある。何とか2枚分を縮減したいので、あれこれチェックする。前半の〈建築の4層構造〉による分析の部分に手を入れて18枚弱までに縮める。あと1枚分を縮減したいが、話の展開が細切れになりそうでちょっと危うい。『汎計画学』は、5-1節「NEPの諸風景(カレイドスコープ)―計画論の余白に」を読み終わり、5-2節「ブイト(生活様式)」に進む。5-1節の後半では、雑誌LEFに掲載されたマコフスキーやロトチェンコのフォト・モンタージュが紹介されている。Wikipediaによれば、レフ(LEF= Left Front of the Arts、芸術左翼戦線)とは、ロシア・アヴァンギャルド期における、文学・芸術に関する左翼団体およびその機関誌名である。LEFは文学と芸術を通じて、左翼的な哲学やイデオロギーの構築・実現をめざした。未来派、ロシア構成主義、オポヤズなどにかかわった者が寄り集まったアーティスト集団である。NEPの最中の1925年にパリで〈アールデコ展〉が開催される。建築史的にはコンスタンチン・メーリニコフのソヴィエト館やル・コルビュジエのエスプリ・ヌーヴォー館が有名だが、ロトチェンコも展示を手伝うためにパリに赴き、LEFに詳細な報告書を送っている。5-1節の後半では、同時期にモスクワを訪れ、ロシアアヴァンギャルドの建築家の取材を行ったMoMAのアルフレッド・バーの活動や、ロシア革命後のモスクワとワルター・ベンヤミンとの関係について紹介されている。バーはMoMAで開催する予定のインターナショナル・スタイル展のための取材だったらしい。ロシア革命における家族観や生活観の変革をめぐって、ベンヤミンの女性関係について事細かな紹介が行われている。八束は、ロシア革命においてベンヤミンの思想の両義性が浮き彫りになったことを指摘している。本節の結論はこうである。「ベンヤミンには資本主義と社会主義の境界線であるNEP期を体現しているようなところがある」。最近の女性の社会進出の動向を受けた説であり、日本社会にとっても耳の痛いトピックである。今日の全国のコロナ感染者数は16,631人。


2023年05月02日(火)

ピーカンの晴れで過ごしやすい一日。9時出社。平田晃久さんから、前橋の複合建築内覧会のお知らせメールが届く。商業施設と共同住宅を組み合わせた建築で、いつものように階段状の屋上が緑化されている。内覧会の日程は今週末で、前橋までは片道3時間弱かかる。ちょっと遠いけれど、何とか参加してみようか。NHKラジオ・テキストの第7回の「小さな家」の原稿を加筆校正する。住まいのコンパクト化のエピソードとして、カプセルハウスやキャンピングカーについて追記する。先頃解体された〈中銀マンション〉を紹介するかどうかはちょっと迷う。カプセル住戸は都市の住まいとしては好例だが、メタボリズム建築としては、やはり失敗作といわざるをえないからである。『汎計画学』は、第江 「生産と消費―反弁証法的展開」の5-1節「NEPの諸風景(カレイドスコープ)―計画論の余白に」を読み続ける。NEPに関するE・H・カーやアイザック・ドイッチャーによる歴史的位置づけに続いて、構築主義者、マヤコフスキーやロトチェンコの仕事の紹介へと進む。今日の全国のコロナ感染者数は16,972人。


2023年05月01日(月)

曇りのち晴れの肌寒い一日。9時出社。NHKラジオ・テキストの第9回「集まって住む」の原稿執筆を続行する。集住体の可能性についてコーポラティブハウスやシャエアハウスについて書いたところで20枚近くなる。結論部では、職住近接、地域社会圏、コンパクトシティについても書きたいので、かなり縮減しなければならない。前半の分析部分をかなりカットする作業をあれこれ検討する。今週中には、とりあえず先に第7回の「小さな家」をまとめることにしよう。午後は気分転換にプライムビデオで韓国映画『The Witch』(パク・フンジョン:監督 2018)を観る。よくできたSF映画でスカッとしたが、何も残らない。韓国では爆発的に当たったので、今月末には続編が出るようだが、あまり期待はできない。SDGsをテーマにした阪本順治監督の時代劇『せかいのおきく』(阪本順治:監督 2023)を観たいのだが、わざわざ映画館まで足を運び大画面で観る気にはなれない。1960年代まで日本中に〈汲み取り屋〉という商売があった。水田の中にも、あちこちに肥溜が置かれていた。昭和30年代までは東京中にもあったはずである。西武新宿線や西武池袋線は東京の糞便を埼玉に運ぶための肥溜め列車として敷設されたといわれている。江戸時代にはそれがすべて人力で行われていたのである。
http://sekainookiku.jp
『汎計画学』は、4-3節「生産主義の臨界」を読み終わり、第江 「生産と消費―反弁証法的展開」の5-1節「NEPの諸風景(カレイドスコープ)―計画論の余白に」へ進む。4-3節では、ボリス・アルヴァートフによる1920年代初期の著作『プロレタリアートと左翼芸術』や『芸術と生産』をめぐって、生産主義芸術に関する議論が詳しく論じられている。読みながら〈生産主義〉とは要するに〈工業化主義〉であることに思い至る。Wikipediaには、こう書かれている。「生産芸術とは、1917年のロシア革命に伴って生じた、芸術家の活動を作品制作から工業生産へと移行させようとする芸術の動向。「生産主義(productivism)」とも称される。19年に教育人民委員会のイゾ(造形芸術局)の芸術・生産部門の会議および国立芸術産業工房において芸術と生産をめぐる議論がはじめて浮上し、インフク(芸術文化研究所)ではさらに詳しく生産芸術の理念が検討された。20年に建築および造形芸術の総合的な専門学校ヴフテマス(高等芸術技術工房)が設立され、生産芸術の理念と実践が展開された。生産芸術の理論家としてはインフクやヴフテマスで活動していたオシップ・ブリーク、ボリス・アルヴァートフ、アレクセイ・ガン、セルゲイ・トレチャコフ、ニコライ・タラブーキン、ボリス・クシネル、ニコライ・チュジャークらが挙げられる。生産主義の批評家たちは、マルクスや文化団体プロレトクリト(プロレタリア文化啓蒙組織)の指導者アレクサンドル・ボグダーノフらの思想に影響され、手工業的なブルジョワの工業生産から、高度な技術を用いた集団的大量生産への移行を主張した。構成主義者たちによる、建築や家具、陶器などの工芸品、グラフィックや生地のデザインなど有用な事物の制作は生産主義理論と深い関係がある(河村彩)」。読みながら、僕は絶えず池辺陽の〈建築生産の工業化論〉を連想した。本節の後半は、生産芸術の例として、2人の女性アーティスト、ワルワーラ・ステパーノヴァとリューボフィ・ポポーヴァによるテキスタイル・デザインが紹介されている。〈生産主義の臨界〉とは、工業生産技術が果たしてアートを生み出すことができるかどうかという問題のようである。八束は、その点についてはやや否定的のようだが、果たしてそうだろうか。池辺陽は亡くなるまで、建築における工業化とアートを結びつける可能性を追求したからである。技術の進化は、最終的には建築の工業化に向かうことよって成熟すると池辺は主張していた。建築の芸術性にこだわる篠原一男との対談は、この問題をめぐって展開されたことを鮮烈に記憶している。僕は池辺の評伝で、その点について論じた。
https://www.amazon.co.jp/戦後モダニズム建築の極北―池辺陽試論-難波-和彦/dp/4395005721/ref=sr_1_3?crid=4NMKN6Q7GJT1&keywords=池辺陽きよし&qid=1682998036&sprefix=池辺陽きよし%2Caps%2C144&sr=8-3
八束の本書の偏りが、少し見えてきた感じである。今日の全国のコロナ感染者数は5,026人。


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