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箱の家 PROJECT 青本往来記
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2010年07月30日(金)

7時起床。8時出社。小雨が降り続いている。昨日の座談会で話題になった大徳寺の茶室「弧逢庵忘筌」の起こし絵をpdf版にして座談会メンバーに送信。大学院時代に僕が描いた図面で『建築文化』1971年4月号に掲載されている。北山さんから届いたメールに従って栃内と「140北山邸」第3案をまとめる。最初の案から徐々に要求条件が増えてきた。当初の僕たちの案はギリギリの線を狙っているので、そこから出発するとどうしても条件が膨らんでいく。これまでほとんどの案でその傾向が見られるが、最後にはコストによって揺れ戻されシェイプアップされる。なのでとりあえず基本方針は変えないで要求条件をすべて取り入れた案を作成してみる。図面と変更点を整理して北山さんに送信。午後3時過ぎに事務所を出て大学へ。4月の研究室引越以来久しぶりに工学部1号館に入る。3階の伊藤研究室で山代悟さん佐藤隆志くんと『難波退職本』の合同課題ページの打ち合せ。写真をピクアップしレイアウトの方針を確認。4時半から建築学科会議室で伊藤研究室の特別読書会。4年生を中心に懐かしい顔8人が揃う。オブザーバーは数人と意外に少ない。バンハムの『環境としての建築』について各人が発表。8人ともかなり頑張って読み込んでいることに驚く。新しい読みには出会わなかったが沢山のヒントをもらう。もっとも単純明快な発表を行った学生の発表を聴いているうちに頭にピンと来るものがあった。現在では機能から形態を導き出すという機能主義の有効性は完全に否定されている。しかしプログラムから形態を引き出すプログラム主義としては依然として有効と考えられている。プログラムのダイアグラム(図式)を考案すれば、それによって形態の「枠組」を決めることができるからである。したがって現在では機能主義の焦点はコンテクストやプログラムから機能ダイアグラムを導き出すことの方に移行している。一方、『環境としての建築』は環境条件を考慮したデザインの重要性について論じている。それを環境主義と呼ぶとすれば、その構図はプログラム主義とほとんど同じであることに気づいたのである。プログラムは建築のアクティビティの条件から導かれ、環境は熱や空気といったエネルギー条件から導かれる。どちらも目に見えない状況的な条件である点は同じである。したがって環境主義はプログラム主義と同じように、環境条件をダイアグラム化しなければ形態(の枠組)には結びつかない。アレグザンダー流に言うなら、ダイアグラムがconstructiveでなければ環境条件と形態を結びつけることはできない。「箱の家」における箱形はconstructiveなダイアグラムとして設定されている。したがってエネルギー条件から箱形を否定することはできないのである。逆に言えば、どんなプログラムも、どんな環境条件も、箱形に適用できるのである。以上から得られる結論は、箱形それ自体を破壊しない限り「箱の家」の転換は生じないということである。これが今回の読書会から得た最大の(しかし僕にとっては最悪の)結論である。7時過ぎに終了後しばらくビールを飲みながら歓談。その後大学を出て近くの居酒屋で遅い夕食。焼酎を飲むうちに読書会での結論が頭の中を走り回り、学生たちとの会話に集中できない。10時半解散。伊藤さんと本郷三丁目まで歩き11時半に事務所に戻る。雑用を済ませ12時半帰宅。床に就いてもさまざまな想念が巡り寝つかれない。一旦起きてウィスキーを煽り1時半過ぎに就寝。


2010年07月29日(木)

8時半出社。雨が降っている。久しぶりに涼しい。午前中は事務所。北山さんから基本設計に関するコメントが届く。直ちに検討するように栃内に指示。2時半に事務所を出て曙橋の彰国社へ。すでに伊藤毅さんが来ている。間もなく、石山修武、佐々木睦朗、鈴木博之三氏も到着。3時半から伊藤さんの司会で僕の退職本のための座談会。3人とも一筋縄では行かない人たちなので、幾重にも屈折した多義的な言葉が飛び交う。それぞれの発言を文字通りに受け取るとカチンと来るが、皆この歳になれば、それによって自分の考えが大きく変わることはない。とはいえ単なる放言ではないので、心して聞かねばならない。ともかく僕としては過去ではなく未来に結びつけて聴きながら話すように努める。緊張して話しているうちにあっという間に1時間半が過ぎる。5時過ぎに終了。その後『建築文化』誌のバックナンバーを観ながら歓談。6時前に彰国社を出て近くの小料理屋へ。雨も止んでいる。ビールと地方料理をいただきながら歓談。こちらの方が気楽に話ができた。焼酎をしたたか呑んで皆酩酊気味。最後には言葉も少なくなり9時半終了。10時過ぎに事務所に戻る。酔いが回ったので早めに帰宅。ベッドに横になっても昼間の言葉が頭を駆け巡りなかなか寝つかれない。


2010年07月28日(水)

9時過ぎ銀行に行った後、青山歯科医院へ。虫歯の回りを削って型を取る作業。来週に金属キャップを被せて治療は完了だという。10時半に事務所に戻る。佐藤隆志君から再び『活動記録本』の索引リストが送られて来る。項目数をさらに削減する必要があるという。岩元と協力して思い切った項目整理を行い頁に納まる数まで減らす。後はレイアウトして微調整することになった。放送大学の本間博文さんからメールと書類が届く。僕が担当する科目の概要をまとめ、それももとづいて教材と番組制作のプログラムをまとめるように要請される。来年の地デジへの転換以降の放送で放送枠がBSにも広がるので、できるだけ多くのロケ取材を組み込んだヴィジュアルな番組にしたい。今年TV放送される『住まい論』は5人の講師による分担のようだ。しかし僕は全15回の放送を一人で担当するように依頼されているので、番組全体を構想するのはなかなか大変である。まずはロケ対象をリストアップしながらカリキュラム全体の流れのスケッチから着手する。明後日の伊藤研読書会のために『環境としての建築』を読み直す。4年生がどこまで歴史的視点で読めるかが課題だろう。

『建築家ムッソリーニ』は第3章「ヴェネツィア宮にて」第4章「建築家になりきって」を読み終わり、第5章「ピアチェンティーニとムッソリーニ」に差し掛かる。第3章で初めて建築家とムッソリーニの関係に焦点が当てられる。当時のイタリアでも歴史主義と近代主義の対立があったが、ムッソリーニはどちらか一方に与することはなかった。ムッソリーニの興味は近代性と国家主義が結びついた建築に絞られていた。というよりむしろ近代性を国家主義に結びつけるメディアとして建築がもっとも有効だと考えたのである。要するに建築はファシズムという政治的手段でしかなかったということである。その点でジョセッペ・テラーはあまりにインターナショナル過ぎたようだ。ミラノのBBPRやジオ・ポンティも同じだった。ムッソリーニがもっとも気に入っていたのはマルチェッロ・ピアチェンティーニとルイジ・モレッティだったという。テラーニは若くして死んだが、政治と建築がこれほど緊密に結びついていた国で、ファシズムが倒れた後にそれ以外の建築家はどう身を処したのか。事情はドイツ以上に捻れているようである。


2010年07月27日(火)

8時出社。今日は一日事務所でデスクワーク。難波研OBから届いた『活動記録』の索引チェック。索引に割けるページ数が限られているので索引項目の数を大幅に削減しなければならない。2回のやり取りで約半数にまで減らす。ニチハに聞いた遮熱塗料について調べる。おそらくNASAで開発されたものだが、HPを観ると赤外線を塗料分子の運動に変えて熱を放散させるのだという。そもそも分子の運動が熱なのだからメカニズムはよく分からないが、正確には「熱交換塗料」と呼ぶらしい。夏の直射日光に対して有効なので屋根の性能向上にはいいかもしれない。退職記念本の座談会のために自分の原稿も含めてすべての原稿を通しで読み通してみる。幾つか重要なテーマを書いていないことに気づく。座談会ではその話ができたらとスケッチしてみる。新読書会(LFAT)第2回のポスターができたのでHPにアップする。取り挙げる本は『アメリカ大都市の死と生』(ジェイン・ジェイコブス:著 鹿島出版会 2010)。1960年代に書かれた本だが今読み返しても新しい。コンパクトシティにふさわしい都市の論理が展開されている。フリードリッヒ・A・ハイエクの思想にも通じるので『思想史論集』(ハイエク全集2-7 春秋社 2009)を引っ張り出して読み始める。

夜ベッドの中で、阿丹に勧められたポルトガル映画『ヴァンダの部屋 No Quarto da Vanda』(ペドロ・コスタ :監督 2000)を観る。リスボンのスラムに住む貧民たちの生活をヴァンダという一人の女性を通して描いた作品。3時間もの映画だがストーリーはまったくない。ドキュメンタリーのようでいてドキュメンタリーではない。出演者はすべて素人だが決してカメラの方を見ないので明らかに芝居をしていることが分かる。しかしそれがあまりにも自然なのでカメラの存在が透明に感じられる。ベッドだけのヴァンダの部屋が何度も出て来る。ベッドの上でヴァンダはやたらと煙草を吸い酷い咳をする。時には咳とともにゲロを吐く。ヴァンダはガリガリに痩せていて蒼白い顔をしている。分厚い電話帳の紙にマリファナが薄く刷り込まれている。ヴァンダは頁をめくりながらそれを削ぎ落としアルミ箔の上に載せる。そしてライターの火で下から熱しながらアルミ箔の筒でそれを吸い込み煙草とともに肺の中に送り込む。このような手の込んだ作業が映画の中では何度となくくり返される。時にはそこに妹が加わる。別の部屋では足の悪い男がヘロインを腕に注射している。ほとんどが室内の映像なのでどこにいるのか分からない。しかし建物が取り壊されていく音がだんだんと近づいて来る。カメラは動かず人と光だけが動く。カラヴァッジオの絵のような光と影のコントラスト。小さな空間に詰め込まれた歴史的な時間。観ているうちに生活の細部がすべて意味を持っていることに気づく。その後ヴァンダはどうなったのか。別の場所に移ったのか。宙吊り状態で映画は唐突に終わる。観終わった後には自分の回りの空間の細部がザワザワと泡立ち始めるのを感じる。


2010年07月26日(月)

7時起床。何も飲食せずに7時半出社。8時に事務所を出て七世の車で渋谷クロスタワー21階の成人医学センターへ。胃の中のピロリ菌の有無を調べる呼気検査。最初の呼気と薬を飲んで20分間横になった後の呼気を比較する検査。9時前終了。9時過ぎに事務所に戻る。その後しばらく雑用。13時前に栃内、岩元と事務所を出て日本橋のニチハ・ショールームへ。スーパーポテトの山本氏も同席。技術開発部のエンジニアと外装断熱パネルについて意見交換。現状の技術を前提条件にする限りブレイクスルーは難しいことが分かる。しかし遮音性を確保するにはある程度の重量が必要なので、軽量性と施工性だけを追求しても意味がない。人力による外装工事では、パネル重量を50キロ以下に抑える必要があるので、その重量を前提条件にしてどこまで性能を上げることができるかという問題に転換する方がリアリティがある。あれこれ議論した結果おおよそ2つの構法へと収斂する。早急に詳細な検討を行うことになった。3時半に事務所に戻る。井上とアタゴ工場の電気システムについて簡単な打ち合せ。夜は原稿スケッチと読書。

『建築家ムッソリーニ』は第2章「ムッソリーニのローマ」を読み終わり、第3章「ヴェネツィア宮にて」に差し掛かる。ムッソリーニはローマ中に記念建築物を建てていく。4年前にローマ大学でワークショップを開催したとき、ガッツォーラ教授は都市計画に関するレクチャーで、ムッソリーニによってローマの都市計画はズタズタにされたとコメントしていたが、たしかにムッソリーニはローマ全体に大鉈を振るっている。フォロ・ロマーノを横断してコロッセウムに行く道路を通したものムッソリーニである。現代ではとても考えられない暴挙である。イタリア合理主義の建築家の名前が続々と出ては来るが、様式に関する議論はまだ展開されない。


2010年07月25日(日)

今日も一日、事務所で過ごす。外壁パネル・プロジェクトのアイデアについてあれこれ考えを巡らせ、結果をまとめて事務所スタッフにメール送信。引き続き『メタル建築論』のために、これまでに書いてきた関連原稿を整理してみる。「メタル建築史」を中心にして、アルミニウム建築史、ブルネルスキからミースに至るまでのグリッド・システムやモデュール論、技術の暗黙知論などをまとめてみたい。午後は読書とDVD鑑賞。阿丹に勧められたフィンランド映画『過去のない男』(アキ・カウリスマキ:監督 2002)を観る。フィンランド北部からヘルシンキに出稼ぎに来た男が暴漢に襲われて記憶を失うが、彼を救った救世軍の女性と恋に落ちるという他愛のない話。ヘルシンキにもホームレスがいることに驚くが、港のコンテナ住居や下町の場末バーなど観光旅行では決して観ることのできないヘルシンキの裏面風景が興味深い。ジム・ジャームッシュの『NIGHT ON EARTH』(1991)とは一味違ったヘルシンキである。

『建築家ムッソリーニ 独裁者が夢見たファシズムの都市』(パオロ・ニコローゾ:著 桑木野幸司:訳 白水社 2010)を読み始める。「はじめに」と第1章「建築をめぐる旅」を読み終わり、第2章「ムッソリーニの都市ローマ」に差し掛かる。ムッソリーニお気に入りの建築家はローマのEURを計画したマルチェッロ・ピアチェンティーニである。ファシズムとイタリア合理主義建築の関係をじっくりと追ってみたい。翻訳がこなれていてとても読み易い。


2010年07月24日(土)

今日は一日事務所で雑用と読書。安藤忠雄さんへ『難波研究室 活動全記録』の帯文に関するお礼と返答のファックスを送る。伊藤毅さんから来週開催する退職記念本の座談会に関するメール。想い出話もいいけれど、未来を見るために過去を確認するというベンヤミンの「歴史の天使」的な座談会にしたい。スーパーポテトから連絡があり、外装パネル・プロジェクトの基本方針を転換することになった。当初は既存技術を組み合わせたリアリティ重視の方針だったが、それではジャンプは望めないことが分かったので、徹底的にイノベーションをめざすことになった。これこそ僕が望んでいたことである。早速、具体的な要素技術の調査に着手する。僕の頭にはすでに明確なイメージがある。4〜5センチの厚さで、耐候性、耐輻射性、通気性、高断熱性、軽量性、施工性をすべて備えた大型パネルである。基本方針をまとめて来週にメーカーと打ち合わせる予定。明日は一級建築士試験の日なので事務所は早めに切り上げる。夜は久しぶりにツタヤから届いた『ちゃんと伝える』(園子温:監督 2009)を観る。『愛のむきだし』(2008)とは対照的に淡々とした作品。園監督の幅広さを感じさせる。園監督が最初にブレークした『紀子の食卓』(2006)もなんとか観ねばなるまい。

『形態は欲望に従う 精神分析時代とリチャード・ノイトラ』(シルヴィア・レイヴィン:著 金出ミチル:訳 鹿島出版会 2010)を読み終わる。ノイトラはロサンゼルスに移住したフロイトの弟子たち、オットー・ランクやヴィルヘルム・ライヒとの付き合いを通して、精神分析の建築への適用を進めていった。とはいえランクやライヒはフロイトから破門された学者であり、西海岸では半ばオカルト的な活動を展開していた。ノイトラのクライアントであるチューイー夫妻はその仲間だったらしく「チューイー邸」(1956)はLSD実験で有名なティモシー・リアリーのサロンになっていたという。こんなところでノイトラとリアリーが交差するとは驚天動地である。ノイトラはチューイー夫妻と一緒にオーハイのクリシュナムルティ生活共同体にも頻繁に出かけたというから、その雰囲気にかなりインヴォルブされていたに違いない。ノイトラと精神分析学との出会いは、西海岸特有の風土にどっぷりと浸されていたわけである。過剰な健康指向はほとんど精神病だといってよい。その象徴的な仕事がガーデングローブ・コミュニティ教会である。これはTV伝道で有名な牧師ロバート・シューラーがロサンゼルス郊外に創設したドライブイン式教会で、現在ではフィリップ・ジョンソンが設計した「ガラスのカテドラル」(1979)やリチャード・マイヤーが設計した案内所で有名だが、最初の教会はノイトラが設計したのである。僕は3年前、ガラスのカテドラルを訪れた際にノイトラの教会を観て訝しく思ったが、本書を読んでその歴史的背景がよく分かった。今になってみるともう少しノイトラのドライブイン教会と「希望の塔」の平面計画を読み取っていればよかったと反省する。ロサンゼルスの街中にあったラファエル・モネオ設計の「レディ・オブ・エンジェルス大聖堂」(2002)もおそらく同じような歴史的コンテクストのなかで建設されたのだろう。ともかく本書を読んで、アメリカ西海岸がさまざまな面で「歴史の吹き溜まり」であることを痛感する。ノイトラは「動物的リアリズム」のさなかで活動していた訳である。アレグザンダーもゲーリーもまったく同じだし、フランク・ロイド・ライトだってそうかもしれない。フランクフルト学派のマックス・ホルクハイーマーやテオドール・アドルノが戦時中に西海岸に滞在したときの経験から『啓蒙の弁証法』を書いたことも頷けるような気がする。


2010年07月23日(金)

6時起床。7時出社。栃内がまとめた「138上田邸」の高窓ディテールをチェック。7時過ぎに家を出てJR山手線、東武東上線を乗り継ぎ寄居駅へ9時20分着。車内で井上と会う。駅前で永吉工場長の車にピックアップしてもらいアタゴ新工場の敷地へ。すでに雨宮社長は着いている。大成建設関東支店の人たちに挨拶。敷地が整地され南側の川に向かう緩やかな傾斜がよく分かる。敷地南端に立って完成後のランドスケープを想像する。敷地の北側一体に砂が敷かれ、その上にテントが建てられている。間もなく雨宮会長も到着。9時45分から地鎮祭開始。さすがにスーパーゼネコンだけあって、きわめてフォーマルな儀式。神主がひとつひとつの儀式の意味について説明しながら進行する。鎌入れの儀式では少々緊張する。10時半終了後、記念撮影。8月からの打ち合せは現場小屋で行うことになった。工場長に寄居駅まで送ってもらい1時過ぎに事務所に戻る。午後3時から所内打ち合せ。コンペの可能性に着いて話し合う。夕方、石山修武さんから電話。Xゼミの今後の展開について意見交換。5時過ぎに岩元と事務所を出て本郷三丁目の角川出版へ。難波研OBの西島光輔、林盛、佐藤隆志君が出席。編集部の小島氏と帯の文案、第2回目の校正、今後のスケジュールなどについて打ち合せ。佐藤君の仕事はシュツットガルトへの留学のため最終稿を渡す8月上旬で終了し、その後は岩元が引き継ぐことになった。8月末までに編集作業を終えて9月中旬に出版の予定。7時半終了。正門前の中華料理屋で夕食。9時過ぎに事務所に戻る。どっと疲れが吹き出したので10時過ぎ帰宅。『形態は欲望に従う』を読みながら夜半就寝。


2010年07月22日(木)

7時起床。8時半出社。今日も晴れで酷く暑い。9時過ぎに事務所を出て、京王堀之内の「ココラボ住宅」現場へ10時半着。足場が取れて外観が姿を現している。白色サイディングの外装が眩しい。やはり着色サイディングは今一深みが足りない。全体的に均一で、ガルバリウム鋼板や素地仕上げのようなラフさがないからである。内部は内装が終わり木部のクリアラッカーの塗装中。やはり杉の赤味に目につく。今後はもっと赤くなるだろう。2棟とも外観は似ているが、内部空間の点では、A棟はきわめて単純明快な一室空間で、B棟は5つの床がスキップした複雑な空間と対照的である。いくつか細かな修正点を指摘して12時前に現場を発つ。1時半に事務所に戻る。安藤忠雄さんから電話。『難波研究室 活動全記録』の帯文について相談。直ちに3つの案が届く。明日の編集会議で話し合うことにする。4時過ぎに事務所を出てミッドタウン5階のグッドデザイン事務局へ。担当スタッフから住宅部門の歴史について30分間のショートレクチャーを受ける。通産省がグッドデザイン賞を始めた1970代当初には池辺陽も審査委員だったが、住宅設備部門の担当で建築部門は存在しなかったらしい。建築部門が生まれたのは1980年代末で、最初にハウスメーカーが参入し、工場やオフィスビルへと拡大し、集合住宅や戸建住宅までが対象になったのは2000年頃だという。それが住宅部門としてまとめられたのは4年前である。5時からグッドデザイン賞の集合住宅部門のラウンドテーブル。1次審査を通過した大手ディベロッパー6社が参加。約50人の聴衆。各社5分間のプレゼンテーションと5分間の質疑応答。その後、約1時間のディスカッション。ディベロッパーから戸建住宅と集合住宅を同列に審査することへの疑義が出たが、それは供給サイドの論理でしかない。ユーザー目線では、戸建も集合住宅も住まいの選択肢としては同列である。その点をディベロッパーはまだ分かっていないようだ。住まいは本質的に保守的なジャンルだが、現段階で何らかのイノベーションを試みなければ、現状の住宅市場の飽和状態を突破することはできない。エコ住宅、コンバージョン、リノベーションは、その試みではあるが、それだけでは市場が狭過ぎる。やはり新築でイノベーションの可能性を探らねば未来はない。僕としてはイノベーションの潜在的な可能性は集合住宅にしかないと考えるので、それに挑戦しないディベロッパーに対して歯がゆい思いを抱いている旨を伝える。果たして分かってもらえたかどうか。7時終了。7時半に事務所に戻る。8時半、TH-1朝倉社長が来所。「139遠藤邸」木造案の概算見積依頼。9時前、2階自宅居間の空調機修理。10時終了。10時半に帰宅。明日のアタゴ工場地鎮祭のために早めに就寝。


2010年07月21日(水)

7時起床。8時半、青山歯科医院。虫歯の治療第3回目。神経を抜いた孔に薬を充填し蓋をした後レントゲンで確認。問題ないので次回で治療は完了の予定。難波研OBの佐藤君から「難波研究室 活動全記録」のゲラ・データが届いたので400頁余のすべてをプリントアウトし、帯に入れる短文を依頼する手紙を添えて、安藤忠雄さんに送付。午後、石山研究室のXゼミサイトに僕の第9信がアップされる。Xゼミを持続するにはかなり勉強する必要があることを痛感する。岩元と「139遠藤邸」の木造変更案の概算見積用図面の打ち合せ。栃内と「138上田邸」のFIXガラス納まり打ち合せ。高窓のペアガラスの荷重が100キロを越えるので構造には万全の注意が必要である。井上から今日のアタゴ工場定例打ち合せの報告を受ける。明後日が地鎮祭だが、その後に現場事務所を建て8月から地業工事に着手する予定。

『環境としての建築』(レイナー・バンハム:著 鹿島出版会 1981)を読み終わる。1969年に書かれた本であり、はっきりと時代の制約を受けていることを改めて確認する。自然エネルギーの活かし方に関する提案はあるが、エネルギー問題はまだ浮かび上がっていないので省エネの発想はほとんどない。むしろバンハムはアメリカ的なエネルギー制御に憧れている節がある。ラスヴェガスを絶賛している点ではヴェンチューリと同じポストモダニストである。ロンドンではモールトンの自転車に乗っていたバンハムが、ロサンゼルスに移住してからはキャデラックを乗り回すようになった経緯が何となく分かるような気がする。

『形態は欲望に従う 精神分析時代とリチャード・ノイトラ』(シルヴィア・レイヴィン:著 金出ミチル:訳 鹿島出版会 2010)を読み始める。アンソニー・ヴィドラーの『不気味な建築』や『歪んだ空間』のようなオドロオドロしい本かと思ったらさにあらず。ウィーンでフロイトを学んだノイトラが、ロサンゼルスに設計した一連の住宅において、日常性に潜む環境心理をいかに建築デザインに投影したかという至極アカデミックな分析のようだ。1950年代のアメリカでは精神分析学が大流行したというから、おそらく大衆化されたスタイルとしての精神分析だったのだろう。健康住宅と精神分析という意外な結びつきがどのように解析されているのかが興味深い。僕としては「建築的無意識」に引き寄せて読んでみよう。


2010年07月20日(火)

7時起床。昨夜は寝苦しくて何度も目が醒める。熱帯夜で室温が28度を越えたので、冷房を点けたままで寝たのが良くなかった。タイマーをかけていたのだが、眠り込むと体温が下がり、寒気を感じてしまったのである。しかしなぜか首回りにはびっしょりと汗をかいていた。7月に入ってからはずっと床冷房の給水設定温度は17度、アクアレイヤー設定温度は22度だが、24度以下に下がったことはない。これも不思議である。それでも昼間の2階はヒンヤリしていて気持ちがいい。その点では前真之さんの「箱の通信簿」における床冷房の評価は間違っている。一方、朝の事務所はヒンヤリしているが、昼前までには我慢の限度を越える。8時過ぎに出社。Xゼミ第9信に取りかかり昼過ぎまでにまとめて送信。1950年代の鉄筋コンクリート造にかんする歴史的概観。工場も設備の新陳代謝への対応がもっとも大きな課題である。新潟のクライアント候補から電話。遠方の設計監理を心配していたが、新潟県栃尾市で1軒、富山で3軒の「箱の家」を実現しているので、まったく問題ないと伝える。来週末に来所してもらうことになった。西薗さんから「129遠藤邸」の木構造図が届く。早速、納まりを検討。何とか行けそうなので工務店に概算見積の依頼メールを送信。できるだけ早いうちに工事費の見通しをつけたい。北山さんから「140北山邸」第2案への返答メールが届く。使用する家具類のデータをもらい配置を決めれば基本設計はまとまりそうである。夜は読書。10時過ぎ帰宅。

『環境としての建築』を読み続ける。翻訳が固くて読みにくい。ようやく第8章「住むための機械」に差し掛かる。たしかにレイナー・バンハムも言うように、クリスタルパレス(1951)の構造や構法についての記述は多いが、室内環境調整システムについてはまったく紹介されていない。ジョセフ・パクストン卿が熱帯植物を育てる温室の技術者であったことを考えれば、片手落ちも甚だしいと言わざるを得ない。

 並行して『著書解題 内藤廣対談集2』(INAX出版 2010)を読み始める。対談になると皆、想い出話になる。磯崎さんでさえそうなってしまうのはなぜだろうか。裏話が主なので、原著を読まずに本書だけを読んだのでは、何のことやら分からない部分が多い。やはり短くても内藤さんの読書評をつけるべきではなかったか。でないと、特に若い人はついて行くのが難しいだろう。


2010年07月19日(月)

8時過ぎ出社。今日も夏晴れで暑くなりそうだ。午前中は『世界史の構造』をザッと読み直す。全体像はとてもはっきりしているが、この本の面白さは4種類の交換様式によって世界史を読み直す点はもちろんだが、構造から分岐するエピソードが満載されている点である。昨日紹介したアニミズムに関する議論もそのひとつだが、それ以外にもジェーン・ジェイコブスの原都市論やロマン主義に関する議論が興味深い。柄谷が最終章で展開している議論、すなわち第1次世界大戦が国際連盟を、第2次世界大戦が国際連合を生み出したように、将来もしもう一度世界大戦があったとしても「抑圧されたものの回帰」として、ふたたび世界連邦へむけた国際組織が生み出されるだろうという楽観的な予測をどう受け止めるかが、本書の評価を左右するような気がする。僕としては、その点に単なる評論家ではない政治家=デザイナーとしての柄谷行人の真骨頂を見たいと思うのだがどうだろうか。本書を読んだ勢いで、引き続き『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(スラヴォイ・ジジェク:著 栗原百代:訳 ちくま新書 2010)を一気に読み通す。2001年の9・11同時多発テロと2008年の金融大崩壊に関する議論から始めて、現代社会に浸透し支配しているグロ−バルな金融資本主義イデオロギーの批判的分析を経て、ポストモダン・コミュニズムの再評価へと収斂していく議論である。ラカンの精神分析学と映画論を梃にしたスピーディな議論展開は鮮やかだが、柄谷のように原理を分岐させながら積み上げていくのではなく、さまざまなエピソードをジャーナリスティックに紹介しながら駆け抜けていく。僕にはなかなかついて行けないタイプの議論だが、どこかで柄谷の思想と通底しているようにも思える。10時半帰宅。Xゼミについてあれこれ考えながら夜半就寝。


2010年07月18日(日)

8時半出社。梅雨が明けて完全に夏の空。朝から酷く暑い。日本建築士会連合会作品賞の講評をまとめて事務局に送信。11時半に事務所を出て、地下鉄千代田線で町屋まで行き、京成線に乗り継いで京成中山駅へ13時前着。改札口で「136伊東邸」の伊東さんと花巻と待ち合わせ。伊東さんの車で近くの寿司屋へ。以前に約束していた伊東一家との会食会。美味しい寿司をいただきながらお互いの近況報告。花巻の結婚式の話題で盛り上がる。3時終了。西船橋まで送っていただき4時過ぎに事務所に戻る。夕方までに日本構造デザイン賞の講評をまとめて、竹中工務店の中川政義さんに送信。これで原稿はXゼミを残すのみとなった。夜、石山修武さんに電話。退職記念本の座談会の日時について相談。7月中に開催できることになったので一安心。結果を伊藤毅さんと彰国社に報告。

『世界史の構造』(柄谷行人:著 岩波書店 2010)を読み終わる。いつもよりペースが遅かったのは、500ページもの大部であること以上に、一気の読み通せるほど引込まれなかったせいである。本書で披瀝されている柄谷のヴィジョンがあまりに壮大で、問題意識をなかなか共有できなかった。とはいえ4種類の「交換様式」によって古代から現代に足る世界史を読み解いていく論旨の明解さには舌を巻いた。資本--ネーション--ステートという体制は、商品(貨幣と商品)交換--互酬(贈与と返礼)交換--搾取・再分配(支配と保護)的交換という三種類の交換が三位一体的に結合した体制であり、現代の世界はこの体制によって支配されている。そして柄谷は第1の互酬的交換様式の「抑圧されものの回帰」である第4の交換様式として、新たなタイプの互酬的交換をもたらすアソシエーショニズムを構想し、その起源を世界宗教、マルクス、カントの中に探っていく。これがまさに「世界史の構造」である。世界史は人間がつくる。しかしそこには人間の制御を越えた条件--自然的・物理的・生物的条件--がある。柄谷はその条件を思考に引き寄せ、その構造を探り出そうとする。そして自然の構造と世界史の構造を統合しようとするのが、第4の交換様式なのである。4種類の交換様式に関する説明を読みながら、僕はレヴィ=ストロースの「思考の構造」や、そのオリジナルであるカント的カテゴリーとの共通性を考えざるを得なかった。いずれも世界認識のための図式だからである。したがって、それらに対するのと同じ疑問が湧いてくる。その「構造」は、世界史の中にあるのか、あるいは柄谷の頭の中にしかないのか。柄谷の応えは、おそらく「認識の図式がなければ世界史の構造は見えない」だろう。この構想はまた、どことなく「建築の4層構造」にも似ているような気がする。交換はつねに物理的交換(贈与)、機能的交換(社会)、記号的交換(意味)という3つの側面を持っているからだ。しかしそれ以上に明確な構造的類似性についてはまだ分からない。少し時間をかけて考えてみたい。
もうひとつ、本書を読んで膝を打ったことがある。アニミズムについての柄谷の解釈である。柄谷はこう書いている。

アニミズムは、すべての対象について、同時にそれをアニマ(精霊)として見る態度である。これは特に理解困難なものではない。現象学的な接近によってそれを理解することができる。その鍵となるのは、マルティン・ブーバーの『我と汝』である。彼は、世界に対してとる人間の態度を二つに分けた。第一に「我-汝」という関係であり、第二に「我-それ」という関係である。後者の場合、「それ」はものに限定されるものではない。「それ」のかわりに、彼や彼女といいかえてもよい。つまり、人間であろうと物であろうと、同様に「それ」として対象化されているのである。逆にいうと、「我-汝」という態度をとれば、物もまた「汝」となりうるのである。(中略)
「我-汝」という態度で接するならば、人間も自然も「汝」である。そのとき、アニマ(精霊)があるようにみえる。そのような考え方がアニミズムと呼ばれるのである。アニミズムとはいわば、世界に対して「我-汝」という態度をとることである。
『世界史の構造』第1部 第2章「贈与と呪術」「2 呪術と互酬」

僕はこれを読みながら、一昨年前の石山修武さん展覧会のカタログ『建築がみる夢 』(石山修武:著 世田谷美術館:編 2008)に寄せた柄谷の文章を想い出した。柄谷はそこに書いた石山さんとの想い出を考えながら、このアニミズム論を書いたのではないだろうか。なので、アニミズムに関する柄谷のこの見解を、石山さんの『アニミズム周辺紀行』に捧げたい。


2010年07月17日(土)

8時半出社。今日、事務所は休みにした。一級建築士試験が近いのと、スタッフはここ2週間、コンペのために出突っ張りだったからである。事務所が静かなので仕事に集中できるかと思いきやまったく逆効果。コンペで皆が作業に集中していたから、僕も原稿に集中できたのである。やむなくボンヤリと読書。11時、構造家の西薗さん来所。「139遠藤邸」が予算オーバーのために木造に変更になりそうなので、佐々木君に頼んで木構造専門の西薗さんにバトンタッチした。平面プランを大きく変えないので木造に変更可能かどうかを検討してもらったが、何とかなりそうである。大急ぎでシステムと部材サイズを確定し、概算見積をしてみることにした。午後。銀座に出てトラヤ帽子店で夏用のパナマ帽を購入。昨年買った帽子はシドニーで盗まれたので、今日までは古い帽子を被っていたが、2年も経ったので、日射と汗で黄色く変色してしまった。帽子屋でメンテナンス可能かどうか聞いたが難しいという。むしろフォーマルとカジュアルに使い分けることを勧められる。3時に事務所に戻る。『世界史の構造』を読み続ける。ようやく最終の第4部まで来た。明日には読み終えるつもり。結局、今日は原稿はまったく進まず夜半就寝。


2010年07月16日(金)

7時起床。8時過ぎ出社。昨年7月に東大で開催したIAES(建築教育国際会議)会議録の最終稿校正。校正ページをpdf版にスキャンして、編集を担当しているフリックスタジオに送信。僕の在職中に出版する予定が、結局1年以上かかってしまった。会議に参加した海外メンバーの対応の遅さのせいである。何とか8月中には出版する予定。その後、大急ぎで退職記念本の前真之さんへの対応原稿を書き上げる。これはあとがきを兼ねているので10枚弱。建築デザイン研究室と環境研究室との共同研究から説き起こし、サステイナブル・デザインの基礎理論である『建築の4層構造』(難波和彦:著 INAX出版 2009)に至る経緯をまとめる。最近、デザイン志望の学生が環境研究室を指向するようになったのは、サステイナブル・デザインが今世紀の最重要テーマであることに、学生たちがようやく気づき始めたからである。今後この趨勢はますます進行するだろう。午後は「139上田邸」の木造軸組プレカット図のチェック。担当の栃内と基礎についても短い打ち合せ。建方は8月7日(土)に決定。「140北山邸」の第2案をまとめて北山さんに送信。引き続きXゼミのために1950年代の建築の文献調査。一昨日、鈴木博之さんの第7信をアップしたので、石山さんから早急に応信するように催促された。1950年代の日本はコンクリート構造全盛の時代である。7月30日(金)に開催する伊藤研の特別読書会のために『環境としての建築』(レイナー・バンハム:著 鹿島出版会 1981)の再読を始める。本書はすでに絶版になっていて、アマゾンの古書では4万円以上もの値段がついている。サステイナブル・デザインにとっては決定的に重要な文献なので、ぜひ再版してもらいたいものだ。6時半にスタッフと事務所を出て表参道の居酒屋へ。アルバイト4人も参加してコンペ打上げ。学生たちと飲むのは久しぶりである。9時終了。近くのバーに場所を移し二次会。11時過ぎ解散。一旦事務所に戻り雑用を済ませた後11時半帰宅。


2010年07月15日(木)

8時過ぎ出社。昨夜まとめた追加原稿を推敲した後、直ちに彰国社の鷹村さんと伊藤毅さんに送信。鈴木博之さんへの原稿は最終的に50枚近くにまで膨らんだ。さらに石山さんへの原稿に少し加筆した上で送信。残すところは前真之さんへの対応原稿だけになった。10時前、ムジネットの田鎖専務と川内氏が来所。「MUJI+INFILL木の家」の契約更改のため先頃開発した第2ヴァージョンとオリジナル・ヴァージョンとの分け方について話し合う。昨年にオリジナル・ヴァージョンのシステム・メンテナンスを行い、改良版を作成したが、それが第2ヴァージョンに発展した経緯から、結局、両者の区別は難しいという結論となる。当初の契約内容を再確認した上で、契約更改は一括で行うことで合意。さらにシステム・メンテナンスの一環として、「MUJI+INFIKK 木の家」のコンセプトを徹底させるため、販売を担当する営業の人たち向けの教育セミナーを年2回、定期的に実施することになった。これは9月から開始する。販売開始から5年目で、いよいよ軌道に乗り始めた感じである。午後1時半、イゼナの前田社長が来所。久しぶりにアクアレイヤー・システムの改良版やサステイナブル・デザインの新技術について意見交換。前田さんはいろいろ新しい技術に取り組んでいるようだ。最近の興味は、蓄熱の時間スパンをアクアレイヤーのように一日毎ではなく1年間に延ばすために、地中蓄熱の技術へと向かっている点だそうだ。それに対して、僕はいつも通り、住宅の技術革新に展開するような技術の可能性について自説を話す。建築界ではいまだにハードウェアとして製品化されないと技術革新に結びつかないのがまどろっこしい。ソフトな製品が技術革新をもたらすことはあり得ないのだろうか。3時終了。引き続き前真之さんの原稿を再読。「箱の家」に対して厳しい評価を展開しているが、僕たちにとっては改良のヒントになるので熟読。僕の原稿はサステイナブル・デザインの基本思想を再確認する方針でまとめることとし、原稿のスケッチを始める。今週末までには書き終える予定。花巻、岩元と「ココラボ環境共生住宅」の打ち合わせ。外周の足場が取れ、外部は鉄骨ベランダの取付を残すのみとなった。お盆前に建物を完成させ、1週間の環境実測を行った後、お盆明けに最終検査を行う予定。10時半帰宅。伊藤毅さんから退職本の最終校正案が届く。7月末あたりに5者対談を実施する予定。『世界史の構造』を読みながら夜半就寝。


2010年07月14日(水)

6時起床。7時に家を出て羽田空港へ。ターミナル2で横河健さんと待ち合わせ、全日空熊本行のゲートへ。アラン・バーデン、中谷正人、中井政義の3氏に会う。8時半出発。10時過ぎ阿蘇熊本空港着。リムジンで熊本駅へ。雨が激しく降り続いている。工事中の駅前ターミナルの真ん中に西沢立衛さんが設計した「駅前広場上屋」がある。上屋の下に路面電車の駅があり、JR熊本駅との間に小さな広場ができている。上屋の平面形は単純な水滴形。西沢さんはオスカー・ニーマイヤーの形に啓発されたのだそうだ。広場の真ん中でバーデンさんの説明を聞く。構造システムは、柱脚を固定した14本の45㎝φ厚肉鋼管の上に40㎝厚のRCスラブを載せた単純な構成。天井高は6m。路面電車の配線ケーブルが通る最小限の高さである。西沢さんの最初のイメージは、鋼管は25㎝φ、スラブも25㎝厚だったそうだ。軽くするなら鉄骨造の方がふさわしいように思うがと問うと、最初から西沢さんは天井をRC打ち放し仕上げにすることに拘っていたという。当初は柱頭固定にして鋼管サイズを少しでも抑えることを考えたが、建築センターの審査でRCへの鉄骨の定着に関して実物試験を要求されたので、その案は放棄したそうだ。RCスラブの中には、補強とひび割れ防止のためにあちこちにポストテンション用のPCケーブルが組み込まれている。近くのビジネスホテルの最上階から見下ろすと、白色の塗布防水の真中一カ所だけに雨水排水ドレインがポツンと空いている。約1000平米の建築面積で工事費は3億円。坪100万円近いとはやや過剰な感じもするが、ターミナル一体の整備が終われば目玉スポットになることは間違いないだろう。僕たちがいる間にもテレビ取材をやっていた。現場での説明を終えて、1時過ぎにホテル1階のレストランで昼食を摂りながらバーデンさんに細かな質問。2時過ぎ、横河さんはスタッフと一緒に阿蘇へ向かい、バーデンさんは建設中のポリスボックスの打ち合せへ向かう。残り3人は雨が激しくなるなかリムジンで空港へ戻る。空港のロビーで1時間ほど歓談。4時前のANAで羽田へ5時半着。6時半に事務所に戻る。栃内と「140北山邸」の打ち合わせの後、退職本原稿の追加原稿に集中。10時半までに完了。11時帰宅。『世界史の構造』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2010年07月13日(火)

7時起床。8時出社。すでにスタッフ全員が作業している。9時半、コンペの最終プレゼンテーションのチェック。できるだけクリアな表現になるよう細かなアドバイス。退職本原稿第3弾を推敲し彰国社と伊藤教授に送信。10時に事務所を出て、タクシーで渋谷クロスタワーの東京女子医大成人医学センターへ。10時半から人間ドックの結果に関する診断。消化器科、循環器科、眼科を回る。まずは胃内の菌の検査を推奨され、次に心電図の僅かな乱れを精確に測るために24時間検査を行うことを勧められる。30分間待って眼科へ。眼底の神経束が盛り上がっているので緑内障の可能性があるから精密検査を受けろという。検査が精密になればなるほど問題が出て来る。これは当然の理である。まるで細かな竣工検査を受けているようだ。医療費が急増する筈である。適当に切り上げるつもりだったが、どんな検査をするのか興味があるので、まずは1回だけ言うことを聞いてみることにする。12時半に事務所に戻る。コンペは最後の追い込み。2時前に花巻がプレゼ図面を持って事務所を出て行く。その後、皆で所内の清掃。今日はスタッフ全員に早めの帰宅を勧め、7時終了。前真之さんから退職本の原稿が届く。これですべての原稿が出そろった。夜は追加原稿のスケッチ。10時半に帰宅。


2010年07月12日(月)

8時半、青山歯科医院。奥歯の虫歯治療。あと数回かかるとののこと。10時に事務所に戻る。コンペ作業が続く。その間、僕は退職原稿第3弾に集中。1時半に事務所を出て六本木ミッドタウンへ。千葉学さんから名誉教授証を受け取る。2時からグッドデザイン賞の1次審査会議。まず340余の応募作品から他のユニットに移動する作品数点を選定。引き続き1次審査通過作品約260点を選定。その後しばらく討論の後、集合住宅の審査基準に関するディスカッションの会のプログラムを決め、最後に今年の公開プレゼンテーションのテーマをリノベーションとすることに決定して6作品を選定。4時半に終了。5時過ぎに事務所に戻る。その後はひたすら原稿続行。9時過ぎ最終模型とプレゼンテーション素材のチェック。10時半帰宅。原稿の内容を再考しながら夜半すぎ就寝。事務所では作業が続いている。明日が締切である。


2010年07月11日(日)

今日は日曜日だが、昨夜から続いて朝からスタッフが出社しコンペの作業。アルバイトの学生も集まって来る。僕は時折コンペの作業をチェックし簡単な指示を出す。作業の段階に入ると僕の仕事はスタッフをエンカレッジすることだけである。その間、僕はひたすら退職本原稿に集中し、時折気休めに読書会の本に眼を通す。第3弾の退職本原稿では石山修武さんとの活動を振り返っているのだが、想い出しながら書くのはなかなか大変である。夜11時までにようやく20枚まで到達する。12時前帰宅。スタッフはまだ作業を続けている。


2010年07月10日(土)

今日は一日事務所で退職本の第2弾原稿に集中。コンペはアルバイトが加わって本格的な模型製作を開始。時折、方向性や細部の確認の打ち合せ。午後3時、北山一家が来所。僕と栃内で「140北山邸」の第1階プレゼンテーション。設計要旨、一般図、模型を見せて説明。設計条件はほぼ満足し、予算も射程圏内に納まっているので、問題なく北山夫妻も気に入ってくれる。僕たちとしては敷地と道路とのレベル差を活かし東西にスキップしたこれまでとは異なる一室空間住居を提案できたので満足である。台所のレイアウト、既存家具の配置、自転車の置き方など細部の条件や工事費の支払条件などについて打ち合せて1時間余で終了。その後は再び原稿を書き続ける。9時に約40枚の原稿をまとめて彰国社の鷹村さんと伊藤毅さんに送信。入れ替わりに伊藤さんから原稿の感想と一緒に読書会への誘いが届く。伊藤研の4年生に他研究室の学生も加わって読書会を続けているらしい。次回の読書会にバンハムの『環境としての建築』を取り挙げるので僕が呼ばれた。顔見知りの学生ばかりなので文句なく快諾。11時前帰宅。ウイスキーを煽りながら次の原稿について考え続ける。伊藤さんから先日送った第1弾原稿をさらに膨らませられないかという要望が届いたので続きについても考える。遅くとも今月中には4本の原稿を仕上げねばならない。なかなか寝つかれず1時半頃就寝。


2010年07月09日(金)

9時に家を出て、北千住で東武伊勢崎線の特急りょうもう号に乗車。車内で井上と待ち合わせ11時過ぎ藪塚着。駅前で大成建設の近藤さんの車にピックアップしてもらい11時45分にCIXM工場着。久しぶりに堀尾俊彰社長にお会いする。間もなく大成建設の芝田さんも到着。堀尾社長と近くの蕎麦屋で昼食を摂った後、工場へ戻り、近藤さん、芝田さんと詳細な見学。玄関回りの配置がかなり変更され、開発室が移動しショールームが拡大されている。工場内にも新しく間仕切を追加し部屋を作っている。工場のプラン変更が急速に進むことを改めて確認する。あれこれ想い出しながら詳細について大成建設に説明。引き続き外壁の納まりについても説明。3年経過しているが屋根と連続した外壁の汚れはほとんどない。土壌のせいか、あるいは日射が厳しいためか、3年経っても東面の笹は新しい芽は出ているが、あまり広がっていない。3時過ぎに終了。堀尾社長にお礼を述べ、近藤さんの車で藪塚へ戻る。3時半の特急に乗り5時半に事務所に戻る。難波研OBの黒田君とOGの横山君が手伝ったコンペのスタディ模型を見ながら打ち合せ。内部空間の方針を再確認。いよいよ本格的なプレゼンテーションに着手する。栃内が製作中の「140北山邸」の模型チェック。6時半に事務所を出てJIAの建築家クラブへ。7時からシンポジウム「建築家 池邊陽の見つめていた都市とまちについて考える」。会場には数人の池辺研究室OBOGの顔が見える。最初に僕が池辺の仕事の全体像を紹介し、引き続いて池辺このみさんが池辺の都市像について説明。彼女の父親譲りのモダンな都市観には微かな違和感を感じる。ジェーン・ジェイコブスに言及しながら反論しようかとも思ったが、短時間では生産的な議論にならないと考えて思いとどまる。8時半から質疑応答。僕は『戦後モダニズムの極北:池辺陽試論』(難波和彦:著 彰国社1999)の内容を想い出しながら応える。美学については戦前から戦後にかけての池辺の転向とル・コルビュジェやウィトゲンシュタインを引きながら回答したが、うまく伝わっただろうか。退職本の原稿を書くために池辺研時代の活動について考えていたので、頭を整理するいい機会になった。その後、近くの中華料理屋で打上げ。久しぶりに剣持デザイン研究所の松本哲夫さんと話ができた。10時すぎ解散。11時半に事務所に戻る。スタディ模型はさらに進んでいる。11時半帰宅。


2010年07月08日(木)

9時過ぎに事務所を出て、明治神宮前から小田急線、京王線を乗り継ぎ10時過ぎに京王堀之内へ。10時半「ココラボ住宅」現場着。現場をザッと見た後、営業所へ。コスモスイニシア、現場監督、外構工事業者、花巻と外構工事のコストダウン案の検討。僕たちからは舗石や植栽を単純化する案を提案。その後、現場に戻り大工と打ち合せ。A、B棟とも外部仕上げの最中。内装は仕上工事がほぼ完了し家具工事に入っている。斜屋根の下の空間の背が高いことと軒が低いために、包まれたような感じがする。その結果、吹抜けがやや高過ぎる印象を受ける。1階の階高をもう少し抑えた方がよかったかもしれないが、家具類が入るとまた印象が変わるだろう。ともかく「箱の家」とはまったく異なる空間である。11時半に現場を出て2時前に事務所に戻る。4年生のバイト2人が来所。2時から高間三郎さんとコンペ打ち合せ。大空間の空調と日射制御の方針を決定。5時、佐々木君と事務所の小松君が来所。僕たちのコンペ案を説明するが、空間構成と構造の不一致を指摘され、空間構成にふさわしい代替案を提案される。議論をくり返したが二者択一的な結論に収斂したので、空間構成を優先し、構造の考え方を一新することに決定。その後「139遠藤邸」木造案について説明。8時半終了。退職本の第1回原稿を彰国社と伊藤毅教授に送信。スケジュールが押しているので急ぐように催促される。9時前に岩元が帰ってきたので、再度コンペ打ち合せ。今日一日の打ち合せ結果について議論。構造システムについては仕切り直しになったが、この案を最大限に活かすように空間構成を再編成しなければならない。11時前帰宅。『世界史の構造』を読みながら1時前就寝。


2010年07月07日(水)

10時過ぎ明治神宮発の副都心線に乗車。池袋で東武線に乗り換え終点の寄居に1時前着。駅前で佐々木事務所の犬飼、木村、界工作舍の井上と待ち合わせ、タクシーでアタゴ工場へ。1時からアタゴ工場2人、大成建設6人、界工作舍2人、佐々木事務所2人、設備の高間さんと皿井さんが出席し、アタゴ工場月例会議の第1回。大成建設の現場監督である近藤洋史さんの司会で約1時間の打ち合せ。近藤さんは松村秀一研究室出身で、山代悟さんと同級生だそうだ。心強い現場監督である。全体会議は2時過ぎに終了し、その後は設計者だけの会議。3時前に寄居駅まで送ってもらう。5時、事務所に戻る。しばらく原稿続行。7時前に石山修武さんから電話。新大久保駅前の近江屋で待ち合わせ、今日の鈴木さんの講義『保存と再生』に関する話を聞く。ついで石山さんの世田谷村日記について議論。鈴木さんは石山さんの想像力の素晴らしさを指摘したが、僕はむしろフロイト的なヒューモアではないかと思う。自分の考えをシリアスに主張しながら、同時にそれを相対化し笑い飛ばすという離れ業。これはヒューモア以外の何ものでもない。それが読み手に優しさと同時に超越的な批評性を感じさせるのである。僕にはとてもできる曲芸ではない。しばらく飲んだ後、タクシーで池袋の魔窟Boire un Coup/ボワールアンクーに行く。美味しいワインとスパゲッティをいただき10時解散。石山さんを新宿まで送り、11時前に事務所に戻る。コンペの模型製作が続く。明日のコンサルタントとの打ち合せで突破口を見出したい。明日は梅雨の晴れ間のようなので「134久保邸」の撮影。僕は京王堀之内のココラボ住宅現場に行く予定。


2010年07月06日(火)

8時半出社。今日も一日事務所でひたすら退職本の原稿を書き続ける。1979年の池辺の死と世界旅行まで辿り着いたが、ここまでで40枚を越えてしまう。どう決着をつけるかが問題なのだが、終え方の想像がつかない。夕方、花巻、岩元とコンペ打ち合せ。突き抜けるアイデアは出てこないが、数歩だけ進んだ感じである。とりあえず模型を作ってみるように指示。夕方、高岡の現場に行った栃内から電話が入る。基礎外周に打ち込む断熱材の材料を間違えたらしい。初めての現場は予想外の間違いが生じる。現場監理には通常以上の注意が必要である。伊東豊雄さんから『伊東豊雄読本-2010』(A.D.A.EDITA TOKYO 2010)が届く。全編、伊東さんのインタビュー本である。子供の頃の話から始まり、最近のゲント市図書館まで、さらに国立近代美術館で開催された「建築はどこにあるの」展にまつわる話まで語り尽くされている。いずれじっくり読んでみよう。10 時半帰宅。


2010年07月05日(月)

7時起床。8時過ぎ出社。午前中は今週末に開催されるJIA池辺陽シンポジウムのスライド編集。前回JIAで池辺について話したのは1997年である。その時は佐々木宏、中原暢子両氏との鼎談だったが、中原さんはもうこの世におられない。1979年に逝った池辺も完全に歴史上の人物になったので、まずは彼の全体像を知ってもらわねばならない。数年前に大学院の授業で使ったスライドを膨らませて70枚のスライドショーを作成する。グラナダで会った難波研OBのアントニオ・リュッケがガールフレンドのエレニーと一緒に台湾に来ているらしい。日本で働きたいというので、まだ大学にいる難波研OBOGの連絡先を教える。午後は退職記念本の原稿を続行。鈴木博之さんの原稿に応えるつもりでスタートしたが、いつものようにどんどん脇道に逸れ発散し始めている。どこで止めるか思案のしどころである。石山研から「海老原一郎論」の第2弾が届く。直ちにXゼミサイトにアップする。それにしても石山さんのこのスピードにはなかなかついて行けそうにない。6時過ぎに事務所を出て六本木の国際文化会館へ。北川原温さんの芸術院賞受賞パーティ。沢山の人たちが集まったが、平均年齢は明らかに50歳半ばを越えている。何人か意外な人に会ったが、そういう出会いがこの種のパーティの意義だろう。終了間際に横河健さんが朝子夫人に会って欲しいと誘ってくれた。だいぶ前に脳溢血で倒れられたことは聞いていたが、ことばを少しゆっくり話すだけでかなり回復されている。何よりもこういう場所に奥さんを連れて来ようとする横河さんの気持ちに少し感動した。終了後、横河夫妻、椎名英三、坂本昭の5人で六本木のカフェで一服。ピッツァをつまみながら赤ワインで歓談。日本構造デザイン賞の審査会で久しぶりに横河さんに会ってから急に昔の友人との再会が多くなった。10時前に解散。10時過ぎに事務所に戻る。スタッフはコンペの模型を作り続けている。11時前帰宅。七世に横河夫人との再会を報告し夜半就寝。


2010年07月04日(日)

今日は梅雨の晴れ間で酷く暑い。午前中は原稿と雑用。井上がまとめたアタゴ工場の変更図面に眼を通す。今月下旬にいよいよ着工である。栃内がまとめた「140北山邸」の基本図と設計要旨をチェックバック。1時前に事務所を出て半蔵門の東條会館10階の写真館へ。10階に登ると皇居が見渡せる。スタジオにて名誉教授の肖像写真の撮影。いつもの講義の時と同じように背広とノーネクタイの服装とする。約30分で終了。カメラマンは銀座で写真館を開いていた義父の友人の息子さんだった。義父が写真館を閉じたときカメラを贈呈したというが、まだ使っているのだろうか。帰途、久しぶりに銀座まで足を伸ばしトラヤ帽子店に赴くが日曜で休業。映画館を回るが皆予約制で時間が合わない。結局3時に事務所に戻る。ここ数日の寝不足が祟り疲れが噴出したのでしばらく休憩。夜は原稿に集中。10時過ぎ帰宅。『世界史の構造』を読み続ける。柄谷が理論的追求の末に歴史の構造に行き着いた経緯を、僕自身の歴史との出会いに重ね合わせながら。


2010年07月03日(土)

7時半起床。昨夜は一晩中奥歯の鈍痛が続きほとんど眠れなかった。鎮痛剤を飲んでも止まらないので、朝一番に歯科医に連絡し9時に医院に赴く。2年前のレントゲン写真を見ながら診断。再度、同じ個所のレントゲンを撮り比較してみると一目瞭然。歯茎に隠れて奥歯に食い込んでいる親不知が虫歯になり、奥歯の神経に触れていることが分かった。歯医者も隠れた親不知まではメンテナンスできないということか。早速、奥歯の根元に麻酔をかけ、奥歯の上に孔を空けた上で、歯神経を除去するというきわめてメカニカルな治療を施す。奥歯の空洞に何かを詰め、蓋をしたら歯痛は直ちに止まった。このまま2,3日間は奥歯でものを噛まないように言われる。ともかく歯痛が止まったので一安心。ここ数日の苛々が何だったのかと反省。10時半に事務所に戻る。北山邸のプレゼンテーションは来週末に決定。コンペ締切と重なるので厳しい一週間になりそうだ。その後一日、退職本原稿、読書、コンペスケッチのくり返し。夜は1週間振りに七世と外食。歯が万全でないので食べ物があまり美味しくない。勢い酒のピッチが上がるが、池辺の晩年のスタイルを想い出して思い止まる。9時前に事務所に戻る。1/100のスタディ模型を見ながらコンペ打ち合せ。何かが足りない。しかしそれが何であるかが分からない。スタッフ皆も同じ印象のようだ。10時半帰宅。11時からドイツ対アルゼンチン戦。開始3分でいきなりドイツが先制。結局4対0でドイツの一方的な勝利。華麗なアルゼンチンの意外な脆さが露呈した。決勝はドイツとオランダのヨーロッパ対戦になりそうな予感がする。


2010年07月02日(金)

7時半起床。8時半出社。依然として奥歯の痛みが続いている。以前もらった鎮痛剤を飲んだら少し納まってきた。建築学科事務室から名誉教授の称号が授与されたとのメールが届く。ついては指定の写真館に出向いて肖像写真を撮影するようにとの指示。肖像写真は建築学科図書室に飾られるそうだ。まったく実感が湧かないが、そういう年齢なのだと自分に言い聞かせる。写真館に連絡し日時を予約。コンサルタントへのコンペ協力の要請メールを送る。直ちに返事が届き、来週中に打ち合せをすることになった。それまでに僕たちの方針を固めておかねばならない。先日受けた人間ドックの結果報告書が届く。とくに大きな問題はないようだが、あちこちに細かな課題があり精密検査の必要があるという。早速、病院に電話し予約する。何だか病気を捏造されているような感じがするが、まずは検査を受けてみるしかない。午前中は建築学会から依頼を受けた査読論文を再読し査定結果を書き込む。アレグザンダー初期の活動に関する2回目の論文だが細かな問題点が多いように感じた。とはいえ重要なことは今後の可能性を提示することである点を銘記する。午後から退職記念本の原稿に取り組み始める。最初のうちはなかなかスピートが出ない。ともかく今は持続するしかない。栃内と「140北山邸」打ち合せ。第1案がほぼ収斂したので、来週末にプレゼンテーションを行う旨を北山さんにメール送信。夜、コンペ打ち合せ。アルバイトの手配。明日から大きめのスタディ模型の製作を開始する。10時半帰宅。歯痛が止まらなくなって来た。明日は歯医者に行くしかなさそうだ。オランダ対ブラジル戦を途中まで見るが歯痛で集中できないため早々に床に就く。


2010年07月01日(木)

7時半起床。9時出社。今日は一日事務所でグッドデザイン賞の書類審査。340余の応募作品の書類をPC上で眼を通す。とくに分譲マンションについて詳細に見て行ったが、相変わらず住戸の資料がなく、共用空間とランドスケープの資料だけの応募作品が圧倒的に多い。応募部門(ユニット)の分け方にも問題があるとは言え、住宅部門にランドスケープだけを応募されても審査のしようがない。やむなくそういう作品はユニット9「まちづくり、地域づくり」への応募転換を促すコメントを加えて「未審査」とする。応募作品全体に共通して、もう一点気になることがあった。添付資料が写真だけで図面類がまったく添えられていない応募作品がきわめて多い点である。アトリエ事務所からの作品にも、そういうものが多いことに少々驚いた。要するに、これはアピアランス(外見)だけを審査してもらいたいという暗黙のメッセージである。写真だけを提出するのは、応募者がデザイン=アピアランスという俗説に囚われているためであることは間違いない。これはプロダクトを機能抜きに外見だけで審査しろと言っているのと同じであり、大いなる錯誤というしかない。写真から生活や使い方を想像することができる場合もあるが、基本的に平面図や断面図がなければ生活や使い方(つまり機能性)を判断することはできないし、デザイナーの意図を理解することもできない。デザインにとってアピアランスは確かに重要な条件のひとつだが、機能性抜きのグッドデザインなどあり得ないことを、この際明確にすべきだろう。結局、夜までかかってようやく審査終了。8時から「140北山邸」打ち合せ。第1案を決定。詳細な検討に入る。放送大学のテキストの構成スケッチをまとめて本間先生に送信。15回にテーマを分けるのはなかなか難しい。10時からコンペ打ち合せ。基本方針が固まったので第1案の図面と模型をまとめてコンサルタントに相談することにする。11時前帰宅。奥歯の痛みが依然として続く。


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