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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2017年01月23日(月)

7時起床。曇りのち晴れで再び寒さが戻る。8時半出社。今日は一日中プレゼンテーションのやりとり。EDHとはりゅうウッドスタジオと何度もメールをやり取りする。時間がないので話し合いながら考えながらの作業である。僕は時折送られてくるダイアグラムや図面についてコメントしチェックバックする役割である。作業が継続的に進められるようにできるだけ迅速に判断し返送するように努めるが直感的に判断してしまうので後で考えが変わる場合もシバシバである。僕以外のメンバーは皆若いので持続力があるが僕の場合は夕方には頭が朦朧としてくる。そんな時には頭を切り替えるために読書に集中する。読書も頭を使うのだが使う部分が異なるのであまり疲れないようだ。残り3日はプレゼンテーションに集中することにして今日は9時半に帰宅。ベッドの中で『思想的地震---柄谷行人講演集成1995-2015』(ちくま学芸文庫 2017)を読み終わる。読後感をまとめるのは週末の宿題にして『グローバリズム以後---アメリカ帝国の失墜と日本の運命』(エマニュエル・トッド:著 聞き手:朝日新聞 朝日新書 2016)を読み始める。メディアで報じられるニュースとは異なるトッドのユニークな視点に目から鱗が落ちる。


2017年01月22日(日)

8時起床。快晴でやや暖かい一日。10時出社。門扉の外に学生2人が待機している。10時からトウキョウ建築コレクション修士設計展のインタビュー取材であることをすっかり忘れていた。設計展の代表は芝浦工大堀越英嗣研究室の男子学生で副代表は明治大学青井哲人研究室の女子学生である。最初に修士設計審査委員長が僕で修士論文展審査委員長が佐々木睦朗さんであることが連動しているのか問うと特に関係なく決まったそうだ。レモン展でも佐々木さんと一緒に審査員を務めることを伝えると驚いていた。引き続き僕の方から展覧会テーマの「言葉にかわる空間」と修士論文展のテーマ「仮説力」の意図について問い彼らなりの回答を聴いた後にひとしきり僕の考えを話す。その後は取り止めのない建築論議が続き最後に審査に対する僕の視点について問われたので時代性と社会性を見据える点を強調する。後で具体的にトップダウンではなくボトムアップの視点を強調すべきだったかもしれないと反省。11時半過ぎに終了。札幌の佐野さんからのメールで2月初旬の週末に札幌に行くことにし工務店に連絡する。午後はプロポーザルのスケッチを続行。夕方に帰宅し熱い風呂に入った後に早めの夕食。夜は読書。世界中で反トランプのデモが繰り広げられているというニュースを『思想的地震』の「日本人はなぜデモをしないのか」を思い出しながら見る。確かに日本国内のデモのニュースは聞かない。日本にとっては実質的な問題であるにもかかわらずメディアの報道以外は「対岸の火事」的な印象である。大阪市大の難波研OGで現在はニューヨークに住んでいる池田知余子さんがfacebook上でニューヨークで展開している反トランプ・デモの凄さを驚きとともに報告している。
https://www.facebook.com/chiyoko.ikeda

『思想的地震』は「秋幸または幸徳秋水」と「帝国の周辺と亜周辺」を読み終わり「「哲学の起源」とひまわり革命」へ進む。「秋幸または幸徳秋水」は1992年に逝去した中上健次の没後20年の講演会である。『日本近代文学の起源』で論じた明治20年代の言文一致と「風景の発見」を、同時代の日本も加担した帝国主義の時代である1980年代の世界史的な視点から見直した内容で、村上春樹を国木田独歩と重ね合わせた上で中上健次を幸徳秋水に重ね合わせながら歴史的に位置づけている。中上健次が僕と同年齢であることを知って改めて驚いた。僕は『十九歳の地図』『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』までを読み中上がシナリオを書いた映画『火まつり』(柳町光男:監督 1987)を見たがすべて柄谷の案内に導かれてである。「帝国の周辺と亜周辺」は釜山における『世界史の構造』について講演である。アジアの帝国である中国の〈周辺〉であるコレア(韓国+北朝鮮)と〈亜周辺〉である日本とを比較しながら日本の特殊性を武家政権、天皇制、表音文字、徳川体制といった面から多角的に分析している。日本建築の特異性も同じような視点から分析できるような気がするがどうだろうか。


2017年01月21日(土)

7時起床。快晴で北風が強く寒い一日。8時半出社。「158石邸」の打ち合わせが石崎夫妻の都合で2月最初の日曜日になり僕だけでは詳細な打ち合わせができないため栃内に日曜出勤を頼み対応することにする。「157佐野邸」の概算見積を依頼する札幌の工務店を山本亜耕さんに紹介してもらう。直ちに佐野夫妻に日程を調整するメールを送る。プロポ―ザルの断面ダイアグラムと構造システムの方針について打ち合わせ栃内と木村がドローイングを開始。昼食後に事務所を出てタクシーで六本木の〈全日本海員組合本部ビル〉(1964)へ。大高正人が前川國男事務所から独立して直ぐに設計した建築である。1時半から見学会開始。植田實、深尾精一、渡辺大志といった人たちに会う。まずは北側の前面道路に出て外観を見学。現場打ちRCの構造体とPCの手摺と横ルーバーによる彫りの深いデザインで当初から打ち放し仕上ではなく白く塗装されていたそうだ。海員組合だから船のメタファーということである。一辺が約20m角の正方形平面で東西に垂直シャフトを持つ地上5階地下2階のビルで屋上のペントハウスのデザインがル・コルビュジエ的というか丹下風である。基本的にはオフィスビルなので基準階は一室空間だが地下階の講堂や付属室が大きく全体の面積の40%を占めているそうだ。竣工して50年以上経過しているにもかかわらずメンテナンスが行き届いているのでほぼ原形をはっきりとどめていることに感心する。2時半に見学終了。3時から地下の講堂でシンポジウム「大高正人の出発点を語る」。会場は満員で年配の人が多い。千葉大の頴原澄子さんの司会で最初に全国海員組合事務局長の挨拶と大高事務所初期OBの増山敏夫さんによる本建築の解説。ドコモモインターナショナル会長Ana Tostoesさんの挨拶に引き続き野沢正光さんのモデレーターでシンポジウム開始。神奈川大の曽我部昌史さんとYGSAの藤原徹平さんが大高の都市計画的な視点について解説。曽我部さんは大高の都市計画思想における自然と人工とのあいまいな関係について大江健三郎のノーベル賞講演『あいまいな日本の私』を参照しながら分析したが大江の批評的な意図を換骨奪胎している点に微かな違和感を抱く。藤原さんは横浜で生まれ育った体験から大高の横浜みなとみらいの都市計画を曽我部さんと同じように里山や緑と住宅地の混交的な開発に注目しメタボリズムに結びつけながら解説。引き続き松隈洋さんが大高正人によって前川國男が相対化されるというユニークな視点を提唱した後に野沢さんが広島の基町・長寿庵団地を詳細に紹介した『都市住宅』誌について説明。残された時間で大高事務所OBの藤本昌也さんと中尾明さんが発言。中尾さんは僕の大学時代の同級生で大高事務所では横浜の都市計画的な仕事を担当していたが、大高が唱えたPAU(Prefabrication・Art & Architecture・Urbanism)概念の中で大高の真の興味は〈A〉にあったのではないかと曽我部・藤原の視点に対する批評的な指摘を行い僕も思わず膝を打つ。というのもメタボリストとしての大高の世代と曽我部・藤原の世代との間に挟まれた中尾さんや僕の世代は1970年代から1980年代初期にかけての〈内向の時代〉つまり都市的視点に対して懐疑的な世代に属しているからである。僕としてはその点について問題提起を行いたかったが植田實さんのコメントを最後に時間切れで果たせず5時半に終了。6時過ぎに事務所に戻る。栃内がまとめたプロポーザルの断面図に手を加えてメンバーに送信。引き続き木村がまとめた構造システムのアクソメ図も送信する。夕食は礒崎あゆみさんに貰ったボルドー産の赤ワインを味わいながら厚切りのビフテキを食し幸せな気分になる。『思想的地震』を読みながら夜半就寝。


2017年01月20日(金)

7時起床。昨夜はBIS講習会の興奮で何度も夢で目が醒めたのでやや寝不足気味。曇り時々小雨の寒い一日。8時半出社。昨日に界工作舎OGの井上から届いた「158石邸」詳細図に目を通す。一部の修正を除きほぼ問題ないことを確認。今月末までにはまとめられる見通しがついたので石夫妻に打ち合わせ日時の相談メールを送る。八戸プロポーザルの構造スケッチ続行。なかなか光明が見えない。1時に事務所を出て銀座線で新橋駅にて下車。〈ギャラリーせいほう〉で開催中の「石山研究室・六角鬼丈二人展」に行く。1月10日のオープニングにも出席したが人が多くてゆっくり作品を見る時間がなかったので改めて出直すことにした。ギャラリーでは石山さんが中国人アーティストの牛波さんと話をしているので一言挨拶してから作品を見る。30分ばかりじっくり見て目星をつけた作品を係員に伝えてからお暇する。3時前に帰社。「箱の家134」のクライアントで一橋大学教授の久保哲司さんからNHKラジオ講座のテキスト『悲しき恋を味わう---ドイツ文学のなかの〈ダメ男〉』が届く。つい先日、久保さんからある人のブログで以下のような書き込みを発見したというメールが届いた。「最近のおもしろいもの。ゝ彿歸司さんのNHKラジオ講座「哀しき恋を味わう---ドイツ文学のなかの〈ダメ男〉」。文学のなかにダメ男をさぐる講座。こないだは「美少年を追いかけて眺めるだけの初老の男」。∧送大学の難波和彦さんの講座「新しい住宅の世界」。奇妙な住宅が色々出てくる」。その人は「134久保邸」を僕が設計したことを知らないはずだから久保さんとしては不思議な巡り合わせを感じたという。久保さんのラジオ講座はまだストリーミングで聞くことができるらしい。
http://www4.nhk.or.jp/kokorowoyomu/315/
久保さんの専門はドイツ文学でヴァルター・ベンヤミンの『ベンヤミン・コレクション1〜7』(ちくま学芸文庫)も翻訳している。ベンヤミンについては僕も大いに勉強させてもらい『メタル建築史』はその成果なので贈呈したら返礼にテキストが送られてきたのである。5時過ぎにEDHとはりゅうウッドスタジオが来所。八戸プロポーザルの打ち合わせ。そろそろ時間切れなのでプラニングと構造システムを強引に収斂させる。プレゼンテーション・レイアウトの方針と3事務所の分担を決め週末から本格的なプレゼンテーションの作業を開始する。途中で微調整が生じるかもしれないがともかく走り抜けることとする。8時半終了。夕食後は打ち合わせ結果の確認。10時帰宅。夜中にレイアウトの修正版が届く。夜半に就寝するが打ち合わせ結果が脳裏を駆け巡り何度も目が醒める。


2017年01月19日(木)

5時半過ぎに起床。急いで朝食を摂り6時半に出社。直ちに事務所を出て地下鉄外苑前駅から東京駅へ。7時過ぎ発の新幹線はやぶさに乗車。9時前に仙台着。タクシーでフォレスト仙台ビル2階会議室へ。9時半から断熱施工技術者(BIS:Building Insulation Specialist)の養成講習会。会場には約80人の受講者が集まっている。『北の住まいの熱環境計画2015』(北海道建築技術協会:企画・刊行)をテキストにして3人の講師が間に休憩を挟みそれぞれ約1時間余の講義。2月14日に実施されるBIS認定試験の準備講習会なので、一級建築士の講習会と同様にテキストのうちで試験問題に出る可能性が高い部分を読み上げ赤線を引いていく形である。断熱と暖房エネルギーに関する計算問題については練習問題にしたがって解説するのでついていくのが大変である。熱貫流率(U値)の計算やそれに基づく熱損失量の計算など大学受験の物理学を勉強し直しているような気分になる。水の比熱が1.0であることは周知の事実だが空気の比熱が0.35であることは今回初めて知った。その他にもいくつか新しい知見を得る。6時間半の長丁場で最後あたりは頭がボーッとしてきたが眼を見開いて聴き続ける。周りを見ると居眠りしている聴講者も多い。講習会の合間にメールでEDHとプロポーザルに関して何度か意見交換。この講習会を企画した札幌の雑誌『Replan』編集長の三木省吾さんに会場で再会し講師の奈良鎌伸、斉藤雅也、三浦眞3氏の紹介を受ける。かつて福島や青森で講演会を開催した際に知り合った「住まいと環境東北フォーラム」の酒井義光さんにも再会する。最後に昨年スタートしたリノベーションのフラット35ローンの説明を受けて5時過ぎに終了。タクシーを拾い仙台駅へ6時前着。6時20分発の新幹線で8時に東京駅着。9時前に事務所に戻る。今日の講習会で知った断熱仕様に従い「157佐野邸」の基礎周りの断熱仕様の修正を指示する。9時半帰宅。ウィスキーを呑むと疲れがどっと噴き出す。『思想的地震』を読みながら夜半就寝。


2017年01月18日(水)

7時起床。晴れでそれほど寒くない一日。8時半出社。(株) アタゴの永吉工場長から電話で「第1工場」の現状のクリーンルームを恒温室に変える仕様について相談を受ける。現状の施工図を再調査し空調換気とも十分に対応していることが分かったので栃内がシステム図をスケッチし施工図とコメントを加えて送信。民間確認審査機関との打ち合わせの結果「アタゴ第2工場」の構造システムに微変更が生じたので佐々木構造計画から変更図一式が届く。直ちに大成建設に送信。午後に大成建設の営業スタッフが来所し工事契約書の頭書を持参したので設計監理者の印を押し工事契約が成立。確認申請は1月中に認可される見通しなので2月中には地震祭が行えるスケジュールになった。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんから『新建築社住宅特集』に掲載する「部屋の家」について技術的な相談を受ける。八戸プロポーザルにも重なるコンセプトなので先ごろ届いた図面を見ながら私見を述べる。まだまだ解決すべき課題が多いように思える。八戸プロポーザルの断面スケッチのスタディを続行。夜までにスケッチをまとめてメンバー全員に送信。9時半帰宅。明日はBIS講演会のため朝早く仙台に行くので早目に就寝。しかし2時半に一旦目が醒めてしまう。やむなくiPadでしばらくニュースとYouTubeをザッピングし3時半に再眠。

『思想的地震』は「都市プラニングとユートピア主義を再考する」と「日本人はなぜデモをしないのか」を読み終わる。前者は一度読んだことがあるエッセイである。『隠喩としての建築』から説き起してクリストファー・アレグザンダーの「都市はツリーではない」とジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』における都市プラニングの思想を紹介しながら、モダニズムの都市計画思想に代えてアレグザンダーとジェイコブスのような〈ユートピア主義〉を再評価することの重要性を指摘している。ジェイコブスがニューヨークから移住し都市計画にも加わったカナダのトロントと、オンタリオ湖を挟んで対岸にあるアメリカのバッファローのモダニズム的都市計画の悲惨な結果との具体的な比較論が興味深い。「日本人はなぜデモをしないのか」は日本人の伝統的な〈公共性への無関心〉の起源を和辻哲郎、丸山眞男、久野収を参照しながら分析した上で、明治以降とりわけ新自由主義政策が台頭する1980年代以降に日本政府によって労働組合、創価学会、部落解放同盟、日教組といった中間組織がことごとく解体されてきた経緯を、丸山眞男が提唱した社会の近代化における「個人析出の様々なパターン」すなわち民主化、自立化、私化、原子化によって詳細に分析している点が興味深い。中間組織にほとんど参加した経験がなく現在もその気がない僕自身の実感から考えても日本社会の原子化傾向がよく分かる。家早南友。


2017年01月17日(火)

7時起床。晴れで相変わらず寒い一日。8時半出社。八戸プロポーザルのスケッチ続行。時間をかけてもなかなか煮詰まらないのは地方都市の美術館の今後の明るい展望が見えないからだろうか。建築的なアイデアではどうにもならない問題なので悶々とするだけである。応募要項を何度読んでも無理矢理なヴィジョンに思えて仕方がない。メディアデザイン研究所の萩原富雄さんから佐々木睦朗退職記念本に収める僕の原稿「偶然を必然に変える意志---佐々木睦朗試論」の最終稿が届く。脱稿したのはヨーロッパ旅行に出かける10月下旬だから3ヶ月前である。読みながらこの3ヶ月の間に僕自身の考えが微妙に揺れ動いているのを感じる。気分転換も兼ねて一気に校正を進め最後の結論部分に若干の加筆を行う。昨年11月のせんだいメディアテークでのシンポジウムに参加して自分の考えが変わったように感じたので大幅な加筆が必要と思っていたが改めて原稿を読み直してみるとそれほどでもないことが分かる。とはいえ結論は当初よりも微妙にズレることになる。夕方までに校正を終えてスキャン原稿を萩原さんに返送する。出版は1ヶ月後の2月20日(月)の予定である。急いで出版記念祝賀会を準備する必要があるだろう。5時にEDHの遠藤さんと塩谷さんが来所。15分遅れではりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんと早川さんが到着しプロポーザルの打ち合わせ開始。EDHが作成したレイアウト模型を見ながら意見交換。前回からの変更を確認しプログラムを再検証する。はりゅうウッドスタジオによる歴史的地理的コンテクストの確認とレイアウトの方針についても意見交換。どの課題もなかなか決定的な方針に収斂しない。再び宿題を残したままで次回打ち合わせ日時を決め10時半に解散。11時過ぎに帰宅。ベッドに横になって『思想的地震』を読み続ける。夜半過ぎになってもレイアウトが脳内を駆け巡りなかなか寝付かれない。やむなく2時過ぎに起きてウィスキーを煽り3時前に就寝。


2017年01月16日(月)

7時起床。晴れが続くが寒さは収まらない。8時半出社。アタゴ工場の永吉工場長から電話が入る。第1工場の恒温室の空調に関する相談である。クリーンルームとして設計したが今後は恒温室としての性能を優先することになったのでその旨を高間さんに連絡し設備の仕様の再検討を依頼する。佐野夫妻から「157佐野邸」の概算見積の方針に関するメールが届く。特に頼みたい工務店はないようなので山本亜耕さんに相談し工務店の推薦を頼む。1社に絞って概算見積を頼むことになりそうだがいずれにしても僕が出向いて説明する必要があるだろう。木村には詳細図の完成を急ぐように指示する。栃内と「158石邸」の詳細図について打ち合わせ。今月末には石崎夫妻との打ち合わせをするためにまとめを急ぐように指示する。八戸プロポーザルのダイアグラムについてEDHの塩谷さんとやりとり。代案について構造や環境制御について僕なりの意見を伝える。レモン画翠の松永さんからレモン展の審査員4人が確定した旨の連絡が届く。佐々木睦朗、宮晶子、下吹越武人、野老朝雄と僕の5人である。審査会は5月3日(水)連休の初日である。これで審査会の準備はすべて整った。残る課題は40周年記念プログラムの策定である。YGSAから昨年亡くなった小嶋一浩さんの追悼シンポジウムの知らせが届く。会場の都合で限られた人だけの会らしいので何としてでも出席しよう。夜は『近代建築理論全史』と『思想的地震』を並行して読み続ける。


2017年01月15日(日)

8時起床。晴れで寒い一日。昨夜は酔って早めに寝たので5時過ぎに目が醒める。二日酔いで軽い頭痛。しばらくの間ベッドの中でメールチェックしEDH遠藤さんからのプロポーザルのダイアグラムに関するメールに返事を書く。具体的になると色々問題が浮かび上がってくる。朝日新聞の書評欄で『メタル建築史』が紹介されているのをチェック。自分の著作がマスメディアで詳細されるのは初めての経験である。評者は東北大学の五十嵐太郎さんでコンパクトかつ的確に紹介されているので流石だなと感心する。早速五十嵐さんに本書をまとめた経緯を簡単に説明するお礼のメールを送る。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12748230.html
ゆっくり朝食を摂った後10時に出社。朝日新聞の書評記事をfacebookにアップすると次々と反応があり並行してamazonの売上順位が一気に上がる。僕はデジタル版しかチェックしていないが朝日新聞恐るべしである。facebookに掲載された記事を辿っていると偶然に日本女子大の宮晶子さんのタイムラインに辿り着いたので〈レモン展〉の審査員を依頼するメッセージを送る。間も無く快諾の返事が届いたので開催日時を確認した上でレモン画翠の松永さんに報告する。EDHがまとめたプロポーザルのダイアグラムとコンセプトを再検討。当初話し合ったコンセプトから少しズレているような気がしてきたので代案を検討すべきかもしれない旨のメールを遠藤さんに送る。一旦帰宅して熱い風呂に入りしばらく仮眠。夜は読書。

『思想的地震』を読み続ける。「近代文学の終わり」は連続講演のまとめでやや長い。文学は現在も持続しているけれど、近代国家の成立過程の中で言文一致や近代的自己の確立といった社会的な役割を果たしてきた〈近代文学〉は終わったという趣旨である。僕自身の体験としては1970年台前半の大学院までは文芸誌や小説を読んでいたが1970年代後半になると小説に対する興味を完全に失い科学誌や「現代思想」のような思想誌に興味が移った。柄谷行人や浅田彰をフォローするようになったのもその頃からである。「日本精神分析再考」は丸山眞男や竹内好が指摘した〈日本の思想〉における主体性の欠落をジャック・ラカンが日本語における漢字の訓読みに注目したことに注意を喚起しながら言語の問題に関連づけて論じている。つまり漢字を訓読みすることは中国文化を受け入れながらもそれを日本的に換骨奪胎することを意味している。柄谷はそれを本居宣長の〈漢意(からごころ)〉と〈やまとごころ〉あるいは〈自然(じねん)〉の対比として捉え日本の思想の特異性は〈作為性〉や〈抑圧性〉の否定にあると指摘している。本論を読みながら絶えず脳裏に浮かんだのは伊東豊雄の『日本語の建築』(PHP新書 2016)における〈ひらがなの建築〉である。伊東の思想の融通無碍さは〈やまとごころ〉そのもののように思える。その意味で伊東の最近の転身は磯崎新が唱えた〈和様化〉と言ってもいいのかもしれない。


2017年01月14日(土)

7時起床。曇り後晴れで寒い一日。8時半出社。9時半に栃内が出社。今後の界工作舎の仕事の進め方について相談。彼もそろそろ独立について考え始めているようだ。いずれは訪れる問題だから僕としても準備を考えねばならない。昨日に引き続きプロポ―ザルのダイアグラムスケッチを続行。EDHの塩谷さんから変更案のダイアグラムが届くが機能的に問題ないのかどうかが不確定だし構造的に合理的であるかどうかもわからない。具体的なスタディを進めれば進めるほどたくさんの課題が見えてくる。木村と山本亜耕さんから届いたメールに従って「157佐野邸」の概算見積用の図面と概要書をまとめ佐野さんに送信する。来週に仙台で開催されるBIS(断熱施工技術者)認定制度の講習会に参加し北海道での断熱仕様についてある程度の知識を得た上で札幌の施工業者と打ち合わせることにしよう。5時に事務所内外の掃除。5時半に解散。6時半に事務所をでて久しぶりに原宿のイタメシ屋で夕食。ピエモンテの赤ワインを飲みながらミニコースを食べる。9時前に帰宅。『思想的地震』を読みながら早めに就寝。


2017年01月13日(金)

7時起床。快晴で寒いが過ごしやすい一日。8時半出社。10時から八戸プロポーザルの打ち合わせ。EDHの遠藤、塩谷両氏が持参した全体レイアウトのスタディ模型の説明を受け意見交換。二つの方向に収斂する。1時間遅れてはりゅうウッドスタジオの芳賀沼、滑田、早川の3人が到着。彼らのスタディ模型の説明を受けEDHのスタディ模型と比較。街に対する関係のあり方について意見交換し街に開かれた場をつくるという条件を最優先する。プレゼンテーションのレイアウトについてもディスカッション。はりゅうウッドスタジオから一つの方針が示されたので共有しレイアウトを依頼する。EDHにレイアウトの基本形を早急にまとめることを依頼し次回の打ち合わせ日時を決めて午後1時前に終了。大成建設の上野さんに同行して関東支店の支店長と営業部長が新年の挨拶に来所されたがプロポーザルの打ち合わせ中だったので玄関先にて対応。午後にEDHからレイアウトが届いたのでさらに単純化するスタディを続けチェックバックしランドスケープとの関係と機能的な条件を検討することを依頼。締め切りまで残り2週間なのでスピードアップしていかねばならない。

アマゾンから『思想的地震---柄谷行人講演集成1995-2015』(ちくま学芸文庫 2017)が届いたので早速読み始める。最初の講演は1995年のany会議での「地震とカント」である。1995年の阪神大震災を1755年のリスボン大地震に比較検討しながら当時のカント的な批判思想に関連づけた上で1980年代のポストモダン的な脱構築思想の終焉を指摘している。1995年は僕自身にとっても終わりと始まりが同時に来たような決定的な年だった。1月17日の阪神大震災直前の1月4日に母が亡くなり、地下鉄サリン事件が勃発した3月に「箱の家001」が竣工し、9月の鈴木博之や佐々木睦朗とのヨーロッパ旅行の途中に南フランスのニームで安藤忠雄に会い、Windows95が公開され、年末の12月24日に父が亡くなった。「他者としての物」は同じany会議の最終回(2000年)での講演でカントの〈物自体〉に関する議論である。1990年代初頭の冷戦終結を受けてポストモダン的な〈脱構築〉からポジティブな〈構築〉への歴史的な転換を主張した内容だが僕としては〈思弁的実在論〉の限界に関する議論として読んだ。本書は文庫なので移動中やベッドの中で読み『近代建築理論全史』も並行して机の前で落ち着いている時に読むことにする。


2017年01月12日(木)

7時起床。快晴でそれほど寒くない一日。しかし北陸、東北、北海道の日本海側は今週末にかけて風雪が激しくなるようだ、8時半出社。ユニバーサルホームから「ユニバーサルホーム・デザインコンペ2016」の審査結果をまとめたパンフレットが届く。審査結果はコンペのホームページにもリリースされたようだ。
http://kenchiku.co.jp/universalhome/
審査結果の発表の際には、これまでの当選案が商品開発にどのように反映されているのかも合わせて報告すべきではないかとアドバイスしたが、残念ながらその報告は掲載されていない。コンペを継続することの社会的な意義は大きいと考えるが、もし今後もコンペを続けるのであれば募集要項の際に是非ともその報告を掲載してもらいたい。でないとこのコンペを継続する意義が不明解になってしまうからである。プロポーザルについてさらに理解を深めるつもりで基本構想から始めダイアグラムや応募要項など関係資料を再度一通り読み直してみる。しかし条件を読み込むほどますます形態化が難しい感じがしてくる。どこまで詳細な詰めを行うべきなのか。有識者会議や審査委員会は果たして具体的なデザインを求めているのだろうか。ダイアグラム程度でとどめるべきなのだろうか。思案のしどころだがプログラムの読み込みからも突破口が見えない。

『近代建築理論全史』の第10章「モダニズム1889-1914」を読み終わる。オーギュスト・ペレによる一連のコンクリート建築の検討からル・コルビュジエがパリに落ち着く前の初期の活動が紹介された後に20世紀初頭のイタリア未来派とアントニオ・サンテリアのプロジェクトが紹介される。この辺りはバンハムの『第一機械時代』でも詳しく紹介されているので新しい発見はない。本章の最終節はドイツ・モダニズムを先導したヘルマン・ムテジウスとペーター・ベーレンスの仕事の紹介である。ムテジウスが19世紀末にイギリスを訪問しその建築をドイツに導入しようとしたことはよく知られているが、彼はそれ以前のエンデ・ベックマン事務所に就職していた時に来日し国家プロジェクトに参加していたらしい。ムテジウスは20世紀最初のモダニズム理論家であり〈ドイツ工作連盟〉を設立したことでもよく知られている。ベーレンスも〈ドイツ工作連盟〉の設立に関わりムテジウスと並走して初期モダニズムを推進する役割を果たした。〈AEGタービン工場〉はベーレンスの代表作だが、この建築のファサードのモニュメンタなデザインを見れば明らかなように機能と科学技術をそのまま表現することに対してベーレンス自身は消極的だった。ベーレンスの19世紀的な美学は側面ファサードのマッシブな鉄骨桁にも見られることを僕は『メタル建築史』においても指摘した。ムテジウスとベーレンスが先導したモダニズムは第一次大戦前の1913年においてはまだ過去の美学に引きずられた過渡的な状態にとどまっていたのである。次は第11章「ヨーロッパにおけるモダニズム1917-1933」に進む。


2017年01月11日(水)

7時起床。晴れでやや寒い一日。鼻水と喉の痛みはようやく治まる。8時半出社。10時にレモン画翠社長の松永直美さん営業部の阿部賢吉さんと中林桂子さんの3人が来所。少し遅れて法政大学の下吹越武人さんが到着。今年度の〈レモン展〉の打ち合わせである。〈レモン展〉は卒業設計展覧会として最も古く1978年にスタートしている。当初は数校の参加だったが現在は全国から100校近くが参加している。元々は展覧会だけだったが現在は〈レモン賞〉や審査員の個別賞を選ぶようになっているそうだ。今年で40回目なので記念の行事も考えているとのこと。僕は審査委員長を依頼され他の審査員は推薦で決めるというシステムなのでまずは候補者を挙げ事務局から打診してもらうことにする。記念行事については組織委員会で検討した上で相談してもらうこととする。あれこれ雑談して12時過ぎに終了。佐々木睦朗さんにはぜひ参加してもらいたいので直ちにメール連絡する。まもなく快諾メールが届いたのでレモン画翠に報告する。今年は法政大学の卒計公開講評会、トウキョウ建築コレクション、レモン展と3つの講評会に招かれている。昨年は名古屋地域の卒計講評会に招かれた。東大を退職して5年過ぎても卒業設計や修士設計の講評会に呼ばれるのは悦ばしいというかやや当惑気味だがなぜだろうかと考えてみる。退職後に何冊かの本を出したり放送大学を担当したり佐々木睦朗さんの退職記念行事を企画したことなどが遠因かもしれない。このブログ日記にもそれなりの数の読者がいるようだから僕の考えがある程度伝わっているのかもしれない。要するに何らかの形で建築界やメディアに露出していることが一つの要因だろう。そうするのは建築家としての一種の社会的役割だと考えているが果たしてどうだろうか。そのあたりは自分でもよく分からない。ともかくデザインと同じで依頼されれば最大限の努力で応えるのが建築家の仕事だから同じスタンスで対応しよう。午後はプロポーザルのダイアグラムスケッチ続行。なかなかジャンプの手がかりが見つからず頭を抱えるばかりで時間が過ぎていく。次回打ち合せは明後日。それまでに何とか突破口を見出したいがどうなることやら。

『近代建築理論全史』の第10章「モダニズム1889-1914」はアール・ヌーヴォーとモダニズムに両足をかけたヴァン・ド・ヴェルドからオットー・ヴァグナーの弟子でウィーン分離派のヨーゼフ・マリア・オルプリッヒとヨーゼフ・ホフマンを経てアドルフ・ロースへと進む。ウィーンの〈ロース・ハウス〉(1910)が歴史的偶然によって実現した経緯や『装飾と犯罪』(1910)がゼンパーの理論の影響を受けていることなどが興味深い。オランダのヘンドリック・ペトルス・ベルラーヘがアメリカを訪問しフランク・ロイド・ライトをヨーロッパに紹介したという事実は初めて知った。引き続きトニー・ガルニエやオーギュスト・ペレーからシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)へと進む。


2017年01月10日(火)

7時起床。快晴で寒いが風がないので過ごしやすい。8時半出社。正月休みと連休が続いたので今日から本格的な始動である。今朝から「155桃井邸」の建方なので木村は現場に向かっている。プロポーザルのプログラムを見直しながら若干のスケッチを試みるが展開しない。僕のどこかに形態化を阻むものがありダイアグラムより先に進まない。2時過ぎに佐々木睦朗さんから退職記念本の原稿が届く。対談のまとめと作品紹介の間に挟む原稿である。かなり長い原稿なのでプリントアウトして読むことにする。3時に事務所を出て銀座線井の頭線京王線を乗り継ぎ仙川駅で下車。歩いて10分で4時前に「155桃井邸」の現場に着く。建方はほぼ完了間際で屋根のLVL梁を外周梁に取り付けている最中である。まもなくTH-1社長の朝倉さんが到着。少し遅れて4時半過ぎに桃井さん一家が着いたので直ちに略式の上棟式。二礼二拍一礼の後に建物四隅を塩・米・神酒で浄めてから再び二礼二拍一礼で終了。桃井さんと僕の挨拶。朝倉社長の乾杯の音頭。棟梁の三本締めで終了。すっかり暗くなった5時半前に現場を発ち京王線井の頭戦銀座線を乗り継いで新橋駅にて下車。銀座6丁目の〈ギャラリーせいほう〉で開催中の「石山修武・六角鬼丈二人展」のオープニングへ。5時開始で1時間以上過ぎているが会場は満員。まずは石山さんと六角さんに挨拶。久しぶりに藤塚光政さん山本理顕さん植田實さんらに会う。ドイツから来日したグライターさんの顔も見える。7時過ぎに佐々木睦朗さんと会場を出て銀座ライオンでビールと軽食。去年11月の〈せんだいメディアテーク〉のシンポジウム以来なので互いの近況報告。僕からは今日読んだ論文について感想を伝える。内容は勉強になる話題満載だが一点だけ固有名詞の記法について僕なりの意見を述べる。今月28日(土)の法政大学建築学科卒業設計公開講評会に僕はゲストクリテークとして参加するの佐々木さんにも名誉教授として参加するように頼む。8時半に店を出て9時過ぎに事務所に戻る。9時半に帰宅。『近代建築理論全史』を読みながら夜半就寝。


2017年01月09日(月)

7時半起床。小雨のち晴れでやや暖かい一日。頭痛は消えたが鼻水とクシャミが止まらない。9時過ぎ出社。プロポーザルについてあれこれ資料を漁り読み込みこれまでの図面やダイアグラムに目を通す。引き続きプレゼンテーションに備えて協力メンバーとプログラムを共有するためにできるだけコンパクトにまとめることを試みる。あれこれスケッチをくり返して夕方までにA4版1枚にまとめてメンバーに送信する。はりゅうウッドスタジオにはこのプログラムにもとづいてプレゼンテーション・レイアウトの概略の作成を依頼する。プログラムをまとめながらコールハースのPCM(Paranoid Critical Method)が脳裏をかすめる。プログラムを突き詰めることによってPCM的ジャンプができるだろうか。夜はHistoryチャンネルの『日本史汚名返上---悪人たちの真実』で歴史家の井沢元彦と精神分析学者の和田秀樹による足利尊氏と後醍醐天皇との確執や織田信長の転身に関するコメント番組を見る。建武の新政と南北朝、一向一揆と比叡山焼討などの歴史的〈出来事=事件〉を深層心理的〈構造〉から読み解く視点に興味を持つ。

正月休みが明けて『近代建築理論全史』の読書のスピードがカクンと落ちている。集中して読み込む時間が取れないからである。第10章「モダニズム1889-1914」はオットー・ワグナーの『近代建築』と〈即物性(ザッハリッヒカイト)〉の概念までをようやく読み終えてヴァン・ド・ヴェルドに関する項へと進む。読みながらモダニズムとドイツの関係に関する僕の知識がバウハウスを除いてほぼ欠落していることに気づく。第一次と第二次の世界大戦の敗戦国であるために多くのモダニズム建築家が海外に流出しているためだろう。


2017年01月08日(日)

8時起床。曇りのち小雨で寒い一日。9時半出社。「トウキョウ建築コレクション2017」の事務局からHPを立ち上げた旨とインタビュー依頼のメールが届く。
http://tokyokenchikucollection.com
早速HPをチェックしてみると修士設計展、修士論文展、研究室プロジェクト展の3部門があり僕は修士設計展の審査委員長である。ちなみに修士論文展の審査委員長は佐々木睦朗さんで昨年の佐々木退職記念行事の続編のようである。修士設計展のテーマは「言葉にかわる空間」修士論文展のテーマは「仮説力」というのも気になる。佐々木さんとはデザインにおける〈仮説〉の重要性について絶えず議論してきたから僕としてはテーマを逆転してほしいくらいである。実行委員会の実態がよく分からないので僕と佐々木さんが選ばれた経緯やテーマ設定の意図などを訊いて見たい気がする。プレゼンテーションのためにプロポーザルのプログラムの整理を試みる。今回はプログラムの勝負のような気がするからである。しかし焦点がなかなか定まらないのでとりあえず項目をリストアップしてみる。鼻水と喉痛が止まらず集中できないので読書に切り替えるが無駄である。やむなくぼんやりとYouTubeをザッピングする。夜はNHKTVで中国のネット産業の番組を見る。中国政府はこれまでの輸出中心の経済政策が行き詰っているので最近ではネットショップによって中国14億の主に農村部の消費喚起を狙った内需拡大政策に切り替えている。馬雲(ジャック・マー)が立ち上げたネットショップ〈アリババ〉の大成功を受けてネットショップの基地〈タオバオ村〉が設立され不景気で就職できない多くの若者たちが集まり小規模なネットショップを立ち上げている。村に隣接して膨大な量と種類の衣料や日用品類を集めた巨大な市場があり、そこから商品を選び出してネットショップで売り出すという手法なので問屋産業のネット化といえるかもしれない。新製品を開発するわけではないので、いささか安易なシステムであり一時的な効果しかない内需拡大政策のように見える。とはいえ先日見たインタビューだけのBS特集『欲望の資本主義』とは対照的でドキュメンタリー番組としてはこちらの方がずっとリアリティがある。


2017年01月07日(土)

7時起床。快晴で昨日と同じく寒い一日。相変わらず喉が痛いがここ数日暖かい日が続いたためにもしかすると早期の花粉症が始まったのかもしれない。8時半出社。直ちに事務所を出て車で明治神宮へ年始の参拝へ向かう。境内は団体参拝者で一杯である。昨年の鏑矢を返し新しい鏑矢を購入する。参拝後は神宮橋から表参道を下り青山墓地を東に抜け六本木ヒルズとテレビ朝日の脇を通って麻布十番の善福寺へ義母の墓参りに向かう。僕は基本的に宗教的信心を持たない人間だが年始の慣習的な儀式としてこの行事を執り行っている。10時半に事務所に戻る。年賀状を整理し新しく知り合った人や気になる人のデータをパソコンの住所録に書き込んでいく。年始の定例的な作業だが結構時間がかかる。アタゴの永吉工場長と大成建設とに新年のメール連絡。工事契約用の図面を送るが構造と設備の図面は来週になる。このため1月10日(火)の工事契約締結は延期になりそうだ。TH-1に連絡し「155桃井邸」の土台設置に着手したことを確認。10日(火)は予定通り建方と上棟式を行う。「157佐野邸」の概要書と詳細図を早急にまとめるように木村に指示。早めに概算見積を依頼しなければならない。「158石邸」の詳細仕様について栃内と打ち合わせ界工作舍OG井上さんから届いている質問に対する回答をまとめて送信。今月下旬までにはまとめる予定。建築学会の『建築雑誌』2017年1月号が届く。特集は「建築を取り巻く「選択と集中」」で1980年代にアメリカでもてはやされた経営戦略の概念を建築の領域に適用しようという試みである。巻頭対談は僕の友人も参加していて総覧的な問題提起を行っているが、続く一連の記事は見開き2ページで問題提起を列挙しているだけなので少々物足りない。『建築雑誌』は現編集長で1年間近く続いてきたが、はっきりいってまったく面白くない。視野を広げようとする特集ばかりで焦点がボケているためだ。そろそろピンポイントのテーマに絞って突っ込んだ議論を展開すべき段階ではないかと思う。5時に事務所内外を掃除し解散。夜はNHKTVの特集『ばっちゃん』を見る。広島の基町団地に住む80歳を越えたお婆さんによる子供たちへの給食活動の長年の取材記録である。〈ばっちゃん〉は「腹を空かした子供はロクんことをせんけえねぇ」という強い信念の元に問題児たちへの給食活動を続けている。大高正人がつくった基町団地が影の主役で団地の空間は〈ばっちゃん〉の社会奉仕的な活動の場として相応しい。「どうしてこんな大変な活動を続けているのか」という取材班の質問に対する「子供たちに面と向こうて助けを求められたことんない人にゃあ分からんじゃろうねぇ」という返答が胸に突き刺さる。『近代建築理論全史』を読み続けながら夜半就寝。


2017年01月06日(金)

7時起床。今日も快晴だがこの冬一番の寒さ。8時半出社。9時過ぎに事務所を出て歩いて青山の眼科へ3ヶ月振りの定期検診。9時半過ぎからいつも通りの視力検査と視野検査。その結果を受けて眼科医師の診断。左目は正常だが右目の眼圧が高く視野の一部欠落があり緑内障の可能性があるとのこと。確かに数ヶ月前から右目にやや違和感があるので自覚症状を確認した感じである。眼圧降下の目薬を処方してもらい1ヶ月後に再診することにする。診察日を予約し青山通りの薬局で目薬を購入し11時前に事務所に戻る。午後2時半にEDHの遠藤さん、塩谷さんが、はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さん、滑田さん、三浦さんが来所。八戸プロポ―ザルの打ち合わせ。模型のヴァリエーショオを見ながら街との関係、ランドスケープ、展示室などプログラムに関する議論が続く。僕も本腰を入れてスケッチしなければならない。次回打ち合わせは来週とする。4時半に秋田県立大の板垣さんと学生、大阪芸大の田口さんが来所。縦ログ構法研究会の第6回。板垣さんから複数の柱脚金物の仮実験結果の報告の後に本実験の金物について議論。決定的な金物はないので改良を加えて単純な金物を選択することとし次回打ち合わせを2月初めに決めて6時過ぎ終了。直ちに事務所を出て南青山の居酒屋に移動。表参道は連休前でごった返している。6時半過ぎから縦ログ構法研究会の新年会。鳥料理とビールと日本酒で芳賀沼さんのパリ・ロンドン旅行の話を聞きながら盛り上がる。9時過ぎに解散。9時半帰宅。10時に帰宅しベッドの中で『近代建築理論全史』の第10章を読みながら11時過ぎに就寝。


2017年01月05日(木)

7時起床。快晴で暖かい一日。相変わらず鼻水が止まらず熱っぽい。8時半出社。世の中は大方今日が仕事始めのようで営業の訪問や電話やメール連絡があちこちから入る。界工作舍の仕事始めは明日なのだが対応に追われる。EDHの遠藤政樹さんから届いたプロポーザルのコメントをヒントにスケッチ。一つアイデアを思いついたので返信メールを送る。午後2時に礒崎あゆみさんが来所。彼女は東大の教え子で佐々木構造計画を経て現在はバーゼルの構造デザイン事務所で働いている。ボルドー産の赤ワインのお土産をもらったのでお返しに『メタル建築史』と『進化する箱』を贈呈する。最近のヨーロッパの木構造やリノベーションについてについて情報交換。話に興が乗りあっという間に2時間経っていた。1月10日(火)の「155桃井邸」の上棟式につい て桃井さんとメールのやり取り。『近代建築理論全史』の第10章「モダニズム1889-1914」を読み始めるが頭痛が激しくなったので休止。夕食後も治らないので早めに就寝。


2017年01月04日(水)

7時起床。晴れでやや暖かい一日。8時半出社。まだ喉が痛いし熱っぽい。思い立って9時に事務所を出て半蔵門線と都営地下鉄線を乗り継ぎ両国に9時45分着。歩いて5分で「すみだ北斎美術館」へ。駅を出て歩きながら中年過ぎの婦人2人が交わしている話を小耳に挟む。一方の夫人は年末にも来たが来館者が多すぎでゆっくり見学できなかったらしくもう1人を誘って再訪したらしい。美術館のデザインが斬新であることをしきりに説明しているのが微笑ましい。9時半開館直後なのにすでに大勢の人が集まっている。アルミニウムのパネルで梱包した不定形な外形に鋭角的なV字形の切れ目を入れ切れ目部分だけをガラス面にして採光している。単純な操作だが無数のスタディを経て収斂したデザインだろう。1階部分は斜めのガラス面に囲まれた十字形の通り抜け通路によって4つのゾーンに分けられそのうちの一つが玄関ホール・切符売場・売店になっている。斜めのガラス面に人が頭をぶつけるのを避けるためだろうか足元にプラスチックコーンを並べている。さらに銀行や空港のような床置きのガイドテープによって入口と出口の通路を分けているのは入館者が多い際の一時的な対策だろう。入館者にはたまに建築関係と見える若い人が見受けられるがほとんどは中年以上の人たちである。エレベーターで4階まで上がり開館記念展を見るが雑踏のような人混みでゆっくり鑑賞できない。スチールプレート製の螺旋階段で3階に降りると2つの常設展がありここもかなりの人である。少し落ち着いてからゆっくり出直すことを決め建築見学モードに切り替える。3,000峩のコンパクトな美術館で展示テーマも決まっているからプログラムに新機軸は見られない。1時間余内外を歩き回った後に北側の公園で子供たちが遊ぶのを眺めながらしばらく日向ぼっこ。入館者は外国人客を含めて徐々に増えてくる。落ち着くのはしばらく先になりそうだ。11時半に公園を出て12時過ぎに帰社。バーゼルから帰国している構造デザイナーの礒崎あゆみさんとfacebookのメッセージでやりとり。彼女も正月三が日に「すみだ北斎美術館」を見学したが凄い人出だったそうだ。11日まで日本にいるそうだが明日の午後に来所することになった。

午後は夜までかけて『近代建築理論全史』の第14章「モダニズムへの挑戦状---ヨーロッパ1959-1967」を読み通す。1928年に設立された〈CIAM(近代建築国際会議)〉は戦後も続き、しばらくの間はル・コルビュジエとギーディオンが主導していたが、参加建築家が国際的に広がる1950年代後半になると英国とオランダから生まれた〈チームX〉が反旗を翻す。この間の経緯が詳細に紹介され、末期には日本からは前川國男、坂倉準三、丹下健三、メタボリズムが参加していることも紹介される。〈チームX〉の主だったメンバーのうち英国のスミソン夫妻、イタリアのジャン・カルロ・デ・カルロ、オランダのアルド・ファン・アイクに焦点が当てられる。僕は1979年にイタリアのウルビノ大学でピーター・スミソンとジャン・カルロ・デ・カルロに会ったことがある。スミソンは『ピンボールの魔術師』に出ているエルトン・ジョンのようなタータンチェックのスーツを着た禿頭の親父で、デ・カルロはお洒落なセーターを着たイタリア紳士だった。イタリアのエルネスト・ロジェルス(ロジャーズ)が編集する雑誌『カサベラ・コンティニュイタ』を通してイタリアの建築家はイタリアにおける近代建築と歴史的建築との地域的な結びつきを主張したが、モダニズムの立場からそれを批判する〈チームX〉のスミソン夫妻やレイナー・バンハムらとの間で交わされた議論が詳しく紹介されている。バンハムについては『Theory and Design in the First Machine Age』が詳細に紹介され批判されているが、訳書である『第一機械時代の理論とデザイン』は紹介されず、なぜか『環境としての建築』だけが紹介されている。バンハムを通して近代建築史においてテクノロジーが果たした役割について学んだ僕としては腹ただしさを通り越し悲しくなってしまう。1960年代の建築家として紹介されているはアーキグラム、ヨナ・フリードマン、シチュアシオニスト、メボリストらである。1960年代は建築理論が他領域の知見を取り入れて大きく展開した時代である。エドムント・フッサール、モーリス=メルロ・ポンティ、マルティン・ハイデガーの現象学、ドイツのゲシュタルト心理学、フェルディナン・ド・ソシュールやクロード・レヴィ=ストロースの構造主義、ロラン・バルト、チャールズ・サンダース・パース、チャールズ・モリスの記号学、エルンスト・カッシーラー、エルヴィン・パノフスキー、エルンスト・ゴンブリッチの図像学を採り入れて独自の建築理論を構築したのはクリスチャン・ノルベルグ=シュルツ、ジョセフ・リクワート、ウンベルト・エーコ、ピーター・コリンズ、マンフレッド・タフーリらである。1970年代以降になるとさらに多様な建築理論が展開する。1960年代に活躍した建築家はドイツのオズヴァルト・マティアス・ウンガース、英国のジェームズ・スターリング、イタリアのカルロ・スカルパ、パオロ・ポルトゲージ、ヴィクトリオ・グレゴッティである。とくにイタリアでは歴史家レオナルド・ベネヴォロの近代建築史・都市計画史の指導のもとにカルロ・アイモニーノやアルド・ロッシが実作を展開している。特にロッシの『都市の建築』(1966)はヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』と同年に出版されどちらも都市に関する理論書なので比較対照されることが多いが、ロッシが都市空間の安定的構造(都市事象)に注目しているのに対し、ヴェンチューリはアメリカの都市建築の複雑で矛盾に満ちた形態に注目している点が全く異なっている。僕が大学に入学し建築を学び始めたのは1960年代後半から1970年代初期なので時代的には少し遅れている。しかし本章のような情報がようやく日本に届き始めた頃なので同時代感があり、紹介された文献の多くに目を通した記憶がある。ADAエディタ・トーキョーから出たジェームズ・スターリングの最初の作品集は僕と石井和紘の共訳である。池辺研究室では構造主義や記号学の勉強会が開催され研究室の何人かのメンバーは日本記号学会の創立にも参加している。第二次大戦以前は知識として学ぶしかないので次は第10章「モダニズム1889-1914」に一旦戻ってから時代を下ることにする。


2017年01月03日(火)

7時半起床。今日も快晴で比較的暖かい。箱根駅伝の復路スタートを見届け山下りで皮肉にも関東選抜の学生が区間記録を出したのを確認してから事務所に出る。日記で『近代建築理論全史』の感想をかなり厳しく書いてしまう。何しろ監訳者は亡・鈴木博之の後任であり翻訳担当者の何人かは僕の教え子である。だから激励のつもりで酷評したのだが、やはり気分は良くない。百科全書的な本書を翻訳するには紹介されている文献のうち訳書があるものには最低目を通して内容をチェックすべきだが、それさえ十分に行われていないように思える。マンフォードとジェイコブスの訳書を僕はほとんど読んでいるし、アレグザンダーについては何冊か翻訳しているから担当者が訳書を参照していないことが手に取るように分かる。さらに丸善出版の編集者が訳語の統一や訳書の紹介といった基本的な作業を怠っているのは一体どういう編集方針なのか。そんなことを考えるうちにムシャクシャして来たのでウィスキーを煽ってしまい、そのまま就寝したらすっかり風邪を引いてしまう。なので第14章は一日お預けとなる。家早南友天を仰ぐばかりである。


2017年01月02日(月)

7時半起床。今日も快晴で寒い。ゆっくりと御神酒と雑煮の朝食をいただき箱根駅伝の8時スタートから2区までを見届けた後10時半に出社。メールで届いた年賀状に目を通し個人的なメールだけにお礼の返事を送る。プロポーザルのスケッチを試みるがアルコールのせいで集中できない。EDHの遠藤さんとはりゅうウッドスタジオの滑田さんから届いたメールを読み返す。昼食も御神酒とおせち料理ですっかり酔いが回りベッドで読書を開始するがそのまま爆睡。3時半に目覚めて以降は読書に集中。夕食後もウィスキーを舐めながら読み続ける。

『近代建築理論全史1673-1968』は第15章「モダニズムへの挑戦状---アメリカ」」を読み終わる。第2次大戦後のアメリカの都市・建築理論を時系列に沿って紹介した比較的馴染みの深いテーマを取り挙げた章だけに時折散見する誤訳が気になってなかなかスムーズに読み通せない。戦後のアメリカ政府の都市住宅政策に対してルイス・マンフォードはモダニズムのトップ・ダウン的な視点からマクロな都市計画の不在を批判しているが、それに対してジェイン・ジェイコブスは大都市ニューヨークの高密度なダウンタウンでのミクロな都市生活の経験からボトム・アップ的な批判を展開している。ここではジェイコブスの主著『アメリカ大都市の死と生』の訳本が紹介されているだけでマンフォードの『歴史の中の都市』やケヴィン・リンチの『都市のイメージ』など都市論に関する主要な訳本は紹介されていない。クリストファー・アレグザンダーについても誤訳が多い上にサージ・シャマイエフ(この呼称も訳本と異なる)との共著『コミュニティとプライバシー』や『ノート』『パタン・ランゲージ』『タイムレス』といった訳本も紹介されていないのは片手落ちというしかない。おまけに『ノート』のタイトルを『形態の綜合に関する覚書』と訳しているのだが、アレグザンダーと同世代のピーター・アイゼンマンについて論じた後の項では『形の合成に関するノート』と定訳が採用されている。この相違はどこから来るのか疑問に思い巻末の訳者経歴を参照してみると後の項の翻訳は別の人が担当していることが分かり唖然とする。ここまでくると翻訳担当者だけではなく監訳者と編集者の責任である。この類の単純ミスは早急に訂正してほしいものである。原著が紹介されていながら訳書は紹介されていないクリストファー・ジョーンズの『デザインの手法―人間未来への手がかり』(1972)は僕も参加した池辺陽研究室による翻訳だが出版社は本書と同じ「丸善」である。編集担当者は知らないのだろうか。1960年代前半のアメリカ建築界のヒーローはポール・ルドルフとルイス・カーンである。建築理論では英国から来たコーリン・ロウの影響が大きくピーター・アイゼンマンとともにポストモダンな形態優先主義を先導している。ロウの有名な論文「透明性」についての説明も『マニエリスムと近代建築』の訳本の「実と虚」という迷(名)訳をそのまま採用したために分かりにくくなっている。ロウがワールブルグ研究所の伝統を継いでいることを考慮すれば「literalとphenomenal」を「物理的と知覚的」あるいは「実体的と現象的」とでも訳し分けるべきだろう。1960年代後半のアメリカ建築界を主導したのはチャールズ・ムーアとロバート・ヴェンチューリである。両者ともポップ・アートを建築に持ち込んだ点では共通しているがヨーロッパとの関係を明確に意識したのはヴェンチューリの方である。彼の『建築の多様性と対立性』をル・コルビュジエの『建築をめざして』に比肩する名著と評したのはエール大学の歴史家ヴィンセント・スカリーである。この本の中でヴェンチューリが提唱した〈複雑な全体〉という概念は日本でも戦後生まれの団塊世代の建築家たちにモダニズムを脱却するキーワードとして共有された。この本に対してコーリン・ロウやレイナー・バンハムやマンフレード・タフーリといった歴史家たちも多様な反応を示しているが、そのこと自体がこの本の歴史的な重要性を証し立てているように思う。次は第14章「モダニズムへの挑戦状---ヨーロッパ1959-1967」へ逆進する。


2017年01月01日(日)

8時過ぎ起床。晴れで寒い一日。年明けの御神酒と雑煮をゆっくりといただいた後にベッドに戻り読書。11時半に娘一家が来宅。冷酒を呑みながらおせち料理をいただきいい気分になる。午後はしばらく孫と一緒に遊び3時過ぎに帰ったのちに事務所に出て年賀状の整理。年賀状を出さなくなってかれこれ10年以上経ち返事も出さないので徐々に数も少なくなってきたが、それでも毎年さまざまな人たちから年賀状が届く。ありがたいような申し訳ないような気分で目を通す。夕ご飯もおせちと冷酒。夜はTVで映画を見ながらウィスキーを煽る。ぼんやりとした頭で過ごした元旦だが明日からは引き締めていこう。

『近代建築理論全史1673-1968』は第9章「補説:20世紀ドイツ・モダニズムの概念的基礎」を読み終わる。短い章だが本書の要となる内容である。モダニズム以降の歴史家の第一世代はジークフリート・ギーディオンやニコラス・ぺヴスナーだが、彼らはモダニズム建築家と並走しモダニズムのイデオローグとしての役割も果たした。ギーディオンはル・コルビュジエをバックアップしながらモダニズムとそれ以前の建築思想との歴史的不連続性に焦点を当てモダニズム建築の革命性を主張した。ニコラス・ぺヴスナーはイギリスの19世紀史に注目しモダニズムの端緒をアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォーにまで遡っている。僕は『メタル建築史』の中でぺヴスナーの視点を再評価することを試みた。しかし本書の著者マルグレイヴはペヴスナーの歴史観はまったく説得力がないと切り捨てている。僕はアーツ・アンド・クラフツ運動とアール・ヌーヴォーを社会思想と様式の払拭性の2点においてモダニズムに結びつけようと試みたのだが両者を直接的な影響関係において結びつけることには確かに無理があるように感じていた。本章でマルグレイヴが試みているのは19世紀のゴットフリート・ゼンパー以降19世紀後半から20世紀初期にかけてのドイツとオーストリアの建築家・歴史家たちによる技術論・空間論・表現論がモダニズムの建築思想にいかに流れ込んでいるかという詳細な検証である。マルグレイヴが序文を書いたケネス・フランプトンの『テクトニック・カルチャー』で取り上げられている19世紀の構法史と重なる部分が多いのはマルグレイヴの博士論文のテーマがゼンパーの研究だから当然である。後の章でも紹介されるだろうが第一世代の歴史家が提唱したモダニズム不連続史観に対する批判的な視点はコーリン・ロウやレイーナー・バンハムによって既に提出されているので特に新しい視点ではない。とはいえマルグレイヴはモダニズムの大本山であるバウハウスの地元ドイツやウィーンにおける連続史観によってそれを補強しているといってよいだろう。とくに鉄骨構造と空間論・表現論を結びつけようとする視点はケネス・フランプトンにも見られないユニークな視点である。次は飛んで第15章「モダニズムへの挑戦状---アメリカ」へ進む。


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