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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2018年10月15日(月)

7時起床。曇りで涼しい一日。8時半出社。熊本の保田さんと矢橋さんから19日(金)の工務店とのネゴシエーション準備の打ち合わせ報告が届く。合わせて追加のVE案の提案があるのでコスト計算をするように戸田に指示する。構造に関係する変更もあるので佐々木構造計画に問い合わせ回答が届いてから夕方までに減額概算をまとめて保田さんと矢橋さんに返信する。芳賀沼さんからの電話。山本理顕さんに依頼したシンポジウムについて相談したいとのこと。どのような形にするか今週末に打ち合わせすることにする。『Abitare la Terra』誌への寄稿エッセイを書き始める。先週末にローマ大学のSPITA教授からリマインドメールが届いたので、今週中にまとめる旨の返事を送り、自分で尻に火をつけた。書き始めると思いの外スムースに筆が進み、夕方までに半分くらいまで達したので、今まで何をしていたのだろうと我ながら不思議な感慨を抱く。このままいけば何とか今週中に書き終えることができるだろう。並行して僕のCVや写真と図面を整理する。熊本大学工学部から、以前田中智之さんに打診を受けていた顧問就任依頼の書類が届く。年1回開始される顧問会議に参加する仕事である。所定の書類に書き込み返送する。富山大学の横山天心さんに「162酒井邸」の見積を依頼する工務店の紹介と現場監理を依頼するメールを送る。まもなく返事メールが届き前向きに検討してくれるそうだ。ありがたいことである。夜は読書。『モダニズム崩壊後の建築』の第3章「装飾・身体・ファッション」へ進む。第5節「『〈建築〉という基体』を読む』---磯崎新論」は『磯崎新建築論集』(岩波書店 2013)の書評だが、1960年から常に先端を走り続けてきた磯崎新の歩みを辿りながら現代建築史を浮かび上がらせている手腕に感心する。僕にとっては初めて読むまとまった磯崎新論である。21時半帰宅。引き続き『モダニズム崩壊後の建築』の第4章「ポストバブルの日本建築」を読みながら夜半就寝。


2018年10月14日(日)

8時起床。曇りのち晴れの涼しい一日。10時出社。昨日の〈小嶋一浩賞〉シンポジウムではいろいろなことを考えさせられた。僕もいくつかの賞の審査員を務めているが、審査員が応募者を審査することは一種の権力の行使に他ならない。それが無意識な行使であればあるほど、結果的に賞の権威を生み出すことにもなる。そのことが必ずしも悪いとはいえないが、権威の誇示に陥らないためには、審査の根拠を明確に説明することが最低限の義務だろう。審査員としての僕の自戒の念は、審査は審査対象の評価であると同時に、逆に審査する側の評価でもあるという自覚である。審査という行為は審査員に向けられた鏡面的な評価でもあるのである。〈小嶋一浩賞〉は間違いなくそのような賞になるだろう。気分転換に映画を見に出かけることを思い立ちデンゼル・ワシントン主演の『イコライザー』(アントワーン・フークア:監督 2018)をネット予約する。12時過ぎに事務所を出て千代田線、日比谷を乗り継ぎ六本木駅にて下車。歩いて5分で六本木ヒルズシネマに着く。13時から開演。アメリカ版の勧善懲悪の物語だが、最も親密な仲間だと思っていた人間が実は真犯人だったというなかなか手が込み入った演出に感心する。あっという間に2時間が過ぎ15時過ぎに終了。16時前に帰社。『モダニズム崩壊後の建築』の第2章「うちへのまなざし」を読み続ける。「建築史と建築批評---鈴木博之論」を読みながら、鈴木博之の『建築の世紀末』や『建築は兵士ではない』に関する五十嵐さんの読み込みの深さと視野の広さに一種の感動を覚える。〈私的全体性〉を唱える鈴木博之の視点の核心を「小さな場所から大きな世界をみわたし、その関係を測定して他者を思う想像力である」と捉えているところでは思わず天を仰ぐ。この小論文こそ建築史と批評とを結びつけた優れた例だと思う。21時半帰宅。ウィスキーを呑みあれこれ考えを巡らせる。夜半就寝。


2018年10月13日(土)

7時起床。曇りで涼しい一日。8時半出社。所内で簡単な打ち合わせをした後、今日は午前中で仕事を切り上げる。2人の孫が来たので一緒に簡単な昼食。13時過ぎに家を出て銀座線、井の頭線を乗り継ぎ駒場東大前駅にて下車。歩いて約10分で生産技術研究所に着く。途中で新建築社編集部の内藤麻美さんに会う。14時から〈小嶋一浩賞〉設立記念シンポジウム開始。
https://www.kojimakazuhiro-award.org/about/
会場には約200人の聴衆。佐々木睦朗、池田昌弘、藤江和子といった顔も見える。シンポジム開始前に山本理顕さんに挨拶し〈福島アトラス01、02、03〉と『縦ログ構法の世界』を贈呈し、福島での復興シンポジウムへの参加を打診したら快く引き受けてくれる。シンポジウムの冒頭では〈小嶋一浩賞〉事務局長の西沢立衛さんが賞の趣旨について説明し、その後に第1回の賞の審査委員長である山本理顕さんが小嶋さんの思い出を語りながら賞のあり方についてスピーチ。引き続き小野田泰明さんの司会、妹島和世、千葉学、西沢大良、赤松佳珠子、平田晃久の5人のパネラーで「小嶋一浩賞は何を目指すのか」と題してパネルディスカッション。各自1枚のスライドを紹介しながら、平田さんは学生時代にアクティビティという言葉を聞いたときの驚きについて、赤松さんは「建築はモノではなく出来事である」という小嶋さんの主張について、西沢さんは無名な人材と無謀な活動に対する賞の基準について、千葉さんは小嶋さんから学んだ言葉と概念の持つ力について、妹島さんはグループで活動することによって得られる建築の多面性について、それぞれ持論を展開する。その後小野田さんが会場をまわり出席者からのコメントを聴く。僕もマイクを渡されたので、小嶋さんに修士設計の指導を依頼した経緯について紹介しながら、原廣司が展開した〈アクティビティ・コンター論〉の数学的な抽象性を『アクティビティを設計せよ』(彰国社 2000)において具体的な設計方法へと適用することによって建築計画学を脱構築したこと、それによって山本理顕とは別の角度から計画(プログラム)からデザインへという一般的な社会学優先主義を建築優先主義に転倒させたことの歴史的意義について話す。続いて乾久美子、藤村龍至、吉良森子、北山恒といった人たちが発言。誰もが〈小嶋一浩賞〉の指針となる具体的なコンテンツではなく、賞の決め方や手順などメタな指針について論じるのは、実は小嶋さんの仕事についてあまり知らないのではないかと意地悪な感想を抱く。最後に賞のファウンダーで小嶋夫人の城戸崎和佐さんが小嶋さんの思い出と賞に対する期待について話し17時過ぎに終了。その後、小嶋一浩+赤松佳珠子/C+Aが設計した〈東京大学先端科学技術研究センター3号館〉に移動し2階のホールで献杯。見学会もあったが僕はそこで退席。18時半に帰宅。妻と一緒に行きつけのイタ飯屋で夕食。いつものミニコースと赤ワインでいい気分になる。21時前に帰宅。居間で妻とさまざまな話題について意見交換したのち22時半に就寝。長い一日だったが〈小嶋一浩賞〉が権威を召喚しないような新しいタイプの賞になることを期待しながら夜半就寝。


2018年10月12日(金)

7時起床。帰国してから1週間を過ぎでようやくジェットラグが抜けたようだ。昨夜はぐっすり眠り目が覚めたのは6時前になった。曇りで涼しい一日。はりゅうウッドスタジオから〈福島アトラス01、02、03〉数冊が届く。明日、小嶋一浩賞のシンポジウムがあるので『縦ログ構法の世界』と一緒に山本理顕さんに渡すことにしよう。震災復興関係なので小野田泰明さんにも渡そうか。2015年に前田財団の山田一宇賞を受賞し昨年度は研究助成を獲得した建築史家の海野聡さんが東京大学建築学科の准教授に就任しことを建築学科のHPで知る。早速facebookでお祝いのメッセージを送る。富山の酒井さんから昨夜送った「162酒井邸」第16案に対するコメントが届く。家事動線の長さを気にしているので酒井さんの提案に従って台所を反転させた案を作成。吹抜けと2階平面との関係がやや気になるがそのまま送信し検討を依頼する。先日のトークイベント『杉本貴志の人と仕事を語る』でインテリアデザインと建築デザインとの相違について発言したが、それとは別に原理的な問題を指摘することを忘れていた。インテリアデザインが主として商業建築であるのに対し、MUJIHOUSEは日常生活の容器である。単純化していえば商業建築は非日常的な空間であり住宅は日常性の空間である。柳田國男のいうハレとケの違いだといってもよい。だからインテリアデザインはphenomenalにならざるを得ないし、住宅はliteralな背景でいいのである。住宅のインテリアデザインに関する会場からの質問に対しては、そのことを指摘すべきだった。「住宅は建築ではない」というアドルフ・ロースや磯崎新の主張の根拠はそこにある。それに対して篠原一男は住宅を芸術=非日常性の表現だと主張し、坂本一成は住宅デザインを〈日常性の詩学〉とよんで一捻りしたのである。このテーマは奥が深い。改めてじっくり考えてみる価値のある問題かもしれない。『モダニズム崩壊後の建築』の第2章「うちへのまなざし」を読み続ける。ここでは1970年代以降の住宅デザインの潮流がクローズアップされているが上で述べたような問題はスッポリと抜け落ちている。


2018年10月11日(木)

4時に目がさめる。相変わらずジェットラグだが直ちに再眠し7時半起床。曇りで涼しい一日。8時半出社。昨夜遅く東大の加藤耕一さんから小見山陽一さんの博士論文審査に関するメールが届く。小見山さんは昨年、京都大学建築学科の助教に就任する際に来所し博士論文のテーマについて話を聞いた。卒論ではバックミンスターフラーとノーマンフォスターの関係を調べ、修論ではフォスターの仕事をフラの視点からさらに掘り下げ、博論では1951年ロンドン万博のクリスタルパレスを鉄骨造だけではなく昨今注目されている木造の視点から研究調査しているようだ。どんな論文になるのか楽しみである。「163保田邸」の減額変更をまとめたリストを保田さんにメール送信。その後工務店とのネゴシエーションの際の戦略について何度かメール交換。なかなか難しい課題だが頑張ってほしい。矢橋さんは前もって保田さんと打ち合わせをするそうだ。富山の酒井さんから「162酒井邸」台所の代替案のスケッチが届く。アイランドキッチンのアイデアが提案されているので酒井夫人の思い切りの良さに感心する。アイランドキッチンはこれまでいくつかの〈箱の家〉で実現しているので、その実例写真と僕たちの提案をまとめた図面を送信する。毎日新聞社から2018年度の毎日デザイン賞の調査委員の依頼状が届く。実はアメリカ旅行中に依頼状を受け取り快諾したのだが、その後じっくり書類を見ていなかった。昨年度は西沢立衛さんや藤塚光政さんが受賞している。審査員の岸和郎さんの推挙だろう。毎日デザイン賞は調査委員が候補を推薦し審査委員が選択するというシステムである。僕の頭にはすでに推薦候補があるが、ここでは内緒にしておこう。最近1968年の世界的な文化革命をモダンからポストモダンへの転換の契機として歴史的に位置づける試みが様々なジャンルでなされている。五十嵐太郎の『モダニズム崩壊後の建築』もそうだし『現代建築理論序説---1968年以降の系譜』もそうである。先日のトークイベント『杉本貴志の人と仕事を語る』でも飯島直樹さんは杉本貴志の仕事の原点を1968年の大学紛争に関連づけて紹介していた。先頃ロバート・ヴェンチューリが亡くなったことも一つの引き金になったのかもしれない。1968年の東大闘争は僕にとっても建築について考え直す大きな契機になった。この問題については改めてじっくり考えて見る必要があるかもしれない。18時半にスタッフと事務所を出て旅行中の留守番に対するねぎらいの夕食。その後近くのバーでモヒートを奢る。20時半帰社。21時半帰宅。『モダニズム崩壊後の建築』は第1章「1968年前後の建築」を読み終わり第2章「うちへのまなざし」に進む。1970年の大阪万博についての議論を読みながら、直島小学校の現場監理に行く途中で石井和紘と万博の工事現場に立ち寄ったことを思い出す。夜半就寝。


2018年10月10日(水)

7時起床。晴れで涼しい1日。今朝も4時頃に目が覚め、それ以降はなかなか寝付かれない。依然として寝不足状態が続く。8時出社。直ちに事務所を出て表参道を経由して青山歯科医院へ。8時半から定例の歯のメンテナンスと下歯の治療。9時半に終了。来週の治療予約をして銀行に立ち寄ってから10時前に帰社。帳簿データーをディスクに書き込み決算の資料を揃えて宅急便で会計事務所に送る。昼前に戸田が「163保田邸」の仮申請から帰社する。とりあえず審査期間に受け付けてもらえたようだ。13時15分に事務所を出て表参道から半蔵門線、都営大江戸線を乗り継いで六本木駅にて下車。六本木ミッドタウンビル5階のデザインハブに14時前に着く。まもなくはりゅうウッドスタジオの芳賀沼整さんと福島住まい・まちづくりネットワークの高木義典さんが合流。グッドデザイン賞の〈今年の100点〉に選ばれた作品の発表会に参加する。偶然に控室で岡部憲明さんと出会う。〈今年の100点〉に「小田急ロマンスカー」が選ばれたので発表するそうだ。4階の会議室に移動すると、すでに発表会が始まっている。予定よりも約30分遅れて16時頃から「福島アトラス-原発事故避難12市町村の復興を考えるための地図製作活動」について芳賀沼さんが発表。それまでの発表者とは一味違う迫力のある発表に審査員も圧倒されたようだ。4分で発表するには中身が濃すぎるので、思わず質問に立ってコメントを加えたくなったが我慢する。発表が終わるとすぐに席を立ち会場を出る。エレベーターで芳賀沼さんたちと別れ地下鉄乃木坂駅まで歩き千代田線で表参道駅にて下車。16時半過ぎに事務所に戻る。今週末のイベントで山本理顕さんに会う予定なので福島でのトークセッションを打診するため福島アトラスを渡したい旨のメール芳賀沼さんに送る。大成建設関東視点から〈アタゴ第2工場〉の1年検査に関するメールが届く。栃内にメール連絡しスケジュール調整を頼む。先週10月5日 (金) に東京デザインセンターで開催された「杉本貴志の人と仕事を語る」の記録がYouTubeにアップされたのでfacebookで紹介。ざっと目を通すとジェットラグで僕の表情は完全に呆けている。
https://www.youtube.com/user/JCDJapan
21時半帰宅。『モダニズム崩壊後の建築』は第1章「1968年前後の建築」を読み続けるが、当時の建築デザイン潮流の紹介が中心で同時代を経験した僕の記憶を再確認するにとどまり、とくに新しい発見はない。先頃読んだ『現代建築理論序説---1968年以降の系譜』(ハリー・F・マルグレイヴ+デイヴィッド・グッドマン:著 澤岡清秀:監訳 鹿島出版会 2018)に比べると、いささか物足りないが、ともかく読み続けることにする。


2018年10月09日(火)

7時起床。晴れ時々曇りでやや涼しい一日。依然としてジェットラグが続き早朝4時頃に目が覚め、以降はなかなか寝付かれない。このため慢性の寝不足状態である。8時半出社。9時過ぎに事務所を出て外苑前の診療所へ、9時半から3ヶ月定期検診とインフルエンザ予防接種。3ヶ月後の診療を予約し、それまでの薬の処方箋をもらって10時前に終了。青山通りを歩いて表参道の薬局で薬を購入し、10時過ぎに帰社。一昨日に保田さんから届いた「163保田邸」の減額案に対する回答に基づいて減額見積をまとめるように戸田に指示。明日は確認申請の仮受付の予定だが、その準備が終わったら早急に作業に着手する予定。〈箱の家045〉のクライアントである博多の村岡さんから外壁のメンテナンス工事に関する相談メールが届いたので直ちに返事メールを送る。塗装部分をマルセイユのユニテで見たブルーに塗り変えたいそうだ。会計事務所から9月末までの決算資料をまとめるように連絡が入る。今週中には書類一式をそろえる旨の返信メールを送る。難波研OBの小見山陽介さんから博士論文の審査メンバーに加わって欲しい旨のメールが届く。彼は卒論を僕の研究室で取ったが、大学院は鈴木博之研究室に進み、修了後はロンドンで実務に携わった。その後、東京大学に戻り加藤耕一研究室で博士論文をまとめている。現在は京都大学で助教に就いているが、いずれは教職に就く人なので喜んで審査に協力する旨の返事メールを送る。『建築雑誌』2018年10月号の特集「木造建築の正しさと、その危うさ」の冒頭論文「粗にして貴」(網野禎昭:著)を読む。日本の木材産業に関する総論的な論文なので具体的な方策は論じられていないが、明らかに昨今のCLT潮流に対する批判的な視点が読み取れる。先日も金箱温春さんと近現代建築資料館で最近の木造ブームについて意見を交わしたが、CLTの助成金依存に対して批判的だった。日本の林業を考えれば、やはり川上の木材業者の問題を優先的に考えるべきだろう。〈縦ログ構法〉はその点を視野に入れた木造構法である。18時にはりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんが来所。明日のグッドデザイン賞〈今年の100点〉の発表会の内容について簡単な報告を受ける。吟蔵酒と松茸をお土産にもらう。夜は帳簿の整理と読書。21時半帰宅。眠気に襲われたので22時過ぎに就寝。


2018年10月08日(月)

6時半起床。曇りで涼しい一日。今日は祝日で事務所は休みだが9時に出社。保田さんと減額変更についてメールのやりとり。まだ確定はしていないが工務店とのネゴシエーションまでには査定変更と合わせて減額変更による工事金額をまとめねばならない。日本建築士連合会賞の最終審査会で侃々諤々の議論が交わされたが最終的に優秀賞を獲得した〈On the water〉の設計者、日建の山梨知彦さんが自身のfacebookに審査結果を紹介しているのでコメントを書き込む。この作品をどのような視点で評価するか、各審査員の視点が問われたからである。誰が選評を書くかが問題になったが、やはり独自の視点を持っている石山修武さんが最もふさわしいということに落ち着いた。コンペでも同じだが、作品賞の審査は作品の審査であると同時に、逆にみれば審査員が審査される契機でもある。今回の審査ほどその点を厳しく問われたことは未だかってない経験である。僕は〈北光の家〉と〈新発田市新庁舎〉を推薦し選評を書いたが、この2作品についても反対する審査員がいて白熱した議論が展開した。
https://www.kensetsunews.com/web-kan/242525
ネットショップのeDreamsに電話しカンクンーハバナ便の欠航による補償を依頼する。詳細な経緯について説明し旅程変更に要した費用についてまとめたメールを送信する。1週間後に検討結果を連絡するという返事だが、さてどうなることやら。まだ若干ジェットラグが残っているので昼過ぎに帰宅ししばらく読書と仮眠の繰り返し。シャワ―を浴びて目を覚まし17時半に妻と家を出て地下鉄で築地へ。昨日閉鎖された築地市場を見学した後に場外市場の寿司屋で夕食。流石にネタが少ないが久しぶりに刺身と握り寿司を味わう。8時過ぎに店を出てタクシーで帰宅。ウィスキーを呑み直し『モダニズム崩壊後の建築』を読みながら23時過ぎに就寝。


2018年10月07日(日)

6時半起床。晴れで夏に戻ったような蒸し暑い一日。ゆっくりと朝食を摂りシャワーを浴びてから9時過ぎに出社。日記を書き込み、保田さんからのメールに返事メールを送り、休暇中の書類を整理する。10時前に帰宅し着替えてから10時15分過ぎに家を出て外苑西通りでタクシーを拾い六本木の国際文化会館に10時40分着。11時15分から界工作舎OBの杉村浩一郎くんと佐々木構造計画の永井佑季さんとの結婚披露宴。佐々木睦朗夫妻、大阪市大の宮本佳明、千葉工大の遠藤政樹、多田脩二、界工作舎OGの藤武三紀子が僕と同じテーブルで、そのほかに斉藤公男さんや界工作舎OBOG、佐々木構造計画OBが出席している。僕は冒頭に祝辞を述べ、佐々木さんの祝辞が続く。その後は隣席の佐々木さんから昨日資料を送ってもらった磯崎新の中国における都市計画に関する話を聞いたり宮本さんから大阪市大の近況について話を聞く。杉村君の両親と酒を酌み交わし、界工作舎OBOGや佐々木構造計画OB のテーブルを回ったりして14時過ぎに宴は終了。宴の終了後、花巻裕子と中川純は帰宅したが、界工作舎OBOGの藤武三紀子、河内一泰、龍光寺眞人、井上樹、栃内秋彦と西麻布の居酒屋に移動し日本酒を呑みながらしばらくの間互いの近況について歓談。解散後に皆は夕方から表参道で開かれる披露宴の二次会に向かったが、僕はタクシーで帰宅。妻と早めの夕食を食べながら披露宴の様子について報告してから20時過ぎにベッドに倒れこむ。これで少しはジェットラグから回復できるかもしれない。


2018年10月06日(土)

7時起床。ジェットラグはまだ続いているようで早朝2時頃に目が覚める。保田さんからコスト問題を打開する方法として工務店との直接交渉を望むメールが届いたので、一通り査定回答が出た時点でネゴシエーションに入ってもいいかもしれないいと考える旨の返信メールを送る。7半起床。晴れで暑さがぶり返した一日。8時半出社。10時前に空調と床暖房の設備業者が来所。この夏は暑すぎたせいか、やや調子がおかしかった空調・床冷房システムの総点検を依頼する。2005年に設置してから13年経過しているので、機器を取り替える時期に達しているようである。見積を依頼して11時過ぎ終了。熊本の矢橋徹さんと「163保田邸」のネゴシエーションの手順と条件に関するメールのやりとり。保田さんとしては僕がわざわざ顔を出すまでもないという判断なのでネゴシエーションは保田夫妻と矢橋徹さんに任せることにする。12時前に事務所を出て千代田線で湯島駅にて下車。歩いて国立近現代建築資料館へ。13時から明治以降の構造の変遷を調査するWGの会議。前回に決めた調査担当者から10人の構造家の資料調査の結果を一人ずつ報告して行く。この作業で約90分かかる。今年度中にまとめて来年度に報告会を兼ねて日本の構造デザインの系譜に関するシンポジウムを開催する企画についても意見交換。僕としては、この調査結果を日本近代の構造史をまとめる契機にして欲しいと思う。そのためには大学の若い研究者がこのテーマに正面から取り組んでもらいたい。新谷眞人さんも同じような構想について提案している。今年末に次回のWG会議を開く日時を決めて16時過ぎ終了。佐々木睦朗さんと一緒に帰る際にハバナ土産のラム酒を渡す。17時起床。木村が「162酒井邸」第15案の改良版をまとめたのでコメントを添えて酒井さんに送信。18時帰宅。早めの夕食を食べシャワーを浴びて汗を流した後21時過ぎに就寝。夜中に目が覚めたのでアマゾンから届いた『モダニズム崩壊後の建築---1968年以降の展開と思想』(五十嵐太郎:著 青土社 2108)を読み始める。


2018年10月05日(金)

7時半起床。小雨のち曇り。やはりジェットラグの後遺症で夜中に何度も目が醒める。この状態はしばらく続くだろう。何しろ13時間という半日の時差なので朝夕が完全に入れ替わった感じである。しかし短い眠りでも深いので、それほど疲れは感じない。8時半出社。戸田に「163保田邸」の減額変更のうち確認申請に関係のある階高の変更について、早急に佐々木構造計画との打ち合わせをするように指示する。それ以外の変更は確認申請に直接関係しないと思われるのでペンディングとする。「162酒井邸」第15案を精査する。若干気づいたことがあるのでさらにシステムを整理したい。『建築士』10月号「日本建築士会連合会賞」が届く。応募書類による一次審査で21作品を現地審査に残したが、そのうち賞に残ったのは15作品である。それ以外の作品は応募書類と現地審査との落差が大きく問題点が多いので採用されなかった。ところが現地審査で落選した作品が『新建築住宅特集』10月号特集「若手建築家の実践」の巻頭に掲載されているのでびっくりする。応募書類ではきわめてフォトジェニックな作品に見えたが、現地審査で全体の空間構成や構法の欠落に大きな問題点を感じたからである。〈日本建築士会連合会賞〉の審査委員は全員70歳近いので、若手建築家のアグレッシブな試みを評価できないのだろうか。そうではなく、この落差は世代や年齢の問題というよりも最近の建築デザイン潮流の変化を象徴していると考えた方がいいように思う。僕個人としては最近の若手建築家のデザインにおける構法と性能の欠落を痛感しているからである。これは建築デザイン教育の問題であると同時に建築家と建築技術の乖離の問題である。藤村龍至さんからギャラ間の展覧会のカタログ『The Form of Knowledge--- The Prototype of Architectural Thinking and its Application』(藤村龍至:著 TOTO出版 2018)が届く。建築デザインの結果だけではなく、そこに至るプロセス、あるいは単体の建築ではなく都市的なコンテクストから捉えた建築への視野の広い視点、技術的な視点など、建築的思考の多面性を盛り込んだ充実した内容である。ただ、以前から感じていることだが、藤村さんの建築デザインにおける形態的な側面には、明らかに匿名性をめざす東工大的なパタンが感じられる。今回の展覧会には藤村さんがその無意識のパタンから抜け出そうとする模索のようなものを感じる。それも意識的な形態操作ではなくシステムの自律的展開による新しい可能性の追求によってである。僕はそこに藤村さんのスタンスの真摯な一貫性を強く感じ好感を抱く。この方法を通じて藤村さんはさらに新しい境地を拓いていくことは間違いないだろう。17時過ぎに事務所を出て表参道から渋谷をへて山手線で五反田駅にて下車。18時前に東京デザインセンターB2階のホールへ。18時半からトークイベント『杉本貴志の人と仕事を語る』に参加する。パネラーは面出薫さんと片山正通さん、司会は飯島直樹さんである。最初は飯島さんが1960年代末から70年代にかけての時代潮流と杉本貴志のデザインスタンスとの関係に関する分析や80年代の無印良品の仕事などの紹介。途中で片山さんが参加しスーパーポテト後期のデザイン活動について対談。引き続き僕は「MUJIHOUSEとニチハ外壁断熱パネルの開発」と題して杉本さんとの協働について紹介しながら杉本さんとの大いなるスレ違いについて解説。最後に面出さんはLPAの設立時からの杉本さんとの付き合いを「俺に任せろ」「学生を教えろ」「仕事を断るな」「遊びが足りないぞ」「闇が光の原点だよ」とういう5つのテーゼに分けて回顧する。その後に10分の休憩を挟み4人のディスカッション。パネラーそれぞれの杉本さんとの思い出を紹介。杉本さんの幅広い活動について改めて思い知らされる。僕は個人的な付き合いはほとんどなかったので、杉本さんとの間で感じた建築デザインとインテリアデザインとの違い、literalなデザインとphenomenalなデザイン違い、レヴィ=ストロースの『野生の思考』における構造と出来事(個別的な歴史)やブリコラージの概念などについて話す。最後のまとめとして、僕が杉本さんから学んだ最大のテーマはデザインにおける〈時間〉の問題であることを述べて終了。会場からいくつかの質問を受けて10時前に終了。その後6階のレストランで東京デザインセンター社長の船曳鴻紅さんと娘さん、杉本夫人と娘さんを交えて食事会。ワインをいただきながら今日のトークイベントについて意見交換。ワインの酔いとジェットラグで最後のあたりでいささか駄弁を弄してしまったことを反省。11時半過ぎ解散。タクシーで帰宅し12時過ぎにベッドに倒れこむ。


2018年10月04日(木)

ボストンー成田の飛行機の中では3本の映画を見た。『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ:監督 2018)を日本語吹替で見るとちょっと印象が変わる。予定の16時より早く15時20分に成田着。空港内を延々と歩いて税関と荷物検査をスムースに通過し16時過ぎにリムジンバス受付へ。16時半発新宿バスターミナル行に乗車。都心でラッシュアワーの渋滞につかまり18時半に新宿バスターミナル着。タクシーで19時前に帰宅。荷物を片付け夕食を摂って20時過ぎに出社。早速「1621酒井邸」と「163保田邸」の打ち合わせ。木村がまとめた「162酒井邸」第15案をフィードバック。いろいろ紆余曲折したが何とか収斂に向かっている感じがする。長いコメントを添えて酒井さんに送信。「163保田邸」は戸田がまとめた減額案について検討。提案すべき項目とそうでない項目を区分けし、説明用の図面を添えて保田さんに送信。やはり金額の問題で保田さんは揺れ動いているようだ。予算に近い工務店が1社あるのだが、内訳が不確定で読めないからだ。熊本の矢橋さんの意見を聞いて見る必要があるかもしれない。21時半に帰宅。ウィスキーを煽りながら今回の旅行について考える。

今回の旅行は総じて印象が薄かった。というのも移動が多すぎて落ち着く時間がなかったからである。おまけにカンクンからハバナへの乗換便が欠航というアクシデントがあり、カンクンの安ホテルに1日足止めされ、ハバナへのフライトが一日遅れることになった。この経験でネット予約の難しさを痛感する。さらにアメリカの都市の都心部のホテルは、ホテルの質と便利さだけでなく周辺環境をよく調べた上で決めないと、落ち着いた雰囲気は味わえないことも分かった。僕たち夫婦はそろそろ老年期に入っているので、もっと余裕を持って旅程を組む必要があることを身を以て知らされたのである。今後は一つの場所に最低3泊することを原則にすべきだろう。とはいえハバナは予想以上に荒んだ都市で妻はガッカリしたようだ。明らかに社会主義国であることの弊害である。空港の職員は身なりはいいが完全に官僚的な役人であり態度がでかい。街では旅行客にはハイエナのように様々な誘いがかかり気分が悪い。タクシーは法外な値段を吹っかけてくる。これも社会勉強だと前向きに捉えようとしても身体がついていかない。帰りの飛行機の中で妻と意見が一致したのは、僕たちにはヨーロッパとりわけイタリアやスペインが向いているということである。本当に疾風怒濤のような2週間だった。


2018年10月03日(水)

8時起床。シャワーを浴びて目を覚ましパジャマや酒類をluggageに詰め混む。9時にチェックアウト。玄関前でシャトルバスを待ち9時15分にホテルを出発。10分でターミナルEに到着。JAL のカウンター前にはすでに日本人旅行者が沢山並んでいる。10時半からチェックイン開始。税関を通ったのちに、かなり厳しいセキュリティチェックを受ける。iPadやiPhoneだけでなく、靴、ベルト、金属類をすべて外に出し、レントゲンによる身体検査まで受けて通過。少し歩いて4階のBritish Airlineのラウンジでたっぷりと朝食を摂る。12時半にラウンジを出てJALのゲートへ。13時20分定刻通りにボストン・ローガン空港を出発する。


2018年10月02日(火)

6時半起床。7時に1階の食堂で朝食。たっぷりと腹ごしらえをする。8時前に部屋に戻り荷造り。これまで買ったお土産や着替えを整理してしっかりluggageに詰め込む。8時半にロビーに降りてチェックアウト。インターネットで支払済なのでホテルへの支払いは酒代のみ。9時前にタクシーでハバナ国際空港へ向かい約20分で到着。American Airlineのカウンター近くの自動チェックイン機でボストンまでの搭乗券を受け取る。途中、シャルロッテ空港で乗り換える便である。Luggageを預けて税関と手荷物検査を通過し、最初の店で残った現金を使ってちょっと高級なラム酒3本を購入。手提げ鞄に詰め込んだ所でシャルロッテ空港の乗換時の手荷物検査で引っ掛かるのではないかという一抹の不安に囚われる。定刻通り12時15分にハバナ空港を出発し2時間半のフライトでシャルロッテ空港着。この空港はAmerican Airline のハブ空港である。入国検査では再び指紋と顔写真を撮られる。乗換便を探して手荷物検査場に行くと、案の定ハバナで購入したラム酒が引っかかる。しかし領収書を渡し酒瓶を箱から抜き出して1本ずつ所定の機械で調べてもらい無事通過する。多分同じような人が多いのだろう。ボストン行の便まで1時間半あったがさらに1時間遅れることになったので、やむなくシーフードバーで海産物のフライとワインで一服。18時半にシャルロッテ空港を出発し20時20分にボストン・ローガン空港着。ハバナからのluggageを無事に受け取り空港内を延々と15分歩いて21時前にホテルにチェックイン。空港ホテルとはいえ歩行移動にはややキツイ距離である。部屋に荷物を置いてホテル内のバーで、お腹は空いていないのでワインだけをたっぷり飲む。明日の出発は午後過ぎなのでゆっくり眠れそうだ。23時過ぎに就寝。


2018年10月01日(月)

8時起床。曇りでむし暑い一日。全館の空調温度が24度なので寒いくらいである。部屋の空調を切って寝たらさすがに暑くて目が醒める。9時に1階のダイニングルームで朝食。部屋に戻り今日の計画について妻と話し合う。妻は疲れたので今日は部屋で休みたいというので、10時半に僕は一人でホテルを出て旧市街の中央を南北に走る大通りを北へ向かって北端の大西洋に面した要塞まで歩く。途中で色々な人に声をかけられる。何かを誘っているのだろうが基本的に無視して進む。最初のうちは曇っていたが日が出るとやたらと暑くなる。大通りに面した街並はそれなりに整備されている。しかし還りに大通りに並行した脇道を歩いてみるとどこまでも荒んだ風景が展開する。キューバは社会主義国だが経済は沈滞しているのだろうか。廃墟のような建物も散見される。日本では考えられない荒れ様である。12時過ぎにホテルに戻る。汗ビッショリになったのでシャワーを浴びて一休み。妻と一緒に明日の航空便の時刻を確認。その後しばらく仮眠。長旅の疲れが噴き出したのだろうか。身体全体が怠い。17時にロビーに降りてコンシェルジュに明日のスケジュールについて相談。ハバナ空港発の航空便は12時15分なので逆算して9時にチェックアウトすればいいそうだ。空港までのタクシー代金についても確認して手元に残すべき現金を確認する。18時にホテルを出て西の華人街に向かって歩き10分ほどで目星をつけておいた中華レストランに着く。華人街もかなり荒れた風景である。日没まではまだ少し時間があり西陽が眩しい。ビールと白ワイン、炸醤麺、麻婆豆腐、白飯を頼む。ハバナの最後の夕食が中華料理とは不思議だが日本にはない味で、なかなか美味しいし安い。お腹一杯食べ19時半に店を出て20時前にホテルに戻る。21時過ぎ就寝。


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