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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2024年10月20日(日)

曇りのち晴れの肌寒い一日。早朝5時、寝返りを打ったところで腰の痛みで目が覚める。ぎっくり腰が回復しないので、しばらくベッドで休み10時半に出社。昨夜、新潟のクライアント候補からメールが届き、事務所の現況を尋ねられたので、ここ1年の改築と引越しの経緯について説明メールを返送する。朝食後ギックリ腰が治らないのでベッドで横になっていると、携帯電話に連絡が入り、昨夜メールをくれた人で、新潟の歯科医という自己紹介である。新しい歯科医院を計画しているので、設計を頼めるかという打診である。喜んで請けたいが、現在は一人事務所なのでOBとの共同設計になるという回答をする。できれば設計条件をまとめて敷地図と敷地写真を送ってくれるように依頼する。午後、その人から設計条件に関するメールが届く。〈箱の家020〉が気に入っているというので、改めて作品集を調べてみると、さいたま市の鉄骨造の〈箱の家〉である。Google Mapで敷地の所在地を調べると、信濃川の河口近くで日本海にも近い。おそらく軟弱地盤だろう。建設会社も決まっているようなのでネットで調べると、中堅の会社で不動産も手掛けているようだ。おそらく新潟の地盤にも詳しいだろうから、できれば敷地地盤の資料も送って欲しい旨を返信する。下調べをした上で新潟に行ってみよう。午後も腰痛が回復しないのでベッドの中で読書と仮眠。『悪意の科学』は第3章「他者を支配するための悪意」を読み終えて、第4章「悪意と罰が進化したわけ」に進む。第3章では、悪意を引き起こす脳内物質セロトニンの減少について検証される。悪意という心理が進化に関係している点の検証が続く。21時からNHKで『NHKスペシャル ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像』を見る。番組紹介「日本社会を揺るがした故・ジャニー喜多川氏による少年たちへの性加害問題。ジャニー氏と姉メリー氏の知られざる来歴。メディアも加担して築かれたアイドル帝国の実像に迫る。ジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏。日本エンタメ界のカリスマでありながら、長年に渡り、少年たちへの性加害を続けてきた。なぜ誰も彼を止められなかったのか―。アメリカ日系人社会での知られざる来歴や、ジャニーズ草創期を知る人物の貴重な証言から、早い時期からのジャニー氏の性加害、そして姉・メリー氏がそれを“隠蔽”してきた実態が浮かび上がる。メディアも加担して築かれた“アイドル帝国”の実像とは」。BBCのドキュメントによって一気に社会的な注目浴びた事件を現時点から再度検証した番組である。NHK内部にもジャニーズ事務所と深く関わった人物がおり、現在は退社して新しいプロダクションに所属していることが不気味である。


2024年10月19日(土)

秋晴れ後曇りの蒸し暑い一日。9時半出社。昨夜、福島+冨永祥子建築設計事務所の山本瑠衣さんからメールで、福島加津也さん富永祥子さんとの座談会『仮説としての歴史』のレイアウト原稿が届く。冨永さんによる似顔絵のイラストが加えられたオシャレな原稿である。11月4日(月)までのチェックバックを依頼された。前田財団の審査や事務所の会計整理も重なっているので、やや忙しくなりそうだ。『仮説としての歴史』の校正を始めるが、スムースに進まないので一旦休止する。『悪意の科学』は第3章「他者を支配するための悪意」を読み続ける。テーマにリアリティはあるのだが、心理学的な議論は昔から苦手なので、議論展開になかなかついていけない。精神分析学は別だが、心理学に対する僕の疑念はかなり根深い。17時過ぎにコンビニに買物に出かけ、帰宅して買ったものを冷蔵庫に収納し、ホッとしてソファに深く腰掛けたところで、いきなりギックリ腰に襲われる。痛みで立ち上がれず、しばらくの間静かにしていると少しおさまってきたので、思いたって熱い風呂を入れ、しばらくお湯に浸かってみる。しかし腰の痛みは回復しない。やむなくベッドに横になり、ぼんやりしていると意識が混濁し、現実と思考の区別がつかなくなる。iPadの画面と記憶との区別もつかなくなる。読んでいる本と現実との境目もはっきりしなくなったので、これはまずいと気を取り直し、リビングに移動してウィスキーを煽る。酔いが回ると不思議に現実感が蘇る。意識がぼんやりしてきたところでそのままベッドに倒れ込む。


2024年10月18日(金)

小雨のち曇りの涼しい一日。8時半出社。9時半過ぎに事務所を出て、小雨の中を歩いて神宮前2丁目の眼科医院へ向かう。10時前に2階の待合室で5分ばかり待機する。まもなく検査室に呼ばれて視力検査を15分。主として乱視の検査である。引き続き視野検査室に移動し20分の検査。いつもの光の点滅とは異なり、移動する光をチェックする検査である。終了後は再び待合室で10分程度待機する。待合室には30人ばかりの人が静かに待っている。名前を呼ばれて診察室に入り、女性の眼科医による簡単な目の検査と問診10分で終了。3ヶ月後の診療を予約し、3ヶ月分の眼圧降下剤の処方箋をもらい、1階の受付で支払いを済ませて終了。隣のビル3階の薬局にて眼薬を購入し、小雨の中を12時前に帰宅する。毎朝、両眼への点眼によって眼圧が下がり、白内障と緑内障を防げるというので3ヶ月毎に眼科医院に通っている。年齢相応に高血圧と高眼圧が僕の持病である。『悪意の科学』は第2章「支配に抗する悪意」を読み終えて、第3章「他者を支配するための悪意」に進む。第2章では、支配を求める欲求とそれに抵抗しようとすることから生まれる二面的な悪意に関する分析が展開する。権力と平等を求める欲求から生まれる悪意である。両者を区別する客観的な基準はない。匿名のソーシャルネットワーク(SNS)が悪意のSNSと化すのは、それによって求められるコストに歯止めがないからである。社会性とは心理的なコストなのだろうか。


2024年10月17日(木)

曇りだがやや蒸し暑い一日。9時出社。TH-1が防蟻業者と一緒に来所し、解体した外壁の内部を調査する。しばらく調べた後に防蟻業者から調査結果の報告を受ける。原因はやはりシロアリのようだが、もはや下地の木部をすべて食べ尽くしたようで、巣は見当たらないそうだ。今後の対応策としては、建物外周に沿った地面に防蟻材を注入するのが、もっとも効果的だろうとのこと。費用の見積と工事スケジュールは追って知らせることとして、今日の調査は終了。午後は板金屋が来所しTH-1と外壁工事について打ち合わせる。前田記念財団事務局からメールで、前田工学賞と研究助成の一次審査の資料が届く。早速、リンクにアクセスし資料をダウンロードする。審査の締切は11月15日(月)である。じっくりと目を通して審査しよう。『悪意の科学』は、第1章「たとえ損しても意地悪をしたくなる」を読み終えて、第2章「支配に抗する悪意」に進む。第1章では〈最後通牒ゲーム〉というシミュレーションによって、ヒトの悪意がどのように発揮されるかを検証している。悪意の発揮は社会と文化によって大きく異なること、自制心を弱らせると、より悪意が強くなることが明らかにされている。悪意の科学はノーベル賞を獲得したダニエル・カーネマンが提唱した行動経済学に似ているようである。つまり単純に合理的ではなく、心理的な影響を強く受けるのである。


2024年10月16日(水)

曇りでやや蒸し暑い一日。8時半出社。9時にTH-1の職人と石原さんが来所し、階段室隅の外壁を剥がして内部を検査する。下地の木部は断熱材の下地まで食い荒らされて木屑のようになっている。この木屑が室内に溢れているらしい。ずいぶん長い時間をかけてここまで進んだようだ。中庭の反対側の隅の外壁は何ともない。雨漏りによる湿気が原因かもしれない。明朝に防蟻業者が調査にやってくるので、下地木材が完全に腐っていない屋根近くの下地はそのまま残すことにする。グラフィックス社の編集部から先頃のインタビューのゲラ原稿が届く。インタビュー原稿はそれぞれの建築家の作品の後に掲載するようだが、僕の原稿は作品集のまとめとして最後に掲載することになったので、タイトルを変えて欲しいとのこと。まずはインタビュー原稿をプリントアウトし校正する。ずいぶんコンパクトにまとめられているので、それほど手を加えるところはない。全体の流れを確認するために再度校正をさせてくれるように依頼する。僕の原稿は、当初のタイトルを「インタビューを通して考えたこと」としていたが、最後のまとめならば「協働の新しいステップ」としてはどうだろうかと考える。〈協働〉という言葉がやや固い印象を与えるので〈建築家×構造家の新しいステップ〉でもいいかもしれないと伝える。協働の代わりに×としたわけである。最初は〈新しいステップ〉ではなく〈進化形〉とも考えたが、最近は進化という用語を使い過ぎのように感じたので避けることにした。まだ少し時間があるので、再度よく考えてみよう。Amazonから上腕血圧計が届く。以前の血圧計は自動的に3回計測し平均を表示する仕様だったが、先ごろ動かなくなってしまった。その買い換えだが今回の計測器はずっと小さく1回だけの計測仕様である。行きつけの診療所の医師に血圧の計測を続けるようにアドバイスされた。処方される降圧剤もより強いものに変更されたので、思い切って血圧計を変えることを決断した。『失敗の科学』は、「はじめにー人間は4つの顔をもつ」を読み終えて、第1章「たとえ損しても意地悪をしたくなる」に進む。哲学者のジョン・ロールズはこういっている。「どうやら悪意には善を促す力があるようなのだ。悪意はわたしたちが自分を高め、何かを創造する助けとなることもある」。ならばぜひともそのメカニズムを知りたいものである。


2024年10月15日(火)

秋晴れで清々しい一日。昼間はやや汗ばむ陽気。8時半出社。9時にTH-1の職人が軽トラックで到着する。外壁の補修工事のために、中庭の隅に仮設足場を建ち上げる。9時半にTH-1の石原さんが来たので、階段室の木屑の状況を調査してもらう。10時半前に終了。昨日に引き続きインタビュー原稿の執筆を続行し、午前中に約800字を追加して3900字で書き終わる。要求された文字数は2000字〜4000字なので、とりあえず条件内で収まる。14時過ぎに原稿を再度読み直し、若干の加筆と校正を加えた上で、佐々木構造計画とグラフィックス社編集部に送る。どっと疲れが噴き出したので、16時に一旦帰宅ししばらくの間休憩。夕食後21時からNHK BSで『フロンティア ヒトはなぜ歌うのか』を観る。5月に一度観た番組だが気になっていたので再見した。番組紹介「認知症でもなぜか消えない音楽記憶。その謎を解く鍵はアフリカ熱帯雨林に住む音楽の民・バカ族の暮らしにあった。太古の昔に獲得した、私たちの脳と音楽の密接な関係とは? 認知症で自分の名前すら忘れてしまっても、なぜか「音楽記憶」だけは消えない不思議。その謎を解く鍵を握るのはアフリカ熱帯雨林に住む狩猟採集民・バカ族。「言語よりも音楽」によるコミュニケーションが暮らしの中心にあるという。森の中で歌い踊るバカ族の豊潤な音楽シーンをたっぷりと紹介。太古の昔に獲得した私たちの脳と音楽の密接な関係とは!?最先端の脳科学、音楽人類学など多面的なアプローチで〈音楽の起源)に迫る」。バカ族は現在でもジャングルの中を移住する狩猟採集民だが、彼らの合唱は複雑なリズムを持つポリフォニー音楽であり、重要なコミュニケーション・メディアである。気分転換に『悪意の科学』(サイモン・マッカーシー=ジョーンズ:著 プレシ南日子:訳 インターシフト 2023)を読み始める。『失敗の科学』(マシュー・サイド:著 有枝春:訳 Discover 2016)に続くテーマの本である。


2024年10月14日(月)

晴れのち曇りの過ごしやすい一日。9時半出社。昨日に引き続き、佐々木睦朗作品集のインタビュー原稿を続行する。集中しかけた11時半に〈箱の家170〉の丸山一家が来所したので一旦休止。とりあえず事務所に入ってもらうが、机の上に資料や雑誌を広げたままで落ち着かないので、立ったままの失礼な応対になる。〈箱の家170〉では快適に生活しているとのことで何よりである。12時過ぎに解散。お茶も出さず、本当に申し訳ない応対をしたので大いに反省する。一旦帰宅し簡単な昼食を摂った後に、気を取り直してインタビュー原稿の執筆を続行する。磯崎新について簡単なコメントを加えた後に、伊東豊雄の思い出について書く。夕方までに一気に3000字を書き、ぐったりと疲れてダウン。やむなく残りは明日に回して帰宅。19時半からNHKBSで『ワイルドライフ選 国際共同制作 オカバンゴ 水の魔法が生み出すアフリカの奇跡』を観る。番組紹介「“アフリカの奇跡”と言われる絶景オカバンゴ。不毛の大地が一年のうちわずか四か月の間だけ広大な湿地に変わる。千キロ以上も離れた場所で降った雨が、川を氾濫させることで生まれる楽園。そこへバッファローやゾウなどが群れをなして集まり、そうした生きものたちを狙ってライオンやリカオンなどの肉食動物が狩りをはじめる。エミー賞にノミネートされた動物カメラマン、ブラッド・ベステリンク氏が命の躍動を極上の映像で描く」。淡々と描かれるオカバンゴの生態系の映像が美しいがどことなく物悲しい。田中泯の重厚な語りも腹に応える。


2024年10月13日(日)

今日も秋晴れでやや蒸し暑い一日。10時半出社。昨日に引き続きインタビュー原稿の執筆を続行する。遅々として進まないが磯崎新の思い出を書いたところでようやく1000字。少しずつ書き続けるしかない。14時から16時半までzoomで『小嶋一浩賞 シンポジウム』に参加する。テーマは「場で学ぶ」。登壇者は乾久美子、貝島桃代、千葉学、西澤徹夫、モデレーターは小野田泰明である。
https://www.kojimakazuhiro-award.org
江戸時代の寺子屋の自由な教育(乾)、スイスETHでの建築教育の試み(貝島)、八戸美術館の原っぱとしての伽藍堂空間の試み(西澤)、映画に見る記号接地と身体性の関係(千葉)など、さまざまな視点から「場で学ぶ」視点が検証される。塚本由晴が大学を離れた里山での体験教育の意義について紹介し、平田晃久がコメントする。聴きながら、以前のインタビューで西沢立衛が大学での建築教育と実務の違いについて述べていたことを想起する。その意味で里山教育は生産性を重視しないことで可能になることと共通性があることに思い至る。最後にファウンダーの城戸崎和左さんが、小嶋一浩さんが入籍時に夫婦別姓について話した思い出について紹介して16時半に終了。『〈世界〉としての窓』は、第8章「窓の形状とそこを通り抜けるもの」、第9章「流れについて」、第10章「建築を超えて」、「おわりに」(いずれも坂牛卓)を一気に読み通して読了。第8章と第9章は、何となく既視感が強いのでなぜだろうかと考えながら読むうちに、発想は原広司の〈有孔体論〉とほぼ同じであることに気づく。フレームとしての窓は孔であり、原は閉じた箱に孔を穿つことが建築のデザインだと主張したわけである。〈有孔体論〉は原の性能論に関する博士論文から発想した設計方法論である。坂牛のいう〈流れ〉はまさに性能の要素であり、小嶋のいう〈小さな矢印〉と同じでもある。第10章「建築を超えて」は、その視点を街や都市にまで適用する試みだが、そこまで拡大するとフレーム論も流れ論も広義のメタファーになり、何にでも適用できてしまう。それがメタファーとしての窓論の限界かも知れない。久しぶりに建築の本を読んだけれど、建築論が牽強付会に溢れていることの危うさを痛感させられる読書体験だった。21時からNHKスペシャル『If I must die ガザ 絶望から生まれた詩』を観る。番組紹介。「絶望的な状況が続くパレスチナ・ガザ。そこで生まれた一編の詩が、いま70以上の言語に翻訳され、世界を駆け巡っている。この詩を書いたのは“言葉による抵抗”を掲げてきたガザの詩人リフアト・アライール。「私の物語を伝えてください」と語るその詩は、詩人の死と共に世界に拡散した。“戦争”という暴力を前に、言葉は抵抗の力となりうるのか。詩人が言葉に託した思いとそれを受け取った人々の姿をドキュメントする」。『If I must die』は生死に直面した教師の体験的詩作である。第二次大戦中のレジスタンスやパルチザンの中での文学を思い出す。自意識を持った個人も俯瞰すれば蟻の一匹に過ぎない。


2024年10月12日(土)

秋晴れだが少々蒸し暑い一日。TH-1から自宅階段室の外壁補修工事を来週15日(火)と16日(水)で実施したい旨のメールが届く。家族と相談し僕が対応することにして承諾メールを返送する。2階鉄骨梁上の木屑はわずかに増えているがアリの姿は見えない。『〈世界〉としての窓』は、第7章「世界各地の〈窓〉建築」(平瀬有人)を読み終わり、第三部「命を注ぎ込む〈窓〉」の第8章「窓の形状と底を通り抜けるもの」(坂牛卓)に進む。第7章では、世界各地の有名な窓が紹介される。アダルベルト・リベラの〈マラパルテ邸〉の窓と〈ルイジアナ近代美術館〉のジャコメッティ・ギャラリーの窓は見たことがあるが、ジオ・ポンティの〈ヴィラ・プランチャート〉やヨーン・ウッツォンの〈キャン・リス〉は知らなかった。カルロ・スカルパの〈アカデミア美術館〉〈パラッツォ・アバテリス美術館〉〈カステル・ヴェッキオ美術館〉におけるマルチフレームのデザインの説明には説得力がある。村野藤吾の〈小山敬三美術館〉〈八ヶ岳美術館〉〈谷村美術館〉〈世界平和記念聖堂〉〈宇部市渡辺翁記念館〉はあまりにも有名だが、あえて窓としてとらえる視点に一抹の疑念を抱く。いよいよ締め切りが近づいてきたので、佐々木睦朗作品集のインタビュー原稿を書き始める。しかしいつものように書き出しの言葉が出てこない。あれこれ試みを繰り返して悪戦苦闘し、夕方までに本題に入る直前までの600字をようやく書いて一旦休止。この勢いで書き続けたい。家早南友。


2024年10月11日(金)

久しぶりの秋晴れで快適な一日。9時出社。前田工学賞の研究助成申請書のpdfに一通り目を通す。エンジアリングのテーマの内容は、突っ込んでは理解できないのでパスする。とりあえず計画意匠系と建築史系の申請を読み込んでみる。昨年、前田工学賞と山田一宇賞を受賞した研究者が、受賞研究を発展させたような研究を申請している。例年申請しているメンバーも何人かいるが、研究テーマが以前から変わっている。どれも興味深い研究で選択に迷ってしまいそうである。できればこれまでにはない新しいテーマの研究を優先したいと考える。『〈世界〉としての窓』は、第6章「マルチフレームとしての建築」(平瀬有人)を読み終わり、第7章「世界各地の〈窓〉建築」(平瀬有人)に進む。第6章では、平瀬がリフレームの概念をマルチフレームの概念にまで拡大し、自作に当てはめながら紹介している。冒頭に紹介されている平瀬の卒業設計は、早稲田大学の卒業設計審査に参加した際に見たことがあるので懐かしく思い出す。キレのいいデザインに感心したことを記憶しているが、マルチフレームの方法によってデザインしたとは知らなかった。事後的な理論のような気もするけれども。古谷誠章の博士論文を継承した上で、カルロ・スカルパ設計のヴェローナの〈カステルヴェッキオ美術館〉におけるマルチフレーム概念を読み取る視点には説得力があるように思う。続く自作の説明も比較的分かりやすい。マルチフレームの方法は二つの領域の内外をつなぐ概念なので、住宅によりも、むしろ都市建築への方が適用しやすいのかも知れない。


2024年10月10日(木)

曇りのち晴れで昨日よりはやや暖かい一日。9時出社。前田記念工学振興財団の事務局から今年度の前田工学賞の応募状況の報告メールが届く。前田工学賞論文は、建築分野の応募数が23件で、昨年は24件、一昨年は35件だったから例年通りである。研究助成は56件で、昨年は68件、一昨年33件である。研究助成の一次審査は、毎年、全審査委員6人のうち一件あたり3人で担当することになっているので、建築分野の責任者である僕が、審査員の専門分野を考慮して分担を決めるように依頼される。1時間ほどかけて分担を決め、分担表にまとめて事務局に送信する。研究助成者には僕の知り合いが多いが、採用されるのは10〜15件なので選択が難しくなりそうだ。前田工学賞は一次審査から審査員の全員審査である。慶應大学SFCの学生から博士論文「パターン・ランゲージの誕生(1)〜(8)」の主査に関する相談メールが届く。昨年亡くなったクリストファー・アレグザンダーの活動の歴史に関する論文である。数年前に建築学会から論文査読の依頼があったが、僕の考えとの違いが大きいので厳しいコメントを加えて返送したことがある。指導教官は慶應大学の井庭崇さんのようだが、彼の考え方も僕とかなり食い違っている。なのでこの際、アレグザンダーとは関係のない建築史家に依頼すべきではないかというコメントを加えて返信する。19時半からNHK BSで『究極ガイド 2時間でまわるポンペイ』を観る。番組紹介にはこうある。「今回の舞台はイタリア・ポンペイ。およそ2000年前火山の噴火によって灰に埋もれてしまった街だが、古代ローマの人々の豊かな生活を今に伝えている。贅を尽くした豪邸や、美しい壁画にモザイク。そして剣闘士たちが死闘を繰り広げた円形闘技場など、ポンペイの見どころを余すことなくお伝えする」。ポンペイは現在では完全に観光地化されているが、僕が初めて訪れたのは1971年である。その時よりも発掘が進み、見学範囲はかなり広がっている。ギリシア文化の影響が強いことは以前から知ってはいたが、ローマ文化との違いもはっきりしてきた。住居の遺跡を見ると、モザイク画が多く見られる。ギリシア建築には空間性が見られないという僕の先入観も大いに訂正された。2年前にナポリを訪ねたが、時間がなくてポンペイまでは行けなかった。『〈世界〉としての窓』は、第5章「リフレームとしての建築」(坂牛卓)を読み終わり、第6章「リフレームとしての建築」(平瀬有人)に進む。第5章は、日本の都市体験を建築に埋め込むことを試みた自作建築の紹介だが、掲載された写真ではほとんど把握できないし、そもそも坂牛さんの試みの意義を理解することも難しい。


2024年10月09日(水)

雨のち曇りの今日も肌寒い一日。10時出社。急に寒くなったので体調も良くないけれど、iMacの調子も急に変調をきたす。ここ最近は立ち上がりや終わり方の調子が悪いなと感じていたら、今朝は立ち上げてパスワードを入れようとしてもまったく反応しなくなる。やむなく画面の指示にしたがい、iPhoneを併用しながらApple IDから入り、パスワードを入れてiMacのパスワードの再登録を試みる。2度ばかり試みてようやく元に戻る。それだけで1時間もかかってしまう。家早南友。20時半からNHK BSで『BSスペシャル NHKガザ事務所 2人の取材者の葛藤』を観る。番組紹介「戦闘が続くガザの実情を伝えてきたNHKのパレスチナ人スタッフたち。自らも危険を感じ、暮らしが追い込まれる中、直面した現実とは? その葛藤からガザの苦しみを描く。 激しい戦闘で犠牲が拡大し続けるガザ地区。外国人記者が立ち入れない中、NHKガザ事務所の2人のパレスチナ人スタッフはその実情を日本に伝えてきた。しかし自分と家族の安全が脅かされ、食料や燃料の不足も深刻化する中、1人はガザ地区の外へ退避する道を選んだ。避難生活を続けながら撮影した迫真の映像の数々、そして内と外とに分かれながらも現地の状況を伝え続けようとする2人の葛藤を通じ、ガザの苦しみを描く」。NHKはパレスチナ自治区が成立した時からガザに支局と現地スタッフを置いてきた。スタッフはすでに二代になるようだが、彼らはパレスチナのイスラム教だが、高等教育を受けており、英語を話すことができる。イェルサレムにも現地スタッフがおり、絶えず連絡を取り合っている。昨年の10月7日までは比較的平穏な生活が続き、結婚して子供も産まれた。しかしハマスの攻撃とイスラエルの空爆が始まってからは、ガザ全体が戦場と化した。家族を守るためにやむなくカメラマンを残してカイロに避難する。ガザにもかろうじてネット環境が残っているため、ノートパソコンとスマートフォンさえあれば、世界中と連絡を取り合うことができるので、目の前で展開する空爆の様子がリアルに実況される。すごい時代になったものである。『〈世界〉としての窓』は、第4章「窓・フレームとしての建築」を読み終わり、第5章「リフレームとしての建築」に進む。第4章は、窓をモチーフとした坂牛自身の建築作品の紹介である。窓がデザインのテーマになりうることは理解できるけれど、プログラムには一切触れず、窓のデザイン操作だけについて論じているので少々物足りない。


2024年10月08日(火)

小雨が降り続く肌寒い一日。10時出社。昨日までは気温が30度近かったが、急に20度以下に下がったため家族みんなが体調を崩している。散歩がてら近くのコンビニまで買物に行き帰社したところ17時過ぎに目眩がし始めたので急いで帰宅し、しばらくベッドに横になる。18時に回復したので夕食を摂り冷酒を呑むとすっかり回復する。10時からNHK BSで『フロンティア 選 恐竜王国 繁栄の秘密』を観る。番組紹介にはこうある。「地球上で最も長い間君臨した生きもの・恐竜。彼らはどうして繁栄できたのか?その理由が最近になってわかってきた。秘密は2億3千万年前におきた地球の大異変だ。 恐竜が誕生した三畳紀、当初は乾燥した気候で生きものたちにとっては厳しい環境だった。ところが三畳紀の中期になると約200万年だけ雨の量が増えた。この雨が恐竜たちに恵みをもたらしたという。他にも生きものがいたのに、なぜ雨は恐竜だけを繁栄させたのか?そもそもなぜ雨が降ったのか?研究者たちは、世界各地に散らばっている証拠をもとに、地球と恐竜の壮大なストーリーを紡ぎだした」。2億3千万年前の三畳紀には、まだパンゲア大陸があったようだが、海底火山の爆発によって大量の炭酸ガスが噴出し、地球全体が温暖化した。このため雨が降り続き、地球全体が湿地化し、森林化した。パンゲア大陸は分裂し、恐竜が世界全体に広がっていった。これによって恐竜の時代がしばらく続いたが、6500万年前のユカタン半島への小惑星の衝突によって気候の大変動が生じ、恐竜は絶滅したのである。『〈世界〉としての窓』は、第2章「絵画のフレーム」と第3章「写真・映画・マンガのフレーム」を読み終わり、第二部「建築における〈窓〉」(坂牛卓)の第4章「窓・フレームとしての建築」に進む。第2章は、絵画に描かれたフレームの話題が中心で、17世紀のオランダ絵画における窓枠やドア枠の描写に関する議論が興味深い。そこではルネサンス絵画における宗教的な意味ではなく、平板な日常生活を描くために枠が多用されているからである。第3章では、映画の中のフレームについての議論が興味深い。エイゼンシュタインのモンタージュや小津安二郎の映像の抽象的平面性に注目している。


2024年10月07日(月)

曇りで蒸し暑い一日。気温の変化で体調がおかしくなりそうだ。9時出社。佐々木構造計画の永井佑季さんからメールが届く。『佐々木睦朗作品集』に納めるインタビューの感想の原稿執筆依頼である。締切は10月15日(火)。あと1週間しかないので集中してまとめねばならない。家早南友。昨年10月7日にパレスチナ自治区ガザからイスラエルにロケット弾が撃ち込まれて今日で丁度1年が経過した。19時半からNHKで『クローズアップ現代 ガザ衝突1年 見えない停戦 不信と憎悪の果てに』を観る。番組紹介にはこうある。「ガザへの攻撃を止めないイスラエル。現地を取材すると、去年10月のハマスの襲撃以来、極右の主張が勢いを増す実態が浮かび上がる。「自衛のため」としてヨルダン川西岸の入植を加速させ、パレスチナ人への暴力も深刻化。ハマス壊滅をめざす攻撃継続が広く支持されている。一方、人道状況が悪化する中、ガザでは多くの子どもたちが心身ともに傷つき、生きる希望すら失っているという実態も。打開の道はないのか? 独自取材で探る」。イスラエルの多くの国民がパレスチナ攻撃の続行を主張している。他方ではパレスチナを支援する人も僅かながらいるけれど反対勢力から激しい圧力を受けている。イスラエルの人口は東京都とほぼ同じ960万人だからハマスの攻撃によって亡くなった1200人という人数は大きなショックを与えたらしい。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024100705799?playlist_id=c62990e7-250f-4817-b8ed-
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この番組に引き続き、22時からNHKで『映像の世紀バタフライエフェクト 壁 世界を分断するもの』を観る。「20世紀、東西に分かれた世界は「壁」を築いた。「ベルリンの壁」、朝鮮半島の「38度線」。21世紀に入っても、壁は増え続けている。メキシコからの不法移民をはね返す「国境の壁」、イスラエルとパレスチナを隔てる「分離壁」…。一方で自由を奪う壁に挑む人も数多くいた。白昼堂々、ベルリンの壁を飛び越えた東独の若き警備隊員、壁の向こう側に残した恋人を救うためにトンネルを掘った大学生。壁をめぐる絶望と希望の物語」。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024100705805?search=%25E3%2583%2590%25E3%2582%25BF%25E3%2583%2595%25E3%2583%25A9
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イスラエルーパレスチナの対立を世界史的にとらえた番組である。〈壁〉とは国家、宗教、イデオロギー、歴史を分断するメタファーであり、その具体的な表れとしての物理的存在である。この番組では、壁は否定的な意味しかない。僕の場合、建築デザインでは壁を除去することが基本方針なので共感する面が多いが、まったく壁のない建築はありえない。『〈世界〉としての窓』はその問題を模索本と言えるかもしれない。窓は壁に穿たれた孔であり、解放=開放の意味が込められている。第一部「書芸術における〈窓〉」の第1章「フレームの創発」(平瀬有人)を読み終わり、第2章「絵画のフレーム」に進む。第1章では、認識のフレームとしてのカントのカテゴリー論から始まる。しかしそれ以上の掘り下げはなく、話題はどんどん移動し議論が深まらないがスピード感はある。最後は唐十郎の赤色テント劇のラストのテント開放、劇から日常へのフレームの転換の話題で終わる。


2024年10月06日(日)

曇りで涼しい一日。ゆっくりと朝食を摂り10時半出社。11時過ぎに事務所を出て、散歩がてら外苑前のスーパーマケットに買物に赴く。都営アパート広場の東区画の既存住棟の解体はかなり進んで外苑西通りのビルまで見通せるようになった。さらに青山通りに出ると、通りの北側はかつての児童館から雑貨店まで解体工事用の仮囲いが連続して建てられており、歩道もかなり狭くなっている。表参道と青山通りの交差点に面した建物も解体も始まっている。表参道から外苑西通りまで、青山通りに面した一帯は、いずれ建替が進むのだろう。1964年のオリンピック開催年以来の本格的な再開発が進むようである。不動産業界と建設業界が組んだ仕掛けだろうと思われる。16:30からNHK BSで『BSスペシャル ネタニヤフと極右 〜戦闘拡大のジレンマ〜』を観る。番組紹介にはこうある。「2023年10月7日のハマスによる襲撃事件から間もなく1年。ガザ地区での死者は4万人を超えた。犠牲者が増え続けるこの戦闘はどこへ向かうのか。ネタニヤフ政権の強硬姿勢を支える二人の極右の閣僚、ベングビール国家治安相とスモトリッチ財務相はどのような人物なのか? ネタニヤフ首相との関係は。ジャーナリスト、彼らを知る関係者、人質家族などへのインタビュー、そして貴重なアーカイブス映像から紐解く」。イスラエル国会は多数の党によって構成されているため、現国会はネタニヤフが極右二党と手を結び二人の極右代表を閣僚に指名することによって組閣したため、イスラエル政府は一気に反パレスチナ色が強くなっている。引き続きNHKで21時から『NHKスペシャル“正義”はどこに〜ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル〜』を観る。番組紹介では「ハマスによる襲撃への報復として始まったイスラエルの〈ガザ攻撃〉から1年。ガザ地区の死者が4万を超えても攻撃は止まず、国内で辛うじて上がる攻撃への疑問の声は当局や市民によって抑圧されている。さらに、いま激化しているのがヨルダン川西岸地区への入植の拡大だ。混迷するイスラエルで一体何が起きているのか。世界はどこまでこの事態を許すのか。渾身の現地ルポと中東情勢を長年取材してきた記者の目を通して伝える」。上でも述べたように、極右政党の二人の閣僚が軍部と警察権を掌握しているため、そのバックアップによって、国連が禁止しているヨルダン川西岸のパレスチナ自治区へのユダヤ人の入植が加速化している。閣僚二人は、ガザにも入植すべきだと主張している始末である。ネタニヤフ政権が崩壊しないと、今紛争は収まりそうにない。昨日『ワンダフルライ』を読み終わったので『〈世界〉としての窓』(坂牛卓+平瀬有人:著 早稲田新書 2024)を読み始める。「はじめに」を読み終わり、第一部「書芸術における〈窓〉」の第1章「フレームの創発」(平瀬有人)に進む。「はじめに」では、坂牛が「窓を考え始めたきっかけ」と題して建築デザインのテーマとしての窓について述べ、平瀬は「絵画・ガラス・窓」と題して自作において窓がテーマになった契機について述べている。両者の視点の複眼性によって浮かび上がる〈窓〉に注目しながら読み進めてみよう。


2024年10月05日(土)

小雨が降り続く肌寒い一日。夕方から曇りに変わる。9時半出社。TH-1から階段室の外壁の補修工事を再来週に実施したい旨のメールが届く。ここのところ天候が不順なので2日間晴れが続く日程で工事したいそうだ。僕のスケジュールは問題ないので承認のメールを返送する。階段室の2階鉄骨梁の上には黒い木屑が少し溜まっているところを見ると虫食いはまだ進んでいるようだ。昨日の夕方に訪れた坂牛卓さんの展覧会をfacebookで紹介したら多くの反応があった、今日には坂牛さん自身もfacebookで紹介しているが、僕が帰った後に沢山の建築家が訪ねたようだ。『ワンダフル・ライフ』(スティーヴン・ジェイ・グールド:著 渡辺政隆:訳 早川書房 2000)は、第5章「実現しえた世界―〈ほんとうの歴史(ジャスト・ヒストリー)〉の威力」と「文庫版のための訳者あとがき」を読み終わり読了。第4章の「バージェス頁岩と歴史の本質」でグールドは本書の結論である進化における〈偶発性〉について詳しく述べているので、第5章は何について議論するのかと思ったら、進化における種の多様化と大量絶滅のパターンと〈偶発性〉の関係について論じている。多細胞生物が発生したカンブリア前期に爆発的な多様化と異質性が生じ、その直後に悲運多数死が襲うというプロセスに偶発性が強く関与していることがバージェス化石群から読み取れることから、グールドはリチャード・ドーキンスが主張する漸進的進化論に反論しているわけである。そこから生物進化のさまざまな形態を想定し、人類の発生が偶発性の産物であることをグールドは主張したいようである。「文庫版のための訳者あとがき」では、バージェス化石群の分析はまだ進んでいること。サイモン・コンウェイ・モリスは今でもその研究に携わり、グールドによる本書の分析に細かな反論を試みているとのこと。グールドは〈断続的進化論者〉と呼ばれ、ドーキンスは〈漸進的進化論者〉の呼び分けられていることが紹介されている。現在では分子生物学による遺伝子研究を含めた進化論研究も進んでいるようだ。遺伝論研究にあまり深入りしてもしょうがないけれど、カール・ポパーの社会思想やクリストファー・アレグザンダーの建築論がドーキンスの漸進的進化論の影響を受けていることも、何となく分かってきた。僕はどちらかというとグールドの思想の方に共感するので、ダーウィンーマルクス主義寄りなのかもしれない。


2024年10月04日(金)

朝のうちは小雨で午後は晴れ後曇りの蒸し暑い一日。9時出社。9時20分の事務所を出て、歩いて外苑前の行きつけの診療所へ。9時半から3ヶ月定例検診。小雨で肌寒いせいか訪れる人はまばら。9時半から問診開始。血圧手帳を渡し、最近の体調について報告する。血圧は高めだが、食欲はあり、睡眠はちゃんと取れていること。それなりに散歩はしているが、やや疲れ気味であることなどを報告する。医師から「生活習慣病 療養計画書」なるものをもらい、自筆署名して返却する。僕の生活習慣病とは高血圧症であり、目標は「血圧と尿酸値の正常化、安定」とある。いつもと同じ薬の処方箋をもらい11時に帰社。15時半に事務所を出て、表参道駅から半蔵門線、東西線を乗り継いで神楽坂駅にて下車。歩いて5分で神楽坂AYUMI Galleryに到着。今日から開催される『坂牛卓。建築と本と仲間たち』展を見学する。入口で坂牛卓さんが迎えてくれる。『〈世界〉としての窓の』の共著者である早稲田芸術学校の平瀬有人さんも訪れている。小さなギャラリーに模型と本が所狭しと展示されている。入口正面の大きな模型はアルゼンチンの大学で展示したものだそうだ。その奥に坂牛さんの著書がずらると並べられている。左奥の部屋には完成した道の駅と実現しなかった増築案の模型が置かれている。細部まで作り込まれた〈坂牛自邸〉と〈Fujimi Hut〉の模型が目を惹く。奥の一角で『篠原一男論』の進行状況について坂牛さんに問うたら、原稿は最後の段階だという。ならばと僕からは『戦後モダニズムの極北ー池辺陽試論』で、池辺と篠原とのすれ違い対談について書いたことを話す。若い学生たちが続々と訪れ、模型に見入っている。外で待機している人たちもいる。坂牛さん、平瀬さんと記念写真を撮り、17時前にお暇する。
https://www.ayumi-g.com/ayumigallery
22時からNHKで『ドキュメント72時間 お盆の鳥取 海辺の墓地で』を観る。番組紹介にはこう書かれている、「日本海を望む海岸に、2万基とも言われるお墓が並ぶ。今回の舞台は鳥取県琴浦町の〈花見潟墓地〉。いつの間にか形づくられた自然発生墓地で、成り立ちはよくわかっていない。毎年お盆の時期、多くの人がお墓参りに訪れる。それぞれのお墓で迎え火がたかれ、無数の灯籠がともり、夜には1年でこの時期だけの幻想的な光景が広がる。亡き家族や先祖を大切に思い、弔おうとする人たち。謎多き海辺の巨大墓地のお盆を見つめる」。それぞれの墓に歴史と物語がある。お盆には無数の墓に備えられる蝋燭の光が幻想的な風景をうみ出す。思わず山口県の難波家の墓を思い出す。弟はちゃんと墓守しているだろうか。引き続きNHKで22時半から『時をかけるテレビ 池上彰 映像詩 里山 命めぐる水辺』を観る。「田んぼ、小川、雑木林…。身近で懐かしい、かけがえのない日本の「里山」を描いたNスペ。滋賀県・琵琶湖北部を舞台に、水と密接な関わりをもつ人と生きもの世界を、斬新かつ美しい映像で描き出す。魚と漁師と野鳥たちのもちつもたれつの関係や、花火を見上げるカエルの目のアップなど、2年近くをかけて驚きの撮影に成功した。イタリア賞受賞番組」。1950年代の僕の田舎にも同じような風景があったことを思い出す。僕の育った山口県の家は元禄時代に埋め立てられた町屋街にあり、低地だったため台風で何度も床上浸水にがあり、水との付き合いが深かった。祖父を手伝って田植えをしたこと、祖父と一緒に池で鰻を取ったこと。夏には弟たちとトンボやヤンマを追いかけたことなど、沢山の思い出が残っている。


2024年10月03日(木)

曇りで涼しい一日。夕方から小雨になる。9時出社。涼しいので10時に事務所を出て散歩がてら青山の銀行まで足を伸ばし、雑用を済ませて11時帰社。それだけでも汗が噴き出る。湿度が高いせいだろう。廣部剛司さんから『世界の美しい住宅』(廣部剛司:著 エクスナレッジ 2020)が届く。廣部さんは1991年に大学を出てから7年間、芦原義信事務所に勤務したが、事務所を辞めた1998年から数年をかけて世界中の住宅を見て周ったらしい。その取材結果をまとめた著作である。しかし今回とり挙げたミース・ファン・デル・ローエのトゥーゲントハット邸(1930)は実見していないらしい。ロサンジェルスにあるフランク・ロイド・ライトのエニス邸(1924)については、映画『ブレードランナー』(1982)との関連について説明されているのが興味深い。本書は、それぞれの住宅の全体像や歴史的意義を理解するには少々物足りないけれど、力作であることは間違いない。早速、お礼をfacebookのメッセージで送る。『ワンダフル・ライフ』は、第5章「実現しえた世界―〈ほんとうの歴史(ジャスト・ヒストリー)〉の威力」を読み続ける。第5章でグールドは、第4章で主張した進化における歴史的偶発性を検証するために、種の絶滅のパターンを根拠にして、古生物学における種の逆円錐形分岐という通説に対する反証を試みている。


2024年10月02日(水)

久しぶりに快晴で残暑が戻ったような一日。9時出社。小嶋一浩賞事務局から小嶋一浩賞 シンポジウム開催の案内メールが届く。開催日時は10月13日(日)14:00〜16:30で、オンラインの Zoom ミーティングのようである。小嶋一浩賞ホームページによれば、2023年の受賞者は中川エリカさんと山田紗子さん。テーマは「場で学ぶ」。登壇者は、乾久美子、貝島桃代、千葉学、西澤徹夫、モデレーターは小野田泰明である。
https://www.kojimakazuhiro-award.org/
https://us06web.zoom.us/j/88377889264?pwd=0L0n1b4Ybbaa5w7EE7UIFMqQxght1C.1
静岡文化芸術大学准教授の松田達さんから『レオナルド・ダ・ヴィンチ離婁都市に関する学祭的研究』(松田達:編著 天内大樹+五十嵐太郎+菅野裕子+田中裕二++横手義洋:著 静岡文化芸術大学デザイン学部デザイン学科 松田研究室 2024)が届く。ダ・ヴィンチの都市模型を手掛かりにした新しい都市論に関する横断的な研究である。早速facebookで紹介する。『ワンダフル・ライフ』は、第4章「ウォルコットの観点と歴史の本質」と付節「自然史学の地位の高さに関する申し立て」を読み終わり、第5章「実現しえた世界―〈ほんとうの歴史(ジャスト・ヒストリー)〉の威力」に進む。第4章の最後には「バージェス頁岩と歴史の本質」という小節を設けてグールド自身の進化論にする歴史観がまとめられている。科学には固定観念的な科学と歴史的な科学があるとグールドは指摘し、両者に共通しているのは検証可能性だと主張した上で。チャールズ・ダーウィンは偉大な歴史科学者であると指摘する。その上でグールドはこう述べている。「私が問題にしているのは、あらゆる歴史の中心原理である〈偶発性〉である。歴史的な説明がその基礎を置いているのは、自然法則からの直接的な演繹ではなく、予測のつかない形で継起する先行状態である。この場合、一連の先行状態のどれか一つが大きく変わるだけで、最終結果が変更されてしまう。したがって歴史上の最終結果は、それ以前に生じたすべての事態に依存しているわけで、これこそがぬぐい去るのできない決定的な歴史の刻印なのである」。そしてバージェスの時代の生態から現在にいたる進化の歴史について、こう結論づけている。「現在のような秩序は、基本法則(自然淘汰、解剖学的デザインの機構的デザイン)に保証されていたいたわけでもないし、まして、生態学のもっと低いレベルの一般法則や進化理論によって保証された保証されたものですらなかった。現在のような秩序は、ほとんど偶発性の産物なのである」。自然淘汰は進化の普遍法則かもしれない。しかしながらバージェス頁岩をめぐる新解釈は、人類の発生が長い進化の中の歴史的偶発性の産物であることを証明しているとグールドは結論づけている。進化の歴史は、まさに壮大な決定論的カオスの世界なのである。


2024年10月01日(火)

曇り一時小雨のやや蒸し暑い一日。9時出社。渋谷区保健所から高齢者インフルエンザと新型コロナウィルスの予防接種予診票が届く。10月から予約を受け付けているので、いつも接種を受けている診療所に電話する。インフルエンザの流行は主に年末なので、接種を受けるのは11月くらいの方がいいとアドバイスされる。Facebookの過去の思い出欄に、2015年の9月に見学したチェコのブルーノにあるミース・ファン・デル・ローエ設計の〈トゥーゲントハット邸〉を再掲しコメントを追記すると、建築関係者の多くから反応をもらう。改めてよく考えてみると、この邸宅は、アメリカに渡った後にデザインした建築を含めても、ミースの最高傑作ではないかと思えるようになり、その歴史的背景についてますます知りたくなる。その旨を追加コメントしたところ、建築家の廣部剛司さんが自著の『世界の美しい住宅』(廣部剛司:著 エクスナレッジ 2020)の〈トゥーゲントハット邸〉のコピーをpdfで送ってくれた。トゥーゲントハット一家はチェコスロバキアに住むユダヤ人の大富豪で、娘がミースに住宅の設計を依頼することを希望したという。1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館〈バルセロナ・パヴィリオン〉を完成させた直後で、当時のミースはドイツ工作連盟会長であり、バウハウス校長でもあった。当時のオーストリアやチェコスロバキアの状況は、シュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』にも描かれているように、イギリス発の産業革命が中部ヨーロッパにまで浸透し、多くのユダヤ人実業家に経済的成功をもたらした。主に繊維産業だったという。トゥーゲントハットもそうしたユダヤ人だったのだろう。1930年に竣工したが、1933年にナチスがドイツの政権を奪取し、オーストリアとチェコスロバキアに侵攻したので、ツヴァイクと同様に、ユダヤ人であるトゥーゲントハット一家はいち早く南米に移住した。第二次大戦中はナチス政権に、戦後はソヴィエト連邦に接収されていた。1955年にチェコスロバキアの国有となり、1992年には、この邸宅でチェコ側のヴァーツラフ・クラウスとスロバキア側のヴラジミール・メチアルが会談を持ち、翌年にチェコスロバキアを解体するための調印式を行った。2001年12月にユネスコの世界遺産に登録されたのである。
https://hash-casa.com/2023/07/26/vilatugendhat/
https://www.youtube.com/watch?v=VmtKiBH02dk&t=14s
『ワンダフル・ライフ』は、第4章「ウォルコットの観点と歴史の本質」を読み続ける。第4章は、バージェス頁岩化石群の発見者であるチャールズ・ドゥーリトル・ウォルコットの評伝から始まり、化石群の解釈においてウィスコットが犯した誤りの原因と歴史的な背景に関する議論が展開する。ウォルコットは1925年の創造論者たちの反進化論論争〈スコープ裁判〉において進化論者としての論陣を担当するが、その時点では、ハリー・ウィッティントン、サイモン・コンウェイ・モリス、デレク・ブリッグスによるバージェス動物群研究に基づく進化理論の新しい結論は出ていなかったのである。


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