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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2025年05月20日(火)

久しぶりの晴れで夏日のような暑い一日。8時半出社。YouTubeで偶然、岡田斗司夫の『この世界の片隅に』(片渕須直:監督 2016)の解説を見る。絶賛なのでその理由についてよく考えてみると、決定的なテーマは〈日常性〉の新しい解釈であることが分かる。つまり日常性の中に埋め込まれた非日常性というか、非日常性の中にも日常性があるということである。『この世界の片隅に』は徹底してそれを描いている点が、かつてない映画なのだと岡田は評するである、そのことは日常性の背景である建築にも深く関わっているように思う。この問題については、再度よく考えてみる必要がありそうだ。午後、KMRの木村さんから〈171箱の歯科医院〉の変更案のレイアウト図が届く。メンテ室の吹抜を残して延べ床面積を300�岼焚爾僕泙┐唇討函⊃疊瓦鮹羯澆景震命泙鮴依�縮小し思い切って延べ床面積を削減した2つの案である。僕としては削減案を進めるのがいいように思う。その方がリアルなコストダウン案だからである。Amazonから13wのツイン蛍光灯が届いたので、駐車場の壁照明の器具を取り換えようと試みる。慣れないので照明カバーを外すために丸椅子に載って作業しようとしたら、バランスを崩して転倒し地面で後頭部を打ってしまう。その瞬間、記憶が一気に飛び、後の2時間の短期記憶がなくなってしまう。取り外した蛍光灯を箱に仕舞い、しばらく雑用をこなしたようだが、その記憶がない。しばらく間に時間を置いて、照明器具を取り替えたところで記憶が戻る。後頭部を触ってみると、たん瘤ができていてヒリヒリ痛い。やはり無理なことは試みない方がいいことを猛省する。夕食時は何も問題はなかったが、ぼんやりとTVを観るうちにやたらと眠くなり、そのままベッドに倒れ込む。少し動悸がする。


2025年05月19日(月)

曇りで肌寒い一日。9時半出社。村上院長から6月8日(日)の〈171箱の歯科医医院〉の受付カウンターの打ち合わせのための仕様に関する質問が届く。僕としては、家具の外注そのものに反対なので、その旨を以下のようにコンパクトにまとめてメールする。「今後の進め方に関する私見を述べます。�_閥餽�事の外注については、難波としては基本的に反対です。というのも〈箱の家〉やMUJIHOUSEのローコスト化で学んだことは、職種を増やさないことだからです。��5月末の田中組による概算見積で、もし予算的な余裕があれば、外注の可能性もありうるかもしれません。しかしながら、かなり難しいような予感がします。ともかく、外注の検討はそれまで待ってもいいのではないかと考えます」。まもなく返事メールが届き、僕の意見を受け入れてくれたようだ。とりあえず6月8日(日)の打ち合わせは中止となる。夜にKMRの木村さんからメールが届き、電話で村上院長と話し合いをしたとのこと。これまで木村さんに任せきりの印象を持たれたようである。僕としては、これまでの界工作舎のやり方を踏襲したつもりだったが、やや不満が溜まったらしい。今後は僕ももう少し積極的に関わるように努力しよう。夕食後NHKで22時から『映像の世紀バタフライエフェクト AI 未来を夢みたふたりの天才』を観る。番組紹介「ドイツの難攻不落の暗号エニグマを解読したチューリング、原爆開発に参加し、「人間のふりをした悪魔」と呼ばれたフォン・ノイマン。AIの未来を切り開いた科学者の記録。75年前イギリスの科学者チューリングは、「考える機械・人工知能」が生まれる未来を夢みた。その夢を引き継いだのは、マンハッタン計画に参加したフォン・ノイマン。二人の天才が描いた未来は、コンピューターの爆発的進化とともに現実に近づく。最強のチェス王者に勝利したディープブルー、最強のクイズ王を破ったワトソン。そして後にノーベル化学賞を受賞するハサビスの開発したアルファ碁。未来を切り開いた科学者の記録」。数学者アラン・チューリングとコンピュータ科学者ジョン・フォン・ノイマン二人の伝記と、その後のコンピュータとAIの進化の歴史である」。ノイマンは原爆と水爆の開発にも関わったらしい。近来A Iは学習能力、さらには直観力と創造力を持ちうることを証明し、AIの開発者であるデミス・ハサビスは2024年度のノーベル化学賞を受賞した。中味の詰まったなかなか興味深いドキュメンタリーである。


2025年05月18日(日)

曇りで暖かい一日。10時出社。昨夕、KMRの木村優志さんから〈171箱の歯科医院〉の変更図と交通費リストが届く。交通費リストの一部修正を依頼し、修正図をもらった上で村上院長に転送する。夜、村上院長からメールが届き、木村さんがまとめた修正平面図に関する批判的な意見が綴られている。5月11日(日)の打ち合わせで自らが提案した案への自己批判的なコメントである。それに対する代案が添えられているが、あまり感心しない案である。僕は村上院長が提案した案は最初からおかしいと感じていたが、とくに意見は述べなかった。僕や田中組が積極的にコメントしないことに対する苛立ちかもしれない。状況が捩れてきたように感じたので、この辺りで仕切り直すべきだと考え、6月8日(日)の家具屋訪問は中止すべきだと考え、その旨を夜中にメールで木村に伝える。夜半0時25分からNHKで『トランプ時代への警鐘〜歴史家 ユヴァル・ノア・ハラリ〜』を観る。番組紹介「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の単独インタビューである。トランプ大統領が進める関税政策の行方、秩序が損なわれる世界をハラリ氏が独自の視点で読み解く。「貿易戦争は国家間の信頼を損ない、戦争につながる」。9年ぶりに来日した歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏が語ったのは、トランプ時代への警鐘だった。「ポピュリストは、古い秩序を攻撃するだけで、より良い世界を生むビジョンを持っていない」「AIは政治権力のバランスを変えうる新たな存在」。トランプ大統領の登場で何が変わり、世界はどこへ向かうのか。ハラリ氏独自の歴史観から、未来を生き抜くヒントが見えてくる」。『NEXUS 情報の人類史・下―AI革命』(ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 河出書房新社 2025)のインタビュー版である。ハラリはAI技術の普及が情報を混乱させる危険性について論じている。


2025年05月17日(土)

雨のち曇りの肌寒い一日。10時出社。夕食後20時からNHKで『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 島に誇りを 〜アートでよみがえった瀬戸内海〜』を観る。番組紹介「衰退する瀬戸内の島が、アートの力で世界的な旅行スポットに変貌。無謀な挑戦に懸けた教育企業と、人生の再起をかけた男、誇りを失った島民たちの逆転の物語。世界から年間100万人を超える観光客がおしよせる瀬戸内海の小さな島の物語。目当ては、アートと島に残る日本の原風景の融合だ。しかし、この海はかつて「瀕死の海」、島々は「はげ山」「ゴミの島」と呼ばれ、衰退の一途を辿っていた。再生に乗り出した教育企業だが、逆境続き。赤字を垂れ流す客の来ないアートホテル。無関心な島民。起死回生の一手は、倒壊寸前の民家を使ったアートだった。失われた誇りを取り戻す奇跡の物語」。直島と豊島のアートによる起死回生の生き残りプロジェクトの紹介である。1960年代末に始まるこのプロジェクトの企画者である三宅親蓮・直島町長や東大建築学科吉武泰水研究室の事情、設計担当者である石井和紘と池辺陽研所属の僕の協働設計による直島小学校、幼児学園、町民体育館、直島中学校、町役場といった一連の建築群。さらに安藤忠雄の設計による一連のホテルや美術館類はまったく紹介されない。さらには西沢立衛による豊島美術館や、三分一博志による犬島美術館も紹介されない。あくまでプロジェクト推進者の福武書店の福武総一郎社長と直島・豊島の住民とアーティスト個人の活動の紹介が中心である。おそらくこれはNHKの番組制作の基本方針なのだろう。しかしながら一連の瀬戸内芸術祭はそんなに単純なプロジェクトではない。1960年代末から始まり、かなり長い時間をかけた息の長いプロジェクトである。番組の製作陣にはそんなことは分かるはずがないから、表面をなぞるだけに終わっている。家早南友。


2025年05月16日(金)

曇りで暖かい一日。『世界近現代全史-1:上』の序説「近代世界史成立の歴史的前提」を読み続ける。豊臣秀吉が朝鮮出兵に失敗し、徳川家康が江戸幕府を開いて。カトリックの布教を禁じ、鎖国を始めた経緯が展開する。しかしこの間にも世界との交通は途絶えることはなかった。KMR木村優志さんからメールが届く。6月8日(日)の打ち合わせは村上院長が界工作舍に来所し、僕と木村さんは恵比寿の家具メーカーに同行することにしたいという。なので急いで6月8日の新潟行きの予約乗車券をキャンセルする。17時半からネットで『世界建築史�⇔詭斃軌譟戮痢屮優奪塙峙繊峺殿絅蹇璽泙�らのイベリア近代建築史」を聴講する。画像がうまく放映されないので、途中で退席したが、鈴木さんと界工作舍の最初のスタッフである来馬輝順さんは、出身が福井大学で学年も同じらしいことまでは分かったことが収穫。来馬さんが初めて来所した際に、石山修武や松葉一清のことを聞いたことを記憶している。夕食後22時からNHKで『ドキュメント72時間 春を走る パンの移動販売車』を観る、番組紹介「色とりどりのパンを乗せた軽トラック。今回はパンの移動販売車に密着。集合住宅や会社など、横浜のさまざまな場所を巡っていく。春、どんな人たちがパンを待っているのか。あんパンや食パン、ツナドッグやドーナツなど、軽トラックの荷台に並ぶ色とりどりのパン。今回はパンの移動販売車に密着する3日間。近くにコンビニがないという郊外のマンション、買い物に出かけられない高齢者が入居する施設、人々が忙しく働く会社や学校など、横浜のさまざまな場所を販売車が巡っていく。自分のために、誰かのために、子どもからご年配まで、パンを待つ人それぞれの事情。春、どんな出会いがあるだろうか」。小型バンの移動バン屋を巡って、さまざまな人間模様が展開しているのが興味深い。決して一括りにはできないドラマである。断片的だが、その背後には複雑な社会ドラマがあるようである。引き続き22時半からNHKで『時をかけるテレビ 池上彰 わが沖縄 具志堅用高とその一族』を観る、番組紹介「池上彰が過去から時代を超えたメッセージを読み解く。今回は1979年のNHK特集「わが沖縄ー具志堅用高とその一族ー」を紹介。スタジオに具志堅さん自身をお呼びする。沖縄出身で初のボクシング世界チャンピオンとなった具志堅用高。その活躍を描きながら、彼を支援する一族百年の歩みをつづる。彼の試合に熱い声援を寄せる具志堅一族は、かつて琉球王朝に仕えていたが、明治政府の廃藩置県で没落し沖縄各島へ散った。出稼ぎ、戦争、そして米軍による占領。9度目のタイトル防衛戦に向けてトレーニングする具志堅の姿を交え、固い絆で結ばれた一族を通して沖縄が歩んだ道と人々の思いを描く」。沖縄の具志堅一族の歴史が詰まった波乱万丈の中身の濃い番組である。


2025年05月15日(木)

晴れで暖かい一日。9時半出社。昼食後12時半に車で六本木の心臓血管研究所附属病院へ向かう。13時前に診察券カードで待合室に入り、呼び出しを受けた後に、採血、レントゲン撮影、心電図測定を周る。14時前に担当医師による問診開始。先週とは異なる医者である。先週から1週間の新しい薬による体調の変化について話す。終了後、来週、金曜日の心電図測定を予約し、14時終了。14時15分に帰社する。『世界近現代全史-1:上』の序説「近代世界史成立の歴史的前提」を読み続ける。15世紀から16世紀にかけての東洋全体は中国の明を含めて波瀾万丈である。日本は戦国時代の真っ只中で、秀吉は朝鮮に出兵している。当時はまだ近代に入る直前だが、世界中の人間の交通はかなり頻繁で緊密のようである。


2025年05月14日(水)

曇りのち晴れの暖かい一日。9時出社。KMR木村優志さんから5月11日(日)の打ち合わせ議事録と今後のスケジュールに関するメールが届いたので、田中組に転送する。修正図が届いたら村上院長にも送る予定だが、もう少し時間がかかりそうだとのこと。午後は『世界近現代全史-1:上』の序説「近代世界史成立の歴史的前提」を読み続ける。100ページ近いかなり長い序説である。南北アメリカ大陸におけるスペイン人、ポルトガル人の暴挙が詳細に描かれている。16時半に事務所を出て、バローロ・ワインを持参し表参道駅から千代田線にて代々木公園にて下車。地上に出て少し歩き、エスカレーターで小田急線代々木八幡駅に上り、改札口を抜けて歩いて横河設計工房へ向かう。事務所を抜けて庭に出ると。既に斎藤裕さんがきている。横河さんにバローロを渡した後、シャンペンを呑みながらしばらく歓談。まもなく椎名栄三さんもやってくる。椎名さんは今年80歳になったが元気そうである。聞けば椎名さんもカテーテル検査を受けたことがあるそうだ。福島夫妻の『日本建築の擬』の話題を少々。斉藤さんも共感しているとのこと。18時に横河事務所を出て、バローロを持って横河さん行きつけの近くのイタ飯屋へ向かう。店内は満員で人気店のようだ。バローロ・ワインとイタ飯をいただきながら、昔話で盛り上がるが、共通する話題はそれほど多くはない。僕も新潟の歯科医院の話を少々するが反応なし。ワインの酔いが回り、いつの間にか時間感覚が消える。20時過ぎに店を出て、21時前に千代田線にて帰宅。そのままベッドに倒れ込む。


2025年05月13日(火)

晴れで暑いくらいの一日。9時出社。9時15分に事務所を出て、表参道経由で青山歯科医院へ。9時半から1か月ぶりの歯の定期検診。下の前歯の歯垢を清掃し10時終了。下の前歯はしっかりメンテナンスされているので問題なし。来月の診療を予約して10時半帰社。〈箱の家170〉の丸山さんからメールが届き、浴室の排水と子供室の網戸のメンテナンスの相談を受ける。直ちにTH-1に転送し対応を依頼する。昨夜、木村さんから届いた打ち合わせの議事録と役所との打ち合わせ記録に目を通す。変更事項を早急に図面に反映させるように依頼する。『世界近現代全史-1:上』の序説「近代世界史成立の歴史的前提」を読み続ける。ウォーラーステインがいう世界帝国の時代、15世紀末以前。日本では室町時代以降の世界情勢である。本格的な近代史が始まる前史である。夕方、横河健さんから電話が入る。明日のワイ会のリマインドである。18時のつもりだったが17時開始にしたいとのこと。どうやら斎藤裕さんと椎名栄三さんが同席するらしい。


2025年05月12日(月)

曇りでやや寒い一日。9時出社。KMR木村優志さんにメールを送り、昨日の打ち合わせに従って図面を訂正するように依頼する。今日は一日休みを決め込む。午後はベッドに横になり、仮眠と読書の繰り返し。夜半前に木村優志さんからメールが届く。今日は一日、役所周りで過ごし、19時過ぎに高崎の自宅に帰宅したらしい。役所回りの結論として、基本的な大きな指摘事項はなく、おおよそ想定通りの対応でよいとのこと。大きな問題はなく、ホッと胸を撫で下ろす。


2025年05月11日(日)

早朝5時に目が覚める。ゆっくりと朝食を食べて9時出社、9時45分に事務所を出て、外苑前駅から銀座線、丸の内線を乗り継ぎ東京駅に10時半着。上越新幹線改札でスマートフォンで入ろうとしたらうまく通過できない。後で分かったことだが、紐付けしたICカードで通過するものらしい。僕にとってはまったく新しいシステムである。10時41分発のとき号に乗車。車内は7割の乗客である。高崎で木村さんが斜め前の席に乗車してきた。先日、東海大准教授で界工作舎OBの河内一泰さんがコンペで勝利した〈隠岐の島町/海の見える交流施設〉の最終5点に残ったのは、木村さんの千葉工大遠藤政樹 研の後輩チームだったそうだ。12時半に新潟駅に着く。西口広場で田中組の番場さんの車にピックアップしてもらい、アルファ歯科上木戸へ13時前着。13時から村上院長、番場さん、設計担当の五十嵐さんを交えて打ち合わせ開始。まず歯科診察機器メーカーのモリタの担当者とアドバイザーの2人が参加。設備と電気の配線・配管工事は田中組が担当することを確認して14時半に終了。15時にセコムが来所し、防犯・防火システムについて打ち合わせ。引き続き、木村が加わり、家具と平面図の一部変更と確認。2階に若干の変更が生じる。その後、僕も加わって医院名の看板について打ち合わせ。最後に次回のスケジュールを確認し、田中組の工事概算を5月末までにまとめることを約して17時前にすべて終了。番場さんに新潟駅まで送ってもらい、一泊する予定の木村さんと別れて、17時過ぎ発のとき号の自由席に乗車する。乗客はほぼ満員。19時過ぎに東京着。20時半に帰宅。遅いパスタの夕食を食べ、ぼんやりとTVを見ながら今日の打ち合わせを反芻する。23時過ぎ就寝。


2025年05月10日(土)

晴れ時々曇りの涼しい一日。明日の新潟行の準備で〈171箱の歯科医院〉の最新図面を再度見直す。いくつか細かな点が気になるが、いずれフィードバックの段階で木村さんに相談してみよう。午後はベッドに横になり仮眠と読書。夜はウィスキーを啜りながらTVでプロ野球を観る。TVニュースでカシミールでのインドとパキスタンの衝突を放送している。早めに就寝。


2025年05月09日(金)

曇りでやや寒い一日。夜には雨になる。9時半出社。KMR木村優志さんから5月11日(日)の打ち合わせに関するリマインドメールが届く。当日は歯科機器会社モリタの担当者と、歯科医療のプロを支えるヘンリーシャインジャパンイーストの担当者が同席するとのこと。さらに木村さんは一泊して、市役所、確認申請機関、消防署、保健所などをまわり、諸々仕様の確認をする予定だそうである。14時45分に事務所を出て渋谷宮益坂下7階のBUNKAMURAル・シネマへ向かう。15時半から『新世紀ロマンティクス』(ジャ・ジャンクー:監督 2024)を観る。今日から公開なのに観客はまばら。僕たちはジャ・ジャンクー監督のファンなので、もっと観客は多いと予想したが意外である。映画紹介「新たな世紀を迎え、漠然とした未来への期待に溢れていた2001年。三峡ダム建設により建物が解体され、長江で100万を超える住民たちが移住した2006年。目覚ましい経済発展を遂げ、地方都市も都会化したコロナ禍の2022年……。チャオは山西省・大同(ダートン)を出て戻らぬ恋人ビンを探して奉節(フォンジエ)を訪ね、ビンは仕事を求めて奉節からマカオに隣接する経済特区・珠海(チューハイ)を訪れる。時は流れ、ふたりはまた大同へ――。恋人たちの関係と比例するように、街は変化していく。21世紀を22年かけて旅するチャオはどこにたどり着くのか――。仕事もなく、道路は舗装されておらず、北京との格差にあえいでいた大同の街が、22年の時を経て、ビルが立ち並び、グローバル化され、若者たちは世界の都市と変わらぬ娯楽を享受するようになる。二つ折りの携帯電話はスマートフォンに、SF世界だったAIロボットはスーパーマーケットで接客をし、孤独な女性の話し相手に……。壊れゆくもの、消えゆくもの、再び構築されるもの。変貌し続ける街に飲み込まれながら、出会いと別れを繰り返す。時間は戻らない。だから、前へと進む。」ほとんどセリフはなく、物語らしき筋書きもない淡々とした映画である。制作期間は2001年から22年かけ一昨年に完成した。観衆の反応はイマイチ。17時半終了。歩いて西武百貨店まで戻り地下階の食品街で夕食材を購入し18時半に帰宅。夕方、東京都市大の中川純さんから、先日の僕の講義に対する学生の感想文が届く。かなり突っ込んだ感想もあり少々びっくりする。これだけ読み込んでくれればやりがいがあるように思う。いずれじっくり読んでみよう。22時半からNHKで『時をかけるテレビ 池上彰 写真の中の水俣 胎児性患者・6000枚の軌跡』を観る。番組案内「池上彰が過去から時代を超えたメッセージを読み解く。今回は1991年の「写真の中の水俣」。母親の胎内で水俣病にかかった胎児性患者のドキュメンタリー。胎児性患者の半永一光さんは、17歳の頃からカメラを持ち、水俣の風景や周囲の人々を記録しはじめた。写真は思うように話せない半永さんの自分を表現する手段となり、作品数は6000枚に及ぶ。1991年、世界中から有識者が集まり、水俣の再生について話し合う「水俣国際会議」が開かれた。しかし、その会議に患者たちの発言の機会は設けられていなかった。番組を視聴するゲストは宮崎美子さん。解説は吉崎健ディレクター」。コミュニケーション能力が欠損した水俣病患者の苦闘が生々しく描かれており、見ていていたたまれなくなる。官僚組織の口に出さない暴力が凄い。腹が立つというより苛立ちで天を仰ぐ。家早南友。


2025年05月08日(木)

晴れのち曇りの涼しい一日。8時半出社。昨日から神宮前日記がネットに繋がらなくなった。ちょうど1年前にドメインキーパーの更新を行った記憶があるが、1年契約なので一昨日5月6日(火)で終了したようだ。前もって締切のメールが届き、更新を促すはずだが、まったく気がつかなかった。直ちにドメインキーパーのHPにメールし、更新の手続きを行い、再開する。次回は忘れないように1年後の手続きをカレンダーに書き込む。13時半に事務所を出て車で六本木の心臓血管研究所附属病院へ。2時から外来受付に紹介状、薬手帳、血圧手帳を渡してしばらく待機する。待合室には女性よりも男の年寄りが多い。最初に体重、レントゲン撮影、心電図の測定を受けてから診察室の前で待つ。約30分後に僕の担当になる予定の女医の問診を受ける。これまでの経緯を説明し、指示に従ってエコー検査を受ける。かなり待った後に、約20分をかけて検査を受ける、支払窓口で次回の予約診察券をもらい、支払いを済ませて16時半にすべてが終了。待合室にはほとんど人はいなくなっている。17時前に帰宅。結局カテーテル検査はなかった。医師によれば、昨日購入した処方薬の効果をある期間見てからになるらしい。カテーテル検査は状況を見て一日入院した上で行うとのこと。『世界近現代全史-1』〈大江一道:著 山川出版社 2025〉を読み始める。歴史家である大江は1928年生まれなので、終戦後の歴史教科書の書き換えの影響を大きく受けているらしい。僕の世代は大学時代の建築史に東洋建築史が見当たらなかったのもその影響だろう。建築学科で東洋建築史が本格的に始まるのは1970年代以降である。僕も渋谷区中央図書館の最奥の棚に伊東忠太が書いた分厚い『東洋建築史研究』がひっそりと置かれているのを発見してびっくりした記憶がある。そういう時代を生きた歴史家が書いた世界近現代史がどんなものなのか、じっくり読んでみよう。


2025年05月07日(水)

晴れで暖かい一日。9時出社。9時半に事務所を出て外苑前の診療所へ向かう。先週に受けた診察の結果を見て、心臓専門医が書いてくれた心臓血管研究所附属病院への紹介状を受け取るためである。合わせて血圧手帳をもらい10時前に帰社する。直ちに心臓血管研究所附属病院に電話し、診療予約を依頼する。紹介状があるせいか直ちに明日の14時の診療予約が取れる。窓口のアドバイスに従い、病院のHPから問診にアクセスし、外来用問診票に必要事項を書き込む。心臓医によれば、僕は心臓カテーテル検査を受けることになりそうだが、さてどんな診療なのだろうか。少々不安になる。HPで調べると病院の位置は六本木ヒルズの近くである。『日本建築の擬』の論文を一通り読み終えたが、図面やアイソメ図を読み解くのはなかなか難しい。日本建築は部材の集合によって組み上げられてため、そもそも何が問題なのかを図面から読み解くのも大変である。逆にいえば本書において、ここまで詳細に問題を描いたことは驚くべきことである。東光園の櫓柱の貫の位置と東大寺南大門の貫の構成との類似性に関する説明についても同じである。それを日本的感性と考えるのはやや早急な感じもするけれども、確信はない。確かにそうかも知れない。まさに岸田日出刀のいう構成であり、構築ではない。突拍子もない発想だが、人体や心臓の成り立ちにも同じような構成と構築を感じる。まさに複雑に絡み合ったパタン・ランゲージである。簡単な論理ではない。


2025年05月06日(火)

雨のち曇りの肌寒い一日。9時半出社。『日本建築の擬』の第三章「論考」の多田脩二との対談「構造と美学をめぐる旅」を読む。多田脩二は佐々木構造計画OBで界工作舎の初期の〈箱の家〉のいくつかを担当してもらった記憶がある。現在は千葉工大で教えているが、福島+冨永事務所の仕事の協力者でもある。この対談では、著者チームと一緒に日本建築を調査してまわったらしい。構造家らしい感想が述べられているが、具体的な建築名は挙がっていない。木造建築の部材の多さと過剰性に驚くとともに、多田によれば、単なる構造合理性で構法が決まっていないことに驚いたとのこと。福島は冒頭でこういっている「擬とは日本建築の構造と装飾の間にあるものを指している。その間を見極めるためには構造的な知見が必須となる。」多田は構造的な合理性だけでなく、美学も尊重する構造家として白羽の矢が立てられたのである。この論文には最も多くの冨永さんのオシャレなスケッチが掲載されている。


2025年05月05日(月)

晴れのち曇りの快適な一日。昨日に引き続き『日本建築の擬』の第三章「論考」の三井渉との対談「現代から日本建築を見る」を読む。三井は元々文化庁で日本建築を復元する仕事をしていたため、福島等が調査を通じて興味を惹かれた一連の日本建築について、その立場を踏まえてコメントを加えている。三井が文化庁で担当していたのは、建築史的な研究というよりも現地での実践的で建築家的な作業だったので、歴史家や日本建築史家としての意識はまったく持たなかったという。その経験で分かったことは、日本建築の構造要素の中で、組物は文化的な意味を帯びていたため、最初に構造的な役割を失い、整理され、装飾化されて消えていったことだという。藤井恵介が『日本建築のレトリック』で指摘しているように、寄棟屋根の短手に、内部に桁はないのに建物外側に組物をつけたのはその表れだろうという。逆にいえば、構造材の造形をどのように捉えるかという文化的な視点が、日本建築の特徴だと光井は指摘している。福島は、近代建築家のうち日本建築的な感性でデザインしていた建築家として清家清、吉村順三、吉田五十八の3人を挙げているが、構造要素の扱いはそれぞれ異なっている。最終的な判断基準としては、三井も福島も「何が美しいか」であるというカントの『判断力批判』の趣味判断的視点を結論に挙げているが、ほかにいいようなないので、やむを得ないとはいえ、僕にはやや安易に思える。というのも「何が美しいか」を決定づけるのは、合理、機能、慣習など様々な基準があるからである。とはいえこの論理は堂々めぐりになりそうだが。


2025年05月04日(日)

晴れのち曇りの暑い一日。10時出社。『日本建築の擬』の第三章「論考」の福島加津也の論文「調和と調停」を読む。本書の問題意識が生まれる経緯が歴史的に詳しく紹介されている。本論は本書の結論といってもいいように読める。おそらく調査と対談が終了した後にまとめとして書かれたのだろうと思われる。文章の最後に引用されているE・H・カーの有名な箴言「歴史とは現在と過去の間の終わりのない対話なのです。」が大局的な結論を表している。この結論はイタリアの歴史家ベネデット・クローチェがいってもおかしくないし、歴史家のカルロ・ギンズブルグやエリック・ホブスボームがいってもおかしくない。僕が大学時代に日本建築に関する考え方を強く刻みつけられた太田博太郎先生の主張も同じである。要するに高みから時代を見ているように思える歴史家でさえも、その時代の思想状況の影響を強く受けているということである。多くの人は、そのことにほとんど気が付かないけれど、福島は日本建築史においてその点に気づき、本書のテーマを実証し、その結果をまとめる気になったのだといってよい。というか、僕もfacebookにコメントしたけれど、現在は「先達たちが確立してきた歴史的定説を批判的に相対化し、検証する時代が始まったような気がする」。前田工学賞の論文審査をしていると、最近はそのことを強く感じるようになった。歴史論文が多いのはそのせいかも知れない。


2025年05月03日(土)

昨日とは打って変わり、晴れで快適な一日。9時半出社。『日本建築の擬』の第1章「再録」のアーサー・ドレクスラーの論文「The Architecture of Japan」を読む。戦後まもない頃にニューヨークのMoMAで開催された「The Architecture of Japan」展のカタログに掲載された論文である。当時25歳のアーサー・ドレクスラーは、後にMoMAの建築・デザイン部門のキュレーターに就任する若い批評家であり、吉村順三が設計した〈秋風荘〉を手がかりにして、日本の伝統建築における「Structure and Design」について論じている。これを読むと、日本建築の木造軸組構造が表現を決定づけているというよりも、本書『日本建築の擬』の意図である〈擬=fake〉の部分が日本的な感性によって微妙に調整されている点が指摘されている。〈秋風荘〉が寺社建築ではなく、どちらかといえば数寄屋的な建築であるせいも影響している面もあるが、軸組と屋根の小屋組とが天井によって切り離されているため、中世以降の寺社建築に近く、本書でとり挙げている日本建築とは若干ズレているようである。僕は奈良女子大の坂井禎介さんの博士論文における民家論のfake柱を連想した。とはいえドレクスラーの視点は、本書の著者たちに近いようにも読める。つまり日本建築においては、構造要素が空間を決定づける要素として装飾的に使われているということである。それだけドレクスラーの視点はモダニズム寄りではなく、日本建築を批評的に見抜いているというということである。逆にいえば日本人の視点は木造軸組を近代建築的にとらえていたということである。要するに日本人建築家は歴史家を含めて二重に捻れた視点を持っていたという訳である。そこが本書の狙い目であり決定的な意義だろう。しかし若い建築家・建築史家にそこまで読み込めるだろうか。一抹の不安を感じる。


2025年05月02日(金)

一日中雨でやや寒い一日。東京都市大の福島加津也さんから『日本建築の擬』(福島加津也+冨永祥子:編著 ガデン出版 2025)が届く。パートナーの冨永祥子さんのfacebookを見て発行はまもなくだと知っていたし、先日の東京都市大での講義で福島さんから4月末に本を送ると聞いていた。本づくりには僕も参加しており、第3章「論考」の鼎談「仮説としての歴史」に参加している。福島さんによれば、僕と佐々木睦朗さんが監訳した英国人建築家クリス・ウィルキンソンの著書『スーパーシェッズ』のあとがきの対談で、本書を通底するコンセプトを〈仮説としてのテクノロジー〉と名づけたことをヒントに「仮説としての歴史」にしたらしい。鼎談で僕が話したのは、日本建築は基本的に木造軸組構造であり、構造材がそのまま表現になっているので、これまで構造表現の建築と考えられてきたこと。しかし僕は大学時代の授業で日本建築史家の太田博太郎先生が、モダニズムの視点から室町時代以降の日本建築を認めなかったことについて話した。現在でも日本建築は構造表現であると考えられているが、本書はそれが神話に過ぎないことを分かりやすく詳細に検証している。そのことは去年の日本建築に関するネットレクチャーで、日本建築史家の藤井恵介さんが体系的に唱えていたことを聴いてびっくりした。それが本書で、実際の調査を通して検証されているようなので、じっくり読み込んでみよう。16時過ぎに雨の中を外苑前の診療所へ向かう。16時半から心臓の精密検査。心電図と胸のレントゲンを撮り、担当医の所見を聞く。どうやら不整脈があり、心臓の状態もあまり良好ではないようである。現在服用している薬に新しい薬を追加すること。来週に心臓専門の病院で検査をしてもらうように紹介状を書いてくれることになる。最近はとくに変わった自覚症状はないが、ここ2ヶ月の間に二度ほどめまいで地面にへたり込んだことがあるので、要注意だといわれる。担当医は僕の心臓は長嶋茂雄と同じ状態であり、ほっておくと脳梗塞の可能性が低くないので、早急に対応すべきだとアドバイスされる。家早南友。


2025年05月01日(木)

晴れで清々しい一日。9時出社。KMR木村優志さんから〈171箱の歯科医院〉の設備図が届いたので新潟の田中組に転送する。工事の付き合いがある設備業者にもチェックしてもらうように依頼する。合わせて5月11日(日)に乗車する新幹線の便を知らせ、新潟駅でピックアップを依頼する。昨日から『産業革命 起源・歴史・現在』を読み始めたが、その訳者である長谷川貴彦自身の決定版『産業革命』(山川出版社 2012)が届いたので読み始める。80ページ余の小冊子なので比較的読みやすい。一日かけて一気に読み通す。産業革命が世界史の分岐点であることを明確にすること。近世以来のグローバルな変容の中に産業革命を位置づけること。なぜイギリスで産業革命が生じたのかを世界史的な視点で明らかにすること、などが論じられている。それは単なる歴史的偶然ではなく、イギリスの地質的条件、大西洋に面した地理的な位置、帝国主義時代といった時代的背景など多様な条件が重なって生じたことがよくわかる。


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