連続講義「近代建築論」 第1回『建築の世紀末』(1977)講義シナリオ (C)難波和彦 May 01 2008
講義のプログラム
1)連続講義「近代建築論」企画の趣旨
2)講義の形態:ゲスト講師のレクチャーと鈴木教授とのパネルディスカッション
3)第1回『建築の世紀末』の位置づけ:配布資料は各章の核となる文章の引用
4)『建築の世紀末』の内容紹介:流れを追いながら、各章の内容を紹介する。
5)『建築の世紀末』の歴史的意義:出版当時の反響と現代からみた意義、鈴木教授の建築史研究の原点。モダニズム批判の理論
6)質疑応答
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連続講義「近代建築論」企画の趣旨
今年度末に鈴木博之教授が本学を退職する。鈴木教授は約35年間、本学で西洋建築史と近代建築史を教えてきた。近代建築に関する鈴木教授の研究はきわめて広範囲にわたり、これを引き継ぐのが建築学専攻の使命だと考えます。そこで、歴史学研究室助教の横手義洋氏の協力を得て、鈴木教授の研究の足跡を辿りながら、主要な著書とテーマについて議論する連続講義を企画した。毎回、講師が著書とテーマについて講演し、その後、鈴木教授とディスカッションするという構成。建築を学ぶ学生や研究者だけでなく、建築に関係するすべての人たちに必見の連続講義になるだろう。
『建築の世紀末』の位置づけ
・1973年から雑誌『建築』に連載。鈴木教授28〜29歳の労作。卒論、修論の延長と展開。
・1977年(32歳)に出版。鈴木教授のその後の研究の出発点となった著書
・「あとがき」:産業革命期以降の建築と社会の関係に焦点を当てる。建築理念を検証する。
・19世紀の建築史を詳細に辿ることによって、近代建築の理念の誕生プロセスを明らかにすると同時に、近代建築が否定してきた19世紀建築の可能性(様式と装飾の問題)を再検討する。
・1960年代末のモダニズム批判の勃興を受け、ポストモダニズムの理論的バックボーンとなった。
・詳細な史実が紹介され、錯綜した議論が展開されているが、全体には大きな流れがある。
内容の紹介
・詳細で複雑な議論が展開されているが、ここでは大きな流れを紹介する。
・配布したレジメでは、各章のまとめとなるような文章を引用している。
扉:関係性一般、社会と建築家、パトロンと建築家、他者との対話(リノベーション)
「それはつまり、あなたとわたしから生じたので、あなたもしくはわたしから生じたのではない。」
ポール・ヴァレリー:著『わがファウスト』
序 「私とは何か」を巡り、実存主義的な視点から芸術家・建築家たちが夢見た非存在の歴史を辿る。
石山修武の展覧会「建築がみる夢」(6/28世田谷美術館)
「私を〈私である者〉として提示しようとすることは、すでに私が〈私である者〉として存在しえなくなった時代に私が生きていることの反語的な証しであろう。」
本書全体に通底する3つのテーマ
1)主義(イズム)は、それが目指す目標が歴史的に欠如していることを逆説的に表すという発想
ある問題の意識化とは、その問題の危機の現れである。
2)私とは何か、私的全体性、私を探る過去への遡行、ポール・ヴァレリーの近代的な「意識」
3)サルトルとカミユの「孤独論」、ポール・ヴァレリーの両義性、「夢」を投げ出す芸術家の歴史
1章 ギリシアへ:ギリシア建築の考古学的調査から誕生した18世紀新古典主義、
「ギリシアの発見は、新しい理想の確立にはならず、理想の対立、はっきり言うならば理想の混迷を引起した。この理想の混迷は、十九世紀の末まで、百年以上にわたる建築の試行錯誤のはじまりであった。」
・エピステーメー革命(M・フーコー)と科学革命(T・クーン)の時代。
・「考古学的実証による建築の源泉への遡行」と「論理的・哲学的思弁による建築の原型探求
・ロージェ『建築試論』(1755):最初の近代建築思想家、合理主義と機能主義、意識化=混迷の現
・幾何学的形態の理想の建築:ルドゥー、ブレー、ギリー、シンケルといった建築家の出現
・様式(オーダー)の歴史的意味、新古典主義の誕生、パリのパンテオン(スフロ)
・美と崇高:ギリシアの示す理想:エドマンド・バーク
・「新古典主義が秘めていた二つの方向性がふたたび統合されるまでの歴史が、近代建築を用意するための時間であった。」
2章 ストロウベリ・ヒル・ゴシック:パトロンと建築家の関係、職能人としての建築家への道
「十九世紀になり、いわゆる産業社会の形成にともなって貴族層であったパトロンが衰退消滅するにつれて〈職能人としての建築家-公共社会〉という関係が生まれてくる。デザインが職能と結びつくことによって公共性を帯びるに従って、そこに材料の真実、ディテールの真実が要求される素地が生まれるのである。」
・グリーク・リヴァイヴァル=ロマン的古典主義とゴシック・リヴァイヴァル=ロマン的自然主義(ジークフリード・ギーディオン)
・ゴシック・リヴァイヴァル、ホレス・ウォルポールとウィリアム・ベックフォード
・美/崇高/風変り、ロマン的古典主義とロマン的自然主義、
3章 理想の混迷:パトロンの衰退=個性的様式と社会的客観性の追求。リヴァイヴァリズムの混迷
「社会は個人の生活様式の理想を求めて建築家の職能成立を助けると同時に、職能人たる建築家に〈社会的客観性〉という商品価値を求めたのである。建築家たちは、ひたすら個性的な様式論を追求しなければならなかった。社会構成の上でも宗教的理念の上でもすでに社会的紐帯をもたない社会は、個人的な夢、個人的な生活様式の理想の集積でありながら、全体としては建築家に客観性存在証明を迫る〈他者〉であった。」
・「ボヴァリー夫人」(フローベール)における市民(エンマ)の「夢」
・リヴァイヴァリズムとは、客観性すなわち市場性に裏うちされた夢の創出である。
・様式の全体性:様式は、精神生活を含めた全生活形態に根ざしていた。
・ウィリアム・バターフィールド:英国の「ヴェニスの石」としてのレンガ、ゴシックの宗教的解釈に基づいた市民的世俗性(夢)に対する批判
・大英博覧会とクリスタルパレス(1851)直前の時代
4章 ピュージン:カトリック信仰を具現したゴシック建築。ラスキンへ繋がる建築の思想的根拠
「建築のもつ〈形〉を〈原理〉という形で証明しようとしたピュージンは、建築の理想を個人的主観を越えたところで証明しようと目指したのであり、十八世紀後半以来の建築界に見られた理想の混迷を、当時はたいして問題にされなかったゴシック様式の側から打ち破り、再び建築の理想を回復しようとしたのであった。」
・ゴシックの宗教的(カトリック信仰の)根拠
・『対比(contrasts)』(1836)ゴシック建築と「復活された異教主義」の比較。
・ゴシック建築細部には宗教的伝統に基づく「意味」が籠められている。イコノロジー、記号論
「ピュージンは、社会の堕落と建築の堕落を平行現象として捉えた。ゴシック建築を過去の建築としてではなく、思想を担う現在の建築として十九世紀社会の中に存在させたのである。」
5章 ヴィオレ・ル・デュク:ゴシックの合理的解釈、デカルト的建築論の構築
「ヴィオレ・ル・デュクは建築を構造的な単位となる部材の組み合わせとして把握したのであり、このことによって建築物は美的な鑑賞の対象あるいは雰囲気の容器といったものではなく、哲学的な思考体系とまったく同じ〈構造〉を備えた体系的構築物として把握されることになった。」
・ゴシック建築の構造方式の解明を通じて「考古学的実証による建築の源泉への遡行」と「論理的かつ哲学的思弁を通じての原型探究」を統合した。
・『建築講話』(1863):合理主義的建築論の成立、近代的精神をもたらしたヴィオレ・ル・デュクの「夢」。「感性の儚さを論理によって補強する試み」
・テクトニック・カルチャー(ケネス・フランプトン)の源流。
・合理的構造の構築的手段としての鋳鉄の導入
6章 手づくりと集団:ピュージン、ラスキン、モリス、芸術と生活、芸術家ギルドの社会的自立
「趣味の変革こそ、真の生活革命を生み出すと信じたのがウィリアム・モリスであったが、市民社会の趣味は、あくまでも市民の個人的な夢であった。アーツ・アンド・クラフツ運動の芸術家たちは、芸術を作る者の足場を求めた。それはある意味で成功した。彼らの作品は絶大な評価を得た。しかしその人気自体が、実は揺るぎない十九世紀の市民社会の証でもあった。アーツ・アンド・クラフツ運動の栄光と悲惨はここに由来している。」
・ラファエル前派、A・H・マクマードゥ、「赤い家」、ウィリアム・モリス商会、H・ムテジウス(ドイツ工作連盟)
・社会の中で自立する私(芸術家)、事物と人間との親和性の回復、生活様式と趣味・文化が獲得した記憶の集積装置としての「装飾」:イコノロジー研究(E・パノフスキー)
- アール・ヌーヴォー:世紀末の大流行、生活の芸術化、市民社会における個人的夢の表現
7章 アール・ヌーヴォーの造型は本質的に孤立した人工世界である。社会全体を覆いつくしたアール・ヌーヴォーの、夢のようにあやしく非現実的な美の世界は、その影響が広汎であればあればあるだけ、逆に社会が共同の理想を失い、共同の紐帯を失っていたことを示している。」
・アーサー・H・マクマードゥ、ヴィクトル・オルタ、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド、
・オスカー・ワイルドのダンディズム=装飾芸術
・様式としての総合性/全体性/短命性:個人への断片化
・「平面性の出発は、新生というよりもルネサンス的自我の崩壊的表現であった」
・鋳鉄とアール・ヌーヴォー:材料よりも精神の現れ
8章 装飾の神話:装飾と空間、様式的装飾から自然モチーフの装飾へ
「〈お前は何か〉という問いに対して、装飾ほど無防備な存在はない。装飾の本質が問われるとき、表にあらわれるのは常に社会の外的な世界観である。いわく、権威的序列の表示、費用と手間をかけたことの誇示。こうしたレッテルの故に、装飾はその存在を否定される。だが、装飾を否定することは、ある内的な世界観をも同時に消滅させることなのである。」
「新しい〈自然界〉にもとづく装飾的モチーフは、神話的な世界観をもたない。それは観念と理性によってのみ検証できる共通性、理性の次元での共同世界に依存する造型であった。装飾は、この時に大きく基盤をかえた。それを装飾の死と考える人がいることがいることも、至極もっともなことである。」
・装飾論としては、記念すべき章だといえる。近代精神の系譜の中の装飾の位置づけ。
・装飾の3分類=記号としての装飾、シニフィアン/シニフィエ/コード
1)純粋数学的無意味の表象:空間恐怖、序列の表示:ポール・ヴァレリー
2)建築における構成の対応関係の表示:A・W・N・ピュージン
3)製作者、使い手たちの記憶の表象:象徴的装飾、ジョン・ラスキン
・装飾概念の基本的構成要素
1)付加性 2)形式性 3)世界観的前提 4)表面性
・物質(素材)に無関心な装飾、想像に向かう「表面性」
9章 中世の破綻:アーツ・アンド・クラフツ運動の中世主義の破綻、
「たしかに装飾は意味の媒体といえよう。この際、意味とは歴史的意味であれ、宗教的意味であれ、また構造的意味であれ、用途的意味であれ、すべてを含むものである。その意味を強調して読みとらせる媒体が装飾であるといえるかもしれない。」
・事物と人間の間に親密感を回復することを目指したアーツ・アンド・クラフツ運動。
・意味の媒体としての装飾=記号としての装飾、事物と使い手を結びつける媒体としての意味
・装飾が意味を伝えるためのコードの崩壊。記号としての意識化は、コードの崩壊を意味する。
・生活全体にわたる個性的統一をもたらす趣味(taste)の問題
・カントの三批判「純粋理性批判」(科学)「実践理性批判」(倫理)「判断力批判」(趣味)
・W・R・レサビー:建築におけるモリスの後継者、建築におけるダーウィニズム(進化論)
・オーウェン・ジョーンズ、ヘンリー・コール、クリストファー・ドレッサー:装飾原理の追求
「二十世紀の近代を生み出す母胎として十九世紀の試みと挫折をとらえ、いわば〈みにくいあひるの子〉の時代として十九世紀をとらえてはならない。たとえ、彼らの〈中世〉が破綻したとしても。〉
10章 ポシニーとエウパリノス:様式という武器の喪失、近代精神の誕生(ポール・ヴァレリー)
「建築家が職能人として立つことに自分たちの客観的存在証明を求めるようになったという変化は、決して過小評価すべきことではない。それは単なる生業の問題ではなく、建築観の問題であった。職能人として立つことは、〈様式〉によって立つことからの脱却であった。とすれば、職能人としての建築家の夢見られる建築とは、理念的にどのようなものになるのか。彼らは過去の中に理想を見ることをしない。彼らの建築の理念は、想像力、造型力、審美眼といった芸術的創意に依存するものではあり得なかった。彼らの建築観は、芸術的創意という主観性の中ではなく、客観的な根拠をもたねばならなかった。」
・世紀末の英国中上流階級の生活を描いた『フォーサイト家物語』(ゴルズワージー)に出てくる建築家ポリシニー
・芸術家的「私」とブルジョワ階級的「貴方」との関係として生じた住宅復興(domestic revibal)
・リチャード・ノーマン・ショウ、C・F・A・ヴォイジー、M・H・ベイリースコット、エドウィン・ラッチェンズ
・職能の確立、建築家の職能団体の成立:様式に代わる建築家の社会的根拠
・建築協会(Archutectual Association)の建築家たちから生まれた近代主義(Modernism)
・『エウパリノスまたは建築家』(ポール・ヴァレリー):数学に根拠を求める近代精神の誕生
11章 近代精神:様式から科学的論理へ。
「建築家たちは思弁的な方法による以外に、他人と共有しうる形態を見いだすことができなかった。世界がふたたび共通の世界観的前提を回復するならば、それは科学的論理という前提でしかありえなかった。近代の精神が求めたのは科学の論理に裏うちされた普遍性であった。」
「機械が技術の産物であり、技術が合目的的な世界認識にもとづくものであるあるとするならば、まさしく同様の世界認識が近代精神の中には横たわっていた」
・アドルフロース「装飾と罪悪」:倫理的問題としての装飾否定
・T・E・ヒューム「現代芸術とその哲学」:生命的(vital)有機的芸術から幾何学的芸術へ
・意識的/システマティックな世界把握としての科学と、それに基づく技術(ハイデガー)
・近代精神の典型=ポール・ヴァレリー、「テスト氏」「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法」
・近代建築とは近代精神の建築的発動である。
・事実と価値を混同し、全体性を失った近代建築(M・ウェーバー)
12章 細部に神がやどる:様式主義の可能性、建築論の自立性、建築における他者存在の再発見
「多くの葛藤と失敗をくりかえしたように見える十九世紀の建築史は、いまわれわれがはじめようとしている、建築における他者を模索する試みの歴史だったと見えないだろうか。」
・折衷主義(エクレクティスム)的思考のすすめ
・様式主義の可能性:商品としての市場価値、全体をまとめるための文法体系、細部の豊かさ
・ラスキンとモリスの問い「建築論は自立しうるか」=建築と社会の結びつき、
まとめ
・19世紀の建築を辿ることによって、建築家が社会から疎外され、自立していくプロセスを明らかにする。
・建築家と「他者」としての社会との関係の変容史
・「他者」の導入による、単一の、自己完結した近代精神=近代建築を乗り越える。
出版後の反響
・モダニズム批判であると同時に、様式論、装飾論再興のイデオロギーと見なされる(磯崎新)。
・1960年代末に勃興したモダニズム批判を、より精細かつ批評的に再検討すること。
1)鈴木博之:プレモダンの再評価:モダニズムへの道を19世紀にさかのぼって検討する。
モダニズムによる、19世紀建築史の単純化に対する反論
2)八束はじめ:モダニズムの多面性を明らかにすることによって、モダニズムを再評価する。
ポストモダニズムによる、モダニズムの単純化に対する反論
・鈴木-八束論争:モダニズムとポストモダニズムとの対立に見えるが、背景は共有している。
・野武士の世代(槇文彦)の近代建築史
・建築の自律性、批評性を認めるか否かの対立。ラスキンとモリスが投げかけた問題の反省
本書から何を学ぶか
・建築における他者の存在:コンテクストの芸術、保存の問題、リノベーションとコンバージョン
・主義(イズム)とは問題の意識化であり、危機の現れである。研究者の社会的役割
・様式の体系性=全体を生み出すシステムの自立的展開、モデュール、アルゴリズム
・建築の自律性の問題(ラスキン・モリス問題):自律性の階層性として決着したように思える。
・装飾の現代的な意味:記号としての建築
質疑応答
・鈴木教授の中での本書の位置づけ、その後の展開、保存論と技術論の関係
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