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『箱の射程:エコハウスの条件』   難波和彦   『住宅建築』2007年7月号

1995年にスタートした箱の家シリーズは2005年に「箱の家100」に達した。2007年6月現在で「箱の家120」までが完成し、「箱の家130」までが設計中である。「箱の家050」までの展開は『箱の家に住みたい』(王国者 2000)にまとめ、さらに「箱の家101」までの展開は『箱の家:エコハウスをめざして』(NTT出版 2006)にまとめた。本誌で紹介するのはそれ以降の「箱の家」である。
「箱の家」のコンセプトは「箱の家1」から現在に至るまで基本的に変わっていない。しかしコンセプトを実現するためのソフトあるいはハードな技術、すなわち平面計画、構造・構法システム、設備システムは徐々に進化してきた。さらに「箱の家100」に近づくにつれて「エコハウス」という新しいテーマが浮かび上がってきた。一般的にエコハウスとは長寿命で省エネルギーの住宅だが、本来はもっと広い意味を持っている。物理的な性能だけでなく家族のライフサイクルや地域コミュニティにおける住居の社会的な位置づけもエコハウスの重要な条件である。「箱の家」のコンセプトの中心は「一室空間住居」である。「一室空間住居」の様相もさまざまで、最近では家族のメンバーのコーナーを確保した「箱の家版個室群住居」も展開している。とはいえ、ここ最近の「箱の家」の中心テーマが、環境制御装置としての性能の改良だったことも確かである。そこでエコハウスの本格的な展開をスタートする前に、これまで開発してきた構法や設備が、当初想定した温熱環境を実際に達成しているかどうかを検証し、その上で次のステップに進むべきだと考えた。今回はその検証結果についても報告する。

快適性の諸相
まず「箱の家」における快適性の考え方について再検討しておきたい。住まいの快適性とは、単に室内の温熱環境だけでなく、身体的、社会的、心理的、精神的な、さまざまな要因が複合して生じる現象である。「箱の家001」を発表した際(『新建築住宅特集』1995年8月号)僕は住居の快適性に関する問題提起を行い、冒頭にフランクフルト学派の思想家テオドール・W・アドルノの文章を引用した。第2次世界大戦中にアメリカに亡命していたアドルノが、モダニズムの立場から不安定な時代の住宅のあり方について書いた文章である。
「言葉の正しい意味で住まうということは、いまや不可能である。わたしたちが育ってきたところの伝統的な住居は、なんともやりきれないものになってしまった。住居のなかの快適さにひとつひとつとひきかえに、認識を犠牲にしてきたのであり、家庭という古色蒼然とした避難所には、家族の利害の調整という黴臭い契約がしみついている。(中略)家は過去のものになった。こうしたもののうちで実際に最善の態度とは、いまもなお、とらわれないこと、宙吊状態をまっとうすることのように思われる。いまでは自分の家でくつろがないことが道徳の要請だといわねばならない。(中略) 社会全体が狂っているときに、正しい生活というものはあり得ないのである。」
『ミニマ・モラリア』(テオドール・W・アドルノ:著 法政大学出版局 1979:一部筆者訳)
これを読んだ「箱の家」のクライアントから「建築家が主張すべきような内容ではない」という主旨の忠告を受けたので、『箱の家に住みたい』(王国社 2000)に再録したときには、この引用分を削除した。しかし現在から振り返ると、アドルノの主張は、ある意味で「箱の家」のコンセプトを的確に言い当てているように思う。
戸建て都市住宅のプロトタイプをめざす「箱の家」は、室内は間仕切のない一室空間であり、外部の都市空間に対しても開放されている。したがって「箱の家」の快適性は、家族のあり方や周囲の都市環境に完全に依存している。「箱の家」は家族と都市空間をストレートに反映する鏡のような住まいだといってもよい。家族のメンバーがバラバラな生活を送っていたり、劣悪な都市環境の中に置かれた「箱の家」は、単に住みにくい住宅に過ぎない。このように住みやすさに関する一般的な常識とは異なるコンセプトでつくられているにもかかわらず、「箱の家」が特定のクライアントに受け入れられてきたのはなぜだろうか。
一般的に、住まいはクライアントの夢、言い換えればクライアントの幻想に向けてつくられる。もちろん現状の生活を維持するようなリアルな住まいを求める人もいるだろう。しかしそういう人は決して「箱の家」のクライアントにはならないだろう。当然ながら、住まいに求める幻想の具体的な内容は、クライアントによってさまざまである。ただし、ひとつだけ確信を持って言えることがある。それは、「箱の家」のクライアントの大多数は、家族の一体感を感じさせる一室空間的な住居に惹かれているということである。一室空間住居のコンセプトは、クライアントの直接的な要求からではなく、僕自身の住体験から抽出された仮説的提案である。もちろん「箱の家」のクライアントは一室空間住居のコンセプトだけに惹かれているわけではない。「箱の家」には、近隣への開放性、身体的な快適性、自然エネルギーの利用、地震に対する安全性、高度なコスト・パフォーマンス、メンテナンスの容易さ、シンプルな箱型デザインといった多くの特長がある。これらも僕の建築観、デザイン観からうみ出されたコンセプトである。これらはばらばらに独立して存在する条件ではなく、何らかの関係で結びついているはずである。そこで僕はこれら一連のコンセプトを関係づけ、ひとつのデザインに統合できるような枠組をつくろうと考えた。「箱の家」に住む家族のあり方や都市環境のコンテクストを含めて、「箱の家」の特長を総合的に位置づけることができるような建築理論である。そのために考案したのが「建築の4層構造」のマトリクスである(図-1)。

建築の4層構造(図-1)

 

 


(建築学の領域)
様相
(建築を見る視点)
プログラム
(デザインの条件)
技術
(問題解決の手段)
時間
(歴史)
サステイナブル・デザイン
(現代建築のプログラム)
第1層:物理性
(材料・構法・構造学)
物理的な
モノとして見る
材料・部品
構造・構法
生産・運搬
組立・施工
メンテナンス
耐久性・風化
再利用・リサイクル
長寿命化
第2層:エネルギー性
(環境工学)
エネルギーの
制御装置として見る
環境・気候
エネルギー
気候制御装置
機械電気設備
設備更新
エントロピー
省エネルギー
LCA・高性能化
第3層:機能性
(計画学)
社会的な
機能として見る
用途・目的
ビルディングタイプ
平面計画・断面計画
組織化
コンバージョン
ライフサイクル
家族・コミュニティ
生活様式
第4層:記号性
(歴史・意匠学)
意味を持った
記号としてみる
形態・空間
表象・記号
様式・幾何学
コード操作
保存と再生
ゲニウス・ロキ
リノベーション
発見としてのデザイン

このマトリクスの理論的な根拠や具体的な内容については、すでに他の場所で詳細に論じているので(『箱の家:エコハウスをめざして』、あるいは『10+1』2006年45号)、ここでは簡単に説明するに止める。このマトリクスは、建築を4つの層、すなわち物理性(モノとして)、エネルギー性(エネルギー制御装置として)、機能性(社会的機能として)、記号性(意味を持った記号として)の重なり合いとして捉えるようとする提案である。前二者は建築のハードウエアとしての働きを捉え、後二者は建築のソフトウェアとしての働きをとらえている。4つの層はそれぞれ独立してはいるが、互いに無関係ではない。4つの層を特定の関係に結びつけることがデザインの作業である。「箱の家」のコンセプトはすべて、このマトリクスの中に位置づけられる。そして後に述べるように、エコハウスの条件もこのマトリクスから引き出される。
このマトリクスに従えば、「箱の家」のコンセプトとアドルノの主張の関係を、明確に捉えることができる。アドルノのいう「宙吊り状態」や「自分の家でくつろがないこと」とは、第3層の社会的な快適性に関する主張である。「社会全体が狂っているときに、正しい生活というものはあり得ない」という最後のフレーズがそれを証明している。しかしアドルノは、身体的な快適性や構造的な安全性までも否定しているわけではない。これらは社会的生活を成立させるための前提条件である。さらにいえば、社会的安寧が得られないとしても、記号(空間)に対する審美的な快適性はそれとは独立して成立する。アドルノならば、むしろ不安定な社会生活の状態においてこそ純粋な審美的判断の可能性が存在すると主張するに違いない。カントの『判断力批判』によれば、第4層の記号性(美的判断)を他の3層から切り離すことが困難であり、そのための努力を強いられれば強いられるほど、それが達成されたときに得られる審美的な快適性は大きくなる。審美的な快適性は、モノとしての建築に内在する属性というよりも、モノにはたらきかける住み手の能動性によってもたらされるのである。
「箱の家」においては、デザインプロセスの段階から、コスト・パフォーマンスを達成するための要求条件の優先順位を決定する努力が要求される。そうしたプロセスを経て達成される構造的安全性、身体的快適性、メンテナンスの容易性といった技術的課題の解決は万全である。しかし一室空間住居や都市空間への開放性という社会的・生活的条件に関しては、住み手である家族が互いに話し合い、住み方の作法と規則をつくる努力をしなければ、住みこなすことは難しい。「箱の家」が興味深い住居であるのは、家族の一体感という幻想から出発しながら、実際の生活においては、住みこなすために家族相互の話し合いが必要であり、その努力が家族の一体感を強化するというフィード・フォワードを促す点にある。そしてそれが「箱の家」がめざしている本質的な快適性である。
住居の快適性とは、住居から住み手へと一方向的にもたらされるような現象ではない。そうではなく、住み手が住居に働きかけ、住居とともに住み手自身が変化し、住居と住み手がひとつの精神生態学的なシステムを形成したときにもたらされる現象なのである。

一室空間住居の根拠
「箱の家」の一室空間住居が、現代の家族に対するライフスタイルの提案であることは既に述べた。この点について、もう少し詳しく考えてみよう。現代の住宅設計にとってもっとも重要なテーマは、今後ますます多様化する家族形態とライフスタイルに対して、どのような住宅を提案するかという問題である。これまでの住宅は、そのほとんどが夫婦+子供2人という平均的な核家族像に合わせて設計されてきたといってよい。リビング、ダイニングキッチン、複数の個室を組み合わせたnLDKという平面プランは、ハウスメーカーはもちろん分譲マンションにおいても依然として主流を占めている。しかし高齢化・少子化が進むにつれて、家族のあり方はさまざまな形態をとるようになった。何よりも大きな変化は、夫婦と子供という核家族が主流でなくなったことである。僕たちは核家族が当たり前だと考えているが、決してそうではない。第2次大戦以前は「家」を中心とする大家族制度が主流だった。核家族という形態は戦後に生まれたもので、せいぜい50年程度の歴史しかない。現在、運命共同体としての核家族という像は揺らぎ始めている。共働きの夫婦が増え、親と子供の関係も対等になり、親から子へという連続性が薄らいでいる。団塊の世代が高齢化し、一人住まいの家族が急速に増加している。こうした潮流に対して住空間をどのように再編成すべきかというテーマは現代の都市住宅の最大の課題である。
この問題に対して、建築家はさまざまな住宅の提案を行っている。核家族の変化に対する建築家の提案は、大きく二つに分けることができるように思う。ひとつは、かつての運命共同体としての核家族ではなく、家族のメンバーの結びつきが弱まり、緩やかな共同体へと変容した家族を包み込むような住宅である。解体に向かっている家族をつなぎ止めるような住宅といってもよい。もうひとつは、家族という集団ではなく、あくまで個人を単位とし、その集合としての共同性を提案するような住宅である。居間を中心とする住宅から、個室を中心とする住宅への移行といってもよい。両者の提案は対照的だが、nLDKを脱却しようとしている点では共通している。
「箱の家」は明らかに前者の考え方にもとづいている。「箱の家」が提案しているのは、間仕切のない一室空間住居である。「箱の家」には閉じた個室はない。したがってプライバシーもない。なぜそのような住空間を提案するのか。それには幾つかの理由がある。ひとつは、「箱の家」は依然として核家族の重要性を認めている点にある。大きな傾向として見るなら、核家族という単位が解体しつつあることは確かである。これによって二つの問題が生じている。ひとつは単身となった高齢者の生活を誰が支えるかという問題、もうひとつは子供の成長の面倒を誰がみるかという問題である。高齢者に関しては、核家族に依存しない社会的なケア・システムは徐々に整備されつつある。しかしながら家族に代わるような子供の社会的な養育システムは、未だに形成されていない。現代では大家族制度が崩壊している以上、核家族という夫婦を単位とする子供の養育共同体は、依然として社会を持続させるために不可欠な制度なのである。解体に向かう緩やかな共同体であったとしても、子供の成長にとって核家族は重要な存在だといわざるを得ない。「箱の家」のクライアントは、その点を無意識的に感受している。だからこそプライバシーを犠牲にしても、家族としての一体感を感じさせるような一室空間住居を求めるのである。
もうひとつの理由として、子供の自立にとって果たして個室は必要なのかという疑問がある。一般的に個人の自立は、個室の確保と結びつけて論じられる。個室がなければ個人としての自立もあり得ないというのが近代的な住居観である。しかしその論理はきわめて疑わしい。個人の自立という社会的条件を、個室の確保という空間的条件に結びつけるのは、広い意味での機能主義である。しかし機能主義の論理が通用しないことは歴史的にも明らかな事実である。個人の自立と個室の確保とは、まったく別の問題である。個室の確保が個人の自立を保証するのではない。むしろ開放的な空間においても集中できることが個人の自立なのである。もちろん一室空間の中で各自が勝手な行動をしたのでは生活は混乱するだけである。一室空間的な住居では、家族が共有する住まい方のルールが必要不可欠である。話し合いによって住まい方のルールを決めることも、個人の自立の重要な条件だといってよい。一室空間住居の中で育つ子供は、日常生活での体験や両親との話し合いを通じて、生活を成立させる暗黙のルールを身につけていく。共有されたルールとは、空間を分節する「見えない壁」である。自分の力で「見えない壁」を作り上げる術を学ぶことが、個人としての自立である。必要以上に物理的な空間に依存することは、むしろ自立を阻害することになると思う。
この問題は、家族構成の変化に対して、住空間のフレキシビリティをいかに確保するかというテーマとも関連している。建築家が設計する住宅のほとんどが最小限の間仕切しか持たないのは、このテーマに対するひとつの回答だといってよい。建築家は壁で仕切るのではなく、天井の高さや床の高さの変化、台所、浴室、収納の配置を巧妙に操作することによって、さまざまな住まい方に対応できる住空間を提案している。このようにフレキシブルに対応できる住宅であれば、将来、小規模なグループホームにも転用できるだろう。緩やかな共同体としての家族のためにデザインされた住宅ならば、家族でなくても十分に住めるはずである。現代の建築家は、戸建て住宅でさえも集合住宅としてデザインすることが求められているように思える。家族のメンバーに専用のコーナーを与えようとする「箱の家版個室群住居」はその提案である。

構法・設備システムと温熱環境
箱の家シリーズの展開の中で、もっとも大きく変化したのは構法と設備のシステムである。当初の構造システムは在来木造シリーズと鉄骨造シリーズで、それぞれ独立して展開していたが、「箱の家033」(1999)で両者は集成材軸組造シリーズに収斂する。在来木造シリーズを中止した理由は、輸入木材の品質が低下して寸法精度が悪くなったこと。さらに在来木造を扱う大工の技術が低下したため、工業製品である仕上材の精度との間に齟齬が生じるようになったからである。一方、鉄骨造シリーズを中止した理由は、構造システムを外部に現しにすると内外に連続する鉄骨部材がヒートブリッジになるため暖冷房の熱負荷が大きくなり、構造材に結露が生じることが分かったからである。両者に代えて採用したのが集成材軸組造シリーズである。集成材造を採用した理由は、構造部材が工業製品なので輸入木材よりも強度があり精度も高いこと。接合部に金物を使用するので組立法は鉄骨構造に近く高度な大工技術に依存しないで済むこと。さらに木材は断熱性があるのでヒートブリッジを防ぐことができるからである。
集成材シリーズの展開に並行して、アルミニウム合金を構造軸組に使った「実験住宅アルミエコハウス」の研究開発プロジェクトがスタートした(1999)。アルミニウムは鉄よりも熱伝導率が高いため、開発プロセスのなかで中心テーマとなったのは温熱性能の確保である。この時、関連する二つの技術が開発された。ひとつはアルミニウム断熱パネルによる外断熱構法である。これは構造軸組全体を断熱パネルで包み込むことによってヒートブリッジを完全に防止する構法である。もうひとつは水の蓄熱性と安価な深夜電力を組み合わせた水蓄熱式床暖房システム(アクアレイヤー・システム)である。この床暖房システムは床下に水を蓄えることによって、熱容量の小さなアルミニウム住居に熱容量を与えるだけでなく温度差による対流によって床温度を均一に保つことができる。さらにアルミニウムの熱伝導性を利用して熱を拡散し室内を均一な温熱環境に保つことも可能である。アルミエコハウスでは約2年をかけて温熱性能調査と居住実験が実施され、二つの技術の有効性が実証された。さらに実験期間中に床下に蓄えた水を抜くことによって熱容量の変化による室内環境の変化についても測定を行い、熱容量が室内環境の安定性を左右することも検証された。当初予想していない性能の発見もあった。それはアルミニウム構造における音の問題である。アルミニウム断熱パネルはきわめて軽量であるため都市住宅としての遮音性能に問題があることが明らかになったのである。
「箱の家039」(2000)は地下1階、地上3階の4層住居で、箱の家シリーズの中で数少ない鉄筋コンクリート(RC)造である。諸々の条件からRC壁構造を採用することになったが、内外打ち放しでは良好な温熱環境を保つことは難しいので徹底した外断熱構法を適用した。屋根は発泡断熱材の外断熱の上に通気層を確保した防水構法。外壁は型枠を兼ねた発泡断熱パネルの打ち込み構法とし、通気層を確保した上に外装パネル張りとした。1階床だけにアクアレイヤー・システムを組み込んだが、RCの熱容量が大きいため、きわめて安定した室内環境を確保することができた。その後いくつかの「箱の家」でRC造を試みたが、木造や鉄骨造に比べるとコスト高になるので実現した例は僅かである。「箱の家048」(2001)も当初はRC造で計画し、最終的にはRC造と集成材造の混構造になったが、それでもRCの熱容量の効果はきわめて大きいことが明らかになった。こうした一連の試みを通じて室内環境の安定性に対する熱容量の重要性が確認されたので、RC造に限らず水の蓄熱性能を利用したアクアレイヤー・システムは、以後の箱の家シリーズの標準仕様となっている。
集成材造シリーズでは標準仕様として屋根に合板の断熱サンドイッチパネルを使用している。アルミエコハウスにおいて外断熱構法の有効性が明らかになったので、「箱の家049」(2001)以降はこの断熱パネルを外壁にも使用する試みがスタートした。発泡断熱材を合板によってサンドイッチした断熱パネルはアルミ断熱パネルよりも重量があり十分な遮音性が確保できる。「普及版アルミエコハウス」として設計された「箱の家083」(2004)においても、屋根と外壁に合板断熱パネルによる外断熱構法が用いられている。
さらに断熱パネルを用いた外断熱構法によって、鉄骨造シリーズの再開が可能になった。「箱の家064」(2003)は外断熱構法を適用した最初の鉄骨造である。すべての開口部は鉄骨軸組にではなく断熱パネルに取り付けているので、ヒートブリッジは完全に防止されている。問題は庇やベランダなどの外部鉄骨の取付である。「箱の家071」(2003)では主構造を外断熱した上に副構造体として取り付けている。集成材造シリーズでも同じような問題が生じるので、現在では外部鉄骨は独立した構造体として外断熱パネルの外側に取り付ける方法が標準仕様となっている。しかしキャンチレバーのベランダのように構造的に切り離せない場合があるので、この問題は未だに解決されていない。
このように「箱の家」の構法と設備のシステムは徐々に進化してきた。上で紹介した技術以外にも、基礎外断熱、鳩小屋による自然換気・採光、フレキシブルボードによる蓄熱床、アルミ断熱サッシ、蛍光灯照明、アルミニウム根太、深夜電力を利用したヒートポンプ熱源によるアクアレイヤー・システムといった構法・設備の改良を行っている。こうした一連の試みによって、箱の家の温熱環境は確かに改良されたが、一方でコストが徐々に上昇してきたことも明らかである。問題は上昇したコストに対し、それに見合った性能(パフォーマンス)の上昇が達成されているかどうかである。そこで箱の家シリーズをエコハウスへと進化させるために、現段階での「箱の家」の環境性能をはっきりと把握しておくことが必要だと考えた。つまり設計当初に予測した性能が実際に達成されているかどうかを検証し、問題がある場合はその原因と解決策を明らかにすることである。そこで東京大学建築学科環境研究室の協力を得て、「箱の家104」(2005)以降に完成した「箱の家」の環境性能を実測することにした。幸い「箱の家」のクライアントも前向きに協力してくれた。慣用測定は現在も進行中だが、今回の特集では、これまでの2年間の測定結果をまとめて報告する。なお熱容量の効果については、比較のため以前の「箱の家039」や「箱の家048」も測定対象に含んでいる。この実測によって、さまざまな問題点が明らかになった。この結果を踏まえて「箱の家」の性能を今後さらに進化させていく計画である。

エコハウスの諸条件
前にも述べたように、環境性能の改良だけがエコハウスの条件ではない。そこで最後に、箱の家シリーズがエコハウスへと進化するために取り組むべき課題を整理しておこう。
エコハウスの最初の条件は、職住近接住居である。「箱の家」は都市住宅のプロトタイプをめざしているが、働く場所を取り込まなければ、本当の意味でのプロトタイプにはならないだろう。職住近接住居は職場への移動時間とエネルギーを削減する。職住が一体であれば昼夜のエネルギー消費が効率化され、燃料電池など先進的なエネルギーシステムを導入できる可能性が高まる。「箱の家034」(1999)は「箱の家」にSOHOを組み込んだ初期の試みだが、「箱の家112」(2006)ではデザインアトリエを取り込んだ本格的な職住近接住居を実現できた。職住近接住居が集合住宅化されれば、さらに有効なエコハウスの条件になるだろう。
「箱の家版:個室群住居」は戸建て住宅を一種の集合住宅として設計する試みである。「箱の家」は一室空間住居を基本的なコンセプトとしている。一室空間住居は若い夫婦と小さな子供の家族に相応しい。しかし成熟した家族に対しては一室空間を少し分化させ、家族のメンバーがそれぞれのテリトリーを持つことが望ましい。「箱の家版:個室群住居」とは、共有空間に開かれたアルコブのようなコーナーの集合をもつ「箱の家」である。これはライフスタイルの変化にも適応し易く、最終的には仲の良い友達が集住する集合住宅として生き延びていくことができるだろう。「箱の家022」(2000)、「箱の家067」(2003)、「箱の家087」(2003)はまだ完成した形ではないが、その試みである。
「箱の家」を実際の集合住宅へ展開していくことも大きな課題である。「箱の家045」(2002)は小規模な集合住宅だが、屋上緑化と外断熱のRC造とすることによってエネルギー消費を大幅に抑えることができた。今回紹介する「箱の家118」(2007)はNPO法人が運営するギャラリーと事務所を備えたグループホームの一種で新しいタイプの「箱の家」である。この種の都市型集合住宅は今後ますます増えていくだろう。「箱の集落」は都市住民の特定のライフスタイルを想定した賃貸集合住宅の計画案である。地盤条件や若者向けというライフスタイルに合わせて、高気密高断熱でありながら熱容量を最小限に抑えている。その理由は不確定な生活時間に対して温熱環境を素早く適応させるためである。住宅の環境性能は物理的な条件だけでなく、家族構成やライフスタイルといった社会的な条件と密接な関係を持っていることを忘れてはならない。

最後に、建築の4層構造にしたがって、エコハウスの条件を整理しておこう。
・第1層:物理性   :工業部品化の徹底、乾式構法とリサイクル・リユース、外断熱構法

  1. 第2層:エネルギー性:太陽熱利用、自然換気と通風制御、輻射冷暖房、熱容量制御、燃料電池
  2. 第3層:機能性   :箱の家版:個室群住居、職住近接住居、都市型集合住宅
  3. 第4層:記号性   :個別解の追求、環境への対応、街並との連続性、都市への開放性

エコハウスとは近未来のコンパクトシティを見据えた都市住宅である。ネオリベラリズムとグローバリゼイションが進行し、あらゆる事業が民営化されていく時代にあっては、商業建築と並んで都市住宅は、政治的にも経済的にも大きなテーマとなりつつある。現在ではもはや個人性と公共性、コマーシャリズムと公共性といった旧来の二項対立は成立しない。個人所有を原則とする日本の税制度はこれからも戸建て住宅の建設を促進し続けるだろう。したがって戸建て住宅も都市や街並を見据えて設計されねばならない。さらに大極的に見るなら、コンパクトシティの都心居住は、集合住宅を中心に展開すべきであることは明らかである。しかし昨今の超高層マンション建設ラッシュは、単に地価の高騰に引きずられた経済的現象に過ぎないように思える。僕たちはコンパクトシティの視点から超高層マンションのあり方を再検証すべきではないだろうか。ポストモダニズム論者たちは、現在では経済の中心は生産から消費へと移行した金融の時代であり、都市現象はすべて記号化・映像化されていると主張する。しかし古い何かが終わり、新しい何かが生まれるという発想は、そもそもモダニズムに端を発している。むしろ現在は、それまでの生産重視の発想の上に消費的・金融的発想が重ね合わされたのだと捉えるべきである。すなわちポストモダニズムはモダニズムの延長上にあり、モダニズムが昂進された状態だといってよい。「建築の4層構造」は昂進されたモダニズムに相応しい、重層した都市住居を捉えるためのマトリクスであることを最後に確認しておきたい。

 

 

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