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『10+1』連載 「現代住宅論」第3回 October 21 2006

アルミエコハウスの開発と実験 Development and Experiment of Alumi-Ecohouse

アルミエコハウスの開発・実験プロセス
伊東豊雄を座長として「住まいとアルミ研究会」が発足したのは1998年2月である。佐々木睦朗と難波和彦が参加を要請され、アルミニウム構造に造詣の深い構造家・飯嶋俊比古とアルミニウムのデザインを手掛けてきた内山協一を加えた小さな委員会がスタートした。会の目的はアルミニウム合金を構造に使った住宅のプロトタイプをデザインすることだった。
アルミニウム合金を建築構造に適用する技術については、それまでさまざまな研究が展開されていた。1960年代の高度経済成長期には幾つかのアルミ住宅の試みが展開されたが、1973年のオイルショック以降それまでの試みはすべて忘れ去られた。オイルショックと長引く不景気の後遺症でアルミニウム業界は新しい試みに対して消極的になっていた。そうした沈滞状況を打破するには、何よりも実際にアルミニウムの住宅を建てることが最良の方法だと研究会は判断した。実現できるかどうかはともかく、リアリティのあるシステムを構築することによって状況に働きかけることが何よりも重要だと考えた。こうして研究会はアルミニウム住宅のプロトタイプ開発に着手した。
研究会をバックアップしたのは(社)日本アルミニウム協会の下部組織であるアルミニウム建築構造協議会である。研究会が発足した当初は、実際にアルミ造の住宅を建てることができるかどうかは不確定だった。しかし議論するよりもまず実現可能なシステムを構築することによって実現に一歩近づくことが重要だという点で、メンバーの意志は一致していた。約半年間をかけてプロトタイプ住居のシステムが構築された。その結果をもとに研究計画を提出し、通産省の下部組織であるNEDO(新エネルギー・産業技術開発機構)の研究助成を受けることができた。建築基準法の性能規定化、建築廃材とリサイクルの問題、サスティナブルデザインの勃興といった時代の流れが後押ししたこともあった。こうしてアルミ住宅のプロジェクトがスタートし、1999年10月に「実験住宅アルミエコハウス」が完成した。完成後の約2年間は、居住実験に並行して、室内環境の測定、消費エネルギーの調査、心理調査などが実施された。居住実験が終了した後は、水蓄熱式床暖房の水を抜き熱容量を変化させることによって、温熱環境の変化を測定する実験が継続された。当初の計画では、実験が終了した後には解体移築が予定されていた。しかしさまざまな規制がありこれは実現しなかった。ようやく2006年度になって国の研究予算が付き解体実験が実施された。本来ならば解体実験だけでなく他の場所への移築実験までが実施されるはずだったが、解体実験だけに止まりアルミ部材のリユース実験を実施することはできなかった。
これからの建築においてはリノベーションやリサイクル・リユースが重要な課題になることは間違いない。そうした潮流に応えるには、解体・再構築を前提にして建築デザインを進めることが必要である。アルミエコハウスはそうした要求に応えるために、アルミニウムの可能性を生かした新しい構造・構法の実験としてだけでなく、解体・リユース・リサイクルが容易な建築の実験をめざして開発された。「エコハウス」という名称にはそのような意図が込められている。以下ではアルミ建築の歴史的背景を概観し、それを受けて開発されたアルミエコハウスのデザインプロセスと居住実験・解体実験について紹介したい。

近代建築の中のアルミニウム
アルミニウムは鉄に次いで地球上に大量に存在する物質である。アルミニウムは酸化アルミニウム(ボーキサイト)として存在している。アルミニウム原子と酸素原子の結合はきわめて強固である。アルミニウムといえば、表面を酸化させたアルマイト仕上がよく知られているが、アルマイト仕上げのアルミニウムが酸や塩分によって侵されにくいのは、酸化アルミニウムの皮膜がきわめて安定しているからである。このためアルミニウム原子と酸素原子を分解(還元)し、ヴァージン・メタルに精錬するには大量の電力を必要とするのである。アルミニウムが本格的に精錬されるようになるのは発電技術が急速に進展して19世紀後半になってからである。当時の電力は極めて高価だったためアルミニウムは貴金属と同等に扱われ、ひとびとはアルミニウムに神秘的なイメージを抱いた。たとえばSF作家ジュール・ヴェルヌが書いた『月世界旅行』では、月に打ち込む弾丸ロケットをアルミニウムでつくるというエピソードが出てくる。アルミニウムの物性を考えればあり得ないような話だが、当時はそれだけ先端的な技術の産物として受けとめられたのである。
アルミニウムの製錬技術が生まれた19世紀末は近代建築の萌芽期だった。アルミニウムが初めて本格的に建築に使用されたのはオットー・ワグナーが設計したウィーン郵便貯金局(1904-06)においてである。外壁の石張りを留めるボルト・キャップ、玄関庇と支柱、玄関ホールの階段手摺などにアルミニウムが大量に使用されている。もっとも注目すべき部分は建物中央の営業ホールである。この営業ホールは鉄骨とガラスによるアトリウム的な空間だが、鉄骨の支柱カバー、照明器具、空調吹出塔、時計、表示板など、至るところにアルミニウムが使われている。支柱にはアルミニウムは使われていないが、銀色に塗装されている点から見てもワグナーは建物全体をアルミニウムでつくりたかったことが推測できる。ドイツの建築史家ユリウス・ポーゼナーはこの営業ホールの空間に注目しながら近代建築の歴史に潜む一つの方向性について論じている。技術の進展がもたらす建築空間の軽量性、透明性、開放性である。ポーゼナーはそれを「非物質化 Dematerialization」と呼んだ。非物質化は近代建築を支えた新しい材料、すなわちコンクリート、鉄骨、ガラスが可能にした潮流である。
20世紀初頭に勃興するモダニズム建築運動は非物質化を巡って展開した。ワグナーにとってアルミニウムは非物質化をさらに先に推し進める建築材料であったに違いない。技術は最小限の資源によって最大限の機能を生み出す方向(More with Less)へと向かう。技術のそのような方向性をもっとも先進的に追求したのはバックミンスター・フラーである。フラーはそれを「エフェメラリゼーション(短命化)」と名づけた。そのような思想を持つフラーがアルミニウムに注目したのは必然的だった。非物質化とエフェメラリゼーションは明らかに連動した潮流である。ただしエフェメラリゼーションには空間の質だけでなく「多機能で高性能」という条件が含まれている。近代建築の非物質化とエフェメラリゼーションを推し進めた素材は、鉄、コンクリート、ガラスだといわれているが、アルミニウムは軽量性と高精度性において、その潮流をさらに推し進める材料であることは間違いない。
アルミニウムが建築材料として使われ始めてからすでに100年以上が経過した。近代建築運動が勃興したのは20世紀初頭だから、近代建築史とアルミニウム建築の歴史はほぼ重なり合っている。近代建築の大きな潮流が非物質化とエフェメラリゼーションに向かったとすれば、アルミニウムは常にその先端を走っていた。アルミニウムはスティール以上に軽量で加工精度が高く、技術の可能性を追求した建築家達は揃ってアルミニウムに注目したからである。にもかかわらずアルミニウム建築の歩みはまさに茨の道だった。
バックミンスター・フラーのダイマキシオンハウス(1929)はもっとも初期の試みのひとつである。この住宅は躯体や外装だけでなく設備機器にまでジュラルミンを使った本格的なアルミニウム建築である。しかしサニタリーユニットが試作されただけで建物全体は計画にとどまった。後にフラーはこのシステムを発展させ量産を前提としたダイマキシオン居住装置(ウィチタ・ハウス1945)を開発している。 この住宅においてフラーは戦時中の航空機産業の技術転換としての住宅産業を提案した。これは既存の住宅概念とはまったくかけ離れた革命的な工業化住宅だった。「ウィチタハウス」(この住宅を製作したビーチ・エアクラフト社の工場があったウィチタから命名された)のジュラルミン製の円屋根は組み立て用の仮支柱から吊り下げられた自転車の車輪のような張力構造の骨組の上に載せられ、頂点には気流で回転する換気装置が取り付けられている。この住宅は内装仕上すべてを含めても3500キログラム以下の重さしかなく、一戸分の部品セットは繰り返し使用できるステンレス製の輸送コンテナーに納められトラックやDC-4輸送機に積み込んで世界の至るところに運ぶことができる。一つ一つの部品はすべて5キログラム以下なので現場に到着した部品は6人のチームが1日で組み立てることができ、時間をかければトラックの運転手一人だけでも組み立てることができる。これほど革命的な住宅ではあったが開発は最終的に頓挫した。フラーはこの住宅の開発、生産、販売のために会社を設立し実際に37,000戸あまりの注文があったにもかかわらず、さらなる改良を主張し本格的な生産を承認しなかったからである。しかしながら現在においても技術革新と工業化を住宅産業に適用した点においてこの住宅を越えるような試みは出現していない。
フラーとは異なり近代建築のスタイルをそのままアルミニウムで造ろうとした試みもあった。アルバート・フライのアルミネア・ハウス(1931)である。フライはル・コルビュジエの弟子でアメリカの先進的な工業技術に憧れて移住した建築家である。彼は当時アーキテクチュラル・レコード誌の編集長だったローレンス・コッカーの協力を得てアメリカならではの新しい構法や工業製品を大々的に用いたアルミニウム製モデル住宅を開発した。これはル・コルビュジエが唱えたドミノシステムと「近代建築の5原則」をアルミニウム構造によって実現した住宅で1932年の「インターナショナル・スタイル」展にもとり上げられている。表現と構法に大きな食い違いがあるル・コルビュジエの建築とは異なりこの住宅では両者が統合されている。しかし当時のアルミニウム技術は未熟だったためアルミニウムが用いられたのは柱と外装だけで他の構造体はスティールだった。
フランスのジャン・プルーヴェの試みも忘れることはできない。他のデザイナーと比べてプルーヴェの活動が特異なのは自分のデザインを実現する工場を持っていた点である。プルーヴェは自分の工場を使ってさまざまな工業化住宅を実現した。アルミニウムを使った量産住宅の試みを行っているが、アルミニウムの使い方は外壁や屋根などのシェルター(外皮)が中心である。プルーヴェの才能がもっとも開花したのはアルミニウム製のカーテンウォールのデザインにおいてである。プルーヴェは軽量構造の可能性を追求することを通じて建築の工業化への道を開いた。1980年代のハイテク建築勃興の引き金となったポンピドーセンター(設計:レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース 1972-77)はプルーヴェが国際コンペ審査委員長として当選させた建築であることは記憶されてよい。
日本では池辺陽が1960年代にアルミニウムを使った幾つかの住宅(住宅No.66など)を試みている。その使い方は基本的にプルーヴェと同じようにシェルターが中心だった。池辺は日本最初のロケット打上場のデザインを手掛ける中で航空機産業と出会いアルミニウム・パネルの製造技術を建築に適用しようと試みた。これ以外にも日本のアルミニウム業界は高度経済成長期の1960年代にさまざまなアルミ建築の試みを展開している。
このようなアルミニウム建築の試みを振り返るとひとつの共通点があることに気付く。アルミニウム建築に取り組んだ建築家達はそれぞれ特異な才能を持ってはいるが、おしなべて近代建築史の傍流を歩んでいることである。この事実は近代建築史におけるアルミニウムという材料の位置を象徴的に示している。彼らの一連の試みが成功しなかったのはなぜだろうか。その理由は当時のアルミニウム技術が建築の複雑で高度な機能を満足できるレベルに達していなかったためだと考えられる。コスト面でも性能面でもアルミニウムはまだ未成熟な技術だったのである。

現代建築への展開
日本においてアルミニウムが一般化するのはアルミサッシとしてである。1960年代の高度成長期に、アルミサッシは爆発的に普及し住宅地の風景を一変させた。アルミニウム業界は1960年代後半から1970年代にかけてさらに販路を拡大することをめざしてサッシやカーテンウォール以外の部品や構法の開発に取り組むようになる。構造骨組にアルミニウムを使う試みが展開されるのはこの頃からである。そのひとつの試みが沖縄海洋博覧会(1975)において建設されたアルミニウムのパヴィリオン(設計:小川三郎+飯嶋俊比古)である。この建築のために十字形断面のアルミニウム押出材を柱としたクロスタッド・システムが開発された。しかし当時の多くの試みは現在ではほとんど忘れ去られている。その空白期をつくり出したのは1973年と1979年の二度にわたってわが国を襲ったオイルショックである。オイルショックによる石油価格の急騰によって電力価格が高騰し大量の電力消費によって成立していたアルミニウム産業は大きな打撃を受けた。その結果それまでの様々な技術開発の試みはことごとく放棄された。
1980年代になるとポンピドーセンター(1977)を嚆矢とするハイテック建築が勃興しアルミニウム建築は少しずつ復活してくる。ノーマン・フォスターが設計したセンズベリー視覚芸術センター(1978)は、主構造は鉄骨だが外装には全面的にアルミニウムの断熱サンドイッチパネルが使われている。屋根、壁、開口はすべて同一サイズのパネルで統一されジョイント(樋)にはネオプレンゴム製のネット上のガスケットネットに留め付けられている。フォスターはフラーの弟子であり、この建築の軽量性と高性能性はバックミンスター・フラーのエフェメラリゼーションの思想をそのまま適用したものだといってよい。レンゾ・ピアノのIBM移動展示場(1980)は小規模だが未来を感じさせる建築である。解体と組立の繰り返しを可能にするため軽量性と精度が追求され、アルミニウム、ポリカーボネイト、集成材の部品によって組み立てられている。近代建築を支えた鉄・ガラス・コンクリートが使われていない点は注目されてよい。リチャード・ホールデンの設計したヨットハウス(1985)も興味深い。これはヨットのマスト技術を応用したアルミニウム構造の住宅である。アルミニウムの軽さを最大限に生かしたシステムで、セルフビルドによって建設されたことは、アルミニウム建築の新しい可能性を示している。 フューチャー・システムズ設計のローズ・クリケット場メディアセンター(1994)はアルミニウムの加工性を最大限に引き出した建築である。その近未来的なデザインは航空機や車両での溶接技術を用いて実現された。 シームレスなデザインもアルミニウム建築の新しい可能性を示している。

アルミエコハウスのプログラム
このようにアルミニウム建築は近現代建築に徐々に浸透してきたがいまだに一般的とはいえない。21世紀に入った現在、再びアルミニウム建築が脚光を浴び始めている。その理由はアルミニウムのリサイクル性が注目されるようになったからである。アルミニウムをリサイクルするには大きなエネルギーを必要としない。循環型の社会にとって既に市場に出回っている大量のアルミニウムは重要な建築材料のひとつになりうる。アルミニウムの魅力は軽量性、加工性と高精度、安定した酸化皮膜による防錆性と耐久性、酸化皮膜(アルマイト)の軟らかなテクスチャー、リサイクルの容易さなどにある。しかし視点を変えればそれは欠点にもなる属性である。たとえば加工性が高いのは融点が低く強度が弱いためである。アルミサッシが嫌われるのはあまりにも安定した酸化皮膜が表面の風化を寄せ付けず、時間を感じさせないためである。あるいはアルマイトのマットなシルバー色と均質なテクスチャーは機械的で冷たい印象を与える。リサイクルは容易でもヴァージン・アルミニウムの精錬には大きなエネルギーが必要である。さらに熱伝導率の高さ、ヤング率の高さといった特性は使い方によって長所にも短所にもなりうる。スティールに比べてアルミニウムは「思考に近い」フィクショナルな材料である。すなわち近代的思考、合理的で分析的な思考にふさわしい材料である。非物質化とエフェメラリゼーションが建築における近代的思考を押し進めることによってもたらされることを考えれば、それは当然のことだろう。しかし同時にアルミニウムが近代的な思考ではとらえきれない過剰性・他者性を持っている。たとえばアルミニウム合金は混入する他の金属の種類によってきわめて多様な特性を示す。それらを組み合わせてつくられた建築部品や構成材ともなれば予測を越えた性質がつくり出されるだろう。強度と重量の問題、熱の問題については言うまでもないが、湿度や音などの条件についても多くの検討すべき問題がある。これらの問題すべてを前もって精確に予測することは不可能である。それらは明確な仮説にもとづいて建築システムを構築し、それを建築空間として実際に建設し、さらに時間をかけて実験・検証することによって初めて明らかにすることができる。

アルミエコハウスの計画はそのようなアルミニウムの可能性を住宅においていかに生かすかという目的で開始された。研究会が最初におこなった作業はアルミニウム住居の総合的なプログラムを作成することである。アルミニウムの技術を単に応用しただけの住居をつくっても技術的には興味深いかもしれないが社会的な認知を得ることは難しい。アルミニウムを手がかりにして新しい生活像や空間を提案すること、すなわちアルミニウムの技術的可能性と近未来の住居が備えるべき条件を結びつけることによってアルミニウム合金を構造体とする近未来住居のプロトタイプをつくることが研究会の最終的な目標だった。約2ヶ月間をかけて議論した結果、アルミエコハウスのプログラムは以下のようにまとめられた。ちなみに連載第2回で紹介した「建築の4層構造」はこのプログラムの作成と並行して構築された。
1)アルミニウム合金の特性を生かした住居であること(第1層)
実験住宅アルミエコハウスでは、住まいを構成する建築要素を可能な限り部品化工場生産化し現場作業は最小限の組立作業に限定する。アルミニウムの加工性、軽量性、高精度を生かしながら単純な作業で組立可能な構法を考案し工期を大幅に短縮する。これによって在来木造と同程度の技術で建設できるようなシステムとする。構造は耐震要素(偏心ブレースや耐震壁)を組み込んだ軸組構造とし構造部材はアルミニウムの加工性を生かした押出形材を開発する。外壁、開口部、屋根は断熱性能の高いパネルとし外側から構造体を包み込むように取り付けヒートブリッジを防ぐ。アルミニウムの全面的な使用は住居のリサイクル性を高め環境負荷を抑えることも期待される。アルミニウムはリサイクル資源としてはきわめて効率的な材料だからである。したがって解体とリユースが可能な乾式構法による組立方法を実現することも重要な目標である。
2)エネルギー効率のよい住居であること(第2層)
これからの都市住居は消費エネルギーを最小限に抑えるだけでなく自然エネルギーを最大限に利用することが必要である。アルミエコハウスでは、断熱・気密性能を今まで以上に向上させるとともに日本の伝統的な軒下空間を現代的にデザインした屋外室や、太陽電池システムを組み込んだダブルスキン(二重皮膜)の屋根やルーバーによって日射や通風を制御し冬期のダイレクトゲインを最大限に利用する平面や構法を提案する。さらに水の蓄熱性と自然対流を利用した床暖房システムを試みる。これは住居全体の熱容量を高め、室内気候を安定化させるだけでなくアルミニウムの熱伝導率の高さと相まってアルミニウム部材への結露を防ぎ、構造体の防火性を高めることが期待される。エネルギー源については太陽電池の効率的な運用、水蓄熱床暖房との組み合わせといった条件を考慮して電力を中心としたシステムを構築する。
3)新しい家族像にふさわしい住居であること(第3層)
近未来の家族は家族のメンバー相互の関係は緩やかになりメンバーそれぞれの自立性が強まるようになるだろう。同時にそれを補完する家族相互の暗黙のコミュニケーションが求められるようになると予想される。アルミエコハウスではこうした緩やかな家族関係にふさわしい住空間として最小限の間仕切によって仕切られた「場」のような空間を提案する。それは家族のメンバーが緩やかに囲まれた各人のコーナーを持ちプライバシーを守りながら互いの気配が感じられるような一室空間的な住居となるだろう。間仕切は家族構成の変化に応じて簡単に移動することができるようにしつらえられる。
4)都市と社会に開かれた住居であること(第3層と第4層) 
家族のメンバー相互の関係が緩やかになることに並行して家族と社会の関係も緩やかに開かれたものになるだろう。これに対応してプライバシーを守りながら都市に対して開かれた住空間になるだろう。そのための媒介空間としてアルミエコハウスでは屋外室を積極的に活用する。屋外室は住空間の一部として屋外生活を楽しむ空間であるとともに、住まいを柔らかく外に開くための緩衝空間である。これによって密集地域においても開かれた住まいが可能となるだろう。さらに屋外室のような媒介空間を住居の一部に取り込むことによって一戸建て住居としてはもちろんだが連続住居への展開や屋外室付きの立体的な集合住宅への展開も可能になるだろう。
5)新しいイメージの住居であること(第4層)
アルミニウムは金属でありながら木材のような軟らかさを備えている。実験住宅アルミエコハウスではそのようなアルミニウムの現代的なテクスチャーを最大限に生かしながら伝統的な住居イメージを脱却した軽快で透明な空間をめざす。アルミニウムの柔らかな外装、単純な形態、ダブルスキンと屋外室といったデザインボキャブラリーは住居デザインに新しい近未来的なイメージをもたらすだろう。
アルミエコハウスの出発点と到達点はすべてこのプログラムにある。プログラムはプロジェクトが具体化するにしたがって少しずつ洗練されていったが、基本的な考え方は最後まで変わっていない。このプログラムは僕がそれまで展開してきた「箱の家」のプログラムを原型としてそこにアルミニウムの可能性を組み込んだものである。1995年にスタートした「箱の家シリーズ」は2007年現在で120戸を越えている。「箱の家」とは、外観が箱形で内部は一室空間に近く外部に開かれ構造・構法・材料・設備が標準化されたローコスト高性能住居である。「箱の家」は構造の種類別に在来木造、鉄骨造、集成材造の三つのシリーズが展開されている。各シリーズは敷地条件、要求条件、予算に応じて使い分けられているが住居としての基本的な考え方は同じである。その意味で上記のプログラムは「箱の家」のアルミニウム造シリーズのプログラムだといってよい。アルミの家が箱形となった第一の理由はそこにある。それにしても箱形のデザインはアルミニウムの可能性を十分にいかしているのだろうか。航空機、自動車、鉄道車輌のようにアルミニウムには曲面的なデザインの方がふさわしいのではないか。たとえばアルミニウムを使った先駆的な住居であるB.フラーのダイマキシオンハウス(1931)は円形平面で屋根も曲面である。たしかにアルミニウムの柔らかさや加工性を最大限にいかそうとすれば曲面デザインは十分にあり得るだろう。しかし曲面デザインは周囲の環境から切り離された自己完結的な形態をうみ出しやすい。それは自動車・航空機・鉄道車輌のデザインを見ればよく分かる。一方、建築は周囲から切り離されて単独に存在するオブジェ(物体)ではない。建築は外部空間をつくり集合して街並や都市を形成する。つまり建築は都市空間を埋め尽くそうとする方向性を持っている。ダイマキシオンハウスにはそのような方向性はない。それは周囲から自立したオブジェ(物体)でありモビールホームに近い。自動車・航空機・鉄道車輌といった工業製品と建築は、都市空間の中でそれぞれ「動く部分、変わる部分」と「動かない部分、変わらない部分」を形成している。現代では両者の区別は付けにくくなっているが、両者においては人間と空間との関係のあり方が基本的に異なっている。インダストリアルデザインと建築デザインとの違いはそこにある。そして箱形はもっとも建築的な形態である。アルミニウム加工の代表的な技術である押出成形を使えば箱形デザインにふさわしい精確で複雑な構造部材をつくることができる。これが箱形を選んだ第二の理由である。

実施設計の展開
最初に検討したテーマは構造システムと機能システムとの関係である。プロトタイプ住居はどのような敷地にも対応できるシステムを持たねばならない。構造体やシェルターの構法を標準化しながら、同時に平面計画のフレキシビリティを確保するには軸組構造(フレームシステム)がもっとも合理的である。部材の再利用やリサイクルも重要な条件だが、そのためにも解体が容易な軸組構造がふさわしいことは明らかである。「箱の家シリーズ」も木造、鉄骨造、集成材造のすべてが軸組構造である。近代建築史の中でもさまざまなプロトタイプ住居が提案されたが、その多くが軸組構造を採用している。軸組構造は必然的に箱形のデザインに帰着する。これが箱形を採用した第三の理由である。
次に考えなければならないのは構造寸法と機能寸法との関係すなわちモデュールの問題である。モデュールとは本来、構造スパンや部品寸法を調整する寸法系列(ルールを持った数列)のことである。モデュールを設定する理由はオープン化された多様な工業部品のサイズを相互に調整しひとつの建築空間にまとめ上げることにある。グリッドプランもその一種だがそれだけがモデュールではない。比例を重視したル・コルビュジエのモデュロールのような数列もある。モデュールの問題は単なる寸法の問題に限らないもっと深い建築観の相違に関係しているように思われる。それは空間において同一性を指向するか差異性を指向するかの違いに根ざしている。モデュールを決めるとプランニングの自由度を阻害する可能性があるので特定の寸法にこだわるべきではないという通説がある。しかしそれは間違った考え方である。モデュールを決めることは逆に平面計画をより自由にする。システムを持ったモデュールは建築家の制御を越えて自動的に展開する力を持っているからである。
室内にまったく構造体が存在しなければもっともフレキシブルな平面計画が可能だが、軸組構造のスパンにも合理的な限界がある。逆に合理的なスパンであっても平面計画のフレキシビリティが阻害されたのでは意味がない。構造の種類別に合理的なスパンが存在するはずである。「箱の家」シリーズでは木造が1.8×3.6m、鉄骨造が3.6×5.4m、集成材造が1.8×5.4mというモデュールが設定されている。これは構造の種類毎に住空間にふさわしい部材サイズを設定し(最大15×30(17))、その組み合わせによって可能な合理的スパンと平面計画の基準寸法(3.6m)とを調整して得られたものである。もちろんこのモデュールを実際の建物に適用する場合は敷地に合わせて調整が行われる。同じような検討をアルミニウム軸組構造に関しても行った結果3.6×3.6mのモデュールがふさわしいことが明らかになった。正方形グリッドとしたのは方向性がない方が標準構造部材の種類を少なくできるからである。
次のステップはモデュールにもとづいてプランバリエーションを展開させることである。敷地については「箱の家」のデータから都市近郊の一戸建住宅の平均的な敷地面積を25〜40坪(80〜1302)建ぺい率を60〜80%と想定し建築面積16〜24坪を規模の目安とした。敷地形状は正方形、南北に長い長方形、東西に長い長方形の三つのタイプを想定した。家族構成は夫婦と子供1人の3人家族から夫婦と子供2人に老人1人が同居する5人家族までを想定し、駐車場は住居には組み込まないことにした。さらに独立住宅としてだけでなく集合化が可能であることも条件に加えた。こうして得られたプランバリエーションについて自然エネルギーをいかに有効利用するかといった視点から太陽電池やOMソーラーシステムなどの組み込みも検討した。こうしたスタディの中から浮かび上がってきたのが中庭タイプのプランである。当初のプログラムにもあるように、すべてのプランバリエーションには屋外室が組み込まれている。屋外室は箱の家の軒下空間の展開形であり直射日光や自然通風をコントロールしプライバシーを制御する媒介空間である。屋外室は約8畳の広さを持ち、住居の一部に組み込まれた部屋のような空間で屋外の生活を楽しむ場所である。屋外室のアイデアはル・コルビュジエの初期の集合住宅計画である「イムーブル・ヴィラ」に起源がある。中庭タイプはこの屋外室を完全に住居内部に取り込んだプランである。屋外室の周囲に耐震要素である偏心ブレースを組み込んでいることからオープンコア・タイプと名づけられた。
プロトタイプ住居をオープンコア・タイプでまとめることが決定され、つづいて構造部材をはじめとする構成材のデザインに着手した。外壁、屋根、床には厚さの異なるアルミニウム断熱パネルを使うこととし熱容量を確保するために1階床下に水蓄熱式床暖房(アクアレイヤー・システム)を組み込むことが提案された。

居住実験と解体実験
アルミエコハウスは1999年9月末に完成した。完成直後から実際に人が住み決められた生活メニューを行う生活シミュレーションに並行して室内環境の測定と居住実験が実施された。宿泊した人たちのアンケート調査によれば居住環境は概ね良好だった。とくに断熱性と気密性の高さによる効果は大きく居間に取り付けた5kwヒートポンプエアコン1台によって1階全体を暖めることができることが分かった。屋外室の居住環境も良好で中間期にはサッシを開け放つことによって一室的に使うことができることが好評だった。遮音性については当初予想されたことだが、やや問題を残すことになった。アルミサンドイッチパネルの遮音性がきわめて低いため室内側にフレキシブルボード8(16)厚を張ったが十分な遮音性を確保することは難しかった。2階床に組み込んだ貯水式床暖房が居住環境に及ぼす効果の評価は中間期の10月から冬初期の12月の間はアクアセルに注水せず建物の熱容量が極めて小さい状態で主にアンケート調査を中心に居住環境の評価を行った。1月の厳冬期になってからアクアセルに注水しヒーターの発熱時間と水温を所定のプログラムにしたがって変化させながら居住実験を実施し室内外の約130個所において温度、湿度、輻射、風速などについて経時的な環境測定を行った。居住実験は2年間継続され熱的な性能は問題なく解決できることが証明された。残された問題は遮音性とコストであることが判明した。
居住実験で得られた結果は「箱の家83:普及版アルミエコハウス」に全面的にフィードバックされている。2002年5月に建築基準法が改正されアルミニウム合金が建築構造材料として正式に認定された。さらに2004年5月に国土交通省からアルミニウム合金構造に関する通達が出されアルミニウム構造を一般的な確認申請手続によって審査することが可能になった。これによってそれまでは大臣認定(いわゆる「38条認定」)を受けなければ実現できなかったアルミニウム建築が一般化する道が開かれた。「箱の家83」は通常の確認申請手続きによって実現した日本で最初の住宅である。この建築ではジョイント金物を亜鉛メッキしたスティール製に変え外壁に合板の断熱パネルを用いることによって鉄骨造住宅程度にまでコストを下げ遮音性能を確保している。

完成してから7年後の2006年9月には解体実験が実施された。アルミエコハウスは解体とリユース・リサイクルを見込んで設計されていた。当初の計画ではすべての実験が終了した後には解体移築が予定され実際に何人かのクライアントから譲り受けを希望する申し出があった。しかし国(NEDO)の補助を受けて実施された研究だったため民間への払い下げは許可されずしばらくの期間放置されていた。2004年になって解体実験の実施を条件に東京大学に譲渡されたが東京大学側では最終的な移築場所と移築費用が決まらず再び2年間のブランクが生じた。2006年度になってようやく国の予算が付き解体実験が実施されることになった。本来ならば解体実験だけでなく他の場所への移築実験までが実施されるはずだったが残念ながら今回は解体だけに止まりアルミ部材のリユース実験を実施することはできなかった。このように解体実験に至るまでには紆余曲折の経緯があった。通常、建物の新築に関する研究についてはほとんど問題が生じないが解体やリユース・リサイクルに関する研究については国の制度だけでなく民間の研究体制も十分に整備されていないのが現状である。今回の解体はおそらく日本で初めての本格的な解体実験であろう。先にも述べたようにアルミエコハウスでは家具や設備から構造部材にいたるまですべての建築材料が工業部品化されボルトやネジを使った乾式構法によって組み立てられている。一部、外壁断熱パネルや屋根断熱パネルにシール材を用いた個所では解体作業が難航しパネルを傷つけて再利用が難しくなった。乾式構法の徹底はリサイクル・リユースに不可欠の条件であることがあらためて実証された。解体作業は建設手順をそのまま逆に辿る形で進められた。解体された部品は部位毎に分類され建物脇の空き地に並べられた。現在の建設業界にはこのような解体作業を専門とする業者は存在しない。通常の解体業者はせいぜい分別ゴミへの仕分けができる程度で部品のリユースを目的とした精細な手順の解体作業を依頼するのは無理である。本来ならば建設した業者が解体を担当するのがもっとも効率的なのだが現代の建設業界では建設業者と解体業者の仕事の範囲は明確に区分されている。このような棲み分けは当然コストとも関係があるだろう。リサイクルやリユースを普及させるにはこのような業界の再編成も必要である。今回の実験では解体作業は仮設の現場小屋の業者に依頼した。仮設現場小屋はリユースを前提に建設されるからである。
解体作業に立ち会って分かったことは建築部品を無傷で解体するには単に構法を乾式にするだけでなく建設手順を正確に逆に辿ることの重要性だった。最後に組み立てた部品から解体を始めないと何割かの部品が使い物にならなくなる。そのためには建物の建設手順の記録(履歴書)が必要欠である。建物の履歴書は解体移築に限らずリノベーション(改築)やコンバージョン(用途変更)でも必要不可欠の資料であることがあらためて確認された。

アルミ建築の可能性
構造体をアルミニウムでつくりながらヒートブリッジをなくし室内の熱的性能を確保すること。接着剤やシールを使用せずすべての部品を乾式構法によって組み立てリサイクル・リユースに備えること。竣工図面だけでなく建設プロセスを含む建物の精細な履歴書を残すこと。これが今後のアルミニウム建築に要求される課題である。これを解決するには二つの対照的な方法がある。ひとつは構造体を外部に露出させ室内を断熱材でくるむ方法である。この場合は構造体を面材で構成しシェルターと兼用することが可能になる。これは航空機、自動車、列車などに使われているモノコック方式の考え方である。しかしこの方式には重大な問題がある。外壁にアルミニウムの構造体が露出するためヒートブリッジができやすい点である。自動車や鉄道車輌では構造体から熱的に切り離された内装が行われているがヒートブリッジを完全に防ぐことは難しい。したがって閉じた部屋では十分な空調が不可欠となる。自動車や鉄道車輌では1人当たりの気積が小さいのでそれほど大きな問題とはならないが(室内の温度分布には問題が生じるが)大きな気積を持つ建築で同じような室内環境を保とうとすると空調に大きなエネルギーが必要となる。熱的性能を確保することを優先すれば建築にモノコック方式を使うには多くの解決すべき問題が残されている。一方ヒートブリッジを防ぐ最も有効な方法は構造体を断熱材によって包み込んでしまうことである。これは今まで高層ビルで使われてきたカーテンウォール方式と同じでありモノコック方式に比べると新奇性に欠ける嫌いがある。この方式をとるには構造体とシェルターを完全に分離する必要がある。この方式を徹底していけば構成材は機能毎にすべて部品化されそれぞれが独自の表現を持つことになる。
このようにアルミニウム技術の特性を利用するか熱的性能を優先するかによってふたつの対照的な構法がありうる。研究会ではどちらの方式を採用するかについて最終的な結論は出なかった。現段階でふたつの方式のどちらがよいかという判断を下すことは難しい。建設プロセスにおいても両者それぞれにさまざまな技術的問題が発見された。前者は近代建築で一般的に用いられてきた方法であり後者は近来の工業デザインで用いられている方法である。前者はモダンな方法、後者はポストモダンな方法といってもよい。それぞれに一長一短がありどちらが有利かは一概に判断できない。前者はすでに多くの実例があり熱的性能の予測が比較的容易だが新規なシステムではない。後者には技術的に解決しなければならない多くの問題が潜んでいるがこれまでの建築とは異なる新しい空間が実現できる可能性がある。現在アルミニウム建築はこうした対照的な二つの方法にもとづいて二つの方向に分岐し並行して進められている。
アルミニウム建築を実現するには熱の問題以外にも解決すべき様々な課題がある。先にも述べたがアルミニウムは軽くて堅い材料であるために遮音性能が悪い。とくに外壁のサンドイッチパネルは低音に対する遮音性が極度に低いため室内側に吸音材と比較的重量のある仕上パネルを張る予定である。さらに建物重量が極度に軽く(40(20)/2以下である)アルミニウムのヤング係数が大きいため、強度の問題はないにしても揺れの問題が生じる可能性がある。アルミニウムは鉄よりも柔らかいため建物全体の固有振動数が小さくなり歩道橋を渡るときのような揺れを生じるのではないかという恐れである。アルミニウムはリサイクルが容易な材料だがリサイクル・アルミニウムだけですべての建材をつくることができるわけではない。アルミニウムの使用量が増えればヴァージン・アルミニウムが必要とされる。ボーキサイトからヴァージン・アルミニウムを精錬する際には莫大な電力を消費する。一方リサイクルに必要なエネルギーはヴァージン・アルミニウムの精錬に必要なエネルギーの約3%にすぎない。したがってリサイクル・アルミニウムの比率を増やしヴァージン・アルミニウムを最小限に抑えていくことは今後の大きな課題だといってよい。

 

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