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July 9, 2006

『モダニズム建築:その多様な冒険と想像』書評  「住宅建築」誌 2006 年 8 月号所収 難波和彦

 

有機的モダニズムの再発見

 

ペヴスナー、ギーディオンを初めとして近代建築史に関する著作は数多いが、本書は通常の近代建築史書とは一味違っている。近代建築史をひとつの流れとしてではなく、多様で矛盾を孕んだ運動の錯綜体としてとらえようとしている。そこに単一の近代建築史観を読み取ろうとしても無駄である。むしろそのような単一の近代建築史観に対する批判として書かれているからだ。

モダニズム建築運動が勃発したのは 1920 年代だが、その後の展開の中でモダニズムはミース、グロピウス、ル・コルビュジエを中心とする「普遍性追求派」へと収斂していったというのが近代建築史の通説になっている。社会主義的思想とインターナショナル・スタイルがそれである。モダニズムを肯定するにせよ否定するにせよ、この視点は歴史的に確立しているといってよい。これに対し、著者のピーター・ブランデル・ジョーンズは、モダニズムには普遍性追求派だけでなく、へーリング、シャローン、アールトらの「特殊性追求派」が大きな可能性として潜在していたと主張する。前者を普遍的モダニズム、後者を有機的モダニズムと呼ぶことができるだろう。ブランデル - ジョーンズの目論見は近代建築の可能性を普遍的モダニズムに還元するのではなく、有機的モダニズムの可能性を再評価し、近代建築史を両者の対立的な運動としてとらえ直すことにある。

 

とはいえ特殊性を追求する有機的モダニズムは、普遍的モダニズムと同じレベルで対立しているのではない。普遍的モダニズムはインターナショナルな思想やスタイルを追求し、それが世界中に浸透して一枚岩的なモダニズム観をうみ出した。これに対して有機的モダニズムは、そのような単一の思想やスタイルを追求すること自体を否定し、個々の建築の特殊性を追求しようとした。そもそも有機的モダニズムはイズムとしての一体性を欠いていた。有機的モダニズムを単一の潮流としてとらえることはできない。したがって有機的モダニズムの歴史記述には、通常のような物語的方法は相応しくない。本書でブランデル - ジョーンズがとった記述法は、思想やスタイルの展開の中に建築を位置づけるのではなく、建築を個別的な事例として詳細に追求するケーススタディである。

 

本書では、今世紀初頭から 1960 年代にかけて建てられた代表的な建築家の 16 作品を取りあげ、詳細な検討が加えられている。最初に取りあげられているのは 1927 年に建設されたシュツットガルトのワーゼンホーフ・ジードルンクである。現在ではこの建築群は普遍的モダニズムの宣言的建築として位置づけられているが、著者はハンス・シャローンの住宅のようにその潮流に回収されないような建築が存在していたことに注意を喚起している。この建築群のとらえ方に著者のスタンスの縮図が現れているといってよい。僕は本書を読んだ直後にワイゼンホーフ・ジードルンクを訪れる機会があった。幾つかの住宅は建て替えられていたが、ミース、ル・コルビュジエ、ハンス・シャローン、アウトらの建物は改修され現在でも健在である。 80 年を経過した現在では、かつての突出した雰囲気ではなく、周囲には同じようなスタイルの住宅が建設され周辺環境に馴染んでいた。

 

有機的モダニズムの再評価という立場をとる以上当然のことだが、著者はグロピウス、ミース、ル・コルビュジエといった普遍的モダニズム派の本流に対してはやや批判的である。とりわけグロピウスに対しては容赦がない。デッサウのバウハウス校舎( 1927 )についてはかなり手厳しい批判が展開されている。ル・コルビュジエのサヴォワ邸( 1929 )に関しては建築が言説を越えていると評価している。ヤン・ダウカー、ジェゼッペ・テラーニ、ピエール・ルイジ・ネルヴィのように普遍的モダニズム派に近い存在でありながら傍流に位置づけられている建築家に対しては、有機的モダニズムの立場から再解釈がなされている。ダウカーのゾンストラール・サナトリウム( 1926 )の透明性、ネルヴィの飛行船格納庫( 1935-1939 )の合理的建設法、テラーニのカサ・デル・ファッショ( 1932-1936 )の都市的なコンテクストといった視点である。

 

本書のもっとも興味深い点は、やはり有機的モダニズムの建築家の作品紹介にある。最初に注目すべき建築家はフーゴー・へーリングである。彼のガルカウ農場( 1922-1925 )は日本にはほとんど紹介されていない。本書を通してへーリングの主張する有機的機能主義の奥深さを改めて思い知らされた。へーリングは現代においてもっとも再評価が望まれる建築家のひとりだといってよい。

ブルーノ・タウトのツェーレンドルフ集合住宅( 1926 )やエリック・メンデルゾーンのショッケン百貨店( 1927 )についても、本書で初めて知る人も多いのではないだろうか。僕にとってはショッケン百貨店が鉄骨造であったことも発見だった。

アールトは著名な建築家だが、彼の初期作品ヴィープリの図書館( 1927-1935 )は意外と知られていない。時間をかけて練り上げられたこの建築の動線処理やディテールは絶妙である。著者も指摘するように、この建築にはその後のアールトの建築的ボキャブラリーがすべて盛り込まれているといっても過言ではない。

アスプルンドのイェーテボリ裁判所増築( 1913-1937 )は本書の中でもっとも興味深い建築のひとつである。この建築は新古典主義の建物への増築だが、コンペから実現までに 24 年を要し、その間プログラムもアスプルンドのデザイン・ボキャブラリーも徐々に変化している。近代建築においても時間のデザインが可能だという模範例であり、有機的モダニズムの大きな可能性を示している。

ライトのユーソニアン・ハウス( 1939 )は有機的建築の考え方を適用したプレーリー住宅のシリーズである。ライフスタイル、空間構成、構造と構法、床暖房設備が総合的に標準化され。しかもさまざまなヴァリエーションを展開している。

ハンス・シャローンの国立劇場計画案( 1953 )は本書で唯一の計画案だが、著者の長年の研究成果が余すところなく披瀝されている。この計画案でシャローンは直角に基づく透視的空間に対抗して直角を排した非透視的空間を徹底的に追求し、劇場空間においても左右対称を排して舞台と客席が一体となった有機的劇場を提案している。その成果がベルリン・フィルハーモニー( 1963 )に実現されていることは言うまでもない。シャローンにとって多焦点空間はアンチ・ファシズムという政治的主張を含意していたという指摘は瞠目に値する。

ミースの新国立美術館( 1968 )については著者は容赦ない評価を下している。しかしこれまで繰り返されてきた批判を反復するだけで何ら新しい視点はない。私見ではこの建築に関して歴史や敷地のコンテクストと無関係であることを批判しても的外れでしかない。ミースはさまざまな場所に同じような建築を提案したが、実現したのはベルリンのこの場所だけであり、そのことによってこの場所に唯一無二の歴史的コンテクストを「創出」しているからである。ル・コルビュジエも言ったように「伝統は革新から生まれる」。誰も同じような建築をどこかに作ろうとは考えないし、もし作ったとしてもイミテーションになるだけだろう。

ジーグルド・レヴェンツの聖ペテロ教会( 1963-66 )については、僕はまったく知らなかった。これはミースの建築の対極にある建築である。この建築は写真で見たのではほとんど分からない。著者の文章を読んで想像するしかない。本書を読んで機会があればぜひ観てみたいと思った。

最後はルイス・カーンのキンベル美術館( 1966-1972 )である。この建築についてはさんざん調べたことがあるので大きな発見はない。しかしポーチ前の池が空調の冷却水であることは発見だった。

著者は個別的な建築の検討を通してモダニズム建築運動に潜む2つの潮流を明らかにした。対立する両者はモダニズムの時代を併走し、 20 世紀後半は前者が支配的だったが、 21 世紀は後者が支配的になるのではないか。建築が特定の時代、特定の場所に建てられる存在である以上、有機的モダニズムこそが建築の本来の可能性を提示しているのではないか。それが本書の隠された主張である。しかし冒頭にも述べたように、両者は対立というよりも相補的な関係にある。アスプルンドやレヴェンツの建築こそが、それを証明しているように思える。

 

 

 

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