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アルミニウム建築の可能性 『アルミニウムの空間』新建築社2006年 巻頭論文
難波和彦
2002年5月に建築基準法が改正され、アルミニウム合金が建築構造材料として正式に認定された。さらに2004年5月に国土交通省からアルミニウム合金構造に関する通達が出され、アルミニウム構造を一般的な確認申請手続によって審査することが可能になった。これによって、それまでは大臣認定(いわゆる「38条認定」)を受けなければ実現できなかったアルミニウム建築が一般化する道が開かれた。以来、今日までにいくつかのアルミニウム建築が実現されてきた。本書には、そのさまざまな試みが紹介されている。とはいえ現在はまだ実験的な段階であり、本格的な普及はこれからである。
今、アルミニウムが注目を浴びている最大の理由は、リサイクル性が優れている点にある。循環型社会においては、建築材料のリサイクルは必須の要件である。しかし他方で、ヴァージン・アルミニウムの精錬には大量の電気が必要である。サステイナブルな視点から見れば、アルミニウムは両義的な建築材料なのである。建築構造材料としてのアルミニウムの普及においては、この点を見極めることが最も重要だと思われる。
本論では、近代建築初期から現代建築までのアルミニウム建築の歩みを振り返りながら、アルミニウム建築が今後どのように展開する可能性があるかについて考えてみたい。
非物質化とエフェメラリゼーション
アルミニウムは鉄に次いで地球上に大量に存在する物質である。アルミニウムは酸化アルミニウム(ボーキサイト)として存在している。アルミニウム原子と酸素原子の結合はきわめて強固である。アルミニウムといえば、表面を酸化させたアルマイト仕上がよく知られているが、アルマイト仕上げのアルミニウムが酸や塩分によって侵されにくいのは、酸化アルミニウムの皮膜がきわめて安定しているからである。このためアルミニウム原子と酸素原子を分解(還元)し、ヴァージン・メタルに精錬するには大量の電力を必要とするのである。
アルミニウムが本格的に精錬されるようになるのは、発電技術が急速に進展して19世紀後半になってからである。当時の電力は極めて高価だったため、アルミニウムは貴金属と同等に扱われ、ひとびとはアルミニウムに神秘的なイメージを抱いていた。たとえばSF作家ジュール・ヴェルヌが書いた『月世界旅行』では、月に打ち込む弾丸ロケットをアルミニウムでつくるというエピソードが出てくる。実際のアルミニウムの物性を考えれば、あり得ないような話だが、当時はそれだけ先端的な技術の産物として受けとめられたのである。
アルミニウムの製錬技術が生まれた19世紀末は近代建築の萌芽期でもあった。アルミニウムが本格的に建築に使用されたのは、オットー・ワグナーが設計したウィーン郵便貯金局(1904?06)においてである。外壁の石張りを留めるボルト・キャップ、玄関庇と支柱、玄関ホールの階段手摺などにアルミニウムが大量に使用されている。もっとも注目すべき部分は建物中央の営業ホールである。この営業ホールは鉄骨とガラスによるアトリウム的な空間だが、鉄骨の支柱カバー、照明器具、空調吹出塔、時計、表示板など、至るところにアルミニウムが使われている。支柱にはアルミニウムは使われていないが、銀色に塗装されている点から見ても、ワグナーは建物全体をアルミニウムでつくりたかったのではないかと推測される。
ドイツの建築ジャーナリスト、ユリウス・ポーゼナーは、この営業ホールの空間に注目しながら、近代建築の歴史に潜む一つの方向性について論じている。それは技術の進展がもたらす建築空間の軽量性、透明性、開放性である。ポーゼナーはその方向性を「非物質化 Dematerialization」と呼んでいる。非物質化は近代建築を支えた新しい材料、すなわちコンクリート、鉄骨、ガラスが可能にした潮流である。20世紀初頭に勃興するモダニズム建築運動は、この非物質化を巡って展開した。ワグナーにとって、アルミニウムは非物質化をさらに先に推し進める建築材料であったに違いない。
技術は最小限の資源によって最大限の機能を生み出す方向(More with Less)へと向かう。技術のそのような方向性をもっとも先進的に追求したのはバックミンスター・フラーである。フラーはそれを「エフェメラリゼーション(短命化)」と名づけた。そのような思想を持つフラーがアルミニウムに注目したのは必然的だった。非物質化とエフェメラリゼーションは、明らかに連動した潮流である。ただしエフェメラリゼーションには、空間の質だけでなく「多機能で高性能」という条件が含まれている。近代建築の非物質化とエフェメラリゼーションを推し進めた素材は、鉄、コンクリート、ガラスだといわれているが、アルミニウムは軽量性と高精度性において、その潮流をさらに推し進める材料であることは間違いない。
近代建築の中のアルミニウム
アルミニウムが建築材料として使われ始めてから約100年が経過した。近代建築運動が勃興したのは20世紀初頭だから、近代建築史とアルミニウム建築の歴史はほぼ重なり合っている。近代建築の大きな潮流が、非物質化とエフェメラリゼーションに向かったとすれば、アルミニウムは常にその先端を走っていた。アルミニウムはスティール以上に軽量で加工精度が高く、技術の可能性を追求した建築家達は、揃ってアルミニウムに注目したからである。にもかかわらず、アルミニウム建築の歩みはまさに茨の道であった。
バックミンスター・フラーのダイマキシオン・ハウス(1929)はもっとも初期の試みのひとつである。この住宅は躯体や外装だけでなく設備機器にまでジュラルミンを使った本格的なアルミニウム建築だった。しかしサニタリーユニットが試作されただけで、建物全体は計画にとどまった。フラーは後にこのシステムを発展させ、量産を前提としたダイマキシオン居住装置(ウィチタ・ハウス1945)をデザインしている。
この住宅においてフラーは戦時中の航空機産業の技術転換としての住宅産業を提案している。これは既存の住宅概念とはまったくかけ離れた革命的な工業化住宅だった。「ウィチタハウス」(この住宅を製作したビーチ・エアクラフト社の工場があったウィチタから命名された)のジュラルミン製の円屋根は、組み立て用の仮支柱から吊り下げられた自転車の車輪のような張力構造の骨組の上に載せられ、頂点には気流で回転する換気装置が取り付けられている。この住宅は内装仕上すべてを含めても3500キログラム以下の重さしかなく、一戸分の部品セットは繰り返し使用できるステンレス製の輸送コンテナーに納められ、トラックやDC-4輸送機に積み込んで世界の至るところに運ぶことができる。一つ一つの部品はどれも5キログラム以下なので、現場に到着した部品は6人のチームが1日で組み立てることができ、時間をかければトラックの運転手一人だけでも組み立てることができる。これほど革命的な住宅ではあったが、開発は最終的に頓挫した。フラーはこの住宅の開発、生産、販売のために会社を設立し、実際に37000戸あまりの注文があったにもかかわらず、さらなる改良を主張し、本格的な生産を承認しなかったからである。しかしながら現在においても、技術革新と工業化を住宅産業に適用した点において、この住宅を越えるような試みは出現していない。
フラーとは異なり近代建築のスタイルをそのままアルミニウムで造ろうとした試みもある。アルバート・フライのアルミネア・ハウス(1931)である。フライはル・コルビュジエの弟子で、アメリカの先進的な工業技術に憧れて移住した建築家である。彼は当時アーキテクチュラル・レコード誌の編集長だったローレンス・コッカーの協力を得て、アメリカならではの新しい工法や工業製品を大々的に用いたアルミニウム製モデル住宅をつくった。これはル・コルビュジエが唱えたドミノシステムと「近代建築の5原則」をアルミニウム構造によって実現した住宅で、1932年の「インターナショナル・スタイル」展にもとり上げられている。表現と構法に大きな食い違いがあるル・コルビュジエの建築とは異なり、この住宅では両者が統合されている。しかし当時のアルミニウム技術は未熟だったためアルミニウムが用いられたのは柱と外装だけで、他の構造体はスティールだった。
フランスのジャン・プルーヴェの試みも忘れることはできない。他のデザイナーと比べてプルーヴェが特異なのは、自分のデザインを実現する工場を持っていた点である。プルーヴェは自分の工場を使ってさまざまな工業化住宅を実現した。アルミニウムを使った量産住宅の試みを行っているが、アルミニウムの使い方は外壁や屋根などのシェルター(外皮)が中心である。プルーヴェの才能がもっとも開花したのはアルミニウム製のカーテンウォールのデザインにおいてである。プルーヴェは軽量構造の可能性を追求することを通じて建築の工業化への道を開いた。1980年代のハイテク建築勃興の引き金となったレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースのポンピドー・センター(1972?77)は、プルーヴェが国際コンペ審査委員長として当選させた建築であることは記憶されてよい。
日本では池辺陽がアルミニウムを使った幾つかの住宅(住宅��66など)を試みている。その使い方は基本的にプルーヴェと同じようにシェルターが中心だった。池辺は日本最初のロケット打上場のデザインを手掛ける中で航空機産業と出会い、アルミニウム・パネルの製造技術を建築に適用しようと試みた。
このようなアルミニウム建築の試みを振り返ると、ひとつの共通点があることに気付く。アルミニウム建築に取り組んだ建築家達は、それぞれ特異な才能を持ってはいるが、おしなべて近代建築史の傍流を歩んでいることである。この事実は近代建築史におけるアルミニウムという材料の位置を象徴的に示している。彼らの一連の試みが成功しなかったのはなぜだろうか。その理由は、当時のアルミニウム技術が、建築の複雑で高度な機能を満足できるレベルに達していなかったためだと考えられる。コスト面でも性能面でも、アルミニウムはまだ未成熟な技術だったのである。
現代建築への展開
日本においてアルミニウムが一般化するのはアルミサッシとしてである。1960年代の高度成長期に、アルミサッシは爆発的に普及し、住宅地の風景を一変させた。アルミニウム業界は1960年代後半から1970年代にかけて、さらに販路を拡大することをめざしてサッシやカーテンウォール以外の部品や構法の開発に取り組むようになる。構造骨組にアルミニウムを使う試みが展開されるのは、この頃からである。そのひとつの試みが、沖縄海洋博覧会(1975)において建設されたアルミニウムのパヴィリオン(設計:小川三郎+飯嶋俊比古)である。この建築のために十字形断面のアルミニウム押出材を柱としたクロスタッド・システムが開発された。
しかし当時の多くの試みは、現在ではほとんど忘れ去られている。その空白期をつくり出したのは、1973年と1979年の二度にわたってわが国を襲ったオイルショックである。オイルショックによる石油価格の急騰によって、電力価格が高騰し、大量の電力消費によって成立していたアルミニウム産業は大きな打撃を受けた。その結果、それまでの様々な技術開発の試みはことごとく放棄されたのである。
1980年代になると、ポンピドーセンター(1977)を嚆矢とするハイテック建築が勃興し、アルミニウム建築は少しずつ復活してくる。
ノーマン・フォスターが設計したセンズベリー視覚芸術センター(1978)は、主構造は鉄骨だが、外装には全面的にアルミニウムの断熱サンドイッチパネルが使われている。屋根、壁、開口はすべて同一サイズのパネルで統一され、ジョイント(樋)にはネオプレンゴム製のネット上のガスケットネットに留め付けられている。フォスターはフラーの弟子であり、この建築の軽量性と高性能性はバックミンスター・フラーのエフェメラリゼーションの思想をそのまま適用したものだといってよい。
レンゾ・ピアノのIBM移動展示場(1980)は、小規模だが未来を感じさせる建築である。解体と組立の繰り返しを可能にするため、軽量性と精度が追求され、アルミニウム、ポリカーボネイト、集成材の部品によって組み立てられている。近代建築を支えた鉄・ガラス・コンクリートが使われていない点は注目されてよい。
リチャード・ホールデンの設計したヨットハウス(1985)も興味深い。これはヨットのマスト技術を応用したアルミニウム構造の住宅である。アルミニウムの軽さを最大限に生かしたシステムで、セルフビルドによって建設されたことは、アルミニウム建築の新しい可能性を示している。
フューチャー・システムズ設計のローズ・クリケット場メディアセンター(1994)は、アルミニウムの加工性を最大限に引き出した建築である。その近未来的なデザインは航空機や車両での溶接技術を用いて実現された。
シームレスな(継ぎ目のない)デザインも、sるミニ有無建築の新しい可能性を示している。
アルミニウム建築の可能性
21世紀に入った現在、再びアルミニウムが脚光を浴び始めている。その理由は、アルミニウムのリサイクル性が注目されるようになったからである。アルミニウムをリサイクルするには大きなエネルギーを必要としない。循環型の社会にとって、既に市場に出回っている大量のアルミニウムは、重要な建築材料のひとつになりうるのである。
アルミニウムの魅力は、軽量性、加工性と高精度、安定した酸化皮膜による防錆性と耐久性、酸化皮膜(アルマイト)の軟らかなテクスチャー、リサイクルの容易さなどにある。しかし視点を変えればそれは欠点にもなりうる属性である。たとえば加工性が高いのは融点が低く強度が弱いためである。アルミサッシが嫌われるのは、あまりにも安定した酸化皮膜が表面の風化を寄せ付けず、時間を感じさせないためである。あるいはアルマイトのマットなシルバー色と均質なテクスチャーは機械的で冷たい印象を与える。リサイクルは容易でも、ヴァージン。アルミニウムの精錬には大きなエネルギーが必要である。さらに熱伝導率の高さ、ヤング率の高さといった特性は、使い方によって長所にも短所にもなりうる。総じて言えるのは、スティールに比べてアルミニウムは、より「思考に近い」フィクショナルな材料である。すなわち近代的思考、合理的で分析的な思考にふさわしい材料である。非物質化とエフェメラリゼーションが、建築における近代的思考を押し進めることによってもたらされることを考えれば、それは当然のことだろう。
しかし同時に、アルミニウムが近代的な思考ではとらえきれない過剰性・他者性を持っている。たとえばアルミニウム合金は混入する他の金属の種類によって、きわめて多様な特性を示す。それらを組み合わせてつくられた建築部品や構成材ともなれば、予測を越えた性質がつくり出されるだろう。強度と重量の問題、熱の問題については言うまでもないが、湿度や音などの条件についても多くの検討すべき問題がある。これらの問題すべてを前もって精確に予測することは不可能である。それらは明確な仮説にもとづいて建築システムを構築し、それを建築空間として実際に建設し、さらに時間をかけて実験・検証することによって初めて明らかにすることができる。
構造体をアルミニウムでつくりながら、ヒートブリッジをなくし、室内の熱的性能を確保すること。これが今後のアルミニウム建築に要求される最大の課題であろう。これを解決するには二つの対照的な方法がある。ひとつは構造体を断熱性の高いパネルによって完全に梱包してしまう方法である。そのためには構造体とシェルターを完全に分離することが必要である。この場合、構造体は柱-梁の線材による構成となる。いわゆるカーテンウォール方式である。もうひとつは、構造体を外部に露出させ、室内を断熱材でくるむ方法である。この場合は、構造体を面材で構成し、シェルターと兼用することが可能になる。これは航空機、自動車、列車などに使われているモノコック方式の考え方である。前者は近代建築で一般的に用いられてきた方法であり、後者は近来の工業デザインで用いられている方法である。前者はモダンな方法、後者はポストモダンな方法といってもよい。それぞれに一長一短があり、どちらが有利かは一概に判断できない。前者はすでに多くの実例があり、熱的性能の予測が比較的容易だが、新規なシステムではない。後者には技術的に解決しなければならない多くの問題が潜んでいるが、これまでの建築とは異なる新しい空間が実現できる可能性がある。現在、アルミニウム建築のプロジェクトは、こうした対照的な二つの方法にもとづいて二つの方向に分岐し、並行して進められている。
アルミニウム建築を実現するには、熱の問題以外にも解決すべき様々な課題がある。先にも述べたが、アルミニウムは軽くて堅い材料であるために遮音性能が悪い。とくに外壁のサンドイッチパネルは低音に対する遮音性が極度に低いため、室内側に吸音材と比較的重量のある仕上パネルを張る予定である。さらに建物重量が極度に軽く(40��/�岼焚爾任△襦法▲▲襯潺縫Ε爐離筌鵐扱舷瑤�大きいため、強度の問題はないにしても、揺れの問題が生じる可能性がある。アルミニウムは鉄よりも柔らかいために、建物全体の固有振動数が小さくなり、歩道橋を渡るときのような揺れを生じるのではないかという恐れである。
アルミニウムはリサイクルが容易な材料ではあるが、リサイクル・アルミニウムだけですべての建材をつくることができるわけではない。アルミニウムの使用量が増えれば、当然ヴァージン・アルミニウムが必要とされる。ボーキサイトからヴァージン・アルミニウムを精錬する際には莫大な電力を消費する。一方、リサイクルに必要なエネルギーはヴァージン・アルミニウムの精錬に必要なエネルギーの約3%にすぎない。したがってリサイクル・アルミニウムの比率を増やし、ヴァージン・アルミニウムを最小限に抑えていくことは、今後の大きな課題だといってよい。
あるいはエフェメラリゼーションの視点からいえば、アルミニウムの複雑な押出断面成形を利用して、構造、サッシ、床材、設備配管などを複合させた多機能な建築部品としてデザインする可能性も考えられる。
本書に紹介されている建築は、こうした課題すべてを解決しているわけではない。それぞれが特定の仮説を追求した試みである。こうした試みを繰り返すことによって、アルミニウム建築の可能性が拡大されていく。それは近代建築が追求した非物質化とエフェメラリゼーションを、さらに先まで推し進めることなのである。
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