難波和彦+界工作舎
HOME 難波和彦 難波研究室
箱の家 PROJECT 青本往来記
プロフィール
最近の著書
アーカイブス
リンク集

金子勝の「人生いろいろ」対談         週刊金曜日 2005年7月1日号
 
難波和彦(建築家・東京大学教授)×金子勝(経済学者・慶応大学教授)


なんば かずひこ・1947年大阪府生まれ。1969年東京大学建築学科卒業、1974年同大学院博士課程修了。1977年一級建築士事務所「界工作舎」設立。早稲田大学、東京工業大学講師などを経て、現在東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。「都市住宅の必要最小限の性能を最小限の物質で実現することを目指して」箱の家を提案。現在まで一一一戸の箱の家を世に送り出した。


 家全体が一室空間で部屋の仕切りがない、道路に面した側は全面窓。一見、とても住みにくそうな「箱の家」。実はコストが安く、陽の入り方、風通しなど、住宅環境が実に精密に計算されているだけでなく、現在の「家族のあり方」にまで大きな影響を与えるという。このようなユニークな住宅を作っている難波先生に話をきいた。


金子勝 異色の東大教授の代表作「箱の家」について、ご説明願えますか?

難波和彦 一言でいうなら、外形が単純な箱型で、内部は一室空間に近く、外部に開かれ、構造・構法・材料・設備が標準化されたローコスト高性能の住宅、つまり、徹底して単純化したわけです。
 箱型、正方形は円に次いで外壁面積がいちばん小さい。素材も柱梁も同じ素材・サイズなので安くなる。部屋が一室だから風が抜ける。そっけないデザインですけど、コスト・効率の面で優れてます。
 外に開かれているテラスは、幅が一間。一間あれば、夏の太陽の直射日光は部屋の中に入らない。梅雨時も雨が中に入らず部屋を開放したまま、湿気を最小限にすることができる。そういう機能が単純なかたちのなかに入っている。最初は、道路にオープンだし、間仕切りがないんで、「住めない」といわれました。でも、カーテン閉めればいいし、住めるんですよね。作り始めたらいろんな人から話があって、シリーズ化しました。以来十年、いまは112戸目の「箱の家」を作っています。

金子 きっかけは低予算のクライアントからの相談だったそうですね。

難波 私の中で最低の性能基準があったのですが、「箱の家1」のクライアントの予算はそれを下回っていた。通常の設計はクライアントの要求と折り合いをつけながら進めるのですが、限られた予算では収拾がつかない、実現可能なものを、こちらで提示することにしたんです。

金子 「箱の家」がひきこもりの対策にもなり、子どもには部屋を持たせないほうが、自立が早いと仰られていますね。

難波 開放的な作りにすることで、子どもの心の中に「見えない壁」をつくる能力を持たせる。それが他人の壁にも配慮をすることにつながり、子どもの自立になると考えました。

金子 昔の日本の住居に近いということなんですか? 大きな囲炉裏があってみんながそこを通らなくてはいけないような。

難波 同じようにも思えますが、昔は、上座とか、障子の向こうの話は聞こえても聞こえないフリをするというようなルールがありました。見た目は同じでも別のルールが必要になってきます。

 箱の家は、仕切りが少ないので、家族が住み方を話合っていくし、子どもが独立した後は、新しく間取りをどうするかをまた考える。そういうのがよさです。

金子 でも、この一室では拒絶反応を示す人もいますよね。

難波 ある家族で、夫婦別々の生活スペースにしたときに、このプランに旦那さんとその両親は猛反対をしました。仕事場もベッドも別々だなんて、家庭内別居のプランだと。でもそれはオトコの幻想なんです。奥さんは大喜びですよ。

金子 家庭内別居もなにも、うちは結婚してからずっとそうですよ(笑)。そもそも建築家を目指したきっかけってなんですか? 

難波 ほとんど偶然です。大学を卒業したのが六九年で、僕も学生運動でけんけんやっていたのですが、院に入るとき、ある先生に拾われたんです。それが、業界では名の通った池辺陽先生だった。

 話を聞けば聞くほどオモシロイ人でラッキーといった具合でした。どんな質問をしてもちゃんとした答えが帰ってくる。

金子 池辺さんはモニュメントより、住宅に目が向いていましたね。

難波 池辺さんは、大阪万博にも誘われましたが、乗ろうとはしませんでした。

金子 万博に背を向けて、庶民的な住宅と。建築として華々しいのは大規模な建築じゃないですか、万博とか競技場とか。

難波 池辺さんは野暮だと思ったみたいですね。僕はやせ我慢しているだけですけど(笑)。

金子 「箱の家」は、やはり池辺さんが五〇年に発表した最小限立体住宅の流れがあったと。

難波 立体最小限住居とは方向性が逆だと思っていました。池辺はキッチンを切り離すなど、封建的なものから家族を民主化させるのが狙いでした。

 いま「箱の家」が必要だというのは、もう一度「家族」をしたいという解体寸前の家族か、もしくは20代後半のこれから始まる家族が多いです。子どもができて、いまから家族をする若い人が、まず浮かべるのは家なんですね。親と子という人間関係がわからないみたいですよ。箱の家に住んだらなんとかなるんじゃないかというような考えにかわってきましたね、

金子 キツクないですか?

難波 キツイですよ。これを選ぶ大人は頭デッカチになっている。子どもたちは順応性があるので、狂喜して走り回りますけどね。

日本の住宅の問題点
金子 箱の家を作り出したのは九一年。ちょうどバブルの崩壊、巨大なモニュメントとか公共事業の時代ではなくなった状況に符合している。難波さんはバブル以前と崩壊以降の建築の時代の変化を象徴していますね。

 ポストモダンの思想は差異化をキーワードにしながら、バブル的同質化を生む結果になった。実は、共通の単純なベースを共有して、そのうえに個性や多様なものが生まれてくるという発想の逆転が起きているんです。

 デザイナーのミヤケイッセイは、パリコレクションでまわりがゴテゴテの服をやっているなかで、たった一枚の布で作る服で注目を浴びました。この「一枚の布」概念と同様の流れを感じますね。

 でも、いまの日本人は「バブル景気よ、もう一度」という郷愁から解けられずに生きてますから、新しい時代のモノの見方に気がついてない。新しい時代が直面している問題、たとえば箱の家の中の家族の在り方、そういうことに自ら直面しているのに、そこにいることすら気がつかない。新しい時代の創造性を、先生に強く感じます。

難波 ありがとうございます。そういうことは考えたことはなかったですけどね(笑)。

金子 だいたい渦中にいる人はなんだかわからない、恋愛でもなんでも渦中にいる人は夢中ですので。

 しかも今後の方向性として、「箱の家」を連続住宅・集合住宅のようなものとしてもとらえているようですが、その発想はどこからきたものでしょう?

難波 もとは二〇年代にモダニズムの建築家たちが考えたことですが、当時は技術的なバックグラウンドがなかったので、夢物語になってしまった。いまは、やろうと思えばできる。障害になっているのは、相続税や所有にまつわる法制度です。日本では所有の形態が個人なんです。以前、池辺さんが友人と一枚の壁が共有の連続住宅を建てたのですが、二人が死んだら、所有権が障害になってしまい、結局壊すしかなかった。

 マンションの共同所有も戸建の概念をそのまま適用しているだけですからね。建て替えの時に、大問題になる。

 それと、日本の「持ち家」の概念はみな伝統とか民族性だとかいうんだけど、インチキだと思いますね、昔は借家で長屋でしたもの。

金子 確かに戦前は七割くらいが借家だったんじゃないですか。

難波 戸建は日本の住宅政策はただの米国の真似だし、集合住宅に変えないといけないと思っています。しかし相続税も含めた住宅制度が戸建を推進しているので、難しいですね。いまは戸建を設計しながら集合住宅のユニットを設計しているようなつもりでいます。

金子 やがて、箱の家の街ができてしまうかもしれませんね。

難波 でも、実際にこれを理解して、暮らそうという人はそうたくさんはいないでしょうね。

リノベーションの夢物語
金子 「箱の家」に続いて取り組まれる課題はなんでしょう。

難波 既存の建物をどうするか、建物の潜在的な可能性を引っ張り出して再生させるというリノベーションもやります。次の課題は、箱の家は新築ですんけど、それを既存の町並みに建物に当てはめたらどうなるかということが、いま大学でもやっている課題です。日本は建築物を作りすぎた。だから今度はそれをどう利用していくか。新築を建てるよりもハイレベルですけどそのほうがおもしろい。

金子 日本の切実な問題です。私は仕事柄、地方都市に取材にいきますが、中心部が衰退しているところが多い。再生する力もなく、建物だけがあるという状態です。リノベーションで街を作り変えることになりますね。

難波 いま、沈下している繊維問屋の多い東日本橋の再生を試みようとしています。建て物も多いし、都心に近いですからね。しかし江戸時代以来のコミュニティもあって介入するのはたいへんですが。

 もうひとつのテーマは、住んでいるその近くで仕事をするという職住近接です。僕の育った町家の体験ですね。高密度で生活しているところはそれが向いている。東日本橋を復活させるには、そうした試みが必要なのではと思っています。

 仕事場を住居にするのは、オフィスの賃料と、住居の賃料が同額または逆転すれば、可能なんです。オフィスの賃料が下がっているから、一方の条件は整いつつありますが、あとは政治的な誘導が必要ですね。

金子 身の回りですべてが完結するということですね。それは、社会的弱者が住める環境でもある。こうした多様性が街の活性化につながりますからね。

難波 日本は地震があるたびに法律が厳しくなってます。例えば、オフィスビルは耐震補強をしなくてはならなかったり、住環境のために光をより多く取り入れなくてはならない。となると、オフィスビルに増築ではなく減築を施す。

 でも、リノベーションで思うのは、なかなか地価、土地の値段って下がらないんですよね。固定資産税などの税収などの問題だと思うんですが、土地の値段が下がったら、土地の再開発も活性化すると思うんですよね。

金子 地方で、誰も住んでいない集落の所有権者が東京に住んでいることが多いんです。相続した人も手放さない。土地信仰と、税金を払っても、それなりの生活があるからでしょう。

難波 欧州や米国は建物と土地がともにゼロになるので、リノベーションがうまくいくんです。そうか、所有権がゼロになったらいいんですね。これは、夢物語ですが。


協力/松井克明
写真撮影/石郷友仁
撮影/坂口裕康

 

 

▲TOP

Copyright (C) 2003 KAZUHIKO NAMBA+KAI WORKSHOP. All Rights Reserved.
No portion of this web site may be reproduced or duplicated without the express written permission.
This web site is written in Japanese only.