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サステイナブル・デザインの諸相:8           日刊建設通信新聞2005年6月16日号

アルミエコハウスの挑戦:循環型社会へむけて:リサイクルと再利用の可能性

アルミニウムが建築材料として使われるようになったのは約100年前のことである。したがってアルミニウムの歴史は近代建築の歴史と重なり合っている。しかし建築家とアルミニウムの出会いは挫折の連続だった。たとえばル・コルビュジエの弟子アルバート・フライは、先進的な工業技術にあこがれてアメリカに移住し、ル・コルビュジエが提唱した近代建築の5原則に基づいて、アルミニウムを骨組に使った実験住居「アルミネア」(1931年)をつくったが、熱や音などの問題を解決することができず、商品化には至らなかった。バックミンスター・フラーは、大量生産を目指しシェルターだけでなく設備ユニットまでもアルミニウム製の先進的なダイマクシオンハウス(1947)を開発したが、まったく売れなかった。フランスではジャン・プルーベが大戦後に自らの工場を開設し、アルミニウム建築の構法や部品開発の実験的な試み展開したが、経営的に成立させることができなかった。日本でも池辺陽が1960年代に航空機や自動車の外装技術を応用したアルミニウム・パネルや設備ユニットを開発したが、オイルショックの影響で開発は頓挫した。こうした一連の試みが挫折したのはなぜだろうか。その理由は、当時のアルミニウム技術が、建築の複雑で高度な機能を満足できるレベルに達していなかったためである。コストの面でも性能の面でも、スチールに比べてアルミニウムは未完成な技術だった。
アルミニウムが一般化するのはアルミサッシとしてである。1960年代の高度成長期に、アルミサッシは爆発的に普及し、住宅地の風景を一変させた。1960年代後半から1970年代にかけて、アルミニウム業界はさらに販路を拡大することを目指して、サッシやカーテンウォール以外の部品や構法の開発に取り組むようになる。構造骨組にアルミニウムを使う試みが展開されるのは、この頃からである。しかし当時の多くの試みは、現在ではほとんど忘れ去られている。その空白期をつくり出したのは、1973年と1979年の二度にわたってわが国を襲ったオイルショックである。オイルショックによる石油価格の急騰によって、電力価格も高騰し、大量の電力消費によって成立していたアルミニウム業界は大きな打撃を受けた。その結果、それまでの様々な技術開発の試みはことごとく放棄された。
21世紀に入った現在、再びアルミニウムが脚光を浴び始めている。その理由は、アルミニウムのリサイクル性が注目されるようになったからである。アルミニウムをリサイクルするには大きなエネルギーを必要としない。循環型の社会にとって、既に市場に出回っている大量のアルミニウムは、重要な建築材料のひとつになりうる。こうした潮流を受けて、アルミニウム合金を主構造とする住宅の開発がスタートした。日本アルミニウム協会は、経済産業省の研究助成を受け「実験住宅アルミエコハウス」(1999)を実現させた。その後、国土交通省によってアルミニウム構造に関する法整備が行われ、2004年からは、通常の建築と同じ手続きによってアルミニウム建築が実現できるようになった。
軽量で加工しやすく精度の高いアルミニウムは、新しい構造材料として多くの建築家の注目を集めている。実現したアルミニウム建築は、まだ多いとはいえないが、今後研究が進めば、建築の新しい可能性を拓く材料となるかもしれない。

写真:坂口裕康(AtoZスタジオ)
「普及版アルミエコハウス:箱の家83」(2004)設計:難波和彦・界工作舎
アルミニウム構造として通常の確認申請を認可された日本で最初の住宅

                                  

 

 

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