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『10+1』38号 2005年4月 特集「建築と書物 読むこと、書くこと、つくること」所収
必読書をめぐって

5年前、はじめて大学に研究室を持つことになったとき、研究室の方向性を明確に示すために「難波研必読書20」をリストアップすることにした。大学生にはちょっと無理かもしれないが、大学院生ならばこのくらいの本は読んでいて欲しいと考えたからである。
なぜ20冊なのか。とくに理由はない。10冊に絞るのは難しいが、30冊では多すぎると考えたからに過ぎない。僕にとってはどれも思い出深く、時間をおいて少なくとも3回以上は読み返し、そのたびに新しい発見があったものばかりである。ここではそれらの本を紹介したい。

1)『デザインの鍵』 池辺陽:著 丸善 1979
2)『空間・時間・建築』 ジークフリート・ギーディオン:著 丸善 1969
3)『第一機械時代の理論とデザイン』 レイナー・バンハム:著 鹿島出版会 1976
4)『環境としての建築』 レイナー・バンハム:著 鹿島出版会 1981
5)『建築の解体』 磯崎新:著 鹿島出版会 1975
6)『近代建築への招待』 ユリウス・ポーゼナー:著 青土社 1992
7)『バックミンスター・フラーのダイマキシオンの世界』 バックミンスター・フラー/ロバート・W・マークス:共著 鹿島出版会 1978
8)『パタン・ランゲージ』 クリスリトファー・アレグザンダース:著 鹿島出版会 1984
9)『テクトニック・カルチャー』 ケネス・フランプトン:著 2002
10)『マニエリスムと近代建築』 コーリン・ロウ:著 伊東豊雄+松永安光:訳 彰国社 1979
11)『隠喩としての建築』 柄谷行人:著 岩波書店 2004
12)『複製技術時代の芸術』 ヴァルター・ベンヤミン:著 晶文社 1970
13)『錯乱のニューヨーク』 レム・コールハース:著 ちくま学芸文庫 1999
14)『エッフェル塔試論』 松浦寿輝:著 ちくま学芸文庫 1997
15)『ゲーデル・エッシャー・バッハ』ダグラス・R・ホフスタッター:著 白揚社 1985
16)『精神と自然』 グレゴリー・ベイトソン:著 新思索社 2001
17)『野生の思考』 クロード・レヴィ=ストロース:著 みすず書房 1976
18)『暗黙知の次元』 マイケル・ポランニー:著 紀伊国屋書店 1980
19)『棒馬考』 エルネスト・H・ゴンブリッチ:著 勁草書房 1988
20)『偶然と必然』 ジャック・モノー:著 みすず書房 197210+1原稿

1)〜10)は建築、15)〜20)は思想、11)〜14)は両者にまたがる本である。
1) 僕の師匠の遺作であり、僕にとってはデザインのバイブルのような本である。やさしい言葉で書かれてはいるが、デザインの原理を鋭く突いたアフォリズムに溢れており、僕のデザイン思想の原点にもなっている。気分が滅入ったときに読むと、元気が出る本である。
2) 近代建築史の教科書のような本だが、意外にちゃんと読まれていないのではないかと思う。僕は大学院の時に初めて読んだが、1970年代のモダニズム批判たけなわの時代だったので、まったくピンとこなかった。しかし1980年代になってから、自分なりにモダニズム運動の再評価を試みる中で何度か読み直し、初期近代建築における技術とデザインの関係を再発見した記憶がある。こういう教科書的な本は、一般教養として読むのが当然だと考えられているが、じっくりと読み込んでみると意外な発見がある。同じことはN・ペヴスナーやL・ヴェネヴォロの近代建築史に関する本についてもいえるだろう。
3) 僕の建築観を決定づけたといってもよい本である。大部なので、読み込んでいる人は意外に少ないのではないかと思う。バンハムは、ギーディオンやペヴスナーなど近代建築史家の第一世代の歴史観に対する批評的スタンスを明確に打ち出しているので、比較しながら読むとさらに面白い。細かな資料を駆使しながら近代建築のデザイン理論を多面的に検討しているので、一読しただけでは全体の流れを把握するのは難しい。しかし「構築と構成」というキーワードに注目して読むと、一気に視界が開けることを指摘しておこう。本書は原広司さんが校閲しているが、原さんの解説を読んで、僕の読みとの違いに愕然とした記憶がある。同じ本でも視点が異なるとまったく違った読み方ができることを、本書ほど痛感したことはない。書かれたのは冷戦時代だから、ロシア・アヴァンギャルドに関する記述が欠けているのはやむを得ないとして、未来派とバックミンスター・フラーを再評価した功績は、いくら評価してもし過ぎることはないだろう。
4) は近代建築における環境制御技術の進展を扱ったパイオニア的な本である。1969年に出版されたが、本書に匹敵するような環境制御技術史は、サステイナブル・デザインが唱えられるようになった現在においても、未だに書かれていない。この2冊に限らず、バンハムの書いたものは要チェックである。
5) 磯崎新は沢山の本を書いているが、僕にとっては本書が最高峰である。1960年代後半の建築状況を詳細にレポートしたもので、モダニズムからポストモダニズムへの移行を決定づけた本である。磯崎新ほど当時の時代の移り変わりをクリアにとらえた建築家はいない。ポストモダニズムの問題機制は、本書によってほぼとらえ尽くされているといってよい。
6) 比較的新しい本だが、近代建築史の隠れた側面にスポットを当てた好著である。学生時代に本書に出会っていたら、僕はもっと早く近代建築史に目を開かれていただろう。鉄骨構造の歴史を「非物質化」の概念によって照らし出したポーゼナーの所論には、目から鱗が落ちる思いをさせられた。技術と芸術の関係についても、興味深い建築史観が展開されている。
7) フラーに関する本は沢山あるが、本書が決定版である。フラーの仕事を理論と作品に分けて紹介している。『宇宙船地球号操縦マニュアル』やマーティン・ポーリーによる伝記『バックミンスター・フラー』(鹿島出版会)を合わせて読むとさらに面白い。僕はフラーを通じて科学とデザインの関係について考えるようになった。フラーが唱えたデザイン・サイエンスは、サステイナブル・デザインの基本原理だと思う。
8) クリストファー・アレグザンダーの建築観の集大成である。アレグザンダーの本も数多く出版されているが、初期の『形の合成に関するノート』(鹿島出版会 1978)と本書が決定版である。パタン・ランゲージは近代建築の機能主義を乗り越えるためにアレグザンダーが考案した設計方法である。僕は1980年代にアレグザンダーにのめり込み、彼の『形の合成に関するノート』を通じて、モダニズムの機能主義を極限まで推し進めた方法を学んだ。技術に関する彼のプレモダンな考え方を共有できないので、最終的には袂を分かつことになったが、建築計画学の面では本書を越える計画理論は未だに出現していないと思う。
9) 本書は近代建築における構法とデザイン、技術と芸術の関係に注目している点で、一般的な近代建築史とは一線を画している。とくに18世紀以来の構法の展開を論じた部分は興味深い。ただしフランプトンは、技術を芸術の立場から見ており、バンハムの視点とは好対照をなしている。フランプトンの視点からは、ポーゼナーのいう「非物質化」を捉えることはできないし、サステイナブル・デザインの発想も出てこないだろう。
10) 「理想的ヴィラの数学」や「透明性?実と虚」はあまりに有名だが、僕の視点からコーリン・ロウの所論を評価するなら、近代建築における形や空間の歴史的自立性を明らかにすることによって、イデオロギーとしての機能主義や技術主義の足元を突き崩した点にある。その意味で、僕にとってはバンハムの主張を側面から補強する建築思想である。ロウの建築観には、19)のゴンブリッチとの共通性があることも指摘しておきたい。
11) 柄谷行人が書いたものは、1970年代からほぼすべてフォローしてきた。その中でも本書はとくに思い出深い。単行本や文庫になるたびに何度もくり返し読んだ。僕にとっては、アレグザンダーの「都市はツリーではない」をアレグザンダー自身の意図とは逆に読んだ点が決定的だった。最近、まとめて出版された『柄谷行人集』(岩波書店)を読み通し、思想の構築と建築の構築との共通性をあらためて確認した。柄谷の文章のような建築をつくることが僕の最終目標である。
12) ベンヤミンの書いたものはすべて断片的で、柄谷とは対照的だが、本書だけは違っている。芸術のアウラ論で有名だが、僕にとっては、それよりもむしろ映画・写真と建築の共通性つまり「無意識的な享受」に注目している点に瞠目した。技術が社会に浸透するメカニズムをこれほど明解に捉えた視点には出会ったことがない。『パサージュ論』(岩波書店)で展開されている鉄骨建築論は、その実証例だといってよいだろう。
13) アメリカにおけるモダニズムの展開を、ニューヨークのマンハッタンに注目して多面的に紹介した本である。若きコールハースがモダニズムのユートピア的イデオロギーをリアリスティックな記述によって暗に批判している点がエキサイティングである。歴史は単なる事実の記述ではなく、特定の価値観に基づいたフィクションでもあることを痛快に思い知らされた奇書である。
14) 本書を読んだとき、このような本をなぜ建築史家が書かないのか、心底悔しい思いに囚われた。表象文化論の研究者がエッフェル塔をここまで徹底的に調べ尽くしたことにジェラシーを感じたのである。記号としてのエッフェル塔を、鉄骨の物質的組成から調べ上げ、最終的にパリの文化的シンボルへと昇華していく過程を具に記述していて、間然とするところがない。以来、本書は、僕にとって建築史書の模範的原型になっている。
15) 1980年代に一世を風靡したニューアカデミズムの集大成ともいえる本である。アメリカではベストセラーになったが、日本で本書を読み通した人が何人いただろうか。僕にとって本書を読むことは、高度な頭の体操であると同時に、論理的・構築的思考の限界を突きつめる作業でもあった。柄谷とは別の意味で、モダンな思考のクールな極限を垣間見せてくれた本である。
16) グレゴリー・ベイトソンの一連の著作は、ダイナミックなシステム思考の事例集である。彼の著作を通して、僕は自己言及システムのメカニズムを知り、それまでのスタティックなシステムに時間を導入することを学んだ。本書と並ぶ彼の主著『精神の生態学』は、エコロジー思想の視界を一挙に拡大してみせた快著である。
17) 僕にとっての構造主義とは、精神と外界の相互作用によって形成されるエコロジカルな定常回路を明らかにする学問である。クロード・レヴィーストロースは、未開人の神話的思考の中に近代人に劣らない繊細で複雑な回路を見いだしている。そこから僕は精神と外界の間に新しい回路を形成し、それを記号として表現することが芸術のはたらきであることを学んだ。
18) 暗黙知とは、分析的で断片的な知をまとめ上げ、創発的な知へと統合する非言語的な能力である。デザインとはまさに暗黙知のはたらきのひとつだといってよい。それだけではない。科学の仮説形成や技術的発明も、暗黙知のはたらきの一種なのである。本書を通して僕は、デザインと科学の同型性について学び、精神のエコロジカルなはたらきを広大な視野で捉えるヒントを得た。しかしそれを方法化できるかどうかは、いまだに謎である。
19) ゴンブリッチは、芸術家が記号(シンボル)としての芸術作品をつくり上げるとき、芸術家が参照すべき条件は、歴史的に形成された複雑な慣習的な回路であり、それなしには芸術作品は理解され得ないことを明らかにしている。僕の読みでは、芸術作品の制作とは既存の回路に寄り添いながら、それを少しずつズラし、新しい回路を創り上げることなのである。
20) 分子生物学者による進化のメカニズムの紹介だが、その背景にある徹底した科学的スタンスが、ひとつの冷徹な価値観にまで高められている点に震撼した。進化とは偶然にもたらされた一回的な不変的構造を前提条件にして、それを必然に変えようとする生化学的展開がもたらしたものであるという主張は、それだけでひとつの世界観を示している。進化は一回的で不条理ではあるが未来に開かれている。本書を通じて僕は、科学的態度を突きつめることが、必然的に歴史=自然史を召還することを学んだ。

以上が「必読書」の簡単な解説である。これらが建築の仕事にどう結びついているかを問われても、明確な回答はできない。僕にとって本も一種の建築であり、読書は構築された思考の追体験にほかならない。逆に言えば、建築は構築的な思考を目に見える形にした、一種の本なのである。

 

 

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