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21世紀の「工学技師の美学」

せんだいメディアテーク
久しぶりに佐々木睦朗さんと話がしたくなり、二人で「せんだいメディアテーク」を訪れた。休日のせいか館内はかなりの人で賑わっていた。エレベーターで最上階の7階に昇り、階段で1階ずつ降りながら館内をゆっくりと見て回った。床スラブが薄いので、チューブの吹抜けを通して上下階の様子が垣間見える。階毎に機能が異なるため、異なる人種が脈絡なく重なり合って見えるのが不思議な風景である。竣工直後に訪れたときには、人々は物珍しそうな眼差しで館内を見回していたが、3年経過して、この施設は市民の間にすっかり根づいているように見えた。

「せんだいメディアテーク」は20世紀から21世紀にかけての近現代の建築について考える上で、あるいは構造家としての佐々木さんの仕事について語る上で、欠かすことのできないエポックメーキングな建築である。いうまでもなく伊東豊雄さんが国際コンペで勝ち取とった建築だが、そのコンセプトの実現には、佐々木さんの構造のアイデアが大きく寄与している。コンペ締め切り直後に佐々木さんに会い、興奮さめやらぬ佐々木さんから、この建築の構造のアイデア・スケッチを見せてもらった。僕はその革新的なアイデアに強烈な衝撃を受け、コメントする言葉もなかった。それまでにも何度となく、伊東さんとの協働作品において新しい構造の試みを追求している話を聞いていたが、「せんだいメディアテーク」はその集大成のように思えた。いや、それ以上に、20世紀を通して展開してきた近代建築のさまざまな試みの歴史的な総決算のように思えた。一言でいうなら、それはテクノロジー(構造と設備)・機能・空間の三位一体的な統合である。
近代建築の展開を支えたのはテクノロジーの急速な進展である。テクノロジーの進展は新しい産業をもたらし、社会を近代化することによって、新しい機能を備えた建築をうみ出した。近代建築の歴史は、新しいテクノロジーと新しい機能にふさわしい建築空間の追求の歴史だったといってよい。そのような歴史に対し、「せんだいメディアテーク」はチューブとプレートという今までに見たことのない単純な建築要素によって、構造、設備、機能、空間が絡み合った複雑な建築的問題を一挙に解決してみせたのである。

1階のカフェに座り、傾いたチューブの重なりを眺めながら、この建築にまつわる佐々木さんの思い出話を聞いた。いくつかのエピソードが、今でも耳に残っている。
「誰にでも一生のうちに一度くらい、死に物狂いで取り組む仕事があると思う。僕にとってはこの建築がそうだった。」
「人はこれを20世紀と21世紀を結ぶ建築だというけれど、僕にとってはむしろ20世紀の建築だ。」
「傾いたチューブに構造的な根拠はあるのかという君の問い掛けに対して、明確な解答を返せなかったことが、その後の僕の仕事の出発点になったように思う。」
感慨深げに語る佐々木さんの顔が、いつもよりも眩しく見えた。

構造家の誕生
佐々木睦朗さんと知り合ったのは1970年代の初頭である。僕たちは二人とも戦後生まれの団塊世代である。佐々木さんは大学院を終えて直ぐ木村俊彦さんの事務所に入所し、僕は東京大学生産技術研究所・池辺陽研究室の博士課程に在籍して設計に取り組んでいた。池辺研究室と木村事務所が協働していたので、何度か佐々木さんと顔を合わすことがあったが、一緒に仕事をする機会はなかった。本格的に付き合うようになるのは、佐々木さんが独立し、設計の協働を始めた1980年代からである。
1960年代の高度成長期の建築、とりわけ丹下健三の仕事を見て建築を志すようになった点で、僕たちは時代経験を共有している。僕たちが建築を学んだ1960年代半ばには、モダニズムの建築思想はまだ健在だった。大学では徹底したモダニズム教育を受けたが、大学を卒業する1960年代後半にはモダニズム批判が一挙に噴出し、大阪万博が終わった1970年代になると、建築界はポストモダン一色へと転換した。しかしそのような潮流とは無関係に、佐々木さんはモダニズムの思想を堅持し続けた。佐々木さんが構造家であることが決定的だった。構造家にとってモダニズムがもたらした合理性への志向は不可欠な前提条件だからである。僕も師匠である池辺陽にモダニズムの可能性を徹底的にたたき込まれたから、佐々木さんと建築への志を共有できた。モダニズムの思想を前提に僕たちは設計の実務を行い、並行して雑誌への寄稿や翻訳を協働しながら、互いに相手の建築観を理解するようになった。

構造デザインは建築の構造を力学的にモデル化することからスタートする。佐々木さんには建築家が構想する空間の中に、単純明快な構造モデルを見出す特異な直観力がある。単純明快なモデルを見出したとき、佐々木さんは「力の流れが見える」という。佐々木さんが見る「力」とは、現実の力ではなく、モデル化された力である。現実の力はさまざまな条件によって撹乱されノイズを含んでいる。構造家の才能とは、よくいわれるような論理的分析力ではない。そうではなく、構想された空間に潜む力の流れを透視し、それをモデル化する直観力であり、構想された空間とモデルの間を自在に往還する構築力である。佐々木さんが論理的一貫性よりも、直観的な美学を主張するのはそのためである。
もうひとつ、佐々木さんには相手の思考を瞬時に理解し、自家薬籠中のものにする驚異的な吸収力がある。前日の議論で僕が主張したことが、翌日には純化されて佐々木さんの主張となり、逆に説得されるというような経験を、僕は何度も味わった。そうした理解力と吸収力が、建築家の構想を一瞬にして見抜き、モデル化を可能にする力になっていることはまちがいない。
佐々木さんは単純明快な構造モデルを提示することによって、建築家の構想に揺さぶりをかける。ときにはそれが建築家の構想と正面から対立することもある。佐々木さんのアイデアを正面から受けとめ、新しい構想へと展開できるかどうかが、佐々木さんとの協働を成功にみちびく決定的なポイントである。伊東豊雄さんや妹島和世さんの建築には、佐々木さんとのやり取りを通して構築された構造モデルをはっきりと読み取ることができる。

歴史への視点
1990年代末に、佐々木さんは母校の名古屋大学で教鞭を執るようになった。研究室を持つことによって、佐々木さんの構造デザインにはさらに磨きがかかった。それまでは設計の実務が中心的な活動だったが、大学での研究活動にもとづく理論的な視点が加わり、実務と理論のフィードバック回路が強化されたからである。佐々木研究室には佐々木さんを慕う優秀な大学院生が集まり、佐々木さんが実務経験から得た新しい構造デザインのアイデアを理論的に検証し、現実の構造デザインにも適用できるまでになった。
大学人になって、佐々木さんに加わったもう一つの可能性は、歴史への視点である。実務に集中すると、当面の問題に目を奪われて、自分の仕事の歴史的な位置づけができなくなる。構造デザインは理論的なモデルを相手にしているので、一般的には客観的な仕事のように考えられている。しかし実際には、構造デザインの理論も、それを実現する施工技術も、客観的とは程遠い歴史的な制約を受けた存在である。そのことは近代建築の歴史に目を向けてみれば明らかである。
協働し始めた当初から、僕たちは近代建築を支えてきたテクノロジーの歴史的展開と、これからの方向性についてについて研究した。ジークフリート・ギーディオンの『空間・時間・建築』やユリウス・ポーゼナーの『近代建築への招待』から、近代建築史の底流に「非物質化」や「エフェメラリゼーション」(バックミンスター・フラー)への方向性が潜んでいることを学び、さらに『スーパーシェッズ』(クリス・ウィルキンソン)を初めとする『ハイテクコンストラクション・シリーズ』の翻訳を通じて、その歴史的潮流を確証した。そしてそのような方向性を「微細な構築」という僕たちなりの設計方法論へと結実させた。「微細な構築」とは、細やかな部材による分散的な構造システムによって空間を構築することである。
その後、佐々木さんは、近代建築における構造技術の歴史的研究を精緻に展開させ、『構造設計の詩法』や『モダンストラクチャーの原型』にまとめている。このような歴史的視点が、実務と理論の回路を立体化し、佐々木さんの活動に射程距離の長いヴィジョンをもたらしていることはまちがいない。

複雑性とリダンダンシー
阪神大震災(1995)と9・11(2001)という二つの歴史的事件は、構造デザインの基本思想に大きな影響を及ぼした。阪神大震災以降、建築の耐震性に関する佐々木さんの考え方は微妙に変わっていった。それまでの単純明快な構造モデルに、耐震性を確保するための新たな修正が加えられた。しかし曖昧な構造モデルに退化したわけではない。むしろモデルがより微細に洗練されたというべきである。その典型を「せんだいメディアテーク」の耐震構造システムルに見ることができる。佐々木さんは、巨大な地震力が地上の上部構造に被害が及ぼさないように、地下1階のフレームによって地震力を吸収するシステムを考案した。阪神大震災級の地震におそわれたときにも、地下1階のフレームだけが大きく変形する。このとき上部構造は無傷なので、建物全体を一時的にジャッキアップし、地下室のフレームの一部分(貫梁)だけを造り替えれば、元の建築に復元することができる。
佐々木さんは、巨大な地震力に対して、免震構造のような通り一遍の解答を提出することを良しとしない。なぜなら、自然がもたらす不確定な地震力に対して、免震構造はあまりに単一な解答であり、メカニズムが脆弱だからだ。不確定な条件に対しては、微細で多面的な対策を講じるべきだというのが、構造家としての佐々木さんの倫理であり美学なのである。
9・11は、さらに大きな挑戦だった。テロによる破壊は地震以上に不確定な条件だからである。そうした不確定な条件に対応するために、構造家たちはリダンダンシー(冗長性)という概念を提唱した。リダンダンシーとは、多様な構造モデルを複合させることによって、クリティカルな条件を分散させ、建築の安全率を高める考え方である。佐々木さんはリダンダンシーの考え方を、立体的な空間構造のデザインに導入し、新しい構造モデルを構想した。当初のモチーフは「せんだいメディアテーク」の傾いたチューブに構造的な根拠を与えることだったという。もともと空間構造に興味を持っていた佐々木さんは、コンピュータによる反復計算を用いた複雑系の数学を構造解析に適用し、適度なリダンダンシーを備えた自由な立体曲面のデザイン手法を開発した。この方法によって、構造的には合理的でありながら、今まで見たこともないような形態が生み出された。そこからどのような建築空間をうみ出すかは、建築家が取り組むべき課題だが、佐々木さんのうみ出した形態モデルが、最終的な空間を決定づけることは間違いないだろう。
最近、佐々木さんはしきりにアントニオ・ガウディを口にする。もちろん佐々木さんが見ているのは、奇想と装飾を追求した通り一遍のガウディではなく、ロウテクな技術を駆使しながら合理的だが複雑な構造モデルを構築したガウディである。ガウディの再評価を通して、佐々木さんはモダニズムの透明な合理性を突破しようとしている。それはルネサンスの古典主義から躍動的なバロックへの転換のようにも見える。

21世紀の「工学技師の美学」
最後に、佐々木さんの構造デザインの今後の方向を表すキーワードを取り上げながら、いくつかの問いを投げかけてみたい。

線から面へ:これは主要な構造部材を線材から面材へと移行させることである。近代建築が追求した線材によるフレーム構造から脱却し、面材による立体的な空間構造へと向かう方向を示している。しかし床や屋根では可能であっても、果たして柱を消すことが可能だろうか。
デジタル社会においては、離散的な部品によって空間を構築することが主流である。したがって僕たちがめざすべきなのは、小さな部品を並列的に組み合わせることによって、序列のない分散的な空間構造を構築することではないだろうか。このとき「面」は微細なデジタル部材によって構成されるのではないだろうか。

線形から非線形へ:これは単純で脆弱なモデルから、リダンダンシーを備えた複合的なモデルへの転換を示している。再帰的な反復計算による複雑系システムが可能にした新しいモデル構築の方法である。不確定な条件に満ちた現代社会にふさわしいモデルといえるが、僕としては、それが「決定論的モデル」の自己言及によってうみ出されることに注意を喚起したい。それは全体として見れば複雑で多面性を備えているが、それを構成する部分はあくまで単純明快なのだ。要するに非線形モデルは線形モデルの再帰的な計算、すなわち時間=歴史の中に置かれることによってうみ出されるのである。

力とエネルギー:目に見えない力の流れに形を与えようとする佐々木さんの仕事に、僕としてはもう一つの眼に見えない要素、すなわちエネルギー(熱)の流れを加えたい。21世紀の「工学技師の美学」は、力とエネルギーという二つの目に見えない流れに形を与えることによってうみ出されるのではないか、というのが僕のヴィジョンである。


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