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新建築2004年8月号 月評 

佐々木睦朗の巻頭論文「リダンダンシーについて--均質性より多様性へ」を興味深く読んだ。阪神大震災(1995)や9/11(2001)がもたらした構造設計の考え方の変化に関する専門的な論文だが、その基本的な考え方は、建築や都市への取り組み方についても十分に通用するように思う。WTCの崩壊を見て、誰もが「なぜあんなにも簡単に建物が崩壊するのか」と疑問に感じた。その理由は、WTCの構造があまりに効率的でリダンダンシー(冗長性)を欠いていたからだというのが構造家の回答である。リダンダンシー(冗長性)とは「余分な性質」のことである。佐々木は大震災やテロといった不確定な災害に対する建物の安全性を確保するには、これまでのような最適化手法ではなく、余剰性を含んだ多面的な検討が必要であると主張する。とはいえ、それはただやみくもに安全率を高めることではない。そうではなく、最適化手法を踏まえた上で、そこに意図的・計画的に冗長性=余剰性を組み込むことである。つまりリダンダンシーとは、構造設計のより進化した理論なのである。この考え方は、建築や都市の設備システム(ライフライン)やプログラム(機能)のあり方に関しても通用すると思う。最近、都市再生や都心回帰が注目されるようになっているが、それは都心のアクティビティが多様なリダンダンシーを孕んでいるからである。そのような意味でリダンダンシーの概念は、これからの建築や都市を考える上でキーワードになるかもしれない。
長野県知事・田中康夫と建築家・團紀彦へのインタビューをまとめた特別記事「マスターアーキテクトに託されたこと」も興味深い。長野県では田中康夫知事が、景観上とくに重要と認められる地域にマスターアーキテクトを配属し、景観を育成するという制度を制定している。田中知事は軽井沢と飯田を指定し、團紀彦をマスターアーキテクトに任命した。建築の社会性に関する田中知事の発言には、民主主義や「公」の考え方に関して通常とは異なるユニークな視点がある。「建築というものはきわめて社会性が求められます。社会性が求められているときはby nameで誰かが提示しない限り、そこから議論が始まりません。」「民主主義の成果をもたらすためには、by nameで仕事をする人間を私が指名して起用しなくては、皆の意見は出てきません。」このように社会性は固有名にもとづくという発想には否定しがたい説得力がある。指名された建築家の責任は大きいが、自立する個人を根拠とした職能としての建築家にとっては冥利に尽きる使命だろう。田中知事の次の発言に、僕はハタと膝を打った。「私が長野で行おうとしていることはケインズの新しいニューディールだということです。従来型の土木建設ではなくて、私たちの文化を残すための公共事業、つまり新しいニューディールに変えなきゃいけない。」ここには新しい「公」の論理がある。ケインズ式のモダンな経済学の終焉を唱え、すべてを民営化し自由競争へ向かおうとする昨今の潮流に対抗する田中知事と、その使命を担った團さんにエールを送りたい。
今月号の掲載作品では、やはり池原義郎のニューイースト・ピッコラロトンダが突出している。鉄骨造の軽快で繊細な屋根やスチールバーによるピッコラロトンダの造形には溜息が出るばかりだが、残念ながら僕にはコメントする言葉がない。ヨコミゾマコトの東村立新富弘美術館の工事中の写真に目を引かれた。円形プランの部分と正方形の全体の関係にリダンダンシー(!?)がないのが気にかかる。しかし今までに見たことのない空間であることは明らかだ。完成が楽しみである。小泉雅生のビチケイ/Ti02は実際に見たが、実験棟の素っ気ない箱と鉄板構造による付属部分の対比が面白かった。原田真宏+原田麻魚の屋上のランドスケープは既存の美容学校の屋上に木造のペントハウスを載せ、素っ気ない屋上を楽しいサロンに変えたリノベーションの新しい試みである。法規制をどうクリアしたのかが気になるところだ。川本明春の吉祥寺サンロード商店街アーケードは鉄骨の構造体がやや骨太だが、膜構造による開閉可能な天蓋が、これまでの閉鎖的なアーケードを開放的な都市装置に変えている。北山恒と篠原聡子による船橋のミニ戸建て開発は4戸の建売住宅の設計だが、通常のミニ開発とは異なり、敷地割りを一体化することによって集合としてのメリットを生かした建物配置を実現している。各住戸についても、クライアントの顔が見えない設計であることを逆手にとって、キレのいいデザインにまとめている点に感心した。


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