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新建築2004年7月号 月評

今月号は日本を代表する建築家の作品がそろった豪華なラインナップである。現代における建築のあり方について、それぞれ一家言を持った建築家ばかりなので、ひとつひとつの作品を個別に批評するだけではつまらない。全作品を通して見たときに浮かび上がるような、何らかのストーリーを探ってみたい。
まず、ひとつの座標軸を設定しよう。伊東豊雄は松本市民芸術館にかんするエッセイ「ピュアな美しさより生き生きした楽しさを」の最後に、伊東の常套句である「近代主義を超えて」を提唱している。一方、谷口吉生は巻頭インタビュー「都市との関係をめざして」において、広島市環境局中工場では丹下健三の広島平和ピースセンターからの伸びる都市軸を導入したこと、ニューヨーク近代美術館拡張計画ではフィリップ・ジョンソンの彫刻庭園をはじめとする既存建物との一体化をめざしたことなど、近代主義との連続性を強調している。実際の作品を見ても、谷口はミース的な洗練、つまり箱型で直線的な「ピュアな美しさ」をめざし、伊東は曲線や角度を多用した「生き生きした楽しさ」をめざしている。この対比を確認するかのように、藤森照信は批評的エッセイ「塀の上の伊東さん」において、この対比を「白派と赤派」と名づけ、自らの作風を赤派よりもさらにラディカルな「赤黒派」と呼んでいる。伊東と藤森が同じことを言っているのかどうかは分からない。しかし少なくとも、谷口と伊東の対比は、当然ながら、新建築編集部が仕掛けたものであることは間違いないだろう。
そこで、この座標軸を当てはめながら、他の作品を見てみよう。まず、安藤忠雄の野間自由幼稚園は緩やかな曲線を用いながらも、緊張感のある空間を生みだしている点で、両者の中間に位置している。加子母村ふれあいコミュニティセンターは直線的ではあるが、角度を多用している点で同じ傾向である。いずれも木材を使用している点では「赤派」に近いと見ることもできる。しかし木材に対する安藤のアプローチは明らかに近代主義的である。
内藤廣の最上川ふるさと総合公園センターハウスもプラニングと断面形から安藤に近い位置にあるように見える。しかしランドスケープや気候制御への視点、時間の意識、鉄骨造による立体構造的なシステムなど、この座標軸上への一元的な位置づけを許さない複合性を備えている。
一方、山本理顕と協力建築家による建外SOHOはグリッドシステムといい、白さといい、谷口のミース的洗練を突き抜けて、ヒルベルザイマー的なウルトラ近代主義を達成している。コンペから3年間という短期間でこれだけの規模の建築群をまとめ上げるには、徹底的な単純化とシステム化以外には方法はなかったろう。それにしても最近の山本の仕事の展開には眼を瞠るものがある。
同じような視点で見ると、古谷誠章の神流町立中里中学校体育館はシステマティックな箱型の建築という点で、本号掲載の建築のなかでは谷口にもっとも近いといってよい。
問題は隈研吾の村井正誠記念美術館である。単純な箱型の形態から、谷口的な近代主義のように見える。しかしながら旧村井正誠邸のアトリエや外壁材を再利用し、新しい建築に中に統合することによって空間にゆらぎを生みだしている点において、上に述べたどの建築とも異なっている。歴史を取り込んでいる点では、谷口のニューヨーク近代美術館拡張計画に近いけれど、谷口は隈のように歴史を露呈させることはしないだろう。要するに、現代建築にはもうひとつ「時間=歴史」という別の軸が必要なのである。この軸を加えれば、内藤廣の建築も理解しやすくなるように思う。
ところで、ここまで書いてきて、ひとつ気がついたことがある。伊東は「抽象性」「均質性」「ピュアな建築」「透明性の呪縛」といった言葉を連ねながら、近代主義を超えることを提唱しているのだが、伊東と同じ方向をめざしている建築家はほとんどいないのである。藤森が、自分はそうだといっているようだが、それは誰も信じないだろう。むしろ僕の眼には、伊東自身も伊東がいう方向とは違う方向をめざしているように見える。というのも、松本市民芸術館で伊東は、さまざまな新しい技術的試み通して、今までにない「マテリアル」や「シークエンス」を実現していることは確かだが、眼を細めてじっと見ていると、初期のル・コルビュジエの作品、とりわけサボワ邸を思い出すからだ。これは僕だけの錯覚だろうか。
もし、僕の見方が間違っていないのだとしたら、伊東の主張はミースとル・コルビュジエの差異に回収されるだろう。僕はわざと意地悪な見方をしているわけではない。そうではなく、伊東が乗り越えようとしている近代主義は、第2次大戦後の教条化した近代主義であり、1920年代の初期の近代主義にはもっと豊かな可能性があったことを言いたいのだ。テクノロジーの進展によって表現は変わったが、テクノロジーの可能性を生かすという初期近代主義の思想は、依然として生き延びているのではないかというのが僕の結論である。

 

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