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建築文化 2003年8月号 掲載
media review 「注視」から出発すること 『リノベーション・スタディーズ』書評

リノベーション(Renovation)とは何か。本書の編者である五十嵐太郎の定義によれば、「既存の建築を有効に再利用して、増改築することによって今までとは別の用途として機能させる」ことである。本書はリノベーションという視点から、建築を全面的に再検討しようとする試みである。その意図については、本書の冒頭に、五十嵐自身による的確な紹介『リノベーション・スタディーズとは何か』が掲載されている。同じ文章は以下のホームページでも参照できる。

http://tenplusone.inax.co.jp/top/feature/0304/index.html

そこでまず、別な角度からリノベーションについて考えてみよう。
現在、東京の都心には、品川、新橋、丸の内、六本木に、次々と超高層オフィスビルが建設されている。オフィス面積が不足しているわけではない。むしろオフィスは供給過剰といってよいくらいである。ではなぜ現在、これほど超高層ビルの建設ラッシュが続いているのか。明らかにこれは不景気で下落した都心の土地価格に乗じた不良債権処理の一環である。要するに、大資本やゼネコンのための一時凌ぎの景気対策なのである。経済行為だから仕方がないとはいえ、これは依然として近代的なスクラップアンドビルドの考え方であり、問題を先送りにするする行為でしかない。かくして古いオフィスビルのテナントは新しいオフィスビルに移り、古いオフィスビルは空室だらけとなる。かつてのオフィス街には閑古鳥が鳴き始める。しかし古いオフィスビルをそのまま放置しておくわけにはいかない。中小ビルのオーナーにとっては死活問題である。かといって古いビルを取り壊し新しいビルを建てても、オフィスの供給過剰に拍車がかかるだけで、問題は解決しない。もっと生産的な解決法はないだろうか。
こうした問題提起から生まれたのが、オフィスを集合住宅にコンバージョン(転用)するというアイデアである。空きオフィスビルは都心の下町に集積している。コンバージョンは都心に居住者を引き戻し、ひいては街全体の活性化にもつながるだろう。超高層ビルの建設ラッシュと平行して、今後は古いオフィスビルの集合住宅へのコンバージョンが急速に進むことは間違いない。
既存の建物を生かすという点で、コンバージョンは明らかにリノベーションの一種である。コンバージョンに関する研究は始まったばかりだが、すでに『コンバージョンによる都市再生』(建物のコンバージョンによる都市空間有効活用技術研究会 日刊建設通信新聞社 2002)というような本も出版されている。
コンバージョンに限らず、似たような問題は至るところに発生している。たとえば戦後の高度経済成長期に建設された大量の団地は、物理的にも機能的にもそろそろ寿命が近づいている。これを放置するわけにはいかない。団地再生のための何らかの対策が必要である。これもまた一種のリノベーション問題だといってよい。この問題に関しては『団地再生:甦る欧米の集合住宅』(松村秀一:著 彰国 2001)や『団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ』(INAX出版 2001)といった本が出版されている。
要するに世の中は、古い建物を壊し新しい建築を立てるという、これまでのスクラップアンドビルドの考え方から、蓄積された建築的ストックをいかに活用するかという考え方に、徐々に移行しつつあるのである。『リノベーション・スタディーズ』はこうした考え方にもとづいて活動している若い建築家、デザイナー、アーティストたちの活動をシンポジウム形式で紹介したものである。しかし基本的な考え方は同じでも、その活動は多種多様である。それだけでリノベーションという概念の広大な可能性を理解できるが、それはシンポジウムの仕掛け人である五十嵐太郎の見立てによる所が大きい。本書を読んでいると、リノベーションとは、単に上で述べたような社会的・都市的問題に対する対症療法ではなく、もっと根本的な物事を計画し製作する際のスタンスの変化を示しているように思えてくる。一言で言うなら、それは既にあるものを微細に観察すること、すなわち「注視」から出発する態度である。確かに通常の設計やデザインにおいても、設計条件を詳細に検討することは重要な作業である。しかし重点はあくまで「何をつくるか」にあり、設計条件の検討はそのための手段に過ぎない。一方、リノベーションにおいては、むしろ既存条件の注視が大きな比重を占める。最終的にでき上がるものは、既存条件との対話の結果であり、単一な「何か」ではない。したがってリノベーションにおいては、歴史的な視点が決定的な重要性を持つようになる。既存の建築や都市がどのような経緯でそこに存在しているかを知ることは、今後それをどのように変えていくかを知るための重要な条件になるからである。
このようなスタンスを突きつめていくと、いわゆる建築的リノベーションにとどまらず、すべての事象をリノベーションとして見る「リノベーション的視点」のようなものが生じてくる。本書の編者の隠された意図は、実はそのあたりにあるのではないか。そしてそれは戦後60年間に蓄積された膨大な社会的ストックを前にした世代の必然的な反応ではないかと思う。
リノベーション的視点は、既存条件を価値判断抜きにクールにとらえる。そして既存条件の微細なシステムを読み取り、それに何らかの操作を加えることによって別のものへと転換させる。つまりリノベーション的視点とは、一種の知的なゲームなのである。ゲームの楽しさは結果にではなくプロセスにある。そして本書に対して僕が微かに違和感を抱くのはその点である。
『動物化する世界の中で:全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』(東浩紀+笠井潔:著 集英社新書 2003)は、終戦直後に生まれた団塊世代・全共闘世代(僕もその一員である)と1970年代生れのポストモダン世代(本書の著者よりはさらに若い世代だが)の対話だが、ここにも社会的事象を自己に引き寄せてとらえようとする世代と、一種のゲームとしてクールに見ようとする世代の大いなるすれ違いがある。
視点の違いを世代の違いに還元したくはないが、本書を読みながら、僕の中に依然として(リノベーション的ではなく)イノベーション的な態度が根づいていることを痛感した。

 

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