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jt 2002年12月号原稿
「200冊から見通す住宅の現在」

jtが創刊された1980年代後半はバブル最盛期ということもあって、ポストモダンでヘビーデューティな住宅が数多く出現した。90年代になってもしばらくその傾向は続いたが、90年代半ば頃からポストモダニズムは鳴りを潜め、モダニズムの再評価が始まった。そうした潮流の中から出現したテーマのうち、記憶に残っているのは住宅の「開放性」と「批評性」という問題である。70年代から80年代にかけてのポストモダニズム期の住宅は総じて、都市に対して閉鎖的で内向的であった。「住宅に都市を埋め込む」というテーゼが、その傾向を端的に表していた。これは住宅内部に自己完結的なコスモロジーをつくることを意味していた。それは社会的な側面から見ると、家族が都市社会から乖離・逃避することを意味していた。90年代のモダンで開放的な住宅は、それまでの住宅の自己完結的な反社会性に対する批評として出現したといってよい。しかしそれはプレモダンなコミュニティへの回帰を主張していたのではない。そうではなく、むしろ家族の解体が急速に進行しているという現実を真正面から見すえながら、かつての住宅の自閉性が、核家族の自立性という幻想のもとに成立していたことを暴き出そうとしたのである。
「開かれた住宅」は「開かれた家族」をめざしている。しかしそれは、家族のメンバーの一体性が、近代的な個人の自立を前提にした一種の「家族ゲーム」であることを前提に成立している。それは緩やかな共同体として近未来の家族像をための住宅である。必要最小限の資源、必要最小限のエネルギー、必要最小限の空間、コストパフォーマンスの追求といった最近の住宅デザインの背景には、必要最小限の家族関係の模索という社会的実験が隠されている。これからの建築家の役割は、そうしたクリティカルな条件に目に見える形を与えることにあるのだと考える。

記憶に残る住宅

数多くの名作が脳裏に浮かぶが、2点だけを挙げろと言われれば、個人的な体験にもとづいて選ばざるを得ない。まず僕にとって自分の建築世界の狭さを痛感させてくれた住宅は、斉藤裕の「るるるるる阿房」である。初めてこの住宅を見たとき、自分の足元が大きくぐらつくのを感じた。この住宅は僕のめざす空間からもっとも遠い位置にあったからである。その理由を確かめるために、僕は徹底してこの住宅を調べ上げた。今では距離をもって見ることができるようになったが、当時はただただ狼狽したことを記憶している。
もうひとつの記憶に残る住宅は、伊東豊雄の「K邸」と僕の「アルミエコハウス」である。これらは日本で初めて実現したアルミニウム構造の住宅であり、これまでの構造材料(木材、コンクリート、鉄)とは異なる建築構造の試みである。アルミニウム構造には、まだ未知な部分が残されているが、近代建築とは異なる空間の可能性を予感させる構造材料なので、今後も引き続き追求していきたいと考えている。

 

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