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箱の家 PROJECT 青本往来記
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難波和彦 第32信 「15Aの家」評 「インテグレーションに向かって」 2014年04月07日(月)

中川純が初めて界工作舍を訪れたのは、僕が大阪市立大学から東京大学に移ることが決まった2003年4月だったと記憶している。最初の3ヶ月間は模型製作のアルバイトとして当時実施設計中の浅草二天門脇に建つ「二天門消防支署」の模型製作を担当した。界工作舍の入社試験の重要な条件は、模型製作の精度だが、彼の腕前はかなりレベルが高く、これまでの界工作舍スタッフの中でもトップ3に入ると思う。彼を受け入れた最大の理由はそこにあったが、もうひとつ他のスタッフとは大きく異なる点もあった。早稲田大学建築学科の学部卒である点は「箱の家001」を担当した藤武三紀子と同じキャリアだが、僕が中川に興味を持ったのは、早稲田大に入る前に東京理科大理学部の応用化学科を卒業していることだった。建築学と応用化学に何らかの関係があるのかと訝りもしたが、それ以上に、回り道をして建築に辿り着いた点に、自分の方向を見極める意志のようなものを感じたのである。実際に彼がふたつの学科を意識的に選んだのかどうか、あらためて尋ねたことはない。しかし彼が現在、早稲田大学建築学科の環境研究室に所属し、研究員として建築環境の研究に向かっていることと無関係ではないだろう。

中川が早稲田大学建築学科で所属したのは鈴木了二の研究室で、どのような卒論をまとめたのかは聞いていない。ただ、卒業設計では早稲田大学の教育方針から大きく外れた作品を提出したらしい。石山修武がXゼミ評にも書いているように、デザイン性や表現性をあえて放棄し、システムだけで成立しているプラントのような建築を設計したのだという。どこの大学の建築学科でもいえることだが、とくに早稲田大の建築学科では、基本的に建築の個人的発想とイマジネーションをもっとも重視する設計教育を行っている。僕は石山に協力して、早大建築学科の設計課題の非常勤講師や、石山が主宰する早稲田バウハウススクールの講師を長年務めた経験を持っている。その経験から僕は、石山が建築表現に対する個人的な発想とイマジネーションをもっとも重視していることを知った。しかしながらもう一方で、僕は、大学生や大学院生の段階で、個人的な発想やイマジネーションに注目することに関しては、若干の疑念も持っている。建築の場合、考慮すべき条件が多いので、発想やイマジネーションは、ある程度の経験を経て、多様な条件を知悉し、それをまとめ上げる段階で発揮されるはずだと考えるからである。このような視点の相違は、実際の設計課題の講評においてはっきりと表れる。というのも、僕が早稲田大学の講評会において可能性を感じる作品は、早大の教員にはほとんどB+と評価され、僕としては力作ではあっても展開する可能性がないように感じる突きつめた作品が高評価を得ていたからである。この点に関しては印象的な想い出がある。石山と一緒にイタリアを旅行し北イタリアのコモを訪れたことがある。ジョセッペ・テラーニのカサ・デル・ファッショを訪ねるためである。僕は3度目だったが、石山は初めての訪問だった。広場に面したこの建築を一目見て、石山は即座にこう言い放ったのである。「B+だな」。3次元グリッドを巧妙に操作したテラーニの剛直な空間は、石山の眼には単なるシステム建築にしか見えなかったのだろう。あるいは評価の確立した建築に対する批評性だったのかも知れない。総じて、カサ・デル・ファッショをどう評価するかは、建築家の価値観=美意識を判別する一種のリトマス試験紙といえるのではないだろうか。

おそらく中川は、表現性抜きのシステム的な卒業設計を、早稲田大の伝統的な建築観=美意識に対する対抗批評、それもかなり稚拙な批評として提出したのではないか。石山はそれを容易く見抜き「外連(ケレン)」と評したのである。それにしても20年近い過去で、毎年180人もの学生の卒計を観ていながら、石山が記憶しているという事実は、中川の作品がそれなりに石山の神経を逆撫でしたのではないかと推察する。中川にはそのような批評性を意図的に弄する知的な策略性がある。僕の考えでは、それは教員や師匠に対する一種の「甘え」にほかならない。一例を挙げよう。彼が界工作舍から独立して最初に設計した住宅を見学する機会があった。それは「箱の家」のボキャブラリーをそのまま流用したような住宅だったで、僕としては微笑ましく感じた。ところが、彼はその住宅を「これは箱の家ではない」と名づけていたのである。確かに「箱の家」の単なるコピーではなく異なる点も多々あったが、その命名はルネ・マグリットが描いたパイプの絵をミシェル・フーコーが「これはパイプではない」と呼んだことのモジリであることは直ちに見て取れた。彼としては「箱の家」から学びながら「箱の家」とは異なる住宅をデザインしたという錯綜したメッセージを伝えたかったのだと思う。しかしそのような低レベルの知的操作は学生にしか通用しないし、僕を含めた建築界に対する期待と甘え以外の何者でもないのである。

そのような低レベルの知的操作の危険性を警告して以降、中川はそれまでの批評性を捨てて、ストレートに建築に向かうようになった。彼が界工作舍において担当したのは「箱の家」の100番前後と浅草の「二天門消防支署」である。当時は、東京大学建築学科の環境研究室との共同研究によって「箱の家」の環境性能の実測を開始していた時期である。中川が担当した「箱の家108」は環境実測の最初の対象で、前もって行った仮実測からのフィードバックを、実際の工事に反映することができた。中川はそのフィードバック工事を綿密に実施し、竣工後の環境実測では、かなり高性能であることが実証された。このような経験を通じて、彼は建築における環境性能の重要性を認識したと思われる。そして独立してからは、その研究成果をさらに精密に展開し、実際の設計に適用して行った。「GPLの家」(http://njun.jp/files/GPL.pdf)には、その研究成果とともに、中川のシステム思考が批評性なしにストレートに反映されている。

「箱の家」の環境性能の実測実験を通じて、中川は東京大学建築学科の環境研究室との交流を深めて行った。東大の環境研究室は、当時は界工作舍との共同研究を通じて、環境性能と建築デザインとの関係を積極的に追求する研究を展開し始めたばかりだった。中川はその研究メンバーとして招かれ、東京大学での設計課題にも協力するようになった。デザインに対する彼の科学的でシステマティックなアプローチは、環境研究室の研究方針にもマッチし、大学院のスタジオ課題のTAにも迎えられた。東大の難波研究室OBが中心に設立した若い建築家たちの研究体LATs(Library for Architectural Theories)における中川の発表は、建築に対する科学的・理論的アプローチをめざす彼の指向を明確に反映している(『ノイジーな計画学』http://10plus1.jp/monthly/2012/06/lats17.php)。 2012年に東大の環境研究室とU.C.バークレーの共同主催によって「ARCHITECTURE. ENERGY. JAPAN 2012」と題する国際会議がバークレーで開催され、中川を含む日本の若い建築家が招待された。僕も招待を受けレクチャーを行ったが、この国際会議において、中川は、環境性能と建築デザインを結びつける最新のシミュレーション技術を学んだように思われる。

「15Aの家」には、以上のような中川の紆余曲折した経歴が埋め込まれている。それを相変わらず意図的な演出としてプレゼンテーションしているために、ややあざとい印象を与えることも確かである。しかし僕としては、小さな仕事の中に、現代のさまざまな課題を埋め込もうとする努力を前向きに評価したい。第1に、現代において契約電力を15Aに抑えながら親子4人の家族生活が可能であるかという実験は、3.11以降の都市住宅においては重要な課題であり、自邸であるがゆえに可能な貴重な試みだろう。自然採光や通風のシミュレーションにも15Aのリアリティを感じさせる説得力がある。ちなみに、通常のワンルームマンションでも契約電力は最低30Aであることを考えれば、この試みの意義が分かるだろう。第2に木造住宅のDIYによるリノベーションは木造密集住宅におけるリノベーションのあり方に対するひとつの提案である。生活空間を1階にまとめ2階の木造骨組をそのまま残しているのは、時間のデザインであると同時に空間表現のためといえるだろう。在来木造住宅の耐震補強も3.11以上の重要な課題である。とはいえ僕たちの世代には、このリノベーションの手法が、中川の師である鈴木了二が1980年代に試みた「絶対現場」を参照していることは直ちに見て取れる。さらに巨大な模型のつくり方や、参照されている山岸剛の写真は、鈴木了二の一連の「物質試行」のテイストにきわめて近い。おそらくこれも意図的な演出だろう。言うまでもなく、石山修武と鈴木了二は早大建築学科の同級生である。しかも二人が対照的な建築観の持ち主であることを考えれば、石山がそこに「外連」と「あざとさ」を読み取るのは火を見るよりも明らかである。

このプレゼンテーションに唯一欠けているのは生活のヴィジョンである。おそらく中川は、家族4人がコンパクトな一室空間で生活している現状を、そのまま外挿しようと考えているのではないか。ならば、それをリノベーションを通じてさらに昂進しプランに反映させるべきだろう。とはいえ僕としては、稚拙であるとはいえ、この住宅リノベーションにおける中川の総合的なアプローチを前向きに評価したい。このようなアプローチをさらに推し進め、守備範囲を拡大して行けば、必ず何らかの形で不連続な「創発」が生じることは間違いないように思う。


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