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石山修武 第96信 インダストリアル・デザインと小住宅設計群について その鶤 栄久庵憲司とGKの世界―鳳が翔く@世田谷美術館 感想 2013年09月18日(水)

日本のインダストリアル・デザインの骨格と日本の小住宅設計群を比較して考えようとする意味について、かつて我々が大野勝彦と試みようとしたHPU構想を想い起こしながら述べ始めた。しかし短兵急で直線的な言及は控えなければならない。HPU構想への運動体としての機関誌であった雑誌『群居』の同じ轍を踏みかねぬ。知らぬ人は多かろうが『群居』は全国の住宅施工を中心とする弱小工務店の再組織化を目的として作られたメディアであった。しかし、工務店の再組織に関する具体的で密実な動きを始める前にその運動らしきは停止してしまった。九州の島田工務店という、まだ年産数十戸の工務店を会員一号にしながら、それを礎にする事が出来なかったのだ。島田工務店の社長急逝という事件もあったが、主たる原因は機関誌『群居』を巡る編集方針についての意見の相違にあった。死んだ児を懐かしむ愚はまだ犯さぬ所存であるから、それ以上の事は今は述べたくはない。いずれ、キチンと大野勝彦論の序論くらいは、ここに書いてから余力があれば書いてみたい。アレは残念な事をしたと無念である。この「インダストリアル・デザインと小住宅設計群について」の小論は、それ故に『群居』で犯した誤ちを二度と繰り返さぬ為にも、性急な進め方を意図的に避けようと想うのだ。

『群居』の展開を介して、わたくしは自身の拠り所は謂わゆる建築生産論や、わたくしがやろうとしていた流通論らしきには無いことがハッキリと解ったのである。それは大野勝彦との考え方のあるいは資質との相違とも言えた。わたくしは自身を表現者でしかないとつくづく自覚せざるを得なかったのだ。表現者でしかないの言い方は卑屈に響くであろうから、少し言い足す。事物の生産・流通に深い関心を持ち続ける表現者だと言い直しても良い。
群居の編集を介して、機関誌らしきでの机上の空論同士の複雑な軋轢、要らぬ勘繰りがいかに無意味なものであるかを痛感したのである。群居はHPUの機関誌であった。その機関誌が本来の日本の弱小工務店の再組織化という困難極まる、しかし今考え起こしても重要極まる戦略への芽をつぶしてしまったの無念さがあるからだ。つぶしたのは機関誌の机上の空論であった。機関誌が戦略の道具に非ず、戦略の目的になってしまったのだった。

「インダストリアル・デザインと小住宅設計群について」はそんな無駄でしかない机上の空論は避けたいと考えている。だからこそ短兵急な論の進め方を回避したいと思うのだ。何故なら、この小論を机上の空論にさせたくはないからだ。この小論は主に読んでもらいたい人間をインダストリアル・デザイナー諸氏、そしてインテリア・デザイナー諸氏に焦点を当てようとしている。それ故に、副題を栄久庵憲司とGKの世界とした。今更、言うまでも無く栄久庵憲司とGKは日本のインダストリアル・デザイン世界の中心であり、栄久庵好みの言い方をするならば総本山であり、彼の構想する道具学校の骨格をなすものでもあろうから。
小住宅設計群とは更に具体的に何を指差して何を呼ぼうとしているのであるか。言う迄も無かろう。少住宅設計群とは、それを産み出す弱小設計事務所群である。ひいては弱小工務店群でもある。そこに従事する、これも又弱小設計者群である。
栄久庵憲司の世田谷美術館に於ける展覧会の感想のひとつとして、先ずわたくしはその内にある巨大な矛盾について述べた。この矛盾についてゆっくり考えをすすめたい。
それはわたくし達自身、すなわち弱小住宅設計者群が内に持つ巨大な矛盾に相通ずるモノであるからだ。


石山修武 第95信 インダストリアル・デザインと小住宅設計群について。その鶚―栄久庵憲司とGKの世界―鳳が翔く。世田谷美術館 感想 2013年09月11日(水)

かつて妙な附合いがあった女流詩人から
「わたしの世界の詩はプリントされて何百万枚出ることがあるから、あんたの世界とは違うわ」
と言われた事があり、ホトホト、ギャフンとなった事がある。わたくしの、これは詩ではないが本らしきも、売れてせいぜい数万であり、出版業界がまだ少しは元気であった頃だって十万冊の声を聞いた事は一度も無かった。今は何千部の単位だ。本とCD、DVD、販売されているプリントデータとは商品としては何変わることはない。全く同じである。ヤマハのオートバイと、マルセル・デュシャンの便器に変わる事が無いように。

建築の原点は住宅に在ると誰ともなく言われ、その幻が今でもカゲロウの如くに生き続けているような気がする。あるいは現実にうとくなってしまっていて、全くそうではないもうひとつの現実になっているのやも知れぬ。調べてみたいとも思わぬ。

日本の戦後近代建築随一の建築家であった丹下健三は唯一小住宅作品を残している。東京成城にあった自宅であった。これは諸々の事情で取り壊された。丹下健三は自分の家を他人に設計させるわけにはいかず、と考えて作品とした。しかし、住宅設計にこと更な事は一切言い残していない。自邸だけを設計し、あとは大きな公共建築、そして後半生には商業建築の設計に邁進した。その弟子筋である(実に複雑極まる系統樹であるが、これはXゼミナールのもう一方の論、作家論・磯崎新をいずれ参照されたい。)磯崎新は小住宅設計に明らかに懐疑的であり続けた。名作も少ない。小住宅N邸だけである。しかも、この小住宅は所謂小住宅の形式が主題にされてはいない。明らかに建築空間の自身のある時期の原像らしきが主題であり、だから住宅ではない。建築である。

安藤忠雄はそのキャリアの脱近代性(日本の)もあり、小住宅からスタートした。そして生まれ育った場所大阪の商業的器からも出発した。
「これが、ワシの初めての作品やで」
と何やらの通りに面した商店のディスプレイ棚、すなわり商品展示台を案内された記憶がある。この男、はじめから自分の記録化には敏感であったかと舌を巻いた。デビュー作の「住吉の長屋」に小住宅作家として踏みとどまる気配も無く、驚くべき速力で今の安藤忠雄の位置まで駆け上がった。アレヨ、アレヨという間の事である。

先程、わたくしは安藤忠雄を日本の建築思潮らしきからの「脱近代」と位置づけた。自分で言うのも阿呆臭いが、これは大事な事である。安藤忠雄の異常な国民的、あるいは国際的人気は実に脱近代そのもの、更に言いつのるならば同時に色濃く前近代性を帯びているのである。つまり、安藤忠雄の気質は日本の伝統建築を作る大工、職人、名人上手の継統を引いている。その事を日本民衆は、あるいは世界の民衆は本能的に嗅ぎとった。それ故に大スターとなり、アイコンの如くに情報として作り上げられた。他のなまじなエリート建築家とは全く出自の系統が異なっているのである。(この点については、石山修武、『現代の職人』安藤忠雄参照の事)
日本に於いて前近代は根こそぎに刈り取られたが、人間の気質の中にそれは残されたのだ。安藤忠雄をそんな風にキメつけるのはどうかの声もあろうが、わたくしはそう考える。日本の近代建築家の全てが脱亜入欧してしまった今、安藤忠雄は実にその流れから自立していた。明治期に例えば松本にある旧開智学校を設計施工した立石清重や、清水建設の祖でもある清水喜助、あるいは竹中工務店の創設者竹中藤兵衛等と、安藤忠雄の気質性向は実に同質である。それ故に多くの民衆が彼を根深く支持し続けるのだ。つまり安藤忠雄は日本の近代と前近代を骨太に結ぶ大棟梁でもある。

住宅設計の現場から離れず、小住宅を設計し続ける一群もある。わたくしもその一員であり、その群には出たり入ったりを繰り返している身ではある。仕方なく、大きな建築の仕事を作れずに小住宅設計に埋まり込む人々とは別に、それとは異なる意味があるや、無しやといぶかしみもする特別な設計家もいないわけではない。わたくしの若い頃の友人でもあった大野勝彦であり、今のXゼミナールの友でもある難波和彦でもある。セキスイハイムの大野勝彦が亡くなった今は、ほとんど難波和彦が唯一の設計家としての存在形式を持つと言って過言ではない。

難波和彦の仕事はかつて大野勝彦と試みようとしたハウジング計画ユニオンの何モノかに近似している如くがあるような気もするがいまだ定かではない。しかし難波和彦の仕事は固有名詞(記名性)に於いて語るよりは、HPU(ハウジング計画ユニオン)で大野が構想していた年産60戸以上の小住宅建設の工務店の再組織化というような視野によって考える方に意味がある。つまり、小住宅設計に従事する設計事務所、工務店の組織化という視野である。その設計活動の表現としての価値は小さい。その小ささを四層構造の理論とやらで位相をずらしても今に価値も少なかろう。

唐突に考えられもするであろうが、そんな向きに附合っている時間は無い。要するに難波和彦の活動はその設計組織、ひいてはその協同への可能性、日本の小工務店との連携の視野を持たぬ限り本格的に意味あるモノとはなり得ないのではなかろうか。
それが、日本のインダストリアルデザインの骨格らしきと小住宅設計群を比較して考えてみようとする根底である。
9月10日  石山修武


『栄久庵憲司とGKの世界 ― 鳳が翔く』発行:世田谷美術館、2013年、p.96)


2.大野勝彦 セキスイハイムM1(http://www.sekisuiheimm1.com/)


3.難波和彦 箱の家 001  (http://www.kai-workshop.com/)


Xゼミ石山修武 第94信 『インダストリアル・デザインと小住宅について その鵺 栄久庵憲司とGKの世界―鳳が翔く@世田谷美術館』感想 2013年09月05日(木)



世田谷美術館の展示で最も、ある意味では衝撃的でもあったのはエントランス・ロビーに置かれていた大きなオブジェクトであった。このオブジェクトには「VMAX胎動−Need6」というネーミングが附されていた。
ヤマハ発動機株式会社の製品VMAXの新型生産の為の雌型である。VMAXは1985年の発売以来、全世界で四半世紀のロングセラーとなった、と展覧会カタログに記されている。そのオートバイの世界的ロングセラーの新型をGKでデザインし、その生産の為の雌型、すなわち金型を「胎動」と名付けたオブジェクトに仕立てたものである。わたくしには美しいオブジェクト、すなわち彫刻の如くに眼に映った。
非常に美しいと思ったわたくしの気持の動きらしきを説明しなくてはならない。
近代に於いて美は二つの世界へと分裂した。分裂せざるを得なかったからだ。近代に於いてもヴァン・ゴッホのような、あるいはポール・ゴーギャンのような絵描きは存在した。そして良く表現し得た。個人の特異な感性を筆をとる指の動きに託し、油絵の具というマテリアルを布切れに塗りつけ続けた。そして、それを彼等の死後、画廊が売り買いを続けて、最終的には美術館という近代の美術制度の内に納め切ったのである。美術館に収納され切って、それで初めて彼等近代画家の所謂作品群は経済的価値が生まれたのである。経済的価値に裏付けされぬ美術品、あるいは制作物にはほとんど何の価値もありはしない。ほとんどと書くのには理由がある。稀ではあるが個人の趣向、趣味と呼ばれる表現、つまり日曜画家、アマチュア、学生等の未成年者、更には幼児、精神異常者(アウトサイダー)の世界にはそれとは別種の価値が存在するが、これは今は省く。大事な問題なのは知るのだが、意図的に省く。彼等の各種膨大な表現は近年のオタク文化に通じるのだが、今のところはこれは別枠としておきたい。この論が、その別枠にまで、つまりはオタクや幼児退行症候群に迄辿り着くまで持続するかどうかは今のところは知るかぎりではないからである。

GKのインダストリアルデザイン、例えばヤマハのオートバイに視られる美は我々の今の住文化の底にあるオタク文化的傾向とは際立って対比的である。我々の小住宅設計の深奥には意図せざるオタク的世界が拡がっているのを感じるからでもある。オタク、すなわち個々人の、あるや無しやも定かではない妙な普遍性も帯びた趣味のたわむれの自閉世界である。個別な条件に対応する表現と言うものは畢竟それに近い世界なのである。

世界を相手のマーケットに於いてヤマハVMAXオートバイは大きな成果を挙げた。つまりはベストセラーであることを続けた。その数を生産企業の外に居る人間が知ることは不可能に近いけれど、恐らく数百万台の単位で売られ続けた。世田谷美術館のエントランスロビーに飾られたVMAX生産の雌型金型はその何百万台のオートバイのいわば母体である。コレを母体にして膨大な数量のオートバイが大量生産され続けたのである。
栄久庵憲司はその事を深く自覚して、この雌型金型を美術館の入口に置いた。つまり、あくまでも私的な感性をベースとし続ける美術界の保存倉庫とも呼ぶべき現代美術館に展示してみせたのである。明らかに実にこれは挑発である。1917年、マルセル・デュシャンは少なからぬ数量を生産されていたであろう、ただの便器に泉と命名してニューヨークの美術展に出展した。それは振り返れば20世紀美術の歴史に於ける最大級のスキャンダルであった。以来、美術そのものの在り方が二つに分裂する大スキャンダルの始まりであった。以来美術は相変わらず人間の手で丹念につくり続ける工芸に極めて近い世界のモノと、知覚によって、要するにその枠組から外そうとする営為の流れに分裂したのである。デュシャンの泉と題された便器は美術展、ひいては美術館の如き場所に展示されなければ、ただの便器に過ぎない。しかも手作りの一品生産の工芸品ではなく、それは工場で量産された工業製品であった。この時、デュシャンの知的関心は明らかに美術とは?であり、他の何者でも無かった筈である。何者がそれを美として認めるかではない、それを美術であると認めさせる幻想の如き制度へと向いていた。
その思考の形式、身振りとでも呼ぶべきは栄久庵憲司が美術館のエントランスに、すなわち自身の美術への挑戦的態度の表明と極めて近いのである。そう、わたくしは考えたい。栄久庵憲司がほとんど自身の手と脳味噌と行動で作り上げたと思える日本のインダストリアルデザイン世界は、日用品、機械のデザイン、すなわち日用品作りに於いて美術的表現の世界の観念的なしかし強くある階層に於いては明らかに歴然として下位に置かれている。
対して実利の世界に於いて美術は明らかに無である。それはゴミに等しいモノでもある。現実の生産、流通のプラクティカルな生態にそれは決して顔を見せることも無い。しかし、美術館という非実利の、謂わば幻想世界の場所に於いてはそれは、その位層は逆転する。日常生活に何の役にも立たぬ美術品の無駄は明らかに実利の上に立つのである。この不可思議、そして口惜しさ、はぎしりする程の口惜しさと栄久庵憲司は考えたに違いないのである。それは昨日今日の思い付きでは無いだろう。東京芸術大学で工芸図案科に入っていたが、芸大は極端に保守的な階層性世界が歴然としてあり、日本画家が一番の上位にあり、工芸図案科はその頂きをはるか上に眺める下位の実利世界でしか無かった。もっと直接的に言えば明らかに世界性を規準に据えて見るならば質の悪い表現形式の一部が時に頂きにあり、人々の生活に本当に役に立つ、つまり民主主義そのものを体現していると考えてその中に入ってみた工芸図案は下々に押しやられる世界でもあった。
栄久庵憲司のほぼ生涯を賭けたと思える闘いはかくなる世界を、すなわち明らかに非民主的世界でもある世界の身近な枠組みを組み変えたいと願う生そのものでもあった。
この展覧会の全体を流れる激しい意志はそんな今の現実にも流れ続けている歴史に対しても構えられていたのである。


石山修武 第93信 『インダストリアル・デザインと小住宅設計群について。その鵯―栄久庵憲司とGKの世界―鳳が翔く@世田谷美術館』感想 2013年09月03日(火)

本日、9月1日に修了した世田谷美術館美術館に於ける、日本のインダストリアル・デザイン界を代表する栄久庵憲司とGKの世界のデザインの成果と、 その行方について考えてみたい。私事ではあるが院生時代わたくしは栄久庵憲司、GKの許に1年程身を寄せ、少なからぬ薫陶を得たからである。影響を受けた のである。学生時代のわたくしは大組織の務め人になる気持は全くなく、さりとて一人で何か出来るわけも無い、すなわち行き処がない無用の人間であった。 会ってみたい人は居た。栄久庵憲司と白井晟一だった。共に訪ねて、栄久庵さんを勝手に選んだ。誠に失礼千万極まる選択でもあった。
わたくしの行動、それが生み出す作品が孕む矛盾があるのは承知しているが、それは、はじまりの頃から続いているのであって、今に始まった事ではない。
何故、栄久庵憲司に惹かれたのかと言えば、やはりその大きな矛盾そのものの在り方に本能的に惹かれたのだと、今なら解るのである。
世田谷美術館での展覧会はその事を再び知らしめることになった。絶対矛盾の自己同一なぞと禅の思考スタイルの如きを持ち出そうとするのでは ない。しかし日本の知識人のハシクレ、断片としては、そう考えたくなる程に栄久庵憲司とGKの世界は矛盾に満ち溢れていたのである。それは戦後の日本の民 主主義が持つ矛盾でもある。―それが栄久庵憲司の実ワ真骨頂なのである。つまり、ケチな小さな矛盾ではなく、近い未来に解消可能なそれではなくって、巨大 過ぎていずれは誰の眼にもハッキリと、成程と思はせる事にもなろうが、それでなくっては困り抜いてしまうのだが、それはまだまだ遠いかも知れぬと想はせる ―そんな大きな魅力がこの展覧会には大きく、まさに翔いていた。
鳳が翔く―という展覧会の題命は、これはいかにも栄久庵憲司らしい。とわたくしは思った。自身による命名であろう。名は体を表すの諺通り、 このタイトルは栄久庵憲司とGKの孕む大矛盾をも又、持つのである。この大矛盾は簡単に言説や説法で明かせる類のチャチな世界ではない。言説に生きる人に チャチとは失礼なので言い直せば―それがまさにデザインの存在理由でもあると言う位に巨大で深い問題も孕むのである。
Xゼミナールでわたくしが書き続けている作家論・磯崎新―の枠を借用するならば、磯崎新のような大建築家であればですよ、こういうタイトル はつけないのである。さしずめ「反回想」とかにするであろう。要するに脱亜入欧の明治以来の近代日本の国策とハッキリ通じてもいるヨーロッパ型の思考を歴 然と持ち込むであろう。あるいは世田谷美術館に於ける次々回、12月からの展覧会に登場する実験工房の山口勝弘であれば―イカロスの遊泳―とかの題にする のではなかろうか。日本の前衛芸術家だって、その根は深くヨーロッパに茎を通じているのは周知の事実でもある。
イカロス(※石山修武サイト 山口勝弘先生と石山との手紙参)だって神話ならぬ地中海ナポリの空を飛んだと言うし、磯崎好みの極、レオナル ド・ダ・ヴィンチの人力飛行機だって実に日本知識人の垂涎の的でもあるイタリア、ルネサンスの華フィレンツェ近くの岩山で飛ばせたと言う遠い噂(※Xゼミ ナール、作家論・磯崎新参)もあるようだ。
あるいは磯崎、山口両氏とは異る大衆的な支持を持つ国民的建築家でもある安藤忠雄ならば、私の軌跡、と簡明極るタイトルを附したに違いないのである。それに対して栄久庵憲司は―鳳が翔く―とタイトルを附した。
鳳とは、実に日本人の古層に眠り続ける中国古代の神話的世界の存在である。だから我々大衆は圧倒的に支持するかと思いきや、これは戦後民主 主義の成果であったのか、今は懐かし戦後のデザインの名作だったレイモンド・ローウィの煙草のピースの鳥、あれはハトであろう。アメリカのデザイナー、レ イモンド・ローウィも又、ヨーロッパの神話、ノアの箱船から飛び立って、やがて戻ったハトに想を得て、あの名作を産み出した。アレはアメリカ発のヨーロッ パである。
圧倒的日本大衆、今は消費者と呼ばれる。ここでは民衆と言い直そう、民衆の支持を得るべき“鳳”は、しかし現今の民衆には不可解な怪鳥とし て受け止められかねないのである。不思議の無いところには何の魅力もありはしない。この大怪鳥こそが栄久庵憲司の可能性の中心でもある。
しかし、ここでは大がかりな舞台セットでの民衆論を説く事はしない。Xゼミナールという私的なコンピューター・サイトで展開する論になる。それ故にタイトルをインダストリアル・デザインと小住宅設計としている。地に足をつけて論をすすめたい。
9月2日


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