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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2016年09月30日(金)

7時起床。曇り時々晴れ。ここ2日で一気に涼しくなる。8時半出社。『建築と日常』誌の編集者、長島明夫さんからメールが届き10月5日にLIXIL GINZAで開催される『坂本一成作品集』の出版記念パーティでのスピーチを依頼される。10人余の人が話すので短いスピーチだが光栄なので快諾のメールを返送する。坂本さんの建築思想で気になるキーワードは「日常の詩学」である。頭を整理するために『建築家・坂本一成の世界』の「対話」の文章を読んで見る。中心性を避けるためにひとつのコンセプトによって全体を統御しない多焦点なデザインであること。なおかつ多元的なテーマが階層的に埋め込まれていることなどに気づかされる。多木浩二との関係でいえば日常性を微かに異化するデザインといえばいいだろうか。鹿島出版会編集部から念校の校正が届いたという報告が届く。大きな問題点はないようなのであとは編集を待つだけだが気になる写真があるのでついでに送信する。栃内と「アタゴ第2工場」の簡単な打ち合わせ。建築関係の図面はほぼ完了したが構造と設備関係は細部の訂正が残っている。来週火曜日が現場説明なので月曜日に最終チェックを行うことを確認する。真壁智治さんから久しぶりに電話が入る。『jt新建築住宅特集』誌で不定期に連載している建築家の自邸取材記事に僕の自邸である「箱の家112」を取り上げたい旨の依頼を受ける。なぜか今一気分が乗りきれない。まだ先なのでゆっくり考えてみよう。

『ナショナリズムの歴史と現在』(E.J.ホブスボーム:著 浜田正夫+島田耕也+庄司信:訳 大月書店 2001)を読み始める。1990年代の講義録だがナショナリズムに関する教科書的な本である。先日読み終わった『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』の中で1950年代に日本の建築界を席巻した伝統論争や縄文弥生論争が1951年のサンフランシスコ講和条約の直後に生じていることが一種のナショナリズムの表れではないかという指摘があった。ホブスボームは本書の序文でナショナリズムと近代性は緊密に結びついていると指摘している。『創られた伝統』(エリック・ホブスボーム+テレンス・レンジャー:編 前川啓次+梶原景昭他:訳 紀伊国屋書店 1992)でも彼は同じようなことをいっている。一般的にはナショナリズムや伝統は近代性とは相反すると考えられているが実のところはどうなのだろうか。その点を確認してみたいと考えた。これまでホブスボームの本は何冊か読んだがどれも興味深いものばかりである。『20世紀---極端な時代』(エリック・ホブスボーム:著 河合秀和:訳 三省堂 1996)『わが20世紀・面白い時代』(エリック・ホブスボーム:著 河合秀和:訳 三省堂 2004)『破断の時代 Fractured Times 20世紀の文化と社会』(エリック・ホブスボーム:著 木畑洋一+菅靖子+原田真見:訳 慶應義塾大学出版会 2015)などは近代建築史の社会的政治的背景を理解するには不可欠な文献ではないかと思う。


2016年09月29日(木)

7時起床。曇り時々小雨。昨日よりも過ごしやすい。昨夜の呑み過ぎでやや二日酔い気味。8時半出社。アルミ建築構造協議会から今年6月に行った講演「アルミニウム建築の歴史と可能性」の記録を機関誌に掲載するための図版提供を要請される。講演録の校正でずいぶん苦労したので少々うんざりだがデータを細切れに提供するのは面倒なのでスライドデータをそのまま圧縮して送信する。昼過ぎに事務所を出て千代田線で湯島駅にて下車。久しぶりに近現代建築資料館へ。1時から前田研究員と次回の企画小委員会の打ち合わせ。来年秋の展覧会以降の企画展についても意見交換。再来年には前川國男展を開催する企画があるようだがさらに2020年は1970年大阪万博の50周年なので記念展を開催してはどうかと提案する。その後坂倉準三や池辺陽などについて雑談。前田さんはかつてエイドリアン・フォーティの元で学んだことがあるそうなので彼の著書『欲望のオブジェ』『言葉と建築』『メディアとしてのコンクリート』について意見交換する。3時前に終了。3時半に事務所に戻る。「155桃井邸」の確認申請が認可されたので融資銀行の担当者と桃井さんにその旨を伝え必要書類を送る。その後道路の擁壁を北側隣家まで延長することを検討。概算見積を添えてTH-1に検討を依頼する。階段を作るよりも安くなりそうなので桃井さんや隣家に取っても好都合だろう。これも極小ながらも周辺への貢献である。二日酔いの頭痛が止まらないので早めに帰宅。ゆっくりと風呂に入り早めに就寝。

『モノたちの宇宙---思弁的実在論とは何か』(スティーヴン・シャヴィロ:著 上野俊哉:訳 河出書房新社 2016)を読み終わる。ホワイトヘッドの哲学に関連づけながら思弁的実在論の様々な思想を網羅的に紹介した内容なので全体の印象はやや散漫である。とはいえ思弁的実在論が一枚岩ではないことや、かなり怪しい側面を孕んでいることが分かったのが収穫である。最後はカント、ホワイトヘッド、ドゥールーズの〈美学〉に収斂するとは「大山鳴動してネズミ一匹」的な結論である。週末にゆっくりと再読して感想をまとめることにしよう。


2016年09月28日(水)

7時起床。曇りのち晴れで残暑がぶり返した蒸し暑い一日。8時半出社。10時に村岡徳子さんが来所。いつものようにフランスパンを持ってきてくれた。しばらく四方山話をするうちに2年前にニューヨークのブロードウェイで観たミュージカル『キンキー・ブーツ』の話題になる。最近日本で再演する話を聞いたので勧めたのだがもうとっくに終演している。しかも主人公の2人は日本人のアイドルである。とはいえ10月にはブロードウェイのメンバーで再演されるらしい。旧暦カレンダーを調べて「155桃井邸」の地鎮祭の日取りについて桃井さんにメール打診する。10月上旬の連休明けで決定したので工務店にも連絡する。1時前に木村と事務所を出て「155桃井邸」の解体工事の最終検査へ。少し早めに着いたので隣家のNさんを訪ね引き続き本工事中も借地を依頼し覚書に捺印してもらう。2時に解体業者社長とTH-1の御厨さんが到着。解体現場の状況を見て回る。解体工事中はずっと雨が続いたため敷地はかなり泥濘んでいる。借用隣地との境界擁壁が少し孕んでいるので補修を頼む。工事車両の出入りで隣家の土間コンクリートにヒビが生じているがこの補修は工事終了後になりそうだ。3時半過ぎに現場を発ち4時半に事務所に戻る。『メタル建築史』ゲラ原稿の校正続行。3本の補論を校正して夕方に終了。宅急便で鹿島出版会編集部に送付する。予定よりもかなり早く終えたので11月初めの出版は確定だろう。7時にスタッフと事務所を出て近くのしゃぶしゃぶ屋で会食。「155桃井邸」の工事契約が成立したのでささやかなお祝いの会である。赤ワインと牛しゃぶをいただきながら歓談。9時半に事務所に戻る。少々飲み過ぎたので早々に帰宅。シャワーを浴びてそのままベッドに倒れ込む。


2016年09月27日(火)

7時起床。曇り時々晴れの暑い一日。8時半出社。10時前にTH-1社長の朝倉さんと担当の御厨さんが来所。間もなく桃井さんも到着。まず確認申請書類にTH-1の社印を貰う。続いて「155桃井邸」の工事契約。既存住宅の解体工事は解体業者に頼んだので道路擁壁と建物の工事契約である。瑕疵担保保険の説明を行い署名捺印の後に工事契約締結。終了後に明日の解体工事最終検査と一部補修工事の立会い、隣地借用の継続条件などについて打ち合わせ。銀行融資のために契約書の原本を桃井さんに預けて11時過ぎに終了。今日の工事契約締結までには本当に紆余曲折があった。今後も何かあるかもしれないが今日までの苦労に比べれば大したことではないだろう。難しい敷地は面白い建築をデザインするため重要な条件であるという考えに変わりはないが、それなりの苦労が待ち構えていることを肝に銘じよう。今後の工事中の隣地借用の覚書を作成して桃井さんに送信。昨日に引き続き『メタル建築史』のゲラ原稿の校正続行。7月の校正の時点でかなり長い加筆をしたがその部分はやはり校正が多い。写真のレイアウトについても文章の趣旨とズレている箇所があるので変更を依頼する。夜までに本文の校正を終えて補論の校正は明日に回す。何点か写真データの解像度が低いという指摘があるのでスライドファイルの中からポジフィルムを探し出しスタッフにスキャンを頼む。2000年頃までの竣工写真はポジフィルムであることを改めて確認する。写真がデジタルデータに変わったのは「箱の家100」あたりだから2000年代の初期である。5点の写真データをまとめ圧縮データ送信で鹿島出版会編集部に送信する。9時半帰宅。


2016年09月26日(月)

7時起床。晴れ後曇りで残暑がぶり返したような一日。8時半出社。「155桃井邸」の解体工事の写真で気づいたことがあるので解体業者に連絡するように木村に指示する。明後日に最終検査を行うことになった。明日が工事契約なので図面の製本を依頼する。札幌の佐野さんからメールで「157佐野邸」の銀行融資の条件に関する問い合わせが届いたので直ちに返事メールを送る。計画が少しずつ動き始めたようだ。昨日佐々木さんからもらった講演旅行のシナリオ原稿をスライドコピーと照らし合わせながら読む。コンパクトにまとめられた講演でわかりやすい。構造デザインの基本思想から説き起こしフレーム構造の一つの結論としての「せんだいメディアテーク」を詳細に紹介し続いて空間構造の一連の作品の紹介の後に一つの結論としての「豊島美術館」を詳細に紹介し最後に進化論的構造最適化手法によるフィレンツエ駅コンペ案へと展開する「偶然と必然」の弁証法的な展開について語っている。とはいえ最近の離散的な屋根構造については論じていない。フレーム構造の新しい展開のような気もするのだが定かではない。鹿島出版会編集部から『メタル建築史』の最終ゲラ原稿が届く。2ヶ月の時間が空いたので読み直すのは新鮮である。再度じっくりと校正に取り組むことにしよう。夕方にはメールで表紙の帯の草案が届く。あれこれ考えて私案をまとめ返送する。こういう作業が始まるといよいよ出版が近い気分になる。夜までに序章と第1章を終えて第2章へ進む。文章の細かな言い回しが気になる。9時半帰宅。風呂に入った後『モノたちの宇宙』を読み続け最終章「アイステーシス」に差し掛かる。


2016年09月25日(日)

8時過ぎ起床。曇りでやや暖かい一日。10時過ぎ出社。日記を書き込んだ後に佐々木睦朗退職本の巻頭論文のスケッチ続行。今夜佐々木さんに会うので尋ねてみたい疑問点について考える。先頃のアメリカ講演旅行のテーマについて聴きたいはもちろんだがシェル構造におけるアナログとデジタルの考え方についても尋ねてみたい。昼過ぎに一旦帰宅しシャワーを浴びた後にベッドの中で読書と仮眠。5時過ぎに家を出て千代田線から小田急線を乗り継ぎ5時40分に経堂駅着。歩いて5分で佐々木邸へ。佐々木さんに講演旅行の話を聞きながらライトの〈落水荘〉で購入したお土産に講演のシナリオやスライドのコピーなどの資料をもらう。9月14日に日本を出発してカリフォルニア工科大学を皮切りにシカゴ大での講演の後にピッツバーグから車で〈落水荘〉まで足を伸ばし、ニューヨークのクーパーユニオン、ボストンのMITメデイアラボで講演し22日に帰国という強行軍だったようだ。今日は早朝から箱根の温泉で一風呂浴びてきたという。明日から東大本郷キャンパスで開催される国際シェル学会に参加するというから法政大学を退職してもまだまだ元気旺盛なようである。6時半過ぎに佐々木夫妻とマンションを出て歩いて経堂駅近くの割烹へ。日曜日で店内は満員である。和食の創作料理と日本酒をいただきながら歓談。アメリカでの講演の話題から始まりお互いの旅行体験の話で盛り上がる。最後あたりに佐々木さんがシェル構造におけるアナログ(連続体)とデジタル(ラチス)の原理的な相違について説明してくれたが酔いが回っていたので十分に飲み込めなかった。講演の資料を読んだ上で改めて尋ねてみよう。9時過ぎに店を出てタクシーで9時半に帰宅。そのままベッドに倒れ込む。


2016年09月24日(土)

7時起床。曇りのち雨の涼しい一日。8時半出社。桃井さんからTH-1の工事契約書と見積書の内容に関する承認メールが届いたので直ちにTH-1に転送する。引き続き工事契約金額以外の施主支給品についてもリストをまとめて桃井さんに報告する。工事契約書に添付する実施図面の製本を手配するように木村に指示。解体工事の最終検査は来週半ばになりそうだ。とりあえず前面道路と敷地の境界に仮設の手摺を設置するようにTH-1に依頼。午後1時過ぎに事務所を出て雨の中を銀座へ。銀座通りから松屋の先を右折し昭和通りを横断した先の喫茶店地下の会議室へ。2時からの「第2回 H28年度 縦ログ構法開発委員会」に出席。大阪芸大の構造家田口雅一、秋田県立大の板垣直行、千葉工大の遠藤政樹、はりゅうウッドスタジオの芳賀沼整と滑田嵩志とスタッフが出席。日大郡山の浦部智義は風邪で欠席。今年度の縦ログ構法実験の方向性の説明から会議開始。続いて秋田県立大での剪断実験の結果を板垣氏が説明。その結果を受けて事前試験体の仕様試験体の仕様とりわけパネル両端の柱の柱脚金物の仕様について意見交換。引き続き実用化を見据えた床パネルの仕様についても検討する。今年の実験は昨年のような大臣認定ではなく構造設計のためのデータを得ることを目指している。そのためいろいろな条件が不確定で議論の焦点が定まらない。手戻りはできないのだろうがこのままのプログラムでいいのか疑念に捉われる。はりゅうウッドスタジオでは確認申請が不要な敷地で小規模な実験住宅の建設を計画しているようだ。構法実験よりもそちらの議論で盛り上がる。最後に縦ログ構法に関する出版の進行状況について報告を受ける。編集者の紹介を受けたらしいが僕の本の編集を担当した知り合いなので電話してみるが土曜日で連絡できない。ともかく早急に詳細な条件について話し合うべきだろう。板垣氏に構法実験の条件の確認を依頼して5時前に終了。6時に事務所に戻る。スタッフは既に解散している。6時半帰宅。夜はイタリアに関するTV番組を見た後に読書。


2016年09月23日(金)

7時起床。小雨のち曇りの涼しい一日。8時半出社。9時前に事務所を出ていつものラインで京王線の仙川駅にて下車し「155桃井邸」の解体現場へ。まだ職人は来ていない。間もなく木村とTH-1の御厨さんが到着。隣家の所有者が通りかかったので御厨さんを紹介する。その後敷地に降りて解体の進行状況を確認する。水道メーターが新規の擁壁に引っかかることがわかったので直ちに水道工事業者に連絡。下水の最終升はかろうじてクリアしている。その場で御厨さんと工事契約の条件について最終的な打ち合わせを行う。今日中に解体工事が終わるので明日に仮囲いをしてもらうことになった。10時過ぎに職人が来て駐車場の解体工事を再開。隣地境界の階段の解体状況を確認するため木村を残して10時半過ぎに御厨さんと現場を発つ。解体工事中はずっと雨模様だったので職人さんたちは大変だったろうが解体中に埃が立たなかったのは幸いだった。予定よりも作業が早く進んだのもそのためかもしれない。11時半に帰社。昼過ぎに木村が帰社し解体工事が無事に終了した旨の報告を受けたので現場の写真を添えて桃井さんにメール報告。鹿島出版会編集部の川島さんから『メタル建築史』の進行状況の報告が届く。気になって今朝早く確認のメールを送ったのだが最終校正がまだ終わっていないという。校正原稿を返送したのは7月末だから最終校正まで2ヶ月間かかったことになる。ここまで時間がかかるのは編集部の怠慢というしかなく校正を急いだ意味がない。抗議とスケジュールの確定要請のメールを送ると直ちに最終のゲラ原稿を送るというメールが届く。結局のところ発行は11月にズレ込みそうである。昨年の『驚異の構築』と同じ編集者とは思えない。家早南友。佐々木睦朗さんから電話が入る。昨日ニューヨークから帰国したとのこと。僕の日記を読んで退職記念本の件を気にしていたらしい。僕としては講演旅行の話を聞きたいので明後日の日曜日に会う約束をする。夜にTH-1から「155桃井邸」の工事契約書のたたき台と見積書が届く。内容をチェックした上でコメントを添えて桃井さんに転送する。工事契約の締結は来週である。9時半帰宅。


2016年09月22日(木)

7時半起床。小雨が降り続く肌寒い一日。今日は秋分の日の祝日だが9時過ぎに出社。すっかり涼しくなったので2階の床冷房は昨夜に稼働を止めた。日記をまとめた後にニチハ・デザインアワード2016の総評を書き始める。今年度はややレベルアップしたがその理由について僕の考えるところを書く。ひとつは若い建築家や大手ゼネコンの設計部が応募するようになったことである。例年も建築家の応募はあるが今年は頭ひとつ抜け出している作品が多かった。一目見てすぐにそれと分かるのは不思議というかやはりデザイン力の相違である。もうひとつの理由は最近の建設コストの高騰が窯業系サイディングの選択を後押ししていることである。窯業系サイディングは耐候性と防火性を確保できる外装材としてコストパフォーマンスがきわめて優れている。メーカーとしてはこの結果を単純に喜ぶのではなく心して技術開発に取り組んでほしい。作品評と総評が一通りまとまったので明日再度推敲し送信する予定。引き続きメディアデザイン研究所から届いた佐々木睦朗退職記念連続対談の第6回SANAAと第7回川口衞の記録を校正する。夕方までに終えてスキャナーで読み取り返送する。

夜は読書。『モノたちの宇宙』は第5章「汎心論がもたらす諸帰結」を終えて第6章「非相関主義的思考」に進む。カント批判は当然だとしてもメルロ=ポンティやハイデガー批判を通してドレイファス流の実在論も間接的に批判されているので考え込んでしまう。ここまで来ると人間社会に沿った建築は素直には受け入れられない。


2016年09月21日(水)

7時起床。曇りで涼しい一日。8時半出社。アタゴの永吉工場長から電話が入る。実施図面のフィードバックが一通り完了したので今後のスケジュールについて打ち合わせ。今月末までにフィードバックを図面に反映させ10月初旬に現場説明をしてはどうかと提案し承諾を得る。第1工場で現場説明を行うことにして日時を決め僕たちからゼネコンに連絡することを約す。直ちにゼネコン2社に電話とメール連絡する。間もなくゼネコンから了解の返事が届いたが相変わらず工事予算を心配しているようだ。僕たちはできるだけ設計の仕様を抑えたつもりだが工場側の要請を切り捨てる訳にはいかないと応える。昼過ぎに木村と事務所を出て仙川の「155桃井邸」現場へ1時半到着。建物本体の解体は基礎まで終了し外周土間コンの除去作業中である。昨日は土砂降りの中で基礎の解体工事を実施したらしい。借りている隣地は鉄板や硬質ゴム板で養生しているがほとんど泥濘になっている。最後は整地してもらわねばならない。北側隣地境界付近に浄化槽が埋設されていると聞いていたが解体してみると過去の最終升だけだった。残ったのは道路に沿った駐車場とコンクリート階段だけなので解体工事は今週中には完了するそうだ。予定していたよりも1週間以上早いので本工事の着工までに少し日が空いてしまう。その間は前面道路と敷地の間に2m弱の落差が出来るので何らかの安全策を講じなければならない。TH-1に連絡し工事契約前ではあるが明後日に現場で打ち合わせることとし桃井さんの承諾を得る。4時前に事務所に戻る。札幌の佐野さんからメールが届き連休中に「箱の家010」を見学したらしい。土砂降りの中「箱の家153」も車から外観だけを見たという。奥さんは2階建案をご主人は平屋案を気に入っているようだがどうなるだろうか。僕からは二つの模型を送った旨を伝える。

夜は読書。『モノたちの宇宙』は第4章「汎心論と消去主義」を終えて第5章「汎心論がもたらす諸帰結」に進む。対象を人間に引き寄せて理解しようとする人間中心主義的な〈相関主義〉を乗り越えるために汎心論を持ち出す考え方はJ・ピアジェの発達心理学を想起させる。さらにホワイトヘッドの主張をそのまま受け止めればほとんど神道的アニミズムと同じである。


2016年09月20日(火)

7時起床。昨夜から雨が続き夜は土砂降りとなる。8時半出社。昨日に引き続きニチハ・サイディングコンペの講評を書き続ける。提出されている資料はサイディングを使用した外装の写真が中心だが僕としては建築的側面から総合的に評価したいのでせめて平面図くらいは欲しい。建築的資料がない場合はあれこれ想像しながら書く。午後までに残り4編を書き終えて総評は明日に回す。「155桃井邸」の確認審査スケジュールを審査機関に確認。今月末までには認可が降りそうである。「157佐野邸」の2つの模型をダンボールに梱包し宅急便で北海道に送付する。「アタゴ第2工場」にフィードバックが届いたのでまとめてコンサルタントへ転送する。台風のせいで夕方から土砂降りの雨になったが6時過ぎに南青山のギャラリー「ときの忘れもの」へ6時半着。今日は「光嶋裕介新作展〜和紙に挑む〜幻想都市風景」のオープニングである。昼間には沢山の人が訪れたらしいが夕方から大雨なので難波研OBの佐藤桂火さん以外に1人の訪問者のみである。A2版よりやや大き目サイズの手漉き和紙に描き込まれた幻想都市風景でモチーフはパリ、ベルリン、バルセロナである。実在する建築と想像上の建築が渾然と描かれているので詳細に見ていくと楽しい。7時過ぎにオープニング終了。光嶋さんと佐藤さんとギャラリーを出て近くの居酒屋で夕食。和食と焼酎をいただきながら建築談義。とはいえ『これからの建築』のエピローグにも書いているように最近女の子が生まれた光嶋さんは子供の成長に様々な発見をしているようだ。10時に店を出て雨が降り続く中青山3丁目交差点で解散。10時半前に事務所に戻る。明日のスケジュールを打ち合わせてそのまま帰宅。


2016年09月19日(月)

7時起床。小雨の涼しい一日。今日は敬老の日で休日だが9時前に出社。日記をまとめた後にニチハ・サイディングコンペの講評を書き始める。今年度のグランプリを獲得した住宅と非住宅の2作品はいずれも東理大理工学部の卒業生で僕の教え子である。ゴールド賞にも大阪市大の教え子が入賞している。これまでの工務店中心の応募とは異なり今年は若い建築家やゼネコンからの応募が増えどの作品も頭ひとつ抜け出している。この賞が若い建築家やゼネコン設計部に知られるようになったことも一因だろうが、それ以上に最近の建設費の高騰に対して窯業系サイディングのコストパフォーマンスの良さが見直されるようになったことが大きいのではないかと思う。昼までに2編を書き終える。引き続き佐々木睦朗論のスケッチ続行。リストアップしたキーワードを整理しながらストーリーについて考える。時系列でまとめるのが自然ではあるが佐々木さん自身も最終講義を時系列でまとめているので重なり合ったのではつまらない。佐々木さんは歴史に自覚的なので異なる視点を打ち出すのはなかなか難しい。4時過ぎに帰宅し横になって『モノたちの宇宙』を読み続ける。第4章「汎心論と消去主義」に入ってようやく思弁的実在論の多様性が本格的に紹介されその全体像が見え始める。


2016年09月18日(日)

8時起床。ゆっくりと朝食を摂り10時前に出社。鹿児島の建築家小林省三さんからメールが届く。中川純さんと一緒に内之浦ロケット打ち上げ場を無事見学できたとのこと。その際に町役場の度会さんに30年前に僕が見学した際の礼状を見せられたそうだ。『SD』誌1985年1月号の「ハイテック・スタイル」特集で池辺陽論を書くため取材に訪れたときに度会さんの父君に案内してもらった。その際のお礼に掲載雑誌と手紙を送ったのである。その時に書いた池辺論が契機となって後に『jt新建築住宅特集』誌上で「池辺陽論」を連載することになりそれを推敲して『戦後モダニズム建築の極北---池辺陽試論』(彰国社 1999)にまとめることになった。小林さんからのメールでこの間の記憶が一気に蘇ったので直ちにお礼のメールを送る。昨日再読した『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』の大江宏論が頭に引っかかっていたので思い立って乃木坂駅近くの乃木神社に赴く。こぢんまりとした境内の正面奥に件の拝殿が建っている。木造切妻平入の単純明快でコンパクトな建築で全体のシルエットは千木のない伊勢神宮を想起させる。棟の線を境に手前半分が礼拝空間でそれ以上中には進むことはできない。奥の半分も外部なのだが待合室のような空間で天井が張られている。結婚式の際には親族控室になるのだろうか。若いカップルが宮司の指導で本殿に向かって結婚式典の練習をしている。磯崎と藤森がいうように確かに神社を近代的に翻案したデザインではあるが図像的・機能的にはあくまで神社なのでモダニズム建築としてストレートに受け止めるのは難しい。境内であれこれ考えを巡らしながら1時間ばかり過ごした後にミッドタウンの21/21美術館まで足を伸ばし開催中の土木展を見る。連休中で家族連れが多く趣向を凝らしたさまざまな展示に子供たちは興奮している。内藤廣さんや川添善行さんによる企画なので渋谷のドローイングや地下街の模型がフューチャーされておりこれには若い人たちが興味を持っている。映像と模型を駆使した家族で楽しめる展示であり土木=社会基盤への興味を掻立てる展覧会である。最後に展示されている福島原発事故の取材記録のビデオにも多くの人が熱心に見入っていた。館の外に出ると小雨が降り始めたので急いで事務所に戻る。エクスナレッジから『建築知識』2016年10月号が届く。20人の建築家の住宅を立体図によって解析した特集である。「箱の家153」が紹介されているが椎名英三さんと横河健さんの間に挟まっているのはいささか面映い。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01IW56MSI/ref=ox_sc_sfl_title_1?ie=UTF8&psc=1&smid=AN1VRQENFRJN5
5時半過ぎに帰宅しシャワーを浴びた後に早めの夕食。夜はDiscovery Channelで脳と犯罪の関係についての特集番組を見る。実際の経験時と想像時の脳の状態がほぼ同じであることが人間の共感能力を証明しているという所見や犯罪者には共感能力を自在に制御できる能力を持った人が多いという所見に興味を持つ。『モノたちの宇宙---思弁的実在論とは何か』を読みながら夜半就寝。


2016年09月17日(土)

7時起床。曇りで蒸し暑い一日。8時半出社。「157佐野邸」の設計要旨と2階建案、平屋案の図面一式をプリントアウトし綴じる。午後2時前に札幌から佐野一家4人が来所。まず2階建案からプレゼンテーションする。平面図はメールでメールで何度もやりとりしているのでまず模型を見せながら立体的な空間構成を把握してもらう。さらに平屋案についても模型で説明。平屋案にも興味を持ったらしい。やはり図面よりも印象がかなり異なるようだ。引き続き設計要旨にしたがって設計のコンセプト、基本的な仕様、工事予算、スケジュールについて説明する。一通りの説明が終わった後に何点か質問を受ける。まず銀行との融資の相談の仕方について設計図だけでなく工事費の概算見積が必要になることや工務店の手配などについて説明する。東京の銀行で通用することが北海道では通用しない可能性もある点にも注意を喚起する。連休中は埼玉のご主人の実家に行かれるそうなので模型は宅急便で北海道に送ることとする。4時半に事務所を出て斜め前の「箱の家139」と「箱の家089」を見ながら説明し2年前に竣工した「箱の家151」への経路を説明して別れる。スタッフと来週のスケジュールについて打ち合わせ。「155桃井邸」の解体工事現場には水曜日の午後に立ち会うことを確認して5時から事務所内外の掃除。5時半解散。

『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』(六曜社 2016)を再読。第1章「アントニン・レーモンドと吉村順三」ではル・コルビュジエの「夏の家」の有名な剽窃問題がレーモンドの確信犯であったことが確認され最近の木造建築の興隆に引き寄せて日本のモダニズムにおける木造の重要性が再確認される。モダニズム建築は鉄とコンクリートとガラスによってつくられたという通説に対して日本では木造モダニズムの可能性を付け加えたという訳である。吉村順三はレーモンド事務所で「夏の家」を担当し住宅棟の張出部分のピロティのアイデアが吉村の「軽井沢の山荘」に引き継がれたという指摘が興味深い。第2章「前川國男と吉村順三」では戦前から戦中にかけての東大建築学科の動向を辿りながら前川が戦時中に丹下健三や浜口隆一に突き上げられて右傾化したことが京都学派の「近代の超克」や坂口安吾の「日本文化私観」に関連づけながら辿られる。満州に行った岸信介の戦中から戦後にかけての動向が丹下健三の動向に重ねられて論じられている点にも興味を持った。坂倉準三の特殊性は東大建築学科ではなく文学部の出身であることから発して戦中の「スメラクラブ」の問題など建築家とは異なる経済界や文化人コミュニティと付き合ったことなどにあり、そのために建築史の中に位置づけにくいという点が指摘される。さらに戦後の日本建築の構造表現主義は佐野利器、内田祥三、武藤清によって確立され丹下を代表とする戦後の建築家に引き継がれたが坂倉はその流れからも外れているという。坂倉による1937年パリ万博日本館の鉄骨フレームの表現にミースは鉄骨建築の表現の可能性を読み取りアメリカ移住後の建築で展開させたが坂倉自身はそれを全く自覚できなかったと藤森は指摘している。第3章「白井晟一と山口文象」では白井のキャリアの特異性が様々なスキャンダラスなエピソードを交えながら紹介される。「原爆堂」のプロジェクトや「縄文と弥生」という伝統論争のテーマについても裏話が満載である。白井の建築における様式を混淆させた折衷主義的デザインとシュルレアリスムとの関係についての磯崎の指摘も興味深い。つくばセンタービルのコラージュが白井のデザインを参考にしていることや白井がプリッカー賞の候補になったことなども目新しい情報である。山口文象は共産党員として新興建築家連盟(1930)に関係していたが日本政府は建築の思想性を認めなかったことから他の芸術家とは異なり摘発を免れたことが指摘される。1930年代にドイツに行きバウハウスを退いたグロピウスの事務所で働きブルーノ・タウトやエルンスト・マイなどモダニズムの建築家とも交流し帰国後に日本で逓信省関係の仕事を展開した。山口の戦後の活動に関連して戦中から戦後にかけてのモダニズト達の活動に関する議論が展開され1960年に丹下・浜口理論が確立したというのが磯崎の主張である。これに関連して1950年代の「縄文弥生論争」や1970年代の「巨大建築論争」は建築に関する論争でありながら必ずその背後に政治経済的な動向があったという指摘も興味深い。第4章「大江宏と吉阪隆正」は東大建築学科で同級生だった大江宏、浜口隆一、丹下健三の卒業設計の比較から始まり大江とグンナー・アスプルンドの関係が指摘される。鈴木博之や石山修武が丹下の正統なモダニズムにポストモダンな大江を対峙させようとしたが、実際に日本建築の正統を展開したのは大江の方であるという磯崎の指摘に納得するには乃木神社や国立能楽堂を実見しなければならない。吉阪隆正についてクロード・レヴィ=ストロースに関連づけてブリコラージュ的なデザインを展開した日本で唯一の建築家であるという藤森に対して磯崎は「路上観察学入門」などを例にあげて吉阪を引き継いでいるのは藤森であると指摘する。最後に本書全体の総括として日本におけるモダニズム建築の受け止め方の特異性は日本政府が建築を思想の表現として認めなかった点にあり、それゆえ思想や他の芸術においては不可能だった「近代の超克」が戦中戦後で連続している丹下によって伝統と近代の統合として達成されたと結論づけている。しかし僕の視点からいえば戦中から戦後にかけて丹下と対照的なスタンスを取ったのが池辺陽であり池辺において近代は超克どころではなく戦後においても「未完のプロジェクト」に他ならなかった。そしてそれは現在でも依然として続いているのではないかと思う。


2016年09月16日(金)

7時起床。曇り時々小雨の蒸し暑い一日。8時半出社。直ちに事務所を出て小雨の中表参道駅へ。銀座線、井の頭線、京王線を乗り継ぎ仙川駅に9時半着。改札口で木村と待ち合わせ「155桃井邸」の解体現場へ。まず隣家に挨拶してから空き地へ入る。トラックで地面はかなり泥濘んでいる。建物本体の解体はほぼ完了し瓦礫の運び出し作業の最中である。来週には基礎周りと駐車場の解体に取り組めるだろう。写真を撮り10時半前に現場を発って11時に事務所過ぎに戻る。解体状況を桃井さんにメール報告しTH-1から届いた見積を確認。僕たちの査定との食い違いをメールで質問する。「157佐野邸」のプレゼンテーション図面一式を揃える。模型運搬用のダンボールケースの作成も終わり豊橋技科大から来たアルバイトの作業は今日で終了である。一緒に夕食を食べながら約1ヶ月間の労をねぎらう。

光嶋裕介さんから『これからの建築---スケッチしながら考えた』(光嶋裕介:著 ミシマ社 )が届く。とりあえずプロローグとエピローグを読んでみると読み易い体験的建築論のようである。光嶋さんは9月下旬からは南青山のギャラリーでドローイングの展覧会を開催するそうだ。夜は読書。『モノたちの宇宙---思弁的実在論とは何か』を読みながらふと一つの疑念が湧く。思弁的実在論は一枚岩ではないがカント的相関主義を拒否する一点において共通している。ところでコーリン・ロウは新カント主義思想に基づくワールブルグ研究所のルドルフ・ウィットコワーの弟子であり彼の論文「透明性」におけるliteralとphenomenalの区別は人間の知覚に基づいている点で一種の相関主義だといってよい。とすれば思弁的実在論から見ると2種類の「透明性」は成立しなくなるのだろうか。これは検討に値するテーマではないかと思う。


2016年09月15日(木)

7時起床。早朝から午前中は激しい雨が降るが午後は曇りになる。午前中に「155桃井邸」の設計変更図面と変更見積書をまとめてTH-1に送信。夜に回答が届いたが計算根拠の間違いを指摘されたので急いでチェックするように木村に指示。確認申請を提出した審査機関からの質問リストが届く。工事契約日までに申請が認可されるかどうかギリギリの日程になりそうなので最終的なスケジュールを早目に確認するように木村に指示する。「157佐野邸」のプレゼンテーションが今週土曜日に迫ってきたのでプレゼンテーション図面の修正を指示。模型を持ち運ぶための段ボールケースの作成をアルバイトに指示する。メディアデザイン研究所に頼んでおいた佐々木睦朗さんの最終講義「構造デザインの射程---構造家50年の軌跡」のゲラ原稿が届く。手元にある最終講義スライドと照らし合わせて読みながらキーワードを抽出していく。2005年以降のフラックスストラクチャーも紹介されており「豊島美術館」が最近の仕事の大きな区切りになっていることが確認できる。とはいえ退職本に掲載する2つのゲラ原稿にも書かれていたように「せんだいメディアテーク」が佐々木さんの構造デザインのテーマをリセットする決定的な契機になったようだ。僕の巻頭原稿もその線で進めることになるかもしれない。しかしまだ明確なストーリーは浮かばない。しばらくの間キーワードを眺めながら構想してみる。

『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』(六曜社 2016)を読み終わる。対談記録の本ではあるがテーマについてかなり突っ込んだ調査がなされているので内容は充実している。今週末に読み直して問題点を抽出してみよう。アマゾンから届いた『モノたちの宇宙---思弁的実在論とは何か』(スティーヴン・シャヴィロ:著 上野俊哉:訳 河出書房新社 2016)を読み始める。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学を思弁的実在論によって見直す試みである。翻訳はやや軽いが中味はかなり重そうだ。カンタン・メイヤスーの名前も出てくるのでしばらく付き合ってみることにしよう。


2016年09月14日(水)

7時起床。曇りで涼しい。8時半出社。「155桃井邸」の工事契約前の最終的な設計変更について木村と打ち合わせ。いつもそうだが一通り出来上がったシステムを変更するとさまざまな箇所に波及効果があるのですべてチェックするのは大変である。今回は当初の設計から大幅に変更したので特に注意を要する。コストのチェックを含めて詳細なチェックを行い夜までにまとめて桃井夫妻に送信する。「157佐野邸」の2階建案の模型が完成したのでアクリルボックスを作成。設計要旨を見直す。最近は北海道でも建設コストが上昇しているので予算はある程度の幅を持たせておかねばならない。「アタゴ第2工場」についてアタゴの各部門から散発的に質問事項が届く。できるだけコストアップにつながらないような仕様をアドバイスしなければならない。東北工業大学の福屋粧子さんから11月にせんだいメディアテークで開催される「佐々木睦朗展 構造デザインの展開と継承」のポスターがメールで届く。佐々木さんの退職記念展だが完成してから16年後の「メディアテーク」に関するトークイベントも会期中の11/12(土)に開催され僕は司会として参加する。直ちに界工作舎HPとfacebookにアップし10+1ウェブサイトへの掲載を依頼する。
http://kamiyama.backdrop.jp/sasaki-ten/index.html
「コンテンポラリーストラクチャーの緒言」のゲラ原稿を読み終わる。最初にモダニズム建築と構造デザインに関する佐々木さんのスタンスに関する議論があり、その後に「せんだいメディアテーク」の構造デザインコンセプトが詳細に紹介される。佐々木さんにとってこの建築が大きな転換になったことが詳しく述べられている。その後僕と議論した「微細な構築」の概念が検討されその延長上に鉄骨造によるSANAAとのスーパフラットな構造デザインの展開が紹介される。引き続き磯崎との協働による2000年以降のフラックス・ストラクチャーの考案と2005年以降の伊東豊雄やSANAAとの協働によるフラックス・ストラクチャーの展開が紹介される。この原稿は『フラックストラクチャー』(佐々木睦朗:著 TOTO出版 2005)を基にしているので紹介されているのは「瞑想の森--市営斎場」や「EPFLラーニングセンター」の計画案までで「豊島美術館」は紹介されていない。さらに鉄骨造の屋根の集合をモチーフとする最近の展開にはまったく触れられていない。昨年の連続対談でも佐々木さんはこうした最近の構造デザインの傾向について問題を整理しきれていないようだったので「せんだいメディアテーク」のトークイベントでテーマに取り上げ改めて佐々木さんに尋ねてみようと思う。


2016年09月13日(火)

7時起床。雨で肌寒い一日。8時半出社。雨の中朝から木村が「155桃井邸」の解体現場に行っている。解体工事は小雨時の方が埃が立たないので好都合である。隣家にはくれぐれも注意を払うようにメールで伝える。桃井さんから工事契約条件の問い合わせメールが届いたのでTH-1に転送する。合わせて設計変更の依頼も届いたので急いで図面にまとめるように木村に指示。「157佐野邸」の2階建案の模型が完成間近なのでプレゼンテーション用の設計要旨をまとめてスタッフに送信。急いでプレゼンテーション用の図面をまとめるように指示する。佐々木睦朗さんの「モダンストラクチャーの原型」を読み終わる。ミースからアルバート・カーンを経て吉田五十八の木造近代数寄屋に進むのは鉄骨と木造の近代化の様相の違いが浮かび上がって興味深い。続いてRC造のル・コルビュジエとフェッリックス・キャンデラからルイス・カーンに進む。間に鉄筋コンクリートの歴史とル・コルビュジエのドミノシステムに関する構法的な検討を挟みアントニオ・ガウディを経て最後はパルテノン神殿で終わる。パルテノンを近代建築の原型として捉えるのは構造家というより建築家的であり佐々木さんらしい視点である。次は「コンテンポラリーストラクチャーの緒言」へと進む。今日から佐々木さんはカリフォルニアからシカゴ、ボストン、ニューヨークを回る講演旅行の最中らしい。せんだいメディアテークからフラックスストラクチャーヘの展開について話すようだ。これは「コンテンポラリーストラクチャーの緒言」で論じられているテーマである。佐々木さんの講演を聴く気持で読み込むことにしよう。


2016年09月12日(月)

7時起床。曇り時々晴れの涼しい一日。8時半出社。9時半過ぎに事務所を出てJR原宿駅から池袋で東武東上線に乗り換え終点の寄居駅に正午着。北口のタクシー乗り場で栃内と待ち合わせタクシーでアタゴ工場近くのドライブインレストランへ。午後1時15分前に店を出て歩いてアタゴ工場へ。1時から永吉工場長と志村課長との打ち合わせ。第2工場縮小案の実施図面一式を渡し詳細を説明しながら検討すべき課題をリストアップする。とくに質問は出ず担当者と検討する旨の回答。工場長は予算を気にしていたが第1案よりもかなり規模を縮小し仕様も抑えたつもりである。図面の内容について各工程の担当者と打ち合わせ来週半ばまでにフィードバックしてもらうこととしゼネコンにはその時点で相談することにする。界工作舎としては9月末までには見積用図面一式をまとめたい旨を伝えて2時半過ぎに終了。寄居工場に向かう志村さんの車で寄居駅まで送ってもらい4時半過ぎに事務所に戻る。昨日の神宮前日記を読んだ京都の人からメールが届く。MacKeeperには様々な問題があるので要注意だというアドバイスのメールである。しかし既にソフトを購入しパソコンをクリーンアップしてしまったので時すでに遅しである。とはいえ消えたdropboxとline はインターネットからダウンロードできた。さらに今年8月に購入したMacBookのための新しいMicrosoft Office2016も再ダウンロードできたのでiMacは一昨日の状態に完全に復帰しホッと胸をなでおろす。一連の回復作業に数時間かかってしまったが終わりよければ全て良しである。引き続き用心のために思い切ってMacKeeperをアンインストールする。今後はこの種のソフトには要注意という教訓である。明日の予定を打ち合わせてから9時半に帰宅。『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』は第3章「白井晟一と山口文象---戦前にドイツに渡った二人」を読み終えて最終第4章「大江宏と吉阪隆正---戦後1950年代初頭に渡航、「国際建築」としてのモダニズムを介して自己形成した二人」に進む。


2016年09月11日(日)

8時過ぎ起床。曇りのち晴れで涼しい一日。ゆっくりと朝食を摂り10時半に出社。最近パソコンの反応が鈍いのでMackeeperで診断するとかなり危機的な状況だという結論が出る。思い立ってソフトを購入し検索と修復をかける。作業に30分以上の時間がかかったがパソコンのスピードがかなり早くなった。しかし新規にインストールしたソフトがすべて消失してしまう。専門スタッフに質問するとすぐに回答が返ってきたが指示通りに対応しても回復しない。何度繰り返しても埒があかないので諦めて別のソフトで対応することにする。余計なことはするものではないという教訓である。家早南友。アタゴ第2工場の設備システムの設計変更の提案が高間さんから届いたので栃内とメールでで意見交換。明日の工場長との打ち合わせで最終決定することにしよう。

午後3時に帰宅しベッドに横になり『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』を読み続ける。第2章「前川國男と坂倉準三---戦中のフランス派」を読み終えて第3章「白井晟一と山口文象---戦前にドイツに渡った二人」に差し掛かる。建築家個人に焦点を当てながら当時の時代状況を逆照射するスタンスで近現代建築史が語られていく。時には磯崎と藤森の個人的な経験を通した週刊誌的スキャンダルや事件を交えたオーラルヒストリーに感心する。個人誌を語ることができる年配の建築家は多いかもしれないが磯崎や藤森のようにそれを相対化し歴史的な潮流の中に位置づけることができる人は稀有だろう。


2016年09月10日(土)

7時起床。雨のち晴れで徐々に過ごしやすくなってきた。8時半出社。佐々木さんのゲラ原稿を読む前に構造史の概要を頭に入れておこうと考えて事務所の蔵書である『力学・素材・構造デザイン』(坪井善昭+川口衞+佐々木睦朗他:著 建築技術2012)『20世紀を築いた構造家たち』(小澤雄樹:著 オーム社 2014)『建築構造の仕組み---力の流れとかたち』(川口衞他:著 彰国社 2014)の3冊に目を通す。『力学・素材・構造デザイン』は構造専門家向けの内容でついていくのはなかなか大変だが佐々木さんの自由曲面シェル作品に関する論文が掲載されている。佐々木さんが得意な面的な構造論がないのが残念だが。『20世紀を築いた構造家たち』は近代建築史を構造の側面から辿った建築家や学生向けの内容である。構造家個人に焦点を当てている点がユニークである。ただ超高層ビルの構造は取り上げられてはいるのにミース・ファン・デル・ローエに関する議論が皆無なのはいささか不可解である。IITの教え子であるマイロン・ゴールドスミスはミースの一連のプロジェクトに協力しているが構造家ではなく建築家と見なされたのだろうか。『建築構造の仕組み---力の流れとかたち』は一般向けの絵本なので分かりやすい。目を通しながら思いついたキーワードをリストアップしていく。その後『モダンストラクチャーの原型』から読み始める。佐々木さんらしくミース論から始まっている。バルセロナ・パヴィリオンやファンズワース邸が当時の技術でギリギリの可能性を追求していることが確認される。ここまで読んだところで時間切れ。事務所内外を掃除し来週のスケジュールを確認して4時解散。僕は帰宅するが「アタゴ第2工場」の設備電気図面が届いたので栃内は居残っている。夜はNHKで広島×巨人戦の中継を観戦する。9時半過ぎに広島のリーグ優勝が決まったのでウォッカで祝杯をあげた後にベッドに横になり読書。夜半前就寝。


2016年09月09日(金)

7時起床。曇時々晴の一日。8時半出社。10時前にYH-1の朝倉社長と御厨さんが来所。間もなく桃井さんも到着。10時から「155桃井邸」の三者会談。桃井さんとTH-1とは初対面なのでまずは名刺交換。僕からは最終的な図面一式と見積金額リストを渡し擁壁の確認申請が認可されたことを報告する。TH-1からは10月に着工した場合の工程表について説明を受ける。打ち合わせ途中に解体工事開始前に隣家の写真を撮影し工事開始に立ち会っている木村からのメールが届いたので二者に報告。今月末の工事契約締結の日程を決めて11時前に終了。昼過ぎに現場から木村が帰社したので三者会談の内容を報告し建物本体の確認申請を早急に進めるように指示する。15時にメディアデザイン研究所研究所の荻原富雄さんが来所。佐々木睦朗退職記念本に掲載する佐々木さんの『モダンストラクチャーの原型』と『コンテンポラリストラクチャーの緒言』の2本のゲラ原稿を貰う。僕は巻頭論文を書くことになっているがその参考資料として持参してくれた。ヨーロッパに出かける10月20日までには何とか書き上げるつもりである。編集は着々と進んでいるようで残り2つの連続対談記録と佐々木さんの最終講義記録は間もなくまとまるので遅くとも今年中には出版できる予定だという。ある程度スケジュールの見通しがついた時点で佐々木さんと出版祝賀会について相談しよう。僕からは11月12日(土)にせんだいメディアテークで開催予定のシンポジウムを10+1ウェブサイトに掲載する件を依頼する。その後は最近10+1ウェブで話題になっている〈思弁的実在論〉について意見交換。荻原さんは僕がメイヤスーやドレイファスの本を読んでいることを「神宮前日記」で知っているらしい。改めて僕の意見を整理して話す。さらに荻原さんからは放送大学の番組の書籍化についても相談される。すでに番組のテキストがあるが僕としては番組の方はできるだけテキストから独立した構成を考えた。写真や図版も番組の方が豊富である。出版の企画書をまとめてくれれば放送大学に相談してみると応えて4時半終了。夜は読書。

思弁的実在論について問題を整理してみる。この用語は speculative realismの訳だが10+1ウェブサイトで議論している建築家たちはspeculative designをスペキュラティブ・デザインと音読みして両者を混同して捉えているように思う。speculativeには〈思弁的〉と〈投機的〉という二つの意味がある。speculative designは後者の意味で問題解決としてのデザインではなく発見的で問題提起的なデザインを意味し、前者の意味の思弁的実在論=speculative realismとは直接的な関係はないように思う。カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』によれば思弁的=speculativeとは「思考による絶対的なものへの接近」という意味である。メイヤスーは形而上学とは一線を画した思弁的実在論を数学の無限論から導き出した〈偶然性の必然性〉という概念によって確立しようとしている(contingencyを偶有性と訳さず偶然性と訳したことも別の混乱をもたらしている)。realism=実在論には以上のようにカント的な〈物自体〉の相関的な認識を批判することによって実在論を普遍化しようと試みるメイヤスー的な意味と、ドレイファスが『実在論の立て直し』で明らかにした明示的認識の背景にあってそれを支えている暗黙的・身体的な知という二つの意味がある。後者は明示的な意識を獲得する以前にすでに物自体との相互作用を通じて実在に関する知は身体化されていると考える。思弁的実在論はそのような広大な暗黙知を前提にして成立しているというのがウィトゲンシュタインやハイデガーやメルロ=ポンティの主張である。両者とも実在論をカント的な相関主義ではなく普遍化しようとしている点では共通している。とはいえ僕の考えでは後者の実在論の方が建築デザインに引き寄せて捉えやすいように思う。しかしメイヤスー的な思弁的実在論を建築に引き寄せて捉える建築家たちは〈モノ〉としての建築と〈人間〉とを同列に捉える考え方と理解しているようだ。おそらく『モノたちの宇宙: 思弁的実在論とは何か』(スティーヴン シャヴィロ:著 上野俊哉:訳 河出書房新社 2016)を参考にしているのかもしれない。機会があれば勉強してみることにしよう。


2016年09月08日(木)

7時起床。雨のち曇りで相変わらず蒸し暑い。8時半出社。届いたヨーロッパ旅行のホテル予約確認書に目を通す。これで滞りなくスケジュールが確定した。ロンドンでは石井孝幸夫妻と食事することも決まる。木村と「155桃井邸」の打ち合わせ。大幅に設計変更した後の実施図面の修正について最後の詰めを行う。擁壁の確認申請が通ったので次は建物の申請を提出する。明朝に工務店を交えた三者会談を持つが解体工事も明朝から始まるので木村はそちらに立ち会う予定。引き続き栃内と「アタゴ第2工場」の見積用図面の打ち合わせ。外構と内部の詳細について若干の変更。今週中に構造と設備の概略が決まるので来週初めにアタゴ工場へ赴き永吉工場長と今後のスケジュールについて打ち合わせる予定。東北工大の福屋粧子さんからメールが届く。11月12日(土)に「せんだいメディアテーク」で〈建築構造家・佐々木睦朗〉のトークセッションと展覧会を開催する件である。出席者は佐々木睦朗、伊東豊雄、小野田泰明、小西泰孝の4人で僕は司会を頼まれている。トークセッションの記録を10+1ウェブサイトに掲載する件でメディアデザイン研究所にメール相談する。6時に早稲田大の中川純さんが来所、鹿児島で開催される空調学会へ出席するついでに池辺陽の「内之浦ロケット打ち上げ場」を訪問したいという。早速3年前に池辺陽シンポジウムを企画した鹿児島の建築家の小林省三さんに電話で相談する。直ちに中川さんに連絡し対応してくれる。ありがたいことである。

『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築講義』(六曜社 2016)を読み始める。戦前から戦後にかけての日本のモダニズム建築の詳細な検証である。第1章「アントニン・レーモンドと吉村順三---アメリカと深く関係した二人」を読み終えて第2章「前川國男と坂倉準三---戦中のフランス派」に進む。藤森の調査力の凄まじさにはホトホト感心するがそれに応える磯崎の蘊蓄の深さにも舌を巻く。


2016年09月07日(水)

7時起床。曇り晴れ雨をくり返す目まぐるしく蒸し暑い一日。8時半出社。桃井さんから「155桃井邸」のガス管切断工事の連絡メールが届く。10時前に木村が現場に着いたので無事終了。直ちに解体工事屋にメール報告する。インターネットでヨーロッパ鉄道時刻表を探し出しミラノから各都市への便の発着時刻と移動時間を調べる。おおよその見通しをつけて記録に残す。ロンドン在住の石井孝幸夫妻にメール連絡。ロンドンの滞在スケジュールとホテルを知らせ夕ご飯に誘う。メディアデザイン研究所の荻原富雄さんから電話が入る。佐々木睦朗退職記念本の編集がある程度進んだので今週末に打ち合わせをすることになった。しばらく連絡がなかったので心配していたのだそろそろまとめに入ったのだろうか。僕も原稿の準備をしなければならない。坂本一成さんから『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版 2016)が届く。10月上旬に開催される出版記念会の案内が同封されているので出席の返事を送る。昨夜の対談を思い出しながらページをめくってみる。なるほど服部一成のページレイアウトはユニークである。とくにブックカバーをはじめとして各ページを通して通奏低音のように使われている薄いピンク色に目を惹かれる。作品説明、他の建築家の批評、編集者との対談など読み物も多面的である。じっくり読み込みたくなる作品集である。

『20世紀の思想から考える、これからの都市・建築』(彰国社 2018)は2日間であっという間に読み終わる。まずとり挙げられている思想家と建築家のラインアップが興味深い。建築家はアルド・ロッシとクリストファー・アレグザンダーとレム・コールハース、建築史家はコーリン・ロウとケネス・フランプトン、思想家はアンリ・ルフェーブルである。このラインアップに特に異論はないが、僕としてはさらにマンフレッド・タフーリ、ジェイン・ジェイコブス、ヴァルター・ベンヤミンを加えたいところである。各章の冒頭で若い建築家や社会学者による取り上げられた人物の思想に関する説明と問題提起が行われ、それを受けて建築家による詳細な解説が続き、最後にY-GSAの北山恒、小嶋一浩、藤原徹平が加わったディスカションが展開するという構成である。最初のアンリ・ルフェーブルの章では社会学者の南後由和が塚本由晴との長い付き合いにもとづいてルフェーブル思想を塚本の活動に引き寄せて論じているので他の章とはやや雰囲気が異なる。とはいえ『空間の生産』における〈空間の表象〉と〈表象の空間〉を山本理顕と上野千鶴子の議論や塚本が提唱する〈ふるまい〉や〈コモナリティ〉に結びつけて論じる南後の手さばきは流石である。一方で塚本の解説はやや自作に引き寄せすぎの感がある。コーリン・ロウの章では〈透明性〉に関するliteral(実=即物的)とphenomenal(虚=現象的)に関する議論が今までと変わらず通り一遍である点に不満を感じる。アレグザンダーの章で僕が論じたように〈対象=建築の物理性〉と〈現象=建築の知覚性〉は常に同時並立しているはずだから両者を対立させるのはカテゴリー・ミステイクである。つまり〈実の透明性〉も〈虚の透明性〉と同じく現象なのである。ケネス・フランプトンの〈批判的地域主義〉については議論が煮詰まっていない印象を受ける。以前にどこかで書いたことがあるがフランプトンが論じる〈テクトニック・カルチャー〉には(ミース以外の)鉄骨建築の歴史が含まれていない。最近出版された『現代建築入門』(ケネス・フランプトン:著 中村敏男:訳 青土社 2016)でようやくハイテック・デザインを取り上げている程度である。アルド・ロッシの章では長谷川豪による「ポスト史観」から「連続的で積層的な歴史観」への転換という主張に大いに共感し〈プロトタイプ〉と〈タイポロジー〉を結びつけた〈プロトタイポロジー〉の提唱にも感心する。さらに〈仕組み〉作りに終始している最近の若い建築家の傾向に対する批判についても同感である。アレグザンダーについては世界から切り離された〈認識図式〉概念を世界=環境に結びついた〈アフォーダンス〉的な概念に切り替える必要性を改めて痛感する。コールハースの章では石田壽一さんによるダッチモダニズムの伝統に結びつけたコールハース論が興味深いがデジタル・デザインや保存論に関する岩元真明の問題提起については突っ込んで議論されることなく尻切れトンボになっているのが少々残念である。


2016年09月06日(火)

7時起床。曇りで蒸し暑い一日。8時半出社。札幌の佐野夫妻から先週送った「157佐野邸」2階建て案の変更希望のメールが届く。直ちに検討し問題ない旨のメールを返送する。模型の製作中なので修正が必要だが佐野夫妻へのプレゼンテーションは来週末なので間に合うだろう。ユニバーサルホームから再度の電話でコンペのスケジュール変更を確定したとのこと。審査会が僕のヨーロッパ旅行の後になったので応募登録の締切を10月末まで1ヶ月延期することになった。最近のコンペはほとんど学生向けのアイデアコンペだがユニバーサルホーム・デザインコンペは実務に近い実質的なアイデアコンペである。入賞者は商品開発に参加できる可能性があり場合によっては入選作がそのまま商品化される可能性もゼロではない。実務に携わる若い建築家は奮って応募してもらいたい。
http://kenchiku.co.jp/universalhome/
10月下旬のヨーロッパ旅行について検討しスケジュールを確定する。僕が作成した旅程にしたがって役割を分担しそれぞれインターネットで航空便やホテルの予約を確定する。僕はリスボンーポルトの電車の乗車券を予約購入。リスボンの出発駅が空港に近い新駅ではなく都心に近い旧駅の便を選ぶ。ポルトからミラノに飛ぶ格安航空は運賃は安いのだが朝6時発なので要注意である。ミラノには4泊し友人のLeoneやMatteoと会うので細かな予定は立てない。できればヴィツェンツァのパラディオやヴェローナのカステル・ヴェッキオを再訪したいがヴェネツィアまで足を延ばすのは難しいだろう。パドヴァを再訪するのも一興だろう。夜までにすべての予約を確定する。6時半に事務所を出て歩いて青山ブックセンターへ。7時から始まる『坂本一成の世界』(INAX出版 2016)の出版記念シンポジウムに出席。会場はほぼ満席で若い人が多い。本書を企画編集した長島明夫の司会で坂本一成、グラフィックデザイナーの服部一成、撮影を担当したqpの4人が登壇。坂本の建築デザインと服部のエディトリアルデザインとqpの写真の撮り方の共通性をめぐって話が展開する。一見するとアノニマス(匿名的)に見えながらもきわめて周到にデザインされている点である。まさに〈日常性の詩学〉といってよいだろう。対話を聞いていて絶えず多木浩二のことを想い出した。つまるところ長島が坂本一成の作品集を企画編集するにあたって服部とqpという才能を選んだ〈見立て〉が決定的だったという結論に思える。9時前に終了。坂本と長島に挨拶し会場を出て途中で夕食を済ませて9時半に事務所に戻る。明日のうち合わせをして帰宅。シャワーを浴びた後『20世紀の思想から考える、これからの都市・建築』を読み続け読み終わったところで夜半過ぎに就寝。


2016年09月05日(月)

7時起床。晴れで残暑の一日。8時半出社。直ちに事務所を出て歩いて青山歯科医院へ8時半から月例の歯のメンテナンス。とはいえ夏休みを挟んだので1ヶ月半振りである。前回には電動歯ブラシの使い方に指導を受けたので2年使った電動歯ブラシを音波ブラシに替えた。ここ1ヶ月はやや念入りに磨いたので少しは改善されているとのこと。今までは何も使わなかったが練歯磨きを併用するようにアドバイスされる。9月から診察料が1,000円上がったのは不満だが。来月の予約をして9時半終了。10時前帰社。石山修武さんから電話が入り来月出版される『異形の建築』の出版パーティの発起人を頼まれる。快諾したが開催日はまだ確定しておらず10月末から11月初めだという。ヨーロッパ旅行にバッティングする可能性があるがやむをえない。「155桃井邸」の既存住宅の解体工事が今週末から始まることになった。それまでのインフラの切断スケジュールも決まったので桃井夫妻にメール連絡する。ユニバーサルホーム商品開発部の河原恵美子さんから電話。ユニバーサルデザインコンペのスケジュールについての相談の電話が入る。応募要項では今年の応募締切は9月末だが審査会の予定日が僕のヨーロッパ旅行にバッティングする可能性があるので少しずらしてはどうかという提案である。ならば応募のチャンスを広げるために締切日を延期することをアドバイスする。最近ユニバーサルホームはオシャレなTVCMを放映しているしコンペの入選者は商品開発に参加できるので実務経験をめざす若い建築家にはこの機会にぜひ応募登録をしてもらいたいものである。昨年のY-GSAのシンポジウムの記録『20世紀の思想から考える、これからの都市・建築』(彰国社 2018)を読み始める。いつも感じることだがレクチャーや対談記録は読みやすい一方でどうしても議論が深まらないという側面がある。参加者がかなり加筆しているはずだがやはり当初の記録原稿の議論展開に引きずられてしまい議論を広げられないからだろう。学生の建築理論入門にはこの程度でいいのかもしれないが僕にはやや物足りない。それぞれのテーマの専門家が議論しているのだからシンポジウム参加者による突っ込んだ「後期」をつけ加えればその弊は解消されると思うのだがどうだろうか。とはいえ興味深く読み進み「アンリ・ルフェーブル」「コーリン・ロウ」「ケネス・フランプトン」まで読み終える。ちょうど半分までなので明日には読み終えそうである。


2016年09月04日(日)

8時すぎに起床。曇り時々晴れで相変わらず蒸し暑いが昨日よりは過ごしやすい。10時半出社。日記をまとめて書き込んだ後に一旦帰宅。昼食後にシャワーを浴びベッドの中で『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』を再読する。エレベーターのフーコー的系譜学と知ってもいい多角的な歴史分析である。過去の建築には存在しなかった〈エレベーターシャフト〉という建築要素を著者は近代の〈裂け目〉と名付け「序」でこう書いている。「本書の考察は、世紀末転換期において建物の古い編成と新しい編成との間に開いた、この深い裂け目をまさに舞台としているからである」。第1章「裂け目---エレベーターによる垂直の構築」では垂直要素としての階段とエレベーターが比較検討される。垂直の裂け目としてのエレベーターの直線性はオスマンのパリ改造における水平的な直線性と呼応して近代のプロジェクト(ハーバーマス)のメタファーとなり〈直線の政治学=規律訓練の要素〉(フーコー)として近代の心的な機能を形成している。「エレベーターシャフトはこの意味において、都市の街路を貫く大通りと同様の、建物の各階を貫く裂け目を作ったのである。それは中2階や裏階段の増殖を取り除き、それによって垂直方向のオスマン化を実現した」。これはそのままコールハースが『錯乱のニューヨーク』で指摘した超高層ビルにおける各階の機能分離すなわち〈垂直分裂〉の概念に繋がる。第2章「階---屋根裏部屋からペントハウスへ---エレベーターと垂直秩序」では多層階の建物においてかつて存在していた垂直秩序がエレベーターによって解体され逆転しさらに均一化していく歴史的変遷が分析されている。エレべーターの出現によってかつては最も低層所得者の住処だった屋根裏部屋は屋上テラスとペントハウスへと姿を変えて最も高所得者の住まいへと逆転する。先日見た映画『ハイライズ』はまさにエレベーターによる高層住居の階層性がテーマだった。とはいえこのような階層秩序が生じたのはアメリカでは1920年代だがヨーロッパでは大きく遅れて第二次大戦後である。高層オフィルビルの階層秩序は〈重役フロア〉など様々な形で出現しビルが高くなればなるほど強化されていく。第3章「インターフェース---制御技術」はエレベーターの電動化と押ボタン方式による制御の自動化によって進行した階層秩序の均一化に関する議論である。どのような場合でも自動化=秩序の均一化は近代化の一つのパタンである。第4章「内装---エレベーターボックス---親密性と匿名性の交錯点」ではエレべーターボックスの空間が都市に連続する公共空間(街路)かあるいは住宅の延長上である私的空間(玄関)かという問題が議論の俎上に挙げられる。かつての垂直動線である階段室にも同じような問題があった。この問題に関連して論じられる〈テネメントハウスtenement house〉とアパートメントハウスapartment house〉の相違が興味深い。前者は最大限の人数を収容し一人当たり最小限のコストで提供された集合住宅のことであり、後者は家族ごとに独立して住むことができプライバシーの要求を満たした集合住宅のことである。つまり前者は〈効率性〉を後者は〈快適性〉を目指している。さらに〈フラット〉とは独立住宅を重層した集合住宅を意味し、階段やエレベーターが公的空間か私的空間かが最も問題になったのはフラット型集合住宅においてである。もしも階段やエレベーターが街路の延長なのであれば建物内の社会秩序が撹乱されるのは明らかである。とりわけエレベーターボックス内での犯罪は現実にも大きな問題になった。ここから住戸専用エレベーターや鍵付きエレベーターといったシステムが生まれた。広場恐怖症や閉所恐怖症を生み出したのは近代における都市化でありエレベーターの出現である。エレベーターは急速に既存の社会秩序を解体していく。ヨーロッパでエレベーターの普及が遅れたのはエレベーターボックス内では貴族的君主的な階層秩序が保てないからという理由は笑い話ではない。ブラックボックスとしてのエレベーターボックスは社会的ステータスを完全に均一化してしまうのである。エレベーターが近代小説の舞台に頻出するのも都市化と多様化する社会に生きる人々が狭いエレベーターボックス内で出会うからである。最後にエレベーターボックスとキリスト教の告解室との類似性について論じている点が興味深い。僕は1970年代末に世界一周旅行をしたがその際に様々な教会を見て回りある時から教会のドームと告解室を撮り続けた。ジョン・サマーソンの『天上の館』(鈴木博之:訳 鹿島出版会 1972)やチャールズ・ムーアの〈エディキュラ〉やアレグザンダーの〈アルコブ〉のパタンなどに触発されたからである。それにしてもエレベーターが告解室と見なされるとは考えもしなかったアイデアで目から鱗である。


2016年09月03日(土)

7時起床。快晴で相変わらず猛暑の1日。8時半出社。9時前に事務所を出ていつもの路線で京王線仙川駅に9時半着。改札口で木村と待ち合わせ「155桃井邸」の敷地に10時前に着く。北側隣家の住人に境界の共有階段を見ながら解体工事の進め方と擁壁工事後の対応について説明する。ご主人が出張中なので即答は出来ないとのことで検討を依頼してお暇する。隣家は境界ギリギリに建っているのと道路拡幅工事前なので境界の納め方が難しい。11時半に帰社。桃井さんにメール報告すると直ちに返答メールが届き来週月曜日に家族で隣家の挨拶回りをするそうだ。将来の近所づきあいを先取りしておくのは工事中のことを含めていろいろな意味でいいことである。2時過ぎに栃内が界工作舎OBの中川純さんによる「153D邸」の環境測定機器の設置作業を終えて帰社する。来週の予定を簡単に打ち合わせ事務所内外の掃除を頼んで解散。夜は読書。『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』を読み終わる。

大野秀敏さんから『ファイバーシティ---縮小の時代の都市像』(大野秀敏+MPF:著 東京大学出版会 2016)が届く。大野さんは昨年東大建築学科を退職されたが本書は教員時代の研究のまとめである。直ちにお礼のメールを送る。僕が東大建築学科教授に就任した時には大野さんは本郷の准教授だったが入れ替わるように教授として柏キャンパスに転任された。2000年前後に設計課題の非常勤講師に招いてくれたのは確か大野さんだったと記憶している。当時の東大建築学科はやや沈滞気味だったので僕はかなり力を入れて学生たちをエンカレッジした。当時の常勤だった大阪市大と並行して非常勤講師を頼まれていた早稲田大と東工大の4大学の3年生に同じ設計課題を出して学生たちの反応を比較したことがある。その成果を認められたのかどうか分からないが2003年に安藤忠雄の後任として東大建築学科に招かれた。初めて工学部一号館の研究室に入った時に大野さんが来室して建築学科の状況について色々な話をした。その時に一番戸惑ったのは当時の建築学科では都市工学科や社会基盤学科と共同で都市研究が大きなテーマになっていたことである。その潮流を先導していた一人が大野さんだった。1970年の大阪万博以降は都市から完全に撤退した世代に属する僕としては、なぜ再び都市研究が盛んになっているのか理解できなかった。着任後に戸惑いながら3学科共同の都市研究に参画するうちに2000年代の都市研究は丹下健三やメタボリズムが先導していた1960年代の都市研究とはまったく様相が異なることが分かった。単純にいえば1960年代の都市研究は実際に都市を造り変えることをめざしていたが(70年大阪万博でそれが幻想に過ぎないことがはっきりしたのだが)それに対して2000年代の都市研究は1980年代以降の全世界的な新自由主義資本経済への転換によって巨大化し大きく変貌した都市の問題を解決することをめざすよりもむしろ興味深い研究対象として捉えていたのである。大野さんの『ファイバーシティ』も同じような視点の都市研究ではあるが、都市を細かな線状のファイバーとして捉え都市問題をボトムアップ的な対症療法によって解決しようとしている点には共感できる。大野さんは槇文彦の弟子であり『見えがくれする都市』の共著者でもあるからその影響もあるのかもしれない。僕もゆっくりと勉強してみよう。


2016年09月02日(金)

7時起床。相変わらず晴れで残暑が続く。「155桃井邸」の見積がほぼ収斂したので来週末に工務店を交えた三者会談を持ち工程や契約条件について話し合うことにする。既存建物の解体工事は今月一杯かかりそうなので着工は10月に入ってからである。現在は北側の隣家とコンクリート製の階段を共用しているが狭小道路の拡幅のために解体しなければならない。新たに擁壁を造った場合の階段の扱いについて北側隣家と話し合いをする必要がある。明朝その図面を持って説明に行くことになる。仕事柄、沢山のハードルをクリアしなければならないことには慣れているが「155桃井邸」はこれまでで最も難しい条件かもしれない。そのためにかなり時間がかかっている。ともかく「終わり良ければすべて良し」を目標に進むしかない。11時過ぎに国際交流基金が「日本住宅建築展」に出品する「箱の家」の4点の模型を集荷に来所する。借用書を受け取りアクリルの箱に入れた模型を渡す。戦後から現代までの住宅が系譜学的に展示され「箱の家」は住宅の工業生産化のカテゴリーに分類されているようだ。ローマのイタリア国立21世紀美術館での開催は今年の11月9日から来年2月まで、ロンドンのバービカンセンターでの開催は来年3月から6月まで、東京の国立近代美術館では来年7月から9月までの開催である。「157佐野邸」の2階建案の模型を製作中だがアルバイトの一人が今日で終わりなので夕食を一緒に食べて労をねぎらう。夜は読書。『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』は明日には読み終わるだろう。


2016年09月01日(木)

7時起床。快晴で厳しい残暑の一日。8時半出社。9時過ぎに事務所を出て千代田線で湯島駅にて下車し近現代建築資料館へ。10時から来年秋の展覧会の打ち合わせ。建築家をフーチャーしたこれまでの展覧会とは異なるテーマの企画なので若い建築史家にプログラムの担当を依頼することになる。今日はその最初の企画会議で協力メンバー候補の若い建築史家が参加。資料館からは9月一杯でギャラ間を退職し資料館の調査官に就任予定の遠藤信行さんが中心メンバーとなり事務局の前田さんと鳥居事務官が参加。僕と川向さんはアドバイザーである。僕から最初に展覧会の実行委員会を定期的に開くことを提案する。続いて外部の協力メンバーについて意見交換。遠藤さんと歴史家がそれぞれ候補を挙げる。あまり多すぎるのも問題だが、展示に模型を入れるとすればメンバーが大学教員で研究室の協力が得られるかどうかも重要な条件である。展示の方法については藤田さんから新しい展示候補の提案がある。あまり細かな注文をつけても不自由なので私見を述べるだけに止め協力メンバーの選定は遠藤さんと歴史家に展示候補については前田さんに一任することとする。次回は実行委員会の第1回とし11月上旬の日時を決める。最後に資料館側から定期的に議論すべき議題を提案するように鳥居事務官に要請して11時半に終了。12時過ぎに事務所に戻る。木村から「155桃井邸」の見積内容の報告を受け整理の仕方を確認。1時半に事務所を出て明治通りから都営バスに乗り渋谷の法務局へ。自宅と事務所の抵当権の抹消手続きが完了したので書類を受け取る。少し時間はかかったが意外に簡単な手続きである。帰りはキャットストリートを歩いたが汗ビッショリになる。木村が「155桃井邸」の見積結果をまとめたので桃井夫妻にメール報告する。何とか予算に届いたので工事契約の手続きを始めるため工務店を交えた三者会談を開くことを提案。来週後半の予定を確認し工務店にメール連絡する。ようやく明るい兆しが見えてきた。「アタゴ第2工場」の実施設計のスケジュールの概要が決まったので工場長に連絡。9月中旬に打ち合わせ持つことにする。9時半に帰宅。シャワーを浴びた後『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』を読み続ける。第4章「内装」はエレベータは私的空間なのか公的な都市空間なのかにまつわる意識の変遷を論じた興味深いテーマである。夜半就寝。


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