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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2016年04月30日(土)

7時起床。快晴で暖かい一日。8時半出社。桃井夫妻から「155桃井邸」の詳細に関する追加の要請メールが届いたので図面に反映するように担当の木村に伝える。11時にTV制作会社テレコムスタッフの太田健亮さんと長谷部大輔さんが来所。「NHK WORLD:DESIGN TALK」の番組取材の依頼相談。「箱」というテーマで番組を制作中だがその中で「箱の家」を紹介したいという趣旨なので「箱の家147:木暮邸」はどうか勧める。あまり時間もないようなので直ちに木暮さんに取材が可能かどうか打診メールを送る。午後1時に事務所を出て銀座線、井の頭線、京王線を乗り継ぎ仙川駅で下車。歩いて10分で2時前に「155桃井邸」敷地に到着。桃井さんがすでに待機している。階段を降り敷地西側にある一段下の畑地の所有者Nさん宅へ。幸いNさんが在宅していたので工事中の畑の使用について相談。畑へ入る通路が2階アパートの住人用の駐車場になっているとのこと。現在募集中なので少し待ってほしいという返答。即答はもらえなかったが何とか希望は持てそうだ。引き続き敷地隣家のEさん宅へ。敷地境界の門扉と階段の撤去と新設について相談。こちらも即答はもらえなかったが話し合いには乗ってもらえそうな印象である。桃井さんと仙川駅まで戻り駅前で別れて4時前に事務所に戻る。栃内がアタゴ第2工場の図面一式と工場長宛のコメントをまとめたので一通り目を通しチェックバック。直ちにプリントアウトし5部を工場長に送る。6時過ぎ娘一家と一緒に歩いて外苑前のトラットリアへ。少し早めだが孫の節句祝いの食事会。孫は大人の世界に驚いたのか興奮気味で落ち着かない。早々に食事を済ませ8時過ぎに解散。8時半帰宅。ボンヤリとTVを見ながらウィスキーを呑み直す。ほろ酔い加減になった所でベッドの中で『否定的なもののもとへの滞留』読みながら夜半就寝。


2016年04月29日(金)

8時過ぎ起床。快晴で風が強い一日。昨夜は何度も目が覚めたのでやや寝不足気味、9時半出社。アタゴ工場の追い込みで栃内が出社している。「155桃井邸」の見積を依頼する工務店に敷地案内図と既存状況の図面に工事範囲と現場説明の日時のコメントを添えてメール送信する。桃井夫妻と詳細な仕様について何度かメールのやり取り。工事のために隣地の畑を一時借用できるかを打診するために明日桃井さんと一緒に直接交渉に行くことになった。午後は一旦帰宅ししばらく仮眠。その後再度出社し雑用。昨日S夫妻にもらった候補敷地のコピーに目を通す。

夜は『否定的なもののもとへの滞留』を読み続ける。哲学的な文体になかなかついていけないがようやく第1章「考える私あるいは彼あるいはそれ(〈モノ〉)」を終えて第2章「コギトと性的差異」に差し掛かる。ほとんど二度読みの反復でようやく意味がつかめるが何度も繰り返しているうちに徐々にペースがつかめてくる。実定的(positive)であることに完結せず否定的(negative)であり続けることが「開かれた」主体性であるという主張を手を替え品を替えて反復しているような気がする。


2016年04月28日(木)

7時起床。冷たい雨が降り続く肌寒い一日。8時半出社。今日も中川純くんと早稲田大環境研の院生がインターンシップに来所したので「155桃井邸」の実施図面を手伝ってもらう。昨日に引き続き大阪レクチャー講演記録の校正を続行。午前中に終了したので直ちに大阪のAAF事務局に送信する。夕方には「建築レクチャーシリーズ 217」のHPにリリースされる。いつもながら対応が早い。できるだけ読みやすいように余計な脱線や曖昧な部分を削除しコンパクトで明解な文章に推敲したつもりだが、HP上で改めて読み返してみるとやや素っ気ないやり取りになっているかもしれない。平沼孝啓さんは対談の途中で、出される質問に対し僕が即答することに関して返答に迷ったことはないのかと問うたが、それについては適当に応えた。エドモンド・バークは『崇高と美の觀念の起原』で、論理的で明晰な文章は人を感動させないと言っている。建築についても同じことが言えるのかもしれない。確かに僕の文章と「箱の家」には共通する部分があるような気もする。ハテサテどうしたものだろうか。
http://217.aaf.ac/37/01.htm
鹿島出版会から『驚異の構築』第2刷が届く。それなりの値段(4000円)なのに4ヶ月で2刷とはかなりのペースである。やはりコールハースの人気は根強いようだ。6時前にクライアント候補のS夫妻が来所。5歳の女の子がいる若い夫婦である。NHKBSで放映中の「新しい住宅の世界」で僕を知り、その後インターネットで調べて僕に新居の設計を頼みたいと考えたそうだ。僕の本は読んだことがないとのことなので『進化する箱---箱の家の20年』を贈呈する。現在は敷地を探している段階だが湘南方面に幾つかの候補があるようだ。ある程度敷地の目星がついた時点で連絡をもらうことを約して7時半に終了。夜は『メタル建築史』の「おわりに」の原稿を少々。9時半に帰宅。


2016年04月27日(水)

7時起床。曇りで昨日よりも肌寒い。8時半出社。桃井夫妻に「155桃井邸」の敷地案内図と既存状況の図面を送り現場説明の日時について相談。とりあえず5月半ばに決めて不動産業者への問い合わせを依頼する。工事のために隣の畑を使わせてもらう交渉である。アタゴ第2工場の見積図面の作成はいよいよ最終段階に差し掛かる。工場長のチェックバックを受ける図面に落ちがないように細心の注意を払うよう栃内に指示する。昨日に続き大阪レクチャーの校正に取り組む。レクチャーが進むに連れてリラックスしてきたためか話が徐々に散漫になり脱線するようになっている。それをすべてそのまま文字にしているので思い切って削除しコンパクトにまとめる。4時にアルミ建築構造協議会の会長の渡邊雅志、理事の岩崎雅幸、事務局長の泉正史の3氏が来所。6月1日に開催する協議会総会での講演についての打ち合わせ。アルミ建築の今後の展望に関して明るい兆しがなかなか見えないので何とかハッパをかけてほしいという要望である。確かに現在の建築業会の興味は「木材」に向かっている。その流れを変えることはできないが再度アルミニウム建築の歴史を辿ることによって足元を見直すことはできるだろう。5月中旬に1960年代に建てられたアルミニウム住宅のリノベーションに関するレクチャーがあると聞いたので参加することにする。5時半に事務所を出て近くのとんかつ屋で早めの夕食。ビールと日本酒を呑みながらアルミ建築について意見交換。僕としては久しぶりにアルミ構造の住宅を作ってみたいがそういう意欲を持ったクライアントが来なければ何ともし難い。7時半過ぎに解散。8時に事務所に戻る。大阪レクチャーの校正を続行し20ページまで終える。残すところ5ページだがなかなか大変である。9時半帰宅。夜半就寝。


2016年04月26日(火)

7時起床。晴れで暖かい一日。8時半出社。昨日の桃井夫妻との打ち合わせに基づいて「155桃井邸」の詳細図を修正した図面をチェックバックした上で桃井夫妻に送信。「箱の家153」から床下空間を確保するようになったので給排水給湯と空調の配管経路の確保は容易になったが、電気配線の経路は相変わらず難しい。構造材がほとんど露出しているからだが、その難しさを理解し対応策を考えておかないと現場工事で苦労することになる。アタゴ第2工場の現場説明の日時が5月中旬に決まったので、見積用図面について構造と設備のコンサルタントとのやりとりのピッチが上がる。メディアデザイン研究所から佐々木退職記念連続対談のゲラ原稿が届く。磯崎新との第4回対談を飛ばし伊東豊雄との第5回対談のゲラ原稿である。僕の発言はそれほど多くないので急いで加筆訂正し返信する。引き続き大阪レクチャーの校正に着手するが僕の発言がほとんどなのでかなり手間がかかり夜までに全25ページのうちようやく10ページまで終える。9時半帰宅。

『否定的なもののもとへの滞留』を読み続ける。本書の原題は “Tarrying with the Negative” である。第1章を読むうちヘーゲルの「否定性に留まることが真の主体性である」という主張に出会う。おそらくこれが本書の基本テーゼなので、日本語タイトルは捻り過ぎで分かりにくいだけである。


2016年04月25日(月)

7時起床。晴れのち曇り。8時半出社。はりゅうウッドスタジオから「東日本大震災後における仮設住宅等の福島県の初期対応について」の報告書が届く。芳賀沼整さんが今日熊本県庁に赴き係員に手渡す予定の書類である。昨夜、熊本県庁が仮設住宅の建設について検討を始めたというニュースを聞いたばかりなので、いいタイミングかもしれない。東日本大震災の木造仮設住宅にも熊本県の業者から材木を提供してもらったことがあるので、今回も県内の木材を使った木造仮設住宅が採用されることを期待したい。10時に桃井夫妻が来所。「155桃井邸」の実施設計打ち合わせ2回目。先週末に送った展開図と設備図と設備機器カタログを見ながら希望を聞いていく。何点か変更があったので早急に修正図面を送付することにする。最後に工務店とスケジュールを確認して12時前に終了。アタゴの永吉工場長宛に第2工場の今後のスケジュールについてメール連絡する。見積用図面一式を今月中にまとめて工場長に送りフィードバックし連休明けにゼネコンへの現場説明を行うことになった。『コンフォルト』誌の編集部からアーテンバーク(佐藤桂火+川島範久+高瀬耕造)との対談依頼のメールが届く。この件についてはすでにアーテンバークのメンバーから相談を受けていたので快諾のメールを送る。対談のテーマはサステイナブル・デザインだが、できればある程度「建築の4層構造」についても話したい。佐々木睦朗さん、法政大の浜田英明さん、「10+1」編集部にメール連絡し連続対談記録本の編集会議の日時を決める。「10+1」ウェブサイト上の連載は3回まで進んでいるが第4回の磯崎新さんとの対談記録が滞っている。大阪のAAFアートアンドアーキテクトフェスタから先の講演会の記録原稿が届く。早急な作業には感心するが喋ったままを文字起こししているため記録としてはとても読めない文章である。大幅に手を加える必要がありそうなので連休中に校正しよう。これまでの講演記録もウェブサイトにアップされているが記録として読めるものはほとんどない。おそらく講演者はフィードバックしていないのではないかと思う。家早南友。夜は読書。9時半帰宅。『否定的なもののもとへの滞留』を読みながら夜半就寝。


2016年04月24日(日)

8時起床。曇り後晴れのやや涼しい一日。9時半出社。間もなく栃内も出社する。アタゴ第2工場の実施設計締切が近づいているせいである。10時過ぎに事務所を出て地下鉄を乗り継ぎ東京駅へ。11時過ぎ東京発の東北新幹線に乗り新白河駅で在来線に乗り換え1時過ぎに矢吹駅着。福島は晴れて暖かい。約10分歩いて福島県矢吹町中町第2災害公営住宅へ。界工作舎OB岩堀未来くんの最近作である。協働設計者の長尾亜子さん倉本剛さんと構造設計者の秋田宏喜さんに挨拶。東西に細長く高低差のある変形敷地で南側の道路に沿って駐車場を並べている。その北側に間口1間半で南北細長いトンネル状のユニットを緩やかに雁行させながら23戸の住宅をシークエンシャルに配置している。ユニットの南北面は全面アルミサッシなので抜けた感じが強い。メゾネット住宅の室内に入るとトンネル状ユニットの南側にダブルスキンのベランダが置かれている。室内のビニルクロスはいただけないが公共住宅では止むを得ない仕上げだろうか。配置計画は成功しているが個々の住戸デザインはもっと単純化しても良かったのではないかという印象である。一通り見た後に移動し歩いて岩堀くんが担当した酒蔵のリノベーションを見学。これも協働設計だそうだ。岩堀くんが担当した道路に面した店の部分を見学しさらに奥の駐車場を挟んで奥の酒蔵と新築の工場も見学。表の店に戻りお茶をいただきながら歓談。3時過ぎにはりゅうウッドスタジオから来た早川くんの車で新白河駅まで送ってもらい4時前の新幹線に乗り5時過ぎに東京駅着。6時に帰宅。夜はNHKTVで「特集:伊藤若冲」を観る。若冲は江戸中期の京都の画家で初めて彼を知ったのは5年前の宇多田ヒカルのアルバムジャケットでである。流派に囚われない独自の画風で日本画にしては華麗な色彩に驚いた記憶があるが、新しい試みと細密な描き込みに驚嘆する。

『否定的なもののもとへの滞留---カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』(スラヴォイ・ジジェク:著 酒井隆史+田崎英明:訳 ちくま学芸文庫 2006)を読み始める。初版は1993年だから1990年代初期の社会主義諸国の解体に並行して書かれた本である。「序」によればラカン経由でデカルト、カント、ヘーゲルまで遡り、当時優勢だったポストモダン思想の批判を行うというのが基本的なテーマである。第1部「コギト」第1章「考える私あるいは彼あるいはそれ(〈モノ〉)」では、いきなり『エンゼル・ハート』(アラン・パーカー:監督 1987)と『ブレードランナー』(リドリー・スコット:監督 1982)の分析から始まっているのにびっくりする。どちらの映画も主人公が追跡する相手が最終的には自分自身であることが判明し自己同一性が崩壊するという結末が共通している。このテーマがデカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思うゆえに我あり)」に重ね合わされ(〈デカルト〉をフランス語で読むと『ブレードランナー』の主人公〈デカード〉と発音されることに掛けている)さらにカントの「超越論的主体」の議論へと連結される。いつもながらなかなか入り込めない文体なので少々長くなりそうだが、しばらく付き合ってみることにする。


2016年04月23日(土)

7時起床。曇り後晴れ。8時半出社。昨日に引き続き木村がまとめた「155桃井邸」の衛生空調換気設備図と見積依頼候補の工務店リストを桃井夫妻に送信。来月のMUJIHOUSE研修会のスライド編集を再開。「箱の家」の徹底した部品化をめざした2002年の開発時の原型システムから始め、その後2度のヴァージョンアップの経緯を紹介しながら「箱の家」とMUJIHOUSEの関係について分析する。2004年に販売を開始して10年を経過し1100戸を越え現在も定常的に売れている。この状態がどこまで続くのか改めて考えてみることが必要だろう。この問題は当然「箱の家」についても同じである。『メタル建築史』の「補論-1アルミニウム建築」をまとめる。残すところは「おわりに」である。当初の原稿では非物質化とエフェメラリゼーションを一応の結論としていたが今やそれは一つの可能性に過ぎなくなった。2000年以降は環境問題とサステイナブル・デザインを取り込みながらもさまざまな可能性が噴出している。一つの典型的な例がレム・コールハースだが問題はもっと広いようにも思える。5時に事務所内外の掃除。6時前解散。そのまま帰宅。

『憲法の無意識』を読み終わる。「 憲法の意識から無意識へ」では、戦争放棄を唱えた憲法九条の歴史的必然性を、後期フロイトが『快原理の彼岸』で提唱した〈死の欲動〉と〈超自我〉の理論にもとづいて分析している。「私は日本の戦後憲法九条を、一種の「超自我」として見るべきだと考えます。つまり「意識」ではなく「無意識」の問題として。さらにいえば「文化」の問題として。それは九条が意識的な反省によって成立するものではないことを意味します」。「 憲法の先行形態」では中谷礼仁が『セヴェラルネス』で提示した「先行形態」の概念を適用して、憲法九条を忘却され抑圧された過去の歴史的事象の回帰として捉えようと試みている。「先行形態」とは現在の計画を決定づけている古代の都市計画の痕跡であり、いわば空間化された無意識である。柄谷の結論はこうである。「戦後憲法一条と九条の先行形態として見出すべきものは、明治憲法ではなく、徳川の国制(憲法)です」。「 カントの平和論」と「舷啓由守護と戦争」はこれまでの柄谷の著作でくり返し主張されてきた世界史の構造や交換様式のコンパクトな紹介である。憲法九条は世界に対する交換様式Dとしての「贈与」であるというのが柄谷の結論である。


2016年04月22日(金)

7時起床。晴れで暖かい一日。8時半出社。10時に博多から村岡徳子さんが来所。いつものように手作りのパンを持参してくれた。コーヒーを飲みながらしばらく四方山話。『メタル建築史』の校正を再開。いろいろ頭を捻った挙句に最終章のアルミニウム建築の項はアルミニウム建築史とアルミエコハウスその他最近のアルミ建築の紹介を合わせて別立てとし補論1とすることにする。新たに図版も加えねばならないだろう。引き続き「おわりに」のスケッチを続行し取り上げるべきトピックスをリストアップする。ここ1ヶ月の間にメタル建築史に関する捉え方が少し変わったのでまとめるには若干時間がかかりそうである。「155桃井邸」の電気設備図一式がまとまったのでコメントを添えて桃井夫妻に送信する。来週初めの打ち合わせの前に目を通してもらうためである。使用予定の機器のカタログコピー一式は打ち合わせ時に渡す予定である。安藤忠雄さんから『TADAO ANDO CHURCH ON THE WATER』(2015)が届く。「水の教会」を中心に「光の教会」「六甲の教会」「ユネスコ瞑想の空間」をまとめたコンパクトな作品集で安藤事務所が発行した布張りの美しい装丁の本である。「水の教会」の詳細図面を見ると内外ともにコンクリート打放し仕上げだが壁の中に断熱材が打ち込まれており北海道ならではの仕様に感心する。夕食後7時半に事務所を出て半蔵門線東西線を乗り継ぎ神楽坂駅で下車。駅に近いビル5階のメディアデザイン研究所の引越しパーティへ。これまで色々お世話になったスタッフの齋藤歩さんが3月一杯で退職され組織替が行われたので挨拶に伺う。事務所内は沢山の人でごった返しているためとりあえず元社長の荻原富雄さん齋藤さんスタッフの福田幹さんと北浦千尋さんに挨拶し、たまたま居合わせた中谷礼仁さんと短い立ち話をして30分で退席。9時前に事務所に戻る。9時半帰宅。『憲法の無意識』を読みながら夜半就寝。


2016年04月21日(木)

7時起床。曇り後雨の生暖かい一日。8時半出社。10時に界工作舎OBで早稲田大環境研の中川純くんが環境研大学院生の對馬聖菜さんと一緒に来所。設計事務所でのインターンシップのためである。對馬さんには現在進行中の「155桃井邸」の設備システムの図面を担当してもらうことにする。中川くんと先日読んだ『技術の道徳化』について意見交換。午後1時半に『新建築住宅特集』編集部の久留由樹子さんが来所。6月号に掲載する「箱の家155」の写真の選定と図面や環境シミュレーション・ダイアグラムについての打ち合わせ。環境住宅の特集だがさまざまなタイプの住宅が紹介されるらしい。6時前に事務所を出て雨のなか銀座線丸ノ内線を乗り継ぎ東京駅で下車。歩いて丸の内オアゾ5階の居酒屋へ6時半着。東大建築学科の同窓会である。徐々にメンバーが集まり27人が出席。同窓生は40人だからかなり高い出席率である。2年に一度は会っているメンバーがほとんどだが大学を卒業して以来47年ぶりに会う同窓生もいて大いに盛り上がる。今年から大成建設会長になった山内隆司さんも同席しているので新国立競技場やザハが死去した話題を持ちかけるが軽く去なされる。東京建築士会会長の中村勉さんには住宅建築賞に関する厳しい批評を聴かされる。NTT都市開発の中島一郎さんは表参道のビルの内装にデヴィッド・チッパーフィールドを採用した経緯を聴いたので最近の彼の仕事について意見交換。大林組の沼本洋七さんには難波研OB岩元真明くんのカンボジアのヴァン・モリヴァンの資料調査に助力してくれたことへのお礼。建築学科の大学院を中退して航空学科に転科した佐々木淳弘さんはアメリカの研究所から帰国して名古屋の研究所で特許審査の仕事をしているそうだ。ほとんどの人が最初の職場を定年退職しているが現在も新しい職場で働いている人も多い。久しぶりの同窓会に出席できることが大過ないことの証左だろう。人数が多くて全員と話すことはできなかったが和気藹々の会だった。僕たちの学年が駒場の教養学部から本郷の建築学科に進学したのは1967年4月だが翌年1968年6月に東大紛争が勃発し大学が封鎖されたため建築学科の授業が開かれた期間は1年余に過ぎなかった。1969年の卒業時には安田講堂事件のために卒業式は開かれず皆バラバラに大学を出て行った。それにしてはなぜか仲間意識の強い同窓生であることが本当に不思議である。とはいえ当時の事情を話題にしないことは暗黙の了解事項になっているようだが。9時に解散。9時半過ぎに帰社。そのまま帰宅しアマゾンから届いた『憲法の無意識』(柄谷行人:著 岩波新書 2016)を読みながら夜半就寝。


2016年04月20日(水)

7時起床。晴れのち曇りの暖かい一日。8時半出社。思い立って神宮前のY邸のスケッチを再開。先日Yさんにもらった希望条件のリストと照らし合わせながらあれこれ試行錯誤して条件をほぼ満たした案をまとめる。その案を1/100敷地図に描き入れ敷地を住宅と店舗に二分割しそれぞれ建蔽率と容積率をクリアできるかどうかチェックする。何とか行けそうな見通しが立ったので手描きで寸法を入れた平面図をまとめてみる。引き続き1/100の断面スケッチを開始。夕方までには方針を固める。最終的には模型で確かめるしかないが今のところの作業はこの辺りまでで止めておき事態が動き始めたら再開しよう。アタゴ第2工場の進入路について午後に深谷市と埼玉県との事前協議を行ってきた栃内に報告を受ける。道路の嵩上げはどうにか受け入れてもらえそうな見通しが立ったが最終決定は先方の現地調査を待たねばならない。夜は読書。9時半帰宅。

『デヴィッド・ヒューム---哲学から歴史へ』(ニコラス・フィリップソン:著 永井大輔:訳 白水社 2016)は第1章「生涯と著述」第2章「政治、洗練、文人たち」第3章「懐疑論、科学、人間の自然史」まで一気に読む。しかし第4章「イングランドの歴史に向けた哲学者の思惑」になると18世紀半ばのイングランドとスコットランドの精細な歴史の紹介になり同じような内容が第6章まで続くのでこの間は読み飛ばし最終第7章「哲学、歴史、『イングランド史』」を読んで終了。イギリス経験論の確立者というだけあってヒュームが一般法則の追求よりも具体的な事実に即した記述を重視した結果として『イングランド史』という歴史を書くに至ったことの必然性が納得できる。著者もヒュームの思想に同調しているため本書の記述スタイルも一般論より当時の歴史とヒューム思想との関係に焦点を当てている。理論家と歴史家の感性の違いだろうか。著者によれば「(ヒュームはすでに18世紀半ばに)様々な因果関係を我々が理解する能力は、理性ではなく感情の上に成り立っているのであり、それを形成するのは経験と歴史であって、抽象的で時を超越した普遍的法則などではないということを明らかにした」。因果関係とは事実の連鎖に関する慣習的な認識にすぎないというヒュームの思想に対してカントは因果関係という普遍的な認識のカテゴリーを対置したわけである。確かに認識論としてみれば両者は対立しているがヒュームにとって重要なのはそのような哲学的・理論的な問題ではなく人々の行動や考え方を決定づけている歴史的な状況であり慣習だったのである。「哲学から歴史へ」という本書のサブタイトルはそういう意味である。著者の結論はこうである。「これ(『イングランド史』)を生んだ人物は、哲学的な歴史の中に人間学を構築できるような枠組みを見出していた。その人間学の主要な目的とは、人間をキリスト教の束縛から自由にし、自己のあり方の見本として、時間の限られた歴史上の日常世界のなかで自分自身や自分の利害・幸福に関する認識を形成していく、歴史的な行為主体というあり方を示すことであった」。しかしながら世界の人々がいまだに宗教から脱していないどころか宗教的原理主義が時代の主流となっている現状を見てヒュームはどう考えるだろうか。


2016年04月19日(火)

7時起床。晴れだが昨日よりはやや涼しい。8時半出社。『メディアとしてのコンクリート』の赤線部分を再読する。鉄筋コンクリート史としてだけでなく建築材料史としても新しい視点を提唱した好著である。訳者の邊見浩久が「訳者あとがき」で指摘しているように本書は「コンクリートにまつわるイデオロギー分析」といってもよい。校正中の『メタル建築史』ではとてもここまで広い視野は持てないことを反省せざるをえない。西欧と日本における近代建築史の経験の深度とアーカイヴの広さの相違だろうが同時に一建築家としてかけられる時間と能力の差でもある。家早南友天を仰ぐ。昼過ぎに事務所を出て千代田線都営三田線を乗り継ぎ三田駅で下車。歩いて田町の建築会館5階の日本建築士会連合会へ。1時半から今年度の作品賞の一次審査会である。村松映一委員長、石山修武、松川淳子、竹原義二、櫻井潔、中谷礼仁と僕の7人が出席。岸和郎さんは既に15日に審査済である。今年度の応募数は例年とほぼ同じ91作品である。委員長にこの中から10-15点を選ぶように言われたが最初のラウンドで僕が選んだのは7点しかない。委員長から最低10点は選ぶように指示されたので再度見直して少し気になる作品を3点加える。例年ならば最初のラウンドで優に10点を越えるので今年度は全般的にやや低調な印象である。僕自身の興味の変化のせいかと訝ったが石山さんも同じ印象を持ったという。3時過ぎに全委員の投票を集計した結果、7票と6票を得た作品がそれぞれ1点で3票まで得た作品が16点となる。これに2票以下の作品の中から審査員の推薦によって3点を加え現地審査の対象作品19点を決定する。引き続き現地審査の担当者とスケジュール調整を行い5時前にすべての作業を終了。1作品を最低2人で現地審査することが原則だが見たい作品に希望が重複し最終的に僕は10作品を見ることになった。5時過ぎに近くの居酒屋で打ち上げ。家庭料理と焼酎で歓談。7時半に解散。8時半に事務所に戻る。間もなく連合会事務局から現地審査の対象作品、スケジュール、担当委員のリストが届いたので内容をチェックし予定表に書き込む。9時半帰宅。アマゾンから届いた『デヴィッド・ヒューム---哲学から歴史へ』(ニコラス・フィリップソン:著 永井大輔:訳 白水社 2016)を読み始める。本書を選んだのはカントが克服しようと試みたスコットランド啓蒙主義における懐疑論と経験主義とはどんな思想なのか興味を持ったことと、ヒューム思想が昨今の思弁的実在論の思想的起源と見なされているという点が気になったからである。


2016年04月18日(月)

7時起床。晴れで初夏のような暖かさ。8時半出社。10時ムジネット住空間事業部の川内浩司さんと小林悦也さんが来所。5月に開催するMUJIHOUSEの社内研修セミナーの相談。最近MUJIHOUSEは断熱性能を大幅に改善し仙台以北への展開をめざしているとのこと。矩計図を見せてもらったが基礎周りの断熱法が少々気がかりである。少し改善すれば僕たちが最近試みている床下空調も適用できそうだが。僕は秋田の「本・箱の家」の仕様について紹介する。とはいえいつもながら決定的な課題は物理的な性能ではなく生活の仕方つまり平面計画である。僕たちはそれに加えてデザインのキレで勝負しているわけだが。東京と大阪のセミナー会場と日時を決めて11時半に終了。午後1時半にTH-1の御厨淳子さんと渡辺幸治さんが来所。「箱の家112」(自邸+事務所)の10年目のメンテナンスである。工事を担当した工務店はすでに解散しているので当時の関係者だったTH-1に依頼することにした。とくに大きな問題はないが細かな問題点を見てまわり検討を依頼する。3時過ぎから木村と「155桃井邸」の展開図の打ち合わせ。細かなチェックバックを行った後引き続き照明、コンセント、電話、インターフォン、TVなど電気設備システムをスケッチする。夜はMUJIHOUSE研修会のスライド編集を開始。前後半の二部に分ける構成である。9時半帰宅。

『メディアとしてのコンクリート ---土・政治・記憶・労働・写真』(エイドリアン・フォーティ:著 坂牛卓+邊見浩久+呉鴻逸+天内大樹:訳 鹿島出版会 2016)を読み終わる。第9章「コンクリートと写真」では19世紀末のほぼ同時代に発明された鉄筋コンクリートと写真の比較検証が行われる。ネガ・ポジのプロセスやモノクロームとしての特性における類似性、現場写真や写真の表象性と自律性といった視点から見た鉄筋コンクリートの性質、写真と鉄筋コンクリートが文化へと進出していく経緯など興味深いトピックスが紹介されている。陰影の微妙なグラディエーションを表出する点においてコンクリート建築の壁面が写真と同じであるという著者の指摘が興味深い。最終第10章「コンクリートの復興」では戦後の1950年代から60年代の世界的な高度成長期に全世界を席巻した鉄筋コンクリート建築が1970年代には急速に衰退し1990年代以降再び復興してきた経緯が紹介されている。1950-60年代の鉄筋コンクリートは単なる構造材であり抽象的な存在でしかなかったが、1990年以降はコンクリートの物質性やテクスチュアが注目されるようになったという指摘が興味深い。フォーティは前者を文学における〈言文一致〉やロラン・バルトの〈零度の文学〉になぞらえて〈零度の建築〉と呼び、モシェ・サフディのモントリオールの「アビタ67」やピーター・アイゼンマンの「ハウス供廚鬚修領磴箸靴撞鵑欧討い襦3里に最近のピーター・ツムトアや安藤忠雄の建築ではコンクリート打放しは単なる壁面ではなくコンクリートの物質性やテクスチュアが浮かび上がっている。現代のコンクリート打放し仕上げは室内を主流とするという点がエネルギー消費と熱容量の問題に関係づけて紹介されているが、この指摘はきわめて明解なので第2章の曖昧な説明は著者ではなく訳者の問題だろう。それは第2章の〈蓄熱質量〉と第10章の〈蓄熱容量〉の訳の違いに表れている。ともかくコンクリートをここまで広大なコンテクストで論じた本は今まで皆無だった。僕の見るところ本書はレイナー・バンハムの『第一機械時代の理論とデザイン』に匹敵する位の歴史的意義があるのではないかと思う。


2016年04月17日(日)

8時起床。晴れだが風が強い。1階の収納のドアの蝶番が強風に煽られて壊れてしまう。10時半に出社。短い日記を書き込み引き続き栃内がまとめたjt掲載予定の「箱の家153」の設計要旨のたたき台をチェックバックし図面に目を通す。午後は一旦帰宅し熱い風呂に入る。まだ十分に疲れが取れないのでしばらく横になって仮眠。目が覚めるとそのままベッドの中で読書。夕食後にNHKTVの特集「老人漂流社会」を見る。団塊世代の1/4が両親の世代と子供の世代の間に挟まり経済的な窮地に追い込まれている状況を取材した番組である。僕たち夫婦はすでに両親を亡くし子供は自立しているので幸い取材された人たちのような窮状にはないが同世代としては身に詰まされる。今週木曜日に大学時代の同窓会が開催される予定だが出席者は40人の同級生の内27人の予定である。皆が現在はどんな生活をしているのか尋ねてみたい。

『メディアとしてのコンクリート』は第8章「コンクリートと労働」を終えて第9章「コンクリートと写真」に差し掛かる。鉄骨工事は最初から鋼鉄の精錬所と建設業者が一体だったのに対し、1890年代に始まる鉄筋コンクリート工事はセメントメーカーと鉄筋メーカーとが別々だったため新たに鉄筋コンクリート工事の専門業者が生まれたという。このため当初、建築家は鉄筋コンクリート工事の専門業者の特許に従って設計することを余儀なくされた。「フランクリン街のアパート」や「ル・ランシーの教会」を設計したオーギュスト・ペレは兄弟で請負業者を経営していたため、いち早く鉄筋コンクリート造を使って自由に設計できたのだという。このように近代建築の初頭から設計施工の問題があったわけである。建築家が鉄筋コンクリート造を自由に使えるようになるのは特許が切れて国家基準が制定されてからである。しかし鉄筋コンクリート造の工業化が進みソヴィエト連邦のように1960年代にプレキャストコンクリート造が出現すると、建築家にとっては再びかかつてと同じような不自由な状況が生まれる。現場打ちの粗い仕上げはそのような潮流への抵抗だったのではないかというのが著者の考えである。とはいえ著者が例に挙げているのはヨーロッパとりわけフランスの状況であり日本の状況とはやや事情が異なるように思える。いずれにせよ近代建築とともに生まれた鉄筋コンクリートは建築家と施工業者の関係とも深く関わりあっていたのである。


2016年04月16日(土)

室外の明るさで7時半起床。昨晩は興奮して何度も目が覚める。やや寝不足なのでシャワーを浴びて目を覚ませる。TVで熊本地震のニュースを見る。一昨日よりも規模の大きい地震で阪神大震災級だという。倒壊した住宅が多いがそれ以上に土砂崩れや橋の崩壊などによる影響が大きいようだ。高速道路や新幹線が寸断されている。9時過ぎにチェックアウトし歩いてJR大阪駅へ。普通電車で新大阪まで行き9時45分発ののぞみに乗車。車内でサンドイッチとコーヒーの朝食を摂った後に日記を書き込む。12時15分に品川着。1時に事務所に戻る。メールチェックし雑用を済ませてから4時前に一旦帰宅。眠気に襲われしばらくベッドで仮眠。6時過ぎ外苑前のトラットリアでいつもの定食。8時半に帰宅。『メディアとしてのコンクリート』を読みながら早めに就寝。


2016年04月15日(金)

7時起床。快晴だが風がやや強く肌寒い。8時半出社。jt新建築住宅特集編集部から「箱の家153」の掲載要領が届く。掲載予定の6月号は環境住宅特集でアーテンバーク(佐藤桂火+川島範久)の最近作も掲載されるらしい。「箱の家153」については通常の設計要旨以外にアクアレイヤーのこれまでの仕様の経緯についてもまとめることにする。合わせて昨年末の入居前に実施した実測結果も紹介するのでデータの提供を界工作舎 OBでLeviの中川純さんに依頼する。彼の近作住宅も一緒に掲載されるとのこと。午前中は『メタル建築史』の「おわりに」の原稿スケッチ。追加する幾つかのトピックを整理する。昼食後1時過ぎに事務所を出て銀座線と山手線を乗り継ぎ品川駅へ。午後2時発ののぞみに乗車し新大阪駅に4時半着。タクシーで北区豊崎の安藤忠雄研究所に5時前着。安藤さんに案内されて隣家の地下室で製作中のプンタ・デラ・ドガーナ@ヴェネツィアの1/30模型を見せてもらう。木製の手作り模型で屋根瓦や煉瓦積壁やコンクリート壁までが精巧に作り込まれているので凄い迫力である。まもなくこの模型を完成させてその次には着工間近のパリのポンピドーセンター近くにある19世紀のガラスドームのリノベーションの模型を同じスケールで作るそうだ。模型図面をみると優に2m角のサイズで周辺の街並模型を入れると2.5m角にはなるだろう。今年初めのフォスター展@森美術館のプロの模型に対抗して徹底的に手作りの素人模型にしたのだという。どちらも今年のヴェネツィア・ビエンナーレの展示用である。来年には日本でも久しぶりに展覧会を開くことが決まったそうだ。その後3階の打合せ室に上りコーヒーを飲みながら国立近現代資料館の運営の件や今日の講演会の企画について相談する。5時半過ぎに安藤事務所を出て安藤さんの案内で歩いて今日の講演会場であるグランフロント大阪の4階ホールに6時過ぎに到着。控室で平沼孝啓さんや芦澤竜一さんと会い安藤さんに今年末の講演を依頼し事務所にスケジュールを確認した上で快諾をもらう。6時から講演会の開始。会場は満員。間に平沼さん芦澤さんからの質問を挟みながら「建築の4層構造」と「箱の家」について話し8時半過ぎに終了。「箱の建築」と「3.11以降の木造仮設住宅」の紹介は時間切れのため省く。その後1階のレストランで関係者と一緒に会食。難波研OBの鴻野吉宏くん教え子の姜順英Kang Yorieさん、遅れて安藤事務所スタッフの竹内誠一郎くんが加わりイタ飯と赤ワインで歓談。11時過ぎ会の解散後店を出て平沼さん芦澤さんを加え芦澤さんがインテリアをデザインしたという茶屋町のバーへ。久しぶりにズブロッカのロックを煽りながら四方山話。午前1時前に店を出てグランフロント大阪に戻り20階のホテルにチェックイン。ロビーで皆と記念写真を撮った後に23階の部屋へ。角部屋なので正面には新梅田シティビルが左手にはJR大阪駅が見える。午前1時25分頃にビル全体が緩やかに揺れ始める。しばらくの間は酔いで目が回ったのかと錯覚したがiPhoneのニュースを見ると熊本で一昨日以上に大きな地震があったらしい。地震の際の高層ビルの揺れ方を初めて経験したが気持ちの悪い揺れ方である。今日の模型やレクチャーの事などを思い出しながら2時過ぎに就寝。


2016年04月14日(木)

7時起床。雨のち晴れの暖かい一日。8時半出社。アタゴの永吉工場長からの電話で深谷市との事前協議の日時を決める。『メタル建築史』の校正は第6章に着手する。アルミニウム建築の説明をもう少し詳細にして補論に加えようかとも考えたがそこまで大きくはならないと考えてとりあえず本文に入れたままとする。現状の「おわりに」はややコンパクト過ぎ素っ気ないので少し膨らませようと思い書き始めるが迷走。本文での紹介がコールハースのシアトル市立図書館で終わっているので『S,M,L,XL+』の「スマートな景観」にまとめられたデジタルデザインに関する議論を参考にすることを考える。午後に木村と「155桃井邸」の打ち合わせ。構造伏図をチェックしそれにもとづいて展開図をまとめるように指示。来週中に展開図と設備電気器具のリストを桃井夫妻に送り再来週初め実施設計第2回目の打ち合わせを行うことを決める。4時前に事務所を出て千代田線で乃木坂駅にて下車しギャラ間へ。「三分一博志展---風・水・太陽」のオープニングへ。それほど人は多くないが顔見知りばかりである。三分一さんに挨拶した後に展示を見て回る。3階は映像によるこれまでの作品紹介。屋外テラスでは床全面に浅く水を張りグリッド状に細い丸棒を立て頂部に細い布を吊るしている。微かに揺れ動く布の形から風の流れを読み取る仕掛けである。4階は直島ホールの入母屋屋根の形を決めるために行った風や光のシミュレーションを模型や映像で展示している。三分一さんは広島に事務所を置き瀬戸内海一体で展開している活動を通じて「風・水・太陽」というテーマに辿り着いたようだ。地中海の自然をモデルにしたル・コルビュジエと近代都市のコンセプトを参照しているのかもしれない。会場で遠藤勝勧さんにあったので神宮前のY邸の設計の経緯について聞く。担当は長谷川逸子さんで遠藤さんがバックアップしたそうだ。菊竹清訓さんは村野藤吾の考えに従って軒の高さをできるだけ低く抑えることに拘ったそうだ。5時半に帰宅。夜は現場から戻った栃内とアタゴ工場の打ち合わせ。9時半に帰宅する直前に軽い地震がきたが熊本では震度7の直下型地震だったそうだ。TVではすべての局が地震のニュースを報じている。


2016年04月13日(水)

7時前起床。曇りで暖かい一日だが夕方から雨が降り始める。7時半出社。直ちに事務所を出て小糠雨の中山手線東武東上線を乗り継ぎ終点の寄居駅へ。年度初めのせいか車内には学生が多い。坂戸を過ぎて急に空いてきたので電車の中で日記を書き込む。南口で栃内と待ち合わせタクシーでアタゴ深谷工場へ。10時から第2工場の実施設計打ち合わせ。永吉工場長と各部門の責任者3人が参加。昨日送った図面を説明しながら実施設計の詳細について確認と質問を行う。間仕切の変更とクレーンの追加という実施設計段階にしてはかなり大きなフィードバックが出てくる。設備電気システムについては細かな要求が相次ぐ。その後は今後のスケジュールと見積図面提出に関する確認。できれば今月中に役所との事前協議を行いたい旨を伝えて12時半に終了。タクシーで寄居駅に戻り1時過ぎ発の電車に乗り3時に明治神宮前着。裏原宿で簡単な食事を摂ってから3時半に帰社。『メタル建築史』の校正を再開するが疲れで集中できない。今日の打合せに基づいて栃内がまとめた図面を高間三郎さんと設備事務所と佐々木構造計画に送信。夜は読書。

『メディアとしてのコンクリート』は第6章「天と地と」第7章「記憶か忘却か」を終えて第8章「コンクリートと労働」に差し掛かる。第6章はコンクリート造のキリスト教とくにカトリックの教会建築に関する議論なので日本人にはなかなか理解しにくいが清貧性や無装飾といったコンクリートの近代性が装飾に満ちたキッチュな伝統的教会建築の改革に結びついたという指摘は興味深い。第7章では記念碑とコンクリートの関係について論じており僕にとっては本書のなかでもっとも興味深い章である。フォーティはこういっている。「それではコンクリートと記憶の関係はどうなのだろうか。かくも広範に記憶喪失的と見なされた素材が、同時に記憶の保存に最適な素材とどうしてなりうるのだろうか」。この問題についてフォーティは対象が喚起するイメージや表象を拒否する近代美学にもとづいて「コンクリートの記号論」ともいえるような論理を展開している。コンクリートによる記念碑の事例として紹介されているのはグロピウスによるワイマールの「二月革命記念碑」(1922,1946)マリオ・フィオレンティーニとジョセッペ・ペルジーニによるローマ郊外の「アルディアティーネ洞窟記念碑」(1944-1947)ジョルジュ=アンリ・パンギュソンによるパリの「移送ユダヤ人犠牲者記念碑」である。後二者は僕も訪れたことがあるので思い出しながらフォーティの分析を読んだ。そのなかでも継ぎ目のないシームレスなオブジェを作ることができるというコンクリートの物性と施工性が特定の表象を生み出すことなく記憶の投影を可能にしているという指摘には目から鱗が落ちる。これまで僕は近代建築家だけでなく現代の建築家もシームレスな面にこだわっている理由が今一理解できなかった。その理由のひとつは抽象的な空間を実現するために表象性を排除することにあるかもしれないことが何となく理解できるようになった。とはいえ現代ではシームレスなコンクリート面を作ることは技術的に難しいだけでなくモッコン跡が付いたコンクリート打放し仕上げの壁面はもはや完全に表象的な記号になっている。かくしてコンクリートという素材(メディア)は依然として表象性と記憶喪失性を兼ね備えているというのがフォーティの結論である。


2016年04月12日(火)

7時起床。快晴でやや肌寒い。昨夜は深夜2時頃に一度目が覚めてしばらく眠れなかったためやや睡眠不足である。8時半出社。「155桃井邸」の見積を依頼する予定の工務店へ連絡するがどの工務店も最近の建設費の高騰を嘆いている。しかも仕事は手一杯で忙しいらしい。木村と詳細図の変更項目を打ち合わせ図面を整理して午後一番に桃井夫妻に送信する。引き続き明日の打ち合わせのために栃内がまとめたアタゴ第2工場の図面一式を永吉工場長と担当者に送信する。どちらも連休前までにはまとめたい。昨日に引き続き『メタル建築史』の校正を続行し第5章までを終える。残すところ第6章だけだが補論が2つありさらに一編を加えたいのでやはり今週末まではかかりそうである。広島大学の千代章一郎さんから『ル・コルビュジエ図面撰集---美術館編』(千代章一郎:著 中央公論美術出版 2016)が届く。千代さんは僕が東京理科大学理工学部で非常勤をしていた時の教え子で現在は広島大学建築学科で建築史を教えている。ル・コルビュジエの図面研究が専門テーマでその成果をまとめた重厚な本である。早速お礼のメールを送る。お返しに昨年出版した僕の著書3冊を送ることにしよう。

先日横尾真さんから届いた博士論文「構成部品からみたジャン・プルーヴェの初期協働建築作品の構築的特徴」を読み終わる。フランスまで赴きプルーヴェ・アーカイヴの資料を収集した努力には頭が下がるが構法と表現の関係に関する分析と考察は読み込みが浅くいささか物足りない。プルーヴェの試みが当時の建築の工業化状況のなかでどのような位置にあったかという歴史的視点が欠けている点は残念である。さらにプルーヴェ特有の鋼板を加工したパネル構法が表現にどのように結びついているかというテーマの分析が十分に為されていない点やデザインプロセスにおいては必要不可欠な表現・機能から構法へのフィードバックの分析が皆無である点も問題である。構法から表現への一方通行だけでは建築意匠の研究としては片手落ちと言わざるをえない。さらに突っ込んだ研究を期待したい。

『メディアとしてのコンクリート』を読み続ける。第4章「コンクリートの地政学」第5章「政治」を読み終えて第6章「天と地と」に差し掛かる。第4章ではブラジルと日本のコンクリート建築の詳細に検証されている。先日のワタリウムの展覧会で見たリナ・ボバルディの建築に関しても興味深い分析が為されている。安藤忠雄や丹下健三の建築については特段新しい発見はないが日本独特の繊細な打ち放し仕上げが他国との比較で相対化されている点は興味深い。フォーティの視点からはとくに香川県庁舎の木造骨組的なデザインがコンクリートの扱い方においてかなりユニークなようだ。第5章は冷戦時代のコンクリートのイデオロギー的な意味の東西比較とニキータ・フルシチョフの政策によるソヴィエト連邦と社会主義諸国におけるプレキャストコンクリート(PC)による集合住宅建設の経緯が興味深い。PC集合住宅建設によるコスト削減がそのまま軍事費の捻出に結びつき直接的ではないにせよ社会主義諸国の崩壊の引き金になったことは歴史の皮肉というしかない。


2016年04月11日(月)

7時起床。曇りのち晴れだが北風が強く昨日とは打って変わり寒い一日。8時半出社。10時に桃井さんが来所。「155桃井邸」の詳細打ち合わせ。先週末に図面一式を送っておいたので週末に夫婦で目を通し問題点を整理してくれたようだ。一通り追加変更事項を訊く。テラスと階段の拡大や家具の追加が多く徐々にコストアップの方向へと向かう。この時点で抑えてもリアリティがないので一通り図面に反映させ見積もり結果が出た時点で再検討するのはいつもの手順である。土地と建物のローン審査を通過したのでいよいよ工務店のリストアップと工事のために隣地を借りる手配を始めねばならない。2週間後の打ち合わせ日時を確約して12時前に終了。直ちにスタッフに詳細図の変更を指示し僕は工務店をリストアップする。午後は『メタル建築史』のゲラ原稿の校正を再開。1ヶ月ばかり作業をストップしていたのでそれまでの作業を思い返しながらまずは追加の文章をまとめることから始める。大学で教えていた頃に数年かけて書いた文章のせいか視野がやや狭い点が気になっていたので歴史的コンテクストを広げるような文章を追加する。引き続き校正の続行。編集部のチェックに従って重複した文章を思い切って削除し部分的な加筆訂正を加えていき夜までに第4章まで進む。今週中にはまとめるように努力しよう。9時半帰宅。『メディアとしてのコンクリート』を読み続ける。第4章「コンクリートの地政学」でいよいよ日本が出てくる。


2016年04月10日(日)

8時過ぎ起床。曇りのち晴れで暖かい1日。ゆっくり地朝食を摂った後に10時半に出社。一昨日に読み終わった『技術の道徳化』の読後感をまとめる。技術が浸透した生活の中で人間の主体性と自由それに伴う倫理について問うことの意味を「技術に媒介された主体性」あるいは「技術に媒介された倫理」として捉える新しい視点に目から鱗が落ちる。「技術」を「建築」に置き換えてもこの視点は十分に通用するだろう。アレグザンダーが「パターンは価値を含んでいる」と主張し山本理顕が「空間には権力が埋め込まれている」と主張することの意味はこの視点から見ないと正確には理解できないように思う。主体と技術(建築)を分離する近代主義的な視点をとる限り両者の主張は主体か対象かどちらかへの還元主義になってしまうからである。これまで僕は価値を主体に還元するカント的視点によってこの矛盾を解決しようと試みてきたが本書を読んで考えが変わった。

今日は一日エイドリアン・フォーティの『メディアとしてのコンクリート』を読み続ける。本書の原題は「CONCRETE AND CULTURE---A Material History」である。第1章「土と近代性」第2章「自然または不自然」第3章「歴史のない素材」を読み終わり第4章「コンクリートの地政学」に差し掛かる。日英のタイトルの相違からも分かるように訳者は本書の内容をどちらかというとコンクリートの物性によりも文化性の方に重点を置いて読み取ろうとしている。その点は『技術の道徳化』に近い視点といえるかもしれない。しかし訳者の一人である坂牛卓が「訳者序」で言及している「思弁的実在論 speculative realism」からすると物性に関する理解の比重がやや軽いように思える。そのことは例えば第2章の「コンクリートの持続可能性」の節を読むとよく分かる。鉄筋コンクリート造の建物の二酸化酸素排出量についてライフサイクルアセスメントの立場から説明しているのだがコンクリート打放し仕上げの建物の熱性能に関する議論が少々不明解だからである。日本のような温帯地方では内外打放しの建物が熱性能の面できわめて不利であることは周知の事実である。原書のフォーティの議論自体が不明解なのかあるいは翻訳の問題なのかは原書を参照していないので判断できないが「熱容量」と訳すべきところを「熱質量」と訳しているところを見ると翻訳の問題かもしれない。おそらくthermal massの訳だろうが正確にはthermal capacityと理解すべきではないかと思う。とはいえこれは技術に対するspeculative realismというよりもむしろ常識的なpositive realism 実証的実在論の視点である。建築は世俗的な存在だからその実在論 realismはわざわざ思弁的になるまでもないと思うがどうだろうか。


2016年04月09日(土)

7時起床。曇りで暖かい一日。8時半出社。今日は一日「Y邸」のスケッチと読書のくり返し。夕方までに断面図のスケッチまで到達する。建設会社から現地調査の連絡メールが届いたのでY夫妻に転送する。その後Y夫人からの電話で別の問題が発生したことの報告。なかなか事がスムースに運ばないことに気分が削がれる。家早南友。鹿島出版会から『メディアとしてのコンクリート ---土・政治・記憶・労働・写真』(エイドリアン・フォーティ:著 坂牛卓+邊見浩久+呉鴻逸+天内大樹:訳 鹿島出版会 2016)が届く。著者のフォーティはレイナー・バンハムとも交流があった建築史家で『欲望のオブジェ』や『言葉と建築』は邦訳され僕も読んでいる。編集担当は『驚異の構築』でお世話になった川嶋勝さんである。ちょうど『メタル建築史』をまとめているところだし大いにヒントになりそうなので早速読み始める。5時半に事務所内外の掃除。6時帰宅。6時半に家を出て先週末に行った外苑前のトラットリアへ。同じようなミニコースと赤ワインの夕食。9時前に帰宅。ボンヤリとTVを見ながらウィスキーを呑んだ後ベッドの中で読書しながら就寝。

『技術の道徳化---事物の道徳性を理解し設計する』(ピーター=ポール・フェルベーク:著 鈴木俊洋:訳 法政大学出版局 2015)を読み終わる。さまざまな技術が日常生活に浸透している中では技術を考慮せずに人間の主体性や自由について考えることは不可能ではないかというのが本書の時代認識であり問題提起である。つまり人間の活動が技術によって大幅に拡大されている現代のような状況においては技術を抜きにして人間の主体性や自由について論じてもリアリティがないということである。現在では主体性と技術は相互に浸透しており両者を分離することはできない。したがって人間の主体性や自由に基づく倫理も技術を抜きにしては考えられない。この点について著者のフェルベークはこういっている「カントの言い方を借りれば、主体なき倫理は盲目で、客体なき倫理は空虚である。主体は、主体性という純粋空間のなかでは、道徳的関係を見出せるような世界と会うことすらできない」。かくして論じるべきなのは「技術に媒介された主体性と自由」であり「技術に媒介された倫理」である。「媒介」は「medium」の訳であり『メディアmediaとしてのコンクリート』と図らずも重なっている(ちなみに後著では「メディア」は「素材」と訳されている)。「媒介」の概念についてフェルベークはこういっている「技術は、我々が道徳的問いを述べたり、その答えを見つけたりするすることに介入し、我々の行為を特定の方向へ導く。媒介項という言葉は、技術の持つ道徳的役割が能動的であることと、関係的であることとの、二つの性質を表現している。技術は媒介する。それは中立的な「中間項」のようなものではない」。したがってハイデガーのように技術を主体性や自由を制約し阻害するものとして捉えるのではなく、ミシェル・フーコーのように生活の隅々にまで浸透したミクロな権力の存在を受け入れた上でそのシステムを十分に見極めることによって自由を拡大し新たに創造する制約として捉えるべきである。「人間的自由とは、技術から独立した完全な自律性であるなどという考えにしがみついているよりも、自由とはその人を規定し、その人に影響を与えているものとの間に築く能力であると再解釈した方が賢明である」。技術が自由を拡大するのであれば当然そこには倫理が関係してくる。したがって技術の設計は倫理の設計でもある。「設計者が明示的に自身の仕事に対し道徳的に反省していなくても、その設計者の設計した人工物は、避けがたく、人々の行為や経験において媒介的役割を果たしており、道徳に関わる行為や判断や生活の質の形成に介入している。つまり技術設計は、本質的に道徳に関わる活動なのである。設計者は道徳に関わる判断や実践の形成に介入せざるをえない。設計とは「道徳を物質化すること」なのである」。人間の主体性と自由を技術の媒介抜きに分離して考える立場からはこのような発想は出てこないだろう。ここまで進むと「技術」を「建築」に置き換えて読んでも十分に理解できることが分かる。クリストファー・アレグザンダーや山本理顕の建築観はこのような立場に立って初めて理解できるのではないだろうか。主体性と自由という観点からは当然ながら責任という概念が導き出される。「技術的媒介の因果的責任は、必然的に、設計者、使用者、技術そのもの、の三者に分散されている」。使用者も一種の自由な創造者であることを考えれば当然の結論だろう。しかし三者の関係や技術そのものの影響には前もって予測できない不確定な側面がある。技術に媒介された倫理はその点を考慮して構築されねばならない。「我々は、規範についての考察の中心に、道徳性と技術が密接に相互浸透しているという考えを据えるべきなのである。私の考えでは、これこそが、現在の技術哲学と技術論理が直面している挑戦なのである」。いささか抽象的な結論ではあるが、本書が技術に対する新しい視点を提唱していることは確かだと思う。


2016年04月08日(金)

7時起床。曇りで生温かい一日。8時半出社。木村が「155桃井邸」平断面詳細図をまとめたので来週月曜日の打ち合わせのための検討資料として桃井夫妻に送信する。引き続き展開図の作成を始めるように指示する。午後は栃内が「141小澤邸」の二重窓工事の最終検査から帰社。特段の問題はないようなので設計監理料の請求書を送付する。昨年から続いていた小澤邸の細部改良工事はこれで一通り終わる。若い建築家が設計した住宅の性能改良工事を僕たちが担当することになったのは皮肉というしかないがいろいろ学ぶところも多かった。擁壁・解体工事の見積の手配がついたので「Y邸」のスケッチを再開する。敷地を二分した上でそれぞれ建築法規を遵守しながら住宅と商業建築を配置していく。まず建蔽率のチェックから始め敷地区画の概要を固めた上で住宅部分のプラニング・スタディに着手する。夕方までかけてあれこれとスタディをくり返しある程度の見通しを得る。しばらくの間この作業を反復しながら徐々に案を収斂させていく。来週中には何とか第1案をまとめたい。直接の面識はないのだが東京理科大学の岩岡竜夫さんの紹介で若い建築家の横尾真さんから博士論文「構成部品からみたジャン・プルーヴェの初期協働建築作品の構築的特徴」が届く。昨年度に論文審査を通ったばかりの博士論文のようだ。ジャン・プルーヴェが1930年代に他の建築家と協働設計した3つの建築をとり挙げてそれぞれの建築の構成部品と建築表現の関係を詳細に調査した論文である。フランスのプルーヴェ・アーカイヴに赴き詳細図面まで調べ上げたマニアックな論文である。『メタル建築史』に参考になるかもしれないので腰を落ち着けて読み込んでみよう。夜は『技術の道徳化』を読み続ける。第6章「道徳的環境」第7章「媒介を超えた道徳」第8章「結論―技術に同行する」までを一気に読み通す。考えるべきテーマが多々あるので帰宅後にベッドの中で赤線を引いた部分をもう一度読み直し問題点を整理する。週末にゆっくり考えてみよう。


2016年04月07日(木)

7時起床。早朝から春の嵐の一日。8時半出社。慶応大学SFCの井庭崇さんから『プロジェクト・デザイン・パターン』(井庭崇+梶原文生:著 翔泳社 2016)が届く。副題に「企画・プロデュース・新規事業に携わる人のための企画のコツ」とあるように企画のプロセスをパターン化した井庭さんらしいいつものやり方である。この方法なら何でもパターン化できるが下手をすると「恋愛のパターン」といったいかがわしいマニュアル本になる恐れもなくはない。単なるマニュアル本に陥らないようにするにはパターン化の対象を厳選しなければならないしパターンに具体的なコンテンツを持たせねばならない。要するに何をめざしているのかの問題である。企画の最終目標が営利行為なら何をか況やというのがいつも通り僕の批評である。その点で本書は若干の建築的社会的コンテンツを含んでいるのでギリギリのところに踏み止まっていると思う。9時半前に事務所を出て雨の中を千代田線乃木坂で下車。歩いて六本木ミッドタウンの富士フィルムフォトサロンで開催中の「日本木造遺産」写真展へ。今日が最終日なので思い立って訪ねることにした。受付で藤塚光政さんに会う。毎日会場で待機しているそうだ。『日本木造遺産』(藤森照信+藤塚光政:著 世界文化社 2014)は出版時に購入したので見慣れた写真ばかりだが本とプリントではやはり画像のエッジが違う。最初の重源の「浄土寺浄土堂」は仏像の正面を避けて重厚な木架構と空間に注目したアングルだが、その点を指摘したら藤塚さんは「俺は仏像が嫌いなんだよ」とそっけない答え。しかし「三十三間堂」は仏像を正面から撮っている。無数に並ぶ仏像だから気にならないのだろうか。では阿弥陀像を真正面から捉えた「富貴寺大堂」はどうか。「平等院鳳凰堂」や「厳島神社」では本にはないアングルが紹介されている。藤塚さん曰く東大寺大仏殿を除いて地震多発地の日本で木造の社寺は崩壊した例はないそうだ。仏像を守るために宮大工たちは様々な工夫をこらしたのだという。その他木造に関するさまざまな薀蓄を聞く。展示の解説は全部藤塚さん自身が書いたのだそうだ。11時前に会場を出て11時半に事務所に戻る。12時過ぎに事務所を出て神宮前4丁目のY邸へ。昨日連絡を取った建設会社の係員2人と敷地と住宅の調査。Y夫人に紹介しこれまでの経緯を聴く。難しい状況なので拙速な対応は避けるべきだという建設会社の意見に僕も賛同する。概算見積の要領について希望を聞いた上で13時過ぎに現場を発ち界工作舎で打ち合わせ。地の利のある建設会社なので安心して相談ができる。現在、青山原宿界隈は建設バブルでリーマンショック直前の状況に近いとのこと。昨日の大森さんとのミーティングでも同じような話を聞いたので事実なのだろう。アタゴ第2工場の設計仕様では十分に注意しなければならない。午後はY邸のスケッチを開始。複雑な条件をどうまとめ上げるかあれこれ試行錯誤する。夜は『技術の道徳化』を読み続ける。第4章「技術と道徳的主体」第5章「設計における道徳」を読み終えて第6章「道徳的環境」へと進む。頭の中で「技術」を「建築」に置き換えながらまったく違和感なく読めている自分に気づいてびっくりする。「説得型技術」に分類されているスマートハウスの問題点にも納得する点が多い。


2016年04月06日(水)

7時起床。晴れのち曇りで暖かい。8時半出社。11時前に大学時代の同級生、大森英華さんがゼネコンの営業二人を同行して来所。見積の相談だが現在のところ関東地域は建設ミニバブルの状態だそうなので難しいかもしれない。界工作舎OBの中川純さんから「153檀上邸」の入居前の室内環境の実測結果報告書と今後の実測計画書が届く。アクアレイヤーの対流によって室内にはムラなく熱が伝わっているので熱源の位置は比較的自由かもしれない。ダイレクトゲインも有効に機能しているようだ。床下のコンクリートの蓄熱がかなり利いている可能性もあるとのこと。ただし熱源のエネルギーを計測していないので省エネになっているかどうかは判断保留である。長期実測で検討しなければならない。現在空調室内機は寝室に置いているが深夜電力を使う場合ファンの暗騒音がクレームになる可能性がある。建物全体への対流を考慮するとリビングに熱源設置が良いように思われる。入居後の長期実測は7月あたりから始めたいとのことである。ムジネットからMUJIHOUSEの研修会を依頼される。5年前に開いて以来だがこの間に新しい工務店が参加してきたので再度開きたいとのこと。5月に東京と大阪の2カ所で開催することになった。建築学会の『建築雑誌』2016年4月号集が届く。今年1月号から新しい編集委員会になって4冊目だが3月号までは建築学会をやめようかと思うくらいつまらない特集続きだった.。今月号になってやっとまともな特集になった感がする。「建築学会130周年特集---学会の過去と未来」でテーマ毎にコンパクトな論文が掲載されている。「打放し略史」(藤森照信)「戦災復興期の住宅金融公庫設立と持ち家志向」(初田香成)「団地が消えた日」(木下庸子)などを興味深く読んだ。やはりどのようなテーマでも歴史的な視点が不可欠であることを痛感させる特集である。

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先日急逝した、ザハ・ハディドのためのPRAYER SERVICE(追悼式)が、本日(4/6)20時半(日本時間)よりLONDON CENTRAL MOSQUEで開催されるそうである。そのために磯崎新さんがロンドンへ送付した追悼メッセージが、先ほど(4/6 19:00に)磯崎さん本人から送られてきた。以下その全文をコピーする。

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For Zaha Hadid.
 
Architecture has been assassinated.
Upon hearing the tragic news about Zaha Hadid, I became angry.
When she appeared in the world of architecture thirty years ago, I thought of her as the savior who would revive architecture from its moribund condition.
 
As an architect, she was fated to bear two handicaps – her culture and her gender – but she turned these into a launching pad for the creation of an image of diffused tension. Instead of the tricolor banner depicted by Delacroix, she raised the flag of architecture and guided us like the figure of a Muse. I cannot believe that figure has vanished. It seemed that her career had just begun. If we assume her creation of design imagery to be an innate talent, the next task is its architectural realization, which has been unexpectedly suspended despite having just begun.
 
The figure of architecture that she embodied as latent potential has vanished. It is an immeasurable loss.
 
There had been a plan to realize, several years from now, a glimpse of this imagery on an island nation in the Far East. However, the government of this country, as if preparing for a new war, used the imagery of Zaha Hadid as a trump card to attract people to the Olympic Games, but failed to control the project and discarded it due to a skillful manipulation of the xenophobia of public opinion. Zaha herself, caught up in this opportunistic drama, never compromised her integrity as a professional architect. But her level of anxiety is unimaginable.
 
It was an assassination of Architecture.
Once again, I become angry.
 
Arata Isozaki
 
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ザハ・ハディドへ
 
〈建築〉が暗殺された。
ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った。

彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈建築〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。

彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。

そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。

〈建築〉が暗殺されたのだ。
あらためて、私は憤っている。
 
磯崎 新


2016年04月05日(火)

7時起床。曇りでやや肌寒い一日。8時半出社。10時に近代美術館の保坂健二朗さんと国際交流基金の田崎恵子さんが来所。「日本の住宅の系譜学 1945-2015」に関する相談。10月にローマでスタートしロンドンを巡回して来年には日本で開催するというスケジュール。塚本由晴さんからの提案で作品単体の紹介ではなく系譜学という形式で戦後住宅史をテーマ毎に紹介するそうだ。「箱の家」と池辺の仕事を紹介するそうだが分類の仕方を見てやや的外れな印象を受ける。しかし初対面なので正面切って自分の意見を言えずにミーティング後に少々後悔する。午後1時に国立近現代建築資料館の佐藤館長と橋本副館長が来所。資料館の今後の運営に関する相談と来年以降の展覧会のテーマに関する相談。先日、安藤忠雄さんから電話で相談を受けた件である。話を聞いていて安藤さんと資料館の考えの微妙な相違に気づく。これが視差というものかもしれない。スタッフに土曜日の住宅の建て替えに関する依頼の説明。今朝もさらに資料が届いたので急いで敷地を図面化するように指示。僕なりにスケッチを始めてみよう。高間三郎さんからアタゴ第2工場の設備システムの代案が届いたので建築との取り合いを検討した上で栃内と打ち合わせ。検討結果を高間さんに返信する。夜は『技術の道徳化』を読み続け第2章「ヒューマニズム的でない技術論理」第3章「人工物は道徳性を持つか」を終えて第4章「技術と道徳的主体」へと進む。「道徳」や「主体」といったキーワードが論のコンテクストにしっくりおさまらないので気になって仕方がない。


2016年04月04日(月)

7時起床。小雨の後曇りでいよいよ春の暖かさ。花粉症の薬を飲んだら症状は止まったが午前中は眠気に襲われる。8時過ぎに出社し直ちに事務所を出て小雨の中を歩いて青山歯科医院へ。表参道の欅が芽を吹き始めている。8時半から月例の歯のメンテナンス。9時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。桃井夫人から「155桃井邸」のキッチンに関するコメントが届く。先週末に送った案に対する回答である。1つアイデアを思いついたので平面図を再度修正し送信する。その後2度メールをやり取りした結果1つの案に収斂する。こうしたやり取りは案をチューンアップするだけでなく設計案に対するクライアントの理解度を高めていく重要なプロセスである。僕としてはさらにアイデアを加えることにする。ニチハからNICHIHA SIDING AWARD 2016の審査員の依頼。5年目になるが今年も継続するとのこと。僕にとってはこれも新素材の開発に関する勉強の機会である。国立近代美術館学芸員の保坂健二朗さんから長いメールと資料が届く。「日本の住宅の系譜学 1945-2015」についての相談である。石山修武さんが昨年、藤岡洋保さんと塚本由晴さんから相談を受けた企画だろう。僕も「箱の家」と「MUJIHOUSE」で参加することになるかもしれない。明日来所され相談を受けることにする。国立近現代建築資料館にもミーティングを頼まれたので明日の午後に設定する。一昨日届いた「建築レクチャーシリーズ217」の質問スライドにコメントを書き込んでいく。質問数が多いので結構時間がかかってしまう。果たして時間内にレクチャーを終えられるか少々心配になってきた。思い立ってコメントを最小限に削減することにする。今日から『メタル建築史』の編集を再開しようと考えたが『技術の道徳化』が大きなヒントを与えてくれそうな気がしてきたので読み終わってからにする。何とか今週末までには読破し次のステップに進みたい。


2016年04月03日(日)

8時過ぎに起床。やや二日酔い気味で頭が痛い。曇りで暖かい一日。朝食後に朝風呂に入り酔いを抜く。10時半に出社。日記を書き込んだ後に昨日Yさんにもらった資料に目を通す。なかなか厳しい条件だがプログラムの再検討からは始めねばならない。早速メールが届いたので今後のスケジュールについて返信する。大阪の平沼孝啓さんから「建築レクチャーシリーズ217」のスライドが届く。僕のスライドの途中に幾つか質問のスライドが差し挟まれたバージョンである。「箱の家」に対してこれまでに何度も繰り返されてきたややマンネリ気味の質問ばかりである。やはり誰もが「箱の家」に対して共通して抱く疑問のようだ。僕はその背景にある無意識的な前提の方に興味がある。今まで通りの回答を反復したのではつまらないので今回は趣向を変えたコンパクトな回答を考えることにしよう。頭痛が続くので午後は帰宅しベッドの中で読書。

『技術の道徳化』は第1章「媒介された道徳」を終えて第2章「ヒューマニズム的でない技術論理」に進む。第1章は技術が生活の隅々に浸透していることの再確認から、道徳は技術に媒介されているという主張が導き出される。「もし技術倫理が、社会や日常生活における技術の媒介的役割を深刻に捉えるならば、形而上学的伝統に由来する近代主義的な主客二分法からは脱却しなければならない」。建築では設計段階で建築と空間に機能性を与えようとする。当然ながらそれは背後に思想性や倫理性を伴っている。しかし逆に建築から機能性ばかりか思想性や倫理性を読み取ることができるかとなると不可能とまでは言えないとしても不確定である。これはマンフレード・タフーリが生涯をかけて追求し挫折した問題でもある。著者のフェルベークはポスト現象学的アプローチによってこの問題に取り組もうとしている。それは人間と技術の関係を「人間-技術連合体」として捉えることと「人間-世界関係を世界の客体性と世界の中で経験するものの主体性の双方が構成される場として捉えること」の二つのアプローチである。このアプローチは『建築家の読書塾』(難波和彦:編著 みすず書房)でJ・J・ギブソンの「生態学的視覚論」について論じた「生態学的建築論をめざして」における議論や『デザインの鍵』で池辺陽が「3.人間は変化のプロセスを持つ」で主張していることを哲学的に難しく言い換えただけである。ここから第2章の人間中心主義(ヒューマニズム)の克服という課題が導き出されるわけである。それにしても翻訳がこなれた日本語でとても読みやすいので好感の持てる本である。


2016年04月02日(土)

7時起床。晴れのち曇りで風があり冷たい1日。8時半出社。栃内はインフルエンザのため今日も自宅待機。10時にYさん一家が来所。昨日電話をもらった神宮前4丁目の家族である。Y夫人からこれまでの経緯を聞く。Y夫人は後輩でもあるようだ。近くにある住宅だが通常はほとんど利用しない道に面しているので注意して見たことはなかった。一方で敷地の裏道はいつも通る道なので何が問題なのかは理解できる。有名な建築家の設計による住宅なのでどのように対処するかをあれこれ考えながら話を聞く。大凡の状況を把握したので午後に現地に伺うことを約して昼過ぎにひとまず解散する。2時過ぎに再度電話しY邸に伺う。軒の低い塀に囲まれた2階建ての木造住宅である。竣工は1960年代初期だという。建築家が最も忙しかった時期なのでほとんどスタッフが設計を担当したらしい。まず外周を見て周り隣地との段差や裏道の擁壁を確認する。付近は3階建ての建物がほとんどである。通用口から入るとゆったりした庭を囲む閑静な住宅である。建築家らしく軒高が低く抑えられているが増築が繰り返されたため当初の端正な輪郭は失われている。昨年に両親から引き継ぎ引っ越してきてから間もないのようで開封していないダンボール箱が積み上げられている。庭に面した1階のリビングでY夫妻の話を聞く。壁のあちこちにヒビが入っている所を見ると建物全体が不同沈下を起こしているようだ。3.11が建物にかなりのダメージを与えたとのこと。今日までに様々な計画があったようだがどれも中途半端で終わっている。どこから手をつけるかじっくりと腰を落ち着けて考え直す必要がありそうだ。とりあえず新居に関する要望をまとめるように依頼し4時過ぎにお暇する。5時前に家を出てギャルリー・ワタリの「園子温展」のオープニングへ。入口で植田實さんに出会い挨拶。2階は障子を張り回したスクリーンに影と音の展示。3階は忠犬ハチ公の彫刻と壁の書き殴った散文詩。4階は最新作『ひそひそ星』にまつわるビデオとスケッチの展示。残念ながら園映画のようなエグさはどこにも見当たらない。6時からのトークセッションへの参加を予約したが待ちきれず6時前に会場を出て一旦家に戻り7時前に再び家を出て外苑前のトラッットリアへ。地下の小さなイタリアンレストランだが若い客でいっぱいである。厨房には数人の若いシェフたちが忙しく料理している。前菜2点とスパゲッティと肉料理と赤ワインで盛り上がる。9時過ぎに店を出て歩いて9時半に帰宅。少々飲み過ぎてしまったのでそのままベッドに倒れ込む。


2016年04月01日(金)

7時起床。曇りで夕方から小雨の暖かい一日。8時半出社。昨夜遅くインターネット・ニュースでザハ・ハディドが急逝したことを知る。昨年に新国立競技場コンペに勝ったザハ案が予算過剰を理由にゼロベースに戻され、新たにデザインビルトのコンペになった時からザハは日本政府に対し批判を繰り返していた。さらに新しい設計案が決まった後にも、決定案の平面計画が自分の案に酷似している点を指摘して批判していた。しかし最近パッタリと声が聞かれなくなったのは急病が原因だったのだろうか。磯崎さんが『偶有性操縦法』の出版を急いだことも、あながちこの件と無関係ではないのかもしれない。こんなことを言っては大変失礼かもしれないが、ザハの急逝を知って胸を撫で下ろした人も多いのではないだろうか。ともかくこの事件は歴史の皮肉というしかない。Facebookで松永安光さんがスペインから帰国した鈴木裕一さん東理大の宇野求さんと一緒に「国分寺教会」(設計:池辺陽)を見学したことを知る。池辺の仕事なので知っていることをコメントしたところ何度かやり取りが続いたので結局参考資料として『戦後モダニズム建築の極北---池辺陽試論』(難波和彦:著 彰国社 1999)を贈呈することにした。クライアント候補から電話が入る。近所の神宮前4丁目に住んでいる人で僕のことや「箱の家」のことをよく知っているらしい。急いでいるようなので明朝に来所してもらうことになった。木村と「155桃井邸」の打ち合わせ。平面詳細図では敷地境界周りの検討が甘いので細かな点まで方針を支持する。断面詳細図では構造システムの方針を再検討し詳細図に反映するように指示。何とか来週中には詳細図一式をまとめて次のステップに進みたい。栃内がインフルエンザでダウンしたため早退。家族全員が連続的にインフルエンザに罹ってきたようだ。週末はゆっくり休むように伝える。僕も花粉症の症状が悪化したので今夜から薬を服み始める。


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