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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2015年06月30日(火)

7時起床。小雨の一日。8時過ぎ出社。直ちに事務所を出て青山歯科医院へ。9時前から奥歯の治療。レントゲンを撮り歯根の状況を確認して歯科医と相談し差歯にすることを決定。麻酔をして歯根と根元を削り詰め物をする。10分間乾燥させた後に彫り込んで型を取り今日の治療は終了。来週の予約をして10時前に終了。10時過ぎに帰社。麻酔が切れると歯茎が痛み始めて食事もままならない。午後は痛みで仕事が手につかないので『ルイス・マンフォード』を読み続ける。夜になってようやく痛みが治まってきたので法政大スタジオ課題の学生から届いた図面をメールエスキス。9時半に帰宅し早めに就寝。


2015年06月29日(月)

7時起床。昨日の夕食に久しぶりにステーキを食べていたら何かの拍子に噛み合わせがズレて右の奥歯が根元からポキリと折れてしまった。20年以上も前に虫歯の治療で歯神経を除去し金属のカバーを被せていたので痛みはまったくないが口内の感覚が奇妙な感じになった。折れた奥歯を見るとカバーの根元が虫歯になっているようだ。以前から歯医者に右の親不知が少しずつ伸びていると言われていたのでその圧力のせいかもれない。8時過ぎに行きつけの歯科医院に電話し明朝の予約を取る。8時半出社。9時半に事務所を出て外苑前の診療所へ。10時前から先日の人間ドック検査の結果聴取を開始。腰椎と腎臓膵臓のMRI検査の結果は問題ないようだが血液検査で尿酸値の上昇を警告される。便反応も微妙な結果なので念のために大腸検査を受けることになった。少々気分が滅入り11時前に事務所に戻る。TOTO出版編集部から『進化する箱』の図版の差し替えに関する質問メールが届く。飯塚に質問の内容を整理するように頼みその結果を見ながら回答をまとめる。ページ数を増やさないで図版を追加するとレイアウトが難しくなるようだが僕としては内容がちゃんと表現されなければしょうがないと考えるので妥協できる点とできない点を整理して返事を送信する。午後久しぶりに安藤忠雄さんから電話がある。ここ数ヶ月間に新国立競技場に関して紆余曲折があったそうだ。辛坊治郎のメールマガジンについてもある程度は知っていて「あいつは知り合いやが何も分かっとらん」と切り捨てていた。竹原義二さんの話では貴志雅樹さんを偲ぶ会以来安藤さんは自分の体調のことを隠さず話すようになったそうだ。何か心境の変化があったのかもしれない。最後はいつも通り建築設計界の窮状の話題になる。近いうちに石山修武さんを交えて食事しましょうと電話を切る。新国立競技場に関して建築界は総じて槇さんの意見に賛成のようだが僕としては槇さんとの確執があって以来この件については極力ダンマリを決め込むことにしてきた。しかしジャーナリズムの情報を見る限りでは最近の槇さんの発言は僕には理解できないし的が外れていると思う。結局のところ安藤さんも槇さんも後には引けない対立図式に陥ってしまったように見える。アマゾン古書からルイス・マンフォ−ドの技術論三部作『技術と文明』『機械の神話』『権力のペンタゴン』が届く。『機械の神話』だけは池辺研究室時代に一度読んでいるが技術論について考えるために改めて通しで読んでみることにした。法大スタジオの学生2人から図面が届く。まだ図面上のチェックバックができる段階ではないので言葉でエスキスを返信する。9時半帰宅。『ルイス・マンフォード』を読みながら夜半就寝。


2015年06月28日(日)

5時過ぎに目が醒める。昨日読み終わったダリの本のことを考え続けていたら 眠れなくなり朝方まで微睡んでいた。様々なイメージが脳裏を駆け巡りこれが偏執症的錯乱現象かと思うばかりで自分の叫び声で目が醒めてしまう。しかし明らかに寝不足なので身体全体が怠く起き上がる気分になれない。8 時過ぎに一旦起床しネット二ュースでなでしこジャパンがオーストラリアを破り準決勝に進んだことを知る。ゆっくりと朝食を摂った後10時半に出社し『「晩鐘」の悲劇的神話』を読み返しながら日記をまとめる。読み終わった直後は悪夢を見るほど錯綜した印象だったが 実際にまとめてみるとダリの主張は意外に単純であることが分かる。『晩鐘』を読み替え=脱構築するためにダリが持ち出すエピソードが多種多様なので論理的に錯綜しているように思えるだけである。それにしても夕暮れ時の教会の鐘の音を聞きながらに胸に手を合わせて祈る敬虔な農婦の姿をカマキリのメスがオスに襲いかかる寸前の姿に重ね合わせて見せるダリの荒唐無稽なイメージの飛躍には感嘆する。ダリには二人の男女が向かい合って立っている姿のすべてが女が男を食う行為=性行為寸前の姿に見えるようである。それはダリ自身の抑圧された性的コンプレックスが要因であるだけでなく『晩鐘』を描いたミレーにも抑圧された性的コンプレクスが存在していることをダリは執拗に証明しようと試み実際にミレーが描いた性的モチーフの絵を探し出している。要するにダリは敬虔なカトリック教徒には抑圧された性的コンプレクスがあるがゆえに『晩鐘』の人気が高いということを自らの経験と精神分析学によって証明し同時にシュルレアリスム芸術の方法として確立しようとしているのである。 偏執症的批判的方法がイメージの物語的な飛躍をもたらす点においてはコールハースの設計方法に結びつくことは十分に理解できる。しかしそれが抑圧圧された性的コンプレクスによってもたらされているという点においては建築とどう結びつくのかはよく分からない。コールハースに性的抑圧があるのかどうかも分からないからである。あれこれ考えあぐみながら日記をまとめたせいか疲れがドッと噴き出したので一旦帰宅ししばらく休息。夕方熱い風呂に入り目を覚ませようと試みるが身体の怠さが取れないのでそのまま夕食までべッドで休む。岩元君から7月11日(土)の読書 に参加するメンバーのリストが届く。20人を越えているので学生は最小限にとどめるよう頼み最終的に参加者は15人程度になったので栃内に懇親会場の予約を頼む。『ルイス・マンフォ−ド』の再読開始。


2015年06月27日(土)

7時半起床。小雨後曇り。9時前出社。10時に檀上一家とセコムが来所。「153檀上邸」のセキュリティ・システムについて打ち合わせ。周囲は畑地が多くほとんど死角のない見晴らしのいい敷地だが人気もないのでセコムが作成した提案にもとづいて様々な可能性を検討しフェイルセーフを組み込んだ万全の警備システムを考案する。センサーの取り付け位置と配線経路についても建築的な納め方を指示する。12時前に終了。事務所内外の清掃の後12時半に解散。午後から夜にかけて読書。

『晩鐘』の悲劇的神話---「パラノイア的=批判的」解釈』(サルバドール ダリ:著 鈴木雅雄:訳 人文書院 2003)を読み終わる。ミレー作の『晩鐘』にまつわるダリの自伝のような内容だが主観的な体験がそのままシュルレアリスムの客観的な方法にもなっている点がダリのユニークさである。ブルトンがランボーの再来と評したほど文章も上手いようだ。プロローグでダリは『晩鐘』のX線写真の結果を紹介した後に本書の趣旨についてこう書いている。
「この書物は人間の脳髄が、この場合サルバトール・ダリの脳髄が、パラノイア的=批判的活動(パラノイア的な、すなわち柔軟な活動。批判的な、すなわち硬質な活動)のおかげで、高度に芸術的な粘性のサイバネティックス機械として機能しうることの証明である。」
ダリは偏執症的・批判的方法をフロイト=ラカンの精神分析学にもとづくシュルレアリスム芸術の生産方法であると位置づけそれを『晩鐘』に適用したケーススタディとして本書をまとめたのである。ダリは幼年時代のバッタやカマキリやカエルにまつわる個人的記憶やブルトンを通じたシュルレアリストたちとの交換やガラとの倒錯的な性体験といったエピソードを交えながら、西欧世界においてもっともポピュラーな絵画である『晩鐘』を性的な絵画として徹底的に読み替え=ディコンストラクト(脱構築)している。偏執症的・批判的方法の核心は性にまつわる体系的な連想であり、ダリの言葉で言えば「客観的偶然」や「非合理的瞬間的喚起現象」を生み出す活動である。ダリは自身の『晩鐘』の性的な解釈はこの絵画の「現実的内容」であると主張しながらこう言っている。
「この場合の現実性とは、パラノイア的錯乱現象とその現象へのパラノイア的=批判的活動の意図的行使にだけ「関わっている」のであろう。そしてその実験のためのフィールドが、ミレーの『晩鐘』のイメージという具体例によって提供されているのである。」
精神分析学とは「天才的なまでに体系化された錯乱」にほかならず、その科学性の根拠にはパラノイアのメカニズムが潜んでいると主張した上でダリは自身が編み出した「偏執症的批判的方法」についてこう結論づけている。
「パラノイア現象は詩的領域において、シュルレアリスム的錯乱の弁証法それ自体を客観的な形で触ったり認識したりできるものに変える。(中略)それ(シュルレアリスム的錯乱)はもっとも和解しにくいものどもを「和解」させることの詩的等価物であり、もっとも解消し難くもっともかけ離れた敵対要素をもつれ合わせ接近させることから生じる透明なほどの明証性である。結局パラノイア現象とは、この壮麗なる理論、その思弁的な高みに直観的にしか昇ることができない「特殊相対性理論」と呼ばれるこの理論の中で客体化された「具体的弁証法」の総体なのである。」
これはそのままコールハースの「偏執症的批判的方法」の説明として受けとっていいだろう。シュルレアリスムが生まれたのは1920年代半ばであリダリによれば本書の草稿が書かれたのは1931年である。とすれば建築におけるモダニズム運動とほぼ同時期である。両者にはどのような関係があったのか調べてみる価値がありそうだが、この点はコールハースがモダニズムとシュルレアリスムの両方を建築デザインの方法に取り入れたことと無関係ではあるまい。


2015年06月26日(金)

6時起床。曇り後雨。7時に出社。直ちに事務所を出て銀座線丸ノ内線を乗り継ぎ東京駅へ。8時前発の金沢行はくたかに乗車。週末のせいか車内は満員である。上野から中谷礼仁さんが合流し10時前に糸魚川駅着。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。改札口で創建築事務所の徳田義弘さんと待ち合わせ10時10分着のはくたかで金沢から来た竹原義二さんと合流し駅から歩いて5分で「糸魚川小学校」に着く。雁木のようなアプローチが道路まで伸びている。アプローチはオランダ製のレンガ積みによる重厚な外装である。アプローチ正面のガラス張り廊下の奥には芝生張りの中庭が広がっている。職員室奥の会議室で校長先生を初めとする関係者7人に挨拶する。長澤悟さんがいるのにびっくりしたがこの小学校の計画にアドバイザーとして参画したそうだ。徳田さんの説明の後に学内を見て回る。各学年3クラスの2階建ての学校だが特殊学校「ひすいの里総合学校」を併設している点が通常の学校とは異なる。3クラスを1ユニットとした構成でクラスルームの手前にオープンスペースを備え木造のロッカールーム・ゾーンによって柔らかく仕切っている。低学年のクラスルームには窓側にデンと名付けた4畳半のアルコブが付属している。中庭を囲む建物配置は吉武計画学のモデルのような学校でレンガ仕上げ共々懐かしい感じである。照明器具の多さが気になったのは曇りの日で明るい場所と暗い場所がはっきりしているからだろうか。見学後に6年生のクラスルームで子供達と一緒に給食をいただく。1時前にお暇して徳田さんの車で糸魚川駅まで送ってもらう。改札口の前で中谷さんと別れ竹原さんと二人で金沢行の新幹線に乗り雨の中を2時前に新高岡駅に着く。改札口で富山大学の横山天心さんと待ち合わせ彼の車に同乗して15分程度で「木津の庄コミュニティセンター+公園」に着く。雨が降り続いているので車で公園の外周を回る。戸建住宅の開発地域内に建てられたコミュニティセンターで今年2月に亡くなった富山大学の貴志雅樹さんと横山天心さんの共同設計である。外観のシルエットは単純な箱で内部も一室空間なのだが矩形平面を微妙に回転させたプラニングと天井高の変化によって柔らかな場をつくりだしている。3Dプレカット機械による複雑な木造架構なので2階に登ると天井裏の様子が見えて興味深い。内外をつなぐ庇下の空間がもう少しあれば言うことはない感じだが連続する公園は敷地外なのだそうだ。公園内に埋設したクールチューブによる空調を試みている点に感心する。貴志さんの遺作に相応しいなかなかの力作である。雨が止んだ3時過ぎに現場を発ち新高岡駅前で竹原さんと別れ4時前発のはくたかに乗車。7時前に東京着し8時に事務所に戻る。飯塚がまとめた『進化する箱』の改訂版図版リストをTOTO出版編集部に送信。9時過ぎに帰宅。シャワーを浴びて汗を流した後ウィスキーを飲みながら今日1日を反芻する。『ミレー「晩鐘」の悲劇的神話』を読みながら夜半過ぎに就寝。


2015年06月25日(木)

7時起床。曇り後晴れで暑い1日。8時半出社。TOTO出版編集部から『進化する箱』のゲラが届く。とはいえ原稿の校正ではなくその前に図版の掲載要領のチェックをする必要があるとのこと。所定のページ数に収めるために僕たちが提出した図版リストのうちかなりの数を取捨選択しているのでそれで良いかどうかを確認するための作業である。まず飯塚に図版リストでのチェックを頼み昼過ぎに飯塚がまとめた結果に目を通して幾つかの図版の差し替えと復活の方針をまとめる。図版の削除がやや多すぎて現案では僕の言いたいことが十分に伝わらないと考え最小限の図版の復活を依頼することにする。4時半に事務所を出て六本木ミッドタウン5階の日本デザイン振興会へ。5時から理事会の開催。今年からグッドデザイン賞の審査委員を退いて理事になることになった。理事は12人だが出席者は8人である。残念ながら昨年までの審査委員長である深澤直人さんと副委員長の佐藤卓さんは欠席なので顔見知りはGKデザインの田中一雄さんだけである。新しい理事長やフェローシップメンバーの就任を承認した後に理事就任承諾書に署名捺印して6時に終了。その後3階のテラスレストランに移動して評議委員会との合同懇親会。評議員や理事を含めて関係者約20人が出席。評議員の内藤廣さんにも会う。今年退任する理事長と初めて会話を交わす。僕が定年を大幅にオーバーして審査委員にとどまった理由を初めて聞かされグッドデザイン賞の審査委員が評議会と理事会によって決められていることを知る。細かな経緯にはあまり興味はないのだが自分が置かれた立場にはあずかり知らない所で力が働いていることに考えさせられる。7時半に終了。8時に事務所に戻る。9時半帰宅。シャワーを浴びた後『ミレー「晩鐘」の悲劇的神話』を読みながら夜半前に就寝。


2015年06月24日(水)

7時起床。梅雨の合間の晴れのち曇り。8時半出社。午後にスタッフと箱の家の標準詳細のまとめについて打ち合わせ。構造システムを含めて構法全体から電気・給排水・空調・弱電設備まで一通りラインアップし現段階の標準仕様とその問題点や代替案をリストアップする作業である。これは意外に大変でまだ途中段階だが次のステップに進むためにはちゃんとまとめておかなければならない。午後4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時前からスタジオ課題のエスキス開始。3週間後に締切が迫っているためだろうかメンバーは焦り始めている。しかし相変わらず頭だけが回転しまったく手が動いていない様子でエスキス模型だけをいじり回し図面はまったく揃っていない。したがってコンセプトのエスキスはできても計画の具体的なエスキスができない。構造的なアドバイスが伝わらないので佐々木君もだんだん苛つき始めたようだが僕としてはメンバーをエンカレッジするしか手立てがない。10人全員のエスキスを終えたのは9時である。憔悴して街へ出てお堀端の寿司屋で遅い夕食。互いにスタジオの状況について愚痴った後に新国立競技場の進行状況について意見交換。佐々木君は400m近いスパンのキールトラスについてスケールが大きくなった時に生じる構造設計と施工方法の難しさについて詳細に説明してくれる。一言で言えば鉄骨のヤング係数は一定なので難しさはスケールの3乗で増加するということである。10時前に店を出て10時半に事務所に戻る。

アマゾン古書ネットワークから『ミレー『晩鐘』の悲劇的神話---「パラノイア的=批判的」解釈』(サルバドール ダリ:著 鈴木雅雄:訳 人文書院 2003)が届いたので『ルイス・マンフォード』を一旦休止して読み始める。ダリがミレーの『晩鐘』から編み出した偏執症的批判的方法(PCM=Paranoid Critical Method)についてダリ自身が詳細に説明した本である。初版が出たのは1963年なのでコールハースは間違いなく読んでいるはずである。どのような経緯でコールハースがPCMに出会ったのかは分からないが彼の設計方法の核心にPCMがあることは間違いないしそれが他の建築家のデザインと決定的な差異を生み出している重要な要因であることも間違いない。『Merveilles』を翻訳する中でPCMは僕には思いもよらない発想であることに心底驚いただけでなく通常のコールハース論にはその点の分析が欠落しているので少し勉強する必要があると考えたのである。冒頭にミレーの『晩鐘』に対するダリのこだわりが半端ではないことを示すエピソードが紹介されている。ダリはルーブル美術館に『晩鐘』のレントゲン写真を撮ることを依頼しその結果二人の農民の間の女性の足元に彼らの息子の棺が描かれていたことを発見するのである。それはダリが二人の祈りの(ダリの考えによれば)不自然な様子から息子の埋葬ではないかと直感したからである。ミレーは友人のアドバイスでそれを塗りつぶしたらしい。話はこのエピソ−ドから始まっている。


2015年06月23日(火)

7時起床。曇りのち雨でやや暖かい一日。8時半出社。『Merveilles』の翻訳原稿の読み直し。かなりこなれた日本文になっているのでこれならば十分読むに耐える本になるだろう。10時半に津島市役所建設部の佐藤正幸さんと側島清仁さんが来所。「津島型町家の住宅モデル」コンぺの打ち合わせのためである。今年度は昨年度よりもやや早めに募集を開始し年内に最終審査を終えるスケジュールである。課題は「津島型町家の住宅モデル提案」と題してかつての自然堤防上に建てられた本町の町家の景観を保存しながら今日の生活にふさわしい住宅と街並みを提案することである。現地説明会は8月上旬に2回開催するそうだ。今月末に記者発表を行い7月初めに募集開始。10月半ばに応募を締め切り10月末に一次審査12月初めに二次審査というスケジュールである。僕からは第一次審査前に審査員の勉強会も開催したらどうかと提案する。審査基準については数点の追加をアドバイスする。7月末に津島神社で開催される尾張津島天王祭へ参加する予定なのでその際に本町を歩いてみよう。正午に終了。日本デザイン振興会から今年度の理事会の案内が届く。議題は理事やグッドデザイン・フェローの選出だが審査委員から立場が変わった最初の仕事である。午後は翻訳原稿のチェックと読書を繰り返す。9時半帰宅。『ルイス・マンフォード』(木原武一:著 鹿島出版会 1984)を読み始める。マンフォードの技術論を少し系統的に勉強してみたいと考えたからである。

『総力戦体制』(山之内靖:著 伊豫谷登志翁+成田龍一:編 ちくま学芸文庫 2015)の第8章「総力戦体制からグローバリゼーションへ」と補論「特別インタビュー総力戦・国民国家・システム社会」を一気に読み通す。野口悠紀雄の『戦後経済史』よりも視野はずっと広いがそのために論点が曖昧になっているように感じる。第二次大戦中に整備された総力戦体制が戦後の日本の政治経済社会においても維持され一国社会主義的なシステムをつくり上げたという論点は明確なのだがグローバリゼーションによってその体制を維持できなくなった後のヴィジョンが今一はっきりしない。1983年に書かれた『表現と介入』を読んだ時にも痛感したことだが文庫本になった時点で一種の古典として確立するが一方で中身はやや時代遅れになっているのかもしれない。本書で最も新しい論文は2003年に書かれた第8章でありそれ以外は1990年代後半の論文である。


2015年06月22日(月)

7時起床。曇りのち小雨。『進化する箱』の原稿が完了したので今後のために「箱の家」の仕様をまとめておこうと思い立つ。まず現時点での「箱の家」の標準仕様を詳細にまとめた上で課題を整理し仕様の代替案をリストアップする。次に「箱の家100」の時点でまとめた「箱の家---エコハウスを目指して」の巻末の図表リストを進行中の「箱の家153」まで完成させること。この2点である。岩元真明君から『Merveilles』の全訳原稿が届く。本書の正式なタイトルは『Rem Koolhaas | OMA The Construction of Merveilles』である。ざっと目を通し何点か気づいたことを整理する。脚註と図版註がまだなのでレイアウトはそれからになるかもしれない。『総力戦体制』(山之内靖:著 伊豫谷登志翁+成田龍一:編 ちくま学芸文庫 2015)の再読を開始する。『戦後経済史』(野口悠紀雄:著 東洋経済新報社 2015)を別な角度から見直すためである。4時に岩元君が来所。註について簡単に打ち合わせ。5時に鹿島出版会編集部の川嶋勝さんが来所。今後のスケジュール表と第1章のレイアウト案を持参してくれたのでそれを見ながら意見交換。7月半ばまでに脚註の翻訳原稿をまとめれば初校は7月末に出るので8月下旬までにチェックを終え9月中に校閲10月に印刷入稿と進み11月初めに出版というスケジュールである。値段は未定だが400ページを超えるので3千円を越えるのは避けられないがコールハースの設計方法論としては決定版である。久しぶりにスタッフと一緒に夕食。夜は『Merveilles』の目次と訳文に目を通す。9時半に帰宅。『総力戦体制』を読みながら夜半就寝。


2015年06月21日(日)

8時半起床。曇りのち小雨。10時過ぎに出社。昨日の現地審査の感想をまとめた後にツタヤから届いた『真珠の耳飾りの少女』(ピーター・ウェーバー:監督 2003)のDVDを観る。ヤン・フェルメール作の絵画「真珠の耳飾りの少女」が生まれた経緯を描いたフィクションである。17世紀半ばのデルフトの町や市民生活が精細に描かれている点に眼を奪われる。主人公の少女を演じているマーガレット・ヨハンソンは絵画から出てきたような美少女で『LUCY』の主人公と同一人物とはとても思えない。

『ダリ---シュルレアリスムを超えて』(ジャン=ルイ・ガイユマン:著 伊藤俊治:監訳 遠藤ゆかり:訳 創元社 2006)を読み終わる。近代絵画に関する本を読むのは大学院生の時以来30年振りくらいなので懐かしく読んだ。「偏執狂(症)的・批判的方法」について系統だった説明は見当たらないが「偏執狂的転換」についてはこう書かれている。「ダリははじめて、偏執狂的とは現実の積極的で急激な転換を意味し、その力の源泉は無意識の欲望にあるとの定義を明らかにした」。ダリ自身はこういっている「思考の偏執狂的で積極的な過程を通して、混乱を組織化し、現実世界の全面的な不信に貢献することが、可能になるときは近いと私は思う」。著者はこの方法をジグムント・フロイトよりもジャック・ラカンの精神分析学にもとづいていると指摘している。ラカンによれば「偏執狂的な精神錯乱は、すでにそれ自体が解釈の形をなしている」。要するにダリは偏執狂的な方法をシュルレアリスムの無意識に根ざしたオートマティスムや幻覚の方法に対抗する意識的な作業として位置づけようとしているのである。「偏執狂的・批判的方法」を命名したのはアンドレ・ブルトンだが上のような理由でダリは後にブルトンと袂を分かつことになる。「偏執狂的・批判的方法」の建築的適用はダリの故郷カダケスの町を描いた『偏執狂的・批判的都市の郊外』(1935)に表現されている。この絵では形の生成と変容の多様な展開を読み取ることができるが下手をすると単なる判じ絵に陥りかねない。実際に後期のダリの作品はテーマパーク的な判じ絵になっていく。『錯乱のニューヨーク』で描かれているのは「ドル亡者」と呼ばれ始めた頃のニューヨークでのダリの活動である。コールハースの言う「偏執症的批判的方法」はそれより前のヨーロッパ時代のミレーの絵画『晩鐘』に関するダリの執拗な解釈の展開の方にはっきり現れているように思うので引き続き『ミレー『晩鐘』の悲劇的神話―「パラノイア的=批判的」解釈』(サルバドール ダリ:著 鈴木雅雄:訳 人文書院 2003)を読んでみることにする。


2015年06月20日(土)

7時起床。曇りで蒸し暑い一日。8時半出社。9時過ぎに事務所を出て東京駅へ。10時ちょうど発ののぞみに乗り12時過ぎに京都駅着。近鉄線の改札口で中谷礼仁さんと待ち合わせ特急に乗り大和西大寺駅で乗り換えて1時過ぎに生駒駅着。改札口で竹原義二さんと岸和郎さんと待ち合わせ設計者の今津康夫さんに会う。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。タクシーに分乗し15分で住宅「4n」に到着。東向きのやや急な斜面に沿って1階を鉄骨造のピロティにし上部が木造切妻の単純明快なシルエットを持つ住宅である。間口はやや大きいが「箱の家151」によく似ている。屋根外壁ともグレーの鋼板で覆っている点も同じである。東端に半屋外のinner balconyがあり側面の引窓の枠が建物からはみ出しているのがデザインのポイントである。照明デザイナーの若いクライアント夫婦が迎えてくれる。1階ピロティの中央に置かれた階段から上ると玄関があり室内に入ると左手西側の奥が仕事場で右手前東側が居住空間になっている。東端にリビングとinner balconyがあり南面にそってキッチンと浴室が伸びている。3階の屋根裏的なロフトが寝室と納戸だが寝室屋根の南向きのトップライトに引っかかる。僕の基準では禁じ手の一つである。屋根は登梁を見せるために外断熱とし両側面は大壁にするために内断熱にしているので軒桁部分で断熱が切れているのもチグハグである。家全体が斜面の空中に浮いた感じは軽快で面白いデザインだし内部空間も楽しいがトップライトや断熱の考え方に疑問が残る。2時半にお暇しタクシーで富雄の「大和棟の家」へ3時前に到着。建物前で設計者の岩田章吾さんと待ち合わせ室内へ。外観は大和棟のシルエットだが内部は2層吹抜けの一室空間住居である。中央の南側半分がLDで北半分が多目的なロフトという配置は箱の家のプランと同じだが棟までの高さは約9mで2倍である。集成材の軸組が全体的に大振りで至る所にアクロバテイックな仕掛けがあるが納まりが大雑把な点が気になる。竹原さんに意見を聞いたが首を傾げるだけ。聞けば構造設計は佐々木構造計画出身の満田衛資さんだという。残念ながら木構造についてはいささか経験不足と言わざるを得ない。建設リース会社を経営しているクライアント夫婦としばらく談笑。4時過ぎにお暇してタクシーで最寄りの駅へ。駅構内の居酒屋で一服。初めて審査に参加する中谷さんを加えてビールを呑みながら今日1日の審査について意見交換。竹原さんと岸さんは午前中に小学校を審査したがなかなか良かったという。5時前にホームで竹原さんと別れ岸さんと京都まで戻り6時半発のぞみに乗車。車内では中谷さんと久しぶりに四方山話で盛り上がる。『S,M,L,XL』の読書会に誘ったら来てくれるという。さらに盛り上がりそうである。9時前東京駅着。9時半に事務所に戻る。直ちに帰宅し『ダリ』を読みながら夜半就寝。


2015年06月19日(金)

7時起床。雨のち曇りの涼しい一日。8時過ぎに出社。直ちに残りの放送大学答案の採点に取り掛かり大急ぎで残りの50点を済ませる。添削答案一式を段ボール箱に詰めた後に所定の宅急便業者に連絡し集荷を依頼する。その後ゆっくりと昼までかけて採点結果をネット上の採点表に書き込んでいく。これで放送大学の仕事は完了。午後は『戦後経済史---私たちはどこで間違えたのか』(野口悠紀雄:著 東洋経済新報社 2015)を読み続け夕方までに読み終わる。第5章「バブルも40年体制も崩壊した1990-1999」では1990年代半ばの不良債権処理とそれに伴う大蔵省スキャンダルによって戦中に確立した官僚中心の「40年体制」が実質的にも象徴的にも崩壊したことが紹介される。第6章「世界は日本を置き去りにして進んだ 1980〜」では社会主義国家崩壊以後の全世界的な産業構造の転換に日本の製造業がついていけなかったことの失敗が詳細な統計データによって検証されている。要するに韓国や中国の製造業の台頭によって日本はこれまでのような製造業とその輸出を中心とする産業構造では世界に対抗できないという結論である。したがって昨今の円安期待や政府の大幅な経済介入は時代の流れに対する逆行に過ぎないという著者の指摘には同感である。建築業界でもボトムアップによる地域的な新しい産業構造の創成を考えるべきである。縦ログ構法住宅はその一環になるだろう。引き続き『ダリ---シュルレアリスムを超えて』(ジャン=ルイ・ガイユマン:著 伊藤俊治:監訳 遠藤ゆかり:訳 創元社 2006)を読み始める。コールハースの設計方法論の核心にあるPCM(Paranoid Critical Method)の参考書としてである。夕方に岩元君と『Merveilles』の目次の翻訳についてメールのやりとり。


2015年06月18日(木)

7時起床。曇りのち雨で涼しい。8時半出社。『Merveilles』の翻訳が一通り完了したので来週初めに鹿島出版会編集部の川嶋さんと今後の進め方について打ち合わせることになった。僕は一応は監訳の立場だが実質的には共訳に近いかもしれない。その点についても話し合おう。今日は昨日に引き続き一日かけて放送大学の添削答案の採点に集中する。1時間の作業に15分の休憩を繰り返し夜までに200人余を採点。残すところ50人弱まで進む。毎度のことだが専門学校生の答案は直ちに分かるレベルの低さである。番組を観ていないしテキストも読んでいないことが直ちに分かる的外れの回答ばかりで白紙やそれに近い答案に出会うと天を仰ぐ。指導教員に対しては必修科目に選んでもらうのはありがたいがならば学生が番組を観ているかどうかフォロ−するくらいのことはしたらどうかと言いたい。採点する立場としては徒労以外の何ものでもない。とはいえ毎学期の採点の度に同じことを答案に書き続けているので少しは伝わっているのだろうか。1年前に比べると少しずつ頑張る学生が現われ始めているのがせめてもの救いである。これが添削回答の効果と言えるかもしれない。9時半帰宅。休憩の合間に『戦後経済史』を読み続ける。著者は大蔵省の官僚出身なので政府の経済政策についてかなり穿った見方をしている。バブル後の政府による不良債権処理のいい加減さには唖然とさせられる。


2015年06月17日(水)

7時起床。雨のち曇り。二日酔いでかすかな頭痛。8時半出社。津島市役所から尾張天王祭の招待状が届く。コンペ2年目の審査員を担当している関係もあり滅多にない機会なのでスケジュールを調整して参加してみたい。放送大学添削答案の採点を再開する。今週末が締め切りなので少しピッチを上げて4時前までに100人の採点を終える。何とか金曜日までに終えよう。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時前からスタジオ課題のエスキス開始。先週末の中間講評後に全員にメールでアドバイスを伝えたがあまり進展はない。歴史系のメンバーには何とかしたいという気持ちが模型に現れているがデザイン系のメンバーは考え過ぎてほとんど手が動いていない。やむなく一人ずつ具体的なアドバイスを与えて行き9時前に終了。これで進展しないようならジャンプは難しいだろう。佐々木君と一緒に大学を出て10時前に事務所に戻る。心身ともに憔悴したので直ちに帰宅し早めに就寝。


2015年06月16日(火)

7時起床。曇りで蒸し暑い一日。8時半出社。午前中はTOTO出版から届いた『進化する箱』の図版データの再送。出版まではこうした雑用が続くのだろう。放送大学の答案採点を少々。まだペースアップできない。12時過ぎに事務所を出て東京駅へ。弁当を買い込み1時前発のいわき行特急ひたちに乗車。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。今日は村松映一、石山修武、竹原義二、櫻井潔、僕の5人が参加。高萩駅で乗り換えて大津港駅に3時半着。改札口で設計者の安斎好太郎さん名和研二さんと待ち合わせマイクロバスで五浦港の「五浦の家」へ。直ぐ近くに岡倉天心の六角堂がある。小山の斜面にへばり付くように建てられたV字平面の住宅で、V字の角が山に突き刺さるように配置され長い方の腕が斜面から迫り出し複数の松丸太を逆円錐形に束ねた柱で支えている。建物全体は3箇所の逆円錐束柱で支えられている。長い方の腕が共有空間と主寝室でV字の入隅に水回りを置き短い方の腕に子供室を置いている。下の道路から見上げたダイナミックな佇まいが審査員の興味を引く。斜面を雁行する斜路を上り迫り出した腕の下を潜ってV字平面に挟まれた小さな広場に出る。そこからV字の入隅に置かれた鉄骨階段を登ると玄関がある。室内は意外と閉鎖的で暗く一室空間だが背の高い家具的な間仕切りで仕切られているので一体感はない。外周壁は木造構造壁に孔を開け建物全面に水平ルーバーを回したデザインなので強い光が入ってこないせいだろう。ベランダも外周構造壁の内側に置かれている。床仕上げは黒い石で天井は木毛セメント板である。松のブロック材を外周構造壁の筋交として使っている点に竹原さんが疑問を呈する。生木を線材として使う場合は大丈夫だが細かく切断すると乾燥によって大きな歪みが生じるので数年後に外周壁に問題が生じる可能性を指摘する。外部に晒されているので余計に心配だそうだ。2階の仕事場に上り屋根を見ると直ぐ側が海なのでゴム系のシート防水である。建物の工事終了後に斜面に60本の植樹を行いランドスケープを回復させている点には感心する。クライアントは潜水の漁師だそうだ。V字平面の奥の作業場でウニを加工しているので裏口から外に出て作業場を見学し4時半過ぎにお暇する。再建された六角堂と天心の墓を大急ぎで見学した後にマイクロバスで大津港駅まで送ってもらう。待合室でビールを飲みながら意見交換。5時半発の電車に乗り東京駅に向かう。電車の中でもビールと日本酒を呑み東京駅前のJPビル内のKITTEの居酒屋で夕食を食べながら途中で大阪に帰る竹原さんが抜けても呑み続け10時前にようやく解散する。10時半に帰社。直ちに帰宅しそのままベッドに倒れ込む。


2015年06月15日(月)

7時起床。曇りのち晴れでひどく暑い一日。8時半出社。『表現と介入』は様々な解釈が可能なので感想をまとめるのに手間取る。考え残した問題もありそうだが何とかまとめて11時前に修了。11時過ぎに昨日購入した液晶TVが届く。前のブラウン管TVが27インチなので55インチのサイズは倍の大きさなのだが居間に置くとそれほど大きく見えない。既存のTVを運び出し画面調整を行って昼までにセッティングを終える。放送大学から前期中間試験の試験解答が届く。履修者は昨年よりも半減して355人。中間試験は添削答案なのですべてにコメントを書かなければならない。履修者が減ったことで作業は楽になったが少々さみしい。直ちに午後から放送大学答案の添削を開始するがいつもながら最初はペースがつかめず20点で休止。『進化する箱』の差し替え図版を飯塚がまとめたのでTOTO出版に送信した後にカメラマンに使用依頼のメールを送る。その後は読書と考え事を繰り返す。

『表現と介入』の読後感想をまとめながら何となく割り切れない要因について考え続けてひとつのアイデアに思い至る。本というメディアもそうだしそもそも言語というメディア自体がそうなのだが、どちらも何かの表象=代理表現であるという点である。つまり本書では世界の表現としての理論ではなく、世界を変える介入としての実験の役割の重要性について論じているわけだが、その点についても言語=代理表象によって説明せざるを得ないという自己矛盾があるからである。もちろん数式や図像にも表現能力はあるが、その説明も言語によらなければならない。実験よりも理論の方が優先される最大の理由はその点にあるのではないかと思うがどうだろうか。この日記も言語で綴られている。家早南友。


2015年06月14日(日)

7時起床。雨のち曇りの蒸し暑い一日。8時過ぎに出社。妻の車で表参道まで送ってもらい半蔵門線の久喜行きに乗車。久喜で伊勢崎線に乗り換えて10時過ぎに南羽生着。幸いにも曇りの天気。栃内と一緒に檀上さんの車に同乗し敷地へ。すでに檀上夫人とお母様にシグマ建設が待機している。シグマ建設が準備してくれた机の上に塩、米、神酒を置き手を水で浄めた後に略式の地鎮祭。敷地の四隅を浄めてから神酒で乾杯。記念撮影をした後に近隣への挨拶。その後歩いて檀上夫人の実家へ移動し工事契約の調印と瑕疵保障保険と工程の説明をして11時半に全て完了。檀上さんの車で南羽生駅まで送ってもらい12時過ぎの久喜行きに乗車。2時過ぎに事務所に戻る。しばらく休んでから3時に妻の車で渋谷のビックカメラへ。自宅のブラウン管テレビを20年見てきたがついに寿命で色がなくなったので液晶テレビに買い換えることにした。実物を見ながらしばらく比較検証した結果2年前にグッドデザイン賞を獲得した製品を発見する。予想した金額よりも安い上に既存テレビの引き取りとケーブルテレビの接続もやってくれるので直ちに購入を決める。キャットストリートに沿って歩き法大スタジオ課題の敷地を確かめながら4時半に帰宅。風呂に入り早めの食べた後にアマゾンから届いた『戦後経済史---私たちはどこで間違えたのか』(野口悠紀雄:著 東洋経済新報社 2015)を読み始める。1940年生まれの著者が自分史と戦後経済史とを重ね合わせて綴った内容である。夜はNHKTVで戦後70年特集『沖縄戦全史』を観る。1945年の4月から6月にかけての民間人を巻き込んだ沖縄戦を詳細に描いた凄まじい記録である。沖縄の人たちが未だにアメリカ軍の基地が存続していることをどのように感じ取っているかを想像出来る。最近の安保法制に関する議論に対しNHKが仕掛けた政治的意図が垣間見える。

南羽生の往復の電車の中で『表現と介入---科学哲学入門』(イアン・ハッキング:著 渡辺博:訳 ちくま学芸文庫 2015)の再読を終える。〈表現することrepresenting〉は理論であり〈介入することintervening〉は実験である。自然科学における理論と実験に関する議論がテーマでこれまで理論中心に展開してきた科学哲学の議論を実験との関係重視の議論へと転換しようとする試みである。カントのカテゴリー論やハンソンによる観察命題の理論負荷性を初めとして認識図式としての理論が先行し事実はそれによって浮かび上がるという主張は科学哲学だけでなく社会科学においても通説になっている。例えばカントについて著者のハッキングはこう言っている。
「われわれが対象と呼ぶものはある枠組みの内部で構成されており、われわれの知識はすべてこのように構成された対象のみに関わり得るということはカントの視点にとって本質的な事柄である」。
一方で科学の歴史的相対性についてはトーマス・クーンのパラダイム論がある。クーンは科学の普遍性に関するカール・ポパーの主張に反論する。
「科学は仮説演繹的ではない。それはたしかに仮説を持ち、演繹を行い、たしかに推測をテストするが、しかしこれらのどれ一つも理論の推移を決定しない。実在のどの表現がもっとも優れているかいうための規準は存在しない---クーンの極端な読み方に従うならば、表現は諸々の社会的圧力によって選択される」。
理論に関するこのようにさまざまな議論に対して最終的な決着をつけ理論をさらに先へと展開させていくのは理論体系内部での議論ではなく理論の外部から介入する実験であるというのが著者の主張である。ハッキングも言うようにこれは17世紀のフランシス・ベーコンへの回帰である。実験についてハッキングはこう言っている。
「実験のある一つの役割はあまりに無視されていて、われわれはその名称すらもっていない。私はそれを現象の創造と呼ぶ。伝統的には科学者たちは彼らが自然のなかに発見する現象を説明すると言われている。私は彼らはしばしば現象を創造しており、その後その現象は理論の中心を占めるようになると言おう」。
要するに自然現象は実験によって純粋状態で引き出されない限り科学的現象として認識できないということである。フランシス・ベーコンはその点を明確に認識していたとハッキングは言う。
「彼(ベーコン)は自然の観察は実験に比べるとわれわれに教えるものが少ないことを理解した。(「自然の秘密はそれ自身のやり方で選んでいくときよりも技術によって苦しめられているときのほうが容易に明るみに出る」)」。
こうした一連の主張から連想するのはハイデガーの「技術論」における近代技術批判である。特に上記のベーコンの技術論はハイデガーの逆鱗に触れたことだろう。社会科学における実験に関するハッキングの視点も興味深い。
「社会科学者たちは実験を欠いてはいない。計算を欠いてもいない。思弁を欠いてもいない。彼らはこの三つの共同作業を欠いている。また彼らはそれに関して思弁をなすべき本物の理論的対象---単なる仮定された「構成物」または「概念」ではなく、われわれの用い得る対象、安定した現象の計画的創造の一部をなす対象---をもつまでは共同作業を行わないのではないかと、私は想像している」。
かくしてハッキングの結論はこうである。
「仮定された、あるいは推論された対象の実在性に対する最良の種類の証拠は、われわれがそれを測定すること、あるいは他の方法でその因果的な力を理解することを開始し得るということである。次にわれわれがそうした種類の理解を持っているという最良の証拠は、われわれがあれやこれや因果的つながりを利用して、かなりあてになる仕方で働く機械を一から組み立てることに着手することができるということである。それゆえ、理論化ではなく、工学技術(engineering)が対象に関する科学的実在論の最良の証明である。科学的反実在論に対する私の攻撃はマルクスの、当時の観念論に対する猛攻撃と類似している。両方とも要は世界を理解することではなく、変えることだと言う」。
何だかかつての社会主義国家の実験のようにも読めるがそれはもはや時代錯誤だろう。(とはいえ本書が書かれたのは社会主義国家が崩壊する以前の1983年だが)。僕としてはここから再び最初に掲げた疑問すなわちコールハースの社会学的論述と彼の建築的・都市計画的な仕事との関係に関する疑問へと回帰してみたい。おそらく〈ジェネリックシティ〉や〈ジャンクスペース〉に関する論述は実際のデザイン作業へと適用されるような前提概念ではなく、一連の実験的な仕事のなかからコールハースが抽出した理論だと思われる。この場合の実験こそ文字通り実際の建築の創造(現象の創造)である。だからこの二つの概念はその論述の内部分析によってではなく実際の都市現象と同時に彼の建築作品と関係づけることによって理解しなければならないのである。


2015年06月13日(土)

7時起床。晴れのち曇りで暑い一日。8時半出社。直ちに事務所を出て市ヶ谷の法政大学の建築学科校舎へ。9時半から1階のスタジオでスタジオ課題の中間講評開始。まず佐々木+難波スタジオの10人が模型とパネルで発表としその後に講評。水曜日から大きくは変化していないが模型とパネルを制作したことで頭が整理されたことだろう。引き続き渡辺スタジオの8人が発表。テーマを決めて7.5m立方の空間12個を収集しそれを組み合わせて空間博物館をデザインするという課題である。抽象的である上に知的な操作が要求される。僕たちのスタジオに徹底的に欠けている面を目の当たりにした感じで講評にも力が入る。とはいえ最後の着地はかなり難しいような気がする。ともかくどうなるか期待しよう。スタジオメンバーにパネルのデータを僕に送るよう指示して昼過ぎにすべて終了。佐々木君と近くの蕎麦屋で昼食を摂り3時前に帰社。スタジオメンバーから続々と届くパネルのデータにコメントを加えてチェックバック。次週のエスキスまでにやるべきスタディを指示する。その間に飯塚がまとめた『進化する箱』の図版の差し替えデータをまとめてTOTO出版に送信。5時に事務所内外の掃除。5時半解散。夜ようやく『表現と介入』を読み終わったので赤線を引いた部分の再読を始める。どのように解釈するか明日ゆっくりと考えてみよう。


2015年06月12日(金)

7時起床。小雨の一日。8時半出社。今日も一日『Merveilles』の最終校正に集中し夕方までに第5章を終えて岩元君に送る。これで最終校正は完了したが原稿の最後はややしり切れとんぼ気味なので少し詳しい解説を付け加える必要があるかもしれない。TOTO出版編集部から昨日送った『進化する箱』の最終原稿と図版に関して質問と注文条件のメ−ルが届く。図版がやや多いので優先順位をつけることと英文レジメをつけることの意図を明確にすることである。写真は著作権が生じない界工作舎のものを使用してほしいという希望もある。早速手持ちのスライドファイルを調べて代替写真がないかどうか調べるように飯塚に頼む。図版の優先順位についてはリストを3ランクで整理する。英文原稿についてもギャラ間の展覧会カタログと関係付けて説明原稿を書く。「153檀上邸」の工事契約関係の書類を作成。一通りの仕事を終えて9時半帰宅。心身ともに疲れたので風呂に入り早めに就寝。


2015年06月11日(木)

7時起床。曇りのち小雨。8時半起床。先日まとめた縦ログ構法住宅のプロトタイプ図面一式を界工作舎HPにアップする。これで少しは縦ログ構法が知られるようになればいいのだが。(www.kai-workshop.com)みすず書房編集部の遠藤敏之さんから来月に開く『S,M,L,XL+』のLATs読書会を『建築家の読書塾』に追加することの承諾メールが届く。これによってLATs記録本に新しい1章を加えることができそうだ。今日は1日『Merveilles』の最終校正に全力集中し第2章から第4章までを一気にまとめる。残すところ第5章だけだがこの章が最も長い。3度目の再読なのでコールハースのキャリアがすっかり頭に入ってきた。夜は『進化する箱』の最終原稿の見直しと飯塚がまとめた図版のチェックバック。何とか明日までには一式をまとめたい。9時半帰宅。風呂に入りウィスキーを飲みながらぼんやりとTVを観る。夜半就寝。


2015年06月10日(水)

7時起床。晴れで熱い1日。8時過ぎ出社。直ちに事務所を出て外苑前駅から銀座線に乗り溜池山王で下車。ログハウス協会主催の縦ログ構法建築見学会に参加するために地下鉄の出口ではりゅうウッドスタジオの芳賀沼整さんと待ち合わせ。ログ構法に関する説明の方針について立ち話で意見交換。9時前にチャーターしたバスに乗り込む。林野庁の役人とログハウス協会メンバーを中心に約40人が参加。9時に出発し高速道路でつくばみらい市の現場へ向かう。車内では芳賀沼さんと僕が縦ログ構法について簡単に説明。谷田部インターチェンジで降りて10時過ぎに「有床診療所と複合福祉施設」の建設現場に到着する。縦ログ構法と横ログ構法を組み合わせた2,000嵳召諒〇禹楡澆任△襦実施設計を担当した遠藤政樹君が現場で待機している。院長の伊藤俊一郎さんから施設に関する説明を受けた後に館内を見学。仕上げ工事と外構工事の最中なので現場はまだ雑然としているがログ構法の仕上がりは十分に確認できる。診療所と福祉施設は別棟に分けられ共用部分は縦ログ構法で居住部分は横ログ構法で建てられている。外部は防腐剤で仕上げられているが内部は杉材の素地仕上げである。大臣認定を受ける前の申請なので完全な縦ログ構法ではないが内外を杉仕上げとしている点に変わりはない。縦ログ構法部分の天井高6m近い杉仕上げの一室空間には今までに見たことがない迫力がある。やはり現実に造ることが何よりも説得力を持つことをあらためて痛感する。1時間弱の見学の後に伊藤院長にお礼を述べて11時半に現場を発つ。途中のサービスエリアで昼食を済ませ1時半に永田町に到着。2時前に事務所に戻る。『Merveilles』の最終校正を続行。AirMacを使って岩元君のWord原稿をそのまま校正していく。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時からスタジオ課題のエスキス。メンバー一人ずつ細かなスケッチを描きながらエスキスを続ける。まだ迷っている学生と収斂に向かっている学生との差が出てきた。今週末の中間講評までの作業を指示して8時半過ぎに終了。佐々木君とお堀端の寿司屋で遅い夕食。9時半過ぎに店を出て10時半に帰社。そのまま帰宅。ウィスキーを煽りながら今日1日を振り返る。夜半就寝。


2015年06月09日(火)

7時起床。小雨のち曇り。8時半出社。『進化する箱』のあとがきの推敲。窮余の策として宙ぶらりんの疑問形の結論で締め最終ゲラ校正で再度考えることとする。『Merveilles』の最終校正を続行。チェックする点はほとんどないが読むスピード感を考えて句読点を最小限に抑える。夕方までに第1章を終えて岩元君に送り引き続き第2章に進む。午後3時に事務所を出て溜池山王のMRI診療所へ。先週土曜日は腰椎だったが今日は肝臓と膵臓である。国民健康保険が効くMRIとそうでないMRIとで診療日を分けなければならないという理不尽な対応である。4時過ぎ水のような薬を飲んだ後に腹を押さえてかなり長い時間深呼吸を繰り返す辛い診療で最後は体が痺れてきた。5時前終了。一旦事務所に戻ろうかと考えたがあまり時間もないのでそのまま本郷の東大キャンパスへ。朝食以降何も食べていないので正門前の食堂で早めの夕食を済ませ11号館8階の松村秀一研究室へ。6時半から和室研究会。今日は内田祥哉研究室の平井ゆかさんによる畳の歴史に関するレクチャー。東大寺の正倉院に残っている畳の原型と架台の話から始まり鎌倉室町を経て敷き畳みに展開していく歴史が興味深い。続日本紀には畳職人に関する記録も残っているという。秦刀良(はたのとうら)という名前なので朝鮮半島からの渡来人かもしれない。江戸時代には畳は民間に広く普及し畳職人である畳指を取りまとめる畳棟梁という職能も生まれたという。8時終了。その後しばらく畳の寸法と尺間法の関係についてディスカッション。要は畳の寸法が決まる前の板の間の時代に尺間法があったのかどうかという問題である。初めて参加した千葉大建築学科で建築史を教えているMartin N. Morris教授が持論を展開するがどうも要領を得ない。議論にならないので早々に切り上げる。8時半前に会場を出て9時過ぎに事務所に戻る。9時半帰宅。熱い風呂に入り疲れを解してから『表現と介入』を読みながら夜半就寝。


2015年06月08日(月)

7時起床。晴れのち曇り。8時半出社。『進化する箱』のあとがき原稿推敲。落とし所がなかなか見えずに呻吟する。図版リストをプリントアウトしようとしたところでコピー機が故障。11時に日本デザイン振興会JDPの矢島進二さんと青木史郎さんが来所。今後のGD賞のあり方について二人の意見を聴く。今年度の応募を先ごろ締め切ったそうだが住宅部門の応募数は昨年よりも大幅に増加して500点を越えたそうである。一般建築部門も250点を越えてやや異常な事態である。相変わらず高層マンションの応募が多い点が気になるがそれ以外はいい傾向かもしれない。僕は今年度から審査員ではなく別の立場でGD賞に加わることになった。GD賞が通産省の下部組織として始まったのが1957年で公益財団法人として再出発したのは2011年である。この間の歴史的経緯と今後の国際化への展開について意見交換する。僕の立場からは建築界の現況について簡単に説明し12時過ぎに終了。午後にコピー機の修理が終わたのでコピーを再開し『進化する箱』の図版整理を続行。夕方までに原稿との照合と図版リストの一部修正の作業を終えて飯塚に送信する。慶応大学SFCの井庭崇さんから『旅のことば---認知症とともによりよく生きるためのヒント』が届く。井庭さんによればQuality of Lifeの追求にパタンランゲージを適用したものだという。パタン・ランゲージの意外な応用の仕方にいささか意表を突かれる。夜は『Merveilles』の最終校正を再開する。見直す箇所はほとんどないが時々気になる点が残っているので気が抜けない。来週初めまでには何とか終えたい。9時半に帰宅。『表現と介入』は第15章「ベーコン的主題」に進む。残すところあと1章である。


2015年06月07日(日)

7時起床。晴れで朝は涼しいが昼は暑くなる。8時半出社。直ちに事務所を出て副都心線東横線みなとみらい線を乗り継ぎ日本大通りで下車。車内でiPadを使い日記を書き込む。歩いて10分余で横浜港大桟橋国際客船ターミナル突端のホールへ。捲れ上がった地形のような屋根面はなかなか壮観である。約300m歩いた一番奥の大ホールへ。ホール天井の折版状のトラスのトンネルの向こうに広がる横浜港の景観も迫力がある。10時からこの建築のコンペ20周年記念シンポジウム『連続的建築は、これからも連続するか?』の開始。ジェフリー・キプニスの司会でキプニス、設計者のアレハンドロ・ザエラ・ポロ、構造家の渡辺邦夫、ジェシー・ライザー+梅本奈々子、隈研吾によるショートレクチャー。ザエラ・ポロと渡辺がテーマに沿って大桟橋について紹介する。渡辺は大桟橋の経験からコンピュータによる複雑なデザインは生産と施工のプロセスにまで浸透しないと可能性は広がらないと主張する。国際会議にありがちな傾向だが続く建築家たちは自作を羅列的に紹介するだけでテーマに沿って積極的に議論しようとする意図は伺えない。隈のレクチャーもそうなので主催者としてもテーマの議論をあまり期待していないのだろうか。総括者の磯崎新だけが頼りだが姿は見えない。渡辺がその点を指摘し建築家たちを批判したらキプニスは準備不足だという中途半端な返答で第一部は1時に終わる。3時間かけたにしては内容は薄いし議論はまったく進展しない。第2部には佐々木睦朗と妹島和世のレクチャーがあるが二人の仕事はおおよそ知っているし相変わらず磯崎新の姿は見えないので佐々木さんと妹島さんに挨拶して1時半過ぎに会場を出る。僕としては大桟橋の空間を体験することが第一の目的だったからよしとしよう。2時半に事務所に戻る。ユニバーサルホーム・デザインコンペの趣旨を書く。今年のテーマは「これからの平屋」である。郊外や地方の敷地を想定しているが都心のビルの屋上や人工地盤も視野に入れて室内外の連続性を主たるテーマに考える。リノベーションの平屋もありうるかもしれない。ハウスメーカーだから新築中心主義が暗黙のルールだがそこからどこまではみ出せるかが勝負だろう。あれこれ考えて5時までにまとめてコンペ事務局に送信する。夜はNHKTV特集『生命潮流』の第2回を観る。レトロウィルスがDNAに合体することによって母親胎内の胎児を異物だと見なさない働きを持つ胎盤が生み出され哺乳類が誕生したという説が興味深い。『表現と介入』は第14章「測定」に進む。いちいちチェックできないほど学ぶことが多い。


2015年06月06日(土)

7時起床。晴れで暑い1日。昨夜から食事抜きで腹が空く。8時半出社。昨日岩元真明君からLATs読書会の相談があり7月11日(土)の午後4時開始@界工作舍に決める。取り上げる本は最近出たばかりのコールハースの『S,M,L,XL+』だがそれだけでは読み込むのが難しいので『錯乱のニューヨーク』を副読本とする。岩元君と共訳の『Merveilles』の訳が一通り終わったのでいいタイミングである。LATs本を出版予定のみすず書房編集部にも追加掲載が可能かどうかをメールで打診する。9時15分過ぎに事務所を出て外苑前の診療所へ。9時半から人間ドック診療の開始。通常のコースを一通り検査し最後に胃の内視鏡検査で12時過ぎに終了。麻酔が抜けるまでしばらく休んだ後に診療結果の報告日を予約して12時半に診療所を出る。外苑前から地下鉄で溜池山王駅で下車し歩いて5分でMRIの診療所へ1時着。約40分で検査終了。2時半に事務所に戻る。『進化する箱』のあとがきを続行。夕方までに終えて引き続き飯塚がまとめた図版リストのチェック開始。6時過ぎ帰宅。夜は1日ぶりの食事で疲れが噴出したため眠気に襲われて早めに就寝。


2015年06月05日(金)

6時半起床。曇りのち雨。大急ぎで朝食を済ませ7時出社。直ちに事務所を出て原宿経由で品川で8時過ぎ発のひかりに乗車。車内で日記を書き込み9時半過ぎに浜松着。石山修武さん櫻井潔さんとタクシーで北へ向かう。竹原義二さんは電車の遅れで後から来るという連絡をもらう。今日も日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。1時間弱で浜松市北端の天竜二俣にあるROKI Global Innovation Center通称ROGICに到着。守衛所でチェックした後に坂道を登って建築へ。設計者の小堀哲夫さん以下数人が迎えてくれる。最上階のホールで短いスライド説明の後に見学開始。南斜面にそってランダムな階段状に床を並べ全体を緩やかなヴォールト状の屋根で覆った一室空間的なオフィスである。屋根構造はラチスシェルのように見えるがライズが低いのでトラス屋根である。屋根は東西に低いムクリのある断熱パックの二重折版屋根で東西に雨を流している。折版屋根にそって可動のトップライトを通し自然採光と自然通風とした快適なオフィスである。ラチス状の木製天井格子の間に不燃不織布のユニットをはめ込み屋根からの光を拡散させるとともに吸音パネルともしている。この不織布はプラスチック製でROKI社製の排気ガス清浄装置のフィルターに使っているのと同じものだという。階段を下りながら事務所を眺める。一室空間のオフィスは床からの空調で快適である。内装や家具を褐色で統一しているのでどことなく日本風というか民芸調に見える。個人的にはもう少し明るい色でもよかったように思うが色は社長の好みだという。最下層から正面の池を通して天竜川を遠望した後に外に出て池の反対側から屋根を見る。軒から少し上までは円形ヴォールトのガラス屋根でその上は折版屋根である。屋根の下のあちこちに半屋外空間が散在し社員が煙草を吸っている。個別に仕切られた研究室や実験室を見学した後に最上階のホールに戻り質疑応答。12時過ぎにお暇してタクシーで浜松駅へ。構内で鰻重弁当を買い込んでから新神戸へ向かう石山、竹原、櫻井三氏と別れて僕は東京行のひかりに乗車。3時前に東京着。少し時間があるので東京駅八重洲口へ出てみると大テント屋根が完成して高速バス乗り場はすっかり様変わりしている。久しぶりに八重洲ブックセンターへ向かい各階を回るが買いたい本はまったく見当たらない。アマゾンの影響力を改めて痛感する。3時半過ぎに東京駅に戻り山手線で浜松町にて下車し駅構内から世界貿易センタービルへ入り39階の宴会ホールへ。4時から前田記念工学財団の表彰式である。前田工学賞と山田一宇賞の表彰式と受賞者のショートレクチャー。今年は佐々木構造計画の木村俊明君が建築部門の前田工学賞を獲得した。ショートレクチャーはイマイチだったが受賞者の中で実務に従事しているのは彼一人である。僕の教え子で奈良県に勤めている海野聡くんは建築部門の山田賞を受賞したが恩師の藤井恵介さんも出席している。研究助成を受ける研究者も出席し研究テーマについて簡単な説明を行う。早稲田大の入江正之さん京都大の田路貴浩さん東理大の山名善之さんの3人に会う。しばらく歓談した後に7時過ぎに退席し8時前に事務所に戻る。『進化する箱』の「あとがき」の原稿に集中し9時までにまとめる。明朝は人間ドックなので早めに帰宅。風呂に入った後『表現と介入』を読みながら11時過ぎに就寝。


2015年06月04日(木)

7時起床。晴れで暑い一日。8時半出社。直ちに事務所を出て山手線で新宿駅まで行き中央線快速で立川駅で青梅線に乗り換え秋川駅に10時15分着。改札口で村松映一さん櫻井潔さんと待ち合わせタクシーで日清食品グループWaveへ。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。守衛所で竹中工務店設計部のスタッフと待ち合わせ緩やかな坂道を登って正面玄関前で竹中工務店設計部の大日方淳夫さんと会う。緑豊かな景観の中の広大な池に囲まれて外周全体を横ルーバーで覆った建築である。正面玄関前には鋼管斜柱で支えられた円柱状のモニュメントが置かれている。2階は展望室だそうだ。ルーローを模した不定形平面の中に長方形平面の実験工場をはじめとする諸室が差し込まれ随所に円形平面や正方形平面の光庭が配置されている。機能的にはインスタント食品の開発と試作の空間が興味深いがデザイン的に見るべき点は不定形平面の外壁全体を覆う横ルーバーである。有孔アルミニウム板を三角形断面に加工した直線のルーバーユニットをガラス面の外側に少しずつ角度を変えながら取り付けている。村松さんは施工プロセスについてあれこれ質問していたがゼネコンでは設計部と施工部の間に複雑なやり取りがあるようだ。ルーバーの角度とサイズと間隔は太陽光のシミュレーションとモックアップによる目視によって決めたそうだが僕にはサイズと間隔がやや大き過ぎるように感じられる。総じてニコラス・グリムショウのデザインを想起させるので問うてみたがデザイン監修は古谷誠章さんなのではっきりしない。11時半過ぎにお暇してタクシーで秋川駅に戻り駅近くの食堂で簡単な昼食を済ませた後に3時前に事務所に戻る。『進化する箱』の原稿推敲を続け夕方までに7章から9章までをまとめて飯塚に送り図版の整理を頼む。これで本文は完了したので夜はあとがきの執筆を開始。9時半に帰宅。『表現と介入』を読みながら夜半就寝。


2015年06月03日(水)

7時起床。小雨後曇り。涼しいが湿気が高い。8時半に出社。『進化する箱』の原稿推敲続行。図版の整理を含め午前中に6章まで進み飯塚に図版整理を頼む。ネットで隈研吾、小林正美、山梨知彦のBIMに関する鼎談を読む。国際的には実務上でBIMが要求されるようになっている点や建築のスタディにおいて活用され始めている点に注意が喚起されデザイン教育への早急な導入の必要性が指摘されている。しかしBIMによって建築がどう変わるのかというもっとも肝心な問題についての言及はないのが不可解である。おそらく3人にも分からないから話題にできないのだろう。BIMは一種の道具だから実務の効率化には寄与してもストレートに建築のあり方に影響を与える事はないのかもしれない。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。途中の駅でTAの石井翔大君に出会い大江宏について意見交換。5時からスタジオ課題開始。今日は各メンバーのエスキスに集中する。久しぶりに全員が揃い各人の敷地選定も決まったようなので本格的なエスキスを開始する。とはいえ方針についてはまだ全員に迷いがあるようだ。来週までに敷地の現状模型を作成することと来週末の中間講評にはA2パネル1枚に現状の案をまとめることを指示して8時前に終了。9時前に帰社。『進化する箱』の原稿推敲は7章を終え8章へ進む。何とか明日中には9章まで終えてあとがきをまとめたい。9時半帰宅。『表現と介入』を読みながら夜半就寝。


2015年06月02日(火)

7時起床。晴れのち曇り。夜は小雨が降り始める。8時半出社。午前中一杯をかけて縦ログ構法住宅プロトタイプをまとめる。現状の大臣認定仕様は現実とかけ離れた厳しい条件だがそれでも十分に住宅のデザインが可能であることを証明するために開発した。今年度も縦ログ構法の実証実験が計画されているが次のステップへの前提条件を明確にすることもひとつの目標である。もちろんプロトタイプ住宅が建設されることが大目標である。まとめて界工作舎HPにアップすることにしよう。午後に設計要旨とコメントを添えてNPO福島住まいまちづくりネットワークのメンバー全員に送信する。『進化する箱』の原稿推敲を続行。第3章までをまとめて所定の様式で図版の整理を飯塚に依頼する。引き続き原稿推敲を続けるが図版の整理に手間取り今日は第5章まで。岩元真明君から『Merveilles』第5章と目次の見直し原稿が届く。これでワンラウンドが終了した。僕が再度原稿を見直しそれを反映した後に鹿島出版会編集部と打ち合わせる予定だが『進化する箱』の締め切りと完全に被っている。何とか今月中旬までに両者をまとめることとしスケジュール調整を岩元君に依頼する。瀬戸のH氏からメールが届く。時間をかけて僕の考えを伝えたが奥さんとの話し合いがつかず新居の計画を進めるのは難しいらしい。少し時間をおきたいと言われるので待つしかない。直接会って話をすることの重要性を痛感する。9時半帰宅。ウィスキーを煽りながらあれこれ考えを巡らせる。『表現と介入』を読み続ける。第10章「観察」から第11章「顕微鏡」を終えて第12章「思弁、計算、モデル、近似」へと進む。第10章ではH・R・ハンソンの観測の理論負荷性に対する反証例が列挙されている。ハッキングは理論内部での論理的一貫性の破綻やノイズによるシステム展開も重要だが、それ以上に実験的な介入による外部からの撹乱の方が理論を展開させる大きな力になることを様々な例をあげて実証しているようだ。


2015年06月01日(月)

7時起床。快晴で暑い1日。8時半出社。栃内が奥さんの出産に立ち会うため休日。縦ログ構法住宅のまとめは明日になりそうだ。岩元くんから僕の校正を反映した原稿が届いたので1章から最終校正を始める。ほぼ問題のない文章になっているが読みのスピードを出すために句読点を最小限に抑えるようにチェックする。11時に事務所を出て東京駅へ。11時45分発のはくたかで高崎駅で下車。両毛線に乗り換えて1時過ぎに前橋駅着。改札口で岸和郎さんと待ち合わせ。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。応募者の水谷敏博さんとスタッフと一緒にタクシーで「アーツ前橋」へ。百貨店を市立美術館にコンバージョンした建築で外装は既存外壁を曲面加工した有孔アルミニウム板で覆っている。内部はエスカレーターを除去した吹抜けや一部床を抜いた階段などの介入で回遊的な展示空間を生み出している。天井高を確保するために天井を張らず絡み合った空調ダクトが露出している。新旧の境界がほとんど分からない空間構成とデザインは意図的だろう。見学途中に館長の住友文彦さんが合流する。1階の奥に売店とカフェがありガラス張りの1階は休館日にも開放され市民の広場のようになっているという。外観の曲面有孔アルミ板以外は明確なコンセプトは見当たらないが細部には様々なアイデアがちりばめられている。全体としてやや物足りない印象を受けるがコンバージョンゆえの結果であり岸さんは「大人のデザイン」と評した。2時半過ぎにお暇して前橋駅へ。3時発の両毛線に乗り高崎で新幹線に乗り換え東京へ。車内では岸さんと近代建築におけるcomposition とconstructionの相違について議論する。僕の捉え方とかなり違うことが分かったがそれ以上の議論は時間切れ。またいずれ議論を続けることを約して東京駅で別れる。5時帰社。檀上夫妻とシグマ建設と「153檀上邸」の地鎮祭と工事契約についてメールで打ち合わせ手順とスケジュールを確定する。『進化する箱』の推敲と図版整理を続行。2章を終えて3章に進む。

5月28日(木)に『現代思想』6月号の娘の論文に関する批評を書いたが、それに対する娘の反論が届く。僕の評は、複数化された映像とスクリーンによる「実感されうる「制御」と、透明化されたインターフェイスによる「制御」」との相違を捉え損ねているという趣旨である。指摘された点は確かにその通りかもしれない。しかし僕としては冒頭の「本論は、映像と身体が切り結ぶ関係性の変化、云々」の「映像と身体」という言葉に引っかかったのでそのラインで全体を読んだのである。とはいえ本論で『デジャヴ』という具体的な映画を取り上げている点を見落としたので最後の「個別のスクリーンにさらには個別の映像において論じなければ」という指摘は撤回しなければならない。それでも『デジャヴ』の分析は身体性にまでは及んでいないと思う。そもそも身体性の様相を現代的に捉え直さないと映像と身体の関係について論じるのは難しいのではないか。私見では上記の「実感されうる「制御」と、透明化されたインターフェイスによる「制御」の相違」はベンヤミンの「注視と散漫な意識による享受の相違」に重ね合わせることができそうな気がするが、ベンヤミンは映画の享受を「散漫な意識」として捉えているから、この問題は入れ子構造になっているのかもしれない。いずれにせよテキストをどう読むかは読者の自由である。読者は自分の興味に引き寄せて読めばいいので、著者の意図通り読まねばならないという指摘はいささか古典的に過ぎると思う。


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