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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2012年02月29日(水)

7時起床、寝不足。雪が降っていて寒い。8時半出社。9時半、日経アーキテクチャー編集部の高市清治さん来所。住宅の吹抜に関するインタビュー取材。時宜的なテーマだとは思うが、吹抜空間を室内環境と省エネルギーだけにテーマ絞るのは少々的外れの感は免れない。なので僕は質問をひたすら拡大解釈しながら応えるように努める。環境の特集をするのであれば水の蓄熱性と相転移のエネルギーくらいは勉強してきて欲しい。途中で段々学生に対する講義のようになってきた。とはいえ久しぶりに「箱の家」を取材してもらえるので、できるだけ前向きに応えようと努力する。11時終了。大阪のクライアント候補に関する打合せ。日曜日に来所されるので、それまでに問題を洗い出し、第1案の叩き台までは提案したい。雪が降りしきる中12時前に事務所を出る。半蔵門線、有楽町線で新木場まで行き、京葉線に乗り換えて海浜幕張駅で下車。タクシーで放送大学本部へ1時半前着。郡俊路ディレクターと待ち合わせてスタジオセットの係へ。NHKアートの山手信好さんと杉本丈明さんを紹介してもらい、スタジオセットの打合せ。僕の描いたアクソメ・スケッチにしたがってイメージを説明し、カメラアングルに合わせてサイズを調整しながらCGで図面化してもらう。おおよそのスケールを把握した後、実際のスタジオに移動しサイズを確認。幅約3.6m、高さ2.7mの屏風型のパネルに「箱の家」や「KAMAISHIの箱」の仕上げ材を張り分けたシンプルな背景にまとめることにする。机は矩形の単純なパネルに、椅子はイームズのアルミナムチェアを希望。見積用の図面を3月15日までに届けることを約して2時半終了。その後、郡さんとロケ取材の依頼書について打ち合わせ3時終了。4時半に事務所に戻る。伊東豊雄事務所や山本理顕事務所とロケ所在のスケジュールについてやり取り。伊東塾の多木浩二シンポジウムに参加希望のメールを送る。その後しばらく放送大学テキストを書き6時半までに20枚まで。あと一息である。6時半過ぎにスタッフと事務所を出て青山の居酒屋へ。アルバイト3人を加えてコンペ打上げ。途中、北京から電話が入り明日の行程の確認。9時半過ぎ終了。10時半帰宅。明日の北京行の準備をして夜半就寝。


2012年02月28日(火)

7時起床。8時半出社。昨夜遅く石山研から「石山修武第33信 作家論 磯崎新9」が送られてきたのでXゼミサイトにアップ。午前中はテキストを2枚分追加。正午過ぎに事務所を出て東京駅へ。1時過ぎ発の新幹線で郡山駅へ2時半着。あちこちに雪が残っている。改札口で芳賀沼さんと待ち合わせ、車でしばらく西へ走り、復興住宅モデルハウスの敷地へ。約170坪の角地で周囲は公共住宅と公共施設が集まり、所々に住宅が残っている新興開発地域といった感じ。緩勾配の南斜面。周囲を散策し約30分で終了。その後ログ協会の郡山事務所へ移動。はりゅうウッドスタジオの滑田さんと田中さんが合流。会議室で浦部さんを待つ。まもなく浦部さんと院生の渡辺君が到着。3時半から復興住宅に関するブレインストーミング。単純なモデルハウスではなく、集会場を備えた復興住宅の基地にしたという芳賀沼さんの意見。敷地内を通り抜ける路地の案が出たので、敷地割を想定した路地を先に設計してはどうかと提案。「positive outdoor space」というパターン・ランゲージのアイデアである。路地の設計ははりゅうウッドスタジオに任せることとし6時終了。その後、芳賀沼さんと浦部さんは別の会議へ移動。それ以外のメンバーは郡山駅近くの居酒屋へ。日本酒を呑みながら四方山話。8時解散。8時半の新幹線で東京へ10時着。10時半過ぎに事務所に戻る。敷地写真を整理しメモをまとめて11時帰宅。『世界史の中の中国』を読みながら夜半就寝。夜中の2時にiPhoneの地震警報が鳴ったので跳び起きる。千葉沖を震源地とする地震だという情報。しかし何の揺れもない。胸騒ぎで眠れずやむなく起き出し思い切り白酒(中国焼酎)を煽って3時過ぎ就寝。


2012年02月27日(月)

7時前起床。8時出社。スタッフが作業を続けている。昨夜はアルバイトも一緒に徹夜したようだ。模型はまだ完成していないが、撮影までには何とかなりそうだ。9時過ぎに事務所を出て東急目黒線の大岡山駅へ9時45分着。東工大の塚本由晴研究室がデザインアーキテクトを務め、日本設計が実施をまとめた「東工大エネルギー環境イノベーション棟」の見学会である。小嶋一浩さんと赤松佳珠子さん、日経アーキテクチャーの森下慎一さんらの顔が見える。若い建築や学生で20人余り。『建築と日常』の長島明夫さんと坂本一成さんの方法論についてしばらく立話。「制度の批評」という言葉が記憶に残る。10時過ぎ東工大キャンパスの運動場へ移動し、建築を遠望しながら塚本由晴さんの説明を聞く。目黒線と大井町線線の2本の線路に沿った南面のファサード全面にソーラーパネルが取り付けられている。取り付けの角度が異なるのでルーバーのように見える。ガード下を通り抜けて建物の先端へ向うと建物本体とソーラーバッテリーのスクリーンとの隙間にアプローチがある。南北面の鉄骨構造軸組がすべて外部に露出しているので、構造体がヒートブリッジになるのではないかという疑問を塚本さんにぶつけると、室内の骨組には断熱材を吹き付けているという回答。僕の見るところ構造を担当した東工大の竹内徹さんの構造露出趣味ではないかと思う。とはいえ南面と屋根のソーラーパネルの支持体も鉄骨なので、どこで熱をカットするかは重要な課題だろう。屋上に上り機械類を見学。エネルギーをほぼ自給できる上に通常の設備を加えたかなりヘビーな機械設備がズラリと並んでいる。実験設備などが入る建物なので室内は鉄骨造の構造軸組や設備の配線配管システムがすべてアラワシになっている。設備の吊り材が無数にあるのを見て思わず「アタゴ工場」を想い出した。太陽電池の足場に出るとかなり埃が溜っている。取り付け角度が低いパネルは清掃がかなり大変だという。発電効率のシミュレーションでは決定的な取付角度は出ないというコメントが印象的。あちこちにPSヒーターの冷暖房パネルが配置されているのは塚本さんらしい気配り。全体としてややノイジーな雰囲気ではあるが、カジュアルなデザインには好感が持てる。11時半解散。原宿で簡単に昼食を済ませ1時前に事務所に戻る。写真家の上田さんが模型の撮影中。3時近くまでかかってようやく終了。片付けを済ませてアルバイトの仕事は終了。その後写真を図面にレイアウトしプリントアウトして何度かエスキス。この間、僕は放送大学テキストを17枚まで書く。夕方、鈴木博之さんから電話が入る。来週、安藤忠雄さんが東京に来るので東京駅近くのホテルで建築アーカイブの打合せをしたいとのこと。直ちに石山修武さんに連絡。伊東豊雄さんから『建築の大転換』(伊東豊雄+中沢新一:著 筑摩書房 2012)が届く。山本理顕さんから放送大学の取材日時のメールが届くが、肝心の放送大学から正式書類が届かない。守谷市の高田さんと大阪のクライアント候補とメールのやり取り。11時前に最終のプリントアウトを見届けて僕は帰宅。栃内が渋谷郵便局へ持参。今日の消印で送付できたというメールが夜半過ぎに届く。ホッとしてそのまま就寝。


2012年02月26日(日)

7時半起床。9時出社。9時半に事務所を出て新宿駅へ。花巻と待ち合わせて10時発のスーパーあずさに乗車。12時過ぎ上諏訪駅着。普通電車に乗り換えて下諏訪で下車。曇りで風が冷たい。歩いて「142小澤邸」の現場へ1時前着。外部足場がすべて取れて外観が姿を現しているが、東面ファサードを覆うFRPルーバーはまだ取り付けられていない。「箱の家」の中では2番目の長さを持つ典型的な一室空間住居である。間もなく小澤一家が到着。室内を案内しながら詳細のチェック。アイランド式の台所カウンターや暖炉はまだ設置されていない。小澤さんやお父さんが自然塗料で薄く白染めした木部の仕上げを気に入ってくれる。石張りの浴室と玄関、2階寝室、子供室、ブリッジなど細かな納まりもチェック。その間、僕は外部の納まりを見て回る。外装の中空セメント板の出隅金物がアルミ角パイプになっているのはメーカーの標準仕様の変更なのでやむを得ないとはいえ、以前のアルミ金物の方がエッジの納まりはクリアだったような気がする。何とか改良して欲しいものだ。軒樋と雪止めの納まりを確認。修正点を花巻に伝える。外構の納め方や今後のスケジュールなどについて小澤さんと打合せ。施主検査を3月20日(火)引渡日を4月8日(日)と決めて2時半に終了。現場監督の車で下諏訪駅まで送ってもらい3時前の普通電車に乗車。上諏訪で特急に乗り換え5時半に新宿着。6時過ぎに事務所に戻る。栃内とアルバイトが模型の追い込み中である。皆で夕食を摂った後、模型に集中。僕は昨日書いたテキストの読み直しとスライド・シナリオの書き込み。10時半帰宅。風呂に入り『世界史の中の中国---文革、琉球、チベット』(汪暉:著 石井剛+羽根次郎:訳 青土社 2011)を読みながら夜半過ぎ就寝。

往復の電車の中で『師弟のまじわり』(ジョージ・スタイナー:著 高田康成:訳 岩波書店 2011)を一気に読み通す。第4章「思考の師匠」ではフランスの教育制度にそってアラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)、ニーチェ、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ゲオルゲなどが取り上げられる。ヘッセの『ガラス玉遊戯』についてはアレグザンダーもよく言及していたが、スタイナーの解説によってその理由がよく分かった。「知は、無限に自己展開する網状組織からなり、その予期しえない諸パターンの組み合わせの展開が、比喩的合理性として宇宙(コスモス)を編成し、人間精神を天球の調和へと導く」。これはそのままパターン・ランゲージの解説といってもいいくらいである。第5章「新世界にて」はアメリカにおける師弟関係がテーマである。ヨーロッパ的な意味でマスターと呼べる稀有な例としてヘンリー・ジェイムズとヘンリー・アダムズに焦点が当てられ、続いて錚々たるアメリカの作曲家たち(アーロン・コープランド、ジョージ・ガ−シュウィン、レナード・バーンスタイン、フィリップ・グラースなど)を育てたフランス音楽教師ナディア・ブーランジェの一生、伝説的なフットボール・コーチ、クヌート・ロックニーらがとり挙げられる。スタイナーの主張では、現代のアメリカ文化はヘレニズム、ギリシア、ローマにまで遡るヨ−ロッパの古典文化には到底及ぶべくもないという。第6章「不老の知性」ではユダヤ教と仏教における師弟関係や、自然科学における師弟関係が論じられる。最後のカール・ポッパーの師弟関係では、ウィトゲンシュタインとの歴史的な確執がイヨネスコの戯曲『授業』によって隠喩的に紹介される。ウィトゲンシュタインの名前は本書の至る所で出てくるのだが、直接論じられるのがここだけというのは少々奇妙である。総じてスタイナーの博覧強記に引きずり回された感じだが、短い期間でも大学の教員を勤めた僕の経験では、本書に紹介されているような密実な師弟関係を経験した記憶はない。池辺陽との関係でさえ大いなるすれ違いだったような気がする。「結語」でスタイナーが厳しく批判しているインターネット時代の浅薄な師弟関係の中に僕たちが生きているせいかも知れない。


2012年02月25日(土)

7時起床。8時半出社。小雨が降り続いている。故郷の従姉や甥からfacebookで連絡が届き始める。車と同じで地方でのインターネットでのやり取りはかなり頻繁らしい。久しぶりなので何度もやり取りする。アメリカの義兄や義姪も連絡をよこし始めた。これで娘ともつながり奇しくも親族のネットワークができ上がった訳だ。facebookの威力恐るべしである。午前中はHOUSE VISIONシンポジウムのスライドを再編集。スライドの枚数がやや多いので削減しながらシナリオを練り直す。池辺陽の「No.住宅」と「箱の家」の枚数のバランスを調整する。昼前、事務所を出て原宿駅まで散歩。表参道は相変わらず人出が多い。駅の窓口でインターネット予約していた上諏訪行の切符を受け取り、正午に事務所に戻る。午後は放送大学テキストに集中する。あれこれ文献を散読しながら、夜までに何とか12枚書く。来週前半までにはまとめたい。合間にコンペ打ち合わせ。皆頑張っているが模型が間に合うかどうか少々心配になってきた。10時半帰宅。あれこれ考えながらウィスキーを煽る。明日は下諏訪の「141小澤邸」の現場である。小澤一家も来る予定なので同行することになった。3月末の引渡に向けて工事は追い込み段階である。『師弟のまじわり』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2012年02月24日(金)

7時起床。8時過ぎ出社。曇り。界工作舍OBの中川純君に頼んで「石山修武第32信」の図版を挿入してもらう。午前中にコンペの要旨をまとめる。午後は文献渉猟の続行。放送大学からテキスト原稿の催促が届く。何だかせわしない感じだが僕のペースで粛々と進めるしかない。Lats第7回のゲラが届いたので直ちにチェックバック。放送大学の郡ディレクターから今後の打合せスケジュールが届く。担当ディレクターが確定したので3月早々に打ち合わせることになった。2月末にはスタジオセットについて美術担当者とも打ち合わせる。4月からロケ取材が始まるので、まずは東北3県の木造仮設住宅のロケ先に取材依頼のメールを送信。山本理顕、伊東豊雄、坂茂諸氏にもインタビュー依頼を送る。夜、早くも坂さんから返信メールが届く。夜、コンペ打合せ。いよいよ最終段階。ドタバタと時間が過ぎていく。10時過ぎ帰宅。

『師弟のまじわり』は第3章「偉大な師」を終えて、第4章「思考の師」に進む。第3章でとり挙げられているのは、まずはティーコー・ブラーエとヨハネス・ケプラーの関係である。前者のプトレマイオス的観測データにもとづいて後者が『天体新論』をまとめたという関係をマックス・ブロートとフランツ・カフカの関係に重ね合わせている。ブラーエ(B):ケプラー(K)=ブロート(B):カフカ(K)という発見はスタイナーの慧眼だろう。引き続き、エドムンド・フッサールとマルテイン・ハイデガー、ハイデガーとハンナ・アレントの師弟関係に焦点が当てられる。『存在と時間』に対するスタイナーの深層心理的愛憎が噴出した本書の山場である。第4章では、普仏戦争の敗戦後にフランスのアカデミズムが組織化され、第2次大戦後にはフランス思想界がフッサールとハイデガーの思想に大きな影響を受けた経緯について詳細な分析が行われている。


2012年02月23日(木)

7時起床。8時過ぎ出社。一昨日河野さんに貰ったチューリップのつぼみが開き始めている。ヒヤシンスの花は元気がなくなったが代わりに葉の間から小さなつぼみが出てきた。冷たい小雨の中、歩いて青山歯科医院へ。月例の歯のメンテナンス。8時半から約30分間。9時過ぎに事務所に戻る。いつもながらメンテナンスの後はしばらくの間歯茎の痛みが続く。世田谷村日記を読むと石山さんはかなりのスピードで磯崎新論を書いているようだ。これは何かあるなという予感がする。日経アーキテクチャー編集部からメールと電話連絡。前真之さんが日経アーキテクチャーに連載していた記事に関する取材と前さんとの対談の依頼。「箱の家124」の取材も頼まれる。吹抜けに関する記事らしい。放送大学テキストの文献渉猟で『合理主義の建築家たち』(デニス・シャープ:編 彦坂裕+菊池誠+丸山洋志:訳 彰国社1985)のワルター・グロピウス(1883-1969)の章を読む。グロピウスは第1次世界大戦(1914-1919)以前、バウハウスを創立する10年前の1910年(26歳の時)に住宅の工業化に関するほぼ完璧なプログラムを書いている。ドイツの国策会社AEGに提出した論文である。当時のグロピウスはAEGの製品デザインの統括者ペーター・ベーレンスの事務所で働いていたから彼に頼まれたのかも知れない。1950年代に誕生した日本のハウスメーカーは、このプログラムにしたがって設立されたといっても過言ではないくらいの具体的で詳細な内容である。日本デザインセンターから北京行のeチケットとホテルのバウチャーが届く。早速プリントアウトしてパスポートと一緒に旅行鞄のポケットに納める。大阪の人から電話で「コンパクト箱の家」に関する問い合わせ。しばらくしてから詳しいことを聞きたいというメールが届く。大阪なら友達が多いので何とかなるだろう。夜も引き続き文献渉猟続行。そろそろ書き始めるテンションが出てきたようだ。9時過ぎコンペ打合せ。いよいよお尻に火がついてきた。模型が間に合うかどうかギリギリの所。10時半帰宅。石山研から「第32信 作家論 磯崎新8」が届いたのでXゼミサイトにアップ。今回は図版がついているが界工作舍HPにはアップできない。何とか方法を考えたい。


2012年02月22日(水)

7時起床。8時半出社。寒さもかなり和らいできた。9時に事務所を出て地下鉄半蔵門線で住吉駅下車。歩いて5分で10時丁度にかつてTOSTEM本社で何度も来たことのあるLIXIL本社に到着。放送大学のロケハンである。広報部の小倉みどりさんの案内で展示場の会議室へ。総合研究所副所長の水野治幸さん、環境オペレーショングル−プ長の小野聡志さん、販売促進担当の蜂須賀章子さんらが迎えてくれる。放送大学のシラバスとロケの方針について簡単に説明した後、建材メーカーが合併した目的について話を聞く。最近の住宅産業の構造変化に対する建材メーカーとしての適応のようだ。トータルハウジングというコンセプトで「建デモプロ」という総合的な建材ショップを全国展開している点に興味を惹かれる。工務店や職人向けのホームセンターの卸売版のようなチェーン店である。まさに放送大学のテーマにぴったりの題材なので、ぜひ取材したい旨を伝え、再来週にロケハンすることになった。12時前に終了。1時過ぎに事務所に戻る。午後から夜にかけては文献渉猟とテキストのスケッチ続行。放送大学編集部へテキストの図版送信。高田夫妻と「143高田邸」の予算についてメールのやり取り。現案の規模を縮小しないでコストダウンする方法について意見交換。坪単価によるコスト計算の難しさについて説明する。9時コンペ打合せ。ディテールのエスキス。10時帰宅。

ベッドの中で『博士の愛した数式』(小泉堯史:監督 2005)のDVDを観る。ほのぼのした映画ではあるがとくに観るべきものはない。中学生向けの易しい数論の講義といったところ。数学は美を追求する学問であるというメッセージは、難しい問題を苦労して理解することに関するカントの主観的美学の応用版である。


2012年02月21日(火)

7時起床。8時半出社。快晴で暖かい。10時過ぎ河野さんが来所。鉢植のチューリップをもらったので打合机上のヒヤシンスの傍に置く。「144河野書店」の設計監理契約の締結。いよいよ実施設計に着手することになった。その後しばらく雑談。11時終了。その後はLATs原稿に集中。夕方までかかって何とか16枚まで書く。しかし最後は息切れ気味。当初はアフォーダンス理論に関連づけてベイトソンの精神生態学についても書こうとスケッチしていたが、そこまでは届かず少々尻切れトンボに終わる。もう一度読み直した上で『10+1』ウェブマガジン編集部の齋藤歩さんに送信。引き続き放送大学的スト再開。合間にコンペレイアウトに関して何度か短い打合せ。フラットで軽いプレゼンテーションをめざすことを再度確認。「143高田邸」の高田さんから、もう少し予算を絞りたい旨のメールが届く。現案はギリギリのところを狙って設計しているので、規模を縮小する必要があるかも知れない。日本デザインセンターから北京行の航空便確定の連絡が届く。出発便に合わせてリムジンバスを電話予約。北京の喩凡石くんと昨年の国際会議で知り合った清華大学のMengfeiくんからメールが届く。丸一日の短期滞在なので会える時間は取れそうもない。明日のLIXILのロケハンに備えて書類に眼を通した後、9時半過ぎ帰宅。『師弟のまじわり』を読み続けながら夜半就寝。


2012年02月20日(月)

7時起床。8時半出社。晴れ。少し暖かい。ここの数日続いた寒さで中庭のヒメシャラの芽は固まったままである。一方、事務所のヒヤシンスは完全に開花し、葉の間から新しいつぼみが頭をもたげてきた。昨日からのスライド編集を続行。昼までにほぼ完成する。とはいえ30分のレクチャーで85枚は少々多いかも知れない。午後はLAts原稿を再開。呻吟しながら夕方までにようやく7枚書く。目標は15枚だからまだ遠い。5時半、芳賀沼さんが来所。郡山の復興住宅のモデル集落の相談。あれこれ夢が広がって話が拡散しつかみ所がない。僕の方からはログハウスの仕様書についてコメント。縦ログ構法の仕様一式を揃えることとログハウス全般の熱性能に関する検証の必要性を伝える。復興住宅については拡散状態なので目標を定めるためのミーティングを提案。来週早々に郡山に行くことになった。夜、コンペ打合せ。プレゼンテーションのレイアウトのエスキス。通り一遍のプレゼンテーションでは審査委員に伝わらないことははっきりしているので、あれこれ頭を絞る。先にレイアウトの方針を決め、そこからフィードバックして必要図面を決める。10時半帰宅。今週はかなりハード・スケジュールになりそうだ。日本デザインセンターから「HOUSE VISION SYMPOSIUM 2012BEIJING」のパンフレット・データが届く。ざっと眼を通した上で、僕のレクチャーのタイトルを「一室空間住居の歴史的様相Survey of One-Room House @Japan」に変更することとし、その旨を返信する。10時過ぎ石山研からXゼミ「石山修武 第31信 作家論 磯崎新7」が届いたので直ちにサイトにアップ。本格的な磯崎新論が始まりそうだ。


2012年02月19日(日)

昨夜は夢で何度も目が醒めた。寝る前にあれこれ想起すると、それがそのまま夢に持ち込まれるようだ。8時過ぎ起床。9時半出社。午前中は集中力がなくボーっとして過ごす。午後、気を取り直して北京のHOUSE VISIONシンポジウムのスライド編集に着手する。池辺陽の一連の仕事と「箱の家」とを並行させるかたちで、1950年代以降の半世紀で住宅の社会的な意味が一回りしたことを明らかにしてみたい。合間に読書と原稿スケッチを挟みながら、夕方までに何とか大枠のストーリーを組み上げる。夜、NHKTVの「ヒューマン特集」を観る。品種改良によって可能になった効率的な集約農業の誕生が、収穫を略奪するための部族間の闘争をうみ出し、同時に闘争を避けるためのホスピタリティの儀式としてのポトラッチをうみ出したという歴史的なパラドクスが描かれる。現代の資源を巡る闘争も基本的には同じ構造かも知れないが、闘争を解消するポトラッチ的な儀式が存在しない点では、むしろ退化しているような気がする。

『師弟のまじわり』は第2章「火の雨」を読み終わり、第3章「偉大な師」へ進む。第2章は新プラトン主義とキリスト教を古代ローマに広めたプロティノスから始まり、アウグスティヌス、シェイクスピア、ダンテ(『神曲』の「地獄篇」に「火の雨」のエピソードが描かれているらしい)、フェルディナンド・ペソア、フロベールとモーパッサンへと話しが進む。アウグスティヌスは宗教的な徴の解釈学的循環を熟知していた点において記号論や意味論の創始者であるとスタイナーはいい、それにかこつけて現代のデコンストラクショニストやポストモダニストは「信仰なきアウグスティヌス主義者である」と皮肉っている。第1章でもそうだったが、スタイナーはデコンストラクション派がよほど気に障るらしい。要するにデコンストラクションは古代から存在し、別に新しくも何ともないといいたい訳である。とはいえほとんど中味を知らない話題ばかりなので、この章にも取りつく島がない。気分を変えるために、Amazonから届いた『資本論を読む』(伊藤誠:著 講談社学術文庫 2006)の「序---マルクスの思想と学問」や『世界史の中の中国』(汪暉:著 石井剛+羽根次郎:訳 青土社 2011)の「訳者あとがき」を散読してみる。


2012年02月18日(土)

7時起床。8時半出社。快晴でかなり寒い。窓際のヒヤシンスは先端まで完全に開花し、重みで前のめりに撓り始めた。LATs原稿を書き始めるが、いつも通り最初で躓き一旦休止。ギブソンの『生態学的視覚論』の赤線部分を読み直し、さらに『アフォーダンス---新しい認知の理論』(佐々木正人:著 岩波書店 1994)を散読してみるが、なかなかテンションが上がらない。諦めて放送大学テキスト第6章のスケッチに戻る。あれこれ文献を散読しながら重要項目をリストアップしていく。徐々に全体像が見えてきた。第6章は住宅の工業生産化と商品化がテーマだが、工業化と商品化の結びつけ方がポイントである。午後のプレゼンテーションのために「143高田邸」の書類の再確認。3時過ぎに高田一家が来所。模型と図面を見せて説明。これまで何度か図面をやり取りしているので高田夫妻は既に概要を把握している。模型で立体的に確認してもらう。模型と図面を渡して4時過ぎに終了。5時前、日建設計の羽鳥達也さんが仲間3人と一緒に来所。ランドスケープデザイナーの石川初さんと環境研出身の谷口景一郎くんが同行。日建設計の有志で開発した津波被災地における避難シミュレーション・モデルに関するシンポジウムを会期中の3/25(日)に開催するとのこと。
http://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/1275.html
石川さんもモデルの開発に助力したらしい。そのアルゴリズムがアレグザンダーの初期の方法に似ているというので、コメンテーターとしての参加を頼まれた。その準備のための事前相談である。モデルの概要について説明を受けた後しばらく意見交換。いくつか気になる点があるので考えるための資料を依頼し6時半終了。花巻と「141小澤邸」について短い打ち合わせをした後、事務所を出て渋谷宇田川町の居酒屋へ。ハンガリーから来日中のMatyas Gutai君が主催した難波研懇親会。出席者は新婚の横山翔太+西山礼子夫妻、森田悠詩、Christiano Lppa、李鎔銀、Robert Baumという面々。エスニックな料理と日本酒で盛り上がる。11時過ぎ終了。Baum君の博士論文審査が終了したので、店の前で三三七拍子のお祝いをして散会。皆二次会へ行くようだが、僕は別れてタクシーで事務所に戻る。メールをチェックした後帰宅。今日一日のことを思い起こしながら夜半就寝。


2012年02月17日(金)

7時起床。8時半出社。朝、事務所に入るとヒヤシンスの花が完全に花開き事務所中が匂っている。9時前に栃内が出社し直ちに「142森山邸」の現場に向った。10時、模型アルバイトの学生2人が来所。コンペの模型製作を本格的に開始する。昨日まとめたテキストを読み直し、何点か修正を加えた上で放送大学編集部の井上さんに送信。11時、小川建設の小川社長が来所。「144河野書店」の工事依頼の相談。敷地が住宅地域内の角地にあるので既存建物の解体が予想以上に手がかかりそうだとのこと。それ以外は工事範囲の増減で対応できそうだ。いずれにせよ特命で依頼するということで快諾を得る。小川建設は震災直後に仙台支店を出したので、震災復興の現状について話を聞く。仮設住宅の建設と入居は一通り落ち着き、現在は産業施設と港湾施設の復興工事が始まっているそうだ。石巻では復興バブルが生じ、高報酬なので全国から職人が集まっているとのこと。それに並行して職人のための宿泊施設と遊興施設の整備も急ピッチで進んでいるそうだ。復興住宅の建設は産業施設の復興が終わった後になるので1,2年後だろうという予測。あらためて考えてみればその通りだナアと妙に納得する。僕としては復興住宅の建設自体がひとつの産業になって経済が回り始めるのではないかと考えていたが、それよりも漁業の再生の方が先だというのは当たり前の話である。たしかに稼げる仕事がなければ住むこともできない訳だから。午後、小川建設との話し合いの結果を河野さんにメール報告。放送大学テキストに掲載する図版を収集しデータ化して編集部に送信。第6章のスケッチ開始。引き続きLATs第7回原稿のスケッチも再開。見通しがついたので明日から本格的に書き始める。夜は明日プレゼンテーション予定の「143高田邸」とコンペの打合せ。10時帰宅。

『師弟のまじわり』はようやく第1章「起源の存続」を読み終わり、第2章「火の雨」に進む。原題は「LESSONS OF MASTERS=偉大なる師の教え」なので、その起源として第1章ではソクラテスとキリストがとり挙げられている訳である。ソクラテスとキリストの共通点は、口述だけによって教えを伝え、その教えは弟子たちがまとめたテキストとして残されている点である。口述の隠喩性が意味の不確定性をもたらすという点をスタイナーはゲーデルの不完全性定理になぞらえている。ここからテキスト化された口述の意味の決定不能性がみちびき出され、デコンストラクションの起源はソクラテスとキリストの教えにあるという意表を突いた所見が出てくる。師に対する弟子たちの複雑な愛憎関係から、たとえばイエスに対するユダのような逆説的な態度が生じるのだという解釈が興味深い。そのような錯綜したユダの態度がユダヤ教へと引き継がれているという所見は、ユダヤ人であるスタイナーならではの発想だろう。ユダヤ教のアキレス腱はキリスト教との関係にあるという問題は『スタイナー自伝』でも詳細に検討されていた。


2012年02月16日(木)

7時起床。8時半出社。曇りで寒い。ヒヤシンスの花が開花した。ピンク、薄紫、白の3色である。事務所に入った途端に強い匂いが漂ってくる。石山さんからXゼミの「石山修武第30信 作家論 磯崎新 エピソード2」が届いたので直ちにサイトにアップする。石山さんは荒川修作と磯崎新の対談に関するインターネット上の記事を引用しながらかなり長いコメントを加えている。さらに、なぜか荒川修作の「三鷹天命反転住宅」と僕と石井が共同設計した「54の窓」(1975)との比較論を書いている。石山さんは十分に分かった上で取り挙げているのだろうが、僕に言わせれば両者は似て非なる建築である。レイナー・バンハムは「54の窓」を1990年時点でもっとも日本的な建築の代表だと評した。石井流のスタンドプレイが前面に出ているとはいえ「54の窓」の建築的な射程距離は現在まで届いている。10時半コンペ打合せ。徐々にディテールへと検討を進めていく。残すところ10日である。正午過ぎに事務所を出て南新宿のマインズタワー内の積水ハウスショールームに1時半着。昨年のGD賞のプレゼンテーションで会った技術部の吉田元紀さんと渡辺晶子さんが迎えてくれる。ショールームを一通り案内して貰う。スチールの骨組から建具金物やカーテンに至るまで建築部品が一通り展示されている。その後、会議室で放送大学の主旨を簡単に説明。可能であれば工場を取材したい旨を伝える。積水ハウスの現在のテーマはエネルギー消費を最小化するスマートハウスのシステムだとのこと。3時半前に終了。4時に事務所に戻りシラバスとロケ先のリストを送る。その後はテキストに集中。紆余曲折しながら夜までに24枚まで書いてようやく校了。いつもながら書き初めのイメージとは大いに異なる内容になった。何か頭の中から無意識の知見がズルズルと引きずり出される感じである。10時過ぎ帰宅。『師弟のまじわり』は第1章で滞っている。夜半就寝。


2012年02月15日(水)

7時起床。8時半出社。晴れで暖かい。ヒヤシンスの花がいよいよ咲き始めた。3つの球根はそれぞれ色が異なるようだ、芳賀沼さんから電話。先日の福島県主催の復興住宅プロポーザルと国交省の復興住宅計画とがリンクして進められることが分かったそうだ。したがって木材と工事に対して補助金が出ることになる。はりゅうウッドスタジオでもスタディを開始したとのこと。「144河野書店」の基本計画がまとまったので、いつも付き合っている洗足の工務店の社長に連絡し明後日にミーティングを持つことになった。何とか短期間でまとめたい。日本デザインセンターの原研哉さんから3月初めに北京で開催されるHOUSE VISIONシンポジウムのプログラムが届く。会場は北京大学。主催は日本の経済産業省である。国道交通省でない点が微妙である。住まいは輸出入可能なプロダクトになったということだろうか。そういえばグッドデザイン賞ももともとは経済産業省ののイベントだった。参加メンバーは中国側から建築家とディベロッパーの3人、日本側からUR都市機構、植田実、馬場正尊、藤本壮介、村松伸と僕の6人、モデレーターが原研哉さんという大所帯である。僕は戦後モダニズムから「箱の家」や「MUJI+INFILL木の家」までの一室空間住居の変遷について話すことになった。中国側の建築家とのパネルディスカッションにも参加する予定。丸一日のシンポジウムである。今日も放送大学テキストに集中。あれこれ参考文献を見ながらようやく15枚まで届く。何とか明日中にはまとめたい。6時半に事務所を出て代官山のヒルサイドテラスへ。平良敬一さんの「目利きが語る“私の10冊”」に出席。野沢正光、元倉真琴、井出健、北川フラムといった人たちの顔も見える。平良さんは1926年(昭和元年)生まれで今年86歳だがとても元気そうである。まず平良さんが挙げた10冊のうち5冊は僕も読んでおり、2冊の著者の本を読んだことがあることにビックリする。平良さんの起点はアンリ・ルフェーブルにあり、そこからアメリカのポストモダン地理学や社会学へ進む線と、ハイデガーや武谷三男の技術論からエコロジカルな「場の論理」や「芸術人類学」へ進む線の2つの線があるようである。僕は前者には共感するが、後者は共有しにくい。ともかく僕の興味との共通点と差異点がクリアに見えて興味深い会だった。8時半過ぎ終了。表参道まで戻り簡単な夕食を摂った後9時半に事務所に戻る。10時前帰宅。熱い風呂に入った後『師弟のまじわり』を読みながら夜半就寝。第1章はソクラテスとプラトンの関係を論じた「起源の存続」だが、なかなか取りつく島がない。


2012年02月14日(火)

7時起床。8時半出社。事務所内が暖かいせいだろうか、先週末に森戸さんからいただいたヒヤシンスの球根が急速に芽吹きはじめた。「144河野書店」の模型と図面の確認。10時、河野さんが来所。模型と図面を見せながらプレゼンテーション。引き続き設計要旨に従って今後のスケジュールを説明。基本コンセプトは気に入ってもらえたようだ。模型と図面を渡し検討を依頼する。スタッフと僕にチョコレートをいただいた。午後は放送大学テキスト開始。スケッチに従って書き進めるが例のごとく少しずつズレていく。フィードバックをくり返し呻吟しながら夜までに何とか10枚まで書く。花巻のiMacが動かなくなった。買ってから5年程度経過しているので寿命かも知れない。アップルのサポートセンターに連絡したが既に生産中止とのこと。スペアのiMacを移動させて仕事を進めるが、パソコンに残っているデータの回収が課題である。夕方、日建設計の羽鳥達也さんから来月OZONEで開催されるイベントへの参加要請のメールが届く。興味深いテーマなので今週末に説明のミーティングを持つことにする。河野さんから第1案に関するコメントが届く。直ちに回答をまとめ図面を修正して第2案を送信。夜、基本設計承認の返信メールが届く。9時半帰宅。

Amazonから『師弟のまじわり LESSONS OF MASTERS』(ジョージ・スタイナー:著 高田康成:訳 岩波書店 2011)が届いたので早速読み始める。翻訳が出た昨年末から気になっていたのだが、なぜか今まで注文する気にならなかった。現在取り組んでいる仕事からもっとも遠い本だからかもしれない。しかし放送大学のテキストを書いているうちにやたらと読みたくなった。これまでシュタイナーの本を読む度に、内容はもちろん彼の視野の広さに感嘆したことを想い出したからである。僕にとってスタイナーの本はliberal artsの極致である。だからガス抜きにもっとも適しているのである。その勢いで『悲劇の死』(ジョージ・スタイナー:著 喜志 哲雄+蜂谷 昭雄:訳 ちくま学芸文庫 1995)もamazonに注文する。


2012年02月13日(月)

7時起床。8時半出社。快晴。鈴木博之さんから「建築に関するナショナル・アーカイブ」の委員会を3月に立ち上げる旨のメールが届く。鈴木さんを中心に西洋美術館館長の青柳正規、石山修武、僕を含めて7人の委員会である。かなり長い準備期間があったが、ようやく本格的な活動を開始することになった。放送大学の郡ディレクターから番組収録のためのスタジオ予約が確定したというメールが届く。7月以降、毎月末の月曜日である。忘れないように予定表に書き込む。11時ニチハの高村さんとサポートセンターの朱宮裕子さんが来所。放送大学のロケ取材の打合せ。さまざまな意味でいわき工場が今回のテーマにもっとも相応しいという結論。取材の詳細はこれから詰めることとして昼前に終了。午後は「143高田邸」と「144河野書店」の設計要旨をまとめる。花巻と栃内はプレゼンテーションの模型をつくり続けている。ホーチミンにいる岩元真明くんからメールが届く。4月上旬に帰国するそうなので、4月6日(土)の午後にLATs+αを開催することにした。早速メンバーにメール連絡する。夕方、日本デザイン振興会(JDP)から今年のグッドデザイン賞のスケジュールに関するメールが届く。先日、事務局の川口さんと打ち合わせたことが正式に決定したようだ。応募は4月から6月初めまで、第1次審査を6月末までにまとめ、9月末までに2次審査。10月に最終結果を発表し、11月下旬にビッグサイトでグッドデザインエキスポ開催というスケジュールである。夜、コンペ打合せ。プログラムのヴァリエーションが一通りリストアップされたので、それらに共通な要素をシステムとして提案する方針で確定。模型製作の方針などを決める。10時過ぎ帰宅。

『atプラス11』の「現代中国の空間編成---毛沢東の遺産」(丸山哲史:著)を読む。1920年代の国共合作の破綻以降の近代現代史を概観することができた。1960年代の文化革命期に中国政府の基層にある官僚組織が大衆運動へのフレキシブルな対応を通じて鍛えられたために、1990年代初期のソヴィエト連邦のような解体を避けることができたという指摘が興味深い。反動的な文化革命が改革開放を推進し、結果的に現代の中国を形成したという、まさに毛沢東の『矛盾論』を地で行ったような現代中国史である。


2012年02月12日(日)

7時半起床。9時出社。快晴。中庭のヒメシャラに白い新芽が芽吹き始めている。昨日芳賀沼さんにもらった郡山の敷地図をコピー機にかけて正確なスケールに修正し、敷地割のスタディを開始する。いつも通り駐車場の配置が決定的な条件であることを確認する。引き続きログハウスの仕様書「ログによる大型建築物設計の手引き」(日本ログハウス協会 2005)に一通り眼を通す。2005年にまとめられたものなので時代とズレている個所は少ないが、それでもサステイナブル・デザインの視点から見ると欠落点が多いようだ。性能を上げるために他の部品を付加しようとした場合、ログハウスの構法上の条件から木材の乾燥収縮と他の部品との取り合いが大きな問題になりそうである。午後は原稿のスケッチ続行。あれこれ文献に眼を通すが、なかなか発火しないまま夜を迎える。「143高田邸」と「144K書店」の設計要旨スケッチ。9時半帰宅。

『プルーストとイカ---読書は脳をどのように変えるのか?』(メアリアン・ウルフ:著 小松淳子:訳 インターシフト 2008)を読み終わる。第3部「脳が読み方を学習できない場合」の3章は面白くて一気に読み通す。読字能力は生得的ではなく生後に脳が総力を挙げて取り組む課題なので、読字障害の原因は遺伝子レベルから、脳の構造的なレベル、処理速度のレベル、部位を結びつける機能的なレベルという4つのレベルに及んでいる。しかも言語の種類によっても障害の現れ方が異なるという。遺伝子レベルの障害によって読字能力を担当する左脳が十分に働かない場合、右脳がそれを補完しようとするのだが、右脳は本来パターン認識や文脈認識などのイメージ処理に長けた部位であるために情報処理に時間がかかり、結果的に読字障害が生じる。その一方で右脳の能力が通常以上に組織化され、特殊な能力が生まれる場合があるという。さまざまな歴史的証拠からエジソン、ダ・ビンチ、アインシュタインはそのような読字障害者だったことが証明されているそうだ。著者は第9章の結論にこう書いている。
「読字について考えてみれば、脳が新しいスキルを学習し、その知能を高めていく様が浮き彫りになってくる。読字は古くからある構造物間の回路と接続を再編成する。脳領域に専門の機能、とりわけパターン認識機能を割り当てるという脳の能力をフルに活用する。新しい回路が自動化して、読字よりももっと複雑な思考プロセスに割ける皮質の時間とスペースを増やす様子を例証する。言い換えるなら、読字は、脳の編成のもっとも基本的な設計原理が、いかにして絶えず進化を続ける私たちの認知プロセスを支え、構築していくかを教えてくれるのだ。脳の設計は読字を可能にした。そして、読字のための設計は、脳をさまざまに決定的な形で変化させ、今なお変化させている。」
近年のインターネットが提供する情報が、その即時性と表層性によって読字本来の情報に関する深いレベルでの批判的検証を妨げているのではないか。つまり書字(エクリチュール)に対するソクラテス的批判が適用されるような状況を再び生み出しているのではないかというのが著者の警鐘である。たまたまNHKの日曜特集で鬱病の問題をとり挙げていた。鬱病の原因は脳の奥にある扁桃体の異常賦活にあるらしい。扁桃体の腑活を抑えるために左脳に強力な電磁波を加えたり、電極を差し込んだりする治療が紹介されていた。心理的要因を構造的に修復しようとしている訳で、何となく原因レベルの取り違えのような気がするがどうなのだろうか。


2012年02月11日(土)

7時半起床。9時出社。今日は建国の日で休日。石山修武さんが「世田谷村日記」に一昨日(2/9)のXゼミミーティングの顛末を寸劇仕立てで書いている。僕が青山に住んでいることと、久しぶりにジャケットを着ていたことをかけて「洋服の青山」ならぬ「青山の吊しスーツのカズならぬ難波の和彦」と呼ばれているのに思わずノケゾル。「常盤台のワシ」とか「芝屋」と呼ばれた鈴木博之さんからXゼミ原稿「鈴木博之第14信」が届いたので直ちにアップ。石山さんが書いている磯崎新との出会いのエピソードを別の角度から書いた貴重な歴史証言である。槇文彦さんは安藤、伊東、毛綱、石山、石井といった建築家たちを「野武士の世代」と名づけた。彼らは僕と2,3歳しか違わないが、僕の知らないところで複雑な交流があったようだ。10時過ぎに事務所を出て地下鉄を乗り継いで都営大江戸線の赤羽橋駅で下車。歩いて5分で中村勉さんが設計した「港区みなと保健所」の見学会へ。安田幸一さんや青島裕之さんの顔が見える。久しぶりに中村夫人とも会う。11時から見学開始。8階のホールで説明会。複雑な機能とサステイナブルな技術をコンパクトに詰め込んだヘビーデューティーなビルである。コンセプトは「複雑な全体difficult whole」というところだろうか。中央の8階吹抜けのソーラーチムニーにかなりのエネルギーが注がれているようだが、僕の眼にはやや過剰なデザインに見える。浅草寺脇の二天門消防支署を設計した経験から言えば、都心のこの種の公共施設は重装備の戦闘機のようにならざるを得ないので、徹底してシステムで押し通した方がデザインにキレが出るのではないかと思う。後が見えたので終了前に現場を発ち12時過ぎに事務所に戻る。午後は文献渉猟と読書。5時前芳賀沼さんが来所。ログハウスの仕様書と郡山の復興住宅モデル集落の敷地図を届けてくれる。仕様書の見直しと敷地割について意見交換。6時終了。妻と青山の居酒屋で夕食。9時帰宅。

『atプラス11』の柄谷行人「〈世界史の構造〉のなかの中国」と大塚英志+與那覇潤の対談「中国化する日本/近代化できない日本」を読む。どちらも中国史の見直しで、今までにない新しい視点に少々戸惑ったが北京行の予備知識としよう。


2012年02月10日(金)

7時起床。8時半出社。やや曇り気味。芳賀沼さんから電話。福島復興住宅計画の経過報告。プロポーザルコンペの当選者も一枚岩ではないようだ。まだまだ先は見えない。11時、INAX REPORT編集部の森戸野木さんと本領千織さん、写真家の相原功さんが来所。ヒヤシンスの鉢をいただいたので中庭に面した机の上に置く。森戸さんと相原さんは2004年の『佐々木睦朗特集』以来である。今回は「箱の家140」の取材である。図面を見ながら設計のコンセプトを説明する。撮影は2月末から3月初めと決まる。午後はテキストスケッチ続行。3時半コンペ打合せ。プログラムを巡ってまだまだ迷走が続く。模型のアルバイトの手配がついたので、来週末までには方針を固めねばならない。その後、「143高田邸」「144K書店」の打ち合わせ。模型制作の見通しが立ったので来週中にプレゼンテーションすることとし、クライアントにメールを送る。北京に出張中の無印良品の土谷貞雄さんから、北京で開催するHOUSE VISION住宅シンポジウムの開催要領が届く。現在もシンポジウムのコーディネーションのために駆け回っているらしい。急いでプレゼンテーションのレジメやプロフィルなどの原稿を作成。僕の担当は戦後モダニズム住宅から「箱の家」までの概略史である。夜までにまとめてシンポジウムを企画している日本デザインセンターへ送信。9時半帰宅。

『atプラス11』2012年2月号が届いたので、巻頭対談の中沢新一+國分功一郎「グリーンアクティブと新たなエコロジー運動」を読む。福島原発事故以降に中沢新一が始めたエコロジー運動「グリーンアクティブ」に関する理論的な討論である。ハイデガーの技術論やバタイユの蕩尽論・贈与論を引用しながら原子力発電の不合理性について論じているのだが、目新しい思想によって現実を再解釈しているだけのような気がする。「暇と退屈」によって考える時間を持てという結論は、反語的であったとしても、あまりにも安易というしかない。


2012年02月09日(木)

7時起床。8時半出社。久しぶりにカラッとした快晴。芳賀沼さんから電話が入り、復興住宅プロジェクトと並行してログ構造の既存の仕様を見直すことについての相談。20年前にまとめられたログ構造の構造・防火認定を再検証し「KAMAISHIの箱」のような縦型のログ構造の構造と防火の認定も加えたいという提案である。林野庁やログハウス協会のバックアップを受けることもできるようだ。ミサワホームへの取材の際に住宅用の防火サッシ問題で建築センターの防火試験が立て込んでいるという話を聞いたので、早急に申請書類の叩き台をまとめるべきだと提案。詳細に検討すると「KAMAISHIの箱」には構造システム、防火性能、断熱性能、気密性能など多数の興味深い課題が潜んでいる。12時前事務所を出て京王線の南大沢へ1時前着。駅前で簡単に昼食を済ませた後、首都大学東京の国際交流館へ。1時半から青木茂さんの「リファイン建築塾」の発表会。深尾精一さんやUR都市機構の人たちの顔も見える。社会人大学の設計製図課題として烏山にある築50年以上の都営団地のリノベーションを取り挙げている。最初の数人の発表は大学生レベルなので席を立とうかと思ったが、後半になって徐々にリアリティのある提案が出てくる。最後にメジロスタジオの古澤大輔さんが進行中の実施案の詳細を紹介。リファイン建築が建築の統合的なジャンルであることを実証するようなプレゼンテーションで大いに参考になった。質疑応答を受けて3時過ぎ終了。青木さんと大分県立美術館コンペの経緯について意見交換。4時半に事務所に戻る。「143高田邸」の工事について我孫子の工務店に相談。スケジュールと工事請負の可能性を確認し、その結果を高田さんに報告。6時前に事務所を出て新大久保駅前の近江屋へ。6時半から鈴木、石山両氏とXゼミ月例ミーティング。磯崎論の今後の展開について意見交換。7時前に店を出てタクシーで西池袋のボワアンクールへ向う。赤ワインを飲みながら四方山話。久しぶりに無駄話が炸裂する。9時半解散。石山さんを南新宿まで送り10時前に事務所に戻る。放送大学の追加取材に対しても承諾のメールが届く。ロケ内容の詳細な検討をいそがねばならない。10時過ぎ帰宅。

『プルーストとイカ』は第2部第6章「熟達した読み手の脳」を終えて、第3部「脳が読み方を学習できない場合」へ進む。第6章の子供の読字能力の発達における脳のネットワークの進化プロセスがきわめて興味深い。読字学習の初期段階では、脳の広い領域が総動員されるが、読字能力が発達し自動化(無意識化)されるにつれて、局部の腑活だけで済むようになる。それは読字機能のための脳のネットワークが局部的に複雑化し、そこだけで情報処理できるようになるからである。つまり「無意識化」とはニューロンネットワークの高密度化と固定化による、腑活の自動化なのである。その際に、脳の辺縁系とのネットワークが、読字への集中力を制御するという点が興味深い。辺縁系の機能は、情動や価値判断を司ることだからである。読み取る内容の「価値」を認めることによって「集中力」を生み出すのは、脳の読字領域と辺縁系とのネットワークである。読字能力が自動化されることによって、初めて前頭葉によるコンテクストの解釈が作動し始める。このように読字能力は生得的な能力ではなく、脳の機能の学習的なネットワークなのである。したがって読字学習がうまく行かない人びとが生じる場合がある。それが読字障害(ディスレクシア)である。


2012年02月08日(水)

7時起床。8時半出社。曇りでそれほど寒くない。大分県庁から大分県立美術館コンペに関する経過報告のメールが届く。坂茂さんによる基本計画がまとまったようだ。添付された図面を見るとコンペ時には分棟になっていた管理部門が展示部門と一体になり全体がコンパクトにまとめられている。広大でやや散漫だった展示空間の構成は、機能的に整理され構造システムも明解になって、ますますリアリティが出てきた。これからの展開が楽しみである。ところで最終審査に残った5人の建築家からコンペ事務局に審査プロセスに関する質問状が届いたそうだ。最終プレゼンテーションを直接の応募者ではない坂さんが行ったことに対する抗議である。最終審査の前に県のコンペ事務局から発表者について意見を聞かれた時、僕は実質的な設計者の説明を聞きたいので、発表者の枠を3人の出席者全員に拡げるべきだと主張した。実は最終審査に残ったもう1案も応募者と実質的なデザイナーが違っていたからである。しかし最終審査に出席してみると既にプレゼンテーションは応募建築家一人に限ると決まっていた。どういう経緯でそうなったのか僕には知らされなかった。恐らく手続の形式を優先したのだろう。プレゼンテーション後の最終審査会で僕はその点に懸念を表明したが、とくに問題にはならなかった。今回の事件はコンペ事務局の形式主義が裏目に出た自縄自縛の結果というしかない。抗議する建築家の社会的使命感と不満な気持ちは理解できるし、僕を含めて審査委員会は判断の甘さを大いに反省すべきだが、これは結果を左右するほどの問題ではないように思う。そもそも今回のコンペでは、審査委員会は通常よりもかなり応募条件を緩め、できるだけ形式主義を避けようと努めた。そのことは応募者にも理解してもらえたはずである。なのであまり形式主義に拘るのはいかがなものかと思う。要するに坂さんの案は突出していたから選ばれたのである。その点は公開審査会に出席した聴衆も十分に納得していたようだし、5人の建築家にも承認してもらえるだろう。コンペ事務局は手続上の錯誤について陳謝した上で、結果の了解を求めてはどうだろうか。互に形式主義で議論していたのでは、いつまでたっても水掛け論になるだけである。私見では、結果を抜きにして手続だけを問題にするのは建築家という職能に馴染まないように思うが、いかがだろうか。日本建築士会連合会の会誌『建築士』2月号が届く。巻末に第40回会員作品展の募集要項が掲載されている。締切まで残すところ10日である。今日一日は文献を調べながらLATs第7回と放送大学第5章のスケッチを膨らませていく。どちらも今までよりスムースに進み全体像が見えてきた。こういう時に限って書き始めるとあらぬ方向へ進むことが多い。方向の修正の具体的な方法は実際に書きはじめてみないと分からない。ともかく今週末までには見通しをつけよう。夜は「K書店」とコンペの打合せ。コンペはそろそろ模型のアルバイトを探す段階に来たので各方面に打診メールを送る。9時半過ぎ帰宅。

ベッドの中で『奇跡』(是枝裕和:監督 2011)のDVDを観る。九州新幹線の全線開通を機会につくられた映画のようだ。主人公の小中学生の精神的な成長を優しく描いた佳作である。『プルーストとイカ』の第5章「子供の読み方の発達史」では、読字を学び始める幼稚園児の成長が感動的に描かれているが、この映画では、さらにその後の小中学生の子供が、些細な日常的事件を契機にして社会的な自覚を持ち始める経緯が精細に描かれている。子供たちの成長とは対照的に、大人の世界はすべて衰退と解体の現象として描かれているのが気になる。大人の1人としては何とかそれに抵抗して生きたいものだ。それにしても鹿児島駅前の壮大な階段は印象である。


2012年02月07日(火)

7時起床。8時半出社。暖かい小雨。今度は花巻がダウンした。妻と相談し大急ぎでインフルエンザ・ワクチンの接種を予約。10時半に青山の診療所に行き接種を受ける。やや遅きに失した感もあるが思いついたら即実行である。昨日送信した放送大学のロケ依頼先から承認の返信が届く。これでロケ先はほぼすべて確定した。思いついて2件の取材先を追加し依頼メールを送信。午後2時過ぎ芳賀沼さんと滑田さんが来所。何人かの建築家が協力して郡山の160坪の敷地に復興住宅のモデル集落を建設するというプロジェクトについて打ち合わせ。既に敷地は確定しているので敷地割や建築家の選定などについて意見交換。まずははりゅうウッドスタジオでプログラムの叩き台を作成することになった。3時半終了。引き続き、放送大学テキストの第4章『街の風景』とLATs第7回J.J.ギブソンの『生態学的視覚論』のスケッチを並行して進める。あれこれ文献を探すが『街の風景』の文献は少ない。それだけ切実なテーマではないということかも知れない。インターネットで景観法を検索してみるが、まったくピンと来ない法律である。逆にギブソンの方は文献が多過ぎる。合間に第3章の図版を整理し編集部に送信。夕方、広瀬謙二さん逝去の知らせが届く。89歳だそうだ。鎌倉のお寺で9日に通夜、10日に告別式だそうが行けそうにないので生花を送る。ここの所、モダニズムの巨匠が次々に亡くなっている。本格的な世代交替なのかも知れない。『現代日本建築家全集17』(三一書房 1972)は池辺陽と広瀬謙二の組み合わせだったし、当時の武蔵工大の広瀬研究室からは何人かの学生が池辺研究室に在籍していた。建築の工業生産化というテーマを共有していたからである。しかし池辺に比べると広瀬さんの方が美学的な傾向が強かった。池辺思想の傘下にいたせいで僕にはそれが広瀬さんの弱点に見えた。広瀬さんの晩年の重源論や古代建築の復元の仕事には、その弱点が噴出しているように思える。2005年12月に東大の「技術と歴史研究会」の最終回の講演をお願いしたが、その時には既に車椅子での講演だった。僕は丁度入院していたのでお会いできなかった。その前に講演のお願いのため鎌倉の自邸に伺ったのが最後であった。冥福をお祈りしたい。夜もあれこれ作業を続ける。10時前帰宅。『プルーストとイカ』は第4章で滞っている。早く切り上げたい。夜半就寝。


2012年02月06日(月)

7時半起床。9時出社。直ちに事務所を出て地下鉄、渋谷経由、井の頭線で高井戸駅に9時40分過ぎ着。小雨が降り始める中歩いて10分でミサワホーム本社へ。放送大学のロケハンである。受付で商品開発部の白浜一志さんと石塚禎幸さんと待ち合わせ。まず地下の展示室で南極基地の住居ユニットから始まる展示を見る。木枠に構造用合板を貼付けた壁、床、屋根の構造パネルを組み合わせたミサワ独自の構法を検証。パネルの中に制振装置を組み込んだ壁パネルも開発されている。部品開発も行っている点に興味を持った。引き続き4階に上がりミサワホームの社史や建築部品の説明を受ける。会社設立は1967年で本格的な住宅生産を開始するのは1970年代になってからである。意外に遅い印象だが、最大の人口を持つ戦後生まれの僕たち団塊世代が家を持ち始める時期と完全に一致していることに不思議な感慨を憶える。1階と2階の間に倉庫を組み込んだロングセラーのGenius倉シリーズが出るのは20年以上前である。中間層に天井高1.4m以下の倉を差し込むデザインはさまざまなヴァリエーションに展開している。その後、裏庭に出て昨年新築したCO2マイナス住宅「ECO Flagship Model」を見学。いつもながら加算指向では文句のつけようのない至れり尽くせりのヘヴィーデューティー住宅である。12時前に見学終了。仮設住宅への取組について簡単なインタビューを行った後、取材の内容と方法については改めて検討し連絡することを約して12時にお暇する。1時過ぎ事務所に戻る。午後はテキストと図版の準備。夕方までに第3章の図版をまとめて編集部に送信。引き続き第4章のテキストの最後に集中し送信。夜は残った取材先への取材依頼の確認。大手ディベロッパーについては日本デザイン振興会に問い合わせ、東急不動産の二子玉川のマンションの取材を依頼することに決め打診メールを送る。花巻が風邪気味で早退。妻も咳が出始めている。要注意である。10時前帰宅。熱い風呂に入り早々に就寝。


2012年02月05日(日)

7時半起床。9時出社。石山修武さんに電話しXゼミ月例ミーティングの確認。芳賀沼さんから電話。火曜日に復興住宅の打合せを持つことを約束する。県が動き始める前に実働を開始する件について。午前中は資料散読。午後はテキスト続行。のろのろと書き続けて夕方までにようやく20枚まで達する。その間、高田さんと「143高田邸」第2案についてメールでやり取り。難波研OB佐藤隆志くんの推薦状作成。ハンガリーから来日中の難波研OB Matyas Gutaiくんと食事会の打合せ。6時過ぎに事務所を出て赤坂へ。TBS前で妻と待ち合わせ一緒に夕食。9時前帰宅。日本酒をしたたかに飲んだのでそのまま寝込んだら胃痛で夜中に目が醒める。ベッドの中でしばらく『プルーストとイカ』を読む。第2部は児童の読字・書字学習についての議論。言語の学習能力の脳科学による検証によれば、脳の潜在的な能力を言語学習のためにネットワークするプロセスは、生得的とも学習的ともいえる脳のリサイクリングである。なにしろ英語、中国語、日本語によって活動する脳の部位が異なるのだ。したがってチョムスキーが提唱した言語の「深層構造」仮説は少々怪しいことになる。ではレヴィ=ストロースの「構造」はどうだろうか。脳の生理的根拠を持つのだろうか。1時半過ぎ再び就寝。


2012年02月04日(土)

7時起床。8時半出社。10時、スタッフに昨日の「福島復興住宅プロポーザル」の報告。引き続き、リノベーションコンペ打合せ。構造体、平面、スキンに優先順位を設けず、それぞれが固有のシステムを持ち、フラットに共存しているような表現をめざすように指示。「143高田邸」第2案の打ち合わせ。予算から逆算して延べ床面積を5坪縮めるように指示。「144K書店」の打合せ。極小の建築なので開口のデザインがポイントであることを確認。午後はテキスト原稿続行。あと一息で4章がまとまりそうだ。夕方までに「143高田邸」第2案がまとまったのでコメントを添えて高田夫妻に送信。ハウスメーカーや建材メーカーとメール上で放送大学取材の打合せ。5時、事務所内掃除。6時解散。夜は読書とテキスト。鈴木博之さんと石山修武さんにXゼミ2月例会の呼びかけ。来週半ばにミーティングを持つことになった。

『プルーストとイカ』は第1部「脳はどのようにして読み方を学んだか」を終えて、第2部「脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか」に進む。第1部の第3章「アルファベットの誕生とソクラテスの主張」が興味深い。ソクラテスは徹底して口承にこだわり、書き言葉を否定した。書き言葉は柔軟性に欠け、記憶を破壊し、知識の検証を鈍らせるという理由からである。書き言葉(エクリチュール)よりも音声言語を優先する伝統が生まれたのはこの時点である。とはいえソクラテスの書き言葉批判が書き言葉によって伝えられていることは歴史の皮肉かもしれない。音声言語優先主義の伝統に対してジャック・デリダが『グラマトロジーについて』で反旗を翻したことはよく知られている。しかし書き言葉は日常生活にあまりにも浸透しているので、僕たちにはソクラテスの書き言葉批判の方が、むしろ新鮮に感じられる。「喋られたこと」に比べると「書かれたこと」は、書かれているという事実だけで、それに対する批判力を失わせる力を持っているからである。それは日常的にもよく経験することだが、なかでも新旧約聖書は「書かれたもの」の代表的存在であることは言うまでもないだろう。


2012年02月03日(金)

7時起床。8時半出社。快晴。雑用を済ませた後9時半に事務所を出て東京駅へ。10時過ぎの新幹線で福島へ。宇都宮を過ぎたあたりから雲が増え郡山ではすっかり雪になった。11時45分福島着。今日は「ふくしまの家復興住宅供給システムプロポ−ザル」の第2次審査である。改札口ではりゅうウッドスタジオの滑田さんと待ち合わせ構内のうどん屋で昼食。間もなく芳賀沼さんと浦部さんが到着し県庁近くの杉妻会舘へ移動。ロビーで待機しているとナスカの八木佐千子さんがやってくる。仙台から山形への移動途中に立ち寄ってくれたようだ。朝9時からヒアリングが続いている。2次審査には19社が残っているそうだ。僕たちのチームは16番目で13時45分開始。定刻より少し早めに会場に入る。傍聴者は100人程度。審査委員は三井所清典委員長以下5人。芳賀沼さんが約3分間話し、浦部さんと僕が各1分ずつコメントする。その後の質疑応答は5分の予定が9分近くまで延びる。県がプロポーザルの要項で求めているのは、復興住宅を実現する建設体制と住宅のプランなので、僕たち以外のチームは1案に絞って提案している。しかし僕たちは、木材供給と工務店をネットワークする建設体制だけでなく、コストダウンのためのコンストラクションマネージメントのシステムと、複数の復興住宅の平面や構法のヴァリエーション、さらにはそれらを組み合わせた街づくりの提案まで行った。そこまで提案しないと単なる戸建住宅の提案に止まり、ハウスメーカーと何ら変わりがないと考えたからである。応募要項を大きくはみ出す提案をした訳だが、幸い審査委員も僕たちの意図を理解してくれたようだ。ヒアリングは3時前に終了。3時過ぎから公開審査。最初の投票で僕たちの提案は早々とトップ当選。それを見届けてから僕は会場を出てロビーでしばらく休憩。この間に八木さんは山形へ向う。4時過ぎに再投票が行われ全8チームが決まった。4時半から最終審査に残った8チームと県とで今後の進め方についてのミーティング。芳賀沼さんが県に対していくつかの提案を行う。要するにこのプロポーザルを住宅単体の提案に終わらせず街づくりにまで拡大すべきであるという提案である。これに対して県も前向きに検討するという回答。6時半終了。その後、駅近くの居酒屋で祝杯。8時半解散。9時前の新幹線に乗り10時半過ぎ東京着。11時過ぎに事務所に戻る。栃内がまだ仕事をしている。荷物を置きメールをチェックした後帰宅。赤ワインを飲みながらしばらく妻に今日一日の経過報告。夜半過ぎ就寝。


2012年02月02日(木)

7時半起床。少々寝不足。9時前出社。今日も快晴。ようやくインフルエンザが完治した栃内が出社してくる。まずはパリで開催される震災展のパネルレイアウトの仕上げを頼む。昨日メールを送ったKさんから返信メールが届く。「KAMAISHIの箱」の仕様には拘らないとのことなので最初からスケッチを再開する。可能な限り単純な「箱」のコンセプトで進める。角地を生かした庇下の空間をどこまで広く確保するかがテ−マである。古書店なので本棚の問題もありそうだ。放送大学のテキスト続行。ようやく第4章の半分まで進む。いつものことだが書いているうちにどんどん予想しない方向へと進んでいく。多分、文章量が増えるにつれて、どこまで書けるかが見えてくるので、無意識にフィードバックが生じるからだろう。何となくそれが分かったので今度は原稿の延長上で全体のスケッチを書いてみる。午後、栃内と「143高田邸」の第2案打合せ。僕がまとめたスケッチを渡し基本図をまとめるように指示。新機軸の可能性についても検討するように頼む。ミサワホームと積水ハウスから放送大学の取材承諾のメールが届く。LIXILやプレカット工場の篠原商店も取材を受けてくれそうだ。まずは来週早々に高井戸のミサワホームにロケハンに行くことになった。取材先をもっと拡げたいがこの辺りが限界かもしれない。夜は「141小澤邸」の現場から帰社した花巻とK書店の打合せ。9時半帰宅。深夜、芳賀沼さんからメールが届く。明日のヒアリングの内容に関する事前報告。審査委員の立場を想像するに、ヒアリング前に選定結果はほぼ決まっているような気がするのだが。ナスカの八木佐千子さんからのメールを転送してくれた。彼女も僕たちのチームに加わってくれるそうだ。『プルーストとイカ』を読みながら夜半就寝。


2012年02月01日(水)

7時起床。8時半出社。快晴で少し風があるようだ。雑用を済ませた後、9時半に事務所を出て地下鉄銀座線で京橋下車。歩いて東京駅八重洲口へ。高速バスの待合室で往復の切符を購入し10時20分発の茨城県岩井行高速バスに乗車。車内はガラガラ。新守谷インターチェンジで常磐高速道を降り御所ケ丘停留所で下車。10時10分に高田夫人と待ち合わせ。歩いて5分で高田邸敷地に到着。快晴で風もない。敷地は周囲を建売住宅に囲まれた広大な畑の中の北西隅の一画。面積はやや南北に長い約180m2(55坪)。西隣に1軒新しい住宅が建っているだけで、他は貸農園として使われているが、いずれ宅地化されるのは時間の問題だろう。iPhoneで方位を確認すると完璧に南北方向の敷地。続いてライフラインをチェック。前面道路に上下水道ガスが通っているが下水と雨水は分離排水のようだ。敷地は畑だったので当然引込み配管はない。敷地の北東隅は隅切りがなされて電柱が立っている。幹線道路から一歩入った場所なので静かな環境である。おおむね予想通りの敷地である。その後、近くのスーパーの喫茶店に移動し図面を見ながら夫人の要望を聞く。箱型の一室空間を求めているクライアントなので細かな要望だけである。1時前に店を出てバス停へ。しばらく立話をしながらバスを待つ。1時20分の高速バスに乗車。往は東京駅から直通だったが、復は渋滞に巻き込まれ、おまけに浅草や上野に立ち寄ったため東京駅まで80分近くかかる。3時半に事務所に戻る。昨年1月末に亡くなった同級生の花田勝敬くんを偲ぶ冊子が久恵夫人から届いている。花田くんのスケッチと友人たちの想い出の文章をまとめた冊子で、大学時代の同級生以外に菊竹清訓事務所時代の同僚だった遠藤勝勧や内藤廣、花田くんの代表作「欅ハウス」をコーディネートした甲斐徹郎といった人たちが寄稿している。遠藤さんは「引き算の建築」と題して花田くんが銀座のTOTOパヴィリオンを担当した頃の想い出を書いている。僕もオープンハウスに出かけたことを想い出す。菊竹事務所時代に花田くんのチームで働いた想い出を淡々と綴った内藤さんの「温かな諦念の人」は花田くんの人間性を通して自分のことを書いているようだ。花田くんが日大生産工学部の建築学科で20年間も非常勤講師を勤めていたことも浅野平八さんの文章から初めて知った。僕は「欅ハウス」に関するコメント「サステイナブル・デザインの同志として」と大学生時代の設計製図課題の想い出「建築家の予感---形へのこだわり」の二つの文章を寄稿した。直接会って話したことはほとんどなかったが彼の仕事は距離を置きながらいつも共感を持って見ていた。さまざまな想念に浸りながら夜までかかって全部を読み通す。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんと滑田さんから「KAMAISHIの箱」の防火性に関するコメントが届く。やはり準防火地域内での使用は難しそうだ。その旨をまとめてKさんにメールを送る。「143高田邸」の修正図面をスケッチ。「箱の家001」に近い案になりそうだ。何か新機軸を考えねばならない。10時前帰宅。なかなか寝付かれないので2時に起床。焼酎のロックを煽った後3時過ぎに再び就寝。


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