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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2011年10月31日(月)

7時起床。いつになくぐっすりと眠れたので疲れは取れたようだ。8時半出社。少し涼しい。午前中は花巻がまとめた『家の理』をチェックバック。「コンパクト箱の家」や「KAMAISHIの箱」を加えることによって大幅に密度が上がってきた。午後からLATs原稿に集中。書き溜めてきたスケッチ原稿をつなげながら全体を再構成する。「日本的なもの」を表現(内容)と態度(形式)に分け、磯崎の作業を両者の関係をディコンストラクトする試みとして捉える。無意識を意識化する精神分析的な治癒の試みという仮説も加える。夕方までに約20枚をまとめて『10+1』ウェブマガジン編集部に送信。夜は建築学会ZEB(Zero Energy Building)シンポジウムのためのスライド編集。おそらく短い時間なのでコンパクトに説明しなければならない。9時過ぎ、再度花巻と『家の理』の打ち合わせ。10時前帰宅。Amazonから届いた『「世界史の構造」を読む』(柄谷行人:著 インスクリプト 2011)を読み始める。『世界史の構造』以降、柄谷は明らかに変わった。語りかける相手が一回り大きくなったようだ。どことなく伊東豊雄の転回と似ているような気がする。そういえば二人はまったく同世代である。


2011年10月30日(日)

6時起床。昨夜は北京ダックが胃に凭れてなかなか眠れなかった。大急ぎで荷物を整理し6時半にチェックアウト。ロビーで待機していたMengfeiくんと待ち合わせタクシーで空港へ。北京市内を抜けると濃い霧で視界が徐々に悪くなり空港近くではほとんど何も見えなくなる。7時半に何とか空港に辿り着き中国国際航空の成田行便にチェックイン。少し時間があるのでカフェで朝食。8時にMengfeiくんと別れて出発ゲートへ向う。急いで歩いていたら再び靴の踵が外れた。成田空港で出発時に外れ北京空港で再び外れるとは出来過ぎている。ゲートの途中で中国元を日本円に換金。成田空港では1元13円強だったが、ここでは11円強。1割以上の違いがある。日が出ても霧は晴れず空港全体を閉鎖するという館内放送が何度も流れる。当然、定刻の8時半を過ぎてもゲートは開かない。やむなくベンチで横になり仮眠。4時間以上も待って1時過ぎにようやくゲートが開き1時半過ぎに出発。機内は6割の客。僕の傍には誰も座っていない。発着便で滑走路が混雑しているため、さらに30分以上滑走路で待機。機内では手元照明が壊れているため本も読めず、やむなくパソコンで原稿スケッチ。結局、成田に着いたのは5時間遅れの5時過ぎ。入国手続は簡単に終わり6時15分発のリムジンに乗る。日曜日で高速は空いている。墨田川河口には屋形船が沢山浮かんでいた。北京に比べると東京の空気は断然澄んでいる。7時半に赤坂到着。タクシーで8時帰宅。家には誰もいない。妻はパリのポンピドーセンター前からメールで写真を送ってきた。猫に食事を与えた後、冷蔵庫にある食材で簡単な夕食。荷物を整理した後、ゆっくりと風呂に入り10時過ぎにベッドに入る。なかなか寝付かれないので『柄谷行人集』の「死とナショナリズム」を読みながら夜半就寝。


2011年10月29日(土)

6時起床。シャワーを浴びて7時に朝食。部屋に戻ってkeynote speechのシナリオをザッとチェックをし8時15分にロビーへ。ゲストスピーカ−5人と一緒に大学の送迎車で芸術学院のホールへ。アジアからのゲスト・スピーカーは僕だけだと聞いてびっくり。サスティナブルデザインに関して議論している人がアジアにはほとんどいないと言われたが、それは認識不足だろう。会場の演壇にパソコンを接続しスライドを調整。9時からkeynote speech開始。ホールは400人の定員に8割の観衆。「建築の4層構造」の背景と理論を詳細に説明してから「箱の家」をコンパクトに紹介し与えられた時間40分ピッタリで終了。その後、質疑応答。学生からは3.11以降の対応について質問が出たので、急遽「コンパクト箱の家」と「KAMAISHIの箱」を紹介する。スコットランドの大学から来たゲスト・スピーカーは4層構造の相互関係について質問したので、清華大学芸術学院へのかすかな皮肉を込めて、4層に分かれたアカデミックなジャンルを統合するのがデザイン教育ではないかと応える。最後に司会者が大規模な集合住宅に4層構造を適用する可能性について質問したので「箱の家」のヴァリエーションは集合住宅を想定して展開しているので中国でぜひ適用してみたいと応える。演壇から降りるとミラノ工科大学のEzio Manzini教授が「nice speech」と言って片目をつぶった。質問をしたグラスゴー・アートスクールのTim Sharpe教授が「Your BOXHOUSE is very interesting」と興奮しながら近づいて来て構法や仕様についてあれこれ訊かれたので『箱の家:エコハウスをめざして』に掲載した詳細図面を見せながら説明する。昼休みには複数のジャーナリズムや学生に質問されたが、建築ではなくプロダクトやランドスケープに関する会議なので技術に関する部門がなく、どれも的を外れた質問ばかりだった。芸術学院(Academy of Art and Design)には基本的にテクノロジーや構法に関する部門がなく建築意匠と工業デザインに特化しているようだ。僕に続いてアメリカとイタリアのゲスト・スピーカーがレクチャーしたが、2人とも研究者で実務に関係がない上に建築ともほとんど重なりがない。あまり面白くないので途中退席し劉教授の友人で東京芸大に留学経験のある漆専門の鄭Zheng教授の研究室を訪問する。鄭教授は日本の輪島塗が大好きだという。3人でしばらくお茶をいただきながら歓談した後、美術学院のホールに戻って簡単な昼食。午後に計画されているギャラリー・ツアーはパスし2時過ぎにホテルに戻る。メールチェックした後しばらく休憩。5時過ぎに難波研OBの崔軒Cui Xuanさんと喩凡石Yu Fanshiくんとロビーで待ち合わせ。喩くんは現在、北京市建築設計研究院で働いておりJean Nouvelと恊働でオリンピック公園内の巨大な美術館コンペの第2次案を設計中だそうだ。しばらく歓談した後タクシーで北京南東の古い劇場へ。土曜日の夕方なので道路は車でごった返し、車の排気ガスで酷く空気が悪い。7時半から9時前まで短縮版の京劇を観る。スピーディな歌舞伎とアクロバットの混合と言えばいいだろうか。ともかく観ていて楽しい1時間半だった。終了後、外に出ると相変わらず車でごった返している。タクシーで北京ダックのレストランに移動し遅い夕食。タクシーで喩くんを送り11時に崔さんとホテル前で別れる。別れ際に彼女が描いた僕の似顔絵の原画3枚をもらう。部屋に戻りシャワーを浴びた後、荷物を整理。夜半就寝。


2011年10月28日(金)

6時起床。外はまだ暗い。Googleメールをチェックするが相変わらず繋がらない。Google関係だけの接続が悪いようだ。シャワーを浴びた後7時半に朝食。8時過ぎに部屋に戻りkeynote speech用スライドの英文コメントをまとめる。その後、LATs原稿に取りかかるが集中できない。10時にロビーに降りる。Cui XuanさんとMengfeiくんと待ち合わせ。間もなく清華大の劉北光教授が到着。劉さんは東京芸大の大学院に留学し卒業後は鹿島建設のインテリアデザイン部で仕事をしたという。日本には11年間滞在したので日本語はペラペラ。劉さんの車でオリンピック公園へ。東西に長い石張りの広大な広場の南北に「鳥の巣」と「swimming pool」が対峙している。そのさらに北側に龍の頭を模した長いビルが控えている。李祖原さんがデザインした巨大な商業ビルである。オリンピック施設の内部には入らず駆け足で外観だけを見学。その後、劉さんのギャラリーへ移動。途中CCTVビルの傍を通る。ホテルが再建中で完成はまだ先だという。車の中からシルエットだけを見る。道路を挟んだ反対側に中国でもっとも高いビルがある。設計者を聞いたが不明。その先に一群の建外SOHOがあり人で溢れている。この辺りが北京の中心街だそうだ。劉さんが所有するギャラリーは古い家具と新しい絵画を並べた興味深い空間。朱迸という名の画家が描いた砂絵のような絵画である。約1時間滞在した後、劉夫人も加わり近くのレストランで中国の家庭料理をいただく。ギャラリーに戻りしばらく休んだ後、再び車で劉さんが行き付けの古物商街へ。古い家具、欄間、ドア、装飾などの店を見て回る。劉夫妻は古物がとても好きなようだが僕としては今一食指が沸かない。4時半に店を発ちホテルへ戻る。明日のスケジュールを確認し5時半に解散6時半に再びロビーに大学院生が集まり2階のレストランで夕食。食事中さまざまなことを聞かれたが、赤ワインのせいであまり憶えていない。10時半解散。明日のspeechの確認をして夜半就寝。


2011年10月27日(木)

7時起床。東京では8時である。直ちに2階のレストランに降りて朝食。大勢の宿泊客で一杯である。9時前に部屋に戻り雑用。9時過ぎにMengfeiくんが接着剤を持って来てくれたので靴の踵を接着。何とか普通に歩けるようになった。その後はしばらくレクチャーの準備。11時半にホテルのロビーで清華大の大学院生と待ち合わせ。フィンランドとアメリカからのkeynote speaker2人と待ち合わせ。しばらく建築の話をするが安藤忠雄もレム・コールハースも知らないという。北京空港を設計したノーマン・フォスターも知らないというので少々唖然とする。とはいえ僕も彼らをまったく知らないのでお互い様だが。どうも世界が少し異なるようだ。ノキアの話をしたら携帯電話のデザインに関係しているという。車で12時半、清華大のAcademy of Art&Design(美術学院)に到着。10年前に建てられた65,000m2という巨大な建築。この会議のChairmanであるZhou Haoming(周浩明)教授に挨拶。1階の巨大なホールでセルフサービスの昼食。その後ゲストルームに移動し清華大の副学長や何人かのゲストに挨拶。建築の話をするがほとんど通じない。1時半にホールに移動し開会式。壇上のメンバーとフィンランド大使が挨拶した所でだんだん様子が分かって来た。この会議を主導しているのは清華大学とフィンランドのAalto UniversityでどちらもSchool of Art&Designでengineering色はほとんどない。建築デザインよりもランドスケープや工業デザイン寄りある。工学的な僕のレクチャーが通じるかどうかだんだん不安になってきたが、学生達と話すと世界の建築状況に詳しいようなので一安心。開会式は2時半に終了。その後、直ちに最初のkeynote speechへ。Zheng Shuyang教授による「Chinese Strategy on the Education for Sustainbility」。スライド画面は活字だけ。中味はありきたりの教育論で少々辟易とする。最前列のゲスト達も少々ウンザリとしている。僕の隣に座ったミラの工科大学工業デザイン学科のEzio Manzini教授は何度も足を組み変えながら僕の顔を見て「何だこれは」という顔をしている。3時過ぎに終了したところで直ちに退席。同じ建物内にあるCuixuanさんの先生Zhicheng Lu(陸志成)教授の研究室へ移動。陸先生はこの学部で最年長の57歳。東京芸大に留学し卒業後はしばらく大林組で働いた後に清華大の先生になったという。日本には8年間滞在したので流暢な日本語を話される。六角正廣さんと懇意で沢山の仕事を恊働している。中国での最近の仕事をスライドで見せてもらう。どれも巨大で曲面を多用したデザイン。基本設計だけを担当し実施設計は清華大学設計院に任せるのだという。典型的なアメリカ型の建築家である。日本での設計経験があるので、このような設計体制に少々不満のようだが仕事には事欠かないので幸せだという。最近はモンゴルなど中国奥地での仕事が多いそうだ。砂漠の中にまったく新しい都市を建設するような仕事が多いのにはびっくりする。5時半過ぎに大学を出て正門脇の中華飯店へ。研究室のスタッフと一緒に会食。紹興酒を飲むのは陸先生と僕だけ。日本語、中国語、英語が飛び交い建築論議で盛り上がる。7時半過ぎに正門前で解散。歩いてホテルへ戻る。ロビーで明日のスケジュールを確認。会議への出席は止めて建築見学に行くことにする。明後日の僕のスピーチについても戦略を練り直さねばならない。8時半に部屋に戻りゆっくりと入浴。たまたま点けたTVでモハメッド・アリのボクシング人生のドキュメンタリーを放映していたので見入る。試合のシーンに彼と闘ったボクサー達のインタビューを挟んだ番組でなかなか見物だった。晩年のアリがパンチ・ドランカーで認知症になったことは知っていたが、亡くなったのだろうか。10時半終了。その後、あれこれ雑用をこなし夜半就寝。


2011年10月26日(水)

7時半起床。8時半出社。昨日の夕方、妻からパリのドゴールに着いたというメールが、今朝明け方にヴェネツィアのホテルで休んでいるというメールが届く。まずはアカデミア美術館へ行くとのこと。10時『新建築住宅特集』の編集長。中村光恵さん来所。「箱の家134:久保邸」と「箱の家140:北山邸」の掲載写真に関する打ち合せ。3.11以降の建築家の取り組みについて意見交換。「コンパクト箱の家」「KAMAISHIの箱」「仮設住宅」などについて報告。ドキュメント方式で僕たちの活動に関する原稿を書く方針で承認を受ける。中村さんは編集長になって3年目だというがもっと長くやっている感じがする。それくらい編集長役が板について来た。何よりも顔付が変わった。編集長に成り立ての頃は、あれこれ話題が飛び散り正直言って大丈夫かなと感じた。失礼だとは思ったがその旨を率直にお話しした。今が一番脂の乗り乗った時期だと思う。少人数での取材と編集作業は大変だとは思うが、頑張ってもらいたい。写真は今日中に選び、原稿は連休前までにまとめることを約して11時半終了。12時、帰宅し荷物を降ろす。1時半、花巻と『家の理』の打ち合せ。今週中に最終案をまとめることとする。引き続き「142小澤邸」の詳細打ち合せ。工事は地盤改良が終わり基礎配筋に着手した段階。2時半に事務所を出てタクシーで赤坂へ。3時のリムジンバスに乗車。高速が空いていたので4時過ぎに成田空港第1ターミナル着。4時半中華国際航空北京行きにチェックイン。早々に出国手続を済ませてゲートへ。待ち合いのベンチで『ネーションと美学』(柄谷行人集-4 岩波書店 2004)を再読しながらLATs原稿のスケッチ。少しずつ光明が見えて来た。6時半CA168便に乗ろうとした所で飛行機とフィンガーの接続部に右足の靴が引っかかり踵が剥がれてしまう。キャビンアテンダントに接着剤がないか訪ねたが駄目。諦めて外れた踵を鞄にしまう。機内ではひたすら『ネーションと美学』を読む。「美学の効用---『オリエンタリズム』以後」は何度も読み返した論文だが、いくつも新たな発見があった。今から振り返ると半分も読めていなかったことが分かる。10時前、定刻通りに北京空港着。巨大な空港である。夜遅いので空港内は閑散としている。入国手続。荷物受け取りはスムースに進み10時半にロビーに出ると清華大のCuixuanさんとMengfeiくんが出迎えてくれる。タクシーで清華大近くのホテルへ11時過ぎ着。チェックインを済ませた後ロビーのバーでウィスキーを飲みながら明日からのスケジュール打ち合せ。会議中はMengfeiくんがずっと僕に付いてくれるそうだ。靴の踵を直す接着剤を頼んで12時に別れ部屋に入る。シャワーを浴びメールチェック。インターネット環境はあまり良くない。12時半就寝。


2011年10月25日(火)

6時起床。大急ぎで朝食を摂り7時前に出社。妻も7時半に家を出るので一度帰宅し7時に家を出る。7時半東京着。改札で予約しておいた切符を受け取り8時前の東北新幹線に乗車。車内では『自己組織化の経済学』を読み続けるが、今一食指が湧かない。その後はLATs原稿スケッチ。磯崎の「日本的なるものと」柄谷の「日本精神分析」の議論との交差を試みる。11時前新花巻着。小雨気味で肌寒い。釜石線に2時間余乗り午後1時過ぎに釜石着。歩いて鈴子公園の「KAMAISHIの箱」現場へ。大工が階段の工事中である。コロネードの庇が付き、サッシとガラス、内外のテント張りも終わって外観はほぼでき上がっている。岩間さんに足湯の補助の検査に訪れていた総務省の役人に紹介されたので、建物について簡単に説明する。間もなく芳賀沼さんと学生が到着。今朝、外部足場がとれたのだという。皆やや興奮気味のようだ。自分で言うのも変だが格調のある佇まいである。天気の様子で『新建築』の撮影は明日に延期となったらしい。その後、内外を詳細に検査。まだ細かな工事が残っている。内外ともに暗めの仕上げは初めてである。壁と窓のコントラストが強いので写真を撮りにくい。昼間はかろうじて大丈夫だが夜は照明なしでは何もできないかも知れない。大只越公園に移動。こちらは周囲に2階建ての仮設店舗が工事中。6m近い高さの仮設店舗に囲まれて「KAMAISHIの箱」はやや小さく見える。正面に銀杏の樹があるので全景は見えないが、北側の斜面に広がる墓場を背景にした景観が興味深い。鈴子公園に比べると室内はやや閉鎖的である。光の感じもまったく異なる。芳賀沼さんが商店街の若いメンバーを連れてきて仮設店舗との関係について相談。4時過ぎ再び鈴子公園に戻り階段の焼成を手伝う。4時半に現場を発ち芳賀沼さんの車で北上へ。車中では復興住宅のプロジェクトについて相談。6過ぎ北上駅着。6時半の新幹線に乗車し9時過ぎに東京着。10時前に事務所に戻る。新幹線車内でまとめた神宮前日記を書き込み、明日の準備をして10時半帰宅。シャワーを浴びた後、荷物の整理。『自己組織化の経済学』を読み続けるが入り込めないので『ジェイコブズ対モーゼス---ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』(アンソニー・フリント:著 渡邉泰彦:訳 鹿島出版会2011)に切り替える。


2011年10月24日(月)

7時半起床。8時半出社。生暖かい気候。10時半に岩元+緒方夫妻が来所。11月1日にホーチミンに発つので挨拶に来てくれた。ヴェトナムには3年間滞在する予定だという。ヴェトナムの景気は日本に比べてかなり良さそうなので頑張って仕事をこなしてもらいたい。緒方さんは出産のため来年3月に一時帰国するとのこと。現在進行中の翻訳のスケジュールなどを確認して11時半過ぎに別れる。午後、今夜のグッドデザイン賞公開講評会の準備。千葉さんと手塚さんは出席できないので僕1人で対応しなければならない。今年度の問題点を整理する。釜石の現場にいる芳賀沼さんから電話が入る。「KAMAISHIの箱」の屋根テントの工事が終わったらしい。僕も明日に釜石行きの予定だが、建築工事はほぼ終了した状態を見ることができそうだ。残りは設備工事である。4時半に事務所を出て5時前に東京ミッドタウン5階のデザイン振興会へ。事務局と簡単に打ち合わせた後、5時から講評会開始。会場は100人以上の満員。ユニットの中では最高の人数だそうだ。今年の応募作品の傾向を6つのテーマに分けて代表的な作品を紹介しながら解説する。震災復興と住宅産業の停滞状況を打破するためのイノベーションの多面的な可能性について話す。大阪市大の竹原義二さんたちがまとめた大阪豊崎の長屋リノベーションについてかなり突っ込んだコメントをする。この作品は時間のデザインであり、新品指向のグッドデザイン賞にとっては一種の踏み絵になっている。結果的にはサステイナブル・デザイン賞としてお茶を濁されたが、僕の考えでは近未来のグッドデザインの可能性を先取りする意味で金賞を与えるべきだったと思う。これは単なる講評ではなく自分自身に対するメッセージでもある。6時半前に終了。何人かの応募者と意見交換。肯定的であろうと否定的であろうと詳細な講評を書いた応募者が話しかけてくれるようだ。7時に事務所に戻る。久しぶりにスタッフと外食。今後の仕事の進め方について話す。9時前に事務所に戻り雑用を済ませた後9時過ぎ帰宅。明後日の中国行きの荷物のパッキング。『自己組織化の経済学』を読みながら夜半就寝。


2011年10月23日(日)

8時起床。9時半出社。午前中で『創発』を読み終える。訳者は苛立ってあとがきも書いていないように、本書は広くて浅い啓蒙書でしかないが、それなりのポジティブな意味もある。僕にとって最大の収穫は、ゲームやインターネットにおける創発現象を分析する中で、著者はコンテンツとフレームの創発を混同し続けている点である。訳者はそこを突いて批判しているのだが、いささか視野が狭い。僕の考えではこの種の混同はボトムアップな創発について論じる際の必然的な帰結のように思える。なぜなら創発はフィードバックつまり自己言及(reflection=自意識)の反復がもたらす現象だが、さまざまなジャンルでの創発を比較検討する視点それ自体が一種のフィードバック=自己言及だからである。自己言及とは要するに全体を見直すことであり、一種のトップダウン的な視点だから、そこではコンテンツとフレームが一体にならざるを得ないのである。創発をそれと認識できるのはあくまで「外=トップダウン」あるいは事後的な視点であり「内=ボトムアップ」あるいは事前的な視点には認識できないといえばよいだろうか。本書全体がこの構図の中に置かれているので、著者の視点はたえず揺れ動かざるを得ない。その点を訳者は理解できていないのである。本書が出たのは2001年なので書かれたのは恐らく1990年代末から2000年にかけてだろう。したがって2001年以降の世界的な混乱状況はほとんど反映されていない。最終的な結論がボトムアップ讃歌になっているのは、ハイエクやフリードマン流の新自由主義が最盛期を迎えていた時代状況の反映である点に注意を喚起しておきたい。午後は『新建築住宅特集』に掲載する「箱の家」2軒の原稿校正をまとめ、アンケートの回答を添えて編集長の中村光恵さんに送信。その後、原稿スケッチ。夜は『創発』の参考文献リストにあった『自己組織化の経済学---経済秩序はいかに創発するか』(ポール・クルーグマン:著 北村行伸+妹尾美起:訳 ちくま学芸文庫 2009)を読み始める。


2011年10月22日(土)

7時半起床。8時半出社。契約書類の作成。10時半、森山一家とY工務店が来所。「142森山邸」の工事契約。契約書関係の説明の後、工事契約書類と保険書類に捺印。契約用の図面一式を渡し、地鎮祭を11月3日の午前中と決めて11時過ぎに終了。森山夫妻としばらく四方山話。11時半解散。12時半に事務所を出て地下鉄、田園都市線を乗り継ぎ大井町線の等々力駅へ。駅のすぐ傍の玉川会館4階にて「世田谷式生活・学校」の第5回。窓口で僕が参加した第3回『市民のいる風景』の講義録を受け取る。今回は石山修武さんの「続・世田谷とクリーンエネルギー」と松村秀一さんの「未来の日本の住宅はどうなるのだろう」。どちらも聞き慣れた内容だが何度聴いても勉強になる。松村さんの講義は来週月曜日に開催されるグッドデザイン賞公開講評会のコメントに大いに参考になりそうなのでじっくりと聞く。最後に保坂世田谷区長のスピーチがあり4時過ぎ終了。5時に事務所に戻る。所内を掃除して6時前に解散。夜、久しぶりに妻と赤坂に出かけて夕食。来週、僕は中国の国際会議に妻は友人とイタリアに出かけるのでその話題で盛り上がる。9時に事務所に戻る。少々日本酒を呑み過ぎたので早目に就寝。


2011年10月21日(金)

7時起床。8時半出社。曇りで涼しい。午前中は『jt』12月号に掲載するエッセイのスケッチ。3.11以降の「コンパクト箱の家」、「KAMAISHIの箱」、福島の仮設住宅などについて書く予定。1時前に事務所を出て、地下鉄、東横線を乗り継ぎ横浜へ。西口からタクシーに乗り横浜国立大キャンパス内のYGSAへ。かつてのボイラー棟をコンバージョンした天井の高い空間。北山恒さんに頼まれたアレグザンダー講義。2時開始。まずアレグザンダーが今見直されている理由を説明し、彼の活動歴をざっと辿った後、『形の合成に関するノート』「都市はツリーではない」『パタン・ランゲージ』『時を超えた建設の道』『Nature of Order』について約1時間半話す。その後、質疑応答。パタン・ランゲージと地域の文化や伝統との関係、『ノート』における「ミスフィットの除去」という方法への疑問などについての質問が出る。前者は遺伝子としてのパタン・ランゲージが現実のコンテクストの中で発現する際に地域性や文化のフィルターを通して具体化するという回答。後者は『ノート』におけるミスフィットの除去では優等生的なデザインしかできなかったゆえにパタン・ランゲージに向かったという回答。両者とも核心に触れる質問である。4時過ぎ終了。その後、北山さんの車で事務所まで送ってもらう。夜は原稿スケッチの継続。芳賀沼さんから電話。新しいプロジェクトの相談。10時前帰宅。『創発』を読みながら夜半就寝。訳者の山形浩生はジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』の訳も担当しているが、本書の内容にかなり批判的と見えて悪意の籠った訳注を書いている。しかし僕にはほとんどが的外れに思える。『アメリカ大都市の死と生』の解説でも感じたことだが、ちょっと傲慢なヒトのようだ。著者に対するリスペクトがないのなら翻訳を請けなければよい。訳注でウサを晴らすのは著者に対してだけでなく読者にも失礼である。


2011年10月20日(木)

7時起床。ビュフェで朝食を食べながら三井所さん、酒井さんと公式発表の審査経緯を推敲。8時半にロビー集合。車で大分空港へ向う。車内でも事務局と最後のやり取り。10時前空港着。11時前の便に乗り12時半羽田着。到着直後「道の駅コンペ」の僕たちの案が次点になったというメールが届く。家早南友。審査する側と審査される側を揺れ動く心理が錯綜し複雑な気分である。三井所さんと渋谷まで行き1時過ぎに事務所に戻る。千葉大学建築学科の学生から卒業設計点のゲスト審査員の依頼メールが届いたので快諾メールを返送する。一昨年以来の2回目である。3時過ぎに大分県立美術館コンペの第1次審査の経緯と審査結果が発表される(http://www.pref.oita.jp/)。審査経緯が要領よくコンパクトにまとめられているが、実際のところ議論は四分五裂しほとんど偶然に近いようなプロセスで決着したのである。プロポーザルコンペでありながら具体的な案の提示を求めたことに対して、応募者にも戸惑いがあったのかも知れない。ダイアグラムとイメージだけの提案が多かったのはそのためだろう。そういう案は最初の段階ですべて脱落してしまった。夕方、コンペ事務局から応募者リストが届いたので、そのラインアップを見ると、プロポーザルコンペ慣れした建築家のほとんどが予備審査で脱落しているのは、おそらくそのためだろう。一次審査後の6案に絞る段階で議論が紛糾した最大の要因は、本命となる決定的な案がなかったことにある。最終審査ではさらに激烈な議論が展開することは間違いない。一次審査で残った6作品の中で個人的に気になる作品は2点だけだが、可能性としては6案ともドングリの背比べである。6人の応募者には最終審査で頭ひとつでも抜け出すような案の展開を期待したい。でないと逆に審査委員会の存在意義が問われることになる。4時、花巻と『家の理』の打合せ。さらに密度を上げるエスキス。来週早々には最終案をまとめる予定。6時過ぎに事務所を出て六本木ヒルズ49階のアカデミーヒルズへ。10月14日に引き続きシンポジウム「メタボリズムのDNA:建築家の役割編」へ。司会は五十嵐太郎、パネラーは藤本壮介と藤村龍至。藤本は「primitive future」と題して自作を紹介しながら微細な部分の集積によって緩やかで揺らぎのある秩序をつくるという建築観を説明。複雑系理論の建築版をめざしているといえばいいだろうか。藤村は「ARCHITECT2.0」と題してBUIJDING-Kが菊竹清訓の東光園に似ているという話から超線形設計プロセスの実例を紹介し、現代における建築家としての戦略を磯崎新と田中角栄に結びつけ、3.11以降のドメスティックな問題に政治性を介して取り組む建築家像を「ARCHITECT2.0」と名づけている。2人のレクチャーがコンパクトだったので1時間余の充実したディスカッションが交わされた。今後の建築家としての活動に関する会場からの質問に対して、藤本は「人間はどのようなところに住むか」という時代と地域を越えた普遍的な問題を追求してきたいと応え、藤村はコミュニケーションの下部構造とルールをデザインして行きたいと応えた。藤本のprimitiveを装った戦略と藤村の政治性を装った戦略の相補的な対比が興味深いシンポジウムだった。9時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。そのまま帰宅し遅い夕食。『創発』を読みながら夜半就寝。


2011年10月19日(水)

7時起床。シャワーを浴び7時半に2階のビュフェで朝食。8時に部屋に戻り雑用を済ませた後8時40分に1階ロビーへ。他の審査員と待ち合わせ迎えの車で県庁へ向かう。新館14階の大会議場が審査会場。建築関係委員の予備審査でピックアップした27点に、他の委員の推薦作15点を加えて42点が1次審査の審査対象となっている。酒井忠康副委員長が昼前に到着予定なので、それまでに審査委員全員で応募作品152点すべてに再度目を通し1次審査の追加作品はないことを確認する。11時過ぎに酒井委員が到着したのでスライドによって1次審査通過作品42点を1点ずつ確認して行く。本命と思えるような作品は見当たらない。あとで聞くと審査委員全員がそう感じていたらしい。昼食を挟んで午後から投票開始。1委員がそれぞれ6点に投票し、その結果をボードに表示する。予想通りかなりのばらつきとなり1票だけの作品が多い。まず票の入らなかった作品を1点ずつ再確認し削除して行く。残った作品の中で1票しか入らなかった作品について1点ずつ投票者が意見を述べディスカッション。審査委員が強く推す作品だけを残して19点にまで絞る。僕は冒険的な2案を残すことを強く主張。休憩を挟んだ後19点について1点ずつ検討していき8点にまで絞る。この時点で19点すべての応募者氏名と経歴が審査委員に公開される。ほとんど知っている建築家ばかりだがビッグネームはいない。ここの段階までは匿名システムに徹し、応募作品の内容だけで審査した結果かもしれない。とはいえ応募した建築家の全体の陣容は分からない。僕が強く推した2作品は最後の8点に残ったが、意外にも地方の若い建築家の作品なので他の建築関係の審査委員3人は経験や実施能力について懸念を表明する。ここから俄然議論が紛糾し始める。僕は可能性を孕んだこの2作品を残し、特徴のない無難な年配建築家の2作品を外すように主張する。審査委員全員がそれぞれ意見を表明するが収斂しない。三井所委員長の提案で、まず意見の一致した4作品を残すことを確定し、残りの4点に19作品の中から推薦があった3点を加えた7点について意見交換を再開する。しかし僕はあくまで最初の2作品を強く推し続ける。他の委員は半ばオブザーバーとなり、建築家委員の4人が1対3に分かれて意見を闘わせることになった。リスクはあるが可能性のある案を選ぶか、問題の少ない安全な案を選ぶかの立場の相違である。僕の見るところこの2作品以外は一般的な美術館の範疇を出ていない。この案を残さなければ今回のコンペは通常の保守的なコンペに成り下がる。当然ながら美術関係委員は機能性優先だから後者に傾いているように見える。しかし僕が審査員に参加した役割は前者にあると確信するので、1次審査は最終決定ではないのだからこの段階では可能性のある案を選ぶべきだと強く主張する。依然として意見が収斂しないため、僕は責任が明確な挙手で決めたらどうか主張したが受け入れられず。三井所委員長が7点について最終投票を行うことを提案。その結果、僕が推した案のうちの1点と安全で凡庸な案1点が選ばれるという折衷的な結論に落ち着く。民主主義の悪しき側面が出た感じで、僕としては宙ぶらりんの気分だがやむを得ない。僕の意見に協調してくれる審査委員もいることが確認できたし、最終審査の段階で再度意見を述べる機会があると考えて、当面はこの結論を受け入れることにする。最終審査結果を再確認した後、来月末の最終審査会のスケジュールを確認して7時過ぎ終了。7時半にホテルに戻る。三井所、酒井、青木、島岡、安永の5氏と近くの居酒屋で会食。烏賊料理と日本酒をいただきながら建築談義で盛り上がる。10時半終了。11時前にホテルに戻る。あれこれと思いを巡らせながら夜半就寝。しかし応募案のイメージが次々と浮かび上がりなかなか寝付かれない。公式発表は明日の午前中である。


2011年10月18日(火)

7時起床。8時半出社。朝ツタヤレンタルのDVD2本を返送する。いつも返却締切の直前に観る癖がついてしまった。今までの2週間が1ヶ月に延長されても変わらない。僕の中にDVDを観る気になるために越えねばならないハードルがあるようだが、それは何だろうか。「KAMAISHIの箱」の設備図一式を釜石の岩間さんと市の担当者、工事を請け負うパシフィックコンサルタント、はりゅうウッドスタジに送信。9時前、釜石の現場にいる芳賀沼さんからメールが届き直後に電話が入る。「KAMAISHIの箱」の屋根テントの施工図を観ながら意見交換。午後、いくつか打ち合わせ。原稿スケッチ。2時に事務所を出て羽田空港へ。3時前の便で大分へ。空港ロビーで三井所さんと待ち合わせ県の車で大分市内へ。ホテルにチェックインした後、ホテル内の料亭で会食。審査方針について議論が弾み、酒の勢いもあって二日市副知事と議論。10時前解散。部屋に帰って風呂に入り、再度呑み直して夜半就寝。


2011年10月17日(月)

7時起床。8時前に出社。直ちに事務所を出て自転車で青山歯科医院へ。生暖かい風が吹いている。8時過ぎから2ヶ月ぶりの歯のメンテナンス。疲れのせいか奥歯の痛みが酷い。9時過ぎ事務所に戻る。アレグザンダー講義@YGSAのレジメをまとめて北山恒さんに送信。アレグザンダーの活動年表をスキャンしスライドに組み込む。歯の噛み合わせが辛いので昼食はパス。午後は「KAMAISHIの箱」の設備打合せ。バイオマスボイラーの小屋についてあれこれ模索。MDSの齋藤歩さんからLATs原稿の催促が届いたのでスケッチのピッチを上げる。今回は磯崎新の『建築における「日本的なもの」』だが、磯崎以上にこの問題について論じている建築家はいないので切り込み方が難しい。昔『GA JAPAN』誌に投稿した磯崎論を再読してみるが新しい視点は思いつかない。その他あれこれ文献を漁ってみるが磯崎はそのほとんどをチェックしている。イヤハヤどうしたものか頭を抱え込む。夕方再度「KAMAISHIの箱」の設備打合せ。部分的に修正。今夜中にまとめるよう指示。9時半帰宅。

ベッドの中で『コーカサスの虜』(セルゲイ・ボドロフ:監督 1996)のDVDを観る。トルストイの原作を現代のチェチェン紛争を舞台に現代化した映画。捕虜となった2人のロシア兵士とチェチェン人のやり取りを通して日常化した戦争の悲劇を描いている。チェチェン紛争はロシア正教とイスラム教の闘いでもある。幽閉された馬小屋の中で2人の兵士がルイ・アームストロングの歌を聴くシーンが印象的である。コーカサス地方の厳しい地形の中に肩を寄せ合うように建てられた山岳都市の景観が美しい。彼らが僕たちと同じ時代に生きているとは思えないほど時間の流れが緩やかで濃密である。

『創発』は第2部第2章「街路レベル」を終えて第3章「パターンマッチング」に進む。ジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』の都市論が、複雑系がうみ出す創発の視点から紹介されている。しかし何が創発したのかがはっきりしない。『混沌からの秩序』に比べると広くて浅い啓蒙書である。


2011年10月16日(日)

7時半起床。9時出社。曇りのち晴れ。11時、日大郡山の浦部智義さん来所。「よつくら道の駅コンペ」2次審査のプレゼンテーションに関する打合せ。浦部さんはもっぱら建築計画的な側面を担当してくれる。昨日と同じ内容を確認。スライド・プレゼンテーションの構成についても意見交換。昼前に終了。午後は清華大学での講義の英文シナリオの作成開始。国際会議なのでコンパクトで密度の高いシナリオにしたい。引き続きDVD鑑賞と読書。10時半帰宅。シャワーを浴びた後『創発』(スティーブン・ジョンソン:著 山形浩生:訳 ソフトバンク・パブリッシング 2004)の再読開始。夜半就寝。

気分転換に『少女の髪どめ』(マジッド・マジディ:監督 2001)のDVDを観る。以前観た『運動靴と赤い金魚』(1997)と同じ監督の続編。アフガニスタンからテヘランに移住してきた難民たちの厳しい生活を淡々と描いた映画。戦場シーンは一切描かれていないが物語の端々に挟まれるエピソードがそれを伝える。一言も喋らず笑いもしない少女が最後に故郷に帰るシーンで微かに微笑む表情のアップに涙腺を刺激される。

『混沌からの秩序』(イリア・プリゴジン+イザベル・スタンジェール:著 伏見康治+伏見譲+松枝秀明:訳 みすず書房 1987)をようやく読み終わる。18世紀から20世紀までの3世紀の科学史を通して、科学が「存在から生成」へと研究対象を転換して行く経緯を描いている。19世紀の熱力学、生化学、進化論などのマクロな科学においては、すでにエントロピーや不可逆性が明らかになっていたが、それが古典力学や量子力学にまで導入されるのはごく最近のことである。「時間の矢」が過去から未来の方向にしか向いていないという条件を力学の時間パラメーターtに持ち込むことの難しさは、本書を読んでも今一理解できない。とりあえず第10章「地上から天上へ---自然の魅力の再来」からプリゴジンの結論を引いておこう。「力学の世界は、古典論であれ量子論であれ、可逆な世界である。力学の世界には進化と結びつくようなものは何もない。力学の言葉で表現された「情報」は一定のままである。したがって今、物理学に進化のパラダイムが存在することを---巨視的な記述のレベルにおいてだけでなく、すべてのレベルにおいて---確立できるということは非常に重要である。もちろん無条件ではない。すでに述べたように最小限の複雑さが必要である。不可逆過程の測り知れない重要性は、ほとんどの興味ある系について、この要求が満たされていることを示している。注目すべきことに、一方向性の時間を知覚することは、生物的組織化のレベルが高いほど向上し、おそらく人間の意識においてその最高点に達する。この進化のパラダイムはどの程度一般的か。それは無秩序に向って時間発展する孤立系も、ますます高い複雑性に向って時間発展する開放系も含んでいる。社会問題や経済問題を扱った多数の論者が、このエントロピーの隠喩に魅せられたことも驚くにあたらない。社会・経済問題に適用するには当然ながら注意を要する。人間は力学的対象物ではないので、力学を基盤とした選択原理の形で、熱力学への移行を定式化することはできない。人間のレベルでは、不可逆性はわれわれの存在の意味から切り離せないもっとも根本的な概念である。それでも本質的なことは、この観点からは、不可逆性に関する内的感覚を、われわれを外的世界と疎遠にするような主観的な印象として見るのではなく、進化のパラダイムによって支配された世界へわれわれが参加していることの証拠として見ることである」。僕には引用の後半にはやや飛躍があるように思える。プリゴジンは以上のような考え方を、プラトン、アリストテレスからホワイトヘッドの『過程と実在』やハイデッガーの『存在と時間』に至る西洋哲学史の中に位置づけている。「古典力学も量子力学も(軌跡ないし波動関数に対する)任意の初期条件と決定論的法則に基礎を置いている。ある意味では、法則は、すでに初期条件の中にあるものをはっきりさせたに過ぎない。不可逆性を考慮するともはやそうは言えない。この視点から見ると、初期条件は先行する進化から生じ、後続する進化によって同じクラスの状態に変換される。こうしてわれわれは西洋存在論の中心問題に近づく。すなわち存在と生成の関係である。今世紀のもっとも影響力のある仕事のうちの二つが、まさにこの問題に捧げられていることは特筆に値する。(中略)しかし明らかに存在を時間に還元することはできないし、また時間的な意味あいがまったく欠けた存在を扱うこともできない。不可逆性の微視的理論がめざす方向は、ホワイトヘッドとハイデッガーの思弁に新しい内容を与えるものである。(中略)系の状態の中に集約されている初期条件は存在に結びつけられるが、これに対して、時間変化の法則は生成と結びつけられるということを注意しておきたい。われわれの見解では、存在と生成は互に対立するものではなく、相互に関連する実在の二つの側面を表している」。これまでの力学における法則は任意の初期条件の展開に過ぎないという意味において一種のトートロジーであるという指摘は興味深い。グレゴリー・ベイトソンも『精神と自然』のなかで同じようなことを言っていたような記憶がある。そのように考えれば、これまでの理論物理学がアインシュタインの相対性理論に至るまで数学的思考からうみ出されてきた理由も理解できる。数学こそトートロジーの体系だからである。とはいえ本書を僕たちの立場に引き寄せて読むには、かなりの想像力が必要のように思える。


2011年10月15日(土)

7時半起床。8時半出社。昨夜は雨が降ったらしい.曇り気味だが暖かい。午前中はアレグザンダー講義@YGSAのシナリオ作成。大学院生相手なので少しレベルを上げる。午後「KAMAISHIの箱」の設備図打合せ。ボイラー小屋を「KAMAISHIの箱」の仕様に似せた構法とする。月曜日までにまとめる予定。3時過ぎに娘が来所。今夜遅くフランスに向けて出発する挨拶。パリとリヨンに滞在するというのでル・コルビュジエのサボワ邸とラ・トゥーレット修道院に行くようにアドバイス。4時はりゅうウッドスタジオの芳賀沼、滑田両氏が来所。「よつくら道の駅コンペ」2次審査のプレゼンテーションに関する打合せ。僕が出席できないので説明の機会を持った。まずは建築の詳細を理解してもらうことが肝心である。気がつく限り詳細に設計意図について説明する。引き続き「KAMAISHIの箱」の天井についての打合せ。ターポリンという商標のテント地を張る仕上げの詳細について意見交換。初めて使う材料なので仕様について勉強させてもらう。5時半終了。事務所内を掃除し6時過ぎ解散。夜は『混沌からの秩序』を読み続ける、不可逆性を物理学に持ち込むことの難しさを論じた第9章「不可逆性---エントロピー障壁」はほとんどお手上げである。 巨視的な熱力学則を微視的な物理法則に結びつけることの意義がそもそも理解できない。古典力学や量子力学には変数としての時間はあってもそれは可逆的な時間であり、不可逆な時間を保証しているのはエントロピー障壁であるということらしい。アインシュタインが最後まで世界の不確定性と不可逆性を宇宙の本質ではなく人間の無知の産物でしかないと主張した気持ちがよく分かる。ともかく最後まで突っ走ろう。10時半帰宅。シャワーを浴びて夜半就寝。


2011年10月14日(金)

7時起床。8時半出社。石山修武さんの「世田谷村日記」で、一昨日プノンペンのナーリ(小笠原)さんが亡くなったことを知る(絶版書房交信37 さらばナーリさん2 111012 http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/outofprintpublishing.html)。ナーリさんと初めて会ったのは2008年の難波研ホーチミン・ワークショップの際にプノンペンの「ヒロシマハウス」を訪ねた時である(神宮前日記2008年9月19日)。初対面なのに意気投合し、昼ご飯までごちそうになった。翌年帰国された時に石山さんと一緒に近江屋でお会いした。昨年と今年に帰国されたときには電話で話しただけだった。僕はナーリさんのことを「アジアのフーテンの寅さん」と呼んでいた。アジア中を気侭に旅して生きていたからだ。ナーリさんはプノンペンの住まいも仮の宿だと考えていたようだ。想い出すと懐かしい。心から冥福を祈りたい。午前中に「KAMAISHIの箱」の打合せ。昨日の釜石での打合せについて報告し、給排水設備とボイラー小屋の図面をまとめるように指示。午後はYGSAでのアレグザンダー講義の準備。引き続きLATsや放送大学の原稿スケッチ。4時過ぎに事務所を出て青山通りから妻に教わった「ちぃバス」に乗り六本木へ。乗客は年寄りばかり。少し時間はかかるが100円で六本木ヒルズ内まで行くことができる。4時半過ぎに森美術館の「メタボリズムの未来都市展」に入る。間もなく妻も到着。戦前の中国における東大建築学科の都市計画や丹下健三の「大東亜共栄記念営造物」コンペの展示から始めているのは『メタボリズム ネクサス』(八束はじめ:著 オーム社 2011)の冒頭と同じ八束はじめらしい視点である。「大東亜共栄記念営造物」のCGを観ると伊勢をモチーフにしたといわれるこの建物がコンクリート造のマッシブで重厚なデザインであることが意外である。戦後は広島の「ピースセンター」から始まり、展示の前半は完全に丹下一色である。「東京計画1960」や「築地計画1964」の巨大なCGで止めを刺す。前川國男の「晴海の集合住宅」、大高正人の「広島基町の集合住宅」、白井晟一の「原爆記念堂計画」の模型が眼を惹く。引き続き、メタボリズムのメンバー川添登、菊竹請訓、槇文彦、磯崎新、黒川紀章のコーナーが続く。どれも壮大で力業のプロジェクトばかりだが、今一リアリティが感じられないのはCGや模型による展示の限界か、あるいは僕の感性の問題だろうか。完全に「上から目線」のプロジェクトのコーナーに続いて、建築のコーナーに入ると俄然リアリティが出てくる。実現した建築であること以上に、ひとりの建築家として現実社会に立ち向かっている仕事だからである。実現しなかった菊竹請訓の「京都国際会議場」の模型が一際眼を惹く。どう見ても実現した大谷幸夫の建築よりも迫力がある。最後に槇文彦の繊細な「代官山ヒルサイドテラス」が展示されているのは歴史の皮肉だろうか。次にメタボリズム周辺で活動したアーティストのコーナーが続き、最後は1970年の「大阪万国博覧会」のコーナー。僕は1969年に完成寸前の万博会場を訪れたことがあるが、1968年の大学紛争の影響もあってまったくリアリティが感じられなかった。丹下+磯崎の「お祭り広場」と菊竹の「エキスポタワー」が記憶に残っているだけである。大谷幸夫の住友童話館は文字通りSF漫画にしか見えなかった。1時間半かけて会場をじっくりと観て回った後、最後のメタボリズム・コーナーで一休みしながら妻と意見交換。ブックショップで妻が僕の『建築の4層構造』を見つけて喜んでくれた。6時半過ぎに会場を出て妻と別れ49階のアカデミーヒルズへ移動。7時からシンポジウム「メタボリズムのDNA:社会システム編」に出席。150人の会場は若い人ばかりで8割の入。五十嵐太郎の司会でパネラーは塚本由晴、平田晃久、吉村靖孝の3人。塚本は1960年代のメタボリズムと2010年のヴォイドメタボリズムの比較論の延長上にミクロなパブリック空間のあり方について語る。僕はボトムアップなメタボリズムの可能性を探る仕事として受けとめる。平田は『建築とは〈からまりしろ〉をつくることである』にもとづいて自然の延長上に建築を位置づける論を展開。僕は自然のメタファーからフラクタルな建築をうみ出すためのミクロなアルゴリズムを探る試みとして受けとめる。吉村はコンテナによる世界的な物流システムを利用した一連のコンテナ・プロジェクトを紹介。大和リースの「インフラフリー・ユニット」の開発にも関係したらしい。僕は建築に移動性や仮設性を持ち込むことを通して建築家としての署名性を消す試みとして受けとめる。そのように考えれば3人とも何らかの形でメタボリズムを引き継いでいると考えられる。五十嵐はヤノベケンジの大阪万博のお祭り広場から着想した「デメロボ」や万博タワーの解体をモチーフにしたビデオ、セキスイハイムをリノベートした中村政人の仕事を紹介。これもアイデアのメタボリズムである。9時までに20分を残してディスカッションが始まるが、今一盛り上がらない。だらだら続く議論について行けず9時を10分過ぎたところで退席。地下鉄を乗り継いで表参道まで戻り、蕎麦屋で簡単な夕食を済ませた後、10時過ぎに事務所に戻る。10時半帰宅。iPhoneでメタボリズム展のカタログを注文。昨日届いた『Hyper den-City Tokyo Metabolism 2』(八束はじめ+URBAN PROFILING GROUP:著 INAX出版 2011)と合わせてじっくり勉強してみよう。


2011年10月13日(木)

6時起床。7時前出社。少し曇って涼しい天気。7時過ぎに事務所を出て東京駅へ。新幹線のホームで電車を待っていると千葉学さんが近づいてきた。僕より一便後の新幹線で仙台に行くそうだ。半壊した東北大学建築学科棟の建替の設計を日本設計との共同で担当することになったという。僕が釜石に行くといったら「KAMAISHIの箱」ですねと言われた。新幹線に乗り込もうとしたところで、いわき市のゼネコンから道の駅コンペの一次審査を通過したというメールが届く。二次審査は大分コンペの一次審査とバッティングしている。ハテどうしたものか。8時前発の新幹線で新花巻に11時前着。日は出ているが涼しい気候。釜石線に乗り換えて1時過ぎ釜石着。歩いて鈴子公園へ。芳賀沼さんがひとりで待機している。間もなく岩間正行さんも到着。本体の外形とテラス床はでき上がっているが、庇は未工事である。サッシが付かないと床も屋根も工事できないとのこと。20日辺りの工事になるという。室内に入ると小梁下に野縁が取り付けられているのにビックリする。設計では構造用合板を小梁に直接留めることによって屋根面の水平剛性を確保することになっているのだが、まったく理解されていない。「KAMAISHIの箱」は構造と仕上が一体になった「逃げ」のない設計である。前回の壁柱の足元ディテールに続く基本的な間違いなので少々ムッとするが、岩間さんの手前、余り表面には出せない。気持ちを鎮めて芳賀沼さんに主旨を説明し修正を依頼する。隣接する庁舎の1階ホールに移動し釜石市産業振興部の小山田、佐々木両氏、パシフィックコンサルタントの増淵氏と鈴子公園の「KAMAISHIの箱」に設置する足湯とバイオマスボイラーについて打合せ。上下水道の引き込み、配管経路、ボイラーの設置位置になどの方針を決める。終了後全員で鈴子公園に移動し打合せ結果を確認。僕たちの方で基本図面をまとめて送ることになった。その後、芳賀沼さんの車で大只越公園へ移動。こちらの「KAMAISHIの箱」も外形はでき上がっているが庇はまだ。天井野縁を取り付けている最中なので直ちに工事中止。構造の考え方を説明し取り外しを依頼。大工に回縁について訊かれたので、この建物には回縁も幅木もありませんと説明したら眼を丸くしていた。黙っていたら回縁や幅木を付けられていたのかと考えるとゾッとする。芳賀沼さんに今更ながらもっと図面を読み込んで下さいと頼み込むしかない。僕たちの設計が特殊であることが要因とはいえ、考え方さえ理解すればたいして難しい納まりではない。僕に言わせれば通常の設計に逃げが多すぎるのである。その証拠に岩間さんは僕たちの図面を十分に理解している。ともかく設計者による現場監理が不可欠であることを再確認した貴重な体験だと考えるしかない。5時前に現場を発ち芳賀沼さんの車で北上へ向う。車中、道の駅コンペの二次審査について打合せ。芳賀沼さんと浦部さんに出席を依頼するしかないが、設計主旨を再度確認する打合せを行いたい旨念を押す。駅近くのうどん屋で簡単な夕食。北上駅を7時過ぎ発の新幹線に乗車.車内はガラガラ。仙台を過ぎたあたりから乗客が増える。10時に東京着。11時前に事務所に戻る。シャワーを浴びた後ベッドの中で『混沌からの秩序』を読み続ける。力学の可逆性と熱力学の不可逆性を結びつけるボルツマン、ギッブス、アインシュタインの試みを紹介した第8章「学説の衝突」は物理学と数学のターミノロジーが頻発するのでほとんど理解できない。夜半就寝。


2011年10月12日(水)

7時半起床。ここ数日は少し暖かいので床暖房のスイッチを切る。9時出社。今日午後にグッドデザイン賞の金賞の最終審査があるので、事務局から届いた候補書類に眼を通す。最終審査に残った38点の候補から14点の金賞を選ぶようだ。この38点は8月の2次審査の際に審査員全員の投票を集計し、その中から深澤直人委員長、佐藤卓副委員長、事務局の裁定で絞り込まれたらしい。僕が挙げた候補とは異なっているので少々割り切れない気持ちである。釜石の現場にいる芳賀沼さんから電話が入り工事の進行状況の報告。アルミサッシが間に合わなかったので屋根のテント工事と合わせてシェルターの完成は来週に延期となった。とはいえ外形だけはでき上がるので明日の釜石行は決行することとする。12時半過ぎに事務所を出て東京ミッドタウン4階のGD賞会議室へ。午後1 時から金賞の審査会。参加者は審査委員全員の予定だが、欠席者もチラホラ。住宅部門の千葉学、手塚由比さんは出席。北山恒さんの顔も見える。まず深澤委員長が審査方針を説明。引き続き事務局から審査手順の説明を受けた後、全員が5階の展示場へ。約1時間かけて各委員が7点をピックアップ。それを集計し3時から最終審査。票を集計する休憩時間中に北山さん、千葉さんと歓談。北山恒さんからYGSAでアレグザンダーについて話してくれないかと頼まれたので快諾。早速、来週に横浜へ行くことになった。千葉さんからは最近の東大建築学専攻の様子を聞く。卒業設計のシステムについて大幅な変更がありそうだとのこと。学生にとっては迷惑な話である。3時から審査会再開。投票の集計の結果、上位8点まではスムースに決まったが、残り6点で議論が紛糾し再投票となる。結果は票が大幅に入れ替わりドンデン返し。とはいえ建築はまったく振るわなかった。このようなシステムでは工業プロダクトが勝つに決まっている。改めて建築の異質性を思い知らされる。4時半終了。5時に事務所に戻る。伊東建築塾事務局から「くまもとアートポリス」の東北支援による「みんなの家」が仙台市宮城野区に完成したというメールが届く。建設中の写真が添付されているが、きわめてコンヴェンショナルな構法とデザインである。これを契機に10月25日(火)に「帰心の会」が仙台でトークセッションを開くらしい。残念ながら僕は出席できそうにないが何とかそれまでには「KAMAISHIの箱」を完成させたい。夜はLATs第5回の原稿スケッチを開始。9時半帰宅。来月初めのLATs第9回へ向けて『混沌からの秩序』の再読を開始する。夜半就寝。


2011年10月11日(火)

7時半起床。8時半出社。大分県庁から電話連絡。予備審査の追加作品の確認と午後1時までに他の委員の追加を認めるという連絡。まもなく三井所さんから追加作品2点が届く。追加理由が明らかにされていないので提案内容を確認すると、僕としてはいささか賛同しかねる案である。その後の追加はなく建築関係委員が選択した作品は最終的に27点になった。提案書を改めて通しで見ると、かなりの凹凸がある。本審査ではかなり物議を醸しそうだ。午後1時半、芳賀沼さんとパシフィック・コンサルタンツの2人が来所。「KAMAISHIの箱」の鈴子公園に付設する足湯設備に関する打合せ。足湯槽とバイオマスボイラーの設置場所とサイズを提案。ボイラーの上屋は僕たちがスケッチすることになった。『新建築住宅特集』編集長の中村光恵さんから「箱の家134」「箱の家140」を12月号に掲載する旨のメールが届く。合わせて3.11以降に開発した「コンパクト箱の家」や「KAMAISHIの箱」についても少し長い原稿を書くことになった。夜、シュツットガルト工科大に留学している難波研OB佐藤隆志からメールが届く。しばらく音沙汰がなかったが11月に帰国し修士論文をまとめるらしい。ゾーベックが主宰するILEkスタジオでの研究成果が少しずつパブリックになっているようだ(http://blickfang.ileklab.de/)。帰国後の報告を聴くのが楽しみである。9時半帰宅。夜半就寝。

『建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』(磯崎新+浅田彰:編 鹿島出版会 2010)を読み終わる。1992年から2008年までの対談集だが、1990年代初期はベルリンの壁崩壊と社会主義諸国の解体、1995年以降は阪神大震災とサリン事件、世紀末はグローバリゼーション、2000年代は9.11以降のイスラム原理主義と中国経済の台頭と、その時点での次代状況を色濃く反映している点が興味深い。あれこれと話題は転回しているが、つまるところ磯崎新の歴史的存在意義を確認した本である。本書を通して磯崎の一種ニヒリスティックな相対主義を確認すると同時に、建築界における磯崎の存在感がますます大きく見えて来たが、若い建築家にとってはどうだろうか。ともかく本書によって大分県立美術館コンペにおける僕のスタンスを確認することができたのが最大の収穫である。


2011年10月10日(月)

7時半起床。9時出社。とはいえ今日は体育の日で祝日。まずは先日の『おひとりハウス』のイベントで真壁さんから指摘されたことを想い出しながら『家の理』のエスキス。3.11以降に僕たちが開発した「コンパクト箱の家」や「KAMAISHIの箱」を加え、さらに情報量を増やす方向で全体を再編成する。芳賀沼さんから電話。明日から「KAMAISHIの箱」の2次工事が始まるので13日(木)に釜石に行くことになった。その前に鈴子公園に足湯を設置するためのバイオマスボイラーの打合せがある。午後、大分県立美術館コンペの予備審査の見直し。予備審査の結果と応募作品のプレゼンテーションのコピーを照らし合わせながら全体を再検討する。当初から気になっていたのだが大胆過ぎるように見えた1作品にふたたび引っかかったので細部を詳細に検証した結果、やはり候補に挙げるべきだと決断。時間が限られていたとはいえもう少し詳細に検討すべきであったことを大いに反省する。この案の予備審査通過の理由をまとめて建築審査委員と大分県事務局に送信する。『イノベーションとは何か』(池田信夫:著 東洋経済新報社 2011)を読み始めるが、いきなり「イノベーション」を「技術革新」と訳すのは間違いであるという指摘に出鼻を挫かれる。イノベーション概念の提唱者はジョセフ・シュムペーターだが、彼はイノベーションを「新結合」と呼び、消費者の欲望は消費者から自発的に生まれるのではなく、生産者が提示することによって消費者から引き出されると主張している。著者の池田信夫は技術をハードな技術に限定して捉えているためにイノベーションは技術革新ではないという主張になる訳である。これに対して先日読んだブライアン・アーサーの『テクノロジーとイノベーション』ではテクノロジーを最大限に広く捉え、ほとんどすべての行為がテクノロジーに包摂されている。シュムペーターがどう考えたかは分からないが、ソフトなシステム論をテクノロジーと考えれば「新結合」もテクノロジーの一種になる。最近の住宅産業における「スマートハウス」もその一種だろう。その意味ではデザインもテクノロジーの一種となるはずである。夜は栃内がまとめた「142森山邸」の減額設計変更に関する森山夫妻との打合せ結果をチェック。連休明けに工務店とネゴシエーションを始める予定。10時帰宅。『建築と哲学をめぐるセッション』を読みながら夜半就寝。1990年代前半のデリダやアイゼンマンとの対談は一度読んでいるので飛ばし読みする。


2011年10月09日(日)

7時半起床。9時出社。今日は一日ひたすら読書。『大転換』は第2部の第7章「スピーナムランドー1795年」まで来た。まだ全体の1/3である。第2部「市場経済の興亡」は18世紀以前の経済体制の歴史を詳細に分析し、社会組織と政治組織がさまざまな互恵、慣習、制度、法律によって市場経済を制御し自己調整的市場の成立に抵抗してきた経緯を辿っている。要するにポラニーは19世紀に成立する自己調整的市場がいかに特殊な経済体制であるかを浮かび上がらせようとしているわけである。自己調整的市場が成立するための決定的な条件は、労働力、土地、貨幣が商品化されることである。労働力の商品化(賃金)は人間の商品化であり、土地の商品化(地代)は自然環境の商品化であり、貨幣の商品化(利子)は市場自体の商品化である。この3つの商品化によって政治と社会全体が自己調整的市場経済に巻き込まれることになる。ポラニーはそのような自己調整的市場に対しては何らかの制御が必要であると主張する訳である。『大転換』は一休みして『建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』(磯崎新+浅田彰:編 鹿島出版会 2010)を読み始める。まずは2008年の2組の対談「磯崎新+浅田彰」と「磯崎新+柄谷行人」を一気に読み通す。浅田との対談で磯崎は1990年代を「カント的退行」の時代であると総括し、それに対して浅田彰は18世紀末と20世紀末の共通性を指摘しながら「カント回帰」と言い換えている。それはフランス革命(1979)に代表される18世紀末の社会的転回を体現する哲学者としてのカントへの回帰である。それは有限な多様性がもたらす「美」に対する、無限で表象不可能な「もの自体」がもたらす「崇高」の出現でもある。柄谷との対談ではクリストファー・アレグザンダーとジェイン・ジェイコブスの都市論に関する議論から始まり、柄谷は「カント回帰」を倫理と理念の回帰だと主張している。その延長上で柄谷は磯崎が提唱する日本的な「和様化」の問題に対し僕たちが取るべき態度についてこう言っている。「その場合、われわれにどういう態度が可能なのか。僕が思うのは、いわば一人二役をやることですね。それが僕の『隠喩としての建築』の主題でもあったわけですが、それは「建築への意志」を肯定すると同時に否定することです。それはとくに日本では必要なのです。(中略)一方で建築的でならなければならないが、しかし同時に建築性を批判しなければいけない。しかもそのことを、同じひとりの人間が同時にやらなければならないと思うのです。別のことばでいえば、われわれは原理的でなければならないが、同時に原理主義を否定しなければならない。また、われわれは理念主義を否定するが、同時に理念を必要とする。だから「一人二役」というのは、それらを統一してしまうというわけではなく、たえず移動をともないつつ、批判的にやっていくということですね。それを指して僕は、単なる批評ではない、つまりトランセンデンタル(transcendental)であるだけでなく、たえず横断的移動(transversal)であるような批評を、トランスクリティークと呼んでいるわけです」。対談の最後に岡崎乾二郎が参加し、再度アレグザンダーについて議論しているが、パタン・ランゲージがケネス・バークの文学理論の転用であるという指摘が興味深い。夕食は娘夫妻と一緒に妻のイタリア料理をいただく。赤ワインをたっぷりと飲み11時過ぎにベッドに倒れ込む。


2011年10月08日(土)

7時半起床。8時半出社。雑用を済ませた後9時に事務所を出て田町の建築会館へ10時前着。10時から大分県立美術館コンペの予備審査。登録数は250点を越えていたが実際に応募したのは150点余。6割の応募率が多いのか少ないのかは分からないが、ともかく総数が多いので1次審査の前に建築関係者だけで予備審査を行うことになった。大分県のコンペ事務局の4人が全応募作品を東京まで運んできた。三井所清典、青木茂(首都大学東京)、島岡正治(日本文理大)、僕の4人が出席。約1時間かけて応募条件の確認、質疑応答の整理、審査手順の提案と意見交換を行う。150点の中から各委員が20点を選び、それを集計した後に話し合いによって30点以内に絞るという手順を確認した上で審査開始。まずは通しで全体を観るがピンと来るものは数点しかない。総じて大雑把な作品が多く少々ガッカリする。個人的印象としては平均30点という感じである。最終的に1点を選ぶのだから優れた作品が1点あればいい訳だが、拮抗した作品群の中から選びたいと願うのが審査員の心理だろう。2回通しで観た後に3回目はじっくりと観ながらチェックしたところ7点しか残らない。20点にはとても達しないので4回目は少しハードルを下げたが依然として15点。やむを得ずさらにハードルを下げて締切の2時寸前にようやく20点を選ぶ。その後4人の選択を集計。4人全員が選んだ作品はゼロ。3人が数点。2人も10点以下。1人だけの作品は約50点以上とかなりバラつく。これは予想通り。上から順番に1点ずつ作品を観ながらチェックして行く。3人が選んだ作品は僕が最後に選んだ作品ばかり。これも予想通り。要するに当たり障りのない作品だから皆に選ばれるのである。2人以下で議論が徐々に活発になり、1人だけが選んだ作品については俄然議論が活発になる。僕が最初に選んだ7点はほとんどこの中に入っている。僕の視点が特殊なのか作品が特異なのか。恐らく両方だろう。プロポーザルコンペで提案すべき範囲はどこまでかという点で各委員の考えが大きく異なる点が浮かび上がる。通常のプロポーザルコンペとは異なり、今回は具体的な提案を求めているので、ダイアグラム的な提案だけでは要件を満たしていないというのが僕の選択基準である。と同時に技術的な提案抜きに平面や形態のダイアグラムだけでは新しい建築は提案できないというのも僕の考えである。そう考えない審査委員がいることに少々驚く。一通り議論が終了したところで残ったのは27点。さらに議論を重ねて最終的に24点に絞る。僕が最初に選んだ7点はすべて残った。30点には満たなかったがこれが建築関係委員の結論ということで確定し6時前に終了。再来週の1次審査までに他の委員の推薦作品を3点まで募り、それらを合わせて2次審査の対象となる6点に絞ることになった。6時過ぎ終了。7時に事務所に戻る。夕食後『母なる証明』(ポン・ジュノ:監督 2009)のDVDを観る。田舎町に住む貧乏な母子家庭の少々頭の弱い息子が殺人事件の犯人として捕えられ、母が息子の無実を証明するために東奔西走するのだが、予想外の結末が待っている。「母なる証明」に失敗し意気消沈した母が自らの太腿に鍼を刺して感情を昂らせ夕日を背景にバスの中で踊り狂うラストシーンが印象的である。ポン・ジュノ監督の映画はシナリオが決定的だが、この映画では顔のアップを多用したカメラワークと複雑怪奇な音楽が物語の展開を効果的に演出している。とはいえやはり『殺人の記憶』の迫力には及ばない。「初心忘るること勿れ」である。


2011年10月07日(金)

5時前に目が醒める。iPhoneをチェックすると、はりゅうウッドスタジオからメールが届いていたので直ちにAir Macでプレゼ画面を開きチェックバックする。7時半起床。8時半出社。スタッフがまとめたコンペ図面をチェックバック。僅かな修正のみ。11時過ぎ、最終プレゼ図面をはりゅうウッドスタジオに送信。午後は花巻がまとめた「141小澤邸」の詳細図のチェックバック。地盤改良の新しい構法について再確認する。夕方栃内と「142森山邸」の減額変更案について打合せ。何とか予算に近づける案を作成する。今夜中にまとめて森山夫妻に送信するように指示。磯崎新+浅田彰の連名で『ビルディングの終わり、アークテクチャーの始まり---10 years after Any』と『建築と哲学をめぐるセッション』2冊の箱入りセットが送られてきた。1990年から2000年までに毎年開催されたANY会議の集大成である。100部限定の66番という手紙が付いている。先日の「磯崎新 孵化過程展」オープニングパーティに出席した返礼だろうか。感謝と戸惑いの混じった不思議な感覚にとらわれる。前者は既に読んでいるので後者をじっくり読んでみよう。5時半に事務所を出て神楽坂の赤城神社ホールへ。約100人の観客。6時半から『おひとりハウス』(篠原聡子:著 平凡社2011)刊行記念のトークセッション。絵本を企画した真壁智治さんの顔も見える。篠原さん、社会学者の西川祐子さん、南後由和さんの鼎談。「おひとりハウス」が年寄りに限らない現代あるいは近未来の社会現象であるという前提で、今後、集合住宅はどう変わるかという議論が展開される。『おひとりハウス』は篠原さんが1990年代に設計したワンルームマンションにコモンの仕掛けを加えたリノベーションである。「現代のコモン空間は個室の存在を前提としている」という西川さんの主張に頷く。僕の考えでは一室空間が個室とコモンに分化した訳だが。近未来は個室が機能的に断片化して行くだろうという西川さんの予言が興味深い。要するに個人がいくつかの場所に機能別の個室を持つようになるということである。8時前終了。その後、隣接した「赤城カフェ」に移動し立食パーティ。50人くらいが参加。久しぶりに東大建築学科の大月敏雄さんに会ったので釜石の仮設住宅について話を聞く。西川さんともしばらく立話。遅れて小泉雅生さんも到着。日本女子大住居学科の卒業生院生とも話をする。10時過ぎ終了。真壁さんと一緒に表参道まで戻り11時前に事務所に戻る。赤ワインが回ったので早々に帰宅。ベッドに倒れ込む。


2011年10月06日(木)

7時起床。8時半出社。アップル前CEOのスティーブ・ジョブズ(1955-2011)氏が死去したニュースが飛び込んでくる。享年56歳。「技術が教養や人間性と結びついてこそ人の心を動かすことができる」とか「Stay Hungry Stay Foolish」といった彼の有名な言葉を想い出す。ここ数ヶ月iPadを買おうかどうか悩んでいたところだったが、これでしばらくの間は買わない決心がついた。冥福を祈りたい。9時過ぎに事務所を出て田町の建築会館へ。10時から11月に開催される建築学会関東支部のZEB(Zero Energy Building)シンポジウムの事前打合せ。この種のシンポジウムで事前打合せをするのは初めてだが、予想通り顔合わせで終わる。ひとりシャシャリ出たがり屋の人がいたので11時前に早々に退席。12時前に事務所に戻る。昼食後、道の駅コンペのプレゼンテーションの打合せを少々。事務所に戻るのは夜遅くになりそうなのではりゅうウッドスタジオとのやり取りはスタッフに任せる。2時過ぎに事務所を出て銀座線末広町のアーツ千代田3331へ。前面にゆったりとした公園を持つアート系の展示スペース。かつて中学校だった建物のコンバージョンだという。3時からHEAD(a study group on Home&Environmental Advanced Design)研究会(http://www.head-sos.jp/contents_ja.html)の社団法人化の記念シンポジウム。会場は100人を越える人で一杯だが建築家はほとんどいない。顔見知りは宮崎浩さんだけ。「箱の家」の工事を請け負ってくれた工務店の社長父娘にも会う。シンポジウムのメンバーで知り合いは松村秀一さんと松永安光さん。松永さんが開会の挨拶を述べた後、松村さんが研究会の趣旨を説明。ストック社会における建築産業のあり方を研究するというのが大義名分だが、実質的には日本の建築部品や建築産業の技術を海外とくに中国やアジアに輸出することが目的のようだ。建材部品メーカーにとっては今後の重要なテーマだが建築家はこの問題をどう捉えればいいだろうか。僕は大いに興味あるが若い建築家は蚊帳の外である。経産省や国交省の課長が応援の挨拶。皆「上から目線」であるのが気になる。休憩後、会が選定した優秀建築部品10点の表彰。選定理由のシンポジウムが始まったところで5時に退席。地下鉄を乗り継いで豊洲駅に6時前着。改札で堀越英嗣さんと待ち合わせ。6時過ぎに芝工大建築学科に着く。6時半からDCS(デザイン・チャンピオン・シップ)の中間講評。約25人の学生が集まる。皆2,3人のグループで10数組のエスキス。締切まであと3週間だが、夏休み明けのためほとんどスタディを始めたばかりの段階で、ごく一般的なアドバイスしかできない。少々肩すかしを食った感じだが、学生にとってはいい気分転換になったかも知れない。9時過ぎ終了。豊洲駅近くの居酒屋で遅い夕食。堀越さんと学生10人で歓談。久しぶりの学生との会話だが話が噛み合わないので酔えない。年齢差の限界を越えていることを痛感する。11時過ぎに解散。12時過ぎに事務所に戻る。大急ぎでコンペのプレゼンテーションをチェックした後1時過ぎ帰宅。そのまま就寝。


2011年10月05日(水)

7時起床。8時半出社。冷たい雨が降り続いている。石山修武さんの「世田谷村日記」でプノンペンのナーリさんの体調が思わしくないことを知る。昨年帰国された時に電話で病気であることを聞いた。その時の声は元気そうでまた会いましょうといっていたのだが。日大郡山の浦部研院生から「道の駅コンペ」の模型写真が届く。相変わらず敷地を薄いスチレンボードで作っているので、いくら頑張っても精確な模型が出来る訳がない。何度も念を押したにもかかわらず実行しないのでは何をか況やである。早急に敷地パネルをリブ補強するように指示する。昼過ぎにコンペのコンセプト・シートの叩き台が届いたので大急ぎでチェックバックする。レイアウトを考慮してコンセプト文を推敲し現段階での僕たちのプレゼンテーション図面を添付して返信する。その後、内観パースも届いたので大急ぎでチェックバック。締切まであと2日だが何とか頑張って欲しい。昨夜まとめたサステイナブル・デザイン国際会議のKeynote Speechのスライドを再チェックし、firestorageを使って会議の議長である清華大学の周浩明(Zhou Haoming)教授に送る。うまく届けばいいのだが。夜は大分県立美術館コンペの応募シートに眼を通そうとしたが1/2に縮めた版なのでとても読み込めない。土曜日に実物を見て判断するしかなさそうだ。プレゼンテーション図面の最終チェック。明日中には何とかまとまりそうだ。9時半に帰宅。『大転換』を読みながら夜半就寝。


2011年10月04日(火)

7時起床。昨夜は久しぶりにぐっすりと寝た。本を読みながらいつの間にか寝入ったようだ。枕元に本が開いたままだった。目覚ましで起きて眼が止まったところが読みかけの個所だったのにはビックリした。寝ている間は時間が止まったような感じである。iPhoneを開くと久しぶりに鈴木博之さんからメールが届いていた。Xゼミミーティングはここ1ヶ月休止している。最後に会ったのは磯崎新の展覧会オープニングだった。会う機会がないのは震災への対応が三者三様で重ならないのが原因だろう。8時半出社。スタッフと「道の駅コンペ」のプレゼンテーションの方針を再検討し結果をはりゅうウッドスタジオと日大浦部研に送信。引き続きコンセプト・シートをチェックし、コンセプト文の作成を始める。コンセプトを8つのカテゴリーにわけ、できるだけ単純明快な箇条書きにする。夕方までにまとめてメンバーに送信。夜は今月末に北京の清華大学で開催されるサステイナブル・デザイン国際会議『Tao of Sustainability』のKeynote Speechのスライド編集。主催者からは「建築の4層構造」について話すように言われたが、理論ばかりではなくCase Studyとしての「箱の家の展開」を紹介する予定。1時間弱のスピーチなのでコンパクトにまとめる。コンペのプレゼンテーションについて簡単に打ち合わせた後9時半過ぎに帰宅。

『大転換』を読み続ける。第1部「国際システム」の第1章「平和の100年」と第2章「保守の20年代、革命の30年代」を読み終えて、第2部「市場経済の興亡」第3章「居住か進歩か」に進む。第2次大戦中に書かれた本なので、当時の状況を色濃く反映しているように思える。第1部では自由主義市場経済が世界中に浸透した19世紀から、それが崩壊し2つの大戦に突入する歴史的経緯が概観されている。ポラニーによれば、権力バランス、金本位制、自由主義国家という体制を統合していた「自己調整的市場」が崩壊したために2つの大戦がもたらされたのである。ポラニーは戦後体制においては経済に対する何らかの政治的調整が必要であることを主張しているように読める。それが戦後のケインズ主義やソヴィエト的な社会主義につながる訳だが、1980年代にはケインズ主義が放棄され、1990年代には社会主義国家が崩壊して、再び新自由主義市場経済が復活する。しかしリーマンショック(2008)や東日本大震災(2011)を経た現在から振り返ると、ポラニーの主張がやけにリアリティを持ってくるから不思議である。まさに歴史は反復されるようだ。それはマルクス的な「茶番劇」かフロイト的な「抑圧されたものの回帰」のどちらだろうか。僕としては前者として相対化してしまうのではなく、後者として正面から真剣に捉えたい気分である。


2011年10月03日(月)

6時に窓からの光で目が醒めたが起きる気になれず1時間微睡んだ後7時に起床。7時過ぎに1階に下りて朝食。7時半に部屋に戻り昨夜思いついたことをコンペ・メンバーに送信。8時にチェックアウトし郡山駅へ向う。天気はいいが寒いくらいの気温。歩くうちに10年前、日大郡山で開催された建築学会シンポジウムのことを想い出した。確かに駅前からバスに乗った記憶がある。サステイナブル・デザインに関するシンポジウムだったが、大御所の先輩たちが建築家批判をぶちまけた悲惨なシンポジウムだった。その日に僕はサステイナブル・デザインを研究テーマにすることを決心した記憶がある。8時半の新幹線に乗車。車内はガラガラ。10時前に東京駅着。10時半に事務所に戻る。帰宅して着替えた後11時からコンペ打合せ。昨夜の打合せ結果を報告し第4案の策定。引き続きプレゼンテーションの方針を決める。昼過ぎに第4案のデータと模型製作のコメントをコンペ・メンバーに送信。一仕事終えたところで疲れがどっと噴き出す。大分県庁から届いたダンボール入の県立美術館コンペ資料に眼を通し始めるが集中できず一旦休止。藤森照信さんから『フジモリ式建築入門』(藤森照信:著 ちくまプリマー新書 2011)が届く。建築原型論から始めて、古代以降の壮大な西洋建築史を辿り、最後は日本の住宅史で終わるという藤森さんらしい構成である。これも放送大学テキストの参考にさせてもらおう。東北大の五十嵐研有志から『ねもは02+ 素晴らしい建築プレゼンテーションの世界』が届く。若い建築家(学生)による同人誌のような雑誌である。五十嵐太郎を除き、書き手は全て20歳代。知っているのは難波研OBの服部一晃だけである。修論の『妹島和世論』に基づく論考のようだ。何しろ活字が異常に小さく年寄りの僕には虫眼鏡がないと読めない。プレゼンテーションの紹介の本なのに画面が小さくてよく分からない。巻末の予告では『ねもは03号』は特集「日本・建築・批評」である。これはぜひ読んでみたい。夜に再度コンペ打合せ。9時半帰宅。すっかり寒くなったので床暖房のスイッチを入れる。カール・ポラニーの『大転換---市場社会の形成と崩壊』を読みながら夜半就寝。


2011年10月02日(日)

7時起床。1階のレストランで朝食。日曜日のせいかホテルは家族連れで一杯である。8時前に部屋に戻り荷物をまとめて8時半にチェックアウト。森内さんのマイクロバスに乗り青森から西の弘前へと向かう。松沢さん加賀谷さんに加えて、講演会ポスターのデザイナー小枝由紀美さん、青森県立青森工業高校建築科の奥谷等さんが同行。小雨と晴れが混じった肌寒い天気。高速道路の脇は一帯がリンゴ畑。弘前市内に入るとアップル市民マラソンの開催中で交通規制が厳しい。10時過ぎに木村産業研究所に到着。前川國男が昭和7年(1932)に設計した日本での実作第1号である。地場産業振興のための施設で現在は前川国男記念館になっている。前川がル・コルビュジエの元から帰国する船上でクライアントの木村に出会ったという。吹抜けのある正面玄関上に張り出したバルコニーがデザインのポイントだったらしいが、現在はフラットなファサードになっている。右端は駐車場のピロティ。水平窓などから多分ル・コルビュジエの「ガルシュの家」の引用だろうか。次は弘前市庁舎(1958)へ。深い庇を持ったコンクリート・フレームのデザイン。1950年代に流行った日本的庁舎建築のデザインの展開である。腰壁の赤色タイルが前川流。屋上のペントハウスはル・コルビュジエ風。増築棟は前川事務所後期の打ち込みレンガのデザインでやや重い感じ。化粧合板張りによって立体的な表層をデザインした議事堂の内部も見学させてもらう。引き続き文化会舘(1964)へ。外壁は縁甲板型枠によるコンクリート打ち放しの音楽堂。神奈川県立音楽堂(1954)を想起させるが、やや鈍重なデザイン。ホール内部は上野の東京文化会館を小規模にしたようなデザイン化粧合板の仕上げ。文化センターの裏に回ると小規模な博物館(1976)がある。こちらは上野の都立美術館と同じ後期打ち込みタイルのデザイン。最後に訪れたのは弘前中央高等学校の講堂(1954)。戦後直ぐに建てられたコンパクトで軽快な箱形ホールでこちらの方が神奈川県立音楽堂に近いかも知れない。昼過ぎに弘前を発ち、朝来た高速道路を引き返し青森を通り抜けてさらに東方へ走り十和田市へ。あまり時間がないので途中のドライブスルーでケンタッキーフライドチキンを購入し車内で簡単な昼食。初めての経験である。高速道路上では物凄いスコールだったが降りるとカラリと晴れる。1時半過ぎに西沢立衛設計の十和田現代美術館(2008)着。十和田市内の商店街は完全なシャター街だが、美術館の周りの官庁街だけは観光客で賑わっている不思議な光景。ホワイトボックスをランダムに分散配置しガラスの通路でつないだ分棟型の美術館。ホワイトボックスにはそれぞれユニークな彫刻作品が置かれ、屋外の隙間にも巨大な彫刻が配置されている。ホワイトボックスは街に向かって巨大なガラス面によって開放されているので街路からも作品が見える。内部からはガラス面を通して街の風景がアート作品のように切り取られる。夜には室内の作品が浮かび上がり、ホワイトボックスは多色にライトアップされるようだ。全体の印象はほとんど遊園地というかテーマパークに近い。近未来の美術館はこうなるのかという微かな疑念にとらわれる。約1時間半館内を見学した後カフェで休憩。3時半に美術館を発ち新幹線の七戸駅へ4時着。駅前で皆さんにお別れの挨拶をして4時半発の新幹線に乗り7時に郡山着。はりゅうウッドヅタジオの田中君と改札口で待ち合わせ、彼の車で西口のビジネスホテルへ。チェックインを済ませた後、再び車で構造家の浜尾さんのスタジオへ7時半着。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼、滑田両氏、浜尾さん、Yゼネコンの専務、日大浦部研のメンバーが参集。道の駅コンペについて打ち合せ。プレゼンテーションと模型製作の方針を決めて9時過ぎ終了。街中のラーメン屋に移動し遅い夕食。10時半解散。ホテルに戻りシャワーを浴びた後、缶ビールを呑みながらボンヤリと今日一日を反芻。そのまま夜半過ぎに眠りに就く。


2011年10月01日(土)

6時半起床。7時過ぎに出社。荷物を整理し7時半に事務所を出て東京駅へ。8時半の新幹線はやてに乗り新青森へ12時着。改札口で森内建設社長の森内忠良さんと青森県地域整備部の加賀谷健治さんが迎えてくれる。森内さんの車で港に係留されている青函連絡船「八甲田丸」内の多目的ホールへ。青函連絡船は今は観光施設になっている。会場のセッティングについて打ち合わせた後、森内建設の社屋を見学。森内さん自身は建築家なのでアトリエとギャラリーをかねた瀟酒な建物である。近くの寿司屋で昼食を摂った後、青森県立美術館と三内丸山遺跡を見学。県立美術館は竣工時に観て以来の2度目の訪問。竣工時は周囲の修景が途中だったが現在はランドスケープもすっかり整備されている。外装のタイルに白ペイントもほとんど剥げていない。内部の土壁も問題ないが、床の三和土はあちこちがひび割れている。中央ホールのシャガールの巨大な絵を観て早々に三内丸山遺跡へ移動。数人の大学生に写真撮影を頼まれたので少し立話をする。「建物が4000年前から残っているのは凄いですね」と感動しているのには笑った。4時にホテルにチェックイン。5時に青函連絡船ホールへ。5時半からレクチャー。会場には約100人の聴衆。高校生の顔も見える。青森市には建築関係の学校は高校しかないらしい。八戸から来た学生も混じっている。『建築家は住宅で何を考えているのか』と題して約2時間のレクチャー。建築家だけでなく青森デザイン協会のメンバーも多いようなので、グッドデザイン賞審査の体験に関連づけてアートとデザインの相違などについても話す。池辺研究室の先輩である松沢きみ子さんの紹介で実現した会なので池辺陽の話題も少し交える。7時半終了。その後20人くらいの人が残り懇親会。東京で働いていた若い建築家とは震災復興への建築家のコミットの仕方などについて話す。9時終了。街中の料亭に移動し会食。和食と日本酒で大いに盛り上がる。11時半解散。ホテルに戻りシャワーを浴びた後夜半過ぎ就寝。


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