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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2011年04月30日(土)

7時半起床。9時前出社。10時過ぎに事務所を出て東武伊勢崎線の竹ノ塚へ。改札口で三葉製作所の武内伸嘉さんと待ち合わせ、タクシーで草加市新里町の上岡邸へ。三葉製作所の輻射冷暖房パネル「パネルシェード」を取り付けた住宅の見学会である。熱源はヒートポンプの冷温水機で、考え方はPSヒーターと同じだが、パネルがアルミ製である点と縦ルーバー型のデザインが異なっている。上岡さんは上岡工務店の社長。集成材軸組構法の3階建て住宅。ちょっとヘビーデューティだが、平面計画は明解である。上岡さん自身の案内で内外を見学。今年初めに完成し、冬期の暖房モードはうまく行ったとのこと。現在は冷房モードで運転しているが、まだそれほど暑くないので効果はよく分からない。来週末の界工作舍のオープンハウスを案内して12時半終了。1時半に事務所に戻る。2時、遠藤さんが来所。施主検査の日時を決定。出来映えは気に入って貰えたようだ。2時半、クライアント候補の森山直樹さん一家が来所。森山さんは以前、界工作舍でバイトをしたことのある構造家で、現在は組織事務所で働いている。奥様も顔見知りで、界工作舍の仕事については十分に理解している。子供ができたので新居を計画し、浦和駅近くに土地を購入したそうだ。新居計画に至るまでの経緯について話を一通り聞き、敷地に関する書類をコピーする。来週、敷地調査に行くことを約して4時前に終了。井上と「アタゴ工場」の残工事について短い打合せ。その後しばらくZEIN.zipの議論に参加。5時半終了。明日のLATsで取り挙げる3冊にざっと眼を通し夜半就寝。


2011年04月29日(金)

7時半起床。9時出社。いい天気である。今日もfacebook上でZEIN.zipの議論を続ける。途中、やり取りがTwitterのように細切れ印象批評になって来たので、もっと構築的な議論に転換するように提案。復興都市モデルにおける商業空間に関する議論から再開。ショッピングモール的な商業空間に代わるオルタナティブな市場空間へと議論を展開させる。午後、一旦自宅に戻って風呂に入り、しばらくの間沈思黙考。引き続き、居住空間に関する議論。復興都市ユニットの人口をどう考えるかについて検討するために、震災前の人口分布を調べるように提案。いろいろ議論したが、人口が集中する部分と、分散する部分に分けて考える必要があるかもしれない。「復興都市」だけでなく「復興村」も必要ではないかということである。津波に対してどうするかが問題だが、60年代のようにメガロマニアックなインフラ構造をつくるのは時代錯誤だろう。問題は山積している。相変わらずメンバーの議論参加は少なく、僕と勝目さんだけの対話に終始している。これではプロジェクトは先に進まない。夕方、事務所を出て表参道へ。異常な人出である。地下鉄副都心線で新宿三丁目の味王へ。ここも満員。6時半から鈴木、石山両氏とXゼミミーティング。あれこれ議論するが今一盛り上がらない。来週、再度ミーティングを開くことを約して8時半解散。9時に事務所に戻る。

『メタボリズム・ネクサス』は第1章「日本のアルターエゴの系譜」と第2章「世界史の建築」を読み終わり、第3章「焦土の中から」へと進む。「あとがき」を最初に読んだのは、本書の結論を把握しておいてから、全体を遡行的に読んでみようと考えたからである。「あとがき」に八束はこう書いている。「本書の論述対象は「日本」(の国家的・社会的野心)である。この野心は今や失われてしまった。「近代の超克」は果たされず、ポストモダンという身動きの取れない社会へと地滑り的に変化してしまったというのが私の見方である。最後のところで書いたように、現代日本の建築はスーパーエゴ(社会的規範)への意識とはほぼ関係なく、逆に意識下(イド)にばかり傾斜してしまったように思われる。建築的野心はあっても社会的野心は見出せない。感性は豊かかもしれないが、それと均衡のとれるほどの知性の働きを見ることは私には出来ない。建築が個人の感性や思い入れの表出でしかないとしたら、それは私の関心事ではない」。これが本書の結論と言ってよいだろう。このような時代認識の元に、八束はメタボリズムの再評価と、その理論の現代への適用を試みようとしている。それがウェブマガジン『A A Review』3月号に掲載された「メタボリストたちからみる建築家の夢と現実」と7月に森美術館で開催予定の「メタボリズム展:都市と建築」である。
http://aar.art-it.asia/fpage/?OP=backnum&year=2011&month=02
とはいえ、今回の東日本大震災を通じて、メタボリズムの歴史的な意義はかなり変わるのではないだろうか。


2011年04月28日(木)

7時起床。8時半出社。快晴。すっかり暖かくなった。中庭のリンカマヨール(下草)が急に延び始めて、アプローチ通路にまではみ出して来た。薄紫の花も咲いている。ヒメシャラの樹も一斉に葉をつけ始めた。10時半、真壁智治さん来所。完成間近の「箱の家139」の配置とデザインに感心してくれる。岩元が参加し「家の絵本」の打ち合わせ。参考に篠原聡子さんの絵本の校正を見せてくれる。シナリオについてはこのまま進めることとし、レイアウト、色彩、線については5月末にデザイナーと打ち合わせることになった。それまでに一通りの叩き台を作成することとする。3時、小澤夫妻が来所。「141小澤邸」の実施設計打合せ。来週月曜日の現場説明に提出するための図面一式について説明。4時終了。「アタゴ工場」への移転が始またが、細かな問題が出ているらしい。来週も引き続き見守る必要がありそうだ。午前から午後にかけてfacebook上でZEIN.zipのコンテンツに関する議論を展開。メンバーにもっと議論に参加せよと檄を飛ばしたところ、言葉遣いが難しくてついていけないという不満が返って来る。僕としては、学生にも分かる程度にかみ砕いて書いているのだから、もっと勉強すべきだと突き放す。これまでの経緯で分かったことは、多人数の議論によって何かをうみ出すことの難しさである。アイデアは自生的には生まれない。議論を刺激にして、ひとりひとりが積極的にアイデアを出さないと、この種のプロジェクトは先に進まない。IT関連のメンバーが多い点にも問題がある。ITの仮想空間と実空間とは別次元にあるからである。ソフトな提案は多いが具体的なデザインに結びつかないのはそのためである。結局、断片的な意見が出るばかりで、全体を統合するようなアイデアは出てこない。コーディネーターの勝目さんは、さぞかし苛々していることだろう。現状をどう打開するか、あれこれと思案を巡らす。最後はエイヤッと決めるしかないだろうか。『10+1』 ウェブ上にLATs第2回の「自生的デザインは可能か」が掲載される。ZEIN.zipメンバーにはぜひ読んでもらいたい。10時半帰宅。『メタボリズム・ネクサス』を読みながら夜半就寝。


2011年04月27日(水)

昨日、ロンドンから帰国している石井孝幸くんから掘りたての竹の子が届く。早速スタッフに分配。夕食に刺身でいただく。日本酒との相性がいい。7時起床。8時半出社。雑用を済ませた後10時過ぎに事務所を出て東武東上線で寄居へ。今日は午後3時から「アタゴ工場」の竣工引渡だが、それまでの時間を利用して界工作舍スタッフとOBOGへのお披露目。井上の案内で内外を1時間かけて説明。反応はおおむね良好。3時前、大成建設の関東支店長。村田誉之氏が到着。村田さんは僕の後輩で内田祥哉研究室の出身である。社長、関東支店長、現場監督と内田研出身者が揃ったことになる。まもなく雨宮社長、永吉工場長、林課長が到着。3時から引渡式。各種引渡書類の説明、鍵の引渡、使用マニュアルの説明など、小1時間で終了。途中、高間三郎さんが到着。最後に雨宮社長の挨拶。さまざまな経緯があったが、出来映えは気に入ってもらえたようだ。終了後、高間さんからクリーンルームの設備仕様についての説明。引き続き僕からは建物全体のデザインコンセプトについて説明。工場の製造・組立ライン、構造、外装構法、設備の各システムが、それぞれ独立したシステムでありながら、水平・鉛直方向とも3mモデュールによって統合されている点を強調する。4時半に現場を発ち6時半に事務所に戻る。夜は岩元と明日の真壁智治さんとの「家の絵本」の打合せの準備。ページのレイアウトと彩色システムの雛形を作成する。花巻と「141小澤邸」の打合せ。セカンドハウスなので小澤一家の訪問頻度を聞いたところ、2週間に1回程度という回答。なので床暖房はメンテナンスが容易で立ち上がりの早い電気ヒーターシステムにすることで決定。10時半帰宅。

『メタボリズム・ネクサス』はあとがきから始めて、序章「日本:美学化と近代国家の間で」を読み終える。本書の構図を把握するために2度も読んだ。「日本」をひとつの「主体」と考え、日本の近代化を、フロイト的なイド(無意識)、エゴ(自我)、スーパーエゴ(超自我)においてとらえる点は、基本的に柄谷行人の『日本精神分析』と同じだが、それに加えて、建築的・都市的側面をアルター・エゴ(もうひとつの自我)としてとらえている点は、八束のオリジナルな視点である。キーワードはイデオロギー抜きの「美学化」である。

パッシブデザイン・コンペの締切が迫ってきた。震災後、住宅のエネルギー・システムのあり方があらためて問われるようになっている。ぜひとも多くの人に応募してもらいたいと思う。
http://www.pd-compe.com/


2011年04月26日(火)

8時半出社。昨夜も井上が「アタゴ工場」の竣工圏図面の準備と竣工図の整理ために徹夜している。彼女は10時過ぎに竣工検査に向かう。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんから電話。仮設住宅の提案のために釜石に赴き、そこで土井幸平や大西隆に会ったそうだ。丹下健三門下の都市計画家である。大物民主党議員を同伴していたらしい。芳賀沼さんはその夜。彼らと一献傾けて反権威主義の持論を披瀝したそうだ。釜石には復興計画のためにさまざまな人が訪れているとのこと。5月2日(月)には伊東豊雄と小野田泰明によるワークショップも開催されるそうだ。仮設住宅の土地を確保したので、早急に計画をまとめたいとのこと。僕も何らかの形で協力したい旨伝える。ともかく芳賀沼さんの行動力には脱帽である。午後『建築雑誌』7月号の原稿に取り組む。20世紀初期のモダニズム運動と21世紀初期のサステイナブル運動における環境への取り組み方の違いを対照表にしてみる。夕方までかかってようやく4枚書き、編集部に送信。花巻と「141小澤邸」の軸組システムの打合せ。構造用合板を手に入れるのが難しいようで、見積に入っていないのが問題である。ともかく構造体は一体で請けてもらわねばならない。夜は「ZEIN.zip Zero Energy&Infinite Networks Project」の趣意書の校正。原案は少々長文なので半分にまで縮小整理する。夜、井上が「アタゴ工場」の竣工検査を終えて帰社。まだ問題が残っているようだが、あと一息である。10時半帰宅。ベッドの中でもiPhoneを使ってZEIN.zipの趣意書の校正を続ける。11時過ぎ終了。駒場の加藤道夫さんから『ル・コルビュジエ---建築図が語る空間と時間』(加藤道夫:著 丸善出版 2011)が届く。ル・コルビュジエの描いた図面やドローングから、彼の空間の魅力と限界を読み取ろうとする試み。仮想空間と実空間との対応のケーススタディとして読めば現代にも通用するかもしれない。


2011年04月25日(月)

8時半出社。眠い。「春眠暁を覚えず」の春眠の方がない。午前中はボンヤリと過ごす。午後1時に栃内と事務所を出て、京王線上北沢のスーパーポテトへ。2時から外装断熱パネルの打合せ。スーパーポテトからは杉本貴志さんと原井順子さん、メーカー側からは若いエンジニア3人が参加。震災後の最初の打合せなので、これまでの結果を踏まえて開発計画の仕切り直し。僕から切り出して問題点を指摘する。コスト、性能、構法、製造法の条件に優先順位をつけることを確認。若いエンジニアなので反応は早い。打合せはこれくらいの人数が適当である。次回の打合せは2ヶ月後とし、それまでの課題を整理する。僕たちも手をこまねいて結果を待つのではなく、積極的に作業経過を確認しなければならない。4時終了。5時前に事務所に戻る。グッドデザイン賞の事務局から電話。震災のため今年のスケジュールは1ヶ月遅らせることになった。被災地からの応募は無料である。しかし8月末の最終審査日は変わらないので、1次審査が忙しくなりそうだ。6時前に事務所を出て八丁堀の岡部憲明事務所へ。構造家、播繁さんのレクチャー。佐々木睦朗、齋藤裕、安田幸一、写真家の村井修といった面々も参加しているが、他は構造関係だろうか、ほとんど知らない人ばかり。播さんは1938年、満州の瀋陽生まれ。鹿島建設に入るまでの経緯や、鹿島建設での構造設計の経歴について約2時間のレクチャー。播さんが職人的な構造デザイナーであることを改めて確認する。播さんのスケッチが建築家以上に巧いのに驚く。9時過ぎからパーティが始まるが、僕は赤ワイン少々とチーズ一片だけをいただいて早々に退席。八丁堀近くのラーメン屋で遅めの夕ご飯を食べた後、10時に事務所に戻る。締切間際の原稿が気になるが集中できず10時半帰宅。『メタボリズム・ネクサス』を読む。序章から手強い。今一乗り切れない。facebookへの投稿が続いているが、全体としてどういうネットワークになっているのかまだよく分からない。夜半就寝。


2011年04月24日(日)

8時起床。9時半出社。久しぶりに娘が帰宅し、妻と一緒に墓参りに出かけて行く。午前中は『息もできない Breathless』(ヤン・イクチュン:監督 2008)のDVDを観る。監督のヤン・イクチュンが主役で凶暴なヤクザであるところは『その男、凶暴につき』(北野武:監督 1989)を想わせる。物語の構造もどことなく似ている。手持ちカメラでクローズアップを多用した画面には圧倒される。暴力描写のクローズアップには嫌悪感さえ憶えるが、その分ヤクザの男と女子高校生の心理的なやり取りが浮かび上がる。真夜中の漢江で二人がやり取りするシーンが印象に残る。午後、『「住宅」という考え方---20世紀的住宅の系譜』(松村秀一:著 東京大学出版会 1999)を読み通す。本書が出たのは1999年だから、すでに12年経過している。その間に日本の住宅事情、なかでも在来木造住宅の造り方はどう変わっただろうか。本書では、エネルギーの問題や阪神大震災による在来木造構法の変化も論じられていない。本書の延長上で、21世紀とりわけ東日本大震災以後における住宅のあり方について、改めて考えてみる必要がある。夜、妻と青山に出て裏通りのイタ飯屋で夕食。赤ワインでいい気分になり会話が弾む。9時帰宅。ベッドに横になったらそのまま眠ってしまい1時過ぎに目が醒める。facebookに次々と知り合いから連絡が入る。なかなか寝つかれないので『メタボリズム・ネクサス』を読みながら3時前就寝。


2011年04月23日(土)

7時半起床。9時前出社。昨日、勝目さんが立ち上げた「環境未来都市」構想のプロジェクト名は、最終的に「Zero Energy&Infinite Networks Project」略して「ZEIN.zip」と決まる。震災復興計画をゼロエネルギー都市のプロトタイプ計画に結びつけ、ペーパーレススタジオの広いネットワークで実現しようという趣旨である。ZEINには「全員」、zipには「集約」の意味を込めている。ザインと発音すればドイツ語のSEINすなわち「存在」とも読める。今日はこのプロジェクトのロゴマークについて議論。Zero(ゼロ)とInfinite(無限)をひとつの記号に集約させることがテーマである。Facebook上で勝目さんやプロジェクトメンバーとエスキスをくり返し、数時間かけて収斂させる。勝目さんの反応の早さに感心する。ともかくこの種の議論には集中力が必要である。僕はメンバーの全数を把握していないが、他のメンバーは呆然と眺めていたのだろうか。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんから電話。福島県への木造応急仮設住宅の提案が採用されたという報告。これで第1のハードルをクリアした訳である。来週は宮城県と岩手県にも応募する予定とのこと。7月の第2段階の応募に向けて5月中に案をチューンアップすることで合意。ムジネットに対し、こういう非常時には何らかの形で計画に参加すべきではないかという趣旨のメールを送る。僕がfacebookに登録したことを見つけて、留学生から友達登録のメールが届く。別に拒否する理由はないので、すべて承諾の返事を送るが、お互いにメールアドレスを知っているのだから今更という感じもする。この種のSNSは集団にならないと有効性は薄いと思う。『建築雑誌』7月号原稿続行。キーワードは揃ったが最初の言葉が見つからない。5時半終了。6時解散。夜は『住宅という考え方』を読み続ける。第2章「量産の夢」第3章「商品としての住宅」を終えて、第4章「新世紀の素材」へ進む。戦後日本における工業化住宅の歴史がよく分かる。レヴィット・タウンの分析も興味深い。


2011年04月22日(金)

7時半起床。8時半出社。深谷市の建築審査センターから電話とファックス。井上は竣工写真の撮影のため「アタゴ工場」の現場に行っているので、現場事務所へ転送。岩元と「家の絵本」について簡単な意見交換。正午過ぎに岩元はホーチミンに向う。八束はじめさんから『メタボリズム・ネクサス』(八束はじめ:著 オーム社 2011)が届く。直ちにお礼のメールを送る。あとがきにも書かれているように、本書は『思想としての日本近代建築』(八束はじめ:著 岩波書店 2005)の続編で400ページを越える大著である。社会的・経済的・思想的観点から戦後の日本建築史をメタボリズムを中心に辿ったもので「ネクサス」とは「結合」という意味である。僕としては『ブレードランナー』のレプリカント「nexus 6」を連想せざるをえない。この連休中にじっくり読んでみることにしよう。午後、勝目高行さんを含む数人のメンバーと「環境未来都市」構想のプロジェクト名称についてメールで議論。短いメールのやり取りを延々とくり返して2時間余で収斂する。思いつくままにアイデアをやり取りする方法はツィッターに近いのだろうが、集中力を欠けばつまらない会話にしかならないだろう。その後、チーム内の議論の展開のためにfacebookに登録するように要請される。やむなく登録したら、知人の顔が一斉に画面上に現れたのでびっくりする。facebookとは選択的に開放された顔写真付きのメーリングリストであることが分かった。夜は『建築雑誌』7月号の原稿スケッチ。コンテンツは見えて来たが,現代の事例が難しい。「伊東建築塾」からメールが届く。伊東さんの呼びかけで、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世、伊東豊雄の5人の建築家が、東日本大震災復興へ向けて「帰心の会」を立ち上げたという告知と、来週末にシンポジウムを開くという案内。残念ながらLATsミーティングとバッティングしているので出席できない旨の返信メールを送る。10時帰宅。ベッドの中で『ピンポン』(曽利文彦:監督 2002)のDVDを観る。窪塚洋介のやたらとハイテンションな演技。湘南の小さな町がそのまま世界につながっているという理不尽さ。スピード感が心地良いが、後には何も残らない純粋映画である。夜、余震。寝つかれずウィスキーを煽って1時半就寝。


2011年04月21日(木)

7時半起床。8時半出社。勝目高行さんからメール。一昨日からの経過報告。彼の行動力と人的ネットワークの広さはかなりのものである。モノに囚われないソフトの強みだろう。10時半、岩元がまとめた「家の絵本」のスケッチをチェック。本の対象年齢層が上げられたことと、僕としてはややアカデミックな雰囲気も出したいので、輪郭線の使い分け、色彩、対話、それに対するコメントの4つのレイヤーでまとめることを考える。岩元にその旨を伝えた後、真壁智治さんに電話連絡。来週の打合せを決める。彰国社編集部の矢野優美子さんから、一昨年にジュンク堂で開催した藤村龍至さんとの対談原稿が届く。大急ぎで校正し返送したが、藤村さんとは昨年にもリターンマッチをしているので、この原稿だけでは片手落ち的な感じに思える。『新建築住宅特集』5月号を読む。巻頭は小泉雅生の設計した「LCCM住宅デモンストレーション棟」の紹介。環境共生住宅に関する僕の考え方との距離について考える。建設時と居住時の排出CO2をマイナスにするために屋根全体に太陽電池を載せているが、生活様式による省エネ変数に関する検証がない。確かに想定しにくいとは思うが、生活の仕方によっては太陽電池をもっと抑えられるのではないか。多分、かなり安全側の想定なのだろう。戸建住宅が前提条件である点についても、あまり問題にされていないようだが、集合住宅との比較検討も必要に思える。さらに東日本震災後の現時点では、エネルギーインフラさえも当たり前の条件ではなくなっている。ともかく現地で詳細を確認してみたい。引き続き、連載「建築家自邸からの家学び」を読む。今回は先月の「南柏の家」の第2回だが、先月号の方がリアリティがある。保坂陽一郎と東海大学岩岡研との座談会は、突っ込みが今一で物足りない。末光弘和のエッセイ「時代の求める合理」は、今流行の自然モデルの視点から保坂邸のモデュール設計が時代遅れであることを暗に主張している。しかし現代の合理性らしい自然モデルの具体的な構法についてはまったく検証していない片手落ちの批評で、建築家が建設技術から疎外されている状況の典型的な例証である。外装と屋根のパネルサイズまでも変数に取り込み、機能と構法を統合しようとした保坂邸のデザインを果たして理解した上で批評しているのだろうか。僕としては、保坂邸の設計方法は、原理としては現在でも十分に通用することを指摘しておきたい。夜は花巻と「141小澤邸」の詳細打合せ。床暖房のシステムについてあれこれ比較検討する。セカンドハウスなので、どのくらいの頻度で訪れるかによって判断が変わるからである。まずは小澤夫妻の生活設計を聞いてみよう。10時過ぎ帰宅。震度3の余震が2度来る。小さな地震が長野、秋田、佐渡でも続いている。日本列島の地殻が細かく振動しているようだ。


2011年04月20日(水)

7時起床。8時半出社。井上が仕事をしている。アタゴ工場の図面整理で徹夜したらしい。10時過ぎに事務所を出て寄居の「アタゴ工場」へ。今日は竣工検査手続と設備変更工事を井上と僕とで手分けして対応することになった。1時過ぎに現場で高間さんと合流。現場監督、協力業者と対応について議論。クリーンルームの空調機については、モーターの部品を交換し、ファンの回転数を下げることによって風量を抑えるという対策で決定。金属加工室の空調機音は、加工機械から出る音の方が大きいので、問題ないだろうという判断。工場が稼働し始めて問題が出るようなら、クリーンルームと同じ対策を講じることとなった。光学加工室の天井空調機は3つのゾーンに分けて制御することに変更。2時半終了。工場建屋の工事はほぼ終了し、現在は道路を挟んだ駐車場の工事が急ピッチで進んでいる。高間さんと一緒に帰る。車内では早稲田大の学生時代の吉阪隆正さんや井上宇一さんなどの四方山話で盛り上がる。5時半に事務所に戻る。夜は栃内、岩元と断熱外装パネルの打合せ。メーカーから届いた報告書の内容について検討。詳細な報告書だが、ほとんど無用な検討事項ばかりで問題の核心がボケている。作成者はこの開発プロジェクトの優先順位を十分に理解していないようだ。当事者であるメーカーの技術者がこんな状態では先が思い遣られる。昨日、勝目さんから貰った書類に目を通し、問題点についてメールを送る。彼の仕事が日経BPのサイトに掲載されている。10時帰宅。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/it/column/20110414/546975/?P=1

アタゴ工場への往復の電車の中で『アニミズム周辺紀行6:開放系デザイン、技術ノート:創作論』(石山修武:著 絶版書房 2011年2月号)を読み通す。世界中のアニミズム建築を巡り、最後に「キルティプールの終の住処」にランディングするという壮大な想像上のトリップ。一室空間住居を「空虚を胚胎した住処」と捉えているところにビリリと共振する。機能を越えた建築を追求する石山さんの頭の中はどうなっているのか計り知れない。何かにとり憑かれているとしか思えない。来週末に再びXゼミミーティングを持つので聞いてみようか。軽くいなされることは分かってはいるけれど。


2011年04月19日(火)

7時起床。8時出社。昨夜の雨が上がり、朝のうちは比較的暖かかったが、午後には再び雨になり、急に気温が下がる。下諏訪の「141小澤邸」の見積を依頼する工務店3社にメール連絡。現地説明の日時と案内図を送る。はりゅうウッドスタジオから届いた応急仮設住宅の提案図面に目を通す。木構造のシステム住宅。プレファブ協会の標準設計と同じく閉鎖的なのが気になる。昼過ぎ「139遠藤邸」の現場へ。オスモカラーの出来映えをチェック。概ね良好。可能な限り薄化粧に抑えるよう現場監督に依頼する。その足で京橋のINAXギャラリーへ。山本理顕と小嶋一浩(+赤松佳珠子)の共同展『建築と都市の近未来〜山本理顕設計工場とCAtの仕事から』展を見に行く。昼休みだが、会場には誰もおらず僕ひとりだけ。今日が最終日だというのに学生たちは何をしているのだろうか。小さなスケール(2.4mあるいは2.7m)のキューブを集積させて「場」のような空間を立ち上げた理顕さんの「地域社会圏モデル」の2つのケーススタディが興味深い。自立型エネルギープラントを備えているようだが、どこにあるのかよく分からない。小嶋さんの「宇土小学校」も似たようなコンセプトに見える。どちらも表面積がやたら大きいのが気になるが、アジアモンスーン地帯ならば可能なのかもしれない。今夜シンポジウムがあるのだが、出席できないのが残念。その旨を記名帳に記す。2時半に事務所に戻る。3時前ペーパーレススタジオの勝目高行さんが来所。間もなく藤武三紀子さんも到着。近況報告の後、上海のディベロッパーとの仕事、「震災復興支援BIMソリューション」「環境未来都市の提案」などについて打ち合わせ。勝目さんの視野をまだ明確には掴めていないが、僕の見るところ、情報空間と実空間の対応を制御する総合的なシステムを構築しようとしていることは確かである。僕の役目は、そのシステムが向うべき方向のコンテンツを提案することだろうか。早急に検討することを約して4時過ぎ終了。その後、栃内と「140北山邸」家具詳細の打合せ。少しばかりのトリックについてあれこれ頭をひねる。『10+1』ウェブマガジン編集部の齋藤歩さんからLATs第2回の校正原稿が届く。一気に書いたので修正点や加筆が多い。大急ぎで校正をまとめて返信。6時過ぎに事務所を出て新大久保駅前の近江屋へ。鈴木博之、石山修武両氏とXゼミミーティング。今後の展開について相談するが、なかなか先が見えてこない。8時半解散。帰る途中に竹下通りで難波研OBの小野雅俊くんと出会い、しばらく立話。千葉学さんはどうやら歩けるようになったそうだ。9時過ぎに事務所に戻る。

『「住宅」という考え方---20世紀的住宅の系譜』(松村秀一:著 東京大学出版会 1999)の再読を開始する。12年ぶりである。第1章「居住革命」を終えて第2章「量産の夢」に進む。「インダストリアライズド・ヴァナキュラー」を「産業社会の民家的方法」と訳しているのに眼を惹かれる。


2011年04月18日(月)

7時起床。寄居のアタゴ工場行。今日は施主の立ち会い検査。1時から雨宮社長と永吉工場長に同行し、外部と内部を見て回る。隣接する養蜂場の蜂が屋根に排泄物を撒き散らしている。着工時から問題になっていたが、駐車場の車の汚れは半端ではない。庇の下は問題ないのだが屋根や外部床のメンテナンスが大変そうである。内部はクリーンルームの空調の騒音を指摘される。ガラス張りなので反射音によって余計にうるさく感じるのかもしれないが、外部から切り離された空間を個別的に空調することから生じる問題である。これは何とかしなければならない。直ちに高間三郎さんにメール連絡し対応を依頼する。3時半終了。その後、しばらく工場内を見て回る。まだ細かな残工事がある。アピアランスには問題ないようだ。6時過ぎに事務所に戻る。夜、芳賀沼さんから電話。木造仮設住宅の図面一式を送ってもらう。工務店による建設なので,部品化よりも大工仕事による住宅である。規模に制限があるとはいえ、完全に閉鎖的な平面計画に問題を感じる。10時過ぎ帰宅。

往復の電車の中で『セヴェラルネス+---事物連鎖と都市・建築・人間』(中谷礼仁:著 鹿島出版会 2011)を読み終わる。第1章で出鼻を挫かれたが、その後はスムースに読み進み、初版のときよりもさらに一歩踏み込んで理解することができた。同時に、中谷さんの思考形態が僕によく似ていることも分かった。ただひとつ決定的に異なるのは、やはり歴史家と建築家のスタンスかもしれない。中谷さんはセヴェラルネスを、デザインの前提である事物の限定性として捉えているが、僕はその限定性こそがデザインに無限の可能性をもたらすと考える。限定のないデザインなどあり得ないからである。建築家にとって設計条件となる事物の限定性は、あまりにも当たり前のことなので、なぜわざわざ挙げつらう必要があるのかという気さえするのである。事物の限定性の中から、予想もしない意外なデザインがうみ出されることの方が、むしろ驚くべきことではないのか。歴史が提供しているのはそのような事例集である。『形の合成に関するノート』の方法論は、一旦意識化した条件を無意識化=事物化することだという中谷さんの主張は、僕の『建築的無意識』とほとんど重なり合っている。しかし一方で、無意識化=事物化をアレグザンダーの言う「無自覚なプロセス」つまり一種の調和状態に結びつけてしまうとデザインとは硬直したネゲントロピーへのプロセスになってしまうのではないか。とすれば、中谷さんは無意識のうちに中世的な調和状態をめざしているのではないか。そんな気さえしてくる。この問題に関しては『デザインの鍵』における池辺陽の主張を想い出す。池辺はこう言っている。「デザインとは新たな問題をつくることである」。「問題をつくり続けて来たモダニズムこそが問題なのだ」という反批判が聞こえてきそうだが。


2011年04月17日(日)

8時半起床。昨夜は赤ワインを呑み過ぎた上に、夜中過ぎまで腹に応えるDVDを観たので、心身共に二日酔い気味。10時前出社。昨夜の勢いで『クワイエットルームにようこそ』(松尾スズキ:監督 2007)のDVDを観る。ある女性ジャーアナリストが、ひょんなきっかけで入所した精神病院の隔離棟における2週間を描いたブラックコメディ。先に結果を見せ、主人公が記憶を辿る形で、そこに至る経緯を描くという舞台劇のようなドタバタ喜劇。時間の操作と主人公への感情移入を重ね合わせた映画手法だが、僕には今一乗り切れない。とはいえ日常と非日常の境界を揺るがせようとする監督の意図はよく分かる。3時過ぎに事務所を出て、神田神保町の学士会館へ。4時から『芸術院会員内田祥哉先生と語る会』。通常ならば「祝賀会」だが、震災を考慮して「語る会」に変えたのだという。沢山の懐かしい顔ぶれに会う。とはいえ会場の平均年齢は60歳に近い。東大建築学科の現職教員の顔がほとんど見えないのが気になる。内田先生に直接挨拶し「陸前高田ふるさと大使・内田祥哉」の名刺を貰う。そろそろ帰ろうかと思った矢先に鈴木博之さんに会ったので、5時前に2人で会場を出て、近くのバーでウィスキーをのみながら近況報告。6時前解散。6時半に帰宅。夕食後は事務所に戻って読書。10時に帰宅し、鈴木さんと話したことを反芻しながら夜半過ぎに就寝。


2011年04月16日(土)

8時半出社。はりゅうウッドスタジオの芳賀沼整さんから電話。福島県の復興住宅のために奔走しているらしい。JIA福島も動き始めているとのこと。僕も何らかの形で参加できないかどうかについて相談。ぜひ協力したい旨を伝える。そのためには個人や地域を越えた情報の共有が必要である。こういう状況をアノニマスでヴァナキュラーというのかもしれない。「コンパクト箱の家」の集合化を急ごう。問題はコストである。午後、花巻が打合せのため小澤邸に向う。小見山陽介+堤子夫妻からメールが届く。先週からロンドンでの生活を始めたそうだ。
http://blog.goo.ne.jp/yosuke_googoo。
彼のブログで紹介されているAi Weiweiの『向日葵の種 Sunflower seeds』展に眼を惹かれる。中国の小さな村で手作りした膨大な量の陶製の向日葵の種を、Tate Modernの巨大なタービンホールの床に敷き詰めるというプロジェクト。Ai Weiweiがどういうアーチストなのか興味を持ったので、YouTubeで探したら、バルセロナ・パヴィリオンの池にミルクを溜めるというプロジェクトを見つける。通常は黒色の池を白色のミルクで満たすという作品。題して『Milky Wei』。おまけにインスタントコーヒーの粉を大量に投入してミルクコーヒーに変えるという徹底振り。家早南友。池がとても浅いことが分かった。深さを見せないために底を黒くしている訳だ。彼の作品は量と反復がテーマのようだ。それが「中国」ということだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=Y-dx_OG9vN8&feature=related
クライアント、工務店と相談し「箱の家139」のオープンハウスが5月7日(土)の午後に決まる。早速、ポスターを界工作舍HPにアップするよう岩元に指示。5時過ぎに事務所を終了し掃除。6時過ぎスタッフと一緒に事務所を出て、タクシーで飯田橋近くの水上カフェへ。栃内秋彦+季代夫妻の結婚披露パーティ。若い人で一杯なので居心地が悪い。お堀端に座り、JR中央線が往来する光を眺める。ほとんど星は見えないが、満月直前(直後?)の朧月夜である。会場に八束はじめさんの姿を見つけてしばらく立話。数日前に多木浩二さんが亡くなったことを知る。お堀をボートに乗って夫妻が会場に到着し、ヤンヤの喝采。僕と八束さんのスピーチからパーティ開始。界工作舍OBOGが出席しているので、彼らと四方山話。9時過ぎに終了。二次会へは参加せず、9時半に帰宅。ベッドの中で『ジョゼと虎と魚たち』(犬童一心:監督 2003)のDVDを観る。大学生の軽い青年と身障者の女性との屈折した恋愛物語。関西弁の軽妙な会話。酒が残っているせいか何度も泣かされたが、宙ぶらりんな終わり方にリアリズムを感じる。あれこれボンヤリと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちる。


2011年04月15日(金)

7時前起床。8時出社。昨日に引き続き、ニチハ取材原稿の校正を続行。いわき市の工場見学が3月3日(木)インタビューが2週間後の3月17日(木)。その間の3月11日(金)に東日本大震災が起きている。ニチハいわき工場も被災し、現在も生産を停止しているそうだ。基材パネルの製造ラインには巨大な重量機械が並んでいた。壊れたら修理が大変だろう。倉庫に積まれた製品は崩れて使い物にならないかもしれない。複雑な気分でインタビューを受けたから、その分、校正に時間がかかる。2時過ぎ終了。インタビューの経緯に関する追記を加えてサポートセンターに返送する。花巻と「141小澤邸」の打ち合わせ。明日の小澤夫妻との打合せのための確認。短期滞在のセカンドハウスなので、床暖房システムの考え方が難しい。敷地は下諏訪だから冬期のメンテナンスの問題がある。短期滞在という生活スタイルに合わせて、建物の蓄熱性を小さく抑え、床暖房の立ち上がりを早くすべきだろうか。通常の別荘では電気ヒーターを使うが、震災後のエネルギー状況を考えると、電気に頼り切ることにも問題がある。冬期の昼間のダイレクトゲインは間違いなく期待できるから、むしろ床の蓄熱性を上げるべきかもしれない。イゼナの前田さんに電話し考えを聞く。アクアレイヤーシステムでも、冬期のメンテナンスは可能だという返事。この件については、もう少し研究してみる必要がありそうだ。スタッフがまとめた「コンパクト箱の家」のヴァリエーションについて検討。集合化の可能性について考える。10時過ぎ帰宅。ベッドの中で『害虫』(塩田明彦:監督 2002)のDVDを観る。まだ幼い宮崎あおいが初々しい。『ユリイカ』(2000)でもそうだったが、感情をほとんど表に出さない演技が妙に記憶に残る。


2011年04月14日(木)

8時半出社。真壁さんに電話。新建築住宅特集やニチハの取材記事について意見交換。方針を確認できたので、早速ニチハの取材記事の校正に着手する。かなり手を入れる必要がありそうなので、まずは半分まで。11時、岩元と『家の絵本』の打合せ。家の原型の整理と一室空間住居のページの方針を確定する。鹿島出版会編集部の川島勝さんからコールハース本の翻訳出版が決定したという連絡メールが届く。11月末までに下訳。来年1月末までに監訳。4月出版の予定で進めることになった。この本によって磯崎新+浅田彰が捏造した「ニヒルな資本主義建築家」というコールハース観は変わるだろう。12時半に事務所を出て田町の建築会館に1時過ぎ着。1時半から日本建築士会連合会作品賞の一次審査。村松映一委員長、鈴木博之、石山修武、竹原義二、櫻井潔、難波の6人が出席。松川淳子、岸和郎の両氏は既に審査済。締切が2月末だったので、震災による応募状況への影響はない。被災した応募作品も少数だそうだ。約1時間半をかけて100余点の応募作品を観る。各人が15作品を選び投票。3時過ぎに集計。投票数の多い作品から議論にかけ、現地審査の対象を18作品に絞り込む。その後、現地審査の担当者を決定。見たい作品を思いつくままに挙げたら、僕の担当は8作品になった。現地審査は2人以上で行うため、スケジュール調整が難しい。欠席審査員のスケジュールを確認し審査日を決定。5時前に終了。その後、鈴木、石山両氏と山手線で新宿へ。5時半、長野食堂でビールとつまみ。6時、味王で会食。店内から山本理顕さんに電話し、Xゼミへの投稿を再確認する。石山さんが山本さんに無印住宅批判を示唆するのには参った。7時半解散。8時前に事務所に戻る。予定表に現地審査のスケジュールを書き込む。井上とアタゴ工場について打合せ。最後の段階でも問題が噴出している。何とか頑張って解決するように鼓舞する。10時過ぎ帰宅。TVで、閣議決定された復興会招集のニュースを見る。議長は防衛大学校校長の五百旗頭(いおきべ)真、副議長は安藤忠雄と聞いていたが映像にまったく出てこない。安藤さん特有の直観で欠席したのかもしれない。『セヴェラルネス+』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2011年04月13日(水)

8時半出社。福島第1原発事故はついに最悪のレベル7に到達した。しかし一向に終息の気配はない。一体どうなるのか予想もつかない。10時過ぎに事務所を出て、山手線、東上線を乗り継ぎ12時過ぎに寄居駅着。新学期が始まったらしく学生の姿が多い。駅前のファミレスで高間三郎さんに会う。1時前、一緒にタクシーで「アタゴ工場」の現場へ。床の帯電防止シート張りが終わり、建物はほぼ完成しているが、あちこちに気になる点が残っている。間もなく工場長と電気設備コンサルタントの皿井さんが到着。1時半から消防検査。県と地域の消防関係者8人が参加。アタゴ新工場はこの地域でかなり注目されているらしい。まず検査要領を確認した後、3班に分れて約1時間半をかけて検査。何点か修正や追加の指導を受ける。3時半終了。その後、井上と設備担当の現場監督は詳細な指導のため消防署へ向う。現場では、建築、機械設備、電気設備の3人に分かれて設計の検査。細かなツメの甘さが気になるが、設計側の問題も多いので、一概に駄目出しはできない。現場を見続けていると、反省点ばかりが目につき、だんだん気が滅入ってくる。コンセプトレベルの問題ではない。現場監理の問題である。5時にまとめの会議。5時半終了。6時過ぎ、寄居発の電車に乗る。車内では高間さんと今後の環境設計のあり方について意見交換。8時過ぎに事務所に戻る。自宅で遅い夕食。風呂に入り天井を仰ぐ。事務所に出る気分になれないので、そのまま自宅でウィスキーを煽る。晩年の池辺のことを想い出す。池辺は毎日このような夜を過ごしたのだろうか。あれこれ考えを巡らせながら3杯目を飲んだところで記憶が消える。


2011年04月12日(火)

8時半出社。暖かくて快晴。花粉症も少し納まって来た。午前中はLATs原稿に集中。昨日の続きを一気に書く。ジェイコブスの思想を震災復興にどう生かすかという課題についても短い追記を加える。15枚弱をまとめて「10+1」ウェブマガジン編集部に送信。午後は、放送大学のシラバスをまとめて事務局に送信。番組について詳しく考え始める。15回分のテキストを書くのも大変だが、番組作りはもっと大変になりそうなことが分かってきた。引き続き建築雑誌7月号の原稿スケッチ。エコロジカルな住宅について、古典的観点と未来的観点との比較論を書けという課題。前者の代表がフラーならば、後者はエコテックな住宅だと思うがハテ何を代表例にすればいいだろうか。夜「コンパクト箱の家」の集合化に関する所内打合せ。各住戸に組み込んだ共有空間を介しての集合化だけでなく、居住空間と仕事場を一体化した集合化も考えるべきではないか。初期の「箱の家」はそのような集合化を考えていたので「コンパクト箱の家」でも同じような集合化を考えてみよう。まずは事例収集から始めてみる。石山研からXゼミ「石山修武第17信」が届く。ドローイングと模型写真が付いているので、界工作舍OBの中川純くんに頼んでアップしてもらう。石山さんの文章には、いつにない迫力がある。細かなところまでは読み取れないが、ともかく渾身の復興プロジェクトである。鈴木博之さんからは「凄い」という返信が届く。山本理顕さんにも転送したら、直ちに熱い返答が返ってきた。理顕さんもXゼミに投稿してくれるといいのだが。あれこれと考えを巡らせながら夜半就寝。


2011年04月11日(月)

7時起床。8時半出社。花粉症が止まらない。おまけに、ここ数日激しい余震が続いている。椅子に座っていると、心臓の鼓動までも地震のような感じがしてくる。三半規管のバランスが崩れているのかもしれない。午後から春雷と激しい雨。「139遠藤邸」のオープンハウスが5月7日(土)、引渡は5月15日(日)に決定。早速、岩元にポスターを作成するように指示。今日は一日、LATs第2回の原稿に集中。呻吟しながら夜までに何とか10枚書く。しかし落とし所がよく見えない。諦めて10時過ぎに帰宅。

石山研から『開放系デザイン、技術ノート:創作論』(アニミズム周辺紀行6 石山修武:著 絶版書房 2011年2月号)が届く。これまでよりもかなり分厚い130ページ余。裏表紙に東北山岳都市の着色スケッチが描かれている。東日本大震災の復興プロジェクトだろうか。まずは冒頭だけ拾い読み。ジョン・キーツのネガティブ・ケイパビリティ(受容的能力)から説き起こし、シェイクスピアと織田信長の比較論へと進んでいる。ここからどのように話が展開されていくのか、落ち着いてからじっくり読み込んでみよう。


2011年04月10日(日)

7時半起床。クシャミが止まらず、頭もぼんやりしている。どうも花粉症が再発したようだ。9時出社。午前中はボンヤリとして過ごす。午後、妻と「原宿の丘」に赴き都知事選投票。事務所に戻りLATs原稿を仕切り直す。3枚書いたところで再び挫折。ジェイコブスが経済の問題に関しても一家言を持っているので、そちらから迂回しようと試みるが、なかなか建築と都市の話に向かわない。石山修武さんから電話。今週初めにXゼミに書き込む旨の連絡。3時、シャワーを浴びて頭の切り替えを試みる。しばらくベッドに横になる。6時半、妻と青山の居酒屋へ。日曜日のせいか店内はガラガラ。鳥料理と日本酒で四方山話。9時帰宅。家でふたたび飲み直し11時過ぎ、ベッドに倒れ込む。


2011年04月09日(土)

8時半出社。10時半、隈研のM2生 ポーンパット・シルクリラタナさんが来所。修士論文『装飾小論 a study towards a redefinition of ornament』を届けてくれる。近代建築における装飾の意味の変遷を辿っている部分は興味深いが、現代における装飾の再定義(redefinition)の章は理解しづらい。彼女の定義「装飾は建築と他者を結ぶ関係のタイプの現れである」。僕の理解するところ、彼女は何らかの努力が集約された建築の部分(現代では技術が中心)を装飾と定義したいらしい。ならば、すべての建築が装飾になってしまうことを彼女も自覚しており、装飾性の反意語として「時間性」「受容性」「放置性」を対置している。この辺りの考え方は「建築的無意識」に近い。個人的な所見を綴ったエッセイとして読めば、興味深い論文である。LATsの原稿を書き始める。2枚書いたところで脇道に逸れたので頓挫。「コンパクト箱の家」の集合化のスケッチをまとめる。引き続き、戸建の集合化だけでなく、セミ・ディタッチや立体集合化についてもスタディ。「箱の家」はもともと集合住宅のユニットして構想していたので難しくはないが、都市空間と積極的なつながりをつくることが課題である。坂本一成さんから『建築に内在する言葉』(坂本一成:著 TOTO出版 2011)が届く。出版記念会が計画されていたが、震災で中止になった。その直後にアマゾンで購入した。直ちにお礼のメールを送る。いずれじっくり読んでみよう。5時半、事務所内掃除。6時過ぎ解散。

『セヴェラルネス+---事物連鎖と都市・建築・人間』を読み始める。初版を読んだとき、僕はセヴェラルネスは事後的にしか分らないと批評したが(2006年02月03日)、中谷さんはそれに対する返答を「増補のための序文」にさりげなく書いている。ならば、今回はデコンストラクティブに読んでみようと読み始めたら、第1章「クリティカル・パス---桂の案内人」でいきなり出鼻を挫かれる。中谷さんは、グレゴリー・ベイトソンやジョージ・クブラーが提唱する、数学的級数の完結性と予測不能性をモデルにしながら、桂離宮の解釈を展開している。いわゆるロジカルタイプ論である。中谷さんによれば、ブルーノ・タウト、丹下健三、磯崎新の解釈は、それぞれ内容は大きく異なるが、見学経路のシークエンスは同一であり、かつ増築の時系列に囚われている点において、同じクラス(級数)に属している。これに対し、三者とは異なる見学経路を辿ることによって、中書院以降の増築による古書院の意味の転換、すなわち桂離宮と寝殿造りとの同型性を見出そうとする中谷さんの解釈は、前三者のクラスには属さず、それを相対化し、新たなレベルのクラス(意味)をうみ出しているという訳である。大変興味深い所見である。しかし、ここには級数モデルに関する若干の誤解がある。智忠の増築構想に対してならば、級数モデルを当てはめることができる。智忠の増築は、無限の可能性の限定、すなわち新たな意味の創造だからである。これに対して、中谷さんの解釈は、増築を企画した智忠の意図の再発見である。これには級数モデルは当てはまらない。創造は事前的だが、再発見は事後的である。中谷さんは両者を混同している。級数モデル=ロジカルタイプ論は進化論的な創発のモデルであり、その可能性は無限である。それをセヴェラルネスに見せるのは、事後的な解釈である。以上のような意味で、僕の感想は依然として初版のときと変らない。というか、ロジカルタイプ論を持ち出すことによって、セヴェラルネス論は第1章の冒頭からデコンストラクトされてしまっている。


2011年04月08日(金)

8時半出社。「家の絵本」の短い打合せ。岩元が作成したシナリオに、「家の原型」の条件を整理することと、一室空間を3つの条件---外部への開放、アルコブ、竃(火と水)---によって分化することの2つのアイデアを加える。「139遠藤邸」の現場を見る。昨夜の地震では何も影響はない。外装セメント板張り工事が今日でほぼ終了する。駐車場の軒天井を張れば、外装工事はほぼ終了する。残されたのはガラス工事である。LATsの原稿スケッチを続ける。思い付くままに小さなエピソードを書き連ねながら,テンションを上げていく。明日には本格的に書き始めることができるだろう。「コンパクト箱の家」にコモンスペースを加えたタイプをスケッチ。3つの案をまとめる。花巻と「141小澤邸」の打ち合わせ。詳細図と設備システムをまとめて小澤夫妻に送信。10時過ぎ帰宅。

『驚異の工匠たち』(バーナード・ルドフスキー:著 渡辺武信:訳 鹿島出版会 1981)を一気に読み通す。換気塔、ベランダ、テント屋根、竃、出入口、出窓などのディテールを収集した第9章「ささやかな部分の重要性」が印象に残る。風土的建築の事例集なので、正面切った問題提起がなされている訳ではないが、初版が出た1977年の時点では、本書の出版自体が、エリート化しファインアート化したモダニズム建築に対する強烈な批評性を持っていた。1970年代の構造主義思想の勃興、アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』(1977)、当時の集落調査の流行などとも、密接な関係があったことは明らかである。これら一連の風土的建築は,現代ではむしろ異国趣味的に捉えられ、当時ほどの批評性は持っていないかもしれない。読みながら僕は絶えず『グラウンドツアー』(藤森照信:著 編集出版組織体アセテート 2008)を想起していた。藤森さんもルドフスキーを意識しているに違いない。藤森さんは建築史を自然史にまで遡行することによって、ヴァナキュラー建築を捉えようとしている。全5巻のこの冊子の出版は中谷礼仁による企画なので、『セヴェラルネス+』(中谷礼仁:著 鹿島出版会 2011)と何らかの関係があるかもしれない。ともかく、僕たちとしてはヴァナキュラーな建築の現代的な意味について考えねばならない。それがインダストリアル・ヴァナキュラーへとどうつながっていくのか。そもそもヴァナキュラーとは何なのか。それが最大の疑問である。


2011年04月07日(木)

8時半出社。「家の絵本」のスケッチを続ける。「箱の家」を相対化しながら、「箱の家」のコンセプトを伝える表現を模索するが、なかなか難しい。一室空間住居、街との連続性、集合化が重要な条件なので、それだけが伝わればいいかもしれない。「コンパクト箱の家」の集合化スケッチ続行。境界空間の幾つかのパタンをスケッチ。LATs原稿の続行。自己組織化と計画の関係について考える。いつもながら最初の言葉が出てこない。伊東豊雄さんから、5月に立ち上げるNPO「これからの建築を考える」のメッセージが届く。会員制なので僕も参加する旨の返事を送る。『モダンリビング』60周年特大号が届く。付録に『モダンリビング60年を知る60のエピソード』の小冊子がついている。これは戦後モダニズム住宅の歴史を辿る重要な資料である。池辺陽の住宅No.38(石津謙介邸1958)は『モダンリビング』誌が企画した「ケーススタディ・ハウス」第1号である。本号では藤森照信の解説と藤塚光政の写真で紹介され、別冊ではクライアント石津謙介の息子、石津祥介のインタビュー記事が掲載されている。現在は、室内が大幅に改装され、庭に増築されている。謙介さんの存命中に伺ったことがあるが、その時はまだ池辺のデザインの雰囲気が残っていた。しかし現在は見る影もないハリボテ空間に変貌している。藤森さんは「コンクリート住宅の強さを思った」と書いているが、写真を観る限り、元の空間は完全に換骨奪胎されているようにしか見えない。これではDOCOMOMO指定も危ういのではないだろうか。夜は花巻と「141小澤邸」の詳細打合せ。大空間の照明計画に頭を絞る。10時半帰宅。夜中、大きな地震が来たので、2時過ぎまで眠れなかった。


2011年04月06日(水)

7時起床。8時半出社。天気もよく暖かい。雑用を済ませた後、10時前に事務所を出て、池袋経由で東武東上線終点の寄居駅へ。通常ダイヤに戻っており12時前着。井上と昼食を済ませた後「アタゴ工場」現場へ。高間三郎さんと合流。外構工事と植栽工事が進んでいる。永吉工場長の到着が遅れるというので、先に現場を見て回る。内装工事はほぼ終了し、床仕上げシート張工事が始まっている。設備工事も最後の詰めが進んでいる。何とか当初の工程通り4月27日に完成引渡が出来そうだ。いくつかの修正点を指摘。2時前から最後の定例会議。役所の検査日程を確認し3時前終了。外観写真を撮った後、工場長の車で寄居駅へ。地下鉄副都心線との乗り継ぎも通常通り。5時半に事務所に戻る。いくつか細かな打合せ。8時半、はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんが来所。3/11以降、あちこち被災地を回っているそうだ。東北大の様子も聞く。メソニック・コンバージョンは震災の影響でずれ込んだが、再開の見通し。今月下旬のスケジュールを確認して終了。石山修武さんから電話。Xゼミの今後の進め方について簡単な打合せ。こちらも震災以降、更新が滞っている。10時帰宅。暖かくなったのでアクアレイヤー床暖房の設定を切り替え、夜半就寝。

INAX出版から『映画空間400選』(長島明夫+結城秀勇:編 INAX出版 2011)が届く。AMAZONの予告で気になっていた本である。早速、お気に入りの映画を探す。ほとんどリストアップされていたが、僕にとっては決定的に重要な2本が抜けている。『欲望 Blow-up』(ミケランジェロ・アントニオーニ:監督 1966年)と『時計仕掛けのオレンジ Clock-work Orange』(スタンリー・キューブリック:監督 1971)である。前者は第20回のカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した名作で、最後あたりにA&Pスミソンが設計した名作「エコノミスト・ビル」が出てくる。後者には荒廃したモダニズム集合住宅と、チーム4時代のノーマン・フォスターとリチャード・ロジャーズが設計した「スカイブレイク・ハウス」が出てくる。両者ともロンドンが舞台だが、単なる舞台装置ではなく、物語の重要な要素として建築が使われている。趣味の問題と言ってしまえばそれまでだが、他のラインアップと比較すると、いかがな判断かと思う。とはいえ、建築的に映画を観る視点を与えてくれる試みに乾杯したい。

追記:後で気づいたのだが、香港の都市性を美しく描いた『恋する惑星 重慶森林, Chungking Express』(ウォン・カーウァイ:監督 1994)も抜けている。『東京物語』も『雨月物語』も『羅生門』も『ブレードランナー』も『ノスタルジア』も外されているところを見ると、明らかにマニア向けの偏向ラインアップだな、この本は。


2011年04月05日(火)

8時半出社。花粉症の薬を飲むのを止める。以前のような激しい症状は出ないが、依然として頭はぼんやりとしている。薬の後遺症かもしれない。良品計画の企画デザイン室長の安井敏さんから貰ったDNIAS「Design Network for Industrial Age of Space 環境と工業を結ぶ会」のマンスリーレポートの合本と、池辺研究室での同級生である瀬口哲夫さんの博士論文を、ムジネットの永田奈都子さんが送ってくれた。早速、お礼のメール。ムジネット松本店の浜田あきさんから絵葉書が届いたので、お礼の返信メール。想い出して、関西セミナーの時の写真を送ってくれた愛知県日進店の森川祐次さんにもお礼のメールを送る。DNIASの合本を拾い読みする。DNIASは池辺陽が1960年代後半に立ち上げた公開セミナーで、僕は1973年の解散前の2年間、アルバイトで事務局を務めた。池辺の視野の広さを知ったのは、この会を通してである。最後のあたりでは僕も原稿を書かせてもらった。今になって思い返せば、1973年のオイルショックが大きな転機だったことがよく分かる。「139遠藤邸」のベランダ取り付け工事が終わったので岩元とチェック。並行して外壁セメントパネル工事が進んでいる。『家の絵本』のシナリオスケッチ、「コンパクト箱の家」の集合化スケッチ、LATs原稿スケッチを続けるが、頭がぼんやりして集中できない。4時頃になると眠気が襲いかかってくる。クシャミも出る。花粉症の再発だろうか。夜は頭を切り替えるために、昨年、ロンドンの小見山陽介くんに貰ったDVD『The Genius of DESIGN』の第2部「Design for Living」を観る。バウハウスから始まりアメリカでストリームライン・デザインに展開した1920年代から1930年代にかけてのモダニズム・デザインを概観する。10時帰宅。『驚異の工匠たち』を読みながら夜半就寝。


2011年04月04日(月)

7時起床。8時半出社。「コンパクト箱の家」の集合化についてスケッチ。都市空間への連結には各住戸にセミパブリックな空間が必要だが、現在の完結したプロトタイプに、それをどう組み込むかについてスタディする必要があるだろう。ハンガリーからの留学生で難波研唯一の課程博士であるMatyas Gutaiからのメールが届く。大震災の復興計画に、博士論文の研究である水を組み込んだ構造を活かしたいという。母国に戻ってモックアップをつくったらしいが、僕はまだ結果を見ていないし、1年そこらで実用化できる研究でもないので、気持ちは分るが実現は難しいだろうというメールを返送する。花巻がまとめた「箱の家141」の一般図と構造軸組図一式を、和歌山の山長商店に送信する。クライアントの希望で杉材を軸組に使うためである。国産杉による初めての「箱の家」なので、何とか実現し、新しい展開に結びつけたい。メディアデザイン研究所の齋藤歩さんからLATs第2回『アメリカ大都市の死と生』の関する原稿催促。来週月曜日がデッドラインなので、何とかまとめたい。『新建築 住宅特集』4月号の巻頭に掲載された「新建築吉岡賞」の特集を読む。北山恒が「住宅は都市に融解する---賞味期限切れのビルディングタイプ」の中で、1995年(第12回)の3人受賞が転機だったと書いている。審査委員は高橋青光一、野田俊太郎、妹島和世。受賞者は石田敏明、難波和彦、坂茂だった。1995年は阪神大震災、サリン事件、Windows95発売などがあった激動の年である。僕にとっては「箱の家001」が完成し、年明けと年末に両親が立て続けに亡くなった忘れられない年でもある。引き続き、連載の「建築家自邸からの家学び」を読む。真壁智治の企画で、今回は保坂陽一郎の自邸に焦点を当てている。保坂邸が完成して間もなくの頃、僕も『建築知識』誌で取材したことがあるが、今回は難波研OBの服部一晃が「生きられたユニットモジュール」という記事を書いている。これも何かの縁だろう。インダストリアル・ヴァナキュラーとして保坂邸を捉える彼の視点は、LATs第6回のテーマにもつながっている。来月号でも連続して保坂邸を取り挙げるようなので期待したい。『思想』(岩波書店)4月号所収の「柄谷行人と新たなマルクスの哲学」(佐藤嘉幸:著)を読む。『マルクスその可能性の中心』を『世界史の構造』に至る柄谷思想の展開において再読解した論文である。柄谷思想の核心をクリアに浮かび上がらせている点に感心する。「柄谷行人がマルクスから導き出した哲学とは、そうした示差的な関係(無意識)を実体化(意識化)するような形而上学の批判であり、また、ひとつのシステムと見えるものを複数の差異化されたシステムとして、それらの関係から理解しようとする「差異=示差(difference)」あるいは「視差(parallax)」の理論なのである。」ここから、新自由主義的な競争経済(資本主義的交換)が、相互扶助(ネーション)や国家による再分配(ステート)によって補完されるという理論や、生産に対する消費への注視という視点が導き出される。こうした柄谷の思想は、大震災の復興活動において、さらに明確な歴史的意義を持ってくるのではないかと思う。


2011年04月03日(日)

7時半起床。朝食時に妻に、昨夜観た『ユリイカ』の話をする。彼女は公開時にロードショーで観たそうだ。3時間半を越える長さが問題で、監督はもっとコンパクトにまとめることができたはずだと言う。間延びした映画で退屈だったと厳しい批評。二の句が継げなかった。9時半出社。『家の絵本』のシナリオについてスケッチする。「全体から部分へ」話を進めること。一室空間住居と都市との連続性がもっとも重要なテーマであり、技術的な問題はそれを実現するためにあること明確にすべきだろう。批評的にならず、ストレートに表現することが何よりも大切だと思う。午後は、読書、DVD、原稿スケッチなどをくり返して過ごす。3時過ぎ、岩元が出社。平田晃久さんから難波研OBの佐藤桂火くん経由で『Tangling―建築とは〈からまりしろ〉をつくることである』(平田晃久:著 INAX出版 2011)を届けてくれた。最初のあたりでマイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』やグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』を引用している点に眼を惹かれる。どちらも難波研の必読書だからである。夕方、ゆっくりと風呂に入る。6時に家を出て赤坂へ、妻と待ち合わせて夕食。9時に帰宅。再び『家の絵本』のスケッチ。世界中にあるさまざまな「家の原型」が、すべて一室空間住居から出発していることに思い至る。「コンパクト箱の家」の集合化についてスタディを始めることをスタッフにメールで送る。10時帰宅。『驚異の工匠たち』を読み続ける。第3章「建築が遊戯であった時代」に差し掛かる。


2011年04月02日(土)

7時起床。8時半出社。10時、シンガポール大学からの留学生で難波研OGのToon (チャン・トウ・ジェン 陳堆菁)が来所。修士課程を終えてシンガポールに帰国するので挨拶に来た。彼女の修士論文のテーマは『The Changing Hierarchies of Eating, Sleeping and Gathering in Modern Living in Architects Work in Japan 日本現代建築における 食・寝・集 の変遷』。戦後の建築家が設計した住宅における「食・寝・集」の空間構成の変遷を追った研究だが、社会的背景との関係を調べないと発見的な研究にならないので,外国人にはやや荷が重過ぎるテーマだったかもしれない。彼女は日本の小住宅に興味を持って留学してきたので、どうしても研究したいテーマだと言った。何度かエスキスしたが,なかなか突破口が見つからなかった。修了後は僕の事務所でのインターンシップを希望したが、そこまでの余裕はないので断わった。お礼に『SINGAPORE---A PICTORIAL HISTORY 1819-2000』という分厚い本をくれた。帰国後は小さなアトリエ事務所で働くという。頑張って欲しい。帰りに「139遠藤邸」の現場を見せる。午後、遠藤夫妻が来所。変更工事の見積詳細、外装セメントパネルの問題、工程の延長などについて説明。その後、昨日のスライドを再度通しで観ながら「箱の家」の今後についてあれこれ考える。やはり「コンパクト箱の家」の集合化について突っ込んだスタディが必要かもしれない。5時半、事務所内の掃除。6時解散。

夜、『EUREKA ユリイカ』(青山真治:監督 2000)のDVDを観る。3時間半余の長編。セピア色のモノクロ映像と、最小限に抑えた台詞が印象的である。最初から最後まで延々と続く虫の音が耳に残る。映画の冒頭に、主人公の女の子、梢(こずえ)が、壁のような山並を遠望しながら言う台詞が、物語のすべてを集約している。「大津波が来る。いつかきっと、みんないなくなる」。もちろん、大津波とはメタファーだが、東北関東大震災の直後では、単なるメタファーには思えない。
http://www.youtube.com/watch?v=re-y8A4IAGg&feature=related
これは一種のロードムービーである。いくつかのシーンにヴィム・ヴェンダースへのオマージュが見て取れる。とはいえ前半の移動しない時間帯では人間関係が開かれているのに対し、後半の移動する時間帯では人間関係が閉じてしまう。空間的に移動することは社会的に移動することではなく、逆に内面に自閉することである。ロードムービーは、一種の「風景の発見」であり「内面の発見」である。後半になって映し出される自然が広大になればなるほど、それは内面の表象になっていく。それがこの映画の唯一の限界ではないかと思う。


2011年04月01日(金)

7時起床。8時過ぎ出社。久しぶりに娘が来所。年度変わりの書類をコピーし、サイン捺印して渡す。その後、妻と一緒に義父の墓参りへ出かけていく。工務店から「139遠藤邸」の工程表が届いたので岩元と打ち合せ。ガラスの納入時期がクリティカルパスだが、その前にできることがあるので、半月は工程を縮小できそうだ。その旨を工務店にチェックバック。午後、岩元と『家の絵本』の打合せ。全体から部分へと進むデザインプロセスをどうプレゼンテーションするかが課題である。3時にスタッフ全員と東池袋の良品計画へ。4時からムジネットの社内セミナー。先日より小さな部屋だが、聴衆は同じ30人くらい。前2回よりも内容を一回り膨らませ、開発の裏話も交えて2時間弱のレクチャー。「MUJI+INFILL木の家」の問題点のほぼ全体像について話す。最後に「箱の家」と「木の家」の関係について質問される。これまでずっと考え続けてきたが、いまだに明確にできていない核心的な疑問である。僕の口から咄嗟に出てきた答は、住宅の工業生産化は近代建築家にとって最終的な課題であることと、「箱の家」は僕の師匠である池辺陽の一連の工業化住宅の試みの継承であり、「木の家」はそれをさらに推し進めた試みであるというものだった。この答は何となく考えたことはあるけれど、はっきりと口に出したのは初めてである。しかしこの答には、生産の問題はあっても生活の問題が入っていない。「箱の家」のコンセプトである「一室空間住居」や「街に開かれた住空間」は、近代建築の課題というよりも現代社会の課題に対する解答だろう。セミナー終了後も、この問題が頭の中を巡り続ける。一昨年の難波研OB森田悠詩の修士論文『一室空間論』が一瞬脳裏をかすめる。6時終了。6時半にスタッフと一緒に良品計画の正面にあるサンシャインシティ3階のピッツェリアへ。前菜、ピザ、パスタと赤ワインで打ち上げ。9時終了。有楽町線東池袋駅で解散。岩元と一緒に事務所へ戻る。10時過ぎ帰宅。先の問題が頭を離れないので、焼酎のロックを呑みながら考え続ける。11時過ぎ、妻が帰宅。お互いの今日一日の出来事について話をした後、夜半過ぎ就寝。


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