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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2011年01月31日(月)

今日は一日、事務所。「O邸」第1案に関して、O夫妻からのコメントがファックスで届く。早速、第2案の検討を始める。「箱の家」の慣性が、先へ進もうとする僕たちの加速度を押しとどめるのを感じる。とりあえず慣性に従った案と、構わずに進む案の2つの代替案を提案することにしようか。あまり時間もないので。まずは慣性案のスケッチをまとめて花巻に図面化を指示。引き続き、昨日から検討している当初案を展開させた案をスケッチ。できればこの案も図面化したい。岩元と「139遠藤邸」の詳細打合せ。アタゴ工場の現場監督から施工詳細図が次々と届く。いよいよ本格的な詰めの段階に差し掛かったようだ。届いた図面をチェックし井上に転送する。石山さんがドイツから帰国し、世田谷村日記が再開した。早速、連絡を取り、明後日の夜Xゼミのミーティングを持つことになった。夜、中村勉くんからメールが届く。昨夜、大学の同級生である花田勝敬くんが亡くなったそうだ。彼は同級生の中でもっともデザイン力のある人で、卒業後、菊竹清訓さんの事務所に行き、その後独立した。2003年にコーポラティブ・ハウスの名作である「欅ハウス」を完成させ、コープラティブ・ハウスとサステイナブル・デザインを統合する建築家として社会的に認められるようになった。僕も研究室の学生を連れて見学し、感心したので『建築家は住宅で何を考えているのか』(PHP新書 2008)に掲載させてもらった。直接話す機会はあまりなかったが、僕は勝手に同志だと考えていた。心から冥福を祈りたい。10時過ぎ帰宅。妻に花田君の朴報を報告。しばらくの間、彼の想い出について話し合う。あれこれ考を巡らせていると、なかなか寝つかれない。


2011年01月30日(日)

7時半起床。9時出社。午前中はドタバタ過ぎた先週の一連の出来事を想い出しながら、LATs連載原稿のスケッチをする。午後2時、O夫妻が来所。模型、図面、設計要旨について説明しながら第1案のプレゼンテーション。僕たちは敷地のスケールに相応しい大きめの案でプレゼンテーション模型をつくったが、最初に提示された工事予算を明らかに超えることが分かっていたので、念のため規模を縮小した代替案についても設計要旨と図面を用意しておいた。O夫妻は大きい方の案を気に入ってくれたが、予算の制約もあり、小規模な案の方も気になるので、同じ条件で比較してみたいと言われた。来週末までに小規模案の模型を作成することを約す。ただし現案をそのまま模型にするのではなく、再検討した案を提案したい旨を伝える。3時過ぎ終了。3時半に岩元が出社し今後の相談。その後は「O邸」第2案のスケッチ。夜もスケッチを続け第2案の方向性を決める。10時帰宅。

『進化思考の世界』を読み続ける。第4章まで進んだが、依然として僕の疑問を解くまでには至らず、前提の議論に終始している。序章の以下の文章を読むと、どうもこのままの議論で進みそうな感じである。
「本書で私が「進化思考」という言葉を使うとき、それは生き物に代表される対象物の「変化と由来」にかかわる思考であると同時に、その根底に「分類思考」と「系統樹思考」をシームレスに含んでいる。進化思考は過程(プロセス)に関わる思考である。しかし、何が進化というプロセスを担っているかを考えるとき、その対象(オブジェクト)をいかに認識するかが重要である。分類思考と系統樹思考は、この対象がつくる様相(パターン)にかかわる思考である。(中略)「分類思考」と「系統樹思考」は、対象に関する体系化(systematization)の観点から言えば、まさしく車の両輪である。分類思考は対象をグループ化することにより、また系統樹思考は対象の系譜を復元することにより、それぞれ対象がおりなすパターンを認識しようとするからである。そして対象の体系化をめざす体系学(systematics)は分類思考にもとづく分類学(taxonomy)と、系統樹思考にもとづく系統学(phylogenetics)からなるという立場は、本書全体を貫いている。進化思考は歴史的により古いこの体系思考の延長上に姿をあらわす。」
個体がはっきりしている生物とは異なり、建築空間は連続的な存在である。離散的な存在である生物を分類するのは、ある意味で簡単だが、連続的な存在である空間を分類するには、まず空間をどう切り分けるかが問題になる。つまり分節と関係づけが同時に問題になるわけである。生物と空間では、その点が決定的に異なる。一方、時間は連続的だから、プロセス(時間)に関しては、生物も建築も同じ条件かもしれない。したがって、進化思考からは、設計のプロセスと使用のプロセスを連続するプロセスとしてとらえる視点が得られるかもしれない。


2011年01月29日(土)

8時出社。模型の製作状況を観る。何とか間に合いそうだ。設計要旨とプレゼンテーション図面をチェック。最終書類を3部プリントアウトしておくように花巻に指示。11時前に事務所を出て地下鉄で市ヶ谷へ。駅近くの中国料理屋で西川英彦さんと待ち合わせ。西川さんは無印良品に勤めていた時に無印住宅の開発担当者としてお世話になった。6年前に立命館大の教授になり、現在は法政大学経営学部の教授である。今日、法政大学建築学科の卒業設計講評会に参加するので、その前に一緒に食事をする約束をした。西川さんの専門はマーケティングで、最近の製品販売の差異化の方法について興味深い話を聴く。要は、現在の市場の布置の中に、いかに特異で対比的なニッチを探し出すかという問題らしい。それもリアルな技術ではなくイメージ上の戦略である。これは住宅産業にも適用できそうな視点である。12時半に店を出て法政大建築学科へ。会場に着く途中で石山修武さんから電話が入る。ワーマールから今朝帰国したらしい。ここ数日、世田谷村日記が更新されなかったので心配していたが、バウハウス大学のインターネット環境がよくなかったようだ。シュツットガルトのワイゼンホーフ・ジードルンクを訪れて、いろいろ考えることがあったとのこと。近いうちに会って話を聞くことを約す。1時前に建築学科に到着。大江宏が設計した建築をリノベーションした建築である。4階の会議室で大江宏の息子である大江新さんと初対面。まもなくゲストクリティークの高橋晶子さんと西沢立衛さんが到着。冨永譲、渡辺真理、下吹越武人さんら常任教員も集まる。司会の学生に講評会の手順を聞いた後、1時半前に5階の講評会場に移動。坂本一成さんや佐々木睦朗さんの顔も見える。1時半から講評開始。選抜された15人の作品の発表と講評。一昨日の京都精華大学と同じく、総じて設定プログラムが単純で、こじんまりしている点が気になる。とはいえ図面と模型にかけているエネルギーは法大の学生の方が断然大きい。モノローグ的な作品ばかりなので、社会性について論じる方がかえってアナクロに思えてしまう。個人的発想と社会的リアリティとをどう結びつけるかという問題は、依然として卒業設計の大きな課題のようである。僕としては、商業的なプログラムばかりで、居住にまつわる提案がほとんどない点が、不満というか時代に流されている感じがした。法大の優秀賞は参加教員の採点の総合点によって決まるという超民主主義的なシステム。個人賞を選ぶように言われたので、唯一、技術的なリアリティを感じた作品を選ぶ。5時過ぎ終了。5時半から地下の食堂で懇親会。優秀賞5作品と個人賞3作品を表彰した後しばらく歓談。6時半に中締めをした後、学外に出て近くのイタ飯屋へ。赤ワインをいただきながら教員同士の懇親会。大江さんに55号館と58号館の保存について話を聞く。依然として厳しい状況だが、徐々に保存運動が盛り上がってきているそうだ。2月の入学試験が終わり次第、見学会を企画することを提案し快諾される。これを機会にXゼミでも本格的な50年代論を展開できるかもしれない。9時半終了。坂本さん、佐々木さんと表参道まで一緒に帰る。10時過ぎ事務所に戻る。「O邸」の模型をチェックしてから10時半帰宅。


2011年01月28日(金)

7時起床。8時出社。「139遠藤邸」の現場を見る。屋根と外壁下地の合板をほぼ張り終わり、構造が固まる。屋根の外断熱パネルを張り始めているようだ。今夜のAGCフォーラムのスライドを見ながらシナリオの最終整理。花巻が製作中の「O邸」のプレゼンテーション模型をチェック。スケジュールが厳しそうなので他のスタッフに助力を指示。アタゴ工場から届いた配管取付のモックアップ写真をチェックし、現場に対応を指示。屋根シェルターが完成し、いよいよ本格的なインフィル工事が始まっている。精密機械の工場なので複雑な配線配管の整理に細心の注意が必要である。フレキシビリティを確保するために、すべての設備類が露出するが、それらに明確なシステムを与えねばならない。現場の進行との競争である。午後5時に事務所を出て京橋のAGC studioへ。シニアアドバイザーの松本猛さんの案内でスタジオ内を見学。1階のロビー、ギャラリー、2階の展示部分は太田浩史さん、2階のレクチャールーム、執務室は乾久美子さんのデザインだそうだ。1階は白一色の無重力空間。2階は透明な色ガラスで仕切られたスクリーンの重なりが不思議な空間を醸し出している。6時半からレクチャー開始。「箱の家のガラスをめぐって」と題し、「建築の4層構造」にしたがって「箱の家」におけるガラスの分析を行う。第1層の物理的なガラス構法が、第2層のエネリギー制御、第3層の一室空間住居、第4層の空間性にどのように関わっているかという視点である。約1時間のレクチャーの後、質疑応答。「箱の家」における部品化の考え方、南面の大開口とLow-eペアガラスの関係、南面大開口の断熱性などについての質問が出る。松本猛さんからlow-eペアガラスについて詳細な説明。8時過ぎ終了。その後、松本さん、市場開発室の澤井弘昌さん、石田光さんの3人と近くの和食居酒屋へ繰り出す。金曜日で店内は満員。新潟産の海産物と冷酒で大いに盛り上がる。10時半解散。11時過ぎに事務所に戻る。花巻が模型を作り続けている。11時半帰宅。『進化思考の世界』を読みながら1時過ぎ就寝。


2011年01月27日(木)

ホテルは京都駅のすぐ傍にある上に、部屋が東向きなので、新幹線の音と朝日で目が覚める。7時半起床。少し頭が痛い。シャワーを浴びた後、8時過ぎに2階のレストランで朝食を済ませ、部屋に戻って少し休む。9時半にホテルをチェックアウト。京都駅改札口のホールを散策した後、コンコースのロッカーに荷物を預けて南口に抜ける。雪がちらつき始める中、西南方向へ歩いて東寺へ向う。伽藍の東北にある慶賀門から入り、宝蔵の脇を南下し、右に折れて食堂前へ出る。広大な伽藍だが、茫洋としていて緊張感に欠ける。講堂、金堂、五重塔の見学は有料。見学の人は少ない。多数の仏像を配列した講堂の立体曼荼羅、金堂の薬師三尊、五重塔第1層の四仏座像と壁に描かれた肖像画を見て回る。この寺では講堂の梵天像が有名らしいが、僕には帝釈天像がもっともバランスが取れているように見える。五重塔の肖像画は、恵果から始まり、弘法大師以下、真言宗の8僧が描かれている。あまりに寒いので太師堂はパスし、タクシーで東の東福寺へ向かう。中門から伽藍の奥までタクシーが入ることができることに驚く。三門脇で下車。伽藍の最南端にある大仏様を思わせる巨大な門である。かつてクリストファー・アレグザンダーがこの禅寺を訪れた時、三門の脇に佇んでいたらトンボが彼の肩にとまったそうだ。その時、彼は700年前の創建時に思いを馳せながら、聖一国師(円爾弁円)との運命的な出会いについて感動的に語ったというエピソードがある。彼には、池の中で同じ場所をゆったりと泳ぎ回る鯉を見て、永遠を感じ涙したというエピソードもある。三門の南側に池があるが、表面が凍っているので鯉が泳いでいるかどうかは確かめられない。そういえば東寺の瓢箪池は水が流れ込んでいるので凍っておらず、巨大な鯉が泳いでいるのが見えた。そんなことを考えながら、本堂と禅堂の間を抜けて北へ向い、紅葉見物で有名な通天橋を渡って普門院と開山堂へ登る。開山堂は屋根の上に小屋を載せた楼閣風の建築。その後、方丈へ。建物の四周に配された「八相の庭」は昭和のものだという。龍安寺の庭に似せた石と白砂による南庭が有名だが、僕は正方形の敷石と苔を市松状に配列した北庭の方に興味を持った。1時前に伽藍を出る。中門の脇に雪舟作と言われる庭があるが、以前この寺を訪れた時に見た記憶が蘇る。身体が冷え切ったので、JR東福寺駅へ向かう途中の小さな食堂で京風天ぷらうどんの昼食。2時前に京都駅着。ロッカーから荷物を取り出し、2時過ぎの新幹線に乗車。4時半品川着。5時に事務所に戻る。夜は岩元と絵本の打ち合わせ。井上とアタゴ工場の外構の打合せ。頭痛が再発したので9時半に帰宅。風呂に入って身体を温めた後、早めに就寝。

新幹線の中で『分類思考の世界---なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(三中信宏:著 講談社現代新書 2009)を読み終わる。期待した分類の構造についての議論はほとんどなく、生物の「種」を例にして、人間がなぜ分類するのかという前提の議論が主なテーマだった。著者の結論はこうである。
「切り分けられた「種」が自然の中に実在するのか、それとも単にわれわれヒトが心理的にカテゴライズしているだけなのか、本書で一貫して論じてきたこのテーマは、結局のところヒトが外界(自然)の事物をどのように理解してきたかというもっとも大きな疑問をふたたび浮かび上がらせることになる。」
「分類する者は、分類される物が本来もつであろう構造なりパターンを発見して、自然界を整理しようとする。しかし、これまでの分類学は「分類される物」ばかりに目を向けて来たのではないかと私は考えている。むしろ「分類する者」がどのような認知バイアスをもったまなざしで自然や生物を見ようとしてきたのかについてもっと考えるべきではないだろうか。そのとき、「種」は「分類される物」の側にあるのではなく、ほかならない「分類する者」の側にあるのだということが理解されるようになるだろう。」
僕にとってこの結論は、そもそも本書を手にとった当初の理由なので、少々肩すかしを食らった感じである。著者が言うように、分類思考はヒトにとっては生得的な、つまり回避できない宿命的な能力である点は理解できる。既に存在する対象に対して分類思考が適用される場合はそれでいいとして、では、分類思考にもとづいて何かがつくられる場合、その分類が他の人にも共有されるのだろうか。デザイナーにとって最大の関心事は、分類思考がうみ出す人工物において、対象は一体どういう構造を持つことになるのかという問題である。分類がそのまま対象に投影されるのか。ユーザーはその分類をそのまま受け取ることになるのか。まさかそんな単純は話ではあるまい。アレグザンダーが『ノート』「都市はツリーではない」『パターン・ランゲージ』を通して取り組んできたのはこの問題ではなかったか。著者はデザイナーではなく研究者なので、この問題が論じられる期待は薄いが、一応の締め括りとして、系統樹思考と分類思考の統合がテーマである『進化思考の世界---ヒトは森羅万象をどう体系化するのか』(三中信宏:著 NHKブックス 2010)に付き合ってみよう。


2011年01月26日(水)

7時起床。8時出社。雑用を済ませた後、事務所を出て品川駅へ。9時過ぎ発の新幹線で京都へ11時半着。地下鉄烏丸線で北上し、終点の国際会館駅へ。駅前でタクシーに乗り12時に京都精華大学建築学科に到着。葉山勉さんの研究室でしばらく雑談。建築学科はスタジオ・システムで、学生は3年生の段階で各スタジオに所属するのだそうだ。実質的には学部段階で研究室に所属することになる訳である。午後1時に講評室にて卒業設計の講評会開始。新井清一さん、鈴木隆之さん等、懐かしい面々と再会。界工作舎OBの河内一泰君が居るのにはびっくりした。彼は非常勤で設計を教えているらしい。その他にも非常勤の永山祐子さんを含む若い建築家が多数参加。4年生全員の講評ということで、休憩を挟んで36人をぶっ続けで講評。凹凸が激しいが、数少ない凸の学生は、他大学と比べても遜色ないレベルに達している。とはいえ、ほぼ半数の学生は中間講評の段階で止まっており、もう少し展開させれば面白くなりそうなプロジェクトも多い。総じてプログラムが単純な点がもっとも気になった。通常の設計製図課題とは異なり、卒業設計ではプログラムも自分で組み立てる訳だから、要は、自分に対して設定したハードルが低過ぎるということである。その点が東大と決定的に異なる。そのため、講評では「もっと志を高く」とか「もっと野心的に」という曖昧な評を繰り返すことになった。難波賞を選ぶように頼まれたので、3作品を候補に選ぶ。5時半終了。6時から最優秀賞、優秀賞、難波賞の選定会議。学生たちの前で先生たちが議論。最優秀賞は僕の選んだ3人の学生から選ばれたので、残り2人から難波賞を選ぶことになったが、対照的な作品なので、やむなく当人同士のジャンケンで決めてもらう。これもひとつのアトラクションである。7時から懇親会開始。学内は禁酒なのでオレンジジュースで乾杯とは参った。7時半過ぎ終了。その後、非常勤の先生の車に同乗し京都市内に出て、居酒屋で二次会。学生たちも参加して大いに盛り上がり、気がつくと1時を過ぎていた。皆はまだ宴会を続けるようだが、僕はタクシーで京都駅のすぐ傍のホテルへ。シャワーを浴びた後、2時過ぎにベッドに倒れ込む。


2011年01月25日(火)

7時起床。8時出社。岩元が作成したTOSTEM研究助成最終報告書のたたき台をチェックバック。引き続き、最終報告書の頭書の書類を作成し、岩元に送信。午前中はAGCスタジオフォーラムのシナリオ作成。スライドショーの1枚毎にコメントを書き込んでいく。午後、難波研OGの留学生Toonから届いた論文梗概を読み、コメントを送信。来週初めが修論の締切なので頑張ってほしい。2時半に事務所を出て、外苑前のJIA本部へ向かう。途中の喫茶店に野沢正光さんの姿を見つけたので、店に入りしばらくコーヒーを飲みながら四方山話。3時過ぎからJIA本部にて環境建築賞の最終審査会。野沢正光審査委員長、三井所清典、梅干野晃(東工大)、野原文夫(日建設計)、僕の審査委員5人全員が出席。現地審査を行った一般建築と住宅のそれぞれ5作品について担当者から報告を行った後、議論によって最優秀作品、優秀作品、入選作品を決定する。去年の最優秀賞は一般建築だったが、今年は住宅が選ばれた。僕としても納得できる結果である。講評の担当者を決めて5時前に終了。井上とアタゴ工場の現場から届いた詳細図、外構図、植栽計画の打合せ。「140北山邸」のプレカット図のチェックバック。建方は2月9日(水)に決まる。

『日経アーキテクチュア』1/25号に掲載された青木茂さんのリファイン建築に関する記事「青木流「正面突破」に学べ」を読む。『建築雑誌』2月号に僕との対談記事が掲載されるが、それに先立って青木イズムが遺憾なく展開されている。青木さんはリノベーションとコンバージョンをライフワークとして完全に自家薬籠中の物にしたようだ。

『10+1』ウェブに連載していた松川昌平さんの「Algorism---建築の計算(不)可能性」が完結したので一気に読み通す(http://tenplusone.inax.co.jp/school/matsukawa/)。1960年代の設計方法論から始まり、徐々に進化してきた設計方法論の歴史を辿りながら、近来のアルゴリズミックな設計方法論の可能性(不可能性)を論じている。方法論特有のコンテンツ抜きの形式論なので、論理を逐一追って行くのは少々煩瑣である。とはいえ「建築の四層構造」を使い回している点には興味を持ったし、アレグザンダーの『形の合成に関するノート』や『パタン・ランゲージ』の的確な理解にも感心した。何よりも佐々木睦朗さんの『フラックス・ストラクチャー』に理解を示している点がいい。僕の見るところ、松川さんの結論は、最終回の以下の主張に集約されているように思う。
「『建築家なしの建築』(バーナード・ルドルフスキー)による自然発生的な都市を、現代的に再構築することができないだろうか。私はそこに、「アルゴリズミック・デザイン」の可能性を見ているのです。さらに具体的にいうならば、公共建築のように、そもそも一品生産で、作り手と使い手が分離せざるを得ない建物の設計というよりは、人間の数だけ必要で、作り手と使い手が一致し得る集合住宅や戸建住宅の設計にこそ「アルゴリズミック・デザイン」は有効なのではないかと考えています」。
要するに、設計にまつわるすべての条件を対象化し、コンピュータのアルゴリズムに乗せることによって、アレグザンダーが『ノート』で提唱した、アルカイックな職人による無意識的なデザインを復活させようという訳である。僕には一般大衆に対するやや傲慢なエリート主義のようにも思えるが、むしろ精神病患者と精神分析医との関係のように観るべきかもしれない。


2011年01月24日(月)

7時起床。8時過ぎ出社。8時半に事務所を出て自転車で青山歯科医院へ。1ヶ月振りの定例メンテナンス。いつもながら機械的な歯垢除去の痛さには気分が滅入るが長持ちさせるためにはやむを得ない。9時過ぎ終了。自転車で表参道を下り明治通り交差点近くの渋谷区役所神宮前出張所へ。住民票と印鑑証明証の発行。昨年末に一級建築士と管理建築士の二度の講習会を受け、ようやく界工作舍の管理建築士に登録できることになった。会社の印鑑証明取得と書類作成は栃内に任せる。事務所に戻った後、午前中はXゼミ第14信を書き続ける。3時青山の診療所に赴きインフルエンザの予防接種を受ける。30分以上も待たされた挙げ句5分で終了。妻には花粉症の予防接種も勧められたが今回はパスする。4時から再びXゼミ第14信に集中。5時までに明治神宮と表参道のゲニウス・ロキに関する自分の経験を交えたエッセイを7枚書いて終了。「箱の家」に関する論は次回に廻す。直ちに石山研究室に送信。6時過ぎにXゼミサイトにアップされる。夜、岩元とTOSTEM財団研究助成報告書の打合せ。明日JIA環境建築賞の最終審査があるので現地審査の資料を見直し僕自身の評価を決める。10時過ぎ帰宅。『分類思考の世界』は5章まで読み進むが、話があちこちに飛んで肝心な問題の核心に到達しない。系統樹思考が最初から要素相互の関係を問題にしているのに対して、分類思考では要素を確定することの方が問題になるために、要素相互の関係にまで話が進まないからである。


2011年01月23日(日)

ゆっくりと寝て8時半起床。10時出社。午前中は花巻がまとめた「O邸」の基本図面をチェック。いくつか追加のアイデアを盛り込む。午後、Xゼミ14信を書き始めるが、3枚書いたところで話が散乱し始めたので中断。気散じにツタヤから届いた『インセプションinception』(クリストファー・ノーラン:監督 2010)のDVDを観る。ノーランらしい夢=無意識の世界をモチーフにした壮大な物語である。夢には幾つかの層があり(本作では4層まで)層を降りるほど時間の経過が早くなり、下層の出来事は上層の出来事の影響を微妙に受けるので、各層の時間的なズレと出来事の影響関係が錯綜した物語をうみ出している。ある層で死ぬと上層で覚醒するか、時には「虚無」の世界に陥るというのも面白い。無意識の多層化はユングの無意識論にもあったような記憶があるが、僕はむしろ井筒敏彦が『意識と本質』で指摘した東洋思想における意識の多層化の方を連想した。フランシス・ベーコンの絵画やエディット・ピアフの唄を使っているのはノーランの趣味だろうか。夜はボンヤリと読書。『分類思考の世界』は第3章に差し掛かるが、まだ発見はない。


2011年01月22日(土)

7時起床。8時出社。快晴だが寒い。9時過ぎに事務所を出てJR中央線の国立駅へ。10時過ぎ「140北山邸」現場着。すでにTH-1と栃内との打合せが進行中。基礎の配筋工事がほぼ終了し、電気と給排水の配管設置工事が進行中。支持地盤はしっかりした関東ローム層である。独立柱の柱脚部分の配筋の補強を現場監督に指示。コンクリート打ちは来週月曜日の予定。基礎下の断熱パネルの手配が遅れたために基礎工事が年明けになったが、上部構造の外断熱パネルの手配にも苦慮しているらしい。発泡断熱材だけでなくグラスウールやロックウールを含めて断熱材メーカー全体に何か不穏な空気が漂っている。長期優良住宅やエコポイント制度が浸透したための波及効果のように思えるが、本当のところ原因はよく分からない。ともかく来週明けには僕も少し動いてみよう。11時過ぎに現場を発ち昼過ぎに事務所に戻る。午後はココラボ研究報告、O邸の構造システム、アタゴ工場の外構工事などの打合せ。5時半過ぎから事務所の掃除。6時に事務所を出て地下鉄南北線の東大前駅改札口で7時前に妻と待ち合わせ。東大正門近くのマンションに住んでいるAn Thu(アン・トゥー)夫妻宅へ。ご主人は桑村研に所属し、修論の追い込み中である。界工作舍OGの東端桐子夫妻と田中幸子夫妻、岩元真明+緒方菜穂子夫妻が参加してベトナム料理パーティ。アン・トゥー手作りの美味しいベトナム料理をいただきながら、シャンペン、ビール、ワインと続き、様々な話題で盛り上がる。東端、田中、岩元、緒方は、それぞれ昨年、ホーチミンのアン・トゥー宅を訪れたらしい。11時過ぎ、僕たちは一足先にお暇する。12時に帰宅。そのままベッドに倒れ込む。

国立の現場への往復電車の中で『系統樹思考の世界---すべてはツリーとともに』(三中信宏:著 講談社現代新書 2006)を読み終わる。ツリー的思考の可能性と限界を確認するために読み始めたのだが、内容は根本的に違っていた。系統樹思考とは歴史を科学として捉えるための時系列的な思考法だからである。本書の基本的な前提に「系統樹思考」と「分類思考」の相違がある。前者は対象物の間の系譜関係に基づく体系化を意味し、後者は同じ対象物を離散カテゴリー化によって体系化することを意味している。系統樹思考は対象物をデータ源として、その背後にある過去の事象(分岐順序や祖先状態)に関する推論を行うのに対し、分類思考は対象物そのもののカテゴリー化(分類群の階層構造化)を目標とする。したがって、アレグザンダーの言うツリーとは、分類思考におけるネットワークの一種を意味し、本書で論じられている系統樹(ツリー)思考とは無関係である。系統樹思考は時間的な順序を対象とするので、生物進化論だけでなく、あらゆる歴史的事象を対象とする。系統樹思考には、演繹や帰納だけでなく、アブダクション(仮説形成)の方法が不可欠であるという指摘も興味深い。さらに興味深いのは、系統樹思考は単なる分岐形(ツリー)だけではなく、途中で枝が合流したり、複数の受刑が絡み合ったりするネットワークにもなりうることである。つまり系譜的思考にもツリーとネットワークの相違がある訳である。この辺りになると、アレグザンダーの問題とも関係が出てきそうである。つまり分類思考と同じく、系統樹思考においても、ツリー・システムでは現実を精確に捉えることはできないということである。エピローグでは系統樹思考と分類思考とを統合する問題について検討が行われている。アレグザンダー的な意味でのツリー思考について考えるために、引き続き、同じ著者の『分類思考の世界---なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(三中信宏:著 講談社現代新書 2009)を読んでみよう。


2011年01月21日(金)

7時半起床。8時半出社。午前中は放送大学のプログラムスケッチ続行。午後1時半、AGCスタジオの松本猛さんが来所。来週金曜日のAGCスタジオ・デザインフォーラムの打合せ。予約は早々に一杯になったとのこと。今夜は旭硝子の東大寄付講座のシンポジウムで佐藤淳さんが発表するそうだ。3時、西薗博美さんが来所。花巻を交えて基本設計中の「O邸」の構造システムについて相談。部分的な変更を採用して基本方針を固める。とはいえまだ支持地盤や積雪荷重などの条件がはっきりしないので暫定的な方針である。その後、岩元と「139遠藤邸」の構造検査に同行。2階に上がり工事の進行状況をチェック。高窓を含めて屋根の下地合板を張り終わり、現在は外壁の間柱を取り付けている最中。屋根の断熱パネルは今日搬入されたが、外壁断熱パネルの方は搬入時期が未定だという。夕方、岩元と「139遠藤邸」の軒周りの詳細の検討。引き続き絵本『家の公式』の打ち合わせ。プレゼンテーションの基本方針を固めたので、スケッチを開始することにする。夜はAGCスタジオ。デザインフォーラムのスライド編集の続行。10時過ぎ帰宅。

石山修武さんが1月20日(木)の「世田谷村日記」で、僕のXゼミ第13信について、次のようにコメントしている。「Xゼミ難波先生の草稿を読む。箱型の論だなコレワ。印象としての箱型商業論である。しかし流石にキチンとしているので、しっかり応答したい。難波さんの論は自分の世界らしきを捨象しているところが、わたしには不可解でもあり、又実に面白いところでもあるように思う」。文章が固いのは僕のスタイルだから「箱型の論」と評されるのはやむを得ないとしても、今回は「箱の家」の考え方について説明したので、思い切り「自分の世界」を述べたつもりだった。にもかかわらず「自分の世界らしきを捨象している」と読まれてしまうのはなぜだろうか。多分、自分の考えを一人称ではなく「引いた視線」で三人称的に相対化しようとしているからかもしれない。自分の考えを述べる時は、できるだけその「裏を取る」というスタンスは、池辺陽からトコトン叩き込まれたことなので、もはや変えることはできない。そんなことを考えていると、石山研究室からXゼミ第14信が届く。早速、サイトにアップし、じっくりと読んでみる。考えるべき問題が多々出てきたので、週末に第14信をまとめることにしよう。


2011年01月20日(木)

7時起床。8時出社。10時、『都心に住む』(リクルート)の編集者、田沢健一郎さん、ライターの喜入時生さん、リクルートの大庭千佳さん、カメラマンの甲斐寛代さんの4人が来所。「識者に聞く---間取りが家族の関係を左右するって本当ですか?」の取材。70年代の子供の個室と自立の問題から始めて「箱の家」の一室空間住居へと話しを展開させる。生活動線の問題を含めて、住宅が生活に及ぼす効果とシリーズとしての「箱の家」の意義を「反復」というキーワードで結論づけて、11時半に終了。午後、花巻と「O邸」打合せ。構造システムの再検討とプランへのフィードバック。コストダウン案の検討。放送大学のプログラムの検討続行。ロケと取材の対象候補をリストアップ。JIA環境建築賞の最終審査会が今月末に確定したので現地審査の結果を整理する。机の上に積み上げられた本を少しずつ整理していく。次回LATsの『建築における「日本的なもの」』(磯崎新:著 新潮社 2003)を探し出して目次に眼を通す。さすがに磯崎さんは手強い。10時半帰宅。


2011年01月19日(水)

7時起床。8時出社。10時に環境研の高瀬幸造君と川島宏起君が来所。まず2階の自宅に上がって配電盤の実測データを回収し、アクアレイヤーの温度設定と現在の水温を確認。昨夜は寝室ゾーンの回路スイッチを間違えて冷房設定に入れたため、冷温水ヒートボンプが稼働せず、アクアレイヤー水温が17度まで下がってしまった。朝起きて洗面所の床タイルが冷たいので気がついた。廊下の照明スイッチと冷暖房回路のスイッチを同じスイッチ盤に並べたのが間違いの元である。これはスイッチ設計のアフォーダンスの問題である。引き続き事務所のデータ回収。高瀬君とオーム社から出る『エコ住宅・エコ建築の考え方と進め方』の原稿打合せ。川島君とDIEP(Design Institute for Environmental Physics 環境工学×建築デザイン研究会)のレクチャーの打合せ。DIEPはすでに活動を開始しHPも作っているようだ(http://d.hatena.ne.jp/DIEP2011/)。僕は2回のレクチャーを頼まれたが、最初の回は2月14日(月)で、慶応大SFCの井庭崇さんとのコラボらしい。井庭さんは『思想地図beta』の座談会「パターンの可能性---人文知とサイエンスの交差点」に参加している。ならば環境建築とパタン・ランゲージの関係について話せば議論が盛り上がるかもしれない。花巻と「O邸」第1案の打合せ。耐力壁の配置に問題があるので、西薗さんに相談する必要がありそうだ。スケジュールの見通しが立ったのでO氏に連絡。今月末に第1回のプレゼンテーションを行うことになった。夜は間口を狭めたコストダウン案のスケッチ。何とか収斂の見通しが立った。10時過ぎ帰宅。

『系統樹思考の世界---すべてはツリーとともに』(三中信宏:著 講談社現代新書 2006)を読み始める。『思想地図beta』の「パターン」特集の参考文献に挙げられていた本である。アレグザンダーの『都市はツリーではない』以来、建築界ではツリー的思考はきわめて低い評価しか与えられなくなった。2年前の難波研読書会では『知恵の樹』(フンベルト・マトゥラーナ+フランシスコ・バレーラ:著)を取り挙げたが、そこでの「樹」はツリーシステムではなかった。しかし、進化論を図式的に表現する「生命の樹」は完全なツリーシステムである。歴史的(進化論的)思考とツリーシステムには何らかの関係があるに違いない。『都市はツリーではない』において、アレグザンダーは近代都市計画はすべてツリーシステムであることを証明したが、果たしてそれは正しかったのか。ツリーシステムの実在性を含めて、再度、検証してみる必要がありそうである。


2011年01月18日(火)

7時起床。朝食抜きで7時半過ぎ出社。大急ぎで神宮前日記を書き込んだ後、8時半に事務所を出て、渋谷の区民健康センター桜丘へ9時前着。昨年末に予約した癌一次検診。待合室には20人くらいの人が待っている。約10分待って受付に呼ばれ、ここ1週間に採取した試料を手渡しデータを登録。身分証を貰って更衣室へ行き、ブルーの紙製ガウンに着替えて待つ。間もなく胸部レントゲンとバリウム検査。再び着替えて別の診察室にて採血し9時半終了。10時過ぎに事務所に戻る。バリウムを排出するために飲んだ下剤の効果が午後一杯続き仕事に集中できない。放送大学のプログラムの作成を再開。テキストの編集者と番組ディレクターに打合せを依頼するメールを送る。引き続きAGCデザインセミナーのスライド編集。「箱の家」におけるガラスの使い方について話す予定。京都精華大学と法政大学から卒業設計公開講評のポスターが届いたのでHPにアップ。京都精華大学のゲストクリティークは僕1人のようだが、法政大学は高橋晶子さんと西沢立衛さんとの3人である。東大の卒業設計は今が最後の追い込みだろう。2月の合同講評では、今年は中国の精華大学と韓国の京城大学を加えた5校で開催するそうだ。アタゴ工場から届いた外構計画の問題について井上と打ち合わせ。工場の南に広がる川の景観を大切にしたい。隣地の工場との境界にはやや大きめの樹を植え込む予定。

『思想地図beta』の第2特集「パターン」の記事を読み終わる。鳥の複雑なさえずりにみられる半規則的なパターン、人間の一見不合理な経済行動がもたらす合理的なパターン、外界に存在する多様な事物を分類する際に人間の思考が示す階層構造的なツリー・パターン、コンピュータ処理によって大量の情報の集積に中に見出される自己組織的なパターンなど様々なコンテンツのパターン研究が詳細に紹介されている。最初の座談会では、アレグザンダーのパターン・ランゲージから議論が出発しているので、コンテンツ抜きの形式的な議論に苛立ったが、ここまで読んで少し見方が変わった。僕の捉え方とは逆に、パターン・ランゲージの方が「パターン的思考」のひとつの典型的な例であることが見えてきたからである。かつての科学哲学の用語でいえば、本書で展開されているのは、分析的な思考に対する統合的なパターン認識の多様なケーススタディだと言ってよい。その中でもとくに三中信宏の「系譜の存在パターンと進化のプロセス」を興味深く読んだ。分類にまつわる問題の難しさについて、彼はこう書いている「分類をめぐる問題がかくも錯綜するのは、それが「分類される物」の側の特徴だけでなく、「分類する人」の側の認知カテゴリー特性をも含まざるをえないからである。切り分けられた「種」や「分類群」が自然の中に実在するのか、それとも単にわれわれヒトが心理的にカテゴライズしているだけなのか。この問題はヒトが環世界の事物をどのように理解しようとしてきたのかというもっとも大きな疑問をふたたび浮かび上がらせることになる」。この指摘は、カントからレヴィ=ストロースに至る認識問題の根幹に関わっているし、アレグザンダーのツリーとセミラチスが実在するのかどうかという問題とも関係がある。結論部分では、さらに興味深い指摘がなされている「体系学的パターン分析において、「ツリー(樹)」を用いることそれ自身が最大の仮定(モデル)である可能性を一度考えてみるべきだろう。グラフ理論的に考えるならば、分岐的なツリーは、網状ネットワークの部分集合である。たとえば、建築家クリストファー・アレグザンダー(Christopher Alexander 1965「都市はツリーではない」)やジョージ・クブラー(George Kubler 1962「The Shape of Time : Remarks on the History of Things」)が論じたような半束(セミラチス)はツリーの集合として定義することができる。そして半束自身もまた高次元ブール代数の部分集合として数学的に定義できる」。つまり系統樹(ツリー)ではなくネットワークの方が分類モデルとして正しい可能性があるかもしれないというのだ。ここまでくれば、最終的には、パターンは発見されるものなのか、あるいは創造されるものなのかというウィトゲンシュタイン的問題となる。言うまでもなくウィトゲンシュタインの回答は後者だが、僕としては、両者の相互作用によって精神生態学的に形成される定常的回路のパターンではないかと考えている。それにしても、本号の特集「ショッピング/パターン」が、コールハースとアレグザンダーが提起した問題にピッタリと重なりあっているという事実は、一体何を意味しているのだろうか。


2011年01月17日(月)

7時起床。8時過ぎ出社。10時半、保存コンペの最後の打合せ。その後スタッフは保存コンペのプレゼンテーションに集中。3時前にすべて終了。直ちに岩元がプロポーザルの書類をコンペ事務局へ届けに出かける。妻が旅行用にiPadを購入したので、僕とカレンダーを共有する設定を手伝う。前研究室からトステム財団の研究助成の報告書作成の依頼が届く。ココラボ研究のために申請したのは3年前だが、昨年秋に「環境共生住宅ココラボモデル」が完成し、室内環境の実測調査も実施したので、全体の研究結果をまとめることとする。前研究室に研究と実測結果をまとめたデータを依頼し、難波研究室から引き継いだ書類のファイルを探し出し、岩元にまとめを指示する。「O邸」のスケッチ続行。夕方までにフリーハンドで第1案を清書する。夕食後、この図面を元にスタッフに第1案の説明。皆で出し合ったアイデアを統合した案にまとめることができたと思う。新しい「箱の家」へ向けてのステップになるかもしれない。早速、花巻に図面の清書と模型製作を指示。夜、岩元と「139遠藤邸」の変更案について打合せ。10時過ぎに帰宅。


2011年01月16日(日)

8時起床。9時出社。午前中は久しぶりにDVD鑑賞。『必死剣鳥刺し』(平山秀幸:監督 2010)を観る。藤沢周平原作の映画は何本か観ているが、この映画は少し雰囲気が異なる。最後の15分間が売物らしいが、僕には少々芝居地味ているように感じられた。午後、保存コンペのプレゼンテーションを一通りチェック。栃内と岩元が出社したので短い打合せ。栃内と「140北山邸」の基礎施工図打合せ。明日から地業工事を開始する。昨日上棟した「139遠藤邸」では外断熱用の断熱パネルの納入が遅れるので、屋根、外壁工事が遅れるそうだ。「140北山邸」も基礎の打込断熱パネルの手配が遅れたため、着工が今年にずれ込んだ。長期優良住宅やエコポイントを獲得するために、ハウスメーカーやディベロッパーが断熱パネルを買い占めているのかもしれない。4時、シンガポールの留学生Toonが来所。修士論文のエスキス。戦後日本の住宅の平面計画の変遷を通して、日本人の生活の変化を明らかにしようというテーマ。留学生にしてはやや荷が重過ぎるテーマである。1950年代から10年毎に、代表的な集合住宅と建築家が設計した戸建住宅を取り上げて、それぞれのプランを分析している。問題は、何を基準にして分析対象として取り挙げる代表的な住宅を選ぶかという点だが、その点ははっきりしない。しかし残り2週間で、その点を研究するのは不可能である。ともかく、論文として成立させるために、まずは、大至急梗概をまとめて、全体のストーリーを明確にするようにアドバイス。その後「O邸」のスケッチを続けるが、なかなか収斂しない。

『思想地図beta』を読み続け、第2特集「パターン」の最初の座談会「パターンの可能性---人文知とサイエンスの交差点」(井庭崇+江渡浩一郎+増田直紀+東浩紀+李明喜)を読み終わる。柄谷行人の『言語・数・貨幣』(1983)から話が始まり、クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージの可能性に関する議論へと展開して行くのだが、僕には最後まで既視感と同時に齟齬感が拭えなかった。議論の基本的な構図は、初期の『形の合成に関するノート』や統計的手法を用いたパターン分析の手法と、後期の自然言語を用いた『パターン・ランゲージ』との方法の相違に関する議論に終始しているように思えるのだ。それもパターン・ランゲージから建築的なコンテンツを完全に外し、パターン的(つまり形式的)な思考に還元した上で、集合知をいかに統合するかという抽象的な問題に移し替えた議論である。形式的な方法論に関するこのような議論は、僕には1970年代の設計方法論が、最終的に民主的な手続論へと陥って行った経緯と重なって見えてしまう。アレグザンダーは前期のコンテンツ抜きの数学的方法論の限界に気づいてパターン・ランゲージへと向かったことを忘れてはならない(とはいえ、その後は、機能抜きの空間の幾何学的構造へと展開して行くのだが、その点に関する言及は、ここでの議論にはない)。当時と現在で決定的に異なる条件は、手続論の手法として、情報処理装置としてのコンピュータの能力が爆発的に拡大したことである。それによって取り扱える変数が圧倒的に増大し、シミュレーションが可能になったというのだが、「量が質に転換する」その「質」の中味が一体何であるのか、この座談会からは今一理解できない。座談会に参加している江渡さんには、かつてアレグザンダーに関するインタビューを受けたことがあるが、その時にも、同じようなことを話した記憶がある。ともかくコンテンツを欠いた集合知に関する議論の危うさを痛感させられる座談会である。それにしても「ショッピング」と「パターン」の両特集の座談会に参加している東浩紀は、かつての『批評空間』における柄谷行人と浅田彰の二役を一緒にしたような役割を演じているのが印象的である。


2011年01月15日(土)

7時起床。8時出社。昨日のブログに関して、早速、松村昌平さんからの応答メールが届いたので、じっくり読んだ上でのコメントではないことを断わる。現在、最終回の原稿を校正中で、間もなくアップされるとのことなので、改めて読み込んでみることを約する旨の返信メールを送る。I氏から敷地の交渉が進展していないとの報告メールが届く。不動産屋が迅速に動かないらしい。他の敷地候補があれば何度でも調査に赴く旨の返信メールを送る。10時半「O邸」の打合せの第2回目。皆、思い切った案を出してきたが、やや背伸びし過ぎている感がある。そろそろ収斂させなければならないので、明日一日かけて検討してみることにする。正午から「139遠藤邸」の上棟式。両親夫妻と遠藤夫妻が出席。寒いので、建物の四隅を浄めた後、簡単な挨拶だけで終了。その後、梯子で2階に上り、完成した軸組をチェック。建物全体の軸が真南から30度近くズレているので、高窓を斜めに回転させている部分の軸組の納まりが難しいようだ。正午の太陽角度が高窓に直角になっていることを確認。午後、保存コンペのプレゼンテーション打合せ。鈴木博之さんから届いたコメントに沿って部分的に修正。夜もワークショップの説明を作文。10時半に帰宅。

『思想地図beta』vol.1特集「ショッピング/パターン」のショッピング特集の部分を読み終わる。座談会「ショッピングモール的都市の未来---都市とテーマパークの間」では、5人の論者が「ラゾーナ川崎」「六本木ヒルズ」「原宿・裏原宿」「秋葉原」を一日かけて回りながら、それぞれの街について議論を展開している。ここでも、計画されたショッピングモ−ルと、自生的な街との比較論が展開されている。久しぶりに森川嘉一朗の発言に触れたが、彼の「テーマパークは強い計画の意志を帯びた言葉です」というコメントが記憶に残る。都市のサスティナビリティを巡って、東浩紀が山本理顕の『地域社会圏モデル』にも触れているが、あまり議論が深まっていないのは、やはり居住エリアとの関係がはっきりしないからではないか。秋葉原を巡って、東さんと森川さんとの間で議論が白熱し、オタク文化の継承による秋葉原のサスティナビリティについて論じている辺りが、もっとも盛り上がっている。森川さんらしいユニークな視点だと思う。


2011年01月14日(金)

午前中、集中してXゼミ第13信をまとめる。都市空間の商業化と「箱の家」の関係について突っ込んで検討したので、今までで一番長い14枚になった。正午過ぎに石山研究室へ送信。間もなくXゼミサイトアップされる。午後は「0邸」のスケッチ続行。3案目がなかなか展開しないので、とりあえず2案目をまとめてみることにする。夕方、保存コンペ打合せ。プレゼンテーションの方針を最終確定。夜、「O邸」の1/100図面を手描きでまとめる。『10+1』ウエブサイトに掲載されたLATsの記事を確認していたら、松川昌平がアルゴリズムの歴史的・理論的根拠に関して論じた「Algorism---建築の計算(不)可能性」の第3回第1部「設計プロセス進化論」の中で「建築の4層構造」について検討しているのを見つけた。(http://tenplusone.inax.co.jp/school/matsukawa/3algorism3/)。アルゴリズムのコンテクストで60年代の設計方法論やアレグザンダーについても論じている。やや観念的な議論に終始しているような気がするが、歴史的な視点を失わなければ生産的な議論になるだろう。僕としては、かつての設計方法論が、コンテンツ抜きの議論によって不毛な隘路に陥った経緯を見ているので、同じ轍を踏まないように祈るばかりである。


2011年01月13日(木)

7時半起床。8時半出社。「139遠藤邸」の建方はほぼ終了している。斜めの高窓の軸組は現場加工で組立てているようだ。午後には建物全体が仮囲いで覆われる。年が明けてからいくつか取材、イベント、出版企画の依頼が届いている。『都心に住む』の取材、子供向け絵本『家の公式』の出版計画、AGCスタジオでの「箱の家」のレクチャー、OZONEの現代住宅に関するセミナー、東大環境研究室の学生が企画した環境工学×建築デザイン研究会、「箱の家」の実測結果をまとめる『エコ住宅・エコ建築の考え方と進め方』の出版企画、京都精華大と法政大学の卒業設計公開講評会などである。ほとんどがここ2ヶ月に集中している。午後はXゼミ第13信の原稿に取り組む。あれこれ文献を探りながら、夕方までに9枚書いたが、まだ問題の核心の周りをぐるぐる回っている感じで、落とし所が見えてこない。明日には何とかまとめあげたい。夕方、保存コンペの打合せ。プレゼンテーションの方式について議論。夜は「O邸」スケッチ。3つ目の案は迷走している。10時半帰宅。『思想地図』の座談会「ショッピングモールから考える---公共、都市、グローバリズム」を読みながら夜半就寝。


2011年01月12日(水)

7時起床。朝食を摂っていると前面道路に鳶職が数人集まってくる。8時から「139遠藤邸」の建方開始。岩元も立ち会っている。8時半出社。9時に銀行に行き経費の振込。9時半過ぎに事務所を出て、地下鉄副都心線、東武東上線を乗り継ぎ12時過ぎ寄居駅着。井上と簡単な昼食を済ませた後、現場監督の車で「アタゴ工場」の現場へ。屋根工事の南半分が完了し北半分の工事中。土間コンクリートの打設は終了している。1時過ぎから永吉工場長、林課長が加わり1月の総合定例会議。井戸の水質調査結果、共有部分の照明計画変更、床材の変更などを打合せた後、現場を見て回る。金属加工工場の床の色を確認。広い面積で濃い色はやはり色ムラが出る。3時終了。その後しばらく設計会議。4時前に終了。鉢形駅まで送ってもらい6時に事務所に戻る。夜は「O邸」スケッチ。Xゼミ原稿。保存コンペ書類チェック。10時半帰宅。

往きの電車の中で『怪帝ナポレオン三世』を読み終わる。19世紀後半の第二帝政期(1951-1970)にフランスの近代化がほぼ完了し、現在のパリの都市構造が完成した。フランス文化もこの時期に世界的になっている。にもかかわらずナポレオン三世に対する評価が著しく低いのは、第二帝政の崩壊の仕方があまりにも悲惨(ドジ)だったからである。要するに「終わり良ければ、すべて良し」の逆で「終わり悪ければ、すべて悪し」なのである。それにしてもマルクスやユゴーを初めとする思想家たちの責任は大きいと言わざるを得ない。ナポレオン三世の最期は、あまりに悲哀に満ちているので、読み終わった後しばらくは呆然となった。

引き続き『思想地図beta』vol.1特集「ショッピング/パターン」を読み始める。巻頭の鼎談「非実在青少年から「ミカドの肖像」へ」(猪瀬直樹+村上隆+東浩紀)は現代における日本の特殊性と世界へのコミットの仕方に関する議論が興味深い。第1特集「ショッピング」の「なぜショッピングモールなのか?」(速水健朗:著)ではパッサージュからショッピングモールまでの歴史を概観している。19世紀後半から今日までのショッピングモール関連の年表は大いに参考になる(なぜかパッサージュは欠落しているが)。モータリゼーションに対するショッピングモーライゼーションという造語もなかなか秀逸である。しかし商業空間に焦点を当てているとはいえ、都市のもうひとつの重要な要素である居住空間との関係に関する議論がまったくなされていないのは片手落ちだと思う。郊外の住居から車でショッピングモールに赴くというシステムでは現状追認でしかなく、近未来の都市モデルにはなり得ない。一方、藤村龍至のプレゼンテーション「神の都市 The Prototype of City 2.0」は、ショッピングモールの空間を21世紀の新自由主義とグローバライゼーションの時代の都市モデルとして捉えている。藤村は建築家だから、ショッピングモールの上層部を居住空間としており、抜かりはないのだが、特に具体的な提案があるわけでもない。読みながら、明治神宮から表参道を経て根津美術館までの1.5kmがまさに都市的なショッピングモールであることに思い至る。


2011年01月11日(火)

7時半起床。8時半出社。午前中は雑用。確定申告の準備。Xゼミ第13信のスケッチ開始。基本方針はほぼ固まる。2、3日中にはまとめよう。午後は「O邸」スケッチの続行。第2の案が収斂して来たので、さらに別の案を考え始める。「139遠藤邸」の土台据え付けが完了。明朝が本格的な建方である。5時前、鈴木博之さんが来所。保存コンペの相談。コンペ概要を説明した上で、僕たちがまとめた2つの代替案に関して意見を求める。部分的な修正の必要性を指摘されたが、基本コンセプトは承認してもらう。保存におけるオーセンティシティ(正統性)の考え方についてショートレクチャーの後、ワークショップに関するブレインストーミング。6時過ぎ終了。これを受けて、直ちにワークショップの手順を時系列のマトリクスにまとめるように指示。スタッフと夕飯を食べながらLATs第1回のまとめ方に関する議論。夜は読書とスケッチをくり返す。10時半帰宅。『怪帝ナポレオン三世』は最終第8章「第二帝政の終焉」に差し掛かる。


2011年01月10日(月)

8時起床。午前中はボンヤリとネットサーフィンで過ごす。午後O邸スケッチ続行。何となく方向性が見えて来た。3時、タイの留学生ポ−ンパット・シルクルラタナさんが来所。修士論文のエスキス。とはいえ締切まで3週間なので、基本方針を確認し、疑問点についてだけ相談に乗る。論文の基本的なモチーフは「装飾」の概念が時代によって大きく変化していることから、2000年代の建築が技術的な可能性の追求によって新しい装飾の可能性を示しているのではないかという仮説である。要するに装飾の新しい定義を行おうとしているようだ。ならば装飾を通して建築の共同性の変遷について論じた『建築の世紀末』を参照すべきだと指摘したら、すでに検討済みだという。僕の論文も読み込んだそうだ。彼女はAUSMIPでミュンヘン工科大学へ行き、リチャード・ホールデンのスタジオで自分の発想に技術的な裏づけがないことを厳しく指摘され、カルチャーショックを受けたのだという。それで修論の相談に来た意図がよく分かった。論文の基本方針は間違っていないことを確認し、結論では現代の装飾のあり方について彼女自身の定義を明らかにするようにアドバイスする。LATsの岩元君と千種君から次回のテーマ「japanese」に関するメールが届く。次回開催日は3月6日(日)。取り挙げる著書は『建築における「日本的なもの」』(磯崎新:著 新潮社 2003)。副読本は『日本の思想』(丸山真男:著 岩波新書 1961)に加えて『批評と理論 日本-建築-歴史を問い直す7つのセッション』(磯崎新+鈴木博之+石山修武:著 INAX出版 2005)や『始源のもどき---ジャパネスキゼーション』(磯崎新:著 鹿島出版会1996)を挙げる。担当の千種君から『建築における「日本的なもの」』に関するフレデリック・ジェイムソンの書評と磯崎新のそれに対する応答が送られてくる。このテーマは『思想地図beta』の第1号巻頭に掲載されている鼎談「非実在青少年から「ミカドの肖像」へ」(猪瀬直樹+村上隆+東浩紀)で展開されている議論にも結びつけることができるだろう。ともかく、このテーマを現代の状況に引き寄せることが重要である。7時帰宅。夜はベッドで読書。猫が何度も僕のベッドに入り込んで来るので眠れない。昨夜はこの冬一番の寒さだったからだろうか。


2011年01月09日(日)

7時半起床。9時出社。午前中は『球と迷宮』をざっと読み返す。11時過ぎに岩元が出社。午後1時半からLATs第4回『球と迷宮』。参加者は15人。飛び入りで今村創平さんが参加。石田遼、龍光寺眞人。岩元真明の3人が発表。石田は本書全体を彼なりに再構成して解釈し、龍光寺は思い切り現代の問題へ引き寄せて捉え、岩元は超高層に関する章に焦点を当ててタフーリとコールハースをベンヤミンを介して比較検討。それぞれユニークな読解だが、僕としてはタフーリのマルクス主義的歴史観に関する言及がまったくない点が物足りない。全世界がグローバル資本主義によって覆われている現代に本書を読む最大の意義は、タフーリの視点から現代を相対化することにあると僕は考える。しかし皆の読解は、逆に現代の状況に浸った視点からタフーリを拾い読みしているように思える。この問題を現代に引き寄せれば「球=コスモス=計画=社会主義」と「迷宮=カオス=自生=資本主義」の相補的な対比として捉えることができるだろう。この意味で、スーパースター建築家たちが巨大なプロジェクトを展開している国(中国、ロシア、旧ソ連邦諸国、アラブ諸国)は、何らかの形で社会主義的な伝統が残っている国である、という今村さんの指摘は興味深い。さらにこの問題はジェイン・ジェイコブスの都市論とも結びつけることができるし、いずれLATsで取り挙げる予定の「複雑性」というテーマとも関係があるだろう。僕はその方向に議論を誘引しようと試みたが、誰も乗ってこないので、尻切れトンボの議論になってしまった。4時半終了。その後、皆で青山まで出て、表参道駅近くの居酒屋で新年会。鳥料理と冷酒で盛り上がる。8時過ぎ解散。家の前でちょうど帰ってきた妻に出会ったので、2人で自宅にて呑み直し。11時半過ぎにベッドに倒れ込む。


2011年01月08日(土)

7時起床。8時半出社。10時過ぎ「O邸」打合せ。スタッフ全員が各自の案を説明。それぞれ明確なコンセプトを持った案だが、突き抜けたところがなく物足りない。今までにない特殊な設計条件なので、出発点にはもう少し伸び伸びとした案が欲しい。来週末までに再度アイデアを練ることとする。午後2時、村山択平+池田知余子+朔之介一家が来所。池田さんは大阪市大時代の難波研OGで現在は安井設計事務所を産休中。1時間余の四方山話。大阪市大には2年半しかいなかったので思い切った活動ができなかったが、彼女は『難波研活動全記録』を読んで大学時代を想い出したそうだ。17時保存コンペ打合せ。最終2案の確定とワークショップの詳細についてブレインストーミング。アークショップの手順をマトリクスにまとめる案を提案。連休明けに再度打ち合わせることとする。夕方までに「139遠藤邸」の外周足場が組み上がる。来週初めから建方の作業が始まる。夜は、スタッフの案を見ながらO邸のスケッチ続行。スキップフロアを持った「箱の家」を地上1m位に浮かせる案を思い付く。10時過ぎ帰宅。

『怪帝ナポレオン三世』は第6章「パリ大変貌」を終えて第7章「二つの戦争」に差し掛かる。第6章では、オスマンによるパリ大改造がいかに大掛かりで徹底した事業だったかを詳細に紹介している。巨大な上下水道の創設、放射状の大通り、レ・アール(中央市場)、エトワール広場などの建設、ブローニュの森とロンシャン競馬場、モンソー公園などいくつかの公園整備と宅地開発、シテ島の改造、パリ市域の拡大(これによってクロード=ニコラ・ルドゥーによる徴税所のほとんどが破壊された)、シャルル・ガルニエ設計による新オペラ座の建設、1867年の最初のパリ万博の開催などは、すべてナポレオン三世の命を受けたオスマンが成し遂げた事業である。オスマンの功績について著者はこう言っている「オスマンのパリ改造は、たんに街を作り替えただけでなく、新しい階層を生み、新しい習慣行動を作り出した。この意味で、オスマンは豪華絢爛たる第二帝政の社会それ自体の生みの親となったともいえるのである」。このような一連の大事業の達成に駆り立てられたナポレオン三世の深層心理に、対岸の大英帝国に対するコンプレックスがあったというのも興味深い歴史的事実である。


2011年01月07日(金)

7時起床。8時過ぎ出社。メールチェックした後、8時半に事務所を出る。出がけに「139遠藤邸」の現場を見る。今日から仕事始めの現場監督に挨拶。12日に建方のために足場の準備を始めるらしい。今年一番の寒さの中、徒歩で渋谷の東京女子医大成人医療センターへ向う。朝日に当たるとそれほど寒くはないが風が冷たい。渋谷から青山に向う出勤の流れに逆行しながら歩き、9時前に到着。9時から眼科診療。眼圧を測定したら以前より下がっているとのこと。ここ1ヶ月間、毎朝、目薬を注してきた効果がようやく出てきたようだ。1ヶ月後に視力測定、2ヶ月後に再診の予約をして9時半終了。再び歩いて事務所に10時着。真壁智治さんからファックスが届く。『子供たちに伝えたい家の本』のスケッチの催促。すでに何人かの建築家の編集作業が進んでいるようだ。僕もそろそろ本格的に始めねばならない。スタッフにも相談してみようか。岩元と「139遠藤邸」の詳細打合せ。保存コンペの打合せ。2つの案の平面図のチェックバック。O邸のスケッチを続ける。最初に立てたコンセプトは何とか収斂したが、まだ別の案がありそうな気がする。しかしそれがどんな案かは分らない。悶々とスケッチを続けるが見えてこない。複数の仕事が動き始めると、いつもこういう症状に陥る。アイデアが堂々巡りを始めるのだ。そんな時は、決まって関係のない本を読み始める。僕にとって読書は頭をかき回す作業であると同時に一種の逃避行動なのかもしれない。しかしそんな時の読書は決して集中できないし持続もしない。10時過ぎ帰宅。思い切りスコッチウィスキーを煽って就寝。


2011年01月06日(木)

7時起床。8時出社。『日本近代建築の歴史』の鉄骨造に関する記述について神宮前日記に書き込んだところ、首都大学東京の深尾精一さんから、改めて取り挙げるまでもない常識的な事実ではないかという趣旨のコメントが届く。僕としては「メタル建築論」(『シリーズ都市・建築・歴史 9---材料・生産の近代』(東大出版会 2005)所収)の傍証として1970年代に村松貞次郎が日本の鉄骨造の歴史について論じていることを再確認したかっただけなのだが、読み手によって受け止め方が大きく異なることを痛感する。とはいえ、深尾さんにとっては既知の事実でも、ほとんどの建築家にとっては目新しい指摘かもしれないと考えるのだが、いかがだろうか。ギーディオン、ペヴスナー、ベネヴォロをまともに勉強している建築家が一体どれ位いるだろうか。況んやバンハム、コーリン・ロウ、タフーリにおいてをやである。アタゴ工場の現場から一連のサッシの製作図の現状案が届く。まだまだ詰められていない点が散見される。井上と高窓などについて打合せ。板ガラス協会のHPに掲載するサント・シャペルの写真を探す。1979年のパリ訪問時のスライドが健在だったが、なぜか肝心な祭壇の写真が抜けている。やむなく側廊と外観の写真をスキャンして送信。メディアデザイン研究所から『建築雑誌』2011年2月号の対談の校正原稿が送られてくる。直ちにチェックして返信。5時から保存コンペ打合せ。いくつかの案を比較検討し、2つの案に絞り込む。今週末までに詳細な検討を行う予定。9月に大阪で開催したアーキフォーラム大阪のレビューを遅ればせながらHPにアップする。O邸のスケッチ続行。660平米の敷地に建築をどう配置するか。セカンドハウスなので日常的なメンテナンスは難しい。前面道路の脇に5m近い高さの堤防がある、これまでの「箱の家」とはまったく異なるこれらの条件を、何とか建築化したい。

『怪帝ナポレオン三世』は第5章「社会改革」を終えて、第6章「パリ大変貌」に差し掛かる。1850年代のフランスでは、ケインズ流の公共投資とサン=シモン流の民間投資の爆発的な拡大によって、フランス全土の鉄道網やパリのインフラが整備される。投資の舞台裏には当然ながら銀行などの金融機関の拡大があり、金融戦争が展開する。著者によれば、ナポレオン三世は英国をモデルにした「機能主義的なモダニスト」である。ここでいよいよナポレオン三世のパリ改造の命を受けたウージェーヌ・オスマンが登場する。


2011年01月05日(水)

7時起床。8時出社。10時過ぎに仕事始め。進行中の仕事やコンペについて、通常通りのペースで仕事を開始する。O邸の敷地測量図と僕のコンセプトスケッチをスタッフ全員に渡し、今週末までの社内コンペとする。並行して、僕も本格的なスケッチを始める。今日も年賀状が何通か届いたので、昨日までの分と合わせて可能な限り返事メールを送る。結局、120通程度になった。送った年賀メールに対して何人かから返事が届く。今村創平さんに今週末のLATsへの参加を打診したら、飛び入り参加してくれることになった。彼は現在、タフーリ論の翻訳に取り組んでいるらしい。『球と迷宮』だけでなく『建築神話の崩壊』や『建築のテオリア』を含めた幅広い議論を期待しよう。

AMAZONから『日本近代建築の歴史』(村松貞次郎:著 岩波現代文庫 2005)が届いたので、鉄骨建築史の部分だけを拾い読みする。日本での鉄骨建築の嚆矢は、横河民輔による三井銀行本店(明治35年 1902)だが、主構造はレンガ造で鉄骨は補強として使われていた。鉄骨フレームによる本格的な建築は、佐野利器による丸善書店(明治42年 1909)だという。とはいえ実際には、鉄骨建築はそれ以前にも建てられているが、建築家ではなく他分野のエンジニアによる設計である。日本で最初の本格的な鉄骨建築は、海軍技師の若山鉉吉の設計による秀英社印刷工場(明治27年 1894)や八幡製鉄所(明治34年 1901)である。これらはすべて輸入鉄骨材で建設されている。純国産鉄骨造建築の第1号は、機械技師・景山斎による八幡製鉄切削ロール工場(明治41年 1908)である。建築家が本格的に鉄骨造に取り組み始めるのは、モダニズムが日本に流入してくる大正時代になってからだという。このような鉄骨建築に対するエンジニアと建築家の受け止め方の相違を、村松貞次郎は技術と建築思想のズレとして注目している。これも「建築の4層構造」のひとつの検証例として理解することができるだろう。


2011年01月04日(火)

7時半起床。9時出社。年賀状の整理。メールアドレスのある人にはメールで返信。10時に妻と家を出て明治神宮へ。表参道はそれほどでもないが、境内に入るとかなりの人出である。まず、鳥居前で去年の的矢を返す。参道を進むと途中に提灯を並べた照明壁がある。多分、面出薫さんのデザインだが、一番手前の上下に内田祥哉と石原慎太郎の名前が並んでいる。さらに進んで本殿に右折する手前に巨大な映像が置かれ、参拝のやり方を説明している。北へ向って右折した途端、本殿の屋根の後方に超高層のグロテスクな頂部が見える。西新宿にある東京モード学園ビルが、樫の樹海の上に顔を出しているのだ。代々木国立競技場の配置は明治神宮の軸線によって決められているという説があるが、よもや親子の軸線がここで出会うという奇妙な事態が成立しているのではあるまい。そんなことを考えながら中門を潜って本殿へと進み、人混みの中から賽銭を投げる。妻は5分近く祈る。帰りに今年の的矢を購入。同じ参道を戻り、橋を渡ってからエレベーターで地下へ下り、明治通りを渡った表参道脇のエレベーターで地上へ出る。地上とは打って変わり、閑散とした地下道である。12時前に事務所へ戻る。午後も引き続き年賀状の整理、夕方までかかってようやくひと区切りがつく。夕食後はO邸のスケッチ。スタッフのアイデアを引き出すためにいくつかのコンセプトを考える。9時帰宅。なかなか眠れないので、夜半過ぎまで読書とiPhoneでYouTubeの探索をくり返す。

『ナポレオン三世』は第4章「第二帝政」から第5章「社会改革」へと進む。ナポレオン三世の時代はちょうど日本の明治維新の直前で、フランスがイギリスに大きく遅れて産業革命を終え、国全体が本格的な資本主義に突入する段階である。金融と技術開発による社会改革を唱えたサン=シモン主義が大きな影響力を持った時代だが、僕たちの知識がマルクスやエンゲルスによる「サン=シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーウェンらは空想的社会主義者である」という歴史的位置づけに依存していることを改めて自覚させられる。現在、世界中の政府が行っている経済政策は、依然としてサン=シモン主義的としか思えないからである。


2011年01月03日(月)

7時起床。3日目の雑煮を食べながら箱根駅伝の往路中継を観る。最後までハラハラしたが、早稲田大が優勝して、なぜかホッとする。昼間から酒を飲むのは止めたが、本は読めても仕事をやる気はまったくしない。正月三箇日も仕事の計画を立てていたが惨敗。卒業設計のエスキスに大学に行く必要もないので、緊張がないのかもしれない。とはいえ久しぶりにXゼミに石山、鈴木の原稿がアップされ、「箱の家」についてかなり突っ込んだ批評を貰ったので、何とか応答せねばならない。頭の中を議論が駆け巡る。昼過ぎまで妻と一緒に夜のXゼミ新年会の準備。1時過ぎから4時まではフリー。僕はベッドに寝そべって読書。4時半から食事の準備。5時前に佐々木睦朗君が到着。5時、石山修武さんから電話。道に迷ったらしいのでコンビニまで迎えに行く。途中で鈴木博之さんに遭遇。5時半、4人全員が揃う。早速、佐々木君に貰った2002年のドン・ペリを開け、早大の箱根駅伝優勝と青山学院大のシード権獲得に乾杯。妻の手料理をいただきながら、ビール、冷酒、赤ワイン、グラッパ、ハンガリーリキュールと飲み続け、四方山話で延々と盛り上がる。最後に温かい蕎麦で締めて9時前終了。3人を表参道まで送る。裏原にはまったく人通りがなく、表参道も静かである。街路樹のイルミネーションを見て、石山さんが「難波!何で俺にこんなところを歩かせるんだ」と叫んだのには皆大笑い。地下鉄明治神宮前駅の改札口で別れる。9時半帰宅。片付けを済ませて11時過ぎ床に就く。僕自身もかなり飲んだので、妻と今夜の会のことを話しているうちに眠りに落ちる。


2011年01月02日(日)

7時半起床。お雑煮とお御酒をいただきながら、TVで箱根駅伝を見始める。1区で早稲田がダントツ首位になったこと。1区で最下位だった東海大が2区でアフリカからの留学生を含む17人を抜いて3位に上がったこと。そして5区で東洋大が3年連続で逆転首位になったことなど、ドラマの多い往路だった。2時過ぎに妻と家を出て、渋谷の東急オーチャードホールへ。3時から恒例の新年コンサート。いつになく陳腐な選曲で閉口したが、それでも最後のボレロだけは盛り上がる。3階席なので各パートの楽器が徐々に加わっていく様子がよく分かった。おまけは最後の抽選会で娘が当たり、超高級化粧品セットを貰ったこと。終了後、しばらく東急本店7階のジュンク堂を見て回る。気になる本はほとんど揃っており本格的な品揃えに感心する。時間があれば来てみたい書店である。6時半、西武8階の美々卯へ。娘夫妻も加わり新年会。うどんすきと凍結酒で盛り上がる。8時半に事務所に戻る。石山修武さんと鈴木博之さんからXゼミ原稿が届いたので、直ちにアップする。2人とも「箱の家」について論じている。いよいよ議論の核心に迫ってきた。お正月の時間を割いて書いていただいたことに感謝したい。


2011年01月01日(土)

7時半起床。家族3人でゆっくりと雑煮を食べ、お御酒をいただく。9時出社。年賀状の整理を始めるがお御酒がまわって集中できない。昼前に自宅に戻りベッドで横になりながら読書。娘は一旦パートナーの実家に赴く。2時過ぎに妻と一緒におせち料理を食べながら、再びお御酒をいただき、いい気分になる。夕方娘が戻ってくる。6時半まで休憩した後、おせちと蕎麦の軽い夕食。妻は白ワインを飲み続け、ご機嫌になる。僕も付き合って飲み続け朦朧となる。8時前にベッドに横になり読書。10時過ぎ、再び一人でおせちとウィスキーで締める。こんなに一日中飲み続けるお正月は初めてである。

『怪帝ナポレオン三世』は第3章「皇帝への道」から第4章「第二帝政---夢の時代」に差し掛かる。文庫本とはいえ600ページの大著で、ようやく1/3まで進んだところである。1851年末のクー・デタは成功したが、ナポレオン三世はまだ大統領である。再び国民投票が実施され、正式に皇帝ナポレオン三世に主任するのはクー・デタの1年後の1952年12月である。ここまで読んで来て、ひとつ分ったことがある。本書の目的は、カール・マルクスやヴィクトル・ユゴーらによって確立された「山師」で「愚帝」としてのナポレオン三世という歴史的評価を再検証することだということである。フランスにはナポレオン三世の再評価をめざした「第二帝政アカデミー」という組織もあるそうだ。それにしても、1851年といえばロンドンで世界最初の万博が開催され、水晶宮が出現した年である。19世紀は本当に面白い時代である。

アマゾンから『パリのパサージュ―過ぎ去った夢の痕跡』(鹿島茂+鹿島直:著 平凡社 2008)が届いたので眼を通す。パッサージュが出現するのはフランス革命(1789年)後だが、その開発時期はナポレオン一世による第一帝政時代を挟んで1790年代と1820年代に集中している。しかしパッサージュはその後、急激に衰退する。その原因はオスマンによるパリ大改造によって都市街路が整備されたことと、19世紀半ばにデパートが出現したためである。本書によれば、現代、再びパッサージュが再評価されているのは、1982年にヨーロッパで出版されたワルター・ベンヤミンの『パッサージュ論』によるところが大きいようだが、僕の考えでは、コンパクトシティの潮流との関連も強いのではないかと思う。


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