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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2009年11月30日(月)

今朝は定例の歯医者に行く日だったが風邪気味なので1週間後に延期。今日は一日事務所で原稿とスケッチ。午前中は『新建築』新年号特集「21世紀:次の10年を捉える」の原稿。建築教育の次の10年の課題について書く。コンテンツ教育、方法教育、歴史教育に分けて6項目の課題をリストアップし短いコメントを加える。終了後、jt12月号の「住宅訪問記」。界工作舍OBの龍光寺眞人君が設計しjt2009年9月号に掲載された「鴻巣の住宅」について書く。「箱の家」からの距離がテーマ。合間を見て、富山の新しい「箱の家」のスケッチ。北陸の「箱の家」は3軒目なので冬期の積雪や駐車場について考える。子どもたちには冬期のために伸び伸びとした室内空間を提供したい。夜、花巻と「137志賀邸」の実施設計打ち合せ。今週金曜日に志賀夫妻と最終打ち合せをする準備。引き続き明日の退職記念本の編集会議の準備。『ポンピドゥー・センター物語』はフランスの美術行政、美術館事情に関する内容ばかりなので興味が持てず途中で中止。代わって『歴史の必然性』(アイザイア・バーリン:著 生松敬三:訳 1966)を読み始める。本棚から『第一機械時代の理論とデザイン』を引っ張り出して目を通す。やはり古典は奥が深い。


2009年11月29日(日)

8時半起床。頭が痛い。9時半出社。午前中はぼんやりとして過ごす。午後大学行。1時半から『エッフェル塔試論』の公開読書会。難波研院生は3人、他研究室の院生3人、3年生が4人参加。難波研のM2生が発表。内容の詳細な紹介に少々ウンザリする。読書会の本来の主旨は、参加者はすでに読み込んでいることを前提にして、ピンポイントで問題点をリストアップし議論することにあるのだが、まだそこまでは至っていない。とはいえ報告を聞いていて一つだけ気づいたことがある。エッフェルが国家的技師を育成するエコール・ポリテクニークに対抗し、民間技師civil engineerであることを通じてフランス・ナショナリスムを顕揚したことと、ル・コルビュジエが『建築をめざして』においてエコール・デ・ボザールのアカデミックな美学に「技師の美学」を対置したことが歴史的にオヴァーラップしている点である。これはcivil engineeringが国家的な土木技術として受け入れられた日本では理解しにくい構図だろう。歴史的に見るなら、技術と芸術の対立はそれほど単純ではなかったということである。読書会では建築学と表象文化論とのディシプリンの相違が議論になった。建築学ではつねに議論は建築の物質性に回帰するが、表象文化論では最後には言語の物質性がせり上がってくる。建築学では物質性からイメージへのフィードバックが大きなテーマになるが、表象文化論では物質は最終的にイメージ(あるいは言語)へと回収され、その逆の回路は背景に退いてしまう。『エッフェル塔試論』にはとりわけその傾向が強いように思う。次回の公開読者会は年末12月27日(日)に『第一機械時代の理論とデザイン』(レイナー・バンハム:著 原広司:校閲 1976)をとりあげることを決めて4時半終了。その後しばらく卒論梗概のエスキス。6時に事務所に戻る。妻と久しぶりに赤坂に出て食事。日曜日の赤坂は閑散としている。9時前に事務所に戻る。雑用を済ませて10時過ぎ帰宅。『ポンピドゥー・センター物語』(岡部あおみ:著 紀伊国屋書店 1997)を読みながら夜半就寝。ポンピドゥー・センターの来客数はすでにエッフェル塔を優に越えているようだが、エッフェル塔と同じようにパリのモニュメントになるだろうか。興味あるところである。


2009年11月28日(土)

8時半出社。チリ・フォーラムのスライドの最終チェック。10時、水崎夫妻と小川建設社長来所。「135水崎邸」の工事契約。保険などについての説明の後、契約締結。確認申請に手間取っているので着工は12月中旬になりそうである。12時半に事務所を出て早稲田大学へ。55号館で開催中のチリ建国200年展の会場を観る。コンテナ内に展示された石山研究室の作品に注目。その後8階の石山研究室へ。Christian BOZA教授とAlbert TIDY教授に挨拶。レクチャーの進め方について打ち合わせ。同時通訳なので時間配分が読めない。とりあえず用意したスライドを見せるが、かなり切り詰めざるを得ないことが判明。1時過ぎに63号館のレクチャー会場へ。会場は6割の入り。BOZA教授はチリの近代建築史の概要を説明。彼らは自国を「チリ」ではなく「チレ」と発音する。TIDY教授は日本の文化とチリの文化を対照させながら両国の関係の深さを強調。後半に自作の住宅を紹介。豊かな自然の中に置かれた「箱」のモチーフが多い。続いて僕が東京大学と建築学科の歴史を簡単に説明し、池辺の仕事を引き継ぐ「箱の家」シリーズを紹介。案の定、幼稚園や消防署を紹介する時間はなかった。引き続き石山さんは、岡本太郎とラテンアメリカ文化の関係から始めて、チリの地上絵とアメリカ資本による製塩工場の廃墟にチリのゲニウス・ロキを見るという視点を提唱した後、カンボジアのヒロシマ・ハウス、福島の時間の神殿、北海道の水の神殿などを紹介し「機能を誘発するヴォイド」論を展開。最後に石山研究室のチリ留学性Abel ERAZOが今回の展覧会とMobile論について短いレクチャーを行って、すべて終了。その後の質疑応答では軍事政権と資本主義が並立していた時代のチリの建築潮流や、似たような体制だった韓国との比較論について話しが展開。日本の戸建住宅偏重に関するチリ側からの質問も出て盛り上がる。いつの間にか会場が一杯になっていた。6時からロビーでワイン・パーティ。TIDY教授とアルミ建築について意見交換。チリ大使秘書とチリにおけるサステイナブル・デザインについて議論。石山研究室の丹羽太一君と相互のHPに関する話題。伊藤毅研出身で現在は早大高等研究所の助教Julian WORRAL君と池辺陽について議論、手塚貴晴君と大学での建築教育に関する意見交換など、さまざまな人と話し合う。界工作舍のスタッフや東大建築学科3年生の顔も見える。8時半、石山さん、太田厚子さんと会場を出て新大久保へ。韓国料理屋はどこも一杯なので中華料理屋へ。向風学校代表の安西直紀君、プノンペンのヒロシマハウスで会った小笠原成光(ナーリ)さんの甥で浅草仲見世に店を持つ飯田隆夫君、慶応大学の中国留学性会の幹事である趙一夫君らと紹興酒で盛り上がる。ほとんど食事をしないでワインばかりを飲んだのですっかり酩酊し、時間も分からないままタクシーで帰宅。事務所で雑用をしたようだが記憶は消えたまま夜半あたりに就寝。


2009年11月27日(金)

10時、コスモスイニシア来所。ココラボ環境共生住宅の着工時期など今後の進め方などについて打ち合せ。実測を含めて何とか実現させたい。11時、花巻と「137志賀邸」の設備打ち合せ。マンションの改築なので配管配線経路が読めない。とりあえず想定した経路で設計し、最終的には現場で決めるしかないかもしれない。今日予定していた大学での卒論エスキスは急遽中止。送られて来た梗概をチェックし返信する。午後は明日のフォーラムレクチャーのスライド作成とシナリオスケッチに集中。6時前大学行。ココラボ定例会議。HPへのアンケート結果について議論した後、最終プレゼンテーションの報告。来週、本番のリハーサルを行うこととする。8時半事務所に戻る。スライド作成を続行。シナリオを書き込み10時半までに何とか目処をつける。10時半過ぎ帰宅。ウィスキーを煽りながらシナリオを反芻。夜半過ぎ就寝。

『エッフェル塔試論』(松浦寿輝:著 ちくま学芸文庫 2000)を読み終わる。後半については3年前に読んだときとは異なる感想を持った。鉄の物質性から出発してイメージの記号へと転換していく経緯は確かに興味深いのだが、その紋切り型のイメージを、再度、物質性へと送り返す作業がない点にやや物足りなさを感じた。というのも僕自身の経験では、最初にイメージから入り、その陳腐さ故に長い間近づくことを避けていたにもかかわらず、ある時、思い切ってエッフェル塔に近づいてみると、その物質性に圧倒され、当初のイメージが完全に転倒したからである。本書では事前の物質性が事後のイメージへと変容していく経緯を詳細に論じているが、その逆の経路もあり得ること、むしろそのような場合の方が多いことを、松浦さんあまり重視していないような気がしたのである。あとがきに書かれているように、松浦さんがエッフェル塔と出会ったのはライトアップされた遠景だったという点に象徴されているように、松浦さんにとってのエッフェル塔は、最初からイメージに近かったということである。松浦さんはエッフェルが塔の完成後に風の研究に没頭したことを、塔の物質性と風力の融合として捉えているが、この点も疑わしい。エッフェル塔は決して風力とは融合しないような物質性(固体性)を備えているからである。エッフェル塔は鉄骨造とはいっても十分にマッシブであることは誰の眼にも明らかだろう。その意味でエッフェルは終生、風と闘ったと考えるべきではないかと思う。この点にも、物質性に対する著者の視点の甘さを感じる。エッフェル塔の模型性とミニアチュールに関する議論にもイメージ偏向の視点を感じた。同じ模型性に関する分析については『野生の思考』におけるレヴィ=ストロースの方がずっと深いように思う。


2009年11月26日(木)

10時、会計事務所来所。前期会計の最終報告。今後の事務所経営について何点かアドバイズを受ける。チリ・フォーラムについて石山修武さんに連絡。自作を交えた一般的なプレゼンテーションとすることで合意。14時、神宮前橋へ。2年生建築総合演習の第2回。今日はいい天気なので渋谷近くにまで足を伸ばし少し詳細なレクチャー。根津美術館で4時終了。その足で大学へ。5時からココラボ・ミーティング。最終プレゼンテーションのエスキス。6時から研究室会議。2人の修論中間報告。レイナー・バンハム研究とポンピドゥーセンター研究。前者はまだ焦点が定まらない。後者は岡部憲明さんにもインタビューしたそうだが、これからの資料収集が問題である。11月末から現地調査でパリに赴くそうだ。卒論中間報告は1人のみ梗概の紹介。基本的構図はできたので、あとは論をどこまで膨らませるかである。8時終了。9時半に事務所に戻る。フォーラム・スケッチ。明日中にスライドを作成する予定。


2009年11月25日(水)

10時、環境研の院生が定例のデータ収集に来所。2階リビングの床暖房はいまだに動かず。午前中は卒論生から届いた卒論梗概の叩き台を細かくエスキスしメール返送。午後はJIA環境建築賞2作品の講評をまとめて送信。夕方、ムジネットから「136伊東邸」再査定回答が届く。期待したほどコストダウンにならなかったので、花巻、栃内と減額変更について再検討する。結局のところ通常の「箱の家」と同じ経過を辿ることになった。何とか今週中には見通しを立てねばならない。夕方、石山修武研究室から「チリ建国200年蔡展」に関するメールが届く。改めてHP(http://www.tokiocl.jp/ja/)を見ると、11日29日(土)午後に開催されるフォーラム「ラテンアメリカの建築の可能性」に僕の名前が掲載されている。1ヶ月ほど前、石山さんから時間を確保するように頼まれて何となく胸騒ぎがしたのだが、案の定パネラーとしてプレゼンテーションする依頼が届いた。10年ほど前、ワイマールのバウハウス国立芸術学校で開催されたワークショップに誘われたとき、前日にいきなりニーチェ没後100年記念展覧会の開催スピーチを頼まれて動転したことを想い出す。そのときは大胆にもニーチェとモダニズムの関係について喋った。今から考えると背筋が寒くなるような内容だったが、いい想い出でもある。是式のことでジタバタしても仕方がないので、頭をしぼってネタを考えることにする。夜はネットサーフィンしながらネタを探す。チリには行ったことがないので、ラテンアメリカに関するテーマを考えるしかなさそうだ。本棚から30年前の世界旅行の日記を引っ張り出し、メキシコとホンジュラスの記録に目を通す。10時半帰宅。ウィスキーを煽りながらあれこれ考えを巡らせる。ベッドに入ってもなかなか寝付かれず1時過ぎに再びウィスキーを煽り就寝。


2009年11月24日(火)

8時半出社。午前中は進行中の仕事の確認と雑用。2つの「箱の家」の確認申請審査に手間取っている。どちらも木造なのだが、RC造の地下階があるので確認申請には構造計算を必要とする。スキップもある特殊な構造なので審査機関も戸惑っているようだ。何とか今年中に着工するスケジュールで審査機関にプッシュするよう担当者に指示。午後大学行。1時半から卒論エスキス。3人とも梗概の叩き台を作成して来たが、まだまだ未完成。修正点を指摘しデータを送信するように指示。博士課程の留学生と相談して博士論文の副査候補を決める。GCOEからの指示に従って他専攻の教授を副査に加えることにする。依頼を急ぐため早急に論文のレジメを作成するように指示。5時に事務所に戻る。夜は原稿スケッチと読書。10時過ぎ帰宅。


2009年11月23日(月)

今日も一日事務所。原稿スケッチと読書を繰り返す。年末から年始に掛けての仕事の計画を立てる。新しい仕事のスケッチを集中的に進めるのが第一だが、書かねばならない原稿、読みたい本が山ほどある。大学最後の年なので時間が許す限り卒業設計と修士論文にも付き合うことにしたい。

久しぶりにDVDで『歩いても歩いても』(監督:是枝裕和 2008)を観る。淡々とした日常性を描いた現代版の小津安二郎映画という感じである。ドラマチックな展開は一切ないのだが、久しぶりに再開した家族の会話、料理、食事、入浴といった生活の一部始終を詳細に描くことによって、じわじわと錯綜した人間関係を浮かび上がらせていく。僕も両親や兄弟との昔の会話を思い出し考え込んでしまった。おそらく誰もが自分の体験に引き寄せながら何らかの感慨を喚起されるような映画である。是枝監督の作品は処女作の『幻の光』を観て以来2本目である。この映画では日本海の崖縁の道を進む葬式行列の上に雪が降り始める奇跡的ともいえる美しいシーンが今でも脳裏に焼き付いている。

『エッフェル塔試論』は読み始めると面白くて止まらず一気に半分まで読み進む。3年目の再読なので忘れていることも多いが、あらためて幾つか発見もあった。まずアドルフ・ロースが1908年に書いた『装飾と犯罪』の仏語訳が、ル・コルビュジエが編集する『エスプリ・ヌーヴォー』誌の第2号(1920)に掲載されたという事実。もしかするとル・コルビュジエが翻訳を担当したのかもしれない。明確に書かれている訳ではないが、読んでいると著者の松浦氏は鉄骨造よりも鉄筋コンクリート造の方が先進的だと考えているような節がある。これは建築史的には大いなる錯誤に思えるが、19世紀末にはそう考えられていたのかもしれない。19世紀には鉄骨造が興隆したが、20世紀は鉄筋コンクリートの時代だった。しかし20世紀末からは再び鉄骨の時代に転換している。この問題については検証の余地があるだろう。「中央工芸学校(サントラール)」出身のエッフェルは、自らを民間技師ingenieur civilと名乗ることによって、国家をバックに持つ「美術学校(ボ・ザール)」や「理工科学校(ポリテクニーク)」に対して暗に対抗しようとした。しかしながら後発国である日本においては、civil engineering(市民技術)は国家主導の土木技術として捉えられた。東京大学工学部に最初に設立された学科は土木工学科(department of civil engneering)である。ここにはcivil(市民) が国家権力と結びついたというという歴史的な捻れがある。そもそも日本には「民間技師」というような職能自体が存在しなかったのである。読みながら関西国際空港の妻面ガラス・カーテンウォールが現存するエッフェル社の製作であること思い出した。2年前に難波研が応募したハンガリーのブダペスト・コンペの敷地である中央駅がエッフェルの設計であることも記憶に新しい。松浦氏のレトリックはあまりに華麗で時々ついていけなくなるが、ともかく読ませる建築史書である。


2009年11月22日(日)

昨夜はゆっくりと寝て8時半起床。10時出社。午前中はJIA環境建築賞の講評スケッチ。午後は新建築とjtの原稿スケッチ。どれも短い原稿だがエッセンスだけを書くのは大変である。夕方、妻と渋谷に出て娘と待ち合わせ、久しぶりに家族3人で夕食。娘にチュニジアでの学会の様子を聴く。イスラム国家はいまだに経済的には貧しいが、言語に関しては日本よりも先進国だと言う。一般人もアラビア語以外にフランス語と英語を喋るからである。東洋人をみると皆中国人だと思って声をかけてくるのは、それだけ中国との関係が緊密だからだそうだ。イスラム至上主義は学会にも強く反映しており少々辟易したと言う。8時過ぎに事務所に戻る。夜は進行中の「箱の家」の図面をチェック。退職記念本の原稿スケッチ。10時半帰宅。

『まぐれ Fooled by Randomness :The Hidden Role of Chance in Life and in the Market 』(ナシーム・ニコラス・タレブ:著 望月衛:訳 ダイヤモンド社 2008)は最終の第3部に差し掛かったところで中止。内容がリスク論そのものからリスクに対する人間心理論に移行したからである。投資の世界ではリスクに対する人間心理が重要な条件になるようだ。人間の心理と経済の関係に焦点を当てた行動経済学というジャンルもあるらしい。しかし僕としては今一興味が持てない。本書の内容は基本的に『ブラック・スワン』と同じだが、後者の方が断然面白かった。次は、来週の読書会で取り上げる『エッフェル塔試論』を読み始める。


2009年11月21日(土)

8時半に事務所を出て千代田線、常磐線を乗り継いで我孫子駅へ9時45分着。徒歩で「表邸」へ10時前着。一昨年前に完成した「箱の家114」のベランダ増築の竣工検査。交通量の多い交差点に面した敷地なので、視線をコントロールするスクリーンが欲しかったが、予算の関係で果たせなかった。しかし住んでいるうちにどうしても必要であることが分かったので、1階のコモン空間と2階寝室に面した屋外室の前にベランダを増設し、開口に合わせたFRPグレーチングのスクリーンを立てることになった。これによって斜めからは室内がほとんど見えなくなったので、昼間は1階のテラス窓を開け放しにできる。夏期には午前中の太陽光をカットするダブルスキンとなる。何よりも二重の層によってファサードに厚みができたのがいい。すでに小川共立建設の合田社長と息子さんが着いている。表夫妻に挨拶し、三者でしばらく歓談。11時前にお暇して正午過ぎ事務所に戻る。午後は原稿スケッチと雑用。5時事務所内掃除。6時解散。夜は読書と原稿スケッチ。

『まぐれ』は第11章「偶然と脳」に差し掛かる。偶然に対して脳(思考)は十分に対応できるようにできていないという話である。人間は、事前には確率を実体化して捉え、事後には確率的事象を決定論的に後づけする傾向がある。そうした思考法が投資家を失敗に導くと著者はいう。成功した投資家は単に確率的に残ったに過ぎないにもかかわらず、何らかの必然性によって成功したと考える。失敗した投資家が発言することはないので、成功した投資家の発言だけが残ることも、そうした説明を広める結果になる。これは歴史が勝者によって語られるのと同じ構造である。


2009年11月20日(金)

9時前、三軒茶屋の昭和女子大1号館視聴覚教室に到着。9時から特別講義。住居学科の1年生130人を相手に「建築の4層構造」に関するレクチャー。途中で雑談が多くなったのは話がちょっと難しいせいかもしれないが、とりあえず注意をする。しかしお喋りは止まらない。暖簾に腕押しとはこのことだ。猫に小判と言ってもよい。10時終了。その後2年前の膜構造コンペの入選作を展示した会場へ移動し講評会。案の内容だけでなくプレゼンテーションについても話をする。11時前終了。お昼過ぎ大学行。製図室は相変わらず静かである。山代悟さんが学務課に博士論文を提出し受理される。これで予定通り審査を進めることができることになった。公開審査会は来年1月14日(木)10時で確定する。主査は僕、副査は大野秀敏、内藤廣、隈研吾、千葉学という陣容。3時から専攻会議。難波研留学生の博士過程の半年間の跳び級予備審査の報告。無事に予備審査をパスしたが、指摘された課題をクリアするのはなかなか大変である。6時からココラボ定例会議。久しぶりに真壁さんとコスモスイニシアの南さんも参加。12月11日(金)の研究報告会までのスケジュール確認。院生からは研究報告会の叩き台をプレゼンテーション。全体の構成に関して意見交換。7時過ぎ卒論エスキス。目次に沿って論旨を確認。徐々に内容が深まって来た。来週火曜日までに梗概の叩き台をつくるように指示。10時前に事務所に戻る。井上が「135水崎邸」の確認申請を民間機関に提出し受理される。認可の見通しが立ったので工事契約の手続きを開始する。10時半帰宅。2階のリビングゾーンの床暖房屋外機が動かなくなった。故障の原因を調べて修理を試みるが復旧せず。寝室ゾーンは動いているので図らずも床暖房の有無の効果の差を体感することになった。床のほのかな暖かさは猫の行動にはっきりと表れる。『まぐれ』は半分まで読み進む。前著『ブラック・スワン』とほとんど同じ内容なので特段の発見はない。


2009年11月19日(木)

8時半出社。冷たい雨が激しく降り続いている。昨夜遅く構造事務所から「135水崎邸」の構造図が届く。明日には何とか確認申請が提出できそうだ。予定のスケジュールからズルズルと遅れるのはクライアントに余計な心配をかけることになる。その都度、進行状況を知らせるべきである。午後2時、明治神宮橋へ。2年生の総合演習。あいにくの雨だがやむを得ない。1学年を20人ずつ3回に分けて表参道沿いの建築紹介。建築を学び始めたばかりの学生の眼に現代建築はどう映るのだろうか。雨の中、根津美術館まで2時間弱の徒歩ツアー。反応は弱い。4時前終了。5時前大学行き。5時からココラボミーティング。最終プレゼンテーションのたたき台のエスキス。メンバー全員が担当部分を集めてストーリーを作る。全体の構成についてアドバイスし、明日の定例会議までに概要を作成するよう指示。6時から研究室会議。修論の中間発表2人。ソウルの集合住宅リノベーション研究とバックミンスター・フラー研究。前者は興味深い研究になりそうだが、後者は切り口が見えず先は長い。卒論の中間発表3人。3人ともテーマは面白いのだが突っ込みがやや足りない。その後卒論生のカーン見学報告。8時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。花巻がまとめた「135伊東邸」の減額変更案を伊東夫妻に送信。連休明けには何とか見通しをつけたい。10時半帰宅。『まぐれ』を読みながら夜半就寝。


2009年11月18日(水)

今日は一日事務所。10時、会計士の伊藤さんが来所。今期の会計内容に関する一連の質問を受け、事務所と個人の会計の仕分けの基準について説明する。いつもながら界工作舍の経営は低空飛行だが今期は一層地面が近くなった。仕事が少ないのだから経費を節約するしかない。アトリエはどこも大変だろう。午後は読書と原稿スケッチを繰り返す。夜は花巻、栃内と「136伊東邸」の再査定と減額変更案の打ち合せ。栃内がまとめた再査定結果をムジネットに送信。何とか来週までには見通しを立てたい。

『ブラック・スワン:不確実性とリスクの本質』(ナシーム・ニコラス・タレブ:著 望月衛:訳 ダイヤモンド社 2009)を一気に読み通す。話の展開もスピーディだが翻訳のフットワークもいい。後半ではガウス的な確率(正規分布)とマンデルブロ的な確率(べき乗分布)の比較論が展開されている。それぞれが現実のモデルなのだが、対照的な世界観を示している点が興味深い。
「古典的なガウス流のやり方では、世界を見るとき。まず普通の事象に焦点を当て、ついでに例外、いわゆる外れ値に取り組む。でももう一つのやり方では、例外のほうを出発点にし、普通の事象のほうは従属するものとして扱う。」
ガウス(正規)分布においては平均値に価値が置かれ、平均値を離れた事象は異常と見なされる。一方、マンデルブロ(べき乗)分布においては稀に生じる特殊な事象が全体を決定づける。世界の決定的な事象のほとんどはべき乗分布していると著者は主張する。しかし現在の最先端の経済学は前者にもとづいて理論構成されている。ガウス分布の事象は計算によって予測可能だが、べき乗分布の事象は計算不能であり予測不能だからである。ガウス分布は啓蒙主義以降の一つの世界観になっている。サン=シモン、プルードン、カール・マルクスといった人たちが唱えた社会主義思想には、正規分布にもとづく「平均値の思想」が埋め込まれていると著者はいう。これは社会主義思想に対する決定的な批判だろう。建築研究を含めて、いわゆる工学的研究のほとんどは正規分布的方法にもとづいている。しかし建築デザインや建築計画に関する研究では、正規分布的な方法は百害あって一利無しである。むしろ優れた建築を選び、それを徹底的に研究する方がよほど効果的である。特異な建築にこそ典型的な事象が埋め込まれているからである。アレグザンダーのパタンランゲージはそのような方法によって研究された。最後あたりでブノワ・マンデルブロのフラクタル幾何学が紹介され、自己アフィン性(自己相似性は言い過ぎだと著者はいう)がもたらすべき乗分布と複雑系の理論にもとづいて数学的なシミュレーションの限界が指摘される。
「実際のところ、複雑系の理論から私たちが学ぶべきことは、現実を厳密にモデル化したものから科学的な主張がでてきたら疑ってしかるべきだということだ。複雑系の理論で白鳥がみんな白くなったりはしない。複雑系の理論は白鳥を灰色にする。灰色にしかならない。」
かくして著者が最終的に提唱するのは「懐疑的実証主義」である。
「私は理論よりも仮定のほうを重視する。理論にできるだけ頼らずに、いつも身構えていて、できるだけ不意をつかれて驚くことがないようにしたい。間違ったことを几帳面にやるよりも、正しいことを大ざっぱにやるほうがいい。華麗な理論は往々にしてプラトン化しているし、だから華麗さはむしろ弱点だ。」
アカデミックな経済学と投資実務の間にも、建築学と建築実務のような落差があるのかもしれない。実務側の理論によって両者の落差を埋めようとする著者の意図には僕も大いに共感するものがある。
この勢いで、次は本書の前に出た同じ著者の『まぐれ Fooled by Randomness :The Hidden Role of Chance in Life and in the Market 』(ナシーム・ニコラス・タレブ:著 望月衛:訳 ダイヤモンド社 2008)を読んでみる。


2009年11月17日(火)

冷たい雨が降り続いている。12月の気温だそうだ。10時ムジネット来所。花巻、栃内と「136伊東邸」の見積書と契約書、覚書などの叩き台について説明を受ける。モデルハウスとしてのサービスや長期優良住宅の補助を受けてもなお予算をかなりオーバーしているので、いつもの「箱の家」と同じように減額設計変更をせざるを得ないことが判明。午後2時、伊東一家来所。ムジネットからの書類一式を渡し、内容について一通り説明した後、減額変更の方針を伝える。1週間後までには何とか決着をつけたい。5時半大学行き。6時から卒論エスキス。目次をつくるように指示したがちゃんとしたものを持って来たのは1人だけ。笛吹けどもなかなか踊ってくれない。3人の卒論テーマを結びつけるような話題を探しながらエスキス。木曜日の研究室会議に卒論目次とレジメを提出するように指示。9時過ぎに事務所に戻る。花巻、栃内に「136伊東邸」の減額変更案を明日の夜までにまとめるよう指示。他の仕事もゆっくりしている場合ではない。年内に確実に着工しなければならない。10時半帰宅。『ブラック・スワン』を読みながら夜半就寝。

『ブラック・スワン』は上巻を読み終わり下巻に進む。いくつか気になる文章に出会う。
「進化による適応をいつももてはやし、ありがたがり、福音みたいに思っている人がたくさんいる。黒い白鳥を生み出す強いランダム性が分からない人ほど、進化は最適な答えを出すように働いていると信じ込んでいる。彼らの頭からはもの言わぬ証拠が抜け落ちている。」
「もの言わぬ証拠」とは進化の中で淘汰され消えていった無数の種のことである。進化にせよ歴史にせよ、生き残ったものだけが何事かを言うができる。しかし彼らのもたらす情報は事後的な結果論でしかない。本当に重要な情報は「もの言わぬ証拠」にこそ存在する。本書はその情報をどう読みとるかに焦点を当てようとしている。
「今日の世界に一番影響を与えた最近の技術を三つ挙げてくれというと、だいたいの人はコンピュータ、インターネット、レーザーを挙げる。これらは三つとも計画にもとづいてつくられたものではなく、予測されていたものでもない。発見されたときには評価されず、使い始められても、長い間やっぱりあんまり評価されなかった。そんな三つが、その後に大きな影響を与えた。これらはどれも黒い白鳥だ。」
計画はつねに意図せざる結果をもたらす。計画のもたらす副次効果を予測することはできない。だからといって計画を放棄していいということではない。可能なのは計画の結果を絶えずモニターし軌道修正することである。そうすれば意図せざる効果を自分に引き寄せ、それによって自分も変わることができる。
「問題は、私たちの思いつきはまとわりつくということだ。いったん仮説を立てると、わたしたちはなかなか考えを変えられない。だから仮説を立てるのは先延ばしにしたほうがいい結果になる。弱い証拠にもとづいて意見を決めないといけない場合、後から自分の意見に対立する情報が入っても、私たちはそれをうまく解釈できない。新しい情報のほうがどう見てもより正確であっても、だ。ここでは二つの仕組みが働いている。追認バイアスと判断の固執、つまりいったん決めてしまった意見を変えられない傾向だ。私たちはアイディアを財産みたいに扱うのを思い出そう。だから、アイディアはなかなか手放せない。」
建築家だけでなく学生たちもデザイン・プロセスのなかでいったん決めたアイディアに拘り続ける理由がよく分かる。逆に言えば、簡単にアイディアを手放せる人は突然ブラック・スワンが訪れても対応できるのかもしれない。どちらにしても、自分のアイディアに対しては若干でも懐疑的で批評的であることが重要なのだろう。


2009年11月16日(月)

10時半大学行。製図室では掃除が始まっているが、まだ作業中のチームもいる。廊下に置いている模型に一通り目を通し第1ラウンドに出す6チームを確認。11時半大野さんとプレゼンテーション図面にザッと目を通し意見を交わした上で5案に絞り込む。プレゼンテーションの点でも突出した作品はないので発表の順番はエイヤッと決めてしまう。12時半過ぎに石山修武、鈴木了二両氏が到着。1時過ぎから最終講評開始。第1ラウンドは東大、早大1チームずつのガチンコ勝負5回。いつも通り早大のプレゼンテーションにかけるエネルギーは半端ではない。東大も皆頑張ったがプレゼンテーションにおいては完全に見劣りがするのは否めない。恐らくかけた時間の差よりも手際の良さとセンスの差だろう。この点を東大生は早く学ぶべきである。学べば必ず追いつく。しかし案の内容では早大のトップのチーム(石山さんは「フェニキア・チーム」と名付けた)だけが突出していた。スタート時点でのアイデアの射程距離が決定的であることを見せつけられた感じである。歴史的、空間的な物語が案に多層的な展開をもたらしている。一見無関係に見えるシステムや物語を立てることが案にドライブをかけ、当初の予想を越えた展開へと導いている。近代建築史への位置づけも同じようなドライブをもたらしている。こうした方法を歴史的アルゴリズム、あるいは物語的アルゴリズムと呼んでもいいかもしれない。アルゴリズミックなデザインは形態システムだけに限らない。技術やプログラムについても、それが一定のシステムを持てば同じことが言えるだろう。フェニキア・チームはそうした可能性を教えてくれた。残りのチームは東大も早大もほぼドングリの背比べ。第2ラウンドになると、案の中味は皆大したことがなく、プレゼンテーションの差ばかりが眼について、だんだん言葉も出なくなる。6時前に講評終了。各教員が総評を述べる。僕は中間講評以降、プログラムについて議論するのを止めたことに対する反省を述べる。プログラムについては最後まで考え抜くべきである。プログラムの検討を絶えず案にフィードバックすることによって、案に奥行きが出てくるからである。今回は早大のプレゼンテーションが脳裏にちらついて、プログラムについて考え続けさせる努力を怠ったような気がする。6時過ぎ講評会終了。一旦研究室に戻りビールで一休み。6時半から懇親会。ようやく解放された学生たちはビールとカレーで盛り上がる。学生たちをねぎらいながら会場を歩き回る。7時半過ぎ、鈴木、石山両氏と大学を出て赤門先の居酒屋へ。白ワインを呑みながら会食。いい気分になったのでタクシーで鈴木さん行きつけの池袋のワインバーへ。僕たちが「魔窟」と名付けた間口1間奥行5間の店である。11時解散。新宿駅まで石山さんを送り11時半に事務所に戻る。メールチェックして12時帰宅。そのままベッドに倒れ込む。僕の設計製図担当はこれで終了した。残る仕事は卒論、修論、博論の指導と卒業設計のエスキスである。


2009年11月15日(日)

9時出社。午前中は原稿スケッチと読書。午後3時過ぎに大学行。製図室は3年生で一杯だが皆作業に集中しているので驚くほど静かである。最後のエスキスなので全チームに声をかけるが、聞きたいことのないチームには干渉しないようにする。今日の感じでは6チームに絞り込まれてきたようだ。4時半に大学を出て5時過ぎに事務所に戻る。雑用を済ませた後、5時半に事務所を出て虎ノ門のホテルへ。妻の誕生祝の夕食会。8時に事務所に戻る。しばらく原稿スケッチをした後、9時に帰宅。NHK・TVで「リーマン予想」に関する特集番組を見る。1869年に数学者のベルンハルト・リーマンは素数の分布に関する研究をオイラーが開発した「ゼータ関数」という級数を用いて複素数全体へと拡張し、ゼータ関数の自明でないゼロ点は全て実部が1/2の直線上に存在すると予想した。リーマン自身が計算で確認したのは4点だけらしいが、自然数の中での素数のランダムなばらつきにも関わらず、ゼロ点が一直線状に並んだのである。番組ではフリーマン・ダイソンと宇宙科学者が、数学の問題としての「リーマン予想」が、宇宙のミクロな構造に関する方程式と一致することを発見した所で終わる。素数の構造と宇宙の構造がどこかでつながっているという仮説だが、その真偽はまだ証明されていない。先日の隈研吾展のオープニングパーティで原広司さんが言及したのはこの問題かもしれない。しかし番組ではその時に原さんが挙げたもう一人の数学者エヴァリスト・ガロアの群論は出てこない。群論こそ隠された思考の構造である。思考の構造(数学)と宇宙の構造(物理学)が一致するのはなぜかという問題はカント以来延々と議論されて来たが「人間は宇宙の中で、宇宙の法則に従って進化して来たのだから、脳の構造に宇宙の構造が埋め込まれているのは当然である」というのが僕の仮説である。要するに脳の構造が宇宙の構造に共振している訳だ。レヴィ=ストロースの神話研究も群論を用いて同じような仮説を検証しようとする試みだった。こうした一連の研究には、脳自身が脳と宇宙の構造を観るという自己言及的構造が埋め込まれている。とはいえ僕の考えでは、問題の解明とは隠された法則の「発見」ではなく新しい法則の「発明」と捉えるべきである。なぜならそれによって人間が置かれている状態は、それまでとは大きく変わるからである。問題の解明それ自体が宇宙の進化の一部なのである。


2009年11月14日(土)

午前中は事務所で退職記念本のための原稿スケッチ。来週以降のスケジュールをまとめて送信。難波研の修論生たちに12月から本格的に修論エスキスを開始することを知らせる。午後大学行。2時からしばらくの間、製図室を見て回ったが、皆依然としてプレゼンテーションの途中段階である。締切間際にドタバタしなければいいのだが。2時半から卒論エスキス。ようやく3人全員がそろった。目次案によって論文全体の展開をチェック。来週火曜日までに目次を完成させた上で梗概に着手する。4時過ぎ大野さん来室。製図室を観て僕と同じ感想を持ったようなので、最終決定は最終講評直前の月曜日午前中に延期する。4時過ぎ沼本要七さん来研。4時半同窓生一行8人が到着。ホームカミングデーを機会に40年ぶりの学内同窓会。しばらくの間、研究室でビールを飲みながら歓談。その後、建築学科内を案内。3階会議室で開催中の退職教授記念会に顔を出し、内田祥哉先生と鈴木成文先生に挨拶。6時に大学を出て根津の「はん亭」へ。串揚げのコースと赤ワインで盛り上がる。話題のほとんどが学生時代の想い出というのは少々寂しいので、最近の建築の話題を振ってみたが誰も乗って来ない。60歳を越えると現役としての興味は失うのだろうか。とはいえいつになく気の置けない会になった。9時過ぎ終了。10時に事務所に戻る。新建築の四方編集長から来年新年号に掲載する特集「21世紀:次の10年を捉える」の原稿依頼のメ−ルが届く。僕に与えられたテーマは建築教育なので「建築教育国際会議」を踏まえながらまとめてみる予定。11時帰宅。

『ブラック・スワン』は上巻の第7章まで進む。幾つか興味深い指摘に出会う。
「歴史や社会は流れてはいかない。ジャンプする。断層から断層へと移り、その間に小さなゆらぎがある。そんな動きをする。それなのに私たち(や歴史家)は、少しずつ変っていくと信じ込んでいる。だから簡単に予測できるものだと思っているのだ。」
著者は現実の世界を2つの国、すなわち「月並みの国=白鳥の世界」と「果ての国=黒い白鳥の世界」に分類する。前者は予測のつく連続的な世界であり、後者は予測不能な不確定な世界である。歴史的に決定的な事象はほとんど後者の世界に属する。とはいえ両者の境界はそれほど明確ではない。両者の間に広がる「灰色の白鳥」の世界があり、この世界について著者はこう書いている。
「この種の事象は稀だが、起こることは察しがつく。私はこの「灰色の」白鳥という特殊な場合を「マンデルブロ的ランダム性」と呼んでいる。この種族には、拡張可能とか、スケールに対して不変とか、べき乗、パレート=ジップの法則、ユール分布、安定パレート分布、レヴィ過程、フラクタル分布などとも呼ばれている現象を起こすランダム性が含まれる。」
著者が承認する思想家はデヴィッド・ヒューム、チャールズ・サンダース・パース、カール・ポッパー、フリ−ドリッヒ・ハイエク、ミルトン・フリードマンといった僕にも馴染み深い人たちである。そのうちリチャード・ローティも出てくるかもしれない。本書の冒頭はスキャンダラスで挑発的だったが、読み進むうちに意外に堅実な内容であることが分かってきた。


2009年11月13日(金)

8時半出社。冷たい雨が降り続いている。10時前、石山修武さんから連絡が入る。来週月曜日の合同課題最終講評の形式について短い打ち合わせ。紆余曲折はあったが、当初の計画通り冒頭の5ラウンドは東大、早大各1チーム2分のガチンコ・プレゼンテーションとし、講評は時間を制限せずに議論を尽くすことにする。残りは2チームずつのプレゼンテーションと短い講評とし、6時までには終えるスケジュールで合意。問題は冒頭の5チームの選定である。早大は今日の最終エスキスで決めるらしいが、東大は依然として8チームがドングリの背比べ状態で決め手がない。コンセプトに優劣はないので、プレゼンテーションが決め手である。ならば日曜日ギリギリまで見極めるしかないだろう。10時、志賀夫妻来所。「137志賀邸」の詳細打ち合せ。工務店とスケジュールについて話をした後、設計内容の打ち合わせは花巻に任せる。11時半栃内と「136伊東邸」の基礎構造について打ち合せ。ムジネットからのフィードバックについて確認。平屋建てにしてはやや大袈裟な基礎だが、長期優良住宅の認定を得るにはやむを得ないシステムである。午後大学行。2時過ぎから製図室を回りめぼしいチームの案を観るが、この段階でもまだ決め手はない。明日土曜日に最終エスキスをするので、冒頭5チームへ向けて頑張るようにハッパをかける。4時半に大学を出て、東京駅前にある新丸の内ビルディングの10階エコッツェリアへ。LPAの面出薫さんが主宰する「照明探偵団サロン」第4回「Enjoy Green Lighting 住宅/エコアイデアに満ちた住宅照明」にゲスト・スピーカーとして参加。会場には約100人の聴衆。「箱の家」の光環境について30分間のレクチャー。その後、面出さんと対談。「箱の家」の標準仕様に定着しているKスポットは故・倉俣史郎のデザインだが、面出さんはヤマギワで開発ディレクターをしていた時にこのデザインに関わったと聞いてビックリ。会場から「箱の家」の室内環境の安定性について質問したのは森ビル副参事の森飛鳥さん。その後、面出さんによる「Green Lightingの7つのレシピ」に関するショートレクチャー。さすがに照明のエキスパートだけあって大いに勉強させられる。8時終了。その後、懇親会。照明に関わるさまざまな人に会う。界工作舍OGの田中幸子さんや建築学科を出てLPAに入った小川基世さんらと再開。大野研を出てパナソニックの照明部門で僕の好きなホーム・アーキを担当している女性にも会う。9時過ぎ終了。10時に事務所に戻る。岩元が「134久保邸」の確認申請を国立市役所に提出し受理されたという報告。「135水崎邸」の申請は来週の予定。10時半帰宅。心身共に疲れたので、シャワーを浴び11時半過ぎ就寝。


2009年11月12日(木)

10時、JIA1階の建築家クラブへ。環境建築賞の最終審査会。6人の審査委員が現地審査の結果を報告。約1時間議論した後、住宅2点、一般建築4点を優秀賞に選定。最優秀賞については、僕は該当なしの考えを述べるが、他の委員の意見が強いため条件付きで承認。講評の担当を決めて11時半終了。12時過ぎ大学行。1時半から3年生設計課題エスキス。パネルに張り出してプレゼンテーションについてアドバイス。まだ未完成のチームがほとんどなので指摘する点が多く、話し合っているうちに時間はどんどん過ぎていく。残り3日間も付き合う必要があるだろう。5時半、藝大のTom Heneghan氏来室。引き続きPeter Stutchbury氏も到着。事務手続きをすませた後しばらく歓談。事務所スタッフ一行は昨日来日したとのこと。6時から特別講義開始。残念ながら会場は7割の入。いつもより3年生の参加者が少ないのはしょうがないだろう。オーストラリアの地理の紹介から始めて、伊東の三宅一生邸やシドニー近郊の一連の住宅を、デザインプロセスと施工プロセスを合わせて紹介。7時半終了。約30分の質疑応答。三宅一生が彼に自邸の設計を頼んだのは、自然と一体化した建築を追求し続けているからだそうだ。確かに現在では日本の建築家はStutchburyのようにストレートに自然を捉えていない。都市化の中で建築をつくらざるを得ない宿命でもあるが、日本の建築家が都市化に馴れてしまい、日本の自然の豊かさを忘れかけていることも確かである。とはいえ彼のように建築の社会性を考えないナイーブな発想は、一部の裕福なクライアントにしか通用しないだろう。スライドでは自然と一体化した彼の建築の魅力は伝わってこない。私的でイメージ優先のデザインプロセスもレクチャーの説得力を削いでいる。社会性や方法論が明確でない建築家のレクチャーはあまり面白くない。建築的思考を喚起しないからだ。その点は建築自体の善し悪しとは関係がない別の次元の問題である。僕にとって今回は一種反面教師的なレクチャーだった。8時から3階講評室で懇親会。途中、石山修武さんに連絡。土曜日までに最終講評の進め方について決めることで合意。早稲田も最後の追い込みに入っているようだ。9時前に会場を出て福武ホールへ。西沢大良さんのレクチャーがちょうど終わった所で出口にて鉢合わせ。9時過ぎ赤門前のちゃんこ鍋屋へ。2階の座敷で歓迎会。15人が参加し大いに盛り上がる。11時終了。12時前に事務所に戻る。


2009年11月11日(水)

午前中は事務所にてLPD サロンレクチャーのシナリオ・スケッチ。午後大学行。1時半から3年生1チームのエスキス。3時からココラボ・ミーティングの予定だがメンバーは誰も来ず。最終プレゼンテーションについて話し合おうと思ったが肩すかし。研究作業が終わったので一休みという所か。空いた時間を製図室で3年生のエスキス。4時から研究室会議。修士論文の中間講評4人。ようやくテーマを提示した院生に対しては、焦点を絞り込むようにアドバイス。ともかくデザイン系の院生は最初のうち大風呂敷を拡げ勝ちだが、そのまま進んでいくと間違いなく龍頭蛇尾に終わる。視野の広さよりも深さの方がずっと重要であることを肝に銘じてもらいたい。6時から卒論エスキス。参加したのは1人のみ。コルビュジエの「機械」の展開を技術、機能、イメージの3層構造に分解して辿るようにアドバイス。6時半、製図室にて再び3年生エスキス。6チームの方針を確認。気になる2チームには模型の買い出しで会えず。9時半に事務所に戻る。岩元と「134久保邸」打ち合せ、何とか週末までに確認申請を提出する予定。明夕はいよいよPeter Stutchburyの特別講義である。友人のTom Heneghan(東京芸大教授)一家も来るそうだ。多数の聴講を期待したい。
http://www.kai-workshop.com/home/files/20091112_01.pdf

『ブラック・スワン:不確実性とリスクの本質』(ナシーム・ニコラス・タレブ:著 望月衛:訳 ダイヤモンド社 2009)を読み始める。著者はレバノン育ちの株式トレーダー。ブラック・スワンとは文字通り「黒い白鳥」で、一羽の「黒い白鳥」の発見が「白鳥は白い」という常識を覆すという意味である。リスクや不確実性の本質は一つの例外が無数の前例によって築き上げられた理論や原則をひっくり返すという点にある。決定的な事象とはつねに例外的な事象であり、理論や原則によっては予測できないということを、著者は自分の経験を交えながら例証していく。株式トレーダーらしい視点がすこぶる興味深い。そのうちべき乗則やカオス理論が展開されるのだろう。著者が狙っているのは、統計的検証に依存している「工学主義」に対する強烈な批判である。これはクリエーションとは決定的(例外的)な一例を造ることであるという建築論にもつながるかもしれない。重要なのは、その一例が狙っている常識的仮説を明確にすることだろう。


2009年11月10日(火)

午前中はLPDサロンのスライドを追加。ようやく全体のストーリーが見えて来た。午後大学行。1時半から卒業設計の中間講評。大野、隈、岸田、千葉のデザイン系教員全員が参加したにもかかわらず、学生側の提出物は完全な期待外れ。時間をかけて講評するに値するような作品は見当たらない。卒論の締切が近いせいだろう。ほとんどがやっつけ仕事でお茶を濁している。3年生の課題であれだけ頑張った同じ学年とはとても思えない。近来稀に見る低調ぶりである。残り3ヶ月でどこまで名誉挽回するか見物である。講評終了後コンドル賞で海外研修に行った院生2人の報告。5時から設計製図会議。2年生の住宅課題、3年生の後期第2課題の確認。来年度の非常勤講師について。5時半終了。引き続き留学生の修論エスキス。テーマがまだ煮詰まっていないので、跳び級申請は時期尚早と判断する。6時半、製図室に顔を出す。10人程度の3年生が作業を続けている。昨日の中間講評を受けてラストスパートに入るにはいささか淋しい人数である。やはり可能性のあるチームだけは残っている。少し時間をかけて5チームのエスキスを観る。8時半に大学を出て9時過ぎに事務所に戻る。花巻と「137志賀邸」の打ち合わせ。照明・給排水のシステムについても基本方針を確認。10時半帰宅。

『リチャード・ローティ1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(大賀祐樹:著 藤原書店 2009)を読み終わる。結局新しい発見はなかったが、自己の信念を貫きつつ、その相対性を認識し、他者との対話を受け入れる「リベラル・アイロニスト」というローティのプラグマティックな思想を再確認する。これはアイザイヤ・バーリンやジョセフ・シュムペーターの思想にも通じている。リベラル・アイロニストは思想的な「原理」を追求するのではなく、自己の思想を「物語」として提示するという結論には考えさせられる。「思想」よりも「文学」の方が人びとを動かすことは確かである。いわゆる「弱い思想」と言ってよいが、相手が強い「原理」で迫って来るような時代にリベラル・アイロニストの態度がどこまで通用するかが大問題である。「強い物語」というようなものが可能なのかどうか考えてみたい。


2009年11月09日(月)

8時半出社。10時、環境研の赤嶺助教と院生2人が来所。「124佐藤邸」の夏期のPSパネルによる冷房と「112神宮前計画」の床冷房の測定結果の報告。「124佐藤邸」の測定結果から分かったことは、PSパネルの効果は暖房時、冷房時ともに「輻射」より「対流」の効果の方が大きいということである。したがって吹抜空間の上下温度差が大きくなるので、昨年に取り付けた天井扇の効果が大きいということでもある。PS工業には「輻射」というキャッチフレーズを変えてもらう必要がありそうだ。一方「112神宮前計画」の床冷房は消費電力に比べて冷房の効果は期待したほど大きくないことが分かった。1階の事務所に対する天井輻射の効果はせいぜい午前中の2、3時間が限界で、午後は空調機を点けざるを得ない状態である。とはいえ2階に対しては柔らかな冷房効果があることも確かである。引き続き、この冬も設定温度を変えながら実測を継続する予定。終了後、花巻、栃内と「136伊東邸」の実施設計に関する打ち合せ。午後大学行。1時半から3年生合同設計課題の学内中間講評。皆まだ完成形ではないが、方向性は固まって来たようだ。しかし突出した案はなく、全22チームのうち7、8チームが頭一つだけ抜け出している程度の感じである。残り1週間で何チームが抜け出すだろうか。石山さんからは5チームでガチンコ勝負をしたいという申し入れがあったが、現段階では東大は5チームに絞り切れない不確定な状況である。今週木曜日に再度、学内講評を実施し絞り込むことにする。5時半終了。6時半に事務所に戻る。夜は花巻、栃内と「136伊東邸」と「木の家version2」とのすり合わせ。実施図面、概算見積査定などをまとめてムジネットに送信。来週までに工事金額を含めて、モデルハウスとしての条件をはっきりさせる予定。10時半帰宅。『リチャード・ローティ』は半分まで読み進んだが、カントとプラグマティズムの関係を再確認した程度で、それ以上の発見はない。やはり本人の著書に比べると解説書は説得力に欠けるということかもしれない。


2009年11月08日(日)

9時出社。午前中から午後にかけてLPDサロンのスライドショーの編集と読書。2時半に事務所を出て大学へ3時半着。日曜日だが製図室は3年生とヘルパーの学生で一杯である。明日の学内中間講評へ向けて追い込み状態なので、あまり干渉せず、進行状況を見ながら声をかけるだけに止め、質問を受けた2、3のチームに対してだけ手短なエスキスを行う。1時間余だけ滞在して4時半に製図室を出る。院生室を覗いてみると難波研院生は1人だけが作業をしている。5時半に事務所に戻る。山代さんの博士論文スケッチにザッと目を通す。テーマに遜色はないが、中味はかなり歯抜け状態なので、全部を書き切るには相当エネルギーをかけねばならないだろう。ちょっと心配になって来る。

夜はDVDで『あの子を探して』(チャン・イーモウ:監督 1999)を観る。素人をキャストに使ったチャン・イーモウの名作である。最初の1時間余りは中国の田舎の小学校が淡々と描かれていくが、それがボディーブローのようにじわじわと効いてきて、最後の30分で一気に大円団を迎える。北京でのロケもほとんどドキュメンタリーのようだ。小さな子どもたちが黒板に一人ずつ漢字を書いていく最後のシーンが限りなく美しく教訓的である。

『リチャード・ローティ1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(大賀祐樹:著 藤原書店 2009)を読み始める。著者は1980年生まれ、早稲田大学博士課程に在学中の学生である。僕は大阪市大から東大に移る2003年頃にローティ思想に嵌って手に入る翻訳本はすべて読んだ。ローティのカント批判が腹に応えたことは記憶に新しい。現在では彼の思想は身体化しているような気がする。久しぶりに当時の感興を再確認してみることにしよう。


2009年11月07日(土)

朝8時出社。石山修武さんから電話。合同講評のプレゼンテーションについて相談を受ける。パワーポイント発表については双方とも否定的な考えである。講評を充実させるために発表順はティピカルな案を優先させることで合意。助教レベルでの意見統一を図ることを確認する。午前中はLPDサロンのスライド編集を本格的に始める。照明システムだけを単独に考えたことはないので「箱の家」のコンセプトに中に光環境を位置づける方法でプレゼンテーションを構成する。午後2時、伊東一家が来所。「136伊東邸」の実施設計打ち合せ。花巻と栃内が対応。詳細までほぼ確定したのでムジネットとの合意に向けて界工作舍としての考えをまとめるように指示。今月中には工事契約まで持っていきたい。3時前に事務所を出て大学へ。製図室は3年生で一杯である。ようやくアクセルを踏み込んだようだ。まだエスキスをしていないチームを中心に見て回る。コンセプトが固まっていないチームにはいくつかのアイデアを提供する。これで一通りの見通しがついたが、まだ2,3気になるチームが残っている。ポテンシアルはあるが方向性がはっきりしないチームである。一両日中には方向を定めないと間に合わないので、明日も製図室に顔を出すことにする。6時半に大学を出て7時過ぎ事務所に戻る。花巻と栃内が作業中。夜はLPDプレゼンテーションの作業続行。10時帰宅。

今週木曜日にはPeter Stutchbury(http://www.peterstutchbury.com.au/)の特別講義がある。Glenn Murcuttを継ぐオーストラリアの建築家である。今年9月のシドニー・ワークショップで知り合った建築家だが、彼の住宅はどれもシドニー近郊の地中海性気候に相応しい開放的で伸び伸びとした空間を備えている。彼の建築には日本の建築家が忘れてしまった自然との一体感と空間の透明性がある。それだけ東京の環境条件が厳しくなったともいえるのだが、僕たちは彼の建築を見て、もう一度自分たちの足元を見直す必要があるように思う。伊東に設計した住宅の竣工式のために、家族と事務所スタッフ全員が来日するそうなので楽しみである。

『ヨーロッパ近代の社会史 工業化と国民形成』(福井憲彦:著 岩波書店 2005)は第3章「フランス民俗学の成立」を読み終わる。日常性の歴史学、すなわち歴史人類学に関する所見は興味深いのだが、歴史学論が中心テーマで、工業化が日常生活に及ぼした影響に関する具体的な議論が展開されていないので、ここで一旦中止する。


2009年11月06日(金)

午前中事務所。LPDサロンのプレゼンテーション・スケッチ。11時半に事務所を出て新宿の京王プラザホテルへ。建築学科の同級生、松波秀明、山内隆司(大成建設社長)両氏と中華レストランで会食。特に用事はないのだが、両氏とも14日(土)のホームカミングデーの同窓会に参加できないので久しぶりに近況について話し合う。山内君は最近建築業協会の会長に就任したそうだ。外資系の会社に転業した松波君は景気回復を睨んで待機中だという。同期の連中は皆生き方がナイーブだと言う僕の意見に両氏とも納得。その両氏だけはナイーブな生き方をしていないので余計に説得力があるらしい。2時大学に行き3年生のエスキス開始。製図室は2年生の課題と混じり合いごった返している。途中休みを挟んで8チームのエスキスを行う。来週月曜日からの1週間をプレゼンテーションに集中するには一両日中にアイデアを固めねばならない。しかし先が見えて来たのは2,3チームだけで、ほとんどのチームは足踏み状態か迷走中。全チームの案を観たいが時間が足りない。明日と明後日もエスキスに時間を割かざるを得ないようだ。LPDサロンの準備もあるので少々焦り気味である。6時からココラボ定例会議。コスモスイニシアの春日氏と、グループインタビューと最終プレゼンテーションのスケジュール確認。HPへ掲載する研究プログラムは一通り終わったので、最終プレゼンテーションまでは研究のまとめの作業に集中する(http://www.cocolabo.jp/09/theme/rf/rfp4.html)。7時から2人の卒論生の卒論エスキス。データ収集の見通しがついたので、結論の仮説に向けてデータを整理し直すようアドバイス。これ以上闇雲にデータを収集しても意味はない。仮説なくしてデータはないという常識。8時過ぎに大学を出て9時に事務所に戻る。花巻、栃内と「136伊東邸」と「MUJI-INFILL木の家 version2」の仕様の摺り合わせとムジネットの概算見積の査定。ムジネットが国交省の「長期優良住宅先導的モデル事業」に採用されたので、version2の実現可能性が見えてきた。岩元と「134久保邸」の確認申請打ち合せ。来週中には2軒の「箱の家」の確認申請を提出する予定。10時半帰宅。

『ヨーロッパ近代の社会史』は2章「国民国家の形成」から第3章「フランス民俗学の成立」に差し掛かる。第2章はヨーロッパにおける近代化とナショナリズムの並行性に関する議論だが、工業化は背景に退き始めた。第3章はますますその傾向が強くなっているので、僕の興味からするとそろそろ切り上げ時かもしれない。


2009年11月05日(木)

10時大学行。製図室では10数人の3年生が作業を続けている。10時半山代悟さん来研。博士論文に関する打ち合せ。主査としての僕に残された時間はあまりないので、まずは今後のスケジュールを確認した後、目次に沿った内容説明を受ける。副査を依頼する先生をリストアップした後、早急にレジメと目次を送ることにする。午後1時、3年設計製図エスキス開始。最終講評まで2週間なので6時までぶっ続けで見たが、1チームにかなり時間をかけたので10チームまでが限界。残りのチームが気になるので、週末も可能な限り時間をとってエスキスに付き合うこととする。途中、大学に来た鈴木博之さんと近況について短い雑談。6時半から研究室会議。博士論文と修士論文の中間報告。徐々に焦点が絞られて来たがまだ先は長い。8時終了。9時半に事務所に戻る。IAESの議事録が届いたので目を通す。3ヶ月前の国際会議なのに随分昔のような気がする。時間は連続的に進むが、歴史的な出来事は不連続に生じるというレヴィ=ストロースの指摘を想い出す。

『ヨーロッパ近代の社会史 工業化と国民形成』(福井憲彦:著 岩波書店 2005)を読み始める。工業化を歴史のなかに位置づけようとする視点に興味を持った。第1章「ヨーロッパの世紀」を読み終わり第2章「国民国家の形成」に差し掛かったところ。第1章では18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパ史の全体像が国家の形成プロセスを中心にしてざっくりと描かれている。エリック・ホブズボームの『資本の時代1848-1875』と『帝国の時代1875-1914』を読むための準備段階として、19世紀ヨーロッパ史のおおよその像を把握できる。


2009年11月04日(水)

10時、新領域の清家研院生2人が来所。「124佐藤邸」に関するインタビューを担当の花巻と一緒に受ける。相手は修士1年生なので大学院の授業のつもりで環境制御のテーマについて細かな点まで話す。午後1時半、発泡断熱材メーカーのアキレス営業部の本田氏が来所。ウレタン樹脂とユリア樹脂の発泡断熱材の違いについて意見交換。北京CCTVホテルの火災の原因が外壁断熱のスチレン発泡材だったので、現段階ではもはやスチレン樹脂を使う可能性は低い。代わりの断熱材としてはウレタン樹脂とユリア(尿素)樹脂があるが、防火性においては後者がやや有利である。しかしユリアフォームは酸性なのでビスに錆が発生し易い。ノーマン・フォスターは30年前にセンズベリー視覚芸術センターの外装アルミパネルにユリアフォームを用いて大失敗している。昨年のココラボ環境共生住宅では工事中の防火性を考えて後者を選んだ。「MUJI+INFILL木の家version2」でも後者を使う可能性が高いのだがコストは確実にアップする。あれこれ意見を交わしたが結論は持ち越し。夕方までは工事契約の見通しが立った2戸の「箱の家」の確認申請の準備とLPD照明サロンのコンセプトスケッチ。夜も引き続き考え続ける。10時半帰宅。。

『近代建築論講義』(鈴木博之+東京大学建築学科:編 東大出版会 2009)を読み終わる。各章が鈴木博之さんの歴史研究に関するテーマ別の論文になっており、建築批評、建築理論、装飾論、物語論、保存論、ゲニウス・ロキ論、伝統論、都市論、技術論(僕の担当)と多種多様な切り口から全体像を浮かび上がらせようとしている。どれも興味深い論文だが、とくに伊藤毅の「都市の近代/近代の都市」を感心しながら読んだ。さすがにもっとも近い位置から鈴木の活動を見ていた人だけあって、鈴木の都市研究に的確で突っ込んだ解釈を与えている。あらためて近代が都市の時代であることを再認識する。鈴木から学ぶべきは歴史的視点だけではなく都市的視点でもあることを確認する。僕にとっては都市への視点を取り戻すきっかけになりそうである。都市はかつてのモダニズム期のように計画する対象ではなく、現在は部分から間接的にコントロールすべき対象になっているから、歴史的視点は不可欠なのである。


2009年11月03日(火)

7時半起床。快晴だが寒い。10時過ぎに妻と家を出て南青山の根津美術館へ。10月初めのオープニングに行けなかったので招待券を持っていく。留学生のための英語講義で入口までは行ったが、そのときは外観を観ただけで内部に入るのは初めてである。道路側から見ると広大な瓦屋根の先に金属屋根が伸びている。数寄屋の屋根でよく使われるデザインだが、何となく不自然な印象を受けるのは、金属屋根の勾配を瓦屋根の勾配よりも少しきつくすることによって、2つの屋根をはっきりと分節させているからである。軒先の屈曲はステルス戦闘機のようにも見える。微かな不自然さをあえて演出した隈さんの美学だろうか。そういう眼で見ると、竹林のスクリーンに沿った長いアプローチの先端に素っ気ない車のアプローチを見せているのも、日本的なデザインに対する批評的なデザインのようにも思えてくる。玄関の風除室もオフィスビルのように素っ気ないし、入口ホールの天井勾配もやや急過ぎるように見える。日本的なデザイン・ボキャブラリーが至る所に使われているのだが、すべて定番でありながら完全な定番に陥らないように批評的に外されているように思えてくるから不思議である。ともかく休日のせいか人が多過ぎるので、どこに行っても落ち着かない。館内と庭をザッと見て回った後、後日に出直すことにして早々に退散する。館内や往復の途中で数人の若い建築家に出会った。午後は締切を過ぎたアレグザンダー関係の原稿に集中する。あまり発見のない原稿を書くのは辛い。四苦八苦して夕方ようやく仕上げ編集部に送信。夜は何もする気にならず、ぼんやりとiPhoneでニュースを見ていたらクロード・レヴィ=ストロース死去のニュースを発見する。101歳の誕生日を迎える寸前だったそうだ。ここ1ヶ月の間、レヴィ=ストロースの本を読み返し一昨日の読書会で『野生の思考』を取り上げたばかりなので感慨深い。エリック・ホブズボームと同じく20世紀を代表する巨人が去ったという感じである。『近代建築論講義』を読みながら夜半就寝。


2009年11月02日(月)

10時前に事務所を出て駒場キャンパスの1号館へ。非常勤控室で東端と待ち合わせ。たまたま出会った松村秀一さんとしばらく雑談。10時半に5号館へ。10時40分から教養学部生対象の駒場講義。会場は100人を超える学生で一杯。「サステイナブル・デザインの現在」と題して「建築の4層構造」と外国の建築事例を紹介。少し時間が余ったので「箱の家」を初めとする自作を紹介。学生の反応はなかなか良かった。12時10分に終了。学生数人の質問を受ける。その後、本郷キャンパスへ。1時半から3年生の設計製図エスキス。ぶっ続けで12チームを観たが、中間講評で評価されたチームのほとんどが足踏みしているのに対し、それ以外のチームが大きく展開し始めていることに嬉しい驚き。最終講評までにあと2週間だから、これからも大きく展開していくだろうが、中間講評で評価されたチームには潜在的な能力があることは間違いないので何とか頑張ってもう一歩踏み出してもらいたい。僕としても木曜日のエスキスに力を入れねばなるまい。6時からココラボ・ミーティング。最終回の集合住宅平面図エスキス。なかなか興味深いプランが出来上がった。早速プレゼンテーションの作業に入る。7時から2人の卒論生の卒論エスキス。ル・コルビュジエの技術論研究は著作の調査を一通り終えたので、全8巻の作品集の分析に進むようにアドバイス。中庭の変遷の研究は事例を集めることに並行してプロトティピカルな住宅をピックアップしていくようにアドバイス。締切まで残すところ1ヶ月なのでもっとピッチを上げねばならない。エスキスの回数を増やす必要があるだろう。8時過ぎ難波研院生7人と正門前の中華料理屋で夕食。皆の近況を聞く。10時過ぎ事務所に戻る。「134久保邸」「135水崎邸」の工事金額が確定したので、急いで確認申請の手続きを開始する。11時過ぎ帰宅。『近代建築論講義』を読みながら夜半就寝。


2009年11月01日(日)

午前中は帳簿整理。正午過ぎに事務所を出て大学へ。製図室では3年生が作業をしている。1時半から公開読書会第3回。難波研5人以外に歴史研と構造研から2名の院生が参加。『野生の思考』について2名の院生が報告。全体の紹介では本書で紹介されている精細な民俗資料をフォローするのが精一杯で肝心の理論面の把握が霞んでしまった。第1章「具体の科学」だけに焦点を当てた報告は野生の思考の理論面を把握しているが「ゼロ記号」の解釈で躓いている。いずれにせよ建築への直接的な適用はなかなか難しいので、本書が日本に紹介された70年代の時代状況と建築界での受けとめ方についてショートレクチャー。70年代からゼロ年代までの歴史の概要。60年代末の大学紛争と79年大阪万博の状況。60年代から70年代にかけての実存主義から構造主義への移行。記号論の建築への導入とポストモダニズムとの関係。ノアム・チョムスキーの生成文法との同時代性。アレグザンダーとアイゼンマンの対照的な受け止め方。早稲田大の吉阪隆正研や東大の原広司研の活動との関係。磯崎新の『建築の解体』と野武士の世代との同時代性といった話題に加えて、現在は経済と政治が支配的な不確定な時代なので『野生の思考』のように不変性を追求するような研究は浸透しにくいかもしれないといったことなどについて話す。次回の11月29日(日)には『エッフェル塔試論』(松浦寿輝:著 ちくま学芸文庫 2000)を取り上げることになった。僕が歴史記述のお手本にしている著作である。4時終了。5時前帰宅。雑用を済ませ妻と青山に出てスペイン料理の夕食。安い赤ワインを飲みながら退職後の旅行計画について話し合う。9時帰宅。明日の駒場講義のスライドを確認し10時時半帰宅。


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