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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2009年03月31日(火)

9時半、大成建設来所。アタゴ工場の見積再検討について打ち合わせ。界工作舍からは追加VE案について説明。午後1時過ぎ、田町建築会館の日本建築士回連合会へ。作品賞の第1次審査。阪田誠三委員長、村松映一、松川淳子、鈴木博之、岸和郎。竹原義二、櫻井潔の全審査委員が出席。100点余の応募作品から投票形式によって現地審査対象となる16作品に絞り込む。今年は住宅作品がやや不作のようだ。候補作品を決めた後、現地審査の担当者とスケジュールを決定。最後に、来年度の審査委員長を村松映一さんにお願いすることを決定し4時半終了。5時半大学行。6時から銀杏会歓送会。今年は鈴木博之さん以外に助教2人と職員1人が退職。専攻長としての挨拶の後、立食パーティ。最後に、花束と記念品を贈呈し8時半終了。帰途、千葉研の新任秘書、加藤亜矢子さんに会う。大阪市大の竹原研を出て山本理顕事務所で働いていた女性である。何度か会ったことがある人なので建築業界の狭さに話が弾む。9時半帰社。雑用を済ませ10時半帰宅。

『WE-THINK』は第5章「We-thinkはどこまで広がるか」に差し掛かる。著者はWeb2.0を通してコラボレーションの新しい形を広い文脈の中に位置づけようとしている。問題を具体的に論じようと努力はしているのだが、あちこちで設計方法論に似た形式論議に陥りかけているので、読み続けるのがちょっとシンドイ。


2009年03月30日(月)

午前中から午後にかけて細かな打ち合わせ。井上とアタゴ工場のスケジュール確認。アタゴ工場長との電話打ち合わせ。午後2時に大学行。研究室には寄らず法文2号館会議室へ直行。改修工事の2回目の打ち合わせ。文学部には学生たちのベースとなる空間への要望が強いことが分かり、プログラムの大幅な変更を検討。文学部では進振りの時点で所属研究室が決まるが、人数が多いので研究室内にベースを持つことが難しいらしい。それに沿って代替案を作ることになる。次回の打ち合わせ日時を決めて4時半終了。地下鉄千代田線で乃木坂に5時過ぎ着。例年、佐々木構造計画事務所と一緒に開催している花見の現場へ。今年は両事務所のOGやOBが加わり20人以上が集まる。櫻はまだ三分咲き。夜になると深々と冷えてきたので9時に終了。そのまま麻布の居酒屋へ移動し二次会。佐々木事務所の最初の卒業生である池田昌弘君が工務店を始めた話題で盛り上がる。設計者と施工者の分離はルネサンスのブルネルスキ以来の大問題である。両者の分離は近代化の前提条件といっても過言ではないが、事ある毎に再検討を求められる条件でもある。設計施工を一体化したゼネコンのあり方もこの問題に関わるし、アレグザンダーのパタンランゲージも両者の一体化をめざしているが、成功しているとは言えない。僕の考えでは、現代のように複雑で高性能な建築が求められる時代においては、設計、施工のそれぞれをまとめるために必要な時間が限られている以上、両者の一体化は住宅程度の小規模の建築でしか可能でないように思われる。ともかく池田君がどのような経緯で設計施工の一元化を試みるのかを見極めていきたい。11時半解散。佐々木君は三次会に向かったが、僕はそこで別れて夜半に事務所に戻る。


2009年03月29日(日)

今日は一日事務所で読書と溜ったDVDを観る。『蟲師』(大友克洋:監督 2007)は監督に惹かれて選んだ。ほんの100年ほど前まで存在した精霊信仰を描いた映画。蟲に託してプレモダンなアニミズムや土地の精霊信仰を描いているのだが、現代都市でも十分にありそうなテーマである。実写版『ゲゲゲの鬼太郎』というところか。蟲が時に文字になり、時に雲や虹になるという発想が興味深い。河沿いを歩き続ける蟲師がフェイドアウトしていく最終シーンが美しい。 『トーク・トゥ・ハー』(Pedro Almodovar:監督 2002)は『DETAIL JAPAN』別冊の『映画の発見』(2008年7月号)でベスト10に入っていたので選んだ。事故で昏睡状態になった女性にひたすら語りかけ続けるという映画。断片的なエピソードの連続だが、シナリオの構成力によってひとつの物語に作り上げられている。スペインらしい色彩に溢れた画面が美しい。冒頭と最後にピナ・バウシュの舞踏が差し挟まれている点が見逃せない。夜は久しぶりに家族3人で食事。3日遅れで僕の誕生日を祝ってくれた。中華料理をいただきながら映画談義で盛り上がるが、映画に関しては妻と娘にとてもかなわないことを痛感する。ならば家族3人共同で映画に関するブログを立ち上げたらどうかと提案する。


2009年03月28日(土)

11時「130鶴見邸」着。機器説明と引渡がちょうど終了したところ。工務店社長に工事のお礼を言い、鶴見一家に竣工祝いの±0加湿器を贈呈する。11時半、鶴見さんの車でパスタ・レストランへ行き一緒に昼食。子供たちが新居に興奮しているのがよく分かる。1時からオープンハウス。交通の便が悪いにも関わらず予想以上に多くの人たちに観てもらうことができた。新しいクライアント候補が数組訪れたことも大きな収穫。5時終了。鶴見さんにお礼を言った後、週末でごった返す渋谷にスタッフ皆で繰り出す。界工作舍OB/OGの藤武、杉村、岩堀の3人も加わってイタ飯屋で打上げ。久しぶりに反省会を兼ねた建築論議で盛り上がる。OB/OGが的確な批評をしてくれたことが何よりも嬉しい。9時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。

レッシグの『CODE』に引き続き『WE-THINK(僕たちが考えるに:マスコラボレーションの時代をどう生きるか?)』(チャールズ・レッドビター:著 山形浩生+守岡桜:訳 エクスナレッジ 2009)を読み始める。Web2.0時代のインターネットを通じた恊働の可能性について論じた本である。第2章「We-thinkのルーツ」で1960年代のカンターカルチャー、スチュアート・ブランドの『ホ−ルアース・カタログ』、イワン・イリイチの思想、ギー・ドボールの状況主義などがとりあげられている。Web2.0時代のコラボレーションは産業化以前やモダニズム初期のインティメイトな組織形態を復活させるという著者の指摘が興味深い。僕の考えでは、当時のトータルな人間関係にもとづいた組織とは異なり、Web2.0時代の組織はもっと断片的で機能的ではないかという気がする。


2009年03月27日(金)

今日は一日事務所。10時ムジネット来所。プロトタイプ住宅のコストダウン可能な工事項目について細かな説明を受ける。基本コンセプトを変えないような工事項目は可能な限り取り入れるように検討してみよう。さらに他のプロトタイプについても同じようなコスト検討をする必要がある。プロトタイプ住宅を建設する敷地も絞り込まれてきたので実施設計の準備をはじめねばならない。細部の検討をムジネットに任せきりにするのではなく、こちらからも新しい仕様について提案すべきだろう。午後から夜にかけては読書と原稿スケッチ。「技術の世紀末」に関連がありそうな資料をあれこれ拾い読みするがなかなか建築に収斂しない。10時半帰宅。

『CODE:インターネットの合法・違法・プライバシー』(ローレンス・レッシグ:著 山形浩生+柏木亮二:訳 翔泳社 2001)をようやく読み終わる。3週間もかかってしまったのは、この間に旅行や専攻長の雑用が集中したせいもあるが、それ以上に内容が濃くて熟読せざるをえなかったからである。本書から学んだ最大の教訓は、インターネット・ウェブのアーキテクチャは特定の価値判断にもとづいてデザインされ、運用されているということである。つまりインターネットの利用者は自分の意志で自由にウェブ上を動き回っているように思っているが、実は明確なアーキテクチャに沿って制御され動いているということである。一般に、リアルな実空間は規制や障害に満ちていて自由気儘に動くことはできないが、インターネット・ウェブがつくるサイバー空間ではそういう規制や障害はないと考えられており、実際にそのように感じられる。しかしそれはアーキテクチャが巧妙にデザインされ、規制や障害が背景に退いているからである。実空間の制御は不完全にしか可能でないが、サイバー空間ではすべてがアーキテクチャにもとづいてデザインされるため、完全な制御が可能なのである。ここから引き出される結論は、民主主義にとって決定的な意味を持つ。なぜならサイバー空間においては「自由」の意味が実空間とはまったく異なるからである。僕たちはつねに実空間とサイバー空間の両方に属している。建築に引き寄せて言えば、本書は実空間とサイバー空間が錯綜する21世紀の世界におけるデザインのあり方について論じた本としても読むことができるだろう。
ところでひとつだけ疑問に思った点がある。ウェブが明確なアーキテクチャを持っているとしても、その運用まで制御することはできないのではないか。明確なルールにもとづいて演じられるゲームが予想外のゲーム展開をもたらすように、アーキテクチャとその運用とは別の次元にあるのではないか。だとすればアーキテクチャによる制御は必然的に不完全にならざるをえないように思われるのだが、どうだろうか。


2009年03月26日(木)

昨夜は夜中に急に気分が悪くなり嘔吐。鴨に当たったのか酒の飲み過ぎか。関西旅行以来の暴飲暴食が祟ったのかもしれない。ともかく朝まで胃痛が続きひどい寝不足。11時大学行き。「YES-NO展」打ち合わせ。ようやくデザインが収斂。今夜の研究室会議で紹介するように指示。12時半から学科会議。来年度からの助教人事の方針について論議。結論は出ないまま4月1日から見切り発車。ネガティブな発想が多いので、若い准教授による将来を見据えた人事計画のWGをつくることを提案。3時から僕にとっては最後の学科長・専攻長会議。新3号館の建設計画についての議論。懐疑派の根強い抵抗があるが、ともかく前に進むことで了承。たしかに建設資金の返済計画には甘さが感じられる。いずれにしても外部組織に依存した計画になるのだろう。5時半終了。6時過ぎ隈研吾教授が新任秘書を同行して来室。その後はしばらく専攻長の雑用。7時半に大学を出て根津の居酒屋へ。M2生の歓送会。ほとんどグロッキー気味だがペースを抑えて何とか最後まで付き合う。10時過ぎ終了。二次会は勘弁してもらい11時に事務所に戻る。『CODE』はようやく12章「言論の自由」に差し掛かる。著者の徹底して合理的な議論に舌を巻く。論理展開があまりに緻密なので飛ばし読みができない。


2009年03月25日(水)

今日は一日事務所。午前から午後にかけて「ココラボ住宅」実施設計図面のチェック、トステム「家の知」の鼎談原稿校正、原稿スケッチをくり返す。合間を見て読書。午後5時、真壁智治さん、コスモスイニシアの南光浩、舟久保建樹さんが来所。来年度の共同研究についての話し合い。集合住宅のコンパクト化のためのマイクロ・パタンランゲージの開発に関する研究を提案。『形の合成に関するノート』の方法をさらに微細化し、ライフスタイル軸に時間軸や世代軸を加えて、多元的にアプローチする試みである。院生だけにすべてを任せるのは難しいかもしれないが、現代を生きる世代の生き証人にはなるだろう。ユーザーの意見も大々的に取り入れる必要があるかもしれない。基本方針を確認した後6時半終了。7時前に青山の料亭に移動。鴨鍋を囲みながら歓談。真鍋さんは『新建築住宅特集』誌上で、60年代以降の建築家の自邸を再調査する試みを続けているそうだ。興味深い取材なので難波研にも参加させてほしい旨を伝える。10時前に事務所に戻る。スタッフたちから誕生祝いをもらう。ブレードランナーでデカードが使っていたグラスと、映画の中で呑んでいたジョニー・ウォーカーのブラックラベル(瓶の形がちょっと違うが)である。数年前の誕生祝いに貰った同じグラスを割ってしまっていたので感無量の贈り物である。今度は大切に使うことを誓う。10時半帰宅。共同研究のテーマについてあれこれ考えながら夜半過ぎ就寝。


2009年03月24日(火)

10時過ぎ大学行。キャンパス内は卒業式の人出で賑やかである。11時から建築学科卒業式。卒業生一人一人に学位記を渡した後、専攻長として祝辞。卒業式がなかった40年前(1969年)の僕の卒業の話から始めて、ここ40年間の社会と大学の関係の変化を概観し、ITの進展によって大きく二つの変化が生じたこと。ひとつは建築の要求レベルが大きくアップし、もうひとつは大学法人化によって大学が社会に開放され、大学の役割が社会に対する批評的な存在になったこと。前者に対してはネットワークが不可欠となり、後者に対しては歴史的な視点が不可欠となった点に注意を喚起する。要するに人間関係から自分の空間的な位置を、歴史から時間的な位置を確認せよというアドバイスである。その後、工学部長賞、辰野賞、コンドル賞、伊東忠太賞、衛生空調学会賞などの表彰。12時から懇親会。1時半終了。西出教授に専攻長事務の引き継ぎ。ワンセグでWBCを観戦している学生と一緒に日本の勝利を確認した後、4時半に事務所に戻る。5時半過ぎに事務所を出て、日比谷公園の懇親会会場へ。8時半終了。そのまま徒歩で銀座の二次会会場へ。難波研卒論生3人と、残すところ1年間しかない難波研究室でのスケジュールについて相談。11時過ぎ終了。12時に事務所に戻る。

歴史研助教の横手義洋さんから『イタリア建築の中世主義:交錯する過去と未来』(横手義洋:著 中央公論美術出版 2009)が届く。横手さんの博士論文をまとめた本である。イタリアの19世紀建築研究であることから、直ちに『建築の世紀末』(鈴木博之:著 1977)を連想するが、17世紀に国家が成立し、19世紀には大英帝国として世界に君臨した英国に対して、イタリアは19世紀半ばになってようやく統一国家となった点が決定的に異なる。その点で明治維新以降に西洋建築を輸入した日本建築の近代化と重なり合う部分があるかもしれない。横手さんがミラノ工科大学で学んだことも大きいだろう。イタリアの近代化は北から南へ進んだからである。いずれじっくり読んでみよう。


2009年03月23日(月)

6時半起床。風が強い。依然として花粉症が続いている。10時、栃内と鷺沼駅で待ち合わせ、タクシーで「130鶴見邸」へ。外部は一部の設備工事を残して工事完了。単純明快な「箱」が姿を現している。これ以上単純なデザインができるかどうかを考える。次のステップでは、外装の仕上と窓のデザインがテーマになるだろう。内部は家具工事の最終段階。2階の一室空間を風が通り抜ける。床のフレキシブルボードもきれいに仕上がっている。工務店社長に最後の工事の詰めを依頼。12時半に大学着。1時から大学院修了式。修士課程68名、博士課程21名という大人数。3時から懇親会だが参加せず研究室で休む。4時から設計製図会議。隈研吾教授が加わった最初の会議となる。来年度の設計製図指導体制について確認。千葉さん担当の3年生第1課題の説明。スタジオ課題についての打ち合わせ。来年度は新しく隈研吾スタジオ、藤森照信+藤本壮介スタジオ、大田浩史スタジオが加わって豪華なラインアップとなるが、助教体制が難しい。4時から院生と「YES-NO展」最終打ち合わせ。ともかくさらに単純なデザインに収斂させるよう指示。院生としては貧血的なデザインに不満かもしれないが、最小限の要素で最大限のメッセージを伝える方針を確認する。その後、明日の卒業式祝辞スケッチ。6時半に事務所に戻る。今日は花巻、岩元がインフルエンザでダウン。病気ではしょうがないが、ここのところ事務所内が弛緩しているようだ。奈良旅行中、安藤忠雄さんに「アトリエ事務所はボスが事務所におらんと駄目やな」と言われて胸にグサリと来た。4月には専攻長から解放されるので、その時間を事務所に当てることを密かに決心する。井上にアタゴ工場の確認申請を全力で進めるように指示。ちょっと時間がかかり過ぎである。夕食後、栃内と無印住宅2の打ち合わせ。引き続き、真壁智治、篠原聡子両氏と議論した「家の知」鼎談原稿の校正。言葉の足らない部分に書き加える作業に手間取る。石山さんから電話。関西旅行のお礼と労い。学生同行の旅行は本当に疲れるという感想で一致。学生たちと別れて歩いた時間が一番充実していたことを想い出す。10時半に帰宅。『CODE』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2009年03月22日(日)

8時半にホテルのロビーに集合。荷物をロビーに預け、地下鉄で市役所前駅へ。歩いて5分で安藤忠雄さんが設計した竣工直後の建築「俄」へ。建築学科を卒業したスタッフ数名が説明してくれる。難波研から安藤スクールに来ている院生の顔も見える。建物は中層の町家の中に埋め込まれた宝石店。周囲の町家よりも間口が広く街路よりも一段引っ込んでいる。ファサードを特徴づけているのはキャストアルミ製の3層の深い庇とルーバー。アルミは濃いグレーのアルマイト仕上げ。屋根も同色のキャストアルミでまとめている。妻壁はコンクリート打ち放し仕上げ。担当者の話では新景観条例の厳しい指導を受けたデザインだと言う。それでも周囲の町家より単純明快でキレのあるデザインでまとめられている。1階の店の脇を入ると、最奥に斜めの壁に沿って4層の吹抜けがあり、地下に降りる階段がある。地下はギャラリーにする予定だそうだ。一旦表に出て左の入口から入り、大理石の階段を上ると2階にも店舗がある。それより奥の見学は禁止。全体としてざっくりとした空間である。コンクリート打ち放しが構造体ではなく完全に仕上げとして見えるようになったことを痛感する。10時に現場を発ち地下鉄で蹴上駅へ。徒歩10分で無鄰菴へ。7代目小川治兵衛が作庭した山県有朋の別荘の庭園。別荘の建物は少々無粋だがシルエットを低く抑えた近代和風庭園はなかなかの見物。琵琶湖疎水の水を引いた流れる池が面白い。全員が座敷に上がり鈴木博之さんの説明を聞く。僕も簡単なコメント。ここで関西旅行は自由解散。11時半に皆と別れてホテルへ戻る。予約を変更し、予定より1時間早い新幹線に乗車。3時前に事務所に戻る。書類を整理し荷物を片付ける。家族と早めの夕食。関西旅行で胃に負担をかけてせいか食欲は今一。風呂に入った後、一旦事務所に戻り、雑用をすませた後、早めに帰宅。しばらく活字を読んでいなかったので『CODE』に集中。第11章「プライバシー」に差し掛かる。本書のひとつの山場である。しかし5日間の度の疲れがどっと吹き出し11時過ぎにダウン。

新幹線の中でDVD『アカルイミライ』(監督:黒沢清 2003)を観る。今一説明しにくいストーリーだが、簡単に言えば、駄目な青年と駄目な中年のすれ違いと交流の人生を淡々と描いた不条理劇とでも言えばいいだろうか。猛毒を持つ赤クラゲが現代の不条理性を象徴している。おもわず『7つの贈り物』(監督:ガブリエレ・ムッチーノ 2008)を想い出した。ドブ河の中を無数の光る赤クラゲが海に向かうシーンは圧倒的に美しい。このシーンはハイビジョンで撮りCG合成したらしい。出演者のボロ着ファッションがなかなかオシャレである。しかし全体として中途半端な印象が残り、後味もあまりよくない。タイトルをカタカナにしたのは監督の皮肉だろうか。


2009年03月21日(土)

8時前にホテルを出てバスで一路京都へ向かう。大山崎駅に9時過ぎ着。ここで石山さんと別れる。徒歩で藤井厚二設計の聴竹居へ。前庭で竹中工務店の松隈章さんの説明を聞いた後、約1時間の見学。図面や写真から想像した通りのスケール。中央の居室が動線ホールになっている点も確認。居室を囲む縁側、客室、読書室、食事室はヒューマン・スケールのモダンな空間だが、奥に進むほどプレモダンな空間になる。時代の制約を考えればやむを得ないとはいえ、僕としてはやや考え込まざるを得ないプラニングである。読書室に置いてあった岩波書店刊の『日本の住宅』に見入る。藤井は京都とロンドンの春夏秋冬の太陽角度を比較検討している。ブルーノ・タウトは藤井厚二の建築的センスを酷評しているが、モダンな感覚には聴竹居の工芸的な美学は通用しなかったのだろうか。何となくタウトの気持ちが分かるような気がする。その後、歩いて大山崎美術館へ。洋風木造の旧館と安藤忠雄の鉄筋コンクリートの新館との対比を確認。コレクションがモネとルノワールだけでは少々物足りない。旧館テラスでアイスコーヒーをいただきながら休憩。大山崎駅まで下り、バス内で昼食の弁当をいただいた後1時に大徳寺着。中村外二工務店の代表中村義明さんの案内で弧篷庵へ。起こし絵を描いた1972年以来、長い間焦がれていた希望がようやく叶う。方丈から庫裏へ移行する流れと澱みの転換点にうみ出された茶室「忘筌」にしばし佇む。舟入障子から縁側にバウンドした柔らかな光が砂摺天井に反射して床の間まで届いている。これも想像通りのスケールの空間。あまりの一致に感無量。その後、真珠庵へ。世俗的には真珠庵の方が弧篷庵よりも断然有名だが、僕には弧篷庵の単純さの方が好ましい。中村さんによれば、素材は真珠庵の方が数段上だが、弧篷庵はデザインの力で素材の差を補っているという。小堀遠州の力だが、素材の差がどれほどの物かは、今となってははっきりしない。5時に京都駅前のホテル着。6時にロビーで松隈洋、松隈章兄弟と会い、京都駅構内の和久傅で夕食。9時半にホテルに戻る。しばらくメールチェックした後、11時過ぎ就寝。


2009年03月20日(金)

8時半過ぎにホテルを出てタクシーで東大寺南大門へ。奈良に来てから花粉症が酷くなった。今日は比較的涼しいにもかかわらずクシャミと鼻水が最悪状態。9時過ぎに南大門からツアー開始。TAのレクチャーも内容が濃いが、それ以上に石山さんのレクチャーに聴き入る。その違いは明らかに想像力と物語性にある。いつもながら大仏殿には食指が湧かない。それにしても東南アジアの観光客が多いのが印象的。大仏の裏に置かれている鎌倉時代の再建模型を注視。これなら問題なく南大門を超えて圧倒的である。東に向かって坂を上り鐘楼へ。栄西作の反りのキツい屋根は今一理解に苦しむ。引き続き法華堂へ。本堂の超越性と礼堂の人間性の野合に関する石山さんのコメントに膝を打つ。内陣の仏像群にはいつもながら沈思黙考。日光・月光菩薩像には母の姿が重なり涙を堪えるのが精一杯で学生の質問には上の空。春日大社への途中でうどんの昼食。そこで学生たちとは別れ、南大門の西にある戒壇院へ向かう。この院の四天王は法華堂の四天王を超えている。法華堂の日光・月光菩薩と同じ作者ではないかと憶測する。坂を下って依水園へ。近代和風庭園だが、入口近くから遠望する南大門の屋根と若草山の借景が興味深い。南大門の妻側屋根を見ることができる角度は、おそらくこの位置しかないだろう。園内の寧楽美術館で李朝の青磁器を見た後、茶園で抹茶と和菓子で休憩。岩元から電話が入る。インフルエンザに罹ったので週末は休み。直ちに皆に知らせるよう指示。祝日で人の多い奈良公園を抜けて徒歩でホテルに戻る。しばらくの間、部屋で休んだ後、6時半に荒池側の和風レストランへ。珍しい肉のシャブシャブに舌鼓を打つ。その後ホテルのバーでしばらく歓談。インターネット論で盛り上がる。10時過ぎに部屋に戻り、メールチェック後、風呂に入って夜半就寝。石山さんとの夜は今日が最後である。


2009年03月19日(木)

昨夜は深酒なのにほとんど眠れず6時起床。シャワーを浴びて目を醒す。8時半ホテルを出てバスへ。法隆寺で安藤忠雄さんと松村秀一さんが合流。午前中はゆっくりと伽藍を回る。午後は薬師寺から唐招提寺へ。薬師寺は怪しい建築で一杯だが、鎌倉時代の東院がいい。皆、懐かしい寺々だが何か違う。大きな違いは周囲の街並の佇まいである。5時過ぎホテルへ。ホテルのカフェで安藤、鈴木、石山さんと歓談。6時半から学生たちの宿へ行き懇親会。9時過ぎ安藤さんが帰るのをきっかけにホテルに戻る。ホテルのバーで鈴木、石山両氏と呑む。11時部屋に戻りメールチェックの後、就寝。ひたすら歩き続けた一日。


2009年03月18日(水)

9時半過ぎ品川発の新幹線に乗車。石山修武さんと一緒に京都へ。たまたま同じ車両に京都でのシンポジウムに行く磯崎新さんが乗っていたので、ビールを飲みながらしばらく歓談。1970年の万博を機に都市から撤退したが、1990年台に再び都市へ回帰した理由を聞く。大きな転換点は1995年の阪神大震災とサリン事件であること、その背景にはITにもとづく経済のグローバリゼーションがあるという点で意見が一致。あらためて磯崎さんの時代を読む眼の的確さに感心する。12時京都着。八条口で貸し切りバスに乗車。鈴木博之、伊藤毅、藤井恵介さんらは既に到着している。最初の見学地は伊庭貞剛記念館。明治期の邸宅。和風住居と洋風住居を並列させた邸宅。洋風のプロポーションと和風のプロポーションの対比が興味深い。風通しのいい室内が快適である。ひき続き近くの石山寺へ。本堂の時代を重ねたデザインと多宝塔の端正なプロポーションを堪能する。奈良のホテルに6時前着。6時半から駅前の居酒屋で会食。ビールと焼酎をしたたか呑む。石山さんが加わって観音像に関する論議。ホテル近くのバーの赤ワインでグロッキー。風呂に入りメールチェックしたらしいが、ほとんど記憶にない。そのままベッドに倒れ込む。


2009年03月17日(火)

午前中は午後のシンポジウムの参考に『10+1』50号とライザー+ウメモトの『アトラス』に目を通す。依然として後者は理解が難しい。11時半に事務所を出て大学へ。難波研留学生と修論ミーティング。1時から東京大学+プリンストン大学合同シンポジウム。第1部のテーマは丹下研究室の「東京計画1960」とメタボリズム以降の都市論がテーマ。まず僕がシンポジウムに経緯について説明し、『10+1』50号のタイトルとの符合について釈明。引き続き、鈴木博之さんがメタボリズムと伝統論に関して45分の基調講演。その後、内藤廣さんが戦後建築史の中でのメタボリズムの位置について、大野秀敏さんが持論であるファイバーシティ論について短いレクチャー。ディスカッションでは僕が日本の戦後から現代までの歴史を概観し、その中での都市論の変容についてコメント。日本における都市論が常に伝統論へと回収されるという鈴木さんの指摘について。プリンストン側から戦後の植民地時代とこれからの移民の問題が論じられていないという指摘があったので、僕は移民の受け入れは不可避であり、それがこれからの東京を大きく変えるだろうと遠回しのファイバーシティ批判を展開する。3時半からはプリンストン大学のラウンド。隈研吾、阿部仁史を含む5人のパネラーの発表。情報化時代の生活のあり方をシミュレーションした阿部さんの「MEGA-HOUSE」だけは問題提起的だったが、その他のパネラーは自作プロジェクトの紹介で終始。シンポジウムで自作を発表したのではテーマに沿った議論は展開しない。案の定、議論は不発に終わる。アメリカの建築家にはあまり歴史意識がないように感じられたのは早合点だろうか。7時終了。長丁場で疲れたので、打上げパーティには参加せず9時前に事務所に戻る。明日の旅行の準備をまったくしていないので早めに帰宅。天気予報を見ると暖かくなりそうなので軽装の準備。『CODE』は第3部に差し掛かったが著作権の問題が込み入った議論なのでなかなか進まない。夜半過ぎ就寝。


2009年03月16日(月)

午前中は卒計日本一の講評をまとめて昨日の総評と一緒に事務局へ送信。総評の方は思い切り縮めたので大学生には少し難しいかもしれない。午後1時スタッフと一緒に東横線の大岡山駅へ。小泉雅生さんが設計したENEOS実験住宅「創エネハウス」の内覧会へ。高間三郎さんや湯澤正信さんの顔が見える。ガイダンス棟でプロジェクトの説明ビデオを見た後、建物の見学。コンパクトな家型のヴォリュームから3つの屋上テラスを切り取ったような外形。内部空間は中央に階段室を置き、その周りに高さの異なる2階床を配置した一室空間的な住居。階段室を囲む半透明のFRPグレーチングによる透光耐力壁を通した視線の交錯が楽しい。階段室にそってOMソーラーのダクトが地下まで降り、地下に蓄熱層が置かれている。内部仕上げは左官壁。階高が高いのに驚く。現在手に入るエコ設備を網羅した重装備の実験住宅のため、全体のデザインは少し重い感じ。集熱通気層を組み込んだ屋根の厚さには呆然とする。ともかくかなりのハイコスト住宅で、僕たちにはちょっと手が届かないだろう。3時過ぎ見学終了。難波研院生と駅前のファミレスにて「YES-NO展」の打ち合わせ。デザインがようやく収斂してきた。来週月曜日までにチューン・アップを指示。5時前に事務所に戻る。夜は読書と明日のシンポジウムのシナリオ・スケッチ。10時半帰宅。

先週末の「箱の家131」に引き続き「箱の家130」のオープンハウスの日程が決まる。対照的な空間なのでぜひ見比べてもらいたい。
http://www.kai-workshop.com/home/files/20090328_01.pdf

『建築の四層構造:サステイナブル・デザインをめぐる思考』(INAX出版)が店頭に出て3週間が過ぎたが、少しずつ反響が届き始めた。第2部冒頭の「エイリアンとタイムレス」が面白いという感想が多い。他の論考はすべてこの論文からの展開なので当然かもしれない。第1部の「現代住宅の諸問題」に書いた藤森照信さんのサステイナブル・デザイン批判に対する反論に興味を持つ人も少なくないようだ。槇文彦さんには「東大教授の対決だね」と言われた。僕は藤森さんを批判したつもりはないのだが、そう読めるらしい。残念ながら学生からの反応はまだ届いて来ない。大学生には少し背伸びしてでも読んでもらいたいのだが、活字離れが進んでいるのだろうか。大学院生ならばこれくらいの議論には連いて来てもらわなければ困るけれど。ジュンク堂で開催されるトークセッションでの議論を期待しよう。
http://www.inax.co.jp/culture/information/050_publish/001400.html
ざっと読み返してみて、我ながらこの本は都市に対するアレルギーに貫かれているナアと改めて痛感した。


2009年03月15日(日)

今日は一日事務所。せんだいデザインリーグ・卒計日本一決定戦の総評と作品講評の原稿書き。午前中は1週間前の審査プロセスを想い出しながら4つの小テーマをスケッチ。午後は、ひとつのテーマ毎に短文を書いていく。思いつくままに書いていたら要求の倍以上になってしまった。DVDで映画を観て、しばらく頭を休めてから文章を削る。夕方までかけてようやく校了。作品評は明日に回す。久しぶりに家族で夕食。夜は読書と原稿推敲。

DVDで『KOYAANISQATSI(コヤニスカッツィ)』(Godfrey Reggio:監督 1983)を観る。KOYAANISQATSIはホピ・インディアンのことばで、KOYAANIとは「不安定な」とか「狂った」を、SQATSIは「生活」を意味するという。台詞や語りはまったくなくて、全編が映像と音楽だけによって構成された90分の映画である。高速度と微速度の撮影技術を駆使した映像と、全編に流れるPhilip Grassのミニマルな音楽が圧倒的である。はっきりとしたテーマが打ち出されている訳ではなく、ひたすら映像と音響に身を任せればいい映画ではあるが、僕の眼には、テクノロジーがうみ出した現代社会のせき立てられるような生活を批評的に描いているように映った。タイトルからもそうだろう。自然を描いた最初の映像を含めて考えると「流れ」と「速度」が隠されたテーマとも言えるかもしれない。フランシス・フォード・コッポラが製作に参加しているが、実質的に関わっている訳ではなく、この映画に感動して後から製作者を申し入れたらしい。最初と最後に宇宙ロケットの打上げシーンがあり、最後のシーンでは打ち上げが失敗し、ロケット頭部の衛星がゆっくりと落下するスローモーション映像のシーンが印象的である。思わずチャレンジャー号の事故(1986)かと思ったが、1983年製作の映画なのでこれは間違い。1960年代のマーキュリー計画の打上げ失敗の映像だそうだ。


2009年03月14日(土)

小雨で風が強い。10時過ぎ洗足の「131吉田邸」へ。工務店が吉田一家に機器説明の最中。11時過ぎ引渡書類の確認。吉田一家と洗足駅前のパスタ・レストランで昼食。午後1時からオープンハウス開始。最初に来たのは光嶋裕介君。石山研出身の若い建築家である。『CONNECTED BORDER 2008 TOKYO』というタイトルのドローイング集をもらう。僕も大学院時代に似たようなドローイングを描いたことがあるが、僕よりもずっとパワフルで美しい。2時までは訪れる人はパラパラとした感じだったが、天気が回復するにつれて人が増え3時過ぎには室内が人で一杯になった。僕は3畳の和室でひたすら「ココラボ住宅」の実施図面チェック。人が多くなってからは部屋から出て案内をする。懐かしいクライアントにも会ったがほとんどは知らない人ばかり。5時過ぎに終了。片付けを済ませて現場を発つ。夕方になって少し晴れてきたが風が急に冷たくなる。スタッフと目黒と恵比寿の間にある和風レストランで打ち上げ。一品料理と日本酒で盛り上がった後、ご飯と漬け物で締め。9時過ぎに店を出て、恵比寿ガーデンプレイス内のビヤホールで二次会。ソーセージと赤ワインでお腹を膨らませる。10時半過ぎに解散し事務所に戻る。一日を振り返りながらしばらく黙考。オープンハウスの後はいつも少しばかり寂しい気分になる。「箱の家」が130戸を過ぎても、依然として反省点ばかりが気になる。数が増えるのに比例して反省点が増えるといってもいいくらいだ。以前の打ち上げは反省会を兼ねていたが、最近はただの飲み会になってきた。年齢の差があるためか、最近はスタッフとの議論も難しい。あれこれ考えをめぐらせながら夜半過ぎ就寝。


2009年03月13日(金)

7時起床。8時出社。花粉症の症状は依然として止まらない。11時、高円寺駅で藤村龍至さんと待ち合わせ。徒歩5分で高円寺駅前商店街のBUILDING-Kへ。設備設計の鈴木悠子さんも同行。1階はコンビニで2階から6階までが賃貸住宅。1階が一室空間なので人工地盤の上に小割りの賃貸住宅が乗っているように見える。しかし実際は4本の構造・設備コアがつくる5階建てのメガストラクチャーの上に2階建てフレームを載せ、2階から4階までの床は5階の梁から吊られている。構造・設備コアは外部に開かれており、各住戸の空調屋外機はここに置かれている。商店街の細かなスケールに合わせた外観と設備メンテナンスを統合するメガストラクチャーのアイデアは秀逸である。外壁のアスロック素地仕上げも潔い。しかし住居部分を単一の構造システムにしなかった点が今一理解できない。構造システムと設備システムの一致を優先させた強引な解決ではないかという疑問は残る。2階床を人工地盤的なメガストラクチャーにし、その上に軽い構造を載せても、おそらく同じような構成は可能だったのではないか。もちろんその場合は5階床を人工地盤にする必然性がなくなってしまうだろうが。ともかく明解なシステムがストレートに表現された構築的な建築である。余計な要素を削ぎ落としながらも、すべての部位に多重な機能を付与しようとするデザインは共感できる。見学終了後、近くの食堂で昼食をとりながらジュンク堂でのトークセッションと『建築雑誌』の企画の相談。両者の企画を結びつけるという基本方針を確認。2時過ぎ大学行。3時から「YES-NO展」打ち合わせ。僕はロゴ付きTシャツが苦手なので、可能な限り単純な線描にする方針を確認。夕方まで『10+1』50号を読みながら来週のシンポジウムでの対応を考える。鈴木博之、内藤廣、大野秀敏の三氏がパネラーだから『10+1』と同じ方向に議論が展開する訳がないので、僕としては少なくとも『10+1』の内容を前提条件として確認した上で議論を進めるように努力しよう。7時前、四谷駅前の宴会場へ。建設系3専攻の懇親会。建築学専攻からは西出、松村、柳原、僕の4教授のみだが、社基と都市工の2専攻からは20人余りが参加。ビールとケータリング料理で盛り上がる。堀井副専攻科長の挨拶の後、3専攻の専攻長が報告。最後に退職教授の挨拶。9時終了。9時半に事務所に戻る。栃内と明日の「131吉田邸」の引渡の打ち合わせ。「133沼田邸」の確認申請が認可されたので、来週末に着工することになった。10時半過ぎ帰宅。『CODE』は第3部に差し掛かる。


2009年03月12日(木)

10時大学行。10時半からコンドル賞の審査。僕と伊藤教授、松村教授、坂本教授が審査委員だが、坂本教授は所用で欠席。辰野賞を獲得した3人の学生に対し、先週提出された研修計画書を見ながらそれぞれ15分程度の面接。その後、審査委員で話し合い表彰者を決定。発表は卒業式当日とする。12時半から学科会議。鈴木教授の退職挨拶。隈教授の就任挨拶の後、来年度からの助教人事の方針について話し合う。職員担当の伊藤教授による基本案の説明の後、議論。重箱をほじくり出すような問題提起をする人がいて少々ウンザリする。専攻長として一喝したいところだが3月末にはお役御免なので簡単なコメントに止める。2時過ぎから教授会。隈教授の挨拶。人事投票3件。4時過ぎから学科長・専攻長会議。新3号館建設計画にともなう専攻配置と面積配分について執行部から説明。建設系3学科は現状維持のままだが、現3号館にいる専攻にとっては大問題である。完成後の専攻配置について一部の専攻から強力な反対意見が出て議論が紛糾する。6時終了。研究室に戻り「YES-NO展」の打ち合わせ。院生からのアイデアがなかなか展開しない。明日午後再度打ち合わせることにする。8時半事務所に戻る。来週火曜17日の東大・プリンストン大シンポジウムの準備。メタボリズムに関する資料に目を通していたら、シンポジウムのタイトル「東京メタボリズム2010/1960以後の50年」が『10+1』最終(50)号の特集とまったく同じであることに気づきビックリする。『10+1』特集は八束はじめさんの企画だが、シンポジウムに彼は呼ばれていない。シンポジウムは隈さんとライザー+ウメモトの企画だが、この点をどう考えているのだろうか。東大としてはやや不注意だったことにならないか心配である。司会の僕としては特集を読み込んだ上で、まずこの点を議論の俎上に乗せねばなるまい。10時半帰宅。『CODE』を読みながら夜半就寝。


2009年03月11日(水)

8時過ぎ出社。岩元が徹夜でココラボ住宅の図面を描いている。8時半過ぎに事務所を出て9時半に鷺沼駅で栃内と待ち合わせ「130鶴見邸」現場へ。外部の足場が取れてガルバリウム鋼板角波板張りの外観が姿を現している。北東側から見上げる外観は単純明快な箱である。おそらく「箱の家」の中でももっとも単純な箱だろう。2階の引違窓がやや気になる。外観だけ観ればこの窓は中止したかったところだが、室内からの眺めはこの方向が一番いいのでやむを得ない。室内は塗装工事がほぼ終わり建具や家具の工事中。2階の一室空間は広々としていて気持ちがいい。白色の半透明塗料で染めた木部も優しいテクスチャーである。3月末の引渡までにもう一度来ることを約して11時前現場を発つ。バス停まで歩きバスで梶ヶ谷駅に11時半着。田園都市線、大井町線、目黒線を乗り継いで12時前に洗足着。駅前で簡単な昼食を済ませ1時前に「131吉田邸」着。間もなく栃内も到着。端竿敷地の奥なので建物の全貌はほとんど見えない。南西側に空地があったがここも建築工事が進んでいる。道路からみた窓の配置が気になるが、これも採光面積の確保のためでやむを得ない。1時間弱かけて事務所検査。設備工事はまだ終わっていない。引渡寸前まで工事が続きそうだ。工事監督に引渡までに試運転を済ませることと何点か修正工事を依頼。2時からクライアント検査だが、後は栃内に任せて現場を発つ。3時前大学着。3時から法文2号館の改修委員会。文学研究科長以下、執行部と学生代表が参加。ゼネコン設計部から素案の説明を受けた後、質疑応答。自習室、セミナー室、ロッカー室の改修なので学生の意見が重視されるという姿勢に感心する。これは大学紛争以来の文学部の伝統だそうだ。建築学専攻では考えられない制度である。次回の会議日を決めて5時前終了。6時に事務所に戻る。夜は読書と原稿スケッチ。花粉症が加速し鼻水とクシャミが止まらない。

『CODE』は第2部第7章まで進む。いよいよ問題の核心に近づいてきた。6章で著者はインターネットのサイバー空間がアーキテクチャによって様々な方法によって規制されていることを、具体的な事例を紹介しながら明らかにしている。暗黙の規範の共有もインターネットにとっては重要な条件である。インターネットに商業が結びつくことによって政府による規制が強化されていくことを著者は警告する。すべてはアーキテクチャの設計に依存しているからだ。7章ではさらに一歩踏み込んでインターネットにおける規制のあり方を、政府による広汎な規制法の中に位置づけている。政府による規制には、法、社会の規範、市場、テクノロジーによるアーキテクチャの4種類がある。これらの規制法の相互関係を検討しながら、著者はインターネットによって実空間からサイバー空間にまで拡大した現代の空間が、アーキテクチャによる規制によってどのように変容しているのかを探ろうとする。要するに著者が明らかにしようとしているのは、インターネット時代における規制と自由の関係であり、両者の関係は不動ではなく変わり得ることに注意を喚起しているのである。


2009年03月10日(火)

午前中は年度末でやり残した専攻長の雑用。4月からこの時間から解放されると思うとホッとする。午後大学行。1時半から建築学専攻技術職員5人の面接。1人30分弱ずつ立て続けに2時間半のインタビュー。その後、難波研院生と短い打ち合わせ。5時過ぎに事務所に戻る。進行中のいくつかの仕事の短い打ち合わせ。夜は読書と原稿スケッチ。ここのところ眼がショボつき、やたらと鼻水とクシャミが出るようになった。どうも本格的な花粉症に罹ったらしい。10時半帰宅。

研究室に東京大学出版会の機関誌『UP』2009年3月号が届く。早速、鈴木博之さんの連載原稿を読む。今回は「物語と建築」と題したモダニズム建築批判と保存論。建築における歴史性を、ニュートラルな時間ではなく物語としてとらえるのは鈴木さんの真骨頂だろう。僕としてはエドガー・アラン・ポーが物語の構築や詩作に論理性を持ち込み、夏目漱石が『文学論』で創作論を展開したように、工学的手法によって建築デザインに物語性を導入する可能性を考えてみたい気がする。

以前から気になっていた『たそがれ清兵衛』(山田洋次:監督 2002)のDVDを観る。途中まで観て結末が手に取るように分かってしまったのは、物語が『幸せの黄色いハンカチ』や『寅さんシリーズ』とまったく同じ構造を持っているからである。僕は庶民的な日常性の尊さをくり返し描き続ける山田洋次の映画が大嫌いである。その理由は描かれている日常性それ自体を嫌悪するからではない。建築家としては建築における日常性をもっとも重要な条件とさえ考えている。日常性を描く山田の演出技術は尋常ではないので、山田の映画を観る人びとは感情移入によって日常性に埋没することにまったく疑問を抱かなくなり、世界や生活を変えようとする力を失う。僕が苛立つのは、描かれている日常的な世界と、創作という非日常性との落差に山田洋次がまったく矛盾を感じていないように思えるからである。それでも僕がくり返し山田の映画を見るのは、僕の中に潜む弱さの在処を確認すると同時に、そこに揺さぶりをかける山田の映画技術を何とか学び取りたいと考えるからである。要するに僕は山田洋次の物語性を嫌悪しながらも、一方で心を揺さぶられてしまう自分自身に苛立っているのである。


2009年03月09日(月)

6時半起床。早めに朝食を済ませた後、部屋でしばらく休みながら昨日のことを考える。安田講堂での一観衆としての体験と仙台での審査委員としての体験を比較すると、審査現場では不思議な力学が働いていることが分かる。個人の意志が確実に審査プロセスを駆動しているのだが、そのプロセスが絶えず個人の意志にフィードバックし、事態の進行を思いもかけない方向に導いていく。そのプロセスはまるで極小の歴史を観ているような感じなのだ。僕が空虚な感じにとらわれるのは、このような小さな世界においても意図と結果に避けることのできない大きな落差があるからである。10時前にホテルを出て徒歩で仙台駅へ。10時半の新幹線で正午過ぎ東京着。その足で大学へ向かう。製図室で東大生と藝大生がミーティングしている。就職の話をしているのでしばらく歓談。2時から「YES-NO」展ミーティング。いくつかの案を検討して方針を絞り次回ミーティングまでに具体的なデザインへ展開させるように指示する。4時過ぎ事務所に戻る。いくつか小さな打ち合わせ。夜は読書と原稿スケッチ。疲れが取れないので早めに就寝。

『CODE』を読み続ける。読み進むうちにインターネットにおける「アーキテクチャ」の意味が徐々に明らかになってきた。まずアーキテクチャ=環境管理権力という解釈は、やや意味が狭すぎることが判明した。しかし同時に建築設計との類似性からアーキテクチャ=システム構築と解釈することも意味が狭すぎることが分かった。両者ともアーキテクチャを論理的なシステムとしてとらえている点では共通しており、その点では間違っていないのだが、前者はアーキテクチャの機能に注目し、後者は形式に注目している点が異なる。本書ではアーキテクチャを、明確な意図にしたがってデザインされた情報システム(形式)であり、同時にそれを実際に駆動させた場合の働き(機能)を含むものとして定義している。つまりシステムの設計と実際の働きを一体のシステムとしてとらえるのがアーキテクチャの正確な定義なのである。だから当初の意図が環境管理をめざさないシステム設計もありうるという意味ではアーキテクチャ=環境管理権力というとらえ方は狭すぎするし、アーキテクチャを当初の意図されたシステム設計だけに限定し実際に働く効果を見ない点で、アーキテクチャ=システム構築という定義も狭すぎるのである。建築にとっては、当初の設計意図だけでなく、その働きまでもふくめてアーキテクチャと呼んでいる点が、これまでの建築のとらえ方と決定的に異なることに注意を喚起しておきたい。逆に言うと、インターネット・アーキテクチャは眼に見えるシステムではないから、建築において決定的な実空間や視覚的形態の美学のような視点は存在しないのだが、その点を建築からインターネット・アーキテクチャに逆輸入することを考えることができるかもしれない。


2009年03月08日(日)

6時起床。昨夜は還り酒を飲んで早めに寝たが熟睡できず、何度も目が醒めたので疲れが残る。朝食後、近くのコンビニで強壮剤を飲む。9時半ロビーで迎えの学生と会い、タクシーでせんだいメディアテークへ。10時半、妹島和世、梅林克、平田晃久、五十嵐太郎の審査員の顔ぶれが揃う。コメンテーターの石田壽一、馬場正尊、堀口徹、司会の槻橋修、予備審査員の小野田泰明、竹内昌義、中田千彦、本江正茂、堀口徹、櫻井一哉、世話役の志賀野桂一、清水有といった面々も集合。学生たちから審査スケジュールの説明を受けた後、審査員に2人の学生アシスタントがついて展示会場へ。応募作品は昨年よりも30点余増えて600余作品。美術館階の2層に渡って展示された模型とパネルから、昨日前審査によって選ばれた100数作品を中心に点数を付けていく。本来ならばすべての案をチェックしたいところだがとても時間がない。2時間で100作品余をチェックするだけでも大変である。お昼過ぎまでに審査員の投票点数を集計。昼食後、高得点の作品の中から23作品を選び、各審査員が推す作品を加えて予備審査。1作品ずつ議論しながら10作品に絞る。本江さんの手際よい進め方がまるで競市のようだ。ここでは高得点を得た作品が必ずしも残らないというドラマが展開する。僕は誰も推さない作品を1点強く推す。その後、会場を東北大学百周年記念ホールに移し、3時半から最終審査会。1作品ずつプレゼンテーションと講評。10作品の講評が一通り終了した後、7時過ぎから各審査委員が自分の審査の視点を述べながら全体講評と推薦作の発表。僕は世界的な新自由主義の浸透による建築産業の変容とそれに対応した建築家のあり方についてコメント。建築家としての個人的イマジネーションと社会性の乖離をいかに埋めるかが最大のテーマであることを述べる。僕は集合住宅と商業建築に焦点を絞って作品を選んだので、そちらの方向へ議論を誘導するように進める。審査員相互のかなり激しい議論のやり取りを経て、最終的に北海道大学による既存住宅地の小規模再開発計画が日本一に決定。僕としては地方大学の学生が日本一を採ってもらいたいと考えていたので納得できる結果となる。今年も京都大学の頑張りが目立ったが、僕には少しばかり演出過剰に見えた。しかし半端ではないエネルギーには感服。予備審査で僕が推した作品も特別賞を獲得した。8時半終了。表彰式と記念撮影を済ませて9時解散。その後、審査委員と主催者メンバーと遅い夕食。赤ワインとイタ飯で議論。学生たちのキャラクターを話の俎上に挙げて盛り上がる。関係者にとっては、それがイベントのひとつの楽しみ方なのだろうが、僕は落選した学生たちの気持ちを考えると、なかなか話に乗れない。11時半解散。ホテルに帰るがなかなか寝付かれず、『CODE』を読みながら1時過ぎ就寝。


2009年03月07日(土)

昨日の深酒でやや二日酔い気味。午前中は雑用と読書でボンヤリ過ごす。午後は気を取り直して原稿スケッチ。山代さんから届いた「東大―プリンストン大シンポジウム IMMINEBT DOMAINS」のポスターをHPにアップする。シンポジウムは東京と京都で開催し、東京では3月17日(火)に開催することは昨年から決まっていたのだが、会場が小さいのであまり大きな宣伝はできないと判断し、直前の周知となった。4時に事務所を出て東京駅へ。5時前発の新幹線で6時半仙台着。駅近くのホテルにチェックイン。ホテル内のレストランで夕食を済ませ、部屋でゆっくり休む。

新幹線の中で『バベル』(監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 2006)のDVDを観る。以前から菊池凛子の出演シーンだけを拾い観していたが、通しで観たのは初めてである。モロッコ、東京、メキシコでの事件が細い糸でつながり、偶然と必然が絡み合うことによって歴史が紡ぎ上げられるという壮大だがリアルな物語。同じような事件が世界中で頻発しているにちがいないと思わせるような監督の構想力に感心する。それにしても菊池凛子の体当り的な演技が際立っている。

『CODE:インターネットの合法・違法・プライバシー』(ローレンス・レッシグ:著 山形浩生+柏木亮二:訳 翔泳社 2001)を読み始める。ちょっと古いがインターネットによる環境管理権力のあり方に初めて注目した古典的な本である。先日読んだ『アーキテクチャの生態系―情報環境はいかに設計されてきたか』(浜野智史:著 NTT出版 2008)における「アーキテクチャ/環境管理型権力」の定義の原点を確認するために読むことにした。インターネットによって世界中に張り巡らされたウェブ・ネットが、現実空間とは別次元の自由に満ちたアナーキズムをもたらすというユートピア的幻想は打ち砕かれるというのが著者の主張である。最近になって自分のアドレスから発せられたようなスパムメールが激増しているが、これもウェブのアーキテクチャがコントロールしていることは明らかである。


2009年03月06日(金)

8時出社。冷たい雨が降っている。今日のスライド・レクチャーの最終チェック。10時前に事務所を出て東京ビッグサイトのセミナー会場へ11時前着。僕の前のレクチャーを済ませた野城智也さんと雑談。これから中央郵便局の保存問題の話し合いに行くとのこと。11時半から建築建材展セミナー。会議室には60人程度の聴衆。ほとんどが企業の設計部。「建築家が考えるエコハウス」と題して「箱の家シリーズ」の紹介。1時間のレクチャーだが『建築の四層構造』の説明に時間をとりすぎて尻切れトンボで終わってしまう。あまりうまくいかなかったので少々疲れた。2時過ぎ事務所に戻る。雑用と原稿スケッチ。6時過ぎに妻と渋谷へ。娘の誕生会。10時過ぎ事務所に戻る。昼間の疲れと赤ワインで少々グロッキー。早めに就寝。

『建築の規則:現代建築を創り。読み解く可能性』(坂牛卓:著 ナカニシヤ出版 2008)を読み終わる。意匠論をテーマにした博士論文で、「建築の4層構造」に引きつけていえば第4層に関する論考である。本書を読んで痛感したのは、意匠というテーマを単独に論じることの難しさである。著者はまず意匠を計画学や技術から分離した上で、意匠論のテーマをアリストテレスに倣って「質料軸」「形式軸」「関係軸」に分類して論じているのだが、質料軸を論じる際には建築材料に言及し、形式軸を論じる際には構造システムに言及している。要するに意匠を計画学や技術から分離することはできないということなのだ。その理由は、第4層が建築の様式・形態・空間というテーマの層であると同時に、第1層から第3層までを統合するメタレベルの層でもあるからだ。それにしても「モダニズムは形式主義を過度に主張した」という著者の指摘にはギョッとした。これも「形式」という言葉の多義性がもたらす混乱である。確かにモダニズムにおいては、装飾を排除して形態の純粋化・抽象化が行われたから、その意味では「モダニズムは形式主義である」と言えるかもしれない。しかし同時にモダニズムにおいては、フォルマリスム=形式主義という言葉は、技術や機能とは無関係な形態操作という批判的な意味で使われていた。この意味では、モダニズムとはむしろ機能主義であり技術主義というべきなのである。僕の考えでは、柄谷行人が『隠喩としての建築』で広汎に論じているように、モダニズム=形式化という定義は、眼に見える形態に注目するという意味ではなく、純粋化、抽象化、数学化、記号化という意味に解釈すべきではないかと思う。


2009年03月05日(木)

10時、ムジネット来所。「木の家2」プロトタイプの打ち合わせ。僕たちの案に関するムジネットの検討結果と概算見積の検討。設備家具に検討の余地がある。さらにコストを絞らねばならない。界工作舍からは吹抜のない別の案を提示。3月末までにさらに突っ込んだ検討を行うことになった。岩元と「ココラボ住宅」の家具見積を検討。界工作舍関係の家具屋ではコスト面で難しいことが判明。やはり家具は大工工事でつくるしかなさそうだ。午後大学行。学科会議で来年度の助教人事の議論。各系の担当者が集まってWGをつくることになった。年度末までに来年度の方針を確定せねばならない。2時半、フランスからのAUSMIP留学生との面談。国籍は中国。無印良品に興味を持ち何らかの仕事に関わりたいという。インターンシップが可能かどうかを打診してみることを約束。3時、難波研院生3人来研。TOKYOミッドタウン・デザインハブ主催「デザインのイエス・ノー展」の打ち合わせ。デザイン・コンセプトを決定。来週月曜日までに各人が案を作成するよう指示。4時、INAX出版の高田知永さんが藤村龍至さん、伏見佳子さんと一緒に来研。伏見さんはSD編集部の頃からの知り合いで藤村さんの本の編集者である。『建築の四層構造』と『1995年以後』の出版を記念して4月10日(金)に新宿ジュンク堂で開催するトークセッションの打ち合わせ。僕からはサステイナブル・デザインと批判的工学主義とのポジティブな相互批評にしてはどうかという提案。2人のテクノロジー観には共通点が多いので議論は間違いなく交差するはずである。僕と藤村さんの都市に対するスタンスの差異も議論のテーマとして興味深いが、その場合は世代論を避けて歴史的な視点から議論を展開したい旨を伝える。トークセッションとは別に、学会『建築雑誌』6月号に予定されている特集「批判的工学主義」に関連して、藤村さんの最近作BUILDING-Kの見学を要請される。6時、事務所に戻る。ココラボ住宅のスケジュール確認。夜は明日の建築建材展レクチャーの準備。藤村さんにもらった資料に目を通す。日建設計の川島範久君からレクチャー依頼のメールが届く。4月下旬に開催することになった。10時半帰宅。


2009年03月04日(水)

8時前出社。遠藤事務所も加わって全員がコンペ作業の続行。昨夜からプレゼンテーションは大幅にチューン・アップした。パタン・ランゲージを使った初めてのコンペ応募案が完成。いつもとはまったく様相の異なる案になったことが僕たちにとっては大きな収穫である。次回からはもっと本格的な方法へ発展させたい。11時過ぎに最後のプリントアウト。パネルに貼付け、井上が提出先に届けに行く。午後は原稿スケッチと読書。アルミエコハウスの初期スタディから思いついて、屋外室を持った「木の家2」のオプションプランをスケッチ。栃内に渡す。昨夜から事務所のエアコンが故障しているので事務所内が少々寒い。3時過ぎに業者がチェックしたが、原因は不明で明日再チェックになった。夕方になりますます寒くなったので、2階の床暖房を最高温度で稼働させる。皆コンペの追い込みで疲れているようなので7時前に解散。岩元はココラボ住宅の確認申請へ。無事受付を済ませ9時前に事務所に戻る。僕は引き続き読書と原稿スケッチ。11時半帰宅。

『建築の規則:現代建築を創り。読み解く可能性』を読み続ける。建築の「意匠」に焦点を当てた論文だが、前提となるコンテクストが理解しがたい。「エコロジーや情報という目標は精神的・概念的にならざるを得ず、建築の改革精神としての力が弱い」と切り捨てられているのだが、ならば現代建築は最新のテクノロジーとは無関係だということなのだろうか。『言葉と建築:語彙体系としてモダニズム』(エイドリアン・フォーティ:著 坂牛卓+邉見浩久:訳 鹿島出版会 2006)を翻訳した建築家としては、いささか信じ難い主張である。


2009年03月03日(火)

8時過ぎ、遠藤事務所がコンペ模型を持参。追加修正すべき点をチェック。9時過ぎに事務所を出て大学行。10時から田村誠邦氏の博士論文「ストック時代における居住者参加型集合住宅供給の実現プロセスに関する研究」の公開審査。主査は松村秀一教授、副査は都市工学専攻の大方潤一郎教授、生研の野城智也教授。大月敏雄准教授と僕の4人。田村氏が関わったコーポラティブ・ハウス、マンション建て替え、コンバージョンの事例とりあげ、その実現プロセスを詳細に比較分析した論文。田村氏は居住者参加型集合住宅供給のパイオニアであり、この種の研究としてはきわめてレベルの高い論文である。しかし僕の見るところ、肝心な問題が欠落している。「居住者参加型」といっている以上、住み手がどのような居住空間を求めているかが重要な前提条件であるにもかかわらず、その点がまったく論じられていないからである。もちろんプロセスがうまく進まなければ、そもそもプロジェクトは実現しないから、プロセスが決定的に重要であることは言うまでもない。しかしプロセスを駆動する居住者のポテンシャルは、目標とする住まいへの希望から出てくるのではないか。つまらない住まいでは誰も実現に向かって努力しないだろう。プロセスの研究者はそのような疑問を抱かないのだろうか。僕はかつて流行した設計方法論に対しても同じような感想を抱いたことがある。一言でいえば、WHATを捨象してHOWを論じることへの違和感である。とはいえ住宅供給において、このような分業体制はすでに社会的にも確立しているし、プロセスの専門家にとっては、この種の仕事が生業であり目標なのだから、僕の疑問は的外れなのかもしれない。論文審査は12時前終了。午後は建築学科図書室で『建築技術』(建築研究所:編)のバックナンバーを閲覧する。1960年代以降の建築技術の変遷を辿ろうと試みたが、雑誌の誌面だけからは明確な方向は読みとれない。特集記事はハードな建設技術の紹介ばかりで、ソフトなシミュレーション技術や制御技術はほとんどとりあげられていない。建築技術の変遷を概観するには別の方法を考えねばならないだろう。3時半に事務所に戻る。カメラマンの上田宏さんがコンペの模型を撮影している。5時前終了。夜、遠藤事務所が来所。コンペのプレゼンテーションの検討。修正点が多いが、作業はスタッフに任せて12時前帰宅。『建築の規則:現代建築を創り。読み解く可能性』(坂牛卓:著 ナカニシヤ出版 2008)を読みながら1時過ぎ就寝。

『歴史の〈はじまり〉』(大澤真幸+北田暁大:著 左右社 2008)は半分まで読んだところで中止。9.11以降の歴史の読み取りが大雑把過ぎるのと、歴史的事象の解釈に終始するばかりでついていけない。引き続き『住まいに居場所がありますか:家族をつくる間取り、壊す間取り』(横山彰人:著 ちくま新書 2009)を飛ばし読みする。ライフスタイルと住まいの平面計画の関係を論じたよくある住居論である。家族制度の時代変化には触れず、旧来の家族制度の維持を大前提にしている点や、家族のあり方と平面計画とを短絡的に結びつけている点は、陳腐で安易な住居論なのだが、藤森照信や隈研吾に並んで「ちくま新書」にラインアップされているところを見ると、こういう分かり易い住居論に飛びつく読者は意外に多いのかもしれない。結論の「住まいの三種の神器」が唯一の収穫。1)自分自身のための「小さな空間」 2)住まいに二つ以上の「無駄な空間」 3)家族の気配が分かる「広がりのある空間」。当たり前だが重要な条件である。


2009年03月02日(月)

今日は一日事務所。「技術の世紀末」の原稿スケッチ、年度末の職員評価のシートチェック。遠藤事務所とコンペの模型やレイアウトのチェック。昨日の3大学卒計合同講評会について考える。何となく盛り上がりの欠落と空虚さを感じたのは僕だけだろうか。6回も付き合って僕自身が食傷気味になってしまったのだろうか。学生は毎年入れ替わるのだから飽きることはないはずだ。東大だけを見ても、提出締切直前の学生たちの頑張りは例年通りだし、ポテンシャルが落ちているようには思えない。ただし意匠系の学生の集中力が落ちていることは確かだ。地盤変動が静かに、しかし確実に進んでいるような感じがする。意匠系の学生たちはデザインの社会的な根拠についてニヒルになっているのかもしれない。もはやリアリティよりもイマジネーションの力を試すことが卒業設計の目的になりつつあるのだろうか。夕方、古市徹雄さんから電話。来週末の千葉工大の卒業設計・修士設計講評会に誘われるが、残念ながらその日は専攻長の外せない仕事がある。今週末のせんだいの卒業設計日本一の勢いを伝えるいい機会だったのだが、少々断念である。11時前帰宅。

1970 年以降の現代史を確認するために『歴史の〈はじまり〉』(大澤真幸+北田暁大:著 左右社 2008)を読み始める。1972年の赤軍派事件と1995年のオウム・サリン事件を比較検証しながら、1970年代の「自己否定」の論理による「理想の時代」の終焉と、1990年代の内面性の欠落による「虚構の時代」への転換へと話が展開する。1995年以降のオタクの時代には、メタレベルが常にオブジェクトレベルに平準化されるという時代分析は魅力的ではあるが、分析がいつも社会的な現象論に終始し、決してモノ(建築・都市)に到達しない。生産の時代から消費の時代へという転換を前提にした社会学には、思想が変れば世界が変わるという無意識的な価値観が隠されているように思える。思想だけで自己完結などするはずがないのは当たり前なのに、なぜだろうか。


2009年03月01日(日)

昨夜は早めに寝たので、どうやら風邪は抜けたらしい。午前中事務所。栃内と井上がコンペの作業を続けている。午後1時過ぎ大学行。2時前に安田講堂の三大学卒業設計合同講評会へ。控室にはゲストクリティークの菊竹清訓、佐々木睦朗、長谷川逸子、松原弘典、岸健太、石上純也の6人に加えて、鈴木博之、六角鬼丈、坂本一成の3人のゲスト、隈研吾、安田幸一、奥山健一、塚本由晴といった人たちの顔も見える。2時から講評会開始。12人の学生が3人一組で、各3分ずつのプレゼンテーションの後、約20分間の講評。4ラウンドくり返し、その後ゲストクリティークの総評と投票によって3人に絞り込み、最終投票でグランプリを決める。来週の仙台での公開講評会のことを考えながら聴く。東大は男性2人、女性2人、藝大は女性4人、東工大は男性4人という布陣だが、最終的にはグランプリを初めとして女性陣の圧勝。東工大が振るわないのは相変わらずだが、何か原因があるのだろうか。東大に関しては例年通り学内と学外の評価は逆転。最後に今年3月一杯で定年退職を迎える坂本、六角、鈴木の3教授が挨拶。各大学の設計教育について簡単なコメント。6時前終了。6時半から製図室にて懇親会。8時に本郷三丁目の居酒屋にて打上げ。合同講評会は今年3回目でやや弛緩気味なのと、来年は東大の助教メンバーが完全に入れ替わるので、次回は趣向を変える必要があることについて議論。10時解散。11時前に事務所に戻る。井上と岩元が仕事を続けている。石山修武さんに電話。『建築の四層構造』についてのコメントをもらう。少しずつ反響が出始めているようだ。12時帰宅。さまざまな人たちに会った「祭りの後」で、いつものように空虚な気持ちに囚われる。


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