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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2009年01月31日(土)

昨夜から冷たい雨が激しく降り続いている。しかし朝8時半の事務所内気温は21度。アクアレイヤーの蓄熱+天井放射効果は絶大である。10時半からスタッフ全員でムジハウスの打ち合わせ。フットプリントを最小に抑えた案と一回り大きいサイズの案の2案を検討。敷地条件を明確にするために想定地域についてムジネットに問い合わせるよう栃内に指示。午後はスタッフ全員で木造コンペのプレゼンテーションのエスキス。僕はアレグザンダー・レクチャーの準備、原稿スケッチ、読書。模型撮影。稲山さんと構造コメントについてやり取り。6時過ぎ所内掃除。8時過ぎにふたたび事務所に出る。スタフは居残ってコンペ作業。僕はスケッチと雑用。9時過ぎ解散。10時帰宅。

TV『美の巨人』で加山又造の「冬」を観る。枝だけになった樹木が林立する、凍てつくような雪山の空間の中に、彷徨う2匹の痩せた狼と、樹上に盲目の烏が描かれている。揉み和紙の上に黒い線だけで描かれたモノクロームの空間。プリミティブだが静謐な迫力を感じさせる。構図はピーテル・ブリューゲルの「雪中の狩人」に倣ったのだという。幼い頃、加山は北斎の浮世絵漫画に描かれた動物をひたすらコピーしていたともいう。加山は和紙の揺らぎと明確な線に日本画の可能性を見出したようだ。加山には一度だけ1970年代初期に池辺陽が主催していた「環境と工業を結ぶ会」のシンポジウムで会った事がある。確か「日本の色と形」というテーマのシンポジウムだった。池辺は同世代の加山の日本画を高く評価していた。物静かで一言一言をつぶやくように喋り、一緒に食事をしたときも、ほとんど眼を伏せて話したが、時々顔を上げた時、眼の中に光を感じて背筋に戦慄が走った記憶がある。そういえば先日、乾久美子さんから開催中の『加山又造展』の案内をいただいた。乾さんは展覧会の中の第6章<生活の中に生きる「美」>の会場構成を担当したそうだ(http://kayamaten.jp/)。


2009年01月30日(金)

10時半クライアント候補夫妻が来所。敷地はまだ決まっていないが「箱の家」の設計の依頼方法やコストについて相談に来た。スケジュールや設計仕様について概略を説明し、3月に開催予定の「箱の家」のオープンハウスを案内することを約して12時前終了。岩元と1時前に事務所を出て新橋のコスモスイニシア本社へ。玄関ホールで院生5人と待ち合わせて会議室へ。1時半から実施技術部とゼネコンを交えて総勢18人による図面検討会。スケジュールの確認、見積査定の概略説明の後、詳細な実施図面検討に着手。コスモスイニシア技術部の質問に対し、院生の返答がはっきりしないので苛々する。やむを得ず何度も助け舟を出す。4時間かけてすべての図面をチェック。院生は設計の細部まで突っ込まれてかなり戸惑ったかも知れないが、これが建売住宅の設計手順である。すべての条件を前もって把握し安全を確保しようとするから、必然的に前例に倣った保守的なデザインになる。それでも前に進むためには、かなりのエネルギーが必要になる。界工作舍の基準に比べるとかなり過剰な仕様に思えるが、コスモスイニシアの方針を無下に拒否しては共同研究にならない。現設計は依然として単純明快なデザインを保っている。何とかこのまま実現させるように努力せねばならない。6時前終了。新橋のガード下の居酒屋で短時間の慰労会。来週からの作業にハッパをかける。7時半過ぎ解散。8時前に事務所に戻る。『住宅建築』編集部から3月号の校正原稿が届いていたので早速校正し返信。『マテリアル』の対談原稿の最終稿が届いたのでチェックバック。11時前帰宅。雨が激しくなってきた。『隷属への道』を読みながら夜半過ぎ就寝。第9章「保障と自由」では社会保障の計画化がもたらす弊害について論じている。

山本理顕さんから『住宅建築』2月号「山本理顕特集:住宅を地域社会に開くということ」が届く。早速、山本理顕×平良敬一×日埜直彦鼎談「ドラゴン・リリーさんの家までの変遷」を読む。「山川山荘」から「ドラゴン・リリーさんの家」にいたる理顕さんのテーマが、住宅内部から都市へ徐々に重点を移していることがコンパクトにまとめられている。図式をそのまま明解に空間化したような理顕さんの建築と、空間の部分を切り取るような大橋富夫さんの写真との緊張感が興味深い。


2009年01月29日(木)

10時大学行。10時半から伊東忠太賞の選考委員会。出席者は僕を含めて4人。各人が自分の意見を述べた後ディスカッション。候補となった卒業論文すべてを読んだのは僕だけなので、専攻長としての選考案を述べ、原案通り承認される。早速、簡単な講評をまとめて投票に参加した教員にメール報告。結果について建築学科会議に諮り、承認を受けてから卒業式で最終発表と表彰を行う予定。12時半から学科会議。次期専攻長について話し合い、西出和彦教授に決定。紆余曲折はあったがスムースに決まってホッとする。2時半から研究室会議。ココラボ研究の進行状況の報告と留学生の研究報告。4時半、研究科長と面談し、人事に関する込み入った相談を受ける。専攻としては明確な方針は出せない問題なので、対応は研究科長に一任する。専攻長の任は残すところ2ヶ月。まだ何かありそうな気配である。6時に事務所に戻る。8時に遠藤政樹君とスタッフが来所。コンペの第1回打ち合わせ。応募要項の分析とプログラムの検討。10時前終了。引き続き岩元とココラボ見積査定の打ち合わせ。11時半帰宅。

「箱の家124」の佐藤夫妻からレヴィ=ストロース関連の情報が届く。100歳にしてなおも矍鑠としている彼の姿に見入る。僕にとっては明晰さと「対称性思考」を極めた師匠である。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2543895/3565325


2009年01月28日(水)

9時半大学行。10時から松波秀子氏の博士論文審査会。主査は鈴木博之、副査は藤森照信、伊藤毅、藤井恵介、僕の4人。明治から大正初期にかけて活動した建築家・田邊淳吉の研究。生誕から東京帝大時代の交友、清水建設時代と独立後の仕事を詳細に調べ上げた資料性の高い労作だが、日本の近代建築史における歴史的な位置づけが今一よく分からないのが少々不満である。近代建築家研究はまだ端緒についたばかりなのでやむを得ないのかもしれないが、歴史的な位置づけが明確でないと、今後の同種研究の基準が曖昧になる恐れがある。午後は明日の伊東忠太賞の選考会議の準備で候補論文に目を通す。案の定、論文自体は発表時の印象と大きく異なっている。専攻長としての選考結果について熟考する。3時前事務所に戻る。工務店からココラボ住宅の見積が出てきたが、予想以上の金額なので詳細な査定を行う必要がある。慣れない工事のために安全を見ている部分が大きいようだ。いずれにせよ今後ネゴシエーションに時間がかかることが予想される。この作業はさすがに院生に任せる訳にはいかない。木造コンペの模型の全貌が見えてきた。まったく新しい構法の試みなのだが、それほど過激に見えないのは木質構法のせいだろうか。夜は原稿スケッチと無印住宅のスケッチ。

AMAZONから『遠近の回想:増補新版』(クロード・レヴィ=ストロース+ディディエ・エリボン:著 みすず書房 2009)が届く。15年前に一度読んだ本だが、前書の出版2年後の対話が追加された増補版なので、どうしても再読してみたくなった。レヴィ=ストロースは1908年生まれだから今年100歳を越えたところである。

『隷属への道』は、第7章「経済統制と全体主義」まで来た。全体主義は経済統制から始まることを歴史的・論理的に検証した章である。第5章「計画化と民主主義」第6章「計画化と法の支配」では計画経済が必然的に民主主義や法の支配を阻害する結果になることを検証している。個人の計画と国家の計画の間に横たわる不連続な溝はどの辺りにあるのかを考えながら読み続ける。


2009年01月27日(火)

10時大学行。10 時半前に稲山正弘さんが来研。稲山さんが構造コンサルタントを担当している埼玉県の戸建ディベロッパーとの共同開発を打診される。稲山さんの指導で開発した複数の木造新構法を集中的に応用した戸建住宅である。面白そうなので一度話を聞く約束をする。10時半からココラボ住宅の構造打ち合わせ。品確法の関係で再検討が必要な構造システムについて話し合う。12時終了。昼食後、午後1時半からココラボ住宅実施設計の研究室打ち合わせ。今週金曜日のコスモスイニシアでの図面検討会の準備。実施図面は一通り揃ったので、変更点をすべて図面化し外壁仕上げと手摺スクリーンの見本を用意することにする。外装材の候補を絞り込むため1号館前に出て自然光の下で見本を並べてみる。3時終了。雑用をこなし4時過ぎに大学を出たところで鈴木博之さんとばったり会う。後楽園駅まで雑談。短い時間でいろいろな情報を交換。5時前に事務所に戻る。岩元とアルバイトがコンペの模型をつくり続けている。上田さんの撮影は明後日に決まる。夜は読書とスケッチ。無印住宅のプラニングスタディを続ける。

石山研究室から『アニミズム周辺紀行-1』(石山修武:著 2009)が届いたので一気に読み通す。世田谷村日記に並行して石山さんが断片的に書き綴ってきた文章をひとつにつないだ断想集といったところ。なかでも「韓国紀行」がすこぶる面白い。アニミズムとは土地から半ば離れかけた精霊あるいは前近代の記憶を止めたモノと言いえばいいだろうか。読み進むにつれて、石山さん自身がアニミズムの体現者のように思えてきた。土地との結びつきを失った典型的な都会人である鈴木博之さんが土地の精霊(ゲニウス・ロキ)を追い求め、典型的な農民出身である僕が近代化に憧れて、あらゆる精霊から逃れようとしているのだとすれば、都市と農村を往還する石山さんは、土地から遊離して世界を漂う精霊を追い続けているのではないか。煎じ詰めれば、誰もが自分の欠落部分を埋める何モノかを探し求めているわけである。


2009年01月26日(月)

8時半に事務所を出て9時過ぎ大学行。すでに修士設計の最終講評が始まっている。東工大の安田幸一さんによる「交番+α」という課題。例年になく留学生が頑張っており日本人学生の作品もレベルが高い。課題が適切だったのと安田さんの指導によるところが大きいことは確かだが、何よりも詳細図まで描かせている点がいい。お昼までに20人余りの作品を講評。12時前、安田さんを交えて、講評に参加した大野さん、千葉さん、山代さんと昼食。来年度から安田さんは学科長になるので設計製図の非常勤を引き受けられないとのこと。午後1時半から3年設計課題最終講評。約60人の案を一挙に観る。修士設計に比べると明らかに幼いのはやむを得ない。3年の最初の課題時に比べると大きくジャンプした学生や伸び悩んでいる学生など様々だが、総じて皆頑張っている。明らかに石山修武さんの激励が彼らの背中を押したことがよく分かる。講評は基本的にエンカレッジが大切であることを改めて痛感する。6時前終了。直ちに設計製図会議。来年の課題スケジュールについて議論。僕は今年度一杯で設計製図先導役を誰かに移譲したい旨を伝える。設計製図の人員構成も大きく様変わりするので、プログラムを再編成する必要がある点も確認する。6時半終了。製図室では4年生が一斉に卒業設計のための机の配置換えを始めている。2月8日(日)の卒計締切まで残すところ10日間。この間、製図室は修羅場となる。7時半事務所に戻る。インターネットで給与と経費の振込。その後原稿スケッチと雑用。10時半帰宅。

『隷属への道』は第4章「計画の不可避性」に差し掛かる。本書が第二次大戦最中の1943年に書かれたことを念頭に読む必要を痛感する。ハイエクにはケインズの戦時計画経済的思考に対抗する意図がはっきりあったに違いない。


2009年01月25日(日)

9時に出社。午前中は原稿スケッチと雑用。昼前に事務所を出て大学へ。製図室では多くの3年生が作業中。明日の最終講評へ向けての追い込みだろう。1時半から卒業設計のエスキス。初めてエスキスを受ける学生もいてコンセプトの議論に手間取り、煮詰まったプロジェクトの学生には最後のフィードバック・アドバイスを与えようと試みるが、守りの姿勢になって、こちらも時間がかかる。今日は最後までとことん付き合うつもりでいたが、いつになく疲れが重なり、残り数人の学生には申し訳ないが7時過ぎで限界。8時過ぎに事務所に戻る。岩元とバイトの学生がコンペの模型製作中。納まりについて打ち合わせ。11時過ぎ帰宅。『隷属への道』を読みながら夜半就寝。

『もっとも美しい対称性』(イアン・スチュアート:著 水谷章:訳 日経BP社 2008)をザッと再読し問題点を整理する。群論をうみ出したガロアの次の転換点は、ウィリアム・ローワン・ハミルトンによる数学と物理学の交差である。ハミルトンは群論によって、論理的一貫性を追究する数学と、実験による数理モデルの検証を重視する物理学が交差することを発見する。対称変換を追究する群論によって、合理主義と経験主義が奇跡的に合致したわけである。これが理論物理学の誕生である。群論を量子力学に導入したユージーン・ポール・ウィグナーはこう言っている。「第一のポイントは、自然科学における数学のとてつもない有用性は神秘的とも言えるもので、それに対する合理的な説明は存在しないということ。第二は、我々の物理学が唯一のものかどうかという疑問を抱くのは、数学的概念がこの神秘的な有用性を持つからにほかならないということ」。さらにポール・ディラックは、自然法則は数学的であると同時に美しくもなければならないと主張する。彼にとっては数学的な美しさが物理的真理の強力な手がかりとなる。『シンメトリー』を書いたヘルマン・ワイルや、行列力学を考案したウェルナー・ハイゼンベルクも、同じようなことを主張している。だとすれば、カントが言ったように、美しさは科学者の主観的な判断ではなく、自然界の属性ということになるのだろうか。この問題は、構造主義における「主体なきカント主義」を連想させる。発見された構造は思考によってつくり出されたものか、あるいは対象に潜在するものかという決定不能な問題である。本書の著者の結論はこうである。「物理学においては、美は自動的に真を保証するわけではないが、その助けにはなる。数学においては、美は真でなければならない。偽はすべて醜いのだから」。美(シンメトリー)は主観的ではあるが、論理的な一貫性を持った群を成すがゆえに客観的である。それが世界の構造に一致する場合、美は世界の属性となる。しかし常にそうなるとは限らないということである。


2009年01月24日(土)

10時半から「木の家」打ち合わせ。栃内が開発の課題をリストアップすることからスタート。構法が重要であることは当然だが、まずはプラニングと環境制御に関連した建築システムを検討すべきであることを確認。基本方針について話し合い2階建と3階建のプロトタイプを試みることとする。午後は原稿スケッチとアレグザンダー・レクチャーの準備。3年前に引っ越して以来、ダンボール箱に入れ放しになっている資料を探しまわるがなかなか見当たらず頓挫。ココラボ住宅の見積が届いたが、内訳のない一式見積ばかりなので査定が難しい。とりあえず「箱の家」の基準を参考にして可能な部分だけを査定するよう岩元に指示。6時掃除。6時半解散。岩元とバイトは居残り深夜まで模型製作を続行。10時帰宅。TV番組『美の巨人』でハンス・ホルバインの「大使たち」を観る。英国王ヘンリー8世、トマス・モア、エラスムスとの交流も興味深いが、それ以上に彼の超絶的なリアリズム描写の技巧に引込まれる。ロンドンのナショナル・ギャラリーでほぼ等身大の実物を一見したくなった。

INAX出版から出る本のタイトルが『建築の四層構造:サステイナブル・デザインをめぐる思考』に決まる。他にもいくつか候補があったが、編集部と相談した結果、全体を通底するテーマに焦点を当てたタイトルが相応しいということになった。表紙デザインはレモンイェローに細かな銀色の斑点を入れた繊細な地の上に、黒と銀色のタイトル文字。これで編集作業はすべて終わったので2月中には出版されるだろう。

『隷属への道』(F・A・ハイエク:著 西山千明:訳 春秋社 2008)を読み始める。15年前に一度読んだ本だが、ケインズの後でもう一度読んでみたくなった。ミルトン・フリードマンが1994年に書いた序文にはレーガン大統領やサッチャー首相への批評的言及がある。民主党大統領バラク・オバマ政権の誕生によってケインズ主義が復活することになるかどうか。ケインズに対峙したハイエクの自由主義と比較しながら見極めてみたい。


2009年01月23日(金)

9時半、日本経済新聞文化事業部が来所。3月にビッグサイトで開催される建築・建材展でのレクチャーの打ち合わせ。同じ企画で生研の野城智也さんも参加するらしい。昼前に事務所を出て大学へ。1時半から2年生住宅課題最終講評。50人の案を一気に見る。僕は可能性のある案だけについてコメントする。平倉さんが設定した設計条件がよかったせいか、いくつか興味深い案があり、久しぶりに充実した講評だった。今年の2年生にはユニークな学生が多い。来年度の設計課題が楽しみだが、設計製図担当の教員体制を維持できるかどうか一抹の不安が残る。インターネットで「京都大学人員削減」というニュースを見つけた。非常勤講師を大幅に削減するという内容である。東京大学のコメントもあるが京都大学とはややニュアンスが異なる。いずれにせよ文部科学省の予算削減が(前)国立大学にも徐々に迫ってきている。東大も例外ではないだろう。設計製図の非常勤講師が今後も確保していけるかどうか気になる記事である(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090123-00000550-san-soci)。5時過ぎ終了。その後しばらく鈴木博之さんと関西旅行などについて相談。6時からコスモスイニシアとココラボ住宅実施設計の定例ミーティング。来週金曜日がコスモスイニシアとの第1回図面検討会である。それまでに隙のないように設計を詰めねばならない。8時終了。製図室では3年生が来週月曜日の最終講評に向けて作業中。何人かの学生と雑談。9時半過ぎに事務所に戻る。木造コンペの簡単な打ち合わせをした後、11時過ぎ帰宅。『もっとも美しい対称性』を読み終わる。最終章の数学と物理学の相互乗り入れと「超ひも理論」になると、ほとんどついていけない。数学的内容よりも対称性という考え方から読み替えることができるかどうか、週末に再読してみよう。


2009年01月22日(木)

一昨日アタゴ本社にipodを忘れてきたので昨日今日とスケジュール把握が不確定で落ち着かない。9時過ぎに事務所を出て小雨の中、洗足の「131吉田邸」現場へ。外壁ガルバリウム鋼板張りの工事中。内部はアクアレイヤー工事が終了し内装のシナベニヤ張りの工事中。大工さんから2階床下の配線方法についてアドバイスを受ける。配線用の下地合板を張るよりも背の低い根太を敷く方がずっと合理的だと言われて、僕たちが床を薄くすることに拘り過ぎでいたことに気づく。コロンブスの卵である。15ミリほど床の厚さが増えるけれど、コストパフォーマンスから考えれば雲泥の差である。「箱の家」だけでなくココラボ住宅にも適用しよう。12時大学行。12時半学科会議。次期専攻長についての議論。2時過ぎから教授会。退職教授の挨拶と新任教員の投票。世代交代は確実に進行している。しかし新任のほぼ全員が外部資金による特任教員であることが時代を反映している。5時半から学科長・専攻長会議。外国人留学生の大麻事件の報告。難波研にも留学生が多いので注意を喚起しよう。6時半過ぎ研究室に戻る。直ちに研究室会議。修論中間報告。徐々に中味が濃くなっているが、歴史が現代へ向かって収斂しているような論理だけは避けるようにアドバイス。これは論理を組み立てるとき陥り易いヘーゲルの亡霊である。9時過ぎ事務所に戻る。ipodが戻ってきたので早速パソコンに同期させる。木造コンペの打ち合わせ。ディテールについてエスキス。かなりアグレッシブな提案なので。リアリティに問題がないことを証明するような説得的なディテールを考案する必要がある。11時過ぎ帰宅。『もっとも美しい対称性』は最終章にさしかかる。夜半過ぎ就寝。


2009年01月21日(水)

8時半、青山歯科医院。毎月定例の歯垢除去と歯茎メンテナンス。1時間で終了、10時、鷺沼駅で栃内と待ち合わせ。「131鶴見邸」現場行。屋根防水工事、アルミサッシ工事、外装断熱パネル工事が終わっている。内部は床下地が完成しガラス取付工事の最中。出隅入隅の断熱工事をチェック。床は根太工事まで進んでいる。今週末にアクアレイヤー工事の予定。昼前に事務所に戻る。午後1時半、岩元と難波研院生2人が参加し、住宅性能評価の専門家とココラボ住宅の品確法に関する第1回目の打ち合わせ。書類作りが面倒そうだ。終了後アレグザンダー講義のための資料整理。5時から難波研院生5人が加わりココラボ住宅実施設計の打ち合わせ。コスモスイニシアから届いたチェック図面を検討。確認申請と品確法の図面確認。7時半過ぎ終了。院生と夕食。夜は引き続きアレグザンダー講義の準備。10時半帰宅。『もっとも美しい対称性』は無理数から複素数へと進み、ウィリアム・ローワン・ハミルトンにおいて対称性の幾何学が光の物理学と交差する。アイアンシュタインまであと一歩である。

鹿島出版会の伊藤公文さんから『TOYODA HIROYUKI 1946-2000』が届く。白井晟一とカルロ・スカルパに師事しヴェネチアと日本で仕事を展開した建築家・豊田博之氏の作品集である。豊田氏は僕と同世代だが2000年に54歳で亡くなった。夫人の侑子さんが豊田氏の友人である伊藤公文さんに頼んで自費出版されたのだという。細部までつくり込まれたスカルパ仕込みの住宅や家具が印象的である。

毎年恒例の関西旅行のプログラムがまとまる。今年は鈴木博之さんを囲む最後の旅行なので、奈良から京都へ進むオーソドックスな旅程。京都では安藤忠雄さんの大山崎美術館を見学する予定。何とか石山修武さんにも参加してもらい一緒に南大門と三月堂を見学したい。


2009年01月20日(火)

10時大学行。11時から博士論文講評会。歴史研の2論文の副査を担当。1時半に事務所に戻る。。木造コンペの簡単な打ち合わせ。2時過ぎに井上と事務所を出て、タクシーでアタゴ本社へプレゼンテーション模型を搬送。社長と短い立ち話。正月にドバイを訪問したが、不景気の影響はあまり見られなかったそうだ。明日からは中国の調査に行くという。4時に事務所に戻る。パタンランゲージ講義の準備を始めるために資料整理。6時過ぎに事務所を出て銀座へ。PHP編集部2人、芦澤泰偉さんと会食。『建築家は住宅で何を考えているのか』の打ち上げと次回の出版企画の話し合い。『箱の家に住みたい』の新書化について話し合う。とはいえ現在準備中の本が出ないと頭の切り替えは難しい。少し時間が必要だろう。10時過ぎに事務所に戻る。あちこち動き回ったので考える時間の少ない一日だった。


2009年01月19日(月)

10時、まちなみ環境委員会のメンバー3人が来所。2月6日(金)のパタン・ランゲージに関する講演会の打ち合わせ。11時カメラマンの藤塚光政さん来所。英国に現存する最古の鋳鉄造工場に関する問い合わせ。鋳鉄柱の柱頭のヴァリエーション、鋳鉄梁、レンガ造ヴォールト、タイバーなどについて話す。昼前に事務所を出て大学へ。1時過ぎから卒業設計エスキス。9人の案を見る。プログラムやイメージは面白いが、まだ先は長い。しかし時間がない。前提条件の探索は早々に切り上げて、言葉にならない空間に突き進んでほしい。今週末に最後のエスキスの時間を行うことを約す。5時まで専攻長の雑用。西出教授、伊東教授との短い相談。5時前、隈研吾さん来所。教授就任の事務的な相談の後、東大・プリンストン大シンポジウムの相談。会場が小さいので学内だけの小規模な会にすることを決定。その他、細部の手順打ち合わせ。6時半に事務所に戻る。原稿スケッチ。

伊東豊雄さんから『TOYO ITO RECENT PROJECTS』が届く。「せんだいメディアテーク」以降の10年間のプロジェクトをまとめた作品集である。最近の伊東さんはさまざまなアルゴリズムを駆使することによって揺らぎのある不安定な秩序を探究しているようだ。僕が『10+1』に書いたモデュールに関する記事について、以前、伊東さんが「最近は自分なりのモデュールを追究している」とコメントしてくれたことを想い出す。特定の形のルールを決めて、それを展開させるアルゴリズムは、まさに現代のモデュールにほかならない。

石山修武さんが世田谷村日記(http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/top.html)で「箱の家」と「無印住宅」についてコメントしている。大部分は賛同できるが、以下の指摘に引っかかる。「難波氏の思考は極めて論理的である。ただし、建築世界の内で。その論理は、自然な事ではあるが、大野的生産の論理から、色濃く消費の論理へと移行している」。この指摘は少々的を外れているように思う。僕としては「生産の論理から生活の論理へ移行している」と修正してもらいたいところである。大野勝彦さんがセキスイハイムを開発した1960年代の工業化住宅は確かに生産の論理でつくられていたが、1970年代のポストモダン期には消費の論理が支配的になった。工業化住宅は当初の「作り方」の論理から「売り方」の論理へと転換したわけである。そこには「住まい方」の論理が欠落していた。現在のハウスメーカーの工業化住宅は、依然として消費の論理に依存している。これに対して「箱の家」や「無印住宅」は消費の論理を突き抜け、生活の論理へ向かっている。僕のテーマは生産の論理(工業化)と生活の論理(ライフスタイル)を結びつけることである。その点をぜひ見極めてもらいたい。


2009年01月18日(日)

7時半起床。ゆっくりと朝食を摂り9時に出社。午前中は木の家スケッチと原稿スケッチ。11時過ぎに事務所を出て大学へ。今日はセンター試験なのでいつも通る西片門は閉鎖されている。正門まで回りチェックを受けてキャンパスに入る。1時から約束していた卒業設計エスキス。学生たちのアイデアを詳細に聞くとどの案もそれなりの可能性があることに驚く。プログラムについては問題ないようだがどう建築化するかが勝負である。ほとんどの案が詳細な展開はこれからなので、展開可能性のアイデアと方向性だけを示唆する。9人のエスキスをこなし5時過ぎ終了。6時過ぎに事務所に戻る。夜はメディアデザイン研究所から届いたINAX本の最終稿をチェック。原稿を何度も読むとますます書き直したくなってしまうので、詳細に読み込むことは避け、全体の流れをざっと見通すに止める。

『もっとも美しい対称性』を読み続ける。ルネサンス以降、代数学は急速に進展し18世紀には多次元方程式の解法問題が主題として浮かび上がる。5次方程式の解法の不可能性を証明したノルウェーの数学者ニールス・ヘンリック・アーベルとフランス革命後の混乱の中で政治と数学の間を揺れ動きながら群論を発明したエヴァリスト・ガロアの2人の天才の悲劇的な最期には胸が詰まる。ガロアが提唱したガロア群によってふたたび幾何学な観点が登場し「対称性」の概念が正確に定義されることになる。群と対称性の関係について著者はこう述べている。
「ガロアの後を継いだ者たちはすぐに、群と対称性との関係は幾何学を使うともっと容易に理解できると気がついた。(中略)対称性という言葉は、一つ二つと数えられるものとして解釈し直さなければならない。物体は単に対称性を持つだけでなく、いくつもの異なる対称性、対称変換を持ちうるのである。それでは、対称変換とは一体何だろうか。ある数学的物体の対称変換とは、その物体の構造を保存するような変換のことである。対称変換とはものではなくプロセスだということだ。(中略)対称性の定義には〈変換〉〈構造〉〈保存〉という三つのキーワードが含まれる。」
ここまで読んで僕はふたつのことを想い出した。クロード・レヴィ=ストロースの『構造人類学』とクリストファー・アレグザンダーの「センタリング(中心性希求)プロセス」である。前者は神話の構造が自然界の対象がつくるネットワークの構造保存変換であることを明らかにし、後者は空間生成プロセスの原理である「センタリング(中心希求)プロセス」の法則が構造保存変換であることを提唱した。変換のプロセスに注目する点で両者は共通している。変換によって構造が保存されることが「対称性=対象変換」であるのならば、視覚的な対称性はそのなかでどのような位置を占めるのだろうか。


2009年01月17日(土)

8時半出社。アクアレイヤー水温は30度、事務所気温は19度。年末から1月半ばまでの電気使用量の記録が届いたが、正月休みを挟んでもかなり増加している。せんだいデザインリーグ2009実行委員会から「卒業設計日本一決定戦」のプログラム、ポスター、昨年のオフィシャルブックが届く。最終審査は3月8日(日)。僕以外の審査委員は妹島和世、梅林克、平田晃久、五十嵐太郎の5人に決まったようだ。公開審査の司会は槻橋修、コメンテーターは石田寿一最、馬場正尊、堀口徹の3人である(http://gakuseikaigi.com/nihon1/09/)。僕の最初の仕事はオフィシャルブックの原稿を書くことのようだ。10時、花巻、岩元と「133沼田邸」の査定と減額案の打ち合わせ。何とか第2案で収斂させたい。11時から木造コンペ打ち合わせ。ダブルスキンの詳細をスケッチ。12時前にスタッフ全員で事務所を出て、昼食をとった後、湘南新宿ラインで鴻巣駅へ。駅前で龍光寺夫妻の車にピックアップしてもらい、龍光寺君の最初の作品「赤城の住宅」へ。昨年初めに龍光寺が担当し入選した住宅コンペを連想させるシルエット。まだ工事中で玄関周りには立ち入れない。正式なオープンハウスは来週土曜日だという。全体として「箱の家」の雰囲気は残っているが、構成は大きくモディファイされ、内部空間はずっとシークエンシャルで変化に富んでいる。小一時間内外を見学。5時半に事務所に帰る。全員で所内掃除。6時解散。夜は「木の家」第2ヴァージョンのプログラムを再確認しスケッチ。原稿スケッチ。11時帰宅。


2009年01月16日(金)

10時ムジネット開発部が来所。「MUJI+INFILL木の家」の展開の現況について詳細な説明を受ける。開発当初から本質的な変更はないが、細部では多くの修正が行われている。コスト構成についても詳細な検証が進んでいる。引き続きニューバージョンの課題について意見交換。建物だけでなく敷地のデータについても検討を要請する。第1回の会合はここまでで終了。1ヶ月後の第2回目会合で第2ヴァージョンの骨子をプレゼンテーションすることを約す。僕の頭の中には第2ヴァージョンの明確なイメージがあるが、しばらく時間をかけて熟成させたい。ムジネットからもらった開発コンセプトに目を通し再度検証する。1時半メディアザイン研究所の萩原、齋藤両氏が来所。INAX本の打ち合わせ。本のタイトルについて意見交換。ページ数の圧縮と図版構成について検討。来週初めには最終校正を行い2月中には出版の予定。4時大学行き。卒業設計エスキス。7人の案を見る。じっくり話を聞いてみたいが時間がない。7時、鵜飼、山代、山崎三氏から東大・プリンストン大シンポジウムのプログラムについて相談を受ける。直ちに隈研吾さんに連絡。7時半ココラボ住宅実施設計打ち合わせ。設備システムのエスキス。2棟の方針がほぼ決まったので来週半ばまでに図面をまとめるように指示。10時半に事務所に戻る。龍光寺と井上がアタゴ工場最終案の模型製作の最終段階。「132石野邸」の一部変更について花巻と打ち合わせ石野夫妻にメール送信。11時半帰宅。『もっとも美しい対称性』を読みながら1時過ぎに就寝。幾何学から代数学への進化。バビロニア、ギリシア、アラビアからルネサンスで開花する代数学。ヨーロッパの近代化がルネサンスに始まることがよく分かる。


2009年01月15日(木)

10時大学行。製図室には3年生がチラホラと作業をしている。今日はエスキス日である。11時、ムジネットの浅田社長が来所。「MUJI+INFILL木の家」の今後の展開について話し合う。この開発計画は僕自身の建築家としてのスタンスを問う仕事であることを伝える。これまで日本では工業化住宅に本格的に取り組み、実現させた建築家は大野勝彦さん以外に存在しない。この仕事は建築家としての僕自身の立場を明確にすることになる。この点については『建築家は住宅で何を考えているか』の序文「建築家が考える住宅」で僕自身の考えを明確に述べた。要するに建築家はプロトタイプの提案をめざすということである。多くの建築家は僕の考えに反対するだろう。しかし建築家がデザインする住宅の社会性はこの点以外にないと思う。12時半建築学科会議。いくつかの議題について議論。2時半から研究室会議。留学生の修論中間報告。アメリカ旅行報告。中国旅行報告。修論のエスキス。3時半に石山修武さんが来研。6時から鈴木博之教授退職記念・連続講義「近代建築論」の最終回。「保存、様式、地霊、装飾」という4つの概念から鈴木博之さんの仕事に綿密な解釈を加え、壮大なビルドゥングス・ロマン的な歴史作家論へと組み上げる見事な講義だった。ワイマールの地霊がバウハウスのデザイン思想に刻印され、それがデッサウからニューヨークへと引き継がれ、最終的にニューヨークのグリッドを表象するミースのシーグラムビルにおいて頂点を極めたという石山さんの歴史解釈には腰が抜けるほど驚いた。これはモダニズムを内部から解体する完璧な脱構築だと言ってよい。このような歴史解釈から見れば、英国のハイテック建築を現代の装飾としてとらえるのは、いとも簡単に思える。石山さんのキーワードはtaste(趣味)だが、その言葉から僕は直ちにカントの『判断力批判』を連想した。石山さんが講義の最初に「前7回のレクチャーは『認識論』だったが、最終回では『作家論』を展開してみたい」と言ったこともカントの三批判を連想させる。ともかくこれまで石山さんから断片的に聞いていた話が一本の糸でつながれた濃密なレクチャーだった。8時から講評室で懇親会。外部の人たちも多数参加。9時前、赤門前の居酒屋で会食。ちゃんこ鍋とビールで大いに盛り上がるが、これが最終回かと思うと一抹の寂しさがある。10時半終了。石山さんを地下鉄市ヶ谷駅まで送り11時に事務所に戻る。メールチェックした後11時半帰宅。あれこれ考え巡らしながら夜半過ぎ就寝。


2009年01月14日(水)

7時前起床。2階アクアレイヤー水温28度。8時出社。事務所気温18度。一日仕事をした次の日はやはり蓄熱がある。10時『住宅建築』編集部の中村さん来所。3月号の図版の打ち合わせ。午後大学行。1時半からココラボ準備打ち合わせ。3時コスモスイニシアと工務店との打ち合わせ。工務店からの質問に答える。ほとんどのデザインが初めての工事経験らしく、質問が現場施工図に近い細部にまで及ぶ。これには学生は応えられないので僕が応える。設備設計も完全に僕が説明することになる。これも実務教育の一環。月末にかけて実施設計と修士設計の締切スケジュールの調整が難しい。院生には何とか頑張ってもらうしかない。5時前終了。その後久しぶりに製図室で3年生と雑談。学生から設計課題の締切と卒業設計の期間が、昨年に比べて厳しいというクレームが出る。意識したわけではないが、年始から最終提出までのスケジュールが少々ずれ込んでいる。PHP出版編集部からメール。芦澤泰偉さんとの会食に誘われる。久しぶりに『建築家は住宅で何を考えているか』の出版チームと会うことになった。次の企画があるかもしれない。6時過ぎ事務所に戻る。8時過ぎ稲山正弘さん来所。木造コンペの打ち合わせ。構造システムはほぼ収斂する。引き続き開口部の打ち合わせ。僕たちにとっては稲山さんの張り切りが何よりのパワーである。10時前終了。

早稲田大の中谷礼仁さんから『藤森照信 グラウンド・ツアー』(中谷礼仁:企画 編集出版組織体アセテート:発行 2008)が届く。「泥モノ」「石モノ」「積みモノ」「地底モノ」「UFO」の全5巻。タイトルはいうまでもなく英国の伝統的な「グランド・ツアー」のモジリである。新書判で各巻5色のカラフルな表紙が美しい。各巻100ページ程度の小冊子だが中味は充実している。なかなか力の入った編集である。藤森さんの写真とスケッチもいい。紹介されているのはほとんどがプレモダンな建物だが「UFO」の巻に唯一フランク・O・ゲーリーの「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」が紹介されているのが不思議である。


2009年01月13日(火)

8時出社。事務所気温16.8度。連休の間に冷え切ったようだ。10時前大学行。10時からココラボミーティング。修正図面の説明。展開図の確認。設備システムの方針確認。何とかスケジュールはギリギリに進んでいるようだ。午後1時半から卒業設計中間講評。5時までかけて40人のエスキスを一気にこなす。なかなか気分が乗らないエスキス。キレの悪い学生たちの案に苛立つのは理解できるが、ケチばかりつける教員のコメントには辟易とする。欠点を見つけようとすればいくらでも見つかる案にケチをつけるのはフェアではない。手厳しい批評がエンカレッジになるという考え方かもしれないが、締切3週間前なのだから、そろそろストレートにエンカレッジすべき段階ではないか。最後に僕は「言葉に終始する批評に対して、言葉にならない自分のイメージに拘ることで応答しろ」と間接的な教員批判を行ったが学生たちに伝わったかどうか。6時まで原稿。6時から銀杏会の新年会。教員は少ないが職員はそこそこ集まる。鈴木博之教授の乾杯で開始。食事と飲み物が余ったので学生たちを呼び歓談。8時半に事務所に戻る。『住宅建築』原稿続行。10時までに仕上げて編集部に送信。メディアデザイン研究所からINAX本の図版校正が届く。図版の追加によってページ数が大幅に増えたらしい。今週中に打ち合わせを持つことになった。10時半帰宅。ウイスキーを煽り夜半過ぎ就寝。


2009年01月12日(月)

今日は成人式で休日。9時前に出社。昨夜は今年一番の冷え込みだったらしい。事務所の気温は17.5度。四苦八苦して『住宅建築』の原稿に取り組むが、夕方までかかってもまとまらない。室内環境と建築デザインの関係がテーマなのだが、スウェーデンの調査はあまり参考にならないし、ハウジング・フィジックスも一般論としては教訓地味ていて、あまり面白くない。具体的に論じるとしたら、これまでの「箱の家」の展開しか話題がない。しかし「箱の家」論議はいささか煮詰まり気味である。あれこれ突破口について考えているうちに夜になる。気分転換に『もっとも美しい対称性』(イアン・スチュアート:著 水谷淳:訳 日経BP社 2008)を読み始める。群論を易しい言葉で解説した啓蒙書である。視覚的対称性は群論=シンメトリーのうちのほんの一部に過ぎない。学生時代に必死で読んだヘルマン・ワイルの『シンメトリー』のおさらいになるだろう。同一性を追究する操作という意味では、群論=シンメトリーはプロトタイプ・デザインに似ているような気がする。


2009年01月11日(日)

7時半起床。アクアレイヤー水温28度。9時前出社。事務所内気温は18度を切っている。午前中は集中してINAX本の前書と後書を仕上げ編集部に送信。午後は『マテリアル』(彰国社)の青木茂さんとの対談を校正し、夕方に編集部に送信。この勢いで『住宅建築』の原稿に取りかかるが難航し頓挫。頭を整理するため『箱の家:エコハウスをめざして』を再読する。夜は気分転換にitune storeを探索し気に入った曲を数曲購入。10時半帰宅。iPodで曲を聴きながら読書。1時前に就寝。
藤森照信さんから『建築史的モンダイ』(ちくま新書)が届く。残念ながら去年購入して読んだ本である。

『自然な建築』(隈研吾:著 岩波新書 2008)を読み終わる。素材の可能性の追究にテーマを見いだした隈さんのスタンスだけでなく、クライアントや職人に柔軟に対応する彼のプラグマティックな態度に感心する。原理を押し通すのではなく、クライアントの要求や職人の提案を取り入れながら、最終的には原理を失っていないような建築が隈さんの言う「負ける建築」なのだろうか。知らず知らずに肩の力が抜けていくのを感じる。ココラボ住宅や無印住宅に向かう気持ちが少しずつ変わって行くのを感じる。この影響が果たして吉と出るか凶と出るか。


2009年01月10日(土)

7時半起床。2階床下のアクアレイヤー水温がいつもよりも5度低い25度止まり。8時半出社。事務所内の気温は19度。昨夜は相当寒かったのでヒートポンプが性能を発揮できなかったのか、あるいは負荷が大きかったせいか、気になる所。10時、環境研院生が来所。アクアレイヤー用ヒートポンプの流量測定器の修理。ヒートポンプ水温の設定センサーは、往きではなく還りの水温を測定しているらしいので、50度の設定には無理があることが判明。次回からは30度に変更することになった。11時から木造コンペ打ち合わせ。プランと構造を確定し、ダブルスキンのシステムについて検討。単純なシステムによって採光と通風を確保することが課題。午後は原稿スケッチ。INAX本のあとがきに取り組むが、相変わらず収斂しない。合間に読書。ココラボ住宅の図面チェック。まだまだ修正点が多い。5時半、事務所内掃除。6時半解散。夜は原稿続行。連休明けまでに4本の原稿をまとめねばならない。ほとんど絶望的だが、ともかくやり続けるしかない。11時帰宅。

『自然な建築』を読み続ける。隈さんは素材をテーマにしたデザインという方向に突き進んでいる。ひとつの素材に集中するのではなく、多様な素材に挑戦している点が隈さんらしい。これまで誰も試みたことのない新しいテーマで、学ぶ所も多い。


2009年01月09日(金)

9時半大学行。10時研究科長面談。建築学専攻の来年度の運営について相談を受ける。既に今年度初めに決めたことなので再検討は難しい旨を伝える。午後1時GCOE運営会議。今年度予算の再確認。1時半から2年生設計製図の中間講評の予定だったが中止。エスキスを続行することになったので製図室を見回り学生と雑談。合間に原稿続行。3時過ぎ非常勤の平倉直子さん、駒場の加藤道夫さんらと課題の進め方について相談。4時半建報社来研。今朝のニュースで明らかになったサッシメーカーの違法表示について報告を受ける。6時コスモスイニシア来研。ココラボ住宅の実施設計打ち合わせ。チェックバック図面について院生が説明するが、修正は歯抜け状態。何度指摘しても担当の院生達は細部にまで目が届かない。自分たちで勝手に解釈しているのだろうか。打ち合わせ手順も要領が悪い。時間通りに集まらないし報告の手際も鈍い。いつまでたっても次のステップに進めない。これも教育かもしれないが苛立が募る。結局3時間半以上もかかり9時半過ぎ終了。10時半事務所に戻る。11時過ぎ帰宅。『自然な建築』(隈研吾:著 岩波新書 2008)を読みながら1時前就寝。


2009年01月08日(木)

9時過ぎに事務所を出て目黒線洗足の「131吉田邸」現場へ10時前着。屋根と外装下地まで進み、アルミサッシも取り付いている。現在は床下地の工事中。来週アクアレイヤー工事を実施する予定。天気がよいので日光の射し方を確認。計算通り、この季節では一番北側の食堂まで日の光が届いている。12時前大学行。12時半から今年最初の学科会議。その後、代議委員大会と教授会。4時半まで代議委員と副議長の投票。5時前から学科長・専攻長会議。昨年末に新聞に掲載された教員のセクハラとパワハラに関する報告。思わず設計製図課題の講評やココラボ住宅での学生の対応について考える。講評も実施設計も見方によってはパワハラの劇場みたいなものである。教員が本気になればなる程、その傾向は強くなる。それが学生に伝わらなければ、途端にパワハラに転換するわけだ。何か妙な時代になってきたものである。6時半研究室に戻り研究室会議。海外旅行報告と修論中間報告。8時に根津のチャンコ鍋屋に移動し研究室新年会。10時半終了。11時過ぎに事務所に戻る。雑用を片付け夜半に帰宅。大学も本格的に動き始めた。


2009年01月07日(水)

8時出社。事務所内気温は昨日よりも1度上がって21度。9時前に事務所を出て田園都市線のあざみ野駅へ。バスで「124佐藤邸」に10時少し前に着く。省エネ住宅コンペの現地審査。2人の審査委員に対し佐藤さん、工務店、花巻と僕で対応。小1時間の詳細な説明と見学。11時過ぎ終了。12時過ぎに事務所に戻る。午後2時、大成建設来所。アタゴ工場のスケジュール再調整。杭、鉄筋、鉄骨の手配と工期の調整について話し合い。幾つかのケースを想定して工期を組み立て直す。問題点を整理して直ちに社長と工場長へ送信。3時ムジネットの浅田社長が来所。新年の挨拶の後「木の家」のメンテナンスと第2ヴァージョン開発の進め方について討論。その後は夜まで原稿スケッチと読書。10時半帰宅。

『思想地図』第2号のインターネット論を読むうちにベンヤミンの「遊戯的技術」に関する新しいアイディアが浮かぶ。インターネット上でデファクトスタンダードとして今や否定し難いプラットフォームになったGoogleこそ、環境化・自然化・無意識化した究極的な遊戯的技術ではないだろうか。INAX本に何とか差し込みたい美味しいアイディアだが、まだ付け焼き刃である。建築との関係もまだ明らかではない。あとがきで言及するに止めるべきかもしれない。


2009年01月06日(火)

8時過ぎ出社。事務所の気温は20度。やはり仕事始めの効果は大きいようだ。9時半に事務所を出て大学へ10時過ぎ着。10時半、伊藤教授、藤井准教授と研究科長室へ。来年の非常勤講師に関して相談し快諾を受ける。午後1時半からM1生とココラボ住宅ミーティング。正月休み中にチェックした図面について詳細に説明。展開図のエスキス。設備の基本方針について議論。5時に事務所に戻る。5時半、稲山正弘さん来所。木造コンペ打ち合わせ。基礎、土台、2階床などのディテールについて打ち合わせ。品確法をクリアするためには新しい構法を提案せねばならない。合理的な構法をデザインしようとすると必ず問題になるのはモデュールである。基本方針を確認し、来週再度打ち合わせることにする。終了後スタッフ全員と簡単な新年会。10時半帰宅。

『ケインズの闘い:哲学・政治・経済学・芸術』(ジル・ドスタレール:著 鍋島直樹+小峯敦:監訳 藤原書店 2008)を読み終わる。第2次大戦中にケインズは英国代表としてアメリカと戦後の国際的な通貨制度ブレントン・ウッズ体制の構築に関する会議に参加する。しかし戦勝国アメリカの権力には勝てず、ヴェルサイユ条約と同じような敗北を味わう。ケインズには心臓病の持病があったが、アメリカとの交渉で体力を消耗したケインズは1946年に63歳で逝去する。本書から学んだ最大の教訓は「生成と制作」や「自由と計画」の問題の難しさだが、それ以上に腹に応えたのは20世紀前半の波乱に満ちた歴史に翻弄されたケインズの矛盾に満ちた人生である。経済学者として『確率論』『貨幣論』『雇用、利子および貨幣の一般理論』といった超一流の経済理論を構築しながら、同時に二つの世界大戦にまつわる英国の国家政策に関わり、第2次大戦後のマーシャル・プランを先取りするような『平和の経済的帰結』をまとめている。ケインズは19世紀から20世紀にかけて衰退していった大英帝国の表象そのものだと言ってよい。600ページを越える本書には多種多様なテーマが埋め込まれている。少し時間をかけて頭を整理する必要がありそうだ。


2009年01月05日(月)

昨日送水温度を5度上げた効果で事務所内の気温は19度プラスα。今日から仕事始め。10時まで原稿スケッチ。10時半スタッフ全員が揃った所で事務所内の打ち合わせ。今週の仕事の確認。龍光寺も加わり工場の模型製作再開。久しぶりに皆と一緒に昼食を食べに出る。午後1時半コンペ打ち合わせ。2案に絞り明日の稲山さんとの打ち合わせの準備。INAX本の「まえがき」を書き始め夕方までに何とかまとめる。引き続き「あとがき」に取り組むがまったく収斂しない。本の可能性が閉じないような書き方をしたいのにその方途が見つからない。しばらく頭を冷やす必要がありそうだ。デッドラインは連休明けの13日(火)である。夜は読書とスケッチ。『ケインズとハイエク』(間宮陽介:著 ちくま学芸文庫 2006)を引っ張り出してつまみ読みする。2年前に読んだのだが、問題の核心をまったく把握していないことに愕然とする。本棚の片隅に『現代に生きるケインズ』(伊藤光晴:著 岩波新書 2006)を発見する。こちらはケインズの『一般理論』の解説が中心なのであとがきだけを読んで放棄した形跡がある。僕の眼は節穴だったとしか言えない。自己嫌悪である。『ケインズの闘い』を読み終わった後、再読する必要がありそうだ。10時過ぎ岩元がつくったコンペのスタディ模型をチェック。可能なかぎり明解な構造システムをめざす。10時半帰宅。シャワーを浴びた後、ウィスキーを煽りながら読書。夜半過ぎ就寝。


2009年01月04日(日)

7時起床。冷温水機の送水温度を35度から40度に変更。いつものペースに戻り8時出社。事務所内の気温は18度と変らず。午前中は年賀状整理と読書。午後は木造コンペと無印住宅のスケッチ。2時山代さん来所。今年の研究室の計画について話し合う。山代さん自身の研究も佳境に差し掛かる。そのために明日から1週間ヨーロッパに研究旅行に出かけるそうだ。早めに博士論文をまとめるように激励。界工作舍も明日から仕事始めなので仕事の整理をしていたら締切を過ぎた原稿2本に気づく。いやはや迂闊だった。ドタバタしてもしょうがないのでスケジュールを立てた上で帳簿の整理を始め去年12月までを整理。夜も読書とスケッチの続行。

『ケインズの闘い』は第5章「貨幣」から第5章「労働」を経て第6章「金」へ進む。ケインズは貨幣を商品交換の単なる媒介手段ではなく、人間心理の深層に潜む流動性への欲望つまり将来の不確実性への恐れを担保する存在と見た。フロイトに倣って貨幣への物神崇拝を貨幣の起源と考えた訳だが、マルクスが「守銭奴」について言ったように貨幣の物神崇拝を商業の起源として考えていたかどうかは疑わしい。ケインズはマルクスをほとんど認めなかったようだ。この辺りの議論は「貨幣数量説」に関するケインズの捉え方を含めてかなり込み入っており今一理解しにくい。読み終わった後にもう一度検討してみる必要がありそうだ。


2009年01月03日(土)

8時出社。事務所内の気温は18度で変らず。午前中でINAX本の原稿校正を終え編集部に送付。図版追加と前書、後書を残すだけになった。午後は原稿、コンペ、無印住宅のスケッチをくり返す。合間に来年度の特別講義のスケッチ。僕にとっては最後の年なので、これまでに呼べなかった人を総ざらいしてみたい。建築外の人たちに依頼するのもいいかもしれない。4時半に家族と家を出て経堂の佐々木睦朗邸へ。20年来続けている恒例の家族新年会。駅近くの料亭でふぐちりとスッポン鍋を囲み鰭酒で盛り上がる。9時過ぎに店を出て佐々木邸に戻りしばらく飲み直す。佐々木君のFlux Structureの仕事が紹介された本『FROM CONTROLE TO DESIGN PARAMETRIC/ALGORITHMIC ARCHITECTURE』をもらう。表紙は佐々木君が担当した磯崎新のQater Education Cityの正面ゲートの工事写真。佐々木君のコンセプトがやや歪曲された施工法。セシル・バルマン率いるAdvanced Geometry Unit at Arupと佐々木君の両方に伊東豊雄さんの仕事が紹介されている。10時半にお暇しタクシーで帰宅。しばらく事務所で雑用。夜半過ぎに帰宅。今日で三箇日は終わり。明日の日曜日で一人仕事も終わりである。


2009年01月02日(金)

箱根駅伝のスタートを見届けてから8時過ぎ出社。事務所気温は相変わらず18度。午前中は原稿校正。図版の整理に手間取る。1時過ぎ家族と一緒に家を出てサントリー・ホールのニューイヤー・コンサートへ。日本オーストリア交流140周年記念という謳い文句でシュトラウスを中心にウィーンナー・ワルツのオンパレード。ほとんど半睡状態。オッフェンバックの「天国と地獄」では指揮者正面の座席に座る小さな子供2人が指揮者に合わせてプログラムを振り回し会場の笑いを誘う。ラストの「美しき青きドナウ」では「2001年宇宙の旅」のシーンが脳裏に浮かびキューブリックの想像力にあらためて感服。アンコールは恒例のラデッキ行進曲。4時半に帰宅。校正続行。最終章を残すのみになった。

『ケインズの闘い』は第4章「戦争と平和」から第5章「貨幣」へ。ヴェルサイユ講話条約の批判として書かれた『平和の経済的帰結』はその後のヨーロッパの混乱を予言したが、同時にケインズは条約を解消するという解決策も提案している。本書の反響は絶大だったがゆえに自己実現的な影響があったことも確かなようだ。後世ケインズはその廉で逆批判を受けることになる。歴史は何重にも錯綜している。『貨幣論』では流動性を担保する存在としての貨幣というケインズの貨幣観が当たり前すぎて、その意図が今一腑に落ちない。ケインズは経済活動全体を貨幣に還元することを夢見ていた節があるが、僕には経済の根幹に貨幣の原理的な力が潜在するという発想自体が理解できない。ケインズの貨幣論は経済学におけるモダニズム純粋主義のあらわれではないか。貨幣に関するフロイト理論の適用がその傍証になっているような気がする。いずれにしても門外漢の的外れな疑問かもしれないが。


2009年01月01日(木)

8時前に起床。家族3人で雑煮を食べ、少し御酒をいただいてから、9時過ぎに出社。今日も事務所の気温は18度。原稿校正再開。11時過ぎに一旦自宅に戻り、年賀状の整理。年賀状を出さなくなってから数年経つが、いまだに100通余りの年賀状が届く。有り難い限りである。おせち料理で昼食を済ませた後、事務所に戻り、ふたたび原稿校正。アルコールのせいで作業は捗らないが、それでも夕方までに4分の3まで終了。あと一息である。本のタイトル、前書と後書をスケッチする。夜はちびちびウィスキーを舐めながら木造コンペスケッチと読書。朦朧としてきたので夜半過ぎ就寝。


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