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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2008年06月30日(月)

午前中は事務所で雑用とスケッチ。午後、田町の建築会館内の日本建築士連合会へ。作品賞の最終審査。現地審査を行った16作品について各担当者が報告しディスカッション。その後投票によって優秀賞と奨励賞を決定。講評の担当を決めて6時前終了。夕方大学行き。6時半からココラボ・ミーティング。先週の定例会議の報告を受けた後、各案のエスキス。最近はコスモシイニシアから遠慮勝ちに小出しされてくる設計条件に振り回されている感じがする。提示される条件のほとんどがイメージや経験から出てくるものなので、新しい試みに対してはほとんど説得的な根拠がない。むしろ新しい発想を阻害するといってもいいくらいである。2時間半かけて10案をエスキスし心身ともに疲れる。界工作舍ではこんなに手戻りの多い設計はあり得ない。大学での実施設計教育は本当に大変である。10時過ぎ事務所に戻る。11時前帰宅。11時過ぎ故郷の弟から電話。一番下の弟が倒れて入院したらしい。脳幹出血だという。覚悟しなければならないかもしれない。

『存在論抜きの倫理』(ヒラリー・パトナム:著 関口浩厚他:訳 法政大学出版局 2007)を読み終わる。優しい言葉で書かれているが問題意識を共有するのが難しかった。パトナムは哲学における体系的、原理的な倫理の追求を批判し、それに対してプラグマティックな倫理のあり方を提唱しているのだが、建築はそもそも世俗的なジャンルなので、当たり前のことを言われているだけで、何が問題なのかがよく理解できないというのが正直な感想である。ジョン・デューイの「戦略的な楽観主義者」という言葉だけが印象に残った。


2008年06月29日(日)

雨が降り続いている。10時に出社。午前中はネットサーフィン。アマゾンで本を漁ったり、映画の予告を見たりしながら過ごす。午後はハウジングフィジックス研究会での発言原稿を校正。言葉足らずの自分の発言を修正するのは大変である。その後、夕方までをかけて石山展のカタログ『建築がみる夢:物語編』を一気に読み通す。12のプロジェクトについてクライアントや関係者とのやり取りが書簡や物語として綴られている。石山さんの対話形式の文章は秀逸である。夜はふたたび『存在論抜きの倫理』に戻る。石山さんからパトナムへの落差は大きいように見えるが、プラグマティズムの経験主義は石山思想に通じるものがある。石山さんはストレートに現実に向かうが、パトナムは哲学においてストレートに現実に向かうための障害(存在論)を取り除こうとしている。


2008年06月28日(土)

10時半、鶴見氏来所。「130鶴見邸」の最終打ち合せ。7月初旬に見積図面を仕上げ工務店3社に見積依頼する件について相談。11時半に事務所を出て大学へ。製図室はガランとしている。1時過ぎ大阪から平山明義さんが来研。3年ぶりの再会である。いくつかの相談を受ける。2時から都市工大学院社会人コースの面接試験。5時半終了。6時半に事務所に戻る。A工場について井上と簡単な打ち合せ。夜は石山修武展のカタログ『建築がみる夢:物語編』を読む。時折こみ上げるものを感じながら、石山さんの語り口の巧さに感心する。僕にはモノローグは書けても物語は書けないことを痛感する。


2008年06月27日(金)

10時大学行。10時半からココラボ・ミーティング。新たにM2、M3生が案を提出してきた。これで少しは奥行きが深くなるかも知れない。コアメンバーも徐々にリアリティのある案へと近づいている。1時前終了。2時過ぎに事務所に戻る。12月に名古屋大で開催される特別講義の趣旨文をまとめて送信。3時過ぎに事務所を出て田園都市線の用賀へ。バス乗り場で彰国社の田尻裕彦さんと植田實さんに会う。3人でタクシーを拾い世田谷美術館へ。3時から石山修武展『建築がみる夢』の開会式。館長の酒井忠康氏が挨拶した後、磯崎新、山口勝弘、栄久庵憲司の三氏が挨拶。その後、石山さんが会場に参集したプロジェクトにまつわる人々を紹介。これも石山流のやり方である。会場には鈴木博之夫妻、中川武、伊藤毅、松村秀一、中谷礼仁といったなじみの人たちや、伊東豊雄、李祖源といった建築家の顔も見えるが、それ以外はほとんど知らない人ばかり。開会式終了後、展示会場へ。広大な会場に濃密な石山世界が展開している。巨大な模型とドローイング、膨大な数の手描きスケッチ。僕たちが考えるような建築の世界を明らかに踏み越えている。石山さんにとって決定的な転機を目論んだ渾身の展覧会であることはまちがいない。手の届かない才能に出会うことで広大な歴史のうねりを感じる時、僕はいつも腹の底から突き上げるような感動とも哀しみともつかない感情に襲われる。この展覧会で久しぶりにそんな感情を味わった。5時半頃レストランに移動し懇親会。6時過ぎ中川武、松村秀一両氏と徒歩で用賀駅に戻り、駅近くの食堂でビールを飲みながら歓談。9時前に事務所に戻る。しばらく窓の外の暗闇を眺めながら黙考。展覧会のカタログを読む。鈴木博之は石山の自由闊達な想像力と洞察力の底に横たわる倫理を探り出し、柄谷行人は石山のしたたかなリアリズムについて書いている。いずれも石山との個人的な付き合いを通して得た視点である。僕も同じような立場から石山について考えてみる必要があるかもしれない。

今年もロ・ハウス設計コンペティションが開催される。僕がコンペの審査委員長を始めて5年目である。サスティナブルな住宅の動向は世の中に定着したようだが、まだ可能性は突き詰められてはいない。多くの学生の応募を期待したい。
http://www.eccj.or.jp/houseplan08/


2008年06月26日(木)

10時15分から大学院講義。近代建築史に関する、ギーディオン、ペヴスナー、バンハムの歴史観の相違について話す。今夜の連続講義「近代建築論」の前段のつもりである。12時半、学科会議。五月祭のイベントについて。英語講義のあり方について議論。国際化=英語講義という短絡的な議論に反発が多いが、工学部で留学生を受け入れるには国際語としての英語を受け入れるしかない。とはいえ建築学では少し意味合いが異なる面もあるようにも思う。1時半べトナムコンペ。フラクタルの形態システムについて議論。スタジオ課題の採点。建築にまで収斂していない都市的提案は採点しにくい。しかしリアルな建築だけでは展開する先がない。都市的でありながら建築になっている案を選ぶように努める。3時から専攻長会議。今後の人事に関する研究科長の長談義に少々閉口する。状況や意図については専攻長全員が十分に承知しているのだから、コンパクトに結論を述べるだけで十分である。この問題については、あれこれ説明すればするほど言い訳がましくなる。おかげで6時開始の連続講義「近代建築論」に遅れてしまった。今回は第3回で、担当は横手義洋さん。『建築の7つの力』を中心に、N・ペヴスナー、H・R・ヒッチコック、J・サマーソンの翻訳との関係について1時間あまりのクリアで明解なレクチャー。引き続き鈴木博之さんによる「7つの力」に関するショートレクチャー。その後、伊藤毅、藤井恵介さんたちによる質疑応答。僕としては3回の連続講義を通じて鈴木さんの近代建築論における「かなしみ」の起源が見えたような気がする。『建築の世紀末』に通底するテーマが、建築家が社会から阻害されていく歴史であったのと同じく、近代建築史家にも歴史家としての眼が繊細であればあるほど、それが共有され得ないことのかなしみが生まれるはずだ。それは鈴木さんがいうような実存的な哀しみである以上に、近代建築史家が抱え込まざるを得ない歴史的なかなしみである。8時から講評室にて懇親会。9時過ぎ、鈴木、伊藤、横手、山代各氏と正門前の居酒屋で遅い夕食。10時半解散。11時過ぎに事務所に戻る。


2008年06月25日(水)

9時半、設備機械業者が来所。「箱の家112」(自宅+事務所)の輻射冷房実験のためのヒートポンプ式冷温水器の設置工事。既存設備との関係が難しく少々手間取る。電気工事、アクアレイヤーのコントロールパネル調整工事は残ったが、とりあえず冷温水器の試運転を確認して12時半終了。この夏、自宅と事務所でアクアレイヤーを使った輻射冷房の実験を行うことにした。事務所は天井冷房なので、どの程度結露が生じるかにも興味がある。「124佐藤邸」とのPSパネルによる輻射冷房との比較検証も行ってみたい。作業の合間に「沼田邸」の所内コンペの第1回打ち合せ。皆ユニークな案をまとめているので、基本方針を確認し、近いうちに第2回を実施することとする。のびのびとした案ができそうだ。昼前に妻がイタリアから帰国。イタリア土産にボルサリーノのパナマをもらい感激。ココラボのスケッチをまとめてメンバーに送信。早急に図面化するよう依頼。2時半に事務所を出て六本木のミッドタウンへ。3時からグッドデザイン賞の第1回審査委員会。審査委員全員が初めて集合。内藤廣審査委員長の挨拶の後、各ユニットで審査方針についてディスカッション。僕がユニット長をつとめる住宅部門の審査委員は、芦原太郎、高橋晶子、手塚由比と僕の4人。この部門には昨年を越える300点以上の応募があった。審査方針の概略を決めて5時前終了。5時半に事務所に戻る。明日の大学院講義の準備。近代建築史家の第1世代について話す予定。夜は雑用とスケッチ。A工場の質疑が届き始める。『存在論抜きの倫理』を読み続ける。優しい言葉で書かれているが内容は遠い。何が問題なのかが今一把握できない。


2008年06月24日(火)

朝8時。大成建設の遠藤さんが来所。A工場の概算見積についての質疑。スーパーゼネコンとしていくつかの提案をしたいという。ありがたい申し出だが、別途見積であることを明確にするように回答。その後ココラボ・スケッチ。提案性とリアリティとの狭間をどの辺りに置くかで少々揺れ動く。「箱の家」から一歩踏み出る必要もある。屋根のデザインにポイントがありそうだが、何よりも敷地条件の読み取りが重要である。午前中一杯をかけ何とか2案の方向性を固める。午後大学行き。2時からスタジオ課題のポスターセッション。展示場の多目的演習室に顔を出すが、学生でごった返しているので一旦研究室に戻る。しばらくの間ココラボ・スケッチ。途中、院生と就職の相談。大林組に勤める同級生の喜多村氏より電話。大林組社長の特別講義について相談。4時過ぎにふたたび多目的演習室へ。全体を観て回るが詳細なチェックは後回し。5時から研究室定例会議。修論中間報告の後、べトナムコンペの現地調査報告。調査報告書を早急にまとめてコンペ協力メンバーに送付するよう指示。ココラボ・メンバーに対しては、そろそろ学生気分から脱皮し実施設計であることの危機感を持つように檄を飛ばす。彼らは環境共生住宅に関する新しい知識や技術を収集しようとせず、自分の乏しい知識だけを頼りにデザインする。それでは具体的な提案はできない。7時半、赤門近くの居酒屋でスタジオ課題打ち上げ。難波研以外の学生と話をする。10時前終了。10時半過ぎに事務所に戻る。疲れが吹き出したので、雑用を片付けた後11時半過ぎ帰宅。直ちに就寝。


2008年06月23日(月)

9時、青山の歯科医院行き。月1回の定期検診。午前中、ココラボ・スケッチ。ココラボの実施設計に向けて始動する。現在、院生や留学生が計画案を進めているが、なかなかリアリティが出て来ないので、僕なりの案をつくり始めることにした。しばらくは学生たちとの架空コンペのつもりで並行的に進めていこう。午後大学行き。1時半ココラボ・ミーティング。ココラボのHPはどんどん進んでいくので、追いかけられている感じである。一方で実施設計へ向けての作業も進めねばならない。明日のスタジオ課題提出を控えて院生たちはテンパっているようだ。明日以降はペースが掴めるだろう。打ち合せの最中に、鈴木博之さんがイタリアから一時帰国した浜口さんを連れて来研。昨年夏、鈴木さんと南イタリアのパエストゥムを訪れた際に、サレルノ郊外にあるお宅に泊めてもらいパエストゥムまで案内してもらった方である。3時半、建築画報社来研。中国からのメディアの受け入れについて相談。詳しい内容を聞くと僕よりもふさわしい教員がいるので紹介する。その後ココラボ・スケッチ。6時からコスモス・イニシアとの定例会議。月刊『pen』の取材を受けながらプレゼンテーション。学生たちの案に対してコスモス・イニシアからの講評を受ける。いちいちもっともなコメントだが少々保守的である。彼らのアドバイスをすべて取り入れたら、何のための共同研究か分からなくなる。それに自己批評をともなわない講評は非生産的である。それにしても学生たちのプレゼンテーションはナイーブすぎる。平・立・断の一般図が揃わず、面積データもなく、フォーマットも統一されていないプレゼンテーションを見るのは苦痛である。7時半終了。その後、研究室に戻り『pen』編集部のインタビュー。環境共生住宅についての僕なりの考え方について話す。コスモス・イニシアのメンバー立ち会いの下での取材は、講義をしているようで不思議な雰囲気である。帰り際に製図室に立ち寄る。3年生がスタジオ課題の手伝いをしている。卒業設計の前哨戦といった感じだ。10時前、事務所に戻る。いくつか短い打ち合せ。11時前帰宅。

『存在論抜きの倫理』(ヒラリー・パトナム:著 関口浩厚他:訳 法政大学出版局 2007)を読み始める。アメリカン・プラグマティズムを突き詰めたパトナム思想を学ぶためである。彼の本はもう一冊『事実/価値二分法の崩壊』(ヒラリー・パトナム:著 藤田晋吾・中村正利:訳 法政大学出版局 2006)を読むつもりである。



2008年06月22日(日)

ゆっくりと寝て8時起床。9時半出社。いくつかの雑用を済ませた後、PCで娘から借りた『デジャウ゛』(トニー・スコット:監督 2006)を観る。同監督の作品は『トップガン』以来だが、画面転換のスピード感は変っていない。僕としてはもう少しテンポにメリハリを付けてもらいたい感じがする。スパイ衛星とタイムマシンを使った物語もいささか荒唐無稽である。とはいえ数日前と現在とが同時並行に展開する映像はなかなかスリリングである。タイムマシン物特有の論理的な綻びを感じさせないのはシナリオの力だろう。音楽もいい。監督のトニー・スコットはリドリー・スコットの弟である。どことなく『ブレードランナー』に似た近未来性を感じたのは気のせいだろうか。午後は「ハウジング・フィジックス」の鼎談原稿の校正とココラボの概算見積用仕様のまとめ。一休みした後に雨の中を娘と夕食に出かける。久しぶりに彼女の近況を詳しく聞けた。帰途、雨脚はますます強まる。ココラボ2008のHPが本格的にスタートした(http://www.cocolabo.jp/)。実施設計と並行に展開させることをめざしているが、実施の展開とHPアップとの数週間のズレはいかんともしがたい。

『アイデンティティ』(ジグムント・バウマン:著 伊藤茂:訳 日本経済評論社 2007)を読み終わる。バウマンは現代を近代性が昂進した「リキッド・モダニティ(液状的した近代性)」の時代と呼ぶ。リキッド・モダニティとは近代化が過剰に進行し、すべての事象が不確定で液状化した状態である。リキッド・モダニティの時代においては、近代における国家や民族によって支えられていた個人のアイデンティティは短命化・不確定化する。アイデンティティは何らかの集団(コミュニティ)に所属することにとって与えられるという視点は、差異性と同一性の相補性を意味している。。個人のアイデンティティだけでなく、これまで時代の座標軸となっていた建築や都市も同じように不確定化する運命を辿るだろう。バウマンの社会学視点は時代の潮流を的確に捉えているが、それに対する処方箋を提示することはない。リキッド・モダニティは一種の宿命のような現象である。バウマンは昨今は不確定化したアイデンティティに対する反動が生じているという。原理主義やナショナリズムがそれである。『思想地図』第1号(東浩紀+北田勝大:編 日本放送出版会 2008)が「日本」特集を組んでいるもそのためかもしれない。


2008年06月21日(土)

10時半に事務所を出て11時過ぎ品川発の新幹線に乗車。新横浜で花巻が合流。名古屋駅1時着。改札口で後藤さんと待ち合わせ「箱の家107:桑山邸」へ。工務店と合流し、桑山夫人に挨拶した後、内外を検査。とくに大きな問題はないが、冬期の床暖房による電気代が予想以上に大きいことが分かる。調べてみると深夜電力の契約がなされておらずタイマー設定も正確でない。竣工引渡が昨年6月だったので床暖房への注意を怠ったらしい。タイマーを再設定し今年の冬までには深夜電力契約を行うようにアドバイス。引き続き「箱の家121:小野邸」へ。こちらも大きな問題はない。8月に第1子誕生の予定なので手摺のネットを取り付けることになった。強い雨が降り始める。4時過ぎ終了。後藤さんに名古屋駅まで送ってもらい、4時半の新幹線に乗車。7時前に事務所に戻る。夜は校正原稿のチェックとスケッチ。べトナムからのメールに返信。今日はホーチミン市の協力事務所と打ち合せを行ったらしい。

名古屋への往復電車の中で『よいは悪い:暗黒の帝王ヘカテの解決法』(ポール・ワツラウィック:著 佐藤愛:監修 小岡礼子:訳 法政大学出版局)を読み終わる。『変化の原理』の応用版であり、世に蔓延する「パテンドな解決法(patendl?sung)」に対する批判の書である。「パテンドな解決法」とは「すばらしい解決法(patentl?sung)」と「最後的解決法(end l?sung)」とを組み合わせた著者の造語。「最後的解決法」とはいうまでもないナチズムによるユダヤ民族殲滅計画を指す。「パテンドな解決法」とは、問題そのものばかりか、その問題を取り囲むすべてのものを。この世の中から取り除いてしまおうという解決法のことである。著者はパテンドな解決法のさまざまな例を挙げながら、その問題点を明らかにしていく。パテンドな解決法は明解で分かりやすいために人口に膾炙しやすい。マルクス主義や全体主義などのユートピア的な計画がそうであり、モダニズムもパテンドな解決法の一種だといってよい。よみながらカール・ポパーやクリストファー・アレグザンダーを連想した。引き続き『アイデンティティ』(ジグムント・バウマン:著 伊藤茂:訳 日本経済評論社 2007)を読み始める。


2008年06月20日(金)

5時半起床。6時半に家を出て7時過ぎ品川発の新幹線で9時半京都着。村松映一さんと待ち合わせ湖西線の堅田駅へ。タクシーで15分、佐川美術館へ。竹原義二、桜井潔両氏が門で待っている。間もなく阪田誠三さんも到着。竹中工務店の内海慎介氏の案内で「佐川美術館楽吉左衛門館」を見学。池の中に浮かぶ茶室。水面下の展示館。いずれも職人芸的なデザイン。僕としては建築よりも技術的な勉強をするつもりで訪問した。水路地の池底はバルセロナ・パビリオンのように黒くすべきではないかと感じた以外は、演出に溢れた空間に感心するばかり。こういう建築は僕には決して設計できないだろう。美術館内のレストランで昼食後京都に戻る。構内で竹原さんと別れた後、4人で近鉄線を南下し奈良県磯城郡三宅町へ、駅の改札口で設計者の矢田朝士さんと待ち合わせ、徒歩15分で「Es house-01」へ。到着したと同時に雨が降り始める。コンクリートの箱の中に木造を入れ子状に組み込んだ住宅。素っ気ない外観とは対照的に、コンクリート壁と木造の間に多様な表情を持った半屋外的空間がつくり出されている。そこに降り込む雨が自然を感じさせる。中央の居間は風が吹き抜ける半屋外空間。コンクリートの開口によって切り取られた水田の風景は生の風景とはひと味違う。「閉じつつ開く」建築の典型的な例である。冬の寒さと夏の暑さが少し気になるが、都市ではなく休耕地と水田が入り交じったやや荒んだ田園風景の中では、この方法は有効かもしれない。4時半にお暇し京都に戻る。駅構内で簡単な夕食を済ませた後、6時半過ぎの新幹線に乗車。9時過ぎに事務所に戻る。疲れが吹き出したので10時半に帰宅。

今朝の飛行機で難波研の山代助教とコンペメンバー5人がホーチミン市に向かった。第2次審査のための調査である。事務所に戻ると、第1便の報告が届いている。3日間という短い滞在だが密度の濃い調査を期待したい。

電車の中で『建築の複合と対立』を読み終わる。引き続き『よいは悪い:暗黒の帝王ヘカテの解決法』(ポール・ワツラウィック:著 佐藤愛:監修 小岡礼子:訳 法政大学出版局)を読み始める。『変化の原理』の続編である。


2008年06月19日(木)

10時、前準教授、赤嶺助教、院生3人、長府の高倉氏が来所。「箱の家112:神宮前計画」の床冷房に関する打ち合せ。現在の室外機を冷温水機に取り替えることによって、この夏、床冷房の実験を行う予定。床下に結露の可能性があるので、アクアレイヤーのセンサーについても検討しなければならない。引き続き、新型の太陽熱給湯器に関する打ち合せ。新しい「箱の家」で実験的に使う予定。できればココラボの環境共生住宅でも使ってみたい旨を伝える。その後、2階の住宅に上り電気回路の調査。11時半終了。12時半大学行き。直ちに学科会議。2時からココラボ・ミーティング。実施設計への展開が頭の中を駆け巡る。4時からべトナムコンペ打ち合せ。広場とコロネードについて再議論。明日からメンバーがホーチミン市に現地調査に行くので詳細な検討は帰国後とする。5時過ぎTom Heneghan氏が来研。約30分間、戦後日本建築についてインタビューを受ける。「54の窓」についても聞かれたのでびっくり。彼はやはり僕と同世代なのだ。「54の窓」は僕が25歳の時に石井和紘と共同で設計した診療所付住宅である。1980年代にはレイナー・バンハムが「最も日本的な建築」と評した。「発表時はとても不思議な建築に思えた」と言われたので、日本でも批判的に受け止められたこと。しかし僕自身は「標準化と多様化」の試みとして、きわめてまじめに取り組んだことを話す。6時から特別講義。日本でのHeneghan氏の建築について1時間の講義。熊本の一連の牛舎は名作である。30分の質疑応答の後、講評室で懇親会。8時半に本郷三丁目の居酒屋へ。大野、千葉、鵜飼、山代、日高さんたちとHeneghan氏を囲んで歓談。来年9月にシドニー大学でジョイント・ワークショップを実施することを約束。11時終了。12時前に帰宅。


2008年06月18日(水)

9時、神宮前の診療所行。両脚のむくみの診療。毎年この季節になると出る症状である。日常生活に支障はないが気になるので調べてもらったところ、結局は老化が原因だという。微妙な気圧の変化に対する血管の反応らしい。ともかくひたすら歩くようにアドバイスされる。10時前に事務所に戻る。『住宅建築』7月号が届く。特集「構造用集成材のポテンシャル」で「箱の家121:小野邸」が紹介されている。趙海光のレポート「集成材は〈在来〉になったのか」を読む。集成材の可能性と問題点を、随所にチクリとした批評を挟みながら的確に指摘していく語りの巧さに感心する。僕自身は「集成材は在来になった」と考えているが、世の中ではどうもそうではないような気がする。巻頭の木造住宅のリノベーション特集も興味深い。午後大学行き。2時からココラボ・ミーティング。各敷地の案のエスキス続行。6/20以降のHPの展開について議論。概算見積用の仕様書をまとめる必要があるが、学生には無理なので僕が担当するしかない。今後はこうした仕事が増えることになるだろう。6時過ぎ事務所に戻る。ココラボ概算仕様のまとめに着手するが、予想以上に細かいのでお手上げ。もう少し設計が進まないと決められない仕様が多すぎる。その後、いくつかの雑用をこなす。『建築の多様性と対立性』は第8章まで来た。形態の複合性だけでなくプログラムの複合性にも言及している点にはモダニズムの残光を感じる。ここ40年間で歴史は間違いなく1回転以上は進んでいる。


2008年06月17日(火)

10時大学行き。10時半、面出薫さんとLPAスタッフが来所。べトナムコンペの打ち合わせ。僕たちのデザインコンセプトに対していくつかのアイデアをもらう。キセノン・ランプを使った光のモニュメントはぜひ使ってみたい。7月上旬に具体的な方法について再度打ち合わせることになった。午後1時半からスタジオ課題の最終エスキス。1/3の学生は出席せず。来週そのまま提出するつもりらしい。今日の段階で新しいアイデアが出た学生もいるので少々残念である。5時から研究室会議。院生2人と留学生の発表。ベンヤミンとコールハースに共通するアウラの概念について議論が集中する。対象をアウラの有無によって分類する図式をめぐって議論が進んでいるので、アウラの有無は受容する側の視点によって入れ換わることに注意を喚起する。しかし僕の言った意味が分からないのか、議論の方向は変わらない。皆、アウラを事物に帰着させようとしている。しかも一般論を個別論にスライドする錯誤に陥っている。これは建築家の陥りやすいアウラの物象化であり、カント以前の刺激/反応図式というほかない。事物の意味は事物の属性ではなく、受容者が与えるものである。したがって問題にすべきなのは両者の関係である。建築家としては事物の力を過信しないように細心の注意を払わねばならない。これは一昨日読み終わった『変化の原理』で学んだことが、そのまま当てはまるケースである。6時半終了。7時コスモス・イニシアの南、大塚両氏が来所。ココラボ08の実施設計契約書の内容について話し合う。僕からは条件をもっと具体的に明示するように依頼。9時過ぎに事務所に戻る。A工場概算の質問書はまだ届かない。10時半帰宅。『建築の多様性と対立性』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2008年06月16日(月)

10時半、大学行き。11時コンペメンバーと環境安全研究センターの山本和夫教授に面会。水に関するさまざまなアドバイスをもらう。現地調査の課題も明らかになった。第2食堂で昼食。久しぶりの学内食堂が懐かしい。午後1時半から3年第2課題の中間講評。都心の地域図書館。皆それなりに頑張っているが、依然として女性の力の方が上位である。しかし図書館のあり方に対する批評的な提案は僅かしかない。私見では現代の図書館はコンビニのような存在なので、性能の良い情報ボックスでいいように思う。終了後、設計製図会議。卒業設計の件。海外ワークショップの件。6時から建設系3専攻長と研究科長の会談。ここには書けないようなクリティカルな諸問題について議論。7時半からココラボ・ミーティング。コスモス・イニシアから届いた設計条件にもとづいて現状案を再検討。水曜日までに見通しを立てることになった。10時半事務所に戻る。花巻と「129坂口邸」の打ち合わせ。査定回答が揃ったが、なかなか厳しい数字である。次のステップはコストダウンのための減額案を検討する。その結果を見て最終方針を決めよう。ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』を読み始める。出版された1966年から40年以上経過し歴史となった本である。僕にとっては身体化した知識を再度洗い出すような感じがする。


2008年06月15日(日)

7時起床。8時半出社しばらく読書。9時半に事務所を出て日比谷のシネシャンテへ。10時半開始の『イースタン・プロミス』を観る。デヴィッド・クローネンバーグ監督と聞いて何としてでも観ようと思った映画である。80年代のクローネンバーグB級ホラーのファンである僕としては、20年後の彼がどんな映画を作るのか興味津々だった。結果は期待以上にエキサイティングなA級ミステリーだった。主演のヴィーゴ・モーテンセンは『ノーカントリー』のバビエル・バルデムに匹敵する好演である。イースタン・プロミスとは東ヨーロッパ(この映画ではロシア)を根城にする人身売買(売春)組織の俗称である。西ヨーロッパ人とりわけ英国人にとっては、ロシア人はエギゾチックでミステリアスな人種に見えるらしい。随所にクローネンバーグらしいエグイ映像が散りばめられているのが嬉しい。久しぶりに映画らしい映画に出会った。1時前に事務所に戻る。午後はA工場図面チェック、沼田邸スケッチ、読書の繰り返し。夜は娘のコレクションから借り出したタルコフスキーの『ノスタルジア』やトム・スコットの『デジャウ゛』のDVDを散見。後者はじっくり観る必要がありそうだ。10時半帰宅。風呂に入った後『変化の原理』を読みながら夜半就寝。

『変化の原理:問題の形成と解決』(P・ワツラウィック+J・ウィークランド+R・フィッシュ:著 長谷川啓三:訳 法政大学出版局 1992)を読み終わる。最終章の事例集が面白い。とはいえ建築家にとって心理学に関する本は両義的である。建築家は建築というモノを通して人間に働きかける仕事だから、心理学に興味を持つのは当然である。しかし建築以上に人間の心理には自律性がある。本書は「現実」は見方(著者によれば「フレーミング」)によって変わるという前提に立っている。「変化の原理」とは外界(建築)の変化ではなく、それを見る見方(フレーミング)の変化である。むしろいかにモノの変化なしに「現実」を変えるかが、本書のテーマなのである。これに対して、建築と心理の関係を探る研究者は、建築を心理から独立した変数として捉え勝ちである。確かにモノとしての建築は独立変数だが、人間の心理はその従属変数ではない。本書が主張するように、むしろ心理の方が独立変数であり、建築は従属変数である。問えるのはせいぜい両者の相互関係に過ぎない。建築心理学が時折うさん臭く見えるのは、建築に注目するあまり、この前提が逆転することがあるからである。建築家にとって心理学に関する知見は、クライアントとの打ち合せにおける心理的なやり取りや、デザイン・プロセスにおける思考の変化という形で、間接的に捉えた方が有効だろう。その結果、心理学は建築家にとっては隔靴掻痒のジャンルになるのである。


2008年06月14日(土)

午前中沼田邸スケッチと読書。要望通りの案はできるが「箱の家」からなかなか脱皮できない。脱皮する必要はないともいえるが、折角、敷地条件が緩やかなのだから、もっと自由に発想できるはずである。昼食時にスタッフに相談し、試しに所内コンペをやってみることにする。午後2時、石野夫妻が来所。花巻と第1案のプレゼンテーション。太陽熱給湯システムについても説明。気に入ってもらえてかどうかは分からないが、現段階ではベストの案として提案したつもりである。図面と模型を渡し、しばらく検討してもらうことにする。午後3時半、吉田夫妻が来所。「131吉田邸」の詳細打ち合せは栃内に任せる。まだ展開図や設備図面が整っていないので、次回の打ち合せはそれらがまとまってからとなる。その間、僕は来週の講義やエスキスの準備。5時半から所内掃除。7時前解散。夕食後、ふたたび事務所に戻り、スケッチと読書。10時過ぎ帰宅。ウィスキーを飲みながらボンヤリとテレビを見る。

『変化の原理』を読んでいてひとつ気がついたことがある。学生を相手にしている時にいつも感じる居心地悪さの理由である。それは教えている自分は学生よりも一段高い位置にいながら、教えている内容それ自体は自分にも当てはまることから生じる。教えることはレベルの異なるふたつのクラス(論理階型)を混同することである。そのことに気づかずになされる教育が欺瞞的に感じられるのは、そこに潜む論理的矛盾に気づいていないからである。「言うこととやることが違う」という非難は、そのような欺瞞性に対して発せられるのである。


2008年06月13日(金)

5時半起床。イタリアに行く妻を見送る。8時出社。しばらく読書。10時、鶴見夫人来所。「130鶴見邸」実施の打ち合せ。11時前に井上と事務所を出て、東武線の寄居へ1時着。佐々木構造事務所の犬飼、木村両氏と待ち合わせ、昼食後タクシーでA工場へ。すでに高間さんが到着している。2時から概算見積説明会。ゼネコン7社が参加。社長が挨拶した後、建築、構造、設備の説明。質疑を受けて3時前終了。タクシーで敷地に行ってみたが、ゼネコンの姿は見当たらない。敷地調査なしに現実的な概算ができるのかどうか、一抹の不安を感じる。5時半大学行き。6時からココラボ定例会議。学生たちの作業は少しずつ進んでいるが、まだリアルな案には到達していない。コスモス・イニシア側も同じように感じていたらしい。会議終了後の個別の話し合いで、商品化のための実務的な設計条件が出てきた。学生たちが現状の案にこれらの条件を追加してまとめることができるかどうか、やってみなければ分からないが、駄目なら最初からやり直すだけである。今年のココラボは昨年とは桁違いにリアルで厳しい。9時半事務所に戻る。花巻と明日の「石野邸」プレゼンテーションの打ち合せ。10時半帰宅。鈴木博之、伊藤毅両教授とメールで打ち合せ、今年も3研究室の「読者会バトル」を開催することになった。とりあげる本はロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』。ル・コルビュジエの『建築をめざして』に続く名著といわれ、ポストモダニズムの引き金となった本である。僕は数回読んだことがあるが、いい機会だ、また読み返してみよう。

A工場への往復の電車の中で『変化の原理:問題の形成と解決』(P・ワツラウィック+J・ウィークランド+R・フィッシュ:著 長谷川啓三:訳 法政大学出版局 1992)を読み始める。著者は家族心理療法の専門家で、人間の思考の変化について論じた本だが、僕としてはデザイン・プロセスにおける発想システムの視点から興味を持った。第1部「理論的な見通し」では、ウィトゲンシュタインやベイトソンに依拠しながら、システムの持続と変化の構造を、群論と論理階型理論によって整理している。さまざまな事例を数学的に解釈していく手さばきは見事である。


2008年06月12日(木)

9時半大学行。10時15分から大学院講義。昨夜のグレン・マーカット展の話題から始めて、戦後モダニズムと池辺陽について話す。いつも通り学生の反応は今一である。手応えがないので少しずつ気が抜けていくのが自分でも分かる。12時前終了。12時半から学科会議。留学生の受け入れ3件。2時過ぎから教授会。人事投票が10件。4時から学科長・専攻長会議。文科省が発表した留学生30万人受け入れ計画の概要説明。6時終了。急いで有楽町の読売ホールへ向かう。6時半からグレン・マーカット講演会。会場は超満員。2時間の長丁場。詩人や哲学者の引用をちりばめた冒頭のサスティナブル・デザイン思想に関する話が30分も続き、やや食傷気味。内容には大いに共感するのだが、あまりに強調されると、聞いている方は恥ずかしくなってくる。説教じみた喋りは僕の趣味ではない。続く図面と写真によるスライドショーも、単調で何度も眠気に襲われる。見回すとかなりの人が顔を下に向けている。この種の講演に慣れていないのだろうか。スライドのデザインがよくない。巨大画面なのに、折角の手描きスケッチや詳細図面が読みとれないのだ。何より意外だったのは、マーカットはもっと謙虚でシャイな人かと思っていたら大違いで、むしろ自分の思想を大言壮語的に喋りまくる人なので、少々がっかりする。壮大なヴィジョンによって瀟洒な実作が押し潰されたような印象だけが残った。言い古された教訓だが、建築家にとって言葉は注意すべきメディアである。他山の石としよう。9時過ぎ事務所に戻る。スタッフに昨日の学校と今日の講演の感想について話す。

『崇高の美学』(桑島秀樹:著 講談社メチエ 2008)を読み終わる。バーク、カントの崇高論、ジンメル、ラスキンの地質学的美学の相互関係を知ったことは収穫だった。物質の凝視(contemplation)が崇高な感覚をもたらすという視点も新鮮である。焦点を絞り込んだ写真やクローズアップ画面がもたらす崇高な印象はまさに凝視の美学だといってよい。しかし山よりも海に惹かれる僕としては、崇高概念を山岳美学だけに結びつけている点は少々不満である。海洋的崇高性も存在するはずだ。さらにテクノロジーの進展がもたらしたアメリカ的な崇高概念に関する最終章は、今一歩踏み込みが足りない。崇高論をそのままテクノロジー批判に結びつけようとする著者の結論は安易である。崇高性は科学とテクノロジーの進展がもたらした概念である以上、両者は共犯関係にあるはずである。原水爆の爆発風景は崇高だが、その結果は悲惨である。凝視を通じて両者の関係を明らかにする視点を探らなければならない。


2008年06月11日(水)

朝10時半、岸和郎、桜井潔両氏と埼京線北戸田の芦原小学校へ。小泉アトリエの小泉雅生、番場俊宏両氏が迎えてくれる。校長に挨拶した後、約1時間かけてゆっくりと見学。学校周辺は区画整理に最中の荒んだ雰囲気なので、掃き溜めに舞い降りた鶴のような建築である。全館空調でとても恵まれた小学校である。公開コンペを勝ち抜いて実現した建築だが、小泉さんによれば、この案が選ばれたのは、1階を管理と低学年、3階を高学年、間の2階に特別教室を置いたきわめて明解な構成が評価されたためだという。この構成は外部にはっきりと表現されている。屋上にはプールやビオトープが置かれていて、近くに埼京線と新幹線が見える。2階の一室空間は魅力的だが、図式的なプラニングなので空間全体がやや単調に感じられる点と、2階の中庭に緑が少ないので夏の風通しと照り返しが気になった。12時過ぎ岸さん小泉さんと北戸田駅近くの中華料理屋で昼食。2時過ぎに大学へ。3時からココラボ・ミーティング。HP掲載資料と定例会議の準備。案のエスキス。5時半過ぎに山代さんと大学を出て乃木坂のギャラ間へ。グレン・マーカット展のオープニング・パーティ。予想以上に盛会で、原広司夫妻、伊東豊雄、山本理顕といった人たちに会う。途中、パーティ会場を抜けて展覧会をじっくりみる。マーカットのインタビューが興味深い。9時過ぎ、近くの中華レストランでの打ち上げに招待される。グレン・マーカット一行、原広司+若菜夫妻、伊東豊雄、山本理顕さん以外に、トム・ヘネガン、北山恒、小嶋一浩+赤松佳珠子、西沢大良、塚本由晴+貝島桃代、千葉学、手塚貴晴といった面々が参加。皆かつてギャラ間で展覧会を開いた建築家たちである。紹興酒と北京料理で盛り上がる。勢いでトム・ヘネガンに特別講義を頼んだら快諾してくれた。2週間の滞在なので開催日は来週木曜日に決定。11時終了。11時半過ぎに帰宅。


2008年06月10日(火)

午前中は事務所。11時『COMFORT』編集部の小川さんが来所。校正原稿のチェック。午後は大学。1時半からスタジオ課題エスキス。いまだに方向が見えない学生と、基本方針が決まり後は詳細を詰めるだけの学生と、学生によって大きな差が出てきた。分析と批評ばかりしていて跳べない学生と、仮説的デザインを試みようとする学生の違いである。来週は何が何でもプレゼンテーションの叩き台を持参するように指示。残すところ2週間である。カンボジア出張から帰国した鈴木博之さんと短い打ち合せ。7月末に中国から来日する大学人へのレクチャーを依頼される。べトナムコンペの水のテーマに関して、環境安全研究センターの山本和夫教授にアドバイスを依頼。来週早々に会うことになった。5時から研究室定例会議。M3生の修論中間報告。徐々に煮詰まっているがどこへ着地するかが見所である。歴史研との読書会バトルについて議論。学生から本の候補が示されたが、どれも食指が動かない。もう少し考えるよう指示。8時前に事務所に戻る。今日も龍光寺が手伝いにきている。スケッチと読書。何だか時間が急速に過ぎていく。毎日同じことをくり返しているからだろうか。理由の見えない宙吊り感覚に襲われる。『崇高の美学』はゲオルグ・ジンメルとジョン・ラスキンの山岳風景に関する崇高論まで来た。カントのリゴリスティックな崇高論を乗り越える可能性の模索である。


2008年06月09日(月)

8時出社。A工場図面の再チェック。べトナムの協力事務所から届いたコンペのコメントに眼を通す。抽象的で分かりにくい文章だが、問題点を指摘するだけで具体駅な提案のない評論家的なコメントである。これでは協力事務所とはとてもいえない。今朝からココラボ2008のHPがスタートした。まだ研究テーマの提示とメンバーの紹介だけで、本格的なスタートは6月20日からである(http://www.cocolabo.jp/index.html)。10時、大成建設が来所。A工場概算見積りについての相談。大成建設には概算チームと本格見積チームとがあるらしい。もちろん概算チームで対応してくれるように頼む。午後1時半に事務所を出て大学へ。3時からココラボ・ミーティング。第1回目のプレゼンテーション資料の確認。各敷地のエスキス。リアリティのある案に転換することも考えたがディスカッションした結果、最初の5回までは当初の4案で進むことにする。5時からべトナム・コンペ・ミーティング。べトナムから届いたコメントにはコンペメンバーも僕と同じような印象を持ったらしい。もう少し具体的な提案を出すよう返事することを確認。その後、検討すべきテーマについて議論。水についての検討の必要性を確認。都市工か社基の先生に問い合わせてみることにする。7時、葦澤さん、PHP出版、フリック・スタジオが来研。千葉、山代が参加しPHP新書についての打ち合せ。スケジュールや本のタイトルなどについて議論。出版は9月5日に決定。8時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。今日は一日中、高間さんや松本さんとメール上でA工場の設備システムに関する打ち合せをくり返す。11時前帰宅。『崇高の美学』を読み続ける。第1章は18世紀までの崇高概念の歴史。崇高概念の研究においては、やはりエドモンド・バークとイマヌエル・カントが決定的な役割を果たしている。


2008年06月08日(日)

9時半に出社。A工場の図面チェック続行。概算のためには設備と建築の関係を建築図に反映させる必要があるだろう。午後は読書と「沼田邸」スケッチ。おおよその方針をまとめる。シンガポールLPAの面出薫さんからメール。来週中にヴェトナムコンペについて相談に乗ってもらうことになった。夕方、栃内が出社。「130鶴見邸」のスケジュールを再検討。詳細な検討の時間が不要になったのでスケジュールを早めることとし、結果を直ちに構造コンサルタントの西薗さんにメール。夕方、徒歩で渋谷へ。久しぶりに雑踏を歩く。表参道やキャットストリートは若者で一杯だ。安藤さんの鉄板構造の建築が閉鎖されていることを発見。宮下公園の脇道からはブルーシートの小屋が一掃されて有料バイク置場に変わっている。この方が以前よりも危険な雰囲気が漂っている。西武百貨店8階の美々卯で家族と待ち合わせ夕食。9時過ぎ終了。渋谷は相変わらず人でごった返している。9時半帰宅。

『ポストフォーディズムの資本主義:社会科学と「ヒューマンネーチャー」』(パオロ・ヴィルノ:著 柱本元彦:訳 人文書院 2008)を読み終わる。ポストフォーディズムの時代(ポストモダンといっても同じだが、著者はマルクス主義者なので生産の様相に注目したのだろう)においては、人類史上初めて社会学的カテゴリー(たとえば「フレキシビリティ」や「生涯教育」)と生物学的観念(たとえば「ネオテニー=幼形成熟」)が完全に符合するというのが著者の主張である。つまり文化と自然の境界がなくなるということだが、両者を媒介するのが言語である。言語は人間にとっては生得的(生物的)能力だが、その能力が現実に発現し執行されると文化を生み出すというわけだ。同じようなテーマは1970年代のニューアカデミズムでしきりに議論された。ミシェル・フーコーとノーム・チョムスキーとの議論もこの問題をめぐって展開された。本書の違いは、それを政治的視点から整理し直したところにある。ポストモダンの時代においては、生物性(動物性)が文化の前面に押し出されるという主張は、東浩紀の最近の所論(『動物化するポストモダン』)を想起させるが、これはいうまでもなくアレクサンドル・コジェーウ゛が『ヘーゲル読解入門』で展開した「歴史の終焉=ポスト歴史」に関する議論に起源がある。コジェーウ゛は、ポスト歴史の生の形は「新しい動物性(アメリカ)」か「スノビズム(日本)」という対照的なふたつの形態をとると示唆した。これに対し著者は、両者の違いは内容と形式の違いであり、両者の交錯こそが(ポスト歴史というよりもむしろ)ハイパー歴史的な現代の社会状況の特徴であると主張する。こうした所論も興味深いが、それ以上に僕が注目したのは「悪」の概念に関する議論である。著者は、動物性(自然)と人間性(文化)を丁番的に結びつけている言語が、その「否定性」の重層を通じて「悪」の概念をもたらすと主張する。善悪という尺度が存在しない単なる事実性としての「動物性」を、言語は対象化し、存在を認めながら、それに対して否定を重ねることができる。幼形成熟のために不確定な動物性しか持たない人間は、事実性にとどまることができず、そこに言語による否定性を持ち込む。それが「悪」である。ちなみに「二重否定=否定の否定」が公共性を生み出すという主張も興味深い。こうした議論は、近代の計画概念に潜む倫理性と都市における悪場所の関係や、建築における批評性の問題に展開できそうな気がするが、まだ十分に頭を整理できない。この問題と関係がありそうな予感がするので、次は『崇高の美学』(桑島秀樹:著 講談社メチエ 2008)を読んでみよう。


2008年06月07日(土)

10時、高間三郎さんと松本由貴さんが来所。A工場の設備打ち合せ。概算見積りのためのシステムについて最終検討。コストが心配だが、まずは工場側の当初の要求条件に沿うようなシステムを提案することを確認。午後は読書と沼田邸のスケッチ。できるだけ自然に開放するため、東西に長い開放的なプランを検討。日射と通風を最優先するが、落ち葉対策のためには樋を省くことも必要である。いずれも「箱の家」のシステムで対応できる。広いテラスと薪ストーブが新しい条件になるだろう。花巻がまとめた「129坂口邸」の査定を各工務店と坂口夫妻にコメントを添えて送信。来週末にプレゼンテーションする「石野邸」の屋根に太陽熱給湯器を組み込むことが可能かどうか前さんに検討を依頼。まもなく前さんから新しい太陽熱給湯システムのデータが返送されてくる。今までのシステムよりもずっとスマートである。これなら「箱の家」の標準仕様にできそうだ。ヴェトナムの協力事務所から難波研のコンペ案に関するコメントが届く。来週月曜日の定例会議で議論しよう。6時解散。夜は井上がまとめたA工場図面チェック。早めに切り上げて帰宅。『ポストフォーディズムの資本主義』は最終章の「いわゆる「悪」と国家批判」迄来た。カール・シュミットやジグムント・フロイトを引きながら、生得的な共感能力と言語による否定性との対立がもたらす「悪」についての議論が展開される。「悪」は生得か文化かという二項対立を、著者はその前提自体に疑問を投げかけることによって脱構築しようとしている。


2008年06月06日(金)

10時半、AGC来所。プロジェクト休止の経緯報告。今更経緯を聞いても仕方ないのだが、万が一再開した場合は必ず声をかけてくれるように念を押す。午後1時過ぎ、都営三田線の白山駅へ。ヴェトナムコンペ・メンバーと待ち合わせて小石川植物園へ。園長の邑田仁教授に会い、熱帯地域の植物についてアドバイスを聞く。やはり現地の植木屋に相談するのが一番的確らしい。3時終了。白山駅近くのカフェでしばらく休憩した後、4時半過ぎに事務所に戻る。5時、群馬のゼネコン来所。A工場の概算見積について説明。7社が参加することになったが、見積条件は同じにしなければならないので、概略を説明するにとどめる。7時から原宿のイタ飯屋で井上樹の誕生会。龍光寺も加わり赤ワインとイタリア料理で盛り上がる。今週は飲み会が続いたので少々疲れる。10時過ぎ終了。事務所に戻り雑用。11時帰宅。『ポストフォーディズムの資本主義』は第2部「鏡ニューロン・言語的否定・相互認知」にさしかかる。依然として生物学と社会科学の関係についての議論が続く。何となく70年代のニューアカデミズムに近い議論である。


2008年06月05日(木)

10時15分から大学院講義。「難波研必読書20冊」について話す。想い出すままに喋ったが、話しが芋づる式に広がり歯止めがつかなくなる。気がついたら終了時間を過ぎ正午になっていた。12時半から学科会議。安藤忠雄さんから提唱された伊東忠太賞を発議したところ、何人かの教員から異議が出る。建築史・建築理論の卒論を対象にすることが限定されすぎているという意見である。一見正論のようだが、その実は歴史意匠系に対するルサンチマンにすぎないように思える。建築学専攻の学生を喚起しようとする折角の申し出を、もっと素直に受け入れられないものだろうか。こうした所に建築学専攻の狭量性が見えて少々気が滅入る。学校法人化以降、外部資金の導入は大学全体の基本方針である。何とかいい形で受け入れねばならない。2時から前準教授とココラボ研究の方針についての話し合い。最近のコスモスイニシアの対応について報告。通風研究を中心にして、エネルギーや温熱環境に関しては定性的な研究に止めることを確認。2時半からココラボ・ミーティング。今夜の研究報告スライドの最後のチェック。基本的な点のみ修正を指示。引き続きヴェトナム・コンペ打ち合せ。佐藤淳さんを交えて今後の進め方について話し合う。夜間の広場の使用が重要な条件になるので照明計画についても検討することを確認。早速照明コンサルタントに依頼メールを送る。5時過ぎに大学を出て新橋のコスモスイニシア本社へ。6時から真壁智治さんを交えてコスモスイニシア首脳との会談。研究プログラムに疑義を呈した首脳の顔を確認。6時半からキックオフ・ミーティング。一通り挨拶を済ませた後、難波研M1生とM2生が研究プログラムの報告。7時半から懇親会。まずはスムーズな滑り出しといってよいが、これからが正念場である。8時半過ぎに退席。9時半に事務所に戻る。龍光寺が参加しA工場の概算見積りに向けて構造・設備コンサルタントの打ち合せが進んでいる。10時半過ぎ帰宅。風呂に入った後『ポストフォーディズムの資本主義』を読みながら夜半過ぎ就寝。第5章の結論「社会科学の自然化のために」に来て少し持ち直した。自然は不動ではなく自然史という歴史がある。ここにも時間の層がある。


2008年06月04日(水)

午前中、事務所。進行中の仕事のチェック。1時大学行き。1時半からココラボ・ミーティング。スライドショーのチェックの後、案のエスキス。案のコンテンツだけでなく、プレゼンテーションまでを指示。本番と教育との両面作戦は少々疲れる。4時半終了。明日のキックオフ.パーティについてコスモス・イニシアとメールのやり取り。ようやく社内の方針が固まりそうだが予断は許されない。5時半パリ大学のステファン・ロラン教授が来研。42歳の若い歴史家。6時から「フランスのデザイン史」と題して約2時間のレクチャー。会場は4割の入り。こういう時こそ密な議論ができる。18世紀末から現代までのフランスのデザイン史を概観。包括的で焦点が定まらない嫌いはあったが、フランスのデザインの傾向を把握できた。その後、約40分の質疑応答。フランス独自のデザインの傾向があるかどうかに議論が集中。9時前になったので懇親会は中止し,そのまま正門前の居酒屋へ。東京理科大の山名善之さんも加わりデザイン論議。10時過ぎ終了。11時前に事務所に戻る。簡単な打ち合せを済ませ11時半帰宅。


2008年06月03日(火)

午前中事務所。雑用の山積み。青木茂さんと連続講義「近代建築論」のプログラムに関するメールのやり取り。今後のプログラム進行に助力をお願いし快諾される。大学院講義の準備。次回は「難波研必読書20冊」について話す予定。1時大学行き。1時半からスタジオ課題エスキス。途中シカゴ大学の建築学科の集団が見学にくる。発表者はメンバーの半分。皆、OMAの社会学的な調査に引きずられて、建築のデザインまで到達できない。調査が先にあってデザインが後に来るというのは後付けの構図である。そうではなく、まず仮説的なデザインがあり,それにもとづいて調査が行われ、仮説が検証・修正されながら収斂するというのが実際のプロセスである。調査からデザインが引き出されることがあるかもしれないが、その場合のデザインは紋切り型のありふれたデザインにすぎない。最終提出まで残り3週間。学生たちは果たして収斂できるだろうか。少々心配になってきた。4時過ぎ終了。5時から研究室定例会議。M2生がAUSMIPのパリ留学から帰国してきた。院生2人の修論中間発表。その後ココラボとべトナムコンペの経過報告。コンペメンバーは6月20(金)日からホーチミン市に再調査に行くことになった。残念ながら僕は同行できそうもない。7時、コスモス・イニシア来研。共同研究と設計契約の条件についての話し合い。コスモス・イニシア内部でも状況が大きく揺れ動いている。彼らのスタンスが明確にならない限り実働はできないと釘を刺す。一瞬、池辺陽の顔が浮かぶ。大学のスタンスは30年前の池辺の時代と大きく変わっていない。8時過ぎ終了。研究室を出ようとしたところで界工作舍OBの中川純君と佐々木事務所OGの礒崎あゆみさんに会う。前スタジオのエスキスの帰りだという。折角なので近くのイタ飯屋で夕食。互いのスタジオの話題で盛り上がる。9時半過ぎ解散。10時半事務所に戻る。井上とA工場について簡単な打ち合せ。明日は役所との事前協議やクライアントとの打ち合せだが、僕は参加できない。11時帰宅。『ポストフォーディズムの資本主義』を読みながら夜半過ぎ就寝。話題が変な方向に進み始めた。やや眉唾に感じながら読み進む。


2008年06月02日(月)

10時、丸ノ内線新大塚駅すぐ傍の川本製作所ビルへ。村松映一、阪田誠三両氏と現地審査。日建設計の和田剛氏の説明で建物内外を観る。道路沿いにビルトHの格子状鉄骨フレームを立て、その後ろにパッチシステムでペアガラスを留めた透明で軽快なファサード。階高は3m余で床スラブはPC版。オフィススペースもコンパクトで快適そうだ。コストは通常より高めだが、パフォーマンスは十分である。サスティナブル・デザインの視点はとくに見られないが、日建設計らしい隙のない建築である。11時前終了。11時半大学へ。正午過ぎ、難波研志望のシンガポール大学の学生が来研。最近、外国からの入研希望が多いのでウンザリしていたが、ポートフォリオのエコハウスを見て気持ちが動く。来年4月入研だと1年しか面倒を見られないが、それでもいいというので研究生ではなく院試を勧める。2時からココラボ・エスキス。最初はキックオフ・ミーティングのスライドのチェック。引き続き各敷地のエスキス。少しずつ展開しているが、まだリアリティが足りない。全面的に手を入れ、断面までをチェックして6時過ぎ終了。水曜日にさらに詳細を詰めることにする。8時前に事務所に戻る。進行中の仕事の打ち合せ。事務所でも解決すべき難題が山積している。虚空を見上げて深呼吸した後、仕事に取りかかる。花巻と「129坂口邸」の見積分析。まずは査定から始めるが先は長そうだ。見積書を見て坂口夫妻も天を見上げることだろう。井上とA工場の打ち合せ。今週は作業が山積みである。昼間の疲れが吹き出したので10時半帰宅。『ポストフォーディズムの資本主義』を読みながら夜半過ぎ就寝。チョムスキーとフーコーの対照が思わぬ方向へと展開している。ポストフォーディズムの資本主義においては、人間的自然(生物学的不変項)が歴史的偶然性(文化的変項)に直結するという興味深い主張である。僕の視点からは、両者は層を成しているといいたくなるのだが、まさにそのように論が展開している。


2008年06月01日(日)

8時起床。10時出社。午前中は「130鶴見邸」の図面チェック。午後は井上がまとめた「A工場」の概算用図面のチェック。各部の仕様と詳細の見直しに意外と手間取り4時終了。その後はひさしぶりにITUNEやYou Tubeでネットサーフィン。懐かしいChaka Kahnのアルバムを聴いたり、北野武監督の「座頭市」を通しで観る。夜はゆっくりと読書。早めに帰宅し入浴。本を読みながら夜半過ぎ就寝。

『「家族」はどこへいく』(沢村美果子他:著 青弓社 2007)を読み終わる。読んで一点だけ発見があった。日本ではいわゆる郊外化(都心から20kmから50kmのゾーンに核家族と専業主婦が集中してすむようになった都市現象)が集中的に進んだのは、ここ50年という短い期間だったという事実である。郊外化がこれだけ短期間で進んだのであれば、逆に今後50年をかければ郊外を再整理できるのではないかというアイデアが浮かぶ。都市化は不可逆だという意見には何の根拠もないし、車だけに頼る社会に未来はない。緻密に計画すれば郊外の再編成は可能なはずである。
引き続き『ポストフォーディズムの資本主義:社会科学と「ヒューマンネーチャー」』(パオロ・ヴィルノ:著 柱本元彦:訳 人文書院 2008)に進む。第1章「人間的自然をめぐるチョムスキーとフーコーの討論」を読み終わったところ。人間の言語能力の生得性をめぐって歴史に対する二人の対立的な視点が導き出される。科学的普遍性と歴史的相対性との対立である。読みながら、空間創造能力の生得性をめぐるクリストファー・アレグザンダーとピーター・アイゼンマンの対立を想い出した。



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