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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2007年11月30日(金)

6時前起床。7時50分北千住発の特急に乗る。車内ではコールハースの『錯乱のニューヨーク』を再読。何度読んでも面白い。藪塚で下車。ゼネコンの車で「CIXM工場」現場へ9時半着。早速現場を見て回る。建築工事はほぼ終了し、外構工事と植栽工事の真最中。室内は最終の床仕上の準備が始まっている。CIXMの工場スタッフが訪れ、機械配置の打ち合わせを行っている。定例会議は最後の詰めの工事について打合せ、短時間で終了。後は龍光寺に任せ11時半ゼネコンの車で熊谷駅へ。新幹線に乗れば早いといわれたが1時まで便がなく結局、東武線特急と同じ3時半過ぎに事務所に戻る。井上と「128濱本邸」の鉄骨階段打合せ。少しずつ収斂しているが、まだ修正が必要なようだ。花巻と「坂口邸」の基本設計打合せ。基本設計の最終案をまとめて、銀行融資用書類を作成することになった。4時過ぎ事務所を出て新橋のコスモスイニシアへ。会場にはコスモスイニシアの社員、メディア、学生など約100人の観衆が集まる。5時からココラボサミット2007。4大学の研究室が集合。東大は難波研、東工大は塚本研、藝大は片山研、首都大学東京は小泉研が参加。テーマは「1.5階×時間」。真壁智治さんが司会。町田社長とイベントの責任者である南さんが挨拶した後、各大学のプレゼンテーション。4大学ともそれぞれユニークな提案をまとめている。僕たちは正面からテーマに取り組み、時間経過に最小限の変化で対応するという案を提案。東工大と首都大学東京は、時間経過に対応する多様な場所を持った住戸を提案しているが、デザインはまったく異なる。藝大はSIシステムを利用して時間経過に対してドラスティックに変化する案を提案。シナリオは面白いが、ややリアリティにかける。プレゼンテーション終了後、首都大学東京の深尾精一さんから届いたスライドを僕が紹介。深尾さんが企画した国交省の「1.5層集合住宅研究」のまとめである。1980年代に研究を展開し、それにもとづいて1990年に実際に建設された先駆的研究だが、おそらくバブル崩壊のためにその後展開しなかったのだと思われる。景気が上向いてきた最近になって再び復活してきた訳だが、15年間のブランクのためかつての研究は忘れられてしまったという歴史的皮肉である。何となくアルミニウム構造の歴史に似ていて身につまされる。その後、コスモスイニシアの営業責任者、戸田由香さんによる1.5 階住戸の販売結果の報告。予想外の特異なユーザーの存在を確認。要するに1.5 階住戸の場合これまでの平均的ユーザーを狙ったのでは通用しないということである。逆にいえば、思いきった提案でも、1人の特異なユーザーがいれば成立するということであり、僕たちの出る幕は大いにあるということだ。7時から懇親会。その間、研究担当者の舟久保さんがアンケート結果を紹介。社内と一般のアンケートの比較が興味深い。我田引水かもしれないが、僕たちの案がもっともリアリティが高いように感じた。8時半終了。関係者に挨拶した後、9時に会場を出る。直前、東工大の塚本さんに東大との共同設計課題を提案。東工大の来年の非常勤はヨコミゾマコトさんだという。ならば今年の早大との共同課題との展開で、面白い企画になるかも知れない。ともかく東大は外部との交流が不可欠である。9時半、事務所に戻る。スタッフから現場でいくつか面倒な問題が発生したことの報告。何とか乗り越えねばならない。10時半帰宅。今日、現場からの帰途に八重洲ブックセンターで購入した『文化人類学とわたし』(川田順三:著 青土社 2007)を読み始める。


2007年11月29日(木)

6時起床。7時前出社。原稿の続き。文章のテンポがあまり良くないのでしばらく推敲。しかし部分的な改良しかできない。11時過ぎに事務所を出て大学へ。12時半から学科会議。2時半から調布展エスキス。選ばれた4チームを集めてエスキス。やや不安が残るが、もう突っ走るしかない。進行中の設計課題に併走しながら、展覧会へ向けてじっくりと展開させるつもりであることを話す。ヨコミゾマコトさんも時々顔を出してくれるそうだ。今後のスケジュールを確認して4時半終了。引き続き研究室会議。明日のココラボ・サミットのプレゼンテーション・リハーサル。その他いくつかの報告を行い5時半終了。その後しばらく原稿。6時過ぎカメラマンの上田宏さんが講評室でAGC提案住宅の模型撮影開始。挨拶をして大学を出る。8時に事務所に戻る。ふたたび原稿に集中。21時半、時間切れなので校了。最後にざっと読み通してから編集部に送信。今回の連載原稿は参照原稿が全くなかったので、すべてゼロから組み上げることになった。要するにこれまでちゃんと考えてこなかったテーマだったわけだ。しかしテーマ自体はかなり射程距離が長いように思う。いつか手を加え、膨らませてみたい。10時過ぎ帰宅。明日も朝が早い。


2007年11月28日(水)

8時出社。しばらく原稿を書いた後、9時に事務所を出て、田園都市線でのあざみ野へ。バスでもみの木台の「124佐藤邸」現場へ。すでに花巻が来ている。木造骨組は主要な部分は建ち上がっているが、屋根の小梁はまだついていない。全体的に白みがかった集成材。輻射冷暖房用のPSヒーターパネルがすでに設置されている。幅1.4m、高さ4.5mの巨大なパネルなので、建方の段階で運び込むことになった。2階に上がって全体をチェック。明日は雨の予想なので、十分に養生を行うよう現場監督に依頼。11時過ぎに現場を発ち、正午に事務所に戻る。午後から夜にかけて原稿。夕方、カメラマンの藤塚光政さんが来所。数年前に撮った世界最初の鉄骨建築の写真を持ってきてくれた。18世紀末の英国の工場である。アイアン・ブリッジ(1779)から18年後に建てられた建物。鋳鉄柱の上にコンクリートヴォールトを載せた構造。鉄骨建築の研究者には唾涎の建物だが、あまり知られていないらしい。鉄骨建築の歴史を追ってきた僕としては感謝感激。原稿は夜までにようやく20枚まで届く。しかしそこからの展開がはっきりと見えず中断。しばらく考え込んでいるうちに10時を過ぎる。一旦帰宅しプリントアウトした原稿を読み直し資料を閲覧。ボンヤリと先が見えてきたところで夜半過ぎ就寝。


2007年11月27日(火)

8時出社。井上は「123野川邸」の竣工写真撮影。花巻は「124佐藤邸」の建方立ち合い。井上がまとめた「128濱本邸」の鉄骨階段図のチェック。あちこち気になる点を散見。もう一度最初から考え直す必要があるかも知れない。10時、会計事務所の渡瀬さん来所。9月までの決算報告を聞く。今期は消費税の納入が予想以上に大きい。『10+1』からの原稿催促。いよいよお尻に火がついた。濃いコーヒーで頭を叩き起こし書き始める。案の定、文章はあらぬ方向へ走り始めるが突っ走るしかない。花巻へ電話し建方の進行状況を聞く。今日中には建方が終了しないので現場行は明朝とする。南泰裕さんから電話。建築雑誌のインタビュー日時を決める。原稿は夜までかかってようやく10枚まで到達。ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』の読みが頭の中で右往左往する。それだけ多面的な読みが可能である証拠だろう。いつの間にか頭痛は消し飛んだ。


2007年11月26日(月)

7時起床。頭痛は和らいだがまだ頭がボーッとしている。8時に事務所に出て雑用。9時に事務所を出て10 時研究室着。メールチェック後、製図室へ。10時半から調布市展覧会へ向けての打合せの予定だったが助教も学生も集まっていない。居合わせた学生に尋ねても何も聞いていないという。担当の助教から連絡が届いていないことが判明。やむなく今週木曜日から再出発することにする。ヨコミゾマコトさんも参加してくれることになった。午後1時半、院生室へ。AGC模型のチェック。2案とも完成間近である。木曜日に最終チェックを行うことを確認。2時から卒論・修論のエスキス。卒論は最終段階に差しかかった。梗概をチェックしテーマを明確にするようアドバイス。修論の方はまだ方向がボンヤリとしている。しばらくは模索が続きそうだ。5時半過ぎ、佐々木睦朗さんが来研。6時から特別講義。「フラックスストラクチャー」と題してミースとガウディを軸にしながら最近の仕事を紹介。2年前のギャラ間の講演会で聞いた内容とほぼ同じだが、問題がさらに整理されてきた感じである(http://www.toto.co.jp/gallerma/ex050601/space.htm)。8時から懇親会。構造研の学生が多く、いつもと違う顔ぶれ。学部生の顔が見えないのは建築家ではなくエンジニアの講義であることと、講演の内容が構造に特化しているせいかもしれない。だとしたら視野が狭いというしかない。現代建築は構造家の協力なくしては成立しないのだから。9時、正門前の居酒屋で夕食。佐々木さんとゆっくり話しをするのは2年ぶりだろうか。彼とは40年近い付き合いになるが、最近はお互いに忙しくてゆっくり話す機会がなくなった。久しぶりに佐々木節を聞いて頭脳が全開になる。11時過ぎまで話し込み、地下鉄で表参道まで一緒に帰る。12時帰宅。また頭痛がぶり返してくる。


2007年11月25日(日)

二日酔いだろうか、ひどい頭痛で目が醒める。9時半に出社するが午前中は仕事にならない。午後、ようやくパソコンに向かい原稿を書き始める。考え事をするとますます頭が痛くなり寒気がし始める。ようやく4枚を書いたところでダウン。夕方までベッドに横になる。夕食は久しぶりに娘と2人で摂るが、体調が悪く話もままならない。多分風邪だろう。原稿はデッドラインを過ぎたが仕切り直すしかない。風呂に入り早めに就寝。


2007年11月24日(土)

10時に事務所を出て11時過桶川着。駅前で花巻と待ち合わせ、バスで菖蒲町の「123野川邸」へ。すでに井上が来ている。『10+1』の荻原さんがビデオ撮影を始めている。昨日運転を開始したアクアレイヤー床暖房が効いて床がほんのり暖かい。1時からオープンハウス。すでに入居した「箱の家」のクライアント、建設中のクライアント、設計中のクライアント、あるいはクライアント候補の人たちがやってくる。「123野川邸」の見積をした工務店社長も来てくれる。彼の話ではここ数ヶ月住宅の着工数が激減し建設物価が少しずつ下がり始めているという。界工作舎でもここのところ設計依頼の件数が少なくなってきた。社会状況を見ると今が住まいの計画の好機かも知れない。4時過ぎ、界工作舎スタッフやOG・OBがやってくる。5時終了。野川夫妻にお礼を述べて現場を発つ。7時前新大久保着。駅近くの韓国料理屋で打上。まっこりでいい気分になる。10時過ぎ店を出て、歩いて10分の藤武+杉村事務所へ。コンパクトで白一色の静かな事務所。美味しい赤ワインをいただきながら歓談。シンシンと冷えてくる。11時半解散。


2007年11月23日(金)

祝日だが、終日事務所で雑用、読書、原稿スケッチ。午前中は井上がまとめた「128濱本邸」の鉄骨階段詳細図のチェック。身体スケールの納まりなので細心の注意を要する。午後、井上が出社したので修正を指示。12月4日(火)、5日(水)に東京国際フォーラムで開催される旭硝子技術展示会で、難波研究室がプロトタイプをデザインしたNEDO提案住宅が紹介されることになった。現在製作中の1/20模型も展示されるので、見学に行くよう研究室メンバーに呼びかけることにする。午後は原稿に取り組むがなかなか捗らない。あれこれ文献を漁りながらテンションを上げる。1980年代に書いた『建築的無意識』をテーマにすることに決めたところでようやく小さな光明が見えてきた。

『啓蒙の弁証法:哲学的断想』(マックス・ホルクハイマー+テオドール・アドルノ:著 徳永恂:訳 岩波文庫 2007)を読み始める。約10年ぶりの再読である。第1章「啓蒙の概念」を読みながら。現代は本書で展開されている批判が空しく思えるほど「啓蒙の弁証法」が隅々にまで浸透した時代であることを痛感する。しかしアドルノやホルクハイマーが生きた時代においても同じだったに違いない。本書における「晩年のスタイル」は、建築家にとって自らを危険な状況に追い込むことになるかも知れない。


2007年11月22日(木)

午前中事務所。雑用と読書。12時大学。学科会議。来年初めに北京の清華大学建築学部の訪問があるのでその対応を任される。3時、学科長・専攻長会議。人事の複雑なシステム変更の説明。国立大学法人化以降の組織改編の一部で経緯がよく分からないが、ともかく学科会議に報告せねばなるまい。6時、研究室会議。ココラボ・プロポーザル・ミーティングのプレゼンテーション・リハーサル。AGC模型製作の進行状況、『10+1』に掲載するフラー原稿の報告など。7時過ぎから卒論・修論エスキス。8時半に大学を出て9時過ぎ事務所に戻る。進行中の仕事の簡単な打合せ。10 時半帰宅。

『晩年のスタイル』(エドワード・W・サイード:著 大橋洋一:訳 岩波書店 2007)を読み終わる。音楽、オペラ、小説に関する批評は、取り上げられた作品を経験していないのでよく理解できない。かろうじてついて行けるのはテオドール・アドルノ、グレン・グールド、ルキノ・ヴィスコンティに関する論評だけである。サイードによれば「晩年のスタイル」とは、老年に達しながらも時代錯誤と矛盾を抱え続けようとする態度のことである。モダニズムの始源回帰もその一種であり「モダニズムとは、逆説的なことながら、新たなるものの運動というよりも、加齢と終焉の運動、ハーディの『ジュード』から引用すれば、「〈子ども〉に仮装した〈老人〉」の一種なのである」。なにやらマルクスのギリシア論を連想させるが、成熟を拒否し続けようとする点においては建築のモダニズムも同断だろう。死を間近に控えたサイード自身の声が通底音として聞こえてくる。


2007年11月21日(水)

8時前、北千住発の特急で薮塚駅9時20分着。ゼネコンの車でCIXM工場現場へ。外装はほぼ完成しファサードのガラスをはめ込んでいる。外構工事も始まっている。現場を見て回りエッジの納まりにいくつかの問題点を発見したので直ちに対応を依頼。10時過ぎから定例打合せ開始。本間社長と田島さんも参加し追加工事費の査定と今後のスケジュールの確認。12月14日(金)が施主+事務所検査、15日(土)午後が内覧会と決まる。その後、建物の外周を見て回り外構のレベルチェック。11時半過ぎ終了。あとは龍光寺に任せてCIXMの車で相老駅へ。12時過ぎの特急に乗り3時過ぎ事務所に戻る。4時から『128濱本邸』の鉄骨工事打合せ。佐々木構造計画の平岩氏、工務店の現場監督、ファブの社長が参加。「箱の家」鉄骨シリーズでは室内に鉄骨がすべて露わしになる。とくに今回は内装仕上もキーストンプレートなので繊細な納まりが要求される。建物中央の階段の納まりも決定的である。早急に製作図の書き直しを依頼し6時前終了。夕方、石山修武さんから電話が入る。来年1月の調布市での展覧会に関する打合せ。早大は肝を入れて取り組むので東大もよろしくという連絡。東大は先日の講評会のような半端な展示にしないようにという暗黙のメッセージだと受け取る。今後は僕も黙って見守っているわけには行くまい。夜は『10+1』連載原稿のスケッチ。粗筋は出来上がったが、書き始めるといつも予想外の方向へ暴走する。今回はとくにその傾向が大きいような予感がする。ここ2日の疲れがピークに達したので早めに帰宅。『晩年のスタイル』を読みながら12時前就寝。テオドール・アドルノとグレン・グールドを結びつけるサイードの鋭い視点に感心する。

『新しい住まいの設計』2008年新年号が届く。表紙は東我孫子の「箱の家113:鈴木邸」。オープンカウンターを囲む家族4人の楽しそうな写真が印象的である。
http://www.sumaiweb.jp/sho/index.html


2007年11月20日(火)

7時前起床。8時過ぎの湘南新宿ラインで桶川へ。9時半、井上と待ち合わせ、工務店の車にピックアップしてもらい菖蒲町の「123野川邸」へ。10時から引渡。久しぶりに野川さんと会う。電気、給排水、空調、床暖房の取扱説明を一通り済ませた後、引渡書類の交換。界工作舎から±0の加湿器を贈呈。24日(土)のオープンハウスのお願いをして。11時半終了。土曜日はバスの便が少ないので、時刻表をHPにアップするよう井上に指示。井上を残し工務店の車で桶川駅へ。1時半大学着。石山修武さんの「世田谷村日記」をチェックしたら案の定勝利宣言。しかし東大に対する優しい心遣いもあり感謝。建築学会から『建築雑誌』2008年3月号特集「レムコールハース以降の建築理論」の取材依頼が届く。1月から五十嵐太郎さんが編集主幹になり、3月号は南泰裕さんが担当するらしい。昨年の読者会バトルにとりあげた『錯乱のニューヨーク』のことを「青本往来記」で読んで依頼してきた。もう一度問題を整理してみよう。3時、院生室にてAGC模型のチェック。間もなく栃内も到着。町屋敷地案模型はほぼ完成し、旗竿敷地案模型が進行中。今週中にはほぼ出来上がる予定。細部の修正を指摘。4時から卒論エスキス。3人ともようやく目星がついてきた。ここ1週間で徹底的に資料修正した効果があったようだ。あとはひたすらテーマを膨らませるだけである。6時、研究科長室にて再任審査会。6時半、再び卒論エスキス。8時過ぎ大学を出て9時事務所に戻る。いくつかの打合せ。10時過ぎ帰宅。『晩年のスタイル』(エドワード・W・サイード:著 大橋洋一:訳 岩波書店 2007)を読みながら夜半過ぎ就寝。


2007年11月19日(月)

10時大学行き。製図室は最後の追い込みでごった返している。廊下には模型が山と積まれている。10時半から小会議。なかなか焦点が定まらずイライラが募る。今月中には何とか明確な見通しをつけねばならない。1時過ぎ石山修武さんが来研。1時半から製図室にて東大・早大共同課題の最終講評会。僕の司会で早大、東大それぞれ2作品ずつのプレゼンテーションと講評。東大、早大とも設計製図の全教員が参加。最初の2ラウンドは両大学とも拮抗し、あまり差が見られない。しかし第3ラウンド以降は東大は早大に圧倒されっぱなし。東大生の作品はアイデアではいくつか見るべき点があるものの、プレゼンテーションが完全に尻すぼみ。かつて早大で設計製図の非常勤講師をしていた頃アイデアの可能性とプレゼンテーションのパワーとのどちらを評価するかで迷ったことはあるが、ここまでプレゼンテーションの差が明白では勝負にならない。要するに東大生のプレゼンテーションはナイーブすぎるのだ。今回の共同課題に対して早大は教員と学生が一体となって総力戦で臨んできた。とりわけ石山さんの意気込みは半端ではなかった。対照的に東大生は今回の共同課題の意味をまったく理解していなかったといわざるを得ない。非常勤のヨコミゾマコトさんに頼りすぎたかもしれない。いずれにせよ企画者としての僕の責任大である。6時終了。その後、製図室で懇親会。東大生と早大生との参加者は2対8。この比が今日の勝負の結果を表している。7時半、正門前の居酒屋に移動。石山修武さんと鈴木博之さんが皆に檄を飛ばす。鈴木、石山両氏と池袋のワインバーで2次会。ボディーブローのくり返しが徐々に堪えて僕は言葉も出なくなる。石山さんを新宿駅まで送り11時半過ぎ事務所に戻る。しばらく黙考。来年1月には10作品を選んで調布市民に向けての展覧会と発表会がある。それまでに東大生は何とかこの差を埋めねばならない。彼らにとって今回の経験は屈辱以外の何者でもないはずだ。これをバネに彼らなら何とかするだろう。


2007年11月18日(日)

6時起床。シャワーを浴びた後早めの朝食。部屋に戻ってメールチェック。7時半過ぎにチェックアウト。8時にロビーで待ち合わせの約束なのに2人の学生が20分余遅れてくる。多分、昨夜は羽目を外したのだろう。心配したガイドが部屋に電話してようやく起きたらしい。他の日ならともかく出発の日では許せないので思わず叱りつける。8時半マイクロバスで出発。9時過ぎLAX空港着。ユナイテッド航空のカウンターで自動チェックインを試みるがうまく行かない。結局、全日空にチェックインしなければならないことが判明。全日空受付カウンターは別の建物なので急遽バスで移動。旅行社もそのくらいのことは前もって調べておいてもらいたいものだ。ドタバタした挙げ句、飛行機は1時間あまり遅れて出発。機内ではひたすら映画を見るがどれも愚作で途中放棄し読書に切り替える。強い向かい風のため12時間の飛行。2時間遅れで午後5時半成田空港着。パスポートチェックにも時間がかかり家に着いたのは8時半。いやはや旅の最後は散々な一日だった。

機内で『隠喩としての建築』を読み終わる。柄谷は「形式主義」を乗り越える方途としての「世俗性=歴史性」の導入を「隠喩として建築」と「現実の建築」に重ね合わせているが、柄谷の言う「現実の建築」さえも形式化=モデル化されている。つまり「書くこと」自体がすでに何らかの形で単独性を捨象せざるを得ない形式化なのである。とはいえ無意識や暗黙知は、意識化=形式化によって遡行的にうみ出されたものであるという主張には眼から鱗が落ちた。要するに意識に対抗して、無意識や暗黙知を持ち出すことはできない訳である。この問題についてはもう少し頭を整理する必要がありそうだ。


2007年11月17日(土)

6時起床。メールをチェックし返信。早めに朝食をとりUCLAレクチャー・スライドのチェック。8時過ぎにホテルを出てマイクロバスで郊外の環境デザイン・コンサルタントへ。いくつかの事例にしたがって米国における環境制御技術について聞く。日本の技術レベルとほとんど変わりないことを確認。むしろ日本の方が進んでいるかも知れない。しかしサステイナブル・デザインに関する行政の方針が明確に示されているので、公共建築においては急速に技術が進み、早晩追い抜かれる予感がする。その後、太平洋岸をマリブ方面に北上し、途中で右折して丘の中腹のイームズハウス(ケース・スタディ・ハウス-8)へ。最初に驚いたのは庭から眼下に太平洋が望めること。最近メンテナンスをしたのか、骨組や壁の塗装の色が緑を背景に鮮やかに浮かび上がっている。内部への立ち入りと撮影を厳しく禁止されたので、建物の回りを歩き回って撮影。写真と図面をじっくり調べてきたのでスケール感は予想通り。シェルターはカリフォルニアの気候に合わせた軽仕様。ヒートブリッジだらけだが、これだけ気候が良ければ問題ないだろう。シェルターの性能はその地の気候に合わせればよいという好例である。逆にいえば、イームズハウスのシェルターはロサンゼルス特有の性能で、他地域には通用しないと言うことでもある。その後morphosisの事務所へ。古い倉庫を改造した広大な一室空間。Tom Mayneはヨーロッパ出張中なのでパートナーのAnne Marie Burkeさんにカルトラン、サンフランシスコ行政庁舎、パリの超高層ビルなどの話を聞く。最近の仕事はすべて日射制御と自然通風を売り物にしているようだ。5時過ぎUCLA 建築学科の学科長である阿部仁史さんを訪問。UCLAでの仕事の状況などについて様子を聞く。6時半過ぎに講義室へ移動。途中、東工大の塚本由晴さんのプレゼンテーション・ボードを見る。7時前レクチャー開始。50人程度の学生と教員を前に「箱の家」シリーズについて話す。先日、東大でレクチャーしたDana Cuffさんの顔も見える。例のごとくつたない英語なので思うようには説明できず少々自己嫌悪。それでも一人の女子学生が感動したと言ってくれた。8時過ぎ終了。その後、学生を連れて阿部さん行きつけのレストランへ。メキシコ風の料理と赤ワインをいただきながら歓談。10時、阿部さんと別れダウンタウンのホテルへ。12時過ぎまで雑用と荷物の整理。


2007年11月16日(金)

7時起床。8時過ぎにホテルをチェックアウト。帰国する小泉雅生さんを見送った後、マイクロバスでラファエル・モネオ設計のレディ・オブ・エンジェルス大聖堂(2002)へ。外観は赤みがかったコンクリート打ち放し仕上。敷地全体を塀で囲み、都市の騒音から守られた別世界をつくっている。前面に広い庭があり水と緑が配されている。祭壇の十字架が広場に面している。道路に添って斜路と階段のアプローチがあり、室内へは祭壇脇の側廊から入る。内部仕上げも外部と同じ。側廊に添ったチャペルが身廊との間にあるのが面白い。側廊を突きあたり右に曲がると身廊全体が見える。反対側の側廊も広場からのアプローチになっている。天井高は20m位だろうか。巨大な建築である。地下のクリプトは迷路のような空間。その後外部を散策。近くに都心の超高層群が見える。9時過ぎ、マイクロバスでフランク・O・ゲーリー設計のウォルト・ディズニー・コンサートホール(2003)へ。ステンレス板に包まれた巨大なオブジェ。シアトルの建築よりもかなり丁寧につくられておりコストもまったく異なる感じ。10 時から電話ツアー開始。エレベーターと階段を使って建物内外を歩いて回る。コンサート・ホールだけは見学できないという不思議なツアー。道路の反対側には本格的な屋上庭園がつくられている。11時過ぎマイクロバスでモーフォシス(トム・メイン)設計のカルトラン第7地区本社ビル(2004)へ。LEED(Leadership of Energy and Environmental Desin)認定はSilverのオフィスビル。カルトランとはカリフォルニア・トランスポ−テーション(交通局)の略。南北に長いオフィスビルで東西面はパンチングメタルのスクリーンに包まれている。窓面の部分は日射の状況によって開閉する。南面ファサードはソーラーバッテリーのダブルスキンによって覆われている。西面の道路に沿って広場があり、建物中央部に食い込んだアプローチのためのアトリウム広場に繋がっている。約1時間のガイドツアー。内部は普通のオフィス空間。12時前建物を出て徒歩でブロードウェイへ。12時過ぎブラッドベリー・ビルへ。言わずと知れた「ブレードランナー」の舞台となった19世紀末の建物。28年目の再訪。内部のアトリウムは以前と変わらないが、周囲には超高層ビル群が建て込んでいる。ブレードランナーの雰囲気に近くなったかと言えば、まったく逆に隙間が増えて密度が薄まった感じ。正面のミリオンダラーシアターが健在なのが嬉しい。徒歩でブロードウェイを南下し途中のマーケットで昼食。1時半マイクロバスでbp(英国石油)のガソリンスタンド、ヘリオス・ハウスへ。アメリカで最初のLEED認定を受けたガソリンスタンドだそうだ。アルミ板で覆われたうねる壁面がガソリンスタンド版ゲーリーといった感じ。店員が丁寧に建物について説明してくれる。引き続きビバリーヒルズへ足を伸ばしOMAのプラダ・ビバリーヒルズへ。ステンレス厚板で覆われた抽象的な壁面が印象的。内外を仕切る壁は床下に収納され、室内が街路に開放されている。街路に面して巨大な階段がありそれを上って2階に上がる。3階の天井には箱型の鉄骨梁がルーバー状に並び、その上の屋根面は全面ガラス張り。カリフォルニアでなければできない芸当である。再び都心に戻りロサンゼルス郡立美術館へ。ブルース・ガフ設計の日本館を見て、植物園を散策した後、隣接する工事中の美術館の現場を遠望。レンゾピアノ設計で来年2月に開館予定。5時半、ロサンゼルス現代美術館別館へ。古い倉庫をリノベーションしたギャラリーで村上隆展を見る。これがアートかと思わせる漫画のような世界。6時半、コレアンタウンへ行き韓国料理の夕食。9時にダウンタウンのボナベンチャー・ホテルへチェックイン。ジョン・ポートマン設計の70年代のホテル。カウンターで伝言FAXの束を受け取る。何かと思ったらUCLAからのレクチャーについての打診。寸前のred tapeに少々呆れながら返信。11時就寝。


2007年11月15日(木)

朝6時起床。7時にホテルを出てシアトル・タコマ空港へ。10時前のアラスカ航空便で12時半オレンジ郡空港着。マイクロバスでCrystal Cathedralへ。フィリップ・ジョンソンのガラス張りの教会で有名だが、敷地内に隣接してリチャード・ノイトラの1950年代の教会とリチャード・マイヤーのパヴィリオンがあるのは知らなかった。ノイトラの教会はモダニズム・デザインそのものでなかなかいい。この旅行の大きな発見のひとつだ。対照的にマイヤーのパヴィリオンはローマで見た教会に比べると少々弛緩している。ガイドがついて約2時間見学。その後、最近完成した集合住宅Depot Walkへ。サステイナブル・デザインで売り出し中のコンドミニアムで、この地域の集合住宅で始めてLEEDのシルバーをとった建物だそうだが、デザインは今一で写真を撮る気にならず早々に切り上げる。4時半、日が沈みかけてきたので一路ロサンゼルスへ。6時半にホテル着。7時過ぎにチャイナタウンの中華料理屋へ。10時ホテルに戻り、明朝帰国する小泉雅生さんの部屋で歓談。1時半解散。


2007年11月14日(水)

11時過ぎにホテルを出て近くのイタリアンレストランでスパゲッティの昼食。なかなか美味しい。12時半マイクロバスに乗りシアトル北部のBallad Branch libraryへ。鉄骨の丸柱で集成材造の屋根フレームを支えた平屋の図書館。サステイナブル建築の指標であるLEEDでプラチナを得た本格的なサステイナブル・デザインである。屋根は全面緑化し風車や太陽電池を載せている。道路に沿った深い庇が市民のたまり場になっている。室内は一室空間で図書はほとんど開架。職員の図書整理の戸−ナーまで開放している。次は海岸沿いの彫刻ギャラリーへ。海岸に沿って広大な公園が広がり、随所に屋外彫刻が配してある。アレグザンダー・コールダーやリチャード・セラの作品も見える。引き続きフランク・O・ゲーリーのエクスペリエンス・ミュージック・プロジェクトへ。色つき金属パネルを張ったうねる壁面の空中に穴が空き、モノレールが通過している。隣地が遊園地ということもあってまさにテーマパーク的建築。室内のインスタレーションも遊園地。恐らくこうした造形は早晩飽きられるだろう。何だか建築を安売りされているような気がして後味が悪い。3時過ぎ市内中心部にあるコールハースのシアトル中央図書館へ。回りの高層建築とは対照的な斜面だらけの建築。外壁の菱形メッシュのガラス面は構造体とカーテンウォールを混在させたデザイン。しばらく外観を見た後、館内に入り約1時間半の案内ツアー。敷地は東西方向の斜面地なので東と西に1層分のレベル差をとり両方からアプローチする。東の1階は広大な公共空間。中央にRC造の動線シャフトを置き、そこから各階平面形の異なる鉄骨造の床面を張り出させ、必要に応じてアドホックに斜めの鉄骨柱で床を支えるというアクロバット的な構造システム。菱形の鉄骨メッシュは耐震壁だという。耐座屈強度を確保するために所々部材を二重に重ねているのが面白い。垂直シャフトの脇には1階から屋根まで突き抜ける巨大な吹抜があり屋根はトップライトになっている。10階から3階まで開架図書館で各階が緩やかな螺旋状の斜路によって結びつけられているのにはビックリした。勾配は約1/100だという。納まりはざっくりとしていてお世辞にも洗練されているとは言えないが、機能的に問題があるわけではないので逆にホッとさせられる。ゲーリーよりもずっと知的な印象を持った。5時半ホテルに戻りしばらく休憩。6時半、ロビーでワシントン大学のケン・オーシマ教授、ロブ・ペナ教授と待ち合わせ夕食へ。アイリッシュパブで黒ビールを飲んだ後、フレンチレストランで夕食。赤ワインを飲みながら歓談。学生たちもようやくリラックスし始めたようだ。10時過ぎレストランを出て徒歩でホテルへ。肌寒いが湿気があるので凍えるようではない。ホテルの前で別れ、11時部屋に戻る。


2007年11月13日(火)

午前中は事務所で雑用。井上がまとめた「128濱本邸」の鉄骨詳細図のチェック。昼過ぎに事務所を出て新宿発の成田エクスプレスで成田空港へ2時過ぎ着。チェックインを済ませ待合室で休会。16時55分発のUnited Airline827便に乗る。機内で「Transformer」を見る。ガンダムのアメリカ版で愚作。残りの時間は『隠喩としての建築』を「意識と無意識」、「注視と散漫」「暗黙知」との関係づけを考えながら一節ずつ噛み締めながらゆっくりと読む。結びつきそうで結びつかず、なかなか先へ進まない。7時間半の飛行でシアトル空港に現地時間の予定よりも1時間早く8時着。パスポートチェックに手間取り9時に到着ホールへ。小泉雅生さん、省エネセンターの山川さん、学生5人と待ち合わせマイクロバスで市内のホテルへチェックイン。メールチェックした後11時半まで一休み。現在、日本は午前4時である。


2007年11月12日(月)

8時事務所。旅行の荷物を整理。9時半に事務所を出て駒場キャンパスに10時着。間もなく東端が到着。10時40分から「都市と建築の思想」講義。UCLA講義用につくった英文スライドで「箱の家シリーズ」を紹介。時間配分を間違えて少々尻切れトンボになった。12時過ぎ終了。その足で小田急線の祖師ヶ谷大蔵へ。簡単に昼食を済ませた後「126新井邸」現場へ。すでに木造骨組の建方は終了し、床の合板を張っている。間口が2.7mでスキップフロアなので構造はやや複雑に感じる。3時から上棟式。四隅を浄めた後、直会。新井さんが用意してくれた食事はイタリア料理風のメニュー。赤ワインをいただきながら歓談。4時前に中締め。現場を片付けて4時半終了。5時半大学着。院生室でAGC模型のチェック。町屋敷地案はほぼ出来上がり、旗竿敷地に取りかかっている。ギリギリのペースだろうか。写真撮影のために完成まで2,3日の余裕を見るように指示。製図室では3年生のエスキスが進行中である。ヨコミゾマコトさんに来週の最終講評の条件について話し、エスキスの強化をお願いする。学生たちもいよいよ熱気を帯びてきた。7時前工学部2号館アトリウムへ、長澤泰名誉教授を囲む懇親会。富永譲さんを初め懐かしい面々に会う。首都大学東京の深尾精一さんと話していてCOCOLABOの話題になる。1.5層集合住宅は深尾さんたちのチームが15年前に国交省に提案したものだという。西出さんから計画研究室が1.5層集合住宅の研究をしたことは聞いていたが、深尾さんたちの研究について僕はまったく知らなかった。アイデアを実現するには時間が必要ということだが、アイデアはプログラムの提案であり、それを具体的なデザインにまで展開しないと現実的な説得力を持たないということかも知れない。それにしてもCOCOLABOワークショップに参加している首都大学東京の小泉研究室さえも深尾研究室の研究を知らないというのは問題である。11月30日のワークショップに深尾さんを呼んだらどうか提案してみよう。8時前に退席。8時半に事務所に戻る。井上と「128濱本邸」の鉄骨図について打合せ。接合部のディテールには十分に注意を払うように指示。10時半帰宅。旅行の荷物をバッグに詰める。


2007年11月11日(日)

7時起床。9時過ぎ京都の茶会に向かう妻を見送る。10時出社。UCLAでのシュートレクチャーの準備。小泉雅生さんが旅行の途中に帰国するので、僕一人のレクチャーになるとのこと。なので予定より少し長目のレクチャーで準備する。午後2時、鶴見一家が来所。ご主人の父君が倒れたので新居の計画はしばらく延期になった。これまでにまとめた2つの案の基本図を渡して概略を説明。今後の進め方について話し合う。その後、グッドデザイン賞の「私の選ぶ一品」の原稿を書く。今年はヨコミゾマコトさんの賃貸住宅STYIXを選ぶ。RC壁構造の特性を駆使して、フラット住戸と1.5階住戸を混在させたキレのいいファサードを実現している。相も変わらずnLDKプランを続けているタワーマンションへの批評としてまとめる。6時、娘と夕食。石山修武さんから電話。東大+早大共同課題の最終講評会についての話し合い。明日、最終的な打合せを行う予定。夜は旅行の準備。シアトルとロスアンジェルスの天気予報をチェックする。シアトルはほとんど冬だが、ロスアンジェルスの昼間は25度もあるようだ。冬と初夏を縦断するのでできるだけ少ない荷物で済むよう着替えに頭を絞る。久しぶりに『隠喩としての建築』(柄谷行人集2 岩波書店 2004)の再読を始める。この本は何度呼んだか分からないが、今回は「制作」と「生成」の対比を意識と無意識に重ねて読んでみる。ベイトソンやポランニーとの相違が浮かび上がりそうだ。


2007年11月10日(土)

午前中は事務所。10時から事務所内打合せ。来週は海外出張なのでスケジュールについて綿密な打合せ。「128濱本邸」の鉄骨製作図が届いたので月曜日までにチェックバックの予定。11時に事務所を出て昼過ぎ大学着。1時から卒論エスキス。ようやく方向性が見えてくる。ともかく1週間は資料収集に徹するようアドバイス。十分な素材さえあればまとめ方は何とでもなる。エスキスの合間を見てAGC模型の製作状況をチェック。町屋敷地案の全体像が見えてきた。ただ外壁のテクスチャーが予想したよりも分かりづらい点が気になる。来週早々再度チェックする予定。3時から3階講評室にて木葉会の幹事会。約50人の学年幹事が集まる。桑山教授が司会で最初に僕が大学の近況報告。知らない先輩が多いのでやや硬い挨拶になった。僕が東大教授で専攻長であること自体が歴史の捻れでしかないという思いが脳裏を駆けめぐり、すこぶる居心地が悪い。こういう行事は紆余曲折のあった歴史を連続化・平準化する。それに抵抗するには自分が建築学専攻に対してできることだけを考え続けるしかない。しかし儀式には個人的な思いを盛り込む余地はない。5時前に終了。しばらく研究室にて学年幹事の上西明、丸林壮一郎両氏と歓談。6時、新2号館へ。工学系研究科の退職教員を迎えるホームカミングデー。内田祥哉先生、青山博之先生、友沢史紀先生、坂本功先生と歓談。強ばった気分がようやく解れてくる。8時終了。研究室に戻り帰りの準備をして院生室に顔を出す。難波研院生が何人かいたので一緒に本郷三丁目の居酒屋へ。ビールやウィスキーを飲みながら歓談。10時過ぎ解散。11時前に事務所に戻る。長い一日だった。


2007年11月09日(金)

6時起床。7時前に家を出て北千住7時50分発の特急で9時過ぎ藪塚着。ゼネコンの車で9時半CIXM工場現場着。10時本間社長と工場のスタッフ数名も来訪。次期社長の堀尾さんも駆けつける。まずはじっくりと現場を見て回る。細かな納まりで何点か雑な個所があり修正を指摘。庇や開口回りをもう少しカッチリ納めてもらいたい。10時半から定例打合せ。今後の工程を確認し、12 月14日(金)に施主・事務所検査、19日(金)に引渡と決定。12時に午前中の打合せ終了。後は龍光寺に任せ本間社長と現場を発つ。工場スタッフと一緒に昼食をとり相老駅2時過ぎ発の特急に乗車。4時半に事務所に戻る。研究室でまとめた『10+1』のフラー記事に目を通しメンバーにコメントを送信。夜はUCLAでのショートレクチャーの準備。

「COCOLABO 2007プロポーザル・ミーティング」がHPにアップされた。4大学のデザイン研究室が「1.5階×家族×20年」というテーマでプロポーザルを行うイベントである。東大は難波研、東工大は塚本研、首都大学東京は小泉研、東京芸大は片山研が参加している。ざっと見たが、それぞれユニークな案を提案している。研究室によってタイムスパンの設定の仕方が異なるのも面白い。僕たちの案は「がらんどうプラン」と名づけられている。今月末までにHP上で投票を行い、11月30日(金)に4研究室が一堂に会してワークショップを行う予定。
http://www.cocolabo.jp/07/event/pm-index.html


2007年11月08日(木)

6時起床。7時に家を出て8時前大学行き。8時から建築学科教授会。いくつかの議題と報告。今後の方針を決めて9時前終了。その後小ミーティング。10時省エネセンターの山内さん来研。来週の米国行の旅程と12月の表彰式の打合せ。製図室では何人かの3年生が泊まりがけで作業をしている。今日のエスキスに備えているのだろう。『10+1』のフラーに関する原稿を膨らませ担当院生に送信。12時半学科会議。卒業設計合同講評会や東大・早稲田設計課題懇親会の費用について発議し承認を受ける。2時過ぎ教授会。ここでもほとんど議題がなく3時前終了。3時半から学科長・専攻長会議。いくつかの報告を受けて4時半終了。6時から研究室会議。研究活動の報告の後、リスボン工科大学からのAUSMIP留学生、バーゼル大学からの留学生、ワシントン大学からのフルブライト研究員らのプレゼンテーション。それぞれユニークだが日本で何を研究するかについてはまだ迷いがあるようだ。8時過ぎ終了。4年生3人の卒論エスキス。1人は何とか目途がついたが、2人は依然として低空飛行。資料を収集し比較検討する作業をせずに、テーマの回りをグルグル回っている感じ。要するにテーマの焦点が定まらないということだが、この期に及んではがむしゃらな資料収集によって窮状を突破するしかない。10時に大学を出て11時前に事務所に戻る。雑用を済ませ11時半帰宅。今日着いた『動きが生命をつくる:生命と意識への構成論的アプローチ』(池上高志:著 青土社 2007)を読み始める。ポランニーやベイトソンのシステム論、複雑系科学などの現代における展開を確認することが目的である。「構成」がconstructionなのかcompositionなのかが気になる。コンテクストから考えればconstructionであるはずだが、ならば「構成」ではなく「構築」として欲しいところだ。



2007年11月07日(水)

7時起床。8時前に家を出て、湘南新宿ラインで桶川駅へ。駅前で井上と待ち合わせバスで菖蒲町の「123野川邸」に10時前着。内部の大工工事、家具工事はほとんど終わり、塗装工事と電気工事の最中。外構は砂利敷きが終わり、テラスのモルタル塗りの工事中。塗装のムラをチェックし修正を依頼。検査と今後の予定を打ち合わせ、オープンハウスは連休中の11月24日(土)に決定。東京近郊での久しぶりのオープンハウスである。11時前に現場を発ち正午に表参道着。井上と別れそのまま大学へ1時着。3時まで雑用と読書。3時半からウィーン工科大学との合同セミナー。オーストリア大使代理も参加。高田教授の司会で、松本研究科長の挨拶、大使代理の挨拶。生研の川口健一教授によるJapanese Disaster Mitigationの講演。5時前終了。5時から3階講評室で懇親会。岸田教授の司会で僕は昨年のローマ大ワークショップの報告。しばらくワインパーティに参加した後、大学を出て7時過ぎ事務所に戻る。夕食後「フラーの現代化」の原稿をまとめ10時過ぎに担当の院生に送信。その後『精神の生態学』(グレゴリー・ベイトソン:著 佐藤良明:訳 思索社1990)を拾い読み。『精神と自然』と合わせて如何に僕がベイトソンの影響を受けているかを痛感する。彼の本に赤線を引いた部分はすでに僕の無意識の底に沈潜し肉体の一部になり切っている。


2007年11月06日(火)

午前中事務所。『「パッサージュ論」熟読玩味』を読み通す。引き続きローマで読み始めた『知についての三つの対話啓蒙』(ポール・K・ファイヤアーベント:著 村上陽一郎:訳 筑摩学芸文庫 2007)を読み始める。11時過ぎ事務所を出て大学へ12時半着。人事書類の整理。1時半から卒業設計の第2回中間講評。ほとんどの学生がモノローグ的な案から出発しているが、それではまずいと感じて苦し紛れに社会的根拠をひねり出している感じである。僅かではあるが卒業設計らしい都市的スケールの提案をしている学生もいるが、そういう学生に限って説明が役人的で白々しい。総じて社会的な根拠を失った分をゲーム的リアリティが埋め合わせている感じがする。まさに工学技術のベンヤミン的世紀末状況である。しかしこの潮流を覆すことはできない。スーパースター建築家たちがやっていることも同断だからである。僕としてはゲームでも構わないから徹底して楽しめとアドバイスするしかない。5時終了。直ちに設計製図会議。早大との共同課題の打合せ。その後の課題、日程、卒計合同講評、非常勤講師などを打合せ6時終了。7時前に事務所に戻る。夜はフラー課題の結論スケッチ。石山修武さんの「世田谷村日記」を一気に読む。メキシコとチリの旅行記が面白い。石山さんの小さな身体が地球の裏側で走り回っているのが手に取るようだ。


2007年11月05日(月)

8時出社。省エネセンターの原稿に写真と図面を添えて送信。午前中は資料漁り。本棚やパソコンの中の関係資料を収集。午後大学行き。1時COCOLABOワークショップのインフィルのディテールについて打合せ。軽量化のためアルミニウムで提案することとし2階床の組立方法などをアドバイス。1時半、院生室に赴きAGC模型の制作状況をチェック。まだ部品を製作中なので、仕上がりやテクスチャーなどについて話し合う。その後しばらく専攻長の仕事。グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』を拾い読み。ダイナミックなシステム論の核心を改めて確認する。PHP出版の編集部から電話連絡。『建築家案内』の原稿遅れの催促である。僕の原稿はすべて9月初めに渡したが、他の担当者2人の原稿が集まらないらしい。もはや待っている余裕はないので、残りの原稿はすべて僕が書く旨のメールを編集担当者に送る。彼らの無責任さには少々腹が立つが、僕が提案した企画なので責任をとるしかない。ともかく小物を仲間にすると大変である。4時半過ぎ製図室に顔を出す。ヨコミゾマコトさんと西出教授がエスキスを続けている。まだ迷走している学生が多いらしい。残すところ2週間。最後の奮起を促して大学を出る。5時半事務所に戻り来週月曜日の駒場講義のスライド整理。夜は『10+1』に掲載するスタジオ課題「Rediscovery of R. Buckminster Fuller」の冒頭原稿をまとめて担当院生に送信。10時帰宅。『「パッサージュ論」熟読玩味』(鹿島茂:著 青土社 2004)を再読しながら夜半過ぎ就寝。


2007年11月04日(日)

9時半出社。午前中は読書と原稿スケッチ。午後は省エネルギーセンターの原稿をまとめる。短いので何とか1時間でまとまる。2時過ぎ井上が出社。明日の現場監理の準備だろう。引き続き次の原稿に取り組もうとするが、いつも通り書き始めの言葉が見つからない。しばらく原稿スケッチをくり返す。頭を切り換えるつもりで久しぶりにリドリー・スコット監督の『ALIEN』と『BLADE RUNNER』のDVDをぶっ続けで観る。パソコン上だがノイズキャンセラー付のBOZEヘッドフォンを装着し大音響で観るとそれなりの迫力がある。映像はいうまでもないが音響効果の素晴らしさを再確認する。背景音にまでまったくスキがない。夜は原稿の突破口を見つけるために届いたばかりの『包まれるヒト:〈環境〉の存在論』(佐々木正人:編 岩波書店 2007)を読む。ギブソン生態心理学の紹介だが、原則論から始まる本には歴史的視点が欠けているので今一物足りない。


2007年11月03日(土)

久しぶりにゆっくりと寝て9時起床。10時過ぎに出社。今日も一日雑用と読書。本棚からポランニーに関する文献を探し出して拾い読み。ポランニーは1980年代前半に集中的に読み『都市住宅』1986年の「難波和彦の難読日記」という連載に感想をまとめたが、その時はクリストファー・アレグザンダーに結びつけて読んでいる。結局、僕の興味は池辺陽、クリストファー・アレグザンダー、バックミンスター・フラーをどう結びつけるかというテーマの回りをグルグル回っているだけかもしれない。最初のうち三者はテクノロジーというテーマで結びついていたが、テクノロジーの変遷を辿るうちに歴史的な視点へと展開したというのが正直なところだ。そのきっかけを与えてくれたはW・ベンヤミン、鈴木博之、藤森照信、八束はじめ、井上章一といった歴史家たちである。そう考えていると何となく円環が閉じそうな気がする。何か別の切り口でこの円環を切り開かねばならない。


2007年11月02日(金)

今日は予定していたCIXM 工場現場行が現場の都合で中止になったので、現場監理は龍光寺と設備コンサルタントに任せ、僕は一日事務所で読書三昧。一日かけて『デザインの生態学』を読み通す。肌理(テクスチャー)の変化=境界が対象を浮かび上がらせるというギブソン生態学的心理学の原理はなるほどと思わせる。コーリン・ロウのトランスパレンシー(透明性)の概念を肌理の遮蔽によって説明できるという点はきわめて興味深い。深澤直人のデザイン論には共感できる点が無数にあっていつも感心させられる。以前読んだ『デザインの輪郭』は本書からさらに展開したデザイン論だった。彼のプロダクト・デザイン論を何とか建築へ引き寄せてみたい。後藤武のアフォーダンス建築論は佐々木や深澤のような外部の人には興味深いかも知れないが、僕にとってはやや陳腐である。アールトのマイレア邸に関するアフォ−ダンス分析は見事だが、ル・コルビュジエのモデュロールが彼の身長を基準にした寸法システムだという指摘は端的に間違っているので、そこから導き出されるいくつかの結論は眉唾物である。参考文献を見てもアフォーダンス理論を建築設計論にまで引き寄せるにはほど遠いといわざるを得ない。マイケル・ポランニーやベンヤミンはいうまでもないが、グレゴリー・ベイトソンの精神生態学やレヴィ=ストロースの構造主義人類学もアフォーダンス理論の視点から読むことができるし、ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』は必読書だろう。夜は久しぶりに事務所のスタッフと夕食を共にする。青山一帯で2次会3次会まで行き12時前に事務所に戻る。


2007年11月01日(木)

9時半大学行き。先週の学科長・専攻長会議の記録を読み直し学科会議の準備。10時からAGP提案住宅の模型ミーティング。院生3人と研究生、界工作舎からは栃内が参加。スケジュールと模型の仕様を最終確認。いくつかの仕様を変更。模型のプロに負けない、しかも建築家らしい模型に仕上げねばならないことを確認する。ともかく通常のプレゼンテーション模型を一歩踏み出さねばならない。12時半から学科会議。工学系研究科に対する寄付金の問題から工学系研究科全体の今後のあり方の話題に広がる。世の中の潮流として工学部全体がジリ貧に向かっているのではないかという問題である。幸い建築学専攻には当面悲観的な兆候は見えないのだが、僕の感じでは足元から大きな潮流が押し寄せているような気がする。建設業界をとりまく世の中の状況にはほとんど光明が見えないのに、建築学専攻を志望する学生が減らないことは一種のミステリーである。その理由のひとつは、東京大学が大学院大学に改組され建築学科が建築学専攻に変わりはしたが、その内実は学科が設立されて以来今日までほとんど振れていない点にある。世の中の変化に伴って他専攻は大きく揺れ動いているが、建築学専攻だけは一枚岩に見えるのだ。現実には建築学の内実は少しずつ変化している。とりわけデザインと歴史の比重が確実に大きくなっている。工学系研究科のなかでデザインと歴史に比重を置いているのは建築学専攻だけである。今後はエンジニア系の研究にもデザインと歴史の視点が浸透し、いずれこの動きは表面化するに違いない。3時から研究室会議。COCOLABO、AGP、『10+1』原稿の打合せの後、留学生2人の研究計画の発表。日本の建築に関する留学生の視点を理解するのは大変だが、彼らも必死なのでクリティカルなコメントは差し控えてしばらくは静観することにする。終了後、卒論のエスキス。おおよその方向は見えてきた。来週の研究室会議までに梗概の下書きをまとめるように指示。6時、山代、東端と南青山のギャラリー+クックラボcomoへ。東端のパートナーである大原温さんの家具展のオープニングに出席。界工作舎OGOBの姿も見える。ビールとつまみでしばらく滞在。人が多くなってきたので早々に退席。7時半に事務所に戻る。夜は読書。購入してから研究室の本棚に置きっ放しになっていた『デザインの生態学』(後藤武+佐々木正人+深澤直人:著 東京書籍 2004)を読み始める。J・ギブソンの生態学的心理学のデザインへの適用について論じた本である。


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