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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2006年10月31日(火)

午前中は事務所。野川さんからメール。明後日に敷地調査に行くことになった。鎌倉の有坂弁護士からFAXが届く。鎌倉近代美術館の市民からの保存運動を起こしたい旨の内容。僕も少しずつ動き始めよう。

午後、大学行き。1時半から鈴木博之さんのワークショップ・レクチャー。前半1時間は東京都市論。後半30分が丹下健三論。東京の都市論は再開発のタイプを土地所有の形態によって分類する試み。丹下健三論は広島ピースセンターと厳島神社とに構成的な類似を見出し、その仮説を東京計画1960へと適用することを通じて丹下の発想の基本的モチーフを探り出そうとする試み。両者ともなかなか興味深い。視点を変えることによる発見的な方法をぜひ卒業論文に適用してみたい。
3時から卒論エスキス。だんだん焦点が見えてきたが都市的なアプローチを試みている学生だけが先が見えない。初心に戻って再出発することをアドバイス。
ローマ大のGazzola教授から今後5年間の相互交流の申し入れがある。ありがたい提案である。鈴木教授によれば大学間交流のagreementはすでに締結されているようなので、まずはその点を確認するようにGazzola教授に依頼。これが確かならば必要な条件は学科レベルの承認だけである。

7時過ぎ事務所に戻る。花巻と「107桑山邸」の施工図打合せ。外装納まりの基本方針を決める。問題は給排水設備の配管経路である。現場打合せをしっかりせねばならない。先日、敷地調査に同行した府中のクライアント候補からメールが届く。敷地購入を決定したらしい。早速、基本設計に着手したい旨の返事を送信。


2006年10月30日(月)

9時半大学行き。10時からローマ大学とのジョイントワークショップのガイダンス。ローマ大からはGazzola教授と助手2人に加えて博士課程の学生を中心に18人が参加。意外と女性が多い。日本側は修士の学生にEUから来たAUSMIPの学生が加わり23人が参加。鈴木教授、僕、千葉助教授の挨拶。助手の挨拶。日本設計からGazzola教授の研究室に留学していた高阪さんにも参加してもらう。引き続き山代さんによるガイダンス。ローマ大の学生を2人ずつに分け、日本側と合わせて9チームを編成。チーム毎に自己紹介して午前中のプログラムは終了。解散後、学生たちは敷地へ向かう。Gazzola教授、助手2人と研究室で雑談。ローマ大との交流プログラムの話し。助手のLeone君がまとめたイタリア版「Kengo KUMA」の本をもらう。

Gazzola教授らと昼食の後、ローマ大一行は渋谷の敷地へ向かう。院生のTAが全員ワークショップに参加しているので僕は彼らに代わって3年生の設計エスキス。3時から15号教室でカナダ・トロント大学のRoger教授によるレクチャーに出席。建築部品の工業化によるシステマティックなデザインの包括的理論に関する講義。工業化を踏まえた設計方法論の提案といってよいが、池辺陽の主張とほとんど同じで目新しい視点はない。クリストファー・アレグザンダーのパタンランゲージに関する言及もあったが的を射た解釈ではない。僕の目には1960年代の設計方法論を越えていないように思えたが、学生たちはどういう風に受け取っただろうか。ともかく方法論に関しては僕にはアレルギーがある。4時前に退席。その後しばらく3年生のエスキス。図面も模型もない学生と話すのは気乗りしない。できるだけ一般論で応えるしかない。これも学生とのコミュニケーションの内だと自分に言い聞かせる。

5時過ぎからワークショップ日本メンバーによる敷地調査の報告。報告を聞いているうちにまたもやベンヤミンとル・コルビュジエの対比を想い出す。6時から歓迎会。7時半に正門前の居酒屋に席を移しGazzola教授らと夕食。冷酒を飲みながら大いに盛り上がる。10時過ぎタクシーで教授をホテルまで送り、ワークショップ第一日目は無事終了。


2006年10月29日(日)

早朝、猫の鳴き声で目が醒める。昨晩から頭痛が始まった。家族やスタッフの風邪がうつったのか、あるいは昨夜雑踏の中を歩いたせいかもしれない。10時前に事務所に出てぼんやりパソコン画面をいじっているうち、誤って原稿ファイルをゴミ箱に入れ消去してしまう。イヤハヤナントモ。大学のパソコンにバックアップファイルが残っていることを祈ろう。これで今日の予定が大幅に変わる。

午後1時、新井一家が来所。敷地が決まったので至急ローン査定用の資料が必要とのこと。大急ぎで平面図と概算見積書を提出しなければならない。予算も敷地もギリギリの条件なので選択の範囲は狭いのだが、とりあえず希望を聞く。「104逸見邸」のような土間が欲しいそうだ。実現できるかどうか分からないが何とか採り入れた案を作りたい。今週中に資料を揃えることを約束して2時前終了。夕方まで平面と概算見積書のスケッチ。だんだん頭が朦朧としてきたので一時休止。夕食後に作業を再開。11時過ぎまでに何とか平面図のスケッチと概算見積書をまとめる。頭痛がますます酷くなってきた。


2006年10月28日(土)

今日は一日事務所。午前中は読書と原稿スケッチ。午後は「121小野邸」の構造図面と「122大塚邸」の詳細図面のチェック。ここ数日、何となく集中力が弛緩している。緊張感を取り戻すために読書を続けているが持続しない。目の前の視界はクリアだが先が見えない感じだ。

夕食後思い立って渋谷のんべい横町に足を運ぶ。ローマ大とのジョイントワークショップの敷地である。宮下公園から見下ろすと横町の一画だけが暗く浮かび上がっている。南北に路地が貫通しさらに細い路地が東西に通っている。東の暗渠側にも通路があるが植え込みがあるため店の入口はなく自転車置場になっている。横町全体は間口が1間半程度の極小の店が集合した長屋である。土曜日のせいかほとんどの店が常連客で一杯なので一見客はとても足を踏み入れる雰囲気ではない。1軒客のいない店があったがこれも敷居が高くて入る気にはならない。店を切り盛りしているのが若い人ばかりなのが意外だった。結局、横町の内外をグルグルと歩き回るだけで遠見の敷地調査に終わる。それにしても土曜日の渋谷は異常な人出である。とても散策どころではなく早々に退散。


2006年10月27日(金)

「まちなか施設コンペ」のポスターが届く(http://www.makukouzou.or.jp/index2.html)。ようやく本格的なコンペ開催活動が始まった。締切は来年1月。審査委員の木下庸子さんが同じようなコンペを企画しているが、締切が少し早いので作品が重複することはないだろう。午前中は原稿とスケッチ。野川さんから設計契約書が届く。いよいよ「123野川邸」の実施設計開始である。午後1時、環境研の院生が来所。マンションのインテリアを改造する仕事を得たので工務店の紹介。クライアントは娘の同級生である。経験のない学生に仕事を依頼した彼女の英断に拍手。2時過ぎに事務所を出て錦糸町の「119臼井邸」現場へ。外装が9割方終わり内装工事中。足場が取れていないので全貌は分からないが内部空間の構成は把握できる。「103後藤邸」よりも平面はやや広い。東向きの半外部テラスが効いている。北側しか見えないやや閉鎖的な外観と、半外部テラスを取り込んだ開放的な内部空間の対比が楽しみである。工期はやや遅れ気味。年末の引渡をめざしてピッチを上げるよう現場監督にハッパをかける。4時半過ぎに事務所に戻る。「122大塚邸」の地盤調査を工務店に依頼。有坂弁護士から鎌倉近代美術館の保存運動を本格化させたい旨の連絡が届いたので、「鎌倉近代美術館100年の会」の阪田誠造さんと兼松紘一郎さんとの話し合いの経緯をまとめて連絡。有坂さんは来年3月にシンポジウムを開きたいようだ。野川邸の設計契約が成立したので所内で簡単なお祝いの夕食。赤ワインを飲みながら歓談。10時過ぎ帰宅。

アマゾンから届いたばかりの『ラスキンとヴィオレ・ル・デュク:ゴシック建築評価における英国性とフランス性』(ニコラス・ペヴスナー:著 鈴木博之:訳 中央公論美術出版 1990)を一気に読み通す。ラスキンの倫理性とヴィオレ・ル・デュクの合理性の対照がペヴスナーの基本的なモチーフである。ペヴスナーによれば、現代につながる二人の可能性の中心は、ラスキンの建築保存に関する思想と、ヴィオレ・ル・デュクの工学に関する先進性である。鈴木博之さんの保存思想の淵源はラスキンあたりにあることがよく分かる。僕としては鉄に対するヴィオレ・ル・デュクの理論的先進性と実践的保守性に関して、ペヴスナーが最後に述べている疑問がきわめて興味深い。
「だがそれではヴィオレ・ル・デュクは、鉄を推奨しながらも、その材料が要求する新しい形態を彼じしん何故用いることができなかったのだろうか。何故ピュージンもスコットもバージェスもロバート・カーも、皆鉄を賞揚し、新しい様式の必要性を説きながら、それができなかったのだろうか。そしてまた、パクストンのような園芸家、橋梁技師、シネアスのボート庫を設計したような造船技師、そして建築家としてはピーター・エリスのように経歴のはっきりしないまま埋もれている人々以外、誰も何故新様式をつくれなかったのだろうか。なぜこのような思考と実践の間の矛盾があるのだろうか。」
ペヴスナーは建築の保守性にその答を求めているが、あまり歯切れはよくない。僕の『メタル建築論』もこの問いに答えようとした試みだが、ペヴスナーよりも少しは突っ込んで考えたつもりである。


2006年10月26日(木)

午前中、事務所。原稿スケッチ。龍光寺は「118松田屋本店」の1階コンクリート打設、花巻は「116鈴木邸」と「117池田邸」の現場で名古屋行。山根は「120大野邸」の基礎コンクリート打設、栃内は「122大塚邸」の確認申請で鎌倉行なので、事務所にいるのは僕と井上だけ。11時過ぎ、事務所を出て「103後藤邸」の現場へ。2,3階の床コンクリート打設。軽量コンクリートなのでプラントが遠くミキサー車の到着間隔が長い。僕が着いたときは待機中で室内を見ることができた。コンパクトで立体的な住まいである。上棟式は来週末の予定。

午後、大学行き。0時半から学科会議。卒業設計合同講評会の開催要領を提出し承認を受ける。ゲストクリティークは候補に挙げられた槇文彦、石山修武、青木淳、貝島桃代、鈴木明の5人全員に快諾してもらった。2時から研究室定例会議。ヴェトナムからの留学生を紹介。博士課程留学生の研究計画の発表とディスカッション。建築見学会の報告。ハンガリー留学生の進学相談。修士2年の論文エスキス。

6時直前に青木淳さんが到着。直ちに15号教室へ案内し特別講義の開始。青木さんの人気で会場は超満員。学外からの参加者も多い。青木さんはまず弘前の酒造倉庫での奈良美智展の紹介から始めてリノベーション的な空間の魅力について語り、それを近代美術館の「裏と表」を併置させる空間操作へとつなぎ、さらに青森県立美術館における土壁とホワイトキューブの組み合わせによる迷路的な空間操作へと展開させ、最後に近作の大阪船場のギャラリーと開催間近の自作展で締めた。1時間余の短いレクチャーだったが、青木さんの知的なデザインプロセスに改めて感心する。70 年代以降の記号操作によるデザインの集大成という感じである。8時までの45分間は質疑応答。質問は建築との距離の取り方に集中する。青木さんが対象に没入せず絶えず距離を取ろうとすることに対する疑問である。青木さんは対象それ自体よりも対象相互の関係の方に興味があると応えた。僕はそれに関して対象は既存のコンテクストを詳細に読み取ることから発見されるという前提を付け加えねばならないとコメントする。終了後、講評室で懇親会。ここでも大いに盛り上がる。9時過ぎ正門前の居酒屋に場所を移して夕食。院生が数人参加し鍋をつつきながら建築談義。青木さんにつられて焼酎のオンザロックを飲み続け少々グロッキー。11時過ぎ終了。青木さんと一緒にタクシーで帰る。


2006年10月25日(水)

朝一番で、歯科医院へ。ブリッジ歯の調整。ようやく気兼ねなくモノを噛むことができるようになった。
今日は一日、事務所。午前中は「122大塚邸」の詳細打合せ。再度プランと構想システムを検討。午後は読書と原稿スケッチ。まだ用語の問題が頭の隅にひっかかっている。
カーサブルータスのライター高木さんから電話。毎年恒例の住宅特集のために「箱の家112」の取材依頼。

『箱の家』の印刷が停滞している。僕としては早くキリをつけたいのだが、写真の印刷にカメラマンの坂口さんが不満らしい。いい本を作りたい気持ちは分かるが、時間と効果のバランスを考えればもはや拘っている段階ではない。イライラは募るばかりである。


2006年10月24日(火)

8時半に事務所に出る。W.J.R.カーティスの『近代建築の系譜』を拾い読み。ヘルマン・ムテジウスが1910年代に機能について発言していることを知る。しかしコンラーツの『世界建築宣言文集』と対照してみると、formは形式と形態に訳し分けられているし、ドイツ語のzweckは機能と目的に訳し分けられている。この点ではカーティスだけでなくバンハムも怪しい。要するに英語のfunctionという言葉の意味が揺れ動いていたのだ。いやはやどうしたものか。

10時半に事務所を出て初台のオペラシティ・アートギャラリーの『伊東豊雄:建築|新しいリアル展』へ。最初の部屋にはアプローチを含む台中オペラハウスの巨大な模型が置かれている。今まで見たことにない内部と外部が絡み合った立体曲面の空間である。本来ならば無限に続く空間が敷地とプログラムに対応してすっぱりと直方体に切り取られ、切断面に不思議な曲線が表れている。次の部屋にはせんだいメディアテーク以降の7作品の模型が波打つ白い床面の上に置かれている。台中オペラハウスを含めて7つの建築が単純な規則から複雑な形態をうみ出すという方法で一貫している。決定論的カオスがうみ出す形態とでもいえばいいだろうか。伊東さんはそれをemerging grid(創発する格子)と呼んでいる。ミースの均質なグリッドから出発し、単純な操作によってそれを融解させようとするのが伊東さんの意図だが、僕の見るところemerging gridが敷地やプログラムによってアドホックに切り取られている点が決定的である。単一の規則によるグリッドの変形がどこまでも続いたのでは形態はemerge(創発)しない。むしろさまざまな規則によって変形されたグリッドが連続的に分布する多様体の中から、その一部が切り取られたと考えた方がよい。その多様体の一部には、変形を受けない均質グリッドも残っている筈である。僕としてはその中から均質グリッドがわずかに変形する境界部分を切り取るような方法を考えてみたい気持ちに駆られる。
伊東さんのもうひとつのモチーフは物質(モノ)である。emerging gridを実現するための新しいテクノロジーに注目した言葉だが、高度な構造解析技術と、職人の手仕事に全面的に依存した型枠・配筋技術との落差にはいささか戸惑いを感じる。形態はemergeしていても、それを建設するテクノロジーがemergeしているとはいえないからだ。これは形態を先行させ、構法を後から考えるという近代的方法の限界である。それは当然、僕たちも共有している限界だが、emerging gridにはその限界がクリティカルに表れているように思う。
波打つ床の部屋には武満徹が作曲した石川セリ(井上陽水夫人)の唄がBGMとして流され不思議な雰囲気を醸し出している。聞けば伊東さん自身が選んだのだという。正午までいたが入場者は数人だけだった。オペラシティ・アートギャラリーへのアクセスが悪いのかもしれないが残念である。新しいデザインの可能性を体験するには必見の展覧会であることは間違いない。

午後、大学行き。2時、ベトナム人留学生の入学相談。2時半から卒論エスキス。各自が作成した目次の叩き台をもとに議論。なかなかはっきりした方向性が見えてこない。5時前、ハンガリー人留学生2人と進学相談。5時半、現在、東工大の修士課程に在学中のポーランド人留学生の転学相談。メールでは中国人大学生からの入学相談が届く。来年度の留学生進入学の申込締切が11月上旬である。それにしても今年は希望者が多い。

8時半に事務所に戻る。幾つかの雑用。敷地調査を行っていたクライアント候補から敷地の目途が立ったというメールが届く。今週末に相談に来ることになった。早速、地図で位置を調べる。最寄りの駅は小田急線の千歳船橋。早川邦彦さん設計の芦花高校の近くのようだ。
伊東豊雄展のカタログを読みながら1時半過ぎ就寝。目が冴えてなかなか寝付かれなかった。


2006年10月23日(月)

小雨でやや寒い。「118松田屋本店」のコンクリート打ちは延期。「103後藤邸」の配筋検査は実施。8時半に事務所に出る。幾つかの雑用と原稿スケッチ。11時過ぎに事務所を出て大学へ。1時半から3年生の設計製図中間講評。ヨコミゾマコトさんの課題で5000平米の区立図書館。100分の1の模型でのプレゼンテーション。皆それなりにパワーはあるのだが突出した案はない。期待したレベルの作品は2,3点。何だかみんな幼くて発想が貧困である。本当に建築を勉強しているのだろうか。だんだんコメントする意欲がなくなってきた。5時過ぎ終了。5時半から設計製図会議。3年生後期の第2課題について話し合い。卒業設計合同講評会の経過報告。ローマ大ワークショップのプログラムの説明。6時半からローマ大ワークショップの準備報告会。チーム毎に調査結果をプレゼンテーション。日本人と留学生の混成チーム。来週月曜日からスタートする、注意事項について簡単にコメントし7時半終了。
8時半に事務所に戻る。「122大塚邸」は今朝、鎌倉市役所に確認申請を提出。その旨を有坂弁護士に伝える。その後、屋根構造のチェック。

ル・コルビュジエの『建築をめざして』、レイナー・バンハムの『第1機械時代の理論とデザイン』、ウルリヒ・コンラーツの『世界建築宣言文集』を比較しながら拾い読み。1920年代のモダニズム期には、ミースもル・コルビュジエも機能主義については何も発言していない。バンハムは最終章「結論:機能主義と科学技術」において、機能主義という言葉は1930年代に初めて使われたが、モダニズムの建築家たちは機能主義の意味をほとんど把握していなかったと指摘し、その例証としてミースのバルセロナ・パヴィリオンとル・コルビュジエのサヴォワ邸を紹介している。いやはや頭の中はますますこんがらがってきた。


2006年10月22日(日)

午前中は井上がまとめた「122大塚邸」のチェック。幾つか新しい試みをしたいので十分な調査が必要である。
一日かけて『言葉と建築:語彙体系としてのモダニズム』(エイドリアン・フォーティ:著 坂牛卓+邊見浩久:監訳 鹿島出版会 2005)の再読終了。飛ばし読みだったが、幾つか新しい発見もあった。日頃、何気なく使っている言葉がすべて歴史的な産物であることをあらためて痛感させられる。しかも言語は差異のネットワークだから、ひとつの言葉の意味は他の言葉を参照しなければ把握できない。しかし僕たちはひとつの言葉に意味が付着しているように考えてしまう。差異のネットワークが安定している場合はそれでいいのだが、前世紀初頭のモダニズムの時代はそうではなかった。本書によれば、形態(form)、空間(space)、デザイン(design)、秩序(order)、構造(structure)のどれか二つの言葉が見られたら、それはモダニズムに関する言説だという。(ならば「建築の4層構造」は完全なモダニズム言語ということになる)。しかしそれぞれの言葉の意味は不確定で、絶えず揺れ動いていた。それにしてもここに機能(function)が含まれていないのはなぜだろうか。その疑問は本書を読めば氷解する。モダニズムにおける機能主義は1960年代のモダニズム批判の中で浮かび上がってきたからだ。機能に関する歴史的分析は、本書の中でもエキサイティングな部分のひとつである。
久しぶりにじっくりと本を読んだが、本が本であるだけに頭の中はまだ十分に整理できていない。原稿を書きながら問題を整理するしかなさそうだ。


2006年10月21日(土)

8時半に事務所に出る。野川さんからメールが届く。第6案を実施案とすることが決定。敷地の形から建物中央に吹抜を持つ南北に長いトンネル型プランになった。西側に母家の前庭があるので当初は吹抜の西面に巨大な高窓をつけていたが、西日を防ぐ仕掛けが大がかりになるので1階に大きな開口をつけるに止めた。早速、確認申請の準備に着手する。
午後はずっと読書。5時、所内打合せ。現場が一斉に動き始めている。名古屋の「121小野邸」の現場説明は11月3日(金)の「107桑山邸」地鎮祭の後に実施することになった。その日はローマ大ワークショップの中間講評なので夕方までに帰京する予定。

『言葉と建築』を読み続ける。第1部を読み終わり第2部の用語編にかかる。建築用語の多くが隠喩であることをあらためて痛感する。機能や形態に関する用語はほとんど隠喩で成り立っている。その中でも言語の隠喩がもっとも強力だが、言語の隠喩も言語によって説明するしかないという自己言及性がここにもある。逆に技術用語は指示対象がある程度限定されているので、あまり議論の俎上に登ってこないが、構造という言葉は別格である。用語論にあまり深入りはしたくはないが、その危険性を知っておくことは必要だろう。ともかく明日中には何とか片づけてしまいたい。


2006年10月20日(金)

一日、事務所。『箱の家』の校正原稿が届いたので読み通し校正。意外と修正が多くて自分でも驚く。1年以上前に書いた原稿なので、自分の中で考え方が微妙に変化している。それを校正に反映しようとすると原稿を大幅に変更しなければならない。しかしそこまでする時間的余裕もないので、大きなズレを修正する程度の校正に止めるしかない。いつも校正をしていて思うのは、原稿が思考の排泄物だということである。原稿にまとめた段階で思考はすでに次のステップに進んでいる。この本はとくにそのギャップが大きい。できれば書き直したいくらいである。ともかく校正を最小限に抑え、昼過ぎまでに結果をまとめてメール送信。午後、表紙と製本の見本が届く。アルミニウム色の鈍いシルバーのハードカバーでなかなかオシャレである。しかし「箱の家」の本としてはやや格調があり過ぎる感じがする。僕としてはもう少しカジュアルなデザインで安価版に抑えたかったが、デザイナーや出版社の意向が強く反映される形になった。グラビア写真の色校に手間取っているので出版は11月半ばになりそうだ。

午後『10+1』の原稿に取り組む。夕方までに一気に10枚書く。しかし「建築の4層構造」の歴史的な背景について考え始めたところで頓挫。近代建築史の本がすべて大学にあるので参照できない。とりあえず手元にある『言葉と建築』の再読を始めたら、第4層の自己言及性について考えるのに格好の参考書であることに気付く。何とか読み通さねばならない。

『新建築住宅特集』11月号が届く。「箱の家110:大橋邸」と倉方俊輔さんとの対談が掲載されている。『新しい住まいの設計』12月号も届く。こちらは「箱の家109:金澤邸」が紹介されている。


2006年10月19日(木)

午前中『箱の家』の色校チェック。山根がまとめた「122小野邸」の展開図と照明器具配置をチェック。11時半に事務所を出て大学へ。12時半から学科会議。2年生の後期時間割についての議論。環境系の講義が追加され、設計製図の時間が延長される。2時過ぎ製図室に行き3年生数人のエスキス。今日は横溝さんが休みなので助手やTAが指導している。来週月曜日が中間講評だが皆まだ遠い。

3時に大学を出て赤坂の鹿島KIビルへ。4時からフライ・オットー講演会。オットーが老齢ということもあるが、それ以上に板茂、川口建一との鼎談形式が災いして話しがちっとも前に進まない。オットー本人を見ることができただけで、何も新しい情報を得るところのない肩すかしの講演会になった。企画者の失敗だろう。

6時半過ぎに大学に戻る。7時前から研究室定例会議。卒論生の経過発表。徐々に詳細な情報が増えてテーマがうっすらと浮かび上がってきた。10月中にテーマを絞り込むためには、さらにピッチを上げねばならない。院生の研究は完全な停滞状態。危機感の無さにちょっと心配になってきたが結局は自分の問題である。時間切れであっても、それなりのテーマでなければ僕としては認めるつもりはないが。

10時に事務所に戻る。『箱の家』の校正原稿が届いている。大急ぎでチェックしなければならない。『手と精神』(ジャン・ブラン:著 中村文郎:訳 法政大学出版局 1990)を読み始める。テクノロジーの原点である「手」について考えてみたくなった。「把握と理解」や「触覚による認識」という概念がベンヤミンを思わせる点にも注目した。


2006年10月18日(水)

10時過ぎ、原宿駅前に行く。10時15分から毎年恒例の英語講義「A short history of Japanese modern architecture along OMOTESANDO」。ほとんどが留学生だが、日本人院生も数名参加し総勢20名余。トロント大学のRoger教授も飛び入り参加。明治神宮橋からスタートして安藤忠雄さんのコレッツィオーネまでを2時間かけて歩く。年毎に風景が変わりそのスピードの速さに愕然とする。

午後は事務所。卒業設計合同講評会の開催要領のまとめ。「技術と歴史研究会」の資料の整理。『10+1』原稿スケッチ。絵本『箱の家』スケッチなど。「122大塚邸」に関して有坂弁護士とFAX交換をした結果、最終案が決定。本格的な確認申請の準備を開始する。
6時半、芦澤泰偉さんと紀伊國屋書店編集部の水野寛さんが来所。「技術と歴史研究会」講義録出版の相談。会の趣旨を説明しこれまでの資料を渡す。その後3人で食事。水野さんはリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』やマイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』を担当したベテラン編集者であることを知る。

『前川國男:現代との対話』(松隈洋:偏 六曜社 2006)を読み終わる。藤森照信と林昌二以外は、思い入れが強すぎて前川國男の再評価としては今一突っ込みが足りないような気がする。前川にあって現代にないものばかりに目を向けているからだ。現代の潮流を批評するのに過去を引き出すのはあまりに常套手段である。それよりも(藤森と林のように)前川國男の思想や建築をクールに分析し、その時代的な限界を明らかにする方が、最終的には現代を相対化することにつながるように思う。なぜならマルクスもいったように「人間は自分自身の歴史をつくるが、しかし自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史をつくるのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の中でそうする」のだから。僕たちは与えられた歴史的状況に中で仕事をするしかない。過去の状況を現代に当てはめて批評したつもりになったのでは生産的な仕事はできない。


2006年10月17日(火)

10時歯科医院行。10 時半事務所に戻り雑用。昨日のレクチャーの整理と原稿スケッチ。建築学会の展覧会に出品したアルミエコハウスの説明文が完全に間違っていたので抗議。まったく建築が分かっていない人間が書いたような内容である。というか別のアルミ建築の説明文をそのままアルミエコハウスに当てはめているのだから呆れ返る。建築学会なので安心していたらとんでもない。

午後大学行き。4時から3年生の学生と斉藤裕さんの連続講義についての打合せ。学生側の条件とスケジュールを確認。叩き台を齋藤事務所にファックスする。助手、秘書と研究室の留学生受け入れのシステムについての確認。来年からシステムが変わるらしいので、早急に希望留学生に連絡するように指示。

6時から3大学卒業設計合同講評会の打ち合わせ。東工大からは坂本一成さんと八木研の助手。芸大からは北川原研の助手が参加。北川原温さんは急用で不参加。東大からは千葉さん、助手、技官が加わり残された課題について議論。まず3月3日(土)の開催と安田講堂の会場を確認。続いて公開講評会の名称を決め、ゲストクリティーク候補をリストアップ。費用分担についても決定。早急にゲストクリティークへの打診を行うことを確認して8時前に終了。その後、大学前の韓国料理屋で歓談。このところ飲み過ぎなので自粛。10時前終了。


2006年10月16日(月)

8時過ぎに事務所に出て「野川邸」の構造チェック。9時に事務所を出て10時前の新幹線に乗り0時半新大阪着。地下鉄御堂筋線で本町まで行き徒歩で鞆本町の大阪科学技術センターへ。
1時半から「住宅産業フォーラム21」。3年前に一度参加しているので2回目のフォーラム参加である。今回のテーマは「省エネルギー住宅・次世代エネルギー最前線」。僕は海外のハイテク系省エネ住宅を簡単に紹介した後「箱の家シリーズ」の環境性能調査の報告。90枚のスライドだが駆け足で紹介したので40分で終了。質疑応答にゆっくり応えることができた。
引き続き三重大学農学部の舩岡正光教授による「木質バイオマスの新しい展開--森林からはじまる持続的工業ネットワーク」。専門的な内容はよく分からないが、森林資源を分子レベルで活用するというきわめて興味深い内容。現在の製紙技術では樹木繊維を強力な熱によってパルプとリグニンに分解しているが、これによってリグニンの複雑な分子構造が分解されてしまい有効に使うことができない。これに対して舩岡教授が開発した技術では化学的方法によってリグニンを元の分子構造のまま抽出できるので、多様な活用法が可能になるというもの。リグニンは樹木内で繊維相互を結合させている接着剤的な物質である。構造材としての木を成立させているのはリグニンなのだ。したがってリグニンをそのまま抽出できれば、新しい木質構造材料を開発できることになる。つまり分子レベルから木質材料を再検討できる画期的な技術なのである。この技術が一般化されれば日本の林業の再生も夢ではないが、舩岡教授はそのための政治的なハードルが多すぎると嘆いていた。まずは仕上材料から参入するしかないだろうが、いずれは新しい木質構造材料が開発されることは間違いないように思える。

5時前に会場を出て本町のINAXショールームへ。「『室内』の52 年:山本夏彦が残したもの」を観る。石山修武、林昌二、鈴木博之の三氏が挨拶文を書いている。「箱の家1」が紹介された1995 年8月号の表紙は団扇だった。藤塚光政さんの表紙写真はいつも楽しみだった。何度か短い原稿を書いた後1999年に1年間連載をさせてもらった。この経験で僕の文体が完全に変わった。山本夏彦さんには講演会を聞いただけで直接話したことはないが、僕の顔をじっと見ながら「あまり真面目な人は困りものですね」といわれてドキッとした記憶がある。

5時半に会場を出て我孫子のイル・マーレへ。寺山麦と久しぶりに会食。シェフを交えて歓談。僕のワイングラスはいまだに安泰。8時終了。寺山とは地下鉄御堂筋線で別れ、最終の新幹線に乗車。車内で安井事務所の社長、佐野吉彦氏に会い四方山話。大阪市大から安井事務所に入所した池田知余子の近況などを聞く。和風迎賓館を安藤忠雄さんと共同で設計するそうだ。ワインで朦朧としてきて熱海あたりから爆睡。気がついたら東京駅だった。


2006年10月15日(日)

9時半に事務所に出る。野川さんから第5案に関するコメントメールが届く。案の内容にすれ違いがあったので早急にまとめて送付する旨の返信メールを送る。直ちに第6案のスケッチをまとめる。その後、明日の住宅産業フォーラム・レクチャーの編集。スライドの枚数がやや多いが、何とか1時間以内に納めよう。
午後『10+1』の連載原稿に着手。まず「建築の4層構造」の詳細な説明をまとめる。引き続きその背景の歴史的な解説に入る。『技術と歴史研究会』のまとめのスケッチ。水曜日に本の内容について出版社と打ち合わせる予定。

『前川國男』を読み始める。第1章で富永讓さんがクリストファー・アレグザンダーの『時を超えた建設への道』を引用しているのにビックリした。前川國男がめざした「無名の質」を説明するための引用なのだが、何かそぐわないものを感じる。僕は20年以上前に本書を読み「無名の質」を建築の評価に使うことの危険性を直感した。それは言葉にできないものを言葉にしようとする矛盾を隠蔽し、説明不可能な質を分かった気にさせる欺瞞的な言葉である。「無名の質」は決して若者には理解されないだろう。それは知恵と経験を持った人間が抱く無意識的な幼年時代への憧憬の産物だからだ。言葉を超えた質への眼差しにはアルカイックなものへの自意識過剰な憐憫が隠されている。僕の考えでは「無名の質」に対しては、あえて明示的に語り続けるか、あるいはウィトゲンシュタインがいったように沈黙すべきなのだ。


2006年10月14日(土)

午前中は締切間近の『10+1』の原稿スケッチ。今回は「建築の4層構造」について徹底的に論じてみる。環境研院生から届いた「箱の家」の環境測定結果をスライド編集。明後日の大阪レクチャーの準備。
午後1時半に事務所を出て京王線府中駅へ。改札口で栗木氏と待ち合わせタクシーで敷地候補へ。東西に走る欅の並木道路に接した旗竿敷地。南側に幅90センチの歩道が通っている。平屋の空き家が建っているので周囲を調査。ガスや水道は新たに引き込まねばならない。それ以外は大きな問題はないので、境界杭を明確にすることを前提条件に購入を勧める。その後、府中駅まで歩いてみる。欅並木が続く緑に溢れた街である。敷地購入の目途がついたら基本計画に着手することを約し、駅前で別れる。
4時半に事務所に戻る。5時から所内打合せ。栗木邸の敷地写真を紹介。来週のスケジュールを確認した後掃除。6時過ぎ解散。夜は原稿スケッチ、スライド編集と読書。
斉藤裕さんに連絡し、連続講義の形式について打診。学生たちの企画に対して基本的な承認を得たが、第1回目の講義はできれば公的な行事にして欲しいという。来週、学生たちと相談してみよう。

遠藤政樹くんから『Natural Ellipse』が届く。小冊子だが英訳のついた格調のある本である。直ちにお礼のメールを送信。遠藤くん自身にとってはnaturalな発想であっても、建築としてはunnaturalに反転する論理を、ジグムント・フロイトのunheimlich=uncannyの概念に即してコメントする。

『ユートピアの系譜:理想の都市とは何か』(ルイス・マンフォード:著 関裕三郎:訳 新泉社 2000)を読み終わる。ぎこちない翻訳で読み通すのに一苦労したが、この種の本を読むのは初めてなので大いに勉強になった。マンフォードの著作は院生時代に『機械の神話』や『技術と文明』を読んだが、余りの大風呂敷に辟易したことを憶えている。それに比べて本書はユートピア思想の歴史に焦点を絞っているので問題が明確である。最終章「ユートピアの要件」でマンフォードはユートピアの復権を主張し、その条件として科学技術と芸術との統合を説いている。これはル・コルビュジエの建築論と完全に同じ主張である。この点にモダニズム思想の核心があるように思える。マンフォードはドイツ系アメリカ人だが、本書が書かれた1920年代初期のアメリカにもモダニズムの風が吹いていたのだろうか。1951年にはペンシルバニア大学都市計画学教授だったというからルイス・カーンと面識があったかも知れない。


2006年10月13日(金)

午前中、花巻がまとめた「117池田邸」の階段とベランダ詳細図のチェック。「121小野邸」のディテールスケッチ。「122大塚邸」の構造システムの検討。LVLによる均質な天井と軽快な軒をめざす。龍光寺と「118松田屋本店」の彫刻ケースの打合せ。いかに線を少なく抑えて彫刻を浮き立たせるかが勝負である。NTT出版から連絡が入る。今日『箱の家』の原稿が印刷に回ったそうだ。出版は11月半ばに決まる。

午後2時、八丁堀の省エネルギーセンターへ。s&m(省エネ住宅)コンペの最終審査。まず1次審査で審査員5人が投票したリストを見ながら、票の入らなかった作品を再検討する敗者復活戦から開始。しかし1次審査の結果は覆らない。続いて票の入った17作品から1作品ずつについて議論し12作品にまで絞る。この12作品について再投票。票の入らなかった2作品を除き、残る10作品について議論。優秀作品候補を5作品にまで絞り、再度議論して4作品を選ぶ。ここで意見が分かれて再投票を行い、何とか3作品にまで絞る。僕はリアリティだけでなく問題意識の有無を評価すべきであることを一貫して主張。佳作については5作品まで絞るのが難しく、1作品を奨励賞とし6作品を選ぶことになった。今年は全体としてレベルが高いので審査員の議論にも熱が入る。入選作を確定した後、応募者の氏名と経歴を聞く。優秀賞3人は東大、東工大、首都大学東京の大学院生。佳作、奨励賞に入ったのもすべて大学院生だった。応募の数も少ないが学部生には難しい課題なのだろうか。本来なら学部の段階から興味を持って欲しいのだが。

6時過ぎ事務所に戻る。7時、クライアント候補が来所。購入予定の敷地について説明を受ける。まずは敷地を見ることにし、明日の午後、府中に行くことになった。夜は「121小野邸」の構造システムのチェック。可能な限り単純化する。「122大塚邸」の屋根構造システムのチェック。フラットな構造がほぼ固まる。


2006年10月12日(木)

午前中「122大塚邸」のディテール・スケッチ。プラン変更についての手紙をまとめ有坂氏に送付。小嶋一浩さんに電話。特別講義を依頼し快諾を受ける。11月27日(月)に開講の予定。これで後期の特別講義プログラムが確定した。

午後大学行き。学科会議は欠席。槇文彦さんに電話。セントルイスのワシントン大学への留学希望者について報告。結局4人の希望者があった。今月末に槇さんがワシントン大学に行って先方に打診した後、こちらとの直接交渉に入る。2時、留学生と修論の打合せ。2時半から研究室会議。卒論生3人の報告。少しずつ光明が見えてきた。5時ヨコミゾマコトさんによる3年生設計製図課題の事前調査発表会に途中参加。6時終了。

7時前に事務所に戻る。NTT出版と芦澤さんから電話。『箱の家』の出版、さまざまなストラグルがあったが、何とか11月に出版される見通しがついた。


2006年10月11日(水)

10時、歯科医院。10時半から井上、栃内と「122大塚邸」打合せ。LVLによる屋根構造の軒先納まりが問題である。屋上緑化しながらメンテナンスの容易な軒先とし、なおかつ庇をいかに軽く見せるかがテーマである。

午後、大学行き。1時半からウィーン工科大交流記念展のオープニング。しかしウィーン工科大学からの来場者はSimoncsics教授だけである。彼一人の前で作品説明を行うという呆れた事態。これでは相互交流とはいえない。デザイン交流はますます遠退いた感じである。

交流記念式典への出席は取りやめ、3時に大学を出る。帰途「103後藤邸」の現場に立ち寄る。鉄骨軸組の建方が終了し、ベランダの建方中。ヒートブリッジを防ぐためにベランダの一部は木造になっている。4時前に事務所に戻る。「122大塚邸」のディテールスケッチをまとめ井上に渡す。山根から「120大野邸」の地盤調査結果を受け取る。盛土だが時間が経過しているので比較的良好な地盤になっている。7時、真壁智治さんが来所。絵本『箱の家』の打ち合わせ。真壁さんがスケッチした全体構成にもとづいて打合せ。少しずつ全体像が見えてきた。8時半、NTT出版の齋藤氏が来所。『箱の家』の出版契約条件の確認。未だに不確定要素が多く前担当者のいい加減さが尾を引いている。引き継いだ齋藤氏も戸惑い気味だが、ここで妥協はできない。再びスケジュールがずれ込む可能性が出てきた。イヤハヤナントモ。


2006年10月10日(火)

10時、八丁堀の省エネルギーセンターへ。S&M(省エネ住宅)コンペの1次審査。応募図面を1枚ずつ丁寧に見ていく。応募数は昨年よりも少な目だが全体として明らかにレベルアップしている。コンペが浸透し問題意識のある学生だけが応募するようになったということかも知れない。ライフスタイルを含めて明確な主張を示した5案を選定。僕なりに優秀賞3点を絞り込む。今週金曜日が最終審査である

昼前「103後藤邸」現場へ。今日は鉄骨の建方である。井上は朝から付き合っている。すでに柱は建ち上がり梁を取り付けている最中。狭小敷地での作業なので鳶が隣家を傷つけないように注意を指示。井上と昼食を取った後、大学へ。多目的演習室にてウィーン工科大学との交流記念展の準備を見る。2時半、再び「103後藤邸」現場へ。屋根梁を取り付けている最中。骨組の建方後に床のキーストンプレートを搬入しているので、クレーンの操作に苦労している。明らかに部品の搬入手順がうまく計画されていない。本来なら2階の梁まで組み上がった後に床のキーストンプレートを搬入すべきである。そうすれば、それが足場にも使えるはずだ。3時半、大学に戻る。3年生が建築サークルの相談に来る。レクチャーの企画を考えているらしいので、参加メンバーを確定できれば協力することを約す。

5時半、坂本一成さんが来研。6時から特別講義。「スモールユニットとアイランドプランによる都市居住と都市環境」と題して2時間の講義。坂本さんは「水瀬の町家」から最新の「ウィーンの集合住宅」までを紹介しながら「距離」「空地」「空所」をテーマに小スケールの住棟の集合による都市空間のあり方を提案する。僕には建築における坂本さんの「距離」の取り方がそのまま現代都市における人間の距離のあり方の提案に重なって見える。孤立した個人のランダムな集合であるアナーキズムでもなく、コモン(共有空間)を中心に人間が集合するトータリズムでもない。個人が相互に微妙な距離を保ちながら共存するアソシエーショニズムともいえるような社会像である。そのような分散的な空間構成について、坂本さんは現状の都市空間から抽出されたプラグマティックな解答だと主張する。確かにegota houseのスモールユニットはプラグマティックな解答としてうみ出されたのかもしれない。しかしミュンヘンやウィーンの計画では、分散的な都市空間は一種のプロトタイプあるいは社会的なヴィジョンにまで昇華されている。坂本さんの提案が日本ではなくヨーロッパにおいていち早く評価されたことは象徴的である。知的な建築的構築は成熟したヨーロッパにおいて初めて理解されるということである。ともかく一歩先を行く都市像を垣間見せられたエキサイティングなレクチャーだった。8時過ぎから講評室で学生との懇親会。その後、居酒屋に場所を移して夕食。建築論議で盛り上がる。坂本さんと話していると大脳が刺激され活性化する。11時過ぎ終了。


2006年10月09日(月)

11時過ぎの新幹線で名古屋へ。新横浜から花巻が乗車。名古屋駅から地下鉄で高須観音へ。徒歩で桑山製作所へ午後1時半着。桑山直子さん、息子さん、桑山秀康さんが迎えてくれる。すでに工務店社長も到着している。直ちに「107桑山邸」の工事契約。工程表の説明を受け、契約書類を確認した上で署名捺印。2時半前に終了。地下鉄で覚王山まで行く。お寺の参道はお祭りで賑わっている。小野邸に3時半着。小野夫妻と山根が「121小野邸」の実施設計の打ち合わせ中。まもなくして現場監理を依頼する後藤孝さんが到着。4時半に打ち合わせ終了。タクシーで再び桑山邸へ戻る。桑山さんに後藤さんを紹介。地鎮祭を11月3日(金)に実施することになった。タクシーで名古屋駅へ。連休最後の日で新幹線は満員。やむなく自由席に乗る。立ったままでいくつかの打ち合わせ。7時半東京着。青山で家族と夕食。10時前に帰宅。


2006年10月08日(日)

一日事務所で雑用と読書。1年間の帳簿を整理し、契約書、請求書類のコピー。決算の準備である。毎年この時期の定例行事。今年は新しい自宅+住宅が完成したので、例年よりも資料が多く手間取る。住宅産業フォーラムの資料を送付。レクチャーのスライドの整理。環境研の院生にもらったスライドをどう組み込むかスケッチ。

野川夫妻からメールが届く。第4案まで提案したが最終案は第2案と第4案の折衷案になりそうだ。南北に長い町家型の平面だが、西側が母家の南庭に面しているので、どうしても西側に開放したくなる。しかし夏期の西日を直に受けるので対応が難しい。結局、西に面した吹抜の高窓を中止し1階に大きな窓をつけることになった。新潟の「箱の家059」を少し縮小し90度回転した形である。連休明けに早急にスケッチをまとめ、第5案として送付する予定。


2006年10月07日(土)

昨日とは打って変わっていい天気。10時前に事務所を出て高尾駅11時着。徒歩で「120大野邸」の敷地へ。少々暑いが風があるので心地よい。絶好の地鎮祭日和。11時半から諏訪大地主神社による正式な地鎮祭。大野一家とご両親が参加。大野さんが白装束を着て四方を浄め、鎌入、鍬入、鋤入の儀式の後、榊を捧げ、御神酒で乾杯して終了。続いて近所に挨拶回り。12時半終了。来週初めに地盤調査を行い、その後基礎工事に入る。

2時過ぎ事務所に戻る。歯科医院に行きブリッジ歯のチェック。とくに大きな問題はない。1週間毎にチェックに通うことになった。井上、栃内と「122大塚邸」打合せ。基礎と上部構造を検討するうち平面も再検討の必要であることが判明。早急に新しい案をまとめ、佐々木事務所と打ち合わせてから、新しい案を大塚さんに提案することにする。5時、事務所全体打合せ。来週のスケジュール確認。その後、掃除。
6時に事務所を出て南青山の河内一康展オープニングへ。河内君や中川君としばらくはなした後、事務所に戻る。雑用と読書。マンフォードの『ユートピアの系譜』に手間取っている。

『TOTO通信』の最新号(2006秋号)は「あらためてプロポーション」の特集である。表紙には鈴木博之さんにもらったモデュロール尺の写真が掲載されている。僕は「箱の家-1」のモデュールに関してインタビューを受けたが、単に「箱の家」の寸法調整の方法についてだけではなく、現在の建築界ではモデュールに関する論議は皆無なので、その意味をできるだけ広い視野から捉えるように回答した。


2006年10月06日(金)

8時半に事務所に出る。修正した「121小野邸」の詳細図を再チェック。幾つか細かな点を変更。昼前、歯科医院行き。ぐらついた歯を抜き新しい歯をブリッジで取り付ける。暫定的な対応でしかないが、しばらく様子を見て本格的な対応を考える。麻酔で口の周りが麻痺したので昼食は抜き。午後1時半、環境研院生と卒論生が来所。自宅のデータを収集した後、修論と卒論の打合せ。テーマが明確なので、問題はそれをどこまで掘り下げるかである。後の研究へと展開する可能性の高い方向へ進むようにアドバイス。難波研究室のテーマとの結びつきについて頭をめぐらせるが、ギャップが大きくて想像がつかない。どうしたものだろうか。

3時半、大学行き。4時、中国からの研究生希望の留学生が来研。すでにポートフォリオを見ていたので面接は短時間で終了。ベトナムの学生と同様、真面目で優秀な学生である。来年4月からの受入を承諾。
5時半、マティアス・ザウアーブルッフ氏が芸大の学生を連れて来研。6時過ぎから特別講義。デビュー作である1991年のベルリンのオフィスビルから完成したばかりのデッサウのオフィスビルまでの4つの作品のデザイン・プロセスを詳細に紹介。徹底したサステイナブル・デザインに感銘を受ける。都市コンテクストの詳細な分析とエンジニアリングにもとづくきわめて論理的なデザイン・プロセスだが、最終的な建築は柔らかな曲線を多用した詩的な表現になっている。論理と感性の絶妙なブレンドが彼の建築の最大の魅力だろう。僕自身も大いに勉強させられた。後期の第1回特別講義としては大成功というべきである。初めて建築家に接する2年生の学生たちに与える影響が楽しみである。8時終了。その後、講評室で懇親会。9時過ぎ正門前の居酒屋に場所を移し、夕食を食べながら歓談。氏は明日せんだいメディアテークに行き、その後北京と上海で講演をするというので、ジョン・ジャーディやクリストフ・インゲホーベンの中国評について話す。10時半終了。

大阪市立大の中谷礼仁さんから『彰化1906 市区改正が都市を動かす』(青井鉄人:著 編集出版組織体アセテート 2006)と『ルッカ1838 古代ローマ円形闘技場遺構の再生』(黒田泰介:著 編集出版組織体アセテート 2006 )が、京都工繊大の松隈洋さんから『前川國男 現代との対話』(松隈洋:偏 六曜社 2006)が届く。いずれも関西の建築史家による力作である。


2006年10月05日(木)

8時半に事務所に出る。山根がまとめた「121小野邸」の詳細図をチェック。来週初めに打合せなので今週中に小野夫妻に送付するよう指示。
9時半、入所希望の学生が来所。9月に東工大の修士課程を修了したという。経歴を聞いた後ポートフォリオを見る。なかなかの力作揃いだが僕の建築観からは少しズレている。というか今時、僕の建築観に一致するような学生はほとんどいないのだが。

午後大学行き。学科会議の後2時半、ウィーン工科大学の建築学科教授が来所。ワークショップと展覧会について話し合う。しかし余りウマが合わないのでワークショップは無理かも知れない。3時半から研究室会議。卒論テーマについて討論。ル・コルビュジエについての研究だが、まだ勉強の段階。今月一杯かけて集中的に勉強しテーマを絞り込む。その後、ル・コルビュジエのビデオ第1巻を観る。6時半からハンガリーの新留学生の歓迎会とコンペ打上。チゲ鍋で盛り上がる。10時前終了。明晩はドイツの建築家マティアス・ザウアーブルッフによる後期最初の特別講義である。天気予報は雨である。学生が集まってくれるといいのだが。


2006年10月04日(水)

10 時過ぎ、国立のセキスイ・サステイナブルデザイン・ラボラトリーへ。所長の木村文雄さんに一通り話を聞いた後、実験住宅(リビング・ラボ)を見学。平面プランは南側に縁側を通し中央に回り階段を置いた単純な長方形。南面がすべてガラス面になっているのは冬期のダイレクトゲインを期待してのことだろう。庇がないので夏期はlow-eペアガラスとブラインドで対処している。2階縁側は全面トップライトと思いきったデザインである。ガラス面に太陽電池を組み込み、ガラス面に水を流すことで夏期の日射に対処している。階段室を屋上まで延ばし煙突効果で通風を制御している。風向を機械的に感知して開閉する通風窓のアイデアは秀逸。聞けば特許を取ったという。2階床にアクアレイヤー・システムを組み込んでいるのにはビックリした。ともかく現在手に入る省エネ構法のほとんどすべてを組み込んだヘヴィー・デューティーな住宅である。部材が太いことや細部納まりのキレが今一の点が気にはなるが、ハウスメーカーのデザインとしては単純明快で好ましい。「箱の家」の向かうべき方向を測定する基準点になりそうな住宅である。

午後、大学行き。3時から新入2年生のガイダンス。参加した教員は5人だけである。自己紹介し特別講義の案内をしてから席を立つ。研究室に戻ったところで安藤忠雄さんから電話。スタッフの募集。
5時に事務所に戻る。芦澤さんが「技術と歴史研究会」の講義録の出版社として紀伊國屋書店を紹介してくれる。講義録は『10+1』に連載中だが、講義録の残りをまとめ僕の序文をつけて出版する予定。早速プログラムの作成に着手する。

6半時、千葉学さんがマドリッド工科大学のAlvaro Varela助教授を連れて来所。東京大学と交換留学の提携を結びたいという申し入れ。早急に国際交流室の相談することを約す。その後、近くのトンカツ屋で夕食を食べながら歓談。Varela氏は大野秀敏さんの研究室で博士号を取ったそうだ。彼のような留学生を介してグローバルなネットワークが生まれるのだろう。


2006年10月03日(火)

昨夜は『箱の家』の出版のことを考えているうちに眠れなくなり4時過ぎに起床。朝までに『リアリテ ル・コルビュジエ』(富永讓:監修 TOTO出版 2002)を読み終わる。ル・コルビュジエの住宅をめぐる中シンポジウム記録だが、空間論と形態論ばかりで少々食傷気味。ル・コルビュジエ自身の意図とは関係なくテーマを展開させることは「群盲象を撫でる」というよりも、自家中毒的な巨匠崇拝に陥るような気がする。今一度、彼の作品とテキストを「即物的に」読み取ることが必要ではないだろうか。

9時に事務所に出る。10時に歯医者へ。下の前歯が完全にぐらついている。根本的治療のコストを聞いて動転する。しばらくは部分修正を試み、調子を見てから判断することにする。

午後、大学行き。1時半過ぎから卒業設計の中間講評。人数は多いが中味は薄い。表層を撫でているようなテーマばかりで、いささかブルーな気分になる。建築の低落傾向は外部よりも内部から進行しているのかも知れない。半年かけて何とか叩き直さなくてはならない。4時から一昨年卒業の学生2人によるコンドル賞報告。
4時半、角川書店編集部来所。大学院講義録の出版に関する打合せ。講義をコンパクトに縮め写真をつけてまとめる旨を伝える。話のニュアンスからまだ石橋を叩いている状態のようだ。

7時に事務所に戻る。夕食後、山根と「121小野邸」の打ち合わせ。原稿スケッチ。昨日の井上、栃内との「122大塚邸」の打ち合わせのスケッチ。崖地に立つ平屋屋上緑化の一室空間住居。すべてが特殊な条件なので今までとは違った「箱の家」を試みたい。
『ユートピアの系譜』(ルイス・マンフォード:著 関裕三郎:訳 新泉社 2000)を読み始める。1922年に出たマンフォ−ドのデビュー作である。モダニズムのユートピアがどんなものだったのか確認する。マンフォードはアメリカ人だが。


2006年10月02日(月)

10時大学行き。11時から修士設計のガイダンス。しかし出席した学生は6名。これではローマ大学とのワークショップは成立しない。30人は参加してもらいたいのだが、教員の心配をよそに学生はまだ夏休み気分らしい。イヤハヤナントモ。
午後1時半から3年生の後期第1課題の出題。ヨコミゾマコトさんの担当である。こちらも時間を遅れて来る学生が多くてウンザリする。課題説明後、班分けして調査を行う。

3時過ぎ留学生が来室。ベトナムからの国費留学生で女性である。現在、日本語学校に通っているという。ポートフォリオを見ながら面接。2004年に大学を卒業し、しばらく現地の日本企業で働いた後、国費留学生の資格を得て来日したらしい。聞けば昨年度の辰野賞を取ったベトナムの留学生と同級生だそうだ。かなりの頑張り屋で学生時代に幾つかの賞をとっている。HPを見て入室を希望しているので僕の研究テーマも理解している。来年4月から研究生として受け入れることを承認。修士課程への進学は来年の院試を受けてからである。

5時に事務所に戻る。6時半、斉藤裕さんが来所。東大での連続レクチャーのプログラムについて話を聞く。ありがたい申し入れだが形式が難しい。特別講義では無理がある。インフォーマルな会にすべきかも知れないが、学生にとってはともかく僕にはいささか負担が重すぎる。

7時半から『箱の家』の出版会議。仕切直しのために関係者全員が出席。NTT出版編集部長から条件の説明を受ける。まだ原価計算もチェックされておらず不確定な部分が多い。次回の社内編集会議で最終条件を確認するというので、とりあえずそれまで待つことにする。それにしてもこじれた作業が未だにくすぶっている。早く片づけて先に進みたい。


2006年10月01日(日)

小雨気味で寒い。一日事務所。「123大塚邸」の構造スケッチ。平屋だが屋上緑化するので新しいディテールを試みたい。午後1時半に山根が出社。引き続き大野夫妻と工務店社長が来所。2時から「120大野邸」の工事契約。30分で終了。その後、しばらく雑談。
夕方まで帳簿にデータ打ち込み。9月で事務所の決算なので早めに整理する必要がある。この作業をやると事務所の経営状態がよく分かる。ちょっと事務経費が嵩み過ぎのような気がする。スタッフには少し気に掛けてもらわねばならない。
『リアリテ ル・コルビュジエ』(富永讓:監修 TOTO出版 2002)を読み始め、一気に半分まで行く。ル・コルビュジエの読み方リストのような本だが、都市論、モデュロール。境界論についてはあまり触れられていない。卒論で取りあげる意味はありそうだ。


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