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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2006年03月31日(金)

10時半『男のMemo』編集部が来所。ガレージを組み込んだ住宅特集の取材。「箱の家48」と「箱の家67」を紹介。どちらも同じような特集に紹介されたことがあるので難しいかも知れないが、とりあえず持ち帰って検討してもらうことになった。
龍光寺と「108松田屋本店」のファサードディテールの検討。技術的な問題点は明らかになった。残るはファサードの表情がどうなるかの検討である。大学院講義のスケッチを続ける。何とか第6回目までのプログラムまでまとめる。7回目のちょうど中間に難波研の卒論報告を差し込むことにする。ノートパソコン用の携帯電話AirHが壊れたので別に機種に取り替える。3年以上使っているので機種変更に費用はかからないが、買い換えの手続きや機器の受け取りに午後一杯かかってしまった。

夕方、石山修武さんから電話。韓国のコンペ審査から帰国したばかりらしい。7時過ぎ新大久保駅前の蕎麦屋で夕食。コンペの結果について詳しい話を聞く。韓国と日本からの応募案はほとんど全滅で、ヨーロッパ勢にまったく太刀打ちできなかったらしい。石山さんによれば、これからはコンピュータを駆使した立体曲面的なデザインの時代になるという。1等案はフレデリック・キースラーのエンドレスハウスをコンピュータで現代化したクラインの壺のような案だという。「箱の家」はますます難しい時代になるよ、というのが石山さんのアドバイスだった。


2006年03月30日(木)

朝9時前、花巻が出社。引き続き新建築のカメラマンが来所。再度、中庭回りと事務所内の撮影を始める。10時、三愛ビルの補修工事の打合せ。建築、電気、空調、給排水、エレベーター工事の業者が集合。4月半ばから5月上旬のスケジュールを確認し、来週初めに現場で打合せを行うこととする。
高橋青光一さんに電話し、特別講義の日程を5月23日(火)に決める。これで前期の6人が確定した。スタジオ課題担当の助手から連絡メールが届く。スタジオ課題のラインアップが決まったようだ。エンジニア系のスタジオが唯一つなのが残念だが、課題の内容を見るとリノベーションやコンバージョンの課題が多い。これも時代の流れだろう。

午後、龍光寺と「118松田屋本店」の打合せ。RC壁構造をそのままストレートに表現すると重い感じになるだろう。亜鉛ドブ漬けメッキスチールの外階段や手摺りを外断熱と一体化させることによって、コンクリートの耐候性を高めながら、全体として軽快で被膜的なデザインにまとめるように指示。
名古屋の桑山さんから「107桑山邸」の計画を再開したい旨のメールが届く。直ちにスケジュールを確認するメールを返信。2年前に確認申請まで進んで休止になったので半ば諦めかけていたが、再開になってほっとする。3階建ての鉄骨造で「箱の家」としてはやや大きめの住宅である。
新建築の撮影は午後一旦休止し5時半過ぎから再開。中庭の夜景を撮って6時半過ぎに終了。

夕食後、エクスナレッジから藤森照信特集に掲載する質問状の確認メールが届く。安藤忠雄さんや伊東豊雄さんも参加することになったらしい。早速スケッチを始める。藤森さんとは対照的な僕の立場を明確にするような質問を投げかけてみよう。
ブックデザイナーの芦澤さんから大学での講義録をまとめる話が届く。早速、一昨年の大学院講義プログラムを再検討し新しいプログラムの作成を試みる。一昨年前は初めての講義だったのでやや間延びしていた。今年はコンパクトで密度のある講義にしたい。


2006年03月29日(水)

9時半、大学行。10時から論文博士の審査。主査は長澤泰、副査は鈴木博之、岸田省吾、西出和彦と僕の4人。論文を提出したのは、近畿大学教授の岡田威海さんで、長澤さん、鈴木さんと大学の同級生である。
論文の主旨は、日本の集落に潜む「環境の構造」を探り出そうとしたもの。多様な集落から可能な限り形式化された構造を抽出することをめざしているのだが、それによって今までとは異なる集落の特性が明らかにされている訳ではなく、既知の構造を確認するに止まっている。形式化という方法は集落の個別的・具体的な質を捨象するが、それによって表面的な差異の底に潜む深層構造を浮かび上がらせる。その構造が新しい視点を提供し発見的でなければ形式化の意義は薄い。この方法は1960年代の構造主義(クロード・レヴィ=ストロース)や言語論(ノーム・チョムスキー)によって開発された方法であり、すでにクリストファー・アレグザンダーや原廣司らによって建築に適用されている。岡田さんの演繹的な記述スタイルは論文の体裁を整えるための方便に過ぎないのではないか。僕の考えでは、膨大な実地調査に即して集落の具体的な質を微細に記述した方がずっと意義深いように思える。

午後、設計製図や大学院講義プログラムのスケッチ。4時に事務所に戻る。『10+1』連載のテーマ・スケッチ。何とか8回のテーマに絞り込む。これを少しずつ膨らませていこう。

6時過ぎに事務所を出て 外苑前のJIA本部へ。6時半から広瀬鎌二×岸和郎のレクチャー。広瀬さんの鉄骨造住宅SHシリーズについて話を聞く。岸さんの質問が具体的なせいもあって、広瀬さんはかつての設計プロセスを闊達に答えていった。広瀬さんの正方形プロポ−ションや天井高2250ミリへのこだわりには共感するものがある。ル・コルビュジエのモデュロールの天井高は2260ミリである。最後は、高橋青光一さんと僕が質問して8時半終了。帰り際に、高橋さんに特別講義を依頼したら快諾してくれた。早速、スケジュール調整に着手しよう。


2006年03月28日(火)

9時、前助教授と研究員が来所。給湯測定の最後の配線作業。10時、環境研院生が来所。主要な家電の使用電力測定器を取り付け、電力仕様量の経時データ送信機を設置する。これで我が家の室内環境とエネルギー使用量が逐一モニターできることになった。
『10+1』連載原稿のスケッチ。8回連載の概略を決める。スタジオ課題の最終案をまとめる。
1時半に事務所を出て国分寺の「なおび幼稚園」の2年検査へ。ゼネコンのスタッフと約2時間をかけて内外をじっくりと見て回る。大きな問題は1年検査で解決したが、2年経過すると木部に様々な問題が生じている。とくに風雨に晒されている部分の歪みが目立つ。一通りゼネコンが対応してくれるのでホッとする。2つの中庭の緑がユニークな表情を見せ始めている。5時半終了。
その後、国分寺に出てゼネコンの監督、営業と居酒屋で食事をしながら歓談。9時半終了。10時半に事務所に戻る。


2006年03月27日(月)

7時半起床。昨日から風邪気味で咳が出始めた。9時出社。山代さんからスタジオ課題の叩き台が届く。今年は伊東豊雄、山本理顕、隈研吾さんが審査委員をつとめる学生向けコンペが、コンバージョン+都市居住をテーマにとりあげているので、このコンペに応募することを条件に同じ課題にした。建築学会でも同じようなコンペを企画している。リノベーションやコンバージョンがようやく世の中に浸透してきたようだ。
10時『ディテール』編集部の鷹村さんが来所。消防署の外装ルーバーと金物工事、耐火カーテンウォール壁の取材。設計の基本方針を僕が話し、詳細を岩堀が説明。その後「112神宮前」の性能測定についても花巻と説明。
幾つか取材の依頼が届く。大急ぎで対応をまとめる。

午後2時、ライターの高木さんが来所。『エスクワイア』で紹介する「箱の家106」の取材。『カーサ・ブル−タス』で紹介された「箱の家108」とほぼ同じ内容である。
3時『10+1』編集部の萩原さんと横田さんが来所。9月から始まる予定の連載の打合せ。住宅に関する多面的なアプローチを試みるつもりだが、理論だけでなくプラクティカルなテーマも絡めたい旨を話す。要するにデザインと交差するような内容にしたいということである。かなりヘビーな連載になりそうだ。INAXからの出版も予定されている。少しずつスケッチを進めていこう。

夕方から帳簿の整理。夕食を挟んで3時間かかる。帳簿をつけると事務所のシビアな経営状態が具に分かる。設計の詳細は現場に行くとよく分かるのと同じだが、こういう作業は意外にしんどい。9時終了。


2006年03月26日(日)

8時起床。10時前に事務所に出る。午前中は井上がまとめた「103後藤邸」の詳細図と展開図のチェック。大学院講義のスケッチ。
午後は久しぶりに銀座に出かけ、チャックが壊れた鞄の修理を、購入した店に依頼する。しかし期間が過ぎているので修理は難しいといわれた。壊れた鞄は、大阪市大に就任した6年前に購入したもので、パソコンや着替えをいれるためにやや大きめにしたが、今はその必要がない。パソコンの持ち運びが可能な最小サイズのものを新たに購入した。それにしても6年で修理不能というのはおかしなシステムだ。最近の電気安全法と同じ発想である。

久しぶりに石山修武さんの世田谷村日記をチェックしたところ、カバーコラムに「箱の家」のことが書いてあった(http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/cover.html)。先日、会った時に自宅+事務所「箱の家112」の話しをしたが、そのことがきっかけになったのかも知れない。いつも通り歴史性と批評性が混然となったコメントである。痛いところを突かれた感じもするが、まだ実物を見てもらっていないので、本格的な批評は実見してからだろう。

特別講義の前期のプログラムがほぼ確定した。4月18日(火)が野沢正光さん、4月24日(月)が高間三郎さん、5月18日(木)が齋藤裕さん、6月6日(火)が鈴木了二さん、6月27日(火)が西沢大良さんというラインアップである。川俣正さんや佐々木睦朗さんは後期になった。特別講義はできるだけバラエティのあるものにしたい。


2006年03月25日(土)

9時半、我孫子の「114表邸」へ。西面の庇が浅いので、いつもの箱の家とは表情が異なる。庇の空間が6畳の屋外室として完全に建物内に取り込まれているからだ。今までにない新しいタイプの箱の家になるかも知れない。外装はほぼ終わっているが、内装はまだ床仕上工事の段階である。現場監督、橋本と外回りの納まりをチェック。屋外室のガラス屋根はまだついていない。屋外室と家族室の吹抜の間にガラスのスクリーンがある。階段ができると不思議な空間になるだろう。10時過ぎに表一家が到着。屋外室の物干しワイヤーの位置を決める。

10時半、現場を発ち12時前に事務所に戻る。『10+1』がビデオ撮影中。1時からオープンハウス。とはいえすでに入居しているので、クライアント、知り合いの人たち、メディアだけへの公開。それでも100人位は来ただろうか。事務所部分はスタッフに任せて、僕は住居部分を案内する。5時過ぎ終了。
6時、ケータリング・スタッフが到着し料理の準備。7時半から界工作舎スタッフと打上パーティ。家族も加わり赤ワインを飲みながら歓談。最後にグラッパで締めて10時過ぎ終了。長い一日だった


2006年03月24日(金)

10時、銀座の三愛ビル「オフィスマシン」改修工事の打合せ。オーナーとビル管理サービスのスタッフが参加。4月半ばから工事をスタートすることを確認。竣工が1985年だから、20年ぶりの本格的なメンテナンスである。

11時過ぎ事務所を出て大学行き。1時から学部卒業式。ひとりずつ学位記を渡した後、専攻長の挨拶、辰野賞、コンドル賞の表彰。2時過ぎから懇親会。3時過ぎ終了。
3時半、日建の浜田明彦氏が来研。稲門会誌に短い原稿を書いたので会誌を届けていただいた。「箱の家」の性能調査をしている環境研の院生が、来年日建に入社することが内定したが、浜田氏はその面接を担当したそうだ。入社の決め手は環境的視点からデザインにアプローチしようとしている点だったという。
4時半、先日博士論文の副査を担当したジェイアール東日本建築設計事務所の大内田史郎氏が来研。研究テーマは辰野金吾が設計した東京駅舎の研究だった。いよいよ駅舎の解体修理が始まるらしい。大内田氏はコンバージョンやリノベーションに興味を持っておられるようだ。

5時過ぎ、東端と大学を出て、汐留の謝恩会会場へ。土間を囲んで椅子席が並び、ガラスカーテンウォール越しに隣のビルが見える不思議な空間である。6時開始。教員ひとりひとりに贈り物が配られ、ショートスピーチ。ほとんどの教員が学生へのアドバイスのような内容を話したが、僕にはそういうスピーチはできない。これも言語の超越性に対する拒否感かもしれない。8時過ぎ終了。9時、近くのバーに場所を移して二次会。赤ワインを飲みながら学生と歓談。10時半に会場を出る。


2006年03月23日(木)

7時過ぎに目が醒める。というよりも一晩中ぼんやりと起きていた感じがする。夜中にズブロッカを思い切り飲んだので気分は最悪である。簡単に朝食を済ませて8時半に事務所に出る。幾つか雑用。しかし身体がダルく頭もボーっとして集中できない。11時から大学院の修了式だが、出席を諦める。9時半過ぎアルミサッシ屋が来所、アルミドアの錠の取り替え。錠を取り替えるだけのために枠を取り替えている。何とも非効率である。

昼前に事務所を出て、1時前に大学着。製図室で開かれている修了式の懇親会を横目で見ながら研究室へ直行。1週間近く研究室を空けていたので150通以上のメールが溜まっている。とはいえほとんどが迷惑メールだが。
2 時から設計製図会議。体調が悪くて思考回路が滞り発議も鈍い。スタジオ課題、3年生の第1課題、プレゼンテーションの条件、設計製図のTAなどの問題について話し合う。構造系の学生からTAをやりたいという申し出があった。設計製図のTAは計画・意匠系の院生というのが伝統になっているようだが、もはやそういう時代ではない。前期は間に合わないが、後期からは公募にしよう。4時前終了。

5時過ぎに事務所に戻る。相変わらず頭がぼんやりしている。大学院講義のスケッチ。あと2週間で講義が始まる。2年前と今回の講義をサステイナブル・デザインに関する教科書のような本にまとめたい。
8時、スタッフ希望の女性が来所。約30分面接したが「箱の家」の理解が物足りない。
井上と「103後藤邸」の打ち合わせ。コンパクトな空間をいかに効率的な住居に組織化するかに頭を絞る。しかしなかなか回路が発火しない。空間が変わると思考が揺れ動く。新しい事務所でそろそろデザインに集中しなければならない。


2006年03月22日(水)

9時過ぎ、ホテルのロビーに集合。学生たちに挨拶をして、鈴木、伊藤両氏とはここで別れる。10時過ぎ、学生を連れて中津の安藤忠雄建築研究所へ。事務所内をざっと見学した後。安藤さんのショートレクチャー。防衛庁跡地のデザイン・ミュージアム、幕張の広大な桜公園、東大キャンパス内の情報学館、渋谷地下駅「地中船」などの説明を受ける。「最初は不可能だと思っても、思いを持続すれば可能になることがある」という言葉は、安藤さんでなければ言えないことは十分に分かっているが、やけに胸に染みる。僕たちは最初から不可能だと決めてかかっている場合があまりに多いからだ。建築家の才能とは、要はイメージの持続力なのではないか。安藤さんの話を聞きながら、そんなことを考え続ける。
11時半、安藤事務所を出る。そのまま学生たちと別れ新大阪へ。12時過ぎの新幹線で2時半に東京着。新幹線内では爆睡。3時過ぎに事務所に戻る。夕方までは溜まった雑用の整理。夜は旅行の写真を整理し、その後、留学生のブログを読みコメントを書き込む。疲れが溜まったので早めに帰宅。しかしなかなか眠れないので『感じる脳』を読みながら12時過ぎに就寝。


2006年03月21日(火)

8時半ホテルを出てバスで神戸へ。10時前、芦屋の「倚松庵」へ。谷崎潤一郎が昭和11年(1936)から18年(1943)まで住み、「細雪」を書いたという住居。当時の中流サラリーマンの典型的な郊外住宅で、谷崎が住んだという以外は何の変哲もない住宅である。11時過ぎ、芦屋の高級住宅街にある「乾新兵衛邸」(1936)へ。設計は大阪の「綿業会館」を設計した渡邊節。昭和初期に建てられた和洋折衷の豪邸だが、全体のプロポーションが変なのでピンと来ない。ジャコビアンやらスパニッシュやらともかく西洋様式のてんこ盛りである。午後は「旧甲子園ホテル」(1930)へ。フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新が設計したライト風の豪奢なホテル。現在は武庫川女子大学の教室として使われている。スケール感や装飾は確かにライト的である。懇切丁寧な説明を受けながら約1時間見学したが、できれば自由に見て回りたかった。次は、ライト本人が設計したという「旧山邑邸」(1918)へ。六甲の尾根の先端に向かって線状に伸びる住宅で、地形のレベル差を利用して階段がトリッキーに展開するシークエンスが面白い。しかし部屋が細切れなので、のびのびとした感じがないのが残念。これもライトらしく細やかなスケールと装飾で溢れている。さらにバスで山を登り、安藤忠雄設計の「小篠邸」へ。別棟を建て替え中で、まだ工事は終わっていないが、全体の構成は把握できる。内外がコンクリート打ち放し、巨大なはめ殺し窓がシングルガラスという点にひっかかったが、全体に床暖房が装備されているというのでホッとした。それにしても内部空間はキレがいい。まるでモノクロの抽象絵画である。
これで見学旅行は終了。6時過ぎ学生と別れてホテルに戻り、鈴木さん、伊藤さん、藤井さん達と道頓堀で夕食。2次会は近くのジャズバー3次会は梅田のバーでしたたか飲み、12時前にホテルに戻る。


2006年03月20日(月)

8時半、京都駅前のホテルを出て、バスにて南下。最初に「澤井家住宅」の修理工事現場を見学。民家と数寄屋を折衷した骨組の構成が興味深い。引き続き、羽曳野市の「吉村家住宅」と富田林市の「杉村家住宅」を見て回る。いずれも骨太の土間空間と繊細な数寄屋空間が結びついた豪邸である。働く場所である土間の空間が近代的で、生活や来客のための空間の方がポストモダン的に見える。杉村家はお寺を中心とした寺内町にあり、格子状の計画的な街割が興味深い。その後、日本最古の溜池である狭山池の遺物を展示した安藤忠雄さんの「狭山池博物館」へ。広大なランドスケープと巨大な内部空間に唖然とする。安藤さんは最初から廃墟を見越してデザインしたのかもしれない。
6 時過ぎ、大阪道頓堀のホテルに到着。7時から学生たちと懇親会。安藤さんも加わり、約2時間半歓談。その後、皆、部屋に戻って話を続けたらしいが、僕はホテルに戻り、メールチェックしてから風呂に入って11時前に就寝。


2006年03月19日(日)

風が強く寒い。11時前の新幹線で三河安城へ1時半着。花巻が同行。改札口で鵜飼事務所の石川さんと待ち合わせ「117池田邸」へ。2時から2社の工務店に見積用図面一式を渡し現場説明。敷地の整備についても説明。約1時間で終了。その後、名古屋の工務店社長の車に乗り緑区の工務店へ。「116鈴木邸」の見積も依頼しているので、その打合せをしたいということだったが一般的な話だけで終わる。恐らく予想以上の金額が出たので、具体的な話ができなかったのかも知れない。ともかく見積結果を送ってくれるよう依頼し、4時半終了。

近くの駅まで送ってもらいJRの在来線で名古屋へ。新幹線の改札口で、東京に帰る花巻と別れ、京都へ6時着。駅前の京阪ホテルへチェックイン。まもなく鈴木博之さんから連絡が入る。ロビーで待ち合わせ、四条河原町で夕食。9時過ぎにホテルに戻り、チェックインしていた伊藤毅さんを誘って近くの居酒屋で2次会。ビールと赤ワインをしたたか飲み、12時前ホテルに戻る。


2006年03月18日(土)

朝8時、新建築編集長の大森さん、西牧さん、カメラマンが来所。早速、中庭から撮影を始める。撮影の間、オール電化住宅についてインタビューを受ける。
1時過ぎ「119臼井邸」の臼井夫妻が来所。実施設計の打合せ。撮影は花巻に、臼井邸の打合せは龍光寺に任せ、1時過ぎに事務所を出る。外苑前に完成したヨコミゾマコトさんの鉄板ビルのオープンハウスに顔を出してざっと案内してもらった後、横浜山手の「115金原邸」へ。井上はすでに現場について打合せ中。
3時から上棟式。金原一家と金原さんのお母さんが参加。金原さん、僕、三品さんが挨拶委した後乾杯。しばらく歓談。しかし雲行きがあやしくなり、雨が落ち始めたので、大急ぎで中締め。金原さんお車で山手駅まで送ってもらう。5時半、事務所に戻る。撮影はほぼ終了したが。夕方から雨になったので、中庭の写真だけを撮り直すことになった。
6時から事務所打合せ。来週のスケジュールを確認。7時解散。
「115金原邸」の上棟式でもらった折り詰めで夕食。ゆっくりと風呂に入った後ウイスキーを飲みながらぼんやりテレビを見る。『感じる脳』を読みながら12時過ぎ就寝。


2006年03月17日(金)

曇り気味なので、新建築の撮影は中止になった。しかし正午近くから快晴に変わる。春先はなかなか天気予報が当たらない。明日は午前中は晴だが、夕方から雨になるらしい。

今日は一日事務所でスケッチと読書。11時半、二天門消防支署の電気・機械設備の現場監理を依頼した事務所が来所。期待通りの仕事をしてもらえなかったことについてクレームを述べる。仕事の途中にその点を指摘しなかったのは、仕事に差し障りを生じないための戦略だったのでやむをえない。それにしても他人の仕事にクレームをつけるのは、あまり気分のいいものではない。決められたことをやればいいというのが世の中の常識である。そこからはみ出した仕事は余計な努力ということになるが、その線を踏み越えないといい建築はできない。しかしその論理は世の中には通用しない。話しても空しくなるだけである。

午後は明日の撮影に備えて中庭や玄関回りの掃除。『10+1』の連載のスケッチ。4月から始まる大学院講義「設計学」のスケッチ。
7時過ぎに事務所を出て新宿へ。石山修武さんと正月に行った蕎麦屋でビールを飲みながら歓談。最近の仕事の状況について情報交換。博多のオリンピック誘致の仕事は6月までが正念場らしい。石山さんからはカンボジアの「広島ハウス」が完成するので6月末のプノンペン行きを誘われた。僕の方は花見の季節に鈴木さんと一緒に自邸に招待することを約束する。

今日はルイス・カーンの32回目の命日である。カーンがフィラデルフィアの駅のトイレで死んだのは1974年3月17日である。


2006年03月16日(木)

朝、事務所に出る。10時半に無印良品の収納Box、11時過ぎにhhstyleのTom Vacが着く。内容を確認した後、直ちに大学へ。12時半から学科会議。コンドル賞の選出結果を発議。基本的に承認されたが、コンドル賞の趣旨について教員の間に意見の違いがあることが分かった。ともかく賞は出せるだけ出すべきだという考えである。しかし賞を濫発すれば賞の価値は下がる。それとも賞によって学生に与えられる機会を増やすことの方に意味があるというのだろうか。僕の考えでは、賞は実利的価値よりも文化的価値に意義があると思う。文化的価値を失えば賞は単なるご褒美に成り下がる。今年の辰野賞はそうなりかけているのではないか。実利性が幅をきかせている時代だからこそ文化的価値に拘るべきなのだ。2時半、鈴木研の留学生Anna Cornaroさんが来研。9月から10月にかけてのローマ大学とのワークショップの条件について確認する。昨夜、ローマ大学のLuigi Gazzola教授からメールが届いた。東大からは院生10人がローマに行き、ローマ大からは博士課程と4年生が合わせて10人来る。ローマ・ワークショップは9月下旬、東京ワークショップは11月上旬ということになった。Cornaroさんはローマで設計事務所を開いているが、協働でコンペに参加しないかといわれた。日本の事務所がイタリアの事務所と協働する意味が今一想像できないが、そういう場合こそやってみるべきかも知れない。前向きに検討したいと返事する。5時、事務所に戻る。幾つかの雑用。ようやく新しい事務所にも慣れてきた。事務所の天井はキーストンプレートなので音が拡散して響かない。僕の席からは前面道路までが見通せるのでカーテンをつけた。僕のコーナーは2坪の広さだが本に埋まっている。集中して考え事をするには好適な空間である。しかしまだペイントの臭いが抜け切れていない。本当に落ち着くには、まだしばらく時間がかかりそうだ。6時半、雨の中を南青山のイメージフォーラム付属映像研究所へ2005年度の卒業制作展を見に行く。娘の作品「rules」が目当て。娘は監督とシナリオを担当したらしい。シナリオは彼女らしくきわめて観念的で、言葉遊びから展開するショートストーリーである。映像の流れは玄人並みだが、音響効果が今一だと感じた。音のある部分とない部分が不連続に繋がっていてたどたどしい。とはいえ良くここまでつくったものだと感心する。

昨夜から『感じる脳』(アントニオ・ダマシオ:著 田中三彦:訳 ダイアモンド社 2005)を読み始める。原題は『Looking for SPINOZA』である。スピノザの哲学を手掛かりに、人間の脳を制御する感情の働きを進化論的に解き明かそうとする内容である。茂木さんのクオリア仮説とに関係に注目しながら読んでみよう。


2006年03月15日(水)

いい天気である。9時半、大学行き。10時からコンドル賞の面接。伊藤毅、坂本雄三、松村秀一さんと僕の4人で辰野賞を獲った4人の学生の面接を行う。ひとり15 分程度で約1時間。楽しい面接だった。その後しばらく議論。様々な意見が出たが、最終的にひとりに絞り込む。結果を明日の学科会議に発議し、承認を受けてから正式決定。結果は24日(金)の学位授与式で発表する。
五十嵐太郎さんのブログを読む。せんだいメディアテークの卒業設計日本一決定戦では東大生はまったく奮わなかったらしい。やはりモチベーションの低下だろうか。事態は徐々に変化している。

午後、事務所に戻る。今日は「115金原邸」の建方だ。朝から担当の井上が現場に行っている。順調に進んでいるらしい。18日(土)が上棟式である。
JIAの池辺陽レクチャー最後のスケッチ。簡単なレジメをつくる。5時過ぎに事務所を出て外苑前のJIA本部へ。飯田善彦さんと簡単な打合せ。軽食。少しアルコールを飲む。6時過ぎに北山恒さんが到着。6時半からレクチャー開始。会場は8割の入り。最初の30分間は池辺陽のビデオを上映。続いて僕がスライドショーで池辺の仕事を時間を追って歴史的に紹介。7時半から飯田善彦さんとの対話。時折、北山恒さんも参加。最後は会場にいた遠藤政樹さんや木下庸子さんの質問を受けて8時45分終了。僕にとってはとくに新しい発見はなかったが、頭を整理するにはいい機会だった。
終了後、北山さん、飯田さん、遠藤くんとバーで歓談。9時過ぎ、僕の事務所の案内。

『デザインの輪郭』(深澤直人:著 TOTO出版 2005)を読み終わる。とても分かり易く心に染みるデザイン論である。久しぶりにすがすがしい気分になった。「デザインは輪郭が重要だ」という深澤さんの主張はウィリアム・ブレイクの箴言「賢者は輪郭を見る」を思い起こさせる。池辺陽レクチャーの機会に読んで何か因縁のようなものを感じた。本書は池辺の『デザインの鍵』をよりセンシティブに,よりかみ砕いて綴っているような気がしたからだ。深澤さんはマイケル・ポランニーの暗黙知やジェームズ・ギブソンのアフォーダンス論を参照しながら自分のデザイン観を展開している。しかしそれが決して理詰めにはならず、ゆったりとしたシンプルなデザインに収斂しているのがいい。我が家のコーヒーメーカーは深澤さんがデザインした±0の製品にしようと考え、直ちにHPをチェックしたが、残念ながら売り切れ。ならばジャスパー・モリソンを探してみようか。


2006年03月14日(火)

快晴。やや寒い。9時、旭硝子FSWサッシの取材のため中谷正人さんとカメラマン一行が来所。朝日が通路まで差し込んでいるので、早速、中庭回りの撮影を始める。昼前には2階の個室からのアングルを撮影。11時からインタビューと顔写真の撮影。12時前終了。

1時過ぎに事務所を出て田町の建築会館へ。2時から日本建築士会連合会作品賞の予備審査。今年は昨年の2倍以上の応募があった。しかし応募数が多い割には全体のレベルは低調気味である。住宅には見たいものが少ない。住宅以外の建築は組織事務所とスーパーゼネコン設計部の牙城である。ぜひ見たいものに丸印を付け、推薦作に三角印をつける。明日が正式な予備審査なので、記録を事務局に渡す。

4時半に事務所に戻る。5時から再び旭硝子の取材。中庭回りの夕景を撮る。6時半終了。
夕方、石山修武さんから電話。週末に会う約束をする。最近の「世田谷村日記」を読むと、石山さんは磯崎さんが進めている福岡のオリンピック誘致運動に一枚加わっているらしい。今年初めに会った時にそんなことを匂わせていた。会ってどんな様子か聞いてみよう。

夜、池辺陽シンポジウムのスライドショーの追加編集。『戦後モダニズムの極北:池辺陽試論』から十数点の写真を追加する。全体で40枚のスライドになった。
TOTO出版から『箱の構築』第4刷が届く。『箱の家:エコハウスをめざして』の出版が遅れているのでちょうどいいといえば言えるのだが、イライラは募るばかりである。

『アルド・ロッシ自伝』は不思議な本である。ロッシは「類推的建築」を提唱していたが、この本もまさに類推的な自伝である。思いつくままに連想を拡げながら展開していく文体には、明解な筋や論理はない。類推を働かせ記憶を辿りながら綴られる文章を辿るのは骨が折れる。機能主義的なデザインを拒否し、ひたすら事物としての建築の存在を追い続けるロッシの建築観は、古代の建築が現代にも生きているイタリアの建築家ならではの発想だといってよい。ロッシの写真やドローイングも緩やかに流れる時間を感じさせる。揺れ動く感性が歴史という揺るぎない基点に係留されているユニークな建築論である。いつかロッシの『都市の建築』を読んでみたいと思った。
引き続き『デザインの輪郭』(深澤直人:著 TOTO出版 2005)を読み始める。


2006年03月13日(月)

午前中、事務所。「118松田屋本店」の図面をチェック。いろいろ検討点がありそうだ。
午後、大学。製図室は閑散としている。数日間研究室を空けていたので、雑用が溜まっている。4月に始まるスタジオ課題の準備、池辺陽関係の文献チェック。コンドル賞の応募書類に目を通す。
6時からPHP新書の編集会議。千葉さん、山代さん、フリックスタジオの高木さん、池田さんが参加。しばらく作業を休んでいたが『箱の家』の編集が一区切りついたので再開になった。5月の連休に集中的に原稿を書くことにして、少しずつ作業を進めて行くことで合意。その後しばらく雑談。
8時過ぎ事務所に戻る。池辺陽のスライドショーを作成。10時過ぎ帰宅。『アルドロッシ自伝』を読み終わる。


2006年03月12日(日)

今日は春2番が吹き、昼間はやけに暖かかった。こういう温度変化の大きい季節にはアクアレイヤー(水蓄熱式床暖房)は対応が難しい。昼間は床の温度が下がらず暑い位だった。やむをえず天窓を開いて風を通す。夜は再び冷え込みそうだ。

11時、家族と一緒に家具と電化製品を見て回る。なかなかいいものが見つからない。もう少し時間をかける必要がありそうだ。午後、玄関回りの水洗い。入居後、初めて玄関回りを掃除と水洗い。意外に落ち葉や埃が溜まっている。2時過ぎ事務所に出て、山本理顕さんに頼まれた仕事をまとめる。溜まっていたダンボール箱を整理し、無理やり棚に詰め込む。これでようやく僕の仕事場の体裁が整った。

「112神宮前計画(自邸+事務所)」のオープンハウス案内を作成。とりあえず関係者だけに案内を送る。
今日はせんだいメディアテークで「卒業設計日本一決定戦」が開催されている。どんな結果になるのだろうか。


2006年03月11日(土)

午前中は曇りだったが、午後は晴れて快晴になった。9時過ぎに事務所に出る。JIAの池辺陽シンポのスケッチ。15日の進行についてJIAに連絡メールを送信。

11時過ぎに事務所を出て浅草の「二天門消防支署」へ。午前中から新建築と坂口さんが写真を撮っている。1時から内覧会。とはいえ消防庁から一般公開は許されていないので、ごく内輪の友達だけに連絡した。佐々木睦朗さんと佐々木構造計画の一行、都の設計者選定委員会の平倉直子さん、3月で休刊となった『室内』編集部の峯田さんと阿部さん、東京理科大の奥田宗幸さん。太田浩史さん、遠藤政樹さん、その他若い建築家が沢山来てくれた。東京消防庁の施設課係長・岡島さんに立ち会っていただいた。5時終了。
その後、しばらく夜景の撮影。日没時の北面ファサードを二天門と五重塔を入れたアングルで撮る。室内の照明がルーバーの隙間から漏れる状態が難しい。西面はルーバーのピッチが狭いので予想したほど光が漏れない。むしろ夕日が反射した状態の方が印象的である。それはそれで想定外の効果である。なぜなら浅草寺は6時閉門なので、それ以後は境内に人がいなくなるからだ。6時過ぎまで撮影に付き合い、7時に事務所に戻る。

3月下旬に「112神宮前計画(自邸+事務所)」のオープンハウスをするのだが、すでに家族が住んでいるので、いつものような一般公開は難しい。家族と相談して、個室ゾーンには入れないこと、最小限の関係者だけに公開するという条件で開催することになった。撮影もできるだけ早く済ませたいので、来週中に予定。しかしこれはお天気次第である。


2006年03月10日(金)

東京駅発9時半過ぎの新幹線に乗り、11時半名古屋着。改札口で講演会主催者と待ち合わせ、タクシーで名古屋名物の「ひつまぶし」の店へ。ウナギを細かく切り、ご飯の上に載せたものを3通りの食べ方でいただく珍味である。店内は客でごった返していた。お腹が一杯になったところで、名古屋国際会議場へ。

スライドショーを再度チェックした後、1時半から講演会。聴衆は100人程度。建材販売や工務店関係が中心で、設計事務所と学生がちらほら。途中約15分の休憩を挟んで、約2時間半「箱の家」のこれまでの展開について話す。最後は先日のコンペで負けた「箱の集落」で締める。満腹なのと喋り続けたせいで、後半はほとんどグロッキー状態。質問を受けて4時半に修了。「117池田邸」の池田夫人の顔が見えたので休憩時に声をかける。飯島俊比古さんも来てくれたので、終了後しばらく歓談。学生数人が名古屋での講演を頼んできた。五十嵐太郎さんや小嶋一浩さんも参加しているという。そのためだけに来るのは難しいので、機会があればということにする。

5時過ぎ、金山駅近くの居酒屋で懇親会。設計事務所、工務店関係者、建材販売業者など10人位が参加。住宅の温熱性能について議論を交わす。断熱材メーカーが主催する講演会だけに、参加者は皆、温熱性能について詳しい人ばかりである。7時終了。急いで名古屋駅まで戻り、8時前の新幹線に乗り、9時半東京着。10時過ぎ事務所に戻る。


2006年03月09日(木)

9 時過ぎに事務所に出て雑用。11時、家族と一緒にキャットストリートのhhstyleに行く。開店前だが頼み込んでロンアラッドがデザインしたTOM VACのトランスルーセント・タイプを見せてもらう。一目見て気に入ったが、在庫が2基しかないという。やむをえず次に気に入っているレモンイェロー2基を追加する。

そのまま大学へ。12時半から学科会議。特別研究員と協力研究員の受入について審議。学科会議に限らず、新しいことを始めることに対してはあまり抵抗がないのに、これまでの流れを変えたり押し止めたりすることに対しては抵抗が大きいという不思議な傾向があることに気付く。これはこのところの一連の出来事に共通した傾向である。卒業設計の学内評価にもそれは如実に表れていた。これは、新奇なデザインは簡単に受け入れるのに、リノベーションやコンバージョンに対しては抵抗を示すのと同じ傾向のように思える。
卒業設計公開講評会のまとめを提出し簡単に説明。承認されたので、早速、建築学科のHPにアップするように依頼する。

3時から研究室定例会議。とはいえ卒論生2人だけの出席。留学生は完全に春休みを決め込んでいる。彼らに卒業設計公開講評会の感想を聞いてみると、ゲストクリティークにリアリティを追求することを批判されたような印象を持ったらしい。その意味ではテクノロジーを重視した僕の設計教育方針が批判されたともいえるが、しかし決定的な点が違っている。リアリティを追求することは現状のプログラムやデザインコードをそのまま受け入れることではない。ゲストクリティークはプログラムやデザインコードに対する批評がないことを指摘したのである。僕が主張する総合性の追求とはそういうことである。
学生の話では、せんだいメディアテークの「卒計日本一決定戦」に応募する学生が激減しているとのこと。東大からは4人しか応募しないという。去年、応募者が多すぎて受け入れ側の運営が破綻しそうになったので、今年から模型の直接持ち込みを禁止し、宅急便だけの受け入れに変えたらしい。そのために学生側の負担が大幅に増えることになった。審査委員のラインアップにも一因があるともいう。他大学がどうなのか分からないが、本学では学内の評価と公開講評会の評価とで、学生たちにとって一通りの批評が出そろった感じがしたのかも知れない。「卒計日本一決定戦」は今年で4回目である。そろそろ転換期なのではないだろうか。それは今年で3回目を迎えた公開講評会に対する僕の実感でもある。

『エスクワイヤー』誌から「箱の家」の取材依頼が届く。オール電化住宅を望んでいるので「箱の家106」を推薦する。
『エクスナレッジ』誌編集部から『藤森照信特集』の公開質問メンバーに加わって欲しいという依頼が届く。興味深い企画だし、錚々たるメンバーが参加するようなので、喜んで参加することにする。


2006年03月08日(水)

10時半、旭硝子と新建築の元編集長・中谷正人さん、宣伝関係の人2人が来所。中庭回りに使ったサッシの取材打合せ。旭硝子は自社専用の写真を撮るとのこと。中谷さんがサッシをロックしたまま無理やり開けようとして開閉のメカニズムが壊れてしまった。精細なメカニズムは作動方法を守らないと簡単に壊れる。住宅も同じで、いくらいいものをつくっても、住み手の住まい方次第でどうにでもなるという話をする。
旭硝子の取材が新建築編集部の取材とどういう関係になるのかが今一分からない。撮影の日時を含めて関係を調整するように花巻に指示。

午後、通路の壁に張ったファインフロア・スクリーンの張り替え。2枚追加し遮蔽性を強化した。ファインフロアやグレーチングのデザインは直接に目で確かめないと最終的な判断はできない。
2時前、TH-1の朝倉さんが来所。いよいよ本格的に活動を始めたらしい。最初の仕事は坂本昭さんの住宅だという。僕たちもできるだけ早く仕事を依頼したいが、今のところ東京近郊の木造住宅がないのが残念である。
昨日に引き続き名古屋講演のスライドショー再編集。『戦後モダニズムの極北:池辺陽試論』を読みながら池辺陽レクチャーの問題点整理。山本理顕さんに頼まれた仕事のスケッチ。

自宅の電気配線の整理。ケーブルテレビ・チューナー、DVDデッキ、ビデオデッキ、インターネットなどが集中しているので、配線がこんがらがっている。電源の接続をまとめ配線を整理する。これが一仕事である。
夕方、家族室のガラストップのローテーブル下に照明器具を置いて光の透過状態を見る。やはり直付器具ではうまく光が拡散しない。それなりの直置スタンドを探す必要がありそうだが、テーブルが低いので適当な照明器具が見つからない。。

『アルド・ロッシ自伝』を噛み締めるように読んでいる。ロッシは形と空間に、建築の変わらないものを託している。ロッシの言葉は緩やかに僕の建築観に染み込んでくる。三宅さんの翻訳も不思議な文体である。


2006年03月07日(火)

晴れ。一日、事務所にいると外の気候が分からない。3月10日(金)の名古屋での講演会のために「箱の家」のスライドショーを再編集する。135枚のスライドになった。90分で話すにはスライド枚数がやや多いが、スタートから現在までの経過をまとめ、次のステップを提示するにはやむをえない。
3月15日(水)のJIA住空間探求シリーズ「池辺陽」の準備のため自著の『戦後モダニズムの極北:池辺陽試論』を読み返す。幾つかのテーマが浮かび上がってきたが、現在につなげて話すには焦点を絞らねばならない。ひとつは家族制度とライフスタイルの関係、もうひとつは住宅の工業生産化の問題だろう。シンポジウムのサブタイトルは「かつて住宅には『思想』があった」だから、都市や空間表現の問題にまで手を伸ばすのは難しいかもしれない。

午後、事務所内の荷物の整理と中庭の掃除。2時、カッシーナのソファが届く。これで一応家族室の体裁が整った。後は食卓の椅子だけである。
5時過ぎ、クライアント候補の夫妻が来所。杉並に新居を計画中だという。箱の家の考え方や設計の進め方について約1時間話す。『箱の構築』を購入されていたのでサインをする。
夕食後、龍光寺と「118松田屋本店」と「119臼井邸」の打ち合わせ。スケジュールが迫っているので「119臼井邸」は岩堀に助力を仰ぐ。確認申請は構造計算待ちである。

先日のINAXリノベーションフォーラムの打上の際に『10+1』編集長の荻原富雄さんに原稿の連載を依頼された。1回が約30枚で全8回、雑誌は3ヶ月毎に出るので2年間の連載である。住宅に関するテーマという以外は縛りはないといわれた。もうすぐ『箱の家:エコハウスをめざして』が出るので、そこから考えてみるつもりだが、僕にとっては何となく決定的な契機になりそうな気がする。。
鈴木了二さんに本のお礼のメールを送る。そのついでに特別講義を依頼したら快諾してくれた。6月あたりに開催することでスケジュール調整してみよう。


2006年03月06日(月)

9時前、二天門消防支署行。9時から引渡式。最上階の5階で東京消防庁の施設課長へ書類を渡し、担当者が一言ずつ話す。9時半から建物説明。建築、電気、給排水衛生の3班に分かれて説明。説明は岩堀に任せ、僕は東京消防著からの見学者の対応。何人かの上司が来る。12時前終了。12時過ぎ外に出てカメラマンの坂口さんに挨拶。生憎の薄曇りだが、何とかうまく撮影してもらいたい。新建築からもカメラマンが来る。僕はそのまま大学へ向かう。

午後、大学にて卒業設計公開講評会の整理。コンドル賞のレポートをコピーして3人の面接委員に配布。
3時半、省エネルギーセンターの事務局が来研。今年度のS&CコンペやENEX2006レクチャーの結果報告を受ける。来年度も続けるそうだが、システムが変わるかも知れないとのこと。終了後、卒業設計展を案内する。記録のため少しずつ片付けが始まっている。
4時過ぎ、長澤泰さんが来研。ウィーン工科大学との交流について相談を受ける。今年は交流25周年にあたり本格的な行事が予定されているらしい。経緯がよく分からないので、これまで僕はコミットしなかったが、デザイン担当教員の参加が重要であることを指摘される。どういう形になるか分からないが考えねばなるまい。

引越や公開講評の疲れが出て風邪がぶり返したようだ。身体全体がダルく何もやる気がしない。二天門消防支署の撮影は岩堀と中川に任せ早々に事務所に戻る。帰途、地下鉄駅のホームで鈴木博之さんに会う。電車を待ちながら立ち話。先週末に京都に行き大徳寺の「孤篷庵」を見学したそうだ。羨ましい限りである。
花巻と「117池田邸」の打ち合わせ。3月19日(日)に建築学科関西旅行で京都へ行くので、その途中に現場説明をすることにする。旅行中はいい建築を見て頭をほぐしたい。

鈴木了二さんから『RYOJI SUZUKI ARCHITECT JULY2001〜MAY2004』が送られてくる。四国の金比羅宮プロジェクトの全ドローイング集である。大きさもタッチもほぼ原寸大を復元している。じっと見ていると鈴木さんの建築思考のプロセスが浮かび上がってくる。しかし全体像は実際の建築を見なければ分からない。このドローイング集を持って現場に行くのが最高の見学法だろう。アセテートの中谷礼仁さんはいい仕事をしたと思う。


2006年03月05日(日)

9時起床。ゆっくりと朝食をとり10時半に事務所に出る。「103後藤邸」の図面と設計趣旨のチェック。11時過ぎ、井上が出社。午後1時半、後藤夫妻が来所。今後の進め方を説明した後、詳細図の説明。3時過ぎ終了。3時半、家族と家具を見に行く。事務所の打ち合わせ机や住まいの食卓の椅子を見て回る。hhstyleでロン・アラッドのトム・ヴァックに目を引かれる。70年代を思わせるシルエットだが、工業化による切りつめたデザインがいい。半透明プラスチックのヴァリエーションもあるらしいので、現物を見てから決めることにする。
7時、久しぶりに家族3人で懐かしいレストランで食事。暖かい一日だった。


2006年03月04日(土)

朝、事務所で雑用を済ませた後、10時半大学行。製図室では懇親会の準備と公開講評会プレゼンテーションの最後のチェックが行われている。

1時前、佐々木睦朗さんと古谷誠章さんが来研。続いて山本理顕さん、西沢立衛さん、川俣正さん、高間三郎さんが到着。賞品の本にサインをしてもらい、全体プログラムについて簡単に説明した後、安田講堂に移動。2時前の段階で会場は8割の入り。3回目にもなるとマンネリ化する可能性が高い。観客は東大生のプレゼンテーションよりもゲストクリティークの方に興味があることは分かっているので、何とかここまで持ちこたえているのはゲストクリティークのラインアップのおかげである。来年のことを考えると頭が痛い。

2時から公開講評会開始。3人ずつのラウンドで4ラウンド、12人が発表。3人ごとに講評を行う。初めて見るゲストクリティークにとっては、1人3分のプレゼンテーションで案の内容を把握するのは難しい。しかしさすがにプロで、演壇上に置かれた図面と模型を見れば直ちに全体像が把握できるようだ。ゲストクリティークひとりずつに丁寧な講評をもらったことと、途中でマシントラブルが生じたため、予定時間をかなりオーバーする。最後の総評に時間をかけたかったが30分しか時間がなく大急ぎのまとめになった。グランプリの決定にも少し手間取る。それだけ案が拮抗していたともいえるが、むしろドングリの背比べということだろう。
ゲストクリティーク全員が口を揃えて指摘していたのは、プレゼンテーションが一様にパターン化している点と、どの案も小さくまとまっている点である。これは案のリアリティを求めようとする教員側の責任もあるが、それ以上に学生たちが守備範囲を注意深く限定する傾向が強いせいである。要するに無難にまとめようという気持ちが優先しているわけだ。僕は学内の評価の時点でそういう方向性を断ち切りたいと考えたのだが、これまで通りの惰性に逆らうことはできなかった。しかしゲストクリテークはその点を鋭く批判していた。僕にとって来年度の課題はこれではっきりしたような気がする。
公開講評会の評価は、学内の評価とはまったく異なる結果になった。成績の上位と下位が逆転したと言ってもいい。これで学生たちも評価の相対性を実感したことだろう。僕たち教員にとっても考えるべきことは山のように残された。それにしても設計製図担当者を除いて建築学科教員の参加がほとんどなかったのは本当に残念である。公開講評会のひとつの目的は、建築学科の先生たちにこういう評価の逆転を見てもらうことなのだが。

ゲストクリティークと建築学科に戻り6時から懇親会。出席者の数は昨年よりも少ないが、それだけゲストクリティークとの話しがし易くなった。話しは盛り上がっていたが7時半に切り上げ、赤門前の居酒屋へ。川俣さんは先に帰ったが残りのゲストクリティークは全員参加。ちゃんこ鍋を囲んで大いに盛り上がる。11時過ぎ解散。


2006年03月03日(金)

午前中、雑用。愛知「116鈴木邸」の再見積を依頼する工務店に連絡。ちょうど図面がついたところだった。近くで工事を始めるところだそうで、三河安城の「117池田邸」と合わせて、前向きに検討してもらうことになった。うまく行くことを期待しよう。

11時過ぎに事務所を出て、12時前大学着。12時過ぎ、東京消防庁施設課の岡島係長が来研。二天門消防支署の撮影についての話し合い。何とか2日間の撮影日を確保してもらう。後は晴れることを祈るばかり。
2時から公開講評会の最終シミュレーション。3人ずつ通しでプレゼンテーションし時間をチェック。部分的な修正を指示して4時過ぎ終了。

5時に大学を出て京橋のINAXショールームへ。リノベーション・フォーラムの最終回。太田浩史さんの司会で僕と松村秀一さんがこれまで12回のフォーラムのまとめをおこなう。フォーラムを始めた2004年に比べると世の中の様子が随分変わったような気がする。景気が少し上向きになり、悪徳リフォーム業者問題や姉歯問題で役所の締め付けが厳しくなってきたことから、リノベーションに対しては逆風が吹き始めている。五十嵐さんがブログに書いているように「電気用品安全法」(デンアンホー)もその一つの表れである。セキュリティや安全性を名目にして、家電のリサイクルや中古販売を著しく制限、禁止し、世の中を新品指向にして産業を活性化させようという目論見である。ここにも旧態依然としたイノベーション(リノベーションではなく)的発想がある。その意味で、第12回フォーラムのゲストが再開発派代表とも言える森ビルの本耕一さんだったことは象徴的である。ここ数年でリノベーション的な視点が学生や建築家たちに隈無く浸透したことは間違いないが、それがリノベーション建築やコンバージョン建築といった具体的なジャンルとして社会的に認知され、リノベーション産業として成立するには、もう少し時間がかかるのかも知れない。この問題については、フォーラムの記録をホームページにアップする時に改めて考えてみよう。

『アルド・ロッシ自伝』(三宅理一:訳 SD選書191 鹿島出版会 1984)を読み始める。久しぶりの建築本である。


2006年03月02日(木)

久しぶりに午前中は事務所で過ごす。荷物を移動し机の回りを整理。仕事の進行状況を確認。雑誌を拾い読みする。午後の学科会議を欠席するので、報告事項をメール連絡。
飯田善彦さんから電話。3月15日(水)にJIAで開催されるシンポジウム「住空間探求シリーズ:難波和彦が語る池辺陽」の打合せ。飯田さんは質問者なので『戦後モダニズム建築の極北:池辺陽試論』を読んでくれるように依頼した。そろそろ全体の構成について考えねばなるまい。

11時半、事務所を出て浅草の「二天門消防支署」へ。1時から東京消防庁による最後の検査。担当者と1時間半外部回りと館内を回る。細かな部分のチェックが残ったがほぼオーケー。

その後、撮影などについての消防庁と打合せ。亜鉛どぶ漬けメッキのルーバーで建物全体を覆った外観に対し一部の住民からクレームがついたらしい。説明会を開いたが、残念ながら僕たちは呼ばれなかった。そのために、日本堤消防署が取材に対して否定的な反応を示すようになった。本来ならば僕たちも加わって建物に関して関係者に徹底した説明をすべき所なのに、ちょっとしたクレームにたいして神経質に反応しているだけである。東大建築学科と同じで、ここにも情報公開に対する消極的反応がある。来週月曜に建物の引渡を行うが、それ以降、建物の管理は東京消防庁施設課から日本堤消防署に移るので、僕たちからますます遠くなる。何としてでも竣工写真の撮影だけは実施したい。

5時過ぎ、事務所に戻る。花巻と愛知県の「116鈴木邸」の打ち合わせ。地域の工務店から出てきた見積が、東京地方を大きく越える金額だったので、仕切直しをしなければならない。名古屋の建築家に紹介された工務店に連絡を取り見積を依頼。見積を引き受けてくれたので、「箱の家」の本を添えて見積用図面一式を送付。メールでも連絡する。合わせて3月10日(金)に名古屋で行う講演の案内を送る。

ここのところ活字から遠ざかっている。卒業設計、講演会、引越、引渡の連続に風邪が重なって、心身ともそれどころではなかった。そろそろ日常的なペースを取り戻したいが、まだその元気がない。


2006年03月01日(水)

冬の嵐である。室内は暖かい。9時、家族と銀行行。融資の本契約。あれこれ書類を書き捺印を繰り返し2時間近くかかる。風邪の症状が治まらないので青山の診療所へ行き、薬を処方してもらう。12時前帰宅。

1時過ぎに家を出て2時前大学着。2時過ぎから公開講評会のシミュレーション2回目。2人が欠席したが、昨日に比べるとかなり説得力のあるプレゼンテーションになった。明後日、最終的なチェックを行うことにして4時半終了。

4時半から、鈴木博之さん、鈴木研博士課程のアンナ・コルナロさん、山代さんと今年後期のローマ大学とのワークショップについて打合せ。東大からは院生10人が9月17日(日)から30日(土)までローマに行き、ローマ大からは同じ人数の院生が10月30日(月)から11月12日(日)まで来日する予定。ワークショップのテーマなどについてはこれから詰めることになった。ローマ大の受け入れ先はガッツォーラ教授。東大が鈴木+難波が対応する。

6時半、雨の中大学を出て本郷三丁目の伊太飯屋へ。TEPCOコンペの打上と難波研院生の留学歓送会を兼ねた飲み会。難波研院生、卒論生、留学生、コンペを協働した環境研院生、模型を手伝った3年生が参加。前助教授、東端も遅れて加わる。赤ワインを飲みながら歓談。10時半終了。外に出ると、青変わらず冷たい雨が降っている。


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