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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2005年01月31日(月)

9時前に事務所行き。今日で1月も終わり。事務所通いにもだんだん慣れてきたが、疲れは溜まる一方だ。
10時。スタッフに昨日のスケッチを渡し、基本的な考えを伝える。11時に事務所を出て大学へ。
12時から建築学科教授会。いくつかの議題を審議。ひとつ僕の仕事が増える。年度末にはいろいろなことが重なる。製図室では卒業設計の作業が本格化し、エスキスはほとんどなくなった。後2週間である。
2時過ぎ大学を出て、3時に事務所に戻る。いくつかの原稿のスケッチ。下井草の「松本邸」、羽村市の「109金澤邸」、高山の「荒木邸」の打合せ。それぞれに方向が見えてくる。
夕食後、つくばコンペの打合せ。基本方針について話し合う。調べるべき項目をリストアップし、今週末までに各人が1案を作成することにする。また歯痛が始まる。風邪のひき始めだろうか。寒い日が続く。


2005年01月30日(日)

ゆっくりと寝て9時に起床。10時に家を出て10時半事務所着。今週の予定をスタッフに送信。いくつかの雑用の後、神宮前計画のスケッチ。ほぼ方向が決まる。簡単な昼食後、ふたたび神宮前スケッチを続行。
2時。石神井公園の大橋さんが来所。細部の修正があるが、ほぼ収斂。工事予算とスケジュールを確認。「110大橋邸」が決まる。
引き続き、井上がまとめた「109金澤邸」のスケッチをチェック。変形敷地にいかに単純なシステムの平面を差し込むかが課題である。あれこれ模索しているうちに、方向性が見えてきた。

6時、事務所を出て、久しぶりに外苑前のリブロ青山へ。タイトルに惹かれて『ものが壊れるわけ』(マーク・E・エバハート:著 松浦俊輔:訳 河出書房新社 2004)を購入。著者は量子化学者で、本書は物体の壊れるメカニズムについて論じたものだが、ざっと目を通したところでは、「壊れる」という概念には技術に関して広い適用性がありそうな気がする。
6時半帰宅。家族3人で食事。『グッド・ルッキング』を読みながら12時就寝。


2005年01月29日(土)

朝8時半に家を出て、地下鉄、JR,常総電鉄を乗り継ぎ、南守谷駅10時過ぎ着。10分ほど歩いて「97向山邸」へ。亜鉛メッキ有孔折版の塀が完成して、横長のシルエットがさらに強調されている。
すでに向山夫妻への機器説明が始まっている。数日前から深夜電力ヒーターの電源を入れているので、床がほのかに暖かく輻射熱が心地よい。少し曇りがちだがアクアレイヤー床暖房を体験するには格好の気候である。設定温度は33度。朝7時に深夜電源が切れたが、水温はまだ30度にしか下がっていない。これなら夜まで持つだろう。夜11時の目標最低値は20〜23度である。
10時半、工務店社長が着き、建物の引渡し。その後デジカメで内外観の写真を撮る。12時、向山夫妻、工務店、イゼナの前田氏と近くのフレンチ・レストランで昼食。
1時半に現場に戻ると、すでに何人かの人が来ている。向山さんの両親にお会いする。先日、成田線新木の敷地を見た鈴木一家、たまプラーザからは佐藤一家が来てくれた。さらに何人かのジャーナリズム、近くの建築家、工務店、界工作舎OB、友人、などで総勢30数名程度。やはり遠方のせいか、いつもより人数は少なめで、時節柄、学生は皆無。5時に終了。
向山夫妻にお礼を言い、佐藤一家と前田さんの車に同乗し我孫子まで送ってもらう。電車内で佐藤夫妻と歓談。希望条件に合った敷地がなかなか見つからないようだが、何とか頑張ってもらいたい。

7時前、事務所に戻る。全員がコンペの作業中。8時、宅急便の集配に渡し、ようやく終了。その後、原宿に出て会食。皆やや疲れ気味で顔が青い。僕も疲れで歯痛が始まる。ビールが入ってようやく元気になる。鍋を囲んでしばらく歓談。進行中の計画と「つくばスタイル・コンペ」の担当を決めて、11時前に解散。


2005年01月28日(金)

9時、銀行にて給与と経費の振込。午前中、コンペの図面をチェック。細部を修正する。

午後、大学行き。2時から2年生の設計課題最終講評。木下庸子さんの住宅課題である。出席者は木下さんに加えて西出助教授と駒場の加藤教授の2人だけで、他の設計担当教員は欠席。2年生にとっては最初の本格的な課題というのに、本学の設計製図担当者は何を考えているのか理解に苦しむ。自分の担当課題さえこなせばそれでいいというつもりだろうか。これでは横綱相撲といわれても仕方がないだろう。
5時までに大急ぎで約60人の講評。全員講評では、個々の作品にはとても十分なコメントはできない。講評対象作品をもっと絞ってもいいような気がする。頑張っている学生も中にはいるが、大部分は自分の狭い経験と知識だけで人と違うデザインをしようとしている。2年生にしてもあまりにナイーブな作品ばかりで気が滅入る。
終了後、講評室で簡単な懇親会。少しだけ参加して6時前に大学を出る。

7時前、事務所に戻る。コンペの最終打合せ。ダイアグラムのチェック。9時、坂口さんが模型写真を持ってくる。気になる点はあるが、もうやり直しはきかない。10時最終チェック。11時過ぎに事務所を出る。明日は送付締切のギリギリまでかかりそうだ。


2005年01月27日(木)

9時、事務所行き。龍光寺が模型を作っている。僕は提案説明書の再チェック。午前中はスタッフ全員で模型制作の追い込み。最後にライトアップの具合を見て、AtoZスタジオへ運ぶ。

午後、大学行き。12時半から学科会議。卒業設計公開講評と展示会に関するいくつかの発議。2時終了。
伊東豊雄さんと妹島和世さんに電話。卒業設計公開講評のへの参加を確認。2人ともオーケーである。これで審査委員のラインアップが揃った。早速、開催要項の作成に入る。

日時:4月1日(金)14:00−18:00
会場:東京大学 安田講堂
審査委員(50音順)
     伊東豊雄(建築家)
     小嶋一浩(建築家 東京理科大学教授)
     妹島和世(建築家 慶応大学教授)
     西沢大良(建築家) 
     原研哉(グラフィックデザイナー 武蔵野美術大学教授)   
     藤森照信(建築史家・東京大学教授)

去年は初めての公開講評だったから、物珍しさで成功したといわれたくないので、今年の第2回目は何とかそれを凌駕するような会にしたいと思った。それがこれだけ豪華な審査委員陣を組んだ理由である。4月1日(金)というやや遅めの開催時期になったのは、3月一杯、安田講堂の空調工事が行われるからである。とはいえ問題は提出作品の内容である。学生達に頑張って審査委員のラインアップに恥じない作品を制作してもらわねばならない。せんだいメディアテークでの卒計日本一の審査が終わった後だから、今年の卒計の総決算になることを期待したい。

5時、大阪市大の中谷礼仁さんが来研。大阪市大の院生も何人か来ている。
6時から公開講義。「アレゴリー(寓意)としてのパタンランゲージ」と題して、パタンランゲージの新しい解釈を提示しようという内容である。レクチャー前半はクリストファー・アレグザンダーの研究紹介なので、僕にとってはひどく退屈だったが、パタンランゲージをアレゴリーとして解釈しようとした後半はやや持ち直した感じである。ただその解釈が実際のデザインプロセスとどう結びつくのかは最後まで不明だった。中谷さんが上海でやったワークショップは、確かにアレグザンダー的である。しかし「圧倒的な生産性」といっても加算的なデザインであり、アレグザンダーの限界を越えていない。石山さんにいわせれば「アレグザンダー流の共同設計は現在でも有効であるという陳腐な結論に過ぎない。」と評されても仕方がないだろう。
中谷さんのレクチャーはパタンランゲージをまったく知らない学生を想定しているので、本論に入るまでの前提説明が長過ぎる。そのようなやり方は、大学の講義ならまだしも一発勝負の公開講義では冗長である。前提の長々とした説明は一見親切であるように見えて、実は聴衆を見下していることになるのだ。やはりまず本論に入り、論の中核を提示してから前提に戻るのが効果的なやり方だと思う。中谷さんは鈴木博之、石山修武、中川武、伊藤毅といった会の中核メンバーに向けて話すべきだった。でなければ「技術と歴史研究会」にとってはあまり意味がない。8時終了。
その後、正門前の料亭で打ち上げ。久しぶりに「21世紀日本の建築」のメンバーが勢揃いし、今日の中谷レクチャーについての批評会となる。中谷さんにとっては薄氷を踏む思いだったろう。ともかく「技術と歴史研究会」としては、新しいステップを踏み出すことになった。

追記
アレグザンダー流のアノニマス的デザインは自然発生的であるという所見に関して、鈴木博之さんは、アノニマス(anonymous)とインコグニート(incognito)を区別すべきだと注意を喚起した。まさにその通りだと思う。アノニマスと呼ばれる優れたデザインは、実はアノニマス(自然発生的)などではなく、インコグニート(作者不明)だが優れたクリエイターが創出したものなのだ。


2005年01月26日(水)

9時過ぎ事務所行。今日は久しぶりに一日ずっと事務所で仕事をする予定だ。
午前中はいくつかの雑用の後、神宮前計画の最終案のスケッチ。何となく見通しが立ってきた。
午後はコンペの説明書をまとめる。応募要項の質問にそのまま応えるのは芸がないので、建築のコンセプトに引き寄せ、文章は最小限に抑えてダイアグラムで表現することにする。
夕方から再び神宮前計画スケッチを続け、ほぼまとまる。続いて下井草の松本邸の第1案チェック。なかなかスキッとしない。川村市の金澤邸のスケッチ。予想通り難しい条件である。高山の荒木邸の設計条件の整理。敷地を拡げれば設計の自由度は上がるが、僕としてはむしろその分の費用を建築に回してもらいたい。来年度の設計製図に関する会議召集のメールを送付。小嶋一浩さんへ設計課題のお礼のメールを送信。
夕食後もスケッチ続行。スタッフはコンペのまとめの最終段階である。
一日事務所にいると充実した気分になる。何よりも移動の時間がないことがありがたい。やはりこういう仕事にとっては職住近接が重要である。早く神宮前計画を完成させねばならない。


2005年01月25日(火)

9時事務所行き。少し二日酔い気味。ここのところ動き回っているので疲れが出たようだ。風邪だけには要注意だ。「青本往来記」をまとめて送信。スタッフと一緒に昼食。

午後2時、浅草「二天門消防支署」の現場事務所へ。毎週の定例会議だが、その前に消防庁の担当者と現場監理のすすめ方について打合せ。僕たちは効率的な監理を提案したが、消防庁はあくまで契約書に則った形式的な監理を要求する。完全な手続き主義である。ともかく定例会議の情報は界工作舎に集約することを確認する。
2時半から工事業者、監理事務所、消防庁による定例会議。僕はオブザーバーに徹し、岩堀が司会で議事を進めるが、まだテンポは良くない。慣れればもっとスムーズに進行するだろう。1時間で終了。その後、消防庁と現場行。基礎の解体工事が終了したところ。来週から杭工事が始まる。引き続き、建築工事、電気工事、給排水工事に分かれて分科会。これもテンポが悪い。4時半過ぎ時間切れ。後を岩堀に任せて、途中で退席。

5時過ぎ大学着。『エコハウス』編集会議の準備。6時、ブックデザイナーの芦澤さん、NTT出版の今井さん、編集担当のフリックスタジオの磯さんと高木さんが来研。『エコハウス』をどのような本にするかについて議論。まず本全体の概要について説明した後、スライドショーを使って「箱の家」のこれまでの展開をざっと紹介する。本文は出来上がっているので、後は作品をどのように紹介するかに議論が集中。僕としては『箱の家にすみたい』よりも写真と図面をしっかり入れた本にしたいが、写真が多いと販売価格もアップするので、印刷部数と価格の検討が必要である。まずはフリックススタジオに掲載作品数の目安を検討してもらうことになった。7時半終了。その後、赤門近くの店で簡単な夕食。9時過ぎ事務所に戻る。

藤森照信さんに電話。卒業設計の公開講評委員を依頼したら快諾してくれた。これでほぼ陣容は揃った。


2005年01月24日(月)

9時事務所行き。コンペの説明文のスケッチ。10時、スタッフが来たところで昨日と一昨日の報告。
午後、大学行き。1時半から小嶋一浩さんによる3年生の設計課題「調布メディアテーク」の最終講評会。構造の金箱温春さんと、来年から小嶋さんに代わって非常勤講師をお願いするヨコミゾマコトさんも参加。70人の学生の内、半数が提出締切に間に合わないという異常事態である。課題の規模が大きくプログラムが複雑であることも一因だろうが、それ以上に、デザインに向かうモチベーションを持続するのが難しいのかも知れない。一考を要する事態である。
提出した半数の作品を約4時間かけて講評。最初の十数作品は、それなりのレベルに達しており、模型も作り込んではいるが、総じてプレゼンテーションが良くない。いつものことだがプログラムの分析がナイーブすぎるのも気になる。プログラムの自由度が高いほど、その弱さが露呈するようだ。ともかくこれで3年生の課題はすべて終了した。これ以後は4年生の卒業設計の協働が始まる。そこで何かつかんでくれるといいのだが。
6時過ぎから約1時間、講評室で簡単な懇親会。学生の労をねぎらう。7時過ぎ、小嶋さん、金箱さんと赤門近くの飲み屋に場所を移して懇親会。長澤教授、西出助教授、岸田助教授、助手4人が参加。小嶋さんに卒業設計の公開講評への参加を依頼したら快諾してくれた。10時過ぎ解散。その後、長澤さんと赤坂で簡単な二次会。11時半終了。

今日から「日本橋の都市再生(Sustainable Urban Regeneration)」展が始まった。昨年の後期に、建築学科、都市工学科、社会基盤学科、新領域創成学科の4学科共同でおこなった大学院生のスタジオ課題をまとめたものである。この課題にはEUからの交換留学生や他国からの留学生も参加している。僕は日本橋のコンバージョン課題を出した。1月30日(日)まではコレド日本橋の貫通通路でパネル展示し、2月2日(水)から12日(土)までは東神田のコンバージョンビルで模型を含めた本格的な展示を行う。会期内にはシンポジウムも予定されている。学生にとっては社会に向かって発言するいい機会である。


2005年01月23日(日)

9時半に家を出て地下鉄で我孫子へ。岩堀の車で守谷の「97向山邸」へ10時過ぎ着。今日は事務所検査だ。向山夫妻と工務店社長が参加。室内から細部を見て回る。ほぼ問題はないが、細かな残工事がある。続いて外部へ回る。何点か残工事と追加工事を確認。一部に養生が残っているが、クリアな輪郭を見ることができる。内外とも余計な要素を削ぎ落とした禁欲的な建築だが、家具が入れば生活感が出るだろう。むしろ向山夫妻が実際に住み始めた方が、絵になるかも知れない。向山夫妻のこだわりに期待しよう。

南守谷駅まで岩堀に送ってもらう。取手、上野、大井町を経由し、途中で簡単な昼食をとってから、東急大井町線の上野毛駅へ。約15分間歩いてギレン+田岡邸の敷地へ。ギレン夫妻がバークレーで『箱の構築』を見てHPを検索し、エコロジカルなデザインを指向している点に共感して連絡をくれたという。
30年前に建てた地下1階、地上2階の木造住宅の建て替えで、姉妹一家が共同で住むという興味深いプログラムである。姉一家は夫婦と娘2人、妹一家はアメリカ人の夫と幼い娘1人で、玄関やリビングを共有し、他の空間は独立させるという条件。敷地の広さは約60坪。多摩川に近い緩やかな傾斜地で、南側に小川が通っている。既存建物は建築家の設計で図面は一通り揃っているが、敷地図と配置図が見当たらない。他の書類を探してもらったが見つからないので、まずは敷地図を揃えることをお願いして、4時前にお暇する。

二子多摩川まで出て、田園都市線に乗り換え表参道へ。5時前に事務所着。小雪が舞い始め、やけに寒い。昨日からのメールチェックといくつかの雑用。8時前に事務所を出て帰宅。


2005年01月22日(土)

6時過ぎ起床。7時半過ぎの新幹線で名古屋へ。高山線の特急に乗り換える。休日のせいか電車は満員だ。下呂温泉を過ぎる頃から残雪が見え始め、高山駅では20センチ程度積もっている。
電車の中でバーバラ・スタフォードの『グッド・ルッキング』を読み続ける。3章に差しかかったところ。18世紀啓蒙主義以来の「テクスト優先=視覚軽視」の傾向を、ポストモダニズムと重ね合わせながら批判している点は、前著『アートフル・サイエンス』と同じである。高山宏の訳は、スピード感はあるが、僕にはなかなか馴染めない。

4時間半の旅で、終点の飛騨古川駅に12時半着。雪は40センチ程度。この地方には珍しく日が射している。駅で荒木一家が出迎えてくれた。ご主人は保育士、奥さんは医師の、若くてオシャレな夫婦だ。子供は4歳と2歳の女の子。奥さんのお腹には3月誕生予定の男の子がいる。
荒木さんの車で両親宅へ向かう。途中、ひとつの敷地候補を見る。しかし荒木夫妻は共働きなので、子供達の世話をしてくれる両親の傍に住むことを希望している。両親宅で荒木さんのお爺さんとお婆さんに挨拶した後、昼食をご馳走になる。現場監理を担当する予定の地元の建築家・岡村弘さんも同席。
その後、皆で両親宅の敷地を見て回る。一帯は東西に広がる盆地の農道に沿って開発された住宅地で、敷地は東西に走る農道の南側にある。敷地の南側は水田地帯である。南北に低い山並みが見える。約200坪のかなり広い土地だが、40センチの雪に覆われていて地形や境界は分からない。両親宅は敷地の北寄りの中央にあるので、同じ敷地内に、居間からの視界を遮らないように荒木邸を建てるとしたら、西南隅に寄せることになるだろう。両親宅は東西に急勾配の切妻屋根なので、両側に落ちる雪の対策も必要である。お母様は西側に敷地を買い増すことを提案されたが、それが可能なら条件はずっと緩やかになるだろう。

敷地周辺を見た後、新居の希望について話を聞く。収集したイメージ写真のスクラップブックも見せてもらう。荒川夫妻は希望条件をリストアップしていたので、ざっと目を通し、簡単なディスカッション。すべてを満足するのは難しいので、希望条件に優先順位をつけてもらう。その後しばらく仕事や映画の話で雑談。

5時前に両親宅をお暇し、荒木さんの車で高山駅まで送ってもらう。6時前の特急に乗る。車内ではあれこれとイメージを膨らませる。飛騨高山に「箱の家」。これも何かの縁である。頑張って新しいステップを踏み出さねばならない。名古屋で新幹線に乗り換え。車内では疲れが噴出し爆睡。10時半東京着。11時帰宅。あっという間の一日だった。


2005年01月21日(金)

9時、事務所行。『エコハウス』の作品説明を書き続ける。本全体の方針によって、どの程度の説明を加えるかが決まるが、とりあえずこれまで雑誌発表したものを集めてみる。
午後、大学行き。西沢大良さんへ電話。公開講評への参加を快諾してくれた。原研哉さんからもオーケーのメールが届く。

4年生はこれから卒業設計の本格的な作業に入るが、例年よりも大学で作業する学生数が多いので、製図室の作業スペースの確保が難しいらしい。何とかならないか相談を受けたが、絶対的なスペースが足りないので皆に我慢してもらうしかない。展示スペースを清掃寸前まで使うことを許可することで対応する。
デザイン系院生室の機器設備について話し合い。大野秀敏さんの研究室が再来年度に柏キャンパスに移る予定だが、その際に現在の機器類の大部分を移動することになるので、難波・千葉研の機器類を確保する必要がある。学生の大部分は自分のパソコンを持っているから、少数でも高性能の機器類を備える必要がある。その後『エコハウス』の作品説明を整理。本文をプリントアウト。卒計のエスキス時間はとれない。

6時に事務所に戻る。いくつかの雑用と明日の高山行きの準備。
文化女子大学の内田青蔵さんから『間取りで楽しむ住宅読本』(光文社新書189 2005)が送られてきた。近代住宅の平面を歴史的に辿った本である。子供室の考え方の一例として「箱の家1」が、個室の壁を取り去った開放な住まいの例として「箱の家83」が紹介されている。寝室に関する欧米と日本の考え方の違いについて論じた部分が興味深い。


2005年01月20日(木)

9時、事務所行。日刊建設通信新聞の原稿を推敲し、写真を添えて編集部へ送信。「サステイナブル・デザインの諸相」の連載第1回である。

11時過ぎ大学行。12時半から学科会議。卒業設計の提出締切日と学科試験とのスケジュールが重なっていることが分かったので、急遽、締切日を変更することになった。学生達にとっては4日間の余裕ができたことになる。その時間分エネルギーが注げればいうことはないのだが。
そろそろ卒業設計の公開講評会の準備を本格的に始める。そのためにはまず審査委員のライアンアップを固める必要がある。電話連絡をするが、皆忙しくてなかなかつかまらない。何としてでも1月中には確定したい。
何人かの卒計エスキス。少しずつ進展しているが、落としどころが見えない。

6時前に事務所に戻る。原研哉さんに電話。留守なのでメールを送信。建築以外のジャンルから公開講評の審査委員に参加してもらいたい旨を伝える。
皆、コンペの模型制作にかかり始めている。僕は設計要旨のまとめをスケッチ。合間を見て『エコハウス』の原稿整理。10時過ぎ事務所を出る。


2005年01月19日(水)

9時事務所行き。午前中、日刊建設通信新聞の原稿スケッチ。隔週連載のラインナップを再検討し、第1回目はモダニズムとサステイナブル・デザインの関係について書くことにする。続いて掲載写真の選定。まずはサステイナブル・デザインのお手本ともいえるノーマン・フォスターのライヒスタークを選ぶ。

午後、界工作舎のスタッフ全員でコンペのディスカッション。構造システムとインテリアの関係、室内環境制御システムについてスケッチ。最小限の機械設備でペリメーター・ゾーンをコントロールする方法を考案。庇やガラス面のメンテナンスについても考える。引き続きプレゼについて検討し、基本方針を決める。全体像からディテールまでを抑えることとする。
4時半から日刊接通信新聞の原稿を書き始め、7時半に終了。明日、再度推敲することとし、事務所を出る。

8時過ぎ帰宅。夕食を食べながら家族で「神宮前計画」について話し合う。徐々に収斂に向かってはいるが、先は遠そうだ。時間をかけて検討するしかない


2005年01月18日(火)

9時半大学行き。製図室では3,4年生が泊まり込んでいる。3年の課題は来週月曜日が最終提出だし、4年生の卒計はいよいよ大詰めである。

副査を担当している博士論文の発表が11時だと思ったら午後からだったので、午前中は『10+1』や日刊建設通信新聞の原稿をスケッチ。3年の課題と卒計をざっと見る。
午後1時から博士論文の聴講。最初は、住宅の天井高に関する空間心理を調べた論文。綿密な調査をしながらも結論があまりに陳腐なつまらない研究である。この種の研究には何か基本的な限界があるような気がする。引き続き、映画と建築の関係に関する留学生の論文。有名な映画のモンタージュ手法を調べ、建築の空間体験との共通性を探ろうとしている。楽しいプレゼンテーションだったが好事家的研究の域を出ていない。最後は、環境問題の市民運動とその活動拠点のあり方に関する研究。これは僕を含めて4人の副査全員が問題ありと指摘。あまりに突っ込みが足りない上に、活動拠点の計画手法に強引に結びつけようとする意図が見え見えだからだ。今日聴講した論文は、昨日に比べると総じてレベルが低い。
今回、僕は6論文の副査を担当したが、全体で発表された数は30論文に登る。その中でそれなりのレベルに達している論文はわずかである。このままでは博士論文の粗製濫造と思われても仕方がない。何かハードルを設ける必要があるのではないだろうか。

6時半、安藤忠雄さんが来研。鈴木博之さん、伊藤毅さんと4人で会食。安藤さんの栄誉教授就任のお祝い。相変わらず世界中を飛び回っているようだが、今日は安藤さんの話しから日本における付き合いの幅広さを痛感させられた。来年度も設計製図に参加してもらうようお願いして10時過ぎに別れる。


2005年01月17日(月)

10時、上福岡の鉄骨ファブへ。「104逸見邸」の現寸検査。井上と佐々木事務所が参加。鉄骨造は基壇だけだが、細かな点に注意すると、結構、時間がかかる。11時半終了。

午後、大学行き。博士論文の発表会。僕は3人の学生の副査を担当。間に担当外の論文も聴講。コンバージョン、ルイス・カーンの建築、イタリアの初期透視画法史と多様な題材の研究を担当。レベルに凸凹はあるが、どれも興味深い研究だ。合間をみて桑山専攻長と若干の打ち合わせ。6時半終了。

7時半事務所に戻る。8時から佐々木君とコンペの構造システムの打ち合わせ。9時半終了。方向性が決まったので今週はプレゼンテーションのスケッチと模型製作に着手する。10時半、事務所を出る。


2005年01月16日(日)

8時半に家を出る。昨夜から冷たい風雨が続いている。9時半過ぎ津田沼の西光寺着。昨年末に亡くなった井村五郎さんの納骨式である。10時前に親族が到着。聞けば式は11時からだという。連絡ミスだそうだ。やむなく待合室で『ジャン・プルーヴェ』を読む。10時頃、人が集まり始める。久しぶりに池辺このみ、谷内田章夫、樋口修さんらに会う。無印良品をデザインしている安井敏さんもいた。井村さんの後輩だそうである。
井村さんと知りあったのは1975年に千葉大学から東京大学生産技術研究所の池辺陽研究室に国内留学してきたときである。僕が博士過程を終える年だった。凄い勉強家で、知らないことを沢山教わった。その後、自宅を建てられたときもオープンハウスに呼んでいただいた。突っ込んだ話をしたことはないし、その後もほとんど会うことはなかったが、なぜか記憶に残る人だった。内に秘めた執念のようなものを感じたからだと思う。そんな力が僕をここに引き寄せたのかも知れない。
11時から焼香が始まる。住職が「南無大師遍照金剛」を唱えているところから、この寺が真言宗であることが分かる。式の間、井村さんの回想集を読む。享年62歳。ちょっと早すぎる。しかし池辺は58歳だった。僕は今年同じ歳になる。約30分で終了。風雨は納まらない。

12時前、津田沼から船橋、柏、我孫子を経て、JR成田線の新木駅へ。1時半前に改札口で鈴木敦さんと待ち合わせ。鈴木さんの車に同乗し、不動産屋の先導で、雨の中2つの敷地を見て回る。2つとも南向きの高台にある点は同じだが、前者は北側が住宅地で、後者は公園である。後者の方が面積も少し広い。鈴木夫妻は後者を気に入っているようだが、当然ながら価格も高い。新居の建設費を含め、予算の上限があるので悩ましい選択である。不動産屋の事務所でライフラインや地盤などの説明を受ける。最終的な判断は鈴木夫妻に任せることとし、2時半終了。車で我孫子駅まで送ってもらう。

ここのところ沢山の問題が噴出しているので、頭を休めるつもりで銀座に出る。旭屋書店で『グッド・ルッキング』(バーバラ・M・スタフォード:著 高山宏:訳 産業図書 2004)を購入。早速読み始める。続いてあちこち映画館を回った揚げ句、有楽町マリオンで『エイリアンvsプレデター』を観る。いやはや、これほど御気楽なエンターテインメント映画に出会ったのは久しぶりである。1979年(池辺陽が亡くなった年)にボストンで観たリドリー・スコット監督『エイリアン1』から何と遠くまで来たことか。最後はほとんど居眠り状態である。7時前終了。
7時半、事務所に戻り、雑用とスケジュール整理。今週は忙しくなりそうだ。


2005年01月15日(土)

10時に我孫子駅で岩堀と待ち合わせ、守谷の「97向山邸」現場へ。向山さんにお会いする。
外部足場がとれて外観が姿を現し、鉄骨造の駐車場もできている。水平にのびる落ち着いた外観だ。施工もかっちりしている。内部は塗装の最終段階である。一通り仕上がりをみて、細かな点の手直しを指摘。来週日曜日の事務所検査までに仕上工事を終えるように依頼し、11時過ぎに現場を出る。

1時半に事務所に戻り「エコハウス」の作品解説を書き始める。3時半、花巻と駒込の「千葉マンション」の打合せ。既存建物との関係、住戸内部のプランをチェック。少し方向が見えてきた。4時過ぎコンペ打合せ。要求されたプログラムを、どう配置するかについてディスカッション。冬期と夏期の室内気候をどうコントロールするかが全体計画に関わってくる。プランがほぼ決まったので、来週は技術的な検討に入る。

『空気調和衛生工学』誌2005年1月号が届く。僕は「近未来住宅の建築設備を考える」という特集の巻頭論文を書いた。「建築の4層構造」の理論を近未来の住宅設備に適用したケーススタディである。他にも興味深い論文が散見される。

「97向山邸」への往復の電車の中で『ガリレオの指:現代科学を動かす10大理論』(ピーター・アトキンス:著 斉藤隆央:訳 早川書房 2004)をざっと再読する。僕の見るところ、本書の隠された意図は、科学における還元主義的方法の有効性を再確認することにあるのではないかと思う。それは進化論から始まり数学に至る10の理論が以下のように並べられているのを見るだけでもよく分かる。
1)進化:複雑さの出現、2)DNA:生物学の合理化、3)エネルギー:収支勘定の通過、4)エントロピー:変化の原動力、5)原子:物質の還元、6)対称性:美の定量化、7)量子:理解の単純化、8)宇宙論:広がりゆく現実、9)時空:活動の場、10)算術:理性の限界。
この順序からすると、還元主義とはいっても、複雑さから単純さへの還元というより、具体性から抽象性への還元といった方が正確かもしれない。この目次にしたがえば、1)進化の手前には、脳、心理、社会、文化といった項目が並ぶのだろうか。興味深いのは、このような還元の底流に、一貫して数学=論理学があることである。それが中間の位置にある、6)対称性で一旦表面に浮上し、10)算術の「ゲーデルの不完全性定理」において大円団となる。僕が一番面白く読んだ2章である。
通常、科学は外界の現象を、数学は思考の構造(内界)を対象にしていると考えられている。しかし科学が数学によって「精確に」記述されるのはなぜだろうか。数学は人間の脳がうみ出した「言語」だとすれば、科学はその言語を用いた自然の「記述」だろうか。とすれば科学とは、近代の数学的思考によって暴力的に励起された自然の歪められた姿だというハイデガー流の主張も成り立つ。しかし翻って考えてみると、脳自体も自然が進化を通してうみ出したものだ。つまり脳と自然は同じ起源なのだ。ならば脳と自然は同じ構造を持ち、両者の共振によって数学と科学が生み出されたと考えることもできるのではないか。これがアトキンスの結論である。チョムスキーの言語学は自然言語において同じような視点に立っているし、レヴィ=ストロースは神話の分析において同じような結論に達している。柄谷行人も『隠喩としての建築』において同じようなことを言っている。アレグザンダーのパタンランゲージも同様な考え方の上に成立している。これらはカントが『純粋理性批判』において展開した問題の変奏といえなくもない。
ところで、こうした所見は建築にどういう関係があるのだろうか。多分、具体的な内容は関係がないだろう。関係があるのは方法のレベルだと思う。数学と科学は、どちらも記述であると同時にデザインである。両者は隠された法則の「発見=記述」(プラトン主義)であると同時に、新しい法則の「発明=デザイン」(プラグマティズム)でもあるのだ。両者を明確に区別することはできない。仮説的なデザインなしに発見はあり得ないし、発見的な記述は新しい言語のデザインを必要とするからだ。これにならって、僕は建築を記述する方法(歴史)と、建築をつくる方法(デザイン)との関係について考えてみたいと思う。そして最終的には、歴史とデザインを一体化させたいのだ。本書はそのための構築的思考のシミュレーションとしても読めるのである。
エピローグで言及されている、コンピュータの発達が自然科学の方法に及ぼした影響。すなわち方程式を立ててそれを解く「解析法」から、コンピュータの計算能力を駆使した「数値処理法」への移行は、今や建築の構造デザインにも大きな影響を及ぼしている。解析法と数値処理法の本質的な違いを知ったことも、本書のオマケである。


2005年01月14日(金)

午前中、事務所。「エコハウス」の編集方針を整理。出版社と編集者に意図を伝えるための概要をまとめる。後は作品解説をまとめるだけである。

午後、大学行き。1時過ぎ、青木茂さんが若くて美しい女性を連れて来研。誰かと思ったら青木さんの娘さんだと聞き二度びっくりする。娘さんは東京芸大の邦楽科で能を専攻し、現在はロンドンに留学しているという。青木さん自慢の娘さんに初めてお会いした。
2月21日(月)の「リファイン建築シンポジウム」の打ち合わせ。僕は「リファイン建築のヴィジョン」と題して、大阪市大と東大のコンバージョン課題を紹介することになった。4月にも名古屋でシンポジウムをやるそうだ。
その後、数人の学生の卒業設計エスキス。僕も少しずつ彼らの頭脳が理解でき始めた。僕の役目は彼らのアイデアのポジティブな面を後押しするか、あるいは横道に逸れないように誘導することである。今の段階で彼らのアイデアを批評しても仕方がない。ともかくエンカレッジすることが必要なのだ。

6時前、事務所に戻る。クライアントからファックスが届く。クライアントとエンジニアの間を仲介するのは難しい。僕の立場はクライアントのエージェントだが、エンジニアの内情も理解できるからだ。いずれにせよ僕としてはデザイナーとしての立場を堅持するしかない。それにしても世の中には不思議な人が多い。
『ガリレオの指』を読み終わる。しかし頭の整理はまだ出来ない。もう少し考えてみよう。


2005年01月13日(木)

9時事務所行き。「エコハウス」原稿の推敲。11時過ぎ、ほぼ終了。
10時、断熱パネルメーカーが来所。外装用断熱パネルの条件についてしばらくディスカッション。熱の問題は断熱性の問題に限らないことを強調する。

午後大学行き。12時半から学科会議。都市工学科から都市再生に関する社会人大学院創設の提案があったそうだ。建築学科と連名で提案するというが、今までに何の相談もないし、建築学科にとってメリットもない。そんな提案など拒否すれば良いと思うが、そうできないのが学科間の政治力学のようである。先攻勝ちということか。

2時過ぎ、昨年11月に会った情報工学科の留学生が来研。僕が出したアレグザンダーに関するレポートをまとめて持参してきた。しかし彼が読んだのは、僕が監訳した『まちづくりの新しい理論』だけである。30分のディスカッション。彼はアレグザンダーの建築・都市理論にショックを受けたようだが、その理由はあまりにもナイーブである。そのこと自体は悪いことではないが、あくまでユーザーとしてならの話で、プロとしては次元が違う。彼にプロになるつもりがないのであれば、議論はこれ以上展開しないだろう。
その後、製図室で卒業設計のエスキスと3年生との雑談。

5時過ぎに大学を出て、京橋のINAXへ。6時から第6回リノベーション・フォーラム。今回のゲストは明海大学の齋藤弘子教授。彼女には何度か会ったことがあるが、レクチャーを聞くのは初めてである。共有マンションの管理組合と維持管理の関係、コンバージョンやリノベーションにおけるソフトな問題について1時間余のレクチャー。内容は多岐に渡り、頭を整理するのが精一杯だったが、少なくともリノベーションやコンバージョンを実現させるには、住民と管理組合の説得が最大課題であることは理解できた。彼女の考えでは、建築家はリノベーションをリードするポテンシアルを備えているというが、建築教育にそこまでの幅広さを持たせることができるかどうか、はなはだ心許ない。それにしてもどんな質問に対しても如才なく応える齋藤さんの才気煥発さに舌を巻いた。8時過ぎ終了。その後、軽食をとりながら歓談。9時半終了。


2005年01月12日(水)

8時過ぎに家を出て、10時前に鎌倉着。若宮通りを下馬の交差点で右折し、江ノ電の踏切を過ぎたところで有坂弁護士と待ち合わせ、木造2階建ての既存建物内外を見せてもらう。敷地は50坪強。1階は貸店舗と公共性のある空間、2,3階はグループホームというプログラムである。少し時間がかかるかもしれないが、社会性の高い仕事なので協力を約束する。

11時、鶴岡八幡宮境内の鎌倉近代美術館のジャン・プルーヴェ展へ。入館者は僕一人なので、約1時間半じっくりと見て回る。僕の感覚では、家具はやや重い感じだが、対照的に建築は軽快でシステマティックである。鉄板加工技術のせいか、あるいは重厚なデザインを指向したのか、多分両方だろう。現寸大のモックアップや精巧な模型にも圧倒されたが、それ以上に感心したのは展覧会のカタログである。三宅理一さんが中心になってまとめたらしいが、プルーヴェに関する本としては、これまでで最も総合的で内容が濃いものである。本当にいい仕事だと思う。

2時前に事務所に戻る。ひたすら「エコハウス」原稿の推敲。その後、テーマ毎に取りあげる作品のラインアップを決める。
夜はコンペ打合せ。今週中には収斂させねばならない。再度、応募要項を読み直しながら、皆でディスカッション。来週初めには技術的検討に入る。


2005年01月11日(火)

10時、工学部国際交流室の応接室に行く。シュツットガルト工科大学の教授3人との話し合い。大学間の学生交流を推進する目的で来日したという。先方は建築学科の学生の希望者が多いらしく、建築学科の教授2人と国際交流委員が、こちらは桑村仁建築学科専攻長、鈴木博之国際交流委員、僕の3人が参加。双方の建築学科の体制や教育システムについて情報交換する。シュツットガルト大学は1年生から卒業するまでスタジオ・システムを取っている。エンジニアリングのスタジオのすべてが、研究だけでなくデザインを行う点が本大学とは異なる。都市計画、ハウジング、歴史、構造などはあるが、環境エンジニアリングはない。一通り意見交換した後、国際交流委員長が加わり山上会館で昼食会。

午後1時半から卒業設計の中間講評。シュツットガルト工科大学の教授陣も約1時間参加。5時半までで30人の講評。そのまま進めそうな案は4〜5案しかなく、ほとんどが入り口で足踏みしている。プログラムにこだわり過ぎて、デザインになっていない案が多い。そろそろプログラムに見切りをつけ、デザインに突入して欲しい。去年も同じような状態だったので希望を持とう。いつものように頭痛が始まる。

その後、卒計担当の鵜飼さんと公開講評の委員について意見を交わす。伊東豊雄さんが今年はせんだいメディアテークの卒計Jリーグに参加しないので、こちらに参加を依頼したい。安田講堂の空調工事が3月一杯なので、公開講評会は4月1日(金)になった。
8時過ぎ事務所に戻る。伊東さんに連絡したら18日まで海外出張だそうだ。直ちに妹島さんにも連絡。彼女は大丈夫そうだが、海外出張の隙間になるので今の時点では確約は難しいという。1月末までに確定してもらうことを約束する。
頭痛が治らないので、10時過ぎ事務所を出る。


2005年01月10日(月)

9時過ぎ事務所行き。第1章から「エコハウス」原稿の見直し。午後も引き続きチェック作業。おおよその見通しが立ったので、企画の芦澤さんと出版社、編集者に打ち合わせの依頼メールを送る。
3時、大橋さんとお母様が来所。石神井公園の「大橋邸」の打ち合わせ。細かな点を除けば、基本設計はほぼ収斂した。最終案を整理して送付することを約束。その後も原稿の推敲を続ける。7時過ぎに事務所を出て帰宅。

名古屋のクライアント候補からメールが届く。『箱の家に住みたい』を読んでの問いあわせ。初歩的な質問に応える。それにしてもメールでの質問は軽い。やむを得ないと分かってはいるが、僕の感覚とズレているので、気分が滅入ることがある。


2005年01月09日(日)

8時半起床。メールチェックと青本往来記の送信。
大阪市大の学生から修論に関する質問メールが届く。クリストファー・アレグザンダーの研究をしているらしい。僕はとっくに卒業したつもりでいたが、最近また彼の仕事に興味を持つ人たちが出てきた。確かにアレグザンダーは研究対象として興味深いが、彼の可能性はほとんど研究し尽くされているので、新しい視点を提示するのは難しいだろう。そもそも彼の全体像を理解するだけでも相当なエネルギーを必要とする。大学院生が立ち向かっても「群盲象を撫でる」状態になる可能性が大きい。しかしそれを判断できる人がいないので、建築計画学はいつまでたっても彼を乗り越えることができないのだ。

今日は鎌倉近代美術館の「ジャン・プルーヴェ展」を見に行くつもりだったが、「エコハウス」の原稿が残っているので、予定を変更し11時に事務所に行く。とはいえ今週いっぱいで展覧会は終わるので、何とか今週中に行き、合わせて友人の弁護士に設計を頼まれている鎌倉のギャラリーの敷地を見ることにする。

昼から午後にかけて「エコハウス」最終章に取り組み、夕方ようやく終わる。これで原稿は一応まとめ終わった。しかし章毎に掲載する「箱の家」の選定と解説が残っている。
6時過ぎ帰宅。家族で夕食を食べ、夜は『ガリレオの指』を読み続ける。


2005年01月08日(土)

朝9時半、成瀬の「94池内邸」現場へ。すでに井上は来ている。1階床根太の取付が終わっていたが、アクアレイヤーの厚さよりやや高いので、土間コンクリートへの蓄熱を確実にするために下地調整をするように指示。
昼前に事務所に戻る。午後1時半、金澤夫妻が来所。昨年末に羽村市の敷地の購入を決めたので、正式な設計依頼を受けた。変形角地で難しい敷地条件だが、興味深い設計ができそうだ。2月のプレゼンテーションを約束する。
その後「エコハウス」の原稿を再検討。全体のバランスを考え、章立てを少し変えることにする。
5時、事務所の打ち合わせ。年初めの仕事の進行状況とコンペのスケジュールを確認。「金澤邸」の担当を井上に決める。6時前終了。掃除をして6時半解散。

近くの酒屋で日本酒を買い、新宿歌舞伎町のAtoZスタジオへ。カメラマンの坂口さんと二人だけの新年会。坂口さんが新鮮な刺身を用意してくれたので酒が進み、持参した日本酒があっという間に無くなる。10時半まで建築談義で楽しい一時を過ごす。今年は「エコハウス」をまとめるので、今まで以上に緊密な付き合いをお願いし、最後は赤ワインで締める。タクシーで11時過ぎ帰宅。


2005年01月07日(金)

午前中、コンペ打合せ。アクティビティの組織化の見通しが立ったので、それを構造と室内環境制御のシステムにどう結びつけるかに問題が絞られてきた。それこそが最大の問題だが、徹底して機能と性能に注目しながらまとめていくしかない。その先に新しい駅のヴィジョンが見えてくるだろう。スタッフの皆に手分けしてそれぞれのテーマの資料を幅広く収集するように指示する。

午後2時前に大学着。早速、卒計のエスキス。遅々としたペースではあるが、みんな少しずつ展開している。しかしまだ先は見えない。依然として戦略レベルの段階である。来週の中間講評以降は戦術の段階に突入する。10人くらいの作品を見て6時に終了。コンペをやっていると学生たちの気持ちがよく分かる。

東京大学と学術交流の協定を結んでいるシュツットガルト工科大学の教授陣が、建築学科への訪問を要請してきた。全学協定なのだが、とくに建築学科との交流を希望しているので、鈴木博之さんと僕が対応することになった。昨年の上海ワークショップでもシュツットガルト工科大学でハウジングを専攻している教授に会った。同学はフライ・オットーで有名だが、現在はヴェルナー・ゾーベックが跡を継いでいる。ヘルムート・ヤーンのドイツポストやソニーセンターのファサード・エンジニアだ。彼の研究室へ学生を送り込むことができれば、面白い交流になるかも知れない。期待しよう。

『Casa BRUTUS』の最新号が届く。「最強最新住宅案内2005」特別号と題して、最近の住宅を紹介している。僕も「アルミ3兄弟」の一員として「普及版アルミエコハウス」の取材を受けた。「MUJI+INFILL木の家」も掲載されているが、当然、僕の名前は伏せてある。それにしても住宅はますます個別性が最優先されるようになってきたようだ。標準解をめざすエコハウスにとって、今年は正念場かも知れない。


2005年01月06日(木)

午前中、事務所。「エコハウス」原稿最終章を続行。バイトが来て二天門消防支署の模型を作り続ける。
午後大学行き。12時半から今年最初の学科会議。出席率はいいが、とくに大きな問題はないのに3時間もかかってしまった。
3時半から卒業設計のエスキス。6時まで数人の学生を見る。収斂に向かっている学生もいるが、テーマを絞り切れていない学生もいる。残すところ1ヶ月の勝負である。
6時から銀杏会の新年会。これも出席率がいい。教員が一堂に会するのは久しぶりだ。たわいのない話題ばかりだが、時折、舌鋒が飛び交うのが面白い。日本酒を飲んでかなり酩酊。8時半過ぎに解散。帰りの電車で新任の前助教授と一緒になり共同研究の話をする。一旦事務所に戻ろうかと思ったが、酔いが回ってきたので、そのまま帰宅。

今月下旬に飛騨高山に行くことになった。新しいクライアントに会うためである。中旬には成田にも新しい敷地を見に行く。今週末には羽村市のクライアントが来所する。大学も、事務所も、今年の仕事が本格的に始動し始めた。


2005年01月05日(水)

7時半起床。9時前に事務所行。メールチェック。年賀メールが多く、すべてに返事を出す。
10時、仕事はじめ。とはいえ僕は「エコハウス」の最終章の原稿に集中。なかなか話が展開しない。
昼食を皆で食べに行く。定食屋で村田靖雄事務所と一緒になり、しばらく歓談。午後、模型のバイトが来る。二天門消防支署の模型の仕上げ。僕はひたすら最終章に集中。何とか半分まで行く。
7時前、皆で新宴会をかねて食事に行く。少しばかり歓談し9時半に事務所に戻る。メールチェック。今月中に、新しいクライアントのために岐阜高山と我孫子の敷地を見に行くことになりそうだ。


2005年01月04日(火)

5時に一旦目が醒めるが、再び眠る。7時起床。7時半、懐石の朝食。
8時半に宿坊を出て奥の院に向かう。10年ぶりに参道を登る。朝が早いせいか人はほとんどいない。残雪で足元が不如意だ。雪を踏みしめる音が杉の木立に響き渡る。両脇には延々と墓石が並んでいる。玉石混淆の墓に高野山の世俗性と大衆性が表れている。奥の院でしばらく沈思黙考。さまざまなことを考えるが、当面は「エコハウス」をまとめることだ。
10時半に下山。バスで高野山駅へ。午後1時過ぎ、南海なんば駅に戻る。なんばパークスで簡単な昼食の後、新大阪へ。予約した新幹線を早めようと試みたが、すべて満員であることが分かったので、新大阪駅の喫茶店で時間をつぶす。無駄な時間のようだが、家族でそれなりの対話ができた。5時過ぎの電車に乗り、8時前東京着。赤坂で簡単な夕食をとり、9時半帰宅。

『ガリレオの指』は第7章「量子--理解の単純化」までくる。第6章「対称性--美の定量化」では、対称性(シンメトリー=抽象化)がもたらす同一性に思いを馳せ、その極限であるミースの空間について考える。対称性は僕の建築思想の核心をなす概念だが、建築の個別性からはもっとも遠い概念でもある。しかし対称性を追求する運動=対称化が方法化されれば、デザインの大きな力になることは間違いない。対称化とは、表面的には異なる現象にひたすら同一性=規則・法則を求めようとする運動だからである。その運動の向かうところは。複雑な現象の単純な法則・規則による統合であり、それが「美の定量化」をもたらすのである。
第7章ではシュレディンガーの波動方程式とハイゼンベルクの行列方程式の対称性を理解するために頭を絞る。これが克服できなかったために、僕は建築に進んだわけだが、今になって思えば、僕は対称化という同じテーマを、建築において追求しているだけなのかも知れない。

年明けに何人かのクライアント候補から仕事の依頼が届く。新しい年の新しい仕事である。「箱の家」の新しい展開をめざして、精一杯対応していくつもりである。


2005年01月03日(月)

6時前起床。家族3人で6時半に家を出て、7時半東京駅発ののぞみに乗車。10時過ぎ新大阪着。地下鉄御堂筋線でなんばまで行き、11時発南海線快速急行に乗車。車内ではおばさん達が大騒ぎしながら弁当を食べている。1時前、極楽橋着。山には雪が積もり、やけに寒い。ケーブルカーで高野山まで登り、バスに乗り換えて1時半に千住院橋東口下車。近くの食堂でようやく暖かいなべ焼きうどんの昼食にありつく。その後、宿坊組合でクーポン券を購入し、安養院という宿坊に行く。宿泊客は僕たちだけらしい。床の間、書院付10畳の和室。廊下の板の間は凍てつくように冷たい。
部屋に荷物を置き、雪の中を歩いて、金堂、御影堂、根本大塔、金剛峰寺、霊宝館などを回る。三が日のせいか店はほとんど閉まっている。身体がすっかり冷えたので、4時半に宿坊に戻り、しばらく休む。ヒートポンプの暖房をかけるが、ほとんど効かない。5時過ぎ入浴。熱い風呂に入り身体を暖める。6時から夕食。当然ながら懐石料理である。部屋に戻り、しばらく伽藍の話をする。昼間買っておいた日本酒を飲む。『ガリレオの指』を読みながら9時過ぎ就寝。


2005年01月02日(日)

8時起床。急いで雑煮を食べ、9時半に事務所行。「エコハウス」の最終章に取り組む。今後の展望についてまとめる章だが、なかなかとっかかりが掴めない。再度、目次の概要を見直し、あれこれ手を加えているうちに昼になる。簡単な昼食をとってから書き始めるが、集中できない。

2時過ぎに事務所を出て、渋谷の文化村オーチャードホールへ。家族3人で東フィルのニューイヤーコンサート。会場は満員である。シュトラウスとワグナー、武満徹とジョン・ウィリアムスで3時間弱の気分転換。その間ずっと最終章のことを考え続け、いくつかのアイデアが浮かぶ。終了後、大急ぎで事務所に戻りアイデアをまとめる。文章はほとんど書けなかったが、ようやく全体の見通しが立った。それだけでも良しとしなければならないだろう。街は少しずつ動き始めている。

8時過ぎに帰宅し夕食。入浴の後、ウィスキーを飲みながらしばらく黙考。頭の中を整理する。11時過ぎ『ガリレオの指』を読みながら就寝。


2005年01月01日(土)

8時起床。家族で新年の挨拶をし、ゆっくりと雑煮の朝食。TVでしばらく実業団駅伝を観る。
簡単な昼食をとり、12時過ぎ事務所へ。ふたたび「エコハウス」の原稿に取り組む。残すところ1章になった。しかし「箱の家」の個別的な説明が残っている。気が遠くなるが、少しずつ進めていくしかない。
7時半に事務所を出て帰宅。夕食を食べた後、少しだけパソコンに向かう。

気晴らしに『ガリレオの指』を読む。5章まで進んだが、大学時代の教養学部で学んだ生物学と物理学の復習といった感じである。しかしあらためて自然科学の原理を体系的に見直してみると、すべてが関係し合っていることが分かる。シュレディンガーの波動方程式は、僕が初めて数学と物理学に挫折を感じた思い出深い式である。僕はその解答をイメージできなかったことがきっかけで理学部への進学を諦めた。しかしこの本ではじめてその正体を掴むことができたような気がする。


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