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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2013年06月30日(日)

8時起床。ゆっくりと朝食を摂り10時出社。プロポーザルの図面に眼を通す。条件はほぼ満たしているが何かが足りないことは確かである。しかしその何かが分からない。スタディを続けるしかない。昼食後直ちに事務所を出て裏道を歩いて青山ブックセンター(ABC)本店へ。曇りで蒸し暑い。1時前にABCの控室に到着。『リアル・アノニマスデザイン』出版記念のトークイベントである。編集者の岡田栄造、山崎泰寛、藤村龍至の三氏と学芸出版編集部の井口夏美さんに挨拶。パネラーはアーティストの梅沢和木、インターデザインアーティストの織咲誠と僕の3人。まずパネラー3人がそれぞれ15分で自作を紹介。梅沢さんはWebの映像を集積した一連の絵画を紹介。今回の本の表紙にも彼の絵画が使われている。彼の手法は読み終わったばかりの『手法論』(磯崎新)で言及されていたジャクソン・ポロックのドリッピング絵画の現代版を連想させる。ポロックの素材は絵具そのものだが梅沢さんの素材はウェブの画像である点が現代的である。彼はサブカルチャーにも詳しいようだ。織咲さんはゼムクリップの改良版や多機能な紙皿といった自作を紹介しながら一種の原型へと収斂していくデザイン論を展開した。バックミンスター・フラーのMore with Lessを引用しながら自身のデザイン観を述べた点には大いに共感する。僕は「建築の4層構造」と「箱の家」の展開をコンパクトに紹介する。3人のプレゼンテーションの後、藤村さんがモダニズムと最近の原型指向とアノニマスデザインの関係についてコメントすることから議論を始める。この種の議論で常に感じることだが、議論が進むにつれて肝心のテーマ(今回はアノニマスデザインだが)の意義がだんだん分からなくなっていく。途中から議論は空中分解しアノニマスデザインよりも自分のデザイン観の開陳に移行したので興味が失せる。僕は本書に納められたいくつかの論が自己のデザイン論に説得力を持たせるために現代のデザイン状況から方法を導き出そうとしている点に注意を喚起し、状況論から方法論を導き出すのは悪しき一般化だと指摘した。要するにThink Global Act Localは上(前)から下(後)ではなく下から上への論理展開でなければならないというのが僕の持論である。最後に会場からの質疑を受けて4時半に終了。何となく空虚な感じに囚われたのはなぜだろうか。しばらく休憩してから南青山のスペイン料理屋へ移動。ビールとツマミでしばらく四方山話。僕は6時過ぎに退席し赤坂の寿司屋へ。妻と待ち合わせ夕食。9時半に帰宅。今日のトークセッションについてあれこれ考えを巡らせながら夜半就寝。


2013年06月29日(土)

7時起床。8時半出社。9時前に事務所を出て溜池山王のメディカルスキャニングの診療所へ。9時半からMRI検査開始。まず医師の面談を受ける。女性の医師でどこかで会ったことがあるような気がしたら「箱の家033」の娘さんだった。僕の名前を見て相手もビックリしたらしい。着替えて診察が始まったところで検査中止。朝食を食べてしまったので診療が難しいとのこと。紹介された医師からその旨を聴いていなかったので来週に出直すことになった。10時半事務所に戻る。明日の青山ブックセンターでのトークイベントのスライドショーの最終チェック。午後1時過ぎに東松山の八木建設が来所。「147小暮邸」の最終見積を確認。間もなく小暮一家が来所。最終工事金額を確認し承認をもらう。工事契約と地鎮祭を同日に行うこととし日時は後日連絡をもらうこととして3時過ぎに終了。久しぶりにやる気のある建設会社に出会った。八木さんは父親である八木建設社長とともに武蔵工大(現・東京都市大学)で建築を学んだそうだ。4時に遠藤事務所来所。プロポーザルの代案についての相談。あれこれ説明を受けるが僕には今一理解できないので再検討を促す。5時過ぎに事務所を出て副都心線東横線大井町線を乗り継いで大岡山駅で降り駅前の蔵前会館へ。6時から『視線とテクスト 多木浩二遺稿出版記念会』。出席者は50人弱でこの種の会としては異例の少なさだがこれは多木さんのテクストの難しさの表れかも知れない。しかし出席者は錚々たるメンバーである。伊東豊雄さんからはじまり坂本一成さんで終わる様々な人たちのスピーチが続く。しかしどれも多木さんから受けた影響の大きさ、多木さんの人間性、テクストに対する異常な拘りなどそれぞれの立場から見た体験談ばかりで、多木さんの思想の内容と意義については誰も話さないのが印象的だった。僕の考えでは個人的な想い出をいくら並べても多木さんの歴史的意義は明らかにならないだろう。これもまた多木さんのテクストの理解し難さの表れかも知れない。二次会でそういう話が出るのかも知れない。僕の考えでは『生きられた家』のようなテクストと一連の作家論・創作論との関係つまり歴史的無意識と個人の想像力・創造力との関係を探ることが多木さんのテクストに通底するテーマだったのではないかと思う。残念ながらその点に触れたスピーチはなかった。8時過ぎに終了。9時に事務所に戻る。

『ビッグデータ』の再読開始。第4章「第3の変化 因果から相関の世界へ」を終えて第5章「データフィケーション」へと進む。「全データ」の概念がカントのカテゴリーのひとつである因果関係を揺るがす経緯が興味深い。確かにデータ間の相関関係さえ明らかになれば大多数の事象の構造が明らかになる。因果関係が必要になるのはスモールデータによって事象の構造を明らかにしようとする場合である。そもそも因果関係的な構造が世界に埋め込まれているという保証はどこにもない。だから相関関係だけを追求するのはむしろ正統な方法かも知れない。


2013年06月28日(金)

6時起床。大急ぎで食事を済ませ6時45分に事務所を出て東京駅へ。ホームで栃内と待ち合わせ7時半発の秋田行新幹線こまちに乗車。車内はガラガラ。盛岡までは2時間40分だがそこから秋田までが1時間半通常の特急電車と同じスピードである。11時半秋田駅着。改札口で天雲さん四方里見さんと待ち合わせ。四方さんは能代の建築家で省エネ住宅のエキスパートである。まず歩いて15分の敷地を見学。歩道の幅や銀杏の街路樹の位置を確認。その後近くの地鶏屋で昼食。食事をしながら打ち合せ。四方さんに確認申請の方法や工務店の選び方などについてアドバイスを受ける。1時半に四方さんと別れ近くのカフェで詳細の打ち合せ。栃内が展開図や設備図等について天雲さんに説明。徐々に仕様がヘヴィーになっていくので時々注意を喚起する。4時半終了。その後天雲さんの車で渡辺豊和さんが設計した市立体育館(1994)へ移動し内外を見学。異形の建築である。引き続き南へ移動し雄物川を渡って秋田公立大学と大学のキャンパスと隣り合わせた市立新屋図書館を見学。現在天雲さんが所属している図書館である。キャンパス内には古い米倉庫をリノベーションした大学施設がありうまく使われている。秋田駅に戻り7時過ぎ発のスーパーこまちに乗車。金曜日の最終便なので車内は満員。ビールを飲んだら疲れが吹き出して車内では爆睡。11時過ぎに東京駅着。12時前に帰宅。シャワーを浴びて夜半過ぎ就寝。


2013年06月27日(木)

7時起床。8時半出社。久しぶりの青空である。カラッとして気持ちがいい。プロポーザルの断面についてコメントをまとめメンバーに送信。11時過ぎに事務所を出て地下鉄で東京駅へ。丸ノ内線の出口から地下道を延々と南下し約500m歩いて京葉線ホームへ。12時過ぎに東京駅発の上総一ノ宮行きの快速に乗り約1時間で1時すぎに土気駅着。改札口で村松映一、松川淳子、石山修武、竹原義二さんと待ち合わせタクシー2台に分乗して「ホキ美術館」へ。日建設計の山梨知彦、鈴木隆、中本太郎の三氏が迎えてくれる。住宅地と公園の境目に位置する東西に細長い敷地に建つ美術館である。元来住宅地域内の美術館は用途地域的にはあり得ない組み合わせだが特例として認可されたらしい。周辺の住宅地のコンテクストに合わせて高さは低く抑えられているとはいえスチールチューブの片持ち構造で跳び出した展示室のスケールは住宅地のスケールを圧倒している。外周をザッと見回した後内部の展示室を回る。一筆書きで回ることができるチューブ状の展示室が折り畳むように配置されている。チューブの幅と天井高は絵画のサイズに合わせて微妙に変えられている。展示室の総延長は500mだという。コレクションは日本画家のリアリズム絵画が中心で皆どこかで見たような印象が残る。ウィークデーであるにもかかわらず結構人がはいっている。ほとんどが中年以上の女性客である。最上階から徐々に下がって行き最後は漆黒の展示室で終わっている。一通り見終わったのちエントランス脇のホールで図面を観ながら山梨さんの説明を受ける。 様々な賞に応募したがいつも住宅地とのスケールの落差が問題になったらしい。確かに住宅地の中の美術館は不思議な組み合わせである。僕としてはむしろ鋼板のクロバティックな構造の方が気になる。熱的性能については十分に検討したというが内外装が一体の仕上げだから熱負荷はかなり大きいだろう。3時前に終了。タクシーで土気駅まで戻り京葉線快速で木場駅で地下鉄に乗り換え5時過ぎに事務所に戻る。夜8時遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオに加えて佐々木、平岩、永井の三氏とスタッフ2人が来所。プロポーザルの構造システムの打合せ。昨日の延長で部材サイズを決定。極めてシステマティックな構造だが遠藤君としてはもっとアクロバティックにしたいようだ。佐々木君も空間構成に動きが少ないという評価。僕としては構造システムではなく階段や斜路の導入によって動きは出せると予想している。10時終了。次は環境デザインなので早速高間三郎さんにメール連絡。11時前に帰宅。シャワーを浴びて夜半過ぎ就寝。

『手法論の射程---形式の自動生成』(磯崎新建築論集3 岩波書店 2013)を読み終わる。磯崎によれば1970年代の手法論はモダニズム期のアヴァンギャルドであるマルセル・デュシャンのレディメイド作品、ジョン・ケージのチャンス・オペレーション音楽、ジャクソン・ポロックのドリッピング絵画、サミュエル・ベケットの非作家的作品といった試みの建築版だという。要するにストレートな作家性を否定した媒介的な創作論である。したがってアノニマスな方法とは異なる。僕としてはむしろ磯崎が述べていない点つまり磯崎建築の重厚な表現の起源が気になる。好みとか美学といってもよいがそれが間違いなく手法の背後にあるからである。「建築の4層構造」は形態だけでなく機能や技術までも手法化しようとする考え方だから明らかに手法論の延長上にあるといってよい。決定的な相違は磯崎は統合をめざしていないのに対して「建築の4層構造」はサステイナブルな統合をめざしている点である。逆説的なのは統合をめざさない磯崎の方がプロセス全体を統御しようとする意思が強いという点である。その分「建築の4層構造」の方がアノニマスな方法論に近いといってよいだろう。


2013年06月26日(水)

7時起床。8時半出社。雨が降り続き徐々に激しくなる。午前中はプロポーザルの条件を再確認しながらあれこれスケッチしてみる。積雪時の採光や換気が問題になりそうだ。栃内がまとめた「147小暮邸」の最終減額案を工務店に送信。今週末の三者会談で回答をもらうことになった。午後1時半「148本・箱の家」の打ち合わせ。電気設備に関する天雲さんからの要求を整理。だんだんヘヴィーになっていくのがコストにどう跳ね返ってくるか金曜日の秋田での打ち合せでフィードバックしよう。遠藤事務所と何度かメールをやり取りしプロポーザルの図面をまとめてもらう。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大へ。雨はますます激しくなってくる。5時からスタジオ課題。今日は5人しか出席していないので念入りにエスキスを行う。最終講評まで残すところ1ヶ月を切った。そろそろピッチを上げなければならない。途中石山修武さんから電話が入り明日の現地審査の打ち合せ。7時終了。大学近くのカフェで佐々木さんと小1時間プロポーザルの打ち合せ。構造の基本方針を確認し明晩に再度の打ち合せを依頼する。8時半に事務所に戻り大急ぎで打ち合せ結果を整理してメンバーに送信。「箱の家045」のクライアント村岡さんが作ったばかりのパンを届けてくれる。10時前帰宅。ベッドの中でYouTubeをザッピングしていたら『PROMETHEUS 2 PARADiSE』の予告編を見つける。来年公開予定とあるが本当だろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=FkGLGbEwFls
https://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=gcb-R7Khf84
どうもファンのでっち上げのような気もするが新しい画像が加わり来年の公開日まで明記してある。


2013年06月25日(火)

7時起床。8時半出社。曇りで少々蒸し暑い。久しぶりに散歩に出かける。明治通を北上し千駄ヶ谷小学校の手前で左折し原宿駅へ。予約しておいた秋田行の乗車券を受け取り表参道を下って青山通りを東へ歩き青山三丁目を左折して事務所に戻る約1時間の経路。AliaNewsの巻頭文原稿に集中し午後までに14枚をまとめる。放送大学の番組プログラムから始めて「建築の4層構造」について紹介し建築部品の工業生産化へと話を展開させる。直ちに編集担当の小倉みどりさんに送信。久しぶりに真壁智治さんから電話が入る。『家の理』の編集作業は順調に進行しており今年中には出版できそうだとのこと。イラストを担当している堀越優希君が頑張っているようだ。故奥村昭雄に関する野沢正光さんを交えての鼎談は奥村まこと夫人の希望で奥村邸で行うことになったが野沢さんの怪我で少し延期になった。僕の方でもそろそろ『建築知』の原稿をまとめねばならない。グッドデザイン賞のWeb一次審査を続行し夕方までに410点余の審査をすべて完了。相変わらずディベロッパーによる分譲マンションの応募が多いが何のために応募しているのか分らないような作品も多い。玉田敦士さんから頼まれていた2つのコンペの趣旨文をまとめて送信。今週末に青山ブックセンターで開催される『リアル・アノニマスデザイン』のトークイベントのスライドを編集。15分なのでできるだけコンパクトにまとめる。夜8時に遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオが来所。浦部智義さんも大学から駆けつけてくれた。まず浦部さんから前例の紹介と問題点の整理。引き続き遠藤事務所による同一スケールの事例の紹介。その後遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオの最新案について説明を受け構造システムや環境制御のアイデアについて意見交換。次回の打ち合せを明後日に決めて10時過ぎに終了。僕としては納得できるコンセプトに収斂しそうだが技術的な解決が見えない。やはり佐々木さんと高間さんに相談するしかなさそうだ。11時前に帰宅。シャワーを浴びた後夜半就寝。


2013年06月24日(月)

7時起床。8時半出社。GD賞のウェブ一次審査を20点ばかり済ませる。10時過ぎに事務所を出て明治神宮前駅から副都心線で東横線の新丸子駅で下車。日本建築士会連合会連合会作品賞の現地審査である。歩いて5分で11時前に「GILIGILI」に到着。すでに岸和郎さんが到着し設計者の納谷学さんと立話をしている。綱島街道に面した6階建てのペンシルビルで納谷学さんがオーナーでもある。間口9.5m奥行5mの微妙に変形した平面で3階までのテナント部分はRC壁構造4階から上の住宅部分は軽量溝型鋼を並べた壁式構造である。数年前に納谷さんが同じような構造で設計した住宅を観たことがあるが今回の方が規模は大きい。エレベーターで4階の住戸玄関に上る。4階は間に細い外部空間を挟んでゲストルームと専用の水回りで外部空間を風が通りぬける。5階はLDK6階は寝室と水回りという構成である。屋上も壁で囲まれ喧噪から切り離された別世界である。内部は柱型のないスッキリした住空間だが耐火被覆と断熱のために外壁は結構厚くなっている。フローリングの床以外は完全に白一色の世界。これまでの納谷さんの経験が細部まで行き届いたキレのいい建築だが何となく物足りない。南北が閉じられ東西に開いた特殊な敷地条件や日射制御の問題を空間を閉じることによって解決しているのはやや安易な気がする。何かが不足している訳ではないがもうひとつ仕掛けが欲しい印象が残る。今年見た住宅では完成度が一番高いことは確かだが「伸び代」が見えないのが残念である。正午過ぎにお暇し近くの蕎麦屋で岸さんと昼食。ル・コルビュジエ論で盛り上がる。東横線で渋谷まで戻り岸さんと別れて1時過ぎに事務所に戻る。2時から「147小暮邸」と「148本・箱の家」の打ち合わせ。「147小暮邸」は最後の減額調整をまとめて小暮夫妻に送信。今週末に工務店との三者会談を開き決着をつける予定。「148本・箱の家」は天雲さんからの質問に対する回答をまとめて返信。徐々にコストアップへ向かう傾向をそろそろ押し止めねばならない。その後はAliaNews原稿の執筆開始。夜までに7枚を書く。まだ先は長い。間にGD賞の一次審査続行し300点まで終了。10時帰宅。小暮さんと減額調整についてメールのやり取り。

『手法論の射程』は第3部「ハイブリッド---網状の<しま・じま>」まで読み終わり第4部「アルゴリズム---形式の生成」へと進む。第2部以降は自作の説明を通した現代建築論である。磯崎は自作を時代の潮流の中に置くことによって現代の「群島=アーキペラーゴ」的状況の反映としてのプロトティピカルな建築として位置づけている。磯崎自身がすべてを見通しすべてを操作するデミウルゴスのような存在である。並の建築家ではできない芸当というほかない。


2013年06月23日(日)

7時起床。8時出社。妻と一緒に大急ぎで都議選の投票会場に出掛け8時20分に帰社。直ちに荷物を持って新宿駅西口の京王高速バスセンターへ向かい9時発の飯田行に乗車。新宿からの乗客は疎らだったが八王子までの停車場で次々と乗客が乗り込み7割方埋まる。中央高速道路を2時間ほど走り双葉インターで20分間の休憩。さらに諏訪湖の南を左に曲り南へ走って伊奈を通り過ぎ2時間で伊賀良(いがら)に13時過ぎ着。河合一成さんと待ち合わせ河合さんの車でさらに南下し約20分で下伊那郡阿智村の河合邸に到着。山間に佇む静かな農家である。典型的な農家で母屋の手前に花畑が広がり周囲は畑や水田によって取り囲まれている。河合さんは東京で働いていたエンジニアだが最近故郷の阿智村役場に転職したそうだ。両親と祖母は健在で母屋に住んでいるのでその東側に新居を計画しているのだという。当初は農作業場の改築を考えていたが敷地周囲を調べて見ると東側に休耕中の畑があるので既存建物には手を付けずに新築した方がいいように思える。おおよその敷地をスケッチし家族と相談してみるようにアドバイスして3時過ぎ終了。その後はあれこれ四方山話。河合さんは横浜国立大学工学部の出身で建築のことはよく知っているようだ。NHKの撮影班の一員で最近ではCG製作に携わっていたのだという。河合家の1人息子でいずれは故郷に戻るつもりだったが村役場の職員募集を見て急遽転職を決断したのだそうだ。4時半過ぎにお暇して伊賀良駅に戻り6時過発の高速バスに乗車。日曜日で高層道路が渋滞し予定よりも約30分遅れて10時45分に新宿ターミナル着。タクシーで11時帰宅。都議選は自民と公明の完勝。維新の会も結局は不発だった。今日一日のことを振り返りながら夜半就寝。


2013年06月22日(土)

7時半起床。8時半出社。晴れで暑くなってきた。8時45分に事務所を出て青山の診療所へ。9時から1年ぶりの人間ドック開始。定番のコースで最後は内視鏡検査で終わる。超音波検査で胆管に小さな影があることが分かったので来週末にMRI検査をすることになった。麻酔が抜けきれないボンヤリとした頭で 11時過ぎに事務所に戻る。朝食抜きだったので昼食が美味しい。15時に遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオが来所。次のプロポーザルコンペの打合せ。遠藤事務所が作成した模型を見ながら意見交換。遠藤君のアイデアは僕のスケッチとピッタリ符合していたのでビックリする。動線計画をチューンアップすれば僕としては文句ない案になりそうだ。次回の打ち合わせ日を決めて5時半終了。栃内と進行中の現場について簡単な打合せ。その後遠藤案の改良案をスケッチしメンバーに返送。7時帰宅。ゆっくりと夕食を摂り風呂に入ってから早めに就寝。


2013年06月21日(金)

7時起床。8時半出社。梅雨に入ってからしばらく散歩を中止している。今日は朝からグッドデザイン賞のウェブ審査を開始。先日の放送大学の試験採点ほど大変ではないが400点もの応募作品にひとつずつ目を通していくのも大変である。応募者は各人がウェブに審査資料を書き込むようだが文章と写真ばかりで図面のない作品が多い。僕たち審査員は素人ではないのだから文章と写真だけの応募というのはいかがなものかと思う。デザインは「見た目(appearance)」ではないことをあらためて強調しておきたい。とはいえ第一次審査は足切りなので可能な限りハードルを低くする方針である。3時半に事務所を出て雨の中「伊東塾」の新しい「恵比寿スタジオ」のオープニングパーティへ向かう。恵比寿駅から恵比寿スカイウォークを通り恵比寿ガーデンプレイスを突き抜けウェスティンホテルの脇階段を下りてしばらく住宅地に入ったところにある。プレス発表が終わり4時からパーティがはじまっている。室内は100人程度の参加者。伊東事務所のスタッフ以外に建築家はほとんどいない。まもなく佐々木睦朗君と事務所のスタッフがやって来る。坂本一成さんの顔も見える。仙台や釜石の「みんなの家」をチューンアップしたデザインだが鉄骨造なのに軽快さがほとんどない。外壁をレンガ積みのダブルスキンにしているためにかなり重い表現になっている。前面道路に開放している半屋外空間にまでレンガのダブルスキンを延ばしているのはやや自己矛盾に思える。自然に連続させるという伊東さんの持論と環境制御デザインとを両立させることの難しさが滲み出たデザインである。伊東さんに挨拶して4時半にお暇し5時過ぎに事務所に戻る。夜もGD賞のウェブ審査を続け180点を見終わったところで休止。9時半に帰宅しシャワーを浴びた後『手法論の射程』を読みながら夜半就寝。


2013年06月20日(木)

7時起床。8時過ぎ出社。小雨が降り続く。直ちに事務所を出て歩いて青山歯科医院へ。1ヶ月ぶりの定例メンテナンス。ここ1ヶ月は歯磨きに精を出したので院長からクレームはつかなかったが相変わらず痛い。10時に帰社。10時半から秋田の「148本・箱の家」の電気系統の打ち合せ。照明計画は可能な限りLED器具に転換する。本棚と配線経路の関係が難しい。12時前終了。1時半に事務所を出て六本木ミッドタウン5階の日本デザイン振興会へ。今年度のグッドデザイン賞の審査員会議。住宅部門には今年から早稲田大の古谷誠章さんが加わり公共デザイン部門から手塚由比さんが返り咲いて篠原聡子さんを加えた4人になった。他の部門にも新しい人が14人加わり審査員の顔ぶれが一新された印象である。コミュニケーションデザイン部門には江渡浩一郎さんの顔も見える。新しい審査委員が多いので事務局からグッドデザイン賞の歴史について説明を受けた後審査委員長の深澤直人さんが今年の基本方針である「釣り合いの美」について説明する。その中でワルター・グロピウスの名前が出てきたのでAmazonに『建築はどうあるべきか デモクラシーのアポロン』 (ワルター・グロピウス:著 桐敷真次郎:訳 ちくま学芸文庫 2013)を注文する。その後各部門に別れて一次審査の進め方について意見交換。住宅部門には去年よりもさらに多い410点余の応募があったらしい。次回7月8日の一次審査確定会議までにネット審査を行うことを確認して4時半に解散。他の部門ではディスカッションが続いている。5時に事務所に戻る。夜はAliaNewsの原稿スケッチを続行。今日が締切なのだが編集部に連絡して来週までに延長してもらった。9時半帰宅。

磯崎新の『手法論の射程』の再読を開始する。第2部「リダクション---零地点へ」の第1章「なぜ手法なのか」を読み続ける。すべてを相対化し手法化することによってデザインプロセスを操作しようとする磯崎のフォルマリスティックなスタンスにいささか興醒めする。そもそも自分が時代の外に立ちすべてを相対化できると考えること自体が自信過剰で不遜な態度ではないだろうか。1970年代にはそのような批評的な態度が浸透していたような記憶がある。そのようなニヒルというか突き放したような態度自体が時代の産物にほかならない。そのような歴史性をあらかじめ見据えた発言が何よりも重要である。他山の石としよう。


2013年06月19日(水)

7時起床。8時半出社。昨日の疲れが残り午前中はボーっとして過ごす。『庭師小川治兵衛とその時代』)の赤線を引いた部分を読み直し庭園における近代化について頭を整理する。AliaNewsの原稿締め切りが明日なのだが読後感の整理が気になってまったく集中できない。というか建築部品の工業化と庭園の近代化の結びつきというかけ離れたテーマを何とか結びつけようとすることに頭が向かってしまう。やむなく午後はプロポーザルコンペの要項見直しボンヤリとスケッチしてみる。4時過ぎに事務所を出て小雨の中市ヶ谷の法政大学へ。5時からスタジオ課題。各メンバーが中間講評後のチューンアップを発表。皆少しずつ進んではいるようだが突き抜けたアイデアはない。僕たちは講評の中で近代建築史のさまざまな例をとり上げるのだがまったく伝わらず学生たちの知識が余りにも乏しいことに愕然とする。途中で佐々木君の堪忍袋の緒が切れかける。つまらないアイデアに付き合わねばならない自分に対する怒りである。来週までにもう少し突っ込んでスタディするように伝えて7時過ぎに終了。大学を出て駅近くの居酒屋で佐々木君と夕食。思わず法政大学の建築教育に対する不満が吹き出すが今更改革の余地はない。8時半過ぎに解散。9時に事務所に戻る。10時前に帰宅。久しぶりに娘が帰宅している。風邪で咳が止まらず休息に戻ったそうだ。僕もやや風邪気味なので早目に就寝。


2013年06月18日(火)

5時過ぎに朝日の木漏れ日で目が醒める。僕たちの部屋は東山に面しているので強烈な朝日を恐れていたが杉の木立や建物前の照葉樹の低木が直射日光を遮り微かな光を通すだけで暑さは届かない。あらためて植樹の重要さを実感する。おまけに鶯の鳴き声まで聞こえてきたのでホテルの演出かと耳を疑う。ともかく静寂に満ちた目醒めである。窓を開けて外の空気を思い切り吸い込む。しばらく布団の中から庭を眺める。7時起床。7時半にホテル内のレストランで朝食。韓国人や中国人の旅行客が多い。9時半過ぎにチェックアウトし9時45分ホテル発の京都駅行リムジンに乗車。車内は外人客で満員。京都駅で村松さんと別れ櫻井さんと二人で10時17分京都駅発の東海道線に乗り大阪方面へ向かう。昨日見学したオムロンセンターは朝日を遮るためにアルミの縦ルーバーが完全に閉じられロールブラインドも完全に下げられていた。これからの夏は大変だろう。茨城駅で下車しタクシーで「地面と屋根上の家」に11時前着。竹原義二さんと設計者の香川貴範+岸上純子夫妻が迎えてくれる。敷地は幹線道路から一区画入った角地。6.4m×4.8m平面木造2階建ての単純な箱型住宅だが1階の天井高が6m近くあるので実際の高さは3階建てに近い。外装は全面がグレイの化粧鋼板平葺き。1階は一室空間で中央に小さなRC造ドームがあり玄関とLDKを仕切っている。ドームの中は半地下の浴室+洗面所である。2階は中央のホールを挟んで3つの小さな寝室。屋上全体はデッキになっている。仕上げが石膏ボードパテしごき白のAEP塗という定番なのが気になる。時間が経過すると汚れが定着し埃っぽい印象になるからだ。香川さんは東工大の塚本研出身だそうだ。11時半にお暇し近くのスパゲッティ屋で昼食を摂った後タクシーで茨城駅へ。再び東海道線で京都方面に向かい京都駅で櫻井さんと別れ竹原さんと二人で膳所(ぜじょ)駅にて下車。約束の3時から1時間以上も早く着いたので駅構内のカフェで一服。設計者の河田剛さんに電話し駅まで迎えにきてもらう。タクシーで15分で「公園と住宅」に到着。名称通り道路を挟んで公園前の閑静な住宅街に建つ木造2階建ての住宅。建物全体が公と私の二つの部分に分けられ間に外部空間(庭)が流れ込むイメージの平面。平面図ではそれが分かるが現実にはそれほど実感できない。仕上げはやはり石膏ボードパテしごきAEP白。家具は多様な合板を使い分けている。やりたいことがテンコ盛りでこなれておらず一言で未完成な印象である。詳細な講評は竹原さんに任せて僕は和室でしばらく休憩。3時半にお暇し大津駅までタクシーで戻った後京都駅へ戻る。竹原さん、河田さんと別れ4時前に京都駅発ののぞみに乗車。6時過ぎに東京駅着。表参道で簡単に夕食を済ませ7時半に事務所に戻る。ボンヤリと審査結果の整理。9時に帰宅し風呂に入って汗を流した後早目に就寝。

往復の新幹線の中で『庭師小川治兵衛とその時代』)(鈴木博之:著 東京大学出版会 2013)を読み終わる。日清戦争開戦から太平洋戦争の終焉に至る約50年間の日本の近代化の展開に山県有朋の「無隣庵」から「強力わかもと」で財を成した長尾欣弥の「好田荘」に至るまでの小川治兵衛の近代造園史を重ね合わせながら鈴木はこう締め括っている。
「日本の近代化めざす琵琶湖疎水とともに生まれた小川治兵衛の庭は、山県有朋によって日本の近代化を初めて表現した無隣庵庭園としてそのすがたを表わし、幅広い世界をつくり上げていった。そして山県がつくり上げた大日本帝国が五十年を経て崩壊していくに際して、岩崎小彌太が財閥解体を目前にして鳥居坂本邸に籠りながら眺め、近衛文麿が末期の目で見つめたのもまた、小川治兵衛の庭であった。小川治兵衛は、日清戦争の勝利にはじまり太平洋戦争の敗戦に終わる、すなわち山県有朋にはじまり西園寺公望をへて近衛文麿に終わる日本の近代化のプロセス、そのプロセスをになった山県、西園寺、近衞という大三角形をまるごと包み込む庭園をつくり上げたのであった。」
庭園の近代化とは具体的に言えば江戸までの象徴主義的な庭園から自然主義的な庭園への転換つまりメタファーに満ちた庭園からザッハリッヒで機能的な庭園へ外部から眺め読み取る庭園から内部に身を置き逍遙する庭園への移行といっていいだろう。それは装飾を支えていた共有コードが解体しザッハリッヒな機能主義に移行していった近代建築史に重なっている。それはまた建築から装飾が失われていく経緯を描いた『建築の世紀末』にも明らかに重なり合っている。僕が初めて「無隣庵」を訪れたときに感じた戸惑いは庭をメタフォリカルに読み取ろうとする僕の中の無意識でステレオタイプな図式が一瞬揺るがされる感覚だったのかも知れない。


2013年06月17日(月)

7時起床。8時半出社。日記を書き込んだ後9時に事務所を出て東京駅へ。10時前発ののぞみに乗り12時半に新大阪着。JR東海道線に乗り換えて大阪駅で下車。北口から出てブリッジを渡りグランフロント大阪の北館4Fの無印良品へ。ブリッジから直ぐ左のエスカレーターを上り4階の脇にある無印住宅「木の家」の1/2スケールのモデルハウスを見学する。責任者の千葉さんに概要の説明を受ける。1/2とは実に不思議なスケールである。2階のベランダが首のあたりにくる。小さなスケールだと細部に気になる点が一層浮かび上がってくる。ディテールをもう一歩踏み込めばキレのいいデザインになるのにナァと感じるのは建築家の勝手な思い込みかもしれない。スタッフと一緒に記念写真を撮った後1時半にお暇する。2時前に大阪駅発の快速で京都駅から二つ手前の桂川駅で下車。新しくできた駅で駅前広場は閑散としている。元キリンビールの工場だった跡地は再開発工事の真最中である。南方向に歩いて10分で東海道線脇の敷地に建つ「オムロンヘルスケアセンター」に到着。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。玄関ホールで鹿島建設のプリンシパルアーキテクト米田浩二さんに挨拶。約20分待って村松映一、竹原義二、岸和朗、櫻井潔の四氏が到着する。2階の会議室で建物の概要説明を受けた後に約1時間をかけて建物内外を見学。6階建の細長いオフィスと実験棟の間にアトリウムを挟んだ南北に長い建築である。2階建ての東側低層部は屋上緑化され楕円形平面の食堂が載せられている。東西面にバルコニーを通し回転式の縦ルーバーを付けて朝日と西日を制御している。外装のデザインは南北に細長い建物配置から来ている。全体的に考え抜かれた建築だがデザインの基本的な前提条件である配置計画に疑問が残るので評価は宙ぶらりんにならざるを得ない。個人的には建物全体に薄膜が被せられたような印象を受ける。表層がすべて化粧だからである。4時半終了。2駅先の京都駅に行き南口に出てウェスティン都ホテルのリムジンバスに乗り5時半過ぎにホテルに到着。ホテルの和風別館である村野藤吾設計の佳水園(1959)にチェックイン。巨大な自然岩の脇に沿って建てられた木造数寄屋建築の客室群である。庭の説明文を読むと小川治兵衛の長男の白楊の設計とある。岩に沿って流れ落ちる小さな滝は琵琶湖疏水から引かれた水だという。丁度鈴木博之さんの『庭師 小川治兵衛とその時代』を読んでいるところなので少々興奮する。僕たちの部屋からはこの庭は見えないので岩の上に建てられている部屋まで上りスタッフの女性に頼み込んで部屋と庭を見せてもらう。竹原さんはこの部屋から屋根と庭を見下ろす撮影に何度か立ち会ったことがあるそうだ。6時半にホテルを出てタクシーで東山区西御門町の「湧美」へ。岸和郎さんが予約してくれた小さな料亭である。村松、竹原、岸、櫻井、僕の5人が参加しまずは竹原さんの退院と櫻井さんの独立を祝してビールで乾杯。その後フルコースの和食と冷酒の絶妙な組み合わせに舌鼓を打つ。酒が進むに連れて建築談義が盛り上がる。9時半に終了。村松、櫻井両氏とタクシーでホテルに戻りピアノバーで呑み直し。お二人の建築談義を脇で聞く。櫻井さんは独立後の夢を語り続ける。12時前に終了。部屋に戻り風呂に入った後夜半過ぎに就寝。


2013年06月16日(日)

7時半起床。9時半出社。石山研究室から石山修武第92信が届いたので直ちにXゼミサイトにアップ。昨日採点が終わった放送大学通信指導の結果に再度目を通し間違いがないかどうかをチェックする。451冊の回答書をダンボールに詰め梱包した上で運送屋に電話し回収を依頼する。午後1時過ぎに取りに来てくれた。鹿児島県建築士会からメールが届く。8月のお盆開けに鹿児島県内之浦のロケット打上場で池辺陽に関する講義を依頼される。若干のスケジュール調整の後に快諾する。1960年代初期から70年代にかけて建設されたのでどの建物も完成から40年以上経過してかなり痛んできたという話である。この時点で建築士会が気にし始めた直接的なきっかけが何なのかよく分からないが僕が見学したのも1980年代後半なので現状がどうなっているのか気になるところである。先頃神奈川大学の曽我部昌史さんから避難壕の保存に関する問い合わせがあったが近代建築の保存に関する意識がロケット打上場にまで届いたのかも知れない。知られざる池辺の代表作なので何らかの形で残って欲しい。午後は5月分の帳簿整理。AliaNewsの原稿スケッチ。夜は娘との会食を約束していたが体調が悪いようなので延期。妻と近くのイタ飯屋で簡単な夕食。9時半帰宅。風呂に入り汗を流す。しばらく休止していた『庭師 小川治兵衛とその時代』の読書を再開。第6章「数寄者たちの創造のあり方」に進む。これまで建築にばかり眼を向けて漫然と見ていた庭園の世界が少しずつ浮かび上がってくる。夜半就寝。


2013年06月15日(土)

7時起床。8時半出社。曇りで蒸し暑い。メールチェックした後事務所を出て千代田線南北線を乗り継ぎ市ヶ谷駅で降りて法政大学建築学科へ。9時半からM1スタジオの中間講評。佐々木+難波スタジオ、冨永スタジオ、網野スタジオの学生21人が発表。それぞれの課題について相互批評を含めディスカッション。課題が変わったこともあり昨年に比べてずっと面白い講評だった。1時前終了。佐々木君と蕎麦の昼食を摂った後2時過ぎに事務所に戻る。「148本・箱の家」の詳細と展開図の打ち合せ。通常の「箱の家」に比べると難しい点が多い。3時終了。その後は放送大学通信指導の採点再開。5時過ぎ所内掃除6時に解散。僕はそのまま採点を続け10時に450人余の採点をすべて終了。頭の芯まで疲れる。帰宅しシャワーを浴びて汗を流しウィスキーを煽って夜半就寝。


2013年06月14日(金)

7時起床。8時半出社。相変わらず雨が降り続いている。竹原義二さんからメールが届き退院したそうだ。17日(月)の現地審査には同行できるという。何よりである。高間三郎さんから電話。釜石プロポーザルの結果に対する感想。高間さんは僕たちと小嶋君たちの2社に協力したので喜びもひとしおだろう。僕たちの頑張りを讃えてくれたが負けは負けである。今日は一日放送大学通信指導の採点に集中。採点と休憩の機械的な反復を続けるうちに受験勉強の頃を思い出す。間に休みを取りながら300人を採点。残すところ100人である。90点台はざらだが非の打ち所がない満点回答が1人だけいた。どこかの大学が授業で放送を聴かせているようだが酷い結果である。真面目に放送を聴いているとは思えないし当然テキストも読んでいないのだろう。10時前終了。10時過ぎ帰宅。頭の芯まで疲れたのでゆっくりと風呂に入り夜半就寝。


2013年06月13日(木)

7時起床。8時半出社。昨日から雨が降り続き涼しい。まだ疲れがとれていないようで身体が怠い。本庄の工務店に電話し「147小暮邸」の見積査定について界工作舍の意図を説明する。初めて「箱の家」を見積っているので少々戸惑いがあるらしいが僕としては何とか新しい工務店と付き合ってみたい。何よりも見積の内容に意欲が感じられる。こうした機会は大切にしなければならない。前向きの回答をもらったのでその旨を小暮さんにメール報告。だんだん締切が近づいてきたのでAliaNewsの原稿のスケッチを早める。方針が定まってきたのでいつでも書き出せる状態になった。長野の役所からプロポーザルコンペへの参加要請メールが届いたので遠藤君や芳賀沼君に転送し対応について相談。先週末に届いた放送大学の中間試験回答の採点要領を読みネットにアクセスしてみる。WEB採点の手順が何とか理解できたので夕食後から採点を開始する。約450人が回答書を提出しているのでいちいちゆっくりと回答を読んでいたのではとても終わりそうにない。あらかじめ作成しておいた模範回答の4点をとり上げているかどうかをチェックしコメントして行く。採点はWEBの採点表に書き込む形式である。回答書は各人に返送されるのでコメントとサインは必ず書き込まねばならない。第2回放送の「仮設住宅」に対する反応が多いようだ。第8回「エコハウス」までの放送に対する問題だがエネルギーに関する指摘が少ない点が気になる。「建築の4層構造」の総体を理解している人は今のところ見当たらない。夕食後8時過ぎから9時半までに50人を終える。慣れればもっとペースが上がるから今週中には終えられそうだ。10時過ぎに帰宅。


2013年06月12日(水)

6時半起床。シャワーを浴びた後7時過ぎに1階のレストランで朝食をしっかり摂る。部屋に戻り昨日の日記をまとめてHPに書き込む。9時過ぎにチェックアウトし9時15分のロビーに集合。車2台に分譲し釜石に向かい11時前に市役所前に到着。コンテナ型の2トントラックに巨大な模型を積んできたチームがいる。審査会場に行くと唐丹地区の審査が進行中である。壁に張られたプレゼンテーションに眼を通す。一旦外に出て「KAMAISHIの箱」の近くのラーメン屋で昼食を摂り12時半に市役所に戻る。遠藤研究室の院生に手伝ってもらい模型を控室に運び込む。鵜住居地区のチームの模型はみな大きい。12時45分に籤引きで発表順を決める。僕たちは最初になった。直ちに模型を運び込み1時からプレゼンテーション開始。10分の発表と10分の質疑応答。最初に小野田泰明さんから建設費の問題を指摘される。僕は仕様の標準化を徹底することで建設費を抑えるつもりであると応えたが自動車道をキャンパス内に引き入れる土木的な工事に対する疑問は払拭できなかったようだ。3時半に全5チームの発表が終了。5時から審査結果の発表。唐丹地区は乾久美子、鵜住居地区は小嶋一浩+赤松佳珠子(シーラカンス)が最優秀となり僕たちは鵜住居地区の次点となった。トラックに巨大な模型を積んできたのは小嶋+赤松チームだった。案の内容で僕たちの案が劣っているとは思えないが模型の巨大さとプレゼンテーションの仕方において完敗といわざるを得ない。それはプレゼンテーションの際の審査員の反応を見ていて直感できた。各チームのプレゼンテーションを聴きながら絶えず脳裏を過ったのはクリストファー・アレグザンダーの論文「都市はツリーではない」である。敷地条件を含めてこのプロポーザルの与条件は間違いなく通常以上に錯綜したセミラチスである。それをツリーの重なりに解きほぐして建築化できるかどうかが勝負だと考えていたがそれを達成しているのは僕の見るところ僕たちの案と小嶋+赤松のチームの案だけだった。決定的な相違は掛けたエネルギーである。審査委員がそれを熱意の相違として受けとめるのは如何ともし難い。伊東豊雄さんを初めとする審査委員の総評の後5時に審査会はすべて終了。直ちに模型を運び出し5時半に釜石を発ちレンタカーで北上駅へ7時前着。車内からプロポーザルメンバーへ結果報告のメールを送る。7時4分北上駅発の新幹線はやてに滑り込む。車内ではあれこれ想念が駆け巡る。10時東京駅着。10時40分に事務所に帰る。スタッフに結果を報告し11時帰宅。ウィスキーを煽った後夜半就寝。長い一日が終わる。


2013年06月11日(火)

7時起床。8時半出社。朝から小雨である。釜石プロポーザルのシナリオをプリントアウトし画像に合わせて読み上げてみる。与えられた時間内に納めるためシナリオを縮小する作業を2回繰り返しようやく時間内に納めることができた。本番では時間が押すことは間違いないのでさらに縮小する必要があるかもしれない。「147小暮邸」の査定について栃内と打合せ。リストにまとめコメントを添えて工務店にメール送信する。昨日のクライアント候補から電話があり6月23日(日)に飯田の敷地調査に行くことになった。高速バスが最も便利だというので早速インターネットで予約。それでも最寄りの停車場まで片道4時間のバス旅行である。6時半に事務所を出て東京駅へ。台風の影響で雨が激しくなっている。7時半発の東北新幹線はやてに乗車。遠藤君とスタッフと待ち合わせ10時過ぎに北上駅着。芳賀沼さんも同じ便に乗っていたのでホームで合流。改札口付近で乾久美子さんのチームに出会う。彼らは明日午前中のプレゼンテーションなのでこれから釜石に向かうのだろうか。3個の模型の箱を持っていた。歩いて15分で予約したビジネスホテルへ。ウィークデーのせいか北上の繁華街は閑散としている。ホテルにチェックインした後直ちにロビーで発表者3人のリハーサル。僕と遠藤君は何とか時間内に納まったが芳賀沼さんが時間オーバーしたのでさらに3回繰り返す。何とか時間内に納まることを確認して11時半に終了。部屋に入り着替えた後大浴場で汗を流す。メールチェックしてから夜半過ぎに就寝。


2013年06月10日(月)

7時起床。8時半出社。曇り。昨日クライアント候補から届いた資料に眼を通す。10時に長野県飯田市のクライアント候補が来所。5歳と2歳の幼い子供を持つ30代半ばの夫人である。エンジニアであるご主人が東京の勤め先を辞めて故郷の役所へ勤め始めたことをきっかけに親元の農家の敷地内に「コンパクト箱の家」を建てたいという。厳しい予算だが小さな家なら何とかなりそうなのでまずは来週末に敷地調査に伺うことになった。11時過ぎ終了。その後はひたすら釜石プロポーザルのプレゼンテーションスライドに関するメールのやり取り。僕が担当する冒頭部分についてあれこれ考える。ワークショップや完成後のフォロー等について説明する芳賀沼さんの担当部分がほとんど手つかずなので気になる。今夕全体の打ち合せを持つことになっていたが皆先約があり中止。夕方から夜半にかけてメールのやり取りが激しくなる。明夕までにプレゼデータを釜石市に送る必要があるがプレゼンテーション寸前までに差し替えも可能なので明晩のホテルで最終のシミュレーションをすることとする。10時帰宅。ベッドの中でiPadでスライドを見ながら夜半就寝。


2013年06月09日(日)

8時起床。9時過ぎ出社。晴れで蒸し暑くとても散歩に行く気にはなれない。午前中はボンヤリと読書。午後ははりゅうウッドスタジオから釜石プロポーザルのプレゼンテーションの方針に関するメールが届いたのでプレゼンテーションのシナリオの作成を開始。遠藤君がつくった叩き台をもとにストーリーを組み立て僕、遠藤、芳賀沼の担当に分けて構成する。3時前にまとめてメンバー全員に送信。6時過ぎ遠藤事務所が来所。彼らが作成したスライドショーを見ながら意見交換。途中スライドの構成や映りが悪い部分についてはりゅうウッドスタジオに電話し修正を依頼する。8時前終了。その後僕が担当する部分のスライドを編集しメンバーに送信。10時半帰宅。

昨日鹿島出版会から『環境としての建築』(レイナー・バンハム:著 堀江悟郎:訳 SD選書260 鹿島出版会 2013)が届く。久しく絶版になっていてアマゾン古書では途方もない値段がついていたがようやく学生にも手が届く価格で手にできるようになった。サステイナブル・デザインの古典的な名著で難波研究室の必読書30の一冊である。初版は翻訳が堅く専門用語も熟れていないので改訂版を期待していたのだが残念ながら再版である。環境デザインの視点から近代建築史を辿った内容でライトやル・コルビュジエの建築が環境デザインの視点からとらえ直されている。オイルショック前の著作だが省エネ建築への潮流もとり挙げられている。欧米の建築史には技術史的観点がほとんどないのでこの種の本は世界的にも貴重である。日本にも『建築設備技術の変遷』(建築設備技術者協会:編 1999)のように設備技術史の本はあるが建築デザインとの関係にまで踏み込んだ本はない。鹿島出版会にはこの勢いで『第一機械時代の理論とデザイン』の改訂版を出して欲しいものである。


2013年06月08日(土)

7時起床。8時半出社。曇りで少し暑い。いつものようにキャットストリートに出て明治通りとの交差点を左折し青山方向へ坂を登る。住宅展示場はまだ完成していない。全景が見えるようになったが各住戸の方位を無視した配置に唖然とする。子供の城の裏を通り紀伊国屋前で青山通りに出て9時半に事務所に戻る1時間の散歩。午後のレクチャーのシナリオをプリントアウトして目を通す。昨夜の構造打ち合わせにもとづいて釜石プロポーザルのプレゼンテーション図面を修正し断面図に見えがかりを描き入れて密度を上げる。午後2時すぎに事務所を出て千代田線南北線を乗り継ぎ東大前へ。3時前に建築学科3階の講評室へ。娘も来ている。川島範久君の挨拶の後 バークレーから来日したDana Buntorock教授のレクチャーから開始。世界的なエネルギー事情に関する統計データを示しながら日本における建築家の対応を批判する内容で否定し難い説得力はあるが東北での彼女の個人的な体験と統計データを結びつけるという僕から見れば完全な「禁じ手」でいささか興醒めする。要するに高見から見下ろした評論家的発言なのである。Think Global , Act Localはエルンスト・F・シューマッハーが『スモール イズ ビューティフル』(小島慶三+酒井懋:訳 講談社学術文庫 1986年)で唱えた格言だがBuntrock教授のレクチャーはThink Global ,Think Localに過ぎない。それは分散的なAct Localの努力を理解しないアカデミズムが陥り勝ちな錯誤である。僕としてはサンフランシスコの弛緩した建築群を指摘して遠回しに反論したがまったく通じなかった。引き続き僕は「快適さの主体性---建築デザインにおける問いかけについて」と題して建築的認識のカント的主体性について話す。要するに建築の物理的な特性がもたらすのは身体的で受動的な快適性だが物理的特性を含む建築に込められた意図を理解しそれを問いかけとして受けとめるところからもたらされるのは能動的で主体的な快適性であるという主張である。身体的な快適性を否定した訳ではなく人間には課題を乗り越えて自分を克服しようとする性向から来る精神的な快適性があることを指摘したつもりだが錯綜した議論なので会場の反応は今一。引き続き末光弘和君や中川純君の短いレクチャー。中川君が僕の問いかけに何とか前向きに応えようとしているのが印象に残る。その後参加者全員のディスカッション。5時半終了。6時半帰宅。栃内と「147小暮邸」について打ち合せ。見積査定が遅れているので早急にまとめるように指示。7時帰宅。夕食後は遠藤君が作成した釜石プロポーザルのプレゼンテーションに眼を通す。風呂に入って疲れをとった後夜半就寝。


2013年06月07日(金)

7時起床。8時半出社。晴れで暑い。午前中は遠藤事務所から届いたプレゼンテーションシナリオのチェック。明日のレクチャーのシナリオスケッチをまとめて川島範久君と中川純君に送る。バークとカントの崇高論をモチーフにしたデザイン論である。午後1時過ぎ秋田から「148・本箱の家」のクライアント天雲成津子さんが来所し詳細の打ち合せ。図書館のような住宅なので可変性と機能性が問題である。外壁回りの本箱以外はすべて可動にすることになった。吹抜けに面した本棚のキャットウォークや踏台についても検討。階段に面した本棚のキャットウォークは折畳式にすることになった。最後に今後のスケジュールについて打ち合せ。6月下旬に再度秋田に行くことを決めて4時過ぎ終了。直ちに事務所を出て霞ヶ関の商工会館へ。5時から「ログハウス建築コンテスト」の表彰式。審査委員長の安藤邦廣さんや林野庁長官に挨拶。83点の応募のなかから「KAMAISHIの箱」が軸組構法の奨励賞を受賞した。表彰作品のパネルを見たが興味がもてるような建築はない。業界内でなければ表彰の機会はないような建築ばかりである。芳賀沼さんと早々に退席。簡単な食事の後7時半に事務所に戻る。間もなく遠藤事務所と佐々木事務所が来所。8時から釜石プロポーザルの構造システム確認の打ち合せ。複雑なシステムなのでディテールの標準化の可能性について意見交換。9時過ぎ終了。引き続きプレゼンテーションの分担について打ち合わせ。日曜日に再度打ち合せをすることを決めて10時過ぎ解散。10時半に帰宅。ベッドの中で明日のレクチャーのシナリオを見ながら夜半就寝。


2013年06月06日(木)

昨夜は1時過ぎに帰宅しベッドの中でiPadを使ってメールのやり取りを続ける。3時過ぎに一通り打ち合せを終え作業に入ったのでそのまま眠り込み7時半に起床。9時過ぎに出社。スタッフは担当の作業を終えたばかりで青白い顔をしている。8時過ぎに最後の図面を送ったらしい。10時から明日秋田から天雲さんが来所するので問い合わせのあった「148本・箱の家」の条件について一通り打ち合わせ。明日の準備をして午後は代休とする。僕は一人残って土曜日のスピーチ準備。スライドは使わないのである程度詳細なシナリオを作成しなければならない。レジメはそれをA4版1枚にまとめたものにする予定。4時過ぎはりゅうウッドスタジオからプロポーザルの書類を無事に釜石市役所に届けたという連絡が入る。入れ違いに釜石市役所からプレゼンテーションの叩き台を明日夕方までにメールしてくれという依頼の電話が入る。12日のプレゼンテーションのソフトを確認するためだそうだ。直ちに遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオに伝える。引き続き住宅部品メーカーのリビングアメニティ協会が発行している月刊誌「ALIA NEWS」の巻頭言のスケッチ。本誌に建築家が書くのは初めてだそうなので気を入れなければならない。放送大学の準備で学んだ住宅部品に関するテーマを一通りリストアップしてみる。日経アーキテクチャー編集部から電話で環境デザインの特集に「箱の家017」を掲載する承認を求められたが件の研究者が関わっている特集だというので丁重に断わる。9時半に帰宅。ゆっくりと風呂に入り11時過ぎに就寝。

『庭師 小川治兵衛とその時代』は第2章「はじまりとしての山県有朋」と第3章「庭園におけるブルジョワジーと華冑界」を読み終えて第4章「琵琶湖疎水を庭園へ」へと進む。本書は小川治兵衛が造園を担当した邸宅や別荘を通じてそのクライアントやパトロンの活動を描くというスタイルであることが分った。明治時代初期の近代化=西欧化の時期を過ぎて日清戦争が勃発する明治中後期(1920年代末)になると「和魂洋才」の「洋才」が一区切りついて「和魂」が浮かび上がりそれが小川治兵衛の庭園に集約されていると鈴木さんは指摘する。日本の近代化に関する鈴木さんのとらえ方は通常の近代化=西欧化とは異なり錯綜している。山県有朋の京都の無隣庵の庭園をとり上げながら鈴木さんはこう書いている。「近代化を主体的に推し進めれば推し進めるほど、揺らいでくる自己の立場の不安を跳ねのけるものとして、彼らの茶道と庭園はあった。なかでも庭園は、最も心安らぐ場を与えてくれるものであった。(中略)近代がもたらしたものが西洋建築といういかにも地に足の着かない「空間」であったのに対し。庭園には「場所」があったのだとも言えよう」。僕はこのあたりの記述にコンテンツはまったく異なるとはいえ『建築の世紀末』とほとんど同根の精神とスタイルを感じる。石山修武さんは早くも本書を読み終えて「世田谷村日記」にコメントを書いているが、鈴木さんが1970年代の「高山建築学校」の頃から小川治兵衛についてしきりに語っていたという石山さんの想い出からも僕の印象は傍証されるだろう。『手法論の射程』における磯崎さんの観念的である意味ではプレモダンな庭園論に比べると本書における鈴木さんの庭園論は近代的かつリアルである。


2013年06月05日(水)

7時起床。8時過ぎ出社。今日は一日、釜石プロポーザルのプレゼンテーションのために、遠藤事務所、はりゅうウッドスタジオ、佐々木事務所など参加メンバーとのメールのやり取りが延々と続く。界工作舍は構造システムと断面図を担当したので佐々木事務所とのやり取りが頻繁になる。作業を進める内に詳細が気になり始め細かな変更が続き最終的な統合プレゼンテーションでは担当毎に多少のズレが生じる。法政大学のスタジオのために僕は4時半から事務所を抜ける。中間講評まであと10日間なのでそれまでの作業をメンバーに伝える。リノベーションのためには現状の詳細な把握が不可欠であることを学生に念を押す。とはいえ来週水曜日は釜石プロポーザルのプレゼンテーションの日なので対応は佐々木君に任せねばならない。佐々木君からプリッカー賞のニュースと伊東豊雄さんのスピーチ原稿のコピーをもらう。SANAAの妹島さんのスピーチでもそうだったが伊東さんも設計関係者に対する感謝の冒頭に佐々木君の名前を挙げている。2人の建築は佐々木君の構造アイデアなしでは成立しないから当然かも知れない。凄い友人を持ったことに僕としても誇りを感じる。9時前に事務所に戻る。プレゼンテーション作業とメールのやり取りは延々と続き夜半を越えて6日の朝まで続く。予定を少し遅れて6日の9時過ぎにはりゅうウッドスタジオが取りまとめ提出のため車で釜石に向けて出発する。無事の到着を祈りたい。


2013年06月04日(火)

7時起床。8時過ぎ出社。晴れで暑い。睡眠不足で余計に暑さが応える。早目に出勤してきたスアッフと今日の作業について打ち合わせた後10時前に事務所を出て地下鉄で東京駅へ。10時40分発のやまびこ号に乗車。車内で松川淳子さんと待ち合わせ。日本建築士会連合会連合会作品賞の現地審査である。12時前に郡山着。駅構内で昼食を済ませた後磐越西線で猪苗代駅に1時過ぎ着。ホテルのマイクロバスにピックアップしてもらい約30分で「裏磐梯高原ホテル」へ2時前着。1980年代に竣工したホテルのリノベーションだと聞いていたので興味を持った。玄関で竹中工務店の葛さんと碩さんの2人が迎えてくれる。ロビーに入ると正面に弥勒沼という小さな沼越しに磐梯山の火口が見える。リノベーションとしては和室部屋を洋室部屋に宴会室をレストランに会議室を結婚式場などに改装している。ほとんど手を加えた痕跡は見えない。新たに増築したのは浴場だけである。既存建物の構造や外装にはほとんど手を付けていないのでリノベーションというよりも大規模改修に近い。1時間半あまり見学した後レストランで経緯の説明を受ける。4時過ぎに竹中工務店の2人に同行しマイクロバスで猪苗代湖脇の有栖川別邸へ。木造のルネサンス式洋館だが先日見た岩崎邸とは比べるべくもない。猪苗代駅へ4時半過ぎ着。この間プロポーザルに関するメールをやり取りを試みるが電波の状況が悪くイライラする。電波が届かなければiPhone5のデザリング機能も使い様がない。郡山駅でようやくスムースになりチェックバックの返送をくり返す。6時過発のやまびこに乗車し7時半に東京着。車内では松川さんとあれこれ四方山話。かつての吉武泰水研究室出身者も皆60歳を超えたそうだ。8時半過ぎに事務所に戻る。プロポーザルの作業は大詰め。疲れが噴出し10時過ぎ帰宅。iPadでやり取りをフォローするのが精一杯である。ウィスキーを煽り夜半就寝。しかしなかなか寝つかれない。


2013年06月03日(月)

7時起床。昨夜は暖かくして早めに就寝したので風邪は何とか回復したようだ。8時半出社。昨夜から今朝にかけて遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオから届いたメールに返信。今日は一日、プロポーザルに関するメールのやり取りを繰り返す。佐々木事務所、高間三郎さん、ランドスケープデザイナーなどともメールにて意見交換。昨日休んだ界工作舍のスタッフは断面図に集中しているが途中経過を見て進み具合の遅さに少々イライラする。何よりも建築を十分に理解していない点が気になる。ともかく担当した仕事については責任を全うしてもらいたい。6月8日(土)のレクチャーのシナリオスケッチの続行。徐々にストーリーが見えてきた。夜も延々とメールのやり取り。だんだん締切時間が迫ってきた。11時前帰宅。明日は日本建築士会連合会作品賞の現地審査なのでウィスキーを煽って床に就くがなかなか眠れない。夜中にもつぎつぎとメールが届く。明け方までまんじりともせず寝返りをくり返す。


2013年06月02日(日)

8時過ぎ起床。昨夜、いろいろなことを考えながら朝方まで眠れなかった。おまけに窓を開けたまま寝たので風邪をひいたらしく頭痛がする。朝食後、再び横になりiPadで日記を書き込みプロポーザルの図面をチェックする。昼までグダグダと過ごし何とか頭痛が消えたので1時過ぎに起床する。事務所に出てコンセプトの整理。3時に妻と家を出て湯島の岩崎邸へ。ゆっくりと庭園まで見学していたら近現代建築資料館が4時半閉門だと聞き急いで入館。代々木国立競技場と新国立競技場の展示を見学する。日曜日のせいか見学者も多い。年配の人がほとんどだが建築関係の人もチラホラ見受けられる。新国立競技場の展示ではやはりザハ案の周りに人が集まっている。モニュメンタリティの点では確かに頭ひとつ抜き出ているが21世紀にモニュメンタリティが必要なのか改めて考えさせられる。閉館ギリギリの5時まで居座り追い出されるように会場を出る。その足で湯島天神へ赴き境内でしばらく休む。合格祈願や合格祝の絵馬が折り重なるように吊り下げられている。頭がまだボンヤリとしているので千代田線湯島駅から赤坂駅まで戻りスタンドバーでビールを呑む。6時半から早目の夕食。8時過ぎに帰宅。しばらく図面を見るが頭痛が再発。完全に風邪を惹いたようだ。9時半に帰宅。風呂に入り早めに就寝。


2013年06月01日(土)

7時起床。8時過ぎ出社。8時半に事務所を出る。晴れでやや暑いので上着は羽織らずシャツだけで出掛ける。明治神宮前駅で副都心線に乗り和光市で東武線快速に乗り換えて東松山駅に10時前着。歩いて10分余で「146阿部邸」敷地へ。まだ誰も来ていない。既に縄張りがしてあるので建物の配置を確認する。日当りを考慮して北側に寄せたのだが既存の樹木の枝をかなり切り落とすことになりそうであることが分った。間もなくTH-1の朝倉社長と2人のスタッフが車で到着。栃内、阿部夫妻、阿部さんのお母さんが到着。樹木との関係について話し合い建物全体を南へ45㎝平行移動することに決める。敷地中央に紙を敷き塩、米、酒を置いて略式の地鎮祭開始。二礼二泊一礼の後阿部夫妻と朝倉社長が敷地四隅に塩、米、御酒を撒き再び二礼二泊一礼して終了。そのご近所への挨拶。11時過ぎに終了。来週初めから工事を始めることを確認して解散。歩いて東松山駅へ戻り1時過ぎに事務所に戻る。3時前遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオが到着。まもなく佐々木事務所が到着。釜石プロポーザルの構造の打ち合せ。佐々木君から再び意外なアイデアが飛び出す。高低差があるので屋根構造のシステムについてあれこれスタディをくり返す。2時間かけて基本方針を決め5時半前に終了。佐々木君が帰った後も佐々木事務所スタッフ2人と細かな打ち合わせ。6時終了。引き続き遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオとで平面計画の再検討。プレゼンテーションの構成について検討し作業分担を決めて7時半終了。夜は界工作舍の分担作業を開始。残すところ4日間。全力を挙げて集中するしかない。

鈴木博之さんから『保存原論---日本の伝統建築を守る』(鈴木博之:著 市ヶ谷出版社 2013)が届く。東京駅や日土小学校を初めとする保存・復原の仕事のまとめである。保存・復原に対する鈴木さんの執念が伝わってくる本である。早速お礼のメールを送る。


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