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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2013年05月31日(金)

7時起床。8時半出社。キャットストリートから表参道を下り南青山を回る1時間の散歩。9時半に帰社。既に飯塚が出社している。午後の打ち合わせのための準備である。石山研究室から石山修武第91信が届いたので直ちにXゼミサイトにアップする。日記をまとめた後昨日もらったVITA HEIMの資料に目を通す。外壁が左官仕上げだったりグラスウール断熱材の結露対策が不備である点などエネルギーや生産の点で明確なヴィジョンがあるわけではないが当面のライフスタイルに関してはそれなりの提案があるようだ。3時前遠藤事務所と高間三郎さんが来所。釜石プロポーザルの環境デザインに関する打合せ。エネルギーインフラから空調システムに至るまでのアドバイスをもらう。高間さんはこの種のプロポーザルではエネルギーの問題があまり重視されないことを嘆いていた。しかし今回は町全体の再生だからエネルギーインフラに関する提案までを含んで然るべきだろう。基本的な点を確認して5時過ぎ終了。その後遠藤事務所と配置図について打合せ。細部にまだ多くの問題点が残っているが基本計画については確定し明日の佐々木事務所との打ち合わせに備えることとして6時半に終了。夜はエスキス続行。2社の工務店から「147小暮邸」の見積もりが届く。かなり厳しい金額である。比較表をまとめて小暮夫妻に報告メールを送る。来週中には査定をまとめれ工務店とのネゴシエーションを行う予定。9時半帰宅。iPadで釜石プロポーザルの図面を見ながらあれこれ考える。

『庭師小川治兵衛とその時代』を読み続ける。日本の近代化を東京ではなく京都の琵琶湖疏水計画を通して論じようとしている点が鈴木さんらしい。読みながらなぜか『建築の世紀末』が何度も脳裏を過る。どことなく視点が類似しているように思えるからである。


2013年05月30日(木)

7時起床。8時半出社。釜石プロポの配置検討続行。微調整が続く。9時過ぎに事務所を出て地下鉄銀座線で上野へ。10時発のスーパーひたちに乗車。車内で鈴木紀慶さんと待ち合わせ。約10分遅れて11時過ぎに勝田駅到着。改札で日立ライフのメンバーと待ち合わせ。車で5分でVITA HEIMモデルハウス展示場に到着。木造の営業所を設計したのは現代計画研究所だそうだ。早速モデルハウスを見学。庇と袖壁のシルエットがムジハウス「木の家」に似ているが庇の出が小さい。外壁は左官に吹き付け仕上げ。内部は完全な一室空間だが吹抜けは小さい。構造体が一部アラワシになっている点も「木の家」に近い。全体的にヘヴィーな印象で「木の家」ほどキレはよくないがハウスメーカーに比べると頭ひとつ抜け出している感じである。30分ほど見て直ちに市内の鰻屋で昼食。1時前に店を出て日立市の日立ライフ本社へ。佐藤修二社長を初め幹部の人たちに挨拶した後1時からレクチャー開始。「箱の家の展開1995-2013」と題して1時間弱喋る。その後鈴木紀慶さんと30分の対談。会場から質疑応答を受けて2時40分に終了。直ちに会社を出て小雨の中を日立駅間で歩く。妹島和世さんが設計した軽快な駅である。駅舎内をザッと見回った後4時発のスーパーひたちに乗車。車内では鈴木さんとあれこれ四方山話。5時半過ぎに上野駅着。6時半に事務所に戻る。夜は釜石プロポの配置図をチェックバック。昇降口や校舎の詳細について検討を依頼するメールをメンバーに送る。残すところ1週間である。本当に難しいプロポーザルである。

鈴木博之さんから『庭師小川治兵衛とその時代』)(鈴木博之:著 東京大学出版会 2013)が届く。磯崎新の『手法論の射程』第1部の庭園論を読み終わったばかりなのでそのまま本書を読み始める。お礼のメールを送った後にまずは序「哲学の道」と「あとがき」を読む。序の冒頭で鈴木さんはこう書いている。「この物語は、日本を代表する文化のひとつである庭園について語るだけでなく、日本が近代化を進めるなかで誰が庭園に魅せられ、どのような庭園をつくりあげたかを語り、そのことによって日本という国の近代化性格自体を考えようとするものなのである」。なるほどこれは僕としても気を入れて読まねばならない。第1章「近代化のなかの琵琶湖疎水開発」に進む。鈴木さんとの最後の関西旅行で見学した山県有朋の「無隣庵」を思い出す。


2013年05月29日(水)

7時起床。8時半出社。昨夜の打ち合せを検討。遠藤事務所からスタディ模型の写真が届く。屋根のシルエットにまだ引っかかりを感じる。改めて昨日の打ち合せの図面を振り返りスケッチを繰り返す。遠藤事務所からの図面を待ち続けるがなかなか届かない。果たして収斂するだろか。少々心配になってきた。ボストンから佐々木事務所の質問メールが届いたので僕の分かる範囲で解答する。フリックスタジオから『坂本一成 住宅巡り』(坂本一成:監修 flick studio 2013)が届く。八王子市立美術館で開催中の「坂本一成 住宅めぐり」点のカタログである。僕の短文も掲載されている。午後は「POST ARCHITECTURE.ENERGY.JAPAN.2012」のスケッチを開始する。スライドは使わないレクチャーにするためには明確なシナリオをつくらねばならない。まずは関連するテーマをリストアップしてみる。結論は明確なのだがそれを説得的に話すには論理展開を明確にしなければならない。LATsの内容を反芻しながら組み立てて行く。4時過ぎ小雨の中事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時からスタジオ課題開始。今日は佐々木君がいないので僕1人で対応する。前回に引き続き各人のプログラムの続行。徐々にメンバーの力量の差が出始める。1時間半の議論の後「メタル建築論」のレクチャー。東大の大学院で2回に分けたレクチャーを一回でやろうとしたがやはり無理だった。最後は尻切れトンボで終わる。次回までに現状の精確な図面を起こすことを指示して8時終了。9時過ぎに事務所に戻る。遠藤事務所から配置図が届いていたので大急ぎでチェック。スタッフに図面化を指示する。10時過ぎ帰宅。あれこれ考えを巡らせながらブランデーを煽る。夜半就寝。


2013年05月28日(火)

7時起床。8時半出社。晴れで初夏の暑さ。久しぶりに青山墓地方面を回る1時間余の散歩。蒸し暑くてびっしょりと汗をかく。9時半過ぎに帰社。既に栃内が出社している。10時過ぎTH-1とプレカットメーカーが来所。「146阿部邸」のプレカットに関する打ち合せ。いつもよりやや精細な構造なので綿密な打ち合せが必要である。打ち合せは昼過ぎまで続く。僕は天雲さんから届いた「148本・箱の家」に関する質問に対する回答メールを返送。いよいよ詳細な打ち合せに進む。明後日の日立市のレクチャーのスライドを最終チェック。「箱の家」の展開をコンパクトに話す予定。その後はずっと釜石プロポーザルのスケッチ続行。6時半に遠藤くんと芳賀沼さんが来所。ここ数日の打ち合せを踏まえて配置に関する最後の打ち合せ。細かな条件についてひとつひとつ確認しながら意見交換。要求されたプログラムと僕たちのコンセプトを摺り合わせるためにあれこれ試行錯誤をくり返す。遠藤君はこれまでのプロポーザルの経験から重要な問題提起を行う。約2時間かけて三者が共有できる基本方針を固める。細部の検討はまだ残っているがこの線で進めることを決定。早急に図面化し模型に反映させることを確認する。三者の今後の作業担当を決める。遠藤事務所は模型に集中するので僕たちはそのための図面の清書を担当することになった。はりゅうウッドスタジオは敷地造成の詳細な検討と学校のプログラムによるプラニングの検討を担当する。次回の打ち合せ日時を確認して9時過ぎに終了。皆に『リアル・アノニマスデザイン』を贈呈する。9時半に帰宅。先ほどの打ち合せが脳内を駆け巡る。清書した図面が待ち遠しい。『手法論の射程』を読みながら夜半就寝。


2013年05月27日(月)

7時起床。8時半出社。疲れがとれず散歩は休止。那覇、石垣島、西表島に行って自然について何もコメントしなかったが正直言ってどこも荒んだ風景ばかりだったからである。都市化された那覇ではむしろ自然と人工との対比が興味深かったが石垣島では中途半端な都市化に西表島では開発途中の自然にガッカリさせられた。とくに住宅地の風景は蹂躙された荒れた風景ばかりが目についた。至る所に近代化の残滓が溢れていた。那覇で見た墓地はまだしも伝統的な面影を止めていたがバスから見た石垣島の墓地は完全にプレファブ化されていた。映像で見るようなノスタルジックな自然風景は完全に人工的な存在でしかない。この動きを止めることはできないだろう。思い立ってXゼミサイトに「難波和彦第27信」をアップする。今日は一日中釜石プロポーザルの配置について遠藤事務所とメールのやり取り。今後のスケジュールについて検討する。佐々木君は伊東豊雄さんのプリッカー賞授賞式に出席するため明日からボストン行きなので今日中に基本方針を送らねばならない。そろそろ環境デザインの検証も必要である。学芸出版社から6月末に青山ブックセンター本店で開催予定の『リアル・アノニマスデザイン』刊行記念トークイベントへの参加を依頼される。ざっと読んでいろいろ考えるところがあるので快諾する。日建設計の川島範久君から6月8日(土)15:00〜17:30に東大本郷キャンパスの建築学科講評室で開催される「POST ARCHITECTURE.ENERGY.JAPAN.2012」の案内メールが届く。先日レクチャーを頼まれたイベントである。僕はいつもとは趣向を変えて「快適さの主体性---建築デザインにおける問いかけについて」と題して30分の理論的なスピーチを行う予定である。夜、佐々木事務所への最後のメール連絡。その後もはりゅうウッドスタジオや浦部智義さんからの情報が錯綜する。佐々木君には正確な情報が届いたかどうか少々心配になってきた。9時半帰宅。

『手法論の射程』は第1部「シニフィアンの流れと濃度」を読み終わり第2部「リダクション---零地点へ」へと進む。第1部第5章「世界観模型としての庭---「うみ」のメタファー」は庭園史にみる精細な日本空間論である。日本の庭園がすべて「うみ」のメタファーであるという指摘は磯崎独自の解釈なのか通説なのかコメントしようがない。単純に勉強させられた感じである。

アマゾンから『ビッグデータの正体---情報革命が世界のすべてを変える』(ビクター・マイヤー=ショーンベルガー+ケネス・クキエ:著 斎藤栄一郎:訳 2013)が届いたので第1章「世界を変えるビッグデータ」だけを読む。膨大なデータのコンピュータ処理が「量を質に変える」事態についての論である。「すべてのデータの収集」「精度よりも量」「因果関係ではなく相関関係」という3点がビッグデータの原理である。その結果すべての現象が確率として扱われるようになる。『リアル・アノニマスデザイン』で東浩紀が最後のインタビューで述べていることはビッグデータ理論に影響されているような気がする。要するに個の営為を大数の確率的現象の中に霧散させようとしている訳である。


2013年05月26日(日)

6時前に目が覚めるが外はまだ暗い。急いでシャワーを浴びてから日記を書く。7時すぎに1階の食堂でビュッフェ朝食。ロビーで日記をまとめた後HPにアップする。石山さんがスケッチの散歩から戻りロビーに立ち寄る。新聞は昨日の日付である。一旦部屋に戻り荷物を整理した後9時過ぎにチェックアウト。9時半にロビーで建築家の村梶(むらかじ)招子さんとクライアントの國井夫人と待ち合わせ。お二人とも予想よりも若い。直ちに夫人の車で5分ほどの國井邸へ。西向きの緩やかな斜面に沿って南北に長いRC造切妻平屋建ての住宅。住居の手前にフォルクスワーゲン・トランスポーターバンの廃車が置かれ倉庫になっている。石山さんがこの車についてひとしきり蘊蓄を垂れる。河合健二譲りの知識だろう。西面には間口一杯に水平スラブの深い庇と木製のテラスデッキが広がり北側にも水平の浅い庇がついている。専用の玄関はなくどこからでも出入りできる。東西面は全面開口で木枠の引戸である。台風時にはテラスと庇を防風シートで覆うそうだ。面積は70m2程度だろうか。完全な一室空間住居である。屋根も外壁もRC打ち放しに防水材を塗布し内部は断熱材の上に塗装仕上げである。断熱よりもRCの蓄熱輻射が問題だが設計者はあまり気にしていないようだ。西面の直射日光も気になるところ。パイナップルをいただきながらいろいろと話を伺う。國井夫妻は東京から移住してきたという。途中ご主人がちょっと顔を出されたが西表島のリゾート観光を仕事にされているとのこと。村梶さんは名古屋大の建築学科大学院を終了後に手塚貴晴+由比事務所を経て独立し現在は金沢で事務所を開いている。この住宅が独立後最初の作品だそうだ。現地審査のためにわざわざ立ち会ってくれたことに感謝したい。全体としてキレのいい単純明解なデザインは共感できるが単純さと単調さのギリギリの境目にあるような気がする。とくに昨日の芦澤さんの住宅と考え方が似ているのでその感が強い。11時前にお暇して上原港まで送ってもらう。12時の出航まで少し時間があるので港近くの食堂で八重山蕎麦をいただく。その後石山さんはスケッチを始める。僕は遠藤君から届いた釜石プロポーザルの図面をチェック。12時に高速フェリーに乗リ込む。珊瑚礁の近くは穏やかだが外海に出ると時速60キロで走る船は小さな波でも大きく揺れる。甲板に座った観光客は船酔いでグロッキーのようだ。僕は低い座席から海を眺める。1時前に石垣島フェリーターミナル着。直ちに路線バスに乗り45分で石垣空港着。出発まで2時間弱あるのでカフェで一休み。4時前に石垣島空港発。機内は満員。3時間弱のフライトで定刻より30分遅れの7時過ぎに羽田空港着。有楽町まで行きガード脇の路上の居酒屋でビールと焼鳥をいただきながらあれこれ四方山話。しかし現地審査の感想はお互いに触れることを避ける。日曜日の夜は観光客らしき人々の酔っぱらいが多い。9時半終了。地下鉄で10時半に帰宅。そのままベッドに倒れ込む。


2013年05月25日(土)

5時過ぎ起床。急いで朝食を摂り6時過ぎに家を出る。晴れで涼しい。外苑駅から銀座線で新橋まで行きJR山手線で浜松町へ。モノレールに乗り換えて羽田空港第1ターミナルへ。週末なので手荷物検査場は長蛇の列。ようやく7時45分に沖縄便ゲートに着く。石山さんは既に並んでいる。定刻8時発。10時半に那覇着。モノレールで首里城の近くで下車。改札口で芦澤竜一さんと待ち合わせクライアントの溝井さんの車で溝井邸へ。緩やかな西斜面に建つ住宅である。周囲はアパートや住宅が建ち並んでいる。坂の上には沖縄式の巨大な墓があり周囲には新旧の墓が建ち並ぶ一帯である。溝井邸はRC造2階建の南北に開放的な住宅で風が通り抜ける。玄関のようなものはなく木製デッキからそのまま部屋に入る。南北には2階までネットが張られゴーヤとパッションフルーツが絡まっている。玄関脇に珊瑚石の壁を立てるのはこの地域の習わしだそうだ。1階の床も地面から持ち上げられ床下を風が通るようになっている。床下には溝井さんが作ったという池があり鯉が泳いでいる。水に触れて冷やされた風が床下を通り抜ける仕掛けで1階に作り付けた机の下の床が堀り込まれ風を取り入れている。1階の床面にも空気取り入れ口があちこちに設置されている。RC屋根による2階の居住性が気になったが輻射熱の影響では特に大きな問題はないという溝井さんの応え。海に近いので夜は気温がぐっと下がるそうだ。亜熱帯地域の環境制御が考え抜かれている。昼過ぎに近くのそば屋で昼食。古い民家を改装した店で重要文化財に指定されている。ソバ定食をいただきながら四方山話。溝井さんと芦澤さんは高校時代の友人だそうだ。溝井さんは沖縄タイムズの記者である。お腹が一杯になったところで一旦溝井邸に戻り車でモノレールの駅まで送ってもらう。那覇空港の国内線の石垣島行きのロビーへ移動。3時前に那覇空港を発ち4時過ぎに石垣空港着。直ちに路線バスに乗り45分で離島フェリーターミナルへ着く。5時半発の高速フェリーで西表島の上原港に6時10分着。波は穏やかだがスピードが時速60キロと猛烈に速いので乗客は皆眠っている。ホテルの送迎バスで6時半にチェックイン。海辺のリゾートホテルで若いカップルが多い。西表島は梅雨が明けて観光シーズンに入ったそうだ。しばらく部屋で休んだ後7時半に石山さんとホテルを出て近くのレストランで軽い夕食。泡盛のロックで仕上げて9時すぎに店を出る。ホテルの部屋に戻りゆっくりと風呂に浸かってから10時過ぎ就寝。長い旅程だった。


2013年05月24日(金)

7時起床。8時半出社。快晴でいよいよ暑くなってきた。いつものルートを歩き青山の銀行に寄って雑用を済ませ9時半に帰社。釜石プロポーザルの配置図スケッチ続行。午後ずっと作業を続け何点かの問題点を発見する。5時半芳賀沼さんがランドスケープデザイナーと一緒に来所。概要を説明し意見を聴く。最初は一般的な話だったがだんだん条件を理解して具体的な提案へと展開する。幾つか重要な問題点の指摘を受ける。夕食後僕たちだけでスタディを再開。造成、アプローチ、建物配置などを大幅に変更することを決め早急に代替案をまとめることになった。9時半終了。10時過ぎ帰宅。明日は早いので11時過ぎ就寝。


2013年05月23日(木)

7時起床。8時半出社。いつものようにキャットストリートに出てそのまま渋谷に向かって直進し明治通りとの交差点を左折。青山通り方面に坂を上り伊東豊雄事務所の前を通って子供の城の手前で左折。工事中のTBSハウジングセンターは5月27日に会場とあるがまだ入口の建物が完成していない。先日ボヤを出したと聞いたがこのような場所に住宅展示場をつくること自体が間違っているとしか言いようがない。9時半過ぎに事務所に戻る。石山研究室から石山修武 第90信が届いたので直ちにXゼミサイトにアップ。僕はしばらくの間投稿していない。午後「148天雲邸」の詳細図の打ち合わせ。これで詳細図と構造図が一通り揃ったのでコメントを付けて天雲さんに送信。合わせてプリントアウト図面も送付。表参道のソフトバンクに行き現在持っているiPhone4SをiPhone5に買い換える。あと半年のローンが残っているのだがキャンペーンのキャッシュバックサービスや溜ったポイントを使うとローンの金額が今までと変わらないことが分ったからである。それにiPhone5はWiFiルーターとしても使えるデザリング機能を備えているのでWiFi専用のiPadを外でも使うことができる。これで出張時にもいちいちWiFiスポットを探さなくてすむようになった。約1時間かけて手続を済ませ事務所に戻って早速デザリングを試してみる。遠藤事務所から釜石の配置案が届く。夜にかけて何度かフィードバックし模型製作に着手する。幾つか副次的なアイデアが浮かぶが模型で確認してから詰めることにしよう。9時半帰宅。

『手法論の射程』を読み続ける。第1部「シニフィアンの流れと濃度」の第1章「闇の空間」にも藤村に似た事後的な論理が潜んでいることを発見する。原理から現象へと進む論理は常に事後的な論理である。ハイデッガーはそれを鋭く批判したはずだが僕たちは依然として原理コンプレクスに囚われているようだ。


2013年05月22日(水)

7時起床。8時過ぎ出社。8時半に事務所を出てキャットストリートから表参道を下り南青山を回る約1時間の散歩。途中、村上晶子さんらしき人とすれ違うが確認せず。午前中はLIXIL原稿のスケッチ。あれこれ細かなテーマをリストアップしてみるが住宅部品についていざ書くとなると一般的なことしか頭に浮かばない。午後2時過ぎに事務所を出て地下鉄銀座線で末広町で下車。歩いて3分でアーツ千代田3331へ。3時からHEAD研究会の総会へ。4時前からシンポジウム。会場は100人程度の参加者。住宅部品について新しい情報が得られることを期待して参加したが発見なし。4時半に席を立ち市ヶ谷の法政大学へ5時前着。5時からスタジオ開始。模型を見ながらメンバーそれぞれのプログラムについて話を聞きディカッション。6時半から「建築の4層構造」に関するスライドレクチャー。佐々木研究室の院生数人も参加。佐々木君が的確なコメントをしてくれるので意義深いレクチャーになった。8時前終了。佐々木君と表参道馬で一緒に帰る。8時半に事務所に戻る。

学芸出版社から『リアル・アノニマスデザイン』(岡田栄三/山崎泰寛/藤村龍至:編著 学芸出版社 2013)が届く。30人近い原稿のアンソロジーで、僕は「前景から背景へのデザイン」を寄稿した。巻頭の藤村龍至の「リアル・アノニマスの時代」を読む。いつもながら時代を読んだコンパクトで的確な論考ではあるが、僕は次の部分に引っかかった。「私はおそらく、ソーシャルな人々のネットワーク中からニーズを抽出する仕組みを設計する立場が、今日的なアノニマスデザイン姿ではないかと考えている。そこから生まれてくる成果物は人々のニーズかたちにしたものである限りは「誰がやっても同じ」アノニマスになるかも知れない。しかしその下部のアーキテクチャーのデザインには創意工夫が求められ、それらの思想や方法論、作品などを提示したパイオニアたちには署名権が与えられるだろう」。アノニマスデザインを次元の異なる位相に持ち込んで定義している点では、一見先進的なことを言っているようだが、ここには2つの時代錯誤がある。ひとつは社会のどこかにニーズが潜んでおり、それを発見し満足させることがデザインであるという古典的なデザイン観であり、もうひとつは相変わらず署名性に拘っている点である。ウォークマンやiPhoneはニーズの発見とその充足からうみ出されたデザインではない。産業革命以来、今日まで綿々と続いている技術革新は、ニーズの発見ではなくニーズの生成である。ニーズはデザインによって作り出されるのだ。ニーズとデザインは同時に生み出されるのだといってもよい。それがニーズの発見とその充足のように見えるのは事後的な説明に過ぎない。歴史的記述やデザインの説明が胡散臭いのはそのためである。署名性については言うまでもないだろう。作家=デザイナーであることと著名性とは明らかに意味が異なっている。藤村は両者を混同しているのかもしれない。


2013年05月21日(火)

7時起床。8時半出社。晴れで暑い。隣家では基礎の底盤コンクリート打で一日中ポンプ車の音が響き渡る。いつものルートで約1時間の散歩。LIXILの小倉みどりさんから原稿依頼の確認。締切まで1ヶ月であることのリマインダー。10時半から「148天雲邸」の詳細打ち合せ。構造システムについて何点かの修正。足元回りや樋について雪国しようを確認するように指示。午後は釜石プロポーザルのスケッチ。明日の法政大学のスタジオレクチャーの準備。5時過ぎはりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんと滑田さんが来所。引き続き遠藤事務所が来所。打ち合せの間もなく佐々木睦朗さんとスタッフ2人が来所。設計条件について一通り説明した後に模型と図面を見ながらあれこれ構造について意見交換。1時間半以上かけてあれこれアイデアを出すが佐々木君はピンと来ないようだ。しばらくの沈黙の後に意外なアイデアが飛び出す。僕たちのアイデアを換骨奪胎した構造システムである。いつものようなしたり顔を見て佐々木君が確信を持ったことを読み取る。大急ぎで図面化と模型づくりを約して8時過ぎ終了。その後皆で近くのトンカツ屋で夕食。9時半解散。遠藤君たちと再び事務所に戻りシステムの再確認。二通りの案を並行して進めてみることとし10時半解散。11時前に帰宅。

『手法論の射程---形式の自動生成』(磯崎新建築論集3 岩波書店 2013)を読み始める。冒頭の著者解説「反回想 手法論の射程」は1968年の全世界的な文化革命の歴史的な位置づけである。1960年代に芸術のさまざまなジャンルにおいて展開したパフォーマンス(行為)に対して、建築のジャンルにおいて相当するのが「形式を自動生成させるシステムの仕掛け」すなわち「手法=マニエラ」であるというのが磯崎の解釈である。


2013年05月20日(月)

7時起床。8時半出社。事務所の回りを約30分の散歩。スタッフと簡単な打合せをした後10時半に事務所を出て東京駅へ。10時過ぎ発の上越新幹線で燕三条駅に1時過ぎ着。日本建築士会連合会連合会作品賞の現地審査である。改札口で村松映一、松川淳子、岸和郎の三氏と待ち合わせ。大成建設のスタッフとタクシーで約40分の「Snow Peak本社ビル」へ。敷地は約5万坪のキャンプ場内。約150mの長さの水平に伸びるハーフプレキャストコンクリートの屋根が印象的である。起伏のある地形を活かして会議棟、事務棟、工場棟がゾーン状に配置されている。機能毎に空間をはっきり分節しながら視覚的には繋ぐというプラニングである。会議棟と売店は水平に伸びる屋根の下に置き、他の機能は一段低い位置に配置している。ランドスケープとプラニングは申し分ないのだが僕としては雪国における熱的な対策に疑問を持った。プレキャストの屋根面は外断熱なのだが深い庇はコンクリート打ち放しのままである点と鉄骨屋根の構造体がそのまま軒まで伸びヒートブリッジ対策が行われていない点である。この点について設計者に質問したがシミュレーションによって検討したので問題ないと応えるだけである。気積が大きいので結露は発生していないとのことだが、設計者は断熱、蓄熱、遮熱の区別がついていないような印象を受けた。3時過ぎ終了。タクシーで燕三条駅に戻り簡単な食事。4時半過ぎの新幹線に乗り6時半東京駅着。7時に事務所に戻る。夕食後今日の審査についてスタッフに報告。その後は釜石プロポーザルについてスケッチ。はりゅうウッドスタジオから届いた配置図についてのコメントをチェックバック。9時半帰宅。

往復の新幹線のなかで『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(レイチェル・ハーツ:著 綾部早穂:監修  安納令奈:訳 原書房 2013)を読み終わる。第8章「法と秩序」では社会的秩序を守ることが目的である道徳観にもとづく法律が嫌悪感によって大きく影響を受けるさまざまな事例が紹介されている。性的欲求と嫌悪感はいずれも脳の同じ場所「島皮質」の働きなので互いに大きな影響を及ぼし合う。最終第9章「嫌悪感が教えてくれること」では嫌悪感の引金の大部分は「嗅覚」にあること、嫌悪感は最終的には「死からの逃避」に収斂するのだが、他方では嫌悪感への好奇心あるいは嫌悪感を克服しようとする欲求をうみ出すことが明らかにされる。ここから著者は以下のような指摘を導き出す。「嫌悪感の正体は実は自分自身にほかならない」「嫌悪感とは本質的に自己焦点的である。さらにいえば、嫌悪感とは自分に共感することなのではないだろうか」「嫌悪感には抽象的思考が必要である」「嫌悪感とは共感とエゴイズムのねじれた側にある」「自衛本能が強ければ強いほど嫌悪感への敏感度も強いのではないだろうか」
以上から導き出される著者の結論はこうである。
「嫌悪感は人類共通のものである。神経生理学的に健全であれば、誰もが経験できる感情である。しかし、生まれつき備わっているものではない。嫌悪感は学習によって身につけねばならない直感である。嫌悪感は健全で成熟した脳から生まれるが、それには稼働するハードウェアが必要なのではなく、自我と高レベルの思考が必要だ。突き詰めると、嫌悪感とはすなわち拒絶である。その核心には、私たちの心の奥底にある恐怖、避けることのできない死への拒絶がある」
嫌悪感の逆の感情である快感や道徳的共感についても同じようなことが言えるだろうか。さらには形や空間についても同じような尺度が適用できるだろうか。そんな疑問が湧いてくる。思わず『モラリティと建築』(デーヴィド・ジョン・ワトキン:著 榎本弘之:訳 1981)が脳裏を過る。


2013年05月19日(日)

8時起床。9時半出社。曇りで少し肌寒い。はりゅうウッドスタジオから届いた釜石プロポーザルの配置図に関して全体の方針を再確認するコメントを返送。午後『ショコラChocolat』(ラッセ・ハルストレム:監督 2000)のDVDを観る。フランス南部の田舎町にやってきた母娘がチョコレートの店を開くことから始まる物語。閉じた共同体が外部から訪れた他者によってシャッフルされ再生するという山口昌男流「中心と周縁」理論を例証するような寓意物語。あまりにも典型的な物語なので少々鼻白む面もあるがハルストレム監督らしい細部の描写には心惹かれる。妻と6時に家を出て赤坂で日本酒と寿司の夕食。9時前に帰宅。NHKTVで癌に関する番組を観る。猿から人間に進化する段階で生殖能力、脳の増大、紫外線不足といった変化が細胞分裂における突然変異の確立を増加させたという分析。つまり癌は人間への進化における必然的な帰結であるという結論。家早南友。


2013年05月18日(土)

7時起床。8時半出社。快晴で暖かい。事務所を遠回りするいつもの経路で約1時間の散歩。若い建築家から依頼された推薦状の作成を開始し昼過ぎにほぼ完成。釜石プロポーザルのスケッチ。グラウンドの条件を確認し基本方針を固める。5時過ぎに事務所を出て神谷町の「伊東塾」へ。6時から今年度最初の公開講座、伊東豊雄さん自身による「脱近代建築の5原則」。実際は「21世紀のライフスタイル」と称し東日本大震災以降の地方と都市の関係について再検討しながら伊東さんが考える脱近代主義の社会ヴィジョンを提唱する。建設中の幾つかの「みんなの家」、恵比寿に建設中の「伊東塾」台湾で建設中の「台中オペラハウス」などの紹介を交えた幅広いレクチャーだった。近代主義を「エゴ=個の確立」「共同体からの開放」「技術による自然の征服」という3点としてとらえる伊東流の近代主義批判はハイデガーの啓蒙版である。これに対して私見では近代主義の徹底つまり「個のさらなる追求」「共同体の解体と再編成」「技術と自然の境界の解消」こそが次のステップへ進む条件であると考える。むしろ僕にとって目から鱗だったのは、今回の震災が地方と都市の相補的な関係を明らかにしたという指摘とその相補的な関係を再編成することが日本社会の再生に繋がるという伊東さんの主張である。あえて故郷を捨てて東京人となった僕としてはこれまで都市の自立性を信じてきた。それが間違いであることを指摘されたからである。とはいえ僕自身としては捨てた故郷を再び拾い直すつもりは毛頭ない。むしろ震災復興に携わることによって新しい故郷としての地方を再発見してみたいと思うという趣旨のコメントを最後に述べる。いずれにせよ建築家の住宅はほんの僅かであり郊外はハウスメーカーや工務店の住宅で埋め尽くされているように、地方と都市を結ぶネットワークはほんの僅かの意識ある人びとによってつくられるだけだろう。伊東さんの主張に対しあえて批判的にコメントするとしたらそうなるが、僕はそんな批判は余計なお世話だと思う。8時過ぎに終了。直ちに懇親会が始まり会場で釜石の岩間正行さんと再会。シーラカンスK&Hの小藤和美さんや藤本壮介さんとも会う。日本女子大の宮晶子さん石黒由紀さんの二人としばらくの間立話。9時半に伊東さんに挨拶をして会場を発ち10時に事務所に戻る。

『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』は第6章「ホラーショー」を終えて第7章「性欲と嫌悪感」に進む。死と嫌悪感、ユーモアと嫌悪感の複雑な関係からいよいよ本質的な性と嫌悪感との関係に進む。嫌悪感が対象の属性だけではなく人間が持っているカント的図式との相互作用であることが徐々に明らかにされて行く。嫌悪感を克服することが時に快感となるのはそのためである。


2013年05月17日(金)

7時起床。8時半出社。しばらく釜石のスケッチを試みるがもはや具体的なスケールがないと進まない段階であることを痛感する。週末に集中してみよう。11時前に事務所を出て東京駅へ。東北新幹線のホームで竹原義二さんと待ち合わせ。今日から約1ヶ月半かけて日本建築士会連合会連合会作品賞の現地審査が始まる。11時40分発のやまびこに乗り福島駅に1時過ぎ着。在来線の東北本線に乗り換えて田園風景の中を郡山方向に戻り2時前に安達駅に着く。改札口でlife style工房の安斎恵美子さんと待ち合わせ彼女の車で「CAVE」へ。設計施工を担当した安斎好太郎さんと若い建主が迎えてくれる。南西方向に伸びる緩やかな沢の西側斜面に建てられた平屋の住宅である。東側には田植えが終わったばかりの水田が広がり蛙の声が聞こえるのどかな風景が広がる。水田の反対側には桐と桑の林が広がっている。緩やかな斜面と同勾配の屋根と水平な軒のシンプルなシルエットが印象的なランドスケープである。地業工事で出た残土を固めた日干しレンガの外壁と木板の屋根仕上げなどの試みがどのような空間をつくっているのかに興味を引かれた。日干しレンガは断熱した外側に積まれているので蓄熱性能を活用している訳ではない。側壁の軒の出はそれほど深くないので日干しレンガに雨が当たるからそれなりのメンテナンスが必要だろう。特殊加工(エステック処理)した木板の屋根仕上げについても竹原さんは納得していない様子。工事が震災直後に重なったため建材の手配に苦労したそうだ。天井の登梁の組立て方にそのしわ寄せが出ている。基礎底盤下にパイプを通し豊富な地下水を利用した熱交換システムでヒートポンプ床暖房を行っている。完成して半年だがこの冬は快適だったそうだ。天気がいいので居間から見える水田の眺めは本当に気持ちがいい。内部は一室空間住居で移動家具によって仕切っているのだが台所や水回りを囲む間仕切が高い天井まで届いているのは少々キレが悪い。間仕切は軒高で止めて天井面全体を見せるべきだったろう。間仕切壁の仕上げを余り物のタモ集成材の切れ端でパッチワークしているのは店舗の内装のようでいかがなものか。という訳でコンセプトはいいのだが全体としてはテンコ盛りで中途半端なところが眼につく。4時前にお暇して再び安達駅まで送ってもらう。東北線で郡山まで戻り新幹線に乗り換えて7時前に東京着。大阪に戻る竹原さんと別れ7時半に事務所に戻る。夜はメールチェックと明日の打合せ。9時半帰宅。ウィスキーを煽りながら電車の中で竹原さんと話した話題を想い返す。彼は大阪生まれの大阪育ちだが僕以上に1960年代末から70年代の時代性を生きてきたようだ。『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』を読み続けながら夜半就寝。


2013年05月16日(木)

7時起床。8時半出社。晴れで暑い。昨日と同じようにキャットストリートから表参道に出て南進し南青山を回る経路で約1時間の散歩。表参道の東と西に毎日早朝から列ができているレストランがそれぞれ1軒ずつある。並んでいるのはほとんどが女性だが一体どんなレストランなのか気になるところだ。10時過ぎ鈴木e ワークスの鈴木紀慶さんがイベンターとハウスメーカーの2人を同行して来所。茨城のハウスメーカーで新しく開発した商品に関する相談に来られた。今月末に会社に赴きプロトタイプの見学とレクチャーをすることになった。午後1時に日大郡山の浦部智義さん、遠藤事務所、はりゅうウッドスタジオが来所。釜石プロポーザルの打合せ。浦部さんに最近の学校のあり方に関する一般的な傾向を聞いた後、斜面の造成とプラニングや学校の複合化のメリットとディメリットについて意見交換。僕はコンパクトに一体化する方向を提案したが複雑な斜面に適用するのはなかなか難しそうだ。あれこれスタディした結果、幅のある帯状のプランに収斂していく。しかし収斂しそうになると冷水を掛けようとするメンバーがいるので少々イライラする。初期段階ならば批評的な発現は生産的なのだがこの段階では単にアイデアの展開を邪魔しているとしか思えない。その自覚がないだけに余計に問題なので注意を促す。3時半に何とか方向性を決める。来週の佐々木事務所との打合せまでには暫定的にでもプラニングをまとめねばならない。その後は郡山復興住宅プロジェクトについて話し合い。現在は復興NPOの成立前なので現状の停滞状況に関して僕は黙認しているが発足後には明確に発言するつもりである旨を伝える。4時前終了。5時にTH-1の朝倉社長、建築メディア研究所の大森晃彦、カメラマンの浅田三浩の三氏が来所。TH-1の新しい会社案内のための取材である。特定の工務店に肩入れするのは避けたいところだが朝倉さんは亡くなったご主人と建築的同輩だったこともあって断われなかった。写真撮影と簡単なインタビューで6時終了。その後原宿のイタ飯屋で夕食。大森さんに竣工写真を1冊の作品本にすることを薦められたが「箱の家」は完結した作品ではないので丁重に断る。9時前終了。9時半に事務所に戻る。今日は一日打合せ続きだったが静かな一日よりも物を考えたかも知れない。世の中には本当にいろいろな人がいるものだ。そんなことを考えているとなかなか眠りに就けない。


2013年05月15日(水)

7時起床。8時過ぎ出社。昨日とほぼ同じ経路で1時間の散歩。10時玉田敦士さんがマンションディベロッパーと来所。集合住宅と戸建住宅の関係にまつわるコンペの打合せ。引き続き10時半にユニバーサルホームの社員2人が来所。昨年に続きユニバーサルホーム・コンペの打ち合わせ。今年のテーマは「育てる家、育って行く家---50年の時間と家族と木造住宅」である。玉田さんの話では2つのコンペを並行して進めるそうだ。秋田の天雲さんから「148本・箱の家」の設計監理契約書と重要事項説明書が届く。これで実施設計を本格的に進めることができる。「146阿部邸」の確認申請認可が確定したので審査関係は一通り完了した。これで工事に着手できるので6月1日(土)の地鎮祭の形式について阿部さんに打診メールを送る。4時半に事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時からスタジオ課題。敷地模型を見ながら8人のメンバーが決めた各人の担当区域について説明を受ける。6時過ぎに後者を出て歩いて荒木町へ。各人の担当地域を確認して回った後「とんかつ鈴新」にて夕食。トンカツ定食をいただきながら店主の鈴木さんからあれこれ話を聞く。8時終了。佐々木睦朗さんに釜石プロポーザルの打合せを依頼する。8時半に事務所に帰った後に佐々木事務所打合せスケジュールについてメールのやり取り。いよいよ詳細検討の段階に入る。9時半帰宅。

風呂に入った後『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』を読み続ける。第5章「不快なのは他人」を読み終えて第6章「ホラーショー」へ進む。「拒絶とは、すべての嫌悪感の裏に隠れている原則的な姿勢である」や「嫌悪感をコントロールするのは、死への恐怖である」という著者の指摘はフロイトの「死への欲動」との関係を想い起こさせる。徐々に人間の本質へと近づいて行く気がする。


2013年05月14日(火)

7時起床。8時半に出社し直ちに散歩に出る。ともかく暑い。キャットストリートに降りて西進し表参道を横断したところで左折。青山通りを横断し南青山を回ってから事務所に戻る約1時間の散歩で汗びっしょりになる。鈴木博之さんからXゼミ第28信が届く。丹下健三の香川県庁舎を日本建築の三間四面堂に結びつけたユニークな試論である。丹下健三展のカタログの原稿らしい。僕も引きずられて書き始め午後に書き終わる。中学校時代の広島平和記念資料館の体験から直島の仕事にまつわる体験までをコンパクトにまとめて美術出版社編集部に送信。その後「148本・箱の家」の所内打ち合わせ。構造システムについてあれこれ検討する。2階の本の荷重をいかに分散させるかが問題である。平面詳細図についてもユニバーサルデザインにつて詳細に検討する。6時半に川島範久くんと中川純君が来所。6月にバークレーからDana Buntrock教授が来日するので昨年の会議のフィードバック会議を開催したいという相談を受ける。僕には不愉快な記憶しかないのでできれば避けたい気持ちだが件の環境研究者は参加しないという。あれこれ理由を付けて断わろうと試みたが結局押し切られる。会議のシナリオを作成することを依頼して9時前解散。9時過ぎに事務所に戻る。ミーティングについてあれこれ考えた挙げ句、住み手やユーザーといかにして問題を共有するかが課題になるという結論に達する。9時半に帰宅。『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』を読みながら夜半就寝。


2013年05月13日(月)

7時起床。8時過ぎ出社。直ちに事務所を出て歩いて青山歯科医院へ。8時半から月例の歯のメンテナンス。歯垢の付着が早いので歯ブラシの励行を忠告される。毎日就寝前と朝食後に電動歯ブラシで磨いているのだが時間が少々短すぎるらしい。次回の予約を決めて10時前に事務所に戻る。昨日のLATs編集会議をまとめてメンバーに送信。日建の川島範久君と界工作舍OBの中川純君からメールが届く。昨年夏のバークレー・ワークショップのフィードバックを日本で行うことの関する相談のため明晩来所することになった。丹下健三展カタログの原稿スケッチ。明日が締切だが今一乗ってこない。午後2時半に能代の建築家、西方里見さんが来所。秋田の「148本・箱の家」のクライアント天雲成津子さんから西方さんのことを聞き、秋田県立大学の板垣直行さんの紹介で知り合うことができた。月2回程度東京近郊の現場監理に来ているそうなので、そのついでに来所をお願いした。「148本・箱の家」はこれから本格的な実施設計に着手するので寒冷地の仕様についてアドバイスをもらうためである。OMソーラーについて意見を聞いたが機械設備の装備よりもシェルターの性能を上げるべきだという考えである。その点についてはこれまでに野沢さんたちとも議論したことがあるそうだ。まもなく電気料金が値上げされることに対して西方さんはいろいろな対策を考えているようだ。自己紹介を兼ねて放送大学のテキストと『建築の理』(彰国社 2010)を贈呈し4時前に終了。釜石プロポーザルについて日大郡山の浦部智義さんとメールのやり取り。6時前に事務所を出て新大久保駅前の近江屋へ。1ヶ月ぶりのXゼミミーティング。石山さんからインドのナーランダ大学コンペの審査について興味深い話を聞く。審査委員長はハーバード大の経済学者アマルティア・セン教授だったそうだ。鈴木さんには近現代建築資料館の開館式について話を聞く。僕も石山さんも出席できなかったがかなりの盛り上がりだったようだ。急ピッチで焼酎を飲んだのでアルコールが回る。今週から日本建築士会連合会連合会作品賞の現地審査が始まり会う機会も多くなるため次回のミーティング日時は決めずに8時解散。8時半過ぎに事務所に戻る。少々疲れたので雑用を済ませた後9時過ぎに帰宅。『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』を読みながら夜半就寝。


2013年05月12日(日)

8時起床。9時半出社。石山研究室から「石山修武第89信」が届いたのでXゼミサイトにアップ。昼まで釜石プロポーザルのスケッチ。ランドスケープを活かしたいくつかのアイデアを複合させることを考える。午後『セヴン』(デヴィッド・フィンチャー:監督 1995)のDVDを観る。キリスト教の七つの大罪「大食、強欲、怠惰、肉欲、高慢、嫉妬、憤怒」をテーマに、それらを犯す罪びとを、狂信的な犯人が神の使者(死の天使)に成り代わって象徴的な方法で殺害していくという物語。事件を担当する刑事がダンテ・アリギエーリの『神曲』やトマス・アクィナスの『神学大全』などを参照しながら捜査して行くプロセスは、ほんの少しだけ『薔薇の名前』を想起させるが、最後のあたりは完全にハリウッド映画になっている。フィンチャー監督の最高傑作といわれているようだが、僕としては『ドラゴンタトゥーの女』といい勝負に思える。午後5時に真壁智治さんとLATsメンバー8人が来所。『建築知へ』の編集会議。自己紹介の後、真壁さんから出版の趣旨について説明を受ける。メンバーからも幾つかの質問が出る。担当した本の紹介と書評を明確に分けることを確認して6時過ぎに真壁さんは退席。その後、今後の進め方について話し合い7月末までに原稿を揃えることを決めて年内の出版を目ざすことになった。7時過ぎトンカツ屋で夕食。8時半解散。9時前帰宅。ウィスキーを吞みながらNHKTVで日本の第2次産業再生のための公民一体の取り組みに関する番組を観る。1970年代の半導体と自動車に関する同じような取り組みの歴史が興味深い。日本の製造業はアメリカとの貿易摩擦に振り回され、その隙間に韓国と台湾が割り込んで来たのがここ30年間の経緯であることがよく分かった。


2013年05月11日(土)

7時起床。8時半出社。雨が降り始めたので散歩は休止。昼までに『建築知へ』のカテゴリーコメントを推敲しLATsメンバーと真壁智治さんに送付する。何人かのメンバーから担当した本の紹介文が届き始める。引き続き「難波研究室必読書30」の原稿を整理。午後3時遠藤事務所とはりゅうウッドスタジオが参集し「釜石プロポーザル」の打ち合わせ。遠藤事務所が作成した立体模型を見ながら造成と建物配置について意見交換。僕はそのアイデアをさらに拡大したアイデアを提案する。基本的な方向性では意見が一致したが、ランドスケープ、造成、学校のあり方などについては専門家の意見を聴くべきではないかという意見が出る。確かに僕たちの考えは建築プロパーだからもう少し広い視野で見なければならない。芳賀沼さんにその手配を依頼し来週の打ち合せ日時を決めて5時半に終了。事務所内を掃除し6時過ぎに解散。

『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』は第4章「細菌戦争」を終えて第5章「不快なのは他人」に進む。問題は徐々に学問的な世界に広がって行く。著者が言うように嫌悪感の主な目的が外のものを体内に取り込まないことであるとすれば、それは生物学的な免疫の延長上にある心理的な免疫のような働きである。


2013年05月10日(金)

7時起床。8時半出社。五月晴れで暖かい。8時半過ぎに事務所を出て歩いて渋谷の成人医学センターへ。9時から2ヶ月振りの眼科再診。眼圧は低く保たれているようで問題なし。2ヶ月後の再診を予約し9時半にセンターを出て10時に事務所に戻る。釜石市から先日の現場説明での質問に対する回答メールが届いたのでメンバーに転送。釜石市は土木コンサルタントの参加を促しているように見受けられるのが気になる。栃内が「146阿部邸」の確認申請を東松山市に提出。今月中には認可されるので6月には着工できそうだ。2時半に栃内夫人の季代さんが昨年夏に生まれた夏桔(なつき)ちゃんを連れて来所。お菓子とお茶をいただきながらしばらく子育てなどの四方山話。午後から夜にかけて『建築知へ』のカテゴリーコメントに本格的に取り組む。今週末の打ち合わせまでにまとめねばならないので、あれこれ考えあぐねながら夜までに何とか全体の下書きを仕上げる。明日中に推敲してLATsメンバーに送る予定。

建築家の後藤武さんから『ディテールの建築思考---近代建築の思想を読む』(後藤武:著 彰国社 2013)が届く。近代建築の細部に建築的思考を読みとろうとする内容である。エドワード・R・フォードの『巨匠たちのディテール』(八木幸二:訳 丸善1999)の縮小版といった印象だがその分、焦点を絞った後藤色の強い選択になっている。早速お礼のメールを送る。


2013年05月09日(木)

7時起床。8時半出社。9時に仙波晢+和子兄妹が来所。「149仙波邸」の第1回プレゼンテーション。しかし説明する間もなく仙波さんは僕たちの図面にスケールを無視してあれこれ描き込み始める。耳が遠いので身ぶり手振りで説明するが文字通り聞く耳を持たない。おまけに津波の予想高さが10mという新しい情報を得たらしく2階建てでは逃げ場がないという条件まで出てくる。その高さの津波では2階のアルミ造はひとたまりもないので2階までRC造にせざるを得ない。いずれにしても前提条件がまったく変わったのでは設計は前に進まないのでとりあえず僕たちの第1案を持ち帰り新しい条件を整理して手紙で送ってくれるように頼む。会話が成り立たないので今後はできるだけ書面でのやり取りにすべきだという結論に達する。11時前に終了。スタッフには「149仙波邸」をひとまず休止し秋田の「148本・箱の家」の実施設計に着手するように指示する。ここ数日のメールのやり取りで条件が少しヘヴィーになった。まず将来2階寝室が書架で埋まる可能性があるので積載荷重が通常の住宅の200kg/m2の4倍800kg/m2となる。さらに重量物の持ち上げ用の滑車を屋根梁に取り付けることも要求された。このため2階床梁のサイズを数ランク上げピッチを910mmから半分の455mmに縮めることとする。まずは構造図の検討から始めるように指示。能代の建築家西方里見さんにメール連絡。月2回の頻度で上京しているようなので来週初めに事務所に来てもらうことになった。『建築知へ』のカテゴリー分けのコメントを書き始めるがいつものように固まってしまう。800字まで書いたところで休止。夜はスタッフと近くのイタ飯屋で食事。「146阿部邸」の工事契約のお祝いである。釜石プロポーザルの資料を読み直し仮説イメージの可能性を検証する。9時半帰宅。

『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』は第2章「嫌悪する瞬間」から第3章「脳における嫌悪感」第4章「細菌戦争」に進んで俄然面白くなる。嫌悪感の具体的な発現はあくまで文化的な現象なのだが、それをひき起こすポテンシャルは脳の基底核である扁桃体と島皮質に特定できるのだという。それはフロイトのいう「イド」の部位である。つまり嫌悪感の能力は進化の過程で基底核と島皮質に固定されているが、何に対して嫌悪感を感じるかという具体的な発現は文化的・社会的に学ばれるということである。とはいえ嫌悪感を表す表情には人間に普遍的な型があるが、それさえも何らかの脳の病気によって変わるらしい。第4章では嫌悪感と恐怖の根本的な相違が検討されている。著者によれば嫌悪感とは人間の感情の中でももっとも先進的であり、恐怖とは異なり、病原菌から身を守るために進化した能力である。ちなみに本書の原題は『That’s Disgusting : Unraveling the Mysteries of Repulsion』である。


2013年05月08日(水)

7時起床。8時半出社。晴れで昨日とは打って変わって暖かい。明朝に第1案をプレゼンテーションする「149仙波邸」の設計要旨をまとめる。RC造ラーメンのピロティで持ち上げた人工地盤の上にアルミフレームの一室空間住居を載せた住宅である。耐津波、耐塩害、耐シックハウスの三重条件をクリアした「箱の家」である。コスト的にも厳しいので実現するかどうかはタイトロープである。外装メーカーのニチハから今年も作品コンペの審査委員を依頼される、昨年と同じく杉本貴志さんと二人である。すでに募集は始まっているようだ。最終審査は8月下旬の予定である。鈴木eワークスの鈴木紀慶さんからメールが届き来月にあるハウスメーカーへの講演を打診される。あまり聞いたことのないハウスメーカーだが新しいタイプの商品化住宅を開発しようとしているらしい。興味深いので快諾。来週打合せを行うことになった。『建築知へ』のカテゴリーコメントのスケッチ続行。徐々に中味が膨らんでくる。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時から2週間振りの設計スタジオである。まずジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』に関するディスカッションから始める。しかし議論が今一盛り上がりに欠けるのはあまり読み込んでいないせいかも知れない。メンバーは皆自分の経験に引き寄せてコメントしようとする。そのこと自体は悪いことではないのだが本書を読んで自分の体験を相対化するまでに至っていない。それができないと今回の設計課題に適用するのは難しい。本当に読み通したのかナアという一抹の疑問が残る。引き続き今週月曜日に放送された放送大学の第5回『街の風景』のビデオを見せる。8時前終了。来週は敷地模型を完成させた上で自分がとりあげる区域の目星を付けた上で再び荒木町に行ってみることにしよう。8時半過ぎに事務所に戻る。「149仙波邸」の模型の最終チェック。9時半に帰宅。

『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』を読み続ける。クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」に欠けている「嫌悪感」に普遍的なパタンがあるのかどうかを確かめるつもりで読み始めたのだが、著者の主張は基本的に「嫌悪感」は文化の問題だという結論のようである。


2013年05月07日(火)

5時起床。大急ぎで顔を洗い着替えて家を出る。天気はいいが風がやや寒い。東北新幹線改札口で遠藤君と待ち合わせ東京駅6時過ぎ発の盛岡行始発に乗車。車内で小嶋一浩、手塚由比両氏に会う。9時過ぎに新花巻で下車したところで石原健也さん一行とも合流。異常に寒く小雨が降っている。皆で釜石線のホームに移動すると事故で大幅に遅れるという車内放送が流れる。やむなく車で釜石に向かっているはりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんに電話。釜石方向に少し進んだ東和町の道の駅でピックアップしてもらうこととして手塚さんと同行。小嶋さんは花巻空港からレンタカーで来る宮本佳明さんの車にピックアップしてもらうこととする。天気予報とは異なり釜石近くでは雨が降り始める。開始時刻の11時半前に釜石市役所に到着。「釜石市鵜住居(うのすまい)地区学校等建設工事設計業務委託プロポーザル」の一次審査通過者が集まったコンペティィブ・ダイアローグつまりプロポーザル説明会である。一次審査通過者は手塚建築研究所、難波和彦・界工作舎+EDH 遠藤設計室+はりゅうウッドスタジオ設計共同体、シーラカンスK&H、石原・宮本・みかんぐみ設計共同体、シーラカンス&アソシエイツの5社。全員が何らかの形で震災復興に取り組んでいる人たちで皆顔見知りのメンバーである。奥只見市庁舎プロポーザルの最終審査に残った3組が入っているのは何かの縁だろうか。もうひとつの唐丹地区のプロポーザルについては今日の午後に説明会を開くらしい。最初に東北大の小野田泰明さんが一次審査のプロセスとプロポーザルの概要について説明。40社以上の応募者をここまで絞り込むにはさまざまな経緯があったらしい。引き続き市役所、UR都市機構、教育委員会の三者が敷地や学校のプログラムについて説明した後バスで鵜住居地域に移動し敷地見学。他の被災地域に比べると鵜住居は復興がもっとも遅れている地域だそうだ。気温は2度で海風が強く時折ミゾレまでが降るというまるで冬の気候である。鵜住居地域の全体は現状レベルから約2m盛土し海抜4mへ学校の敷地は背後の山を削ってグラウンドは海抜15mまで校舎は海抜18m〜20mの高さ以上に建設する予定である。震災の津波の高さが12mだったことから決められた高さである。山の中腹に2つの神社があるがそれぞれ17mと12mだというので高さを体感できる。分かりやすい避難経路と小山のランドスケープがミソである。都市計画と建築の中間的なスケールのプロジェクトである点に食指が動く。ボトムアップの復興計画としては多分ギリギリ最大のスケールであるように思える。約1時間説明を受けた後に市役所に戻り質疑応答。最前列に陣取ったシーラカンス2社が交互に質問をくり返す様が興味深い。さすがに学校については百戦錬磨の両者である。提出締切は6月6日(木)最終審査の公開プレゼンテーションは6月12日(水)であることを確認して午後1時にすべて終了。その後歩いて大只越公園の「KAMAISHIの箱」へ。NPOの会議中のようで中には入れない。外壁は風雨で少し色が褪せてきた。近くのラーメン屋で遅い昼食を済ませた後大槌町まで足を伸ばし再び鵜住居まで戻りさらに「宝来館」のある半島まで足を伸ばして敷地である鵜住居の小山を遠望。再び釜石まで戻り伊東さんの「みんなの家」と鈴子公園の「KAMAISHIの箱」を再訪。そのまま新花巻へ向かう。次回の打ち合せ日時を決め5時半過ぎの新幹線に滑り込む。車内では二人とも爆睡。8時半に東京着。9時過ぎに事務所に戻る。釜石市役所から貰った資料の整理をした後9時半に帰宅。一日のことを思い返しながらウィスキーを煽る。夕食貫の空きっ腹にアルコール沁みる。酔いが回ったところで11過ぎに就寝。


2013年05月06日(月)

8時起床。9時過ぎ出社。4月分の帳簿の整理を済ませてから10時過ぎに散歩に出る。昨日と同じように一旦キャットストリートに出て事務所を反時計回りにグルリと遠回りするルート。表参道の歩道脇の手摺に沢山の人が座っている。表参道沿いの店の開店はすべて11時なので待機しているようだ。青山通りを横断して南青山を一回りして11時過ぎに事務所に戻る。『建築知へ』のカテゴリーコメントのスケッチを少し膨らませる。まだまだ原稿へ向かうテンションは上がらない。1時15分過ぎに事務所を出て千代田線小田急線を乗り継ぎ梅が丘駅で下車。地下駅になった下北沢を通るのは初めてである。梅が丘駅の南口に出て小田急線沿いに新宿方面に5分ほど歩いた角に「代田の町家」がある。『多木浩二と建築』(『建築と日常』別冊)刊行記念イベントの『「建築批評の内と外」八束はじめ × 坂本一成 in 代田の町家』である。開始は2時前だが室内には沢山の人だかりが見える。坂本さんが説明しているらしい。「代田の町家」の完成は1976年だから37年経っているがほとんど朽ちた様子はない。売りに出すために清掃したのだろうか。外装の平葺鉄板仕上は変化なし。室内仕上も床の大理石目地がやや黒ずみ白く塗った壁の縁甲板に隙間が出ているくらいである。内外の建築ボキャブラリーは通常のパタンから微妙にズラされてあちこちに微かなノイズが生まれている。こうしたデザイン操作は明らかに意図的である。家型ファサードの両脇に小壁を付加して家型の完結性を撹乱しているのだがこの小壁がフォールスファサードであることからもそれがよく分かる。しかし40年近くも経過するとデザインボキャブラリーのコードは変化するから若い人にはどう見えるのか気になるところだ。少なくとも僕には坂本さんの知的なデザイン操作が理解できると思うがしかし実際にそこまでの微細な操作をやる気にはならない。なぜならそれは微細な差異を読み取れる建築家達に向けられたメッセージだからである。ここにもカント的な図式がある。2時から坂本一成さんと八束はじめさんの対話開始。会場には妹島和世さん藤村龍至さん長谷川豪さんらの顔が見える。多木浩二さんと2人の関係に関する話題にはとくに新しい発見はない。というよりも多木さんとの関係が書かれたものと対話体験が混じった形で述べられるので追体験できないし真偽の判断ができない。ハイデガーの住宅論を現代住宅論に適用しても虚しいだけである。最後に昨年の伊東塾での多木浩二を偲ぶ対話で『生きられた家』と「みんなの家」との関係について坂本さんが批評的なコメントを述べたことが再確認される。ここにも坂本さんらしい精妙な判断停止がある。しかし「みんなの家」といっても仙台宮城野区と陸前高田ではまったく対照的であり一概には評価できないと思う。八束さんの『批評としての建築』に対する自己批判も去年の南洋堂での対話と同じである。しかし八束さんのこの方向転換には坂本さんとしてはとても納得できないだろう。会場から幾つか質問が出たが僕には重箱の隅をつつくようなことばかりに思える。結局のところ「代田の家」を実体験できたことが最大の収穫だった。4時半過ぎ終了。5時半に事務所に戻る。夜は明日の釜石行きの準備。プロポーザル要項を読み直しスケジュールを書き込む。妻と旅行について話し合い。あれこれ条件を検討した挙句10月にヨーロッパに行くことになりそうだ。アマゾンから『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(レイチェル・ハーツ:著 綾部早穂:監修 安納令奈:訳 原書房 2013)が届いたので先に読み始める。


2013年05月05日(日)

7時起床。8時半出社。快晴で暖かい。事務所の回りを遠回りに約1時間の散歩。『建築知へ』のカテゴリー分けのコメントを書き始める。しかしカテゴリーに分けたとはいえテーマはほとんど同じところつまり建築における「時間」がもたらす効果へと収斂する。それが日常性であり、無意識であり、歴史であり、自生的秩序である。午後は『サイダーハウス・ルール』(ラッセ・ハルストレム:監督 1999)のDVDを観る。先週観た同じ監督の『ギルバート・グレイプ』と設定も物語もまったく異なるが若者の成長を描いている点では同じである。ニューイングランドの孤児院という極小の世界にもさまざまな人間関係があり事件がある。時折外部からの攪乱によって小さな社会は再組織化され社会の一部は外部へと弾き出される。僕の眼にそのような図式が刷り込まれているせいかも知れないが、この監督が描こうとしているテーマは『建築知へ』で焦点を当てようとしているテーマとほとんど同じような気がする。もちろん同じテーマだとはいえそこから引出される具体的な物語の差異こそが大きな意味を持っているのだが。

『なめらかな社会とその敵』はタンパク質からDNAが生まれ細胞から生物へと進化し社会を生み出すというプロセスをシステム論的に説明するところから始まる。僕も30年くらい前の1970年代に熱中し「建築の4層構造」の起原となったテーマだがその後あまりフォローしてこなかった。システム論が現在どこまで進展しているのかを確認したいと思って手に取ったが第1章「生命から社会へ」ではまだ新しい発見はない。


2013年05月04日(土)

7時起床。8時半出社。直ちに事務所を出て青山通りを横断し南進。根津美術館、長谷寺の外周を回り富士フィルム本社前を通り骨董通りを北進して青山通りへ南回りのヴァリエーション。石山研から「石山修武 第88信 「国立近現代建築資料館」鈴木博之 東京新聞夕刊1面コラム・感想」が届いたのでXゼミサイトにアップ。東京新聞連載の鈴木博之さんのコラムへのコメントは石山さんに任せきりである。午後1時半TH-1の朝倉社長がスタッフ2人と来所。引き続き阿部夫人が娘さんと2人で到着。「146阿部邸」の工事契約の締結。契約書その他保険書類について説明した上で捺印。連休明けから計画申請と確認申請の手続に少し時間がかかるので地鎮祭は6月1日(土)の午前中に決定。2時半にすべて終了。その後しばらく阿部夫人と歓談し3時前に解散。夕方再び散歩に出てスーパーマーケットでワインとチーズを購入。6時前に帰宅し早目の夕食。工事契約成立のささやかなお祝い。夏休み旅行についてあれこれ検討したが真夏のインドは最悪の条件だと分かったので計画を白紙に戻し最初から練り直すことにする。

『現代日本思想論---歴史意識とイデオロギー』(安丸良夫:著 岩波現代文庫 2012)を読み終わる。第6章「20世紀日本をどうとらえるか」で著者はエリック・ホブスボームの『20世紀の歴史』を参照しながら次のように結論づけている「ソ連社会主義も、日独の全体主義も、中国革命や第2時世界大戦後の新しい民族国家の成立も、それらのすべてが自由な市場経済と代表制民主主義へいたる世界史の大きな道筋に生まれた、ジグザグの試行錯誤過程だったと見れば、十九世紀後半から二十一世紀までを「長い二十世紀」というひとまとまりの時代としてとらえることになろう」。本書で改めて確認したのは「歴史の物語性」が特定の視点からとらえた歴史であり視点が異なれば異なる物語が語りうること、そしてその視点は広い意味でのカント的な図式であるということである。引き続き『なめらかな社会とその敵』(鈴木健:著 勁草書房 2013)を読み始める。


2013年05月03日(金)

8時起床。9時過ぎ出社。晴れで涼しいがやや二日酔い気味であまり気分はよくない。隣家の工事は連休中も続いている。午前中はだらだらと過ごす。昼食語彙事務所を遠回りに回る1時間弱の散歩。いつも履いている靴の靴底がすり減ったので表参道の靴屋を観るが連休のせいかいつもより値段が上がっているので購入は中止。その後はプロポーザルの条件を読み込みあれこれ建物配置をスケッチ。芳賀沼さんから届いた津波の情報をフォローする。正確で安全な震災対策を日常化するための建築というコンセプトを改めて確認する。

『現代日本思想論』は第4章を終えて第5章『丸山思想史学と思惟様式論』へ進む。カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』やヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』を参照しながら丸山眞男が提唱した日本の思惟様式における「原型」「古層」「執拗低音」といった概念が批判的に検討されている。丸山の発想が暗黙の内に日本という国民国家を単一の存在であることを前提としている点に限界を観るのが批判のポイントのようである。それは当然「外部」からの批判だがその外部が内部化されているかどうかを吟味することが必要かも知れない。


2013年05月02日(木)

7時起床。8時過ぎ出社。8時半に事務所を出て原宿駅で切符を受け取ってから明治通を渋谷方向へ歩き宮下公園でキャットストリートへ引き返し表参道を右折して青山まで歩くというヴァリエーションで9時半に事務所に戻る。やはりこの方面の散歩の方が歩いていても楽しい。仕事に関連する用件を各方面へメール連絡。放送大学から宣伝用の番組をひとつ選べという依頼が届く。郡ディレクターと岩崎ディレクターと相談し第2回「仮設住宅」を選ぶ。最初の収録なので僕の喋りは最悪だがインタビューが多いのでいいのではないかという意見で選んだ。日経新聞文化部の記者からメールが届き最近住宅が注目されている理由を聞かれたが締切までに時間がないので僕の放送大学のことだけを伝える。『LATs建築知へ』の原稿を読み直しあれこれ試行錯誤して4つのテーマに分類する。メンバーと僕とで捉え方が大きく異なる本もあるので少々強引なような気もするが全11回をそのまま羅列するよりは本の構成に少しはメリハリが出るし読者の取っ付きやすくなるだろう。連休中に4つのテーマについてコメントをまとめる予定。4時過ぎ遠藤政樹君が来所。釜石行きの乗車券を渡した後プロポーザルのスケッチについて簡単な意見交換。5時にLeone Spitaさんが来所。互いの近況について話し合う。彼はローマ大学の教員としての第一歩を歩み始めたようだ。しかしまだ期限付きの研究員で正式な教授になるのはあと3ステップのハードルがあるそうだ。間もなくMatteoさんが合流したのでタクシーで赤坂の寿司屋へ向かい待機している妻と4人で会食。刺身や寿司と日本酒とで盛り上がる。彼らはウニ、昆布、カッパの海苔巻がいたく気に入ったようだ。9時半に店を出て二次会は渋谷ののんべい横町へ。2006年に東大で開催したローマ大との合同ワークショップ「のんべい横町のリノベーション」を想い出しながら赤ワインで盛り上がる。11時半過ぎに店を出る。連休前の渋谷は夜中近くなっても人でごった返している。ハチ公前で二人と別れキャットストリート経由で歩いて帰る。さすがに表参道方面は人影が少ない。12時に帰宅しそのままベッドに倒れ込む。


2013年05月01日(水)

7時起床。8時半出社。久しぶりに神宮外苑に向かい神宮球場の回りを一周し裏路地を縫うように歩き9時半に帰宅。やはり外苑方面は淋しい。運動施設の回りはスケールも大きく隙間だらけで人が少ない。とくに古い団地はいくら植物が繁茂していても索漠としている。建築が朽ちているだけでなく実際の住人も少ないのだろう。TH-1と連絡を取り合い「146阿部邸」の工事契約書の叩き台の作成を依頼する。見積書もこれまでの複雑な経緯が分かるようなないようにするように指示。午前中にまとめて阿部さんに送信。秋田県立大の板垣直行さんにメールを送り能代の建築家西方里見さんを紹介してもらう。何年か前に国交省主催のサステイナブル・デザイン賞を獲得した建築家で『建築知識』3月号の特集「日本の住宅を変えた50人+α」にもとり挙げられている。秋田の「148本・箱の家」の現場監理のサポートを依頼するメールを送り条件について何度かやり取りした後快諾をもらう。これで最初のハードルを越えることができた。次は工務店の選択だがこれはある程度実施設計が進んだ段階で調べることにしよう。釜石市からメールが届く。来週初めの説明会と敷地見学に参加するように要請される。直ちに遠藤政樹君に連絡し同行するように伝えバッティングしているスケジュールを再調整した後にネットで乗車券を購入する。真壁智治さんに『建築知へ』の進行状況を報告。5月12日(日)のミーティングに参加してもらうことになった。イタリアから来日しているLeone Spitaさんから携帯に電話が入る。やけに興奮しているので酒でも呑んでいるのかと問うたら急に静かになった。明晩一緒に食事することを約束する。『現代日本思想論』は第3章を終え第4章「表象と意味の歴史学」に進む。歴史記述の方法論に関する議論が展開されている。いわゆる歴史=物語論争である。アマゾンから『講座 日本の思想 第1巻「日本」と日本思想』(岩波書店 2013)と『磯崎新建築論集3 手法論の射程---形式の自動生成』(岩波書店 2013)『なめらかな社会とその敵』(鈴木健:著 勁草書房 2013)の3冊が届く。読みたい本が山積している。


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