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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2012年05月31日(木)

7時起床。8時半出社。はりゅうウッドスタジオから郡山プロジェクトのデザインコードが届く。敷地条件に関する法的なチェックと敷地割が明示されている。東京よりも制約は緩やかなので設計はやりやすくなったが、問題はやはりコストだろうか。10時半、事務所内の打合せ開始。まず小暮邸@本庄の敷地条件について説明し至急、敷地の図面化を指示する。続いて郡山プロジェクトのデザインコードと界工作舍が担当するセミディタッチド・ハウス(2連長屋)の第2案の方針を説明し早急な図面化を指示する。引き続き栃内がまとめた「143高田邸」の査定結果をチェック。「140北山邸@国立」と「142森山邸@浦和」の工事契約金額と比較して収斂させる。正午前に修正結果にコメントを添えて工務店と高田夫妻に送信。来週半ばまでの回答を要請する。どれも技術的問題は解決しているがコストが問題である。午後はテキスト続行。あれこれ文献を散読しながら夕方までにようやく15枚余まで書いたところで筆が止まる。25枚までの題材は揃っているし結論も見えているのに、そこまでの論理展開が見えてこないからだ。気を取り直して戦後の住宅政策の背景を辿るためにamazonから届いた『高度成長---日本を変えた6000日』(吉川洋:著 中公文庫 2012)を読み始める。以前、読んだことがあるが文庫として再版された。これで少しは勢いがつくかも知れない。番組全体の構成を再検討する意味でも重要な文献である。10時前帰宅。『高度成長』を読みながら夜半就寝。


2012年05月30日(水)

7時起床。8時半出社。晴れで穏やかな天気である。「143高田邸」の高田さんからメールが届く。見積が予算をかなり超えていたので焦ると同時に意気消沈しているようだ。僕たちは何度も同じような修羅場を乗り越えてきているので、その旨を伝えて元気づけるメールを返信。午前中は小暮邸@本庄のスケッチ。敷地図面がまだできていないので正確な寸法は分からないが方針は見えてきた。敷地条件はクリアできそうなので次の課題は工事に可能な予算だろう。米屋の機械類が残された既存建物の解体工事にどれくらいかかるかが問題である。午後は放送大学テキスト続行。第10章「住宅の供給」に集中するがネタが少なくてなかなか話題を展開できない。建築家の視点から住宅供給の現状をどう論じるかがなかなか見えてこないせいもある。10枚まで書いたところで頓挫。4時半に事務所を出て地下鉄を乗り継ぎ市ヶ谷の法政大学へ。デザインスタジオの第8回。欠席者が3人いたので残り6人でじっくりとエスキスができた。とはいえ先週さんざん敷地調査の重要性について念を押したにもかかわらず、ほとんど調査もしないで延々と自説を述べたてる学生に辟易とする。多分その後には敷地調査に行っていないのだろう。佐々木くんの堪忍袋の緒が切れそうになったので僕まで怒る気にはなれなかったが、少々ウンザリである。次週も変わらないようならば、この学生のエスキスはパスすることにしよう。引き続く5人の学生はその後も調査を続けているようなので、ある程度の展開が見られた。しかしレベル差のある敷地条件に取り組んでいる学生3人がたまたま休んでいるので、敷地全体のリノベーションのイメージはまだ湧いてこない。それにしても学生の反応が今一なので毎週のスタジオがだんだん苦痛になってきた。7時半終了。8時過ぎに事務所に戻る。直ちに今日のスタジオの感想と課題を整理しスタジオメンバーに送信。暖簾に腕押し的なこの作業が毎週の日課になってきた。その後テキスト続行。1枚だけ追加して10時帰宅。あれこれ考えながらウィスキーを煽り夜半就寝。


2012年05月29日(火)

7時起床。昨夜は寝ついた頃に大きな地震があったので3時過ぎまで眠れなかった。8時半出社。曇り。眠い。明らかに寝不足である。昨夜栃内がまとめた「143高田邸」の見積結果と比較表にコメントを添えて高田夫妻に送信。大急ぎで査定をまとめるように栃内に指示。今週土曜日の大阪行きのスケジュールを前島夫妻、寺山、工務店2社に連絡。11時過ぎに事務所を出て表参道、渋谷経由で品川駅へ。12時過ぎの新幹線で熱海下車。伊東線に乗り換えたところで内藤廣さんと内藤事務所OGの太田理加さんに合流。放送大学のロケ取材である。宇佐美駅で下車しタクシーで「織の家」に1時着。17年前に竣工した住宅だがまったく古びていない。1時半に岩崎ディレクターと取材班が到着。高橋+平澤夫妻に挨拶。ご主人は横浜市役所の職員ですでに退職されている。奥様はテキスタイルデザイナーで現在も手動織機を使って自分で織られている。急勾配の傾斜地に等高線にそって平行に建ち、1階が天井の高い織機工房、水回り、寝室。2階がコモン空間。LDKと書斎の間に同一床レベルの屋根付きデッキテラスがある。内藤さんらしい垂木が反復する切妻屋根のリニアーで単純明快な空間である。インタビューはデッキテラスで行うことにした。奥様が机の上に自作のテーブルクロスを敷いてくれた。紺色のストライプをモチーフにしたクロスで、天井の垂木のパターンにシンクロしたデザインである。2時過ぎにインタビュー開始。内藤さんの建築に感じられる時間性の話題から始めて「素形」と時間の関係、モダンデザインにおける時間性の欠如の問題、グッドデザイン賞に時間性をどう持ち込むかという課題、3.11以降の復興と時間の問題など「織の家」の具体的な時間性から建築や都市における時間の問題まで広汎な意見を聴くことができた。ずいぶん長く話を聴いたような気がしたが実質は30分弱で納まったようだ。その後はあれこれ雑談。取材班が建築を撮影している間は夫妻、太田さんも加わって四方山話。ご夫妻にお礼を述べ4時前にお暇しタクシーで宇佐美駅へ。4時半の電車に乗り熱海で新幹線に乗り換え。車内では内藤さんと近況について雑談。内藤さんは岩手県で土木、都市、建築を横断する復興計画に携わっているとのこと。6時過ぎに品川で別れ渋谷駅まで。構内窓口で予約しておいた金曜日のいわき行きの切符を受け取り7時に事務所に戻る。夜は花巻と「145前島邸」の設備図打合せ。天井裏の暖気を暖房に使うシステムについて検討。できるだけ単純なシステムにまとめるように指示。10時帰宅。11時過ぎに花巻から届いた「145前島邸」の設備図面一式をiPadから前島夫妻と寺山に送信。『虚空へ向けて』を読み続ける。「建築材料」と「被覆の原理」の項でようやくロースの建築論に触れる。ロースは建築材料は被覆機能において下地を模倣してはならないという被覆の原理にもとづいてイミテーション批判を展開している。しかし僕の見るところ西欧建築の歴史は様式(記号)の歴史であり、建築材料においては必然的にイミテーションの歴史にならざるをえないから、ロースのイミテーション批判にはやや無理があるように思える。夜半就寝。


2012年05月28日(月)

7時起床。8時半出社。午前中は晴れていたが午後は雷雨の後、夕方は快晴という不思議な天気。相変わらず寒気が日本の空を覆っているらしい。午前中は報道大学テキストの図版を選び飯塚にスキャンを頼む。その間、原稿を読み直しキーワードを追加。昼前に編集部に送信。午後は再びテキスト続行。自分の興味と知識の偏りを痛感する。何とか月末までにはもう1章を仕上げたいのだが。4時半に事務所を出て地下鉄で乃木坂へ、ミッドタウン5階のデザインハブに5時前着。グッドデザイン賞の第1回審査会議だが4時の開始時刻を1時間間違えてしまった。残り30分の会議だけに参加。資料を見ると今年の審査システムはかなり変更されている。まずビッグサイトでの2次審査は中止となり、2次審査を通過した作品だけをビッグサイトで展示会に出品することになった。応募数が年々増加しビッグサイト会場に納まらなくなったせいかも知れない。応募カテゴリーも再編成されマトリクス方式になっている。住宅部門に関しては「生活支援のためのサービスシステム」が加わり住宅と他の都市機能の複合化も視野に入ってきた。住宅部門の審査委員は、僕に加えて篠原聡子、安積朋子、千葉学の4人となった。安積さんは建築出身だが現在はロンドンで活動するプロダクトデザイナーである。大学の建築学科を出た後、石井和紘事務所で働いていたとのこと。僕のこともよく知っていて、まさに奇遇である。審査会終了後、近くのメルセデス・ショールーム2階のバーで懇親会。GD賞の懇親会には初めて出席した。会場で田川欣哉さんと名刺交換。東大の工学部機械情報工学科を卒業した若手のエンジニアリング・デザイナーである。今年から新たに設置された特別審査ユニットの審査委員で建築にも興味を持っているという。山中俊治さんの弟子で伊東豊雄さんとも恊働している。不勉強で知らなかったがMUJI NOTEBOOKのデザイナーだそうだ。事務局の川口真沙美さんと今年の審査の進め方について意見交換した後7時過ぎに会場を出て8時に事務所に戻る。工務店から「143高田邸」の見積が届く。予想よりやや高めの金額。直ちに「140北山邸」との見積比較表を作成するように栃内に指示。問題点を整理して工務店に再検討を依頼するメールを送信。明日の放送大学ロケの資料を整理し10時過ぎ帰宅。『虚空に向けて』を読みながら夜半就寝。


2012年05月27日(日)

8時起床。ゆっくりと朝食をとり10時出社。五月晴れの天気なので外に出かけたくなるが、ぐっと我慢して机に向かう。午前中は昨日小暮さんから預かった書類を精査し現状の敷地と建物の状況を整理する。その結果をまとめて小暮さんに送信し、最新の住宅部分の申請書類の確認を依頼する。敷地の寸法と建物配置を整理しながら簡単なスケッチを始める。敷地の間口の寸法がちょっと厳しいが、車2台と玄関ポーチはギリギリ確保できそうだ。南北にベランダをつけても十分な広さの中庭を確保できることも分かった。明日からは昨日実測した寸法に基づいて敷地図を描き、もう少し正確な寸法でスケッチをスタートさせよう。午後は放送大学のテキスト第12章に集中。これまでに書いた原稿を再編集し、追加原稿を書き加えて夕方までに30枚余にまとめる。図版リストを整理した後、編集部に送信。どっと疲れが噴き出したので、熱い風呂に入って一休み。夕食後、テキスト編集部から返信メールがあり参考文献と図版を要求される。直ちに文献を集めて原稿に追加。図版は明日の作業とする。10時帰宅。『虚空へ向けて』を読み続ける。ロースは帽子や靴など当時のファッション批評にまで食指を延ばしている。読んでいるうちにゲオルグ・ジンメル(1858-1918)を連想した。ジンメルはロースより一回り年上で、主にベルリンで活動したのだが、時代批評の視点ではどことなく共通しているような気がする。いつか読み比べてみたい。


2012年05月26日(土)

7時起床。8時半出社。快晴で暑い。放送大学テキスト続行。第12章のタイトルを「「生きられた家」から「生きられる家」に変えることにする。書いているうちに現在形の方が番組にふさわしいと考えたからである。10時半に事務所を出て銀座線で渋谷に行き、湘南新宿ラインの高崎行きに乗車。約1時間半で1時前に本庄駅着。改札口でクライアント候補の小暮さんと待ち合わせ。車で小暮さんの現在の住まいへ向かう。昨年末から2つの敷地候補で検討していたが、なかなか事態が進展しないので、現実の敷地を見た上で条件を検討することにした。近くのレストランでタイカレーの昼食。古い酒蔵をリノベーションした瀟洒なレストランである。若い建築家による設計らしい。その後、現在の住まいへ。かつての米屋で現在は休業している。かなり交通量の多い街道に南面している。米屋の奥に現在の住まいがあり、小暮夫妻は両親と同居している。持参した巻尺で敷地の大まかな寸法を測定する。間口約4.5間、奥行約25間、約110坪の鰻の寝床的な敷地である。前面の米屋部分の敷地だけで約55坪あるので、旧家との間に町家的な中庭を置いても、まったく問題のない広さである。別の敷地候補もあるようだが、僕としてはこの敷地で両親と「スープの冷めない距離」に住むことがベストだと考え、その旨を伝える。敷地の書類一式を預かり、早急にスケッチを開始することにして3時過ぎにお暇する。本庄駅まで送ってもらい3時半過ぎの湘南新宿ラインに乗車。渋谷を経由して5時半に事務所に戻る。直ちに事務所内の掃除。6時過ぎに解散。少々疲れ気味だが妻と赤坂に行き夕食。9時半に帰宅。風呂に入って汗を流し夜半就寝。

往復の電車の中で『虚空に向かって』を読み続ける。本書はアドルフ・ロースの建築論というよりも工芸論(プロダクトデザイン論)である。28歳のロースはまだ本格的に建築をつくっていないのだから当然だが、それにしても当時の工芸技術に関するロースの知識は半端ではない。住宅を芸術ではなくデザインとしてとらえる視点は、実用性を最優先する工芸論から来ているのかも知れない。ロースの機能主義には初期モダニズムの勢いが感じられる。当時のウィーンではモダニズム・デザイン運動がイギリスやアメリカに端を発するとは考えられていなかった。それを先取りした点は、若い時期をシカゴで過ごしイギリスの工芸技術を研究してきたロースの真骨頂だろう。僕もここ10年ばかりグッドデザイン賞の審査委員を続けているが、ロースのデザイン観には共感するところが多い。


2012年05月25日(金)

7時起床。8時半出社。曇りのち小雨。9時半に事務所を出て地下鉄銀座線で銀座駅下車。あ銀座6丁目松坂屋裏の「オフィスマシン1985」へ10時着。佐々木睦朗さんと初めて恊働した建築である。リコーサービスの社員3人と一緒にメンテナンスのための実地検査を行う。10年前に一度全面的な検査とメンテナンス工事を行ったが、竣工後27年を経過して設備機器類がそろそろ寿命になってきたようだ。側壁面をざっと見た後、エレベーターで屋上まで上り空調屋外機や受電設備を見る。確かにかなりくたびれている。エレベーター機械室は定期点検をしているので大きな問題はない。テナントがいるため室内を見ることはできない。地下室は隣地が空地になってから湿気が酷くなったとのこと。道路から見た正面のアルミパネルのファサードはほとんど変化がない。6月中旬までにメンテナンスに関する意見書をまとめることを約して11時過ぎ終了。12時前に事務所に戻る。2時前河野さん、引き続き工務店社長が来所。別室で花巻が立ち会い「144河野書店」の工事契約締結。3時前終了。その間はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんと滑田さん、日大郡山の浦部さん、JIA福島の嶋影さん、ナスカの八木さんとで郡山の復興モデル住宅の打合せ。4チームの案が出揃ったので、配置計画の相互調整に関する話し合い。外構の計画を浦部さんの担当とし、相互調整を依頼。中央の中庭を囲む軒の高さを揃えること、それぞれの建物を中庭に開放し連続させること、階高を2.4mとすること、通路部分に木製デッキを張ることなど最低限の共通ルールを決める。4時過ぎ終了。僕たちの案は最終的に僕たちでまとめることとし、データをスタッフに送信。大阪で「箱の家」の工事を依頼した工務店から連絡が届き「145前島邸」の見積を請けてくれることになった。昨夜、竹原義二さんにも工務店の紹介を依頼したが、その返事が届いたので直ちにその工務店に連絡し快諾をもらう。その結果を前島夫妻に報告。できれば来週末の打合せの席で工務店2社を紹介することにした。夜はテキスト集中。「生きられた家」は「建築的無意識」の原稿を再編集して一気に15枚近くまで届いたところでどっと疲れが吹出す。9時半帰宅。風呂に入りウィスキーを呑みながらしばらくボンヤリした後『虚空へ向けて』を読み続ける。ジャーナリスティックな文章ばかりなので19世紀末のモダニズム前期の雰囲気を感じることはできるが『装飾と犯罪』のような理論性がないのが個人的には少々物足りない。夜半就寝。


2012年05月24日(木)

7時起床。8時半出社。昨日とはうって変わり快晴で暑いくらい。早朝はりゅうウッドスタジオから郡山プロジェクトの清書図面が届いたのでプリントアウトしざっと眼を通す。9時前に事務所を出て、半蔵門線、田園都市線を乗り継ぎ、あざみ野で横浜地下鉄線に乗り換えてセンター南駅で下車。緑の多い港北ニュータウンの中を約15分歩き「無印良品の家港北ニュータウン店」に10時前着。いつも通り岩崎ディレクターと取材班は到着し撮影機材の準備中である。ムジネット専務の田鎖郁男さんと店長の里見忠昭さんに挨拶。田鎖専務が無印住宅の開発当時から今日までのさまざまな資料を持参されていたので、岩崎ディレクターに見せながら一通りの内容を説明。10時半から田鎖さんのインタビュー開始。無印住宅開発の経緯。無印良品の中での無印住宅の位置づけ。全国展開の販売建設体制、ハウスメーカーとの相違、今後の展開などについて20分余り話を聞く。ネット販売が根づくまでの数年間はほとんど売れなかったが、ここ数年で徐々に販売戸数が増加し現在は総計600棟を越えているそうだ。最大の要因はコストダウンや性能向上のための部分的な改良は絶えず続けながらも「無印良品の家」としての開発当初の基本コンセプトをまったく変えていないためだという。田鎖さんの明解な主張に開発者としての僕も初心に戻った感じがする。住宅生産の工業化には二通りあるという指摘には目から鱗である。ひとつは建築部品を工場で可能な限り複合化し、現場組立を最小限に抑えるという通常のハードな工業生産化。もうひとつは必要な建築材料の数量を正確に準備し、現場を工場と見立ててほとんど無駄のない工事を行うというソフトな工業生産化である。「無印住宅」は後者の方法で徹底的に無駄を省いた工事を行っているという。これには僕も考え込まされた。要するに大工がすべての工事を行うから大幅なコストダウンが可能になるのである。インタビュー終了後、建物内外を撮影し12時丁度に終了。取材班の車に同乗し、途中ファミレスで昼食をすませた後、池尻大橋で下車。地下鉄で表参道まで戻り2時前に事務所に戻る。はりゅうウッドスタジオから届いた図面を大急ぎでチェックバック。4時半、高田さんが到着。守谷市の「143高田邸」の実施図面の打合せ。間もなく夫人と娘さんも到着し打合せに参加。6時半過ぎ終了。栃内と詳細の打合せ。コストコントロールのための釘を刺す。来週ロケを行う内藤廣さんの伊豆の家の取材要領を送信。夜は放送大学テキスト再開。第12章「生きられた家」のスケッチに集中。10時過ぎ帰宅。

電車の中で『危機の二十年』の赤線部分を再読する。本書は1919-1939の戦間期の国際連盟を巡る各国の政治活動をケーススタディとして国際政治のあり方について論じた内容だが、そもそも国際政治という政治的ジャンルが生まれたのが第一次大戦中(1914-1919)だったという点が興味深い。1917年にロシア革命が勃発し歴史上初めて社会主義国家が生じたことによって、資本主義に根ざす自由民主主義政治が通用しなくなったことも問題を複雑化した。そもそも第一次世界大戦は初めての世界大戦であり、国家を総動員してのいわゆる「総力戦」であったことも19世紀の戦争とは大きく異なっている。国家の政治的主導による「計画経済」の考え方が生まれたのは第一次大戦中のドイツにおいてであり、それが革命後のソヴィエト・ロシアに引き継がれたのである。このあたりの状況については、訳者あとがきにこう書かれている。
「カーが19世紀の自由放任主義・利益調和説に「ユートピアニズム」の烙印を押して、これを徹底的に批判したことは既述の通りだが、これらの教義が、政治・経済分離論と表裏していたことはいうまでもない。この分離論は、政治権力の介入を排して経済の自立を計ることへの信念を意味している。しかし、参戦国それぞれが国民の経済生活を総動員せざるをえなかったあの第一次大戦は、こうした自由放任主義の哲学を劇的に変えてしまった。つまり第一次大戦は、国民経済すべてを政治権力によって組織する必要性、いや必然性を明確にしたのである。いい換えれば、第一次大戦は政治と経済を完全に結びつけると同時に、政治による「経済の計画化」すなわち集権的社会主義への道を拓く重大な駆動力になったということである。」
建築・都市におけるモダニズムの思想的な根拠も、まさにここにあるといってよい。カーによれば「危機の二十年」の前半10年(1919-1929)は国際連盟に代表される19世紀的な「ユートピアニズム」の時代であり、後半10年(1929-1939)はナチズム、ファシズム、ソヴィエト・ロシアによる20世紀的な「リアリズム」の時代である。バウハウスに代表されるモダニズム・デザインが誕生したのはドイツにおいて民主的なワーマール政権が発足した前半10年の時期であり、それが解体し(1933)アメリカとロシアに分かれていったのは後半10年の間である。モダニズム・デザイン運動を本書の歴史的分析に照らし合わせながら詳細に分析してみると、さまざまな新しい発見があるような気がする。


2012年05月23日(水)

7時起床。8時半出社。快晴で暖かい。しばらく雑用。9時半過ぎに事務所を出て歩いてキラー通りの「塔の家」へ。すでに岩崎ディレクターと取材班が着いている。半階上がった玄関階のダイニングキッチンで東利恵さんのインタビュー。1966年に「塔の家」が完成して以来の住まいの記憶から始めて、狭さを感じさせない上下方向の一室空間の住体験、身体化されたスケール感、小さな住まいの可能性、建築家になってからの「塔の家」への相対的な視点、周辺環境の変化に対するコメントなど、さまざまな質問を投げかけて約30分で終了。その後、取材班が内外を撮影している間に東さんと四方山話。最近竣工した竹富島のリゾートホテルの写真を見せてもらう。地域性を生かした丁寧な仕事に感心する。12時過ぎ終了。取材班の車で北上し四谷三丁目近くの定食屋で昼食後、新宿区矢来町の「シェア矢来町」に1時前着。3階建てのシェアハウスでファサード全面を覆うテントが面白い。1階は開放的な空間だがテントで覆われているのでファスナーを開けて室内に入る。完成して間もないが7人の個室はすでに満杯だそうである。3階のコモン空間で篠原聡子さんへのインタビュー。「おひとりハウス」に興味を持ち始めたリノベーションの仕事から始めて、最近の家族像の変化とシェアハウスの可能性、個室の閉鎖性と開放性、集合住宅におけるコモン空間のあり方、コモン空間の都市への連続性などについて約20分余のインタビュー。個室1室だけを開放してもらい撮影。その後、建物全体の撮影の合間に篠原さんと四方山話。今年からグッドデザイン賞の審査委員に参加してもらうことになったので。その話題にも花が咲く。4時過ぎ終了。取材班の車で市ヶ谷まで送ってもらい法政大学の近くで下車。少々早めだったが4時半にスタジオに着く。しばらく雑用を済ませた後、佐々木くんが加わり5時からデザインスタジオ第7回。9人の学生ひとりひとりの敷地調査報告とリノベーション・プログラムのエスキス。しかし敷地調査が浅いので生産的なプログラムは出てこない。リノベーションのためには突っ込んだ敷地調査が決定的な前提条件である。学生たちはそれが分かっていないようなので、ひたすら敷地調査の重要性について話す。一人当たり20分のエスキスで2時間半。ぐったりと疲れて7時半過ぎ終了。佐々木くんと表参道で別れ簡単な夕食をすませた後9時に事務所に戻る。直ちにスタジオの学生全員に猛省を促すメールを送る。栃内と「143高田邸」立面詳細図の打合せ。微調整して明夕の打合せの準備を指示。明日の無印住宅のロケ取材の準備をして10時半帰宅。松原弘典さんから『未像の大国 日本の建築メディアにおける中国認識』(松原弘典:著 鹿島出版会 2012)が届く。博士論文をまとめた400ページ余の本で3月に北京空港の待合室で話題になった。いずれじっくり読んでみよう。10時半帰宅。思いついて『虚空へ向けて:アドルフ・ロース著作集-1』(アドルフ・ロース:著 加藤淳:訳 鈴木了二+中谷礼仁:監修 編集出版組織アセテート 2012)を読み始める。夜半就寝。


2012年05月22日(火)

6時15分起床。大急ぎで朝食を摂り7時前に出社。曇り後雨。かなり寒い。曇り空の中7時過ぎに事務所を出て東京駅へ。東北新幹線改札口脇の窓口で予約しておいた切符を受け取り8時過ぎ東京発の新幹線で福島へ9時50分着。改札口で芳賀沼さんと待ち合わせ福島県庁へ10時着。建築住宅課被災者支援住宅対策チームの責任者が副県知事に呼び出されて不在なので専門建築技師と面談。会津若松の第二次仮設住宅の解体移築に関する話し合い。先頃、芳賀沼さんが解体移築に関する県の委員会に出席したが、県の方針が曖昧なので解体移築の条件を明確にし僕たちの提案を報告するために僕も立ち会うことになった。僕たちとしては単なる解体移築ではなく復興住宅につながるような計画にすべきだと考えるので、そのための課題を指摘し対策を提案する。しかし仮設住宅の枠組が決まっているので、それ以上のことはできないし、しないでもらいたいという一点張り。たしかに法的にはそうかも知れないが、法のために仮設住宅がある訳ではない。課題を課題のまま放置することこそ税金の無駄遣いではないだろうかと反論。しかし正当な論理も官僚には通じない。さらに解体移築に関する研究も日大浦部研やはりゅうウッドスタジオが建設当初から計画し作業を進めているにもかかわらず、東大の某研究室が途中参入しようとしているらしい。僕たちから見れば、それは解体移築のための実践的な研究というよりも、木造仮設住宅の技術に無知な学生による研究のための研究に過ぎないことを指摘する。県がすべての窓口なので手続はまどろっこしいが地道に説得するしかない。11時半終了。今日の打ち合わせは復興住宅への第一歩だという芳賀沼さんのコメントが耳に残る。芳賀沼さんの車に同乗し南会津のはりゅうウッドスタジオに向かう。車内では郡山プロジェクトのなどいくつかの打ち合わせ。途中釜揚げうどんの昼食を食べた後、ひたすら西へ走って2時半過ぎにはりゅうウッドスタジオに到着。初めて会う滑田夫人に挨拶し一服した後、小雨の中、工事中の滑田邸の現場へ向かう。150角杉材の縱ログ構造でつくった2間角のユニットを4個並べたフォーマルな住宅でルイス・カーンのトレントン・バスハウスやマリオ・ボッタの住宅を連想させる。外装や屋根仕上げ、床構造、暖房空調システムについて質問。その後スタジオに戻り構法について意見交換。シェルターの熱性能と暖房システムが気になったので改良のアドバイス。郡山プロジェクトの詳細図への反映を依頼して5時半過ぎ了。芳賀沼さんの車で那須塩原駅まで送ってもらう。福島県は異常に広い。7時過ぎの新幹線に乗り8時20分東京駅着。東京はひどい土砂降り。地下鉄で表参道まで行き歩いて9時に事務所に戻る。コンビニのおむすびとビールで簡単な夕食。花巻、栃内と簡単な打ち合わせ。僕の思い違いで「144河野書店」の工事契約と「郡山プロジェクト」打ち合わせがバッティングしたので、前者は英語教室で行うこととする。10時半帰宅。『危機の二十年』の最終章を読みながら夜半就寝。


2012年05月21日(月)

7時前起床。朝食を摂りながら曇り空の金環食を瞥見した後8時過ぎに出社。「144河野書店」の契約条件がまとまったので今週末に工事契約を締結することになった。8時半に事務所を出て千代田線、小田急線を乗り継いで小田急相模原に10時15分前着。タクシーで野沢正光さんの自邸「相模原の家」に10時着。岩崎ディレクターと取材班がすでに到着している。何年ぶりかの再訪である。夫妻に挨拶した後1階リビングに撮影機材を設置しインタビュー開始。既存樹木の保存と隣家の緑との関係に配慮した配置計画、初期のOMソーラーシステムの組み込み、1992年の完成後20年間の生活で学んだこと、リノベーションと絡めた今後の仕事のヴィジョンなど約30分のインタビュー。野沢さんとは何度も対談したことがあるので、これまでで一番気楽にインタビューできた。野沢さんの話を聞き、あらためてこの家の成熟度の高さを実感する。その後、取材陣は建物の撮影。僕は野沢さんと一緒に地下に降りて四方山話。12時前に終了。お茶をいただきしばらく歓談後12時過ぎにお暇する。取材班の車に同乗して東北東方向へ走り1時過ぎに途中のファミレスで昼食。2時丁度に小泉雅生さんの自邸「アシタノイエ」に到着。ここも3度目の再訪である。7年前に見学した時は周囲にはあまり住宅が建っていなかったが今回はビッシリと住宅が建て込み周囲から「アシタノイエ」の外観がほとんど見えなくなっている。2階の食堂に撮影機材を設置してインタビュー開始。設計時に考えたこと、ランドスケープと基本計画の関係。2世帯6人家族と一室空間の構成。微細な木構造システムの試み、シェルターの構法と性能の実験、2004年の完成以降の生活とメンテナンスのことなど約25分のインタビュー。その後、取材班が撮影している間は小泉夫妻と家族などの四方山話。長男と次男は大学で建築を学び長女は中学生だそうだ。2人の男の子が建築家を志しているとは羨ましい。2匹の猫が一室空間のランマを渡り歩く姿が面白い。方位とはあまり関係づけず、方向性のない拡散的な内部空間を改めて確認する。4時過ぎに終了。取材班の車で池尻大橋まで送ってもらい、田園都市線、銀座線で表参道へ。5時過ぎに事務所に戻る。途中、芳賀沼さんと電話連絡。会津若松のログ仮設住宅をいわきに解体移築する打合せのために明日福島に赴くことになった。郡山プロジェクトの断面詳細の手描きスケッチをまとめてPDF版にしてはりゅうウッドスタジオと日大浦部研に送信。夜は花巻、飯塚と「145前島邸」の展開図の打合せ。部分的に修正してコメントを付けて前島夫妻に送信。栃内と「143高田邸」の詳細打ち合わせ。石山研から石山修武第41信「磯崎論」が届いたので直ちにXゼミサイトにアップ。9時半過ぎに帰宅。シャワーで汗を流した後『危機の二十年』を読み続ける。第13章「平和的変革」まできてモダニズムとの関係がクリアに見えてきた。残りは最終賞だけなので読み終わってから頭を整理してみよう。


2012年05月20日(日)

7時起床。8時出社。8時半過ぎに家を出て地下鉄鉄、田園都市線を乗り継ぎあざみ野で下車。改札口で飯塚と待ち合わせバスでもみの木台で下車。「124佐藤邸」に10時15分前着。佐藤一家に挨拶。凛ちゃんも元気くんも小学生になっていてビックリ。竣工は2008年5月だから丁度4年経った訳である。佐藤夫妻と出会ったのは凛ちゃんがお腹の中にいる頃だから10年以上も前である。佐藤さんの話ではギャラ間で「箱の家」の展覧会を開いた頃だという。間もなく岩崎ディレクターと取材班が到着。リビングのソファに佐藤一家が座り、僕は椅子に座る形でインタビュー開始。「箱の家」を選んだ理由、設計時のやり取りの想い出、吹抜けに設置したパネルヒーターの使い方と効果、L字型プランに4年間住んでみた感想など約30分聞く。夫妻だけでなく凛ちゃんや元気くんも応えてくれたのが収穫だった。その後、内外の撮影。その間、僕は佐藤夫妻と四方山話。インタビューでは話せなかったさまざまなエピソードを聞く。12時過ぎに終了しお暇する。取材班の車に同乗しあざみ野駅へ。近くのファミレスで昼食。その後、高速で神宮前まで戻り「箱の家112」(界工作舍+自邸)に2時前着。前面道路を挟んで斜め前の「箱の家139」との関係、1階が事務所で2階が住まいという職住近接、中庭を挟んだ町家的空間などを撮影。前面道路に立ちふたつの家の関係について説明するシーンを撮って4時前終了。その後、お茶を飲みながらしばらく歓談。4時半に解散。これで「箱の家」の取材は一通り終了した。その後帰宅ししばらく休息。7時に妻と外苑前の寿司屋で夕食。空き腹に日本酒を呑んだらすっかり酔いが回る。9時過ぎ帰宅。ゆっくりと風呂に入った後『危機の二十年』を読みながら早目に就寝。


2012年05月19日(土)

7時前起床。8時出社。8時半に事務所を出て、JR山手線、中央線を乗り継ぎ9時半に国立駅着。南口でインターンの飯塚と待ち合わせ歩いて「134久保邸」に10時10分前に到着。すでに岩崎ディレクターと取材班は到着し撮影機材の準備中である。まず久保夫妻に挨拶した後、岩崎ディレクターに対し「箱の家134」の街路への開放性、一室空間と複数の床レベル、階段のモデュールなど撮影すべきポイントについて説明。直ちに撮影開始。撮影している間は久保夫妻と四方山話。一通り撮影した後、階段に座って数分間の説明トークを撮影しすべて終了。12時前にお暇する。その後、近くのファミレスでゆっくりと昼食。1時半に店を出て「140北山邸」へ。再びのこの建物の概要を岩崎さんに説明した後、インタビューのためのセッティング。2時過ぎから、理人君と美結ちゃんを交えて北山夫妻のインタビュー。「箱の家」を選んだ経緯、1年間住んでみて感じたこと、街路への開放性の効果、暖房や通風の状況などについて訊く。準備した質問項目があっという間に終わってしまったので、慌てて質問を追加したが、それでも15分程度で終わってしまう。子供達も緊張して何も答えてくれないので少々慌ててしまった。それに正対してインタビューは緊張することが分かった。やはり互に90度の座り方の方が楽である。その後、建物内外を撮影し4時前に終了。玄関の下駄箱扉の裏にいつものサインを描き、建物の正面で北山一家と記念撮影して4時すぎにお暇する。JR中央線がメンテナンスのために止まっていると聞いたので、取材班の車に同乗し表参道まで送ってもらう。5時半に事務所に戻る。栃内と「143高田邸」の展開図の打ち合わせ。一部を修正して高田夫妻と工務店に送信。6時半に帰宅。夜は『危機の二十年』を読みながら早めに就寝。


2012年05月18日(金)

7時起床。8時半出社。曇りから午後は雷雨のち快晴という不思議な天気。やけに風が強い。放送大学テキスト続行。しかし遅々として進まない。5枚まで書いて筆が止まる。テンションが上がらないのではない。何かに引っかかっているのだが、それが何かが分からないのだ。多分、章立てについてまだ自分の中で吹っ切れていないのかもしれない。午後、放送大学のスタジオセット係からメールが届く。スタジオセットのうち、机に関して一部修正したいとのこと。一緒に届いた背景パネルの図面を確認してビックリ。制作部から当初の僕のデザインの問題点を指摘され、いろいろ考えあぐねた挙げ句、変更した結果がまったく反映されていない。すでに大部分のセットは当初のデザインで制作済だそうだ。聞けば主任ディレクターが僕の変更案を現場に伝えていなかったのだという。家早南友。建築の現場ならば酌量の余地はないミスだから当然やり直すべきなので、その旨を伝える。番組収録の2ヶ月前だったのが不幸中の幸いである。昨日に引き続き郡山プロジェクトの詳細図スケッチを進める。縦ログ材と基礎、2階床、屋根スラブの結合システム、外壁の外断熱と外装、屋根通気などの納まりを手描きで描いていく。技術的に大きな問題はないが、法的には構造と外壁防火が問題になりそうだ。9時半過ぎ帰宅。『危機の二十年』を読み続ける。第10章「法の基盤」を読み終えて第11章「条約の拘束性」のへと進む。国際法や条約にはそれを司る組織も超越的な権力もないので自然法、道義、慣習に頼るしかないという論理が興味深い。


2012年05月17日(木)

7時起床。8時半出社。9時半に事務所を出てJR山手線、中央線を乗り継ぎ国分寺駅で下車。南口からタクシーで府中市栄町の住宅「家畑」へ約束の10時半少し前に着く。日本建築士会連合会作品賞の現地審査である。家の前で待機していた設計者の瀬野和広さんに挨拶。まもなく松川淳子さんが自転車で到着。松川さんは近くに住んでいるとのこと。南と東と道路側は3寸5分角の木の縦ルーバーで囲まれている。庭を囲む半透明のルーバースクリーンが効果的である。この柱は内側の斜面の畑を支える柱にもなっている。屋根と外壁は黒色のガルバリウム鋼板立てハゼ張り。玄関ポーチから畑の階段を上り2階テラスを通って室内に入る。幅2間L字プランの総2階建てである。構造体は集成材で床梁と屋根登梁に集成材の3寸5分厚の平角材を平使いしている。木構造の設計は稲山正弘さんだそうだ。階高は2.7mなので天井高の問題ではなく平使いの梁を外周の桁に載せてスラブ的に扱うためである。畑を住まいに持ち込んでいる点は現代的だし、細部まで手慣れたデザインで、クライアントも満足しているのだから文句のつけようがない住宅である。しかし今一キレが感じられない。サステイナブル・デザインをめざしているようだが、夏の朝日対策や自然通風のための開口の想定は明らかに意図と現実がズレている。宙ぶらりんの気分のまま11時半にお暇する。バスで国分寺まで戻る。少し時間があるので北口へ抜け「なおび幼稚園」の現場監理の頃に何度も通ったうどん屋に立ち寄る。野菜たっぷりの田舎うどんを腹一杯食べられるのでトライアルしてみたが、さすがに全部は平らげられなかった。12時半に店を出てJR中央線で四谷まで行き、地下鉄南北線、有楽町線を乗り継いで辰巳駅で下車。地上に出ると汗ばむ暑さ。北方向に約10分間歩いてSANAA事務所へ2時前着。妹島和世さんのインタビュー取材。鉄骨造平屋の倉庫をリノベーションした広大な一室空間である。目測では間口20m、奥行40m、天井高は優に6mはあるだろうか。入口は素っ気ないアルミサッシでスタッフが打合せをしているのが外から見える。間もなく岩崎ディレクターと取材班が到着。高さ1.4mの棚で仕切られた通路を通り約40mの一番奥まで行く。スタッフは何人いるだろうか。実に静かである。大きな机で妹島さん1人が書類を見ている。沢山の植木と巨大な模型が所狭しと置かれているが、天井が高いので狭い感じはしない。天井には手動クレーンが吊るされているが使っている形跡はない。机の脇にベッドが置かれている。徹夜のとき妹島さんはここで仮眠するそうだ。突き当たりの窓の向こうには辰巳運河が見える。大机の脇に照明機材をセッティングし2時半から取材開始。「梅林の家」に絡めて「小さな家」の可能性についてあれこれ質問する。最後は工事中の東松島の「みんなの家」について話を聞き30分弱で終了。規模の大小に関係なく一室空間をいかにつくるかがテーマのような気がするという妹島さんの最後のコメントが耳に残る。一室空間でありながら多くの人が自分の場所を持ちうるような空間。コーリン・ロウの用語でいえばLiteralな(実の)一室空間ではなくPhenomenalな(虚の)一室空間である。僕は「箱の家」の一室空間に対する批評として受けとめた。その後、東松島に建設中の「みんなの家」の模型を撮影して3時過ぎ終了。取材班の車に同乗して青山まで送ってもらう。4時過ぎに事務所に戻る。テキストを少し書き足しロース本の解題を読む。「144河野書店」の第2回減額変更に対する回答が工務店から届く。ギリギリ射程圏内に入ってきた。直ちに河野さんへ確認メールを送る。その後は今日一日の頭の整理。9時半帰宅。風呂に入り『危機の二十年』を読み続ける。第9章「国際法における道義」を読み終えて第4部「法と変革」の第10章「法の基盤」へと進む。


2012年05月16日(水)

7時起床。8時半出社。晴れ。石山研から石山修武 第40信が届いたので直ちにXゼミサイトにアップ。磯崎論がペースに乗って来たようだ。「144河野書店」の2回目の減額変更を工務店に送信。何とか今月中に決着をつけたい。郡山プロジェクトの断面図スケッチ。スタッフに図面を清書する時間的余裕がないので、はりゅうウッドスタジオと日大郡山の浦部研究室に協力を依頼する。11時、放送大学テキスト編集部の井上学さんが来所。今後のテキストのスケジュールについて相談を受けたので今月中に何とか2章分の原稿を渡すことを約す。残りの3章は海外ロケまでに渡せるかどうかちょっと自信がない。第9章までのゲラ刷りを渡されたがすべての原稿を書き終わらないと目を通す気になれないので校正は海外ロケまでお預けとする。午後は郡山プロジェクトのスケッチとテキスト原稿続行。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。5時からデザインスタジオの第6回。先週のフィールドサーベイの結果をまとめた図面や資料を見ながら学生たちの報告を聞く。かなり突っ込んだサーベイなので対象敷地全体の特性は大体把握できたようだ。引き続きスタジオメンバー各人が課題の対象とする区域の選択を行う。あくまで個人課題なので9人のメンバーがそれぞれ異なる区域を対象としてリノベーションを行い、それらの断片的なデザインを並列させ、互に調整しながら街づくりをするという方法である。来週までに選択した区域の問題点を明確にするように指示して7時過ぎに終了。8時過ぎに事務所に戻る。直ちに思いついてスタジオメンバーに来週までに各自が選んだ対象区域の詳細な調査を行う旨の指示メールを送る。中谷礼仁さんから『虚空へ向けて:アドルフ・ロース著作集-1』(アドルフ・ロース:著 加藤淳:訳 鈴木了二+中谷礼仁:監修 編集出版組織アセテート 2012)が届く。直ちにお礼のメールを送信。直ちに読みたいところだがグッと我慢してまえがきと訳者あとがきだけに眼を通す。訳者の繰り言が面白い。日本の建築の翻訳文化の酷さは僕も十分に経験済である。本書も海外ロケ持参になるだろう。10時前帰宅。『危機の二十年』を読みながら夜半就寝。


2012年05月15日(火)

7時起床。8時半出社。曇り。9時半に事務所を出て副都心線に乗り雑司ヶ谷駅で下車。目白通りを歩くうちに雨が降り始める。日本女子大の正門から入り右手にある12階建ての校舎に入り12階の篠原聡子研究室へ。少し休んだ後、パソコンを持って篠原さんと研究室スタッフと一緒に3階の教室へ。10時40分から特別講義。聴講者は4年生とM1生の30人くらい。男子生徒が1人いる。後で聞くと早稲田大の建築学科の学生だそうだ。講義は「箱の家シリーズ」を一室空間の展開として戦後の家族の変容に関係づけながら紹介。一気に喋って12時過ぎ終了。簡単な質問を受けて12時10分終了。講義の途中いつものように学生に水の相転移エネルギーを問うたところ1人の女子学生が正確な数字で答えたのにはビックリした。今まで大学や社会の講義で何度も同じ質問をくり返してきたが、正確に答えた人に出会ったのは初めてだからである。聞けば台湾からの留学生だという。日本と台湾の教育レベルの差と考えるのは考え過ぎかも知れないが一事が万事だろう。終了後、篠原さんとその学生を交えて教員食堂で昼食。1時過ぎに解散。2時前に事務所に戻る。午後はテキストや読書の繰り返し。明日の法政大スタジオの準備。「10+1」ウェブで『木造仮設住宅群』(はりゅうウッドスタジオ:制作 藤塚光政:写真 ポット出版 2011)の書評を書くことになったので再度眼を通す。
夜はamazonから届いた『atプラス』12号の巻頭対談を読む。「歴史学に何が可能か」(東島誠+與那覇潤)は江湖(ごうこ)」と「中国化」という耳慣れない用語が飛び交う目新しい世界である。日本史の全体を中国との関係において見直すことを通じて、明治維新以降の西欧化としての近代化やマルクス主義的な歴史観を相対化しようとする視点が新鮮である。江湖と中国化について東島はこういっている。

---江湖という言葉は、唐代に禅僧たちが、江南の馬祖道一(ばそどういつ)と湖南の石頭希(せきとうき)の二大巨匠の間を〈往来〉して学んだ故事にちなむもので、特定の縁や狭い世界に留まらない広く開かれた世界を示します。(中略)この言葉がいざ日本に入ってくると「中国化」(南北朝)にも「欧化」(戦国・幕末〜明治)にも使われたところが味噌です。だから明治の「欧化」を「中国化」と呼んで多くの人を驚嘆させた與那覇さんの議論に「江湖」は史料面での根拠を提供できなくもない。

「中国化」の反対語が「江戸時代化」というのが興味深い。要するに開国(グローバリゼーション)と鎖国(江戸時代化)の対比なのだが、用語を変えると近代化論の視野が一気に江戸時代以前にまで広がる。このような視点は最近の中国の巨大化と無関係ではないだろう。


2012年05月14日(月)

7時起床。8時半出社。晴れで少々肌寒い。午前中は明日の日本女子大レクチャーの最終チェック。何枚かスライドを追加し最終的に145枚とする。引き続きシナリオをスケッチ。1時間半で話すにはちょっと枚数が多いかも知れないが、レクチャーの密度を上げる方を優先する。午後は来週の放送大学取材先に取材要領とインタビューの項目をまとめて送信。野沢正光、小泉雅生、東利恵、篠原聡子、ムジネットに対する質問項目をコンパクトにまとめるのはなかなか大変である。東急電鉄の二子玉川RIZEの取材日が確定する。栃内と「143高田邸」の設備図の打合せ。夜までにまとめて高田夫妻と工務店に送信。本来ならば高田夫妻と打合せて承認を得た後に工務店に送るべきところなのだが、見積作業を優先して両方に送る。これで見積用の図面は一通り揃った。法政大のデザイン・スタジオメンバー全員に今週の作業方針を送信する。次回のスタジオでフィールド・サーベイ段階を終える予定なので、敷地調査の結果をまとめて報告し、それを踏まえて各メンバーの課題プログラムを決定する予定。放送大学テキスト第10章「住宅の供給」のスケッチ続行。10時前帰宅。

『危機の二十年』は第8章「国際政治における権力」を読み終わり第9章「国際政治における道義」へと進む。国際政治における権力が軍事力、経済力、宣伝力の三位一体となったのは第1次大戦後である。戦間期に生まれたインターナショナリズムは、強大な権力を持った国家のナショナリズムにほかならないという逆説が興味深い。ソヴィエト・ロシアのコミンテルンが唱えた第3インターナショナルも然り。第2次大戦後のアメリカの建築が提唱したインターナショナル・スタイル(国際様式)も然りである。普遍的な主張であっても、それを誰が唱えたかが問題なのである。そこにモダニズムの究極的なアポリアがある。


2012年05月13日(日)

8時過ぎ起床。朝食後、ゆっくりと朝風呂に入り昨日のアルコールを抜く。10時半出社。午前中はボーッとして過ごす。午後は昨日届いた『HOUSE VISION in CHINA』の記録を散読する。引き続き『建築雑誌』5月号の特集「建築産業は何を経験するか」を読む。「応急仮設住宅・課題検証」(三井所隆史)はいかにもプレファブ協会寄りの立場からの報告らしく、プレ協の規格建設部会の仮設住宅の質の悪さが、かえってコミュニティを活性化させる場合があるという屁理屈を弄している。最低限の性能さえクリアしていない仮設住宅を提供しておきながら、ハードよりもソフトが重要であるという結論は、建築関係者としては単なる責任逃れというしかない。これに比べると安藤邦廣の「ストック時代の木造仮設住宅」は、建築家として取り組んできた木造仮設住宅に関する真摯な報告でずっとマトモである。たしかにハードがすべてを解決する訳ではないが、仮設であっても住居であるための最低限の性能は確保すべきである。プレ協は木造仮設住宅から真摯に学ぶべきだろう。読んでいるうちに思いついて、UR都市機構に依頼された原稿を書き始める。東雲キャナルコートの取材と北京のHOUSE VISIONでのUR都市機構のプレゼンテーションの感想を絡めながら、3.11以降の復興住宅へのURの取り組み方に関する提案へと展開させる。夕方までに4枚弱にまとめて送信。夜はテキストのスケッチと読書。10時帰宅。『危機の二十年』は長い第8章「国際政治における権力」を読み続ける。権力が軍事力、経済力、宣伝力の組み合わせであることが詳細に検証されている。


2012年05月12日(土)

7時起床。8時半出社。快晴だが風が強く肌寒い。9時過ぎに事務所を出て山手線総武線を乗り継ぎ新中野駅で下車。歩いて5分で「高根ハイツ」へ9時半過ぎ着。放送大学のロケ取材である。しばらく建物周囲を散策。1960年代に建てられた賃貸マンションのリノベーション(青木流に言うとリファイン建築)で2年前のグッドデザイン賞でサステイナブル・デザイン賞を獲得した建物である。全面的にリノベーションしているので予算もかなりの額に登ったらしい。工事費は新築の約7割弱だそうだ。青木さんの仕事に関していつも感じるのだが、過去の痕跡がまったく見られないのは「時間のデザイン」であるリノベーションとしては唯一の不満点である。間もなく青木茂さんがスタッフと学生を連れて到着。引き続き岩崎ディレクターと取材班3人も到着。2軒隣の建物オーナー宅に挨拶をした後、まず建物内と1階の住戸を見学。引き続き1階ロビーで青木さんのインタビュー。「高根ハイツ」のリノベーションの経緯と技術的問題から始めて、リノベーション専門の建築家になった経緯、現代におけるリノベーションの社会的意義などについて話を聞く。建築学科にリノベーション・コースを創設すべきだという青木さんの持論に共感。リノベーションはサステイナブル・デザインと同様に現在の縦割のコースを横断するコースになるからだ。約30分で終了。引き続き外に出て建物を見ながら青木さんに簡単なインタビュー。その後、建物内外を撮影し12時前に終了。オーナー宅でお茶とお菓子をいただきながらしばらく歓談。12時半にお暇する。取材班の車に同乗し高速道路で一路つくばへ向かう。途中のファミレスで昼食を摂った後3時前に小玉裕一郎さんの自邸「つくばの家」に到着。周囲は新興住宅地だが「つくばの家」だけが緑に覆われている。小玉夫妻に挨拶した後、建物内外を見学。道路と建物の間の前庭は多種多様な樹木で覆われている。竣工後27年経過した緑である。これだけでかなりの気候制御効果があるだろう。建物外観は外断熱したRC造のシンプルな箱で、断熱材はグラスウールのパネル、外装はセメント系のパネルである。南面に大きな窓があり手前をノウゼンカズラの蔦が覆っている。自然のダブルスキンである。内部の吹抜けに2階の子供室や和室がつき出した変化のある内部空間。階高は1、2階とも2.4mだが吹抜けのせいでもっと高く感じられる。内装はコンクリート打ち放しに木を加えたデザイン。あちこちにできたアルコブが心地良い。内部にも27年の時間の集積が感じられる。小玉さんへのインタビューは前庭で約30分。エコハウスについてだけでなく「生きられた家」の回のために30年近い生活の経緯についても聞く。階段下の壁に描かれた子供たち3人の背丈の記録が印象に残る。スマートハウスとは異なり外部気候との応答的な気候制御を基本方針とする小玉さんのエコハウス観に共感する。5時前終了。お茶をいただきながらしばらく歓談。5時過ぎにお暇する。今日は一日晴れてとてもいい取材日和だった。取材班の車でつくばセンターまで送ってもらい、6時15前分発のつくばエクスプレスに乗車。北千住駅で地下鉄千代田線に乗り換えて表参道に7時前着。7時に青山の居酒屋へ。川島範久+智子夫妻と会食。今月末にUCバークレーに短期留学する川島くんの歓送会。留学に至った経緯などを聞きながら鳥料理と日本酒で盛り上がる。10時過ぎ解散。10時半に事務所に戻る。メールチェックし返信を送った後11時半帰宅。そのままベッドに倒れ込む。


2012年05月11日(金)

7時半起床。やはり眠い。9時前に出社。晴れだが涼しい。午前中は日本女子大レクチャーのスライド編集を続行。昼までにまとめてデータを界工作舍アーカイブに入れプレゼンテーション用のAirMacに移す。12時過ぎに事務所を出て、原宿で簡単に昼食を済ませ地下鉄副都心線、丸の内線を乗り継ぎ四谷三丁目で下車。歩いて荒木町の「笞の池」に1時前着。しばらく周辺を歩き回るが、ほとんど人はいない。まもなくサラリーマン風の人が数人集まり池の傍のベンチで弁当を食べ始める。外苑東通りに近いのだが車の騒音はほとんど聞こえない。1時半にスタジオ課題メンバーが集合。間もなく佐々木くんも到着。3時まで手分けして敷地調査を行うように指示し、僕、佐々木くん、TAは陣内研の学生2人について「とんかつ鈴新」へ向かう。カウンターに座り、カツトマトをつまみにノンアルコールビールを飲みながら荒木町の歴史や街の条件などについて親父さんに話を聞く。3時に笞の池に戻る。調査はまだ終わっていないので、そのまま続行するように指示し、僕と佐々木くんは別れる。4時前に事務所に戻る。大急ぎでテキスト第13章「住宅の寸法」をまとめ、図版を揃えて放送大学編集部に送信。6時前に事務所を出て山手線で新大久保へ。6時半から近江屋でXゼミの月例ミーティング。そろそろ方向転換すべきだという点では意見は一致したが、どう転換するかについては方向が定まらない。会話が弾まないで酒だけが進む。僕の場合は放送大学が一区切りつかないと他の事には手がつかないのが現状である。結論は出ないまま8時半に解散。9時に事務所に戻る。明日のロケ取材の確認をして10時前に帰宅。あれこれ考えながら風呂に入る。『危機の二十年』を読みながら。夜半就寝。


2012年05月10日(木)

7時起床。8時半出社。午前中は晴れ。9時過ぎに事務所を出て銀座線で新橋駅下車。東へ歩いてパナソニック・リビング・ショールームへ。放送大学のロケハンである。玄関ホールで岩崎ディレクターと待ち合わせ4階の受付へ。10時に広報の吉田一人さんと待ち合わせ。小会議室で簡単な打合せ後、地下1階のLED照明と1階のスマートハウスの展示を見て回る。パナホームや松下電工などのグループ会社をパナソニック社へ統合するによって1軒の家のすべての部品が揃うことになった。1社の製品だけでスマートハウスが完成する点には驚かされるが、建築空間的には外部とのつながりがなく完全に自閉している。すべての問題を機械設備によって解決しようとするスタンスなので必然的にそうなるのである。外部に開こうとする建築家の住宅と対照させれば、基本的な考え方の相違が浮かび上がるだろう。11時前終了。会議室に戻りパナソニックのスマートタウン構想について話を聞く。取材はインタビューを含めてショールームで行うことに決定。日程は後日連絡することにし11時半解散。12時前に事務所に戻る。久しぶりに山本哲士さんから電話。7月上旬のイベントに誘われたのでスケジュールを確保。午後は雷雨が襲来するが夕方になると快晴という不思議な天気。東急電鉄から取材日程に関するメールが届いたので岩崎さんと相談し同日にパナソニックの取材と組み合わせることとする。引き続き来週末の4軒の「箱の家」の取材に関する要領を各クライアントに送信。テキストに取りかかるが集中できず。夜は来週5月15日(火)の日本女子大でのレクチャー準備。昨年の青森での講演を膨らませ再編集。10時前帰宅。『危機の二十年』を読みながら夜半就寝。奥歯の鈍痛と胸焼けで1時過ぎに目が醒める。やむなく起きてiPadでメ−ルチェック。山中想太郎さんからメールが届く。松村秀一さんが主宰するHEADの審査メンバーへの参加依頼。当然快諾。スーパーポテトの杉本貴志さんからはニチハの写真コンペの審査委員依頼。ちょっと躊躇はあるが折角の依頼なのでこれも快諾。2時半までYouTubeをザッピング。3時前に再就寝。


2012年05月09日(水)

7時起床。8時半出社。曇りのち雨。芳賀沼さんから電話。針生に建設中の縦ログ住宅の現場を見に行くように依頼される。東武鬼怒川線の終点からさらに先なので一日がかりである。2日の候補を挙げる。午前中は放送大学のテキストに集中。まず第10章「住宅の供給」について3枚書く。引き続き第13章「寸法と性能」を書き始める。第13章に跳んだのは、すでに下書きのような原稿があるので、それを編集すればまとまるからである。午後もその作業を続ける。来週のニチハいわき工場の取材要領を送信。4時過ぎに事務所を出て市ヶ谷の法政大学へ。小雨が降り始める。5時からデザインスタジオ第5回。900 ×1,800mmの敷地模型が完成したので、それを精細に見ながら敷地条件についてディスカッション。明後日の金曜日に皆で敷地調査に行くので9人のメンバー全員がそれぞれのテーマを持って敷地を調べるようにアドバイス。路地のネットワ−クが敷地全体の性格を知るには大きな条件となることが判明。その他、場所の記憶、個々の建物の開放性、敷地の高低差、公共空間の配置などの話題が出る。敷地調査までにデータを頭に叩き込んでおくように指示して8時前終了。表参道で簡単な夕食を摂り8時半に事務所に戻る。夜は再びテキストに戻る。9時半帰宅。『危機の二十年』は第7章「政治の本質」を終えて第8章「国際政治における権力」へと進む。権力が政治の本質的要素であることが戦間期の国際政治の具体的な事例を通して検討されている。


2012年05月08日(火)

7時起床。8時半出社。晴れ。9時前に事務所を出て歩いて渋谷の成人医学センターへ。9時半から2ヶ月ぶりの眼科再診。先日の視野検査では大きな変化はなく眼圧も定常状態であることを確認。2ヶ月後の再診を予約し目薬の処方箋を貰って10時終了。薬局で目薬を受け取り歩いて帰る。10時半事務所に戻る。世田谷村日記で、昨晩、鈴木博之さんと石山修武さんが磯崎新さんに会ったことを確認。先日の石山さんからの思わせぶりな電話はこの件だったのか。東急電鉄への取材スケジュール確認。SANAAから電話連絡。海外からクライアントが来日するので来週の取材日を変更するかもしれないという依頼。午後「郡山モデルハウス」のスケッチ続行。スタッフが実施設計に集中しているので、やむなくフリーハンドで2案をまとめる。午後4時福島から建築家の嶋影さんとはりゅうウッドスタジオの滑田さんが来所。30分遅れでナスカの八木さんと芳賀沼さんが到着。「郡山モデルハウス」のプログラムについて芳賀沼さんの報告。4種類の木造構法によるモデルハウスだが中央の小広場と一体で集会場としても使えるようにすることで決定。次回までに案をまとめることを約して6時半終了。終了後大急ぎで手描きのスケッチにコメントを加えてメンバー全員に送信。LATs(Library for Architectural Theories) 第8回『ベンヤミン・コレクション-1:近代の意味』の書評「歴史の効用」がようやく10+1ウェブサイトにアップされた。
http://10plus1.jp/monthly/2012/05/lats16php.php
夜は栃内がまとめた「143高田邸」の構造図を工務店に送信。引き続き花巻と飯塚がまとめた「145前島邸」の平面詳細図と断面詳細図を前島夫妻に送信。10時前帰宅。

ベッドの中で『危機の二十年』を読み続ける。第5章「リアリストからの批判」第6章「リアリズムの限界」を終えて第3部「政治、権力、そして道義」の第7章「政治の本質」へと進む。ユートピア主義は強者の論理である。「社会道義の理論は、常に支配集団がうみ出すものである。すなわち、支配集団は自らを全体として共同体と同一視するのであり、しかも支配集団はその共同体に自らの人生観を押しつけるための目的達成手段---これは下位集団や個人には与えられていない---を持っているのである」。支配集団は自らの価値観を普遍的だと主張する。そこから国際主義(インターナショナリズム)が出てくる。「国際主義の概念は、(支配者が主張する)利益調和説が特殊な形をとったものである。したがってわれわれは、この概念を同じように分析することができる。すなわち国際主義を、その主唱者たちの利益や政策とは別の絶対基準と見なすのは、利益調和説と同様に難しいということである」。「国際的連帯と世界連合の主張は、一個の統合された世界を支配したいとする支配的諸国家によってなされる」。だとすればマルクス主義と同様にアメリカの近代建築が唱えたインターナショナル・スタイルについても同じことが言えるだろうか。ユートピア主義に対してリアリズムは冷徹な批判を展開する。リアリズムとは文字通り現実主義のことだが、純粋なリアリズムからはユートピア主義への批判は可能であっても積極的な提案は出てこないというカーの結論が示唆的である。


2012年05月07日(月)

7時起床。昨夜はDVDを見た直後に寝たせいか朝まで不思議な夢を見続けて熟睡できなかった。寝不足のせいで奥歯が痛み始める。用心のため食後に鎮痛剤と消炎剤を飲む。8時半出社。晴れで暖かい。9時過ぎに事務所を出て地下鉄を乗り継ぎ東大本郷キャンパス工学部1号館前に10時15分前着。中庭では幼稚園児が楽しそうに遊んでいる。正面入口前の銀杏の樹はたっぷりと葉をつけている。欅の新緑も眼に優しい。今日は一日かけて放送大学の取材である。間もなく岩崎ディレクターと取材班が到着。裏口に回り2階の大月研へ。機材をセッティングした後10時過ぎから大月敏雄さんへのインタビュー取材開始。釜石の屋根付木造仮設住宅が実現した経緯、復興住宅の計画への参加状況、3.11以降の集合住宅のあり方、集合住宅における時間の問題などについて聴く。予想以上に突っ込んだインタビューができた。11時半終了。機器類を車に戻し正門前のカレー屋で昼食。1号館前の広場で少し休んだ後、1時前に工学部11号館8階の松村研究室へ。1時から松村秀一さんへのインタビュー取材。すべての住宅部品が工業製品化された時代の住宅生産と設計のあり方、部品とそれを住宅に組み込む構法の一体性、オープン化によってデファクト・スタンダードへと向かった住宅部品の寸法標準化の問題、全国の住宅供給における工務店の位置、2003年問題以降のコンバージョンとリノベーションの状況など住宅供給側の問題全般について聴く。2時過ぎ終了。11号館1階のカフェでしばらく休憩。3時前にふたたび工学部1号館1階の前研へ。3時から前真之さんへのインタビュー取材開始。最近のエコハウスと省エネ、創エネ、蓄エネという問題、スマートハウスに関するハウスメーカーの取り組み方への注文、3.11以降のエネルギー問題とこれからの住宅設計の課題などについて聴く。一般の人にも分かり易い内容になった。4時過ぎ終了。3人連続のインタビューですっかり消耗し奥歯の鈍痛がひどくなる。取材班の車で青山3丁目まで送ってもらい5時前に事務所に戻る。とりあえず鎮痛剤を飲む。夕食後、花巻とインターンシップの飯塚と「145前島邸」の平面詳細図、断面詳細図の打合せ。前島さんから届いた家具の配置を検討し明日中にまとめて送る予定。引き続き栃内と「143高田邸」の構造図打ち合わせ。明日中にまとめて建具表に取りかかり工務店に見積を依頼する予定。10時帰宅。歯痛が止まらない。『危機の二十年』を読みながら夜半就寝。


2012年05月06日(日)

7時半起床。9時出社。久しぶりの快晴。郡山コーポラティブタウン」のスケッチ続行。少しヴァリエーションを拡散させた後3タイプへと収斂させていく。ブロックプランを参照しながら敷地へ馴染ませる方法を模索する。今月の放送大学取材のスケジュールを確認。青木茂さん、小玉裕一郎さん、妹島和世さんへの取材依頼の確認と質問事項をまとめて送信。参考文献を散読しながら放送大学テキストスケッチを膨らませていく。合間に『危機の二十年』を読み続ける。第4章「利益の調和」を終えて第5章「リアリストからの批判」へ進む。19世紀の急激な経済発展とダーウィンの進化論における自然淘汰思想が自由放任というユートピア仮説を生きながらえさせたという指摘が興味深い。ユートピア仮説のイデオロギー(自己の利益を正当化する理論)性を明らかにしたのはカール・マンハイムの『イデオロギーとユートピア』に代表される「知識社会学」だが、その背景には明らかにマルクスがいる。午後になって急に天気が変わり激しいにわか雨となるが夕方は再び快晴。巨大な満月が美しい。ゆっくりと風呂に入った後、久し振りに『ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)』(テレンス・マリック:監督 2010)のDVDを観る。完全なプロテスタント映画なので内容に共感するのは難しいが、宇宙的時間、進化論的時間、日常的時間という3つの時間が重層するストーリーには興味を惹かれる。自然を描いた映像が美しい。もしかするとマリック監督はキューブリックの『2001年宇宙の旅』を意識したのかもしれない。


2012年05月05日(土)

7時起床。8時半出社。石山さんに電話。来週末にXゼミミーティングを開催することを確認。その旨を鈴木さんにメール送信。昨夜遅くMDRの齋藤さんから届いたLATsゲラ原稿の校正。大急ぎで書いたのでかなりの修正と加筆が必要だったが頭の整理にはなったかも知れない。引き続き「郡山コーポラティブタウン」のスケッチ。「KAMAISHIの箱」の展開形で考えるが2層にするには構法的な課題が多い。杉材だけでは防火性がないし断熱性能も足りないので外装を追加する必要がある。ともかく「KAMAISHIの箱」と「コンパクト箱の家」を統合するようなモデルを開発したい。あれこれスタディを続けた結果、夕方までに何とか光が見えてきた。夜はamazonから届いた2冊の参考文献『住宅生産供給の展望』(住宅生産研究会:編 ケイブン出版 1991)と『住宅産業大予測2012』(新建ハウジング:編著 新建新聞社 2011)に眼を通す。前者は20年前に建設省住宅局がまとめた研究報告である。住宅生産研究会のメンバーは基本的に内田祥哉スクールの研究者たちでトップにいるのは故・大野勝彦さんである。書かれたのは1980年代末だからバブルの最盛期である。大きく木造住宅と中高層住宅のふたつのテーマに分け、高層住宅について論じていない点は時代の制約だろう。後者は3.11後の昨年末に出たマニュアル本だが、震災後の住宅産業の潮流を総合的にとらえている。昨日読んだ『大激変 2020年の住宅・不動産市場』と合わせてこれからの住宅供給のあり方に関する重要な参考文献である。10時帰宅。

『危機の二十年』は第4章「利益の調和」に読み進む。第1次大戦後のヴェルサイユ条約や国際連盟の思想は18世紀から19世紀にかけての啓蒙思想やレッセフェール(自由放任経済)主義という時代錯誤的なユートピア思想に囚われていたという分析が展開される。読んでいくうちにアドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』を想い出した。


2012年05月04日(金)

7時起床。8時半出社。小雨が続く。石山修武さんから電話が入り来週のXゼミミーティングについて打ち合わせ。Xゼミもそろそろ転換期かも知れない。鈴木博之さんにメール連絡。高田さんから「143高田邸」のスケジュールに関する問い合わせが届く。ここのところドタバタとしていたので作業を急がねばならない。「144河野書店」の減額変更案を工務店に送信。来週中には見通しを立てる予定。はりゅうウッドスタジオから「郡山コーポラティブタウン」のブロックプランが届く。来週初めに2回目の検討会を開くので、それまでにスケッチをまとめねばならない。午後は『危機の二十年』を読み続ける。第1部の第1章「学問の出発」と第2章「ユートピアとリアリティ」を読み終わり第2部「国際的危機」の第3章「ユートピア的背景」に差し掛かる。第2章のカーの主張「ユートピアンは、未来を見据えながら創造的かつ内発的な意志力によってものを考える。一方リアリストは、過去に根を下ろしつつ因果関係によってものを考える。あらゆる健全な人間行動、したがってあらゆる健全な思考は、ユートピアとリアリティとの間に、そして自由意志と決定論との間にそれぞれバランスをとらなければならない」は、まさにハンナ・アーレントがいう政治家と歴史家の対比、あるいはル・コルビュジエとベンヤミンの対比のようだ。本書は単なる政治史ではなく「ユートピアとリアリズム」という理論的図式にもとづくカー流の政治学による「危機の二十年」の分析のようである。引き続き『住宅政策のどこが問題か---〈持家政策〉の次を展望する』の「あとがき」を読む。現在の住宅政策への代替案を確認するためである。著者は住まいの所有形態、家族のタイプ、仕事上の地位などに対して中立的な住宅システムの構築の必要性を指摘し、そのために現在の市場主義的な住宅システムを制限するような政策転換を提案している。その方向が、山本理顕が提案する「地域社会圏」へつながっていることは間違いないが、それさえもまだ理想主義(ユートピア)的に見える。もう少し現状に引き寄せた代替案(リアリティ)を考えるべきだろう。法政大のスタジオ課題で検討してみたい。6時過ぎに事務所を出る。夕方を過ぎると少し寒くなる。表参道は連休の人出でごった返している。青山の居酒屋で妻と待ち合わせ夕食。鳥料理と日本酒で談笑。放送大学の海外ロケの間に妻も南フランスとイタリアを回るようなので、一日だけだがマルセイユで合流してはどうかと提案。お互いのスケジュールを調整してみることにする。9時終了。9時半帰宅。『危機の二十年』を読みながら夜半就寝。


2012年05月03日(木)

7時起床。8時出社。雨が降り続いている。直ちにLATs第8回原稿の最後の追い込みに集中。ベンヤミンとル・コルビュジエの同時代性を指摘した上で、両者の統合が21世紀デザインの基本方針となるだろうという僕の持論で締める。10時までに19枚書き「10+1」編集部の齋藤歩さんに送信。今回はひどく呻吟したが、その理由として分かったことは、僕がベンヤミンからいかに深い影響を受けているかということだった。今まであまり意識したことはなかったが「機械としての建築」「建築の4層構造」「メタル建築論」「サステイナブル・デザイン」のアイデアはすべてベンヤミンから発していることを確認させられた。ただしベンヤミンの文学論についてはエドガー・アラン・ポー論がかろうじて理解できる程度で、アレゴリー、シュルレアリスム、ボードレールについての論は未だに理解できないままである。終了後は放送大学の文献渉猟。まず『住宅政策のどこが問題か---〈持家政策〉の次を展望する』(平山洋介:著 光文社新書 2009)のまえがきを読む。以前読んだ『都市の条件』の要約版であることを確認。引き続き『大激変 2020年の住宅・不動産市場』(船井総合研究所REBチーム:著 朝日新聞出版 2012)は最近の住宅市場についての興味深いデータとその分析が満載なので、夜までかけて一気に読み通す。次回の原稿「住宅の供給」にふさわしい参考文献である。10時帰宅。

『危機の二十年---理想と現実』(E・H・カー:著 原彬久:訳 岩波文庫 2011)を読み始める。E・H・カーの『歴史とは何か』(E・H・カー:著 清水幾太郎:訳 岩波新書1962)は大学院の頃に読んだ。「歴史とは現在と過去との終わることのない対話である」という箴言が記憶に残っている。カーはベンヤミンと同じ1892年生まれだからベンヤミン(1892-1940)やル・コルビュジエ(1887-1965)と同時代を生きている。しかし亡くなったのは1982年で90歳まで生きた。危機の20年とは1919-1939年、まさにモダニズム建築運動が勃発した時代である。国際政治に関する本ではあるが、カーはソビエト連邦の「計画」に対して肯定的評価を下しているのでモダニズム思想と無関係ではない。少なくとも両大戦間の時代の雰囲気を知ることはできるだろう。


2012年05月02日(水)

7時起床。8時半出社。激しい雨が降り続き少々寒い。しばらくLATs原稿を書く。10時、放送大学の郡俊路、岩崎真両ディレクターが来所。郡さんは眼の手術で入院していたためお正月以来の再開である。これまで1ヶ月間のロケ取材の結果を踏まえて、番組で使用するロケ素材の配分整理の打ち合わせ。番組毎に偏りがありそうなので、今後の取材方針にも関わってくる。本来は自由なインタビューを行いたいのだが、テーマを絞る必要があるかも知れない。鈴木博之さんと石山修武さんへの取材依頼も決定。その後あれこれ検討し、海外取材の方針も決めて11時半過ぎに終了。午後はLAts原稿に集中。4時過ぎに事務所を出て、雨の中市ヶ谷の法政大学建築学科へ。5時からデザインスタジオ第4回。学生たちが荒木町一帯の敷地データを調べてきたので、それを見ながらしばらくの間、敷地条件について話し合う。引き続きジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』に関する意見交換。読んでいる学生が少なくてあまり盛り上がらない。ジェイコブスに関連してロバート・モーゼスやアレグザンダーの話しもする。ボトムアップのスタジオ課題の方針について説明。学生たちはこれから敷地模型を本格的につくり始めるようだ。5月9日(水)までに完成させ、敷地模型のイメージと敷地データを頭に叩き込んでから5月11日(金)の午後に敷地調査を行うことを決めて8時前終了。9時前に事務所に帰る。引き続きLATs原稿に集中。16枚まで書いたが、落とし所が見えずに休止。11時過ぎに帰宅。ベッドの中でベンヤミン書を散読しながら夜半就寝。ボンヤリと結論が見えてきた。


2012年05月01日(火)

7時起床。8時過ぎ出社。曇り。直ちに事務所を出て自転車で青山歯科医院へ。8時半から1ヶ月ぶりの歯のメンテナンス。2週間前に電動歯ブラシを変えたが、とくに変化はないらしい。それでもメンテナンス後しばらくの間は歯茎が痛む。9時過ぎ終了。9時半に事務所に戻る。10時、河野夫人が来所。「144河野書店」の減額変更案の打合せ。かなり思い切った変更を行い予算に近づける。11時過ぎ終了。打合せ結果を整理し、河野さんの確認後に工務店へ送ることとする。午後はLATs原稿に集中。3時過ぎに事務所を出て、歩いて渋谷の成人医学センターへ。4時から6ヶ月ぶりの視野検査。眼圧の改善経過を確認するためらしい。曇りで暖かいので青山通りを歩く人が多い。4時半終了。5時過ぎに事務所に戻る。その後も夜にかけてひたすらLATs原稿に集中。何とか10枚まで書く。明日中には何とかしたい。「142森山邸」の撮影を終えて8時半に栃内が帰社。「141小澤邸」の図面と写真をjt編集長の中村さんに送るよう花巻に指示。10時帰宅。ベッドの中で「134久保邸」のクライアントでベンヤミン専門家の久保哲司さんにいただいた絵本『ベンヤミン』(ハワード・ケイギル:著 アンジェイ・クリモウスキー:絵 久保哲司:訳 ちくま学芸文庫 2009)を読む。ベンヤミンは自らを歴史の廃墟を救出しようとする「アレゴリー的批評家」と称していたらしい。パウル・クレーの「新しい天使」が思い起こされる。把握し難いベンヤミン像がさらに広がる。僕は後期ベンヤミンの一端を見ているに過ぎない。また筆が止まりそうだ。夜半就寝。


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