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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2011年12月31日(土)

7時起床。8時半出社。一日中事務所でテキスト、スケッチ、読書をくり返す。やはりスケッチが一番楽しい。『世界の歴史29:冷戦と経済繁栄』(猪木武徳+高橋進:著 中公文庫 2010)は500ページ以上ある大著なのだが、経済に関する第7章「世界経済の構造変化---1973-80年」、第9章「新自由主義とグローバル経済の進展---1980-90年」を中心に読み飛ばし最終第10章「冷戦の終焉」まで一気に読み通す。1970年代における戦後の「ブレントンウッズ体制」の終焉と為替の変動相場制への移行、2度の石油ショックによるエネルギー問題の台頭は、僕が池辺研究室の在籍していた頃の体験に連動している。海外旅行はし易くなったが池辺研究室の委託研究はすべて中止になったことを想い出す。1970年代に福祉の充実と赤字国債の発行によって国家予算が膨らんでいったことへの反動が1980年代の新自由主義にもとづく規制緩和、民営化、税制改革もたらした歴史的経緯も理解できた。本書は20世紀末に書かれているので新自由主義的な側面に比重が置かれている。ソヴィエト式計画経済の破綻は社会経済の潜在的なドライブ力が私的所有に根ざしていることの軽視に起因するという主張はそのひとつである。しかし21世紀初頭の10年間の変化を見ると、また観方が変わるかも知れない。来年度の予算編成を見れば、大幅な赤字国債発行と消費税率引上げによって国費による震災復興を実施しようとする意図は明確であり1970年代の再来のようにも思える。夕方6時からNHKTVで放映された「伊東豊雄の釜石復興計画」の番組を見る。伊東さんが提案した最新の復興集合住宅計画のデザインを観てビックリする。一見して直ちに連想したのは、丹下健三の東京計画、菊竹清訓の出雲大社庁舎、大谷幸夫の京都国際会館と川崎集合住宅などのミニチュア版である。伊東さんは飛騨白川郷の民家だと言っていたが、シルエットは明らかに伊勢神宮である。小野田泰明、遠藤新両氏のコメントに対する沈黙は、僕の記憶に残っている伊東さんの表情である。伊東さんの沈黙はNGのサインなのだ。しかしこのデザインは釜石市民会議では受け入れられたようだ。「何度でもやり直します」と宣言した伊東さんに思わず拍手する。とはいえ復興集合住宅は公営のようだが分譲なのか賃貸なのか気になるところ。夜は「なでしこジャパン」の女子ワールドカップサッカーの再放送を観戦する。決勝のアメリカ戦、延長後半の澤の奇跡的な同点ゴールは何度観ても胸が熱くなる。『都市の条件』を読みながら夜半就寝。


2011年12月30日(金)

7時半起床。9時出社。「KAMAISHIの箱」のスライド最終編集。芳賀沼さんから届いた「KAMAISHIの箱」の引渡式の写真をスライドに加える。午後は放送大学テキスト、スケッチ、文献渉猟をくり返す。Amazonから届いた『都市の条件---住まい、人生、社会持続』(平山洋介:著 NTT出版 2011)を読み始める。山本理顕さんの『地域社会圏主義』に平山さんとの対談が納められている。それを読んで、都市を公共建築や商業建築からではなく住まいからとらえようとする視点に興味を持った。これも放送大学の重要な参考文献である。T邸のスケッチはほぼ方針が固まる。ローン申請用の暫定的な案だが基本的な方向性は決まった。2時過ぎ娘が帰宅し妻と正月の準備を始める。4時半に事務所を出て地下鉄千代田線にて根津駅で下車し、久しぶりに本郷キャンパスへ。弥生門正面にある工学部3号館の建替工事が本格的になっている。5時半から建築学科3階の講評室で難波研究室の同窓会。20人余のOBOGが集まる。山代悟さん、東端桐子さんも出席。ロンドンから帰国した小見山陽介くん、シンガポールから来たToon Chengさんの顔も見える。鹿島建設設計部の横山翔大と黒田真悠の両君がそれぞれ携わっているオフィスビルのプロジェクトについて対照的な発表。シュツットガルト大学への留学から帰国した佐藤隆志くんは在籍したILEKでの2つの研究プロジェクトを紹介。藤井恵介研究室に在籍中の坂井禎介くんはカーンに関する卒論の絵本化を紹介。隈研吾研究室に在籍中の横山まどかさんは建設中の自宅の紹介。最後に僕が福島の木造仮設住宅と「KAMAISHIの箱」を紹介して7時半終了。その後、歩いて上野広小路まで行き西欧風の居酒屋で忘年会。台湾から来た林泊諭くんも途中参加。店内は客でごった返している。スペイン風の料理と赤ワインで盛り上がる。10時半解散。11時過ぎに帰宅。


2011年12月29日(木)

7時起床。8時半出社。快晴で寒い。「KAMAISHIの箱」のスライド編集続行。11時、真壁智治さんが堀越優希くんを連れて来所。真壁さんは『家の理』を堀越くんのドローイングで再編成したいとのこと。堀越くんは芝浦工大の堀越英嗣さんの子息で、現在、東京芸大建築学科のM2生である。小さな冊子にまとめた堀越くんのポートフォリオを見せてもらう。なかなか達者なドローイングである。交換留学生でリキテンシュタインに行った際の作品が、現在、新建築社吉岡ライブラリーで開催中のJAPANESE JUNCTION展に出品されているそうだ。『家の理』のリゴリスティックなアプローチに彼の詩的なドローイングがマッチするかどうか一抹の心配はあるが、真壁さんの方針なのでまずは進めてみることにする。本格的な作業は堀越くんの修士製作が終わる2月以降になるとのこと。午後は事務所の大掃除。中庭や外部のガラス面の清掃から始めて所内の不要なゴミをかき集める。僕は机の上に積んだ書類を大整理。正面の鉄骨柱に門松を取り付けて5時過ぎ終了。その後しばらくはスライド編集。6時半に皆で事務所を出て渋谷西武8階の美々卯へ。7時から花巻のパートナー田中くんが加わってうどんすきの忘年会。凍結酒をたっぷりいただき大いに盛り上がる。9時半終了。10時前帰宅。これで今年の仕事納め。とはいえ僕の年末年始は放送大学のテキストに集中する予定だが。


2011年12月28日(水)

7時起床。8時半出社。快晴。クライアント候補のTさんからローン審査用の図面と概算見積書の作成依頼のメールが届く。早速スケッチ開始。並行して放送大学のテキスト続行。午後は30日の難波研究室の同窓会で紹介する「KAMAISHIの箱」のスライド編集。放送大学のテキストを思い浮かべながら夕方までに叩き台をまとめる。「東日本震災展」のための「KAMAISHIの箱」の模型も完成したので、同窓会でのプレゼンテーションの演習としてアルバイトの学生に「KAMAISHIの箱」のスライドを見せる。「KAMAISHIの箱」がdesignboom.com@NEWYORKで紹介された。組立プロセスも詳細されている。藤塚光政さんの写真がいい。
http://www.designboom.com/weblog/cat/9/view/18312/kazuhiko-namba-kai-workshop-kamaishi-box.html
LATs第6回の書評「自然と作為のデザイン論」も『10+1』ウェブサイトにアップされた。改めて読んでみると書き足りないことが山ほどあるが、活字にすることで頭の整理になることは確かである。
http://10plus1.jp/serial/lats/lats12/
夜はスケッチとスライド編集続行。10時前帰宅。『冷戦と経済繁栄』を読みながら夜半就寝。


2011年12月27日(火)

6時起床。7時出社。快晴。今日は「KAMAISHIの箱」の引渡式に行く。7時過ぎに事務所を出て東京駅8時前発の東北新幹線で北上駅へ11時前着。北上も晴れ。雪が残る駅前で日大浦部研の院生3人と待ち合わせ車で東へ向う。途中、遠野の道の駅で昼食。風が冷たい。芳賀沼製作の社長とAGC郡山支店長の河治仁市さんに会う。外壁材の焼成を手伝ってくれたJRの鈴木夫妻とも合流。食事を終えた頃に芳賀沼さんと界工作舍OBの杉村浩一郎が到着。芳賀沼さんの車に乗り換えて大只越公園の「KAMAISHIの箱」に1時半着。釜石副市長の若崎正光さん、青葉公園商店街会長の片倉静祐さんさん、事務局長の江刺伯さんに挨拶。建物全体にクリスマス時に付けられた電飾が残っている。「KAMAISHIの箱」が活発に使われている証拠である。室内では関西から来た女子大生のグループが今夜の慰霊祭のためにキャンドルサービルの準備作業中でごった返している。電動バイクが充電のため室内に持ち込まれているのにはビックリした。テラスに出て岩間正行さんの立ち会いの元、建物引渡式。芳賀沼製作社長から若崎副市長に建物目録を渡した後、皆で記念写真を撮って終了。その後、鈴子公園へ移動。「KAMAISHIの箱」の前のバス停にコンテナの待合室が置かれている。公園入口脇にボイラー室が建てられ、テラス前面では足湯のための箱を工事中。こちらは電気工事や給排水工事がまだなので使用されていない。使用開始は来年1月20日とのこと。寄附によって取り付けられたペレットストーブの試運転をしてみる。「KAMAISHIの箱」はそれなりの断熱性能を備えてはいるが、冬には何らかの暖房が必須である。大只越の方ではメンテナンスが難しいというNPOの意見で設置を取りやめたそうだ。現在は小さな石油ストーブが置かれているが、それでは十分な暖房が難しいし「KAMAISHIの箱」は気密性が高いので換気も心配である。鈴子公園内に建てられた仮設店舗のラーメン屋で釜石ラーメンをいただく。あっさり味の醤油ラーメンで身体を温める。4時半過ぎ暗くなってきたので再び大只越公園に戻る。日が沈むと気温が一気に下がりじっと立っているのが難しい。5時から「KAMAISHIの箱」の裏の広場に配置したキャンドルの点灯が始まる。その様子を見届けてから岩間さん初め皆さんに挨拶し5時過ぎに釜石を発つ。車内では芳賀沼さんと復興住宅コンペに関する意見交換。しかし収斂はしない。7時丁度に北上着。杉村くんと7時過ぎの新幹線に乗車。10時東京着。10時半過ぎに事務所に戻る。「KAMAISHIの箱」の模型を見届けてから11時前に帰宅。ゆっくりと風呂に入ってから『冷戦と経済繁栄』を読みながら夜半過ぎ就寝。第1章「戦後の経済繁栄1950-73年」、第2章「経済成長の政治1955-70年」を終えて第3章「冷戦からデタント〈緊張緩和〉へ」に差し掛かる。


2011年12月26日(月)

7時起床。8時半出社。快晴。9時に事務所を出て地下鉄で茗荷谷駅へ。歩いて5分で筑波大学内の放送大学文京センターへ10時前着。本間博文副学長、明海大学の斉藤広子さん、郡ディレクター、テキスト編集担当の井上学さんともうひとりの女性スタッフが参加して教材作成部会。テキストと教材収録のスケジュールについて打合せ。斉藤さんとはレッチワースとマルセイユのユニテの共同取材を行うので、そのスケジュールについても打合せる。テキスト最終稿の締切が来年の6月中旬なので、取材は6月下旬で調整することになった。本間さんからは国内取材ロケ先が40カ所というのは無理なので、もっと絞り込むようにアドバイスを受ける。その後、井上さんからテキストのフォーマットについて説明を受ける。終了後12時から郡ディレクターと教材台本の打合せ。第6回から第10回までを急ぎ足でチェック。準備すべき資料が頭の中を駆け巡る。1時半終了。茗荷谷駅前でタクシーを拾い目白のフォーシーズンズホテル・ロビーに2時前着。間もなく鈴木博之さんと石山修武さんが到着。公益財団法人文字・活字文化推進機構の理事長、肥田美代子さんも来られる。肥田さんは安藤忠雄さんと中学時代の同級生だそうだ。雪で新幹線が遅れたため安藤さんの到着が遅れる旨の連絡が入る。まもなく田中眞紀子さんが到着。鈴木さんが石山さんと僕を田中さんに紹介した後、ロビーカフェに席を移して建築アーカイブの打合せ。3時過に台湾から来日した李祖原さんが、3時半に安藤さんが到着。4時まで打合せをした後、安藤、李、石山の3人は気仙沼の復興計画の打合せを続行するので鈴木さんと僕は退席。タクシーで目白まで行き鈴木さんと別れ5時に事務所に戻る。「KAMAISHIの箱」の模型製作が続行中。いわきの工務店社長から電話連絡。僕たちのモデルハウス案ではコストが追い付かないことが分かったので、方針を変えて自社案へのアドバイスを頼みたいとのこと。変なところへ着地しそうだが、やむを得ないので承諾する。放送大学テキスト第1章を井上さんのアドバイスに従って再構成し送信。夜はテキストのスケッチ続行。9時半帰宅。『世界の歴史29:冷戦と経済繁栄』(猪木武徳+高橋進:著 中公文庫 2010)を読み始める。第2次大戦後の冷戦期の経済繁栄から1980年代の新自由主義の台頭と冷戦の終焉を辿ってみたい。夜半就寝。


2011年12月25日(日)

7時半起床。9時出社。午前中は雑用。12時前に妻と一緒に渋谷ユーロスペースへ。12時45分から『ブリューゲルの動く絵 The Mill and The Cross』(レフ・マイェフスキ:監督 2011)を観る。ピーテル・ブリューゲルの『十字架を担うキリスト』に描かれたさまざまなエピソードを謎解きしたような映画である。この絵は十数年前にウィーン美術史美術館で観て以来、気に入っていることと、ブリューゲルを演じているのが『ブレードランナー』のレプリカント、ロイ・バティを演じていたルトガー・ハウアーなので、ぜひ観たいと思った。細密な画面に描かれた景色と人物をCGを使ってリアルに再現している点に感心する。まさに「動く絵」である。さらに16世紀フランドルの民家の横から差し込むフェルメール的な光と影や人びとの生活が描かれている点も興味深い。当時のフランドルとスペインとの複雑な政治的関係も想起させている。ブリューゲルの絵画と同じような細密映画である。3時過ぎに事務所に戻る。夕方まで読書。6時過ぎに妻と家を出て赤坂で夕食。9時に帰宅。

『地域社会圏主義』を一気に読み通す。金子勝、平山洋介、上野千鶴子との対談がそれぞれ興味深い。この本によって山本理顕は建築計画学の新しいジャンルを切り開いているように思う。何よりも都市を「住宅」を中心にして考えている点に共感する。放送大学の『新しい住宅の世界』では何としてでも山本さんにインタビューしなければならないと確信する。


2011年12月24日(土)

7時起床。8時半出社。曇り。11時、クライアント候補のT一家が2回目の来所。新しい敷地候補の登記簿を持参された。RC造の既存建物があり、その一部をリノベーションして住まいにしたいという興味深いプログラムである。ぜひやってみたいが25年ほど前の建物なので検査済証の有無が大きなハードルとなるだろう。その条件を詳しく説明する。午後は放送大学の取材ロケ先リストの整理を続行。番組の回毎の取材ロケ先リスト、取材ロケ先毎の番組リスト、教材構成案、テキストスケッチを互に照合しながら夕方までにまとめ、郡ディレクターと本間博文副学長に送る。海外を含めて取材ロケ先が40個所を越えるので、相当頑張らねばならないだろう。クライアント候補のTさんから敷地図と敷地図のメールが届いたので、建物配置に関する方針をまとめて送信。先日、概算見積書を送ったが予算オーバーなので新しい予算金額を提示された。現在の「箱の家」の仕様では厳しい金額なので、その旨を返信する。とはいえ少しだけ増額すれば「コンパクト箱の家」なら実現可能な金額なのだが。坂茂さんからイタリア語の作品集とポンピドーセンター・メッツのスケッチのコピーが届く。大分県立美術館コンペ入賞のお礼である。当初のコンセプトの実現を期待する旨の返礼メールを送る。「KAMAISHIの箱」の模型作業は大詰めを迎えた。28日までの完成はギリギリのところである。来週前半はスタッフ全員が集中する。6時過ぎ事務所内掃除。6時半解散。夜は『地域社会圏主義』を読み続ける。周到な議論が進められている。地域社会圏をマックス・ウェーバー的な「理想型」としてとらえれば、僕たちがとるべき態度は「批判」や「否定」ではなく「補完」であることに思い至る。10時前買物がてら散歩に出る。表参道とは逆方向の外苑側を歩く。クリスマス・イヴなのでいつもよりも人出が多い。11時過ぎ帰宅。身体が冷え切ったので風呂に入り夜半就寝。


2011年12月23日(金)

7時起床。8時半出社。快晴だが寒い。9時過ぎに事務所を出て新宿駅へ。花巻と待ち合わせ10時発のスーパあずさ号に乗車。上諏訪で普通電車に乗換えて12時半に下諏訪駅着。歩いて「141小澤邸」の現場へ。快晴だが風が冷たい。屋根は断熱工事が終わり、通気小屋組の上に屋根下地ができ上がっている。外壁も下地工事が終わり、外断熱パネルの取付工事の最中。日射が建物の奥まで届いていることを確認。1時前に小澤一家が到着。1時から上棟式。神主はいないが工務店が正式な祭壇を設えてくれた。「千年棟」「万年棟」と叫びながら木槌で柱を叩く儀式を初めて経験する。直会は省略し弁当と祝儀を職人に渡して1時半過ぎ終了。小澤一家が去った後しばらく職人と打ち合わせ。2時半に現場を発つ。3時前に下諏訪発の普通電車に乗り上諏訪で特急に乗換えて5時半新宿着。花巻と別れて6時過ぎに事務所に戻る。7時帰宅。夕食後風呂に入り8時半再度出社。雑用を済ませて10時過ぎ帰宅。本を読みながら夜半就寝。

往復の電車の中で、昨夜貰った『地域社会圏主義』の前半、第1章「地域社会圏リアル」を読み終わる。「地域社会圏」とは山本理顕の持論である「一家族一住宅」を基本とする戦後の持家政策に対するカウンター・プロポーザルであり、第1章は賃貸集合住宅としての「地域社会圏」のかなり綿密なケーススタディである。僕としては山本の価値観にかなりの共感を抱きながらも、何か引っかかるところがある。その理由の大半は、僕が「一家族一住宅」である「箱の家」をつくり続けているせいもあるだろうが、それ以上に「地域社会圏」が「家族の解体」を前提に組立てられていることに対して若干の疑問があるからである。確かに核家族が社会の主流である時代が終わっていることは事実である。しかし核家族に代わって次世代の子供を育てるシステムや制度の提案なしに、解体した家族=個人を前提にした柔らかなコミュニティを提案するのはいかがなものかと思うのだ。子育ては単なる機能的制度ではなく精神分析的な側面を孕んでいる。それを支えてきた核家族の解体が社会的事実であることは確かなので、地域社会圏の中に機能性を越えた子育てのシステムを組み込むことが必要だと思う。この問題に注目しながら第2章「地域社会圏リフレクション」を読んでみよう。


2011年12月22日(木)

7時起床。8時半出社。曇り。午前中は放送大学の取材ロケ先リストの整理。教材構成案で番組毎にリストアップしている取材ロケ先を、今度は取材ロケ先によって分類してみる。取材ロケをできるだけまとめて合理的に進めるためである。これによって各回の講義の内容を見直す。これもフィードバックである。2時過ぎに事務所を出て銀座線、東横線、みなとみらい線を乗り継ぎ日本大通り駅で下車。横浜市開港記念会舘の講堂へ3時半過ぎ着。山本理顕のYGSA退任記念のシンポジウムに出席。会場はすでに超満員。受付の案内で前列の関係者席へ。佐々木睦朗くんと会ったので隣に座る。4時にシンポジウム開始。第1部「建築の地域性」は山本理顕、伊東豊雄、妹島和世に司会の小嶋一浩。第2部「社会システムと住宅」は山本理顕、内藤廣、隈憲吾に司会の北山恒。7時まで3時間の長丁場。山本理顕が提唱する「地域社会圏」をめぐって、戦後住宅の私有制度にもとづく持家政策批判、公共性とコミュニティのあり方や、セキュリティとプライバシーという概念の再検討などについての議論が展開される。東日本大震災が街を物理的に破壊しただけでなくトップダウン的な制度の壁も解体したので、現在こそ建築家という職能を見直すべき時であるという伊東豊雄の主張が印象に残る。建築家としての「エゴ」と震災に対する一市民として態度との矛盾についても議論される。放送大学に関するいくつかのヒントを貰った。終了後、近くのレストランに移動し8時から記念パーティ。狭い会場に150人以上が入り足の踏み場もない。平均年齢は50歳くらいだろうか。YGSA関係者と帰心の会のメンバーの挨拶。馴染みの顔も多いので食事を忘れて話し込む。何人かの建築家に放送大学の取材を依頼する。山本理顕さんの最後の挨拶を聞いた後、10時前、佐々木くんと一緒に会場を出る。11時過ぎ表参道駅着。連休前の表参道は人で一杯。11時半帰宅。帰りに貰った『地域社会圏主義』(山本理顕:著 INAX出版 2012)を読みながら夜半過ぎ就寝。


2011年12月21日(水)

7時起床。8時過ぎ出社。快晴だがかなり寒い。直ちに事務所を出て、自転車で青山歯科医院へ8時半着。1ヶ月ぶりの歯のメンテナンス。年末で込んでいるせいか、小さな虫歯の治療を含めて1時間もかかる。9時半終了。原宿駅まで行き予約していた切符を受け取る。10時に事務所に戻る。雑誌『チルチンびと』編集部の中村謙太郎さんから電話。今年5月のパッシブコンペをまとめた本が間もなく出るそうだ。中村さんから、昨夜、森田芳光監督が急性肝不全のために亡くなったことを聞く。61歳だそうだ。ちょうど昨夜、松田優作のドキュメントを見ていた時間である。偶然の符合だろうか。花巻がまとめた「Fモデルハウス」第4案をいわきの工務店に送信。午後は『建築雑誌』2012年3月号の原稿に取り組む。サステイナブル・デザインの関する短い原稿なので2時間余でまとめて建築学会編集部へ送信。その後、あれこれ文献を渉猟した後、放送大学テキストの第2章を書き始める。合わせて郡ディレクターから届いたロケ・リストを再検討。ロケ先を整理し何カ所かを追加する。「KAMAISHIの箱」の模型は井上に学生バイト2人が加わりピッチが上がってきた。9時半帰宅。芳賀沼さんから電話。27日の釜石行の件と復興住宅コンペの件。「KAMAISHIの箱」の電気工事は終了したが、足湯の工事は結局来年回しになった。復興住宅コンペは1月中旬が締切なので、早目の打合せを約束する。『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。

ようやく『複雑で単純な世界 SIMPLY COMPLEXITY』(ニール・ジョンソン:著 阪本芳久:訳 インターシフト 2011)を読み終わる。なかなか集中できず予想以上に時間がかかったのは、扱われているトピックがあまりにも多岐に渡っていたからである。逆に言うと、複雑系のモデルは広範囲の現象に適用できる汎用モデルなのである。複雑系とは、何らかのエージェント(行為者、人間に限らない)が、限られた特定の環境の元で、相互作用を通じて得た情報をフィードバックしながら行動している系(現象)のことである。複雑系はランダムでもなく組織立ってもいない中間的な挙動を示す。つまり予測は難しいがまったく不可能でもない。ある系を系の固有性にもとづいてモデル化すると、現実的にはほとんど無関係の他の系と同型のモデルになっており、それが大抵は複雑系になっているのである。とすれば他の現象で明らかになった複雑系モデルを、その現象にも適用できることになる。かくして群衆の行動、金融市場、交通渋滞、パートナーとの出会い、戦争やテロ、感染症や癌、光合成、脳内での量子効果、遺伝子の発現、といったまったく異なるジャンルの現象が、同じ複雑系モデルの元に、その法則が解析され統合されるという。複雑系モデルは数学的モデルなので、これは一種の形式化であり、レヴィ=ストロースが提唱した「構造」と同じである。複雑系モデルは多種多様な現象に適用できるという意味において超カント主義の出現といってもよいかもしれない。建築も明らかに複雑系と考えられるがどうすればモデル化できるだろうか。モデル化とは「外部」からの視点だが、僕が興味あるのは「内部」にいるエージェントから見たモデル化である。なぜなら社会現象に関しては内部からしか働きかけることができないからである。


2011年12月20日(火)

7時起床。8時半出社。快晴が続いている。10時ムジネットの川内さんと本多さんが無印良品浜松店の増田哲也さんと一緒に来所。浜松店が新しいモデルハウスを建てるに当たって相談に来られた。いくつかの新しい試みや性能面についても相談を受ける。敷地条件、建物配置、一般図の説明を受けた後、動線、構造システム、構法と性能についてアドバイス。細かな課題は残るが、かなり改良されたように思う。11時半終了。外に出て我が家の前で記念撮影。先日来所したクライアント候補のTさんからメールが届く。予算内での概算見積を頼まれたので、早速スタッフに作成を指示。昼過ぎまでにまとめて送信。午後は放送大学のテキストに集中。夕方までに第1章の25枚を書き上げる。夕食後、読み直し、全15章のテキストスケッチを添えて編集担当の井上学さんに送信。『10+1』ウェブマガジン編集部の齋藤歩さんからLATs第6回の校正原稿が届く。直ちにチェックバック。「箱の家142」の現場監督に行った栃内から電話。墨出し寸法に間違いがあり鉄筋工事に手戻りが生じた。初歩的な間違いだが妥協はできない、全面的な修正を指示する。来年早々の建て方が少し遅れそうだが、その後の工期で吸収できるだろう。クライアント候補のKさんから電話。敷地についての相談で今週中に来所することになった。夕方、新しい学生アルバイトが来所。模型の部品が少しずつ出来てきた。夜、花巻とモデルハウス打合せ。明日までに第4案がまとまりそうだ。9時半帰宅。BSの日本映画チャンネルで『SOUL RED 松田優作』(御法川修:監督 2010)を観る。ウィスキーを呑みながら『探偵物語』『家族ゲーム』『それから』『アホーダンス』『ブラック・レイン』など懐かしい映画(の断片)を堪能する。森田芳光監督のコメントが印象的だった。夜半就寝。


2011年12月19日(月)

7時起床。血圧を測り続ける。測定値が徐々に安定してきたが、心理的なフィードバックでもあるのだろうか。血圧はまさに複雑系である。8時半出社。快晴の日が続く。放送大学の本間博文副学長、郡ディレクター、明海大学の齋藤広子さんらとメール連絡。来週初めに海外取材についての打ち合わせすることになった。10時半からコンペ打合せ。要求条件通りの案では大して面白くなりそうにないので、少し背伸びしてみることにする。井上が来所し「KAMAISHIの箱」の模型製作続行。昼食時に帰宅したらTVで「金正日死去」のニュースが流れていた。北朝鮮のTV放送は相変わらず芝居地味ている。午後、放送大学テキスト続行。いわきの工務店からモデルハウスに関する連絡。僕たちの案は道路と方位の振れに合わせて45度の線が入っているが、既存のプレカット機械では対応できないので、すべてを直角でまとめて欲しいとの要請。建物外周に庇をつけることも要求される。しばらく説得を試みたが無理のようなので何とか検討する旨を伝える。第3案をまとめたばかりで先方に送信しようと準備していたところだったので出鼻を挫かれた感じだが、気を取り直して花巻と対応策を打合せ、方針を決めて作業再開。夕方学生アルバイトが来所。夜も放送大学テキスト続行。第1章のようやく半分にまで到達したが、持駒の少なさに天を仰ぐ。9時半過ぎ帰宅。どのTV局も金正日死亡のニュースを流しているが、どこも皆内容は同じである。『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。


2011年12月18日(日)

7時起床。9時出社。放送大学テキストを昼まで少しずつ書き足す。1時過ぎクライアント候補のT一家が来所。ここしばらくの間、工務店とのやり取りを続けてきたが、埒があかないので相談に来られた。「MUJI+INFILL木の家」のモデルハウスの見学もしたという。工事予算について詳細な説明をする。僕たちでも十分に対応できそうな予算なので、問題ないことを確認。資料の雑誌を贈呈して3時終了。その後『ハル』(森田芳光:監督 1995)のDVDを観る。インターネットが始まったばかりの頃のメールを通じた遠距離恋愛がテーマで、メールの文字だけの画面が頻出する。最初は抵抗があるが、徐々に文字画面に惹き込まれていく。文字だけの映像を使うことについて、森田監督には深謀遠慮があったようだ。吹き替えのない外国映画では画面脇に表示される文字だけが頼りである。森田監督はその文字をテーマにして映画を作ろうとしたのだという。文字だけのコミュニケーションは想像力を刺激する。パソコン画面を眺める主人公は、いつも手前のガラス面を通して映し出される。そのガラス面には都市の風景が微かに映し出される。都市と室内のふたつの像を共存させるガラス面はパソコン画面のようにアンリアルである。東京と盛岡のふたつの世界を並行して描くカメラの存在は、それ以上にアンリアルである。映画の最後のシーンでは、盛岡から東京に着く新幹線のホーム上でふたりが出会う。主人公の女性を演じる深津絵里はJR東海のシンデレラ・エキスプレスのCFに出ていた。その映像とよく似ている。彼女は近作の『悪人』(李相日:監督 2010)でも主人公を演じているが、この映画は携帯メールサイトで知り合った男女の悲劇を描いていた。深津絵里が演じる地方で働く普通の女性の役もどことなく似ている。偶然の符合か、監督の仕掛けたトリックだろうか。想像が駆け巡る。夜はクラブW杯サッカーの決勝バルセロナ対サントス戦を観る。4対0でバルセロナの圧勝。リオネル・メッシの妙技に舌を巻く。


2011年12月17日(土)

7時起床。ベッドに座って血圧測定。やはり朝は血圧が高いようだ。8時半出社。10時前にアルバイトが来所。意外にも大学2年の女子学生である。『新建築』12月号と『木造仮設住宅群』を見せながら「KAMAISHIの箱」について簡単に説明。間もなく栃内が出社したので引き継ぐ。いわきの工務店からモデルハウスについてのコメントが届く。直ちに花巻と対応について打ち合わせ、方針を決めて第3案をまとめるように指示。放送大学のテキストを書き始めるが、例の如く書き初めで躓く。午後1時過ぎに事務所を出て地下鉄半蔵門線で清澄白河駅へ。歩いて10分でMOT(東京都現代美術館)へ2時前着。まずエントランスホールの『失われた街---三陸に生きた集落たち』の模型を一通り観た後SANAA(妹島和世+西沢立衛)の企画による『建築、アートがつくり出す新しい環境---これからの“感じ”』展の会場に入る。内外の建築家、アーティスト30人の展示。SANAAの仲間展なので見慣れた“感じ”である。その中でヴィム・ヴェンダースWim Wenders がSANAAの「ロレックス・ラーニングセンター」を撮った3D映像作品「もし建築が話せたら…」を興味深く観る。建物内外をカメラが流れるように移動しながら、時折停止し、その場所でさまざまなことをしている人物に焦点を当てる。彼らは語りかけてくる建物の声に目を閉じて耳を傾ける。それだけの映像なのだが、この建物の緩やかに連続する空間のシークエンスとアクティビティの関係を的確に捉えている。ヴェンダースが『ベルリン天使の詩』(1987)でハンス・シャロウンの「ベルリン図書館」の広大な空間の中に佇む人びとの内的言語を捉えたシーンを想い出した。今回は建物自体が天使になっている訳である。ベルリンでは天使が空間内を自由自在に飛び回っていたが、今回は床面を離れない。時折挟まれる建物全体の俯瞰像とローザンヌ湖の彼方に広がるアルプスの山並が美しい。3時前に会場を出て地下の講義室で始まる『失われた街』展のレクチャーに移動。復元模型プロジェクトを立ち上げた槻橋修(神戸大)とプロジェクトに参加した2人の建築家、宮本佳明(大阪市大)と久野久光(名古屋市大)の三者三様のレクチャー。被災地の現場に建築家がいかに関わるかという視点から見ると、宮本がもっとも深くコミットしているような気がする。槻橋の関わり方はやや俯瞰的で戦略的であり、久野の関わり方は大学人らしい理論的アプローチが見て取れる。ともかく学生を巻き込んだ現地ワークショップだけではない多様な可能性があることを確認しただけでも収穫だった。後半のディカッションはパスしてもうひとつの展覧会『Berlin 2000-2011』へ移動。映像作品が多く、まともに観ると4時間以上かかると言われたが、約30分で駆け足で回る。5時前に美術館を出て5時半過ぎに事務所に戻る。花巻から「Fモデルハウス」第3案を受け取り、所内の掃除をして6時過ぎ解散。7時前に事務所を出てタクシーでホテル・オークラへ。中華料理屋で妻と早目のクリスマス。10時前帰宅。ウィスキーを飲みながらBSで北東イタリアの国境に近い小さな村のドキュメンタリー映画を観る。第2次大戦中はひとつの村がパルチザンとナチに分かれて戦い、冷戦中は東西に分断され、1990年代に冷戦が終結しようやくかつての交流が再開したという。11時過ぎベッドに横になりYouTubeで久しぶりに『Ghost in the Shell(攻殻機動隊)』のテーマ曲Kawai Kenjiの「Reincarnation」を聴く。民謡の声が何ともいえない哀愁を感じさせる。何度聴いても飽きない名曲である。
http://www.youtube.com/watch?v=yXvMJ0T40pQ&feature=related
今日一日のさまざまなことを想い出しながら夜半過ぎ就寝。


2011年12月16日(金)

7時起床。8時半出社。今日も快晴だが寒い。界工作舍HPの表紙に掲載している「設計監理の進め方」を2012版に書き換える。東日本震災後にクライアントの要求が少し変り始めたからである。もっとも大きな変化は、建物が完成するまでの期間を短くしたいという希望が増えたことである。これまで界工作舍では、設計開始から完成までの期間を最低1年間としていたのだが、そうも行かなくなったので「コンパクト箱の家」などの標準設計の適用を条件に思い切って8ヶ月にまで縮めることにした。10時、放送大学の郡ディレクターが来所。台本の叩き台に沿って番組内容について検討し、昼過ぎまでに第1回から第5回まで進む。話しているうちに具体的なイメージが湧いてくると同時に、追加したいプログラムも浮かび上がってくる。来週にもう一度打ち合わせることになった。予算編成の資料としてロケーションの予定先のリストをもらう。来年早々に番組予算を申請するそうだ。Amazonから血圧計が届いたので、早速説明書を読み、試しに測定してみる。定期健康診断で測定した値よりも低い値だが、それでも平均閾値より高い値が出た。大学に勤めている頃は平均閾値内だったので、退職後の運動不足と食生活が祟っていることは間違いない。以前よりも酒の量が多くなったことも一因かも知れない。兎も角しばらくの間は定期的に測り続けてみよう。夕方、芳賀沼さんから電話。12月27日(火)の夕方に釜石で慰霊祭が行われるので、釜石市としては、その日の午後に「KAMAISHIの箱」の引渡式をしたいという。何とか時間をとって出席する旨を伝え、直ちにムジネットの田鎖専務に報告メールを送ったが海外出張で同行は無理だそうだ。放送大学のシナリオを見直しながら追加プログラムを検討。いくつかの取材を追加する。明日からは本格的にテキストに取り組み始める予定。9時半過ぎ芳賀沼さんが来所。刷り上がったばかりの『木造仮設住宅群』(ポット出版 2011)を届けてくれた。Amazonや書店での販売は20日過ぎになるらしい。復興住宅のコンセプトについて簡単な打合せ。芳賀沼さんは「KAMAISHIの箱」の構法を応用したダイアグラマティックなプランを考えているらしい。サステイナブル・デザインの視点から平面計画や規模について、もっとスタディを要する点を指摘する。10時半帰宅。『木造仮設住宅群』の藤塚光政さんの写真に見入りながら夜半就寝。


2011年12月15日(木)

7時起床。8時半出社。快晴だが少し寒い。10時ニチハ市場開発部の高村尚吾氏が来所。外装断熱パネルの開発に進展があってその報告かと期待していたら年末の挨拶だったので肩すかし。逆に僕の方から断熱パネルの開発の進行状況を聞き、復興住宅への適用の可能性を打診する。合わせて放送大学のロケ取材も依頼。その後ニチハの技術開発部やスーパーポテトからの連絡が相次ぐ。やはり何か言ってみるものだ。放送大学の郡ディレクターから教材構成案の最終便が届く。これで全15回の案が揃った。早速中味に眼を通してみるがチェックポイントが今一よく分からない。とはいえ取材を相当頑張らねばならないことだけはよく分かった。午後、思い立ってXゼミサイト原稿を書く。昨夜、鈴木博之さんから届いた原稿を受けて、僕も他で書いた原稿を掲載することにした。最初のメンバーの申し合わせでは、石山信を界工作舍サイトに難波信を石山研サイトに鈴木信は両サイトにアップするというルールだったが、最近は石山信を石山研サイトにもアップしているので、僕も最新の難波第18信を界工作舍のXゼミサイトにアップする。夜は放送大学のテキスト・スケッチと僕の教材構成案を脇に置いて、郡ディレクターから届いた叩き台の台本に眼を通してみる。流石に全体の流れを的確に掴んでいる点に感心する。やはりプロは違うな。とはいえ番組を充実させるには、もう少しインタビューとロケを増やすべきかも知れない。明日の打合せは取材の手順が中心になりそうだ。テキストスケッチをさらに膨らませる。年内に1〜2章は書き上げねばならない。9時半帰宅。『複雑で単純な世界』を読み続けるが少々冗長で持続しない。iPhoneでYouTubeを観ながら夜半就寝。


2011年12月14日(水)

7時起床。8時半出社。曇りで少し冷え込みが納まっている。花巻がまとめた「Fモデルハウス」の屋根のスタディをチェックバック。9時に事務所を出て、歩いて青山の診療所へ。9時15分から先週の定期健康診断の結果を聞く。とくに大きな問題点はないが、血圧が高いので塩分を控えて毎日定期的に血圧を測定することと血液中の悪玉コレステロール値が高いので卵などのタンパク質の摂取を控えることの2点を指導される。帰り際に血圧手帳を渡され来年2月頃まで測定結果を記録し報告に行くことになった。僕の父方の一族は循環器系の病気で死んでいる人が多いので遺伝かも知れない。10時前に事務所に戻り早速Amazonでデジタル血圧計を注文する。LATs第6回原稿の続行。少しずつ書き進めて行き夕方までにようやく15枚を書き終わる。一度読み直した上で『10+1』ウエブサイト編集部に送信。URコンペのスケッチ。現地を観たときに浮かんだイメージの技術的根拠をリストアップしてみる。「KAMAISHIの箱」の模型製作の学生アルバイトは界工作舍0Bの龍光寺君のおかげで人数は揃ったが、皆、学校があるので年末まで戦力にならないことが分かる。当面は界工作舍OBOGに助力を頼むしかない。石山研究室からXゼミの石山修武第23信が届く。早速、界工作舍のXゼミサイトにアップする。石山さんは僕に何か書けと要求している。ようやくLATs原稿を書き終わり、お尻に火がついた放送大学テキストに取り組もうとした矢先である。石山さんのようにスラスラと書く能力は僕にはないので頭を抱える。高岡の「138上田邸」の1年検査から帰社した栃内から報告を受ける。冬でも日が射すと室内は30度近くになるそうだ。東西に長く奥行の浅いプランの最大の効能である。工務店がこまめにメンテナンスしてくれているのでほとんど問題はないようだ。花巻がまとめた「Fモデルハウス」の第2案をいわきの工務店に送信。次は断面詳細図をまとめるように指示。9時半帰宅。ベッドの中で本を読んでいたら鈴木博之さんからメールが届く。Xゼミ石山修武第23信に対する返答なので直ちにiPhoneからXゼミサイトにアップする。いよいよ僕も書かざるを得ない状況である。『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。


2011年12月13日(火)

7時起床。8時半出社。快晴で寒い。午前中は海外メディアへのコメント文の作成や「箱の家」へのアンケート回答などの雑用で終わる。午後1時過ぎに久しぶりに井上樹が来所。「KAMAISHIの箱」の模型の製作を手伝ってもらうことになった。放送大学の郡ディレクターから教材構成案の第6回から第10回までが届く。その直後に最後の第11回から第15回までを作成したので送付した旨のメールが届く。年末になっていよいよ尻に火がついた感じである。LATs原稿の再開。頭の中から記憶を引き出しながら少しずつ原稿を書いて行く。夕方までに10枚まで辿り着く。何とか15枚までは書きたい。芳賀沼さんから電話。「KAMAISHIの箱」の設備工事は年内には形がつきそうだとのこと。ペレットストーブも設置されたそうだ。来年早々には訪問できるかも知れない。真冬の「KAMAISHIの箱」がどういう状態になるのか興味あるところである。先週に福島県の復興住宅「ふくしまの家」のプロポーザルコンペが公開されたのでその相談。福島の設計事務所、工務店、メーカーが対象のプロポーザルコンペだが、僕も間接的に加わりたいので資料の送付を依頼する。僕も寄稿した『木造仮設住宅群』の年内出版が確定した。Amazonで予約販売が始まっている。
http://www.amazon.co.jp/木造仮設住宅群-3-11からはじまったある建築の記録-はりゅうウッドスタジオ/dp/4780801745/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1323763431&sr=8-1
花巻と「Fモデルハウス」の屋根勾配の打合せ。方針を決めて早急なスタディを指示。夕食後、模型製作の打合せ。井上が作成したテクスチャーのモデルを検討し方針を決定。明日から本格的な作業を始める予定。学生アルバイトも何とか見通しがついた。芳賀沼さんから福島復興住宅コンペの資料が届いたので読み込む。三井所清典さんが審査委員に入っている。仮設住宅よりも建築家に近いコンペである。息の長い仕事になりそうだ。クライアント候補から電話。日曜日に事務所に来てもらうことになった。年末はドタバタと時間が過ぎて行く。9時半帰宅。『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。


2011年12月12日(月)

7時起床。8時半出社。プレゼンテーション模型を養生し資料を鞄に詰め両手に荷物を抱えて10時過ぎに事務所を出る。地下鉄銀座線で上野へ。11時上野発の常磐線特急でいわき駅へ1時過ぎ着。改札口で芳賀沼さんと待ち合わせF工務店へ2時前着。2時から「Fモデルハウス」のプレゼンテーション。資料一式を渡し模型と図面で約30分間説明。その後、質疑応答。基本設計は承認されたが、屋根勾配の緩さや軒の出がない点についてやや抵抗があるようだ。合わせて太陽熱利用の可能性についても打診されたので再検討を約束する。今後の進め方については当初とは異なる手順を取ることになった。会長の考えでは、展示場でのモデルハウスの着工は約1.5ヶ月遅らせ(それでも完成予定は来年5月中なのだが)その前に同じコンセプトの建売住宅を自社設計で建設したいとのこと。要するに「箱の家」がどこまで受け入れられるかを建売で実証するのだという。モデルハウスの前に実証住宅を建てるという発想が今一僕には理解しにくいが「箱の家」仕様ではなく自社仕様で試作してみるということなら理解できる。今後の進め方について打ち合わせた後3時半終了。いわき駅まで戻り4時過ぎの特急スーパーひたちに飛び乗って6時半過ぎに上野着。7時半に事務所に戻る。夕食後8時半から今日のプレゼンテーションと屋根の再検討について報告。引き続き東日本震災展用の模型製作の打ち合わせ。展示台の大きさからスケールを1/30まで拡大し簡単なテクスチャーをつけることにする。カッシーナ・ジャパンの堀尾俊彰さんから『新建築』12月号に掲載された「KAMAISHIの箱」の関する好意的なコメントメールが届く。直ちにはりゅうウッドスタジオに転送。9時半帰宅。

『複雑で単純な世界』は第4章「群衆の行動を予測する」と第5章「複雑性とネットワーク」を読み終えて第6章「金融市場の動向を予測する」へと進む。カオス理論、フラクタル理論、ネットワーク理論が絡み合って複雑系を構成する。様々な現象を「複雑系」という概念によって「内容」ではなく「形式」を通して捉えるという視点で徹底しているところが面白い。複雑系に対しては、まだ「外」からの観察に終始しているが今後「中」からの働きかけまで展開するのだろうか。


2011年12月11日(日)

7時半起床。ゆっくりと朝食を摂り9時半出社。ピーカンの快晴。芳賀沼さんから電話。復興住宅の計画、「KAMAISHIの箱」の設備工事、明日のプレゼンテーションの件などの打合せ。来年早々に復興住宅のコンペが実施されるらしい。今日は南相馬の塔の工事に行くのだという。僕も思い立って10時半に事務所発ち北千住経由で東武伊勢崎線の谷塚駅へ。駅から20分ばかり歩いてUR都市機構のリノベーションコンペの敷地に11時半過ぎ到着。対象の建物は花畑団地の中央部にある5階建て塔状集合住宅である。若い建築家らしい人が建物の写真を撮っていたので話しかけようとしたら逃げ去ってしまった。しばらく回りを散策。巨大な団地の棟は一部を除いてほとんどが空家になっている。こちらのリノベーションの方が問題ではないかと思う。減築か住戸の拡大をするのかも知れない。恐らくコンペを契機に計画を進めるのだろう。12時半に駅前に戻り中華料理屋で簡単な昼食。店は家族連れで満員。ひとりだけの年寄りも多い。2時前に事務所に戻る。かなり歩いたのでしばらく休憩。娘が帰宅したので妻と3人で麻布の寺に母の墓参り。今日は母の命日である。麻布十番周辺は人混みでごった返している。4時過ぎ帰宅。事務所で原稿に向うが集中できない。6時半過ぎに早目の夕食。夜、NHKTVで震災孤児の番組を観てノックアウト。居たたまれないのでウィスキーを煽る。早目に床に就くがなかなか眠れない。夢にうなされて朝までに何度も醒める。


2011年12月10日(土)

7時起床。8時半出社。ピーカンの晴れだがやや寒い。雑用を済ませた後9時半に事務所を出て原宿駅で予約の切符を受け取り10時新宿発のスーパーあずさに乗車。土曜日なので車内は一杯。出発後花巻にメールで「141小澤邸」の建方状況を確認。12時過ぎに上諏訪着。普通電車に乗り換えて12時半に下諏訪着。歩いて現場へ1時前着。日が出ているが風は冷たい。現場は昼休み中で誰もいない。現場監督に挨拶し建方状況を確認。2階床までの建方が終了している。1時過ぎから建方開始。軸組は集成材だが接続金物を使わない在来構法である。仕口加工は複雑になるのだが棟梁からの希望で在来構法に変更した。引き寄せボルトは使っているが表面には金物はまったく見えない。そのせいか接続金物構法に比べると建方の様子がやや複雑である。3時の休憩までに外周梁の設置が終わり小梁の取付が始まる。雲が出て来た。日が遮られるとさすがに寒い。休憩中に棟梁と打合せ。3時半に作業再開。建方がスムースに進むことを確認して、後は花巻に任せ現場を発つ。下諏訪まで戻り4時過ぎの特急あずさに乗車。5時前になるとすっかり暗くなる。花巻にメールで進行状況を確認。小梁と鉄骨階段の設置まですべて終了したとの返信。7時前に新宿着。7時半に事務所に戻る。放送大学からのテキスト原稿の催促状が届いている。来年1月末が締切だがちょっと難しいかもしれない。8時過ぎ帰宅。今日は満月。夜中に月食が見られるらしい。夕食後ゆっくりと風呂に入る。『複雑で単純な世界』を読み続ける。第3章「カオスとフラクタルをどうとらえるか」を読み終わり第4章「群衆の行動を予測する」にさし掛かる。ようやく面白くなってきた。夜半就寝。


2011年12月09日(金)

早朝6時過ぎに花巻からメールが届く。iPhoneの受信音で目が醒めた。下諏訪では雪が降り始めたので今日も「141小澤邸」の建方が中止になったという。再びiPhoneで予約の電車を明日に延長する。明日は何とか天気が持ち直しそうだが雪が残らなければいいのだが。8時半出社。東京も冷たい雨が降っている。栃内がまとめた僕の履歴書と業績書を編集し、佐々木くんと法政大学建築学科に送信。十数年前、大阪市大に勤める際に時間をかけて業績データをまとめたが、それ以来必要に応じてデータを追加してきたのでそれほど大変な作業ではない。とはいえ非常勤で最近の業績リストを請求されたのは初めてである。世の中、世知辛くなったものだ。LATs原稿を本格的に書き始める。しかし全体のスケッチは出来ているのに、なかなか筆が進まない。ヴァナキュラー建築の現代的な意味が今一飲み込めないためである。あれこれ本棚から文献を引っぱり出して『建築家なしの建築』が出版された1960年代の建築状況を調べていたら本棚の奥から『現代建築愚作論』の初版本(1961)が出てきた。表紙裏に伊藤ていじによる池辺陽宛の謹呈サインがある。どういう経緯で僕の手元に届いたのか記憶が定かでない。池辺陽論を書く際に池辺蔵書から借り受けたのだろうか。復刻版を読み終わった頃に出てくるとは家早南友。夜までかかってようやく6枚までとはいささか情けない状態。日曜日までには何とか仕上げたい。「東日本震災展」の事務局からメールが届く。「KAMAISHIの箱」の模型の製作費用の条件が承認されたので来週から模型製作に着手することになった。年末までに同じものを2個作る必要があるので結構大変である。あちこち心当たりにバイトの手配を連絡するが年末で皆忙しいらしい。大学で教えていればこういう時に好都合なのだが。夜までに「Fモデルハウス」の模型が完成。プレゼンテーション用の設計要旨と図面もまとまる。模型写真の撮影を見極めて10時過ぎ帰宅。ピーカンに晴れている。今夜は冷え込みそうだ。『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。


2011年12月08日(木)

7時のアラームと同時に新宿にいる花巻からメールが届く。下諏訪の「141小澤邸」の建方は雨のため中止になったらしい。直ちにiPhoneからJRに予約しておいた切符を明日に変更する。8時半出社。既に花巻が出社している。東京も午後には冷たい雨が降り始める。佐々木睦朗さんから来年度の法政大学設計課題シラバスが届いたのでチェックバック。震災後の課題として都市における集合住宅と複合施設を提案する。午前中はLATs原稿スケッチの続行。ヴァナキュラーの現代的な意義について考えるがなかなか難しい。これまでの僕の経験では豊かな時代には普遍的・原理的なヴァナキュラー建築が注目されるが不景気の時代には社会学的・計画学的な建築が注目される。50年代に実存主義が流行り60年代に構造主義に取って代わられたのがひとつの例である。昨日読み終わった『近代建築愚作論』は前者から後者への転換期について論じていたといってよい。80年代のバブル期から90年代の沈滞期にかけても同じだった。現在はどちらかといえば後者の時代なので、原理的な建築はあまり注目されないのかもしれない。これに対し『家の理』においては「家の原型」を辿ることによって震災後の復興住宅のコンパクト化に結びつけようとしているので、この問題に関連づけることを考える。放送大学のテキスト続行。ペースがなかなか掴めない。来週末に郡ディレクターと番組制作について打ち合わせることになった。テキストと番組制作を並行して進めることになりそうだ。9時半帰宅。風呂に入った後『複雑で単純な世界』を読みながら夜半就寝。

『複雑で単純な世界』は第1章「単純な要素、複雑な現象」と第2章「秩序ポケットの出現」を読み終わり、第3章「カオスとフラクタルをどうとらえるか」にさしかかる。80年代のニューサイエンスは一種のバブル科学だったが本書はその残照だといってよい。一般的に科学的アプローチは普遍性・原理性をめざすが、複雑系科学は不確定性の中に普遍性を見出そうとする。それがかろうじて不安定な時代である今日でも生き延びている理由である。とはいえ予想以上の啓蒙書で今のところ何の発見もない。少々イライラしてきた。


2011年12月07日(水)

7時起床。8時半出社。昨夜は冷たい雨だったが今朝は快晴で少し暖かい。9時半過ぎに事務所を出て歩いて神宮前の診療所へ。渋谷区の定例健康診断である。いつも行っている成人医学センターは渋谷区の診療を受けつけていないので近くの指定診療所で受けることにした。以前この診療所は雑居ビルの地下にあったが現在は1階にまで拡張され倍以上に広がっている。待合室も中年以上の患者で満員である。この一帯は結構住民が多いようだ。10時からいくつかの検査を受けたが採血の注射が異常に痛く天を仰ぐ。来週の結果面談を予約して11時半に事務所に戻る。放送大学の郡ディレクターから『新しい住宅の世界』の第5回までの台本の叩き台が届く。台詞まで書いていないが時間配分が明示してある。ざっと眼を通してみるがどうチェックしていいか分からない。やはりディレクターの直接打ち合わせる必要がありそうだ。テキストを書き始める。いつものように書き出しが難しい。夕方まであれこれ呻吟。6時前に事務所を出て新大久保駅前の近江屋へ6時15分過ぎ着。久しぶりのXゼミミーティング。既に石山修武さんが呑んでいる。しばらくホーチミンと韓国のテグの話など。6時半過ぎに鈴木博之さんが到着。Xゼミがしばらく滞っているのでどう展開させるかについて意見交換。現在は磯崎さんの震災遷都計画で終わっているので、それを引き継ぐ形で磯崎論を試みることになった。8時半終了、9時に事務所に戻る。9時半帰宅。風呂に入った後『複雑で単純な世界 SIMPLY COMPLEXITY』を読みながら夜半就寝。

『現代建築愚作論』(八田利也:著 彰国社2011)を読み終わる。皆一度は読んだことのある文章なので1950年代末から60年代にかけての建築状況を改めて概観できたこと以外はとくに大きな発見はなかった。それにしても当時の東大生は随分と高見の見物ができたものだなあという印象である。ちょうど世界デザイン会議が開かれた時で、そのことについてもチラリと言及されているが、メタボリズムについてはまったく触れられていない。八田利也(ハッタリヤ)はきっと横目で眺めていたのに違いない。なので本書をメタボリズムに対する当てこすりとして読むこともできる。藤村龍至は解説の中で「1950年代の「小住宅ばんざい」というメッセージは2010年代ならば「マテリアルばんざい」と言い換えられるのではないか」と指摘しているが僕はそうは思わない。1950年代の小住宅には社会的なメッセージが込められていたのに対し、後者は建築表現の手段に限定され社会性は込められていないからである。僕の考えでは、震災後の現在においては藤村の言うように2つの時代を並行させるのではなく、むしろ八田利也から1950年代へと逆に遡るべきではないかと思う。その方が藤村のメッセージ「「量」から「ア−キテクチャー」へ」との関連が明確になるだろう。


2011年12月06日(火)

7時起床。8時半出社。花巻がまとめた「Fモデルハウス」の図面最終チェック。引き続き設計要旨のまとめ。『建築雑誌』12月号が届く。中谷礼仁編集長による最後の号で、特集は「国・人・土のデザイン鵺---不安定な大地とどうつながるか」。直ちに芳賀沼整さんが参加している座談会「被災地現地座談会---そのとき何が求められたか」を読む。4人の座談会だが芳賀沼さんを除く3人は大学人なので震災復興と教育の関係に注目し、芳賀沼さんだけが自らの直接的な復興活動について話している。したがって芳賀沼さんの発言にもっともリアリティを感じるのはやむを得ないかも知れない。たまたま芳賀沼さんから電話が入ったのでその感想を伝える。『新建築』12月号の芳賀沼さんの記事「木造仮設住宅から未来の町を考える」には、すでに近未来を見据えた福島県の復興計画が提示されている。その計画をさらに具体化するための提案を持ちかけられた。12月中には秋田寛さんの編集による藤塚光政さんの写真を集めた本『木造仮設住宅群』が出版される。いやはやエネルギッシュな人である。芳賀沼さんからもらったエネルギーで放送大学テキストに集中。教材構成案を参照しながら夜までに全15章のスケッチを終える。いよいよ本格的な原稿書きを始める。9時半帰宅。

『現代建築愚作論』を読み続ける。日本の巨大建築は機能が複合した雑居ビルであることに対して批判的である点にモダニズムの機能分離主義の影響が読み取れる。超高層化や容積率緩和の先駆的な提案が見られるとはいえ、やはり1950年代はモダニズム全盛時代だったのだ。


2011年12月05日(月)

7時起床。快晴。8時半出社。石山修武さんから電話、一昨日、韓国から帰国したようだ。今週水曜日に久しぶりのXゼミミーティングを持つことになった。はりゅうウッドスタジオから届いた「KAMAISHIの箱」の電気図のチェックバック。11月中には設備工事を終えたいと思っていたが年内の完成も危うくなってきた。被災地での工事は生活に直接結びついた部分以外はなかなか難しいようだ。今日は一日放送大学のテキスト続行。全15回の教材構成案と対応させながら原稿を構成。全体から部分へと作業を進めて行く。当初のイメージが分化して行くにつれて細部は微妙に変化して行くのだが十分な展開ができないので自分の抽出の少なさがもどかしい。新たな勉強をしながら書いて行くしかない。午後「Fモデルハウス」の打ち合わせ。日射や通風を確認し仕様のチェック。特殊な敷地でありながらプロトティピカルな住宅である点と「箱の家」よりもポピュラーな住宅にしなければならない点が難しい。「MUJI+INFILL木の家」とも明確に区別する必要がある。仕様の方針を決めてから模型製作に着手する。難波研OGの横山めぐみからメールが届く。今年も12月30日(金)の夕方から大学の講評室で難波研同窓会を開くことになった。久しぶりに僕も「KAMAISHIの箱」に関するショートレクチャーをする予定。直接のOBOGが在学しているのは今年までなので今回が大学で開催できる最後かも知れない。夜はLATs原稿のスケッチに集中。9時半帰宅。夜半就寝。

『現代建築愚作論』を読み続ける。池辺陽を初めとする戦後モダニズム建築家への批判を終えて話題は住宅論から都市論へと進む。第5章「都市の混乱を助長し破局に到るを待て」は磯崎の有名なマニフェスト「都市破壊業KK」につながる発想である。第6章「都市再開発は建築家に市場を与えるか」の巨大建築論はコールハースのBIGNESS論を先取りしている。1950年代末と現代との同時代性がますます浮かび上がってくる。
Amazonから『複雑で単純な世界 SIMPLY COMPLEXITY---不確実なできごとを複雑系で予測する』(ニール・ジョンソン:著 阪本芳久:訳 インターシフト 2011)が届く。原著の出版は2007年なので複雑系科学の最新の研究状況を知ることができるかもしれない。第1章「単純な要素、複雑な現象」で著者は本書の目的を「複雑系の予測と制御」と書いている。LATs第9回「創発」では複雑系科学の予測性に疑問を持ったので、その延長上で読んでみる。


2011年12月04日(日)

8時起床。9時半出社。ここ1週間の疲れが噴出して何も集中できない。午前中はLATs原稿のスケッチを少しだけ進める。午後『手紙』(生野慈朗:監督 2006)のDVDを観る。ツタヤの評価が3.69/5とかなり高いので選んだのだが今一ピンと来ない。犯罪者の家族の葛藤を描いた社会的メッセージの強い映画でテーマの重大さは十分に理解できるのだが、メッセージがあからさまに描かれている点に抵抗を感じる。物語の展開にも連続テレビドラマのような唐突さがある。要はシナリオの問題である。シリアスなテーマを描く映画にはテーマを相対化する視点が必須だと感じた。7時帰宅。夜はゆっくりと風呂に入り『現代建築愚作論』を読み続ける。八田利也は建築関係者であるにもかかわらず高見からすべてを相対化しようとするニヒリストである。相対化が自分にも及ぶことを意識しないのはロマンチック・アイロニーと言うしかない。状況分析が的確であるだけに読んでいてあまり気分が良くない。とはいえ3.11以降を一種の戦後と考えれば、小住宅に関する分析は現代にも通用するかもしれない。復刻したのはそのことを見通してのことならば出版社は冴えていると思う。


2011年12月03日(土)

7時起床。8時半出社。昨日よりも少し暖かいが雨は冷たい。『新建築』12月号がなかなか届かないので編集部に打診したら郵便物の中に埋もれているのを発見した。直ちに中味を確認しHPにアップする。特集「仮設による地域の拠点」に僕たちの「KAMAISHIの箱」が掲載されている。多種多様な仮設建築が紹介されているが、ほとんどが夏の仕様なのでこれからの冬の季節での使用は難しいかもしれない。さすがに仮設住宅の方はちゃんとしているが。それにしても特集以外の建築記事でも住宅が紹介されており『新建築住宅特集』とどのように棲み分けているのか理解に苦しむ。10時半「Fモデルハウス」の打ち合わせ。案がほぼ固まったので一般図を整理し来週から模型製作に着手する。午後、雨が上がったので代官山の蔦屋書店のオープニングに赴く。外構工事がまだ終わっていないようだが店は開店している。コンペで選ばれたとは思えない静かな建築で、隣接する代官山集合住宅とも齟齬なく連続している。内部は予想以上にリッチな雰囲気である。開店直後のせいか店員がやたらと多い。建築のコーナーも充実していて僕の本もすべて置いてあった。近所の住人や車で来る人にとっては快適な空間である。とはいえ本の購入もビデオのレンタルもウェブを使っている僕のような人間は、わざわざここまでは来ないだろうなという印象。今後この種の店の営業はますます難しくなるかもしれない。3時に事務所に戻る。LATs原稿スケッチ続行。5時半事務所内掃除。6時解散。夜は放送大学テキストスケッチ続行。10時帰宅。『現代建築愚作論』を読み続けるが『池辺陽試論』(1999)をまとめた時に集中的に読み込んだ文章ばかりなので今一集中できない。夜半就寝。


2011年12月02日(金)

7時半起床。昨日はぐっすりと眠った。9時前出社。曇りで寒い。複数の建築ジャーナリズムへ大分コンペの結果を送信。取材と掲載を依頼する。午前中は放送大学教材構成案をまとめて第13回から第15回までを郡ディレクターに送信。これで教材構成案は終わったのでテキストの執筆開始。LATs第6回『驚異の工匠たち』の書評が『10+1』のウェブマガジンに掲載されたので、次回の僕の担当書評のスケッチも開始する。
http://10plus1.jp/serial/lats/lats11/
芳賀沼さんへ電話。「KAMAISHIの箱」の設備について打合せ。シェルターはできたが電気設備や衛生陶器類の手配がなかなか進まない。釜石市の対応も難しそうだ。残念ながら年内の完成は難しいかもしれない。5時半に事務所を出て表参道駅へ。佐々木睦朗くんと待ち合わせ、半蔵門線で錦糸町まで行きJR総武線に乗り換え新小岩で下車。歩いて10分で地鶏屋へ。久しぶりに旨い焼鳥と日本酒をいただきながら建築談義。来春から法政大学の院生の設計製図課題を佐々木くんと2人で担当することになったのでその前打合せ。院生が対象だが半期の長い課題で設計条件の調査もある点は東大のスタジオ課題に似たシステムのようである。課題の作成も依頼される。最後はお茶漬けで締めて9時過ぎに店を出る。外は寒い。表参道駅で佐々木くんと別れ10時前に事務所に戻る。雑用を済ませて10時に帰宅。『現代建築愚作論』(八田利也:著 彰国社2011)を読み始める。1961年に初版が出た本の復刻版である。1960年代の建築家は「量(愚作)を通して質(傑作)をめざす」という本書の結論に対して、藤村龍至が「量からアーキテクチャーへ」という解説を書いている。アーキテクチャーとはハードな建築のことではなく建築を含む社会的な制度や組織のことである。これは昨日読み終わった『一般意志2.0』にもつながる発想だろう。


2011年12月01日(木)

7時起床。外は雨が降っているようだ。昨夜はさまざまなことが脳裏を駆け巡りほとんど眠れなかった。決定的な案を選んだ安堵感と建築家としての焦燥感が入り交じった不思議な空虚感に囚われた。冷蔵庫のウィスキーを2本煽り4時過ぎにようやく眠りに就いた。朝食後8時半にチェックアウト。県の車で大分空港へ。10時半の便で羽田空港へ12時前着。東京も雨で寒い。午後1時に事務所に戻る。コンペ結果が大分県のHPに発表される時刻を見計らって1時過ぎにブログをアップする。コンペの審査プロセスを実名でまとめたので公式発表を待つ必要があったからである。午後コンペの結果が大分県のHPに発表された。
http://www.pref.oita.jp/soshiki/10950/bijutsukan-sekkeisyakekka.html
その後「Fモデルハウス」の打ち合わせ。方針が決まったので大急ぎで詳細を詰めるように指示。「東日本震災展」の資料作成。夕方、高間三郎さんが来所したのでしばらくコンペの話。夜は放送大学教材構成案の続行。強烈な眠気に襲われて集中できず9時半帰宅。ゆっくりと風呂に入り夜半前に就寝。

還りの飛行機の中で『一般意志2.0---ルソー・フロイト・グーグル』(東浩紀:著 講談社 2011)を読み終わる。結論は熟議民主主義をウェブの記録による集合知=可視化された集合的無意識としての「一般意志2.0」によって補完するという新しい政治形態の提案である。アレグザンダーの初期の工学的アプローチも参照されている点に興味を持った(とはいえあくまで「計画」の範囲に止まり具体的なデザインにまで適用するには無理がある。その点が社会学者と建築家の本質的な違いであることが分かった)。『動物化するポストモダン』を前提にした議論なので、前著に疑問を抱いた者としては俄には信じ難い結論である。工学の可能性を政治に結びつけるアイデアは理解できるがツイッターの集合を市民の集合的無意識と捉えるのも本当かなと思う。とはいえリチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』には共感を抱いているので、理念を個人的内面(私的領域)に抱きながら、公共領域では他者の理念を認めるというアイロニカルな態度は理解できる。しかし理念を他者に強制しないまでも公共領域において理念を発表するのは自由だから(実際ほとんどの人はそうしている)両者を明確に区分けするのはいかがなものかと思う。総じて現状追認的で保守的な議論だナアという印象を持ったのは僕がまだ熟議的民主主義の可能性に拘っているからだろうか。


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