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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2011年11月30日(水)

7時前起床。窓の外は曇り。ホテルの窓から右手下方に大分県立美術館の敷地が見える。周囲の状況をしばらく観察すると東西に細長い敷地の条件がはっきりと分かった。背後は散漫とした住宅地である。7時過ぎに2階のレストランで朝食。7時半に一旦部屋に戻り昨日の日記を書き込む。8時半過ぎにロビーに審査委員が集合し、同じ建物内の会議室へ移動する。9時から大分県立美術館コンペの予備審査開始。12時半からの公開講評会のための準備会である。まずスライドを使って6案の2次審査資料を紹介。僕は既に何度も書類に目を通しているので少々まどろっこしい。その後、各案に対する質問事項をリストアップし、質問の担当者を決める。僕としては坂茂の案にしか興味がないので彼の案に対する質問事項だけを担当することにした。彼の案は常設展や県民ギャラリーを最上の3階に箱形の閉じた空間にまとめ、その下の2層を広大な一室空間の企画展示場としたきわめてシンプルな空間構成である。南面と東西面は完全に開放できる透明ガラスの跳ね上げシャッターとし、中間期には内部空間を前面道路や敷地周囲に開放することができる。イベント時には仮設パヴィリオンやモバイル樹木が外部空間に散置され、周囲の外部空間が企画展示場と一体になる。建物の中央部の2階に教育施設を置き、その下は高性能の可動間仕切を使ったフレキシブルな企画展示場としている。この企画展示場を取り囲む外周の2層吹抜空間は現代アートのための展示場となり、同時にインテンシブな気候制御が要求される中央部の企画展示場を取り囲む柔らかなダブルスキンにもなっている。完全な箱形の建築とフレキシブルな一室空間の企画展示場の組み合わせは、まさに「箱の家」のコンセプトと同じであり、近未来に相応しい都市型美術館だといってよい。この案は他の5案に比べると頭ひとつもふたつも抜け出している。運営は大変だろうが、これならば国際的にも十分通用する美術館になるに違いない。11時半過ぎに予備審査が終了。昼食後12時半から公開審査会開始。会場には約450人の観衆が集まった。6人の候補者がそれぞれ15分間のプレゼンテーションと15分間の質問。坂茂、早草睦惠、遠藤秀平のプレゼンテーションが印象に残ったが、やはり坂案が突出していることに変わりはない。坂さんのプレゼンテーションでは最初の15分でこちらが用意した質問事項に対する回答がすべて与えられたので、僕の質問はより詳細な技術的質問に急遽変更した。これによってさらに案の説得力が増す結果になったかもしれない。4時過ぎにすべてのプレゼンテーションが終了。しばらく休憩した後、4時半から別室で審査委員だけの最終審査。10人の審査委員が6案それぞれに関してコメントを述べる。ここでも僕は坂案についてだけコメントを述べ、この案しかないと強く推す。酒井忠康さんや青木茂さんも坂案に強い共感を抱いたようだ。しばらく意見交換した後、三井所委員長の提案で投票に入る。各委員が順位を点けて3案を選ぶ。集計の結果、坂案、遠藤案、早草案に票が集中。10人の審査委員のうち7人が坂案を、3人が遠藤案を1位に選んだ。遠藤案を選んだのは酒井委員を除く美術関係者と行政関係者である。僕は坂案に関しては議論が百出し相当揉めるだろうと予想していたが、ここまで票が集まったのでは議論の余地はないので、坂案1位、遠藤案2位で確定となる。後で聞けばコンペ事務局内では遠藤案1位,坂案2位という逆転した評価だったという。坂案があまりにラディカルなので実現までのプロセスと実現後の運営の大変さを予感したからだそうだ。6時終了。結果に関して青木さんと固い握手を交わす。一旦ホテルの部屋に戻り、資料を置いた後、島岡さんの車で大分市郊外の青木邸へ。審査委員の三井所、酒井、安永、小手川、島岡の5氏、青木夫妻、青木事務所のスタッフと僕の9人で会食。赤ワインと寿司をいただきながらコンペ談義で盛り上がる。青木さんも坂案に決まってホッとしたようだ。10時半にホテルに戻りロビーでコンペ事務局がまとめた最終審査講評の叩き台について意見交換。酒井さんが坂案のさまざまな可能性について印象的なコメントを加える。11時過ぎに部屋に戻る。シャワーを浴びメールをチェックした後夜半就寝。


2011年11月29日(火)

7時起床。8時半出社。昨日まとめた放送大学の教材構成案の第10回から第12回までを再チェックし郡ディレクターへ送信。日大の浦部さんから連絡があり「Fモデルハウス」のプレゼンテーションが再来週の初めに決まる。まとめを急がねばならない。9時半、難波研OBの佐藤隆志くんが来所。佐藤くんは僕が退職した直後にシュツットガルト大のウェルナー・ゾーベックが主宰するILEK(軽量構造研究所)に留学し先頃帰国した。来年3月には修士を修了予定で現在は修論をまとめている最中だと言う。修士論文のテーマや研究所で携わった研究などについて報告を受ける。11時半終了。直ちに事務所を出て羽田空港第2ビルへ。1時過ぎ大分行きのANA便に乗船。偏西風の影響で酷く揺れたが定刻より少し早い3時前に大分空港着。県庁の車で大分市内のホテルへ。夕食会まで少し時間があるので部屋でFモデルハウスのスケッチと読書。『一般意志2.0』は一気に10章まで読み終わる。予想通りの議論展開で少々拍子抜け。ブログ、ツイッター、ミクシーなど多様なソーシャルネットワークへの書き込みの集合を市民の無意識の集積すなわち「一般意志2.0」として捉え、それを工学的に表示することによって熟議民主主義を補完したらどうかという提案。あまりにストレートな提案で何か重要な条件が欠落しているような感じがする。よく考えてみなければならない。7時、ホテル20階の中華レストランに集合。大分県知事の広瀬勝貞さんとコンペ事務局2人に副審査委員長の酒井さんを除く審査委員9人が集まり会食。知事の挨拶の後しばらくはコンペの話題が続いたが、以降はコンペとはあまり関係のない四方山話で盛り上がる。9時過ぎに解散。部屋に戻りコンペ資料に再度目を通す。夜半就寝。


2011年11月28日(月)

7時起床。8時半出社。昨日まとめた放送大学教材構成案の第7回から第9回までを郡ディレクターに送信。10時にライターの高木敦夫さんがマガジンハウスとTOTOメンバーと一緒に来所。TOTOオフィシャルサイト内の「環境と建築」のための取材である。約10年前の『ブルータス』の特集「約束建築」以来、高木さんからは何度となく取材を受けているので、高木さんは「箱の家」の詳細を知り尽くしている。ほとんど回答に近いような的確な質問を受けているうちに段々肩の力が抜けて行く。最後にポートレートを撮影して12時丁度に終了。HPにアップするのは来年2月だそうだ。午後は放送大学構成案の作成続行。第14章まで進み、残すところ最終章だけになった。教材の詳細を考えながら全体のシラバスとテキストにもフィードバックさせる。シラバスを組み替え、テキストの章立てとタイトルの一部を変更する。この往還的な作業はこれからも続くだろう。並行して「Fモデルハウス」のスケッチ続行。プラニングが煮詰まってきたのでエレベーションについてもスケッチを開始。ロードサイドの展示場なのでアイキャッチ的なデザインが必要だが、単なるDecorated Shedではなく何らかの機能を持たせねばならない。道路が敷地の北西側を通っているのが難しい条件である。あれこれスケッチをくり返し玄関室と通風用の鳩小屋によって表情をつくることに収斂する。夜までに何とか方向性が見えて来た。9時半帰宅。『一般意志2.0』を読みながら夜半就寝。


2011年11月27日(日)

7時半起床。9時過ぎ出社。『木造仮設住宅群』のゲラ原稿が届いたので直ちに校正して返送する。僕の担当作業はこれですべて終えた。それにしても編集作業が大幅に遅れているようだが年内の出版は大丈夫だろうか。Fモデルハウスのスケッチ続行。徐々に収斂し始めているような気がするが、なかなかジャンプしない。作業を続けているとある時ジャンプが生じる。それがないといつまで経っても案は収斂しない。しかしそのジャンプが何時生じるのかは予測できない。淡々としかし堅実に作業を進めテンションを上げて行くしか方法はない。並行して放送大学教材構成案の作成を続行。夕方までに第11回まで進む。何とか月末までにはまとめあげる予定。夜はベッドの中で読書。夜半就寝。

『一般意志2.0』は第5章に差し掛かる。ルソーは18世紀の引き籠りでありオタクだったという東流の解釈からルソーが提唱する「一般意志」を数学的・物質的に捉え、その視点から「熟議」を旨とする民主主義という正統的な政治思想に対する批判へと議論は展開していく。この議論はパソコンを前にした現代のオタクにとってのインターネットを介した直接民主主義の可能性へと展開して行きそうな予感がするが、ハテどうなるのだろうか。


2011年11月26日(土)

7時半起床。8時半出社。昨夜、寝る前にF社のモデルハウスの設計条件についてあれこれ考えながら眠りに就いたら明け方にひとつのアイデアが閃いた。これはよくあることである。複雑な条件を考え続けると眠っている間にそれが解きほぐされ整理されるのだ。今朝、早速スケッチを始めてみるが、現実にはそううまくは納まってはくれない。しかし肝心なコンセプトは間違いないことを確信する。11時過ぎに埼玉からクライアント候補のK氏一家が来所。生後3ヶ月の男の子を連れた若くてお洒落な夫婦である。中仙道沿いの町家で両親と同居中らしいが独立した住まいを造りにはどうするかという点が問題のようだ。法的な条件やローンなどについて何点かアドバイス。まずは敷地条件から検討することを約して12時過ぎ終了。午後、花巻とFモデルハウスについて打ち合せ。僕のアイデアについて説明しスタディを進めるように指示。再来週までの第1案をまとめてプレゼンテーションすることとする。その後もスケッチ続行。何とか来週中に案をまとめて模型製作に着手したい。並行して放送大学教材構成案の作業を進める。5時事務所の掃除。6時解散。夜は大分県立美術館の資料を再検討。9時半帰宅。

『一般意志2.0』を読み続ける。ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』で提唱された「一般意志」の概念をIT時代に引き寄せて解釈するところから議論が始まる。そのために東浩紀は一般意志を数学的に読み替えることを試みている。


2011年11月25日(金)

7時起床。8時半出社。昨日まとめた放送大学教材構成案を再度チェックし第4回から第6回までを郡ディレクターに送信。9時半に会計事務所が来所。2011年9月までの会計報告。経営状態は相変わらず低空飛行だが、工場の仕事が終わったので一時的に持ち直した。しかしその分の税金も増える。家早南友。その後パソコンの会計データの年度を切り替える。11時に事務所を出て上野駅へ。12時発のスーパーひたちに乗り2時過ぎにいわき着。天気はいいが風が強くて寒い。日大浦部研の学生の車でF社の住宅展示場へ。F社は地元を中心に注文住宅を販売している工務店である。3時から「箱の家」のレクチャー。幾つか質問を受けて4時半終了。その後、展示場内のモデルハウスの建設予定地を見学。エコハウスのコンセプトで新しいタイプの住宅を売り出したいのでモデルハウスの設計を依頼される。交通量の激しい道路に接しているためロードサイドショップ的なデザインを要求される点が難しい。方位についても難しい敷地条件である。敷地資料を送ってくれるように依頼し5時半に現場を発つ。いわき駅を6時前発の特急で上野へ戻る。いわき駅ではガラガラだったが徐々に客が増えて水戸駅で満員になった。金曜日なので上京する人が多いようだ。8時過ぎに上野着。9時前に事務所に戻る。栃内と東日本震災展と『木造仮設住宅』本の図面レイアウトの最終チェック。9時半帰宅。『一般意志2.0---ルソー・フロイト・グーグル』(東浩紀:著 講談社 2011)を読みながら夜半就寝。

いわきへの往復電車の中で『シュンペーター---起業家精神・新結合・創造的破壊とは何か』(根井雅弘:著 講談社 2001)を読み終わる。シュンペーターが提唱したイノベーション(新結合)や創造的破壊は本質的に資本主義の概念であることを理解できた。イノベーションは時間的な差異から利益をうみ出す原動力である。彼はニューディール政策やケインズ経済学の背景にある反資本主義的なイデオロギーを批判したが、一方では資本主義の漸進的な衰退も予言した。本書だけではなかなか彼の活動の全貌は把握できない。一筋縄では理解できない複雑な経済学者だが、理論と実践を峻別しようとする点に親近感を感じる。


2011年11月24日(木)

7時起床。8時半出社。晴れで少し暖かい。栃内がまとめた東日本震災展のプレゼンテーションの叩き台をチェックバック。昨日に引き続き放送大学教の材構成案の続行。テキストスケッチと『建築家は住宅で何を考えているか』(難波和彦+千葉学+山代悟:著 PHP出版 2008)を叩き台にしながら取材先やロケ先をリストアップして行く。1時半に事務所を出て渋谷のセルリアン・ホテルへ。2時過ぎ安藤忠雄さん、鈴木博之さんと待ち合わせ。久しぶりのXゼミ・ミーティング。石山修武さんはヴェトナム出張中のため欠席。建築アーカイブのことなどについて話し合う。12月に再度打ち合わせることを約して3時半解散。4時過ぎに事務所に戻る。はりゅうウッドスタジオと『木造仮設住宅』の本に掲載する「KAMAISHIの箱」の記事についてメールで打合せ。藤塚光政さんと「東日本震災展」に使う写真について電話打合せ。引き続き教材構成案の作成続行。夜までに第4回から第9回までをまとめる。9時半帰宅。『シュンペーター』を読みながら夜半就寝。


2011年11月23日(水)

7時半起床。今日は祝日(勤労感謝の日)だが9時に出社。快晴だが少し肌寒い。雑用を済ませて9時半過ぎに事務所を出る。歩いて表参道のソフトバンクショップへ。開店10分前にもかかわらず既に8人の客が並んでいる。10時丁度に開店。整理番号を貰ったが30分経っても順番が回ってこないので一旦店を出て原宿駅まで足を伸ばし予約したいわき行の乗車券を受け取る。店に戻り結局1時間待ちで11時前に受付。15分の手続でiPhone4S-32GBを受け取る。サービス期間中なのでiPad2を一緒に購入しないかと強く勧められたが、今はPower MacとAir Macを併用しているので、それ以上は機能的に冗長だと断わる。事務所に戻り早速Power Macと同期。すべてのバックアップデータを新しいiPhoneにコピーする。ほとんどが楽曲で1400曲近くが入っている。画面上のアイコン配置まですべて同期されたのにはビックリした。ただしPower Macのソフトが古いのでiCloudの利用はお預け。WiFiの設定などをして昼過ぎに終了。画面がよりクリアで明るく反応スピードが早くなった。古いiPhoneはWiFi環境であれば今まで通りに使えるそうだ。午後は放送大学の教材構成案の作成続行。昨日の作成分をチェックし第1回から3回までを郡ディレクターに送信。その後『チルソクの夏』(佐々部清:監督 2003)のDVDを観る。佐々部作品は『半落ち』(2003)『夕凪の街 桜の園』(2008)以来の3本目。佐々部作品にはいつも何らかの社会的なテーマが盛り込まれているが、この映画にも女子高校生の生活を通じて1970年代における日本と韓国、韓国と北朝鮮の関係が描かれている。韓流全盛の現在から見るとこの30年で時代状況がいかに大きく変わったかがよく分かる。夜は読書。『シュンペーター』を読みながら夜半就寝。


2011年11月22日(火)

7時起床。8時半出社。快晴。昨日の郡ディレクターに引き続き、放送大学のテキスト編集を担当している井上学さんからも進行状況の打診メールが届く。テキストはスケッチを続けている最中だが当初の予定よりも確かに遅れている。再度『教材作成マニュアル』を確認したところ、教材構成案の提出は9月末が締切であることが分かりちょっと焦る。テキストのスケッチを確認しながら番組の教材構成案の作成を開始し、夜までに第3回までの構成案をまとめる。これでペースが把握できたので11月中には全15回をまとめることができそうだ。とはいえ詳細をについて考えれば考えるほど全15回の番組制作の大変さが分かってきた。いやはや大変なことを請け負ったものだ。9時半帰宅。『シュンペーター---起業家精神・新結合・創造的破壊とは何か』(根井雅弘:著 講談社 2001)を読み始める。シュンペーターが提唱したイノベーションや創造的破壊の概念を再確認するためである。

ベッドの中で『冷たい熱帯魚』(園子温:監督 2010)を観る。郊外で小さな熱帯魚店を営む男が、熱帯魚を巡る詐欺・猟奇殺人事件に巻き込まれて行く物語である。店の経営に関しても家族に対しても対人関係においてもシカとせず、時にはプラネタリウムのロマンチシズムに逃避するような気の弱い男が、徐々に追いつめられて行き最後にはブチ切れする。事件にキリスト教が絡んでいるのは園監督の常套手段である。殺人の証拠を完全に消すことを「透明にする」というのはオウム真理教の言葉だったし気の弱い男がブチ切れて殺人に至るのは秋葉原事件を想起させる。社会の周縁で生じる犯罪を自分の幼少経験に引き寄せてentertainment化するのが園監督の基本的なモチーフのようだ。それにしても人里離れた小さな教会の浴室で死体を切り刻むシーンが頻出するのにはちょっと参った。


2011年11月21日(月)

7時半起床。8時半に家を出て自転車で青山歯科医院へ。カーディガンだけでは結構寒い。月例の歯のメンテナンス。小さな虫歯が見つかったので来月はその治療を予約。10時前事務所に戻る。午前中は今週末のいわき市の工務店でのレクチャー準備開始。復興住宅へ向けての「コンパクト箱の家」の展開をテーマとする。放送大学ディレクターの郡俊路さんからメールが届く。そろそろ番組編成の準備に着手したいという。テキストもまだ十分に進んでいないので番組編成についてはまだ何も考えていない。いずれにしてもテキストと番組とは同じテーマに別の角度からアプローチする形にしたいので、並行して作業を進めるのも一案かも知れない。早速作業を始めることにしよう。昨日に引き続き大分県立美術館コンペ資料を通読し、昨日注目した案の中味を詳細に再検討してみる。やはりこの案が決定的だと確信する。後は最終プレゼンテーションで技術的な問題について確認してみよう。夕食後スタッフと「コンパクト箱の家」の解体再構築案に関する打合せ。接着剤やシールを使わずすべての構成材を部品化するのはなかなか難しいようだ。部品の機能を集積化すると構法は単純になるが逆にコストはアップする。なぜか不可解だがこれは部品化のパラドクスである。「KAMAISHIの箱」の構法の展開形を含めていくつかの試案をつくってみることにする。10時帰宅。

『ジェイコブス対モーゼス---ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』(アンソニー・フリント:著 渡部泰彦:訳 鹿島出版会 2011)を読み終わる。1950年代から60年代にかけてのニューヨークのインフラ整備や都市再開発などの公共事業を巡るジェイン・ジェイコブスとロバート・モーゼスとの闘いのドキュメントである。ニューヨークの下町グリニッチビレッジに住むジェイコブスが、モーゼスが企画したいくつかの公共事業計画、ワシントンスクエアを縦断するする道路計画、グリニッジビレーッジ一帯の都市再開発計画、ダウンタウンを横断する高速道路計画などを巡って政府・行政側からのトップダウンの圧力に対しボトムアップの市民反対運動に参加し組織化することを通して闘い最終的に市民側が勝利する。その運動の中で書かれた『アメリカ大都市の死と生』は1960年代以降の市民運動のあり方を決定づけたと言ってよい。しかしその後グリニッチビレッジ都心はジェイコブスの思惑とは裏腹に高級住宅化しジェイコブスが守ろうとした中下層の住民は追い出されてしまった。ジェイコブスはニューヨークを離れてカナダのトロントに移住し、モーゼスはすべての任を解かれてニューヨーク郊外で余生を過ごすことになる。こうしてトップダウンであろうがボトムアップであろうが、都市は両者の考える方向とは別の方向へと変化して行く。自生的計画とは一体何だろうかと考え込んでしまう。読後は何となく宙ぶらりんで空虚な気分に囚われる。とはいうものの都市インフラはジェイコブス的なアプローチによって造ることは難しい。モーゼスのように強権的でなくてもトップダウン的に造らざるを得ない。3.11のような震災後はとくにそうなるだろう。一方ジェイコブスは都市居住が物理的、エネルギー的、社会的、文化的などあらゆる意味でサステイナブルな住様式であることを証明した。要は両者をどう組み合わせるかだが、だとしても現実においては僕たちはどちらかの立場に立つことになる。僕としては後者の立場をとらざるを得ない。この股裂き状態が空虚な気分の要因かもしれない。都市において両者は往々にして対立するからだ。ともかく本書を読んでジェイコブスの本当の偉大さを痛感した。ジェイコブスが住んでいたニューヨークのハドソンストリート555番地をぜひ一度訪ねてみたくなった。この道は現在「ジェイン・ジェイコブスの道」と呼ばれているそうだ。


2011年11月20日(日)

8時起床。朝9時前に釜石にいる芳賀沼さんから電話。「KAMAISHIの箱」にペレットストーブが寄附されるのでその相談。あまり拙速に取り付けないように頼む。9時半出社。芳賀沼さんからメールでペレットストーブのカタログと取り付け方法の写真が届いたので、取り付け位置と仕様についての方針をまとめて返信。『新建築住宅特集』12月号の再読。大分県庁から県立美術館コンペ最終次審査の資料が届く。午前中はその資料を詳細に検討し最終審査での質問事項をまとめる。現時点で僕が決定的だと考える案は1点しかない。この案はこれまでの都市美術館の考え方を一歩先に進めようとする唯一の案である。恐らく大多数の審査委員から反対意見が出るに違いない。この案をピックアップするための戦略についてあれこれ考を巡らせる。やはり正面突破を試みるしかないだろうか。正午に一旦帰宅。娘が大学時代の同級生を連れてきたのでしばらく歓談。天気がいいので表参道を散歩でもしようと出かけたがあまりに人が多くて直ちに退散。その後は読書と原稿スケッチ。6時半帰宅。夜はウィスキーを飲みながら日本シリーズ最終戦を観る。あまり盛り上がらないままに福岡ソフトバンクの優勝が決まる。

『ジェイコブス対モーゼス』の第3章「ワシントンスクエアパークの闘い」を読み終わり第4章「グリニッジ・ビレッジの都市再生」へと進む。モーゼスが創案したワシントンスクエアパークの中央に自動車道を通す計画に対し、市民側が粘り強い反対運動を展開して計画は中止となる。トップダウンの計画がボトムアップの運動に敗退した訳である。ジェイコブスは反対運動に途中から参加し、裏方として運動を組織する。この勝利がきっかけでジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』の執筆を開始することになる。


2011年11月19日(土)

7時半起床。9時前出社。生暖かい雨が降り続いている。昨日の福島での会議を反芻しながら「コンパクト箱の家」のエスキス。中間復興住宅として必要な性能について問題を整理してみる。核となる課題は現在の仮設住宅をどう活かすかだが、僕は設計者ではないので、中間復興住宅から出発して考えるしかない。「KAMAISHIの箱」はシステム自体は単純明解だが住宅としてのシェルター性能が少し足りない。『新建築住宅特集』12月号が届く。僕たちの「箱の家134」と「箱の家140」が紹介されているが、同じエコハウスのコンセプトで設計された東北芸工大の竹内昌義さんや馬場正尊さんによる「山形エコハウス」と一連の住宅が紹介されている。「HOUSE-M」のファサードは「箱の家」にそっくりなので共感を感じた。ただし開口部を含めて断熱性はかなり高性能なのだが、断熱材にグラスウールを使っているのが気になる。室内はプラスターボード+ペイントのシームレスな仕上げで、防湿シートを張っているとはいえ電気配線などで必ず孔が空くので、室内の湿気が断熱層に入るのを防ぐことは難しいと思う。その結果、断熱層の外側で結露するだろう。外壁側に構造用合板を張ると結露水の逃げ場がないのでグラスウール断熱層に溜ってしまう。僕は1980年代に同じような仕様で建てた住宅を10年後に改築したことがあるが、屋根裏や外壁内のグラスウール断熱材がビショ濡れになっていた。その原因をゼネコンの研究所に依頼して検証したことがあるが、たとえ室内側に防湿シートを張っても断熱層への湿気の侵入を防ぐことはできないことが確認された。同じような断熱仕様を使っている某大手ハウスメーカーの住宅について設計者に問い糾したことがあるが、防湿シートがあるから大丈夫だという返答の一点張りだった。その後、構造用合板が水蒸気を通す有孔構造用合板に変えられたところを見ると、僕が指摘した問題が生じたのかも知れない。そんな訳で「箱の家001」(1995)では、結露対策として構造用合板を室内側に張り、その外側にグラスウール断熱材を挟み、外壁側に通気層をとって結露水を蒸発させる構法を考えたが、それでは遮音性に問題が生じることが分かった。「アルミエコハウス」(1999)で断熱パネルを使った経験にもとづいて「箱の家020」(2000)あたりからは、断熱材を合板でサンドイッチした断熱パネルによる外断熱構法を始めたが、通常の外断熱構法よりもコスト高になるので「無印住宅」(2003)からは構造用合板を切り離してウレタン発泡パネルによる外断熱構法に変えた。さらに「箱の家110」(2004)あたりからは防火性のあるユリアフォーム断熱パネルを外断熱の標準仕様にしている。断熱や気密の問題は注目されているが、結露の問題は依然として余り注目されていないようだ。結露はグラスウール断熱材の性能を激減させるだけでなく、水蒸気が水に相転移する際に大きなエネルギーを吸収する(約570cal/g)。したがって結露はカビや汚れの原因となるだけでなく省エネにも大きな障害であることはあまり知られていない。5時、事務所内の掃除。5時半解散。6時前に事務所を出て雨の中タクシーでホテルオークラへ。6時半から僕たち夫婦と娘夫婦の4人で妻の誕生会。このホテルのテラスレストランは祖母のお気に入りのレストランだった。さまざまな想い出があるので妻のたっての希望でこの場所を選んだ。雨のためか週末でも客は半分の入り。静かな雰囲気のなか互いの近況報告をしながら会食。9時半終了。タクシーで帰宅。

『ジェイコブス対モーゼス』は第1章「スクラントン出身の田舎娘」と第2章「マスタービルダー」を読み終わり第3章「ワシントンスクエアパークの闘い」に進む。庶民的な家庭から叩き上げたジェイコブスと完璧なエリート街道を歩んだモーゼスとの対照的なキャリアが詳細に報告され、ワシントンスクエアパークの保存問題でいよいよ2人の対決が始まる。


2011年11月18日(金)

7時起床。8時半出社。曇りで寒い。雑用を済ませた後10時過ぎに事務所を出て東京駅へ。改札口で予約切符を受け取り11時半発の新幹線で福島へ13時半着。改札口で『新建築住宅特集』編集長の中村光恵さんと待ち合わせタクシーで福島テルサへ。JIA福島主催の第3回復興支援会議。前回もそうだったが大会議室の外周に机を並べた物々しい雰囲気。これでは必要以上に形式張った会議になってしまう。建築家ならばもっとリラックスして話し合えるような空間を設定すべきではないかと思う。開始前に中村さんを浦部さんと芳賀沼さんに紹介。14時から会議開始。最初の建築家3人は福島県の各地に建設された木造仮設住宅とその実現過程について報告。現場監理ができないシステムに対する批判と改善の提案。筑波大の安藤邦廣の仮設住宅と配置計画が興味深い。当初の予想通り木造仮設住宅はプレ協の鉄骨系仮設住宅よりも性能においてもデザインにおいても優れていることが確証された。今後はこの相違をプレ協の鉄骨系仮設住宅にどうフィードバックするかが課題だろう。4人目は福島県建設業協会代表の菅野日出喜氏による報告。菅野さんは震災直後から木造仮設住宅建設に至るまでの経緯について報告する。阪神大震災後、各県はプレ協と防災協定を結んでいるため、国交省からの連絡で早くも3.11の翌日から仮設住宅に関する東北3県との話し合いが始まったそうだ。当初はプレ協だけで仮設住宅の建設を請け負う予定だったが、予想以上に甚大な被害でプレ協が7月までに必要戸数を供給するのが難しいことが分かったため、県、プレ協、建設業協会を初めとする地元の団体の三者の話し合いによって木造仮設住宅の建設が決まったのだという。その経緯は福島県、宮城県、岩手県でそれぞれ異なり、さまざまな理由から福島県が木造仮設住宅にもっとも集中的に取り組むことになったようだ。宮城県が出遅れたのは地元の建設業者が瓦礫処理に忙殺されたためである。当事者である菅野氏から木造仮設住宅建設の経緯を聴けたことは今回の会議の最大の収穫だと言ってよい。休憩を挟んで日大の浦部智義さんと芳賀沼整さんが今後の復興住宅の進め方について報告。浦部さんは仮設住宅から復興住宅への移行に関する住民の意識調査や居住地域の可能性と住まい方などについて報告。福島県の場合原発事故があるため仮設住宅から復興住宅へストレートに移行するのは難しく中間的な居住(中間復興住宅)が必要になる点に注意を喚起する。これに関連して芳賀沼さんは仮設住宅を、中間復興住宅、復興住宅へとリサイクルさせる可能性について早急に検討する必要性を主張する。聴きながら僕にはどんなことができるかを考え続ける。県外の建築家としては構法的な提案がもっとも有効かも知れない。その後スタジオ・ナスカの八木佐千子さん、僕、中村さんがコメント。僕は大局的なことを喋るか建築的なことを喋るか迷ったが、とりあえず前者の視点から木造仮設住宅のプレ協へのフィードバックの必要性と復興計画への建築家の関与の仕方について話す。引き続き福島県庁の土木係長である佐々木氏が福島県の被災状況と復旧・復興対策について総合的な報告し、仮設住宅の検証や復興住宅の計画などについても言及する。最後に他県の建築家が震災への関わり方について発言し5時過ぎ終了。懇親会への出席は辞退し芳賀沼、滑田、浦部、学生と近くのスペイン料理屋で早目の会食。赤ワインとパエーリャをいただきながら今日の会議について意見交換。来週のいわき市でのレクチャーで再会することを約して8時前解散。福島駅まで歩き8時半の新幹線に乗車。金曜日の夜で車内は満員。10時東京着。10時半に事務所に戻る。『ジェイコブス対モーゼス』を読みながら夜半就寝。


2011年11月17日(木)

7時半起床。8時半出社。今朝はこの秋一番の寒さらしいが事務所の中は暖かい。昨夜遅く同級生の永松賢一くんから今年初めに亡くなった同級生の花田勝敬くんの1周忌に「想い出集」作ることになったので寄稿して欲しいという依頼メールが届く。直ちに思い立って『建築家は住宅で何を考えているのか』(難波和彦+千葉学+山代悟:著 PHP出版 2008)でとり挙げた花田くん設計の「欅ハウス」について書く。この建築は研究室の学生と見学に行ったことがある。花田くんは大学卒業後直ちに菊竹清訓さんの事務所に入った。同級生の中ではもっともセンスのいい人だった。独立後はサステイナブルな建築をめざしていた。僕は同じテーマを追求する同志だと考えていたが生前にはこの問題について話し合う機会がなかった。唯一の交差点がこの本だった。昼前までに原稿をまとめて花田一家に送信。午後は放送大学テキスト原稿の続行。4時いわき市から山木工業の志賀さんが来所。先日手伝った四倉道の駅コンペのお礼の挨拶。1次審査ではトップだったが2次審査で次点になった経緯を聞く。スレスレの得票差だったと聞いて悔しさが募る。栃内がまとめた「KAMAISHIの箱」の配置図を『新建築』編集部に送信。引き続き東日本震災展のための原稿をまとめる。写真をどうするか思案のし所である。夜、花巻が下諏訪の「141小澤邸」現場から戻ったので報告を受ける。集成材軸組は在来構法で組み立てることになった。建方は12月初旬の予定。9時半帰宅。ゆっくりと入浴した後『ジェイコブス対モーゼス---ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』(アンソニー・フリント:著 渡部泰彦:訳 鹿島出版会 2011)を読み始める。ドキュメンタリータッチの物語で読み易い。『崇高と美の観念の起原』は第1篇を読み終わったところで少し興が乗って来たが、そのまま続けるのは辛いので一休みすることにした。美や崇高の根拠を対象にではなく人間の感情や心理に求める論理はカントを代表とする18世紀啓蒙主義思想の特徴かも知れない。それが「主観性の哲学」と呼ばれる由縁だろうが外界の対象を相手にする建築家の論理としては少々まどろっこしい。夜半就寝。


2011年11月16日(水)

7時起床。8時半出社。カラッとした秋晴れ。「141小澤邸」と「142森山邸」の規矩図のチェックバック。今日も一日事務所でデスクワーク。「コンパクト箱の家」の復興住宅版のスケッチ。可能な限り解体・移築が可能な部品化と乾式構法にするスタディ。そのためには以前開発を試みた外装断熱パネルの仕様は必須だろう。ニュースで仮設住宅の断熱工事を進めている様子を紹介していたが、今頃、何をやっているのだという感じである。断熱も軒庇も最初から必要であることは分かりきっていたはずだ。行政やプレ協が被災者の立場に立って考えていないことの証左である。それにしても壁や窓はともかく床下や屋根の断熱は大丈夫なのか怪しいものである。午後は放送大学テキストのスケッチ続行。『崇高と美の観念の起原』は序論「趣味について」を読み終わり第1篇に進む。趣味についても普遍的な基準を求めようとする18世紀半ばの啓蒙思想が色濃く反映された展開に少々辟易とする。何か別の本と併読しないとやりきれない感じである。


2011年11月15日(火)

7時半起床。8時半出社。秋晴れだが朝夕はかなり寒くなった。1階の事務所は2階の床暖房の余熱が効いているのでまだ暖房は必要ない。昨日に引き続き放送大学テキストの文献渉猟。午後2時、真壁智治さんとデザイナーの岡本健さんが来所。絵本『家の理』の打ち合わせ。先日渡した叩き台に対して真壁さんは新しいページ割を提案してきた。全体のストーリーは承認されたが、絵のテイストについては再検討したいとのこと。要するに全面的変更ということである。僕たちの案はこれまでかなり時間をかけて組み上げてきたものなので少々ムッとするが、かといって現案が充分に満足できるものではないので承認せざるを得ない。岡本さんの意見を聴きながら絵のテイストの方針について意見交換。僕たちの新しい案とコメントについても説明。4時前終了。その後真壁さんから電話があり僕のコメントを読んで少し考え方が変わったという。早速一部を修正したコメントを送る。ともかく今度は僕たちの方が真壁+岡本案をどう受けとめるかである。いっそのこと思い切って「ウィリアム・ブレイクくらいの線描画でお願いします」とでも注文を出してみようか。花巻には元になる資料を早急に揃えるように指示。夕方、芳賀沼さんから電話。いわき市の工務店でのレクチャーの件、「KAMAISHIの箱」の設備工事の件、11月18日(金)に福島で開催されるJIA福島主催の第3回「フクシマ復興支援会議」の件などについて相互報告。福島の会議には『新建築住宅特集』編集長の中村光恵さんも参加することを伝える。「KAMAISHIの箱」の設備工事が遅れているので釜石の岩間正行さんに連絡。夜、ムジネットから椅子が届いたとの返答が届く。田鎖専務に頼んでいた無印良品の椅子である。残すところは設備工事だが実施は12月初めになりそうだ。国際交流基金から『東日本震災展』への「KAMAISHIの箱」の出品依頼のメールが届く。五十嵐太郎さんの企画で震災後の建築家の活動の全体像を紹介する展覧会だそうだ。国内展だけでなく海外も巡回するという。マガジンハウスから「箱の家」に関するインタビュー取材の依頼。夜は放送大学テキストの原稿スケッチ。9時半帰宅。『崇高と美の観念の起原』(エドマンド・バーク:著 中野好之:訳 みすず書房 1999)を読み始める。同書は1985年に『崇高と美の起原』(鍋島能正:訳 理想社 1973)を読んだことがある。かなり念入りに読んだ記録があるが内容はほとんど憶えていない。再読して記憶と照合してみよう。


2011年11月14日(月)

7時起床。8時半出社。明日の打合せのため日本文のコメントを入れた『家の理』の叩き台をチェック。最後のページに「KAMAISHIの箱」を入れてさらに内容を充実させる。花巻と「141小澤邸」の軸組の打ち合わせ。午後は放送大学テキストのために文献渉猟。興味はどんどん拡大して行く。どのようにテーマを絞り込むか思案のし所である。とはいえ今まで通りギリギリまでテンションを上げて行くしかない。『atプラス10号』巻頭対談「現代社会の理論と「可能なる革命」」(見田宗介+大澤真幸)を読む。経済成長はロジスティック曲線に従うという話題から、脱原発と非成長時代のライフスタイルに関する話題に展開する。最終的には「虚構の時代」から「ヴァーチャルの時代」への転換が語られる。引き続き『日本のデザイン---美意識がつくる未来』(原研哉:著 岩波新書 2011)を一気に読み通す。原さんはさまざまな提案を行っているが、結論は「美意識を輸出する」ことである。しかし僕の見るところ「第2章 シンプルとエンプティ---美意識の系譜」における日本的スノビズムに関する説得力ある論理と「第3章 家---住の洗練」におけるテクノロジカルなスマートハウスの輸出可能性の論理とはしっくりと結びつかない。近未来の住まいを空間デザインではなくITの集積として捉えることには大いに疑問がある。ともかく日本的スノビズムが商品化され得るかどうかが最大の課題である。僕には可能なように思えるが、それはテクノロジー(物質性)の精緻化と洗練においてだけではなく、空間的な美意識に結びついたかたちにおいてではないかと思う。


2011年11月13日(日)

7時半起床。テレビを見ながらゆっくりと朝食を摂り9時半出社。「コンパクト箱の家」を解体・再構築が可能な構法で造るシステムについてスタディを始める。最大の問題は基礎である。鋼管杭がもっとも簡単だが1階の床高が高くなるのが問題である。単純なスラブ基礎の方がプラクティカルな回答かも知れない。構法からプラニングへのフィードバックも考えねばならない。今週は集中的にスタディしてみよう。その後は夜まで淡々と読書。10時半帰宅。『atプラス10号』を読みながら夜半就寝。早朝2時頃目が醒める。今後のことをあれこれ考えているうちに再び眠りに就く。

『「世界史の構造」を読む』(柄谷行人:著 インスクリプト 2011)を読み終わる。少し時間がかかったのは『世界史の構造』(柄谷行人:著 岩波書店 2010)を反芻しながら読むのが少し辛かったためである。「歴史と構造」をめぐるレヴィ・ストロースとサルトルの議論でも有名になったが、通常の考えでは、歴史は一回性の出来事であり、構造は反復的な法則だから「世界史の構造」というのは語義矛盾のように思える。とはいえヘーゲルやマルクスは歴史に法則を見ようとした。ダーウィンも自然史という広い意味で同じかも知れない。4種類の「交換様式」の重合と転換によって歴史を読み解くことによって、演繹的に歴史の「構造」を明らかにすることは、柄谷自身もいうようにマルクスの『資本論』の拡大版といえるかもしれない。第1部は初版が出た2010年以降の事件とりわけ2011.03.11の東日本大震災での原発事故に関する議論で、第2部はそれ以前に行われた座談会の記録である。すべての事件が交換様式によって説明されていくので僕にとっては大きな枠組よりも細部の記述の方に発見が多い。柄谷が4つの交換様式を思いついた際の気分を語った部分が印象深い。「今度の本を書いているとき、僕は自分が考えた四つの交換様式は真理ではないか、と思ったのです。漱石の『夢十夜』に、運慶の彫刻の話が出てきますね。あれは運慶が彫ったのではなく、もともと木の中に埋まっていたやつを掘り出しただけだと気づいた、というような夢。そういう感じが二年くらい前からありました。「世界史の構造」は、僕が構成したのではなく、もともとそうなっているんじゃないか、と」。本書ではフロイトが提唱した「抑圧されたものの回帰」の概念があちこちで言及されている。これは「交換様式A=互酬」が「交換様式D=自由と平等を保証する新たな交換様式」として出現するための条件として参照されているのだが『世界史の構造』ではフロイトは2カ所で参照されているだけである。おそらく今後も交換様式の説明範囲は拡大していくのだろう。建築や都市の視点に引き寄せていえば「交換様式A=互酬」は「職人の仕事」を「交換様式B=略取と再分配」は「行政によるトップダウンの計画」を「交換様式C=商品交換」は「ディベロッパーによるボトムアップの計画」を意味しているように読めるだろう。とすれば僕たちが考えなければいけないのは「交換様式D」のデザインとは一体何かである。僕としては、それこそが「自生的デザイン」ではないかと考えるがどうだろうか。昨日読んだ『日本の建築遺産12選---語りなおし日本建築史』(磯崎新:著 新潮社 2011)の結論部分で、磯崎新が「これからの建築=アーキテクチャーは新しい社会制度の設計になるだろう」といっているのは、柄谷の仕事を想い浮かべていたのかも知れない。


2011年11月12日(土)

7時起床。8時半出社。読売新聞11月10日の朝刊文化欄で「KAMAISHIの箱」が紹介されている。伊東豊雄さんの「石巻のみんなの家」と板茂さんの「女川町の仮設住宅」と一緒である。同じ記事がYOMIURI ONLINEにも掲載されている。先日取材に来た高野清見さんの記事である。
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20111110-OYT8T00437.htm
10時半、高校時代の同級生である中谷さんが来所。1965年の卒業以来45年ぶりなのでまったく記憶になかったが話しているうちに朧気な記憶が蘇ってくる。現在はお寺の住職をやられているそうだ。浄土真宗の関係で明日は数学者の広中平祐さんに会う予定だという。しばらく昔話をした後、同窓の何人かに電話をしてくれる。しかし顔を想い出さないままの四方山話は辛い。退職記念本の『建築の理』を贈呈して12時前に終了。午後は放送大学テキストのスケッチ再開。第1章は建築家から見た3.11以降の住宅のあり方に関する総論。5年間続く番組らしいのでとるべきスタンスが難しい。あれこれと文献を渉猟。夕方、地業工事が始まったばかりの「142森山邸」現場から帰ってきた栃内と簡単な打合せ。花巻がまとめた『家の理』のチェックバック。7時半帰宅。京都の茶会から帰ってきた妻に「KAMAISHIの箱」の記事の報告。シャワーを浴びた後『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。

『日本の建築遺産12選---語りなおし日本建築史』(磯崎新:著 新潮社 2011)を一気に読み通す。『建築における「日本的なもの」』の書評「「日本的なもの」のデ・コンストラクション」を『10+1』ウェブサイトに書いたばかりなので、その検証ができた感じである。
http://10plus1.jp/serial/lats/lats10/
磯崎は「外部」から持ち込まれた原型の変形を「和様化」と呼び、その原型を「構築する力」によって「水平の構築」と「垂直の構築」に分類し、これにしたがって12の建築を以下のような6組のペアでとり挙げて解説している。「出雲大社」と「伊勢神宮」、「浄土寺浄土堂」と「唐招提寺金堂」、「円覚寺舎利殿」と「三十三間堂」、「三仏寺投入堂」と「西本願寺飛雲閣」、「さざえ堂」と「修学院離宮上の御茶屋」、「代々木オリンピックプール」と「水戸芸術館アートタワー」。「和様化」とは原型=構築する力の「やつし」ではないかというのが磯崎の結論だが、磯崎自身が展開してきた「反建築」も和様化の一種だったかも知れないと述懐しているのが興味深い。そして1995年の時点で「和様化=日本の近代化」は完了し、3.11以降は新しい社会制度の設計が「建築=アーキテクチャー」の仕事になるだろうと結んでいる。要するに建築の定義自体が見えるもの(ハード)から見えないもの(ソフト)へと変容したということである。とはいえ建築とは元々見えないもの(制度や思想)を見えるもの(形態や空間)に表現すること、あるいは見えるものによって見えないものを構築しようとする作業ではなかったろうか。そして本書も見えるもの(原型的建築)から見えないもの(構築と和様化)を読み取ろうとする作業のひとつであることはいうまでもない。


2011年11月11日(金)

7時起床。8時過ぎ出社。冷たい雨が降っている。9時過ぎに田舎の同級生から電話。東京に来ているので会いたいという。ここ数日、何度も電話があった。昨夜は京都で広中平祐さんに会ったという。用件は聞きそびれたが明朝会うことになった。9時半に事務所を出る。セーターを着て出たが想像以上に寒いので雨の中を急ぎ足で歩く。地下鉄に乗ることも考えたが1駅なので歩くことに決める。10時過ぎに渋谷の東京女子医大成人医学センター着。10時半から2ヶ月ぶりの眼科再診。眼圧は徐々に下がり続けている。毎日、指定された目薬を点眼しているためだという。2ヶ月後の再診を予約して11時過ぎ終了。帰途、表参道のソフトバンクまで足を伸ばしiPhone4Sを予約する。現在、僕はiPhone3GSの32GBを使っているが、空きメモリーが10GB近くになった頃から段々反応が鈍くなった。11月末までに契約すれば残り1年間のローンが帳消しになる特典があるので機種変更を決める。とはいえ現在は予約が殺到しているので手元に届くのは2週間以降だという。12時に事務所に戻る。渋谷区から先日の癌検診に続いて健康診断の案内が届く。早速、近くの診療所に電話予約する。午後は『家の理』のコメントを書き続ける。書いているうちに絵本の構成を再検討する必要が出てきた。夕方までに絵本の再編集とコメントをまとめ終わる。夕食後、花巻と打ち合せ。来週火曜日の真壁さんとの打ち合わせまでに、コメントを書き入れた最新版を作成するように指示。その後、放送大学のテキストを再開。9時半帰宅。『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。


2011年11月10日(木)

7時起床。8時半出社。午前中は放送大学のテキストのスケッチを再開。しばらくブランクがあったのでピッチを上げねばならない。午後は思い立って『家の理』のコメントを書き始める。午後2時半、芳賀沼さんと『新建築』編集部の高橋晴彦氏が来所。高橋さんは首都大学東京の出身で昨年千葉学研究室の修士課程を終了したそうだ。院試の面接は僕が責任担当だったとのこと。「KAMAISHIの箱」の経緯を初めとして、仮設住宅、集会場、今後の復興住宅の計画などさまざまな問題についてインタビューを受ける。僕たちからは木造仮設住宅だけでなくプレ協の仮設住宅を含めた仮設住宅の全体像に関する調査をぜひ試みて欲しいと提案する。5時半終了。芳賀沼さんからは18日(金)に福島で開催されるJIA福島主催の復興住宅に関する会議への参加を頼まれる。もちろん出席することを約す。夜、佐々木睦朗さんから電話。法政大学の来年度の設計製図課題に参加して欲しい旨の依頼。佐々木さんとの共同担当なので喜んで快諾。佐々木さんには東大での通常の設計課題や卒業設計の講評を何度か依頼したことがあるが、共同で設計製図を指導するのは初めてである。しかも東大在任中に僕は設計製図課題を直接担当することはなくスーパーバイザーに徹していた。大学を辞めてから初めて担当するのも不思議な巡り合わせである。9時半帰宅。『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。後半の座談会は雑誌掲載時にすべて読んでいるが、3.11以降はこちらの視点が変わっているので当時とは違った印象を受ける。


2011年11月09日(水)

7時起床。8時出社。午前中は校正原稿のチェック。花巻がまとめた「141小澤邸」の詳細図面のチェックバックなど。午後から帳簿整理を再開。機械的な作業なので合間に読書やメールチェックなどを挟みながら夕方までに何とか終了。その後、必要書類を揃えて夜に会計事務所へ送付。ひとまず肩の荷が下りる。9時半帰宅。ベッドの中で『私の頭の中の消しゴム』(イ・ジェハン:監督 2004)のDVDを観る。ツタヤの評価で3.7/5.0の高い評価を得ていたので選んだが、大いなる期待外れ。若年アルツハイマー症をモチーフにした恋愛映画で、よく出来てはいるが、記憶を失う人間を外から描いているだけで、本人にとっての経験に関する検証が甘すぎる。これならレプリカント(人造人間)にとって記憶を持つことが人間になることであるというテーマを描いた『ブレードランナー』の方がまだマシである。夜半就寝。


2011年11月08日(火)

7時起床。8時半出社。今日は一日事務所で帳簿整理。11月末が決算の締切なので早急に会計事務所へ帳簿データを渡さねばならない。事務所の経営状態を全体的に把握できる唯一の機会なのだが、ここ数年はとくに低空飛行が続いている。震災後のボランティア活動が響いているせいもあるが、しかしここは踏ん張り所である。持続することが創発を喚起すると信じて進むしかない。夜までかかって8ヶ月分を整理。残すところ4ヶ月である。9時半帰宅。『新建築』編集部から「KAMAISHIの箱」の写真が届く。都市的なコンテクストを的確に捉えたいい写真ばかりで感心する。

ベッドの中で『TOKYO !』(ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ:監督 2008)のDVDを観る。東京をめぐるオムニバス映画だが、3本ともオリエンタリズムに陥らず東京をシリアスかつアイロニカルに描いているのがいい。ゴンドリーの『interior design』は定職のない若者たちの悲哀を椅子に変身した女の子を通して描き、カラックスの『merde(メルド)』(フランス語で「糞」を意味する言葉らしい)は過去を忘れた東京の下水道(無意識、過去?)に住む怪人の出現におののく現代社会を描き、ジュノの『shaking TOKYO』は若者の引きこもり現象への警鐘を日本特有の地震を通して描いている。3本ともアレゴリカルな手法を用いている点が興味深い。僕としてはポン・ジュノの作品が映像も美しく一番しっくりと来る。彼は根っからの映画人だと思う。


2011年11月07日(月)

7時起床。朝食は摂らず7時半出社。清華大学のZhou(周)教授から、パスポートの中国への入出国欄のコピーと北京-成田間のboarding passを送るように依頼メールが届く。Keynote speechへの謝金を追加するためだという。現地で受け取った謝金が約束よりもかなり少なかったので、これもChinese wayかと思っていたら、そういうことだったのか。何とも官僚的なやり方である。そういえばインターネットのニュースで北京のアメリカ大使館が空気汚染の調査に乗り出したという記事を見た。僕が北京に滞在した10月下旬から急激にスモッグが酷くなったが、北京市当局の公式発表は「通常通りで問題ない」だったので市民の間で不信感が高まっているという。確かに僕の実感でも空気汚染は半端ではなかった。これもChinese wayだろうか。雑用を済ませて8時過ぎに家を出て地下鉄で渋谷へ。桜台の坂を上り渋谷区健康センターへ8時45分着。毎年定例の癌検診である。待合室にはすでに20人以上が集まっている。皆年寄りなので朝が早いようだ。準備しなければいけない書類や試料が結構煩瑣なので準備できていない人が多く、受付にも手間取って9時半過ぎにようやく僕の順番が回ってくる。胸部レントゲン、バリウム検査、採血と進み10時半終了。11時過ぎに事務所に戻る。朝食を抜いたのとバリウムの下剤を飲んだため夕方まで体調が悪い。『新建築』編集部に「KAMAISHIの箱」の原稿とデータシートを送信。『木造仮設住宅』の編集部に原稿と「KAMAISHIの箱」の図面一式を送信。『新建築住宅特集』からゲラが届いたのでチェックバックと「KAMAISHIの箱」の写真を送信。夕食でようやくまともなものを食べたが、空腹に日本酒を飲んだので酔いが回り食事後も集中できない。やむなく読書。9時半に帰宅。夜半就寝。

ベッドの中で『吠える犬はかまない』(ポン・ジュノ:監督 2000)のDVDを観る。ストーリーでみせる映画で宙ぶらりんで終わるところもポン・ジュノ監督らしい。韓国の平均的な住まいである集合住宅でのライフスタイルや封建的な大学制度への皮肉がユーモアを交えながら描かれている。それにしても犬を鍋で食べるシーンにはギョッとした。『リンダ・リンダ・リンダ』(山下淳弘:監督2005)や『空気人形』(是枝裕和:監督 2009)など日本映画にも出ている女優ペ・ドゥナがいい味を出している。


2011年11月06日(日)

7時半起床。9時出社。青森の森内忠良さん、加賀谷健治さん、小枝由紀美さんから青森講演会の時の写真と『Ahaus』10号が届く。青森での講演からもう1ヶ月以上過ぎた訳である。直ちにお礼の返信メールを送る。午前中、芳賀沼さんから届いた『新建築住宅特集』12月号の原稿のチェックバックをまとめて中村光恵編集長に送る。午後1時、花巻が出社。1時半からLATs第9回。取り挙げる本は『混沌からの秩序』(イリヤ・プリゴジン+イザベル・スタンジェール:著 伏見康治他:訳 みすず書房 1987)と『創発―蟻、脳、都市、ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』(S.ジョンソン:著 山形浩生:訳 ソフトバンククリエイティブ 2004)の2冊。担当は中川純と田中渉。2人とも前者を中心に報告したが、物理学の歴史に焦点を当てた本なので、建築に引き寄せるのはなかなか難しい。中川くんは新自由主義経済や自生的秩序のデザインに結びつけようとし、田中くんは不可逆な時間というパラメーターに注目して建築の転用に結びつけようと試みている。プリゴジンは時間的な不可逆性に焦点を当てているが、複雑系の予測不可能性にまでは話を拡げている訳ではない。『創発』の方はそもそも予測できない創発現象を事後的な事例を列挙して説明しているだけである。したがってどちらからも具体的な方法論を導き出すことはできない。というか有効な方法論の不可能性について論じていると言ってもよい。そんな訳で議論はあまり盛り上がらなかった。しかしこの種の本は短兵急な応用に結びつける必要はないと思う。むしろ事象を的確に捉えるためのliberal artsとしての意味が大きいのではないか。僕の考えでは。不確定性と闘うのではなく、それを可能性の拡大としてポジティブに受け入れながら、確定へ向けた努力を続けるという教訓を学ぶことができると思う。つまり予測できない不確定な状況においても、クリアな仮説的判断をその都度フィードバックしながら反復し続けるということである。しかし現実の制度やシステムはそれほどフレキシブルにはできていない。だから硬直した制度やシステムを変えることの方が重要な課題だろう。次のLATs第10回は来年1月22日(日)取り挙げる本は『崇高と美の観念の起原』(エドモンド・バーク:著 中野好夫:訳)と『ネーションと美学』(柄谷行人集〈4〉岩波書店 2004)と決めて5時前終了。その後、川島範久くんとUCバークレーでのプレゼンテーションの相談。夜は明朝の癌検診の準備。『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。


2011年11月05日(土)

7時起床。8時出社。今日は一日中原稿に集中する。まず『新建築住宅特集』の原稿10枚をまとめて、はりゅうウッド芳賀沼さんと日大郡山の浦部さんに送る。引き続き『新建築』に掲載する「KAMAISHIの箱」のデータをまとめて芳賀沼さんと浦部さんにチェックバックを依頼。その延長上で『新建築』に掲載する「KAMAISHIの箱」の説明文2枚をまとめ、さらに芳賀沼さんが出版を計画している『木造仮設住宅群』の原稿8枚をまとめる。どれもテーマが被っているので基本的な内容は同じだが、扱う範囲が異なるので長さに合わせて文体を変える。夕方までに作業は終了。夜にはりゅうウッドスタジオの滑田さんからデータのチェックバックが、10時過ぎに芳賀沼さんから原稿のチェックバックが届く。これで雑誌掲載の原稿は一通り終了した。11時帰宅。『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。

『アーキテクト2.0』を読み終わる。これまで「郊外化」の問題が今一理解できなかったのだが、本書を読んでようやく腑に落ちた。要するに1970年代の大店法改正以降、急速に進行した都市郊外の変質の問題である。ロードサイド・ショップによる郊外道路の荒廃はそのひとつの表れだと言ってよい。しかしながらこれは都市と建築の問題というよりも経済の問題なので、建築の立場としては与条件としてしか受けとめられない問題ではないか。僕たちに可能なのは、現象の推移を俯瞰しながら個別的に対応するボトムアップのアプローチだけだろう。


2011年11月04日(金)

7時半起床。8時半出社。快晴で少し暑い。午前中は原稿続行。11時半に事務所を出て地下鉄で豊洲へ。12時半に学生と待ち合わせ芝浦工大キャンパスへ。文化祭で前庭はお祭り状態。建築学科ではDCS(デザインチャンピオンシップ)2011の最終講評会が開かれる。堀越英嗣研究室で講評のスケジュールを確認した後、1時から予備審査開始。僕が出した課題は『サスティナブルな「まち」の「いえ」』である。27作品が提出されたが共同設計なので参加者は60人以上。半分の13作品をピックアップする。時間に少し余裕があるので残りの作品も講評することを決める。2時半から講評開始。1作品5分発表3分講評のペースで約2時間。残り14作品も講評して5時半過ぎに終了。芝浦工大には建築関係の学科が3つあり、それぞれ教育方針が微妙に異なるので応募作品にも反映しているようだ。発表を聞いて評価が大きく変わる作品もあった。環境的な提案もあるのが嬉しい。皆、頑張っているが共同設計にしては密度が薄いのが気になる。総じてややパワー不足の感じである。相対的な視点から問題提起的でかつ多角的な提案を行っている作品をピックアップ。サステイナブル・デザインの視点を加えて、最優秀1、優秀2、佳作3、奨励賞2を決める。6時半から表彰式と懇親会。ビールで乾杯し鍋をつつきながら学生たちと歓談。アルコールが入ると学生たちはオープンになり、最終結果に関してさまざまな学生に絡まれる。自分の考えを承認してもらいたいのだろうか。あるいは僕が意見を変えるとでも思っているのだろうか。皆幼いので正面から対応すると疲れる。歴史に関する知識が欠落しているのが決定的な問題である。「ともかく建築の歴史を勉強するんだね」が最後の言葉。9時半終了。堀越さんと一緒に大学を出て10時半に事務所に戻る。花巻がまだ仕事をしている。そのまま帰宅。『アーキテクト2.0』を読みながら夜半就寝。


2011年11月03日(木)

7時半起床。8時半出社。薄曇りで暖かい陽気。9時過ぎに事務所を出て山手線、埼京線、京浜東北線を乗り継ぎ10時過ぎに浦和着。歩いて5分で「142森山邸」の敷地へ。すでに森山一家は待機中。Y工務店は砂で地均しをしている。間もなく森山さんの両親と栃内も着き10時半から地鎮祭開始。神官のいない略式の地鎮祭なので工務店の専務が仕切る。敷地四隅を浄めた後、全員で乾杯。その後、近隣に挨拶をして11時過ぎ終了。基礎の打合せは栃内に任せて11時過ぎに現場を発つ。休日の上り電車は満員。12時過ぎに事務所に戻る。3時前、難波研OGのCorinna FladとAnh Thuが友人を連れて来所。Corinaは5年前にシュツットガルト大から来た研究生である。長期休暇の旅行中で2週間前に来日し、これから直島と屋久島に行くという。ならば直島の安藤さんやSANAAだけでなく僕の仕事(幼児学園、小学校、町民体育館)も見るように紹介。Anh Thuは子供ができたという驚きの報告。東日本大震災や「KAMAISHIの箱」の話などをして5時解散。夜は『新建築住宅特集』の原稿続行。なかなか乗り切れず、かろうじて3枚まで書いたところで挫折。『アーキテクト2.0』は第2章「情報化を考える」までを読み終わる。対談相手が全員エスタブリッシュした建築家や思想家なので、同じような対談集『1995年以後~次世代建築家の語る建築』(2009)に比べると問題にならないほど中味が濃く、いろいろ勉強させてもらった。僕としては「ウェブが明らかにしたのは、機械をアルゴリズム的に動かすのではなくて、むしろ人をアルゴリズム的に動かすことで、コラボレーションや情報収集、意思決定に関する新しいありを実現した、ということです。」という濱野智史の発言に眼を開かれる。これによって、藤村が提唱する「超線形設計プロセス」は形式的には線形だが、そこに人の思考を巻き込むことによって実質的には非線形なプロセスになることが分かったからである。藤村はこうした対談を通じて自分の方法論を相対化しながらひとつの方向に収斂させているようだ。第3章「郊外化を考える」を読みながら夜半就寝。


2011年11月02日(水)

7時半起床。8時半出社。寒くも暑くもないカラッとしたいい気候。朝、光嶋裕介くんから電話。今週末のLATs第9回を欠席するという連絡。神戸で工事中の住宅が完成間近で現場に張り付いているとのこと。11月12日(土)のオープンハウスに誘われたがちょっと遠いので無理と回答。彼は石山研出身なので石山修武さんにも見てもらいたいとのこと。Xゼミの関西イベントでも企画して僕たちを呼んでくれれば行けるかもしれないと逆提案。午前中は原稿スケッチと午後の建築学会ZWB(Zero Energy Building)シンポジウムの最終チェック。スライド100枚を20分でプレゼンテーションできるかどうか。12時半に事務所を出て田町の建築会館ホールへ。東大安田講堂での内藤廣さんの震災イベントとバッティングしているので心配だったが会場は8割の入り。1時半からシンポジウム「ゼロ・エネルギー・ビルディングの実現」開始。司会の高口洋人(早大准教授)による趣旨説明から始まり、田辺新一(早大教授)と川瀬貴晴(千葉大教授)による海外のZEB事例の紹介。引き続き僕の「箱の家の展開」、堀川晋(日建設計)の「住まい方、技術、WEB」、伊藤剛(大林組)の「ZEBをめざした低炭素オフィスの取り組み」、馬郡文平(東大生研研究員)の「東大「理想の教育棟ZEB」における総合化技術」と発表が続き3時半過ぎに終了。紹介された建物はどれも僕の眼にはヘビーデューティで高性能化によるイノベーション狙いが見え見えだが、果たしてうまく行くかどうか難しい気がする。4時前からディスカッション。政府が提示しているエネルギー削減目標を当然の前提と見なした質問が会場から出たところで僕の中の抑制スイッチが切れる。ZEB の実現を建築家の社会的使命と考えるのはお門違いであり、イノベーション狙いのマネーゲームに過ぎないと爆弾発言。とはいえ、だから意味がないと言った訳ではなく、それしか現在の建設業界の停滞状況を突破する方法はないだろうとも補足。参加者のほとんどが設備エンジニアであると睨んでの批評的コメントである。4時半過ぎに終了。懇親会には参加せず5時半に事務所に戻る。夜は原稿スケッチの続行。疲れが吹出し10時前帰宅。シンポジウムの苛立が残っているので妻の旅行の話を聞きながらウィスキーを煽る。『アーキテクト2.0』を読みながら夜半就寝。


2011年11月01日(火)

7時起床。8時半出社。カラッとした秋晴れ。10時半、読売新聞社文化部の高野清見さんが来所。「KAMAISHIの箱」の取材。伊東豊雄さんの石巻市の「みんなの家」と板茂さんの女川町のコンテナを使った仮設住宅と合わせて記事にしたいとのこと。各地を取材しても震災復興における建築家の活動の全体像が見えてこないという話から始まる。僕の考えでは、そもそも建築家は仮設住宅を提供するプレハブ協会や建設業界からもあるいは震災地域からも協力を求められていない。建築家は「現場」から離れた間接的な立場にあり、直接的な復興活動のためのシステムや制度から疎外されている。建築家が現場から疎外されているのは今に始まったことではない。それは建築家という職能の基本的条件であり、建築家はその立場に甘んじてきたのだと言ってよい。歴史的に醸成されてきた建築家の立場を今になって急に転換することはできない。可能なのは制度やシステムに頼らず、ボトムアップで個別的な活動を展開することでしかない。したがって建築家の復興活動に全体像など存在しないのである。以上のような僕の考えを理解してくれたかどうか分からないが、僕としては目の前に与えられた課題に取り組むしかないと考えるので、「KAMAISHIの箱」と福島の復興住宅に全力で取り組んできた訳である。高野さんは明後日に釜石に行くそうなので、その旨を芳賀沼さんに伝えることを約す。午後は『新建築住宅特集』12月号の原稿開始。いつもながら書き出しで滞る。午後2時、真壁智治さん来所。『家の理』絵本の打合せ。再構成した下絵について説明。以前よりも密度が高くなっているのでこの方針で進めることとする。家の原型と「箱の家」とを「一室空間」というコンセプトで結びつけるストーリーなので、両者に共通な「一室空間」をタイトルにした方がいいのではというアドバイスを受ける。確かに「家の理」という抽象的なタイトルよりは具体的な名称の方が分かり易いかも知れない。直ちに『一室空間の住まい』あるいは『一室空間の教え』というタイトルが浮かぶ。下欄に挿入するコメントをまとめた段階でブックデザイナーとの打合せを行うことを決めて14時半終了。明日の建築学会シンポジウムのスライド編集再開。与えられた時間は20分なのでスライド枚数を最小限に縮小する。夜8時、芳賀沼さん来所。木造仮設住宅の本のための原稿の執筆依頼。僕は「KAMAISHIの箱」と仮設住宅について書く予定。復興住宅について意見交換。11月18日に福島で開催されるJIA福島の復興住宅シンポジウムに参加することを約す。9時半過ぎ帰宅。娘が帰宅している。明日から北京に行くというので服装のことなどをアドバイス。LATs第5回『建築における「日本的なもの」』の書評が『10+1』ウェブサイトにアップされた。http://10plus1.jp/serial/lats/lats10/。『「世界史の構造」を読む』を読みながら夜半就寝。

彰国社から『アーキテクト2.0---2011年以降の建築家像』(藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT:編著 彰国社 2011)が届く。僕と藤村さんの2年前の対談も収録されている。磯崎新との対談「1995年という切断と、それ以後の建築家像」から始まり1995年以降の建築状況を浮かび上がらせることを狙っている。「アーキテクト2.0」とは「ボトムアップ、地域主義、シミュレーション、アルゴリズム」というキーワードで捉えられる2011年以降の建築家像である。


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