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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2010年03月31日(水)

7時起床。8時出社。午前中はコラム原稿「論文もデザインである」の校正。本に掲載したインタビューを再構成。安藤忠雄さんに特別講義の校正依頼をファックス。午後大学行。製図室で数人の4年生が作業をしている。コラム原稿「鼎談:設計教育の過去と未来」の校正。自分に発言部分だけを校正した後、隈、千葉両氏に送信。東端と最終的な予算処理について打ち合わせ。研究室の後始末はなかなか大変である。東端は今週一杯大学に来る予定。3時M2生の岡崎啓祐君が来研。2年間の指導に対するお礼。彼はこの2年間で随分成長した。ゼネコンの設計部に就職するが頑張ってもらいたい。他の修了生が気になったので院生室を覗いてみたが、M1生の佐藤隆志君がいるだけでガランドウ。4時、都市工の石井幹子先生が来所。退職祝に花束をいただき恐縮。大連スタジオ課題の成功がさまざまな波及効果をもたらしているという報告。石井研究室院生の一人はハーバード大に留学するという。建築学科の学生も石井先生から学んだことが多いだろう。5時過ぎ大学を出る。今日で正式な教授としての大学は終了。とくに変ったことはなく時間は連続的に経過していくだけだが、意味は不連続に変化する。明日以降、形式的には部外者となる。境界論の好例である。4月は難波研ポートフォリオと研究室の片付けに追い回されることになるだろう。6時に事務所に戻る。夜も引き続きコラム原稿の校正。妻と相談し、難波研究室の留学生だけを招待するパーティを企画することになった。

『三低主義』(隈研吾+三浦展:著 NTT出版 2010)を読み終わる。三低とは低リスク、低依存、低姿勢を意味する。低成長時代のライフスタイルや都市のあり方に関する議論である。気楽な対談なので、どこまで深く追求されているのか疑問点も多いが、なるほどと思う指摘も散見される。第3章の「借りる建築、借りる都市」を興味深く読んだ。分譲住宅よりも賃貸住宅の方が面白いというのは僕の実感でもある。フィジカルには三低であっても、文化的・美学的には三高ということであり、つまるところ「武士は食わねど高楊枝」的スノビズムである。


2010年03月30日(火)

7時半起床。連日の会合で少々疲れが溜ってきた。鈴木博之さんは「退職は一大事業だよ」と言っていたがその通りかもしれない。少々集中力が切れてきたようだ。午後、大学に行くつもりだったが予定を変更し一日事務所。午前中は設計製図特別講義のコメント、掲載依頼文の校正と送信。午後から夜にかけては最終講義の校正。2時間余の講義を卒論生がまとめてくれたのだが、活字だけでは流れが掴めない。スライドがあれば何とかつながるが誌上ではそれができない。コンパクトに流れをつくるためにかなり手を入れる必要があるので意外に手間取る。できれば最小限の図版を入れたい所だ。夜までに仕上げて担当者に送信。引き続きコラムの校正に差し掛かるが、これもかなりの校正が必要なので生原稿を送るように編集者に依頼。退職記念本の方も原稿締切が近いので彰国社の編集部に確認メールを送る。僕の原稿もそろそろ着手しなければならない。10時半過ぎ帰宅。残り少ないペルツォフカを煽り、あれこれ考えを巡らせながら夜半過ぎ就寝。


2010年03月29日(月)

8時起床。二日酔いの頭痛。9時半出社。夕方まで難波研ポートフォリオの原稿、論文コメント、サステイナブル・デザイン講義の校正、図版追加。合間に読書。4時半に事務所を出て大学へ。ハンガリーからの国費留学生Matyas Gutai君が最後の挨拶に来る。僕の研究室で唯一課程博士を獲得した学生である。ハンガリーに帰国し教職を探すという。来年には僕を講義に呼びたいと言ってくれた。厳しい時節だが何とか頑張ってほしい。6時から難波研ポートフォリオ編集会議。芦澤さんと角川学芸出版の小島さんを交えて、一通りのレイアウトチェック。まだ揃っていない原稿がかなり残っている。ようやく6割程度進んだ感じだが、ともかく先が見えてきたことは大きい。4月半ばに再度、編集会議を開くことになった。8時半終了。1号館を出たところで都市工の石川幹子さんに会う。大連スタジオの報告書について短い立ち話。今年も建築学専攻のスタジオに参加するそうだ。院生、卒論生と正門前の中華料理屋で夕食。10時半に事務所に戻る。メールチェックを済ませた後11時過ぎ帰宅。


2010年03月28日(日)

7時半起床。3月末なのに寒い。花冷えというやつだ。8時半出社。雑用を済ませた後、9時半に事務所を出て西武新宿線新井薬師の「128濱本邸」へ10時過ぎ着。10時半に小泉雅生さんと研究室院生2人、アトリエスタッフ1人が到着。小泉さんが執筆中の『(仮)環境をデザインする家』の取材である。まず室内外を撮影し12時過ぎ終了。その後、濱本夫妻を交えたインタビュー。1時終了。帰途、眼鏡屋に立ち寄り新しい眼鏡を注文する。3年前から視力は変っていないようだ。3時過ぎに事務所に戻る。栃内、岩元が出社している。難波研ポートフォリオの原稿。6時前帰宅。寝室で本を読んでいたら家族に居間に来るように誘われる。行ってみると界工作舍のOBOGが揃っている。山代一家、山崎、東端、成瀬、川島夫妻の顔も見える。サプライズの誕生パーティである。まったく予想していなかったのでビックリ。最終講義後のパーティでは彼らとあまり話す時間がなかったので、久しぶりに皆の近況を聞く。赤ワイン、日本酒、ウォッカを呑み途中から記憶が消えたが、午前1時過ぎまで騒いだらしい。

『生きのびるための建築』(石山修武:著 NTT出版 2010)を読み終わる。7章以降は抵抗なく読める。重源、ノーマン・フォスター、ル・コルビュジエ、ミースへと進み、最後はルイス・カーンで終わる。石山さんはブリティッシュ・アートセンターの光のデザインを詳細に分析しているが、キンベル美術館の光について何も述べていないのが不思議である。若者向けの講義だが、僕たち友人にとっては石山さんの歴史観と想像力を追体験できる貴重な資料である。4月に立ち上げるXゼミであらためて考えてみよう。


2010年03月27日(土)

午前中は事務所。岩元と「139遠藤邸」の打ち合わせ。午後1時、井上と事務所を出て東横線学芸大学前の「135水崎邸」へ。敷地は「箱の家」の中でももっとも狭い方だが、スキップフロアのせいで室内は広々と感じられる。とくに2階は明るくて気持ちがいい。2時から上棟式。水崎さんのお母様、水崎夫人の弟さんが参加。建物四隅を浄めた後、お弁当とビールで歓談。正面の公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。公園の桜は五分咲である。春には居ながらにして花見ができる家になるだろう。休日には子供たちの声で目覚めることができそうだ。風の抜けもいい感じである。3時過ぎに中締め。4時に事務所に戻る。4時半遠藤夫妻来所。岩元と実施設計打ち合せ。最初にスケジュールの確認と見積を依頼する工務店について打ち合せ。4月半ばまでに実施設計をまとめる予定。仕上げや照明などの仕様を確認するために2階の自邸を見てもらう。6時過ぎ終了。夜は難波研ポートフォリオの論文コメントをまとめて担当者に送信。10時半帰宅。

『生きるための建築』は第6講まで読み進む。被害妄想かもしれないが、至る所にチクチクと胸に刺さる言葉が散りばめられている。石山さんは僕の仕事を念頭に置きながら喋っているように思えるほどである。


2010年03月26日(金)

8時起床。やや寝不足と二日酔い気味。朝食を食べながら妻と6月のヨーロッパ旅行について打ち合せ。退職後の最初の旅行である。彼女が一足先に発ち、イタリアを経由した後バルセロナで合流。南スペインを回ってからマドリッドに戻り、ビルバオを経てロンドンまで足を延ばす経路で決定。9時半出社。10時コスモスイニシアから4人が来所。ココラボでお世話になった舟久保建樹氏の昇任人事の報告。今後ココラボ住宅は昨年のココラボ研究を担当した春田氏が引き継ぐことになった。ココラボ環境共生住宅は4月着工と言われたが、これまで3度延期されてきたので4度目の正直になるかどうか。その後、断熱パネル構法開発と「129遠藤邸」の打ち合わせ。12時スーパーポテトの山本氏来所。彼の車にピックアップしてもらい宇都宮近くの病院へ2時着。入院中の杉本貴志さんへ断熱パネル構法の第1回目の報告。基本方針と課題を説明。パネルジョイント部についてさらに単純なディテールを検討し、屋根についても新しい構法の開発を進めることになった。5時半に事務所に戻る。6時半、スタッフ皆で事務所を出て北青山の中華料理屋へ。7時からコンペ打上げ。コンペに参加した難波研院生も加わり彼らの修了祝も兼ねる形になった。紹興酒と中華料理で歓談。僕は連夜の酒盛りで少々グロッキー気味だが紹興酒が旨い。9時半終了。北青山の建築の夜景を見学した後、表参道で解散。僕はそのまま事務所に戻る。鈴木、石山両氏へXゼミに関するメールを送信。4月1日に「青本往来記」を「神宮前日記」に名称変更し、難波研のHPをリンクに移した上で、新たにXゼミの欄を設けることにする。11時過ぎ帰宅。早めに就寝。

NTT出版から『生きのびるための建築』(石山修武:著 NTT出版 2010)が届く。一昨年に世田谷美術館で開催された石山修武展における連続講義の記録である。早速、第1章を読む。これまで散発的に聞いてきた石山さんの開放系技術論をまとめて読むことができそうだ。Xゼミはイームズ自邸に関連づけてこの話題から始めるのがいいかもしれない。


2010年03月25日(木)

7時起床。冷たい雨が降り続いている。午前中事務所。岩元と「139遠藤邸」の打ち合わせ。栃内と断熱パネル構法開発の打ち合せ。なかなか突破口が見つからない。午後大学行。1時から学部卒業式。僕は辰野賞とコンドル賞の授与。2時から懇親会。乾杯のスピーチ。3時から最後の研究室定例会議。博士課程に進む留学生に対して今後の研究の進め方に関するアドバイス。4時半に一旦事務所に戻る。再度、断熱パネル構法の打ち合わせ。6時過ぎに事務所を出て白金台のレストランへ。学部卒業生による謝恩会。学生たちは僕の退職祝もやってくれる。写真付きの寄せ書き『感謝の五層構造』が面白い。5層構造とは5種類のお祝いのセットである。最大のお祝いは僕の誕生年(1947年)の赤ワインである。一人一人に話がしたいが人数が多いので断片的な会話しかできない。9時過ぎに二次会へ。雨も上がっている。そこでは周りの学生たちとしっかり話ができる。11時、目黒駅前の居酒屋で三次会。さらに突っ込んだ会話だが酔いも回って集中できない。名残惜しかったが体力の限界を感じたので3時過ぎに学生たちと別れ、3時半に事務所に戻る。岩元が仕事をしているのでビックリ。「139遠藤邸」の実施図である。僕はそのまま帰宅。長い一日が終わる。


2010年03月24日(水)

8時半出社。9時過ぎ千葉大の栗生明さんから電話。5月に代官山で開催する卒業設計展の講評を頼まれたので快諾。10時過ぎに事務所を出て大学へ。11時から大学院修了式。難波研からはM3が2人、M2が3人修了。12時過ぎから懇親会。乾杯の挨拶を頼まれたので、友人を大事にすることの大切さについて話した上で、最後に干武陵の漢詩「勧酒」を井伏鱒二が翻訳した有名な「さよならだけが人生だ」の全文を紹介したが皆キョトンとしていた。懇親会の後は設計製図会議の予定だが、もはや僕は関係ないので、大学を出て2時半に事務所に戻る。4時前、東大非常勤講師時代の教え子で佐々木事務所のOGである礒崎あゆみさんが来所。現在は活動の場をグラーツからフランクフルトに移しているそうだ。しばらく近況について話す。帰りに『建築の四層構造』を贈呈。夜はスタッフ全員で断熱パネルの構法開発について打ち合わせ。現行法の中では新しいローコスト構法は難しいので、第一段階は条件付きの提案を行ってみることにする。岩元と「134久保邸」の現場監理に関する打ち合せ。5つのレベルに分かれた床に配線配管を通す経路が難しい。かなりトリッキーな方法で対応せねばならないようだ。花巻、栃内と「ココラボ住宅」について打ち合せ。散発的に細かな質問を小出ししてくる工務店の意図が理解できない。こちらとしてはいささか食傷気味になってくる。

『磯崎新の建築・都市をめぐる10の事件簿』(磯崎新+新保淳乃+阿部真弓:著 TOTO出版 2010)を読み終わる。イタリアの建築・都市・芸術について、ルネサンスから現代までを10の時代に分け、それぞれの時代に特徴的なテーマ(事件)について若いイタリア美術史家と議論を交わした対談録である。いつもながら磯崎新の博覧強記ぶりには舌を巻く。本書全体がイタリアから見たユニークな近代建築史になっている。これを読むだけで近代建築史への視界が一回り大きくなるだろう。どの章も面白いが、とりわけ20世紀の未来派、イタリア合理主義、ネオリアリスモを巡る議論が興味深い。すべての事件が何らかの形で磯崎自身の経験と関係づけられており、コスモポリタン磯崎でなければ不可能な個人史的な近代建築史である。


2010年03月23日(火)

いよいよ来週一杯で退職になる。研究室としての「難波研ポートフォリオ」の編集会議も来週月曜日で最終回なので、今週末までに形をつけるようにOBOGを含めたメンバー全員にハッパメールを送る。渋谷区年金保険所に赴き事務手続き。こうした雑用がしばらく続きそうだ。午後『難波研ポートフォリオ』の趣旨文をまとめて編集担当に送信。これで僕の担当原稿はすべて終了。残りは最終講義記録の校正と論文のコメントだが、これは原文が届かなければどうにもできない。何とか今週末までに間に合えばよいのだが。午後5時に事務所を出て浅草へ。銀杏会の壮行会だが、少し時間があるので仲見世を通って浅草寺境内へ。本殿は足場で囲まれている。改装された二天門がやけに芝居地味て見える。脇の二天門消防支署を訪れるのは2年ぶりだろうか。2階にぼんやり灯りがついているだけだが正面に回ると車庫が明るい。亜鉛ドブ付メッキのルーバーの色がますます落ち着いてきた。西面足元のツタも想定通りに伸びている。メンテナンスはしっかり行われているようだ。仲見世に戻り会場の割烹へ。てっちり料理のフルコースと鰭酒で大いに盛り上がる。9時半終了。雨の中10時半に事務所に戻る。

Y-GSAから『地域社会圏モデル:国家と個人の間を構想せよ』(山本理顕他:著 INAX出版 2010)が届く。山本理顕の巻頭論文「地域社会圏」を読んで膝を叩く。まさに池辺陽が1970年代に主張していたことがそのままくり返されているからだ。若い建築家たちが提案しているプロジェクトも、池辺研究室で僕たちが取り組んでいたプロジェクトとプログラムの点ではほとんど同じである。最近、60年代から70年代にかけてのテーマがくり返されているような気がしていたが、ここでも時代が一巡している。違うのはコンピュータの性能アップによって情報処理能力が格段にアップした点だけである。それによってリアリティが増したかどうかは疑問の余地があるが。


2010年03月22日(月)

8時起床。9時半出社。午前中は関西旅行中にたまった雑用を済ませる。難波研ポートフォリオ原稿の校正。午後大学行。1時半から公開読書会最終回。とりあげた本は『暗黙知の次元』(マイケル・ポランニー:著 高橋勇夫:訳 ちくま学芸文庫 2003)。僕としては読書会最後に相応しい本と考えたが学生側の反応はすこぶる鈍い。というか学生たちはこのテーマのリアリティをほとんど共有できないようだ。僕としては暗黙知や創発を科学、工学、デザインの発想を横断する概念として捉えようとしているのだが、学生たちにはハナからそのような問題意識がないように思える。これまで読んだパノフスキーやレヴィ=ストロース、さらにはカント、ゴンブリッチ、トーマス・クーン、ミシェル・フーコー、柄谷、ハーバート・サイモンなど一連の難波研必読書を繰り出して暗黙知の射程距離について話してみたが反応は今一。という訳で結局、尻切れトンボで終わってしまった。やはり僕と学生たちの間には40年の時差があることを痛感する。終了後3年生の一人と雑談。おそらく最初で最後の会話なので、彼女の気持ちを汲み取りながら精細にエンカレッジする。3年生から4年生への移行期は学生にとってひとつの岐路なのである。話を終えて研究室を出ると製図室に4人の3年生が残っている。しばらく話そうかと考えたが時間がなくて立ち話だけ。6時に事務所に戻る。久しぶりに妻と夕食を摂りながら6月のヨーロッパ旅行について話し合う。夜はXゼミ(石山さんはそう名付けた)の原稿を書き送信。10時半帰宅。学生たちに貰ったペルツォフカを冷凍庫から出してロックで味わう。ロシアン・ウォッカに唐辛子とブラックペッパーを染み込ませた手製のペルツォフカである。半信半疑でトライアルしてみたがまったく遜色ないのでビックリ。気分が良くなりミルクキャラメルを舐めながらダブルを2杯も呑んでノックダウン。夜半過ぎ就寝。


2010年03月21日(日)

9時過ぎロビー集合。徒歩15分で豊田市美術館へ9時半着。簡単な説明をした後10時の開館まで外部空間を散策。ピーター・ウォーカーによるストライプ(層)状のランドスケープを確認。入口前で最後のスピーチをした後、学生たち全員と握手をして解散。大急ぎで館内を見て回る。建物内では層状の空間がリアルに感じられる。11時前にホテルに戻り、名鉄、地下鉄を乗り継いで名古屋駅へ。12時過ぎののぞみに乗車。2時半に総武線津田沼駅着。遠藤政樹君に案内してもらい3時前に千葉工大の卒業設計+修士設計講評会に途中参加。構造家の川口衛さん、東大都市工学科名誉教授の渡辺定夫さん、石山修武さんが参加。すべての案が当初のプログラムは的確なのだが、建築化の段階で中途半端に終わるかあるいは迷路に迷い込んでいる。その理由は、石山さんも言うように一般教養の問題ではないかと思う。とはいえ僕も含めて講評者側もポジティブな評価より批判的スタンスばかりを取ろうとする嫌いがある。学生のデザインだからその気になれば欠点はいくらでも見つかる。決定的な間違いでなければ、できるだけポジティブな面を評価すべきではないかと反省。6時終了。その後、古市徹雄さんの案内で駅前の居酒屋へ。鍋料理と熱燗で歓談。9時半終了。津田沼駅で石山さんたちと別れ遠藤君と一緒に帰る。10時半事務所着。メールチェックと荷物の片付けを済ませた後、夜半就寝。


2010年03月20日(土)

7時起床。7時半朝食。18日(木)に石山さんへの返答第1便を送ったら、直ちに鈴木さんからコメント第1便が届き、さらに昨日19日(金)の昼過ぎには石山さんから第3便が届いた。ちょっと展開が早過ぎるので関西旅行の移動中に返信を書くのは難しい。何とか時間を探して第2便をまとめたいところだがどうなるか。8時半にホテルを出て犬山城へ。木曽川に面した高台にある城。何とも食指が湧かないが、学生と一緒に天守まで登り直ちに降りて庭でしばらく休憩。10時、名鉄ホテル裏の有楽苑へ。8人ずつに分かれて茶室如庵と庭を回る。如庵の室内のスケールは想像よりも大きいが、室内の明るさには少々ビックリする。如庵は織田信長の実弟で利休の弟子である織田有楽斎が1618年に京都の建仁寺内に建てたという草庵茶室。その後、祇園(明治6年)、東京(明治41年)、大磯(昭和13年)と転々とした挙げ句、昭和45(1970)年に現在の場所に移された。移設は建物を丸ごとトラックに載せて行われたという。日本には伝統的に曵家という建築工事がある。草庵茶室は日本の伝統的な可動建築と言ってよいだろう。ならば如庵にかくも強力なゲニウス・ロキが感じられるのはなぜかと問いたくなる。ぜひ鈴木博之さんの意見を聞いてみたいところだが、私見では移設後に庭園や露地が整えられることによって茶室(建築)がゲニウス・ロキを誘い出すのではないかと思う。案内の人が言うには、有楽はカトリックの洗礼を受けヨハネスJohannes(John)と言う洗礼名を授かったのでJohn庵=如庵と名付けられたそうだが本当だろうか。Joanneは女性形ですがとコメントしたら、案内人はきょとんとしていた。庭園内の茶室で抹茶をいただいた後12時過ぎ出発。1時前明治村着。昼食後、北里研究所の修理現場を見学。明治建築の張りぼて具合が手に取るように分かり溜息が漏れるが学生たちは興奮している。その後帝国ホテルの玄関ホールへ。約35年ぶりの再訪である。僕は大学2年(1966)の時に解体前の帝国ホテルを見学した。その後、玄関ホールが明治村に移設された直後に見て心底がっかりした憶えがある。しかし今回見て、やはリライトの空間感覚は飛び抜けて凄いことを再認識した。細部の装飾から大きなヴォリュームの構成までひとつの美学が貫徹している。現代の言葉で言えばまさにフラクタルな空間なのである。引き続き西園寺公望邸と武田五一設計の神戸の豪邸を見るがライトとはまったく格が違う。明治村は明治建築のテーマパークだが帝国ホテルだけが突出している。5時、明治村を発ち、豊田市のホテルに6時過ぎ着。7時から懇親会。学生から寄せ書きとズブロッカ、ペルツォフカ(何と手製である!)、ミルクキャラメルを貰う。寄せ書きの中味と本人の印象が大きく異なるのが興味深い。寄せ書きでは皆「いい子ちゃん」を演じている。9時半終了。その後、街中の居酒屋で二次会。安い赤ワインで盛り上がり12時過ぎ解散。


2010年03月19日(金)

6時半起床。やや寝不足。7時朝食。8時にホテル出発。9時前に彦根城着。興味があるのは天守閣へのシークエンスとランドスケープのみ。横手さんと城の周囲を歩き回って駐車場へ戻る。10時半、岐阜羽島市庁舎着。坂倉順三の1958年の作品。RC打ち放しのフレームとタイル張りの壁の対比。1950年代の伝統論争期を反映した弥生風から縄文風への過渡期のデザイン。外部に張り出した斜路と最上階の議場と会議室の天井のデザインがポイント。50年以上を経過してRC打ち放し仕上げの斜路や手摺はかなり風化している。図面ではプレキャストと表示している手摺が実は現場打コンクリートであることを確認する。12時半、岐阜市民会館着。坂倉順三の1967年の作品。伸びやかで軽快なデザイン。この頃が坂倉事務所の黄金時代かもしれない。水平に伸びるプレキャストコンクリートのファサードの向こうにオーディトリウムを収めたタイル張りシリンダー見えるのが印象的。3時、虎渓山永保寺着。山間の川縁にある自然石に沿って建てられた禅寺。夢窓疎石が開山した臨済宗南禅寺派の古刹だという。まず国宝の観音堂を見学。鎌倉時代の和様化した唐様のコンパクトな堂。洞窟のような木製厨子に安置された観音像を見て思わず「洞窟の聖母」を連想する。正面の池に架けられた太鼓橋を渡ると、巨大な自然石の頂上から水が落ちている。おそらくこれがこの敷地を選んだ最大の理由だろう。池を回り込んで国宝の開山堂へ。現在、屋根の葺き替え工事が始まったところ。足場に登りキツい反りのついた軒先のディテールを見る。四隅はほとんど逆勾配なので、何故ここまで無理をしてまで反りをつけるのか理解に苦しむ。デザインと性能の矛盾が野合している。25年毎の屋根の葺き替えはやむを得ないデザインである。そんな疑問はモダニストの野暮の骨頂だろうか。6時過ぎ犬山シティホテル着。伊藤、藤井、横手さんらとホテルを出て近くの鰻屋で夕食。刺身と熱燗2合でいい気分になり鰻丼で仕上げる。8時半にホテルに戻る。シャワーを浴びて一息ついてから今度は学生十数人と近所の居酒屋へ。閉店の11時半まで歓談。ツィッターの効用について議論。ツイッターで建築的な議論ができるとは思えないので、あれこれ尋ねたが要領を得ない。学生は効用など考えずに自然に使っているのかもしれない。12時にホテルに戻る。メールチェックし青本往来記をまとめた後12時半就寝。今日は金曜日であることをすっかり忘れていた。道理で居酒屋が混んでいたはずだ。


2010年03月18日(木)

午前中は事務所にてコンペ作業。スタッフは全員昼前に大学に移動。僕も後を追って事務所を出る。正午に大学行。難波研メンバーは院生室でプレゼンテーション仕上げの追い込み作業中。プリントアウトしたプレゼンテーションについて何点か修正のコメント。ちょっと僕のイメージとは違っているのだが、修正の時間はないので、そのまま進めるしかない。この辺りのプロセスが事務所でやるコンペと異なる。彼らは6時の締切ギリギリまで作業するようだ。3時半に大学を出て4時半に事務所に戻る。大急ぎで関西旅行の準備をして品川へ。5時40分品川発のひかりに乗車。車内では『暗黙知の次元』を読み続ける。8時前に米原着。敦賀行のJR快速に乗り8時15分長浜着。タクシーで琵琶湖畔の長浜ロイヤルホテルへ。部屋でメールチェックし、鈴木、石山両氏にゼミの第1回原稿を送信した後、9時過ぎ学生の部屋へ。酒盛りしながら歓談。1時過ぎ部屋に戻りメールチェック。コンペは無事に提出したようだ。一安心して眠りに就く。


2010年03月17日(水)

朝早く石山修武さんからファックスが届く。昨夜相談したゼミについて、メールでの通信ゼミにしてはどうかという提案。早速、僕からも賛成の意を伝え、連絡体制を確認する。とりあえず「石鈴難(セキレイナン)ゼミ」というメールの分類ラベルをメール上に作成。午後1時過ぎ石山さんから第1便が届く。いきなり自邸比較の先制パンチである。体調があまり良くないので一息置いて明日返事を書くことにする。今日は一日事務所にてコンペの作業。時折レイアウトや概要書について打ち合せ。合間をみて原稿スケッチと読書。夕方5時、大学行。製図室では新任の設計製図教員によるワークショップを開催している。AAスクールから東大に移籍する予定のアルゴリズミック・デザインを得意とする若い建築家である。隈さんが僕を見つけて紹介してくれた。6時、大学院生室にてコンペ打ち合せ。CGの作業が大詰めになってきた。院生の自主性に任せている部分が大きいが、肝心な点については口を挟まざるを得ない。皆の打ち合せに対しても、大きな問題がない限りオブザーバーに徹する。コストや構法などにつては界工作舍が、基本計画やヴィジュアル面は難波研が分担。今夜が山場なので岩元は大学に残る。8時に事務所に戻る。このような実験的な協力体制がとれるのは残念ながら今回が最後である。依然として微熱と咳が続いている。

『暗黙知の次元』(マイケル・ポランニー:著 高橋勇夫:訳 ちくま学芸文庫 2003)の再読開始。第1章「暗黙知」を読み終わる。ポランニーの暗黙知が、レヴィ=ストロースの神話的思考、クーンのパラダイム、パノフスキーの象徴形式とともにカントのカテゴリー論へと収斂していくような気がしてきた。鍵は「身体性」である。人間の身体は進化プロセスが埋め込まれた暗黙知のモデルである。精神はそれをシミュレーションしているのではないだろうか。


2010年03月16日(火)

7時起床。8時半出社。9時半に事務所を出て国立の「134久保邸」へ。仮囲いがあるので外形は見えないが内部の構成はよく分かる。先日の「136伊東邸」とは対照的にレベルの異なる床が5つもある複雑で立体的な内部空間である。間口が狭く斜屋根なので余計にそう見える。明日、階段が付けば立体感はさらに増すだろう。おそらくもっとも内部分化が進んだ「箱の家」である。11 時から上棟式。久保さんのお母様が参加し四隅を浄める。久保さんの挨拶と乾杯の後、弁当をいただきながらしばらく歓談。12時過ぎ解散。1時半に事務所に戻る。帰途、何だかムシャクシャするので風邪のせいかと思っていたら、ようやく原因が分かった。昨日、難波研究室OBの一人がポートフォリオに載せる論文のレジメ原稿をギブアップしたせいである。何度も催促し「頑張っている」という返事が来続けた挙げ句の体たらくなので、腹立ちを通り越して情無くなった。卒業設計の時も同じだった。それに比べれば今回はずっとハードルが低かったはずである。彼にとってはそれだけポートフォリオの意義が低かったということか。ならば余計に浅薄な結末である。彼に対しては、一事ならず二事ならば、ほとんど万事であることを思い知れと言いたい。ともかく理由が分かったのでスッキリした。3時前に事務所を出て駒場の生産技術研究所へ。3時半から「藤森照信退職記念講演会:日本近代建築研究の足取り」。関係者席には錚々たるメンバーの顔が見える。藤森さんによれば、学生相手の最終講義はすでに昨年済ませたので、今回はアカデミックな活動に絞った講義にするとのこと。明治以降の日本の近代建築をしらみつぶしに調査した経緯について、幾つかのエピソードを交えながら話す。最後に藤森さんは、世界各地に存在する古代の立石を紹介し、ハイデガーを引きながら「横たわった石を立ち上げる」行為が建築の原型ではないかと指摘。四国の屋島近くにある楕円形の石を立ち上げたイサム・ノグチの墓石を映して講義を締めくくった。おそらく藤森さんはハイデガーの「ゲシュテルGe-stell=立て/組み」概念を引いたのだろう。この概念は『技術論』において、近代科学には自然を暴力的に挑発し解答を「立ち上がらせる」ような志向性が潜在するという批判的なコンテクストで提唱されている。それを建築の(ポジティブな)根源に置いてしまうのはハイデガーの読み違いではないか。むしろ『建てることと住まうこと』における「弱い建築」のハイデガーの方が藤森さんには相応しいのではないか。とはいえ僕自身としてはゲシュテルの男根願望が建築を生み出したという立論には十分に頷けるところがあるので、ハイデガー思想に「反して」いることさえはっきりすれば別に文句はない。しかし逆のコンテクストで引用されていたので引っかかったのである。5時終了。その後1階のレストランで懇親会。久しぶりに渡辺豊和さんに会ったので鈴木博之、石山修武両氏と4人で会場を出て渋谷の焼鳥屋で歓談。最近の渡辺さんは執筆活動に集中しているそうだ。石山さんから近いうちに小さなゼミを立ち上げようという提案がある。僕はもちろん大賛成。まずは鈴木、石山、難波の3人でのメールのやり取りから始める事になった。依然として風邪気味なので二次会は遠慮して8時半過ぎに事務所に戻る。コンペのプレゼンテーション打ち合せ。いよいよ最終段階である。難波研メンバー全員に助力を呼びかける。


2010年03月15日(月)

7時起床。8時半出社。依然として咳が止まらないので9時に診療所に行く。花粉症と風邪の合併症という至極当たり前の診断。とりあえず薬を処方してもらう。10時半、難波研院生来所。コンペ・プランの打ち合せ。階段配置についてアドバイス。人間が上下移動する外階段は、広場の祝祭性にとって不可欠の要素である。そんなことは当たり前のことなのに分かっていないのが残念。11時、佐藤淳さん来所。コンペ打ち合せ。予想していたよりもすべての材のサイズが太めになり少々肩すかし。プレゼではダウンサイジングしよう。午後は静かに作業。5時半大学行。6時から難波研ポートフォリオ編集会議。大急ぎでまとめた原稿のレイアウトができておらずガックリ。芦澤さんと角川学芸出版編集部による原稿チェック。何度も同じような注意を聞いたような気がする。体調が悪いとすべてがネガティブに見えてくるが、残すところ半月では絶望的になる方がリアルだろう。僕がいくら焦っても「笛吹けど踊らず」である。7時半終了。院生室で留学生のCGをチェック。9時過ぎ事務所に戻る。気が滅入る上に相変わらず咳は止まらない。10時半過ぎ帰宅。早々に就寝。


2010年03月14日(日)

8時半起床。咳が酷いので花粉症だけではないようだ。9時半出社。今日は隈さんにプリンストン大学とのワークショップの中間講評を頼まれているが、とても参加できる体調ではない。事務所で一日、コンペスケッチ、原稿スケッチ、読書の繰り返し。何にも集中できない。午後、栃内と岩元が出社。熱も出てきたようなので夕方帰宅。入浴、食事の後、早めに就寝。

『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』(磯崎新+新保淳乃+阿部真弓:著 TOTO出版 2010)を読み始める。日本版『CASABRLLA』で連載していた対談を再構成した本である。ルネサンス以降のイタリアの建築と美術を巡る10の事件を取り上げて論じている。第1章アルベルティとブルネレスキ、第2章「サッコ・デ・ローマ」(ミケランジェロ、パッラーディオ、ジュリオ・ロマーノ)、第3章ベルニーニとボッロミーニまで進む。いつもながら磯崎の蘊蓄に圧倒される。


2010年03月13日(土)

7時起床。いい天気だが花粉症が一層激しくなってきた。眼、鼻、喉の三重症状で微熱もある。10時半コンペ打ち合せ。いろいろ議論した挙げ句1案に絞り込む。午後11時半、高間三郎さん来所。大まかなアドバイス。3時、面出薫さん来所。夜間の照明について1時間のブレーンストーミング。さすがに的確なアドバイスを貰い皆で膝を打つ。その後、構法についても打ち合せ。必読書30冊の原稿をまとめて編集担当者に送信。これで僕のメインの仕事はほぼ完了した。残るは鼎談や最終講義の校正とこまごまとしたコメントだけである。6時、青山のイタリアンレストランで佐々木睦朗一家と食事。佐々木君と娘の誕生祝、娘の修了祝、僕の退職祝を兼ねた会。9時半終了。佐々木一家と一緒に帰宅し食後酒で歓談。夜半解散。


2010年03月12日(金)

6時半起床。久しぶりのいい天気である。7時半に事務所を出て8時過ぎ東京駅八重洲口着。花巻と待ち合わせ、8時半東京駅前発の高速バスに乗車。バスの中で『建築雑誌』3月号「特集:ナイーブアーキテクチャー」を読む。私性を公性にストレートに結びつけることがナイーブアークテクチャーのポイントのようだ。編集長の中谷礼仁が「クリティカル・ナイーブアーキテクチャー」といっている点に興味を惹かれ、思わず今年の卒業設計のことを想い出す。私性がそのまま表に出たのではベタなナイーブでクリティカルにはなり得ないということだろうか。10時前、鹿島セントラルホテル着。伊東さんの車にピックアップしてもらい10時半に「136伊東邸」現場着。集成材骨組と屋根、床下地が完成している。初めての平屋の「箱の家」である。一瞬、池辺陽の「住宅No.20」を連想する。足場で囲まれているので外形は把握できないが、内部空間のスケールはよく分かる。内部の仕上げを可能な限り省いた「MUJI+INFILL木の家」の第2ヴァージョンである。11時から伊東一家、花巻、ムジネットの高野氏、工務店の営業担当者と現場監督、大工1人が参加し、略式の上棟式。二礼二拍下の後、建物四隅を浄める。乾杯と伊東さんの挨拶の後、近くの蕎麦屋に移動して昼食。1時前、高野氏の車に同乗し2時半に事務所に戻る。4時、難波研院生が加わりコンペ打ち合せ。2案に収斂。明朝までに内外の関係が分かるプランと階段を検討することを約して5時半終了。直ちに事務所を出て新宿パークタワー8階のオゾン・レクチャーホールへ。6時から真壁智治氏の司会でプロフェッショナルセミナー開始。タイトルは「住宅建築のソリューション・メソッドを考える」。聴衆は60人。ほとんどが住宅関係者。「箱の家」に辿り着くまでの経緯と「箱の家」におけるアカウンタビリティについて40分間話した後、真壁さんとの対談。今後の課題は「箱の家」からの脱出だが、単に別のデザインに取り替えるのではなく「箱の家」を内破させることによって達成したい旨の話をする。8時半過ぎ終了。その後控室でビールを飲みながらしばらく雑談。9時過ぎに事務所に戻る。必読書の1編を書き上げてから10時半帰宅。ベッドの中で必読書の残り3冊に目を通しながら夜半過ぎ就寝。


2010年03月11日(木)

10時大学行。10時半からコンドル賞の審査。辰野賞を獲った2人の学生の研修計画書を見ながら3人の審査委員が面接審査。終了後、直ちに話し合い1人に決定。12時半から建築学科会議。コンドル賞の審査結果を報告承認。伊東忠太賞の2人も承認されたので直ちに掲示。2時から工学系研究科教授会。退職教授挨拶のトップに手短に話をする。残り5人は長々と話をしていた。3時から研究室会議。とくに議題はなく30分で終了。その後、製図室でワークショップの作業をしている院生たちと立話。風邪気味なので(花粉症かもしれない)6時からの工学系研究科退職教授惜別会はパスする。5時に事務所に戻る。必読書30冊の追加本の原稿続行。散読しながら4冊をまとめる。残りは4冊となった。8時に院生5人来研。コンペ打ち合せ。皆のスケッチを見ながらあれこれ模索した挙げ句、小さなジャンプ。構法についてもアイデアをまとめ、明日以降からプレゼンテーションに突入する。9時半終了。10時半過ぎ帰宅。


2010年03月10日(水)

8時半出社。必読書30冊の加筆。10時半、難波研院生が5人来所。コンペ打ち合せ。昼までにおおよその方向性に収斂したが決定打が見つからない。昼食を挟んで再び打ち合わせ。その後4時過ぎまで皆でスタディ作業。その間、僕は必読書原稿追加2冊。再度の打ち合せでほぼ方向性が定まる。明日の夜までに各自が展開させることを約して5時半終了。直ちに事務所を出て本郷三丁目のイタリアンレストランへ。建設系三学科懇親会。20人が参加しイタ飯と赤ワインで盛り上がる。僕にとっては最後の会なのでいろいろな人と話をするが、顔と名前がほとんど結びつかない。男の趣味の花束をもらって10時前解散。10時半に事務所に戻る。しばらく雑用。11時に帰宅。夜中、佐藤淳さんからコンペの構造に関するメールが届く。


2010年03月09日(火)

7時起床。まだ喉がいがらっぽい。8時半出社。午前中、四苦八苦の挙げ句、何とか第3講「モダニズム建築史」を書き終える。これでサステイナブル・デザイン講義12講の原稿が一通り揃ったので、図版を集め各講に4枚ずつ揃えて担当者に送信。午後大学行。1時からDAAS(デジタルアーカイブ・卒業設計賞)の審査。インターネット上にアップされた卒業設計のなかから最終審査に選んだ藝大、早大、京都芸短大の3人が来研。各人10分間のプレゼンテーションに約15分間の講評。とはいえ制限はないので気侭に話す。公開講評会とは異なり時間があるので突っ込んだ講評ができるが、作品自体は安田講堂に比べるとやや物足りない。2時半過ぎ終了。3人に賞状と僕の本を贈呈して3時終了。その後学部3年生の進路相談。しかし僕はもうすぐ退職だし就職の経験もないので、間接的なアドバイスしかできない。5時前に事務所に戻る。夕方までに論文のコメント3編をまとめ担当者に送信。夜は必読書20+10冊に取りかかる。文章量を少し増やすように頼まれたので20冊分の説明を膨らませたところで息切れ。追加10冊のラインアップはすでに決定済みだが、再読しなければならないから後2,3日はかかりそうだ。夜、石山さんから電話。しばらく会っていないので鈴木さんを誘って食事でもしようということになった。10時過ぎ帰宅。依然として微熱が続き咳が止まらない。


2010年03月08日(月)

8時半、青山歯科医院。1ヶ月ぶりの定例メンテナンス。歯間ブラシの使い方を注意される。オゾンに今週末のレクチャーのシナリオを送る。その後サステイナブル・デザイン講義の続行。第10講「メタル建築論2ー盛期モダニズム」は難なく仕上がる。しかし最後の第3講「モダニズム建築史」で頓挫。ギーディオン、ペヴスナーとバンハム、ロウを対峙させて論じるのだが、どうにも論点が定まらない。『空間・時間・建築』に目を通したら、さらに迷いが出てきた。批判しようとしているニーチェ的逆遠近法に僕自身が嵌っているような気がしてきたからだ。というか歴史とは本来逆遠近法でしかあり得ないのではないか。要はその内実だろう。『第一機械時代』のバンハムは何とかそれを脱しようとして多面作戦を取っているが、最終章ではその力に負けている。最終章は学位論文を本にするために後から加えたものらしい。午後はまったく筆が進まず悶々として時を過ごす。5時半大学行。6時から難波研ポートフォリオ編集会議。進行状況を確認する。先週から僅かしか進んでいない。こういう仕事は一時期に集中的に作業しないと進行しないのだが、皆雑用にかまけて先送りにしているのが手に取るように分かる。3月末完了の目標はほぼ絶望的になってきた。どうやら最後の始末は僕の仕事になりそうだ。8時半事務所に帰る。難波研の学生も加わりコンペ打ち合せ。質問回答を確認し仕切り直し。とりあえず2案に絞って展開させてみる。10時半終了。11時前帰宅。『なにがケインズを復活させたのか--ポスト市場原理主義の経済学』(ロバート・スキデルスキー:著 山岡洋一:訳 日本経済新聞社 2010)の再読を開始。


2010年03月07日(日)

昨夜はぐっすり寝たので熱は下がったが咳が止まらない。10時出社。少しずつサステイナブル・デザイン講義の原稿を書いて行く。夕方までに第9講「メタル建築論:19世紀の鉄骨建築」、第5講「テクノロジーと非物質化」、第7講「ポストモダニズムと建築記号論」の3講を仕上げる。残すところ2講になった。午後、栃内と岩元が出社。栃内と「138上田邸」の詳細図打ち合せ。一部を修正し上田夫妻に送るように指示。夕方、再び咳が酷くなったので帰宅。夜はベッドで難波研院生に貰ったDVDを2本観る。

最初に観たのは『リリイ・シュシュのすべて』(岩井俊二:監督 2001)。都市郊外(おそらく北関東)に生きる小学生から中学生に至る子供の生態を赤裸々に描いた映画。万引、いじめ、喝上、援交、自殺、レイプ、殺人などが淡々としかしリアルに描かれる。インターネットの掲示板を使った実験小説なので映像の合間にやたらとインターネットの書き込みが差し挟まれるのだが、それが映像の流れを寸断し間延びさせている。描かれている一連の悲惨な出来事と、逆光とスモークを効かせた美しい映像の対比は興味深い。しかしオジサンの眼には主人公の若者の態度はナイーブというより優柔不断にしか見えない。総じて岩井監督は現代の若者の生態を美化し過ぎているように感じる。引き続き『世界最速のインディアン』(ロジャー・ドナルドソン:監督 2005)を観る。1960年代末にニュージーランドの60歳代のバイカーが、毎年ユタ州のボンネビル・ソルトフラッツで開催されるスピード競技で改造バイクに乗り世界最速記録を塗り替えたという史実を描いた映画。主人公バート・マンローを演じるアンソニー・ホプキンスのニュージーランド訛のブリティッシュ・イングリッシュはさっぱり分からない。他愛のないハッピーエンド物語ではあるが、細部にキラリと光る箴言が散りばめられ、古き良きアメリカが優しく描かれている。何よりもこのDVDを贈ってくれた学生の素直な思いが伝わってきて胸が熱くなった。


2010年03月06日(土)

7時半起床。ますます喉がいがらっぽくなってきた。体温を測ると微熱がある。眠くなるのは分かっているが、やむを得ず風邪薬を飲む。9時前出社。10時半からコンペ打ち合せ。各自の案を持ち寄りブレインストーミング。僕はボンヤリとした頭でコメンテーターに徹するが、コンストラクションについてアイデアを提案。12時終了。難波研メンバーに3月のスケジュールを送信。4月以降をどうしたものかちょっと迷ったが、研究室の荷物を片付けるのは4月以降なので、それまでは送ることにする。4時半、遠藤夫妻来所。「139遠藤邸」の詳細打ち合せ。一室空間住居の提案は受け入れてもらえないので代案を考える。それ以外は基本的に承認される。6時終了。7時から娘の誕生祝の会食。先日発表した修論について議論。9時に事務所に戻るが、ますます頭がぼんやりしてきたので、早めに帰宅し就寝。

ツタヤでレンタルした『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー:監督 2006)のDVDを観る。1993年に着工し2009年に完成した長江の三峡ダムの工事現場を舞台に、2005年の工事中の三峡ダム周辺の荒んだ風景がドキュメンタリー・タッチで描かれる。まさにその時点でなければ撮れないような貴重なシーンが散りばめられている。中国語タイトル『三峡好人』はテーマをアイロニカルに表現しているし、英語タイトル『STILL LIFE』は監督の意図にピタリと嵌っているが、センチメンタルな日本語タイトルはこの映画のクールな感覚にそぐわない。この映画にはセンチメンタルな雰囲気は微塵もない。歴史に翻弄される人間模様が展開するだけである。冒頭の左から右へゆっくりと流れるクローズアップ・パンに眼を惹かれる。Still Life(静物画)といってよい光と影のフェルメール的な長回しも見逃せない。小津安二郎的な会話の間の取り方も秀逸である。時折、差し挟まれる突拍子もない出来事(ネタバレになるので具体的には言えないが、建築に関係が深い)には唖然とさせられる。シュールリアリスティックなユーモアと言えばいいだろうか。悠然と流れる長江が三峡ダムによって塞き止められるとき、古都・奉節(フォンジェ)の街の時間が急激に変転する。明確なメッセージがある訳ではない。近代化が伝統を解体して行くプロセスを、家族の解体に重ね合わせて描いた問題作である。


2010年03月05日(金)

9時前出社。激しい咳が出始めた。花粉症ではなく風邪だろうか。栃内と「138上田邸」の詳細打ち合せ。地盤改良と基礎システムについて再検討するように指示。引き続きサステイナブル・デザイン講義の原稿を書き続ける。比較的書きやすい第8講「クリストファー・アレグザンダー」から始めて第12講「リノベーションとコンバージョン」へ。過去の原稿をコラージュしながらの作業である。2000字ではやはり基本的な議論しかできないがやむを得ないだろう。夕方になると頭がボーっとしてきた。夜は第11講「メタル建築論2:アルミ建築」をまとめた後、第6講「日本の戦後モダニズム:池辺陽論」の途中まで書く。コンパクトな池辺論になった。コンペのために関西旅行への出発を一日遅らせのでそれまでには何とか仕上げたい。

『アニミズム周辺紀行5:開放系デザイン、技術ノート1』を読み終わる。2025年、15年後の81歳になった石山修武さんの「終の棲処」に関する物語的なエッセイである。場所はネパールのカトマンズ近郊、キルティプールの丘の緩やかな北斜面の一画。読み進むうちに棲処の内部やその周囲の景観が鮮明に浮かび上がってくる。言葉によって綴られた終の棲処の設計図と言ってよいだろう。どことなくプノンペンのヒロシマハウスで会ったナーリさんの雰囲気も漂っている。2003年に開催されたキルティプールでのフィールドワークのスケッチや詳細な記録も収められている。副題にあるように石山さんがめざす開放系デザイン、技術のヴィジョンは、IT時代における徹底したローテクに向かうようだ。石山さんは『アニミズム周辺紀行』を書きながら、自分の余生の送り方を模索しているのかもしれない。そこに家族の匂いがほとんどしない点が気になるところだ。表紙裏の色鉛筆のスケッチはヒマラヤを翔る燕だろうか。


2010年03月04日(木)

午前中事務所。サステイナブル・デザイン講義原稿続行。第2講「建築の4層構造」をようやく書き終わる。「建築の4層構造」そのものを説明するよりも背景と根拠について書く。引き続き第3講に着手。第3講は「近代建築史-1」ギーディオンとペヴスナーによるモダニズム論である。午後大学行。1時半から研究室会議。院生が外部で研究発表した報告。コンペ報告。ドイツ人留学生による太陽電池の新製品に関する説明。薬局で薦められた花粉症の薬を飲んだら症状は軽くなったが、やけに眠くなり会議に集中できない。ほぼ半睡状態。2時半終了。しばらく休憩した後、退職のための書類作り。3時過ぎ大学を出る。帰途、東京駅前の丸ビルに立ち寄り「アーキニアリング展」を見る。構造技術と建築の歴史を模型で見せた展覧会。近代以降、とりわけ現代の建築模型が充実している。新しく作られた模型も多く、よくもこれだけの模型を集めたものだと感心する。5時半に事務所に戻る。夜はオゾンでの講義のためのスライド編集。10時半帰宅。薬が切れて花粉症が戻ってきた。


2010年03月03日(水)

8時半出社。花粉症が酷くなってきた。昨年、急に発症したが今年はさらに進行しているようだ。クシャミと眼のかゆみだけでなく喉にも来た。午前中は事務所で原稿スケッチ。午後大学行。製図室では「せんだい卒計日本一決定戦」に応募する学生数人が作業を続けている。1時から伊藤研にて伊東忠太賞の審査会。歴史研、デザイン研の卒論発表は一通り聴いたので、本論に目を通しながら発表時の評価を再検証する。僕の最終候補は歴史研2編とデザイン研2編。伊藤さんの意見もほぼ同じなので、あれこれ議論した結果、歴史研1編、デザイン研1編に絞り込む。2時終了。研究室に戻り直ちに選評をまとめて伊藤さんに送る。3時過ぎ福武ホ−ルで開催中の学際情報学府、優秀修士論文発表会へ。優秀論文賞に娘が選抜されたので、その発表を妻と一緒に聴講。論文タイトルは「D・W・グリフィス『国民の創成』論:表象から情動へ」。この映画のアメリカン・ナショナリズムという「表象」を、映像の細部の「情動」分析に結びつけようとする内容。「表象」という用語の使い方にやや違和感を感じたが、映画のテーマ(意味)と映像・音響(形)の関係をアカデミックに分析しようとする意図は明確である。それにしても映像分析の道具として、表象から情動へとブレイクダウンする「映画の5層構造」を提案している点にはビックリした。まさか「建築の4層構造」を参照した訳ではないだろうが、偶然の符合にしては出来すぎている。もちろん内実はまったく異なり、5層とは、映画を表象=イデオロギーからエピソード、キャラクター、シーン、ショットへと細分化していく層のレベルを意味しているから構造主義言語学や記号論の方法に近い。クリスチャン・メッツあたりもそういう映像分析法を展開しているのだろうか。5時に事務所に戻る。8時コンペ打ち合せ。院生が作成してきた敷地模型を見ながら、まず法規制を確認した後ブレインストーミング。2時間のやり取りでぼんやりとイメージが湧いてくる。土曜日にもう一度スケッチをくり返し、来週初めには案を収斂させる予定。雨の日が続いているので工事中の「箱の家」の建方が進まない。今月中には3軒の建て方を済ませねばならない。10時半帰宅。石山研から届いた『アニミズム周辺紀行5:開放系デザイン、技術ノート1』を読み始める。まるで小説のようなエッセイである。


2010年03月02日(火)

8時半出社。コンペスケッチ。10時半、花巻と「136伊東邸」の規矩図打ち合せ。開口の高さと外壁割り付けの調整。ケラバと樋の納まりについて検討。午後1時、コンペの敷地調査に出かける。敷地外周を歩き回った後、近くのコーヒーショップで小一時間休憩。2時半に事務所に戻る。3時過ぎ、休憩しながらスタッフとコンペに関する雑談。その後サステイナブル・デザイン講義の原稿スケッチと読書。夜もコンペスケッチと読書。10時半帰宅。

『21世紀の歴史 未来の人類から見た世界』(ジャック・アタリ:著 林昌宏:訳 作品社 2008)を読み終わる。第3章「アメリカ帝国の終焉」から第4章「帝国を超える〈超帝国〉の出現」、第5章「戦争・紛争を超える〈超紛争〉の発生」と徐々にデストピアへ向かって行くのかと思ったら、最後には第6章「民主主義を超える〈超民主主義〉の出現」でハッピーエンドとなる壮大な物語。何だか肩すかしを食ったような終わり方である。未来の歴史を描くのは難しいことを痛感。なぜこれがベストセラーになったのか少々訝しまれる。


2010年03月01日(月)

8時半起床。やや二日酔い気味。10時半出社。藝大の伊藤俊治さんより電話。約20年ぶりの会話である。バリのブディアナさんについて報告。僕が彼を知っていることにびっくりしたらしい。午後はぼんやりと昨日の卒計合同講評会について考える。東大生の案はどれも「弱い建築」をめざしていたが、もう少し建築的なリアリティを追求していれば間違いなく勝てていただろう。それに学内講評の時に僕が考えていた候補案を何とかねじ込めば、陣営がガラリと変っていたかもしれない。それにしても東大がメインストリームに対する批評的存在になるというのは歴史的皮肉と言うしかない。メインストリームが「大文字の建築」への保守反動的な回帰なのであればやむを得ないのだろうか。時代の様相が『建築の世紀末』で「理想の追求は理想の混迷の表れである」と描かれているのと同じような状況になってきたような気がする。5時大学行。いくつか雑用。6時からポートフォリオ編集会議。原稿の集まりが悪いのでそろそろテコ入れが必要のようだ。今週末が目安になるだろう。終了後、コンペ打ち合せ。隈研、千葉研も取り組むらしいので学内の学生コンペの様相を呈してきた。9時に事務所に戻る。デザイン準備室の山崎さんに貰った最終講義のDVDを駆け足で見る。自分のレクチャーを見るのは不思議な感じだが、周到に準備した効果が出ているのでホッとする。10時半帰宅。『21世紀の歴史』を読み続ける。第5章「戦争-紛争を超える〈超紛争〉の発生」に差し掛かる。膨大な数の断片的な予測が次々とくり出されるので着いて行くのが大変である。


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