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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2006年08月31日(木)

少し早めに起きて8時30分に大学着。9時から博士課程の入試面接。デザイン研究室には受験者はいない。歴史研究室への受験生が多く、計画研究室もちらほら。本学修士課程からの進学する学生には大きな問題はないようだが、他大学あるいは留学生の受験生には凸凹がある。20人余の面接を行い正午前終了。昼食後、他大学・留学受験生の修論発表。僕は1人の受験生の副査を頼まれたが話にならないレベルだった。
5時に事務所に戻る。模型製作の続行。アクリル模型の試作を見極めてから、いよいよ本番に突入する。

『都市・建築の現在』(シリーズ都市・建築・歴史10 鈴木博之+石山修武+伊藤毅+山岸常人:編 東大出版会 2006)が届く。石山修武さんの責任編集、松村秀一、清家剛、五十嵐太郎、ヨルク・グライター、中川理、森川嘉一郎、鈴木博之といった面々が寄稿している。現代建築の問題群を整理した巻といえばいいだろうか。石山さんの巻頭文は短い文章だが、石山史観のエッセンスが詰まっている。10倍くらいに膨らませて大論文に仕上げてもらいたいものだ。末尾の文章に僕はハタと膝を打った。「我々は空間に生きる時代から、時間そのものを生きる時代へのゲートに立ち尽くしている。空間は視覚
の産物であった。それは消滅への径を歩んでいる。時間、すなわち眼の当たりにせざるを得ない現実の歴史性を生きるのは知覚に頼るしかない。それがこれからの現代の特質である」。松村さんの「住宅の生産と流通」をぱらぱらとめくっていたら、池辺陽の「住宅♯28(1956)」が軽量鉄骨造の実験住宅の例に取りあげられているのでびっくりした。

『伽藍が白かったとき』(ル・コルビュジエ:著 生田勉+樋口清:訳 岩波書店 1955)を読み終わる。ル・コルビュジェのアメリカ紀行記だが、3ヶ月の滞在だけでこれだけ広範な文明批評をまとめた彼の力量に感嘆する。ジャズ音楽を機械文明の音楽として捉え、アメリカ女性のカラヴァッジオ人気をヨーロッパコンプレクスとして捉える眼力はじつに鋭い。「ニューヨークの摩天楼は小さすぎる」という名文句を吐いたことは有名なエピソードである。マンハッタン郊外に広がる広大な郊外住宅の批判は、そのままコンパクトシティ論としても読める。郊外住宅は近代がうみ出したビルディング・タイプだが、ル・コルビュジェはそれを正面から否定している。それだけでもル・コルビュジェはモダニズムをはみ出しているといってよい。コールハースに比べれば、発想はずっとストレートだが、2人の距離は意外と近いような気がする。ル・コルビュジェの一連の著作をコンパクトシティ論として読み返してみるのは、意外に面白いかも知れない。中心的な問題はスカイスクレーパーの位置づけである。卒論テーマとして誰かにやらせてみようか。さらに田園都市論や郊外住宅論との比較論にまで問題を広げれば修論テーマにもなるかも知れない。早速、手元にあるル・コルビュジェの著作をリストアップし、ないものをアマゾンに注文する。


2006年08月30日(水)

8時半に事務所に出る。コンペの応募要項をじっくりと読み返しながらプラニングのチェック。これでプレゼンテーションに突入するしかない。青木淳さんに電話。設計製図の特別講義を依頼したら快諾してくれた。10月26日(木)に決定。10月から11月にかけて6連発の特別講義である。
午後は大学行。博士課程院試の修士論文を読む。2時から院試設計製図の採点。前例のない問題なので、みんな苦闘している。凹凸はそれほど大きくはないが、他コースとのバランスにためにできるだけ大きな差をつけて採点。図面を見ながら学生の顔が浮かぶ作品が幾つかあるのは仕方がない。心を鬼にして採点。
5時に事務所に戻る。院生たちがスケールの大きい模型の製作中。詳細模型の方は龍光寺が部品加工図をまとめて発注。僕はコンペのコンセプト・ダイアグラムと趣旨文をスケッチ。

例年の「省エネルギー住宅設計コンペティション」の締切が迫っている。今年のテーマは町家タイプの住居である。今年からは入賞者には賞金でなくヨーロッパの省エネ住宅見学ツアーが与えられる。コンペと研究旅行を組み合わせた新しい試みである。
http://www.eccj.or.jp/houseplan06/index.html


2006年08月29日(火)

8時過ぎ事務所に出る。コンペの平面を思い切ってまとめる。ともかく作業をスタートしなければならない。午後は大学行き。院試が進行中だが新2号館が会場なので、1号館は静まりかえっている。1時半、留学生と一緒にアルヴァロ・シザ事務所の伊藤氏が来所。来年から難波研の博士課程に入学希望だったが、来年ギャラ間で開催されるシザ展の担当になったので、もうしばらくはシザ事務所にいることになったとのこと。それでもいずれは帰国するので、日本での活動に関して話をする。

「まちなか施設コンペ」は新建築の協力を得ることになりスケジュールがずれ込んだ。10月公開、締切は来年1月になりそうだ。
新建築住宅特集編集部の富井さんから電話。「箱の家110」の発表に合わせて対談記事を掲載したいという。建築史家の倉方俊輔さんが相手なので快諾する。掲載は11月号である。鈴木了二、阿部仁史、米田明、坂牛卓といった面々も同じ形式で発表するらしい。

4時半に事務所に戻る。院生が配置模型を製作中。龍光寺がまとめた平面図をチェック。何となくスカッとしない。何かが足りないのだ。本や雑誌を読んだりあちこちのネットにアクセスしたりして頭をかき回すが妙案は浮かばない。イライラが募る。ともかく頭を切り換えてコンペ要項をもう一度じっくり読んでみよう。
いよいよ本格的な模型製作に入る。手伝ってくれるアルバイトは誰かいないだろうか。


2006年08月28日(月)

8時半に事務所に出る。コンペスケッチ。今日中に基本設計をまとめねばならない。「野川邸」第3案のスケッチをまとめて井上に渡し、説明文と設計契約書の案文を作成。「107桑山邸」の見積査定について花巻と相談。夕方、の見積比較表を桑山さんに送信。
午後1時半からコンペ打合せ。基本設計の確認。プレゼンテーションと模型についての方針を確認。その後皆でスケッチの作業を続ける。時間はどんどん過ぎていく。夜11時までかかっても最終案に辿り着かず。最後はエイヤッと決めるしかなさそうだ。それにしても模型の手が足りない。アルバイトを探す必要がある。

『伽藍が白かったとき』を読み続ける。ル・コルビュジエは1935年に3ヶ月間、ニューヨークに滞在した。その時に書いたのが本書である。ニューヨークに林立するスカイスクレーパーを見てル・コルビュジエは震撼し、そこから近未来都市のヴィジョンを引き出す。ル・コルビュジエは中世に建てられたゴシック伽藍の高さ、革新性、共同体性を、今日のニューヨークのスカイスクレーパーに重ね合わせる。そこには『建築をめざして』において、パルテノンと自動車を重ね合わせたのと同種の荒唐無稽な洞察がある。前書きで前川國男は、そのようなル・コルビュジエの発想に疑問を呈している。本書が出版されたのは1937年、日本版の翻訳は1957年で、間に第2次大戦を挟んで20年の開きがある。前川の批評はその間の時代の変化を示している。林立するスカイスクレーパーとは逆に、ル・コルビュジエは郊外住宅からニューヨークに通うサラリーマンの巨大な集団を批判する。そしてスカイスクレーパーと郊外住宅を野合させようとする。それがかつてル・コルビュジエが提案した「輝く都市」であることはいうまでもない。


2006年08月27日(日)

9時に事務所に出る。野川さんからメールが届く。先日送った「野川邸」第2案に対するコメント。部分的な修正で基本設計がまとまりそうである。第3案を作成して送付する旨の返信。その後、コンペスケッチ。基本コンセプトは決まったが、まだ検討すべき点が多々ある。通風と採光のシステム、公と私の関係などについてあれこれ考える。
午後は『都市の鍼治療:元クリチバ思潮の都市再生術』(Jaime Lerner:著 中村ひとし+服部圭郎:訳 丸善出版社 2005)を読む。都市再生のパタン・ランゲージのような本である。「18. 怠惰な創造性 対 勤勉な平凡性」が面白い。都市再生は7割の熱意と4割のアイデアという感想。コンペに対する直接的なアイデアはないが、テンションが少しだけ上がる。2時半、龍光寺が来所。コンペのちょっとした打合せ。

アマゾン・マーケットプレイスから『伽藍が白かったとき』(ル・コルビュジエ:著 生田勉+樋口清:訳 岩波書店 1955)の古本が届く。既に購入したと思っていたが本棚に見当たらなかった。最初に読んだのは1965年8月27日にル・コルビュジエがカプ・マルタンで水死した直後である。夕刊でル・コルビュジエの死が報じられた。それを見てすぐに駒場図書館に赴き本書を手に取った。内容はほとんど憶えていないが、自信に満ちた文章に心を動かされた記憶がある。教養学部の1年生だったから、建築に進むかどうか迷っていたときだったが、本書を読んで建築学科に進む確信を得た。本書と丹下の代々木競技場が背中を押してくれた。コールハースが『錯乱のニューヨーク』の中で本書を批評しているのが気になった。40年目の再読である。


2006年08月26日(土)

8時半に事務所に出る。院試受験生の書類チェック。面接のための準備である。
10時過ぎに事務所を出て、東京駅発11時過ぎの新幹線で名古屋へ。新横浜から花巻が乗車。名古屋で在来線に乗り換え岡崎駅に午後2時着。鵜飼事務所の石川さんの車で幸田町の「116鈴木邸」へ2時半着。
すでに屋根外壁の断熱パネル工事が完了し、屋根の金属工事が始まっている。室内は根太工事の最中。9m角の正方形平面。奥行1間の庇とテラス。幅5間奥行2間の吹抜。同サイズの2層部分という構成で、これ以上ないほど単純明快な「箱の家」である。落ち葉対策のため軒樋を中止し、屋根をそのまま北外壁に連続させているので、北側ファサードにはトイレの小さな窓しかない。北側には水田が広がっており北側ファサードが遠景で見えるのだが、誰も住宅だとは思わないだろう。本当に素っ気ない箱だから。
3時から上棟式。建物四隅を塩、米、酒で浄めた後、御神酒で乾杯。鈴木さん、工務店社長、僕が簡単な挨拶。その後おやつをいただきながら休憩。4時前から工事再開。花巻が打合せをしている間、僕は鈴木一家歓談。4時半にお暇する。

往復の電車の中で『戦後の終わり』(筑摩書房 金子勝:著 2006)を読み通す。視点が広過ぎてついて行けない部分もあるが、現代の日本の社会状況を把握するには格好の資料である。金子さんの視点は小泉体制の政策に対する批判で貫徹している。本書の出版のタイミングと内容から推し量るに、金子さんは竹中平蔵の対抗馬として、野党から出馬するように要請されるのではないだろうか。


2006年08月25日(金)

8時半に事務所に出て、昨日の打合せに従って部分的に修正した「大塚邸」の第2案を作成スケッチ。井上に渡す。その後コンペスケッチ。
午後1時、積水ハウスの前田雅信さんと大阪ガスの窪田明美さんが来所。10月16日(月)に大阪で開催する「住宅産業フォーラム21」のレクチャーについての打ち合わせ。テーマは「住宅エネルギー事情」なので少し資料を集める必要がありそうだ。

2時半、大学行き。久しぶりに研究室のパソコンを開いたら300通余りのメールが溜まっている。しかし8割方は迷惑メールである。最近、やけに迷惑メールが増えている。3時、講評室で設計製図院試の模試を見る。いよいよ来週が本番だが皆それなりに成長している。4時前、専攻会議に出席。院試直前なので、さすがに出席率はいい。5時前からコンペ打合せ。7時までディスカッション。詳細までは届かず、基本方針を決めて解散。

8時半、事務所に戻る。龍光寺と簡単にコンペ打合せ。明日の作業を指示。井上がまとめた「大塚邸」第2案をチェック。説明文をつけて有坂弁護士に送付。院試受験生の研究計画を読む。玉石混交である。

金子勝さんから『戦後の終わり』(筑摩書房 金子勝:著 2006)が送られてくる。出版準備中の『箱の家』には金子さんとの対談が納められているが、出版が遅れて金子さんも気を揉んでいるのだろう。いやはやいろんな人に迷惑をかけているようだ。


2006年08月24日(木)

9時前に事務所に出る。既にバイトが来ている。コンペスケッチ。ブックデザイナーの芦澤さんから届いた『箱の家』の表紙デザインをチェックバック。地にはシルバーグレイの落ち着いた色を使うそうだ。
坂本一成さんから特別講義の承諾メールが届く。冬学期は10月に始まるが、6日(金)のザウアブルッフ・ハットンと10日(火)の坂本さんが皮切りとなる。11月初旬にはローマ大とのワークショップを開催するが、その期間中に安藤忠雄さんと塚本由晴さん、引き続き北川原温さんにお願いすることが決まっている。さらにあと2人くらいには依頼したい。

1時半、コンペスケッチ開始。山代、東端、院生が参加。龍光寺の案を元に基本コンセプトについて再確認。した後、各自でスケッチ。
3時半、井上と事務所を出て鎌倉の有坂事務所へ5時前着。「大塚邸」の第1回プレゼンテーション。クライアントの大塚さんも同席し、模型と図面で概略を説明する。シンプルな一室空間住居を気に入ってもらえたようだ。細部の変更はあるが、基本案はそのまま了承される。予算とスケジュールを確認し5時半に終了。

7時に事務所に戻る。コンペのスケッチが続いている。夕食後、各自の案を説明。プログラムとの整合性を確認した後、明日、詳細な検討を行うことになった。来週月曜日には最終案を確定垢ことを確認し10時過ぎ終了。

往復の電車の中で『資本主義から市民主義へ:貨幣論、資本主義論、法人論、信任論、市民社会論、人間論』(岩井克人+三浦雅士:著 新書館 2006)を読み終わる。貨幣論、資本主義論、法人論、言語論が、自己循環論とそれがもたらす無根拠性という通底論法によって整理されている。デファクト・スタンダード(事実上の標準)も同じ論法で説明されている。上記の一連の無根拠システムは信任によって支えられており、それが自覚され共有されることによって市民社会が成立するという結論である。現実を見る目がよりクリアになる論法ではあるが、それによって現実が変わる訳ではない。本書を読んで吉本隆明の『共同幻想論』に対する僕の嫌悪感の理由が理解できた。僕が感じたのは共同幻想という言葉がもたらす幻想効果に対する嫌悪感なのだ。デファクト・スタンダードから身を引いて批評的な立場を取ることへの拒否感だといってもよい。吉本に比べれば本書の方がよほどマシだが、同じような印象を持ったことも事実である。


2006年08月23日(水)

8時半に事務所に出る。午前中は日本建築士会連合会作品賞の図面・写真のレイアウト。毎年恒例の作業だが、機関誌の見開きに1作品を納めるのは大変である。午後は大塚邸のプレゼンテーションの準備。『10+1』原稿の校正。その勢いで第2回の原稿をスケッチしてみる。次回は少し理論的な問題を整理してみよう。引き続きコンペのスケッチ。模型をいじりながら上部構造について龍光寺とあれこれスタディするが、なかなかいいアイデアが浮かばない。気散じに読書。アマゾンにアクセスして本を漁る。松岡正剛の書評集を探し出し、拾い読み。この人はとてつもない数の本を読んでいるが、僕の興味と重なる部分は僅かしかない。僕の世界が狭いのか、彼の世界が広すぎるのか。僕には濫読にしか見えないのだが。


2006年08月22日(火)

8時に事務所に出てコンペスケッチ。9時過ぎに事務所を出て、地下鉄、ゆりかもめ線を乗り継ぎ国際展示場前のビッグサイトへ10時前着。グッドリビング賞の最終審査である。今年から僕は「家具、インテリア、住宅設備部門」から「建築部門」に移った。僕以外の審査メンバーは、芦原太郎、北山恒、隈研吾、黒崎政雄だが、北山さんは院試で欠席。建築部門は最終審査に210作品が残っている。
午前中は、各人が気になる作品に付箋を付けて回る。午後は付箋の数をチェックし、審査員全員で作品毎にコメントを加えていく。集合住宅は、数は多いけれどあまり見るものがない。しかしデザインのレベルアップを推し進めるためにピックアップする場合がある。逆に、アトリエ系の住宅は表層だけのモダン・スタイルが支配的で、底上げされてはいるが先がない感じがする。要するに社会性がないのである。それに比べればハウスメーカーの方が少しはマシに見えてしまうから不思議である。単体の建築作品としてみる場合と、グッドデザイン賞の対象としてみる場合の視点が異なるのかも知れない。民家のような住宅をグッドデザインとして見るのは抵抗がある。そのことで無意識のスクリーンが働いていることは何となく分かるのだ。
すべてを見て回った後、再度話し合い敗者復活のチェック。最終的に90作品を選出。その後、金賞や特別賞の候補をリストアップして4時に終了。
それにしてもA1パネルの情報だけから建築を評価するというのは異常事態というほかない。僕は幾つか現地審査を行ったが、すべての応募作品を実見するのは不可能である。プレゼンテーションだけで判断される作品も多い。まるでコンペの審査みたいである。その点が最終審査は現物審査を原則とする他の部門とは決定的に異なる点だ。

5時過ぎに事務所に戻る。コンペスケッチ。井上がまとめた北鎌倉「大塚邸」の設計要旨チェック。夕食後は日本建築士会連合会作品賞の講評文を書く。10時過ぎ帰宅。シャワーを浴びた後本を読みながら夜半過ぎに就寝。


2006年08月21日(月)

8時半に事務所に出て原稿をチェック。コンペスケッチ。9時半に事務所を出て神保町の学術情報センターへ。10時半から午後2時半までぶっ続けで文科省の仕事。これも東京大学教授の役割だろう。

3時に事務所に戻る。大急ぎで原稿を推敲し『10+1』編集部に送信。その後コンペの模型と図面チェック。鎌倉の有坂弁護士から連絡が入る。今週中に北鎌倉の「大塚邸」のプレゼンテーションを行うことになった。
大学の事務から今年の院試受験者リストが届く。相変わらず学外からの受験者が多い。院試まで残すところ1週間である。今週末、大学に陣中見舞いに行ってみよう。
6時、佐々木君が来所。先週、指摘された問題点を整理した図面と模型を見ながら打合せ。基本方針を確認する中から幾つか刺激的なアイデアが出る。これを何とか展開させたい。7時半終了。

夕食後、幾つかの打合せ。10時に帰宅。『資本主義から市民主義へ:貨幣論、資本主義論、法人論、信任論、市民社会論、人間論』(岩井克人+三浦雅士:著 新書館 2006)を読みながら夜半過ぎ就寝。


2006年08月20日(日)

朝から『10+1』の連載原稿に取り組む。『ザ藤森照信』で藤森さんが展開している箱の家批判に対する反批判を潜在的なテーマに据えて、サステイナブル・デザインの視点から現代住宅の諸問題を一通り検討する。考え付く視点はもっとあったが35枚書いたところで時間切れ。とはいえ概略の構図は描けた。

夜半過ぎに原稿を書き終わり、シャワーを浴びて床に就いたがなかなか寝付かれず、3時までかかって『黄金比はすべてを美しくするか:最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語』(マリオ・リヴィオ:著 斉藤隆央:訳 早川書房 2005)を読み終わる。黄金比を多面的にとらえた内容で、もちろんル・コルビュジエのモデュロールも取りあげられている。しかし黄金比を根拠に美しさを論じようとする視点に対して著者は批判的である。美しさに代えて著者が対置するのは驚きあるいは意外性である。世界の至るところに黄金比が潜んでいるからだ。黄金比は世界に組み込まれていて人間がそれを「発見」したのか(プラトン主義)、あるいは黄金比は人間が「発明」しそれを世界に当てはめているのか(形式主義)という問題が興味深い。この問題は数学がなぜ物理学に応用できるのかという問題へ翻案できる。合理主義と経験主義の関係である。建築でいえば合理主義と機能主義あるいは構成と構築の関係だといってよい。


2006年08月19日(土)

8時半に事務所に出る。コンペスケッチ。10時前、佐々木睦朗君が来所。書評を依頼された『清家清』(新建築社 2006)が届いたかどうかの確認。2万円もする豪華本である。佐々木君も評論を書いている。
10時からコンペ打合せ。案がひとつに収斂していないので、山代さんの案も合わせて相談したが、構造的にやや不合理な点があるのとコンセプトに既視感があるので難しいという判断。しかし僕の案も技術的な問題は多い。採光や通風などを構造システムに組み込む案を提案してくれたので、このアイデアをとり込む方向で再検討することになった。月曜日までに何とか方向を固めることを約して12時過ぎ終了。忙しい中、時間を割いてもらったことに感謝。これで少しばかり案が展開しそうである。

1時前に事務所を出て高尾へ。担当の山根は先に出て大野夫妻と打合せ。駅前で大野夫妻の車に同乗し敷地へ。既に工務店が突いている。日射しが強くひどく暑い。大野夫妻を紹介した後、図面を渡して説明。30分で終了。4時過ぎに事務所に戻る。

龍光寺と院生とで佐々木さんとの打ち合わせで指摘された問題点を整理し図面化と模型化を指示。佐々木さんに電話し来週月曜日の夕方に再度の打合せを依頼。6時、事務所の内外の掃除をして解散。夕食後、事務所に出て原稿に取り組む。明後日がデッドラインだ。

ウィーン工科大学のシモンチッチ教授からメールが届く。11月のローマ大とのワークショップにウィーン工科大学も参加できないかという打診である。ウィーン工科大との交流は魅力的だが、シモンチッチ教授が窓口ではあまり乗り気になれない。6月にウィーン工科大を訪問した際、彼が指導した学生の作品展を見たが今一のレベルだった。ジョイントワークショップは指導教員が決定的である。とりあえず検討する旨の返信を送る。9月になればローマ大とのワークショップ・プログラムが確定する。それから正式な返答を送っても遅くないだろう。


2006年08月18日(金)

8時半に事務所に出る。溜まったメールチェック。昼まで原稿スケッチ。コンペスケッチ。午後はコンペに集中。山根と「120大野邸」打合せ。明日が現場説明である。花巻と「107桑山邸」打合せ。玄関回りのディテールチェック。栃内が作った「大塚邸」の模型のチェック。今月末にプレゼンテーションの予定。
3時過ぎ、院生と山代さんが来所。龍光寺を加えてコンペエスキス。山代さんのアイデアを検討。僕たちのアイデアと比較するが決め手がない。あっという間に時間は過ぎる。一旦、夕食を食べに出て、8時過ぎからエスキス開始。ともかくスタディ模型を作ってみるが。その間、僕は別の案のスケッチ。10時、スタディ模型を見ながらディスカッション。突破口はまだ見えない。11時半過ぎ院生達は帰宅。夜半過ぎまでスタディをつづけ、12時半に帰宅。なかなか寝付けない。やむなく3時頃まで読書。


2006年08月17日(木)

7時起床。少し原稿を書く。9時半過ぎにホテルを出て京都駅へ。構内のカフェでしばらく休憩。11時半京都駅発の新幹線で東京へ2時前着。東京は小雨。3時に事務所に戻る。夏休みを終えたスタッフが出社している。溜まった雑用をこなし幾つか打合せ。7時コンペ打合せ。遅れて山代さんも参加。10時半まで。何となく方向は見えてきたが、うまく行くかどうかは五里霧中。明日、集中的にスタディしてみよう。


2006年08月16日(水)

5時、ホテル8階の部屋の窓から差し込む強烈な朝日で一旦目が醒める。窓から瀬戸内海が見えるが、巨大な火力発電所で景色は台無しである。カーテンを閉めて再び眠る。7時半起床。8時半にホテルをチェックアウトしタクシーで柳井駅へ。山陽線で広島まで行き新幹線に乗り換えて正午京都駅着。ホテルにチェックインした後、隣の三十三間堂へ。久しぶりの再訪だが観光客でごった返している上にやたらと蒸し暑いので落ち着いて見る雰囲気ではない。千手観音の表情が一体毎に微妙に異なることを確認しながら約1時間で終了。直ちにホテルに帰る。シャワーで汗を流した後しばらく休憩し6時過ぎにタクシーで御池へ。妻が探し出したイタリアンレストラン「ストラーダ」で夕食。中学校の1階という珍しい店である。シェフに話を聞くとインテリアは若林広幸の設計だという。切り出したままの粗い御影石を張り、家具類はすべて黒で統一したモノクロの空間である。街路に面して巨大なガラス窓が並んでいるので、まるでショールームの中で食事をしているような不思議な雰囲気である。8時に店を出て鴨川まで歩き人でごった返す橋の上から大文字の送り火を見る。9時過ぎにホテルに戻りメールチェックした後、テレビで「フリーダ・カーロ」を観ながら11時過ぎ就寝。夜中コンペの夢で何度も目が醒める。昨日、院生が送ってきたスケッチ図面を見て直ちにチェックバックしたが果たして現在のコンセプトでいいのだろうか。まだ何かが足りないという印象が拭えず、まんじりともしない一夜を過ごす、明日は早めに帰京してスケッチしよう。


2006年08月15日(火)

7時半起床。快晴。山の中の朝の空気は清々しい。8時半、青木夫妻と朝食。10時過ぎに旅館を出て大分市へ。磯崎新設計の新しい県立図書館(豊の国ライブラリー)と旧県立図書館(市民ギャラリー)を見学。前者は思った以上によくできた図書館でびっくりした。最近の軽快で透明な建築とは一味異なる重厚な建築である。「百柱の間」と題した閲覧室の内部空間は明るく心地よい。オットー・ワグナーの郵便貯金局ホールの空調吹出口のレプリカが使われている。市民ギャラリーは磯崎新の初期作品のコンバージョンで、磯崎の作品の模型が展示されている。すべての模型が木製で作られている点にも磯崎の建築観が表れている。すべてを通してみると磯崎の凄さがよく分かる。磯崎については改めて考えてみる必要があるかも知れない。11時過ぎ大分駅発の電車に乗る。小倉駅で新幹線に乗り換え、徳山駅へ山陽本線に乗り換えて柳井駅に3時着。ホテルにチェックインした後、新市の難波宅へ。弟たちに挨拶してから仏壇にお参りした後墓参り。夜は弟たち一家と夕食。9時過ぎにホテルに戻り、ホテルのバーでしばらく妻と飲んでから11時過ぎ就寝。


2006年08月14日(月)

8時に家を出て妻と羽田空港へ。途中、停電騒ぎでラッシュアワー並の混雑に遭遇するが、何とか9時に羽田空港第1ターミナル着。9時40分発の便で大分空港へ11時着。空港ロビーで青木茂さんと待ち合わせ、大分市内の青木邸へ。昼食をいただきながら、しばらく歓談した後、2時半過ぎに市内の講演会場へ。大分工業高校建築科の創立100周年記念会での講演会。3時から「これからの建築に求められるもの」と題して、サステイナブルな建築に関して約1時間話す。残念ながら会場はほとんど僕と同世代かそれ以上の人ばかりで若い人は数少ない。その後、懇親会。5時半頃会場を抜けて青木夫妻と湯布院へ6時半着。温泉につかり、美味しい料理をいただきながら夫妻と歓談。赤ワインでいい気分になり10時過ぎ就寝。


2006年08月13日(日)

一日、事務所に籠もり、原稿、コンペスケッチ、読書の繰り返し。コールハース式に原稿を断片化して夕方までに15枚書いたが、その後の話が展開しない。連載の最初なので、できるだけコンテクストを拡げようとしているためかもしれない。いつになく肩に力が入っている。サステイナブル・デザイン反批判だけは何とかまとめておきたいので、構成について考えあぐねる段階で頓挫。コンペとも関連があるテーマなので頭の中がゴチャゴチャになる。

『住宅建築』8月号の特集「いまなぜ都市住宅なのか。」を読む。編集長の平良敬一、趙海光、日埜尚彦の巻頭鼎談を興味深く読んだ。「戸建てなのに、戸建て性を捨てたような住居形式がいま現れてきている」という趙の発言に眼を引かれる。「住むための技術」の中で「箱の家112」が紹介されている。巻末には僕が書いた『モダニズム建築:その多様な冒険と想像』の書評も掲載されている。


2006年08月12日(土)

一日、事務所。今日からスタッフ3人が夏休みに入る。大分工業記念講演のスライドとシナリオの最後のチェック。「121小野邸」の設計契約書案を作成し小野夫妻に送信。山根がまとめた「120大野邸」の実施図面チェック。内容がかなりへヴィースペックになっているので予算が心配だが、何とか大野夫妻の希望を実現したい。来週土曜日に現場説明を行うので見積を依頼する工務店に連絡。大船の「大塚邸」の第1案がまとまったので新スタッフの栃内に模型製作を指示。今月下旬にはプレゼンテーションの予定。
少しずつ原稿を書き始める。内容については概略スケッチが出来上がっているのだが、話の展開につながらない。いっそのことコールハースの『錯乱のニューヨーク』に倣って原稿を細切れに分節してみようか。5時、事務所掃除。6時解散。夕食後、事務所に出て原稿に向かうが集中できない。

昨夜から『黄金比はすべてを美しくするか:最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語』(マリオ・リヴィオ:著 斉藤隆央:訳 早川書房 2005)を読み始める。『万物の尺度を求めて』に引き続き、モデュールの源流を探る一環である。


2006年08月11日(金)

8時半に事務所に出て原稿スケッチ。しかし書き出しの文章が出てこない。
10時前に事務所を出て東京駅八重洲口へ。筑波山行きにバスの切符を買い列に並ぶ。龍光寺と難波研3人。夏休みでバス停はごった返している。11時10分発の高速バスに乗りベターリビング前に12時半過ぎ着。首都高速が混んだが少しの遅れで済んだ。久しぶりにアルミエコハウスにやってきたが、話に聞いたほど荒れ果ててはいない。中庭の白樫が屋根ダブルスキンを突き抜けて屋根の上にまで枝を伸ばしているのにはびっくりした。外壁、柱梁、アルミサッシ、ルーバーなどアルマイト仕上げの部分はまったく風化していない。まるで時間が止まったようだ。これがアルミのメリットでありディメリットでもある。アルミ以外の材料には時間が刻まれている。3年間放置されていたのであちこちで雨漏りが始まっている。ざっと見学した後1時半から解体研究の打合せ。懐かしい面々に出会う。解体研究の中心は清家剛研究室。8月末から解体研究が始まるが、作業の中でぜひとも立ち会いたいポイントを押さえる。スケルトン状態まで戻った段階で全体会議を開くことになった。3時過ぎ終了。その後ビールで乾杯。アルミエコハウスへの最後のお別れ会だ。僕にとっては自分が設計した建築の内で解体される2番目の建築である。1番目は池辺陽邸だった。最も気になる建築から消えていくというのは歴史の皮肉だろう。

4時過ぎの高速バスで上野まで戻り、地下鉄銀座線で外苑前へ。6時過ぎに事務所に戻る。幾つか雑用をこなした後、7時からコンペ打合せ。事務所内でやるのとは異なり、研究室でのコンペはやりにくい。メンバーがそれまでに決めたことを簡単に覆し勝手なことを言う。案を収斂させようという方向性を共有しようとしない。既にブレインストーミングの段階は終わったことを認識していないためだ。しかしプロセスをいちいち確認する訳にもいかない。どの段階にあるのかを各自が認識するしかない。民主的プロセスの難しさである。最後はソフトファシズムを執行せざるを得ないだろう。まだアイデア段階でリアルなスケールが把握できていない。かろうじて幾つかのポイントを確認し、その図面化をメンバーに依頼して9時半終了。

『建築技術』編集部からファックスが届く。先頃出版された清家清の『清家清 ARCHITECT KIYOSHI SEIKE 1918-2005』の書評依頼。佐々木睦朗君からの紹介である。池辺陽との関係で考えてみよう。
アルミエコハウスで飯島俊比古さんに会い『アルミニウム建築構造設計』(飯島俊比古:著 鹿島出版会 2004)をもらう。アルミニウム構造の考え方について書かれた本だが、アルミニウムの素材性や加工性など構法的な情報もたっぷり盛り込まれている。アルミニウム建築の入門書としては最適だろう。
NTT出版から今後の出版スケジュールが届く。出版は9月中旬以降にずれ込みそうだ。もう何をか言わんやである。

往復バスの中で『万物の尺度を求めて:メートル法を定めた子午線大計測』(ケン・オールダー:著 吉田三知世:訳 早川書房 2006)を読み終わる。500ページもあったが面白くて一気に読み通した。メートル法の起源にかんするドキュメンタリーだが、基準尺度の決定がたんに科学技術的な課題であるに止まらず。ナショナリズムや地域経済と密接に関わり合っていることがよく分かる。共通尺度を決めることは地域経済を外部に開くことなのだ。したがってインターナショナルな尺度であるメートル法はインターンナショナルな建築をめざしたモダニズムにとって不可欠な存在だったわけである。その意味でフランス革命はモダニズムの精神を確立したといってよいが、ことはそう簡単に進んだ訳ではない。ナポレオン1世は当初メートル法を認めたが、後には過去の尺度を復活させる。メートル法を最初に否定したのはフランスなのである。この問題にはカトリック教会も絡んでいる。メートル法は10進法にもとづいているが、宗教を排するフランス革命は尺度だけでなく時間にも10進法を当てはめようとした。つまりグレゴリオ暦を否定した訳である。19世紀はナショナリズムの時代で、近代国家とメートル法との関係は経済の問題とも絡んで錯綜している。最終的にはメートル法は世界中に浸透したが、そのプロセスには紆余曲折があった。アメリカは未だにメートル法を採用していない。1999年の火星探査機の失敗は、2つのチームがそれぞれメートル法とヤード法とで計算した値をそのまま使用したことに起因するというシャレにならない事態も生じている。最近、建築の世界では尺度の問題はほとんど論じられることがない。それだけ共通尺度が浸透したと言うことなのか。僕の経験ではメートル法と尺貫法が柔らかく共存しているというのが実感である。これも日本的な状況かも知れない。いずれにしてもメートル法の世界的な浸透とグローバリゼーションは密接に結びついている。もっといえばメートル法は資本主義とともに世界に浸透していったといっても過言ではないだろう。
本書では幾つかの発見もあった。ひとつは、マルクスが書いた『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』というのは10進法にもとづく革命暦による呼称であり、ルイ・ボナパルトの叔父であるナポレオン・ボナパルト(1世)がクーデターを起こして政権を把握したのが1799年11月のブリュメール18 日だったという事実。もうひとつは、子午線測量の膨大なデータは計測誤差を数学的に処理する最小二乗法を生み出したという事実。これを最初に発表したのはアドリアン・マリー・ルジャンドルだが、カール・フリードリッヒ・ガロアもほとんど同時にこの方法を考案し、以後、誤差分布を示す釣鐘曲線(ガロア曲線)は近代統計分析の中心的な手法になったという事実。メートル法の制定にはニュートン力学を体系化したピエール・シモン・ラプラス(「ラプラスの悪魔」で有名)も力を貸しているが、決定論の代表と目されているラプラスが最小2乗法の数学的な意義をいち早く認めていたというのも発見である。


2006年08月10日(木)

朝早く事務所に出て幾つかのスケッチ続行。名古屋の「小野邸」の基本設計が収斂した。小野夫妻の承認を得ることができたので設計契約を締結することになった。これで名古屋地域の「箱の家」は4件が並行して進むことになる。
大分での記念講演のスライドショーの決定版をまとめ講演のシナリオを作成する。1時間の講演だがスライドが80枚余になったので少しはみ出すかも知れない。
コンペのスケッチ。いつもそうだがコンセプトを敷地に落とし込もうとするとイメージと現実との落差に愕然とする。今回もコンセプトをまとめ上げるシステムを考案することが決定的である。

午後2時、新橋の日本膜構造協会へ。「まちなか施設コンペ」の第1回の準備委員会。審査員は佐々木睦朗、有塚礼子、木下庸子、奥平与人と僕の5人。奥平氏は海外出張で休み。僕が審査委員長の指名を受けた後、コンペ要項についてディスカッション。街路や広場に置く小さな施設のアイデアコンペなので、図面だけで終わらせるのではなく、入賞作品の現物を製作することを提案する。来年の五月祭に出品すれば面白いかも知れない。8月下旬に公開し10月末に締切、来年早々に表彰というスケジュールを決めて3時半終了。
佐々木君と表参道まで一緒に帰る途中コンペ打合せの相談。お盆明けまでに基本構想をまとめねばならない。

夕方から夜にかけて原稿のスケッチ。『10+1』の原稿はいよいよお尻に火がついたので思いつくままに箇条書きで書き始める。机の上には締切間近の原稿依頼状が幾つか散乱している。イヤハヤナントモ。


2006年08月09日(水)

8時半、NTT出版編集部の今井氏が来所。出版までのスケジュールの最後の詰め。相変わらず優柔不断なので文書にまとめてもらうことにする。
10時からコンペ打合せ。メンバー各人がイメージ模型を作成してきた。しかしどれもリアリティに欠けるか、あるいは決定的な主張がない。僕はアレグザンダー式に文章によるイメージを提出。これを元にしばらく議論を進め暫定的な方向性を決める。これを敷地に落とし込んで検証してみることになった。

午後1時半、三愛ビルサービスの山田氏が来所。三愛ビルに光通信ケーブルを引き込む相談。テナント自身が行う工事なので経路だけを確認。照明や空調も微調整が必要なようだ。技術の進歩に建物が追随していくのは大変である。満身創痍という感じだ。
その後、コンペスケッチ、原稿スケッチ、講演シナリオスケッチ、読書の繰り返し。
鹿島出版会から『An Eames Primer』に関するコメントの催促が届く。2ヶ月前に預かり何度か目を通した。イームズ夫妻の孫が書いた伝記のような本でイームズファンには垂涎の的だろうが、デザイン史としてはやや物足りない。翻訳出版するとしたら綿密な解説をつける必要があるという感想を付して返信する。

『万物の尺度を求めて』を半分まで読み進む。何しろ500ページの大部である。フランス北部のダンケルク、パリ北部のアミアン、サン・ドニ、パリ(パンテオン)、パリ南部のカルカソンヌ、スペインのバルセロナは同じ子午線上にあり約10度の緯度差がある。この間を2人の天文学者が7年をかけて三角測量によって精密に測定し、海抜や地球の曲率を補正し、両端の緯度を天体測定によって確定した上で地球全周の距離を出す。その距離の4千万分の1が1メートルである。フランス革命が急速に進行し、その反動でナポレオンが皇帝につくという大きな時代のうねりの中での偉業である。


2006年08月08日(火)

台風7号のせいで愛知県額田郡の「116鈴木邸」の上棟式は来週末に延期になった。出張が中止になり今日は一日事務所。原稿スケッチ、講演会スケッチ、コンペスケッチ、読書を繰り返す。少しずつ進むがテンションは上がらない。時たまメールチェック。最近は迷惑メールがやたらと多くて削除に手間取る。

午後、エクスナレッジムックの『ザ・藤森照信』(X-Knowledge HOME 7号 2006年8月号)が届く。まず僕が寄稿した質問に対する藤森の回答を読む。なかなか厳しい内容である。マァある意味で正反対の建築をつくっているのだから仕方がない。それにしても藤森の歴史観はあまりにも単純明快である。牽強付会と言ってもいいくらいだ。モダニズムも科学技術も完全否定している。建築家としてのスタンスならばそれでも結構だが、歴史家としてはいかがなものか。どちらにしても僕の歴史観とは相容れない。ともかく『10+1』の原稿は藤森の回答に対する反論から始めるのがいいかも知れない。他にも沢山の建築家・歴史家が寄稿している。磯崎新の「乞食照信を論ず」はスパイスがきいているが、鈴木博之の「高過庵の茶会:藤森一休説序説」は一歩踏み込んで藤森の核心を突いている。僕と藤森の建築の違いはクライアントの違いがもたらしたものかも知れない。「箱の家」のクライアントは普通のサラリーマンだが、藤森のクライアントは皆ブルジョアである。この違いは意外と大きいのではないか。本城直季の写真にも眼を引かれた。撮影時に思い切り被写界深度を浅くしたか、長い望遠レンズを使ったか、複数の写真のモンタージュか、あるいは焼き付けの際にネガを歪ませたのかもしれないが、焦点が合っているのは中心部だけで、残りの部分はピンボケである。このため現実を撮っているにもかかわらず模型写真のようなアンリアルな雰囲気を醸し出している。思わずアレクサンドル・ソクーロフの映像を想い出した。


2006年08月07日(月)

8時半に事務所に出る。今日は『10+1』連載原稿の締切日なので何とか書き始めようとするが、いつもの通り書き始めの文章が出てこない。10 時から「118松田屋本店」の設備打合せ。打合せは龍光寺に任せ、挨拶だけして原稿に向かうが相も変わらず停滞。井上に頼んで「野川邸」第2案をプリントアウト。野川さんに送付しようとしたら住所を聞いていなかった。これまでメールと直接顔合わせだけの打合せだったことに気付く。やむをえずメールで送信。
アルミニウム協会からアルミエコハウスの解体移設スケジュールが届く。11日(金)の解体作業WGに参加し、8月下旬から10月初めまでの作業の間、幾つかのポイントに立ち会うことにする。

午後は久しぶりに大学行。電車の中でM1生に合う。聞けば今日は院試設計製図の演習日らしい。午後2時からの講評に参加。あまり細かな点には立ち入らず一般的なアドバイスによって全員講評。
その後、再び原稿に取り組む。とりあえず連載のタイトルは「現代住宅の諸問題」に決定。『池辺陽試論』と「箱の家シリーズ」はかなり特殊な視点からのアプローチなので、できるだけ広い視野からこれまでの僕の仕事を相対化してみることにする。第1回目は現代住宅が置かれている問題点を概観してみよう。

5時半に事務所に戻る。山根が「120大野邸」の確認申請を提出し受理される。しかしこれまでとは異なり審査にかなりの期間がかかりそうだ。これも姉歯問題の影響だろうか。
名古屋地方に台風が近づいている。明日は大雨の予報なので「箱の家116」の建方は延期することになった。明後日に延期するが台風の進路次第である。


2006年08月06日(日)

9時半に事務所に出る。井上がまとめた「野川邸」第2案と山根がまとめた「小野邸」第4案チェック。説明文を加えて明日送付するように指示。井上がスケッチした「103後藤邸」の鉄骨ディテールチェック。ブレースのジョイントを小さく見せるようにディテールをチェック。「120大野邸」の構造計算書がまとまったので週明け早々に確認申請を提出する予定。

午後1時、大阪市大時代の教え子、池田知余子が来所。初めて担当する建築について話し合う。現場も担当するというので、現地審査したグッドデザイン賞の作品を例に挙げながら細部までチェックを怠らぬようにアドバイス。2時半、界工作舎OGの藤武三紀子が来所。界工作舎の役員に参加してもらっているのでその証明書を発行。3時、新井夫妻が来所。新しい敷地候補が出てきたので先頃調査した敷地と比較検討。駅からのアクセスを優先するか建物の機能性を優先するかで夫妻の間でも意見が分かれているので、時間をかけて議論するようにアドバイス。新しいクライアント候補からファックスが届いたので直ちに電話する。ファックスと電話だけでは要領を得ないので、一度事務所に来てもらうように依頼。

昨夜から『万物の尺度を求めて:メートル法を定めた子午線大計測』(ケン・オールダー:著 吉田三知世:訳 早川書房 2006)を読み始めている。フランス革命(1979)の真只中に開始された子午線の測量に関するドキュメンタリーである。現在では建築の寸法の問題はほとんど話題にならないが、ル・コルビュジエのモデュロールを初めとしてモダニズムの原点に尺度の問題があったことは確かなので、その源流を探ってみたいと考えた。フランス革命とメートル法が啓蒙思想によって通底していることは分かっていたが、ことはそう簡単には進まなかったようだ。グローバリゼーションを唱えるアメリカが未だにヤード・ポンド法で、メートル法を採用していないというのも歴史の皮肉である。


2006年08月05日(土)

朝8時半東京発の新幹線で名古屋へ。花巻は新横浜から乗車。JR線に乗り換えて三河安城まで戻り、駅前で鵜飼事務所の石川さんと待ち合わせ「117池田邸」へ11時半少し前に到着。11時半から略式の地鎮祭。池田一家と工務店が参加。強い日射しの下で敷地四隅を浄め、簡単な鍬入れを行った後、御神酒で乾杯して終了。その後、お弁当をいただきながら工事の打合せ。工務店から地盤が盛土なので簡単な地盤改良を施す提案を受ける。全体のスケジュールについて打合せ。上棟は9月になる予定。

午後1時過ぎに池田邸をお暇して、名鉄線で金山へ。駅前の喫茶店で一休みし、タクシーで「107桑山邸」へ3時前着。工務店3社が集合。見積要領について説明した後、外に出て既存建物の解体と新築工事の概要について説明。4時前終了。桑山夫人とスケジュールについて相談した後タクシーで名古屋駅へ。
4時半発の新幹線で東京へ6時過ぎ着。7時前に事務所に戻る。

往復の新幹線の中で『理性はどうしたって綱渡りです』(ロバート・フォグリン:著 野矢茂樹他:訳 春秋社 2005)を読み終わる。カント、ヒューム、ウィトゲンシュタインの哲学の演習のような本である。理性(論理)の暴走を止めるのは、概念化されえない経験(理性の外部)しかないという主旨だが、「ありのままの事実は存在しない。事実は構成されるものである」というカント思想を通過した上でないと、この問題の重大さは理解できないだろう。とはいえ思想を相手にする哲学者にとっては教訓的かも知れないが、建築というモノ(現実)を相手にしている建築家にとっては当たり前の考え方である。むしろモノを通して思想を構築する意味では、哲学者以上にカント思想は身近なテーマかも知れない。だから著者の主張を当たり前のこととして受けとめるのではなく、逆に経験を理性で制御することの不可能性について書かれた本として読むべきだろう。ポストモダニストによるラディカルな相対主義(ニーチェ的パースペクティヴィズム)も、建築の世界では単なる表現の違いでしかない。


2006年08月04日(金)

8 時に事務所に出て大船の「大塚邸」スケッチ。基本設計がまとまったので敷地造成の方針を決める。
9時過ぎに事務所を出て地下鉄辰巳駅へ。改札口でコンペメンバーと待ち合わせ東雲のCODAN集合住宅へ。約1時間半をかけて内外を回り住居と共用施設の関係を調べる。SOHO的な使い方をしている住居はほとんど見られないので室内廊下は閑散としている。正午過ぎ1階のカフェで昼食。意外にサラリーマンが多いのにびっくりする。その後CODAN事務所にてパンフレットなどをもらう。

辰巳駅に戻り、地下鉄、JR京浜東北線を乗り継いで川口へ。駅前のメディアセブンを見学。川口市の公共施設で市の出張所は今一だが図書館は賑わっている。7階にメディアセンターがあるのでこの名称がついたらしい。空間構成やプログラムは明らかにせんだいメディアテークに酷似している。駅前広場に面した図書館ロビーは壮観である。駅前という便利さと室内環境の快適さが人々を引きつけていることは間違いない。

5時過ぎ事務所に戻る。見学会の問題点を反芻しながら道路と建物の関係をスケッチする。その後、井上と「野川邸」第2案打合せ。山根と「小野邸」第4案打合せ。「大塚邸」スケッチ続行。再度、敷地写真を調べ既存の樹木や視界を確認した上でプランを大きく変更する。

膜を使った街路施設のコンペが正式に発足しそうだ。審査委員は佐々木睦朗、有塚礼子、木下庸子といったメンバーなので面白くなるだろう。
セキスイ大阪の前田さんからレクチャーの依頼が届く。テーマは住宅とエネルギーの関係。大阪市立大学にいた頃にサステイナブル建築についてレクチャーしたことがある。その延長線上での話を求められた。「箱の家」がメインテーマではないので少し準備が必要かも知れない。


2006年08月03日(木)

8時半に事務所に出て「野川邸」第2案をまとめる。集成材造案だが鉄骨案とは一味違う空間になった。10時ムジネット来所。「MUJI・INFILL木の家」の販売状況について報告受ける。徐々にパートナー会社も増え工事契約も増えているとのこと。しかし建主がアッパークラスに偏っているので、今後は一般レベルに合わせてローコストの方向へ展開していくことを計画しているらしい。その点について僕の意見を求められる。「箱の家シリーズ」が模索している方向と同じなので、ライフスタイルとの関係で仕様と構法を再検討したらどうかと提案。単純にコストダウンを図るだけでは販路は開発できないだろう。ユーザーに対してもっと細やかな対応をする必要があるが、そのためにはライフスタイルを視野に入れることが不可欠である。

午後、大船の「大塚邸」スケッチ。変形敷地に人工地盤をつくり、その上に単純明快な一室空間を設置する案をまとめる。老人の一人住まいなので水回りも最小限でいい。できれば寝室も水回りも開放して完全な一室空間ができないだろうか。高台の敷地なのでプライバシーも問題にはならない。

昨夏購入した帽子がくたびれてきたので銀座へ行き夏用帽子を購入。カジュアルなタイプのパナマを選ぶ。僕にとっては機能的に必要な道具である。帰途に地下鉄駅前で界工作舎OBの山内貴博君に会う。アトリエを運営しながら東京芸大の大学院に通っているという。界工作舎にいる頃よりもずっと若々しくなっているのでびっくりした。

夜7時から「後藤邸」の構法とスケジュールの打合せ。後藤夫妻、工務店、佐々木構造計画、界工作舎の井上が参加。鉄骨骨組の建方法が工期延長に関わるので、佐々木事務所の担当者に後藤夫妻への説明を依頼した。何とか納得してもらったので急いで工程を組み直すことになった。なかなか現場工事が始まらないので後藤夫妻はジリジリしているが、これでようやく本格的にスタートできそうだ。


2006年08月02日(水)

8 時半に事務所に出る。コンペと原稿スケッチ。11時前、都税事務所が来所。神宮前計画の不動産評価。必要書類を見せて事務所で待機。11時半、書類調査だけで終了。これで固定資産税が確定する。

午後、コンペの要項を再読。コンペ関連の建築見学を考える。3時、M2小野、M1池田、東端が来所。先日の敷地調査のスライドを見ながら敷地分析。その後ブレインストーミング。各人のイメージについて話し合う。建築見学と今後のスケジュールを決めて5時半終了。

夕食後、事務所スタッフに「箱の家シリーズ」のスライドを見せる。
夜は、野川邸第2案スケッチ。お盆に九州の大分工業高校で行う講演のスライド編集。海外のサステイナブル建築を紹介した後、リファイン建築、箱の家、アルミエコハウス、無印住宅などについて話す予定。


2006年08月01日(火)

9時半、大学行き。溜まったメールと雑用を片づける。10時50分からオープンキャンパス。各回20人、30分で8ラウンドの建築学科案内。製図室、講評室、多目的演習室、図書室、階段教室を回り、最後に質問を受けて終了。ほとんどが高校生だが、親も参加している。毎回、アドリブで話の内容を変えながら建築デザインの楽しさと厳しさを忌憚なく話すようにつとめる。それにしても8回も繰り返すとさすがに疲れる。5時半終了。しばらく休んだ後、6過ぎに大学を出る。

7時前、事務所に戻る。夕食時にビールを飲んだら一気に疲れが出た。デッドラインを過ぎている『建築士』の原稿を大急ぎでまとめて送信。花巻と「107桑山邸」の打合せを始めるが集中できない。基本的な問題を指摘して詳細打合せは明日に回し、10時前に帰宅。


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