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箱の家 PROJECT 青本往来記
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コンパクト箱の家

2004年12月31日(金)

10時過ぎ、事務所行き。ひたすら「エコハウス」の原稿に取り組む。時々気晴らしに「ガリレオの指」を読む。7時前、一端帰宅して夕食をとった後、8時過ぎ、再び事務所に戻り原稿書き。あと2章を残す所まできた。世の中は年末で静かだが、僕はそれどころではない。3日からの高野山行きまでには、何とか見通しを立ててしまいたい。11時半に帰宅。再びパソコンに向かっているうちに年が明ける。


2004年12月30日(木)

9時半、事務所行。しばらくの間コンペの資料を分析。
10時半、大学行。昼食を挟んで、10数人の卒業設計のエスキスを見る。皆、少しずつテーマが収斂しているが、中にはまだテーマを決めかねている学生もいる。ともかく年内にテーマと基本方針を決定し、年明けの最初のエスキスまでにはそれを展開しているようにアドバイスする。エスキスの合間を縫ってエコハウスの原稿を書こうとするが、次々と学生が来るので、なかなか集中できない。エスキスは6時前に一通り終了。
その後、製図室と演習室に残っている10数人の学生と弁当を食べながら歓談。彼らの卒業設計に対する集中力をエンカレッジするとともに、そのような充実した時間を経験できることの貴重さについて、忌憚のない感想を述べる。今の段階では、すべての学生に可能性がある。これからが本当の勝負である。8時過ぎに解散。あっという間に学生たちの姿が消える。製図室には2人の学生が残り作業を続けていた。9時前に大学を出る。

友人の飯田善彦さんから、現在パリで開催している自作の展覧会「アッサンブラージュ assemblage」のカタログが送られてくる。写真と文章がバランスよく配置された、飯田さんらしいコンパクトでキレのいい本である。大野秀敏さんや北山恒さんが寄稿している。これで飯田さんも一つの世界を形成したような気がする。同世代として心から拍手を送りたい気持ちだが、一方で羨ましい感じがすることも確かだ。


2004年12月29日(水)

朝から雪が降り始める。スマトラ沖地震の津波被害が甚大だ。プーケット島は二度行ったことがあるので、複雑な気分である。フェリーは瀬戸内海からの払い下げ中古だったから、津波ではひとたまりもないだろう。
9時、事務所行き。一人の事務所はやけに寒い。エコハウスの原稿を書く。しばらくコンペの模型を分析。
12時半、大学行き。卒業設計のエスキス。意外と少ない人数なので、エコハウスの原稿を書き続ける。夕方、雪が小降りになる。6時過ぎ、事務所に戻り、再び原稿に取り組む。
8時半帰宅し、遅めの夕食。しばらくボーッと考え事。物事に集中していると、日記に書くことが少なくなる。『ガリレオの指』を読みながら11時半就寝。


2004年12月28日(火)

8時半、事務所行き。エコハウス原稿の推敲。
10時半、コンペ打ち合わせ。皆、頑張っていろいろな案を提出し続けている。おかげで僕のイメージも徐々に具体化してきた。今日、その一端を説明する。駅のアクティビティに関するアイデアだ。これで少し方向が見えてきた気がする。正月休みの間に、もう少しスケッチしてみよう。

午後、「日本人と住まい」展の原稿を書き続け、夕方ようやくまとまる。池辺の戦後モダニズム住宅と僕が育った町家を、事前的機能と事後的機能に対応させ再解釈したエッセイである。少し分かりにくいかも知れないが、僕のイメージの原点にある考え方だ。

5時、事務所打ち合わせ。進行中の仕事と来年の予定を確認。その後、大掃除。とはいっても机の上を片づけ、ゴミを整理する程度で終える。6時前解散。7時、残った龍光寺と井上と一緒に夕食に出かける。8時半帰宅。


2004年12月27日(月)

9時前に銀行に行き、給与と経費を振り込む。9時半事務所着。いくつかの雑用。
11時過ぎに事務所を出て下北沢の「101名田邸」の現場へ。外壁の断熱パネルを取り付けている最中である。先日のボルト頭が仕上げ後にどう見えるかを、実際にペイントを塗って実見する。艶消し仕上にすれば光の反射が弱まるので、小さな歪みは気にならないことが分かった。

1時半、大学行き。原稿を書き始めたら、卒計のエスキスを求める学生が次から次へとやってくる。皆、基本方針の段階で足踏みしている。与えられたプログラムではなく、自分がプログラムから考えねばならないことの難しさを、彼らは初めて経験しているようだ。しかし去年の結果を見れば明らかなように。プログラムはデザインのきっかけに過ぎない。最終的な成果にまでプログラムを引きずっているような作品は、むしろ中途半端に見えるものである。プログラムから出発しなくても、イメージ豊かな作品は見る者にプログラムを喚起させる。建築にとっては新しいプログラムを喚起することがデザインの最大の可能性なのである。

9時に事務所に戻る。忘れていた原稿に取りかかるが頭痛がするので明日に延期し、10時半に事務所を出る。


2004年12月26日(日)

ゆっくりと起きて10時過ぎに事務所に向かう。事務所のドアの前で鍵を忘れたことに気付き帰宅。しかし鍵は鞄の底にあり、二度の無駄足を踏んだ。悔しさが湧いてこない自分に対して不思議な感慨を抱く。11時前に事務所着。「青本往来記」をまとめて送信。午後1時、井上が出社してくる。「94池内邸」と「104逸見邸」の施工図を急がされているらしい。僕は『エコハウス』の原稿を書き続ける。「エコハウスの構法と性能」の章をほぼ書き終わる。正月休み中に『エコハウス』の原稿は何としてでも書き上げねばならない。6時半過ぎに事務所を出て赤坂へ。駅の近くで簡単な夕食。とはいえ少々日本酒を飲み過ぎて酩酊。帰り道、酔いを醒ますために本屋に立ち寄る。あれこれ新刊書を漁るうち、出たばかりの『ガリレオの指』(ピーター・アトキンス:著 斎藤隆央:訳 早川書房 2004)を見つける。最新の科学解説書なので、正月休みの読書のために直ちに購入。僕はこの類の本にめっぽう弱い。自然科学を頭から信じるつもりはないが、客観的合理性のケーススタディとして読めば学ぶところが多いからである。帰宅するとすでに娘が帰っていた。読みかけの『デザインの生態学』(後藤武+佐々木正人+深澤直人:著 東京図書 2004)を一旦休止して、早速『ガリレオの指』を読み始める。


2004年12月25日(土)

10時、杉村と四街道の「99岩田邸」へ。工務店も参加。引っ越し後、最初のチェック。いくつかの問題点の対処の仕方について岩田さんと話し合う。「箱の家」の標準から考えると、やや細かすぎる要求に思えるのだが、僕たちの対応が遅れたのでやむを得ない。「箱の家」の設計仕様はある程度、標準化されているが、現場監理はルーチンワークでは済まない。現場担当者はそのことを肝に銘じるべきである。12時過ぎ終了。

2時半に事務所に戻る。早稲田大学から模型のアルバイトが来はじめたが、「二天門消防支署」の50分の1模型は、どうやら今年中にはまとまりそうにない。
昨日からの疲れが溜まっているが、気分を奮い立たせる。杉村が「松本邸」の日影規制をチェック。ギリギリクリアできそうなので、第1案をまとめることに決める。
花巻が「神宮前計画」の2つの案をまとめる。明日、チェックしよう。
中川が「大橋邸」の最終案をまとめる。これも明日中にチェックし、送信の予定。
6時前に事務所内の掃除。6時過ぎ、解散。7時に帰宅。クリスマスなので、家族3人で外食。

『思想史家:丸山眞男論』(大隅和雄+平石直昭:編 ぺりかん書房 2002)を読み終わる。とくに新しい発見はなかったが、歴史の原型=古層=執拗低音に関する丸山理論の詳細な展開を知ることが出来た。磯崎の「和様化論」は明らかに丸山の「古層論」に起源がある。丸山の近代化に関する考え方についても学ぶところが多かった。さらに、現実の歴史の中に存在していることによってもたらされる「存在拘束性」と、そこから身を引き離して存在するための「超越的原理」との弁証法的な関係の重要性を、あらためて確認したことも大きかった。モダニズムのユートピア性は普遍性を追求する後者を指向することから生み出されたものだが、それに対抗して、ポストモダニズムは歴史性に基づいてすべてを相対化する立場からモダニズムを批判した。だとすれば、モダニズムの再評価は、当然のことながら歴史を超えた普遍的原理を復活させることになるはずである。僕にとって、それは科学的な客観性と論理的な合理性である。たとえ歴史的に制約されたものであっても、それは自らの力で進化し、時には歴史に対峙し、自らの歴史をつくり出すことができるからである。


2004年12月24日(金)

10時半コンペ打合せ。一通り問題点が出てきた。年末にはいくつかのテーマに絞って調べることにする。

午後一番に下北沢の「101名田邸」現場行き。杉村と屋根の断熱パネル取付方法をチェック。ボルトと座金について現場監督、大工と打合せ。しっかり留めようとするとキーストンプレートに歪みが出る。塗装するとどうなるかを仕上で見えなくなる面で実験してみることにする。

2時半大学行き。何人かの卒計エスキス。まだまだ基本的なテーマの段階で迷っている学生ばかりである。まず図書館に行き、自分がやろうとしているテーマの歴史的先例を総ざらいすることをアドバイスする。乏しい経験と頭脳によって短い時間に考えることは、たかが知れている。先例を見れば自分のアイデアを膨らませることができるし、デザインボキャブラリーも豊富になる。いざとなればそれらをコラージュすることもできるだろう。

5時過ぎ、界工作舎のスタッフと千川の朝倉邸へ。朝倉さんに室内を案内してもらう、僕は10数年前にお邪魔しているが、当時と印象はほとんど変わっていない。朝倉さんが用意してくれたつまみとワインをいただきながら、スキップフロアの立体的な住空間を1時間余ゆっくりと体験する。
7時前に朝倉邸を出て池袋の和食屋へ。朝倉さんを迎えて界工作舎の忘年会。朝倉さんがいるせいか皆いつもより能弁になる。2時間あまり歓談。10時半終了。11時半帰宅。


2004年12月23日(木)

祝日なので朝ゆっくりと起き、10時過ぎに事務所行。龍光寺が仕事をしている。
メールをチェックし「青本往来記」をまとめて送信。簡単に昼食をとった後、原稿書き。
正午過ぎに龍光寺が帰った後、入れ替わりに花巻が出社してくる。「神宮前計画」のチェック図を渡す。

2時、大橋さんが来所。石神井公園の「大橋邸」の打ち合わせ。家族内でいろいろな意見が出ているらしいが、少しずつ収斂に向かっている。しかしこのプロジェクトは、いつも以上に時間がかかりそうだ。じっくりと取り組むしかないだろう。

その後、下井草の「松本邸」のスケッチ。都市的なコンテクストに細かに応えながらも、コンパクトな箱にまとめる案を、あれこれと探索する。北側斜線や高さ制限、家族4人の生活スタイルなどを考えているうちに、一つのアイデアが浮かんだので、大急ぎでまとめる。設計条件を事細かに検討している時に、突然浮かんだアイデアは大抵うまくいく。コストも何とか射程範囲内のようだ。まずはこの線で進めてみよう。
駒込のアパート計画は豊島区役所との事前協議が長引いている。途中経過をクライアントに報告したら、直ちに回答メールが届く。設計条件が少し変わったので、再検討するように花巻に指示。

7時前に帰宅。夕食後、再びスケッチ。
引渡し直後のクライアントからメールが届く。「青本往来記」を読んで、あれこれ僕の考えを憶測しているようだ。プライベートな出来事については、できるだけ触れないか簡略に書くようにしているが、それを現実の記述と混同しているらしい。その気になれば、どんな文章でも思い通りに解釈できることは、脱構築派が証明済である。しかし日記を公開することにネガの部分がこういう形で出るのは、覚悟の上とはいえ一考すべき事態である。ともかく誤解を解くメールを返信。


2004年12月22日(水)

朝早めに起きて、JR青梅線の小作駅に10時前着。羽村市のクライアント候補の敷地調査。
駅から車で5分、歩くと15分くらいの便利なところ。西と南の2面が道路に面した南北に細長い変形敷地である。周りもあまり建て込んでいない開けた景観で、難しいけれどイマジネーションをそそられる敷地である。大問題は、敷地内の南西隅に巨大な電柱が立っていることである。これを敷地外に移動しないと、何をするにも動きが取れない。今週中に決めるように不動産屋から言われているそうだが、この電柱が移動できるという確約を取ってからでないと後々悔やむことになるだろうと、クライアント候補には念を押す。

11時前の青梅快速で東京駅へ。山手線で田町の建築学会の建築博物館へ。吉阪隆正展を観に行く。八王子セミナーハウスの油土の模型が圧倒的だ。学生ボランティアが協力してつくったと聞くが、そのエネルギーがひしひしと伝わってくる。手描き図面の密度にも圧倒される。設計に注がれた膨大なエネルギーが、そのままストレートに表現されている。最近の建築図面は抽象的で軽い感じだが、こういう図面を観ると、懐かしいと同時に忘れていた身体感覚を揺さぶられる。こういうプレゼンテーションを最近の学生たちはどう受け止めるだろうか。少なくともボランティアに参加した学生たちは、建築の物質性を間違いなく感じ取ったに違いない。吉阪に関するいろんな人のインタビュー・ビデオ(僕も参加した)を観ながら、吉阪の多面性に思いを馳せながら1時間余を過ごす。僕としては、どうしても池辺陽のことが頭の隅に浮かんで仕方なかった。

午後2時大学行き。数人の学生の卒業設計エスキス。まだまだ先は長い。3年生が製図室にたむろしているので雑談。研究室でメールチェック。新しいクライアント候補からメールが届いたので、直ちに返信。

6時半に大学を出る。地下鉄東大前駅で忘年会へ向かう大野研のメンバーに会う。助手の鵜飼さんと卒業設計について簡単な話し合い。田園都市線の池尻大橋で下車し、杉本貴志さんが経営する和風レストラン「春秋」へ。
8時前から「MUJI+INFILL:木の家」の打ち上げ会。杉本貴志さん、原研哉さん、安井敏さん、ムジネットの人たち10数人が集まる。遅れて深澤直人さんも参加。杉本さんはこのプロジェクトがスタートして2年半で軌道に乗り始めたことについて感慨深げに話す。原研哉さんは来年からの広告コンセプトについて熱っぽく語る。おかげでプロジェクトは広く知られるようになったが、ムジネットにとって本格的な仕事はこれからである。僕にとってこのプロジェクトは一種の出会いのようなもので、自分のスタンスを確認するいい機会だった。実質的には僕の手から離れたプロジェクトだが、今後の展開が気になるところだ。
バリ島に関する話題で一同盛り上がり、興奮した杉本さんは急ピッチで日本酒を飲み1時間半でダウン。杉本さんを送り出した後、原さん、深澤さんたちと、しばらく歓談。
10時過ぎ早稲田大の古谷誠章さんが1人で店に入ってきた。近くに住んでいるらしいが、いつもこの店で一休みし、葉巻を吸ってから帰宅するのだという。プロジェクトのメンバーを紹介。いい機会なので卒業設計公開講評会への参加を打診したが、残念ながらUIAアジア大会とスケジュールがバッティングしているらしい。
11時過ぎに解散。タクシーで帰宅。


2004年12月21日(火)

家族で話し合い、正月に高野山に行くことになった。ちょっと寒いかもしれないが、年明けに一晩じっくり頭を冷やしてこよう。
9時事務所行。午前中、いくつかの雑用。溜まった帳簿の整理。

午後1時、三軒茶屋行き。最近完成した池尻消防支署の見学。ゼネコンと協力業者、現場監理担当は僕と岩堀が参加。デザイン的にはほとんど見るところはないが、全体の規模が二天門消防支署に近いので、機能面で参考になる点が多い。しかし細部の詰めの甘さが気になる。もっとキッチリ納めたいが「船頭多くして船山に登る」状態にならねばいいが。3時半終了。その後、岩堀は現場事務所へ向かう。僕は外苑前で別れる。

大急ぎで帳簿の整理に集中。夕食後に終了。
杉村が下井草の「松本邸」のスケッチを進めているが、突破口が見つからない。事務所の手の空いたスタッフに声をかけ、共同でスケッチを進めることにする。
オブ・アラップからファックスが届く。相談を受けた問題に光明が見えないようだ。どうしたものだろうか。
午前中、中川が「108小野塚邸」の確認申請をさいたま市に提出し受理された。いよいよ本格的な実施設計に着手する。


2004年12月20日(月)

9時、事務所行。雑用を済ませた後、花巻と「神宮前計画」について打ち合わせ。いよいよ計画が再出発する。パソコンの調子が悪く、いくつかの仕事を延期。

午後、大学行。1時半、千葉研究室の留学生のインタビューを受ける。日本の建築家の箱型住宅について研究しているという。対象としている建築家は、篠原一男、安藤忠雄、千葉学、西沢立衛、僕の5人だという。なぜこの5人なのかよく分からないが、30分間、質問に応える。ほとんどが美学的な質問なので少々参った。

2時半からデザイン研究室による工学部1号館周りの掃除。約1時間半をかけて落葉を集め、燃えないゴミを拾う。その間、僕は3年生のエスキスを見る。しばらく原稿書き。

5時過ぎ大学を出て、京橋のINAXへ。6時からリノベーション・フォーラムの第5回。今日のゲストは設備が専門の安孫子義彦さん。「THE排水」と題して、排水システムの変遷と部品開発について話される。話題は排水を集合化する部品である排水ヘッダーをめぐって展開した。排水ヘッダーは集合住宅の集中排水のために開発された接続部品だが、コンバージョンや戸建て住宅にも有効で、そのための部品も開発されているという。調べてみる価値がありそうだ。「箱の家」の骨組とシェルターの部品化はある程度見通しが立ったが、設備システムについてはまだまだ未検討である。とくに給排水衛生設備システムは、全面的に現場工事に頼っている状態だ。排水ヘッダーの採用は衛生設備システムを合理化する鳥羽口になるかもしれない。8時半終了。
その後、松村秀一さん、太田浩史さんらとワインを飲みながら歓談。10時前終了。


2004年12月19日(日)

10時半に家を出て、麻布山の善福寺へ。義母の3回忌である。参道前で生花を買い、11時過ぎ寺に着く。11時半から読経。皆で焼香をして30分で終了。
12時過ぎ、近くのレストランで食事。日曜日なのに客で一杯だが、男性は僕一人である。神宮前計画について話し合いながら、ランチを食べる。2時終了。
一旦自宅に戻り、事務所へ3時着。いくつかの雑用と原稿書き。人気のない事務所は寒い。10月に会った羽村市のクライアント候補から土地が見つかったというメールが届く。不動産屋がせっついているので、今週中に見なければならない。早速、スケジュールを返信。
8時帰宅。お歳暮でもらったうどんを家族3人でいただく。
『思想史家:丸山眞男論』(大隅和雄+平石直昭:編 ぺりかん書房 2002)を読みながら、12時就寝。


2004年12月18日(土)

9時、京王線、布田の「106結城邸」敷地へ。9時半から地鎮祭の予定だったが、急遽、神主の都合で12時半に延期となる。地鎮祭の変更は初めての経験である。一旦、事務所に戻りメールチェック。11時過ぎに事務所を出て12時半に再び敷地へ。1時前から地鎮祭。近所への挨拶周りをして、1時半終了。

工務店の車で、JR横浜線、成瀬の「94池内邸」に少し遅れて到着。現場は外装の断熱パネルを張り終わり、外周に足場が建てられている。7.2mスパンの無柱空間の屋根に高窓の鳩小屋を載せた形の「箱の家」は今回がはじめてである。そのせいか吹抜のスケールが堂々として見える。3時半から上棟式。池内一家が用意してくれた食事をいただきながら歓談。4時半、中締め。井上を残して5時に現場を発つ。

6時前、事務所に戻る。先日、見学したたまプラーザの敷地に関してクライアント候補に連絡。地形の起伏が大きいため、造成した敷地が横浜市の「崖地条例」に該当することが分かった。購入寸前にこうした重要な条件を知らせる不動産屋のやり口に憤りを感じる。ともかく対策をはっきりさせた状態でないと購入しないようクライアント候補にアドバイスする。
6時、事務所終了。しばらく雑用をこなした後、7時半、帰宅。

『ルネサンス:経験の条件』(岡崎乾二郎:著 筑摩書房 2001)を読み終わる。沢山のテーマとアイデアがつめ込まれた密度の高い本である。本書から学ぶべき最大の教訓は以下の点である。すなわち、芸術作品の批評=解釈とは、作品それ自体の制作とは異なるとはいえ、間違いなくもうひとつの制作にほかならないということである。それはよく言われるように、芸術作品から(制作者自身さえ自覚しなかった=無意識の)新しい意味を発見し、読み取るという意味においてだけではない。それ以上に重要なのは、制作者の制作過程を辿りながら、それをもう一度「演じ直す」という意味においてである。著者は、アンリ・マティス、ブルネレスキ、マサッチオ、フェルメールの作品を取り上げ、それぞれについて微細な批評=解釈=制作の再演を実行してみせる。その経緯は、エドガー・アラン・ポーの推理小説のようにスリリングである。僕としては、ブルネレスキの建築が今まで誰も試みなかったほど精緻に分析されている点に、何よりも心を引かれた。その読み込みは、著者がほとんどブルネレスキになりきり、自作の設計過程を解説しているような感じさえする。
サンタ・マリア・デル・フィオーレに関する以下の解説には、僕は思わず快哉を叫んだ。

「建築家がまず直面するのは、相互に無関係に分離した事物群、断片化した建築群という、きわめて都市的な現実であり、その与えられたばらばらに離散した事物間にいかに秩序を与えるかということが建築家の仕事であって、決して更地=白地に還元された敷地上に自分の理念に従って、建築を一つの全体として、ゼロから立ち上げるなどということではなかった。(中略)建築家、芸術家という個人的な職能意識が、13世紀以降ルネサンスにかけて生まれたのだとすれば、この膨大な全体なき部分の累積、いわば無意識的累積に対する自意識の発生にそれは相当するだろう。つまり芸術家と呼ばれる個人的主体は、断片から失われた全体を復元するという考古学的な作業でこそ、はじめて出現しえたのである。当時興隆しはじめたという人文主義(ヒューマニズム)の起源は、そもそもこのようなものだったはずであり、いずれにせよ、この時代に突然、先験的な理念に従って何かが作りだされたなどということがあったわけではない。むしろ、すでに出来上がっているものの集合、その混沌の中から事後的に、それを統整しうる理念を見出さなければならない必要が生じてきていたのである。」

要するに建築のデザインとは、都市的・歴史的コンテクストとの「自覚的な」対話にほかならない。ここには歴史家と制作者の理想的な共存がある。これは僕が大学の設計製図で絶えず強調しつづけている主張そのものである。
ブルネレスキのサント・スピリト聖堂は、建築における理念と現実のせめぎ合いを典型的に示している点で、僕のもっともお気に入りの建築だが、著者が同じような視点でとらえている点にも共感した。この建築を精細に見ていくと、ブルネレスキとミースの距離は、ほんの一歩であることがよく分かる。その意味で、ブルネレスキは最初のモダニストだといってもよい。
ともかく本書は、批評は「制作者」においてもっとも的確かつ創造的に実行されることを実証して見せた類稀な本だといえよう。


2004年12月17日(金)

9時、事務所行。メールチェック。まだ原稿チェックが残っていることを発見。最近、頼まれたことをぽっくり忘れることが多くなった。記憶力は衰えたのに、やるべきことが多くなったためだ。
10時半、コンペの打ち合わせ。今日の宿題は都市的コンテクストからのアプローチである。いくつかの案についてディスカッション。スタッフの皆も頭を絞っているが、なかなか突き抜けた案はない。ヨーロッパとは違い日本には地方都市にあまり魅力的な駅がない。ホーム上にシェルターを架けた駅が少ないせいだろうか。今回のコンペも駅ビルだけである。そのあり方について、あらためてじっくり考えるべきかも知れない。

午後、大学行。2時から専攻会議。6人の博士論文の副査を頼まれた。審査は来年1月だが、すべてを読み通すのはちょっと大変だ。その後しばらく原稿書き。製図室では2年生が作業を続けている。

4時半に大学を出て、田町の建築会館へ。吉阪隆正展をざっと観る。油土の模型と手描きの図面の迫力に圧倒されたが、あまりに人が多いので早々に退散。いずれじっくりと見てみよう。6時からシンポジウム。最初に神戸大の重村力さんが、吉阪隆正についてショートレクチャー。続いて内藤廣さんの司会で、伊東豊雄、五十嵐太郎、倉方俊輔の3氏によるシンポジウム。若い二人の発言は、キレはあるが印象は薄い。倉方さんは吉阪の作品と言説を周到に分析しているが、問題の整理の域を出ていない。吉阪の言説だけに注目した五十嵐さんは、建築家としての吉阪を扱いかねているようだ。しかし伊東さんの発言は一言一言が胸に突き刺さるようなリアリティを持っている。1950年代から1960年代への日本の近代化の変質は、前近代を併存させた吉阪隆正(や池辺陽)の近代から、高度成長を経た丹下健三の近代ヘの移行であるという指摘は、1950年代の近代化における貧しさと豊かさが共存した自由な雰囲気を的確に言い当てている。伊東さんにとって菊竹清訓は、丹下や磯崎には欠落しているデザインにおける「身体的思考」を体現した建築家であり、その源流は吉阪に遡るのではないかという発言は、とりわけ僕の胸にグサリと突き刺さる。伊東さんの発言は、ことごとく最近の日本の建築界に対する強烈な批評になっている。じっくりと考え言葉を選びながら語る伊東さんには、巨匠の風格さえ漂い始めている。いつになくいろいろなことを考え込まされた会であった。8時半終了。
途中、簡単な夕食をとり、10時前帰宅。風呂に入り、あれこれ考えながら12時過ぎ就寝。


2004年12月16日(木)

9時、事務所行。いくつかの雑用。石神井の「大橋邸」の打ち合わせ日時を連絡。先日調査したたまプラーザの敷地の購入が決まりそうなので、工事予算について連絡。ガラスメーカーのコンサルタントへの書類作成。

午後、大学行。12時半から学科会議。最近、大学の職員を狙った「オレオレ詐欺」が多発していると聞いたので注意を呼びかける。
1時半から3年生設計製図の中間講評。小嶋一浩さんの課題のせいで学生達はかなり頑張っているが、ピント外れの案もかなり多い。3年生最後の課題で、明らかに力の差が分かるようになってきた。確かにデザイン・センスの問題も大きいが、それ以上に重要なのはデザインへの集中力と持続力だろう。今後の長い道程を考えると、むしろその方が決定的かもしれない。この課題に限ってみても、デザインの差は明らかにかけた時間の差である。学生に対しては、ダメなものはダメとはっきり指摘した方が良いように思うが、東大にはそれを許さないような雰囲気がある。4年生初めに卒論研究室を選択する段階と、大学院試験の段階でフィルターにかけるしかないのだろうか。5時過ぎ終了。

6時から「技術と歴史研究会」の第10回公開講義。桑村仁教授による「鉄骨造の歴史」。鉄骨造に関する技術の歴史と理論の歴史を対照させながら辿っていく語り口が面白い。聞いていて、ケネス・フランプトンの『テクトニック・カルチャー』や『現代建築史』を連想した。しかし桑村さんは基礎工学としての理論に集中し、具体的なデザインにはあまり興味がないようだ。桑村さんによれば、鉄骨造に関する現代の最先端のテーマは座屈工学と脆性破壊工学だそうである。要するに線形理論では解けない領域である。そのあたりの問題に関する佐々木睦朗さんとのやりとりが面白かった。会のメンバーで参加したのは、佐々木睦朗さんと伊藤毅さんだけだが、学生達も多数参加してくれた。8時終了。
その後、宮本で夕食。佐々木事務所のメンバーも加わり、構造の話しを聞きながら歓談。10時終了。


2004年12月15日(水)

9時半、あびこ駅にて岩堀と待ち合わせ、車で守谷市の「97向山邸」現場へ。足場が取れて外観が姿を現している。横長ファサードのプロポーションが心地よい。郊外のゆったりした敷地ならではの「箱の家」である。外部は駐車場の鉄骨フレームがとりついたところ。内部は塗装工事の途中である。木部にオスモカラーを刷り込むように塗ることでムラをなくしている。やや薄目の塗装だが、この塗料では最良の方法かもしれない。今後の参考にしよう。10時半、現場を発つ。

11時半過ぎに大学着。グッドデザイン賞の「私の選んだ一品」の原稿をまとめて送信。僕は松下電工の照明器具シリーズを選んだが、その理由はほとんど何もしていないようなデザインだからである。シンプルで目立たないデザインに膨大なエネルギーが注がれているに違いない。

4時半から修士設計(COE+AUSMIP)の最終講評。全体としては、先月の講評とほとんど同じ印象だが、みんなより建築に近づいている点が良かった。それにしてもAUSMIP プログラムで短期留学しているEUの学生の集中力とデザイン・センスを、東大生は見習わねばならない。コンセプトは同じレベルでも、東大生はそれを口で説明するだけだが、留学生たちはそれを模型や図面に表現する。この違いは、建築家・デザイナーとしては大きな差といわねばならない。
とはいえ僕のスタジオは留学生が多かったせいか、東大生もレベルの高いプレゼンテーションをまとめていた。共同作業によるコミュニケーションが僕のスタジオの最大の収穫かもしれない。僕のスタジオはコンバージョンの課題だったが、留学生たちのリアルな提案は、コンバージョンの難しさを浮き彫りにした。具体的なコンバージョンを提案しようとすると、サイト・スペシフィック、ビルディング・スペシフィックなデザインにならざるを得ない。そのことが逆に、プロジェクトのヴィジョンを分かりにくくしてしまうのだ。コンバージョンにおいて、リアリティとヴィジョンを共存させることは至難の技である。ヴィジョンを提示するには、コンバージョンによる都心居住のあり方と街並みの提案が不可欠である。その点を明らかにしてくれた留学生たちのリアルな提案に感謝するとともに、来年の展覧会では、それを再び都市へとフィードバックさせるような展開を期待したい。9時終了。
その後、内藤廣、大野秀敏、千葉学、助手の人たちと、今後のプログラムについて話し合いながら、簡単な夕食。10時終了。


2004年12月14日(火)

9時前、事務所行き。大急ぎで「省エネコンペ」の審査講評をまとめ事務局へ送信。それぞれの作品に寸評を書かねばならない。短くしかも的確な講評をまとめるのはなかなか大変である。11時半終了。

午後大学行き。1時から歴史研の卒論発表会に参加。伊藤研究室3人の卒論はどれもレベルが高く学ぶところが多かった。鈴木研究室の近代建築に関する卒論も興味深い。藤井研究室の発表も聞きたかったが時間切れ。

2時半に大学を出て、大急ぎで浅草の「二天門消防支署」の現場事務所に向かう。第1回目の現場定例会議。事務所にはまだ家具什器が入っていない。工事を進める上での手続き類の確認をした後、建築、機械設備、電気設備に分かれて分科会。佐々木構造計画事務所から礒崎さんが参加。工事に関する細かな打ち合わせ。既存建物の基礎解体工事の処理が遅れているので、年内の着工が微妙になっている。打ち合わせの途中だが、僕は5時に事務所を出て大学に戻る。

グッドデザイン賞の「私の選んだ一品」の原稿に取り組む。8割方まとめたところで7時になった。難波研究室の皆で正門に近いピッツェリアで打ち上げ。ワインとパスタで卒論生の労をねぎらう。10時終了。そのまま帰宅。


2004年12月13日(月)

9時大学行き。9時20分から卒論発表会。難波研3人の発表は10時25分から開始。各人10分。30分で終了。内心は冷や冷やしながら聞いたが、贔屓抜きに3人ともなかなかのレベルだったと思う。何よりも大きな声で明確に喋り、質問に対してもひるまずはっきり答えたのが良かった。それだけ周到な理論武装ができていたということである。実際、シミュレーションの時点で僕が指摘したこと以外の質問は出なかった。
僕にとっては最初の年なので、午後の発表もぜひ聞きたかったのだが、修士設計の最終講評が水曜日に迫っているので、午後1時半から最終エスキスを行う。全チームは来なかったが、最後の一押しをする。最終的に建築のデザインまで届くかどうか、ぎりぎりのところである。4時半終了。

5時過ぎ事務所に戻る。6時から「二天門消防支署」の設備の打合せ。設計を担当した内山さん、田口さんから、現場監理を担当する設備事務所への引き継ぎである。2人とも忙しくて、現場監理での細かな対応が難しいので、代理を頼むことになった。1時間半をかけて設備設計の内容を説明。

事務所内外で、いろいろな問題が噴出している。目の前の問題にしっかり取り組まなければならないのは当然だが、先のことも見通さねばならない。この年末が正念場である。


2004年12月12日(日)

7時起床。8時にホテルを出て、地下鉄、南海高野線、JR和歌山線を乗り継いで名手駅に10時着。阪中夫妻の車にピックアップしてもらい「95阪中邸」に10時15分着。
家具工事、建具工事が進行中だが、大部分がやり残しである。塗装ムラも気になる。これでは昨日の撮影は難しかったに違いない。坂口さんには申し訳ないことをした。寺山に連絡すると「100井浦邸」の撮影は9時前に始まったたらしい。順調に進んでいればいいのだが。
このまま引渡をするのは難しいので、阪中夫妻と工事のチェックを行い残工事と補修工事をリストアップする。30以上の工事項目が挙がった。入居は来週末なので何とかそれまでには工事を仕上げてもらいたいところだ。とりあえず工務店には午前中で一旦工事を中止してもらう。

阪中夫妻と昼食後、午後1時からオープンハウス。まだ竣工前だが、プラニングの基本的なコンセプトと空間構成だけは体験してもらえるだろう。親子4人の核家族で、ここまで完全な一室空間住居は初めてである。
交通の便が悪いのにもかかわらず、阪中夫妻の友人家族、和歌山の建築家、大阪の工務店、大阪市大学生など30人位が来てくれた。午後は曇りがちで3時過ぎには小雨が降り始める。阪中一家と記念撮影をして、4時に終了。

阪中夫妻にお礼を言い、大阪市大の学生の車に便乗して大阪へ。車内では旧難波研の話題で盛り上がる。7時前の新幹線に乗車。車内でメールチェック。残工事・補修工事リストを寺山と阪中夫妻に送信。9時半東京着。10時過ぎ帰宅。『ルネサンス:経験の条件』を読みながら11時半就寝。


2004年12月11日(土)

9時前にホテルを出て、梅田から丹波快速で新三田へ。予定よりも少し早い電車に乗ることができた。改札口で井浦一家に会い、車で「100井浦邸」へ。
心配した駐車場の工事も終了している。室内の白いオスモカラーもきれいに仕上がっている。白く染まった軽い空間にイームズとプルーヴェの椅子がぴったり納まっている。中心の吹抜に、ピアノコーナー、和室、ダイニング、寝室、子供室がアルコブのように付属した、典型的な一室空間住居である。引渡前に、井浦夫妻、工務店と一緒にざっと検査。細かな残工事があるので入居後の補修を依頼したが、全体としては十分満足できる仕上がりである。工務店に感謝しなければならない。11時から機器説明と引渡。12時終了。その後、井浦一家とファミレスで食事。出会いから今日までの思い出話を交わす。いつものことだが、オープンハウス前には、何となく寂しい気分になる。

1時からオープンハウス。50〜60人くらいの人が来ただろうか。若い建築家が主で、遠くは四国から来てくれた。大阪市大の学生や他大学の学生も来た。近所の人にも開放。夕暮れ前の4時に終了。
大阪市大の学生と一緒に梅田まで帰る。5時半、一旦心斎橋のホテルに戻る。寺山から6時前に撮影終了の連絡が入る。7時半過ぎ、あびこのイルマーレで待ち合わせ。坂口さん、寺山と食事。坂口さんと直接会うのは久しぶりである。昔話をしながら3時間歓談。今日の「95阪中邸」の撮影は、なかなか難しかったらしい。10時半、店を出て心斎橋のホテルへ。


2004年12月10日(金)

10時、田園都市線のたまプラーザ駅へ。先日のクライアント候補から別の敷地の実見を依頼された。不動産屋の車で現地へ向かう。急斜面を造成した敷地で、道路から敷地までのレベル差が2層分(6m)近くあり、斜めの擁壁部分が敷地のかなりの面積を占めている。しかし陽当たりと眺めはいい。クライアントの要求している規模の住まいは何とか確保できそうだが、盛土部分の基礎とバリアフリー対策にかかる費用が不確定である。11時過ぎ現場を発ち、事務所に戻りスタッフに杭と昇降装置の調査を指示する。

1時、大学行き、1時半、2年生の課題提出。2時から木下庸子さん(ADH)による次回の課題説明とレクチャー。木下さんの住宅はダイアグラマティックな平面計画が多く、家族像や活像は僕と共有できる部分が多い。しかし木下さんのクライアントは「箱の家」のクライアントより、明らかにブルジョアである。4時終了。続いて、課題講評だが、残念ながら僕は参加できない。

4時過ぎに大学を発ち、5時前の新幹線に乗る。7時半、新大阪駅着。寺山に連絡し「100井浦邸」の工事状況と引渡・オープンハウスの手順の打ち合せ。直接会う必要はないらしい。8時、心斎橋のビジネスホテルにチェックイン。

新幹線内で『文脈病:ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ』(斉藤環:著 青土社 2001)を読み終わる。副題に惹かれて読んだのだが、いくつか意外な発見があった。まず「序章「顔」における主体の二重化」で「顔の科学」批判を展開している点。顔学に関する僕の疑問を明解に整理してもらった。著者は精神分析医で「顔」に興味を持ち。顔学会の会員でもあるという。一般性・共通性・普遍性を追求する科学は、決して顔の単独性・固有性をとらえることはできないと著者は主張する。当たり前の主張のようだが、しかしこれを敷衍すると、顔に限らずすべての存在が単独性・固有性を持っているから、科学は無力であるという結論になるのではないかという疑問は残る。さらに著者は、顔の固有性・単独性は、形や個性といったそれ自体の属性に還元することはできず、それが置かれる「コンテクスト=文脈」に依存していると主張する。このあたりは理論としては分かりにくいが、著者は漫画、アニメ、映画などのさまざまなケーススタディを通じて、その主張を検証している。漫画論にはちょっとついて行けないが、デヴィッド・リンチの映画やフランシス・ベーコンの絵画についての論は興味深く読んだ。僕の考えでは、コンテクストとはつまるところ歴史ではないだろうか。著者の結論ともいうべき「第13章 コンテクストのオートポイエーシス」は読み応えがある。とはいえ物理的存在としての建築に集中したい僕としては、人間の内面を扱う精神分析学の理論とは少し距離を取りたいので、精神分析的オートポイエーシス論をシステム生成論のケーススタディとして読んだ。
引き続き、『ルネサンス:経験の条件』(岡崎乾二郎:著 筑摩書房 2001)を読み始める。ブルネレスキ論が面白い。


2004年12月09日(木)

10時、JR横浜線・成瀬の「94池内邸」現場へ。すでに担当の井上は着いている。今日は集成材軸組の建方である。8時からスタートして柱を立て終わり、梁を架け始めている。浴室周りの柱の長さが間違っていたので、材を取り換えるように指示。いくつか注意点を井上に伝えて11時前に現場を発つ。

一旦事務所に戻った後。岩堀と東京消防庁へ。二天門消防支署の建築工事担当業者に加えて、電気工事、給排水衛生工事、空調工事の担当業者も決まり、設計側の監理体制も固まったので、全員が参加し最初の顔合わせ。いよいよ監理業務がスタートする。消防署としては小規模だが、必要機能は一通り揃っているので、工事も監理も大変である。消防庁の話を聞くと形式的な手続きが煩瑣だが、これも税金を使うためのハードルだと考えねばなるまい。それにしても不合理な報酬というしかない。3時半終了。

4時過ぎ大学着。4時半から修士設計のエスキス。8チーム全員が参加したが、先週までの勢いに比べると、やや息切れが見られる。プラニングまでは到達しているのだが、建築レベルまで届いていない。コンバージョン課題だから、住戸内の生活が分かる50分の1位の図面を描いて欲しいのだが、ちょっと難しいかも知れない。最終講評まで残り1週間なので、来週月曜日に最後のエスキスを実施することにした。8時半終了。9時に大学を出る。頭痛がするので事務所には戻らず、そのまま帰宅。


2004年12月08日(水)

「95阪中邸」と「100井浦邸」の引渡とオープンハウスを、急遽、今週末の11日(土)、12日(日)に行うことになった。工事は完全に終わらないが、年末で入居が迫っていることと、カメラマンが両日しか時間がとれないことから、やむを得ず決定した。

朝9時半、赤坂のプラニング事務所に出かけて「神宮前計画」の相談。一昨日、相談したゼネコンから、数字上の難しさを指摘されたので、地の利を理解した人に計画を引き受けてもらうのしかないと考えたためだ。一般解ではなく特殊解としてとらえないと、この計画は成立しないだろう。

早めに大学行き。午前中は『エコハウス』の原稿を書く。
午後1時半、イタリアからの留学生のインタビューを受ける。日本のプレファブ住宅史の研究をしているらしい。池辺陽や内田祥哉から始まり、セキスイハイムのM1、アルミエコハウスなどについて質問を受ける。最終的には工業化とサステイナブル・デザインとの関係に話が展開したので、僕たちがまとめたSD誌の最新号の特集を見るように勧める。
3時半、無印良品の広告取材。僕自身の住まいの原体験と「箱の家」やMUJI+INFILL木の家」との関係について話す。住宅の収納についても聞かれたが、はかばかしい回答はできなかった。
4時半から、難波研の卒論生3人が、来週月曜日の卒論発表のシミュレーションを行う。研究テーマへの思い入れが強く、沢山のことを喋ろうとするあまり、時間がオーバーし、論点がぼけてしまう。一人に与えられた発表時間は7分なので、単純明快な論理によって、可能な限りコンパクトに話すことをアドバイスする。金曜日に再度シミュレーションを実施することになった。
夕方、リファイン建築の青木茂さんから電話。来年2月の講演と4月の対談を頼まれる。テーマはリノベーションである。

6時半に事務所に戻る。7時半に結城夫妻と工務店が来所。「106結城邸」の工事契約の締結。地鎮祭は12月18日(日)の行うことになった。
8時半からコンペの打合せ。まずは基礎的なデータについて調査した結果を報告。その後、簡単なディスカッション。来週はもう少し突っ込んで、ブレインストーミングを行う。


2004年12月07日(火)

朝8時半、事務所行き。原稿に資料を添付して送信。芦澤さんから電話。『エコハウス』の原稿の催促。少しずつ進めているが、ブレイクスルーできない。
10時過ぎ事務所を出て、岩堀と浅草の「二天門消防支署」の現場へ。11時から浅草寺による地鎮祭。仏式の地鎮祭は初めての経験である。地鎮祭は通常神式だが、浅草寺の脇ではやむをえまい。まず本堂においてお札を祈祷してもらった後、敷地に移動し再度祈祷。塩、米、酒で敷地四隅と中央を浄めるのは同じだが、供物はない。地鎮祭でもお焼香をするのにはびっくりした。
浅草寺の宗派はもともと天台宗だったそうだが、現在は浅草寺独自の聖観音宗という宗派を持っているらしい。天台宗の本山は比叡山延暦寺で、京都の鬼門(東北:丑寅)に位置している。同じように、浅草寺は江戸の鬼門に位置している。境内に神社(浅草神社)があるのは日本的な神仏混淆のあらわれだろうか。にもかかわらず地鎮祭が仏式なのは、やはり浅草神社は浅草寺に付属する存在なのだろう。

浅草で昼食の後、大学へ。2時、日刊建設通信新聞の記者が来所。来年2月にスタートする隔週連載の依頼。サステイナブル・デザインに関するさまざまな話題を書きたい旨を伝える。
3時、4年生の卒業設計エスキス。省エネコンペに応募した学生なので、合わせて講評も行う。
4時、修士設計のエスキス。ポルトガルからの2人留学生と東大生の3人のチームが何度もエスキスに来る。最初のうちはどうなるかと思ったが、徐々に建築らしいデザインになってきた。結果を期待しよう。

6時前に事務所に戻る。いくつかの雑用。7時過ぎ、スタッフと夕食の弁当を食べながら、昨晩の内藤レクチャーについて話し合う。
花巻と駒込の「千葉マンション」の打合せ。まずは基本計画をまとめて、役所に事前相談に行くことにする。
名古屋の瀬口哲夫さんから『わが街ビルジング物語』(樹林社 2004)が送られてくる。瀬口さんは池辺陽研究室時代の同級生で、佐々木睦朗さんの1年後輩である。現在は名古屋市立大学芸術工学部の学部長になっている。大学時代から彼の地道な研究には舌を巻いていた。本書もそういう持続的研究の副産物である。


2004年12月06日(月)

9時、事務所行。10時、昨日見た敷地についてスタッフに説明。早速、法的条件の調査を指示する。
午後、大学行。研究室の卒論生は全員、卒論を提出したようだ。
SD誌が着いたので在室の教員に配布する。その後いくつかの原稿書き。まとめて送信。
4時、戸田建設の大森氏が来所。神宮前計画について相談。早急な検討を依頼する。

5時半、内藤廣氏が来所。6時から公開講義。「建築に未来はあるか」というタイトル通り、内藤さんは自作をまったく紹介せず、建築を取り囲む現代社会のさまざまな問題--人口問題、環境問題、南北問題、戦争、難民、テロ、etc.--を紹介し、それをどう受け止めて建築に取り組むかという問題が学生たちに問いかけた。そのあまりの直球勝負に、学生たちは戸惑ったかもしれない。とはいえこれは50代の大人からの問題提起であり、20代の若者がそのまま受け止められるような問題ではない。僕としては、この問題を正面から受け止める自分と、その自分を眺めるもう一人の自分を持つことによって、シリアスでありながら押しつぶされないことが重要だと感想を述べた。野沢正光さんも参加して、建築家の社会性についてコメントしてくれた。自らの問いかけに対して、内藤さんが提出した答えは「想像力」と「注視」である。8時終了。
その後、講評室で簡単な懇親会。3年生と卒論提出後の4年生も何人か参加。9時に正門前の料理屋で会食。いろいろな話を交わす。野沢さんは「技術と歴史研究会」の公開講義を引き受けてくれた。11時終了。


2004年12月05日(日)

昨夜はひどい嵐で、朝方5時頃目が覚める。8時半起床。昨夜とは打って変わって快晴だが風が強く暑い。9時半に家を出て10時事務所着。
卒論生から再度、卒論の梗概が届いたので、感想をまとめて返信。彼らの思考が少しずつレベルアップしていくのがよく分かる。こういう効果は意外と短時間で生ずるようだ。それだけ彼らの内部で問題意識が醗酵している証拠だと思う。
先日のクライアント候補から、新しい敷地候補を見つけたという連絡が届く。今週金曜日に敷地を見に行くことになった。

12時過ぎ事務所を出て、原宿駅から阿佐ヶ谷駅へ。駅前で昼食を済ませた後、1時半、クライアント候補と改札口で待ち合わせ。
僕と同世代の夫婦である。敷地は下井草で「箱の家8」と「箱の家41」が徒歩圏内にある。敷地に行く途中に前者、帰途に後者の外観だけを簡単に案内する。さらに、このクライアント候補は「箱の家67」のクライアントと同じ職場仲間でもあったという。世の中は狭い、というより「箱の家」の磁力のようなものかもしれない。
敷地は住宅地内の交差点脇にあり、平面は不定形である。角地は三角形の狭い駐車場なので、二面から見通せる、一通り敷地を見た後、阿佐ヶ谷駅近くの喫茶店で新居についての話を聞く。家族は親子4人だが、子供は成人しているので一室空間的な住居は難しいようだ。夫婦とも明確な趣味を持っているので、それぞれのコーナーを希望している。2階建てだけでは面積が足りないので、一部3階建てか、あるいは半地下と2階建てのふたつの案をスタディしてみることになった。4時半終了。

5時過ぎ、事務所に戻る。しばらく原稿を書いた後、6時半に事務所を出る。急に風が寒くなった。7時前に帰宅し、家族で鍋を囲む。


2004年12月04日(土)

9時過ぎ事務所行き。10時半からコンペ打合せ。年内はいくつかのテーマに分けて資料収集を行うことにする。小さな駅舎だが、考えるべきことは沢山ある。

午後、昨日にひき続き卒論の添削。2人分に目を通し問題点を指摘。梗概の提出は何とか間に合いそうだ。
「神宮前計画」の再検討。月曜日にゼネコンと合うことになった。最初から仕切直しである。
2時過ぎに事務所に出て、下北沢の「101名田邸」へ。軸組が完成し屋根と床のキーストンプレートが取り付けられている。コンパクトだがのびのびとした空間が見えてきた。地下に降りてコンクリート打ち放し面の様子を見る。打ち放しのままでは、やや陰気な空間になるので、今回は白く塗装することにした。
3時から上棟式。佐々木睦朗君も出席してくれた。名田夫妻が建物の四隅を清めた後、乾杯。寿司をつまみながら、しばらく歓談。4時過ぎ中締め。5時過ぎに事務所に戻る。雨が降ってくる。


2004年12月03日(金)

8時起床。完全な二日酔いである。しばらく休んだ後、10時半に事務所に行く。メールチェックし、スタッフと昼食を取った後、大学行き。

卒論梗概の添削。来週月曜日が提出日なので、それまでに一通り目を通すことになっている。フランク・ロイド・ライトの作品をサステイナブル・デザインの視点から分析した学生の卒論はなかなか興味深い。サステイナブル・デザインの考え方を、バッキー・フラーとノーマン・フォスターとの思想的なやりとりに読み取ろうとした学生の論文は目の付け所がいい。近代建築における緑化の展開を分析した学生は苦労しているようだが、テーマの性質上、切り口が難しいことは確かだ。しかし射程の長い研究テーマである。
3時過ぎ、高校時代の同級生の中村哲也さんが来所。現在勤めているはステンレス加工に会社の支店を青山に出すので、その挨拶に来たという。1965年卒だから40年ぶりである。

6時前事務所に戻る。「神宮前計画」に新しい展開がありそうだ。早急に対策を考えねばならない。
小野正弘さんから『住居を詳細で考える』(住宅建築11月別冊・58 建築資料研究所)が送られてきた。綿密に作り込まれた住宅の図面に驚く。注がれているエネルギーは凄いが、サステイナブルな視点はほとんど見られない。こういう世界もあるのかと考えさせられる。
二日酔いで一日の疲れが出たので、早めに事務所を出て帰宅する。


2004年12月02日(木)

朝9時、事務所行き。コンペの要項に目を通す。
午後早めに大学行き。12時半から学科会議。出席率がきわめて悪い。僕からはメディア文化工学科の報告。とはいえ工学系研究科のWGは延期になった。事態は浮動的である。

2時半から修士設計エスキス。製図室では小嶋さんが3年生のエスキスを行っている。
みんな先週からかなり作業を進めているが、居住者の種類とライフスタイル、それに基づく住戸のパブリックな部分の設定まで考えているチームはいない。彼らは都市スケールから住戸スケールへとブレイクダウンしようとしているのだが、ソフトな部分の分析が足りない。日本橋地域の将来像は居住イメージによって決まるだろう。そこをしっかり押さえた上でのデザインでないと、机上の楼閣に終わるだろう。しかし留学生たちは作業が早い。あれこれ考えないでどんどん作業を進めていく様を、東大生は学ばねばならない。
エスキス後、3年生としばらく立ち話。小嶋さんの課題はかなり難しいが、ストラグルしながら取り組んでいるようだ。中間講評が楽しみである。

6時半に大学を出て上野の料理屋へ。銀杏会の忘年会。教員と職員で約30人が出席。専攻長が乾杯の挨拶をした後、歓談。途中で新入会員の紹介と来年の幹事を決めた後、10時終了。近くのバーで二次会。したたか飲みほとんど記憶が消えそうになる。夜半過ぎタクシーで帰宅。


2004年12月01日(水)

朝、東京消防庁行き。現場監理の契約前に、監理の方針についての要望を渡す。要するに仕事の内容を監理報酬にバランスしたものに限定してもらいたいという希望である。何しろわずかな報酬に比べて、監理業務委託契約書に記された仕事の内容は異常というほかない。それを臆面もなく要求してくるのがお役所なので、あらかじめ釘を刺しておきたいと考えたのだが、果たして功を奏するだろうか。それは仕事を始めてみなければ分からない。

午後、大学行き。『エコハウス』の原稿を書きながら、合間を見て読書と製図室回り。4年生は卒論の締め切り間近で演習室は深閑としている。3年生は課題の中だるみだろうか、ほとんど手を動かしている学生はいない。

4時半から馬場正尊さんのコンバージョン・レクチャー。日本橋に本拠を置いて、古いビルや空きビルの活用をトータルに考え活動している若い建築家である。モノとしてみれば突出した作品はないが、アートを巻き込んだ社会的な活動を含め、デザイナーとしてのあたらしい職能を開拓しようとしている。しかし学生たちには今一馬場さんの活動の意味が理解できなかったようだ。その理由は、学生たちが依然として古典的な建築家像、すなわち更地に自分一人のイメージによって巨大な作品をつくるのが建築家だという幻想を抱いているからである。そうした建築家像は時代から大きく外れていることを、彼らは未だに分かっていないようだ。

山上会議所で開かれている「寄附講座祝賀会」に少しだけ顔を出し、前真之助教授の研究プログラムに関するプレゼンテーションを見る。省エネルギー建築を、設計、施工、運営のトータルな面からとら直そうとしている視点に興味を持った。「箱の家」の性能を設計から生活の段階まで通して調査する研究を持ちかけたら興味を示してくれた。来年から実際の共同研究ができるかもしれない。8時前に会場を出て、8時半に事務所に戻る。

『林昌二毒本』を読み終わる。1950年代初めにデビューし、戦後モダニズムの展開と併走した林さんの活動をつぶさに知ることができた。ある意味では、丹下健三や池辺陽の世代よりも、より強くモダニズムに影響された世代かもしれない。アメリカで花開いたオフィス・モダニズムと日建設計の活動とが重なって見える。林さんはミースにほとんど言及していないが、ミースをもっとも正当に引き継いだ建築家ではないだろうか。とくに1960年代から1970年代にかけての一連の単純明快なオフィスビルを見ると、そういう感じを強く持つ。大組織の中にありながら個人としての言論・批評活動を幅広く展開している点もユニークである。林さんの主張はあまりに正しすぎて、読んでいて時に辟易とさせられることがあるが、そのように主張せざるを得ない社会的背景があったのだろう。林さんはそれを自覚して、正論をあえて毒舌的に述べたのだといってもよい。この世代の特徴でもあるのだが、「社会が建築をつくる」といいながら、建築批評が建築以外のジャンルにまでなかなかリンクしていかない点に、やや息苦しさを感じる。石山修武さんはSD最新号の特集『サステイナブル住宅は設計可能か』の中で、僕の活動や発言を「(建築に)クローズしている」と評したが、そういう僕から見ても、林さんの活動は建築に「クローズ」しているように思える。それが「職能人」の社会的役割なのだろうか。これは林流の毒舌になってしまうが、本書をまとめた林さんの胸の内を推測するに、組織内の個人に徹したとはいいつつ、林さんもやはり作家としての建築家であることへの欲望を捨てきれなかったのではないかという印象を持った。


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